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Honda Prelude 1979 0'25"

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ホンダ・プレリュード(PRELUDE) は、本田技研工業で生産されたスポーツクーペ、スペシャルティカーである。

1978年に、ベルノ店の発足と同時に同店向け専売車種として大々的に登場した。日本車初の電動サンルーフ、ABS、4WS、ATTS、Sマチック等、挑戦的かつ革新的にその時代の最新技術や最新装備を一番に取り入れて行く姿勢は終始一貫していた。同クラスには、日産・シルビア、トヨタ・セリカ等があった。 初代で日本のスペシャリティー市場に先鞭を付け、2代目・3代目は人気の頂点を極めたが、S13型シルビアの登場、そしてミニバンブームの到来によってスペシャルティカー人気が下火となり、プレリュードは5代目で姿を消すことになった。

初代(1978-1982年 SN型)
1978年11月24日に、145クーペ以来の2ドアクーペとしてアコードをベースとして登場。ベルノ店専売モデルとして、NSXが登場するまではフラッグシップ(最上位車種)の位置付けであった。

“光と風”をテーマにロングノーズ・ショートデッキ、ワイド&ローのスタイリングを特徴とした。エクステリアは、一説によれば当時のメルセデスSLをモチーフにデザインされたようで、発売当時「川越ベンツ」(一流気取りの埼玉の田舎者という意味)と揶揄された(このニックネームが当時のデザイナーたちを奮起させ、2代目の成功に繋がった)。但し、海外では販売が好調であった(約4年における総生産台数約31万3000台のうち、80%程度が輸出向け)。総生産台数は5代続いたプレリュードの中で歴代3位である。

プロモーションの手法にも工夫が見られた。CMには、60年代のホンダF-1ドライバーとしてレースシーンを席巻したジョン・サーティースが起用され、この車のターゲットユーザー像や使用されるシーンを連想させていた。(ただ車名を連呼するだけの他社のCMとは一線を画したセンスを、声高な主張無しに教えてくれている。)

エンジンは、当時のアコードと共用でEK型 直列4気筒 SOHC 8バルブ 1,750ccのCVCCエンジンを採用。その後モデルイヤーを経る毎に改良を重ね、出力は90→95→97PSと進化した。1980年4月25日のマイナーチェンジで、酸化触媒付CVCC-IIとなり、エミッションを犠牲にすることなく、ドライバビリティを向上させた。また当初 2速であったホンダマチックは、オーバードライブ付の3速となった。5速MTは、エンジンの変更に合わせてギア比を変更するも、基本は同一であった。年々細部の改良を続ける辺り、欧州車の手法と同じである。

初期型のシート表皮には通常のファブリックに加え、「XR」及び「XE」には英国ジャガー、ロールス・ロイス等の高級車に採用されているコノリーレザーが工場オプションで選択可能であった。

このモデルで特筆すべきは、国産初となる電動サンルーフが標準装備されていたことである(「E」、「T」を除く)。1,290mmの全高によりアイポイントが低く、当時の日本車には無い感覚であったが、座高の高い者には運転が苦痛であったとされたが、開口部を大きく設定したサンルーフは開放感を高め、快適性を大いに向上させた。初期モデルでは鉄板のサンルーフであったが、中期型以降では格納式サンシェードを持つガラスサンルーフ(輸出用はアクリル樹脂製)が採用された。

その他、視認性を高めるため、スピードメーターとタコメーターが同心となった集中ターゲットメーターが装備されていた。但し、北米向けは現地の声を取り入れ、モデル中期に通常の2眼メーターへと意匠変更された。ロータリー式ラジオ、集中ターゲットメーターを始めとするインパネの意匠は独特で賛否両論であったが、1981年10月の最終モデルチェンジでその意匠が大幅に変更を受け、トレイ形状のダッシュボード、直接光+透過光を採用したメーター類、クルーズコントロール、ナビゲーションコンピューター等で更に使い勝手を向上させた。オーディオ類はそれまでのロータリー式ラジオ+別体カセットデッキを廃止し、通常の1DIN タイプとした。

最上級グレードとして新たに設定された「XXR」はフロントにベンチレーテッドディスクブレーキ(他グレードはソリッドディスク)、リアにソリッドディスクブレーキ(他グレードはドラム)、8inサーボ(他グレードは6in)が奢られ、工場オプションで革シート+専用外装色(サボイブラウンメタリック・ツートン)の選択も可能であった。生産終了まで後1年という状況に加え、販売台数も少量の車種でこれだけ開発費用と生産設備へ負担を掛けた"マイナーチェンジ"を敢行したホンダの英断は揶揄ではなく他の国内量産メーカーでは真似ができない。 また、当時のシビック/アコードは、モノコックボディにサブフレームを付けた構造だったが、プレリュードではサブフレーム一体型のモノコックボディが採用され、フロントピラーも2重構造になる等、当時の生産技術では難易度が高い設計であった。サスペンションは前後共にコンベンショナルなストラットであるが、スプリング、ダンパーの中心軸がオフセットマウントされ、滑らかにストロークすることを意図して設計されていた。フロントサスペンションはバンプステア領域を意図的に設定し、ヨーゲインを高目にすることで操縦応答性を確保した。このためFFでありながらアンダーステアを抑え、コーナーリング限界付近ではリアから滑り始めるといったあたかもFRのような挙動を示した。このような特徴から当時としては出色の足回りとされ、操縦性において日米欧各国での評価は高かった。

各部の専用設計、インパネ専用組立ラインなど、他モデルとの部品や生産設備の共用化が前提となった現在では考えられない程コストと開発工数を掛けて造られたモデルであり、ホンダのマイルストーンとして本来はもっと評価されても良い。

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[ 2008/07/27 13:52 ] HONDA | TB(0) | CM(0)
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