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MAZDA FAMILIA 新方向ファミリア 02'08"

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8代目(1994年~1998年)
1994年6月、8代目ファミリアが発売された。エンジンは1500cc・1600cc(フルタイム4WDのみ)1800cc・(後に追加された)いすゞ製エンジンの1700ccターボディーゼルの3本立てとなり、1500ccにはリーンバーンエンジン車もあった。マイナーチェンジ後は、セダンに、1300ccを追加し、廉価路線での販売数拡大をねらった。モデル途中まで、前代7代目の3ドアハッチバック車が1300ccにモデルを絞って継続生産されていた。

WRCの撤退により、本モデルでは、「生活4WD」をテーマに、フルタイム4WDが、セダンのみ設定された。エンジンは、E-BFMRから3代に渡って、B6が採用された。DOHC化(E-BG6Z/E-BG6R)の他に、EGIも2代ぶり(E-BFMR/E-BWMR)にセットされ、レギュラーガソリンで115psをマークした。しかし、「生活4WD」のポリシーのため、リアスタビライザーが廃止された。初期型4WDセダンはリアシートが倒せないという問題があったが、マイナーチェンジで6:4分割シートが採用された。しかし、そのためか、セダン4WDのローグレードであったLSのタコメータが、後期型では廃止された。

プラットフォームにマツダ・BHプラットフォームを採用。ホイールベースが伸ばされ、セダンはマツダの時流であったイタリアンなデザイン、3ドアハッチバックにはNEOというサブネームが付けられ、今日のマツダ・アテンザスポーツや2代目トヨタ・プリウス、あるいは2代目フォード・フォーカスのようなクーペルック(カムバックスタイル)の奇抜なデザインだった。発売当初はクラストップの低価格をうたい文句にしていたが、実態は最廉価モデルの価格であり、中級以上のグレードではライバル車と価格面での優位性はほとんどなかった。当時は各社がコスト削減に取り組んでいた時代で、このモデルも先代より大幅にコストダウンが図られていた。

ファミリアはハッチバックがマツダの主力車種であるにもかかわらず、NEOの月販は100台前後を彷徨うという非常事態に1996年10月のマイナーチェンジでより従来のハッチバックのイメージに近い、オーソドックスな3ドアに刷新された(これに伴い、7代目3ドアは生産終了)。しかし、国内ではすでに3ドアハッチバック市場は下火で、ステーションワゴン、ミニバンが販売の中心になっていた。フェイスリフトの際、直線基調のデザインに変更し、ヘッドランプはマルチリフレクター化され、1300ccSOHC16バルブEGIガソリンエンジンが追加された。海外向けの3ドアはNEO(名前は異なる)が継続生産された。

教習車としてルーチェやカペラの代替のため、採用された例もある。輸出仕様と同じ大型バンパーを装着。

CMキャラクターに初期草刈正雄、野村佑香、大槻ケンヂ、鈴木杏樹を起用。中期にはとんねるず(ここまでが前期型)。後期型のファミリア・ハッチバックにはアンドレ・アガシを起用し、バックにザ・ナックの「マイ・シャローナ」をCMソングに起用した。

1995年12月にファミリア生産累計1000万台を達成したものの、派生車種であるランティスの販売台数も伸びず、拡大路線が裏目に出たマツダは、創業以来の苦境に見まわれた。

バンとワゴンはこの8代目からADバンのOEMとなった。

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[ 2007/11/01 11:23 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)
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