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Mazda Luce Ad 1'58"

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マツダ・ルーチェ (LUCE) は、マツダから製造・発売された乗用車。マツダのプレステージセダンとして発売。

3代目後期型と5代目は「メルセデス・ベンツに似ている」という意見も聞かれたため、「広島(産)ベンツ」と呼ばれた事もあった(5代目については実際、広報資料では当時のベンツ・ミディアムクラスとツーショットで「日本のベンツです。」と謳っていた)。

初代(1966年-1972年)
1966年発売。スタイリングは、当時ベルトーネに在籍していたジョルジェット・ジウジアーロで、当時の競合車種、トヨペット・コロナ、ダットサン・ブルーバード、プリンス・スカイラインといった1500ccクラスのファミリーセダンとはまったく別次元の美しさであった。

ボディサイズはそれらに比べ、若干大きめで、ライバル車がいずれも5人乗りであったのに対し、ルーチェは2000ccクラスのセダンで一般的だった、フロント3人掛けの6人乗りであり、広告でもこの点がアピールされていた。初期の広告の「子どもは法律上三人で(大人)二人と換算されるので、8人乗りも可能です」というフレーズは、当時の市場の要求をよく反映している。2年後に相次いで発売される、日産・ローレル、トヨタ・マークIIなどの、いわゆるハイオーナーカーの先駆的な存在であったといえる。

また、開発初期に、同じベルトーネのスタイリングながら、市販車とはまったく異なる姿のプロトタイプがあったことが知られており、幻となったプロトタイプは、大盛屋のミニカー、ミクロペットにその姿を残している。

1966年8月 4ドアセダン(1500)が発売される。(営業者向けのいわゆるスタンダード)

1967年6月 SS追加。エンジンをツインキャブなどでチューンした高性能モデル

同年10月26日 第14回東京モーターショーのマツダブースに、「ファミリアロータリークーペ」となることが予想されていた「RX85」と、より大きな「RX87」の、2台のプロトタイプが出品される。この「RX87」こそ、後の「ルーチェロータリークーペ」であり、やはりジウジアーロのスタイリングによる、伸びやかな2ドアハードトップボディを与えられ、その下には、655cc×2ローターから126馬力を発揮する、13A型ロータリーエンジンと、マツダとしては初めてとなる、前輪駆動のドライブトレインが包み込まれていた。

1968年12 月 1800が追加される。1500もSSを含め併売される。大きな車体に1500ではパワー不足は明らかであったための追加投入。ボンネット中央に大きなエアスクープが追加されたので識別は容易。ただオリジナルデザインの美しさは損なわれた。しかし1800の投入タイミングは遅きに失した感が強く、オート三輪や軽自動車を主力とした当時のマツダの販売力では、需要層であるアッパーミドル層へ浸透しにくかったこともあって、販売は苦戦続きであった。むしろデザインの美しさを買われ、欧州向け輸出の方が好調だった。

1970年代に入るとマツダ自身も、カペラやグランドファミリアなど、より時流に乗じたデザインの新型車を続々投入し、初代ルーチェは忘れられた存在になっていく。

1969年10月 コスモスポーツ、ファミリアロータリークーペに次いで、1967年のモーターショーに初登場し、翌68年のショーで最終試作車が披露されていたRX87の市販モデル、「ルーチェロータリークーペ」が登場。三角窓のない2ドアHTは日本初であったが車名は「クーペ」であった。この車体も、マツダ初のFWDを採用した機構もセダンとは全く別物であった。最高速度190km/hを誇り、カタログでは「ハイウェイの貴公子」と謳われたが、スーパーデラックスで175万円という価格は、コスモ・スポーツ同様、マツダ車の顧客層にはミスマッチで、1972年9月の生産打ち切りまでに976台が造られたに過ぎない。ルーチェセダンはもとより、創生円半径が唯一異なる13Aエンジンをはじめ、他のマツダ車との互換性にも乏しく、補修部品の入手も困難で、現存台数はごく少ない。当時の専門誌の試乗記ではスーパーデラックスに標準のパワーステアリングが軽すぎ、路面感覚を伝えないと不評で、美しいスタイルに比べ機構面は熟成不足であったらしい。

2代目(1972年-1978年)
1972年発売。トヨタ・マークII、日産・ローレル、日産・スカイラインを強く意識した旧型とはまったく違うテイストのデザインとなった。ボディタイプは4ドアセダン、2ドアハードトップ、そして4ドアセダンに2ドアのフロントマスクを装着した「カスタム」の3種類。

デビュー当時から低公害仕様のAPモデルが用意され、東京都など公害問題に関心の高かった自治体の公用車に黒塗りのセダンGRモデルが多用された。ちょうど昨今のトヨタ・プリウスのような存在であったが、このブームは翌年の第一次石油危機でたちまち終息した。

1972年11月 フルモデルチェンジされる。ロータリーエンジン(573cc×2・RE)搭載。
1973年4月 レシプロ1800追加。
1973年6月 50年排ガス規制に適応したAP仕様発売。(優遇税制適用車)
1973年12月 13Bロータリー搭載のグランツーリスモ、ワゴン発売。
1974年11月 不評の燃費を多少改善したREAPS4エンジン搭載。
1975年10月 マイナーチェンジ。「カスタム」を残し、4ドアセダンは廃止。
1978年7月 3代目ルーチェレガートと併売していたが、販売終了。

3代目 LA4系(1977年-1981年)バンは1978-88年
1977年10月 2代目の追加モデルとして高級版のルーチェ・レガートが登場。ロータリーエンジン(573×2RE/654×2RE)、4気筒2000(MA型・110馬力)。当面は2代目も併売。1976年モデルのシボレー・マリブクラシックに酷似した縦置き角型4灯式ヘッドライトが特色のボディには、当時のトヨタ・クラウン4ドアハードトップに似た4ドアHT・4ドアセダン・5ドアバン(1978年7月発売)(輸出先ではワゴン)の3バリエーションがあった。サイドビューはセダンと4ドアハードトップがほぼ同じで当時のセドリック330型と似ていた。内装も競合車と同様に豪華であった。販売の主流がロータリーエンジンでトヨタ/日産のライバル達は6気筒レシプロエンジンを搭載していたことで「ロータリーは燃費が悪い」と批判されたことと個性的過ぎたフロントマスクで販売は芳しいものではなかった。

1978年7月 運輸省への形式認定申請をルーチェで行っていたことから、レガートの名称が無許可使用と看做され使用不能となったことから、サブネームが外れ元のルーチェとなる。4気筒1800(VC型)搭載車と5ドアバンをフルモデルチェンジと同時に2代目販売終了。

1978年9 月タクシー仕様車(2000LPG)追加。なお、同代のタクシー仕様車には、「中型料金・6人乗り」(コラムシフト)と「小型料金・5人乗り」(フロアシフト)の2仕様が設定されていた。このタクシー仕様は教習車仕様(3速フロアシフト)同様、丸型2灯式ヘッドライトだった。

1979年3月 ロータリーエンジン搭載車の53年排ガス規制適合で654cc×2ロータリーの13B型のみとなる。

1979年10月 マイナーチェンジ。フロントマスクがオーソドックスな角型2灯式ヘッドライトに変更される。特にセダンは当時のメルセデス・ベンツに近似したグリルとなった。タクシー仕様は中型仕様に統一。 1980年9月 セダン2200ディーゼルとハードトップ2000EGI追加。

1981年10月 セダンとハードトップがフルモデルチェンジ。バン継続生産されカペラカーゴが登場する88年3月まで生産された。

2代目とともに1980年代前半のテレビドラマ(土曜ワイド劇場・探偵物語・大激闘マッドポリス'80などいずれもマツダ提供枠)で多数カーチェイスを伴うスタントカーとして登場している。

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[ 2008/04/30 15:55 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)
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