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Bluebird 1970 Safari 0'30"

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1967年発売。尖鋭なスタイルと意欲的メカニズムによる高性能とを兼ね備え、国内のみならず輸出市場でも大成功を収めて、ブルーバード史上最大のヒット作となった。1960年代の日産車および日本製乗用車を名実共に代表する、歴史的傑作車である。

1966年には下位モデルとして1000cc大衆車のダットサン・サニーが発売されていたことから、ブルーバードは1300cc級以上の中級モデルとして上位移行、ボディは大型化された。そのデザインも先代の410系が不評であったことから、社内デザイナーの手により「スーパーソニックライン」と称する、プリンス自動車の系譜を引いた直線的で彫りの深いシャープなデザインに変更した。

メカニズムは極めて贅沢であった。先行して四輪独立懸架を採用したいすゞ・ベレットに刺激されたワンマン・川又克二社長の鶴の一声により、吸収合併したプリンス自動車の技術を応用することで日産初の四輪独立懸架(フロント:マクファーソン・ストラット、リア:セミトレーリングアーム)を採用したのである。セミトレーリングアームのドライブシャフト伸縮には、プリンスがド・ディオン・アクスル後輪懸架に使用していたボール・スプライン構造が活かされている。セミトレーリングアーム利用の四輪独立懸架は、世界的にも当時、BMWなどの限られたモデルで先行例があったのみであり、先行したベレットのダイアゴナル式後輪懸架よりも優れたものであった。

他にも新開発のL型・SOHCエンジン搭載や、換気装置の強化による三角窓の廃止など、日産車にとって技術的ターニングポイントとなった車であり、本車は「技術の日産」を大いにアピールする存在となる。

日本国内では高性能と斬新なスタイルを武器にして、旧式ながら大排気量とデラックス装備を売りにするトヨタ・コロナとの「BC戦争」を競り合った。日本国外では、廉価でありながら欧州車並みに高度なスペックを備えた魅力的なセダンとして「プアマンズ・BMW」との評を得、史上初めて北米市場でヒットした日本車ともなった。

モータースポーツでも大活躍し、スポーツモデルのSSS(スリーエス)が、サファリラリーで総合優勝し「ラリーの日産」のイメージを確立。石原プロモーションがこれを描いた映画『栄光への5000km』も制作された。 ※英語版も参照のこと。

510型
1967年8月、発表。ボディタイプは2ドア / 4ドアセダン、5ドアワゴン / 5ドアバンの4種類。エンジンは水冷直列4気筒 SOHCのL型で、1300ccのL13型と、1600ccのL16型を積んだSSSのラインアップだった。

P510型を追加
1968年10月 直列4気筒SOHC L16型(1595cc)搭載モデル「ダイナミックシリーズ」を追加。既存車はマイナーチェンジでワイパー位置、フロントグリル、リアコンビランプ形状を変更。DXに4速マニュアルフロアシフト車追加 1968年11月 コロナハードトップに対抗した2ドアクーペを発売。 1969年9月 マイナーチェンジ。衝撃吸収インパネを採用。ラジオアンテナはピラーへ移動。 H510型を追加
1970年9月 マイナーチェンジ。直列4気筒SOHC L18型(1770cc)を搭載した1800SSS発売。1300cc → 1400ccへ拡大。4ドアセダンGLを追加。

1970年 「第18回東アフリカサファリラリー」にて総合・チーム優勝の2冠達成。

1971年9月 ブルーバードU ( 610型 ) の発売に伴い車種縮小。クーペを廃止し、セダン1400 / 1600ccのみに整理。

1972年12月 510型生産終了。

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[ 2007/12/25 22:51 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)
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