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Suzuki Jimny LJ10 0'30"

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ジープ以来の伝統的な四輪駆動車の構成を固持する、小型で軽量のパートタイム4WD車。低級振動や重量増などの不利をおして、今なお強度と耐久性を重視した梯子形フレーム(ラダーフレーム)を使い続け、サスペンションも前後とも固定軸を用いている。これは現代の自動車において、乗用車のみならずオフロード車であっても車台のモノコック化、サスペンションの独立懸架化が進んでいる今日にあって、独自かつ稀有な存在である。

小型軽量ボディやラダーフレーム、リジッドアクスル式サスペンション、大径タイヤなどの優位性により、特に純粋な悪路の踏破性能では四輪自動車としてトップクラスの性能を持ち、クロスカントリー競技のベース車としても使用されている。

2000年9月-2001年2月と2001年2月-2002年1月に FR車(前者:ジムニーL、後者:ジムニーJ2)が発売されたこともあるが、現在は四輪駆動のみのラインナップとなっている。

約40年近い歴史で細かい改良は多いものの、モデルチェンジはわずか2回とモデルライフが長いのが特徴である。このモデルライフの長さが評価され、2008年10月8日にグッドデザイン賞の中でも、10年以上にわたって同一の商品コンセプトで継続的に生産販売されている商品等に与えられる特別賞「2008年度グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞した(プレスリリース

車名の由来はジープ(Jeep)型のミニという意味を込め、「Jeep」と「Mini」をかけあわせ命名されたものであり[1]、メーカーの公式発表でも「発音のしやすさ、覚えやすさなどから作った造語である」とされている。北米発の愛称は「Suzy(スージー)」。

軽自動車として同一車種名での歴史の長さを誇る車種のひとつである。誕生から長い間、法定費用の面で有利な軽貨物となる4ナンバー規格(商用車)で販売されており、5ナンバーの軽乗用仕様の登場は1995年からと、比較的新しい。貨物仕様は1998年に廃止された。

マツダへOEM供給されたモデルはAZ-オフロードの名で販売されている。

1977年に発売された SJ20 以降、普通車登録のジムニーも発売され、日本国外でも販売されている。日本国外では、輸出、ノックダウン生産、現地生産を含め、多くの国で販売されており、現地で荷台や車体を架装したピックアップトラックやワゴン(4ドアもある)など、ロングホイールベース車の比率も高い。車名も、「ジムニー」のほか、時期や仕向け地によって、「ブルート」、「サムライ」、「SJ410 / 413」、「シエラ」、「KATANA」などを使い分けている。

日本国内で狭隘な道路を擁する山岳地域・積雪地において、機動性の高い生活用車両としての根強い需要を持つ。同様な地域でのパトロールカーや郵便集配車としても用いられる。

また林道走破や釣り目的の山道・砂浜での走行にも耐えることから、それらを目的としたレジャードライブ用途にも用いられている。簡素で頑丈な構造ながら改造の余地が大きく、破損時の修復も比較的容易なため、ヒルクライム競技など悪路走行を前提としたアマチュアモータースポーツに出場することも多い。

ジムニー開発のきっかけは、かつて軽オート三輪の先駆的メーカーでありながら、大手に押されて自動車業界からの撤退に至ったホープ自動車(現・ホープ)から、同社が開発した軽四輪駆動車「ホープスター・ON型4WD」(1967年完成)の製造権を、当時スズキ東京社長、現スズキ会長兼社長である鈴木修が、社内の反対を押し切る形で買い取ったことに端を発する。

「不整地用万能車」とうたわれた ON型4WD は軽自動車ながら高い性能を備えた四輪駆動車だったが、ホープ自動車の創業者で ON型4WD の開発者でもある小野定良は、この設計を商業的に活かすにも、もはや自社に量産・販売能力がない実情を鑑み、大手メーカーへの製造権譲渡を決意した。ホープは同時期に遊園地の遊具開発に業態転換することで会社の命脈をつないだ。

小野は当初、ON型4WD のエンジンやパーツの供給元であった三菱重工業(1970年の三菱自動車工業の分離以前)に売り込んだが、ジープのライセンス生産を行っていた三菱からは理解を得られず、スズキに提案を行ったところ、鈴木修が「軽四輪駆動車」というユニークなプランに関心を示し、ホープ側から製造権を買い取った。資料によれば当時の金額で約1200万円程だったと言われている。

このときスズキの幹部からは「売れなくて撤退した車の製造権を買ってどうするのか」、「社長の道楽」、「もしこんなものが売れたら社内をちょうちん行列で歩いてやる」という批判があったとの話もあり、鈴木修を除いた周囲からは、期待されていなかった模様である。鈴木修はもともと銀行員から自動車会社の経営幹部に転身した人物で、元来技術者ではないため、それまで四輪駆動車がいかなる物かという基礎知識すら持っていなかった。しかし、小さなONが急勾配を登坂する様子を撮影した8mm映画でその驚異的な機動性を実見し、軽四輪駆動車の実用車としての可能性に開眼したという。

ごく少量が生産、販売されたホープスター・ON型4WD の組み立ては、ほとんどが手作りで、三菱エンジンのものが15台、検討用にスズキから依頼された、スズキエンジンのものが3台生産されたにとどまっている。結果としてホープスター・ON型4WD は、ジムニーのプロトタイプとしての役割を果たした。

初代第1期(1970年-1972年)
1970年4月に軽自動車初の本格四輪駆動オフロード車として発表。
Br> ON型4WD のドライブトレインは、前後リジッドアクスル、16インチホイール、2速のトランスファーなど、ジープ同様の本格的な構成であった。そこでスズキでは、ON型4WD の優れた機能はそのままに生かしながらも、自社生産向けに大変更を加えた。

パワーユニットは自社の軽トラック・キャリイ用のエンジンとトランスミッションを流用し、ON型4WD同様に軽自動車枠内に収めた。規格品の鋼材を積極的に導入し、他の部品も自社の既存のものをなるべく流用することでコストを抑えた。また作業車としての用途に応えるため、トランスファーへPTO(動力取り出し装置)を組み込んで動力を取り出し、ウインチを動かすことができるようにした。このPTOウインチは、SJ10 / 20 まで純正オプションとして設定されている。

その一方でスタイリングを重視し、武骨な形の ON型4WD に比べ、スポーツ性を取り入れたデザインとなった。また商用車扱いとして販売価格や維持費を抑えるなど、購買、設計、生産技術、デザイン、営業などとの全方位的な折衝の末、商品として成立させた。

発表されると、維持費の安い軽自動車でありながら、大型の四輪駆動車以上の機動力を発揮する実用性で、「それまでにない軽自動車」として市場に評価され、スズキの販売力もあって、大きな商業的成功を収めることとなった。

当時のキャッチコピーは「自然に挑戦する男のくるま」、「男の相棒☆ジムニー」、「最前線志願」であり、カタログなどで使用された。

初代第2期(1972年-1976年)
LJ20-1型
1972年5月、発表。
LJ10 との大きな違いは、エンジンを空冷から水冷に変更したことである。水冷となって快適な温水式ヒーターを得たことと、耐候性・安全性に優れるバンモデルの LJ20V が追加されたことも相まって、雪国や寒冷地を中心に販売台数を伸ばした。外見ではフロントグリル穴の形状が、LJ10系の横長型から、縦型に変更され、容易に区別できる。

1972年7月には、ソニーと共同で LJ20 にソニーの18型カラーテレビとUマチック方式のビデオデッキを搭載した「ビデオジムニー」を発売した。トランスファーのPTO装置を使って発電し、電力を供給する仕組みであった。法人や自治体を販売対象と想定して、電源の無いところでビデオの録画及び再生ができることをうたい、東京モーターショーにも出品したが、結局1台も売れなかった。ビデオジムニー専用の部品もあり、パーツリストには記載されている。

LJ20-2型
1973年11月発売。フロントマーカーランプ(車幅灯)とフロントターンシグナル(方向指示器)が分離され、リアターンシグナルランプが赤からオレンジに変わった。

1975年2月、幌モデルに向かい合わせの後席を持つ4人乗りの LJ20F を追加。居住空間捻出のため、スペアタイヤは荷室から車体背面に移動され、幌後半の高さも嵩上げされる。

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[ 2010/03/04 04:05 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)
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