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Mazda Familia Ad 3'13"

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1963年(昭和38年)10月から2003年(平成15年)10月まで、マツダ(旧東洋工業)が製造生産していた小型自動車である。現在は日産自動車からOEM供給を受けて販売されている商用車のファミリアバンにその名前が残っている。

初代(1963年~1968年)
当時、主力商品をオート三輪から軽自動車や小型トラックに移行させつつあった東洋工業(マツダ)は、キャロルとファミリアという2つの小型車の開発を開始する。しかし、小型自動車への参入は時期尚早と判断され軽自動車であるキャロルが先に発売された。

ファミリアは市場調査の結果、商用車としたライトバンの開発が優先された。このライトバン車種が1963年10 月に「マツダ ファミリア」として販売開始され最初のファミリアとなった。水冷4気筒OHV782cc、最高出力42PS/6000rpm 最大トルク6kgm/3200rpm。乗員5名、後部シートを倒した時の積載量400kgであった。テールゲートは上下水平開きで、上側扉はフリーストップと呼ばれどの位置でも固定できる機構が採用されていた。スタンダード車種が43万8千円、デラックス車種は46万8千円で販売された。ファミリアは当時の他のライトバンと比較し、「貨客兼用というよりも乗用に近い」と評された。

1964年4月には、乗用タイプとして「ファミリアワゴン800」が追加された。1964年10月に4ドアセダン車種が追加発売され、「ファミリアセダン800」と名づけられた。この時点で総アルミ合金エンジンが搭載され、これは「白いエンジン」と宣伝された。さらに翌月の11月に、2ドアセダン車種「ファミリア2ドアセダン800」が追加された。

クーペ車種は、1965年11月に1000ccエンジンを搭載して「ファミリアクーペ1000」として発売された。セダンとクーペはベルトーネ、トラックは小杉次郎がスタイリングを担当し、個性的で美しいイタリアンデザインが好評を博し、商業的に成功を収めた。800(782ccエンジン)のモデルは、前方のナンバープレートを上方にめくり上げるとバンパーにクランク棒を通す穴が設けられており、これにより、バッテリー上がり時にはクランク棒による始動ができた。

4代目(ハッチバック 1977年~1980年:バン 1978-1985年)
4代目ファミリアAPは20代、30代の若い人々の要求に応えるべく、「新しい感覚」、「多用途性」、「経済性」に優れ、かつ「高品質」という4つのテーマで構想開発され、業界の常識を破る2年というスピードと、少ない開発費(20億円)で完成、1977年1月24日に発売された。1975年の8番目に開発着手されたモデルであることから、社内略号では「X508」となるが、それをそのまま広告にも用い、話題となった。

欧米の小型車の主流となりつつあったハッチバックを採用、リアに二代目コスモの5リンク支持リジッドアクスルを流用したのも特徴的である。

グレードは3ドアSTD / DX / GF / スーパーカスタム、5ドアSTD / DX / GL / スーパーカスタム。

1978年1月 バンのフルモデルチェンジ。2ドアと4ドアの二種類。既存ハッチバック車は昭和53年排出ガス規制適合と同時に一部変更。バンパーサイドにラバー横着。スーパーカスタムとGFのフェンダーミラーが角型になる。テールゲートのMAZDAロゴ大型化。

1978年3月 1400追加。エンジンはUC型・1415cc 80馬力。3ドアツーリングカスタムはハロゲンランプとラジアルタイヤが標準装備となった。グレードは3ドアがGF、スーパーカスタム、ツーリングカスタム、エレガントカスタム。5ドアGL、スーパーカスタム、エレガントカスタム。中でもエレガントカスタムのインテリアは、明るいベージュで統一されルーチェ並みに豪華であった。

1978年7月 1400に3速オートマチック車追加。

1979年4月 マイナーチェンジでヘッドライトが角形となる。マニュアル車は低速ギヤの歯車比をアップ。その他50項目に及ぶ改良を実施。欧米ではスタイル、性能、耐久性などが評価され、売れに売れたが、日本での売り上げは海外と比べると今一つであった。

1980年6月、ハッチバック車が満を持して登場したFF(BD系)にフルモデルチェンジされたが、バンは排出ガス規制適応とマイナーチェンジを行い、1985年12月まで生産された。

ハッチバックはさらにその後、主要コンポーネンツをそのままにスキンチェンジを行い、東南アジアでの現地生産車である「MR90」へと受け継がれている。

ちなみに、映画『幸福の黄色いハンカチ』で武田鉄矢が運転していたのは赤の5ドア・スーパーカスタムである。

CMキャラクターは、前期型丸2灯ライト車が秋川リサ。後期型角2灯ライト車がチェリッシュである。

5代目(1980年~1985年)
第2次オイルショックが勃発した後の1980年6月、5代目にモデルチェンジする。

ボディは6月に発売された3・5ドアのハッチバックと9月追加の78年で生産中止なったグランドファミリア後継の4ドアのサルーン。スタイルはウェッジの効いたローワーボディと、大きなグリーンハウス(窓面積)によるクリーンなものに様変わりした。前期モデルのサルーンはハッチバックと顔つきが異なり、逆スラントノーズであったが、1983年のマイナーチェンジでハッチバックと同じ顔つきとなる。

5代目のプラットフォームは、このクルマのために新規に開発されたもので、マツダ・BDプラットフォームと名づけられた。この世代で駆動方式が後輪駆動から前輪駆動となり、エンジンとトランスアクスルとを同軸に配するジアコーサレイアウトを採用した。リアには台形に配した2本のラテラルリンクと、長いトレーリングリンクをそれぞれのストラットをで支持する「SSサスペンション」と名づけられた、変形パラレルリンクストラット式を開発、簡潔な構造ながら抜群の操縦安定性を獲得した。

シートはフルフラット化が可能な前席と、2分割でたためる上に角度調整(リクライニング)も備える背もたれを持った後席となっている。特に、3ドア「1500XG」の後席は、背もたれ部と側面内張りが丸みを帯びて連続するラウンジソファシートが採用されている。

若者の心をがっちり捉え、アッと言う間に100万台を生産、マツダ復活を果たしたベストセラーモデルになった。特に赤色の「XG」が若者に大人気で、これに乗っていれば確実にナンパは成功すると言われた。モテアイテムとして、リアウインドウに張られた東京ディズニーランドと苗場プリンスホテルのステッカー、サーフボードをルーフキャリアにボルト留めしたスタイルが定番化し、「陸(おか)サーファー」なる流行語を産むなど、「赤いファミリア」は社会現象となった。

1980年9月発売にはノッチバックの「サルーン」が追加され、これも成功を収めた。1982年には「オートラマ」店向けに姉妹車のフォード・レーザーも発売され、また、1983年1月にはマイナーチェンジを実施し、ファミリア初のターボエンジン車であるターボも発売された。日本、アメリカ、オーストラリアでカーオブザイヤーを受賞した。モータースポーツでも輝かしい功績を上げ、WRCモンテカルロ・ラリーではクラス優勝となっている。また、イメージキャラクターに北大路欣也を起用し、CM曲には高中正義のギターミュージック(採用曲は時期によって多数あり)を流していた。

ワゴン・バンは4代目を改良し継続生産。この時点でフロント周辺のデザインが5代目のハッチバックモデル(特に前期型)に似た顔つきになる。

このモデルは、記念すべき第一回目の日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車でもある。

6代目(1985年~1989年 バン/ワゴンは-1994年)
ファミリアは当初1984年にモデルチェンジする予定だったが、5代目が好評だったため、1985年1月の発売となった。

6代目は先代の成功からキープコンセプトの保守的なものとなり、スタイルの新鮮さよりも中身の熟成をアピールするようになる。バリエーションは非常に豊富で、定番の3・5ドアハッチバックと4ドアセダン、久しぶりのモデルチェンジで前輪駆動化されたバンとワゴン、1600ccツインカムターボ、日本初のフルタイム4WD、実用的なディーゼルエンジン、ファミリアで唯一のオープンカーであるカブリオレ、可変吸気システムを採用したスポルト16、後輪部に日本初のビスカスLSD(リミテッド・スリップ・デフ)採用したラリー競技ベース車であるGT-Aなどがある。しかし、新機軸の4WDやターボエンジンが注目された割に、普通のモデルはシビックやカローラFXに比べると地味な存在だった。

プラットフォームにマツダ・BFプラットフォームを採用。派生車にスペシャリティカー風のエチュードがあった。

イメージキャラクターは中井貴一

前期型はBDファミリアから受け継いだタイミングチェーン式のE3型 / E5型エンジンを採用していたが、まず1985年7月にはファミリア初の1700ディーゼルエンジン車が追加された。1985年10月にB6型 油圧式ラッシュアジャスター付直動式DOHC16バルブターボモデルを追加し(3ドア∞、3ドアGT、4ドアセダンGT)、当時国内1600ccクラス最高の140ps(ネット)を発揮した。

それと同時に日本初のフルタイム4WDモデルも追加した(3ドアGT-X、3ドアGT[4])。これはマツダとしてはWRC参戦計画の一環で作ったものであり、当時RX-7でグループBを戦っていたマツダが、ラリーにはフルタイム4WDでないと勝てないという現実をライバル車から見せ付けられたためである。こうして、投入されたフルタイム 4WDのBFMRは、マツダ・ヨーロッパのラリーチームにより、RX-7と入れ替えで参戦。スエディッシュラリーでの優勝などから、雪の女王とも呼ばれるようになった[5]。フルタイム4WD発売記念限定グレード「ラリースポルト」が発売されている。

1986年7月には1500ターボに代わって1600DOHC16 バルブの自然吸気仕様のスポルト16を追加。後期型ではフルタイム4WDラインナップが更に充実、セダンへの追加や豪華仕様XGiグレード(B6型 EGI・SOHC8バルブエンジン、油圧式ラッシュアジャスターを採用)の追加等も相まって、マツダのフルタイム4WD生産台数100万台への後押しとなった。ちなみにこのXGi 4WDには、マツダ4WD初の4速ロックアップ付きATが搭載されていた。

WRCでは次なるBG8Zファミリアにバトンタッチするまで、前期型を継続採用。日本国内においても、このWRCカーのベースモデルである3ドアGT-Xが圧倒的な人気を誇った。

保守的なスタイリングが販売面で裏目に出るようになると、後期型では大幅なフェイスリフトにより、ターゲット層が異なるハッチバック系とセダン系・ファミリー系とスポーティ系で差別化を図るようになる。タイミングチェーン駆動のE型エンジンは廃止され、B6型と同じゴム製タイミングベルト式で油圧式ラッシュアジャスターを採用するB5型(1500cc、SOHC8バルブ)、B3型(1300cc、SOHC8バルブ)エンジンに改良された。これにより E型のタペットを叩くようなシャカシャカ音はなくなり、マツダ特有の図太いノイズエンジン音に変化した。

カブリオレは塗色は専用色とされ、前期型(BF5S)ではE5型ターボを搭載していたが、後期型(BFMS)ではB6型DOHCに変更された。また、前期型は5速マニュアルミッションのみであった。

後期型のフルタイム4WDには、競技モデルに快適装備を追加したGT-Aeが存在した。また後期型は、セダン拡販にも力を入れており、1500XGをベースにしたスポーティモデルのグランツなど、多岐にわたるモデルが存在した。

WRCでは次第にB6型のパワー不足が顕在化、急遽RX-7をフルタイム4WD化したモデルで参戦するなどの対策が講じられ、次期型 (BG8Z) の開発が急がれる結果となった。後期型の競技モデルGT-A、GT-Aeはハイオク化され、エンジン出力が150psにアップ。しかし市販車ベースの5速ミッションは弱く、国内ラリーでは“3速抜け問題”が頻発した。

モデル末期の1988年1月には、1300ccモデルの最廉価グレードをベースにエアコン、パワーステアリング等が標準装備されたお買い得な特別仕様車「クレール」シリーズや4ドアセダンのB6型DOHC16バルブEGIエンジン搭載モデルをベースにした資生堂の男性用化粧品「タクティクス」シリーズとのコラボレーションから生まれた完全限定車「ファミリア タクティクスバージョン」(全国100台限定)も発売された。フルタイム4WDの廉価版としてレバンテというグレードが存在した。セダンは、XL 4WDをベースに、ハッチバックはXR 4WDをベースに作られたが、廉価化のために、XR 4WDからタコメータを取り外している。

東映制作の特撮ドラマ超人機メタルダーに6代目ファミリア3HBが登場。通常施されがちな派手な装飾も無いまま、変形して空を飛ぶという演出が施された。

4代目を継続生産をしていたバンモデルも、ようやくフルモデルチェンジされた。4ドア車2/5人乗り車に一本化され、これと同じボディのワゴンモデルが初代以来の復活となった。ワゴンのエンジンは1987年2 月にE型からB型に変更されたが、バンの2WDモデルは最後までE型が搭載されていた(バンにもB型エンジン搭載の1600cc4WDモデル(セダンと同じXGiというグレード名が与えられた)が1989年11月追加)。ちなみにバン・ワゴンは、3ドアとセダンがフルモデルチェンジされた後も1994年まで生産された。これ以降のファミリアのバン・ワゴンは、日産のOEM車となった。1600ccのフルタイム4WD XGiは、型式こそE-BWMRとなったが、コンポーネンツは、E-BFMRと共通である。後期型のE-BWMRは、初期型(1987年)と違い、E- BFMR同様、フロントバンパーとリアバンパーが下まですっぽり覆うカラードタイプになっている。また175SR13だったタイヤサイズも14インチ化された。初期型のE-BWMRには、サンルーフ設定があったが、後期型では廃止されている。

日本国外では、南米にて、現在もセダン、ハッチバックが継続生産されている。

7代目(1989年~1996年)
1989年2月、ファミリアは7代目にフルモデルチェンジされた。保守的な従来モデルから大幅にコンセプトの変更が行われている。またこの代のファミリアはドイツ車のように非常にしっかりしたボディ剛性をもち、走りの安心感や、ハンドリング性能も高かった。

フルタイム4WDはWRC向けのモデルと、大衆モデルに分けられ、WRCをねらったモデルは、GT-Xとして登場した。1800ccで180psを出すこのグレードは、旋廻性を考慮して、センターデフロックを排除し、ビスカスLSDが導入された。リアデフも純正でビスカスLSDが装備された。大衆モデルはインタープレイとクレールの中に属し、先代同様、センターデフロックスイッチ付きのフルタイム4WDとなった。1500ccの4WDは廃止され、 B6に一本化された。しかし、コストダウンが図られ、先代のB6 SOHC EGIエンジンから、EGIが削除された。そのため、先代の85psから91psへ6psパワーアップしたものの、吹け上がりが悪くなった。またセダン 4WDからは、先代にあったリアワイパーも廃止された。寒冷地仕様のフルタイム4WD車には、ヘッドランプウォッシャーが装備された。

デザインは3ドア、セダン、5ドアがそれぞれ全く別の異なったデザインとなり、同じファミリアの名前を用いていても外観は完全に別々の車の形状をしていた。

3ドアは全長を詰めてコンパクトさを演出し、フランス車を思わせる小粋なハッチバック、セダンは当時発売されていたメルセデス・ベンツ 190Eの影響を大きく受けたボディフォルム、後述する5ドアは、従来のものとは一線を画すイタリアン・デザインを与えられ、「アスティナ」として独自の道を歩みはじめるなど、それぞれの個性を最大限に生かす、新たなチャレンジに打って出た。

また、この7代目でも平行してファミリアの姉妹車としてフォード・レーザーがオートラマ系列で販売されていた。ファミリアとは大幅に異なるデザインが与えられ、特に3ドアは「クーペ」スタイルとなった。なおワゴン・バンは先代BFのままでエンブレムの変更など、一部の改良にとどまった。

プラットフォームにマツダ・BGプラットフォームを採用。エンジンはディーゼルを除き、DOHCだけでなくSOHCも全て16バルブ化され、ホイールのPCDが114.3mmから100mmに変更になった。

スポーツモデルも豊富で、1800ccのインタークーラー付きターボモデルのGT-Xは180psものパワーを出し、WRCで1989年グループN部門のマニュファクチュラーズ・チャンピオンシップおよび1991年のドライバーズ・チャンピオンシップを勝ち取った。しかし、インタークーラーが横置きで、放熱に問題があった。その後、1992年1月にWRCでのパワー不足を補うためにGT-R(210ps)を発売。インタークーラーもフロントに設置された。バブル崩壊による会社の資金難により、ワークスチームは1992年を持ってWRCからは無期限撤退となり、以降の参戦は無かったが、プライベートチームにより、1993年グループNチャンピオンとなるほか、全日本ダートトライアル選手権三連覇を達成した。他にはGT-Aの後継であるGT-Aeがある。

マツダの特別限定車に与えられるアンフィニ(∞)グレードが、セダンに設定された。GT-Xと同じ1800ccエンジンを搭載したが、NA化され、アンフィニグレードの特徴であるFFスポーツとなった(4WDではない)。フロントデフはビスカスLSDが標準装備された。リアに張られた∞デカールと、フロントマスクがハッチバックのヘッドライトを採用している点、グリルに∞マークがある点が、一般のファミリアセダンとの見分けポイントとなった。

発売当初のCMソングはサディスティック・ミカ・バンドの「Boys & Girls」、中期にチェッカーズの「運命[SADAME]」、後期はパール兄弟の「色以下」が使われた。後に所ジョージがCMに起用された。

5ドアモデルのアスティナは、それまでのホンダ・シビックなどを含めて、全ての車が追求してきた実用車としての5ドアハッチバック、という概念をまったく覆す「4ドア・クーペ」のコンセプトで作られ、新たに「アスティナ」のネーミングを与えられた。同型の姉妹車となるユーノス・100もユーノス店向けに供給された。ボブスレーがデザインのモチーフとされている。

アスティナはリトラクタブルヘッドランプの採用などにより、非常にスポーティなスタイルであったが、大人4人分の空間と荷物スペースはきっちりと確保されており、この高い実用性と走りの融合がヨーロッパで人気を集めた。このアスティナは次世代でランティスへと発展する。

8代目(1994年~1998年)
1994年6月に発売。通称「新方向ファミリア」。エンジンは1500cc・1600cc(フルタイム4WDのみ)1800cc・(後に追加された)いすゞ製エンジンの1700ccターボディーゼルの3本立てとなり、1500ccにはリーンバーンエンジン車も設定された。マイナーチェンジ後はセダンに1300ccを追加し、廉価路線での販売数拡大を狙った。後述の「ネオ」との兼ね合いもあり、1996年11月まで先代モデルの1300cc[6]が継続生産されていた。ちなみに、バンとワゴンはこの代からADバンのOEMとなる。

プラットフォームにマツダ・BHプラットフォームを採用。ホイールベースが伸ばされ、セダンはマツダの時流であったイタリアンなデザイン、3ドアハッチバックには「ネオ(NEO)」というサブネームが付けられ、今日でいうマツダ・アテンザスポーツや2代目トヨタ・プリウス、あるいは2代目フォード・フォーカスのようなクーペルック(カムバックスタイル)の奇抜なデザインだった。セダンは、初代ルノー・ラグナのデザインと共通性がある。ラグナをデザインしたパトリック・ル・ケモンは、8代目ファミリア開発当時フォードのデザイナーであり、その後ルノーに移籍しラグナをデザインした。発売当初は「クラストップの低価格」をうたい文句としていたが、実態は最廉価モデルの価格であり、中級以上のグレードではライバル車と価格面での優位性はほとんどなかった。当時は各社がコスト削減に取り組んでいた時代で、このモデルも先代より大幅にコストダウンが図られていた。

CMキャラクターに初期草刈正雄、野村佑香、大槻ケンヂ、鈴木杏樹を起用。中期にはとんねるず(ここまでが前期型)。後期型のファミリア・ハッチバックにはアンドレ・アガシを起用し、バックにザ・ナックの「マイ・シャローナ」をCMソングに起用した。

ファミリアはハッチバックがマツダの主力車種であるにも関わらず、ネオの月販は100台前後を彷徨うという非常事態に陥り、1996年11月のマイナーチェンジで従来のハッチバックのイメージに近い、オーソドックスな3ドアに刷新された(これに伴い、7代目3ドアは生産終了。海外向けの3ドアはネオ(名前は異なる)が継続生産された)。しかし、国内ではすでに3ドアハッチバック市場は下火で、ステーションワゴン・ミニバンが販売の中心になっていた。フェイスリフトの際、直線基調のデザインに変更し、ヘッドランプはマルチリフレクター化され、1300cc・SOHC16バルブEGIガソリンエンジンが追加された。

1995年12月には生産累計1000万台を達成したものの、派生車種であるランティスの販売台数も伸びず、拡大路線が裏目に出たマツダは、創業以来の苦境に見まわれた。

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[ 2008/04/16 21:22 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)
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