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Honda NSX Ad 1991 0'58"

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ホンダの新しいスポーツカー、「ニュー」「スポーツカー」と未知数を表す「X」を合成させたNewSportsCarXの略である。1989年のプロトタイプ・モデル発表からしばらくは、NS-Xと、SとXの間にハイフンが入っていたが、1990年の販売開始時にはハイフンが取れて現在の名称となった。

概要
ホンダの第2期F1参戦を機に「世界に通用するHONDAの顔を持ちたい」との願いから開発された車であり、バブル景気絶頂期の1989年に発表され、翌1990年から2005年までの15年間の長きにわたってフルモデルチェンジを行うことなく製造及び販売がなされた。価格は販売当初は1グレードのみの800万円(AT仕様は60万円高)で、当時の国産乗用車の中では最高額だった。その後、改良や装備の追加等により徐々に値上がりし、900万-1,300万円台となっていた。販売した15年間、いずれもスポーツカーとしては日本車最高額を誇った。最高時速は 270km/hを超えるといわれている(日本仕様は180km/h制限されている)。

エンジンは、C30A型V型6気筒 DOHC VTEC NA 3,000ccでありながら、MT仕様では国産車自主規制値の上限であった280PSを達成している(AT仕様は265PS)。そのエンジンを運転席後方に搭載し後輪を駆動するミッドシップエンジン・リアドライブ(MR)を採用している。

また当時、自動車として他に類を見ない世界初のオールアルミニウム製ボディーを採用した。その特殊性から生産の工程は大規模工場などの無人ロボットを使った流れ作業によらず、ほとんどを手作業で行っていた。

このような性質から、日本車で唯一のスーパーカーとも評され、国内の同じ280PSクラスのスポーツカーのライバル車とは一線を画していた。

日本国外では、ホンダブランドの他、ホンダの高級車チャンネルのアキュラブランドからも日本名と同じ「NSX」の名前で販売。元々は北米アキュラ向けの戦略車として開発され、日本でなくアメリカで開催のモーターショー、シカゴ・オートショーでプロトタイプが発表されたり、日本よりも北米市場で一早く販売開始がなされていた。また、当初の生産枠分も北米向けが大半だった(その後の増産枠分はほとんど日本市場向け)。生産終了まで半分以上が北米市場向けに造られていた。

欧米で2006年から始まる燃費・排ガス環境規制への対応が難しい(技術的には可能だが採算が取れない)ため、欧州向けは2005年9月末、北米向け・日本国内は同年12月末をもって生産終了となった。なお、後継モデルは、日本では2010年以降に開業が予定されているアキュラブランドからの発売予定が表明されている

初代I型 E-NA1(1990年 - 1996年)
1990年に登場。エンジンはC30A型 3,000cc V6 DOHC VTECを搭載している。外観はリトラクタブル・ヘッドライトを採用するなどスタイリッシュに仕立てた。また、通常仕様のクーペから快適装備を外して軽量化を図ったピュアスポーツグレードの「タイプR」も1992年から3年間の期間限定で日本国内販売のみにラインアップされた。

1995年にマイナーチェンジし、ドライブ・バイ・ワイヤやAT仕様車にFマチック(ステアリングコラムのスイッチによるマニュアルシフト)が追加された。また、オープントップ (いわゆるタルガトップ)仕様の「タイプT」が追加された。

初代II型 GH-NA2(MT)/GH-NA1(AT)(1997年 - 2000年)
1997年に形式変更を伴うマイナーチェンジで平成12年排出ガス規制に適合。外観上は大きな変更は無いが、MT仕様車のエンジンがC32B型 3,200cc V6 DOHC VTEC(280PS)に変更されたのと同時に、トランスミッションは6速MTとなった。日本国内販売のみ、MT仕様にスポーツグレードの「タイプS」、従来の「タイプR」に相当する「タイプS-Zero」がラインアップに追加された。

1999年にはエンジンが低公害化され、平成12年基準排出ガス50%低減の「優-低排出ガス」車に認定された。

初代III型 LA-NA2(MT)/LA-NA1(AT)(2001年 - 2005年)
2001年には外観を中心にビッグマイナーチェンジが施行され、ヘッドライトをリトラクタブル式から異形の固定式に変更した(その理由は、衝突安全性を高めるため)。このマイナーチェンジから半年後に「タイプR」が復活した(そのため、「タイプS-Zero」は廃止)。また、2003年の小変更ではCDチェンジャー(タイプRを除く)及びイモビライザー(全車)が標準装備化されるとともに平成17年排出ガス規制に適合し、形式記号がLA-NA#からABA-NA#に変更されている。

2005年2月22日、「NSX type R GT」発表。3月22日までの1か月間限定でSUPER GT参加のホモロゲーション取得用に5台限定で販売を予定していたが、実際に作られたのは1台だけで、その価格は5,000万円であった。ベースの「タイプR」に、カーボン製エアロバンパーなどの空力パーツを装着し全長全幅を拡大。エンジン(C32B型)、ミッション(6MT)、ダブルウィッシュボーン式サスペンション等の基本性能は変更なし。型式ABA-NA2。

開発経緯
発売から6年半前の1984年、本田技術研究所がホンダ車のトレンドであるFF(フロントエンジン・フロントドライブ)以外の駆動方式の基礎研究を進めていくうち、MR(ミッドシップエンジン・リアドライブ)駆動方式を開発したことから始まる。それを、当時のアメリカ市場からのニーズや、参戦しているF1と量産市販車をつなぐ存在に応える形でのスポーツカー開発へ転化された。開発責任者は、先述のMR駆動方式を開発研究していた上原繁が担当。操縦安定性を専門に研究していた上原の意向でハンドリングに拘ったスポーツカーを目指すことになり、軽量なオールアルミボディーの採用など、NSXのアイデンティティーとなる革新的な技術が開発・採用されるに至った。

開発に当たっては欧州のスポーツカーなどが比較対象になったが、特にフェラーリのV8モデル 328を越える走行性能を目指して開発された。当時個体性能差が大きかったフェラーリ・328を何台もデータ取りのために購入したと言われている。

開発段階からアイルトン・セナや中嶋悟など、当時ホンダがエンジンを供給していたF1チームのドライバーが走行テストに参加。車両をテストした彼らからボディー剛性の低さを指摘されたため、過酷なコースレイアウトで有名なドイツのニュルブルクリンク等で走行テストを繰り返し実施した。当時ニュルブルクリンクでの走行テストは、テスト車両のみを持ち込み走り込むというものが主流である中で、サーキットに程近いミューレンバッハ村にテスト基地を建設。8か月(冬季は封鎖)にわたり走行テストを繰り返すという、異例の姿勢で開発に臨んだ。その結果、当時世界初のオールアルミ製軽量高剛性ボディーが完成した。

搭載するエンジンは様々な案が提案され、当初は軽量スポーツカーのパッケージング案から、直列4気筒 2,000ccであった。しかし、社内事情やアメリカ市場を見据えたリサーチなどから、開発最終段階ではホンダ・レジェンドのエンジンをベースにしたV6 SOHC 4バルブ 3,000ccとなった。さらに、当時インテグラ用に開発中だった新機構搭載のDOHC VTECが完成。これまでレーシングカー用でしか成し得なかったNAエンジンで100PS/Lという高出力を、市販車で達成した点 等がユーザーや自動車評論家などに高い評価を受けた。これを受け、急遽DOHC VTEC化の指示が出された(開発者の上原繁曰く「SOHC版エンジンもかなり良かった」とのこと)。DOHC化によりシリンダーヘッドが大きくなることからホイールベースの延長を余儀なくされたが、エンジンを傾斜させ搭載することにより、30mmの延長で済ませることができた。

NSXはフルモデルチェンジを一度もしていない。それには開発中にフルモデルチェンジとも言える変更をしているのも一因である。ホンダはNSXを時代の流れに習ってある時期が来たらフルモデルチェンジをするよりも、マイナーチェンジを繰り返してNSXそのものの熟成の道を選ぶことにした。これにより 2代目のNSX-Rなどは2002年当時のニュルブルクリンク・サーキットにおける、日本車での市販無改造車のタイムアタックの記録を更新するなど(もちろん基本設計の確かさもあり)、開発責任者・上原繁の標榜したNSX発表当時の売り文句である「世界第一級の動力性能とハンドリングの両立」を証明した。

販売
発表時、バブル景気の真っ只中であった日本では注文が殺到した。当初は注文から納車まで1~2年待ちは当たり前、最長で6年待ちとも言われるほどの人気を博す。さらに当初一日の生産数25台のほとんどが北米向けで日本国内向けがわずか3台ばかりと少量だったことが国内の供給がままならない最大の原因だった。この事態に「約半年で納車できるように」とホンダ側が配慮し、すぐに一日の生産数を倍に増やす増産体制に入り(年産12,000 台という量産体制を確立)、増産分のそのほとんどを国内向けとした。しかしその直後にバブル崩壊。キャンセルが相次ぎ、以降は「見かけるだけでプレミアな車」のイメージが定着してしまった。クルマ好きにはバブルの象徴的な出来事として語り継がれている。

販売2年目の1991年を境に減少の一途を辿り、販売開始から10年が経った21世紀以後は国内外合わせても年間100台あまりにまで落ち込む。 NSXただ1車種のための工場を建設し、製造された15年間常に惜しみなく新技術を投入させたNSXは当初から採算の取れる存在ではなかったことを差し引いても、セールス的には失敗と言っても過言ではない。

2005年の生産中止発表直前には月間生産数はわずか10台ほど(国内向けはその半分程度)まで落ち込んでいた。それでも完全受注生産であり、手作業で製造されることから納車には2か月~3か月半を要していた。同年7月の生産中止発表以降は駆け込み需要で注文が殺到し、わずか一週間ほどで生産予定枠の注文数を満たしたことから早々に販売受付を打ち切った。

現在、NSXを買えるのは中古車市場のみではあるが、2005年の生産および販売終了前後から高値上昇の人気傾向に入っている。その多くが流通する 1990年や1991年型の低年式型の多走行距離車でもAT仕様車を除いて300万円を割らないのが現状である。また、生産数が少ない高年式型(およそ十年前のものまで含まれる)にいたっては低走行距離などの程度の良い物だと新車時の値段からそれほど下がっていない。とくに希少なタイプRは顕著である。時が経つごとに値段が落ちていき、最後は需要がなくなり値段も付かなくなるような他の中古車と違い、ことNSXの中古車に関しては一般的な価値観では図れない。

その理由は、国内仕様は一万台にも満たない元から少ない個体数と年々少なくなっていく優良車の数ゆえに、絶対的に数が膨らむことがないから高値安定は孕んでいたものの、スポーツカーと呼ばれる自動車がほとんどない国産自動車の現状において、かつて数あった国産スポーツカーのなかでも限りなくピュアスポーツカーを標榜していたNSXの存在が見直されたのと、製造及び販売時に子供や青年だった人たちが現在購入及び維持できる年齢に達して中古車でもその憧れを成就していく需要があるからとも伝えられている。

生産
1990年のNSX生産開始に合わせてNSXを生産するためだけの専用生産工場を栃木県塩谷郡高根沢町にホンダ栃木製作所高根沢工場として建設し、以来そこで生産されていたが、2004年4月にホンダの完成車一貫生産構想に基づき、高根沢工場での生産を中止し、三重県鈴鹿市にある鈴鹿製作所の少量車種専用ライン、TDライン(Takumi Dreamライン)へ生産を移管した。2005年の生産終了に伴ってNSXの生産ラインは閉じられた。しかし、TDラインでは高根沢工場時代からNSXと並行して造られているS2000の生産が継続されている。

経年車に対して、車両を生産工場に戻してそこの設備や人員を使って新車時の性能や質感を蘇らせるサービスプランが設けられており、リフレッシュ・プランと呼ばれている。メーカー自らが行うものとしては、日本車では唯一のものであり、世界的に見ても極めて希である。なお、生産終了後もこのサービスプランは継続されている。アルミボディーの経年劣化が非常に少ないことに加え、徹底した検査調整と部品交換で中古車でも新車並に復活できるという評判で、とくに生産終了後からは新車ではもう買えないことに加えて、中古車価格の上昇と優良中古車の減少から、既存のオーナーからの注文が現在殺到していて作業開始に6か月から一年待ちを要する。

日本国外での競合車種
販売を開始した1990年、開発段階から仮想敵にしていたフェラーリのV8モデルは、既に328から348にフルモデルチェンジを果たし、NSX登場時のマスコミでの比較はそれとなる。また、生産を終了する2005年までの15年間にF355、360、そして最新のF430に至るまで3回もフルモデルチェンジを果たしていて、日本国内のような自主規制がないこともあり、その3車種はいずれもスペック上ではNSXをはるかに上回る性能を示している。しかしながら、日常使用における取り回しの良さや製造クオリティなど、NSXがその後のフェラーリのV8モデルに与えた影響は大きいと言われている。

ポルシェのポルシェ・911もまたNSXにとっては常に競合車種となった。初代NSX-Rが発表された1992年には偶然にもポルシェも911をベースにしたカレラRSを発表(発表自体はポルシェが先行)。街乗りにも使えるラグジュアリー仕様のものとそれをベースにしたサーキット走行専用車を生み出したシンクロニシティ(共時性)が起こり、以後は走行性能の引き合いにおいてはフェラーリよりもポルシェとの対立軸のほうが明確となっていった。

日本国内での競合車種
NSXが販売を開始した1990年の前後は、国産各メーカーから日本国内の自主規制値の最高値である280PSの高性能な2ドアスポーツカーが次々と発売された。それらと価格帯は倍も違えど、用途とスペックはほぼ同等であったためにライバル視された。直線加速性能はターボエンジンを搭載したスープラやスカイラインGT-R、公道やタイトコーナー、低μなどの道ではスバル・インプレッサWRX三菱・ランサーエボリューションなどの軽量ハイパワー4WDに及ばなかったが、高速旋回性能はこれらの中では随一であった。

排ガス規制
2002年夏、同じ280PSを誇った国産のライバル車種は日本国内の平成12年排ガス規制をクリアできず次々と生産中止に追い込まれていった。ライバル車種に厳しい逆風が吹く中、NSXは1999年にエンジンをLEV化し排ガス規制値をクリアしていたおかげで引き続き生産が可能だったが、基本設計からは15年以上の長期間が経過しており、2006年に欧米で始まる最新の燃費・排ガス環境規制にNSX専用エンジンを対応させると多大な改修費用が掛かってしまい採算がとれないことなどから2005年限りで生産を終了するに至った。

ホンダにおける派生車種
販売開始の翌1991年、NSXと同じMR駆動方式のビートが販売開始され双方が比較されることもあったが、方やNSXは世界戦略の大排気量スポーツカー、方やビートのほうは日本国内専用の軽自動車規格と、開発時のコンセプトが全く異なる上に社内の開発チームも別々で、双方の開発時における人的交流もなかった。

1995年、当時販売が低迷していたインテグラのマイナーチェンジ時に設定されたタイプRには1992年に発表されたNSX-Rで培ったものが惜しみなく投入されて一躍人気車種へと復活した(なお、この商品企画は上原繁が担当)。以後、タイプRはシビック、アコード(欧州のみ、国内ではユーロR)にも設定され、NSXから生まれたタイプRは1990年代のホンダ車のスポーツ精神を具現する言葉となった。

1999年、本田技研工業 創立50周年記念車としてS2000を発表。開発には上原繁をはじめとしたNSX開発陣が多数参加。また、NSX、S2000と同じ高根沢工場で生産されていたインサイトのアルミニウム製のフレームにはNSXの開発や生産で培ったものが投入されていた。

レース活動
もともとはレース参戦用のホモロゲーションを考慮した車両ではなかったため、1990年の発表当初はレース活動には全く使用されず、エンジンのみが改造され1991年より2年間アメリカの「IMSA」に参戦(ACURA-SPICE SE90CL)し、キャメル GTP Lightクラスにおいてドライバーズ、マニュファクチャラーズの両タイトルを2年連続で獲得している。

1992年のNSX-R投入以後からそれをベース車両として徐々に国内外でレース活動を行うようになる。1993年から2年間ドイツ国内レースの「ADAC GT CUP」(「DTM」よりも改造範囲が限定された市販車により近いカテゴリー)に投入してBMWやポルシェらと戦って優勝もするが、日本国外のローカルレースのために日本国内ではそれほど話題にはならなかった。しかし、その車両を改良し1994年から3年間にわたって「ル・マン24時間レース」に参戦した際は、日本人レーシングドライバーも多数登用されたこともあって国内においても話題となった。なお、1994年は全車完走、そして1995年にはGT2クラス優勝、1996年にはGT2クラス3位などめざましい戦績を上げている。

1996年からは市販車レース国内最高峰の「全日本GT選手権」(JGTC)に参戦開始。2000年にはGT500クラスで、2004年にはGT300クラスで、年度チャンピオンを獲得している。2005年からのレースの名称が「SUPER GT」に変更以後も参戦を続けている。近年はミッドシップ車に対しての不利なレギュレーションに悩まされて色好い結果は残せていなかったが、最近はコンスタントに優勝を飾るなどして復調の兆しが見え、2007年には再びGT500クラスで年度チャンピオンを獲得した。

NSX自体の生産及び販売は2005年で終了されたものの、その後も引き続きSUPER GTにNSXで参戦している。

改造範囲が限定された市販車により近い「スーパー耐久」にも参戦している。日本国外においては「ニュルブルクリンク24時間レース」に2003年から毎年参戦している。

カスタマイズ
* ボディー…参戦している「SUPER GT」のイメージが強いため、GTマシンレプリカのエアロパーツをまとうパターンが多い。それから、よりスーパーカー然とした格好を目指してフェラーリやランボルギーニのボディースタイルを模倣としたパーツをまとうのも少なくない(例:ガルウィング)。その一方で、ノーマルの流麗とした外観を保つユーザーも多く、好みが分かれるところ。また、後期型のホンダ純正の固定式ライトにフェイスリフトする改造も人気が高い(ただしボディー側を加工しなければならず、後戻りできないうえ、片側だけで25万円と高価であるというリスクがある)。

* エンジン…ホンダの真骨頂であるNAを貫き官能的な高回転を求めるパターンと、他のハイパワースポーツカーと同等の性能を手に入れるためにターボ化やスーパーチャージャー化してトルクを太くするパターンに分かれる(前者は主に日本、後者はパワー第一主義のアメリカと、傾向が分かれる)。また、NA チューンでも、3.2LのII型が登場した以降では、3.0LエンジンのI型はそれに載せ替えることでプラス200ccという数値以上に大幅なパワーアップを体感できるという。日本車にしては珍しくスロットル側でパワーを制限しており、大口径スロットル+ECUで20ps、6連スロットル+ECUで 40psと、ターボ車のブーストアップ並の効果がある。最近ではアメリカでもScience of Speed(サイエンス・オブ・スピード)等のチューナーから3.8Lキットなども販売されており、パワー、トルクともにNAながらComptech(コンプテック)等の並のスーパーチャージャーを軽く上回っている。ターボキットはアメリカでは多数販売されており、中でもHP Performance(HPパフォーマンス)製のものが信頼性の高さで人気を得ている。そのほかにもCybernation Motorsports(サイバーネーション・モータースポーツ)、Cartech Racing(カーテック・レーシング)、Gerry Johnson(ゲリー・ジョンソン)、Bell Engineering(ベル・エンジニアリング)等多数のチューナーからターボキットが販売されている。信頼性確保のため400PS前後に抑えられるケースが多いが性能重視の700PSを超えるものも存在する。その代表的な例が、NSXチューナーであるLoveFab(ラブ・ファブ)は2007年10 月4日に771PS,トルクは76kgmという出力を発揮している。なお、これらの数値は車体をダイナモメーターに載せてリアホイールから計測されているため、エンジン自体の出力は優に800PSを超えている。スーパーチャージャーではComptech(コンプテック)、Basch Boost(バッシュ・ブースト)、GruppeM(グループ・エム)等がある。

* その他…NSXは製造されていた15年間一度もフルモデルチェンジがなされていないため、先述のエンジンを含め、脚廻り(ブレーキ関係含む)、外装・内装に至るまでどの時代に製造されたどのグレードの車両でもほとんどの純正部品を共有して付けられる利点がある。そのため、国内でのカスタマイズの最近の傾向としては、カスタマイズを求める多くの初期型ユーザーはアフターメーカーのものではなく、信頼性や適合性に富む最後期型のホンダ純正部品を使って施している。また、ラグジュアリー指向のクーペにスポーツ指向のタイプRやタイプSの専用部品を流用することも定番である。

ちなみに・・・
ゼロヨンを7秒39で走るツインターボのNSXがアメリカに存在する。通称Adam Saruwatari NSX(アダム・サルワタリNSX)と呼ばれており、リアホイールで1093PS、エンジン自体の出力は1300PSを超えている。徹底した軽量化で重量はわずか800kg台後半に収められており、何と世界唯一のFRレイアウトに改造されたNSXでもある。

NSXのパトカーが世界に1台だけ日本の栃木県警察高速道路交通警察隊に存在する。現在配備されている車両は2代目(1999年導入、第2期モデル)である。ちなみに初代は1992年に導入されたが、事故により廃車となっている。

2台とも本田技研工業から寄贈された車両で、主に警察関係の式典や啓蒙活動の場で活躍している。DIN規格のオーディオスペースが無いためサイレンアンプ、ストップメーターは助手席に装備されている。2代目の車両は警察車両では珍しく希望ナンバーで「・110」を取得している

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[ 2008/04/08 13:59 ] HONDA | TB(0) | CM(0)
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