スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

Skyline ケンとメリー1972年式の主題歌 3'21"

トップページNISSANカテゴリーSKYLINE ケンとメリー1972年式の主題歌 20071030104045.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
バズ (BUZZ) はフォークグループ。小出博志(こいで ひろし、1951年2月13日 - 、一時期「佐伯博志」を名乗っていた時期あり)と東郷昌和(とうごう まさかず、1952年4月29日 - )の二人組。

小出博志は東海大学在学中に「インディアンアップル」というバンドを結成。その後高橋信之を中心としたグループ「ステージフライト」に参加した。 東郷昌和は中学時代に同級生の高橋幸宏(高橋信之の弟)と「ブッダズ・ナルシィーシィー」というバンドを結成。 高橋信之のプロデュースでフォークグループを結成、1972年に『ケンとメリー~愛と風のように~』でデビュー。

[ 2008/02/08 17:31 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Datsun Bluebird 510 coupé 1'02"

トップページNISSANカテゴリーNissan Datsun Bluebird 510 coupé
Datsun_Bluebird_510_coupe.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
3代目 510型(1967年-1972年)
1967年8月、発売。ボディタイプは2ドア/4ドアセダン、5ドアワゴン/5ドアバンの4種類。エンジンは新開発の水冷直列4気筒 SOHCのL型で、1300ccのL13型と1600ccのL16型を積んだSSSのラインアップだった。

1966年には下位モデルとして1000cc大衆車のダットサン・サニーが発売されていたことから、ブルーバードは1300cc級以上の中級モデルとして上位移行、ボディは大型化される。社内デザイナーによる「スーパーソニックライン」と称する、プリンス自動車の系譜を引いた直線的で彫りの深いシャープなデザインとなった。従来あったフロントドアガラスの三角窓は換気装置の強化により、省略された。

日産初の四輪独立懸架(フロント:マクファーソン・ストラット、リア:セミトレーリングアーム[9])を採用。セミトレーリングアームのドライブシャフト伸縮には、プリンスがド・ディオンアクスルに使用していたボール・スプラインが活かされている。

日本国内ではオーソドックスな構成ながらデラックスな装備を売りにするトヨペット・コロナとの「BC戦争」を競り合った。日本国外では、廉価でありながら欧州車並みに高度なスペックを備えた魅力的なセダンとして「プアマンズ・BMW」との評を得、史上初めて北米市場でヒットした日本車ともなった。

1968年10月 マイナーチェンジでワイパー位置、フロントグリル、リアコンビランプ形状を変更。直列4気筒SOHC L16型(1595cc)搭載モデル「ダイナミックシリーズ」を追加。DXに4速マニュアルフロアシフト車追加。

1968年11月 コロナハードトップに対抗した2ドアクーペを発売。
1969年9月 一部改良。衝撃吸収インパネを採用。ラジオアンテナはピラーへ移動。
1970年9月 一部改良。直列4気筒SOHC L18型(1770cc)を搭載した1800SSS発売。1300cc → 1400ccへ拡大。4ドアセダンGLを追加。
1971年9月 ブルーバードU(610型)の発売に伴い車種縮小。クーペを廃止し、セダン1400/1600ccのみに整理。
1972年12月 510型生産終了。

[ 2008/04/14 20:29 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Skyline GT-X 1'06"

トップページNISSANカテゴリーNissan Skyline GT-X skyline_gt-x.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
1957年に富士精密工業(のちプリンス自動車)の主力車種として生産を開始。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた。

車名は「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。2007年3月21日、名付け親の桜井眞一郎がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレートが設置される。

スカイラインは2008年現在12代目である。ラインナップは4ドアセダンと2ドアクーペがあるが、過去には5ドアハッチバックやステーションワゴンもラインアップされていた(後継は日産・アベニールに一旦統合、後にLクラスステーションワゴンとして発売の日産・ステージア〈現在生産終了〉)。5ドアハッチバックやライトバン(エステート)もラインアップに存在した時期もある(後継はアベニールカーゴ→エキスパート→ADエキスパート)。なお12代目クーペは2007年10月に発売された。

ミドルクラスセダンに位置するが、自動車レースで用いられた過去があり、特に"GT-R"グレードは同クラスの他車に比べてレース色が強く、実際に製品としての性格付けもそのようになっている。 かつての最大の競合車種はトヨタ・マークII(現マークX)であった。過去に姉妹車として、同じ村山工場で生産されていたローレルと、セフィーロもあった。

長野県岡谷市には、単一車種の博物館としては異例ともいえる「プリンス&スカイラインミュウジアム」がある。

3代目 C10型(1968年-1972年)
通称:ハコスカ
キャッチコピー:ダイナミックファミリーセダン・愛のスカイライン
日産との合併後初めて新規発売されたモデルである。1968年8月 S50型のモデルチェンジとして、4ドアセダン(C10型)、エステート(WC10型)、バン(VC10型)が発表された。日産のラインナップでは10代型式の小型乗用車であるが、上級車種ということで2ドアセダン / 2ドアバンの設定は無い。

エンジンはプリンス製の直列4気筒OHC1500cc G15型を搭載する。

足回りはフロントがマクファーソンストラットとコイルスプリングの組み合わせに変更された。リアはリーフリジッドである。

グレード展開は、スタンダードとデラックスのみであったが、デラックスにはシート形状とトランスミッションにより、ファミリーデラックス(3速コラムシフト・ベンチシート)、ツーリングデラックス(3速コラムシフト・セパレートシート)、スポーティデラックス(4速フロアシフト・セパレートシート)の3種のほか、女性仕様の「Lパック」がメーカーオプションとして用意され、バリエーションを確保した。

1968年10月 GT(GC10型)が追加される。S50型同様、バルクヘッド前よりホイールベースを延長しているが、S50と違い、開発当初から6気筒化を配慮した構造とデザインを備えており、6気筒モデルの方がバランスの整った外見となった。

エンジンはプリンス製ではなく、日産の直列6気筒、OHC、2000ccのL20型エンジンを搭載する。サスペンションは、フロントは4気筒同様のマクファーソンストラットであるが、リアはセミトレーリングアームとコイルスプリングへ変更され、4輪独立懸架となる。

同月 第15回東京モーターショーに、「スカイラインGTレーシング仕様」が出品される。翌年発売されるGT-Rのコンセプトカーである。

1969年2月 プリンス系列の技術陣によって開発された直列6気筒4バルブDOHC2000cc S20型エンジンを搭載した「スカイラインGT-R(PGC10型)」を発売。そのカタログにはレーシング直系を印象付けるため、R380A-IIIも登場する。外観でのGTとの相違は、大きくなったタイヤサイズに対応するため、リアフェンダーのサーフィンラインがカットされている他、ウインドシールドをはじめとしたウインドウガラスが、青色の熱線吸収タイプでは無く、リアの曇り止め用プリント式熱線も無いこと、モール類が装備されない点などである。

同月 1800シリーズ(PC10型)を追加。ローレルに先行搭載されていたプリンス系の直列4気筒OHC1800cc G18型を移植したもの。1800スポーティデラックスにGTの装備品を加えた「スポーティS」なるグレードも設定されていたが、エンジンはシングルキャブのままだった。

1969年10月 マイナーチェンジ。いわゆる「ワンピースグリル」に変更される。

1970年10月 2ドアハードトップを1800シリーズ(KPC10型)、および2000GTシリーズ(KGC10型)に追加。GT-Rはセダンからハードトップ(KPGC10型)へ変更された。ハードトップはセダンに対し70mmホイールベースを短縮したことにより、運動性能が向上した。

なお、キャッチコピーの"愛のスカイライン"はC110(ケンメリ)やR34後期のCMでも使われた。ハコスカGT-Rの当時価格は150万円だった。

21世紀初頭現在でも、いわゆる「旧車」の中で特に知名度や人気が高いモデルの一つである。

[ 2008/04/20 09:42 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Bluebird 1983 Ad 0'30"

トップページNISSANカテゴリーBluebird 1983 Ad NISSAN BLUEBIRD 1983 Ad.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
日産自動車が1959年から2001年まで生産・販売していた乗用車。
戦前から続く、ダットサン乗用車の系譜を引き継いでいる。日本の代表的な大衆車として、またタクシー用の車種としても親しまれた。最大の競合車種はトヨタ・コロナ。最盛期の1960年代から1970年代にかけ、コロナとブルーバードが繰り広げた熾烈な販売競争は「BC戦争」といわれた。

6代目 910型(1979年-1983年、営業車1979年-1993年)
1979年11 月、910型を発表。ブルーバード史上、最後のFR車。小型車中心の車種構成としたことにより、27ヶ月連続小型車(1600~2000ccクラス)登録台数一位を記録するなど、510型以来の大ヒットとなった。北米向けはホイールベースを100mm延長し、セダンとワゴンがラインナップされる。

国内向けガソリンエンジンは全車4気筒Z型に統一。また、この910型からディーゼルエンジン(LD20型)が登場し、後にディーゼルターボ(LD20・T型)も追加される。LPGエンジンの営業車にはZ18型のLPGを搭載。

足回りは、フロントサスペンションがFR車初めてのゼロスクラブにセッティングされた、マクファーソンストラットコイルサスペンション。リアサスペンションはSSS系にはセミトレーリング式、エレガント系と後期型ワゴンとタクシーは4リンク式、バンと前期型ワゴン・1987年10月以降のタクシー用セダンはリーフ式サスペンションとなった。

全車、前輪にベンチレーテッドディスクブレーキを装備。
1979年12月、バンとワゴンを追加発売。
1980年4月 1800EGIターボ(Z18ET型 135馬力)のターボSSS/SSS-S/SSS-X/SSS-XGとセダン2000ディーゼル(LD20型 65馬力)GL/GFを追加。
1980年10月 1800SSSターボとセダン1600GL/GFにAT車追加。
1981年1月 2000キャブ仕様(110馬力)の2000GL/GF/SSS-Lを追加。
1982年1月、マイナーチェンジ。内外装変更。同クラス初のピラーレスの4ドアハードトップモデルを追加。2ドアハードトップは1800ターボSSS/SSS-Sの2グレードに整理。
1982年10月、一部改良。自然吸気の1600/1800ccガソリンエンジンをCA16型、CA18/CA18E型に変更。
1983年10月、営業車モデルを除き販売終了。

モータースポーツ
1981年10月、オーストラリアで開催された耐久レース「バサースト1000」に参戦。
結果はオーバーヒートによりリタイア。

1982年5月、当時のグループ5規定に合わせたレーシングカー「ブルーバード・ターボ」が登場。
2ドアハードトップ(KY910型)をベースに車体の一部をパイプフレームとするノバ・エンジニアリング製のシャシーに、大型のフロントスポイラー、およびリアウイングを備えるムーンクラフト製のカウルを装着。ドライバーは、柳田春人。

エンジンは直列4気筒DOHCのLZ20B型にエアリサーチ製T05Bターボチャージャー、およびルーカス製メカニカルインジェクションシステムを組合わせたLZ20B/T型(2082cc 570ps/7,600rpm、55kgm/6,400rpm)を搭載。

【主な戦歴】
1982年 5月 「富士GCシリーズ第2戦 富士グラン250キロレース」3位入賞
1982年 5月 「RRC筑波チャンピオンレース」SSクラス 2位入賞
1982年10月 「バサースト1000」クラス優勝(総合8位)
1982年12月 「RRC筑波チャンピオンレース最終戦」SSクラス 2位入賞
1983年12月 「RRC筑波チャンピオンレース最終戦」SSクラス 優勝
1983年 「富士スーパーシルエットチャンピオンシリーズ」 チャンピオン獲得

営業車モデル
営業車モデル(タクシー用)は、FF(前輪駆動)のU11型にフルモデルチェンジ後も、FR(後輪駆動)の910型が継続生産された。その理由に、
1.FF車ではFR車よりも、最小回転半径が大きく小回り性能で不利。
2. FR車の方が車両や部品の耐久性の面で、発展途上であるFF車よりも信頼性が高い。
ことがあげられる。

1984年1月、日産創立50周年を機に一新された「NISSAN」ロゴと、U11型と同じ「BLUEBIRD」ロゴに変更、エンブレムの位置が左側から右側に変更。

1987年10月、一部変更でリアサスペンションの耐久性向上のため、リーフスプリング式への変更、ステアリングホイールの形状変更[12]、メーターパネルをタコグラフ取り付け対応に、前期型SSS系と同一デザインのフロントグリル(通称・ハニカムグリル)と後期型SSS系と同一のリア・テールランプへの変更。

1987年10月以降は、追浜工場から日産車体へ生産が移管され、1993年7月に販売終了。

CM
キャッチコピー
「ザ・スーパースター」
「ブルーバード、おまえの時代だ」

CMキャラクター
沢田研二

CMソング
「I am I」(前期型)
「素敵な気分になってくれ」(後期型)

[ 2008/04/21 10:03 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Bluebird 1984 ad 0'30"

トップページNISSANカテゴリーNissan Bluebird 1984 ad NISSAN BLUEBIRD 1984 ad.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
戦前から続く、ダットサン乗用車の系譜を引き継いでいる。日本の代表的な大衆車として、またタクシー用の車種としても親しまれた。最大の競合車種はトヨタ・コロナ。最盛期の1960年代から1970年代にかけ、コロナとブルーバードが繰り広げた熾烈な販売競争は「BC戦争」といわれた。

7代目 U11型(1983年-1987年、バン/ワゴンは-1990年)
1983年10月、U11型にモデルチェンジ。910型の流れを汲んだデザインとなる。
ボディタイプは4ドアセダン、4ドアハードトップ、ステーションワゴン、バンの4種類で、2ドアハードトップは廃止。

FF(前輪駆動)となったが、前モデルの910型と比較してトレッド幅を拡大し、コーナリングにおけるトルクステアなどのFFの弱点を消すことに重点がおかれる。

ガソリンエンジンは、すべてCA型に統一。ディーゼルエンジンは、ノンターボのLD20型 65馬力の1種類のみの設定。

発売当初より一新されたロゴフォントを採用。

U11型へのモデルチェンジを機に、正式車名が「ダットサン・ブルーバード」から「日産・ブルーバード」へと切り替えられ、車検証の車名欄も「ダットサン」から「ニッサン」となった。

1983年12月 日産設立50周年記念車が発売。

1984年9月 「2000ディーゼルSLX-G」を追加。

1984年10月 810型以来の上級車種として「ブルーバードマキシマ」が登場。日本初のターボチャージャー付きV型6気筒エンジンを搭載したFF車として話題となった。1800cc車は全車5速MT化。

2000SLX-Gに大型バンパーを標準装備。

1984年11月 国内生産累計600万台達成。この年、国内販売はカローラ、カリーナ、コロナに次いで4位(1983年は5位)。

1985年8月 マイナーチェンジ。
エクステリアの大幅な意匠変更が行われ、バンを除く全車にコーナリングランプを標準装備。バンパー、トランクリッドの形状変更、内装の一部変更のほか、SSSシリーズに直列4気筒DOHC 1809ccターボを採用し、145馬力を発生するCA18DET型エンジン搭載モデルが登場。

追加グレードとして「セダン/ハードトップ 1800スーパーセレクト」、「セダン 1600SLX-G」および「ADワゴン 1800SSS(NAモデル)」が設定され、CA18/CA16が電子制御キャブのCA18S/CA16Sとなり、2000ガソリンは廃止。バンのガソリン車を除くMT車は全車5速MT化され、ATは全車4速AT化される。電動格納式ドアミラーを新たに設定。

1986年 1800に教習車仕様が発売(当初は5速MTのみ、後に4速ATも追加)。

1986年1月 ブルーバードマキシマをマイナーチェンジ。VG20E型搭載モデルを追加。セダンLXセレクト追加。

1986年6月 CA18DET型エンジン搭載モデルにAT車追加。

1987年9月 4気筒モデルの販売終了。
1988年10月 ブルーバードマキシマ販売終了。日産・マキシマにモデルチェンジ。
1990年5月 バン/ワゴン販売終了。

CM
キャッチコピー
「走りがだん然素晴らしい」、「ブルーバードにならないか」(前期型)
「人の中へ」(後期型)
CMキャラクター
沢田研二(前期型)

CMソング
「スーパー・ジェネレーション」/沢田研二(前期型)
「ラプソディー・イン・ブルー」/ガーシュイン(後期型)

[ 2008/04/22 10:28 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Nissan 120秒CM History Car 1'20"

トップページNISSANカテゴリーNissan 120秒CM History Car NISSAN_CM_120_1997_2.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
日産自動車株式会社(にっさんじどうしゃ) (英語名: Nissan Motor Co., Ltd.) は、東京都中央区に本社を置く自動車メーカーである。日本のビッグスリーの一角。通称とブランド名は「日産(NISSAN)」。日本国外の一部では、高級車ブランドである「インフィニティ(INFINITI)」も展開する。

経営体制
芙蓉グループ(旧富士銀行系列)に属する東証一部上場の日本企業であり、現在はフランスの自動車製造大手のルノーの傘下である。関連会社にトラック専門の日産ディーゼル工業(ボルボに売却)や、モータースポーツ専門のニスモなどがある。歴史的経緯(日産コンツェルン)によって日立製作所と関係が深い。

現在、親会社のルノーから派遣されたレバノン系ブラジル人(フランスとの2重国籍)のカルロス・ゴーンが取締役共同会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)を務める。なお、カルロス・ゴーンは2005年4月より親会社のルノーのCEOも兼務しており、現在はゴーンCEOの指揮の元、日産出身の志賀俊之がCOO(最高執行責任者)を勤める。

「技術の日産」
一時期企業スローガンで「技術の日産」と称していたように、創業期より先進技術の吸収に積極的で、第二次世界大戦前の段階ではゼネラルモーターズの技術や資本導入を目論み、あるいは戦後はオースチンとの提携下で乗用車のノックダウン生産を展開するなど、ルノーの傘下に入った現在にいたるまで外国企業との連携には余り抵抗感を持たない。

1966年に高い技術力を誇ったプリンス自動車工業株式会社と合併し、同社の技術がフィードバックされたことで技術の日産と巷間呼ばれるようになるが、その反面、技術偏重の社風より販売政策は余り上手いとは言えず、しかも組合闘争とそれにあわせた内部権力闘争が経営の足を引っ張り、オイルショックの頃から長くライバル視してきたトヨタ自動車に営業成績において差を広げられてしまった。

経営危機
1980年代には「90年代までに技術世界一を目指す」という名の下、全車種を対象にシャシー、エンジン、サスペンション、ハンドリング等の技術開発に力を注いだ「901運動」がおこなわれており、日本車の技術向上に大きく貢献したとの評価がある。

1980年代後半のバブル景気時代には高級車シーマをヒットさせるなど、存在感を示していたが、バブル崩壊後は財務体質が悪化。もともと販売戦略が不得手な上に、商品戦略やデザインなどの面でも失敗したことからヒット車種が出ずに販売不振に陥ってしまい、軽自動車市場の拡大を背景に、軽自動車を含めた国内シェアでは一時ホンダに抜かれ第3位に転落。1998年には約2兆円もの有利子負債を抱えるほどにまで財務内容が悪化し、経営危機に陥ってしまった。

しかしその中でも、2代目セフィーロや初代エルグランド、2代目マーチなどはコンスタントに販売台数を記録し、経営危機に陥っていた日産をなんとか支えていた。

ルノーの傘下へ
継続的な販売不振により2兆円あまりの有利子債務を抱え倒産寸前の経営状態となった1999年3月、フランスの自動車メーカー・ルノーとの資本提携(後述「ルノー=日産アライアンス」)を結び、同社の子会社として更正を図ることとなった。当初は両社の文化的土壌の違いやラインナップの重複、日産自動車の負債の大きさなどを理由に、同業他社やアナリストをはじめとする多くの専門家がその行き先を危惧した。

同年中に日本人社長の塙義一は解任され、ルノー会長兼最高経営責任者(CEO)であったルイ・シュヴァイツァーにより同社副社長のカルロス・ゴーン(レバノン系ブラジル人)が新たな最高経営責任者に就任した。ゴーンらのチームは、同年10月に発表した「日産リバイバルプラン(NRP)」のもとリストラを進めた。東京都武蔵村山市にある村山工場や京都府宇治市の日産車体京都工場などの生産拠点の閉鎖、資産の売却、人員の削減などとともに、子会社の統廃合や取引先の統合、原材料の仕入の見直しなどによるコスト削減が行われた。更に、車種ラインナップの整理と同時にデザインなどを刷新し、積極的な新車投入を行った結果、販売台数は増加。国内シェアでは第2位の座を奪回し、2003年6月には負債を完済した。しかし2005年度後半から2006年度にかけて新型車の投入が少なかった為、再び販売不振に陥っている。とくに国内での販売不振が顕著である。

ゴーンは日産自動車の建て直しの手腕が高く評価され、2005年4 月からは親会社のルノーのCEOも兼務しており、現在はゴーンCEOの指揮の元、日産自動車生え抜きの志賀俊之がCOO(最高執行責任者)を勤める。しかしながら、日産自動車の3カ年経営計画「日産180」(全世界での売上台数を100万台増加させ、8%の営業利益率を達成し、自動車関連の実質有利子負債をなくす)における販売台数目標達成のために、計画終了(2005年9月30日)前に集中して新型車投入を行ったことによる、計画終了以降の国内やアメリカ市場における販売台数の低迷や、ゴーンなき後を見越した権力闘争など、深刻な問題を残したままの親会社への復帰に疑問の声も上がっている。

なお、ゴーン体制のもと系列解体の急先鋒となり、非日産系部品メーカーや海外メーカーからの部品仕入れを積極的に行ったが、近年は日立製作所と組んで部品メーカーの囲い込みに力を入れている。

ルノー=日産アライアンス
実態は「アライアンス(同盟、協力)」と示されるような対等な関係ではないことに留意すべきである。

2006年5月現在、ルノーは日産株の44パーセントを所有し日産を実効支配しているが、日産の所有するルノー株は全体の15パーセントである。さらに、フランスの法律により日産の保有するルノー株には一切の議決権が付随していない。従って、資本関係上は日産がルノーの連結子会社とされる一方で、日産がルノーに対して有する権限は一株主未満のものである。当然ながらルノーからは多くが日産の役員として送り込まれており、ルノーに日産出身の役員は皆無である。

他方、株式資本の総額は日産本体のほうが多く、「日産に投資するより、親会社のルノー本体に投資するほうが利にかなう」という逆転現象が起きている。ルノーは、買収後に日産の業績を急回復させたことにより、これまでに莫大な配当益を得ている。

ビジネス上では、車台やエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化、購買の共同化などを通じてコストダウンを図っているほか、ルノーの車を日産ブランドで販売、日産車をルノーのブランドで販売するなどの相互のOEM供給が行われている。2005年1月には、当時のルノー会長のルイ・シュヴァイツァーが、「2010年までに日産自動車とともに世界市場の10%のシェアを確保し、年間400万台の生産を達成する」という目標を掲げた。ルノーでは傘下の日産を含めて、自社がフォルクスワーゲン・グループを上回る欧州最大の自動車メーカーであるとしている。

歴史
1911年:東京市麻布区(現在の東京都港区麻布)に「快進社自働車工場」設立。
1919年:大阪府に「実用自動車製造株式会社」設立。
1926年:「実用自動車製造株式会社」と「快進社自働車工場」が合併し、「ダット自動車製造(本社:大阪)」設立。
1931年:戸畑鋳物株式会社(現在の日立金属)(本社:北九州市、社長:鮎川義介(あゆかわ よしすけ))の傘下に入る。(事実上の企業買収)
1932年:ダットサンのブランドが誕生「ダットサン商会」設立(吉崎良造が開設)。
1933年:「自動車工業株式会社(現在のいすゞ自動車)誕生。(ダット自動車製造株式会社を石川島自動車工業が合併吸収の際改称)」(横浜市神奈川区)に設立される。

注意1:自動車工業株式会社とは、後にヂーゼル自動車工業株式会社と改称し、その後日野自動車が分裂しいすゞ自動車となる。その間、石川島播磨重工業と分裂した会社でもある。

注意2:自動車製造株式会社は日産の源流であり、名前は似ているが別会社である。

1933年:戸畑鋳物株式会社がダット大阪工場を70万円で購入(しかし、ダット(自動車)の製造権と設計技術者の後藤敬義、そして一群の人員は自動車工業株式会社にあるままであった。)

1933年:戸畑鋳物株式会社の鮎川義介の懇願により、製造に関する一切の権利を自動車工業株式会社より(ダットサンの製造権を)無償で譲り受ける。12月に鮎川義介はダットサンの製造のために「自動車製造株式会社」を設立する。

1934年:6月1日に日産自動車株式会社に改称した。創業者は戸畑鋳物株式会社社長の鮎川義介である。鮎川は創立と同時に同社取締役社長に就任した。

1944年:9月、東京都日本橋区(現在の中央区)に本社移転。日産重工業株式会社に商号変更。 1946年:同年1月、本社事務所を再び横浜市に移転。1949年8月には、日産自動車株式会社の商号に復帰した。

1966年:名車スカイライン、グロリアを持つ「プリンス自動車工業株式会社」(富士重工業等と共に分割解体された旧中島飛行機の一部冨士精密工業の後身)と合併。
1967年:宮内庁に、初の国産御料車「プリンスロイヤル」を謹製・納入
1968年:東京都中央区銀座木挽町の現社屋に本社事務所を移転。
1970年代~1980年代:第二次世界大戦後からシェアを積み上げ、一時はトヨタ自動車につぐ日本国内第2位のシェアを占めたが、バブル崩壊後財務が悪化したうえ、デザインや商品戦略などの面でも失敗。販売不振に陥り、国内の販売台数ではホンダにつぐ第3位に転落。さらには、塩路一郎委員長率いる強固な労働組合との激しい抗争が深刻化し、1990年代の後半には経営危機がささやかれるまでになってしまった。

1999年:3月に、フランスのルノーと資本提携し、ルノー=日産アライアンスを結成しルノーの傘下になる。6月にルノー副社長のカルロス・ゴーン(現CEO)が最高執行責任者(COO)に就任し、リバイバル・プランを発表した。

1999年:12月に日産自動車社員が関係した、他の社員に対するリンチ殺人事件が発生。
2001年:ゴーンが6月に社長兼最高経営責任者(CEO)となる。

2002年:スズキより、軽自動車「MRワゴン」のOEM供給を受け、「モコ」として発売開始。軽自動車市場へ参入を果たし、ゴーンが「日産リバイバルプラン」の目標達成を宣言した。同時期に車種について、あまり利益が見込めないことや近代への日産にはあわないことから、セドリック(現在商業者向け販売)やグロリア、ローレルおよびサニーといった日産を代表する車種の名(歴史)を捨て、新たに歩み始める。その第1号としてローレル&セフィーロの後継車にあたるティアナ(2003年)を投入。ティアナのデザインは、これからの日産の回復と象徴的デザインの1つと見られる。2004年9月にはサニーの事実上の後継車である、ティーダを発売。

2005年:4月より従来の販売会社別での取り扱い車種を撤廃、全販売会社(レッドステージ&ブルーステージ)ですべての車種の購入が可能となる。それに伴い、事実上のセドリック・グロリア後継車としてフーガを誕生させる。

2005年:経営再建中の三菱自動車工業との包括的な事業提携。それに伴い、事業提携の一環として三菱製軽自動車eKワゴンのOEMとしてオッティを投入。

2005年:4月にゴーンが親会社のルノーの会長兼CEOに就任、日産の会長兼CEOも兼務する。
2005年:9月に、ゴーンが進めてきた日産180(リバイバル・プラン)を終了。その後日米市場で販売台数が急落する。
2007年:12月、スカイラインの名前を捨て、新たな道を歩む日産GT-Rを販売開始。
2009年:当初は、2010年をめどに企業誘致に熱心な横浜市の「横浜みなとみらい21(MM21)地区」66街区に本社を移転する予定であったが、2009年に横浜開港150周年を迎えるを機に1年前倒しとなった。2007年春に着工する予定。この本社立地にあたり、神奈川県から施設整備等助成制度及び横浜市から企業立地等促進特定地域における支援措置を受けることができる。新社屋は建築家谷口吉生の設計。

日産生産方式(Nissan Product Way)
日産自動車が21世紀の生産・販売戦略として導入した生産方式。顧客の注文に基づく詳細な生産指示書を関係工程に指示し生産する方法で、これにより受注から納車までの時間が最短で3日という迅速な生産を実現した。現在、インフィニティブランドを取り扱う栃木工場などに導入されている。

ロゴマークの由来
日産自動車のロゴマークはもともと「ダットサン」で使われていたもので、吉崎良造(よしざき りょうぞう)と田中常三郎(たなか じょうざぶろう)がシボレーのマークにヒントを得て、赤の日の丸と太陽をベースに天空をモチーフとしたコバルトブルーをいれ、真ん中に白で横一文字で「DATSUN」と書かれていたのが前身である。(なお、1937年に制定された社章=記章、株券等に使用していた=は、日の丸の真中に一本の横棒を挿入し、周囲を“日”を抽象化したもので囲ったもので、日立や日本興業銀行の社(行)章と類似していることから、発足時からの「日産・日立・興銀」の関係も表していた、とされている。現在は「至誠天日を貫く」と位置づけられている。)

その後、文字を筆記体のカタカナで「ニッサン」と書き直し日産コンツェルン全体の社紋として統括企業に普及するが、戦後の財閥解体とともに日産自動車のみの社紋としてローマ字表記の「NISSAN」に変更となった。

創業50周年を迎えた1983年にはアメリカのペンタグラム社が制作したロゴマーク及び指定フォント(書体)に一新され、さらに1999年以降のルノー傘下になってからのゴーン体制下でデザインが社内コンペで募集され、より立体的なものへと小変更され現在に至る。ちなみに、このとき採用されたロゴのサンプルは現在でもゴーンのオフィスに飾られているという。

赤・白・青は、日産自動車のコーポレートカラーにもなっていて、トリコロールの愛称で日産らしさの象徴としても親しまれている。

[ 2008/04/23 13:04 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Gazelle Safari Rally V4 1982 Ad 1'14"

トップページNISSANカテゴリーGazelle Safari Rally V4 1982 Ad 1982 NISSAN GAZELLE Safari Rally V4 Ad
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
車名の由来
アジア・アフリカに生息する、カモシカの仲間であるガゼルに由来する。

概要
1979年、シルビアが3代目(S110型)にフルモデルチェンジしたのと同時に発売開始されたシルビアの姉妹車である。シルビアとは販売会社が分けられ、シルビアが日産サニー店系列の扱いであったのに対して、ガゼールは日産モーター店系列での扱いとなった。

初代 S110型(1979年-1983年)
1979年3月、初代ガゼール(S110型)発売開始。
構造はシルビアと共通であるが、販売店の顧客層を考慮し、メッキ仕上げのフェンダーミラー、皮巻(シルビアはウレタン)のパーキングブレーキレバーグリップの採用や、ディーラーオプションで用意されたエンジンフードのガゼルのグラフィックなど、高級感を演出した外観や内装を特徴とし、シルビアに比べ、やや上位の位置づけであった。

外観上の両車の差異は、フロントグリルがシルビアはブロックタイプ(マイナーチェンジ後は格子)、ガゼールは横スリットとなり、リアコンビランプもハードトップは見分け難いものの、ハッチバックは、格子と横基調の違いで比較的判り易い。その他、前述のフェンダーミラーのほか、Bピラーのデザインも異なる。

搭載エンジンはZ18/Z18E型直列4気筒・1800ccおよびZ20E型直列4気筒・2000ccが搭載された。グレードは装備と搭載エンジンから、T-I、T-II/TE-I、TE-II/XE-I、XE-IIの6種類。発売開始から5ヶ月遅れてハッチバックが登場した。また、日本初のドライブコンピュータなど先進機器を多く搭載した。

マイナーチェンジを機に、Z型エンジンにターボ付を追加、更にその後DR30型スカイラインにも搭載された4バルブ・DOHCのFJ20E型エンジン搭載車も追加された。シルビア / ガゼールに搭載されたFJ20E型は、吸・排気の取り回しの違いから、スカイラインに搭載されたものとは若干特性が異なる。

1983年からは、生産拠点が日産自動車九州工場に移された。

シルビアと同様、富士グランドチャンピオンレース・スーパーシルエットに参戦した。

当時放映されていたテレビドラマ『西部警察』では、石原裕次郎演じる木暮課長の専用車として、2000XE-IIをベースに自動車電話付のガゼールのオープンカーが登場した。この劇用車のボンネット・トランクに描かれたグラフィックは、車名の由来となったカモシカの仲間であるガゼルをイメージしたものである。尚、劇用車のものは通常モデルのものと一部が異なる。

2代目 S12型(1983年-1986年)
1983年3月、シルビアと同時にフルモデルチェンジし、2代目(S12型)が発売開始された。
先代と同様、クーペとハッチバックの2本立てで生産。加えて、ワイパー付フルリトラクタブル・ヘッドライトを採用した。搭載エンジンは先代のZ型に替わり、CA18S型直列4気筒・1800ccキャブレター、CA18E型直列4気筒・1800cc、CA18ET 型直列4気筒・1800ccターボ、そして、FJ20ET型直列4気筒・2000ccターボの4機種となった(ガゼールにはFJ20Eは搭載されず)。また、世界初のパワーウーハー、日本初のチルトアップ機構付電動ガラスサンルーフおよびキーレスエントリーなどが採用。

外観上のシルビアとの違いは、フロントグリルやテールランプなどで見分けることができる。グリルは、シルビアが横長長方形を組み合わせたものに対し、ガゼールはハニカム状のもの。テールは、クーペ/ハッチバックとも、シルビアが縦型デザインに対し、ガゼールは横型のデザインになっている(S110から継続)。

ボディーカラーにも、各々の車種にしか設定の無いツートンカラーがあり、配色だけでも見分けることができることもある。残念ながら、S110で設定のあったボンネットグラフィックはS12型では設定がなく、派手さに欠ける。

1986年2月、シルビアがマイナーチェンジされCA18DET型DOHCターボエンジンが搭載されるのと同時に車種を統合され、ガゼールは生産終了となった。位置づけからいえば、1989年に発売開始されたS13シルビアのハッチバック仕様・180SX(RPS13)をS12ガゼールの後継車種と見なすこともできる。

[ 2008/06/01 13:00 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Violet 1977 1'09"

トップページNISSANカテゴリーNissan Violet 1977 ad NISSAN VIOLET 1977.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
「バイオレット」 (VIOLET) は、日産自動車が生産していた小型乗用車。車名の「バイオレット」は英語で「すみれ」の意味である。

1971年、ブルーバードが車格や価格面で上級クラスへ移行した610型「ブルーバードU」が発売され、先代の510型ブルーバードは、「幸せの1400」のCMキャッチコピーで、1400ccと1600ccの4ドアセダンと2ドアセダンのみに車種整理されて併売されていたが、その後継車種として、バイオレットは1973年、サニーとブルーバードUの中間クラスに投入された。

2代目 A10/11型(1977年-1981年)
1977年5月20日、モデルチェンジでA10型が登場。ブルーバードから独立し独自の形式名が与えられた。

デビュー時のボディタイプは4ドアセダンと、「オープンバック」と称するハッチバッククーペ、そしてライトバンの3種類。その後1980年には姉妹車のスタンザ・リゾートに準じた5ドアハッチバックを追加している。サスペンションは、前輪は先代モデルと同じマックファーソンストラットコイル後輪は、全車種4リンクコイルのリジットであった。セダンは先代710型のボディデザインの不評を受け、510型ブルーバードのようなボクシーで機能的なスタイルに戻っている。

2代目バイオレット登場と同時に、スポーティ志向で若者向けの「オースター」が、その3ヵ月後の8月には、ラグジュアリー志向で「ミニ・セドリック」と呼ばれた「スタンザ」がそれぞれ姉妹車として登場。バイオレットはよりファミリーカーとしての色合いを強めるが、910型ブルーバード登場後のモデル後半は、販売に苦戦する。

1977年5月 モデルチェンジでA10型が登場。
1978年5月 53年排出ガス規制適合でE-A11/PA11型へ移行。
1978年9月 スポーティ仕様の「1600GX/GX-EL」を追加。
1979年6月 マイナーチェンジによりヘッドライトが丸型4灯から角型4灯に変更。
1981年6月 バイオレットリベルタへのフルモデルチェンジに伴い、販売終了。

モータースポーツ
A10/A11型は日産のWRC参戦の主力マシンとなり、1979年~1982年の「サファリラリーで4大会連続総合優勝」という快挙を成し遂げた(ちなみに、1979年と1980年は2バルブヘッドエンジン搭載のグループ2マシン、1981年と1982年は4バルブヘッドエンジン搭載のグループ4マシンでの参戦)。また、この4連覇は全て元FIA評議委員長でケニア在住の故・シェカー・メッタ (Shekhar Mehta) が日産ワークス時代にドライブしたもので、WRC史上初の「同一ドライバーで同一イベント4連覇」という記録を打ち立てている。

国内ではスーパーシルエットレースに参戦するなど、強烈なスポーツイメージも兼ね備えていた。

1979年 第27回サファリラリーに参戦。総合優勝を飾る。
1979年 富士スーパーシルエットレースに海外ラリー競技用エンジンLZ20B型にターボチャージャーを装着したLZ20B/T型エンジンを搭載した「バイオレットターボ」が参戦。ドライバーは柳田春人が勤めた。
1979年3月 富士300キロスピードレース 10位
1979年5月 富士グラン250キロレース 7位
1979年9月 富士インター200マイルレース 7位
1979年10月 富士マスターズ250キロレース 優勝
1980年 5ドアハッチバック(1600ccのみ)・女性仕様1400ファンシーGL(ATのみ、セダン・オープンバック)追加。
1980年 前年に引き続き、富士スーパーシルエットレースに「バイオレットターボ」が参戦。ドライバーは柳田春人が勤めた。
1980年3月 富士300kmスピードレース GTIIクラス 優勝
1980年9月 富士インター200マイルレース GTIIクラス 優勝
1980年10月 富士マスターズ250kmレース GTIIクラス 優勝
1981年 第29回サファリラリーに参戦。総合優勝を飾る(3連覇目)。
1982年 第30回サファリラリーに参戦。総合優勝を飾る(4連覇目)。
この年は後継ラリーマシンとしてS110型シルビアベースの新型グループ4マシンが用意されていたが、信頼性などの問題を抱えていたため、サファリラリー4連覇目が掛かっていたシェカー・メッタは既に生産終了していた前年型のPA10型グループ4マシンを選択した。これを快く思わなかった日産はワークス・バックアップを拒否。このため、メッタはプライベーターとして参戦することになってしまった。

参戦したメッタのマシンは、前年までの日産トリコロールカラーではなく、白いボディにマールボロ・レッドがペイントされていた。

結果として、S110型シルビアベースの新型マシンは信頼性不足によるマシントラブルによって徐々に遅れ、最高位は3位。対するメッタのバイオレットは総合優勝し、見事4連覇を達成した。メーカーのプロモーションではなく、勝負を優先したメッタはラリー史に名を残すことになったが、この一件以降、日産とのワークス契約がかわされることは残念ながらなかった。

PA10型のサファリラリー歴代優勝マシンは現在、メッタのマールボロ・カラーマシンも含めて全てが日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。

[ 2008/06/02 16:22 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Cefiro Wagon 0'15"

トップページNISSANカテゴリーNissan Cefiro Wagon Nissan_-_Cefiro_Wagon
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
セフィーロワゴンはかつて日産自動車が製造していた3ナンバーサイズのステーションワゴンである。

アベニールの上に位置するステーションワゴンとして1997年に登場した。 当時、一世を風靡していたステーションワゴンブームに便乗する格好でセフィーロセダンをベースに2年弱という短期間で仕上げられたのはつとに有名な話である。ちなみにチーフデザイナーは後にアウディAGに移籍しアウディ・A6などのデザインを手がけた和田智であった。

発表当時、短期間で製作された割には使い勝手や完成度が高く、特に狭地でも荷物の取出しが可能なガラスハッチやカーゴルームの広大さは高く評価された。また、ライバルの多くが普及版に直4エンジンを採用していたのに対し、静粛性に有利なV6エンジンを全グレードに搭載した上、セダンの上級機種にしか採用されていなかった電子制御エンジンマウントを全グレードに採用していたのが大きなアドバンテージであった。

4WD化には、リアサスペンションの形式変更とリアフロアの設計変更が伴うため、モデル終了までFFのみであった。

初期型登場からかなり経過しているが、故障が少ないこととライバル車に比べ中古車価格がリーズナブルであるため今でも比較的街中で見かけることができる1台である。個性演出のため、セダン同様にINFINITI仕様やSM5仕様にしている車をちらほら見かける。

  また、同車は全長は同年代のステージアと一緒だが、全幅はステージアより広く、荷室フロアも低いため、日産のステーションワゴンの中では最大の収容力を持つ。

前期(WA32型 1997年~1999年)
* 1997年6月2日発表・発売。
セダン同様、全車にVQエンジンが搭載され、グレードに応じて2000cc(VQ20DE)、2500cc(VQ25DE)、3000cc(VQ30DE)3種が設定された。グレード名はセダンの「Excimo(エクシモ)」系、「Initia(イニシア)」、「S-Touring(Sツーリング)」系とは異なり「Crusing(クルージング)」系とされた。全車4ATのみとなり、パーキングブレーキもハンド式のみで足踏み式の設定は一切ない。

グレードは大別すると「クルージング」と「クルージングG」があり、後者は運転席パワーシートやSRS両席サイドエアバッグ[1]、ファインビジョンメーターなどが標準装備であった。また、全車に16インチアルミホイール[2]、専用グリル、カラードドアハンドル、オフブラック内装などを装備した「スポーティーパッケージ」がメーカーオプションで設定されていた。

* 1997年9月 オーテックジャパン扱いのエアロセレクションを発売。フロント・サイド・リヤに専用のエアロパーツを纏っていた。ベースは20クルージングと25クルージング。

* 1998年5月 セフィーロ誕生10周年を記念して「10th ANNIVERSARY」を発売。本革&ウッドのコンビステアリングや専用デザインのアルミホイール、専用デザインのキーなど通常のモデルではオプション設定すらない装備が奢られた。また、このモデルに限ってボディ色はホワイトパールのツートーンも選択可能であった。ベースは20クルージングと25クルージング。

* セダンが後期モデルでリヤナンバー灯が2個から1個に減っているのに対し、ワゴンは2個装着されている。その代わり、セダンではブレーキング時に片側2灯づつ点灯するがワゴンでは片側1灯(下部)しか点灯しない。

* セダン前期で採用されていたドアカーテシランプはコスト削減の一環としてダミーのリフレクターに変更され、ワゴンも同様の設定となっている。

ラインナップ
* 20クルージング(2000cc)
* 25クルージング(2500cc)
* 25クルージングG(2500cc)
* 30クルージングG(3000cc)
ボディーカラーを問わずそれぞれにスポーティーパッケージが用意された。

後期(WA32型 1999年~2000年)
1999年8月 マイナーチェンジ
1998年にフルモデルチェンジしたA33型セフィーロに倣った丸型4灯式ヘッドライトや新意匠のフロントグリル・リヤガーニッシュ&エンブレム、新デザインのアルミホイール&ホイールカバー、グレー塗装のルーフレール、ボディーカラーの入れ替え、新意匠のステアリングやセレクターレバーを採用するなど主としてエクステリアとインテリアの意匠変更に重点が置かれた。

また、ゾーンボディを採用するなど衝突安全性能も向上させた。但し、それと引き換えにSRS両席サイドエアバッグは全車メーカーオプションとなっている。

「スポーティーパッケージ」は引き続き設定され、選択すると前期の内容[7]に加えて木目調センタークラスターパネルがブラックウッド調に変更され、ヘッドライトのインナーハウジングがチタン調に、そしてクリアランスレンズの色がアンバー(橙)となる。

尚、このマイナーチェンジを機に3lエンジン搭載の「30クルージングG」と「25クルージング」、そしてオーテックジャパン扱いの「エアロセレクション」は廃止され、それらと入れ替わりで「20クルージングG」が追加された。

また、ディーラーオプションで台湾仕様のフロントバンパーとフロントグリル、フォグランプ&コーナリングランプで構成される「VIPセレクション」が全車に設定された。

* 2000年9月 ステージアやプリメーラワゴンに統合される形でワゴンを生産終了。

ラインナップ
* 20クルージング(2000cc)
* 20クルージングG(2000cc)
* 25クルージングG(2500cc)
* 20クルージング スポーティーパッケージ(2000cc)・・・メーカーオプション
* 25クルージング スポーティーパッケージ(2000cc)・・・メーカーオプション

CM・キャッチコピー
* 出演者
o 桃井かおり
o 中山美穂(過去に同社のパルサーのCMに出演していた)
o 西村知美

* キャッチコピー
o 「大活躍セフィーロワゴン。」(1997年~1998年)
o 「全車にV6、いい走り。」(1997年~1998年)

* CMソング
o 「カリフォルニアの青い空」/広瀬香美
1999年~2000年はCMなし。

1. SRS両席エアバッグは全車に標準装備。
2. 2Lのみ15インチアルミホイール。但し、後期は2Lでも16インチアルミホイールとなる。
3. セダンにも設定されていたが、ベースが20エクシモだったため内容は全く異なるものだった。
4. センターキャップ以外はインフィニティI30「Limited」と同一デザイン
5. 但し、スポーティーパッケージに設定される16インチはデザイン変更なし。
6. 前期型も「ゾーンボディコンセプト」を採用していたが、自動車事故対策センターの定める最高基準「AAA」を獲得できなかった。そこでそれに対応すべく後期型では衝突安全性能を強化した。
7. 16インチアルミホイール、オフブラック内装、カラードドアハンドル、専用グリル、本皮革ステアリング
8. 「25クルージング スポーティパッケージ」としての継続設定はあった。
セフィーロワゴン用パーツ(インパル432W)の紹介あり

[ 2008/07/01 09:11 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

R'nessa 0'30"

トップページNISSANカテゴリーR'nessa ______CM.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
日産・ルネッサ(R'NESSA)は日産自動車で生産されていたステーションワゴンである。

ルネッサは日産ではマルチ アメニティー ビークル(MAV) と呼んでいた。コンセプトは「人間中心」、キャッチフレーズは「パッケージ ルネッサンス 、車輪の上の自由空間。」であった。車名もルネッサンスに掛けたもの。

もともと米国カリフォルニア州向けの電気自動車である、アルトラEV (Altra EV)の副産物ともいえるクルマで、2800mmにも及ぶ長大なホイールベースや、二重構造の床なども、全て電池の搭載を考慮したものである。

二重底のため室内床面は非常に高く、室内高は不足気味で、やや寝かせた、足を投げ出す着座姿勢とすることで居住空間を捻出している。このため、乗降性は決して良いとはいえない。また、後席には57cmものロングスライドが与えられており、前席とのヒップポイント間寸法は最大で1mを超える。この前後長を生かし、一部グレードの前席は回転対座式となっている。

アルトラEVと、1998年に日本国内で販売されたルネッサEV(EVN30型)では、床下に12個のソニー製リチウムイオン電池を格納する。一回の充電時間は約5時間で、航続距離は10・15モードで230km、充放電サイクルは1000回以上、重量は360kgとなっている。モーターはトヨタ・プリウスが採用した誘導モーターでは無く、ネオジム磁石を用いた62kWの同期モーターとされ、小型で許容回転数を16000rpmと高めることで効率を改善している。充電方法は、北米のインフラに合わせたインダクティブ式を採用している。

販売的には成功しなかったが、SUVのように地上高を高めに設定してあるので、一部のユーザーから人気があった。別冊宝島の某自動車雑誌では、相当な酷評を受けた事でも知られている。

* 1997年10月 - 発売。
o ステーションワゴンとミニバンを両立させたスタイルで、後部座席が前後にスライドできるようになっている。

o 搭載するエンジンは全て直列4気筒DOHC。2.0リッターSR20DE型、2.0リッターターボ付SR20DET型、および2.4リッターKA24DE型。

* 1998年5月 - ルネッサEVを発表。
* 1998年6月 - ルネッサをベースとしたミニバン、プレサージュ(初代)を発表。
* 1999年5月 - ルネッサをベースとするメタノール改質式の燃料電池車の走行試験を開始。
* 2000年1月 - マイナーチェンジ。

o 内外装の意匠変更の他、SR20DE型エンジン搭載モデルのトランスミッションが無段変速機となった。

* 2001年7月 - 販売不振により、生産終了。総販売台数は約37,000台。

CM
* CM出演者は江川卓、内藤剛志、桑名正博の3人。
内藤と桑名は息子、江川は娘を持っているという設定だが、実際の内藤には息子はおらず、娘が一人いる。

[ 2008/07/02 10:07 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

President JG50 1990 0'30"

トップページNISSANカテゴリーPresident JG50 1990 1990 NISSAN PRESIDENT Ad.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
初代モデルは1965年(昭和40年)に発売され、以来3代目モデルまで、主に法人・要人向けの最上級車として、45年間に渡り製造・販売された。2010年(平成22年)8月を以って生産停止となった

主に法人向け・ハイヤー向けの大型乗用車であり、日産自動車のフラッグシップモデルである。主に日本国内における公用車や社用車などとしての使用が想定されており、トヨタ自動車の「センチュリー」が競合モデルとなっていた。 専用のボディと機構を持っていた初代モデルに対して、1990年(平成2年)に発売された2代目モデルは、『インフィニティQ45』、2003年(平成15年)に発売された3代目モデルは、『日産・シーマ / インフィニティQ45』の、それぞれ派生モデルとなっていた。3代目モデルが最新の安全基準を満たさなくなったことを機に、2010年(平成22年)8月をもって生産を終了した

2代目(1990年-2002年)
1989年(平成元年)10月
JG50型プレジデントを東京モーターショーに出展。
1990年(平成2年)10月
JG50型にフルモデルチェンジ。JG50型から生産工場が日産の栃木工場へ移管。グレードは発売当初は油圧アクティブサスペンションを装着したベースグレードのみが用意されるモノグレード。前年の1989年11月に登場した「インフィニティQ45(G50型)」をベースに、ホイールベースを延長、ラジエータグリルを持つ専用フロントマスクとされ、インフィニティQ45の上級車種として設定。搭載エンジンはVH45DE型V型8気筒DOHC4494cc。インフィニティQ45と同エンジンであるが、法人向けとしての性格上、特性が変更されている。海外輸出は、香港・タイ・マレーシア・シンガポール・インドネシアへ向けられ、グレードは何れも「ソブリン」であった。香港地域における中文は「日産首領」である。

1992年(平成4年)2月
グレード追加。新たに油圧アクティブサスペンションのV仕様、マルチリンクサスペンションのD仕様が用意された。さらに、公用・社用車ではなく個人購買層を意識し、インフィニティQ45と同じホイールベースを持つ「プレジデントJS(PG50型)」が登場。

1993年(平成5年)
オーテックジャパンの手による「ロイヤルリムジン」が追加。生産は高田工業が受託していた。

1993年(平成5年)4月
左側後部座席用のエアバッグ装着車を設定。これは助手席の背面にエアバッグシステムを装着し、後部座席の搭乗者を助けるというもの。その為、助手席シートはスライド量が少なくなり、リクライニング機能もなくなる。同時に助手席エアバッグもオプション設定されたが、後席エアバッグとの同時装着はできなかった。

1994年(平成6年)5月
マイナーチェンジ。外観ではフォグライトやメッキモールの採用、フロントグリルやリヤコンビネーションランプの意匠変更が主な変更。また、内装では新たに木目調パネルが採用された。250型に設定されていた最高級グレード「ソブリン」が復活。V仕様は廃止され、D仕様はタイプDに名称変更された。

1998年(平成10年)12月
マイナーチェンジ。各メッキパーツの手直しが行われ、キセノンヘッドランプが装備された。ナビゲーションシステムも刷新され、コンパスリンク対応のマルチAVシステムとなった。(オプション設定)また、後席エアバッグが廃止され、代わりにY33型シーマにも採用されていた後席サイドエアバッグを全車標準装備とした。

2002年(平成14年)12月
JG50型生産終了。1年弱の間、一度絶版となる。

英語で「大統領」「総裁」「頭取」「社長」の意。

トヨタ・センチュリー同様日本国内専用車として販売してきたが、2代目以降より日本の近隣諸国への輸出が目立つようになる。香港・タイ・マレーシア・シンガポール等、左側通行/右ハンドル方式を採用している国への販売もある。オセアニアへの輸出もあるが、日本からの中古という名目である。

[ 2008/07/05 00:22 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Silvia S15 CM 0'30"

トップページNISSANカテゴリーSilvia S15 CM NISSAN_SILVIA_S15_CM.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
日産・シルビア (SILVIA) は、日産自動車で生産されていた2ドアノッチバックタイプのクーペ型自動車(3代目、4代目にはハッチバックが存在する)。

名前の由来はギリシャ神話に登場する清楚な乙女の名前から。その語源はラテン語で「森」を意味する。

レーサーや走り屋に人気が高く、車両盗難に遭いやすい。任意自動車保険の保険料率が国産車では一番高い車種の一つである(2008年現在)。

7代目 S15型(1999年-2002年)
1999年1月、発売。キャッチコピーは、「ドライブしよう」(spec.S、spec.R)、「Open Your World」(ヴァリエッタ)。

最大のトピックは、S14型で拡大し不評だったボディサイズを再び5ナンバー枠に戻したことである。また、グレードはS14型までの「J's、Q's、K's」から、「spec.S、spec.R」とした。

エンジンはさらに改良され、spec.SのMT車用SR20DE型が165ps、spec.RのSR20DET型は250psとなった(AT車では、それぞれ160ps、225ps)。

また、ターボモデルであるスペックRにはトヨタ系列部品会社のアイシン精機が製造した6速MTが装備され(このアイシン製ミッションはチューニングを施すと破損してミッションが入らなくなるトラブルが多発した)、更にターボチャージャーにはS14型から引き続きボールベアリングタービンが採用され、レスポンスアップを図りつつ、低速回転からもストレスなく回る仕上がりになっている(ただし、生産終了間際のモデルにおいてはボールベアリングではなくフローティングメタルが採用されている)。

スタイルも洗練された物となり、ブースト計または油圧計が右Aピラーに配置されたり、運転席中央部にホップアップ式5.8インチ液晶モニターをオプションで採用する。スタイル、機能共に好評で、S14型の不評を払拭し人気を回復した。

販売は日産レッドステージで行われた。また、S15型登場に合わせて、S14型の販売不振により思わぬ長寿モデルとなった180SXが生産終了・モデル廃止された。

1999年10月、オーテックジャパンが開発を手がけた「オーテックバージョン」を追加。spec.Sをベースとして各部にファインチューニングを行い、自然吸気エンジンのNVCS付きSR20DE型専用エンジンは、圧縮比アップによる燃焼効率の向上や背圧低減による高回転域の排気効率向上、狙いのトルク特性を引き出すためバルブタイミング、リフト量のチューニング等、内部を見直す一方、藤壺技研工業製の専用エキゾーストマニホールドを採用し、最高出力200ps、最大トルク21.8kgmを発生した。ボディ補強、前後ブレーキ、6速MT、リヤヘリカル LSDなどはspec.Rと共通である。外観上はボディサイドエンブレム程度の相違しかなく、内装も専用シルバーメーター、赤ステッチ入りの専用フロントシート・ドアトリム生地など、大変控えめなものであった。

2000年5月、国産初のフルオープンタイプ電動メタルルーフのオープンカー(クーペカブリオレ)の「ヴァリエッタ」を発表。同年7月に発売開始した。1999年の第33回東京モーターショーに出品された、オーテックジャパンと高田工業の共同開発車である。搭載エンジンはSR20DE型のみで、詳細はspec.Sに順ずる。フロントシートに帝人および田中貴金属工業と共同開発した、モルフォチョウの鱗粉の発色原理を応用する繊維「モルフォテックス」を織り込んだ布地「モルフォトーンクロス」(帝人および川島織物の共同開発)を採用した。

2000年10月 オーテックジャパンにより内外装に手を加えた「style-A」を追加。ちなみに、2000年には光岡自動車がS15型をベースに、2代目ラ・セードを発表している。

2002年1月24日に最終特別限定車「Vパッケージ」を発売開始。専用フロントシート・ドアトリム生地、MD・CD一体型電子チューナーラジオ、プライバシーガラス、キセノンヘッドランプなどを標準装備しつつ、価格を従来車から据え置いた。

2002年8月、生産終了。

S15型は、先代のS14型までのように欧州向けや北米向けには輸出されず、オーストラリアとニュージーランド向けが少数輸出された。

JGTC・GT300クラスへの参戦
S15型は全日本GT選手権 (JGTC) のGT300クラスにデビュー直後から参戦した。2001年シーズン、大八木信行/青木孝行組のダイシン・シルビアがチーム及びドライバーズタイトルを獲得している。また、2004年シーズンからは日産のGT300クラスの主力の座をZ33型フェアレディZに譲り、翌年第一戦から退いた。

主な戦歴
2001年 JGTC GT300クラスに参戦。チーム・ダイシン・シルビアがチーム及びドライバーズタイトル獲得

全日本ラリー選手権・2輪駆動部門への参戦

2001年、2002年には全日本ラリー選手権2WD部門に参戦した。チームはNRSで、連続で年間ドライバーズタイトルを獲得している。

ドリフトブームの影響もあり、いわゆる走り屋層にはヒットとなった。S13型、S14同様、ドリフト仕様の通称・ドリ車の代名詞としても有名になり、全日本プロドリフト選手権(通称・D1)でも人気車種の一つに挙がっている。

新デザインのピラーメーターは視認性こそ良かったものの、ブースト1.0Kg/cm以降針が動かないため、インタークーラーやアクチュエーターのトラブルで予期しないブーストが掛かってしまっても気付かず、タービンやエンジンをブローさせるというトラブルも相次いだ。結局、安全のためには社外品のブーストメーターを取り付けるしかなく、ブースト計が2つ装着されている車両も多い。

アメリカで人気のV8エンジンスワップ
アメリカではSR20DETではなく、S13~S14共に(S15は個人の場合を除き正規輸出されていない)、自然吸気2.4リッターKA24DEエンジンを搭載していたため、パワー不足が問題となった。SR20DETやRB26DETTをスワップするのはよくあることだが、中でもシボレー・コルベットのV8エンジンスワップが人気を高めている。5.7リッターV8はハイパワー、ハイトルクであるために、まったく別物の走りをする。ヒンソン・スーパーカーズ (Hinson Supercars)社のキットが一番人気がありコルベットのLSシリーズなら比較的簡単に搭載出来る。ただし7.0リッターV8であるLS7はドライサンプである為に多少手間を要する。KA24DEからコルベットV8のスワップすると、フロントが浮き気味になるので、車高を下げる必要がある。これはコルベットの軽量アルミエンジンを搭載したことによってフロントの重量が、個体差はあるが約130ポンド(59キロ)から150ポンド(68キロ)軽くなってしまうからである。意外ではあるが燃費は良く、SR20DETスワップされた車両よりも良いという声もある。もともと排気量の割に燃費の良いコルベットのアルミエンジンだが、一番の理由は高速走行のとき、回転数が低いことにあると言われている。

[ 2008/09/09 20:15 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Art Force Silvia (S13) CM 0'30"

トップページNISSANカテゴリーArt Force Silvia (S13) CM NISSAN_ART_FORCE__SILVIA_CM.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
日産・シルビア (SILVIA) は、日産自動車で生産されていた2ドアノッチバックタイプのクーペ型自動車(3代目、4代目にはハッチバックが存在する)。

名前の由来はギリシャ神話に登場する清楚な乙女の名前から。その語源はラテン語で「森」を意味する。

レーサーや走り屋に人気が高く、車両盗難に遭いやすい。任意自動車保険の保険料率が国産車では一番高い車種の一つである(2008年現在)。

5代目 S13型(1988年-1993年)
1988年5月、発売。歴代シルビアの中で最も販売台数が多い。このモデルで当時大人気だったホンダ・プレリュードの牙城を崩し、若者を中心に爆発的に売れた。当時としては未来的なデザインで、CMでも「アートフォース・シルビア(ART FORCE SILVIA)」と語っていた。足回りには新開発のリアマルチリンクサスペンションが採用された。CMソングは前期型にはプロコル・ハルムの「青い影」、後期型にはクライズラー&カンパニーの「動物の謝肉祭・水族館」が起用された。

日産はこのモデルをデートカーとして位置づけていたが、当時すでに少なくなっていたミドルクラスの後輪駆動車であり、ターボエンジン搭載グレードなどのスポーツ走行も可能な設計であったため、メーカー側の予想に反してスポーツ走行用の様々な改造パーツが開発された。現在でもサーキットや峠などで走るための車として使用されることも多い。これはS13型だけに限った話ではなく、その後のモデルであるS14型やS15型にも受け継がれた。

デビュー当初は1800ccエンジンのみで、自然吸気エンジンのCA18DE型(135ps)とターボのCA18DET型(175ps)が搭載されていたが、1991年のマイナーチェンジで2000ccのSR20DE型(140ps)とSR20DET型(205ps)に変更された。グレードは、J's、Q's、K'sの3種で、トランプを意識した構成になっていた。 オプション装備では、プロジェクターヘッドランプ、四輪操舵装置のHICAS IIや、HUDであるフロントウインドウディスプレイなどが用意され、未来的なイメージを後押しした。

1988年7月、オーテックジャパン製の「コンバーチブル」を追加発売。K'sを改造したものであり、製造はオープン構造の車の生産を得意とする高田工業に委託されていた。

1988年10月、昭和63年度の通産省選定グッドデザイン大賞を受賞。

1988年12月、'88~89年日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞。

1989年4月、姉妹車の180SX(RS13型)が発売。リトラクタブルライトを採用したS13型の北米輸出仕様車240SXハッチバックボディの日本仕様車であり、車名の「180」は排気量の1800ccにちなんでいる。エンジンはシルビアと異なり、ターボモデルのCA18DET 型のみ設定していた。この180SXはS13型同様に人気が高く、S13シルビアの販売終了後もS14型と共に販売が続けられた。

1990年2月、「ダイヤセレクション」シリーズを追加発売。Q's、K'sをベースにそれまでの販売実績から人気の高いオプションを標準化しながら価格上昇を最小限に抑えたお買い得仕様。内容はオートエアコン、アルミホイール、CDプレーヤー(ソニー製)、アーム式シートベルトガイド、電動格納式ドアミラー、プロジェクターヘッドランプ、リアスポイラー、スーパーファインコーティング(フッ素樹脂塗装)、専用エンブレム(銀地にQ'sあるいはK'sと書かれ左右にトランプのダイヤのマークが入る)、アクセントモール。尚、ダイヤセレクション専用オプションとしてレザーバージョン(本革シート、ステアリング、シフトノブのセット)が設定される。同時にQ'sに従来設定の無かったビスカスLSDのオプションが設定される。

  1991年1月、マイナーチェンジ。1800ccのCA18DE/CA18DET型から、2000ccのSR20DE型(140ps)とSR20DET型(205ps)に変更された。姉妹車の180SXも同時期にSRエンジンに変更されたが、名称は180SXのままであった。そのほか、4輪操舵のHICAS IIがSUPER HICAS に変更され、タイヤサイズが195/60-15から205/60-15にサイズアップされた。他にはトランクリッドのキーホールカバーとリヤスポイラーは飛行機の翼をモチーフにした新タイプでストップランプがLED球を採用したものに形状変更、サイドドアビームの追加、プロジェクターヘッドランプが4連からフォグランプも含めた6連に変更される、アルミホイールの形状変更、トランク裏にトリム(内装)が追加されるなどの細かい点も変更が行われている。内装はシートの形状が変更され、リア3点式シートベルトが採用され、ワイパーの間欠時間調整が追加(Q's系、K's系)、ファッションキー(キーヘッドが丸で中に「SILVIA」のロゴが入る)の採用、前期型で多かった女性ユーザーからの要望により従来の助手席側に加え、運転席側にもバニティミラーが追加(Q's、K's系)された。ダイヤセレクションは廃止されたが、メーカーオプションとしてCDデッキと、専用エンブレムを省いた仕様が「ダイヤパッケージ」として設定される。また、内装のオプションとして「レザーセレクション」(本革シート、ステアリング、シフトノブ専用内装地。スーパーハイキャスとセットオプション)とアートテリアセレクション(大理石模様のスウェード調生地のシート、内装地)を追加している。マイナーチェンジ前の型式がS13型、マイナーチェンジ後はPS13型となっているが、通称としてどちらも「S13」と呼ばれることが多い。

1992年1月、「クラブセレクション」と「Q'sSC」追加発売。クラブセレクションは先のダイヤセレクションと同等の仕様。相違点はCDデッキがソニー製からクラリオン製に変更、アルミホイールが標準車と違いシルバーポリッシュ(光輝仕様)タイプとなる、専用の銀地の楕円型グレードエンブレムの文字色が濃赤になり、左上にトランプのクラブのマークと下に「club」のロゴが入る点。「Q'sSC」はQ'sにオートエアコンとシルバーポリッシュのアルミホイールを装備しながら価格上昇を抑えた質実剛健型グレード。尚、SCとは「スペシャルカード」の意である。

同時に一部仕様変更が行われ、シートベルト警報&警告灯の装備。これはエンジン始動時にメーター内の警告灯が点滅し、同時に運転席ベルト未装着の場合は警報がいずれも8秒間作動する仕組みになっていた。これに伴いメーターの変更が行われ、オートエアコンのデジタル化も行われた。

1992年5月、「Q's2」(Q's スクエア)限定発売。同時期の日産主力車種と同様、オール日産4000万台達成を記念した期間限定車。ベースはQ'sSCで、ランバーサポート付きの運転席や専用ヨーロピアンインテリア、リアスポイラーなどを追加装備したもの。ボディカラーは1月に追加されたパールホワイトと既存のスーパレッド、スーパーブラックの3色。

1992年12月、「オールマイティ」追加発売。モデル末期に入り、廉価なお買い得版による販売力強化を図った仕様。ベースはJ'sで、マニュアルエアコン、アルミホイール、パワーウインドー、カセットデッキ付きチューナー&4スピーカー、電動格納式カラードドアミラー等J'sには標準では未装備の快適装備を追加した仕様、またこのモデルのみベロア調ニットを使った専用シート地(縫い目の位置が見える位置に変更されコスト削減のテスト的意味合いが強い)が装備される。尚、この内装は180SXの中期型の黒ヘッド仕様にも用いられる。専用エンブレムも装備されるが、楕円ではなく長方形で銀地に黒で「A」マークとトランプのスペードのマークが入った仕様となる。

これに伴いベースとなったJ'sと年頭に追加されたQ'sSCが廃止される。

モデル末期には、そのころ発足したばかりの全日本GT選手権のGT2クラス(後のGT300クラス)に参戦し、クラスチャンピオンを獲得している。

1993年、生産終了。

輸出仕様車とバリエーション
輸出仕様車として、北米仕様の日産系トラック用の2400ccエンジン(前期型はKA24E、後期型はKA24DE)を搭載した240SXと、欧州仕様の200SX(搭載エンジンは日本仕様と同様、初期型が1800ccのCA18DE/CA18DET型、後期型が2000ccのSR20DE/SR20DET型)とが存在する。北米仕様の240SXは、現地のヘッドライト位置の法規に対応するため、フロントのデザインに180SXと同様のリトラクタブルライトを採用している(なお、日本でもS13型シルビアのフロントを180SXのものに換装した改造車、通称・エイシル・ワンビアが少数ながら存在する)。

バリエーションとしては上記の姉妹車180SXのほか、光岡自動車がS13型シルビアをベースにクラシックカーのようなボディを換装した初代ラ・セードを発表している。また、180SXがベースではあるが、フロントパネル一式をユーザーの手によってS13型のものに換装した(後に一部の日産系ディーラーで正式に販売された)通称シルエイティが存在する。

ワンメイクレース・GTI(JGTC以前のカテゴリー)への参戦『デートカー』などの軟派なイメージが先行されたS13型も、軽量化のため内装を全て剥ぎ、ロールゲージを張り巡らされ、外装ノーマルでエアロパーツが一切不可、さらにはSR20DEのメカチューンを搭載したスパルタンな車両が、若手レーサーの激戦区でもあったワンメイクレースにて活躍。また、1993年に国際級レースに、NISMOよりグループA仕様のGT-RベースにしたカルソニックGT-Rと共にシルビアワンメイクレースのN2仕様のスーパーシルビアに大型エアロパーツを装着、モディファイした車両が参戦している。

S13型の弱点としては、左側のメインフレームが何故か途中で切れているため、その部分に補強する必要がある(実際、補強用パーツ等が複数存在する)。

また、マイナーチェンジ後に搭載されたSR20DET型エンジンは極端に燃料系のキャパシティが少ないため、ブーストアップ程度でも強化燃料ポンプへの交換とインジェクターに交換する必要がある。また、横からの重力が強く掛かる運転を続けていると燃料タンク内の仕切り板が外れ、燃料を吸えなくなりエンジンブローするなど、サーキット走行やドリフト走行では注意や対策が必要といわれている。

[ 2008/09/10 20:46 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Silvia ad (S14) 0'30"

トップページNISSANカテゴリーNissan Silvia ad (S14) nissan_silvia_ad_2
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
日産・シルビア (SILVIA) は、日産自動車で生産されていた2ドアノッチバックタイプのクーペ型自動車(3代目、4代目にはハッチバックが存在する)。

名前の由来はギリシャ神話に登場する清楚な乙女の名前から。その語源はラテン語で「森」を意味する。

レーサーや走り屋に人気が高く、車両盗難に遭いやすい。任意自動車保険の保険料率が国産車では一番高い車種の一つである(2008年現在)。

6代目 S14型(1993年-1998年)
1993年10月、発売。ボディサイズを大きくして3ナンバーボディとなった事や、この年の前後に発売された一連の日産車(C34型ローレル、W30型ラルゴ、R33型スカイライン、B14型サニーなど)に共通して外観デザインが不評であった事、4ドアスペシャリティー車の台頭により人気が低下し、販売面で苦戦したモデルである。

販売テコ入れのため、1996年にビッグマイナーチェンジを敢行。主にフロント周りのデザインを一新したが、前期型と同様S13型と比べて肥大化し、不評だったボディサイズはいかんともしがたく、大幅な人気回復には至らなかった。

現在では珍しくなったターボエンジンを搭載したマニュアルミッション設定のあるFRクーペモデルであること、登場から10年以上経過していることにより中古車価格も下がっていることなどの理由から、いわゆる走り屋層には人気があり、一部の愛好家には未だに支持されている。

エンジンは自然吸気、ターボ共に改良され、SR20DE型は160ps、SR20DET型は220psにパワーアップした。先代のノンターボはレギュラーガソリン仕様だったが、ハイオク仕様に変更された。

走り屋などからは前期型を「たれ目」、後期型を「吊り目」と区別されている。シャープな印象の後期型の人気が総じて高いが、前期型の柔和なスタイルを好むものもいる。中古車価格は後期型が年式の割りにかなり高値をつけられている。

デビュー当時のキャッチコピーは「アイ・ハント・シルビア(eye hunt SILVIA)」。CMソングはティアーズ・フォー・フィアーズの「シーズ・オブ・ラヴ」が起用された。

マイナーチェンジ後のキャッチコピーは「Ready Go FR」。CMには宝生舞が出演している。CMソングはザ・ハイロウズの「相談天国」と「Happy Go lucky」が起用された。

1994年2月、「Q'sエアロスポーツ」限定発売。Q'sの5速MT車にエアロフォルムバンパー、スポーツグリル、ナバーン製リアスポイラー、ビスカスLSD、16 インチアルミホイール、スポーツチューンドサスペンション等を装備したものでボディカラーはスーパーブラックのみの設定で1500台限定。

1995年5 月、一部改良、「エアロ」シリーズと「Q'sクラブセレクションを」追加発売。一部改良により運転席エアバッグを全車標準化した他、グリルを変更し、従来フロントグリルとリアフェンダー上のグレードエンブレム下にあった「Silvia」エンブレムが廃止され、トランク上にあったエンブレムの位置もセンターから左端に移動された。Q's、K'sにはエアロフォルムバンパーやナバーン製リアスポイラー、アルミホイール、ホワイトメーター、革巻きステアリング&シフトノブ等を装備したエアロシリーズが追加される。またQ'sをベースにエアロフォルムバンパーや15インチホイール(鉄製)を装備した Q'sクラブセレクションを追加。

1996年6月、後期型へマイナーチェンジ。曲線の多かった前期型から、ヘッドライトを角ばった、いわゆる「ツリ目」の形状にするなど、主にフロント周りのデザインを一新し、全体的にシャープなデザインの外観に変更した。

1997年10月、「オーテックバージョン K's MF-T」が追加。オーテックジャパンによって各部をファインチューニングされており、特にエンジンはチューニングされたSR20DET型に石川島播磨重工業製の専用ターボチャージャーを組み合わせ、藤壺技研工業製の専用エキゾーストシステムと相まって、最高出力250ps/6,400rpm、最大トルク28.0kgm/4,800rpmを発生した。外観上の特徴は、大型リアスポイラー、専用フロントバンパー、アローエンタープライズ製の16インチアルミホイール。205/50R16・90VのブリヂストンポテンザRE710Kaiを履き、専用スポーツサスペンションを装着していた。内装はホワイトメーター、 電圧・油圧・ブーストの3連ホワイトメーター、MOMO社製SRSエアバック付きスポーツステアリング、本革巻シフトノブ、専用シート地、専用ドアトリムクロスが装着されていた。

1998年 生産終了。

輸出仕様車
輸出仕様車としてS13型と同様、欧州仕様車と北米仕様車が存在した。欧州仕様は、日本仕様と同様のSR20DE/SR20DET型エンジンを搭載したモデルが新型200SXとして販売された。北米仕様車は、1996年にS14型の240SXへとモデルチェンジした。エンジンは引き続きKA24DE型(155ps)が搭載された。

S14型は、全日本GT選手権 (JGTC) のGT300クラスに、前期型と後期型が共に参戦した。1997年シーズン、織戸学/福山英朗組の駆る後期型フェイスのRS・Rシルビアがチームタイトルを獲得した。

S14型には、前期型をベースにNISMOがチューニングを行った「NISMO 270R」というコンプリートカーが存在した。ボディカラーはスーパーブラック(#KH3)のみ。開発にはレーシングドライバーの木下隆之が関与した。車名はNISMOの手でファインチューニングされたSR20DET型エンジンの最高出力である270馬力にちなんでいる。

ターボの潜在ポテンシャルはS13型に比べて上がったものの、過給圧をノーマルの設定から上げると、そのような改造を想定していない為か、S13型と同様に燃料系が弱く、燃料系パーツの強化を行わないと簡単にエンジンブローする。ただし、S13型と比べてボディ剛性と燃料タンクの問題は解消されている。

[ 2008/09/11 21:04 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Silvia ad (S14 後期) 0'15"

トップページNISSANカテゴリーSilvia ad (S14 後期) _______S14.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
日産・シルビア (SILVIA) は、日産自動車で生産されていた2ドアノッチバックタイプのクーペ型自動車(3代目、4代目にはハッチバックが存在する)。

名前の由来はギリシャ神話に登場する清楚な乙女の名前から。その語源はラテン語で「森」を意味する。

レーサーや走り屋に人気が高く、車両盗難に遭いやすい。任意自動車保険の保険料率が国産車では一番高い車種の一つである(2008年現在)。

6代目 S14型(1993年-1998年)
1993年10月、発売。ボディサイズを大きくして3ナンバーボディとなった事や、この年の前後に発売された一連の日産車(C34型ローレル、W30型ラルゴ、R33型スカイライン、B14型サニーなど)に共通して外観デザインが不評であった事、4ドアスペシャリティー車の台頭により人気が低下し、販売面で苦戦したモデルである。

販売テコ入れのため、1996年にビッグマイナーチェンジを敢行。主にフロント周りのデザインを一新したが、前期型と同様S13型と比べて肥大化し、不評だったボディサイズはいかんともしがたく、大幅な人気回復には至らなかった。

現在では珍しくなったターボエンジンを搭載したマニュアルミッション設定のあるFRクーペモデルであること、登場から10年以上経過していることにより中古車価格も下がっていることなどの理由から、いわゆる走り屋層には人気があり、一部の愛好家には未だに支持されている。

エンジンは自然吸気、ターボ共に改良され、SR20DE型は160ps、SR20DET型は220psにパワーアップした。先代のノンターボはレギュラーガソリン仕様だったが、ハイオク仕様に変更された。

走り屋などからは前期型を「たれ目」、後期型を「吊り目」と区別されている。シャープな印象の後期型の人気が総じて高いが、前期型の柔和なスタイルを好むものもいる。中古車価格は後期型が年式の割りにかなり高値をつけられている。

デビュー当時のキャッチコピーは「アイ・ハント・シルビア(eye hunt SILVIA)」。CMソングはティアーズ・フォー・フィアーズの「シーズ・オブ・ラヴ」が起用された。

マイナーチェンジ後のキャッチコピーは「Ready Go FR」。CMには宝生舞が出演している。CMソングはザ・ハイロウズの「相談天国」と「Happy Go lucky」が起用された。

1994年2 月、「Q'sエアロスポーツ」限定発売。Q'sの5速MT車にエアロフォルムバンパー、スポーツグリル、ナバーン製リアスポイラー、ビスカスLSD、16 インチアルミホイール、スポーツチューンドサスペンション等を装備したものでボディカラーはスーパーブラックのみの設定で1500台限定。

1995年5 月、一部改良、「エアロ」シリーズと「Q'sクラブセレクションを」追加発売。一部改良により運転席エアバッグを全車標準化した他、グリルを変更し、従来フロントグリルとリアフェンダー上のグレードエンブレム下にあった「Silvia」エンブレムが廃止され、トランク上にあったエンブレムの位置もセンターから左端に移動された。Q's、K'sにはエアロフォルムバンパーやナバーン製リアスポイラー、アルミホイール、ホワイトメーター、革巻きステアリング&シフトノブ等を装備したエアロシリーズが追加される。またQ'sをベースにエアロフォルムバンパーや15インチホイール(鉄製)を装備した Q'sクラブセレクションを追加。

1996年6月、後期型へマイナーチェンジ。曲線の多かった前期型から、ヘッドライトを角ばった、いわゆる「ツリ目」の形状にするなど、主にフロント周りのデザインを一新し、全体的にシャープなデザインの外観に変更した。

1997年10月、「オーテックバージョン K's MF-T」が追加。オーテックジャパンによって各部をファインチューニングされており、特にエンジンはチューニングされたSR20DET型に石川島播磨重工業製の専用ターボチャージャーを組み合わせ、藤壺技研工業製の専用エキゾーストシステムと相まって、最高出力250ps/6,400rpm、最大トルク28.0kgm/4,800rpmを発生した。外観上の特徴は、大型リアスポイラー、専用フロントバンパー、アローエンタープライズ製の16インチアルミホイール。205/50R16・90VのブリヂストンポテンザRE710Kaiを履き、専用スポーツサスペンションを装着していた。内装はホワイトメーター、 電圧・油圧・ブーストの3連ホワイトメーター、MOMO社製SRSエアバック付きスポーツステアリング、本革巻シフトノブ、専用シート地、専用ドアトリムクロスが装着されていた。

1998年 生産終了。

輸出仕様車
輸出仕様車としてS13型と同様、欧州仕様車と北米仕様車が存在した。欧州仕様は、日本仕様と同様のSR20DE/SR20DET型エンジンを搭載したモデルが新型200SXとして販売された。北米仕様車は、1996年にS14型の240SXへとモデルチェンジした。エンジンは引き続きKA24DE型(155ps)が搭載された。

S14型は、全日本GT選手権 (JGTC) のGT300クラスに、前期型と後期型が共に参戦した。1997年シーズン、織戸学/福山英朗組の駆る後期型フェイスのRS・Rシルビアがチームタイトルを獲得した。

S14型には、前期型をベースにNISMOがチューニングを行った「NISMO 270R」というコンプリートカーが存在した。ボディカラーはスーパーブラック(#KH3)のみ。開発にはレーシングドライバーの木下隆之が関与した。車名はNISMOの手でファインチューニングされたSR20DET型エンジンの最高出力である270馬力にちなんでいる。

ターボの潜在ポテンシャルはS13型に比べて上がったものの、過給圧をノーマルの設定から上げると、そのような改造を想定していない為か、S13型と同様に燃料系が弱く、燃料系パーツの強化を行わないと簡単にエンジンブローする。ただし、S13型と比べてボディ剛性と燃料タンクの問題は解消されている。

[ 2008/09/12 21:20 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Fairlady Z 1985 0'30"

トップページNISSANカテゴリーNissan Fairlady Z 1985 1985_NISSAN_FAIRLADY_Z_Ad.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
フェアレディZ(FAIRLADY Z / フェアレディ・ゼット)は、日産自動車が製造するスポーツタイプの乗用車。通称「Z(ゼット)」。北米市場では「NISSAN 350Z」として販売されている。アメリカ合衆国での通称は「Z-car(ズィーカー)」など。

3代目 Z31型(1983-1989年)
1983年、ロングノーズ・ショートデッキというZのコンセプトを引き継ぎながら、空力性能を重視して、エクステリアをシェイプアップした3代目が登場。

エンジンは直列6気筒のL型から新世代V型6気筒エンジンであるSOHCターボのVG20ET(2L)とVG30ET(3L)になり、全グレードにV6エンジンを搭載した(後に再度直列6気筒モデルが設定される)。中でもVG30ETは当時としては大パワーを誇り、トヨタ・スープラに搭載される7M-GTEUが出るまではトップクラスの出力を誇り、空力に優れた欧州向けモデルでは、最高速度が250km/hに届いた。

外観では、別体のパッシングランプを省略するため、消灯時にもレンズの一部が露出する「パラレルライズアップ」ヘッドランプの採用が特徴となった。通常の軸回転式リトラクタブル・ヘッドランプとは異なり、ランプが上下に平行移動する構造をもったものである。因みにこの当時の米国ではヘッドランプに連邦自動車安全基準に準じない異形レンズの使用を認めておらず、北米輸出仕様では連邦自動車安全基準規格の角型ヘッドランプにドライビングランプを組み合わせた状態で対応した。

モデル発表時のCMは、トンプソン・ツインズの"Love On Your Side"に乗せて、宙に浮いたVGエンジンの隊列と共に300ZXが登場し、長きに渡った直6L型時代から新世代V型エンジンへの転換を印象付るものであった。

1985年、日産自動車創立50周年を記念した「アニバーサリー」を発売。デジタルメーターやブラックの本革内装、リアオーバーフェンダー、専用アロイホイール、左カウルの記念オーナメントなどを特徴とする。

日本国内では、久々の直列6気筒エンジンとなる、DOHCセラミックターボRB20DETを搭載したモデルが追加設定された。このエンジンはもともとR31型系 スカイライン用として開発されたもので、インタークーラーが上置き形に変更されたため、ボンネット中央に設けられた大型エアスクープが外観上の特徴となった。ノーマルルーフの「200ZR-I」とTバールーフの「200ZR-II」の2種類があった。

1986年、日産の北米でのデザイン拠点である日産デザインインターナショナル(NDI)が提案したエクステリアデザインを採用し、3Lモデルはキャビン部(含むリアゲート)と左右ドア以外のパネルを全て意匠変更するという大幅なマイナーチェンジを施される。北米輸出仕様と同様のワイドフレアーフェンダーの3ナンバー専用ボディを与えられた。2.0 Lモデルについては前後のスキンチェンジのみでフロントとリアフェンダーは変わっていない。

エンジンは2.0LモデルのVG20ETが廃止されRB20DETのみとなり、3.0Lモデルは前期型からVG30ETを継続する「300ZX」に加え、VG30型のヘッドをDOHC化した新開発のVG30DEとゲトラク社製5速MTが組み合わされた「300ZR」が追加された。この「ZR」は締め上げられた足回りと、Z31型系で唯一の自然吸気エンジンなどから、古典的でスパルタンな味わいを持つマニアックなモデルとなった。なお、このマイナーチェンジで、日本仕様の「300ZX」はAT専用となった。

1985年、3代目(Z31)が全日本ラリー選手権年間総合優勝。ドライバーは神岡政夫。

1972年にS30型(240ZG)のパトカーを日産自動車が神奈川県警察高速道路交通警察隊に寄贈した。当時は“最強のパトカー”とも言われ、1980年まで活躍した。その後S130型、Z31型、Z32型、Z33型と代替わりしていった。

車名の由来
「FAIRLADY」は貴婦人、アルファベットの最後の文字である「Z」は究極を意味する。また、初代開発スタッフに、当時のアメリカ日産の社長片山豊がZ旗を贈ったエピソードもある。ブロードウェイミュージカルの『マイ・フェア・レディ』に感銘を受けた川又社長が、クルマにも洗練されてゆく美しさを求めた名前といわれる。

[ 2008/09/13 23:45 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Fairlady Z T-BarRoof 1984 Ad 0'30"

トップページNISSANカテゴリーFairlady Z 1985 1984_NISSAN_FAIRLADY_Z__T-BAR_ROOF_Ad.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
フェアレディZ(FAIRLADY Z / フェアレディ・ゼット)は、日産自動車が製造するスポーツタイプの乗用車。通称「Z(ゼット)」。北米市場では「NISSAN 350Z」として販売されている。アメリカ合衆国での通称は「Z-car(ズィーカー)」など。

3代目 Z31型(1983-1989年)
1983年、ロングノーズ・ショートデッキというZのコンセプトを引き継ぎながら、空力性能を重視して、エクステリアをシェイプアップした3代目が登場。

エンジンは直列6気筒のL型から新世代V型6気筒エンジンであるSOHCターボのVG20ET(2L)とVG30ET(3L)になり、全グレードにV6エンジンを搭載した(後に再度直列6気筒モデルが設定される)。中でもVG30ETは当時としては大パワーを誇り、トヨタ・スープラに搭載される7M-GTEUが出るまではトップクラスの出力を誇り、空力に優れた欧州向けモデルでは、最高速度が250km/hに届いた。

外観では、別体のパッシングランプを省略するため、消灯時にもレンズの一部が露出する「パラレルライズアップ」ヘッドランプの採用が特徴となった。通常の軸回転式リトラクタブル・ヘッドランプとは異なり、ランプが上下に平行移動する構造をもったものである。因みにこの当時の米国ではヘッドランプに連邦自動車安全基準に準じない異形レンズの使用を認めておらず、北米輸出仕様では連邦自動車安全基準規格の角型ヘッドランプにドライビングランプを組み合わせた状態で対応した。

モデル発表時のCMは、トンプソン・ツインズの"Love On Your Side"に乗せて、宙に浮いたVGエンジンの隊列と共に300ZXが登場し、長きに渡った直6L型時代から新世代V型エンジンへの転換を印象付るものであった。

1985年、日産自動車創立50周年を記念した「アニバーサリー」を発売。デジタルメーターやブラックの本革内装、リアオーバーフェンダー、専用アロイホイール、左カウルの記念オーナメントなどを特徴とする。

日本国内では、久々の直列6気筒エンジンとなる、DOHCセラミックターボRB20DETを搭載したモデルが追加設定された。このエンジンはもともとR31型系 スカイライン用として開発されたもので、インタークーラーが上置き形に変更されたため、ボンネット中央に設けられた大型エアスクープが外観上の特徴となった。ノーマルルーフの「200ZR-I」とTバールーフの「200ZR-II」の2種類があった。

1986年、日産の北米でのデザイン拠点である日産デザインインターナショナル(NDI)が提案したエクステリアデザインを採用し、3Lモデルはキャビン部(含むリアゲート)と左右ドア以外のパネルを全て意匠変更するという大幅なマイナーチェンジを施される。北米輸出仕様と同様のワイドフレアーフェンダーの3ナンバー専用ボディを与えられた。2.0 Lモデルについては前後のスキンチェンジのみでフロントとリアフェンダーは変わっていない。

エンジンは2.0LモデルのVG20ETが廃止されRB20DETのみとなり、3.0Lモデルは前期型からVG30ETを継続する「300ZX」に加え、VG30型のヘッドをDOHC化した新開発のVG30DEとゲトラク社製5速MTが組み合わされた「300ZR」が追加された。この「ZR」は締め上げられた足回りと、Z31型系で唯一の自然吸気エンジンなどから、古典的でスパルタンな味わいを持つマニアックなモデルとなった。なお、このマイナーチェンジで、日本仕様の「300ZX」はAT専用となった。

1985年、3代目(Z31)が全日本ラリー選手権年間総合優勝。ドライバーは神岡政夫。

1972年にS30型(240ZG)のパトカーを日産自動車が神奈川県警察高速道路交通警察隊に寄贈した。当時は“最強のパトカー”とも言われ、1980年まで活躍した。その後S130型、Z31型、Z32型、Z33型と代替わりしていった。

[ 2008/09/14 00:06 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Fairlady Z 1986 0'30"

トップページNISSANカテゴリーNissan Fairlady Z 1986 ________Z_Z31.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
フェアレディZ(FAIRLADY Z / フェアレディ・ゼット)は、日産自動車が製造するスポーツタイプの乗用車。通称「Z(ゼット)」。北米市場では「NISSAN 350Z」として販売されている。アメリカ合衆国での通称は「Z-car(ズィーカー)」など。

3代目 Z31型(1983-1989年)
1983年、ロングノーズ・ショートデッキというZのコンセプトを引き継ぎながら、空力性能を重視して、エクステリアをシェイプアップした3代目が登場。

エンジンは直列6気筒のL型から新世代V型6気筒エンジンであるSOHCターボのVG20ET(2L)とVG30ET(3L)になり、全グレードにV6エンジンを搭載した(後に再度直列6気筒モデルが設定される)。中でもVG30ETは当時としては大パワーを誇り、トヨタ・スープラに搭載される7M-GTEUが出るまではトップクラスの出力を誇り、空力に優れた欧州向けモデルでは、最高速度が250km/hに届いた。

外観では、別体のパッシングランプを省略するため、消灯時にもレンズの一部が露出する「パラレルライズアップ」ヘッドランプの採用が特徴となった。通常の軸回転式リトラクタブル・ヘッドランプとは異なり、ランプが上下に平行移動する構造をもったものである。因みにこの当時の米国ではヘッドランプに連邦自動車安全基準に準じない異形レンズの使用を認めておらず、北米輸出仕様では連邦自動車安全基準規格の角型ヘッドランプにドライビングランプを組み合わせた状態で対応した。

モデル発表時のCMは、トンプソン・ツインズの"Love On Your Side"に乗せて、宙に浮いたVGエンジンの隊列と共に300ZXが登場し、長きに渡った直6L型時代から新世代V型エンジンへの転換を印象付るものであった。

1985年、日産自動車創立50周年を記念した「アニバーサリー」を発売。デジタルメーターやブラックの本革内装、リアオーバーフェンダー、専用アロイホイール、左カウルの記念オーナメントなどを特徴とする。

日本国内では、久々の直列6気筒エンジンとなる、DOHCセラミックターボRB20DETを搭載したモデルが追加設定された。このエンジンはもともとR31型系 スカイライン用として開発されたもので、インタークーラーが上置き形に変更されたため、ボンネット中央に設けられた大型エアスクープが外観上の特徴となった。ノーマルルーフの「200ZR-I」とTバールーフの「200ZR-II」の2種類があった。

1986年、日産の北米でのデザイン拠点である日産デザインインターナショナル(NDI)が提案したエクステリアデザインを採用し、3Lモデルはキャビン部(含むリアゲート)と左右ドア以外のパネルを全て意匠変更するという大幅なマイナーチェンジを施される。北米輸出仕様と同様のワイドフレアーフェンダーの3ナンバー専用ボディを与えられた。2.0 Lモデルについては前後のスキンチェンジのみでフロントとリアフェンダーは変わっていない。

エンジンは2.0LモデルのVG20ETが廃止されRB20DETのみとなり、3.0Lモデルは前期型からVG30ETを継続する「300ZX」に加え、VG30型のヘッドをDOHC化した新開発のVG30DEとゲトラク社製5速MTが組み合わされた「300ZR」が追加された。この「ZR」は締め上げられた足回りと、Z31型系で唯一の自然吸気エンジンなどから、古典的でスパルタンな味わいを持つマニアックなモデルとなった。なお、このマイナーチェンジで、日本仕様の「300ZX」はAT専用となった。

1985年、3代目(Z31)が全日本ラリー選手権年間総合優勝。ドライバーは神岡政夫。

1972年にS30型(240ZG)のパトカーを日産自動車が神奈川県警察高速道路交通警察隊に寄贈した。当時は“最強のパトカー”とも言われ、1980年まで活躍した。その後S130型、Z31型、Z32型、Z33型と代替わりしていった。

[ 2008/09/15 00:25 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Fairlady Z Z32 0'30"

トップページNISSANカテゴリーFairlady Z Z32 ________Z_Z32.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
フェアレディZ(FAIRLADY Z / フェアレディ・ゼット)は、日産自動車が製造するスポーツタイプの乗用車。通称「Z(ゼット)」。北米市場では「NISSAN 350Z」として販売されている。アメリカ合衆国での通称は「Z-car(ズィーカー)」など。

4代目 Z32型(1989-2000年)
1989年7月、スタイル、パフォーマンスを始めとして、完璧なスーパースポーツカーを目指した4代目が登場。バブル景気を挟み、その後の日産の経営悪化のため10年以上という長期に渡り生産されたモデルである。

2シーターおよび2by2と2つのシャシー、ボディがあり、それぞれホイールベースも異なる為、シャシー別に設計、製造されているのがこれまでフェアレディZの特徴だが、従来モデルに比較してZ32型は2シーターと2by2の外観的差異が最も判りにくいモデルである。ルーフには2代目(S130型Z)からの伝統「Tバールーフ」も一部モデルに引き継がれた。

搭載される2種類のエンジンは共にV6・3000ccで、自然吸気のVG30DE型(230ps)と新開発・ツインターボチャージャー搭載のVG30DETT型。ツインターボは国内で初めて最大出力280PSに達したモデル。自主規制値の280PSはここから生まれた。

イグニッションキーの材質はチタン、車載ジャッキはアルミニウム製等、バブル景気に沸く当時の日産を感じる事が出来る。

1992年8月、フルオープンモデルとなる「コンバーチブル」を追加。シートベルトの位置がドアよりボディに変更、エアバッグオプション、助手席パワーシートオプション等。

1993年8月、リアウイング等、小変更。

1994年10 月、マイナーチェンジ。運転席SRSエアバッグを全車標準装備としたほか、2シーター、2by2、コンバーチブルそれぞれに「バージョンS」追加。リアスポイラーおよび専用シートを装備する。また、2by2 Tバールーフには「バージョンSレカロ」を設定。「バージョンS」をベースにBBS製鍛造アルミホイール、レカロ製シート、ミラーコートTバールーフ、電子制御アクティブサウンドシステムを装備する。

1997年1月、バージョンR追加、新ボディ色パープル追加。

1998年10月、フロントバンパー、リアウィング変更等。

2000年9月、製造終了。2002年7月の5代目(Z33型)発売までは一時的に絶版車種となった。

Z32のヘッドライトを、ランボルギーニ・ディアブロのリトラクタブルヘッドライトと交換する改造を見たランボルギーニのトップが正式に採用。後期ディアブロではZ32のものが正式に使われた。

車名の由来
「FAIRLADY」は貴婦人、アルファベットの最後の文字である「Z」は究極を意味する。また、初代開発スタッフに、当時のアメリカ日産の社長片山豊がZ旗を贈ったエピソードもある。ブロードウェイミュージカルの『マイ・フェア・レディ』に感銘を受けた川又社長が、クルマにも洗練されてゆく美しさを求めた名前といわれる。

Z32がIMSAに1990年から参戦。エンジンはプレジデントに搭載していたV8エンジンを搭載。ドライバーはスティーブ・ミレン。1992年と1994年、ドライバーズとマニュファクチャラーの両タイトルを獲得。 また、1994年はデイトナ24時間レース、セブリング12時間レースで優勝、ル・マン24時間レースでも総合5位・クラス1位を獲得。

Z32型は1992年の導入なので現在は引退しているが(ちなみに寄贈された物のため、廃車にしたくても廃車に出来なかったらしく、2004年ごろまでは現役だった)、2006年にZ33型のパトカーが導入された。また、S30型の240ZGのパトカーは奇跡的にも車両が廃棄されず残っており、県警交通安全センターで展示されていたが閉館したため県警が保管していた。現在は日産自動車に譲渡され、座間事業所内の座間記念車庫に保管されている。

[ 2008/09/16 00:29 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Skyline R32 GTS25 0'30"

トップページNISSANカテゴリーSkyline R32 GTS25 _________R32_GTS25.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
1957年に富士精密工業(のちのプリンス自動車)の主力車種として生産を開始。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた。

車名は「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。2007年3月21日、名付け親の桜井眞一郎がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレートが設置される。

スカイラインは2008年現在12代目である。ラインナップは4ドアセダンと2ドアクーペがあるが、過去には5ドアハッチバックやステーションワゴンもラインアップされていた(後継は日産・アベニールに一旦統合、後にLクラスステーションワゴンとして発売の日産・ステージア〈現在生産終了〉)。5ドアハッチバックやライトバン(エステート)もラインアップに存在した時期もある(後継はアベニールカーゴ→エキスパート→ADエキスパート)。なお12代目クーペは2007年10月に発売された。

ミドルクラスセダンに位置するが、自動車レースで用いられた過去があり、特に"GT-R"グレードは同クラスの他車に比べてレース色が強く、実際に製品としての性格付けもそのようになっている。 かつての最大の競合車種はトヨタ・マークII(現マークX)であった。過去に姉妹車として、同じ村山工場で生産されていたローレルと、セフィーロもあった。

長野県岡谷市には、単一車種の博物館としては異例ともいえる「プリンス&スカイラインミュウジアム」がある。

8代目 R32型(1989年-1994年)
通称:R32(アールサンニィ)、超感覚スカイライン
キャッチコピー超感覚スカイライン・とんでもないが、とんでもいい(前期型)
あたたかな魂。・I love you,SKYLINE.(後期型)

GT-R以外の系列としては最後の5ナンバースカイライン。当時日産が推し進めていた901運動の究極の目標として開発された。ボディタイプはR31型まで存在した4ドアセダン、およびステーションワゴンが姿を消し、ピラードハードトップ構造の4ドアスポーツセダンと2ドアクーペの2本立てとなった。4ドアハードトップはR32型を最後に消滅した(R33型以降は窓枠付きのセダン)。R32型では、 16年ぶりにGT-Rグレードが復活し、日本国内のみならず海外の自動車レースを席巻した。内に秘めたポテンシャルではフェラーリを上回ると絶賛された。かつてのGT-Rは自然吸気の直列6気筒4バルブDOHC 2000ccエンジンを搭載する後輪駆動(FR)であったが、復活したR32型GT-R(BNR32型)では、2568ccの直列6気筒4バルブDOHC エンジンに2基のセラミックス製ツインターボ(RB26DETT型)を搭載し、FRをベースとしつつも、高度な電子制御によって4輪に自在に駆動力を配分できる4輪駆動システム(アテーサE-TS)を搭載する4輪駆動車とされた。グループAホモロゲーションモデルとして、タービンをセラミック製から耐久性の高いメタル製へ、フロントバンパーをダクト付き(通称ニスモダクト)等の変更を加えた「GT-R NISMO」も限定発売された。

以前の車では耐久性や扱いやすさなどを犠牲にしなければ達成しえなかったほどの高い出力をマフラー交換やブーストアップといった比較的軽度のチューニングで発揮できることから、現代の日本の車両チューニング文化の草分け的存在といっても過言ではないだろう。

GT-Rの復活ばかりが注目され陰に隠れる形になってしまった標準モデルだが、自動車評論家やレーサーからは最もバランスの取れたモデルとして歴代のスカイラインの中でもきわめて評価が高い。しかし、先代と比べてかなり狭くなった車内空間(特に後部座席)でファミリーユースが減少、新たな兄弟車種であるセフィーロの存在、そして車の流行がミニバンやRV車に変わっていった時期とも重なり、販売台数は落ち込んでしまう。なお、前期・後期共に教習車仕様が存在していた。 パトカー仕様のセダンGTの設定はこの代が最後となる(YHR32型車が1991年8月まで発売)。[3]。標準モデルの搭載エンジンは215psまでパワーアップされたRB20DET型を筆頭にRB20DE型、SOHCのRB20E型、4気筒のCA18i型(R32型で4気筒モデルは消滅)もあるが、R31型まで設定されたディーゼルエンジンは設定されない。中でもR32型のGTS-4にはRB20DET型エンジンにGT-Rと同じアテーサE-TSを組み合わせているのでGT-R並の高性能も味わえた(実際には鉄パーツ多用による重量と、ブリスターフェンダー非装着なのでトレッドの細さがあるが)。後にマイナーチェンジで2500ccのRB25DE型を搭載し、5速ATを組合わせたGTS25も追加され、 GT-R以外の3ナンバーモデルも発売されたが、A31型セフィーロの様に全車3ナンバー化はされなかった。またこのモデルから、すべてのグレードにおいて丸型4灯テールランプが採用されている。

1992年にオーテックジャパンより、4ドアスポーツセダンGTS-4をベースに、GT-R用RB26DETT型をNA化し、鍛造ピストンや高回転カムシャフトを採用するRB26DE型(220ps/6800rpm、25.0kgm/5200rpm)と4速ATを組合わせた「オーテックバージョン」が発売された。

その他、コンプリートカーメーカーのトミーカイラがオーストラリア向け車両に搭載されていた3000ccSOHCのRB30E型エンジンをRB26DETT型のパーツを流用しDOHC化。NAながら 280psを発揮させるRB30DE型を独自開発し、オーテックと同じくGT-Rではなく2ドアスポーツクーペGTS-tの車体に搭載しコンプリートカーとして市販した。

スカイラインの生みの親である桜井眞一郎率いるS&Sエンジニアリングの手により、R32型GT-Rの優良中古車をベースに、R33型とR34型の純正パーツを使用し制作された「BNR32 S&S Limited Version」がインターネット限定で32台販売され、即時完売した。

社内での開発コードはRXだった。当初、メーカーの広報車の一部には、「RX」のロゴとストライプを組み合わせたデカールが貼られていた。また、そのストライプデカールはオプション設定されてた。

[ 2008/09/17 00:55 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Skyline R33 0'30"

トップページNISSANカテゴリーSkyline R33 _________R33.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
1957年に富士精密工業(のちのプリンス自動車)の主力車種として生産を開始。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた。

車名は「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。2007年3月21日、名付け親の桜井眞一郎がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレートが設置される。

スカイラインは2008年現在12代目である。ラインナップは4ドアセダンと2ドアクーペがあるが、過去には5ドアハッチバックやステーションワゴンもラインアップされていた(後継は日産・アベニールに一旦統合、後にLクラスステーションワゴンとして発売の日産・ステージア〈現在生産終了〉)。5ドアハッチバックやライトバン(エステート)もラインアップに存在した時期もある(後継はアベニールカーゴ→エキスパート→ADエキスパート)。なお12代目クーペは2007年10月に発売された。

ミドルクラスセダンに位置するが、自動車レースで用いられた過去があり、特に"GT-R"グレードは同クラスの他車に比べてレース色が強く、実際に製品としての性格付けもそのようになっている。 かつての最大の競合車種はトヨタ・マークII(現マークX)であった。過去に姉妹車として、同じ村山工場で生産されていたローレルと、セフィーロもあった。

長野県岡谷市には、単一車種の博物館としては異例ともいえる「プリンス&スカイラインミュウジアム」がある。

9代目 R33型(1993年-1998年)
通称:R33(アールサンサン)、GT-9(ジーティーナイン)
キャッチコピー
SKYLINE GT-9 (スカイライン ジーティナイン)・スーパーGT-R、・あした、スポーティーに生きる/日本のグランドツーリングカー(前期型)
男だったら、乗ってみな。→キメたかったら、乗ってみな。・好きだったら、乗ってみな。(後期型)

ボディをふたたび大型化。主力は2.5Lとなり、全車3ナンバーとなった。GT-Rは1995年1月に発売された。R32型に比べて全体的に大型化された事により、居住性は大幅に上がったが同時に車両重量も増加した。特に発売初期の頃はGT-Rも含め R31型程ではないが評価・評判共にあまり芳しくなかった。R33が発表されたとたんに、在庫のR32に注文が殺到したというエピソードもある。しかし今となってはその大柄なボディが生み出す直進安定性と、当時の不人気ぷりから来る値ごろ感(R32、R34が年式から考えられる値段より遥かに高値安定状態)から、お買い得モデルとして認識され始めている。購入後の整備等を鑑みると歴代スカイラインの中でも、最も安く遊べるモデルである。

サスペンション形式はR32と同じくマルチリンクだが、前アッパーアームをI型からA型に変更、後ダンパーのストローク増、などの改良が図られている。

GT-R含むクーペ全てとセダンの前期モデルは、バッテリーをトランク奥に設置するハイトラクションレイアウトを採用している。搭載される専用バッテリーは高価だが大した容量を持っていない。

開発当初はクーペをショートホイールベースにする予定だったが、終盤でセダンとのシャシー共用によるコストカットを求められた。そのためかクーペの外観は間延びしたものとなっており、ドアもかなりの大きさを持つ。

エンジンのラインアップはGT-R専用となる2.6L RB26DETT型、2.5L RB25DET型とRB25DE型、および2.0L RB20E型(R33型唯一のSOHCエンジン)の4タイプであった。トランスミッションは5速MTと5速AT(5速ATはマイナーチェンジにて4速AT に変更される)であった。RB25DET型エンジンは『リニアチャージコンセプト』により過給圧を抑えレスポンスの向上を図っていたが、市場からの評価はターボらしくないと芳しいものではなかった。

R33型デビュー直後、東京モーターショーでGT-Rのプロトタイプが発表されたが、市販モデルではフロント周りを見直された。そして一般車にしては前代未聞の東京オートサロンにてデビュー。

歴代のGT-Rでは初めてテレビCMがつくられ、ニュルブルクリンクオールドコースでのラップタイムが7分59秒だったことから、R32型GT-Rとのタイム差を元に「マイナス21秒ロマン」というキャッチコピーが用いられた。

一般的には問題が無いが、チューニングした上で非常にハードな走行を繰り返すと、Cピラー根元がストレスに耐え切れず、曲がってしまうというトラブルが報告されている。

GT-Rの車両形式が前回のBNR32からBCNR33へとアルファベットが変更された。前回はB=RB26DETT、N=アテーサ+HICAS、 R=スカイラインの意味を持たされていた。R33ではB=RB26DETT、N=アテーサ、C=HICAS、R=スカイラインの意味なのだが、このモデルにだけ"C"がつくのは、R32型・R34型共にアテーサ装着車にはHICASが自動的に装着されていたのに対し、R33型GT-R以外のモデルではアテーサ装着車でもHICASが装着されていないモデルも存在したことにより、差別化のためCが表記されている。

しかし、OptionではR34でまたC=HICASが社内記号での判断となり消滅した事と合わせ、「C=C34ローレルとのシャーシ共用を意味してるのではないか?」と書かれていた。しかし実体は上記の通りであり、単なる都市伝説と考えるのが正解である。

発売後、NISMOからは400Rと呼ばれるコンプリートカーが限定車として44台販売された(限定台数は99台であったが、その前に販売が終了)。当時の販売価格は1200万円である。この400Rの名前の由来は搭載されたエンジン、ニスモが「RB-X GT2」と呼ぶ2.8L排気量アップ版の最大出力400psに由来する。

1995年1 月一部変更。運転席SRSエアバッグ、およびテールパイプフィニッシャーを標準装備としたほか、外装を一部変更。セダンのラジエータグリル、ヘッドランプ周りをスモークシルバーに変更し、GTSタイプG系にアルミホイールを標準装備化。クーペのラジエータグリルをボディカラー化し、「エアロパッケージ」を設定。「セダンGTS25タイプG・SE」および「セダンGTS-4タイプG」を追加。さらに、BNR32型が継続販売されていた「GT-R」がフルモデルチェンジしBCNR33型となる。桟の無いラジエータグリルにGT-Rのエンブレムを配し、角度変更可能なリアウイングを採用した。RB26DETT型エンジンの出力は280ps/6800rpm、37.5kgm/4400rpmとなる。グレードは標準車のほか「GT-R Vスペック」、「GT-R VスペックN1」の3種類。N耐参戦ベース車である「Vスペック N1」ではリアウイングがカーボン製となる等、差別化が図られている。

1996年 ビッグマイナーチェンジ。外装が大幅に変更された。発売当時、テレビCMで「男だったら、乗ってみな。」というセリフとキャッチコピーを展開したところ、クレームがつき、映像はそのままで「キメたかったら、乗ってみな。」に差し替えられ、その後「好きだったら、乗ってみな。」というバージョンも作成された。

後期型GT-RにもCMが作られたが、「最新のGT-Rが、最高のGT-Rだ。」という、R32以前のコアなファンの心理を逆なでするコピーが不評で、後に「私たちの国には、GT-Rがあることを誇りたい。」となるなど、パブリシティにおいても紆余曲折のあったモデルであった。

1997年10 月 第32回東京モーターショーに「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を出展。スカイライン生誕40周年を記念した限定車。BCNR33型GT-Rをベースに4ドアのボディを載せた、PCG10型 GT-R以来の4ドアGT-Rである。2ドアGT-Rのブリスターフェンダーを再現するために、わざわざリアドアとリアフェンダーのプレス型を作り直す程であった。

1998年1月 「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を発売[6]。型式は「BCNR33改」となる。村山工場で組み立てされた後、座間事業所にて仕上げを施され、出荷された。神奈川県警が白黒、埼玉県警が覆面パトカーとして2台ずつ導入している。

GT-Rのみ100台限定でイギリスへ輸出されている(下記「GT-Rとは」参照)。そして、日産がル・マン24時間レース参戦用に「GT-R LM」と呼ばれるホモロゲーションマシンも1台だけ製作された。

この頃のGT-RやJZA80スープラRZ等のスポーツモデルは出力こそ自主規制値の上限である280psとなっているが、実際にはマフラー等で出力を絞っているだけであり、マフラー等の吸排気系を社外品に変えるだけのライトチューンでも実測値で400ps弱という出力が発生してしまうため、自主規制は有って無いような物となっている。

[ 2008/09/18 01:10 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Skyline R34 Sports 4Door 0'30"

トップページNISSANカテゴリーNissan Skyline R34 _________R34__.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
1957年に富士精密工業(のちのプリンス自動車)の主力車種として生産を開始。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた。

車名は「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。2007年3月21日、名付け親の桜井眞一郎がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレートが設置される。

スカイラインは2008年現在12代目である。ラインナップは4ドアセダンと2ドアクーペがあるが、過去には5ドアハッチバックやステーションワゴンもラインアップされていた(後継は日産・アベニールに一旦統合、後にLクラスステーションワゴンとして発売の日産・ステージア〈現在生産終了〉)。5ドアハッチバックやライトバン(エステート)もラインアップに存在した時期もある(後継はアベニールカーゴ→エキスパート→ADエキスパート)。なお12代目クーペは2007年10月に発売された。

ミドルクラスセダンに位置するが、自動車レースで用いられた過去があり、特に"GT-R"グレードは同クラスの他車に比べてレース色が強く、実際に製品としての性格付けもそのようになっている。 かつての最大の競合車種はトヨタ・マークII(現マークX)であった。過去に姉妹車として、同じ村山工場で生産されていたローレルと、セフィーロもあった。

長野県岡谷市には、単一車種の博物館としては異例ともいえる「プリンス&スカイラインミュウジアム」がある。

10代目 R34型(1998年-2001年、GT-R1999年-2002年)
キャッチコピー:BMWか。 メルセデスか。 新しいスカイラインか。(ティザー広告)・The Driving Body ボディは力だ。(前期)・その名を聞いて、ときめくクルマは少ない。(後期)

1998年5月 R34型発売。先代の反省からかホイールベースを短縮し、「ボディは力だ」のCMキャッチコピー通りにボディ剛性が向上され、同時に安全性も向上された。搭載するエンジンは全て直列6気筒DOHCであり、2.0LのRB20DE型、2.5LのRB25DE型、および 2.5Lターボ付のRB25DET型の3種類。マニュアルモード付ATを2.5L 2WDモデルに設定した。MTはクーペの全仕様、セダンのターボモデル、4WDモデルおよび2.0Lモデルに設定された。

標準での最スポーツモデルでRB25DET型を搭載する「25GT-t」はついに280psを発揮するまでに至ったが、クラス下のランサーエボリューションやインプレッサが既に同程度の出力を達成していただけに、パワー重視のユーザーからはあまり興味を持たれなかった。

25GT-Vや25GT-tに搭載されていた4ポットキャリパーとローターが、他の日産車に簡単な方法で移植可能で、社外品のブレーキまでは必要ないが、ノーマルよりは強化したいというチューニングカー乗りには定番チューンとされている。また、純正オプションのフロントバンパー、リアウイングはアフターパーツと見紛うほどの派手さを誇る。

1999年1月 R34型GT-R発売。キャッチコピーは「人に翼を」。前回同様に東京オートサロンデビューとなったが、有名なショップには事前に納車され、若干チューニングが施された車が展示され、NISMOからはコンプリートカー状態になったものが展示されていた。

Optionにはノーマル状態の車が紙面に登場する前に、BLITZの手によってカラーリング、ホイール交換、車高が下げられた状態で登場してしまっている。

このR34型は第2世代最後のRだけに歴代GT-Rの中でも究極のGT-Rと言える進化を遂げた。Vスペックには量産車初のオートクレーブ工法で形成されたカーボンディフューザー等のアドバンスドエアロシステムを採用、鍛造18インチホイールを装備、トランスミッションは独ゲトラグ社と共同開発した6速MT、ブレーキはイタリアの名門ブレンボ製を標準装備。エンジンは第2世代最後となるRB26DETT型を搭載。自主規制枠一杯の最大出力280psはそのまま(ちなみにエンジンの実測馬力は約 330ps。タービンを容量一杯まで使い切る事により550psを発揮している)ではあるが、R390GT1で培われた技術を活用し、最大トルク 40.0kg/mを達成する等、究極のドライビングプレジャーを名乗るに相応しい車に進化した。その結果、当時COOとして日産を立て直した現日産CEOであるカルロス・ゴーンの口から「日産で最も好きな車」と言わせた。車内においてはコンソール中央にマルチファクションディスプレイと呼ばれる車両の状態を確認するモニターが搭載され、水温、ブースト圧などを表示することが出来る。Vスペックとノーマルでは多少表示項目が異なる。

1999年2月 4ドアセダンに電動SUPER HICAS、リヤビスカスLSD等、ターボ車同様の足回りを持つ「25GT-V」を追加。R34型登場時には設定のなかった2WDセダンのNA 2.5LとMTの組み合わせとなる。

1999年9月 2ドアスポーツクーペ・4ドアセダンともにリヤビスカスLSDをヘリカルLSDに変更。また細かいところでは、エンジンカバーに書かれた「Turbo」「NEO STRAIGHT 6」の文字に施された赤い塗装が廃止されたことがカタログから読み取れた。

2000年1月 2ドアスポーツクーペに「25GT-V」を追加。GT-Rに第33回東京モーターショーに参考出品された特別塗装色ミッドナイトパープルIIIを3ヶ月期間限定で設定。

2000年8月 マイナーチェンジ。内外装を一部変更したほか、RB25DET型の5速MT車にて、エンジンのトルクアップを施した。ただし、このマイナーチェンジ車はGT-Rを除きわずか10ヶ月しか販売されていない。

2000年10月 GT-Rがマイナーチェンジ。内外装の一部変更、およびVスペックに替わりVスペックIIをラインナップ。量産車としては初のNACAダクト付きカーボンファイバー製ボンネットフードを採用。その他色の変更、アルミペダル化、ターンシグナルランプのクリア化が行われた。なお、この代のGT-Rはイギリスでも100台限定ながら輸出販売されている。

後期型へのマイナーチェンジ直後、工場閉鎖のため2000年9月29日(GT-Rは8月5日)に村山工場での生産を終了し、「工場5」のコーションプレートを持つ車両は絶版となる。以降は栃木工場が生産拠点となる。GT-Rの村山最終生産車両は同車開発主管の渡邊衝三が保有する。

2001年5月 「GT-R M・spec」追加。リップルコントロールショックアブソーバーを採用したほか、専用の本革シートを装備し、専用色を設定した。

2001年6月 RB型エンジン搭載最後のモデルで3年という短いサイクルでV35型へバトンタッチ。その後もGT-Rは継続販売された。

2002年1月 8月の GT-R生産終了を発表。これは、平成12年排出ガス規制に適合しない車種が、引き続き生産出来る猶予期限が切れる為である。同時に最終特別限定車「M・ spec N醇в」、および「V・spec II N醇в」を設定。前者が630万円、後者が610万円である。「N醇в」とは、GT-Rもテスト走行で使用した、ドイツのニュルブルクリンクから命名された。この「N醇в」にはヘッドカバーを金色塗装されたN1仕様エンジン、N1タービン、シャフト、ピストンなどのN1用パーツを使用し、 300km/hスケールのスピードメーターを装備。通常ならばステッカー式の後部グレードステッカーが立体エンブレムになり、コーションプレートもゴールドになっている。さらには専用色である「ミレニアムジェイド」を設定している(「V・spec II N醇в」はシリカブレス、「M・spec N醇в」はベイサイドブルーがラインナップには無い)。「N醇в」は元々1グレード300台限定で発売される予定だったが、1月の発表後に新聞や車雑誌などで大きく宣伝されていた為か、問い合わせが殺到し急遽500台に増産が決定した。しかしそれでも予約希望者数に対応できないため、最終的に両グレードで計1000台の生産が決定した。パンフレットには300、500と印刷された上に1000のシールが貼られている(ちなみに受注に際して海外からの注文もあった程)。1月24日発表日に即日完売(発売日は2月26日)してしまうという、第二世代GT-Rの劇的なラストを飾った[8]。このN醇вもGT-Rの名にふさわしく東京オートサロンでの登場だったのだが、使われたのが室内試乗用車両であり、しかもノーマル状態だったため、ほとんどの人に気づかれていなかった。

2002年8月 平成12年排出ガス規制非適合のためGT-R生産終了。

2005年 NISMOより、R34型GT-Rの最終形態とも言える、2800cc化されたRB26DETTを搭載するZチューンが20台限定1774万5000円で発売された。(既に所持しているR34GT-Rを工場に持ち込みチューンする「パーツコンバージョン」は1312万5000円である。ただしカラーはベース車両のままでハードコートも無くなる。また、ミッドナイトパープル色は受付できない)このZ-チューンは、最高出力500psを誇るモンスターマシンでありながら、ストリートを意識した仕様になっている。ホイールなどはZ-チューン仕様のLMGT4を使用している(このLMGT4は後に限定で市販されている)。 車重がノーマルより重いのにも関わらず、街乗りもまったく苦にしない上に、0-400加速にて10秒フラットを記録できるなど、究極のロードゴーイングカーの名にふさわしい仕様になっている。

2007年3月、ベース車の確保が困難(程度の良い中古車が手に入らなくなった)になった事を受け、生産が終了した。総生産台数はプロト1台、保存車1台、国内13台、海外4台の計19台であった。

このR34GT-Rはアメリカ映画ワイルドスピードX2にも序盤の主力車種として登場しており、アメリカ本国は元よりイギリス、オーストラリア、フランス、香港などでも知られている。また、日本でGT-Rを盗み、アメリカなどのブラックマーケットにて1000万円単位で取引されることもあるという負の事実もある。また特にこのR34GT-Rは約1万1,000 台しか生産されていないことからプレミア価格が付いて居ることがあり、ニュルで600~800万、VスペックIIでも450~600万、走行状況によっては700万以上も珍しくなく、余程の事(事故車等)が無い限り初期標準車であっても300万円を下回ることはまず有り得ないという異常な現象が発生している。(NSXでも同じ現象が発生しているが、需要面等で同様の意義を持っていると思われる)2004年度の盗難車ランキングにおいてスカイラインは9位にランクインしており、その大半はGT-Rである。また、D1グランプリにおいて野村謙選手が使用し活躍していることから、4ドアGT-tの人気、相場も近年上昇している。

なお、2ドアクーペは交通取締り用のパトカーとして数台採用された。4ドアセダンのGTターボは交通取締り用の覆面パトカーとして50台が導入された(前期型)、しかし少数ながら後期型も埼玉や和歌山などの高速隊には存在している。その後捜査用車両としてNAエンジンの4ドアセダンが127台導入された、最近では交通取り締まり用はクラウンの覆面パトカーにその座を譲る事が多くなった。GT-Rのパトカーは現在埼玉県警のみ所属しており、白黒車4台とシルバーの覆面車1台体制で東北自動車道で現在でも使用されている。

[ 2008/09/19 01:29 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Fairlady Z Z33 Z-ness CM 0'30"

トップページNISSANカテゴリーFairlady Z Z33 Z-ness CM _CM_NISSAN_FAIRLADY_Z_Z33___________________Z-ness_____02
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
5代目(Z33型、2002年-)
1999年1月、デトロイトショーでZ復活の狼煙となる、240Zコンセプトが発表される。エンジンが直4のKA24DEであるなど、車格はSXに近く、後のZ33とは大きく異なるが、Z-carを渇望して久しい北米では、一気に期待が高まった。

2000年7月、ラスベガスで行われたZ30周年記念イベント、「Z2K(Z2000)」に湯川伸次郎と中村史郎が出席、開発状況とレンダリングの一部を発表、大きなニュースとなる。

2001年10月、第35回東京モーターショーにZ33型コンセプトモデルを出展。

2002年1月、北米国際オートショーに「350Z」を出展。同月より先行予約受付を開始。6月、第7回北京国際モーターショーに「350Z」を出展。

2002年7月、Z33型発売。2年の沈黙を経てカルロス・ゴーンにより復活したモデル。ボディタイプは2シータークーペのみで、歴代フェアレディZに設定されていた2by2は未設定。エンジンはエルグランドやスカイラインに搭載されているV型6気筒DOHC3.5L VQ35DE型自然吸気のみ。ブレーキキャリバーはブレンボ社製を一部モデルに標準設定。グレード体系もベーシック・スポーティ系・ラグジュアリー系とわかりやすいものとなっている。

2003年2月、「350Z」がカナダ・カー・オブ・ザ・イヤー、およびベスト・ニュー・デザイン賞を受賞。3月、ジュネーヴ・モーターショーにヨーロッパ向け「350Z」を出展。

2003年4月、ニューヨーク国際オートショーに「350Z ロードスター」を出展。同月、上海モーターショーに「350Z ロードスター」を出展。

2003年10月、フルオープンモデル「ロードスター」(コンバーチブル・オープンカー)追加。同時に「クーペ」の仕様・装備を一部変更し、「Version ST」に5速AT車を追加。プレミアムカラーとして、第35回東京モーターショーに出品されたコンセプトカーと同じボディカラー「プレミアムリキッドシルバー」を設定。以降、イヤーカラーとしてプレミアムカラーが一部改良及びマイナーチェンジ時に設定された。

2004年1月、生産拠点を追浜工場から栃木工場へ移管。同月、2月29日までの期間限定モデル「Type E」を設定。前後のオーバーハングを延長し、オーディオレスとされた。実質はJGTC GT500クラスのホモロゲーションモデル。同時に、NISMOの手による「フェアレディZ S-tune GT」を設定。

2004年9月、一部改良。5速ATに「シンクロレブコントロール」機能を採用。同月、パリサロンに「350Z ロードスター」を出展。プレミアムカラーとして「プレミアムサンシャインイエロー」を設定。(プレミアムリキッドシルバーは設定終了)

2005年1月、フェアレディZ生誕35周年を記念する期間限定車「35th Anniversary」を設定。パワーアップされたVQ35DE型エンジン、18インチホイール等を採用する。2005年5月末受注分までの期間限定販売。

2005年4月、上海にて中華人民共和国向け「350Z」を披露。同月開催された「オート上海 2005」に出展。

2005年9月、マイナーチェンジ。ヘッドライト等の外観も変化し、リアコンビネーションランプにはLEDを採用し、出力が294psまで上げられた。シフトコンセプトは、「SHIFT_ sports」。

2006年1月、オーテックジャパンによる期間限定車「Version ST Type G」を設定。リア19インチタイヤ、フロント・リヤフェンダーモールを採用し、初代S30型240ZGを彷彿とさせるモデル。同月、東京オートサロン2006 with NAPACに「Version ST Type G」、および「NISMOフェアレディZ RSコンセプト」を出展。

2007年1月11日、再びマイナーチェンジが行われた。これによりエンジンはVQ35HR(313PS)に変更され、ボディカラーは特別塗装色として、かつてS30型に採用されていたグランプリオレンジの復刻版であるプレミアムパッショネイトオレンジが加わった。また、新エンジンを搭載する関係でボンネット中央にバルジが設けられ、かつてのS30型を彷彿させる姿になった。このモデルにはNISMOがチューニングを手掛けた「Version NISMO」が設定されている。また、同じくNISMOからスーパー耐久のホモロゲーション取得用(公道走行不可)モデルとして排気量を3800ccまで上げ、車体にも手を加えられたVersion NISMO Type 380RS-Competitionもリリースされ、2625万円(税込)で発売される。ちなみに、同モデルの公道仕様が2007年6月に300台限定で発売された。

2008年1月、ボディカラーにプレミアムブレーズレッドが設定され、特別仕様車「Type F」を設定。

キャッチコピーは、クーペは「神話は、語り継がれる。永遠に。」「五感が、熱狂する。」「言葉は、無力になる。」、ロードスターは「風の中で、踊る。」「楽園は、風の中にある。」

[ 2008/09/20 10:43 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Fairlady Z Roadster CM 0'30"

トップページNISSANカテゴリーNissan Fairlady Z Roadster CM NISSAN FAIRLADY Z ROADSTER CM.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
5代目(Z33型、2002年-)
1999年1月、デトロイトショーでZ復活の狼煙となる、240Zコンセプトが発表される。エンジンが直4のKA24DEであるなど、車格はSXに近く、後のZ33とは大きく異なるが、Z-carを渇望して久しい北米では、一気に期待が高まった。

2000年7月、ラスベガスで行われたZ30周年記念イベント、「Z2K(Z2000)」に湯川伸次郎と中村史郎が出席、開発状況とレンダリングの一部を発表、大きなニュースとなる。

2001年10月、第35回東京モーターショーにZ33型コンセプトモデルを出展。

2002年1月、北米国際オートショーに「350Z」を出展。同月より先行予約受付を開始。6月、第7回北京国際モーターショーに「350Z」を出展。

2002年7月、Z33型発売。2年の沈黙を経てカルロス・ゴーンにより復活したモデル。ボディタイプは2シータークーペのみで、歴代フェアレディZに設定されていた2by2は未設定。エンジンはエルグランドやスカイラインに搭載されているV型6気筒DOHC3.5L VQ35DE型自然吸気のみ。ブレーキキャリバーはブレンボ社製を一部モデルに標準設定。グレード体系もベーシック・スポーティ系・ラグジュアリー系とわかりやすいものとなっている。

2003年2月、「350Z」がカナダ・カー・オブ・ザ・イヤー、およびベスト・ニュー・デザイン賞を受賞。3月、ジュネーヴ・モーターショーにヨーロッパ向け「350Z」を出展。

2003年4月、ニューヨーク国際オートショーに「350Z ロードスター」を出展。同月、上海モーターショーに「350Z ロードスター」を出展。

2003年10月、フルオープンモデル「ロードスター」(コンバーチブル・オープンカー)追加。同時に「クーペ」の仕様・装備を一部変更し、「Version ST」に5速AT車を追加。プレミアムカラーとして、第35回東京モーターショーに出品されたコンセプトカーと同じボディカラー「プレミアムリキッドシルバー」を設定。以降、イヤーカラーとしてプレミアムカラーが一部改良及びマイナーチェンジ時に設定された。

2004年1月、生産拠点を追浜工場から栃木工場へ移管。同月、2月29日までの期間限定モデル「Type E」を設定。前後のオーバーハングを延長し、オーディオレスとされた。実質はJGTC GT500クラスのホモロゲーションモデル。同時に、NISMOの手による「フェアレディZ S-tune GT」を設定。

2004年9月、一部改良。5速ATに「シンクロレブコントロール」機能を採用。同月、パリサロンに「350Z ロードスター」を出展。プレミアムカラーとして「プレミアムサンシャインイエロー」を設定。(プレミアムリキッドシルバーは設定終了)

2005年1月、フェアレディZ生誕35周年を記念する期間限定車「35th Anniversary」を設定。パワーアップされたVQ35DE型エンジン、18インチホイール等を採用する。2005年5月末受注分までの期間限定販売。

2005年4月、上海にて中華人民共和国向け「350Z」を披露。同月開催された「オート上海 2005」に出展。

2005年9月、マイナーチェンジ。ヘッドライト等の外観も変化し、リアコンビネーションランプにはLEDを採用し、出力が294psまで上げられた。シフトコンセプトは、「SHIFT_ sports」。

2006年1月、オーテックジャパンによる期間限定車「Version ST Type G」を設定。リア19インチタイヤ、フロント・リヤフェンダーモールを採用し、初代S30型240ZGを彷彿とさせるモデル。同月、東京オートサロン2006 with NAPACに「Version ST Type G」、および「NISMOフェアレディZ RSコンセプト」を出展。

2007年1月11日、再びマイナーチェンジが行われた。これによりエンジンはVQ35HR(313PS)に変更され、ボディカラーは特別塗装色として、かつてS30型に採用されていたグランプリオレンジの復刻版であるプレミアムパッショネイトオレンジが加わった。また、新エンジンを搭載する関係でボンネット中央にバルジが設けられ、かつてのS30型を彷彿させる姿になった。このモデルにはNISMOがチューニングを手掛けた「Version NISMO」が設定されている。また、同じくNISMOからスーパー耐久のホモロゲーション取得用(公道走行不可)モデルとして排気量を3800ccまで上げ、車体にも手を加えられたVersion NISMO Type 380RS-Competitionもリリースされ、2625万円(税込)で発売される。ちなみに、同モデルの公道仕様が2007年6月に300台限定で発売された。

2008年1月、ボディカラーにプレミアムブレーズレッドが設定され、特別仕様車「Type F」を設定。

キャッチコピーは、クーペは「神話は、語り継がれる。永遠に。」「五感が、熱狂する。」「言葉は、無力になる。」、ロードスターは「風の中で、踊る。」「楽園は、風の中にある。」

[ 2008/09/21 11:11 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Leopard JY33 0'30"

トップページNISSANカテゴリーLeopard JY33 NISSAN_LEOPARD_JY33_
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
レパード(LEOPARD)とは日産自動車が1980年から1999年まで製造・販売された高級パーソナルカーである。

「日産・レパード」は、1980年、810型ブルーバード「2000 G6」シリーズの事実上の後継車種の位置付けと、スカイライン、ローレルに続く上級車ラインアップの一角を担うべく登場した。

1999年のモデル消滅までの19年間、商品企画の変転が大きく、初代はブルーバードベースの上級2ドア / 4ドアハードトップ、2代目はスカイラインをベースにし、トヨタ・ソアラを強く意識した高級2ドアクーペのみ、そして3代目と4代目はセドリック / グロリアベースの高級4ドアセダンのみという変遷であった。

一貫したコンセプトを持ち続けられなかったことから、レパード自体は確固たるブランド力を構築出来なかったが、その後の同社のインフィニティQ、M、G(それぞれ日本国内のシーマ、フーガ、スカイライン)をはじめとした高級パーソナルカーにその経験は生かされている。

4代目 Y33型(1996-1999年)
車名を「レパード」に再改称。開発時期がバブル経済の絶頂期と重なり贅沢な設計のなされたY32型からは一転、メーカーの経営不振といった逆風の中で開発されたY33型レパードは、Y33型セドリック / グロリアの主要コンポーネントの大部分を流用するコストダウンが図られた。しかも、セドリック / グロリアと中身がそれほど変わらない車であり、この事がレパードの評価を大きく下げる結果となった。

ボディは4ドアハードトップのみ。ドアアウターパネルおよびインスツゥルパネルの形状はY33型系セドリック/グロリアと共通。当初、エンジンはV型6気筒SOHC VG30E型(160ps)とV型6気筒DOHCのVQ型、2987cc VQ30DE型(220ps)とターボ付VQ30DET型(270ps)の3タイプが搭載された。マイナーチェンジでVG30EとVQ30DE型が廃止され、直噴 VQ30DD型(230ps)、直列6気筒DOHCターボ付 RB25DET型(235ps,4WD車専用),VQ25DE(190ps,FR車専用)およびF31型に設定されていたVG20E型(125ps)が追加された。

グレード構成もグランツーリスモやブロアムといった区別こそ存在しないが、内容的にはセドリック/グロリアとほぼ同じような構成となり、登場当初は後席関係の装備を充実させたトップグレードのXV-Gを筆頭に、以下XV、XR、XJと続いた。 足回りはセドリック / グロリアのグランツーリスモと同じ仕様とされ、XV-GとXVにはSUPER HICAS仕様も用意された。

殆ど知られてないが、日産初の直噴エンジンを搭載したモデルである。 * 1996年3月 Y33型にモデルチェンジ。
* 1999年6月 Y34型セドリック / グロリアに統合する形で、Y33型生産終了。レパードの19年の歴史にピリオドを打つ。

leopardとは英語で「豹」(ひょう)の意味。

[ 2008/09/22 09:46 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

NX Coupe CM 0'28"

トップページNISSANカテゴリーNX Coupe CM NISSAN_NX_COUPE_CM
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
日産・NXクーペとは、日産自動車が1990年から1994年まで製造販売していた自動車である。

同時期に販売されていたサニーB13型(7代目)をベースにしたクーペタイプの乗用車で、トヨタ・サイノス同様、安価でおしゃれな「セクレタリーカー」として開発された。

先代のサニークーペRZ-1とは打って変わり、日産自動車のカリフォルニアデザインセンター(NDI)で設計された外観は、300ZX(Z32)と共通のデザインテイストを持たされており、丸みを帯びたカジュアルなスタイリングと、へこんだオーバルシェイプのヘッドライトが特徴となった。

当時の日本の若者(メインターゲットとなる販売層)がスポーツ指向の強いクルマを求めていたため、北米の女性向けに企画された「NX」にはマッチせず、日本国内の販売は惨憺たる結果となるが、その分、デザインした国であるアメリカ合衆国では、そこそこ販売数が伸びたようである。尚、事実上の後継車はルキノである。

エンジンは、1500cc・1600cc・1800ccの3種類の4気筒DOHC16バルブ。ボディカラーは8種類もの色がラインナップされたが、ほとんどのオーナーがメインカラーであるイエローを選択した。

テレビCMが話題になった。イエローのNXのコンピュータグラフィックスが変幻自在に曲がりくねるというものだった。CGはリズム&ヒューズ・スタジオによるものだった。

[ 2008/09/23 11:28 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Leopard J Ferie 0'15"

トップページNISSANカテゴリーLeopard J Ferie CM__________J_FERIE
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
レパード(LEOPARD)とは日産自動車が1980年から1999年まで製造・販売された高級パーソナルカーである。

「日産・レパード」は、1980年、810型ブルーバード「2000 G6」シリーズの事実上の後継車種の位置付けと、スカイライン、ローレルに続く上級車ラインアップの一角を担うべく登場した。

1999年のモデル消滅までの19年間、商品企画の変転が大きく、初代はブルーバードベースの上級2ドア / 4ドアハードトップ、2代目はスカイラインをベースにし、トヨタ・ソアラを強く意識した高級2ドアクーペのみ、そして3代目と4代目はセドリック / グロリアベースの高級4ドアセダンのみという変遷であった。

一貫したコンセプトを持ち続けられなかったことから、レパード自体は確固たるブランド力を構築出来なかったが、その後の同社のインフィニティQ、M、G(それぞれ日本国内のシーマ、フーガ、スカイライン)をはじめとした高級パーソナルカーにその経験は生かされている。

3代目 Y32型(1992-1997年)
ベースとなったスカイラインクーペがR32型へ世代交代する中、レパードの開発は中止となったが、日産店のラインアップに穴が開くことに対する販社の抵抗も大きく、次期レパードは「インフィニティ J30」の国内投入で継続されることが決まった。この結果、4ドアセダンのみの設定となり、車名も「レパードJフェリー」へと改称され、車の性格が変わったことをアピールした。「Jフェリー」とはフランス語の「祝日」の意を英語風に発音した造語である。

フェラーリやマセラティにも収められているイタリア、ポルトローナ・フラウ製の本革シートをオプションで用意する(このシートの価格は70万円超)など、セドリック / グロリアと比べても、よりパーソナルな高級車としての印象が強く、またJ30に比べるとスポーツ性がかなり抑えられ、完全なラグジュアリー志向になっている。ブラック内装は用意されてない。

エンジンはF31型にも設定されたVG30DE型(200ps)とシーマ用のV型8気筒 DOHC 4130cc VH41DE型(270ps)の2種類で、それぞれに電子制御の4速フルオートマチックミッションが組み合わされる。シーマ・セドリック / グロリアとはことなり、ターボ仕様は設定されてない。 同時期のY32型セドリック / グロリアのVG30DE型搭載車に関しては、国内ユーザーの声を反映した5速ATが組み合わされているが、JフェリーではJ30型からの大きな変更は見送られ、4速ATのみとされた。

エクステリアデザインは同時期のブルーバードセダン(U13型)同様、カリフォルニアデザインセンター(NDI)の意見を大幅に取り入れた、リアエンドの下がった、いわゆる「垂れ尻」のプロポーションとなった。一部の自動車評論家からは絶賛を受け、メイン市場となる北米でも好評を得たが、日本国内では逆に、そのアクの強いスタイルと、リアドアの小ささや後席の狭さが実用上のネックとして敬遠されたモデルでもあった。しかし、後年、その個性的な存在感から、車趣味人の足グルマや、ドレスアップのベース車として再注目を浴び、Jフェリーを専門に扱う中古車業者も登場した。

日本車としては初めて、助手席エアバッグを全車に標準装備した(レスオプションも選択可)車でもある。

総生産台数は約7,000台。

leopardとは英語で「豹」(ひょう)の意味。

[ 2008/09/24 23:37 ] NISSAN | TB(0) | CM(1)

Coupe Rz-1 1988 0'30"

トップページNISSANカテゴリーCoupe Rz-1 1988 NISSAN_Coupe__Rz-1____1988.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
(E-HB,EB,FB12型 1986年-1989年)
1986年2月 B12型サニーのクーペとして追加。キャッチコピーは「男×1、女×1、2'S(トゥーズ)クーペ」、「君と走るという、物語です」。RZ-1の名称の由来は「Runabout Zenith No.1」の頭文字から創作された造語。アールズィーワンと読む。

シャシーはセダン及びハッチバックと共通だが、外板の多くは専用設計されていた。セダンやハッチバックは角張ったデザインをしていたが、それ以上にエッジを強調したシャープな外観を与えられている。強いスラント角を持ったフロントマスク、ブリスターフェンダー、ラップアラウンドウィンドウ処理されたガラスを持つリアハッチゲートなど、セダン及びハッチバックとは異なる個性を放っていた。内装デザインは基本的にセダン・ハッチバックと共通。エンジンは当初、E15S型(1500cc直4SOHC)及びE15ET型(1500cc直4SOHCターボ)の2種類であったが、1986年8月にCA16DE型(1600cc直4DOHC)が追加され、"TWINCAM NISMO"と呼ばれるグレードが設定された。これはサスペンションやエアロパーツ、内装の一部変更などを施したスポーツ仕様であり、パワーウィンドウも装備されないスパルタンなモデルであった。

* 1986年2月、サニーのクーペモデルとして販売開始。
* 1986年8月、マイナーチェンジ実施。CA16DEを搭載したツインカムシリーズを追加。
* 1987年11月、マイナーチェンジ実施。フロントグリルやテールレンズの意匠変更及びE15型エンジンを廃止しGA15S型エンジンを搭載。これによりターボモデルは廃止。
* 1988年6月、フロントビスカスLSDなどのオプション装備を追加。
* 1989年6月、装備を充実させたTYPE Jを追加。

事実上の後継車はNXクーペ。

[ 2008/09/25 06:41 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Maxima CM - Strangers in the Night 0'59"

トップページNISSANカテゴリーMaxima CM - Strangers in the Night Nissan_Maxima_Commercial_-_Strangers_in_the_Night
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
マキシマ(MAXIMA)は、日産自動車が製造、販売するセダン型の乗用車である。

北米、メキシコ、ドバイなどで販売されており、そのほか、オーストラリアではティアナ、サウジアラビアやUAEでは、セフィーロを同名で販売している。

日本ではかつて販売されていたが1994年に同ブランド名の車種は販売終了し、海外専売モデルとなっている。

日産・インフィニティQ45やトヨタ・セルシオが登場するまでは、世界に通用する日本製高級車の代名詞でもあった。

4代目 A32型(1994年-1999年)
* 1994年5月:北米専用マキシマ登場。のちに兄弟車種セフィーロも3000ccモデルをインフィニティI30として北米市場に投入される。

* 1995年:ヨーロッパ向け「マキシマQX」としてA32型セフィーロを投入。

英語のMaximumの複数形で"Maxima"より。「最大限」「最大数」などをさす言葉。もともとはブルーバードの北米輸出向け6気筒エンジン搭載車のシリーズ名であった。また、さらに遡ればA10スタンザの最上級グレード名でもあった。

[ 2008/09/25 09:02 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Maxima Commercial 1980

トップページNISSANカテゴリーMaxima Commercial 1980 1990_Nissan_Maxima_Commercial
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
マキシマ(MAXIMA)は、日産自動車が製造、販売するセダン型の乗用車である。

北米、メキシコ、ドバイなどで販売されており、そのほか、オーストラリアではティアナ、サウジアラビアやUAEでは、セフィーロを同名で販売している。

日本ではかつて販売されていたが1994年に同ブランド名の車種は販売終了し、海外専売モデルとなっている。

日産・インフィニティQ45やトヨタ・セルシオが登場するまでは、世界に通用する日本製高級車の代名詞でもあった。

3代目 J30型(1988年-1994年)
* 1988年10月:J30型にモデルチェンジされ新発売。

o J30型マキシマの発売当初のCMでは、「MAX, RELAX, MAXIMA」「4WAS、フルオートエアコン、標準装備」のキャッチコピーで、米国人タレントのチャック・ウィルソン、ケント・デリカット、ケント・ギルバート、デーブ・スペクターの4人が起用されていた。

o なお、新型発売前のティザー(予約販売)CMには、大橋巨泉と陣内孝則が起用された。

o 3ナンバー専用の大柄なボディによる広い室内、3000ccのV6エンジン(VG30E型)による太いトルクと静粛性により、快適性を追求したファミリーカーを標榜した。

o ちなみに、4WAS(4輪・アンチスキッド・ブレーキ・システム)とは、ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)の事であり、当時の日産独自の名称であったが、後に全自動車メーカーでABSに名称が統一されている。

o なお、4WASの名称は、2006年11月20日に発売のV36型スカイラインでオプション採用されている4輪アクティブステアの名称として再び使用されている。

* 1989年8月:スポーティ仕様のSE(SPORTS EDITION)を追加

* 1991年1月:SV(SPECIAL VERSION)を追加。

* 1991年8月:マイナーチェンジで専用のVE30系DOHCエンジンが搭載され、外観、装備ともやや豪華さと高級感を意識したものに変更される。

* 1994年8月:生産終了。その後日本向けはセフィーロA32系と統合され、セフィーロA33系を経て現在はティアナとして販売中。マキシマは再び輸出車専用ネーミングに戻った。

英語のMaximumの複数形で"Maxima"より。「最大限」「最大数」などをさす言葉。もともとはブルーバードの北米輸出向け6気筒エンジン搭載車のシリーズ名であった。また、さらに遡ればA10スタンザの最上級グレード名でもあった。

[ 2008/09/26 09:18 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)
FC2カウンター
ブログ内検索
コミュニティ・ツール
ブロガー(ブログ)交流空間 エディタコミュニティ





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。