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Corolla 1100 E10系 1966年-1970年 0'58"

トップページTOYOTAカテゴリーCorolla 1100 20071105180032.jpg

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1969年から2001年までの33年間連続して、派生車を作るなどし車名別国内販売台数1位を維持するなど、特にセダンに関しては日本を代表する車種である。また、2002年には年間世界販売台数が初めて100万台を突破した。更に2005年には、累計生産台数3000万台を達成し2007年現在では世界140ヶ国以上の国で販売されており、特にカローラセダンは世界で最も多く販売されている乗用車でもある。

その名前は同社の大型高級セダン「クラウン」の「王冠」、中型セダン「コロナ」の「太陽の冠」に対して、「花冠」[1]を意味する。また、同社にはほかに「冠」をもじった大型前輪駆動セダン「カムリ」がある。

日本ではセダンの「カローラアクシオ(COROLLA Axio)」、トールワゴンの「カローラルミオン(COROLLA RUMION)」、ステーションワゴンのの「カローラフィールダー(COROLLA FIELDER)」の3車種がある。

2006年9月までは5ドアハッチバックの「カローラランクス(COROLLA RUNX)」も存在したが、同年10月に新型欧州戦略車「オーリス(AURIS)」を同車の後継として導入し、ハッチバックのカローラシリーズは終了した。ランクスおよびアレックスは日本においてはカローラの若年層向け異型車として展開されていたが、オーリスはネッツ店専売車種となっている。

以前は、小型MPV カローラスパシオ・2ドアクーペ カローラレビン・4ドアハードトップ カローラセレス・3/5ドアハッチバック カローラFXなども存在した。

2006年7月に東京・お台場のMEGAWEBでカローラ生誕40周年記念展示が行われ、初代から9代目までのカローラとAE86型レビン、スパシオの欧州向け姉妹車「カローラ・ヴァーソ」、ヴォルツの北米向け姉妹車「マトリックス」が展示された。マスコミ向けに行われた撮影会では車内まで撮影できたが、一般公開では囲いがしてあり、外観しか見られなかった。ちなみに車のリアには販売店のステッカーが貼ってあり、実際に使用していた車であることが分かる。

初代(E10系、1966年-1970年)
1960年代後半、日本では本格的なモータリゼーション時代を迎え、各自動車メーカーは車種の充実をはじめた。カローラは、エントリーモデルであり、国民車構想の流れを汲むパブリカと、量販車種であり、排気量のアップや車体の大型化により車格が上昇したコロナの中間に位置する量販車種として、1962年ごろに初めて企画された。トヨタは、パブリカが実用的に過ぎたため人気を得られなかったと分析し、実用以上の「魅力」を付加することを目標とし、開発理念として「80点主義」を掲げた。エンジンは、パブリカの空冷2気筒700cc[4]に対して、先行して開発されていた水冷4気筒で中高回転域での追従性に優れたハイカムシャフト方式で5ベアリングのクランクシャフトを用いたOHV式の1000ccエンジンを搭載することとした。

車両重量その他の計算から、時速100kmで巡航するために必要な最高出力を60psとし、その出力を余裕を持って発揮するという名目から、また、後述するサニーに対抗するため、発売前の最終段階にはエンジン排気量が1100cc(実際は1077cc)に決定された。エンジン形式はK型である。そのほか、クラス初のフロアシフトによる4段トランスミッション、国産の乗用車用としては初採用となる[6]マクファーソン・ストラット式の前輪独立懸架などの新機構が取り入れられた。また、トヨタはカローラ生産のため、新たに高岡工場を建設し、年間2万台の生産と販売を目標とした。また、国産車で初めてエクステリア上のバンパーフェイスの排除や全車リアバックアップランプの採用、および助手席側ドアロックキーシリンダーなどの採用、インテリア関係では、丸形メーター、視界では、全車2スピードワイパーを採用したのがこの初代カローラである。

ほぼ同時期、日産自動車でも、やはり大型化したブルーバード(P410型)の下位車種として、排気量1000ccの新型車が構想され、車名公募などのティーザー・キャンペーンが大々的に行われた。この車はダットサン・サニーと名づけられ、1966年4月に発売された。

サニー発売に遅れること5ヶ月、1966年9月に「カローラ」という車名と、セミファストバックスタイルのボディの一部のみを見せるティザー・キャンペーンが行われた。この時から用いられた「プラス100ccの余裕」というキャッチコピーは、新開発のK型水冷4気筒5ベアリング・ハイカムシャフトOHVエンジンの排気量(1100cc)を表現したものであり、もちろん、1000cc、でデビューした「サニー」に対しての、宣戦布告であった。同時に「日本のハイ・コンパクトカー」を自称して、「パブリカ」や、あるいは同クラスの他社製品より上質であることを訴えた。

初代カローラ(E10系)は翌10月、東京モーターショーで発表される。同年10月28日には「お茶の間発表会」と銘打ち、当時トヨタが提供していた日本テレビのゴールデンタイム(午後9時からの1時間)に特別番組「カローラ・ビッグバラエティショウ」を放送、梓みちよ、北島三郎、坂本九など、当時の流行歌手が出演した。

このような, 発売前の大々的なキャンペーンを経て、カローラは翌11月に発売された。各グレードの販売価格は、スタンダード432,000円、スペシャル 472,000円、デラックス495,000円であった。「100ccの余裕」は、余裕を謳う反面、税制上は不利であったが、事前のキャンペーンが功奏し、販売台数はサニーを上回った。

発売当初は2ドアセダンのみのラインナップであったが、翌1967年5月、4ドアセダン、バン(KE16V型)、トヨグライドと呼ばれる、2速AT車が追加された。4ドアは2ドアセダンの25,000円高、トヨグライド仕様はマニュアル仕様の38,000円高であった。ほぼ同時期、サニーにも同様の車種追加がなされている。

1968年4月にはマイナーチェンジが行われる。ダッシュボードのソフトパッド化、メーターへの無反射ガラス採用、2スピードワイパーの標準装備化、メーカーオプションでフロントディスクブレーキが用意される(15,000円高)など、「33項目の安全対策」をアピールした。同時に2ドアクーペが登場、「スプリンター」(別項参照)のサブネームが与えられた。セダンにもスプリンター同様の73psのツインキャブエンジンを搭載し、フロントディスクブレーキとタコメーターを標準装備するSLが車種追加され、SL以外のグレードにはコラムシフト車も追加された。なお、この年から北米と欧州への輸出が開始された。

1969年9月の改良では、全車に排気量を100ccアップした3Kエンジンを搭載し、KE11型他となる。シングルキャブモデルは68psを発揮、新たに圧縮比を高めて出力を73psに増した3K-D型エンジンを積む、ハイ・デラックスが追加される。SLにはツインキャブの77psエンジン(3K-B型)が搭載された。また、乗り心地やハンドリングを向上させるため、全車、フロントサスペンションのロアアームを、A字型アーム+横置きリーフスプリングスタビライザーから、I字型アーム+テンションロッドスタビライザーに改め、本来の形状のマクファーソン・ストラット式になった。このフロントサスペンションは、80系の、AE85型/AE86型のカローラレビン、スプリンタートレノまで踏襲される。事実上、E10系の最終型となっている。

ちなみに、E10系のデビュー当初のCMキャラクターは俳優の竜雷太を起用していた。またマイナーチェンジ後にはCMソングも製作された。曲目は「いとしのカローラ」(作詞・作曲:浜口庫之助)である。

1968年12月に発生した三億円事件で現金を奪った犯人が現金輸送車の日産・セドリックから乗り換え、逃走に使った車がこの初代カローラである。

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[ 2007/10/03 11:48 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)
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