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Toyopet Corona 1500 Delux ad2 1'01"

トップページTOYOTAカテゴリーToyopet Corona 1500 Delux ad 2 20071105204044.jpg

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2代目(1960年-1964年 T20/RT20系)
1960年4月登場。4ドアセダンを設定。初代の失敗を反省し、「新しくないのは車輪が4つあることだけ!」と謳うほどメカニズムが一新された。現在でいう「ティザーキャンペーン」(発売前にボディの一部などを公開すること)も行われている。

しかし、自慢の1枚リーフとコイルの組み合わせによる後輪カンチレバー式サスペンションは悪路に弱く、悪路に入ると後席の乗客が頭を打ちつけてしまうということもあったという。「振動でフロントガラスにヒビが入る」「雨漏りがする」という噂まで流れ「コロナは弱い」というイメージが広がり、またしてもダットサン・ブルーバードの後慶を拝することとなってしまった。

この対策として、1961年3月にニューコロナ1500デラックス(RT20)としてマイナーチェンジし、エンジンをR型1453ccに強化、リヤサスペンションを通常の車軸懸架と半だ円リーフスプリングの組み合わせに変更した。

1963年5月には第1回日本グランプリ、ツーリングカー1300~1600クラス「C-5」に出場し1位から3位までを独占した。

2代続けてコロナが売れないことに頭を抱えたトヨタ自動車販売(トヨタ自販)では、耐久性を訴えるため、「トーチャー・キャンペーン」(トーチャーとは『拷問にかける』という意味)を行った。1962年に放映されたテレビCMでは、コロナが「砂塵を上げながらドラム缶を蹴散らす」という実写映像でお茶の間に耐久性をアピールした。このCMは日本で最初にカラーで製作されたCMとしても知られている。カラー放送を意識してか、赤・青・黄色のドラム缶が並べられ、その上をコロナが走るというシーンもあった。

この他にも「スタント・ドライブシリーズ」として何本かが作られ「ジャンプ台を15mジャンプする」「崖を転がり落ちても平気で走り去る」「コロナでボールを蹴るサッカー試合」といったスタントCMが放送された。

これらのCMを現代の目で見るとかなりあり得ない描写だが、この当時は耐久性・信頼性のアピールとしてまかり通っていた。CMをきっかけにコロナも徐々に人気を取り戻す。

CMは当然、CGはなく全て実写で撮影されているため、まさに命を賭けての撮影だったという。最初の「ドラム缶」バージョンではトヨタ自販の社員が自ら志願してヘルメットを被り、サラシをシートに巻きつけ体を固定した状態で運転したり、「ジャンプ台」バージョンではドライバーを襷(たすき)でシートに固定して撮影した、といったエピソードが旧車雑誌、「ノスタルジック・ヒーロー」で語られた。

バリエーションにはオートマチックトランスミッション「トヨグライド」装備仕様や、サキソマット(自動クラッチ)付き仕様もあった。ライトバンおよびピックアップトラックは「コロナライン」の名で、輸出仕様は「ティアラ」(クラウンの『王冠』と意味を重ねたネーミング)の名で発売されていた。

このモデルでトヨタが味わった苦い教訓は、のちにTOC運動として展開され、全社挙げて品質管理に取り組む契機となる。そして、その後のRT40型の成功へとつながっていく。

1960年4月登場した2代目は、トヨタが総力を挙げてダットサン(1959年にダットサン・ブルーバード(310系)に発展)打倒を目指して開発された本格的な小型乗用車であった。当時のオペル・レコルトを彷彿とさせるデザインは当時の国産車の水準を越えた流麗もので、当時増加傾向にあった女性ドライバーには特に好評であった。車体は先代同様4ドアセダンのみで、ライトバンおよびシングル/ダブルピックアップは引き続きコロナラインとして別シリーズであった。

販売キャンペーンも新しい方式が取られ、発表に先立ち1960年2月頃から新聞紙上に車体デザインの輪郭や一部分を露出して人気を煽る「ティザーキャンペーン」が日本で初めて実施された。

設計上最大の特徴は1枚リーフとコイルの組み合わせによるカンチレバー式のリアサスペンションであった。優れた操縦性と乗り心地を実現したが、当時未舗装が多かった地方の道路でタクシーとして酷使されると、耐久性不足が露呈された。また、ピラーが細くスマートなボディも強度不足が指摘された。[2] こうして主にタクシー業界で不評が広がり、当初好調に立ち上がった販売も1960年末頃には伸び悩むようになり、小型車市場でのダットサン・ブルーバードの優位は、T10系の時代と変わらず続き、トヨタは乗用車メーカーとして国内2位の座に甘んじることになった。

トヨタは状況を回復すべく必死で対策を講じた。1961年3 月には小型タクシー枠が拡大されたことを受けて、クラウンと同じ新規格一杯のR型1453cc60馬力を搭載した「コロナ・1500」(RT20系)を投入、同様に1200cc版を投入したブルーバードに対しパワー競争で差をつけた。更に10月には「コロナ・1500デラックス」(RT20D系)を追加し、自家用車向け販売を強化した。また、特に女性ドライバーに人気があることからイージードライブ装置付きモデルに早くから力を入れ、2速オートマチックトランスミッションの「トヨグライド」(トルクコンバーター付きだがLとDの変速は手動であった)、自動クラッチの「サキソマット」(通常の3速MTのクラッチ操作のみ自動化、トヨグライドより性能ロスが少ない)が追加された。

また、1500登場と同時に問題のリヤサスペンションをコンベンショナルなリジッド半楕円リーフスプリングに変更した。テレビでは「トーチャー・キャンペーン」と称してコロナを悪路で酷使するシーンを流す、日本初のカラー映像によるテレビコマーシャルが盛んに流され、丈夫な車であることを必死にアピールした。

1963年5月に開催された第1回日本グランプリ、ツーリングカー1300 - 1600クラス「C-5」に出場し、1位から3位までを独占した。宿敵ブルーバード・1200は別クラスになったことも幸いしていたが、コロナが丈夫で高性能であることをアピールする好機として、トヨタは盛んにこの戦果を宣伝した。 T20系はまた、対米輸出の戦略車種としても位置づけられ、「トヨタ・ティアラ」(クラウンの『王冠』と意味を重ねたネーミング)として1900ccエンジンを搭載して輸出されたが、1960年にビッグスリーが相次いでコンパクトカーを発売して輸入車に反撃を開始したこともあって、トヨタの期待に反して販売は伸び悩み、アメリカ市場から一時撤退することとなる。

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[ 2007/10/28 13:16 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)
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