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Subaru 1000 0'41"

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スバル・1000は富士重工業が1966年から1969年まで生産していた乗用車。 水平対向エンジン、センターピボット式ステアリングなど、そのメカニズムや基本性能はライバル車と大幅に異なるもので、なおかつ「1,500ccクラス並み」と謳われた室内ユーティリティを生む優れたパッケージングやかつての航空機製造技術に基づいたユニークかつ合理的なエンジニアリングは、後に「スバリスト」と呼ばれる熱狂的なスバル愛好家を生むきっかけとなった。

1966年5月、富士重工業初の小型車、スバル・1000が発売された。 開発の総指揮はスバル・360に引き続き、百瀬晋六が担当した。 スバル・360で自動車産業への進出に成功した富士重工業は、小型車市場への進出を狙い、P-1計画中止以後も社内で検討を重ねていた。その成果は、1960年に、開発コード「A-5」と呼ばれる、空冷4サイクル水平対向4気筒1,500cc、クリフカットの特徴的なエクステリア・デザインを持つ小型車に具現化し、FF方式、フロント:コイル/ウィッシュボーン、リヤ:コイル/トレーリングアームのサスペンション形式、サッシュレスウィンドウなど、のちのスバル・1000や富士重工業製の小型車に引き継がれる意欲的な技術の雛形が、この「A-5」計画で初めて提示された。しかしP-1計画と同じく、当時の富士重工業の企業規模ではトヨタ、日産などの先行他社に、1,500ccクラスでは太刀打ちできないと判断。生産化に至らなかった。

「A-5」計画中止後、新たに「A-4」と呼ばれる「A-5」より一回り小さい小型車の計画がスタートし、排気量800cc程度、全長3,500mm、全幅1,400mm、車両重量500kg、価格40万円以下を目標に検討が開始された。

1963年、「A-4」計画は、排気量923cc、FF、全長:3,885mm、全幅:1,400mm、ホイールベース:2,400mm、トレッド(前)1,230mm(後)1,220mm、車両重量650kgという具体的なパッケージングが決定され「63-A」として商品化に向けた開発に移った。

この「63-A」計画が、富士重工業初の小型車「スバル・1000」として世に出ることになる。

開発に当たって、スペース効率と、静粛性、振動には特に留意され、早期から水冷4サイクル水平対向エンジンとトランスミッションを縦置として、等長のドライブシャフトを用いたFF方式というパッケージングを核に開発を進める事が決定された。

その基本メカニズムを「A-5」を下地としながらも、サスペンションのスプリングにはスバル・360と同じくトーションバー(ねじり棒ばね)を採用することによるスペース効率とコストダウンの両立、急坂登坂などFF方式の難点だったトラクション確保と軽量な車重の両立のために、スペアタイヤ、ジャッキ等の工具類までエンジンルームに収納し、フロントに全車重の60%程度の荷重を集中させることや、パワーロスがなく静粛性に優れた「デュアルラジエター」の開発、さらに、完全なフラット・フロアの実現のために、排気管を運転席側サイドシルに配置するなど、スバル・1000の特徴となる、非常に合理的で独創的なメカニズムの数々が徐々に形成されていった。

一方、FF方式成立の要となる、フロント・ドライブシャフトの等速ジョイントについては、東洋ベアリング(現:NTN)との共同開発から、画期的な「D.O.J(ダブル・オフセット・ジョイント)」の開発に成功。ばね下重量を軽減するインボード・ブレーキ、四輪独立懸架の採用と相まって、従来のFF車の常識を覆す、滑らかで正確な操縦性と乗り心地、そして耐久性を実現した。

スバル・1000は、国産自動車メーカーのFF方式への関心を高めたのみならず、アルファロメオ・スッド、シトロエン・GSの開発に多大の影響を与えたと言われ、当時の2社の工場にはスバル・1000の残骸が多く見られたという。

発売当初は、トヨタ・カローラ、日産・サニー、マツダ・ファミリアなどがしのぎを削る小型車市場で、販売網の脆弱さから販売は立ち遅れたものの、伊藤忠商事との販売提携、またエンジニアリングの理想を追求したメカニズムから「スバリスト」と呼ばれる熱心な信奉者を生み、徐々に販売台数を伸ばし、1969年3月には月販台数4,000台超と、カローラ、サニーに続き小型車市場の一角を確保。富士重工業の自動車メーカーとしての基盤造りに大きく貢献した。

スバル・1000の「D.O.J」の開発成功により、1970年代からの世界的な小型車のFF化への潮流が決定的になったことは、自動車の歴史において特筆に値する出来事である。

1969年3月にはボアを4mm拡げて1,088ccとしたスバル・ff-1シリーズへ移行した。

現在の富士重工業が謳う「シンメトリカルAWD」のまさに始祖といえる、この水平対向エンジンを核とした、左右対称レイアウトの採用は、3,900mmの全長に2,400mmという長いホイールベースを採用することによる広い室内空間の確保と、FF方式の採用のためにエンジン全長を短くする必然から生まれた。

FRについて百瀬はこう述べている。
「P-1でFRをやったが、そのときに感じたのはいかにも非合理的なパワートレーンだということだ。駆動力をフロントのエンジンからプロペラシャフトでリアデフに持っていき、さらにドライブシャフトを経てタイヤに伝えるという駆動経路の長さ。しかも長いプロペラシャフトはやっかいな振動源にほかならない。人を乗せるための乗用車に採用する合理性はない。それに対してRRやFFは、部品点数が少なく、乗員のためのスペースを圧迫することのない、合理的な駆動方式だ」

スバル・360でRR方式の採用により、わずか3.0mという全長の制約の中で大人4人が無理なく移動できる革新的なパッケージングを構築した当時の富士重工業の技術陣は、スバル・1000の開発にあたり、一転して当時まだ世界的にも採用例が少なかったFF方式の採用を決定したのである。もちろん、FF方式の採用には、1964年東京オリンピック以来、全国で整備が進められていた高速道路網による「高速時代」に、直進性、横風安定性などの操縦安定性で十分な性能が得られないという判断もあったといわれている。

こうして先に決定された室内スペース・駆動方式のために、スバル・360に引き続き、エンジンに割り当てられるスペースは非常に限られたものとなった。しかし、当時の富士重工業の技術陣は、1959年発売のミニの採用した、狭いスペースの中に横置き直列エンジンの下にトランスミッションを詰め込む(いわゆる「2階建て方式」)のようなメカニカル・パッケージよりも、より無理がなく、よりコンパクトなエンジン・トランスミッション構成を目指した。そのため、本質的に低重心で全長が短く、直列エンジンと比較して優れた回転バランスを有し、なおかつ「A-5」以来の技術的蓄積のある水平対向エンジンの採用につながった。当時エンジン開発を担当した山川徹は当時を回想して「水平対向なら入る」と直感的に思ったという。

また水冷方式の採用については、「A-5」計画の空冷水平対向エンジンがオーバーヒートに悩まされたためだといわれている。

スバル・1000の「EA52」型エンジンは、軽量化とフロントオーバーハング部への搭載による操縦性の悪化を防ぐために、シリンダー・ブロック、シリンダー・ヘッドはアルミ合金鋳造製とされ、エンジン重量は乾燥重量でわずか75kgという非常に軽量に仕上げられている。

冷却方式には「デュアルラジエター」と呼ばれるシステムを採用。これは従来のエンジンのような冷却ファンを持たず、メインとサブの二つのラジエター、それに小型電動ファンで構成され、低温時はサブラジエターのみが作動し、高温になるとメインラジエターも合わせて作動、さらに高温になった場合、電動ファンが作動してサブラジエターの強制冷却を開始するため、軽量で静粛性に優れた冷却システムである。また、サブラジエターをヒーターの熱源として利用するため、1,500~2,000ccクラスの乗用車に匹敵するヒーターがスタンダードモデルまで標準装備となっていた。

縦置きのトランスミッションは、ドライブシャフト長を左右等長かつ可能な限り長く取ることで、ロールセンターの最適化による良好な走行安定性と乗り心地を両立させるという、スバル・360と同じ設計思想に基づいており、開発期間を通じ最適な等速ジョイントが得られなかったことから、ジョイントの不等速性から発生する振動の軽減も狙ったといわれている。

また、ブレーキを一般的なホイール内からトランスミッション側に移動して、キングピンとタイヤの中央線を一致させた「センター・ピボット式ステアリング」の採用も、ばね下重量を軽減しジョイントの不等速性から発生する振動の改善を図ったものだといわれている。

スバル・1000の開発陣は、ジョイントの不等速性から発生する振動や耐久性の問題を解決するため、インボード側の伸縮可能な等速ジョイントの開発に「63-A」計画の初期から取り組んでいたが、その実用化には開発の最終段階に至ってもなかなか目途が立たなかった。

当時、国内ではすでにFF車用のフロント・ドライブシャフト用ジョイントとして「C.V.J(コンスタント・ベロシティ・ジョイント)」が開発され、スズキ・スズライトや日野・コンマースの国産FF車が採用していたものの、サスペンションのストローク時、あるいは大きな舵角を与えた際にはドライブシャフトの全長が変化するため、ジョイントの不等速性から発生する振動や、ジョイント自体の耐久性に大きな問題を抱え、FF方式の普及の障害になっていた。

だが発売直前の1965年、東洋ベアリング(現:NTN)との共同開発から、ついに画期的な伸縮可能なジョイント、「D.O.J(ダブル・オフセット・ジョイント)」の開発に成功。「センター・ピボット式ステアリング」の採用と相まって、従来のFF車の常識を覆す、滑らかで正確な操縦性と耐久性、さらに製造にかかるコストの問題を解決した。

また、1970年代後半から始まった世界的な小型車のFF化の流れは、その多くが横置き直列エンジンレイアウトを採用しており、スバル・1000の「D.O.J(ダブル・オフセット・ジョイント)」の実用化がなければ、左右不等長のドライブシャフト長によるFF化は不可能だったといっても過言ではない。

スバル・1000以降に登場した世界のFF車が、ほぼ例外なくインボード側「D.O.J」、アウトボード側「C.V.J」というジョイント方式を採用していることがその証明である。

さらにスバル・360に引き続く四輪独立懸架の採用とあわせ、優れた乗り心地とロードホールディングを実現。FF方式ならではの直進安定性と操縦性、独特のメカニズムは当時の自動車雑誌等からも絶賛され、「スバリスト」と呼ばれる、熱心な信者を生み出すほどの個性を獲得した。

スバル・1000のトランスミッション後端から後輪駆動用のプロペラシャフトとリヤアクスルを追加することにより、容易にAWD化が可能であることは、スバル・1000開発過程ですでに話題に上っていたが、スバル・1000開発当時は、まだ乗用車タイプAWDの商品化は時期尚早ということで大きな議論にはならなかったという。

しかし1970年、東北電力からの現場巡回用車輌の共同開発の申し出が発端となり、1971年、1ディーラーである宮城スバルがスバル・1000バンをベースに日産・ブルーバード(510型)のリヤデフを組み合わせてAWD化した試作車を製作。関係者の間で非常に好評だったことから、1971年3月から富士重工業・群馬試作所で生産化に向けてのテストが開始され、1971年秋の東京モーターショー商用車館にスバル・ff-1 1300Gバン 4WDとして参考出品され、注目を集めた。

当時スバル・ff-1 1300Gは新型車「レオーネ」へのモデルチェンジを控えていたため、スバル・ff-1 1300Gバン4WDはパイロットモデルとして、1972年3月から合計8台が生産・納入されたに留まった。

「EA型」水平対向エンジンは、1965年のスバル・1000の登場から1989年のレガシィに搭載された「EJ型」エンジンの登場以降1992年まで、排気量アップを繰り返しながら「レオーネ」に搭載され続け、最終的に1,781ccにまで成長。実に26年もの命脈を保った。

片側2気筒のみのシリンダーブロック配置は、1970年代のアメリカの「マスキー法」に端を発する、世界的な排気ガス規制の流れでも有利に働き、昭和51年度排気ガス規制では、三元触媒、EGRなどの装着なしでクリア

短いエンジン全長と低いエンジン高は1968年のアメリカにおける米国連邦自動車安全基準(MVSS:Federal Motor Vehicle Safety Standards)の制定以降厳しくなっていく前面衝突基準でもアドバンテージとなった。

さらに世界初の本格的量産乗用車ベースAWDの発売から、現在のシンメトリカルAWD技術の確立まで、富士重工業の自動車メーカーとしての方向性を決定付けた傑作といえる。しかし、スバル・1000の拡大キャパシティを備えた、優れた素質が、円安に依存したアメリカ市場への過度の依存を招き、富士重工業内部の組織の硬直化が、1985年の「プラザ合意」以降の急激な円高以降、対応の迷走から倒産の危機が公然と報道されるほどの状況にまで繋がったのではないかという指摘もある。

サスペンションにはスバル・360に引き続き4輪独立懸架で、フロントが縦置きトーションバー・スプリング(ねじり棒ばね)をアッパーアームに使用するダブルウイッシュボーン、リヤがトーションバー・スプリングとセンター・コイルスプリング併用のトレーリングアームで、フロントはトーションバー前端のカムによって、リヤはセンター・コイルスプリング部のボルトをレンチによって、それぞれ車高調整が可能となっていた。

スバル・1000の特徴である、トランスミッション側にブレーキを配置するインボード・ブレーキの採用は、主にFF方式採用によるフロントタイヤ切れ角の減少を補う為であったといわれている。特に開発途上では、最適な等速ジョイントの開発の目途がなかなか立たず、ジョイントの不等速性から発生する振動を軽減する狙いもあったといわれている。

またインボード・ブレーキの採用によって可能になった「センターピボット式ステアリング」は、フロントサスペンションのキングピンの軸線とホイールの中心線を一致させたもので、路面からの入力に対してサスペンション自体の強度に頼ることなくスムーズにストロークさせることが可能で、フロントダブルウイッシュボーンサスペンションの採用と相まって、不要なジオメトリー変化を押さえ、ばね下重量を軽量化できる点で、理論的には最も優れたサスペンション構成といえる。さらに4輪独立懸架の採用により、FF方式本来の優れた直進安定性と高い操縦安定性に、スバル・1000ならではの鋭い操縦性と安定したロードホールディングをもたらした。

こうしたエンジニアリングの理想を具現化したメカニズムは、航空機製造との共通性を感じさせるもので、一部からは非常に高い評価を得て、熱狂的な「スバリスト」と呼ばれる信奉者を生み出したが、一方、当時、富士重工業の販売・サービス網は脆弱で、一般の整備工場にメンテナンスを頼らざる得なかった状況で、アフターサービスの現場からの寄せられるメンテナンスの煩わしさに対する声や、それまでのFF車がドライブシャフト・ジョイントの耐久性に問題を抱えていたために、その耐久性に懐疑的な声も少なくなく、そのことが当時のスバル・1000の評価に影響を与えていたことは否定できない。

このスバル・1000のインボード・ブレーキは、スバル・ff-1、スバル・ff-1 1300Gを経て、1971年の「レオーネ」の登場の際には一般的なアウトボード・ブレーキに改められ、この特徴的な「センターピボット式ステアリング」も廃止された。

この「センターピボット・ステアリング」は、1990年代にトヨタの「スーパーストラットサスペンション」の開発の端緒になったといわれている。

スバル・1500(P-1)以来の伝統であるフルモノコックボディは、スバル・360の基本デザインを手掛けた工業デザイナー、佐々木達三をアドバイザーに迎えた社内デザインで、開発の参考にされたといわれる「シトロエン・DS」の流れを汲むセミファストバックスタイルとなっている。

スバル・360と同様、クラス最大の室内スペースの確保が最優先とされた。そのために採用された2,400mmというホイールベース長は、当時の1,500ccクラスの標準的な長さであり、ライバルであるトヨタ・カローラや日産・サニーと比較すると、120mm余りも長い。

FF方式の採用によりフロアトンネルをもたず、排気管を助手席側サイドシルに配置させることで実現した完全なフラットフロア、さらにサイドガラスにカーブドグラスを採用することで、1,500~2,000ccクラスに匹敵する広く、開放感の高い室内空間を実現した。

国産車では初めて燃料タンクを後席座面下に配置してモノコックボディの構造材の一部としての役割を受け持たせ、スペアタイヤ及びジャッキまでをフロントエンジンルーム内に配置することで、当時の記者発表会で「サッカーボール48個分」と謳うほどの広大なトランクスペースを得た。スペアタイヤ及びジャッキ等をフロントエンジンルーム内に配置させることは、軽量な車重とFF方式採用によるフロント駆動輪のトラクション確保のための前軸荷重の増大を意図したもので、「ひとつの部材でふたつ以上の機能を果たす」航空機製造に通じる設計理念が感じられる。

スーパーデラックスでは、すでにこの時代に運転席と後席、さらにタナーボードを繋いだフルリクライニング・シートまで実現している点は注目される。

1967年11月に追加された「スバル・1000」のスポーティグレード。

スバル・1000の「EA52」型をベースとなっているが、圧縮比を10.0に上げ、三国工業製のソレックスタイプのツインキャブレターを装着、クランクシャフト、カムシャフト、シリンダーヘッドなど、その構成部品の多くが専用部品で、もはや別のエンジンといっても良いほどの本格的なチューニングが施されている。

FF方式採用によるトラクションと、軽量な車重を武器に、国内ラリーでは1,000ccクラスでは無敵の強さを誇り、1968年9月に行われた「第10回日本アルペンラリー」ではクラス優勝を獲得している。


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[ 2007/12/16 19:42 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)
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