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Corvette Vintage TV Commercial Ad 1953 1'34"

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シボレー・コルベット、コーベット(Chevrolet Corvette)は、ゼネラルモーターズのシボレーブランドによって販売されているスポーツカーである。

コルベットは、台頭し始めたヨーロッパ製スポーツカーへの対抗心によって産み落とされた。アメリカン・モータースポーツの象徴として、フォード・マスタングらと並べて語られることも多く、シボレーのスポーツブランド・イメージを確固たるものとして印象づけている一台である。そのイメージはアメリカ車らしく、大排気量エンジンをフロントに積み、太いトルクを後輪に供給する、典型的なフロントエンジン・リアドライブを現代に至るまで貫き通している。また、時代に合わせて頻繁にアップデートが施され、時には走行性能だけではなく、外観を激しく変えるほどのマイナーチェンジが果たされることも珍しくない。一方で太いトルクによる大馬力に固執し、一時期DOHCエンジンを採用した事があったものの、最新型においてもOHVエンジンを採用し、低回転・大トルクがコルベットのアイディンティティとなっている。

コルベットは、その基本性能の優秀さから初代C1型コルベットの時代から様々なレーシング仕様が製作され、数多い功績を挙げた。ワークスでのレース活動を休止していた時期もあるが、その間を埋めるようにプライベーターによる参戦も盛んに行われた。

現在、欧州や日本ではシボレーのブランド名が落とされて、単にコルベットとして販売されているが、シボレーブランドのフラッグシップモデルである事には変わりはない。また日本への輸入はGMアジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)によって行われている。

初代(C1 1954年-1963年)
シボレー初の2シーターレイアウトのオープンスポーツカー。1953年にプロトタイプが披露され、翌年に生産を開始する。初期のC1型コルベットは、純粋なスポーツカーというより、スポーツカーと先進的イメージを押し出した雰囲気車のような感は否めず、スチール製バックボーンフレームに、量産車としては初めてとなるFRPボディパネルを貼り付けた、ヨーロッパ車顔負けの先進的な特徴を有していながら、最高出力150馬力と貧弱な3859ccの排気量を持つ水冷直列6気筒OHVエンジン、2速オートマチックトランスミッションなど、少なくとも本質的な走りを重視する人々の琴線を刺激するだけの魅力は持ち合わせていなかった。しかも品質不足での購入者からの苦情も殺到した。これは先進的なFRP素材を使用したがために起こってしまった弊害で、まだ厳密な品質が確立されていなかった時代であったため、温度差によってボディパネルが歪んでしまうことが原因であった。

初期にはこのようなメーカー側の不備から批判を受けたコルベットであるが、しかし、優れた車体特徴を備えたコルベットを見放さなかったのは、チューニングを生業とする者達だった。彼らは市場の不満の声に応えるかのごとく、エンジン・チューニングキットや、マニュアルミッションへの交換などを請け負い、潜在的な需要を満たした。

しかし、コルベットの評価を一転させるマイナーチェンジが行われることとなる。その先鋒に立ったのがゼネラルモーターズ実験部門に所属していたエンジニア、ゾーラ・アンカス・ダントフで、シボレー・セダン用の4343cc水冷V型8気筒OHVエンジンを専用にチューンを施し、コルベットのエンジンルームに押し込むことにより、大幅なパワーアップを達成する。1955年ではオプション扱いだったものの、1956年からは通常ラインアップに加わり、逆に当初の標準だった6気筒エンジンは蹴落とされる格好となった。ちなみに、このエンジンは後々のコルベットにもスモールブロックユニットとして受け継がれていくこととなる。トランスミッションもボルグワーナー製の3速マニュアルトランスミッションが選べるようになり、いよいよ本格的なスポーツカーとしての認知を得るに至る。以降、ドーピングのごとくパワー至上主義路線を貫くようになり、200馬力前半だったパワーは、最後期には300馬力オーバーに達するまでになった。

C1型コルベットは、本格的にレースにも参戦し、そのテストベッドとして1954年にMule(雑種の意)と呼ばれる、レーシングチューンの施されたV型8気筒エンジンを搭載したモデルがあった。Muleは最高速トライアルやデイトナに参戦し、このモデルの活躍がコルベットの名声を高めるきっかけとなった。その後、1956年のセブリング12時間レースに参戦するために手直しされたコルベットSR(セブリング・レーサー)が出走し、クラス優勝に輝く活躍を見せ、1957年以降には数々のレースでアマチュアレーサーの手で走らされるコルベットを見るようになった。また、SRが活躍したとほぼ同時期に、更なるパフォーマンスアップを図ったSR2に発展し、1957年のデイトナでル・マン24時間レースの王者であるジャガー・Dタイプに続く2位に食い込み、その実力を示したが、コルベットのレース活動の指揮を執っていたゾーラ・ダントフの意向により、SR2の現役としての期間は短く、その活動はコルベットの名を冠した、しかしオリジナルとは関連性のない新たなレーシングカーであるコルベットSSに委ねられた。

スティングレイレーサー
C2型コルベットの直接的なデザインスタディとなったのが、スティングレイレーサーと呼ばれる車である。しかし、この車は紆余曲折の末にようやく生まれた車だった。当時のAMA(自動車工業会)は、1957年のNASCARで起こった事故を契機に神経質になり、自動車企業に対し一切のワークスによるレース活動を事実上禁ずる処置を申し合わせていた。そのため、シャシーを完全新設計し、コルベットの名を借りたレーシングカーとしてサーキットでの活躍を確約されていたコルベットSSは、大きな舞台をほとんど経験することなく、テストカーとして生涯を終える運命にあった。 それを阻止したのが、C3型コルベットまで開発の中枢メンバーの一人だったビル・ミッチェルで、彼はコルベットSSのフレームを流用したMule(C1型ベースのものではなく、コルベットSSの計画が立ち上がる際に新規製作されたもの)を僅か1ドルで引き取り、新たなデザインに仕立て直した。デザインを手がけたのは、シェルビー・コブラデイトナクーペの設計を担当したこともあるピート・ブロック。彼は当初、クーペスタイルを主張したが、いくつかの変遷を経てオープンカーとすることになった。

フレームには鋼管スペースフレーム構造が採用され、オープンカーながら剛性の高いシャシーを実現した。サスペンションは、前ダブルウィッシュボーン式、後ドディオン・アクスル+トレーリングアームが採用された。しかし、デフにLSDを採用せず、ブレーキはレーシングカーとしては性能不足な4輪ドラムブレーキであったため、ハードなコーナーリングをすると内側のタイヤがホイールスピンし、レースを走り終えると必ずフェードを起こす、レーシングカーとしてあるまじき事態を引き起こした。ブレーキに関してはディスクブレーキの性能に懐疑的だったGM首脳陣が採用を認めなかったことが原因と言われている。

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[ 2009/01/17 15:30 ] CHEVROLET | TB(0) | CM(0)
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