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Sunny 0'30"

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サニー (SUNNY) は、日産自動車が1966年から2004年まで製造・販売していた自動車。

1960年代の日本におけるモータリゼーションの進展に対応して開発され、以後1980年代にかけて長く日産の最小排気量クラスを担う主力車種として、高度成長期のベストセラーカーとなった。1980年代に至るまで、日本の小型大衆車の中でもトヨタ・カローラと双璧をなす存在で、その最盛期には販売台数を熾烈に争ったことで知られる。

ボディタイプは2ドアセダンからスタートし、4ドアセダン、2ドアクーペ、3ドアクーペ、ピックアップトラック、2ドアライトバン、4ドアライトバン、ステーションワゴン(カリフォルニア)、3ドアハッチバックなどのバリエーションが存在した。経済的な大衆車として市場の定評を長く保ったが、1990年代以降、日産自動車の販売施策低迷と、セダン主力の車種構成が時流に合わなかったことで人気を落とし、2004年の車名廃止に至った。

1960年代初頭、日産自動車では1000cc-1200cc級の小型乗用車「ブルーバード」の初代モデル310系が大成功を収め、続く2代目モデルの410系はスタイリングが市場の不評を買ったものの、小型車市場での地歩を確実に固めつつあった。

しかし、410系ブルーバードが1200cc以上を主力とするモデルに移行したため、日産には、ブルーバードより若干小型で軽自動車との中間クラスに当たる700cc-1000cc級のベーシックカーが存在しない状態となった。当時最大のライバルであったトヨタ自動車工業は、700cc級の「パブリカ」をエントリーモデルとして市場に送り出し一定の成果を収めつつあり、その他の中堅メーカー各社も、700cc-1000cc級の小型車で市場参入を進めていた。

日産車内ではこれを危惧して、ブルーバードより小型のモデルを開発しようとする動きがあったが、当時の日産自動車トップであったワンマン社長・川又克二は、ブルーバードと同志討ちになりかねないエントリーモデルの開発には当初消極的で「お金のない方はブルーバードの中古をお買いになればよろしい」と評する始末であった。営業陣は商用車開発などの名目で川又を説き伏せ、ようやく小型ベーシックカーの開発にこぎ着けた。サニーが大成功したことで、川又も部下たちに対し「(サニーの開発を)やっておいて良かったな」と反省の弁を残している。

こうしてサニーは、1980年代に至るまで人気シリーズとして日産の主力モデルとなった。とはいえ、若干遅れて登場した同クラスのトヨタ・カローラには、走行性能面こそ互角以上のポテンシャルを備えながら、ユーザーを惹き付けるデザインやアコモデーションなどで一歩譲るところがあり、販売面では常に後塵を拝し続けることになった。最終的には、日産全体の低迷と歩調を揃えるかのように販売実績を落とし、市場でも半ば忘れかけられた存在となって、消滅を迎えたのである。

3代目 B210型(1973年-1977年)
* 1973年5月 B210型にモデルチェンジ。ひと回り大きくなり、近代的なデザインとなるが、商業戦略上の肥大化とも言えた。ホイールベースは共通で、エクセレントはフロントオーバーハングの延長にとどまる。

o ボディタイプは2ドア/4ドアセダンとクーペ、2ドア/4ドアバンの5種類。この型からクーペは大型のハッチバックを持つ形状になった。

o 先代同様、1200ccのA12型エンジンとエクセレント用1400cc・L14型エンジンの2種の排気量を持ち、それぞれにシングルキャブ仕様とツインキャブ仕様を設定。

o エクセレントにはサーボ付ディスクブレーキが全車に標準装備された。ただし、サニー1200ではデラックス以下はドラムブレーキとなる。

* 1976年2月 マイナーチェンジ。

o エクセレント用のエンジンが1400cc・SOHCのL14型から1600cc・SOHCのL16型に変更。

o 1400ccエンジン車には、かわりにF10型チェリー用のOHV・A14型エンジンが搭載された。1200ccのA12型は引き続き搭載。

* 同年7月にはツインキャブレターを装備したスポーティな1400GXツインが登場。

* 1977年 B310型にバトンタッチし、生産終了。

取り扱いは日産レッドステージとレッド&ブルー。1999年の販売網再編以前まではサニー店(現・サティオ店)の専売車種であった。

モータースポーツ
2004年 SCCAスピードワールドチャレンジ・ツーリングカーシリーズに北米向けB15型「セントラSE-R」が参戦。

6月 第3戦 オハイオ州レキシントン ミッドオハイオ・スポーツカー・コース 3位入賞

7月 第4戦 インフィネオン・グランプリ カリフォルニア州ソノマ インフィネオン・レースウェイ 3位入賞

7月 第5戦 インフィネオン・グランプリ 24位完走

[ 2008/09/27 09:55 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Datsun Sunny B110 1972 0'18"

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サニー (SUNNY) は、日産自動車が1966年から2004年まで製造・販売していた自動車。

1960年代の日本におけるモータリゼーションの進展に対応して開発され、以後1980年代にかけて長く日産の最小排気量クラスを担う主力車種として、高度成長期のベストセラーカーとなった。1980年代に至るまで、日本の小型大衆車の中でもトヨタ・カローラと双璧をなす存在で、その最盛期には販売台数を熾烈に争ったことで知られる。

ボディタイプは2ドアセダンからスタートし、4ドアセダン、2ドアクーペ、3ドアクーペ、ピックアップトラック、2ドアライトバン、4ドアライトバン、ステーションワゴン(カリフォルニア)、3ドアハッチバックなどのバリエーションが存在した。経済的な大衆車として市場の定評を長く保ったが、1990年代以降、日産自動車の販売施策低迷と、セダン主力の車種構成が時流に合わなかったことで人気を落とし、2004年の車名廃止に至った。

1960年代初頭、日産自動車では1000cc-1200cc級の小型乗用車「ブルーバード」の初代モデル310系が大成功を収め、続く2代目モデルの410系はスタイリングが市場の不評を買ったものの、小型車市場での地歩を確実に固めつつあった。

しかし、410系ブルーバードが1200cc以上を主力とするモデルに移行したため、日産には、ブルーバードより若干小型で軽自動車との中間クラスに当たる700cc-1000cc級のベーシックカーが存在しない状態となった。当時最大のライバルであったトヨタ自動車工業は、700cc級の「パブリカ」をエントリーモデルとして市場に送り出し一定の成果を収めつつあり、その他の中堅メーカー各社も、700cc-1000cc級の小型車で市場参入を進めていた。

日産車内ではこれを危惧して、ブルーバードより小型のモデルを開発しようとする動きがあったが、当時の日産自動車トップであったワンマン社長・川又克二は、ブルーバードと同志討ちになりかねないエントリーモデルの開発には当初消極的で「お金のない方はブルーバードの中古をお買いになればよろしい」と評する始末であった。営業陣は商用車開発などの名目で川又を説き伏せ、ようやく小型ベーシックカーの開発にこぎ着けた。サニーが大成功したことで、川又も部下たちに対し「(サニーの開発を)やっておいて良かったな」と反省の弁を残している。

こうしてサニーは、1980年代に至るまで人気シリーズとして日産の主力モデルとなった。とはいえ、若干遅れて登場した同クラスのトヨタ・カローラには、走行性能面こそ互角以上のポテンシャルを備えながら、ユーザーを惹き付けるデザインやアコモデーションなどで一歩譲るところがあり、販売面では常に後塵を拝し続けることになった。最終的には、日産全体の低迷と歩調を揃えるかのように販売実績を落とし、市場でも半ば忘れかけられた存在となって、消滅を迎えたのである。

2代目 B110型(1970年-1973年、トラック1971年-1994年)
* 1970年1月 B110型にモデルチェンジ。ボディタイプは2ドア/4ドアセダン、2ドアクーペ、バンの4種類。車体は若干大型化され、初代モデルの華奢な印象を払拭した。

o エンジンは直列4気筒OHV A12型1200ccエンジン。

* 1970年4月 セダン、クーペにSU型ツインキャブを搭載するスポーティグレード「GX」追加。
* 1971年2月 トラックもフルモデルチェンジでB120型へ。
* 1971年4月 4ドアセダン、クーペに「エクセレント・シリーズ」を追加。オリジナルに対してフロントオーバーハングを130mm、ホイールベースを40mmそれぞれ延長した。

o エンジンはロータリーエンジンは間に合わずレシプロのみでのデビューとなったが、サニーとしては初となる、SOHCエンジンである直列4気筒SOHCL14型1400ccを搭載。半球型の燃焼室を持ちクロスフローセンタープラグ式ながらOHVであったT型エンジン搭載モデルのE20系カローラ1400モデルを意識したものだった。

* 1972年1月 マイナーチェンジ。内外装の小変更。フロント/リヤのフェイスリフトとメーターパネルの枠を丸型から角型に変更。
* 1972年8月 1200GXシリーズに5速MT搭載車「GX5」を追加。
* 1972年10月 第19回東京モーターショーにロータリーエンジン搭載車が参考出品。
* 1973年5月 わずか3年4ヶ月で販売終了。B210型にバトンタッチ。
* B120型サニートラックは、B110型が生産終了後もマイナーチェンジを受け、日本国内向けは1994年3月まで、23年間生産が続けられた。後継モデルのB210系がピックアップトラック化に適さない設計であったことが原因であるが、B120の設計が優れていたことも一因である。B120系列は「サニトラ」の愛称で広く親しまれた。

通常モデルは軽量でかつドライバビリティに優れ、トータルバランスで卓越した傑作大衆車であった。アメリカ市場では、当時のアメリカでの市販車で最良の省燃費車であることが燃費テストによって判明し、市場から評価されて、日産車の販売実績向上に貢献した。

また日本ではレーシングマシンのベースカーとして成功を収め、生産中止後も非常に長期に渡ってレースフィールドでの強豪モデルとしての地位を保ち続けたことで有名である。レースチューニングされたA型エンジンは10,000rpmを超える高回転に達し、変哲もない実用向けの原設計からは想像しがたいほどの驚異的ポテンシャルを見せた。

しかしながら、位置付けの中途半端な「エクセレント・シリーズ」という派生型の出現は、サニーの販売戦略(更には日産の乗用車販売戦略全体)の不安定なぶれを露呈したものであった。これ以降のサニーとブルーバードの開発・販売施策は、競合するトヨタのカローラとコロナ、マークⅡに後々まで翻弄され続けることになるのである。

主なレース戦歴
* 1970年11月23日 「全日本富士ストックカー200マイルレース」TS1300クラスでレースデビュー。優勝。
o ドライバーは鈴木誠一。鈴木誠一が設立者の一人である東名自動車のプライベートエントリー。
* 1973年5月 「'73日本グランプリ」Tsaクラスにて「エクセレントクーペ」優勝。
o ドライバーは北野元。その後、B210型が登場後もB110型は1982年までレースで活動を続けた。
* 1974年5月 「74全日本選手権鈴鹿フォーミュラレース」SS1クラスにて「サニークーペ」優勝。
* 1974年11月 「74 JAFグランプリ」SS1クラスにて「サニークーペ」1-2位獲得。
* 1975年5月 「75日本グランプリ」TSクラスにて「サニークーペ」2位獲得。
* 1977年6月 「JAF富士グランプリ」TSクラスにて「サニークーペ」2位獲得。

このような華やかな戦歴から、未だに人気があるモデルで、現在でも草レースなどでは現役で活躍している車もある。

[ 2008/09/28 09:41 ] NISSAN | TB(0) | CM(1)

Stanza 1988 0'29"

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スタンザ(STANZA)は、1977年から1990年まで日産自動車で生産されていた乗用車で、バイオレットとオースターの姉妹車である。

バイオレットとオースターの姉妹車で、サニー店(後のレッドステージ店)で販売されていた。姉妹車たちよりも、内外共に「豪華」に設えられており「ミニ・セドリック」もしくは、「ミニ・グロリア」的な「小さな高級車」という性格付けがなされていた。位置付け的にはサニーの上級版にある。ボディは、4ドアセダンと5ドアハッチバック(初代、2代目前期)である。なお、2代目の後期には5ドアに替わって3ドアハッチバックが設定されていた。

3代目 T12型(1986年-1990年)
* 1986年6月 - 3代目登場。またサブネームの「FX」が取れ正式車名が「スタンザ」に戻った。ボディは4ドアセダンのみとなり、U11型ブルーバードと基本設計が共通化された。同じ共通設計の兄弟車である3代目オースターとの相違点はフロントノーズの造形が逆スラント形状、リアデッキの造形が非スポイラー形状となっており、トランクリッドの開口部がバンパーレベルからでなく、アッパーレベルからになっている。エンジンは、1600ccSOHC(CA16S・「1.6スプレモ」)と1800ccがあり、後者にはSOHC(CA18i・「1.8スプレモ」)、SOHCターボ(CA18ET・「1.8スプレモ・ターボ」)、DOHC16バルブターボ(CA18DET・「1.8スプレモ・ツインカムターボ」)が設定された。SOHCエンジン全車にツインプラグを採用する。キャッチコピーは「クラッシー・スタンザ」。

* 1987年2月 - 10周年記念特別仕様車「エクストラサルーン」を発売。
* 1988年1 月 - マイナーチェンジ。同時期にマイナーチェンジを実施したT12型オースターと同じ形状の前後バンパーを用いる。そのためか全長はマイナーチェンジ後の T12型オースターと全く同じ数値(マイナーチェンジ後の全長は4,460mm)となっている。CA18ET型SOHCターボエンジンが廃止された代わりにノンターボDOHC16バルブのCA18DE型エンジンが加わる。グレード名は「1.8スプレモ・ツインカム」。キャッチコピーは「URBAN DRY(アーバン・ドライ)」。

* 1990年5月 - 販売終了。

[ 2008/09/29 07:05 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Auster CM 0'15"

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オースター(AUSTER)は、1977年から1990年まで日産自動車で生産されていた乗用車。バイオレットとスタンザの姉妹車である。

初代 A10型(1977年-1981年)
* 1977年5月20日登場。当初の車名は「バイオレットオースター」。姉妹車のバイオレットがファミリーカー、3ヶ月遅れて登場したスタンザが小さな高級車という位置づけだったのに対してスポーティな若者向けの車として位置づけられた。ボディは4ドアセダンと「マルチクーペ」と称する3ドアハッチバッククーペ、そして5ドアライトバンの3種類があり、マルチクーペのボディカラーには鮮やかな赤が設定された。エンジンは、OHV・1400cc(A14)とSOHC・1600cc(L16)。

* 1978年4月、マイナーチェンジ。53年排出ガス規制対応でA11型車となる。エンジンがL16S、L16EからZ16S、Z16Eに変更。車名も「オースター」となる。外観上の違いはオーナメント類の記号が「V」から「A」となる。

* 1979年6月、マイナーチェンジ/全車フォグランプ内蔵の角目2灯式ヘッドライトに変更されると同時に内装では6連メーター(タコメータ・油圧/電圧計装備)/1400ccが廃止されて1800cc(Z18/Z18E・SOHCツインプラグ)が登場した。

* 1979年8月、バンが54年排出ガス規制に対応。VA11型車となる。

* 1980年4月、5ドアハッチバックとセダン1800CSを追加。

オースターとは英語で「南の風」という意味である。ちなみに初代のキャッチコピーは、この意味を付け、「南の風、晴れ」とした。

[ 2008/10/14 12:34 ] NISSAN | TB(0) | CM(1)

PAO CM K10 0'30"

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パオ (Pao) は、日産自動車が1989年に企画・販売した小型自動車である。生産は高田工業がおこなった。型式はE-PK10型。同社のK10型マーチをベースとしたパイクカー第2弾である。普段と違う気分を演出するディ・リゾート・カー(造語、ディリー+リゾート+カー、日常の都市生活でのリゾート気分が味わえる車という意味)をデザインコンセプトにしていた。

外観は簡素で暖かみのある2ボックススタイルを基本に、素材の質感を生かした金具類や部品類を多用していた。 パオの外観は上下2分割式リアサイドウインドーやガラスハッチ及び上下分割式リアゲート、ドアガラスに旧来的な開閉式三角窓が採用、、ドアには外ヒンジ式が採用され、独立したバンパーと合わせ全体的にレトロ調なデザインであった。車体色は、アーシィーカラー (Earthy color) という自然的な色を採用している。

ボディは外板の一部にフロントフェンダー、フロントエプロンにフレックスパネル(射出成形、ポリフェニリンオキシドとナイロン6による非結晶型ポリマーアロイ)熱可塑性樹脂が用いられており、ボンネットフードにはSMC(Sheet Moulding Compound、ガラス繊維を含む不飽和ポリエステルのシートを加熱反応硬化させて製品にする成形法)成形樹脂 (FPR) 熱硬化性樹脂(SMC成形方法では当時、日本初一体成型)補強リブも1枚構造の樹脂フードを使用、軽量化を図り、またボディ鋼板には、耐食性を向上させたデュラスチール(片面処理鋼板)をサイドシル、リアホイールハウスの外板へ、新デュラスチール(両面処理鋼板)をドア、バックドア、リアエプロンの外版に採用し、高張力鋼板を適所採用、防錆性能、強度、剛性確保、軽量化を図った。特に防錆処理には力を入れ、中空部分に防錆シーラント、防錆ワックスの適所注入や製造工程でも、エッジ錆を避けて塗料の付着性向上を高める目的として鋼板パネル端末部のバリ突出量を抑える様にしている。

1987年10月に東京モーターショーで発表。

1989年1月15日に期間限定車として発売。1987年1月発売のパイクカー第1弾「Be-1」発売時、買えなかった人達からの苦情から、3ヶ月間(同年4月14日まで)受注を受付し、その間に予約された全台数を販売するという方式を取った。結果、Be-1の受注を上回る51,657台の申込みがあった。納期は最長で1年半と言われる。生産は高田工業が受託していた。

また、東京ベイエリア(当時の中央区勝とき橋付近)にはスペシャルショップが開設され、パイクファクトリーとして情報スペースを設置した。ブランドグッズが販売され、レストラン、バーが併設された。

車名の由来
中国語の包(パオ)で、モンゴルの遊牧民の組立式家屋の意味。ゲルのこと。

[ 2008/12/05 22:08 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Fairlady Z34 370Z Video from Nissan Japan 0'30"

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フェアレディZ(FAIRLADY Z)は、日産自動車が製造するスポーツタイプの乗用車。通称「Z」。いずれのモデルも「フェアレディ」の通称名を冠するのは国内のみで、輸出向けは「DATSUN」または「NISSAN」と呼称。現在北米市場では「NISSAN 370Z」として販売されている。アメリカ合衆国での通称は「Z-car」など。

6代目 Z34型(2008年-)
2008年12月1日、復活後初めてのフルモデルチェンジを行い、6代目、Z34型に。安全性能を高めながら、エンジンフード、ドアパネル、バックドアのアルミ化や車体構造の最適化により軽量化され、先代のZ33型とほぼ同じ車体重量となった。また、プラットフォームにV36型スカイラインクーペに採用されるEプラットフォームをベースにショートホイールベース化がされたものが採用されたことにより、ホイールベースがZ33型より100mm短縮され、きびきびとしたハンドリングと運転性能を実現。エンジンはVVEL(バルブ作動角・リフト量連動可変システム)を採用したVQ37VHRを搭載。また、MT車はシフトチェンジの際、エンジンの回転数を最適な回転数に制御する世界初のシンクロレブコントロール付6速MTを採用。AT車はMTのようなダイレクト感を持ち、マニュアルモード時で世界トップクラスの変速レスポンスを体感できるマニュアルモード付7速ATとなった。サイドターンランプは"Z"のエンブレムが浮かび上がるエンブレム一体型となり、ラゲッジスペース中央にあったタワーバーは前方に移動させた。ラゲッジにはゴルフバック2個が収納でき、出し入れしやすいように改良された。新技術としてソフトフィールシボが採用された。(アームレストのドアノブの内側を、柔らかい素材を使わずに柔らかく感じる様にした。)

なお、ロードスターは現時点では用意されず2人乗りクーペのみの設定で、標準グレードのほか、Version T(7速ATのみ設定)、Version S(6速MTのみ設定)、Version STの4グレードがラインアップされる。なお、ロードスターについては2009年中に投入される予定である。

2009年1月3日、北米市場でZ34型を発売。名称も370Zに変更した。なお、北米市場では350Zロードスター(Z33型ロードスター)が併売される。

車名の由来
「FAIRLADY」は貴婦人、アルファベットの最後の文字である「Z」は究極を意味する。また、初代開発スタッフに、当時のアメリカ日産の社長片山豊がZ旗を贈ったエピソードもある。ブロードウェイミュージカルの『マイ・フェア・レディ』に感銘を受けた川又社長が、クルマにも洗練されてゆく美しさを求めた名前といわれる。

[ 2008/12/06 21:02 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

370Z Commercial - Nothing Else Feels Like a Z 0'57"

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フェアレディZ(FAIRLADY Z)は、日産自動車が製造するスポーツタイプの乗用車。通称「Z」。いずれのモデルも「フェアレディ」の通称名を冠するのは国内のみで、輸出向けは「DATSUN」または「NISSAN」と呼称。現在北米市場では「NISSAN 370Z」として販売されている。アメリカ合衆国での通称は「Z-car」など。

6代目 Z34型(2008年-)
2008年12月1日、復活後初めてのフルモデルチェンジを行い、6代目、Z34型に。安全性能を高めながら、エンジンフード、ドアパネル、バックドアのアルミ化や車体構造の最適化により軽量化され、先代のZ33型とほぼ同じ車体重量となった。また、プラットフォームにV36型スカイラインクーペに採用されるEプラットフォームをベースにショートホイールベース化がされたものが採用されたことにより、ホイールベースがZ33型より100mm短縮され、きびきびとしたハンドリングと運転性能を実現。エンジンはVVEL(バルブ作動角・リフト量連動可変システム)を採用したVQ37VHRを搭載。また、MT車はシフトチェンジの際、エンジンの回転数を最適な回転数に制御する世界初のシンクロレブコントロール付6速MTを採用。AT車はMTのようなダイレクト感を持ち、マニュアルモード時で世界トップクラスの変速レスポンスを体感できるマニュアルモード付7速ATとなった。サイドターンランプは"Z"のエンブレムが浮かび上がるエンブレム一体型となり、ラゲッジスペース中央にあったタワーバーは前方に移動させた。ラゲッジにはゴルフバック2個が収納でき、出し入れしやすいように改良された。新技術としてソフトフィールシボが採用された。(アームレストのドアノブの内側を、柔らかい素材を使わずに柔らかく感じる様にした。)

なお、ロードスターは現時点では用意されず2人乗りクーペのみの設定で、標準グレードのほか、Version T(7速ATのみ設定)、Version S(6速MTのみ設定)、Version STの4グレードがラインアップされる。なお、ロードスターについては2009年中に投入される予定である。

2009年1月3日、北米市場でZ34型を発売。名称も370Zに変更した。なお、北米市場では350Zロードスター(Z33型ロードスター)が併売される。

車名の由来
「FAIRLADY」は貴婦人、アルファベットの最後の文字である「Z」は究極を意味する。また、初代開発スタッフに、当時のアメリカ日産の社長片山豊がZ旗を贈ったエピソードもある。ブロードウェイミュージカルの『マイ・フェア・レディ』に感銘を受けた川又社長が、クルマにも洗練されてゆく美しさを求めた名前といわれる。

[ 2008/12/10 20:47 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Sunny Turbo 1983 0'30"

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サニー (SUNNY) は、日産自動車が1966年から2004年まで製造・販売していた自動車。

本項ではペットネームがサニーのみの車種について記述する。サブネームを持つ派生車については#派生車の節から当該項目を参照のこと。

1960年代の日本におけるモータリゼーションの進展に対応して開発され、以後1980年代にかけて長く日産の最小排気量クラスを担う主力車種[1]として、高度成長期のベストセラーカーとなった。1980年代に至るまで、日本の小型大衆車の中でもトヨタ・カローラと双璧をなす存在で、その最盛期には販売台数を熾烈に争ったことで知られる。

ボディタイプは2ドアセダンからスタートし、4ドアセダン、2ドアクーペ、3ドアクーペ、ピックアップトラック、2ドアライトバン、4ドアライトバン、ステーションワゴン(カリフォルニア)、3ドアハッチバックなどのバリエーションが存在し、ライバルのカローラ同様に実用性と経済性、信頼性に優れた大衆車として市場の定評を長い間保っていたが、1990年代以降、日産自動車の販売施策低迷と、セダン主力の車種構成が時流に合わなかったことで人気を落とし、2004年の車名廃止に至った。

1960年代初頭、日産自動車では1000cc-1200cc級の小型乗用車「ブルーバード」の初代モデル310系が大成功を収め、続く2代目モデルの410系はスタイリングが市場の不評を買ったものの、小型車市場での地歩を確実に固めつつあった。

しかし、410系ブルーバードが1200cc以上を主力とするモデルに移行したため、日産には、ブルーバードより若干小型で軽自動車との中間クラスに当たる700cc-1000cc級のベーシックカーが存在しない状態となった。当時最大のライバルであったトヨタ自動車工業は、700cc級の「パブリカ」をエントリーモデルとして市場に送り出し一定の成果を収めつつあり、その他の中堅メーカー各社も、700cc-1000cc級の小型車で市場参入を進めていた。

日産車内ではこれを危惧して、ブルーバードより小型のモデルを開発しようとする動きがあったが、当時の日産自動車トップであったワンマン社長・川又克二は、ブルーバードと同志討ちになりかねないエントリーモデルの開発には当初消極的で「お金のない方はブルーバードの中古をお買いになればよろしい」と評する始末であった。営業陣は商用車開発などの名目で川又を説き伏せ、ようやく小型ベーシックカーの開発にこぎ着けた。サニーが大成功したことで、川又も部下たちに対し「(サニーの開発を)やっておいて良かったな」と反省の弁を残している。

こうしてサニーは、1980年代後半に至るまで人気シリーズとして日産のメインストリーム的な車種となった。とはいえ、サニーの登場からおよそ7か月後に遅れて登場した競合車種(同クラス)のトヨタ・カローラには、走行性能面で互角あるいはそれ以上のポテンシャルを備えながら、ユーザーを惹き付けるデザインやアコモデーションなどのクオリティ(品質感)などで一歩譲るところがあり、販売面では常にカローラの後塵を拝し続けることになり、それ以後はカローラを永遠のライバルとして見なすようになる。しかし1990年代の中期以降、日産車全体のシェア低迷と歩調を揃えるかのように回を重ねる毎に販売実績が減少し、市場でもある意味で半ば忘れかけられた存在となって、最終的に当ブランドの消滅を迎えたのである。

5代目 B11型(1981年-1985年)
1981年10月にB11型にモデルチェンジ。時代の趨勢に合わせて駆動方式を前輪駆動に改め、エンジンも一新。SOHCへ移行、サニー初のタイミングゴムベルト駆動となる。

それまで日本国内で「ダットサン」ブランドで販売されていたサニーも、B11型へのフルモデルチェンジを機に、正式車名を「日産・サニー」へと切り替える。

ボディタイプは4ドアセダン、3ドアハッチバッククーペ、5ドアワゴン(カリフォルニア)。先代モデルまで存在した2ドアセダンは輸出仕様のセントラには継続して設定され、バンはB11型のコンポーネンツを流用したADバンとして独立している。

1982年9月には4ドアセダンと3ドアハッチバッククーペに大衆車クラスとしては初の試みとなる1,487ccターボチャージャー付 E15ET型搭載の「ターボルプリ」が追加された。鏡文字の「TURBO」が書かれたラジエーターグリルを特徴とする。

また、1982年10月には4ドアセダンおよびカリフォルニアにサニー初のディーゼルエンジン車が設定され、直列4気筒SOHC・1680ccのCD17型を採用した。最高出力はグロス値で61馬力を発生した。

1983年10月にはマイナーチェンジが行われ、それを機に3代目B210型より続いてきた6ライトウィンドウ&ファストバックスタイルの3ドアハッチバッククーペが廃止された。さらに世界的に主流のコンパクトな2BOXスタイルの3ドアハッチバック発売。

1983年秋の第25回東京モーターショーにはB11型サニーをベースとした「ニッサン NRV-II」が参考出品された。樹脂材料を活用した軽量化、E13型エンジンをベースにしたメタノールターボエンジンを搭載する等、数多くの技術を盛り込まれていた。

また、モデル末期となる1985年1月にはターボ車のターボチャージャーが油冷式から信頼性と耐久性に優れる水冷式に変更された。

[ 2008/12/23 21:34 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Laurel Spirit Ad 1983 0'30"

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ローレルスピリット(LAUREL SPIRIT )はかつて日産自動車が製造・販売していた乗用車である。

日産モーター店系列で取り扱う高級小型車として、ローレルの雰囲気を持つ小型乗用車として販売されていた。5-6代目(B11-12型)サニーの姉妹車であった。車体形状は初代/2代目ともに4ドアセダンのみである。

一部のモデルを除き、パワーステアリング・パワーウィンドウ・集中ドアロック、安全装置のABSなどの快適設備が装備されていた。

初代(B11型 1982年-1986年)
* 1982年1月 - ローレルスピリットが登場。前年1981年にフルモデルチェンジしたB11型サニー4ドアセダンをベースとした姉妹車。メッキパーツを使用して高級感を出し、最上級グレードのXJ系には当時のC31型ローレルと同様のツートンカラーも用意されていた。

搭載するエンジンは当初E15S型およびE15E型(共に1487cc)。サニーに存在した1300ccの設定はなかった。

グレード構成はLT(GL)、LT-G(GL-L)、LF(SGL)、XJ(SGLエクストラ)、XJ-E( )。はサニーに相当するグレード

* 1982年7月 特別仕様車発売。
* 1982年10月 特別仕様車発売。
* 1983年1月 - 115馬力のE15ET型ターボチャージャー付エンジン搭載車(ターボXJ)を追加。
* 1983年4月 一部改良。
* 1983年11月 - マイナーチェンジでフロントグリル、テールランプ等の意匠が変更され、1700ccディーゼルも追加された。
* 1984年11月 一部改良。
* 1985年1月 一部改良。ターボの冷却方式を水冷式に変更。
* 1985年9月 サニーがB12にフルモデルチェンジした後もローレルスピリットはB11型を継続生産。
* 1985年11月 エクストラシリーズ発売。

[ 2008/12/24 21:58 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Sunny Super Hatchback Ad 1984 0'30"

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サニー (SUNNY) は、日産自動車が1966年から2004年まで製造・販売していた自動車。

本項ではペットネームがサニーのみの車種について記述する。サブネームを持つ派生車については#派生車の節から当該項目を参照のこと。

1960年代の日本におけるモータリゼーションの進展に対応して開発され、以後1980年代にかけて長く日産の最小排気量クラスを担う主力車種として、高度成長期のベストセラーカーとなった。1980年代に至るまで、日本の小型大衆車の中でもトヨタ・カローラと双璧をなす存在で、その最盛期には販売台数を熾烈に争ったことで知られる。

ボディタイプは2ドアセダンからスタートし、4ドアセダン、2ドアクーペ、3ドアクーペ、ピックアップトラック、2ドアライトバン、4ドアライトバン、ステーションワゴン(カリフォルニア)、3ドアハッチバックなどのバリエーションが存在し、ライバルのカローラ同様に実用性と経済性、信頼性に優れた大衆車として市場の定評を長い間保っていたが、1990年代以降、日産自動車の販売施策低迷と、セダン主力の車種構成が時流に合わなかったことで人気を落とし、2004年の車名廃止に至った。

1960年代初頭、日産自動車では1000cc-1200cc級の小型乗用車「ブルーバード」の初代モデル310系が大成功を収め、続く2代目モデルの410系はスタイリングが市場の不評を買ったものの、小型車市場での地歩を確実に固めつつあった。

しかし、410系ブルーバードが1200cc以上を主力とするモデルに移行したため、日産には、ブルーバードより若干小型で軽自動車との中間クラスに当たる700cc-1000cc級のベーシックカーが存在しない状態となった。当時最大のライバルであったトヨタ自動車工業は、700cc級の「パブリカ」をエントリーモデルとして市場に送り出し一定の成果を収めつつあり、その他の中堅メーカー各社も、700cc-1000cc級の小型車で市場参入を進めていた。

日産車内ではこれを危惧して、ブルーバードより小型のモデルを開発しようとする動きがあったが、当時の日産自動車トップであったワンマン社長・川又克二は、ブルーバードと同志討ちになりかねないエントリーモデルの開発には当初消極的で「お金のない方はブルーバードの中古をお買いになればよろしい」と評する始末であった。営業陣は商用車開発などの名目で川又を説き伏せ、ようやく小型ベーシックカーの開発にこぎ着けた。サニーが大成功したことで、川又も部下たちに対し「(サニーの開発を)やっておいて良かったな」と反省の弁を残している。

こうしてサニーは、1980年代後半に至るまで人気シリーズとして日産のメインストリーム的な車種となった。とはいえ、サニーの登場からおよそ7か月後に遅れて登場した競合車種(同クラス)のトヨタ・カローラには、走行性能面で互角あるいはそれ以上のポテンシャルを備えながら、ユーザーを惹き付けるデザインやアコモデーションなどのクオリティ(品質感)などで一歩譲るところがあり、販売面では常にカローラの後塵を拝し続けることになり、それ以後はカローラを永遠のライバルとして見なすようになる。しかし1990年代の中期以降、日産車全体のシェア低迷と歩調を揃えるかのように回を重ねる毎に販売実績が減少し、市場でもある意味で半ば忘れかけられた存在となって、最終的に当ブランドの消滅を迎えたのである。

5代目 B11型(1981年-1985年)
1981年10月にB11型にモデルチェンジ。時代の趨勢に合わせて駆動方式を前輪駆動に改め、エンジンも一新。SOHCへ移行、サニー初のタイミングゴムベルト駆動となる。

それまで日本国内で「ダットサン」ブランドで販売されていたサニーも、B11型へのフルモデルチェンジを機に、正式車名を「日産・サニー」へと切り替える。

ボディタイプは4ドアセダン、3ドアハッチバッククーペ、5ドアワゴン(カリフォルニア)。先代モデルまで存在した2ドアセダンは輸出仕様のセントラには継続して設定され、バンはB11型のコンポーネンツを流用したADバンとして独立している。

1982年9月には4ドアセダンと3ドアハッチバッククーペに大衆車クラスとしては初の試みとなる1,487ccターボチャージャー付 E15ET型搭載の「ターボルプリ」が追加された。鏡文字の「TURBO」が書かれたラジエーターグリルを特徴とする。

また、1982年10月には4ドアセダンおよびカリフォルニアにサニー初のディーゼルエンジン車が設定され、直列4気筒SOHC・1680ccのCD17型を採用した。最高出力はグロス値で61馬力を発生した。

1983年10月にはマイナーチェンジが行われ、それを機に3代目B210型より続いてきた6ライトウィンドウ&ファストバックスタイルの3ドアハッチバッククーペが廃止された。さらに世界的に主流のコンパクトな2BOXスタイルの3ドアハッチバック発売。

1983年秋の第25回東京モーターショーにはB11型サニーをベースとした「ニッサン NRV-II」が参考出品された。樹脂材料を活用した軽量化、E13型エンジンをベースにしたメタノールターボエンジンを搭載する等、数多くの技術を盛り込まれていた。

また、モデル末期となる1985年1月にはターボ車のターボチャージャーが油冷式から信頼性と耐久性に優れる水冷式に変更された。

[ 2008/12/25 22:15 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Sunny Ad 1989 0'30"

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サニー (SUNNY) は、日産自動車が1966年から2004年まで製造・販売していた自動車。

本項ではペットネームがサニーのみの車種について記述する。サブネームを持つ派生車については#派生車の節から当該項目を参照のこと。

1960年代の日本におけるモータリゼーションの進展に対応して開発され、以後1980年代にかけて長く日産の最小排気量クラスを担う主力車種として、高度成長期のベストセラーカーとなった。1980年代に至るまで、日本の小型大衆車の中でもトヨタ・カローラと双璧をなす存在で、その最盛期には販売台数を熾烈に争ったことで知られる。

ボディタイプは2ドアセダンからスタートし、4ドアセダン、2ドアクーペ、3ドアクーペ、ピックアップトラック、2ドアライトバン、4ドアライトバン、ステーションワゴン(カリフォルニア)、3ドアハッチバックなどのバリエーションが存在し、ライバルのカローラ同様に実用性と経済性、信頼性に優れた大衆車として市場の定評を長い間保っていたが、1990年代以降、日産自動車の販売施策低迷と、セダン主力の車種構成が時流に合わなかったことで人気を落とし、2004年の車名廃止に至った。

1960年代初頭、日産自動車では1000cc-1200cc級の小型乗用車「ブルーバード」の初代モデル310系が大成功を収め、続く2代目モデルの410系はスタイリングが市場の不評を買ったものの、小型車市場での地歩を確実に固めつつあった。

しかし、410系ブルーバードが1200cc以上を主力とするモデルに移行したため、日産には、ブルーバードより若干小型で軽自動車との中間クラスに当たる700cc-1000cc級のベーシックカーが存在しない状態となった。当時最大のライバルであったトヨタ自動車工業は、700cc級の「パブリカ」をエントリーモデルとして市場に送り出し一定の成果を収めつつあり、その他の中堅メーカー各社も、700cc-1000cc級の小型車で市場参入を進めていた。

日産車内ではこれを危惧して、ブルーバードより小型のモデルを開発しようとする動きがあったが、当時の日産自動車トップであったワンマン社長・川又克二は、ブルーバードと同志討ちになりかねないエントリーモデルの開発には当初消極的で「お金のない方はブルーバードの中古をお買いになればよろしい」と評する始末であった。営業陣は商用車開発などの名目で川又を説き伏せ、ようやく小型ベーシックカーの開発にこぎ着けた。サニーが大成功したことで、川又も部下たちに対し「(サニーの開発を)やっておいて良かったな」と反省の弁を残している。

こうしてサニーは、1980年代後半に至るまで人気シリーズとして日産のメインストリーム的な車種となった。とはいえ、サニーの登場からおよそ7か月後に遅れて登場した競合車種(同クラス)のトヨタ・カローラには、走行性能面で互角あるいはそれ以上のポテンシャルを備えながら、ユーザーを惹き付けるデザインやアコモデーションなどのクオリティ(品質感)などで一歩譲るところがあり、販売面では常にカローラの後塵を拝し続けることになり、それ以後はカローラを永遠のライバルとして見なすようになる。しかし1990年代の中期以降、日産車全体のシェア低迷と歩調を揃えるかのように回を重ねる毎に販売実績が減少し、市場でもある意味で半ば忘れかけられた存在となって、最終的に当ブランドの消滅を迎えたのである。

6代目 B12型(1985年-1990年)
1985年9月にB12型にモデルチェンジ。通称「トラッドサニー」。デザイン、構造において1984年から日産でライセンス生産を行っていたVWサンタナの影響を受け、品質・性能とも大きく向上を果たしたモデルである。B11系では未熟な面もあった日産の前輪駆動システムは、このモデルにおいて大幅な改善を達成した。

ボディタイプは2/4ドアセダン、3ドアハッチバック(303,305)、5ドアワゴン(カリフォルニア)。2ドアセダンは国内仕様のラインナップにはない。さらに、ボディ一体型のウレタンバンパー(上級モデルはカラードバンパー)を採用し、直線・平面基調の独特なデザインとなる。丸円にSの文字をモチーフにしたエンブレムがフロントグリル中央に設置(B13型前期まで踏襲)。

車重はやや増加し、ボディ剛性や品質面を改善し、この代から高張力鋼板および亜鉛ニッケル合金メッキを用いた防錆鋼板[9]が用いられるようになった。この点ではデザイン共々VWサンタナの影響が強い。また、4WDはパートタイム方式で唯一セダンのみに設定された。

1986年2月にはクーペの「RZ-1」(アール・ズィー・ワン)が追加された。シャシーはセダン/ハッチバックと共通だが、外板の約70%は専用設計。シャープで鋭角的な独特のフロントマスクを与えられた。

また、同年8月にはサニー初のDOHCエンジン搭載グレード「セダン スーパーサルーンツインカム」、「ハッチバック 306ツインカムNISMO」、「RZ-1 ツインカムNISMO」が新設定された。エンジンはCA16DE型。

1987年9月にはマイナーチェンジが行われ、外装ではフロントマスクと特にリアコンビネーションランプやナンバー取付け位置などが変更された。また、1500ccガソリン車のエンジンが「スーパー・インテークエンジン」と呼ばれる直列4気筒SOHC・12バルブのGA15型に換装された。1300cc車は従来どおりキャブレター仕様のE13S型のみ。これに伴いE15ETターボエンジン車はモデル廃止。グレードは「1300GL/1500GL」が「1300EXサルーン/1500EXサルーン」に改名。また、「1500SGL」に代わって新たに「1500SXサルーン」を設定。セダン/カリフォルニアの「1500スーパーサルーン」系のフルオート・フルタイム4WD車にはメカニカル式ABSがメーカーオプションで設定された。

また、1989年1月には一部改良が行われ、セダンのEXサルーンのグレード名をEXに変更し、スーパーサルーン系のグレードに「スプレンド」シリーズを設定。セダンにも「NISMO」シリーズを新設定された。

* 1985年9月 - B12型にモデルチェンジ。
* 1986年2月 - 「RZ-1」を追加。
* 1986年8月 - 「セダン スーパーサルーンツインカム」、「ハッチバック 306ツインカムNISMO」、「RZ-1 ツインカムNISMO」を設定。
* 1986年9月 - 4ドアセダンおよびカリフォルニアに、フルオート・フルタイム式4WD車、および「セダン1500スーパーサルーンE」を追加。
* 1987年9月 - マイナーチェンジ。
* 1988年1月 - セダンにモータースポーツ向けの「1600VRツインカム」を追加。同時に、マニュアルエアコンを標準装備した特別仕様車「1300 1500EXサルーンG」発売。
* 1988年6月 トリプルビスカス式4WD車を追加。特別仕様車として「1500スーパーサルーン・TRAD」および「1500スーパーサルーンE・TRAD」を発売。
* 1989年1月 - 一部改良。
* 1990年 - 生産終了。B13型にバトンタッチ。

[ 2008/12/26 22:32 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Pulsar White MilanoX1 Ad 1985 0'30"

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パルサー (PULSAR) は、日産自動車が1978年から2000年まで製造、販売していた小型乗用車である。

4ドアセダンからスタート。その後ハッチバック、クーペ、ライトバンが設定された。その生涯を一貫してヨーロピアンイメージの小型車として開発/生産された。

2代目 N12型(1982年-1986年)
1982年4月、N12型にモデルチェンジ。ボディタイプは3ドアおよび5ドアハッチバック、2ドアノッチバッククーペのラインナップ。クーペはグレード名を「EXA(エクサ)」シリーズとし、角型2灯式のリトラクタブルヘッドランプを採用していた。

1982年6月、4ドアサルーン(セダン)を追加発売。エンジンはE13S/E15S(キャブレター仕様)E15E(EGI仕様)を搭載。

1982年10月、パルサーエクサ特別仕様車発売。

1983年7月、日産とイタリア アルファ・ロメオとの技術提携により「アルファロメオ・アルナ」(合弁会社名「Alfa Romeo e Nissan Automoveicoli S.p.A」に由来)が登場。ヨーロッパで販売された。ボディ形状は3ドア/5ドアハッチバックのみで、フロントおよびリアの意匠がパルサーと異なるほか、エンジンはアルファ・ロメオ製の「スッド」由来の水平対向4気筒・SOHCエンジンを搭載していた。

1983年5月、E15ET(ターボ仕様)とディーゼルのCD17を追加及び一部改良。一部グレードに日本初のドアミラーを装備。

1984年3月、マイナーチェンジ。3ドアハッチバックの1500cc車をアルファ・ロメオと提携したモデル「ミラノX1」シリーズとする。

1985年2月、特別仕様車1300 5ドア TCスペシャルXV及びTS-GスーパーエクストラXV発売。

1985年5月、「3ドアハッチバック1300ELLE-S」、および「3ドアハッチバック1500ミラノX1 ホワイト・ミラノ仕様」を設定。ターボチャージャーの冷却方式を水冷式に変更。パルサーエクサコンバーチブルを100台限定発売。

1985年9月、特別仕様車1300 4ドアTCスペシャルXV発売。

1985年12月、アルファシリーズ追加。

1986年、アルファ・ロメオ アルナ生産終了。

1986年5月、セダン、ハッチバックはN13型にモデルチェンジされるも、クーペは10月まで発売された。

[ 2008/12/27 22:50 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Pulsar Ad 1982 0'15"

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パルサー (PULSAR) は、日産自動車が1978年から2000年まで製造、販売していた小型乗用車である。

4ドアセダンからスタート。その後ハッチバック、クーペ、ライトバンが設定された。その生涯を一貫してヨーロピアンイメージの小型車として開発/生産された。

初代 N10型(1978年-1982年)
1978年5月、チェリー(1970年10月E10型、1974年9月F10型)の後継車種としてN10型パルサー登場。発売当初はトランクの付いたファストバックスタイルの4ドアセダンのみで、A型直列4気筒OHVの1200/1400ccエンジンを搭載。1400cc車には独特のH形ゲートを持つ手動切り替え型クラッチレス(電磁クラッチ)MT「スポーツマチック」車もラインナップされた。デビュー時の広告にはパルサーを中心に、欧州を代表する小型FF車フォルクスワーゲン・ゴルフ、ルノーサンク、Miniを並べ、「パルサー・ヨーロッパ。」と謳っていた。

1978年9月、3ドアハッチバック、クーペ及びA14Eエンジン車を追加発売する。

1978年11月、パルサーバン発売。

コストと耐久性を重視してリーフ・リジット式を採用するのが常であるバンモデル(前身のチェリー・バンはリーフ・リジット式であった)としては珍しく、リヤサスペンションをスペース効率に優れる横置きトーションバースプリングを配置したフルトレーリングアーム型独立式サスペンションとする事によって当時としては画期的な超低床レイアウトを実現していた。この超低床故にバックドア開口見切りを大きく下げており、結果リヤバンパーは極端に天地に薄いものとなっていた。この超低床を生かす事で小さな外観にそぐわない天地に広い空間をコンパクトな車体内部に構築していた。

1979年8月、パルサーバンが昭和54年排出ガス規制適合によりN11型系車となる。

1979年9月、ボディシェルは4ドアと同じながら、より一般的な5ドアハッチバックを追加する。

1980年2月、サンルーフ付車追加。

1980年5月、マイナーチェンジ。角型ヘッドライトを採用。4ドアセダン廃止。

1981年3月、2度目のマイナーチェンジを実施し、エンジンがE型直列4気筒SOHCの1300/1500ccに変更される。同時に「スポーツマチック」車を廃止し、3速ATに変更。また、バンの基本型式がN10型に戻る。

パルサーはレース活動が活発で、クーペによるワンメイクレースが開催された。1981年にはRACラリーに参戦。

[ 2008/12/28 22:59 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Auster Ad 1981 0'15"

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オースター(AUSTER)は、1977年から1990年まで日産自動車で生産されていた乗用車。バイオレットとスタンザの姉妹車である。

2代目 T11型(1981年-1985年)
* 1981年6月登場。姉妹車のバイオレット/スタンザ同様FF化され、4ドアセダンと3ドアハッチバックが設定された。正式車名は「オースターJX」。「JX」とは「Jump X」の略である。

エンジンは新開発のCA型を搭載し、排気量は1600ccと1800cc。

前期型は空力に優れたモダンなデザインのフロントマスクを持つ。

* 1981年10月 1600CS-X追加。
* 1983年6月 マイナーチェンジ。カタログ上サブネームの「JX」が非常に小さな表記となり、単に「オースター」のみの呼称となった。

フロント部分を角ばったデザインに修正し、スタンザとボディパネルを共通化。

ブルーバードなど同クラスの車種が相次いでFF化され、販売は低迷した。

* 1983年11月 特別仕様車GS-Xエクストラ発売。
* 1984年5月 1600GS、1800GS-L スーパーサルーン追加。

[ 2008/12/29 23:09 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Auster T12 0'15"

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オースター(AUSTER)は、1977年から1990年まで日産自動車で生産されていた乗用車。バイオレットとスタンザの姉妹車である。

3代目 T12型(1985年-1990年)
* 1985年10月登場。またサブネームの「JX」が取れ正式車名が再び「オースター」に戻った。U11型ブルーバードのプラットフォームおよび基本コ

先々代のように角を基調としたボディとなる。当初4ドアセダンのみだったが、翌年に5ドアハッチバックが追加。

エンジンは1600ccSOHC電子制御シングルキャブレター(CA16S)「1.6Vc」「1.6Mc」、1800ccSOHCシングルポイントインジェクション(CA18i)「1.8Vi」「1.8Mi」「1.8Xi」、同SOHCターボ(CA18ET)「1.8Xt」、同DOHC16バルブターボ(CA18DET)「1.8Xtt TWINCAM TURBO」。先代、先々代と違い、スポーツ性を強調したキャラクターとなった。

「ユーロフォルマ」と称するエアロパーツ装着車が、SOHC(CA18i)「1.8Siユーロフォルマ」、DOHCターボ(CA18DET)「1.8Rttユーロフォルマ TWINCAM TURBO」に設定された。

4ドアセダンのトップグレードである「1.8Xtt TWINCAM TURBO」にのみ、メーカーオプションで超音波路面ソナーを用いた電子制御サスペンション「スーパーソニックサスペンション」を設定。

* 1986年6月 同時にフルモデルチェンジした4ドアセダンのみのスタンザとの差別化を図るため「ユーロハッチ」と称する5ドアハッチバックが追加。CA18iを搭載する「TYPE Ⅰ」とCA18DETを搭載する「TYPE Ⅱ」の2グレード。

5速MTのみの設定だった4ドアセダンの「1.8Rttユーロフォルマ TWINCAM TURBO」、「1.8Xtt TWINCAM TURBO」にオーバードライブ付4速オートマチック仕様が追加。

* 1986年7月 英国日産自動車製造会社にて生産を開始(現地名はブルーバード)。欧州での販売は好調だった。

* 1987年2月 特別仕様車Xiブリティッシュ発売。

* 1988年1月、マイナーチェンジ。4ドアセダン、ユーロハッチ共にバンパーがスマートな形状となり、全長が若干短くなった(例としてT12型オースター4ドアセダンの場合、前期型の全長は4,515mm、後期型の全長は4,460mmと、前期型に比較して55mm短縮されている)。CA18ET型ターボエンジンを搭載するグレード「1.8Xt」のエンジンがCA18DE型DOHC16バルブエンジンに差し替えられグレード名が「1.8Xt TWINCAM」となる。

当時の国産車として初のバスレフ式フロントドアスピーカーが採用されていた(但し、最廉価グレードの「1.6VC」を除く。また「1.6VC」にはタコメーターが標準で装備されておらず、代わりに大型のアナログ式時計が標準装備となる)。

* 1990年2月、販売終了。

[ 2008/12/30 23:21 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Cedric Ad 1984 0'30"

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セドリック (CEDRIC) は、日産自動車が1960年から2004年にかけて製造・発売していた上級セダンである。

姉妹車のグロリアと共に、同クラスのクラウン(トヨタ)とは、自家用車をはじめ、タクシー・ハイヤー、パトカー、教習車としても長年の競合車種であった。セダン型とハードトップ型、それにライトバンおよびワゴンが年式によりラインナップされる。

3代目230型からのセドリックはグロリアと併せて「セド・グロ」と呼ばれた。

6代目 Y30型(1983年-1987年、バン・ワゴン1983年-1999年)
1983年6月、モデルチェンジ。ハードトップとセダン、ワゴン・バンのフルラインナップの最後のモデルとなる。

このモデルは長年にわたり搭載されていた直列6気筒のL型(L28E、L20ETなど)に代わり、日本初のV型6気筒エンジン(VG型)を搭載したことでも有名である。このVG型エンジンはアルファロメオのV型6気筒を参考にしたといわれる。シリンダーブロックは製作コストの制約上、鋳鉄製となった。前輪サスペンションは、先代のダブルウイッシュボーンから、マックファーソンストラットコイルとなる。また、小型車の寸法要件が改正された(前端オーバーハング0.8m以下+軸距2.7m以下+後端オーバーハング1.2m以下→全長4.7m以下)為、このモデルよりホイールベースが延長されている。

1983年11月、特別仕様車「50アニバーサリーバージョン」発売。

1983年12月、V30EブロアムVIP追加及び一部改良。カラードバンパーが拡大採用される。

1984年2月、セダン営業車にL20Pエンジンの6気筒LPG車が追加された。

1984年6月、VG30ET型エンジン (230ps 34.0kg·m) 追加。「V30ターボブロアムVIP」と「V30ターボブロアム」。

1984年9月、特別仕様車「V20Eエクセレンス」発売。

1985年6月、マイナーチェンジで一部グレードを除きフェイスリフトを行う。

ヘッドランプとテールランプが変更され、コーナリングランプ、フォグランプ(ハードトップ、ワゴンのみ)が装着された。ワゴンのフロントマスクはハードトップと共通になる。バンパーの形状が変更され、主力の5ナンバー車は大型カラードバンパーが装着された。

VG20ET型が可変ノズルターボのジェットターボ仕様となったほか、ディーゼルエンジンが新設計のRD28型となる。「4ドアハードトップV20 ターボ アーバン(430以来のターボSの代わり、後にアーバンGに名称変更)/アーバンX(ターボFから改称)」が追加されたほか、「ワゴンV20E SGL」、「ワゴン280D-6 GL」、「セダンSGLの6気筒LPG仕様」が追加された。上級車種に電動格納式ドアミラーを標準装備、スーパーソニックサスペンション設定。

1986年1月、エクセレンス及びL20P搭載のブロアム追加。

1986年3月、一部改良、RD28エンジン搭載のA/T車のロックアップ制御を電子制御式に変更。

1986年11月、一部改良。駐車灯が廃止され、フロント合わせガラスとリヤシート中央にシートベルトを追加。

1987年1月、エクセレンスG(GLとエクセレンスを統合)及びアーバンG追加。

1987年6月、セダンとハードトップが販売終了。ワゴン/バンはそのまま継続販売となった。同時にバンに2LのV6エンジン搭載車を追加。このモデルはワゴンと同じフォグランプ内蔵の角目ライトの顔を持つ。グレードはDX/カスタムDX/GLの3種類。AT車も選べた。

1989年3月、一部改良。A/Tシフトロック追加。

1994年3月、バン/ワゴン一部変更。エアコンは代替フロン化されサイドドアビーム・ハイマウントストップランプ・後席左右に3点式シートベルトを装備。同時にRD28ディーゼルエンジン搭載車は廃止。

1995年11月、ワゴン/バンのマイナーチェンジ。バンは全車V6エンジン搭載車のみに集約と同時に6人乗りのマニュアルコラムシフト車が廃止。ワゴンにはルーフレールの追加とベンチシート&コラムATのSGLリミテッドを追加。その他コストダウンのためシート素材の変更と一部装備の廃止。運転席エアバッグをワゴン全車に標準装備。

1997年8月、一部改良(日産社内の資料ではフルモデルチェンジしてWY30型になった事になっている)。

1999年8月、ステージアに吸収統合され、販売終了。

Y30系ワゴン・バンはドレスアップを好むユーザーにも根強い人気がある。最終型(1995年11月~1999年6月)のワゴンのSGLリミテッド(ベンチシートのコラムAT)は流通台数が少ないこともあり中古車価格が高い。

[ 2008/12/31 23:39 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Qashqai CM Roller Skates 0'45"

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日産・デュアリス (DUALIS) は、日産自動車から2007年5月に発売された小型クロスオーバーSUVである。まず、主たる市場となる欧州でキャシュカイ (QASHQAI) の名で発表された。北米ではプラットフォームを共有する同クラスのローグが販売される。中東諸国、中国ではキャシュカイの名称で、オーストラリアではデュアリスのまま販売される。車台を共有しているエクストレイルはオフロードやアウトドアアクティビティ、デュアリスは都市やパワードスーツをイメージした訴求方法を採り、棲み分けを図っている。

モデル概要
日産の欧州戦略車種として位置付けられており、欧州市場をメインに販売が行われる。スタイリングは英国の日産デザインヨーロッパ (NDE) 、および、日産テクニカルセンターヨーロッパ (NTCE) が手がけている。生産は英国日産自動車製造会社 (NMUK) のサンダーランド工場で行われているが、日本向けに関しては2008年初頭から日産九州工場に移管されている。欧州においては、2006年11月に生産が終了したアルメーラの後継車種としての役割も担う。

プラットフォームは、日産・セントラや、ルノー・メガーヌ、ルノーサムスン・QM5などで使用されている、日産・Cプラットフォームを採用。エンジンは全て直列4気筒でガソリンが1.6L(HR16DE型)と2.0L(MR20DE型)、ディーゼルは1.5Lと2.0Lが設定されている。トランスミッションは、5速MT、6速MT、6速AT、CVTが用意されているが、国内では2.0Lガソリン+CVTの組み合わせのみである。駆動方式はFF、または、4WDで、4WDはエクストレイルと同じ、オールモード4X4を採用する。フロントストラット式、リアマルチリンク式のサスペンションには、減衰力特性に優れたザックス社製ハイスピードコントロールショックアブソーバーが組み合わされている。

キャシュカイ+2
欧州で販売されるキャシュカイの派生車として3列シート7人乗りモデルのキャシュカイ+2があり、2008年1月から英国日産自動車製造会社で製造され、同年10月から欧州での販売が開始された。ベースのキャシュカイに比べ、ホイールベースが135mm拡大され、全長が211mm延長され、全高は38mm高められている。また、フロントグリルはキャシュカイとは別形状のものが採用されている。現在は、このモデルの日本国内市場への導入予定はないが、日産は日本の国内市場の動向次第で導入を検討中とコメントしている。

日本での販売
発売当初は日本仕様車も英国からの輸入販売であったが、ポンドならびにユーロ高の影響と欧州市場の好調によるサンダーランド工場における生産稼動率の向上に伴う日本国内への納入が遅れることを避ける(=日本国内における早期納車を実現させる)という2つの理由で国内販売分に関しては2008年から日産九州工場での生産に移管されている(同工場でのエクストレイルやローグの生産に伴う生産稼働率の向上させる目的でもある)。エンジンは、中・低回転域のトルクを重視したMR20DEガソリンエンジンのみで、トランスミッションは無段変速機#エクストロニックCVT(6速マニュアルモード付き)で、2WDと4WDが設定される。グレードは20G、20Sの2種類が用意され、20Gには標準でグラスルーフが装着される。

また、九州工場への生産拠点の移管のため、2008年9月からはオーテックジャパン扱いの特装車であり、同時にカスタマイズカーの新シリーズとなる「クロスライダー (Cross Rider) 」を販売している。これは「20S」ならびに「20S FOUR」をベースに専用デザインのエクステリア(フロントグリル、17インチアルミホイール、前後バンパー、FUJITSUBO製センター出しマフラーなど)ならびにインテリア(アルカンターラ / トリコットシートなど)を装備している。

* 2004年3月2日 - ジュネーブモーターショーに「キャシュカイ」コンセプトモデルを出展。
* 2006年9月6日 - 「キャシュカイ」市販モデル発表。
* 2006年9月28日 - モンディアル・ド・ロトモビル(パリサロン)に出展。
* 2006年12月5日 - サンダーランド工場で生産開始。
* 2006年12月12日 - 神奈川県厚木市の新デザインセンターの公開にあわせて「デュアリス」を日本初公開。
* 2007年2月 - 欧州で販売開始。
* 2007年5月23日 - 日本で販売開始。
* 2008年5月28日 - 内装色にカカオとアンバーを使用した特別仕様車「アーバンフレア」登場。同年11月末までの期間限定販売(台数制限なし)。
* 2008年9月4日 - カスタマイズカー「クロスライダー (Cross Rider) 」を発表。同年9月29日発売。
* 2008年12月19日 - ブラウン色の本革シートを装備した特別仕様車「アーバンブラウンレザー」発売。同時に、全グレードの装備見直しにより運転席・助手席SRSサイドエアバッグとSRSカーテンエアバッグが全車標準装備に。

車名の由来
「DUALIS」はラテン語で「2元の - 」とか「2つの性質をもつ」という意味。また、英語の「DUAL」からの造語で、乗る人にONとOFFのデュアルライフでの充実を提供したいという意味も込められている。

ちなみに欧州仕様である「QASHQAI(キャシュカイ)」はイランの遊牧民「QASHQAI(ガシュガイ)族」から来ている。イラン語を由来とする車名という点ではきわめて珍しい。語感としては、羊の群れを連れて山岳地帯をどこまでも移動する力強さをイメージしている。

補足
* 広告モデルのパワードスーツDUALISのデザインはアニメ『超時空要塞マクロス』(主にバルキリー等のデザインおよび劇場版等の監督)およびアニメ『創聖のアクエリオン』(アクエリオンデザインおよびシリーズ監督を担当)等のメカニックデザイナーで知られる河森正治である。

* デュアリス発売以降から、日産の車名のカタカナ書体も一新されている(1983年の日産創立50周年を機に、米ペンタグラム社作成のカタカナ書体に一新されて以来、24年振り)。

[ 2009/04/20 16:35 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Nismo 370Z 2009 Image Show 1'50"

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ノーマル車に比べ、足回り、マフラー、そして空力を見方につけるべく専用のスポイラーが設けられる。

詳しくはNISSAN FAIRLADY Z VERSION NISMOのサイトを見てほしい。

[ 2009/04/21 17:10 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Skyline 2000GT-R KPGC10 9'08"

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GT-Rは、C10型(通称:ハコスカ)から続くスカイラインの中でもサーキットでの使用を主眼にして開発(メーカーチューン)された車両である。乗用車ベースでありながらレースで勝つことを使命とし、スカイラインの他のグレードと違った装備やエンジンを搭載し、他の国産スポーツカーにも影響を与えるほどの車である。それゆえに熱狂的なファンが多く、エンジニアにも特別のこだわりがある。そのためにGT-Rの名を冠することが許されなかったモデルもあり、それがGT-Rの存在をより特別のものとしている。

「世界的に有名な3つのアルファベットがあります。G, T, Rです。私はここでお約束いたします。必ずGT-Rは復活します。」と2001年東京モーターショーのプレス・カンファレンスでカルロス・ゴーンCOO(当時)が“GT-Rコンセプト”を前に、プレゼンテーションの冒頭で発言した。徹底した合理化戦略ばかりが取り上げられることが多いゴーンにこのような内容を託したことからも、この車に懸ける日産の姿勢が伺える。この約束をカルロス・ゴーンは果たし日産・GT-Rを2007年10月24日第40回東京モーターショーで量産型が発表され2007年12月6日に販売される事となる。 特にR32型からではあるが、海外のレースで大いに活躍した功績から、Rの評判は国内のみならず世界にもその名を知られており、ゴジラ(Godzilla)と呼ばれる程浸透している。それ故に、スカイラインはほぼ国内販売専用車であるが、R32、R33、R34のGT-Rが輸出業者の手により海外へと渡っている。評判は非常に高く、正規輸出としてもR33GT-Rはモデル末期に100台限定で、さらに、R34GT-Rも同じくV-specが100台限定ながらイギリスで販売された。

これは日産自動車側に「海外でも販売して欲しい」と言う要望が強かったことと、ル・マン24時間耐久レースに、「NISMO GT-R LM」として出場した事によりヨーロッパでの知名度が上がった事を受けてのことである。イギリスでは関税の影響で、日本円に換算すると1080万円する(国内仕様のV-specIIの新車価格は 574.8万円)事で、高所得層しか購入出来なかったが、フェラーリ以上の価値(希少性)やステータスがあると言うユーザーもあり、「スポーツ走行が出来る程高性能なのに、家族も乗せられる」と、実用面に対しての満足度も非常に高い。英国の自動車誌では、「パフォーマンスとテクノロジーは最高だが、見た目は東京タクシーのようだ」と評されたが、この書き方は英国流のジョークであり、むしろ「外見が普通の乗用車的なのに中身はスポーツカー」というコンセプトが、新鮮なものとして受け入れられている事の裏返し的表現である。現に「カーガイ(クルマ好き)」には好感を持って迎えられた。なおこの計200台はいずれも数日で完売している。

その他、ドイツ、フランス、スイス、アメリカ、香港、UAEなどへは個人輸出された(アメリカでは州によっては基準に適合していない車を入れることは法律違反となる場合もあり、業者が警察当局に拘束、収監されてしまったケースもある)。また、SUPER GTで活躍するミハエル・クルムも日本国内でR34GT-Rを2台購入し、モナコへ輸送している。

英国仕様は、国内仕様とは特に大きな差異はないが、R34型は現地の法規に合わせた対応(セキュリティの強化やヘッドライトのハロゲンバルブ化(保安基準に適合しなかったための変更)、スピードリミッターを欧州の自主規制値である250km/hへ引き上げ、及び200マイル/hスケールスピードメーターの採用等)や、後に国内仕様のMスペックにも採用された本革シートが装備されている(英国仕様の本皮はコノリー社により手作業で張られたもので、日本のラインナップには無かった赤色表皮も選択出来、一応日本でもNISMOから20脚限定で発売されていた)。

ハコスカ時代、初代GT-Rが発売される前年の1968年東京モーターショーには市販直前型のプロトタイプが参考出品されているが、この時点ではまだGT-Rの名は明かされておらず、2代目スカイラインのホットモデルに付けられたGT-AおよびGT-Bの流れを汲み、市販時にはGT-Cとなるとの噂もあった。

GT-Rはストックの状態で、既にチューニングカーとしての完成度が高いことから、無闇に手を入れることを嫌うオーナーが多い。また、標準モデルに GT-Rのエンブレムをつけたりバンパーを移植するなどして、GT-Rっぽく見せるチューニングも多く行われることからGT-Rのスタイルの人気が伺える。もちろんコアなチューニング好きに、内に秘めるエンジンパワーをしっかり受け止めるために外装に大幅なモデファイが加えられることも多い。

モータースポーツ活動
スカイラインは初代モデルからモータースポーツに参戦しているが、本格的に参戦したのはS54型による第二回日本グランプリが最初。ホモロゲーションモデルであるGT-A、GT-Bから「スカG」の歴史が始まった。

3代目PGC10型/KPGC10型GT-R は国内レースで、マツダのロータリー勢に苦しめられながらも50勝を達成したほか、数々の伝説を残す。

その後、R30シルエット・フォーミュラ、R31・GTS-RでのグループA全日本ツーリングカー選手権参戦を経て、 グループAの頂点を目指すべく、GT-R(BNR32型)が復活、デビューからレース終焉まで29連勝の新たな伝説を築く。

全日本GT選手権では、1993年の開幕から2003年シーズンまで、R32からR34までの3世代のモデルが参戦し、すべてタイトルを獲得している。

※5代目(C210型)については排ガス規制の対策に追われたため、特にモータースポーツ活動はない。

3代目(C10型)
1969年5月 「'69JAFグランプリレース大会」クラブマンレース・特殊ツーリングカークラスでGT-R(PGC10型)がデビュー。1位でゴールしたトヨタ1600GTが走路妨害と判定され、1周減算された結果、GT-Rが優勝となる。※このときの優勝車(39号車)をエブロが1/43ミニカーとしてモデル化している。

同月 「JAF公認700キロ ノンストップラリー」にて「スポーティデラックス」が優勝を飾る。

1969年8月 「第5回モーターファン&AUTO SPORTラリー」にてGT-Rが総合3位を獲得。

1969年10月 「'69日本グランプリレース大会」ツーリングカーレースにてGT-Rが1-3位を独占。

1970年3月 「JMCマウンテン・サファリラリー」に1800が参戦。1970年5月 「'70JAFグランプリレース大会」特殊ツーリングカーレースにてGT-Rが1位、2位、4位を獲得する。このときの優勝車(58号車)をエブロが1/43ミニカーとしてモデル化している。

1970年6月 「ツール・ド・ニッポン」に2000GTが出場。同月 「全日本富士300マイル」100マイルBレースにて、長谷見昌弘のドライブするGT-Rが優勝。長谷見はスペアカーで決勝に臨み、最後尾スタートであった。

1971年5月 「'71日本グランプリレース大会」ツーリングカーbレースにてGT-Rが1-3位、5位を獲得する。

1971年9月 マイナーチェンジ。1500、および1800の出力を向上。1500シリーズにハードトップ、およびGTシリーズ「ハードトップ2000GT-X」を追加された。 1971年12月「第6回富士ツーリスト・トロフィーレース」で50連勝をかけたレースで、GT-R勢にトラブルが相次ぎサバンナとの戦いに敗れる。

1972年3月 「'72富士GCシリーズNo1 富士300キロスピードレース」スーパーツーリングレースにて、GT-Rが豪雨の中、高橋国光が全車を周回遅れにして1位、プライベートの久保田洋史が2位、同じくプライベートの河原伸光が6位を獲得し、通算50勝を達成する。

1972年5月 「'72日本グランプリレース大会」ツーリングカーレースbにGT-Rが出場。表彰台をマツダのロータリー勢 サバンナ、カペラに独占され、GT-R勢は4-6位。

1972年9月 「'72GCシリーズ 富士インター200マイルレース大会」スーパーツーリングTS-bcレースにてサバンナとこれまでに無いほどの熾烈な戦いを制し、北野元が駆ったGT-Rが1位、プライベートの久保田洋史が3位、同じくプライベートの正谷栄邦が6位を獲得し、通算52勝目を飾る。

1972年10月 「'72GCシリーズ第4戦 富士マスターズ250キロレース大会」スーパーツーリングTS-bcレースに黒沢元治と長谷見昌弘の駆るGT-Rが出場。サバンナとすさまじいトップ争いを演じていたが、ラップ14で周回遅れのサバンナとともにクラッシュし、優勝を逃す。GT-Rの最高順位は4位。9月にC110型にモデルチェンジしたこともあり、徐々にKPGC10型GT-Rのレースへの出場は減っていった。

[ 2009/04/28 13:59 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Nissan Skyline 2000 GT-R KPGC110 6'15"

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GT-Rは、C10型(通称:ハコスカ)から続くスカイラインの中でもサーキットでの使用を主眼にして開発(メーカーチューン)された車両である。乗用車ベースでありながらレースで勝つことを使命とし、スカイラインの他のグレードと違った装備やエンジンを搭載し、他の国産スポーツカーにも影響を与えるほどの車である。それゆえに熱狂的なファンが多く、エンジニアにも特別のこだわりがある。そのためにGT-Rの名を冠することが許されなかったモデルもあり、それがGT-Rの存在をより特別のものとしている。

「世界的に有名な3つのアルファベットがあります。G, T, Rです。私はここでお約束いたします。必ずGT-Rは復活します。」と2001年東京モーターショーのプレス・カンファレンスでカルロス・ゴーンCOO(当時)が“GT-Rコンセプト”を前に、プレゼンテーションの冒頭で発言した。徹底した合理化戦略ばかりが取り上げられることが多いゴーンにこのような内容を託したことからも、この車に懸ける日産の姿勢が伺える。この約束をカルロス・ゴーンは果たし日産・GT-Rを2007年10月24日第40回東京モーターショーで量産型が発表され2007年12月6日に販売される事となる。 特にR32型からではあるが、海外のレースで大いに活躍した功績から、Rの評判は国内のみならず世界にもその名を知られており、ゴジラ(Godzilla)と呼ばれる程浸透している。それ故に、スカイラインはほぼ国内販売専用車であるが、R32、R33、R34のGT-Rが輸出業者の手により海外へと渡っている。評判は非常に高く、正規輸出としてもR33GT-Rはモデル末期に100台限定で、さらに、R34GT-Rも同じくV-specが100台限定ながらイギリスで販売された。

これは日産自動車側に「海外でも販売して欲しい」と言う要望が強かったことと、ル・マン24時間耐久レースに、「NISMO GT-R LM」として出場した事によりヨーロッパでの知名度が上がった事を受けてのことである。イギリスでは関税の影響で、日本円に換算すると1080万円する(国内仕様のV-specIIの新車価格は 574.8万円)事で、高所得層しか購入出来なかったが、フェラーリ以上の価値(希少性)やステータスがあると言うユーザーもあり、「スポーツ走行が出来る程高性能なのに、家族も乗せられる」と、実用面に対しての満足度も非常に高い。英国の自動車誌では、「パフォーマンスとテクノロジーは最高だが、見た目は東京タクシーのようだ」と評されたが、この書き方は英国流のジョークであり、むしろ「外見が普通の乗用車的なのに中身はスポーツカー」というコンセプトが、新鮮なものとして受け入れられている事の裏返し的表現である。現に「カーガイ(クルマ好き)」には好感を持って迎えられた。なおこの計200台はいずれも数日で完売している。

その他、ドイツ、フランス、スイス、アメリカ、香港、UAEなどへは個人輸出された(アメリカでは州によっては基準に適合していない車を入れることは法律違反となる場合もあり、業者が警察当局に拘束、収監されてしまったケースもある)。また、SUPER GTで活躍するミハエル・クルムも日本国内でR34GT-Rを2台購入し、モナコへ輸送している。

英国仕様は、国内仕様とは特に大きな差異はないが、R34型は現地の法規に合わせた対応(セキュリティの強化やヘッドライトのハロゲンバルブ化(保安基準に適合しなかったための変更)、スピードリミッターを欧州の自主規制値である250km/hへ引き上げ、及び200マイル/hスケールスピードメーターの採用等)や、後に国内仕様のMスペックにも採用された本革シートが装備されている(英国仕様の本皮はコノリー社により手作業で張られたもので、日本のラインナップには無かった赤色表皮も選択出来、一応日本でもNISMOから20脚限定で発売されていた)。

ハコスカ時代、初代GT-Rが発売される前年の1968年東京モーターショーには市販直前型のプロトタイプが参考出品されているが、この時点ではまだGT-Rの名は明かされておらず、2代目スカイラインのホットモデルに付けられたGT-AおよびGT-Bの流れを汲み、市販時にはGT-Cとなるとの噂もあった。

GT-Rはストックの状態で、既にチューニングカーとしての完成度が高いことから、無闇に手を入れることを嫌うオーナーが多い。また、標準モデルに GT-Rのエンブレムをつけたりバンパーを移植するなどして、GT-Rっぽく見せるチューニングも多く行われることからGT-Rのスタイルの人気が伺える。もちろんコアなチューニング好きに、内に秘めるエンジンパワーをしっかり受け止めるために外装に大幅なモデファイが加えられることも多い。

モータースポーツ活動
スカイラインは初代モデルからモータースポーツに参戦しているが、本格的に参戦したのはS54型による第二回日本グランプリが最初。ホモロゲーションモデルであるGT-A、GT-Bから「スカG」の歴史が始まった。

3代目PGC10型/KPGC10型GT-R は国内レースで、マツダのロータリー勢に苦しめられながらも50勝を達成したほか、数々の伝説を残す。

その後、R30シルエット・フォーミュラ、R31・GTS-RでのグループA全日本ツーリングカー選手権参戦を経て、 グループAの頂点を目指すべく、GT-R(BNR32型)が復活、デビューからレース終焉まで29連勝の新たな伝説を築く。

全日本GT選手権では、1993年の開幕から2003年シーズンまで、R32からR34までの3世代のモデルが参戦し、すべてタイトルを獲得している。

※5代目(C210型)については排ガス規制の対策に追われたため、特にモータースポーツ活動はない。

1973年6月 「JAF公認・JMC主催 第10回北海道周回ノンストップラリー」にて、「セダン1800(PC110型)ラリーバージョン」が総合優勝を飾る。

1975年6月 「北海道周回ラリー」にて「セダン1800」が総合優勝を飾る。

1975年7月 「第3回JMCオーバーナイトラリー」にて「セダン1800」が優勝を飾る。

1976年11月 「JMC中部ラリー」にて「セダン1800GL」が優勝を飾る。

この年、「オーストラリア トタル エコノミーラン」にオーストラリア向けスカイライン「ダットサン240K」が出場。優勝を飾っている。

4代目 C110型(1972年-1977年)
1972年10月
第19回東京モーターショーに「ハードトップ2000GT-Rレーシング仕様」を出品。

1973年1月
「ハードトップ2000GT-R」(KPGC110型)を追加。先代同様S20型エンジン(1989cc 160ps/7000rpm、18.0kgm/5600rpm)を搭載し、専用ラジエータグリル、前後オーバーフェンダー、リアスポイラー等を装備する他、先代では標準でなかったラジオが標準装備とされている。排出ガス規制の影響もあり、わずか197台が生産され、うち195台が市販されたのみで終了している。残りの2台はレースカーの試作車である。レースに出場することはなかったが、旧車趣味界においても希少なGT-Rとして知られている。この後、R32型までGT-Rは設定されていない。

製造台数が197台となった理由には、三国工業から購入したS20エンジン用ソレックスキャブレターが、 197台分だけ残っていたためである。ただし、生産台数には諸説あり、試作車も含めて少なくとも200台以上が生産されたと思われる節が見受けられる。その根拠としては旧車専門ショップ「ガレージ石坂」よりカーメイキングマナブスの社長、近藤学が購入した日産が放出した車両に刻印されていたフレームナンバーが今迄公にされてきた番号より若い上にフロントメンバーの形状が通常市販車と違い、マウントも異なっていたことから日産がロータリーエンジンを開発する際のテストベッドであった可能性も指摘されている。なお、この車両は近藤が購入後、日産から正式に生産証明を与えられ、ナンバープレートを取得して公道走行可能な状態にされている。

[ 2009/04/29 14:34 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Skyline 2000GT Turbo ad 0'30"

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スカイライン (SKYLINE) は日産自動車が製造・販売している乗用車である。

1957年に富士精密工業(のちのプリンス自動車)の主力車種として生産を開始。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた。

車名は「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。2007年3月21日、名付け親の桜井眞一郎がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレートが設置される。

ボディラインナップは|2009年4月現在4ドアセダンと2ドアクーペの2タイプである。また2009年夏にはクロスオーバーSUVが追加される予定となっている。過去には5ドアハッチバック、ステーションワゴン、ライトバンなども存在した時期もあるが、日産自動車の類似車種統一化政策等により、他の同クラスと統合されスカイラインとしての製造は廃止となっている。

ミドルクラスセダンに位置するが、自動車レースで用いられた過去があり、特に"GT-R"グレードは同クラスの他車に比べてレース色が強く、実際に製品としての性格付けもそのようになっている。

GT系は愛称として「スカG」(すかジー)と呼ばれることも多い。

長野県岡谷市には、単一車種の博物館としては異例ともいえる「プリンス&スカイラインミュージアム」がある。

C10型からR32型までは、型式ごとに他に例を見ないCMキャッチコピーなどに基づく愛称を持つ。

5代目 C210型(1977年-1981年)通称:ジャパン
1977年8月
C210型発売。プラットフォームは日産・ローレルと共通。ボディバリエーションはC110型と同様、4ドアセダン、2ドアハードトップおよびバンの3系列を設定し、セダンおよびハードトップには直列6気筒エンジン搭載車と直列4気筒エンジン搭載車が用意され、ホイールベースはそれぞれ2,615mm, 2,515mmとされた。バンは直列4気筒エンジンのみの設定であった。

搭載するエンジンは直列4気筒OHCがL16S型(1595cc)、L18S型(1770cc)、L18E型の3機種。直列6気筒OHCが L20S型(1998cc 115ps/5600rpm、16.5kgm/3600rpm)、およびL20E型(130ps/6000rpm、17.0kgm/4400rpm)の2 機種。

発売当初は自動車排出ガス規制の影響を受け、DOHCもターボも設定する事が出来ず、「牙を抜かれたGT」と揶揄された。

グレード体系は直列6気筒エンジンを搭載する「GTシリーズ」と直列4気筒エンジンを搭載する「TI(ツーリング・インターナショナル)シリーズ」の2系列となった。GTとTIとではラジエーターグリルおよびテールランプの意匠が異なる。GT系のヘッドライトは角目2灯式だが、TI系は丸目4灯式となる(後期型。前期型はGT系、TI系とも丸目4灯式)。テールランプは、GT系が丸型4灯式なのに対し、TI系は2段重ねの角形4灯式になる。サーフィンラインはエッジのあるブリスター形状となり、リアトレッド拡大に寄与している。足回りはフロント側がストラット式。リア側は4気筒モデルが4リンク式、6気筒モデルがセミトレーリングアーム式の組合せ。GTバッジは3種類となり、GTおよびGT-E・Lが青バッジ、GT-E・Xが金バッジ、GT- E・Sが赤バッジとされた。GT・LおよびGT-E・Xはデジタル時計が装備され、それ以外のグレードはアナログ時計が装備された。GT-E・Sにはリアワイパーおよびヘッドランプクリーナーが標準装備された。また、GT-E・SおよびTI-E・Sには4輪ディスクブレーキおよびリアスタビライザーが装備された。

1978年3月
2ドアハードトップ2000GT-E・Lおよび1800TI-E・Lに特別仕様車「ブラッキー」を設定。アルミホイール、70%扁平ラジアルタイヤ、オーバーヘッドコンソール、およびヘッドランプクリーナーを装備した。

1978年8月
L16/L18型エンジンを、急速燃焼方式(ツインスパークプラグ)を採用する直列4気筒OHC Z16/18型エンジンに変更。L20型エンジンについても一部変更が施され、昭和53年排気ガス規制に適合し、車両型式が211型となる。同時に「1800TI-E・X」を追加。

1979年7月
マイナーチェンジにより前後の意匠変更がなされる。GTシリーズは角型異型2灯ヘッドランプとされ、TIシリーズは丸型4灯ヘッドランプを継承したが、ラジエーターグリルが変更された。

1979年8月
ワゴン(WPC211型)追加。Z18型エンジンを搭載する。また、バンが昭和54年排出ガス規制対応及び一部車種にサンルーフ、本皮シート、テクニクスカーコンポがオプション設定される。

1979年11月
2000GT-Eに特別仕様車「スーパーGT」を設定。セダンはミケロッティマグネシウムホイール(クロモドラ製)、ハードトップはカンパニョーロホイールを装備した。

1980年3月
2000GT-E・Sおよび2000GT-E・Xに特別仕様車「ゴールデンカー」を設定。専用のゴールド塗装のほか、E・Sはパワーサンルーフ、カンパニョーロマグネシウムホイールを装備し、E・Xはミケロッティマグネシウムホイール、ミシュランタイヤを装備した。

1980年4月
ターボエンジンを搭載したモデルを追加。L20E型エンジンにターボがプラスされ、パワー&トルクは145ps/5600rpm、21.0kgm/3200rpmを搾り出した。発売当時の価格は165.8万円。「セドリック/グロリア」、「ブルーバード」に次ぐ日産において3車種目のターボ車であり、日産初のターボとATを組合わせた車種である。同時にノンターボの「2000GT-E」、「2000GT-E・S」が廃止となる。

1980年6月
直列6気筒OHC LD28型ディーゼルエンジンを搭載する「セダン/ハードトップ280D GTシリーズ」(EGC211型)、直列4気筒OHC Z20E型エンジンを搭載する「2000TIシリーズ」(UC211型)、100万円を下回る最廉価版「1600TI-A」(BC211S型)、およびバンに直列4気筒OHC LD20型ディーゼルエンジン搭載車を追加。280D GTはディーゼルエンジンの持ち味である低回転からのトルクをアピールされた。この当時の国産車におけるディーゼル乗用車としては最速を誇っていた。

1980年代、先代モデルのケンメリと同じく暴走族の改造車としても人気を得ていた。ケンメリ同様、ワンテール化やライト、グリルの移植が流行していた。

宮城県登米市にある警察資料館には実際に宮城県警察が使用していたC210型のパトカーが展示されており、現存する警らパトカーとしては最も古い。

[ 2009/04/30 14:52 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Bluebird U12 0'36"

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ブルーバード (BLUEBIRD) は日産自動車が1959年から2001年まで生産・販売していた乗用車。

戦前から続く、ダットサン乗用車の系譜を引き継いでいる。日本の代表的な大衆車として、またタクシー用の車種としても親しまれた。

最大の競合車種はトヨタ・コロナ。両者最盛期の1960年代から1970年代にかけ、コロナとブルーバードが繰り広げた熾烈な販売競争は「BC戦争」といわれた。愛好者間での通称は「ブル」。

現在は、ブルーバードシルフィが事実上の後継車種として販売されている。

8代目 U12型系(1987年-1991年)
1987年9月発売。ボディタイプは、4ドアセダンと4ドアハードトップ(H/T)。丸みを持たせたようなデザインで、H/Tはセンターピラーレス構造を先代に引き続いて採用。V6エンジンの上級グレード「マキシマ」とバン/ワゴンはU11型を継続生産。

グレード構成は、伝統の「SSS(SSS/ツインカムSSS/ツインカムSSS-X)」シリーズのほか、「アーバンサルーン(LE/SEサルーン /XEサルーン/スーパーセレクト)」シリーズを設定。価格帯は1600LE 5MT車119.8万円~1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITED 4AT車299.8万円と、同型エンジン搭載車でも、セダンとH/Tとでグレードと装備の組合せが異なるなどワイドバリエーションを誇った。

その他、XEサルーンF(セダン)/XEサルーンL(H/T)やXE ATTESA F(セダン)/XE ATTESA L(H/T)、SSS-X・II系の追加や30周年記念車の設定(前期)、SRエンジン換装後はFEサルーン/SSS ATTESA・V/SSS ATTESA・X追加の他、特別仕様車SVシリーズ設定(後期)などの変更・追加が多数ある。

ブルーバード初の四輪駆動車が登場。センターデフ式フルタイム4WDシステムの「ATTESA」を採用し、2WDシリーズに対してそれぞれ「SSS ATTESA(SSS ATTESA/SSS ATTESA LIMITED)」、「アーバンATTESA(SE ATTESA/XE ATTESA)」シリーズとした。「アーバンATTESA」シリーズは「SSS ATTESA」に標準のリヤビスカスLSDがオプションであった。また、前期はCA18i(88ps)車のみの設定であったため、後期で SR18Di(115ps)に換装されるまで動力性能は十分とは言えないものであった。

エンジンは先代U11型と同じCA系を改良、新たにインタークーラーを装着、プレミアムガソリン仕様として175psにまで高められたDOHCターボのCA18DETを1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITEDに搭載。その他DOHC・135馬力のCA18DE、SOHC・88馬力のCA18i、SOHC・79馬力の1600ccのCA16S、ディーゼル・67馬力のLD20-IIが用意された。

STC-Sus(スーパー・トー・コントロール・サスペンション)と呼ばれるリヤサスペンションをATTESA車に初採用。サスペンションの型式としては2WD車と同じパラレルリンク式ストラットであるが、ブッシュのたわみを利用して2本の不等長のパラレルリンクとラジアスロッドとが後輪の受ける横力に応じてトーをコントロールすることでコーナーリング性能向上を目指す機構であった。HICASを積極的・能動的な四輪操舵とするならば、いわば受動的な四輪操舵機構であり、開発テーマの一つ「アコースティックな走り」実現に寄与していた。U13型では2WD車にも拡大採用されたものの、同時期のプリメーラでは採用しておらず、その後採用した車種はない。FF車のリヤサスペンションがマルチリンクビーム式やトーションビーム式が主流となり、独立懸架式はW11型アベニール以降マルチリンク式となったことや、機構としてブッシュの劣化に伴う性能維持に難があること等が理由と思われる。

1989年10月、マイナーチェンジ。リアコンビネーションランプ等内外装変更。

軽量ゆえに音振性能が劣っていたCA系エンジン(CA18DET/CA18DE/CA18i)は、後期型より新たに「90'sツインカム」SR系エンジン(SR20DET/SR20DE/SR18Di)に換装された(1600cc車は従来どおりCA16S型エンジン)。

1991年5月、4ドアセダンをベースにした独特のスタイルを持つオーストラリア工場製の5ドアハッチバックモデル「ブルーバード・オーズィー(HAU12型)」を発売(尚、U12型はオーストラリアではR31型スカイラインが初代となるピンターラの 2代目でもあった)。販売台数は1500台弱と希少である。逆輸入車であるが故に国内仕様と異なる点が多々あるものの、基本的にはFHP10/FHP11 プリメーラUK等と同じく国内仕様の部品で流用、あるいはその逆も可能であるが、HAU12の場合、エアコンがオーストラリア現地仕様のために国内仕様の部品では修理ができないのが致命的な違いで、その点で維持していくための事情が大幅に異なっている。

1991年9月、U13型へのモデルチェンジに伴い販売終了。

セダンはT12型オースターがベースだった先代に代わって1990年~1992年までと短命ながらもスタンザとして北米市場でも販売されていた。なお、1993年より同市場で発売されているアルティマはスタンザの後継車種である。

SSS-R
ラリー競技参加を主眼として、ラリーバージョンの「SSS-R」を設定。オーテックジャパンが開発し、日産自動車で製造、NISMOで販売された。「ATTESA」を搭載したフルタイム4WD セダン1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITEDを基本としており、エアインテークが設けられた専用エンジンフードが外観上の特徴。国内JAF競技用ベース車という性格からロールバーが標準装備であり、トランスミッションもクロスギヤレシオ化されている他、様々なラリー用オプションがNISMOから用意された。

エンジンは、ベースとなったCA18DETにチューニングを施したCA18DET-Rを搭載。CA18DET-Rは、A/Rを標準車の0.64から0.89の高速高出力型としたギャレット製T25型タービンを採用、圧縮比を標準8.5から 8.0に下げて最大過給圧を600mmHg(レギュラー使用時500mmHg)から690mmHgまで上昇させることで、標準 175ps/23.0kg·mに対して185ps/24.5kg·mの出力を誇った。また、カムのオーバーラップ増やステンレスエキゾーストマニホールド、コスワース社製の専用鍛造アルミピストンの採用など、特筆すべき点が多い。

ボディタイプは4ドアセダンのみ。定員2名(後に定員4名仕様追加)。

価格は東京地区標準275万円。一見、基準車の284.5万円より安いが、競技車両としての使用を前提としていたため、保証が標準車と一部異なる他、装備内容も最廉価グレード1600LEとほぼ同等まで省略されている。というより、シート、ステアリング等は1600LEと共通である。スペックとしてはそのまま競技使用も可能であったが、厳密にはそれらをユーザーが交換する必要があった(そのためにNISMOオプションが用意されていた)。外観では、コーナーリングランプがないため1600LEと共通(ブラックアウト処理)となっている一方で、1600LEでさえも標準のフェンダーマーカーの点灯機能が省略されていた他、定員4名仕様車の後席座面等、標準車と異なった部品が用いられていた。

基準車からエアコン、オーディオだけでなく、パワーウインドウや集中ドアロック等徹底的(最廉価グレード同等またはそれ以上)に装備を簡素化・省略したSSS-Rを、そのままで日常の使用に供するのは現在でなくとも、当時でさえ相当にスパルタンであった。これらのことから、SSS-Rが、同じく競技使用を前提とした同時期のBNR32スカイラインGT-RやRNN14パルサーGTI-Rとは、かなり異なった位置づけであったことがうかがえる。

SSS-Rは、受注生産車として月産10台程度販売された。後期SSS-Rの販売台数は前期に比べてもごくわずかであり、前期よりも更に希少と言えるが、エンジンは同時期に販売されていた4連スロットル採用のRNN14パルサーGTI-R(230ps/29.0kg-m)とほぼ共通の異なり、標準車と共通のSR20DET(205ps/28.0kg-m)であるため、前期型に比べて注目度は高くない。

また、1988年、全日本ラリー選手権Cクラスに参戦し、ドライバーズチャンピオンを獲得。ドライバーは綾部美津夫。

[ 2009/05/02 15:27 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Bluebird U13 SSS 0'30"

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ブルーバード (BLUEBIRD) は日産自動車が1959年から2001年まで生産・販売していた乗用車。

戦前から続く、ダットサン乗用車の系譜を引き継いでいる。日本の代表的な大衆車として、またタクシー用の車種としても親しまれた。

最大の競合車種はトヨタ・コロナ。両者最盛期の1960年代から1970年代にかけ、コロナとブルーバードが繰り広げた熾烈な販売競争は「BC戦争」といわれた。愛好者間での通称は「ブル」。

現在は、ブルーバードシルフィが事実上の後継車種として販売されている。

9代目 U13型系(1991年-1995年)
1991年9月21日、U13型系を発表。ボディタイプは4ドアハードトップと4ドアセダン。

ハードトップは安全面を考慮してセンターピラーが付けられ、エレガントなデザインの「ARX」(アークス)となる。セダンはスポーティな「SSS」(スリーエス)、ビジネス・エコノミーグレードの「EEX」(イークス)と後に追加された「ビジネス」が設定された。セダンのデザインは、日本の日産案と日産北米スタジオ(NDI)案が比較され、独特なフォルム(レパードJフェリーのような「尻下がり」型)を持つ北米案が採用された。セダンは全高を高めに取り、室内の広さも当時のクラス最大級を誇るなど居住性が飛躍的に改善されたが、日本国内では全高がやや低く後部座席のヘッドクリアランスに若干難はあるものの、無難なデザインを採用したARXが販売の大半を担う結果となった。なお、セダン・ARX合わせても初代P10型系プリメーラに販売台数で及ばなかった。

駆動方式はFFと4WDのATTESAが設定された。ガソリン2000ccエンジン(SR20DET / SR20DE搭載)車はリアLSDにもビスカスカップリングを用いており、SSSリミテッドアテーサにはフロントにもビスカスカップリングを用いた新システムの「トリプルビスカス」が採用された。

装備はハイマウントストップランプが全車標準装備となったほか、上級グレードの「ARX-Z」には運転席SRSエアバッグを採用(後に全車標準装備)。車内に取付けたマイクで集音した波形と逆位相の波形を専用スピーカーから送出して車内騒音を軽減させるANC:アクティブノイズコントロ-ル、先行してS13型シルビアに採用されていたフロントウィンドウディスプレイ(フロントウィンドウに速度・ブレーキ警告・ドア警告を表示させる)などがあった。

1993年8月、マイナーチェンジで後期型に移行。

セダン、ハードトップ共にフロントグリルやバンパー等のデザインを変更。ARXにスーパーツーリング系を追加設定。SSS系はリアスポイラーの形状変更。

装備では車速検知式集中ドアロックや足踏み式パーキングブレーキ等を新たに採用。また、輸出用の2400ccKA24DE型エンジンを搭載したSSS-ZとARXスーパーツーリングZを新設定。ブルーバードの史上初にして唯一の3ナンバー車。

1995年1月、一部改良。

運転席SRSエアバッグとグリーンガラスを全車標準装備化。また、ABSをオプション扱いで設定。外装色追加、内装のシートとトリムクロスを変更。ARX1800ccシリーズにSVを設定。SSS-Zを廃止。

1995年12月、販売終了。U14型にバトンタッチ。

海外モデル
4ドアセダンは「アルティマ」の名称で北米でも販売され、国内モデルよりも車幅が広く、細部が異なっていた。中国の東風汽車有限公司でも中国国内にシルフィが投入されるまで生産された。

また、4ドアハードトップは、香港に2000ccモデルのみ輸出。

2002年6月、第7回北京国際モーターショーにて、U13型系4ドアセダンをベースとする「ブルーバード フラッグシップモデル」を発表。中国風神汽車がライセンス生産し、同年7月発売。中国市場での名称は「藍鳥」。

[ 2009/05/03 16:03 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Langlay N13 1'00"

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ラングレー(Langley)は日産自動車がかつて製造していた小型自動車。通称スカイラインズ・ミニ(Skyline's Mini)。

小型大衆車クラスのエントリーカーを日産プリンス系列の販売会社に設定するため、パルサーをベースにした姉妹車であった。プリンス系列の販売会社で扱うため、広告や車体デザインではスカイラインとの関連性を主張していた。後に車種統合でパルサーに統合された。

3代目 N13型(1986-1990年)
1986年10 月発売。前モデル同様、N13型パルサー/エクサ/リベルタビラが姉妹車であった。新設定されたセダンのリアコンビネーションランプを丸型にすることで、よりスカイラインのイメージを持たせていた。ビスカスカップリングを用いたフルオートフルタイム4WD(当初パルサーに設定)などが評価され、姉妹車のパルサー/エクサ(EXA)/リベルタビラと共に日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。

ボディバリエーションは4ドアセダンと3ドアハッチバックで、リベルタビラとボディを共用していた。 エンジンはE15S型キャブレター4気筒1.5L(73ps)、E15E型EGI4気筒1.5L(82ps)、CA16DE型ツインカム16バルブ4気筒1.6L(120ps)、CD17型4気筒1.7Lディーゼル(55ps)が設定された。後のマイナーチェンジで1.5LはGA15S型(85ps)、GA15E型(97ps)の各SOHC12バルブに変更された。

また、CA16DE搭載車には当時の日産車では限られた車種にしか付けられなかった「GT」のグレード名が与えられ、スカイラインとのイメージをさらに強調した。

セダンのリアデザインは当時のR31スカイラインに酷似した丸型のテールランプで、ナンバープレートはバンパー下に設置されている。

1987年1月に4WDが追加された。この4WDシステムはセンターデフにビスカスカップリングを用いた画期的なシステムであった。

1988年9月にマイナーチェンジが行われ、1.5LのエンジンはGA15S型(85ps)とGA15E型(97ps)に換装され、SOHC12バルブ(1気筒あたり3バルブ)およびタイミングチェーン化された。

1990年8月にパルサーがN14型にモデルチェンジされ、同時にラングレーとリベルタビラはパルサーに統合され消滅した。

車名の由来
ラングレーは太陽密度の放射エネルギーを示す単位名である。単位名は航空学のラングレー博士の業績にちなんで付けられたものである。

[ 2009/05/12 11:48 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Cedric Ad 1990 0'30"

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セドリック (CEDRIC) は、日産自動車が1960年から2004年にかけて製造・発売していた上級セダンである。

7代目 Y31型(1987年-1991年、セダン1987年-)
1987年6月
モデルチェンジ。従来からの「ブロアム」に加え、スポーツ性を向上させた「グランツーリスモ (GranTurismo) 」が登場。

デザインは曲線を巧みに使用した張りのあるモダンなもので、当時のカーデザインのトレンドに沿ったものとなった。

エンジンはVG30ET、VG30E、VG20DET、VG20E、RD28、RB20P(LPG仕様)、CA20P(LPG仕様)。VG20DET初搭載の車種(グロリアも同様)であり、セドリック初のDOHCエンジン搭載車である。このY31型からリアサスがセミトレーリングアーム採用のIRSとなる(前輪はマクファーソンストラットコイル)。フロアAT車のパーキングブレーキが足踏み式になった。コラムAT車はセダンのみの設定となる。

1987年の東京モーターショーに「セドリック・ロイヤルリムジン」(オーテック製)が出品され、市販化される。

1987年9月
VG20E型エンジン車にブロアム及びRD28ブロアムの4WAS付車追加。

1987年12月
教習車用ベース車を発売。

1988年4月
一部改良。フルオートエアコンに「エコノミーモード2」機能追加。

1988年6月
ハードトップのみの設定だった「グランツーリスモ」が新たにセダンにも1グレード追加される(DOHCターボ SV)。ATシフトロックシステム採用。

1989年3月
パーソナル キーの材質をステンレスに変更。

1989年6月
マイナーチェンジ。リアコンビネーションランプが大幅に変更された。
VG20DET搭載車にトルクコンバータ式としては世界初の5速E-ATが搭載された。また、インタークーラー装着により、ハイオク化されて185psから210psに向上し、VG20DET「ブロアム」を3ナンバー化。デジタルメーター及びマルチAVシステムをオプション設定。

1989年8月
サンルーフをオプション設定。

1989年9月
後部ドアを15センチ大型化したブロアムLシリーズを発売する。

1990年8月
VG20E・RD28車にブロアムセレクション(3ナンバー車)を追加。VG20DETブロアムに5ナンバー車復活。

1991年3月
VG20E・RD28車にクラシックSを追加。

なお、現在でもタクシーやハイヤー用途としてこの型は生産されている。<2008年現在)

車名の由来
フランシス・ホジソン・バーネットの小説「小公子」の主人公、セドリックに由来。

当時の川又克二社長が命名した。また、キャディラックに似ているからという説もある

[ 2009/05/13 12:44 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Cima Ad 1988 0'30"

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シーマ (CIMA) は、日産自動車が生産・販売しているフルサイズラグジュアリーセダン。日産のオーナーズカーとしては上級車両とされている。

4代目となる現行型には、同じプラットフォームからの派生車種として日産自動車のフラグシップモデル、プレジデントがある。

バブル景気絶頂期にY31セドリック/グロリアとプラットフォームを共有する上級派生車種として登場。 初代は、販売チャンネルごとに「セドリック・シーマ (CEDRIC CIMA) 」(ローレル販売会社=日産モーター系列・太洋日産・西武日産)、「グロリア・シーマ (GLORIA CIMA) 」(スカイライン販売会社=日産プリンス販売系列)として販売された。

ドメスティックモデルだった初代・2代目とは異なり、3代目以降は日本国内でも売られていたインフィニティQ45の後継車と言う位置付けになり、日産の海外専売高級車ブランドインフィニティチャンネルで「インフィニティ・Q」シリーズとして売られるグローバルカーとなった。

初代 FPY31型(1988年-1991年)
1987年10月
東京モーターショーに出品。

1988年1月
販売開始。
セドリック/グロリアは5ナンバーサイズの車体であったのに対し、3ナンバー専用車体として登場。搭載エンジンはVG30DE型V型6気筒DOHC NA・200ps(タイプI、タイプII)とVG30DET型V型6気筒DOHCターボ(ハイフローセラミック式)255ps(タイプII-S、タイプIIリミテッド)の2機種(のちにレパード(2代目)にも搭載された)。ボディタイプはスタイルを重視し、ベースのセドリック/グロリアの主力モデル同様、センターピラーのない4ドアピラーレスハードトップであった。

元々日産の開発陣が、トヨタ・クラウンの 3ナンバー版を開発しているとの情報を聞き急遽開発を開始、開発期間の関係でセドリック/グロリアとの同時発売は出来ずに半年遅れての発売になった。しかし、その半年の遅れ及びセドリック/グロリアとの印象を大きく変えた事で別格のイメージが付き、5ナンバーと3ナンバーのイメージを同じにしたクラウンとの差別化に成功した。デザインのモチーフは鎌倉(長谷)の大仏である。ボンネットに誇らしげにそえられるエンブレムはアカンサスの葉を模したものである。

国産車離れしたスタイリッシュな外観と動力性能の高さから、当時の国産同クラスセダンとしては異例に一般オーナードライバー向け要素が強い車種として人気を集めた。電子制御エアサスペンションのしなやかな乗り心地もさることながら、アクセルを踏みこんだときセミトレーリングアームサスペンション車らしくリヤを下げながら暴力的でいて静かな加速を見せるその姿は当時中高年の憧れとなり、爆発的に売れた。これは「シーマ現象」と呼ばれ、 3ナンバー車ブームのきっかけとなる。それへの対応のためトヨタはあわててクラウンにV8モデルを追加したほどであった。その感動を忘れられない層のため、その後のモデルでもターボ搭載車をラインナップするが、世代を重ねるごとに徐々に廉価版としての位置付けが強くなっていく。

反面その車格および当時の経済情勢から社用車や個人タクシーにも採用されることも多く、用途によって後席居住性に課題を残すこととなった。

また、クラウンでほぼ標準装備されたいたデジタルメーターもオプションで装備することができた。

1989年3月
パーソナル キーの材質をステンレスに変更。

1989年8月
マイナーチェンジ後タイプIIリミテッドAVマルチが追加される。ナビのアンテナが天井にあるためサンルーフの同時装着はない。その他バブルカーを象徴する豪華なオプションも多数用意される。

車名の由来
車名の由来はスペイン語で「頂上」、「完成」の意味。

[ 2009/05/14 14:46 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Infiniti Q45 Ad 1989 0'31"

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インフィニティQ45(INFINITI Q45 )は、日産自動車が1989年から製造・販売していた乗用車。インフィニティブランドが展開される地域のみの販売であったが、初代モデルは日本でも「日産・インフィニティQ45」の名称で販売されていた。また、2代目以降は、日本で販売される日産・シーマが同型車である。単に「Q」と呼ばれることも多い。

車名の「インフィニティ」はイタリア語で「無限」を意味する。日産の海外高級車ブランドとしても用いられている「インフィニティ」の限りない発展を願ってネーミング。
Qは英語のCue(きっかけ)を、45は排気量(4,500cc)をあらわす。

誕生の経緯
インフィニティブランドの誕生のきっかけは、1985年のプラザ合意による円高であり、それによって海外では低価格で高品質が武器である日本車は、その武器を封じられ苦戦していた。そこで、トヨタと日産は、コンセプトこそ、従来の日本車の売りを踏襲するものの、さらに付加価値を高めた高級車の開発、生産を計画。その結果生まれたのが、トヨタ・セルシオとこのインフィニティQ45であった。ただ、セルシオが構想と開発に8年の歳月を要したのとは対照的に、インフィニティは、セルシオ開発が始まった3年後にその情報を得た日産が急遽開発に着手したことが決定打となり、それがそのまま両車の完成度、または販売成績に表れたと言われている。ちなみに、ホンダも高級車開発のプランをたてていたものの、未知の分野であるがゆえに販売店のリスクが大きいことから、得意分野であるスポーツカーに計画を変更。生まれたのがホンダ・NSXである。

初代 G50型 (1989-1997年)
1989年、日産は北米の高級車市場の一角を狙いインフィニティディヴィジョンを立ち上げた。その際のフラグシップカーとして投入されたのがQ45である。

日本国内での登場は1989年11月。本来は「インフィニティ」がブランド名、「Q45」がモデル名であるが、日本では「日産・インフィニティQ45」として販売された。

翌年、このクルマ(G50型)をベースとしてプレジデント(JG50型 JはJapan、日本国内専用の意といわれている)が誕生している。

Q45は「ジャパン・オリジナル」のキャッチフレーズの元、一般的な高級車のようにメッキ仕上げの大型フロントグリルや木目インテリアを備えることなく、グリルレスの薄いマスクに七宝焼きのエンブレムのみを取り付け、インテリアも漆塗り(金粉蒔絵)という、世界の高級車の常識に挑戦するかのような斬新なコンセプトで発表された。日本文化を体現する一方で、その走りは北米市場の日産に対する期待を反映し、若かりし頃240Zに夢中になった「Z Car世代」をターゲットとしたスポーティーなものとされるなど、こちらも異色であった。グリルレスのそのマスクは、口の悪い一部のファンから「能面顔」と揶揄されてた。

一時は、レクサス LSとの個性の違いから、一部での評価は高かったものの、実際にこのクラスのクルマを購入する層の多くには受け入れられることは無かった。それはレクサスLSが正統派の高級車像を追い求め、それを高度に洗練していったのに対し、Q45はそういった旧来の高級車像とはかけ離れた、いわばスポーツカー的な価値観を追い求めていたことにある。

そしてその特徴的だったグリルレスデザインも不評であり、アフターマーケットで販売されていたホシノインパル製などのフェイクグリルを装着するユーザーが多く、エアロパーツのメーカーも自社のエアロに合わせて後付けのグリルを開発していた。その後当初の志とはうらはらに、1993年6月のマイナーチェンジでグリルや木目パネルを取り付けられることになる。

足回りは、マルチリンク式サスペンションで、オプションに油圧式アクティブサスペンションがラインナップされていた。

結局、日産Q45はトヨタセルシオにより、このクラスでの国内市場では完全敗北を喫することになり、インフィニティのブランド名自体も国内から駆逐されることになる。

だが新型車販売こそ不振だったものの、その車格ゆえに中古車市場ではプレジデントと並び人気VIPカーの一つとして持ち上げられるようになり90年代後半には巷で多く見かけられた。

北米仕様においては、ベースグレードのQ45のほかに、リアスポイラーやBBSのホイールなどが装備され、日本仕様には無いスーパーHICASの設定もあったツーリングモデルの「Q45t」、アクティブサスペンションなどが装備された「Q45a」が設定された。また、日本仕様に比べてパーソナルカー的な性格が強かった。

* 1989年11月 - 国内販売開始。
* 1993年6月 - マイナーチェンジ。フロントにグリルが取り付けられ、リヤガーニッシュの色が黒からグレーに変更され、日産のエンブレムが取り付けられる。
* 1996年 - 北米では一足先に2代目Q45(FY33型シーマ)にモデルチェンジ。
* 1997年9月 - FY33型シーマに統合される形で生産終了。

[ 2009/05/15 15:21 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Cedric Y30 1983 0'32"

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セドリック (CEDRIC) は、日産自動車が1960年から2004年にかけて製造・発売していた上級セダンである。

姉妹車のグロリアと共に、同クラスのクラウン(トヨタ)とは、自家用車をはじめ、タクシー・ハイヤー、パトカー、教習車としても長年の競合車種であった。セダン型とハードトップ型、それにライトバンおよびワゴンが年式によりラインナップされる。

3代目230型からのセドリックはグロリアと併せて「セド・グロ」と呼ばれた。

6代目 Y30型(1983年-1987年、バン・ワゴン1983年-1999年)
1983年6月
モデルチェンジ。ハードトップとセダン、ワゴン・バンのフルラインナップの最後のモデルとなる。 このモデルは長年にわたり搭載されていた直列6気筒のL型(L28E、L20ETなど)に代わり、日本初のV型6気筒エンジン(VG型)を搭載したことでも有名である。このVG型エンジンはアルファロメオのV型6気筒を参考にしたといわれる。シリンダーブロックは製作コストの制約上、鋳鉄製となった。前輪サスペンションは、先代のダブルウイッシュボーンから、マックファーソンストラットコイルとなる。また、小型車の寸法要件が改正された(前端オーバーハング0.8m以下+軸距2.7m以下+後端オーバーハング1.2m以下→全長4.7m以下)為、このモデルよりホイールベースが延長されている。

1983年11月
特別仕様車「50アニバーサリーバージョン」発売。

1983年12月
V30EブロアムVIP追加及び一部改良。カラードバンパーが拡大採用される。

1984年2月
セダン営業車にL20Pエンジンの6気筒LPG車が追加された。

1984年6月
VG30ET型エンジン (230ps 34.0kg·m) 追加。「V30ターボブロアムVIP」と「V30ターボブロアム」。

1984年9月
特別仕様車「V20Eエクセレンス」発売。

1985年6月
マイナーチェンジで一部グレードを除きフェイスリフトを行う。
ヘッドランプとテールランプが変更され、コーナリングランプ、フォグランプ(ハードトップ、ワゴンのみ)が装着された。ワゴンのフロントマスクはハードトップと共通になる。バンパーの形状が変更され、主力の5ナンバー車は大型カラードバンパーが装着された。

VG20ET型が可変ノズルターボのジェットターボ仕様となったほか、ディーゼルエンジンが新設計のRD28型となる。「4ドアハードトップ V20ターボアーバン(430以来のターボSの代わり、後にアーバンGに名称変更)/アーバンX(ターボFから改称)」が追加されたほか、「ワゴンV20E SGL」、「ワゴン280D-6 GL」、「セダンSGLの6気筒LPG仕様」が追加された。上級車種に電動格納式ドアミラーを標準装備、スーパーソニックサスペンション設定。

1986年1月
エクセレンス及びL20P搭載のブロアム追加。

1986年3月
一部改良、RD28エンジン搭載のA/T車のロックアップ制御を電子制御式に変更。

1986年11月
一部改良。駐車灯が廃止され、フロント合わせガラスとリヤシート中央にシートベルトを追加。

1987年1月
エクセレンスG(GLとエクセレンスを統合)及びアーバンG追加。

1987年6月
セダンとハードトップが販売終了。ワゴン/バンはそのまま継続販売となった。同時にバンに2LのV6エンジン搭載車を追加。このモデルはワゴンと同じフォグランプ内蔵の角目ライトの顔を持つ。グレードはDX/カスタムDX/GLの3種類。AT車も選べた。

1989年3月
一部改良。A/Tシフトロック追加。

1993年8月
RD28ディーゼルエンジン搭載車廃止。

1994年3月
バン/ワゴンを一部変更。エアコンは代替フロン化されサイドドアビーム・ハイマウントストップランプ・後席左右に3点式シートベルトを装備。

1995年11月
ワゴン/バンのマイナーチェンジ。バンは全車V6エンジン搭載車のみに集約と同時に6人乗りのマニュアルコラムシフト車が廃止。ワゴンにはルーフレールの追加とベンチシート&コラムATのSGLリミテッドを追加。その他コストダウンのためシート素材の変更と一部装備の廃止。運転席エアバッグをワゴン全車に標準装備。

1997年8月
一部改良(日産社内の資料ではフルモデルチェンジしてWY30型になった事になっている)。

1999年8月
ステージアに吸収統合され、販売終了。

Y30系ワゴン・バンはドレスアップを好むユーザーにも根強い人気がある。最終型(1995年11月~1999年6月)のワゴンのSGLリミテッド(ベンチシートのコラムAT)は流通台数が少ないこともあり中古車価格が高い。

[ 2009/05/18 16:30 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Laurel Spirit 1987 0'30"

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ローレルスピリット(LAUREL SPIRIT )はかつて日産自動車が製造・販売していた乗用車である。

日産モーター店系列で取り扱う高級小型車として、ローレルの雰囲気を持つ小型乗用車として販売されていた。5-6代目(B11-12型)サニーの姉妹車であった。車体形状は初代/2代目ともに4ドアセダンのみである。

一部のモデルを除き、パワーステアリング・パワーウィンドウ・集中ドアロック、安全装置のABS(2代目のみ)などの快適設備が装備されていた。

2代目(B12L型 1986年-1990年)

* 1986年8 月 - 2代目発売。先代モデルはサニーの化粧直し程度の差別化だったが、2代目になると更にサニーとの明確な差別化が図られた。フロントマスク、リアテールは専用意匠となり、Cピラーの化粧パネルとボンネット上のフードマスコットが追加されている。最上級グレードは4気筒DOHC16バルブエンジン(CA16DE型)を搭載する「1600グランドリミテッド ツインカム」となる。内装もワインカラーを採用するなど高級感を打ち出した。

エンジンは全て4気筒でE15S型(SOHC・電子制御キャブレター、1500cc)およびE15E型(SOHC・マルチポイントインジェクション、1500cc)、CA16DE型(DOHC16バルブ、1600cc)、CD17型(SOHC、1700cc)ディーゼルが設定されていた。

* 1987年9月 - 一部変更。E15型エンジンがGA15型(1500cc4気筒SOHC12バルブ、電子制御キャブレター仕様はGA15S、マルチポイントインジェクション仕様はGA15E)に換装され、フルオートフルタイム4WDが設定された。また、フルオートフルタイム4WDの上級グレードに限り、安全装置の機械式のABS(当時の日産の独自名称で4WAS)がメーカーオプションで用意されていた。

* 1988年10月 - 再度の一部変更でグランドリミテッド系にラジオスイッチ連動式電動アンテナとリヤシートに肘掛を追加。

* 1990年1月 - サニーのフルモデルチェンジと販売低迷による車種整理・統合を理由に生産中止。後継車種は4ドアハードトップの「プレセア」である。

[ 2009/05/19 01:18 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Laurel Ad C230型 1979 0'15"

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ローレル (LAUREL) は、日産自動車が1968年から2002年まで製造・販売していたミドルクラスの乗用車。ライトバンやピックアップトラック、タクシー仕様(1983年まで)などの商用車を一切設定しない、日本初の「ハイオーナーカー」であった。

3代目 C230型(1977年-1980年)
1977年1月
C230型にモデルチェンジ。ボディバリエーションは4ドアセダン、4ドアハードトップ、および2ドアハードトップ。搭載エンジンはL18型 直列4気筒SOHC1.8L、直列6気筒SOHCL20型、L20E型、L28型。

1978年1月
発売10周年記念特別限定車で深紅の車体色を特別に採用した「深紅のローレル」を発売。他にアルミホイールとフロントグリルのカーバッジを装備。

1978年11月
マイナーチェンジ。ヘッドライトが角目4灯式になる。オートエアコン装備の最高級グレード「メダリスト」グレードおよびSD20型 直列4気筒OHV2.0Lディーゼルエンジン搭載車を追加。1800cc車はZ18型に換装。ガソリン車53年排出ガス規制適合。

1979年10月
2000cc4気筒ガソリン車(Z20型)とディーゼルにSGLとAT車追加。

1980年2月
ハードトップのメダリストに電動サンルーフをオプション化。ローレル初のサンルーフ車となる。

1980年7月
限定車「ゴールドメダリスト」「ザ・クオリティ」を発売。

車名の由来
英語で「月桂樹」「月桂冠」の意味であり、月桂樹はギリシャ神話の気品高き樹木で、月桂冠は名誉ある地位の象徴である。

[ 2009/05/20 01:47 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)
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