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Mazda Cosmo Sport 1967 0'20"

トップページMAZDAカテゴリーMazda Cosmo Sport 1967 20071101131402.jpg
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マツダ・コスモは1967年(昭和42年)5月から1997年(平成9年)にかけてマツダが生産・発売していた乗用車である。1972年(昭和47年)から1975年(昭和50年)までモデルネームが中断したが、1975年に復活。1989年(平成元年)に再び中断(生産中止)した後1990年(平成2年)に再び復活し、ユーノス・コスモとして作られた。1996年の生産終了以降、コスモの名は途絶えている。

コスモスポーツ(1967-1972年)
コスモスポーツとは、現マツダ株式会社が(昭和42年(1967年)に旧東洋工業株式会社の社名時代に製造した世界初の実用・量産ロータリーピストンエンジンを搭載した2シータークーペである。

世界初の単一ロータリーピストンエンジン搭載車は現アウディ株式会社(旧NSUヴァンケル社)のスパイダーだが,多くのロータリーエンジン特有のトラブルを克服したかたちで発売された点から,コスモスポーツは世界初の量産多気筒ロータリーピストンエンジン搭載車である.マツダは世界で初めてロータリーエンジンの実用化に成功したメーカーということです。昭和43年(1968年)8月には,mazda110Sの名でニュルブルクリンクで行われた84時間耐久レース「マラトン・デ・ラ・ルート」に挑戦。生産車によってスピードと耐久性が競われる,文字通りのマラソンレースでポルシェ・ランチア・BMW・SAAB・オペル・シムカ・ダットサンなどと激戦を展開,ポルシェ・ランチアに次ぐ堂々4位入賞の快挙となった.参加59台中,完走はわずか26台であった。

コスモスポーツに搭載された10A型エンジンは,それ以降ファミリアロータリークーペ・サバンナRX-3などに搭載された.5枚のハウジング構成から出来ている.開発目的がスポーツカーを眼目である為,エンジンは0813 13 101cの2台のローターハウジング迄含み全て総アルミニュウム合金であった.コスモスポーツ以後の量産モデルはローターハウジングが鋳鉄に変更される.コスモスポーツは炭素鋼を溶射するという高価かつ手の込んだものであるのに対し,以降は特殊鋳鉄を高周波焼入れ加工したものとされ,量産化・低コスト化がはかられた.また加工法もコスモスポーツの砂型鋳造に対し,金型鋳造とされ大量生産された. 昭和47年(1972年)までに前期型(L10A)が昭和42年に343台販売されて,後期型(L10B)の最終販売車までの累計で1176台売られ,終えた.後進のロータリーエンジン搭載車の礎となった.まさに記念すべきモデルである。

昭和50年(1975年)のコスモAPの登場まで一旦コスモの名はここで途絶える。

前期型(L10A)には、10A型ロータリーエンジン(491cc×2)が搭載された。9.4の高圧縮比とツインプラグによって110ps/7000rpm・13.3kg/3500rpmを発生した。車重は940kgと比較的軽量であった。サスペンションは、フロントがウィッシュボーン・コイルの独立懸架、リアにはバネ下重量の軽減に効果的なド・ディオン式のリーフスプリングサスペンションが奢られた。ステアリングにはクイックなラック&ピニオン形式を採用。トランスミッションは4速フルシンクロで、ブレーキは前輪がダンロップ型ディスク、後輪はアルフィン・ドラムであった。なお油圧系統は前後独立のタンデム式。どちらかが故障した場合に備えた安全性の高いものとなっていた。ロータリーエンジンは極力低く、そして後方に配され、のちのマツダのアイデンティティともなるフロント・ミッドシップの発想が既に生かされていた。重量物であるバッテリーも前期型ではトランクに、後期型では室内の助手席後部にBoxで蓋があり回すつまみ式の開閉のタイプだった。ここからマツダのスポーツカーの歴史は始まりました。

ロータリーエンジン搭載用に専用設計されたボディはセミモノコック方式であった。ボディは開口部以外には継ぎ目がなく、ハンドメイドのスペシャルカー然としていた。全ての開口部は来たるべき高速時代を見越して、車両進行方向に対し後ろ開きとされた。デザインにあたっては革新的なロータリーエンジンにふさわしい、大胆かつ斬新なスタイルが望まれた。当時の松田恒次社長から「売り出すつもりのないイメージカーだ」といわれたからこそ、この思い切ったスタイリングが生まれたともいわれる。全高は1165mmと異様に低かった。「軽量コンパクトなロータリーエンジンでなければ成しえないデザインをという学芸大卒業のマツダ初のデザイナー小林平治氏の意図はその低さに結実し、伸びやかなリア・オーバーハング、ボディー中央を走るプレスラインとあいまって、コスモスポーツの未来的なイメージをさらに強調している。ボンネット・フードの小ささ、低さはロータリーエンジンの小ささを暗示する。また、バンパーを境に上下に分けたテールランプも特徴的である。

アルミのダッシュパネルは黒で統一艶消し塗装,無反射ガラスの7連メーター(時計・燃料計・電流計・速度計・回転計・油温計・水温計の順)が整然と並ぶ.フルパッド室内,体の通気性を考慮してあたる部分のみを白と黒の千鳥格子柄のウールを使用.前期はヘッドレスがない.前後に調節可能な3本スポークのウッドステアリング(一部昭和45~46年車:ナルディ社製Φ380ステアリング)標準,真っ赤なジュータンで車内は風格あり,シフトノブは自然に手を下ろした位置,操作できるシュートストローク.クラリオン製オートラジオ、トングルスイッチの上下に作動させるタイプのセミオート・アンテナ、メーター照度調整、ホーン音質切り替え(市街地用・高速用)、2スピードワイパー(途中切ると自動的に原点復帰するタイプ。高速時の浮き上がり防止するフィンも付いていた。)さらにマップ・足元(ドア開閉連動)・グローブボックス・トランクの各ランプなども標準で装備されていた。ドアは二段チェッカーであり、スマートに乗り降りできるように考えられていた。座席の後ろには手荷物を置くためのスペースが設けられ、固定用ベルトもついていた。リアガラスには非常に曲率の大きなものが用いられて、室内の開放感を高めた(現行RX-8およびRX-7のリアガラスはこのオマージュとされる)。助手席側サンバイザー裏面には鏡、足元にはフットレスト、前方のグローブボックス脇にはアシスト・グリップも装備され、まさに二人のための贅を尽くした空間が演出されていた。コスモスポーツひいてはロータリーエンジンにかける東洋工業の意気込みの高さが伺える。

価格は148万円でフェアレディ2000の88万円、スカイライン2000GT-Bの94万円と比べても高価であり、スポーツカーというより二人の乗員のための高級グランドツーリングスポーツの趣きであった。当時の大卒初任給を基準に現在の価格に換算すると、1000万円を優に超える。東洋工業のイメージリーダーであり、「夢の車」であった。

ロータリーエンジンの走りは、レシプロエンジンとはまさに異次元的な感覚をもたらした。当時、ほとんどのレシプロ国産車は4000rpmを過ぎたあたりから騒音・振動がひどくなり、100km/hを超える高速走行では会話すら困難となり、怒鳴りあうようにしなければならぬこともままあった。しかしロータリーエンジンはレッドゾーンの7000rpmまで静粛かつスムーズにためらいなく吹けあがり、さらにその上までも回るかのように思われた。コスモスポーツの加速フィーリングは「走るというより飛ぶ感じ」と表現され、「モーターのようだ」と評された。

TITLE2002年7月号でも三本和彦が「私の好きなマツダ車」としてコスモスポーツを取り上げ、「初めて乗った場所は首都高速。有楽町から羽田までやっとつながったころだったかな。マツダの広報の人を助手席に乗せていたんだけど、初めて乗るんだからちょっとブン回してやろうと思ってね、 120km/hくらい出したの。走り出しは急激な感じではなかったんだけど、アクセルを踏めば踏むほどエンジンが気持ちよくブン回る。 3000~6000rpmくらいまではいいトルク感でした。」と語っている。

昭和43年(1968年)7月には早くもマイナーチェンジ(L10AからL10Bに形式変更)が行われ、ラジエーターグリル形状の変更、ブレーキ冷却口の新設、ホイールベース・全長・トレッドの拡大、トランスミッション5速化、前後ブレーキへのハイドロマスター装着さる。ラジアルタイヤ標準化(155HR15)、ポートタイミングの変更にともなう吸入効率向上によるパワーアップ(110ps/13.3kg→128ps/14.2kg)等を施す。この結果、最高速は185km/h→200km/h、0-400m加速も16.3秒→15.8秒となった。

マイナーチェンジによって、当時としては高級品であったディーゼル機器㈱製のクーラーがオプションで装着可能となった。このヂーゼル機器製クーラーの価格は40万円を超えたという。ホンダN360のフル装備グレードである、ツーリングSサン・ルーフ仕様の価格が42.2万円であった時代である。ユニットは座席後ろの手荷物スペースに置かれたため、冷風は後方から吹き出す形であった。同様な方式はトヨタ2000GT。コスモスポーツ専用設計のクーラーであったため効きは悪くなかったが、発熱量の多いロータリーのためオーバーヒート気味となることもままあった。当時の取扱説明書にも「クーラ装着車はクーラ作動時、シフトをTOPおよびO・Tにし、エンジン回転1500rpm以下の低回転でノロノロ運転している場合オーバ・ヒート気味になることがありますので、このような場合はシフトを2速か3速にして運転してください。」(原文ママ)との記載がある。

また室内のウォッシャー・ワイパー・ディマー・ウィンカーの4スイッチが、1本のコンビネーション・レバーにまとめられた。3点式シートベルト、調整可能なヘッドレスト後期より装備された。パーキング(エンジン始動時自動消灯)や非常灯も装備され,名実共に充実した最高級グランド・ツーリングスポーツに相応しい仕様となる。

この後期型(L10B)の価格は158万円であった。なお車両形式名はL10Bとなったが、エンジンの排気量は変わらず形式も10A型のままであったがエンジンの仕様は数回変更された。ポートやキャブレターやマフラーである。この変更はあまり知られていない。

バッテリーが上がりやすかったとの風評がある。コスモスポーツはキーを抜いてもシガーソケットが通電しており、このためではないかと思われる。マツダ・コスモを一時期所有していた漫画家の秋本治もこれに悩まされ、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』にはその記述が見られる。また石原慎太郎が参議院議員として初登院の際に、国会に乗りつけたことでも知られている。

『帰ってきたウルトラマン』の劇中ではMATの専用車・マットビハイクル(MAT VEHICLE)のベース車両ともなった。昭和42年(1967年)には、調布-八王子間が開通した中央高速に高速パトロールカーとして警視庁第八方面交通機動隊に配備された。

2007年に劇場公開された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』にはコスモスポーツが停車しているシーンがワンシーンだけある。

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[ 2007/10/06 14:00 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)
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