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Land Cruiser FJ/BJ型 0'26"

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トヨタ・ランドクルーザー (Land Cruiser) とは、トヨタ自動車が製造する四輪駆動の自動車。 世界で最も知名度の高いSUVのひとつである。

日本のクロスカントリー型四輪駆動車の先駆けとなる車両である。通称は「ランクル」。その耐久性は世界中で高い評価を受けており、「紛争あるところにランクルあり」と言われるほどである。 NHKをはじめ各放送局の取材車や中継車としても利用されている。なお、同タイプの日本メーカー製車両としては三菱ジープや、日産・パトロール(現・サファリ)がある。
「ランドクルーザー」という車名は、1954年6月より使用されており、2009年7月現在、一つの車名で継続生産されている日本製の自動車としてはもっとも長い歴史をもつ(55年。クラウン、トヨエースよりも古い)。
4ドアで大柄の車体を持つ「ステーションワゴン」、業務用途の「ヘビー系(ヘビーデューティー)」、そして、70系の派生車種であった「ライト系(ライトデューティー)」と呼ばれるランドクルーザーII から発展した「ランドクルーザープラド」の車格も仕様もまったく異なる三系列のシリーズが並行して生産、販売されている。
現在のステーションワゴンは、レクサス LX570の姉妹車でもあるV型8気筒エンジンを搭載したランドクルーザー200であり、欧州など、仕向け地によっては車名がランドクルーザー V8 となる(100系の欧州名はアマゾン = Amazon )。

ランドクルーザーの源流はワークホースとしてのヘビー系にあり、現行モデルの70系では、日本製クロスカントリーカーとしては初となるV型8気筒のディーゼルエンジンを採用しており、長大な車体を持つ78と79を中心に世界各国に向けて輸出が続けられている。日本国内では貨物登録(1、4ナンバー)となっていたこともあり、NOx規制法およびPM規制条例の影響により、2004年7月に販売を終了している。
ランドクルーザープラドは、タコマ / ハイラックスサーフとシャーシやエンジン、ドライブトレインの多くを共有するモデルで、2ドアのショートと4ドアのロングのバリエーションを持ち、V6ガソリンエンジンと直4のガソリン、ディーゼルエンジンを積む。ランクルワゴンの伝統に則り、乗用車なみの装備を持つワゴンと業務用途の簡素なバンをラインナップしている。欧州やアフリカでの名称には「プラド」は使われず、ランドクルーザーのみである。北米地域では、レクサスブランドにおいてGX470として販売されている。
100系のランドクルーザーシグナスは、日本国外のレクサスブランドでLX470として販売されていたものを日本国内販売したものであったが、国内へのレクサスブランド導入に伴い、200系では廃止された。しかし、日本国内のレクサスブランドにおけるLXの投入は実施されていない。

戦時中、トヨタによって少数が生産された日本陸軍四式小型貨物車こと「AK10型」四輪駆動車は、フィリピンで鹵獲された通称「バンタム・ジープ」をコピーして設計された。その際、軍部から識別のため「外観はジープに似せない事」とする旨の指示があった。機能がそのまま外観に表れるジープでは、それは容易なことではなかったが、生産型は資材の窮乏も伴い、簡易外装に一つ目ライトのいわゆる「戦時型」となり、結果的にまったく別物の外観となった。
「AK10型」はフロントにリーディング・アームのサスペンションを持ち、AE型乗用車のC型エンジン(初代 4気筒 2585cc)と3速T / M、2速T / Fを組み合わせていることからも判るとおり、BJ型以降のランクルと直接のつながりは無い。
また、トヨタは、KYC型トラックとそれをベースとした水陸両用トラックの陸軍「スキ」(1943年から198台生産)でも4輪駆動(総輪駆動)車を手がけた経験があり、AK10型とは異なり、トラックであるこれらの構成はBJ型に通ずるものがある。

BJ・FJ型(1951年-1955年)
警察予備隊(現・陸上自衛隊)への納入を狙い、トヨタ・ジープBJ型として開発され、1951年に試作車が完成した。
シャーシは小型トラックSB型の梯子形フレームを改良して四輪駆動とし、エンジンは当時の6tトラック用に用いられていた6気筒OHV・3,400ccの初代B型ガソリンエンジンを採用、トランスミッションもトラック用を流用した。粘り強く、出力に余裕のあるエンジン特性とギアリングが低いことから、トランスファーは1速で済ませている(副変速機は備えていない)。「B型」エンジンを搭載した「Jeep」型車ということで型式は「BJ型」となった。 当時のトヨタには、ウイリス・ジープに匹敵する性能の4気筒エンジンがなかったため、大きな6気筒を搭載したが、重量、燃費以外の性能では、当時のウイリス・ジープを凌ぐ性能を得た。
警察予備隊の試験には日産・4W60型も参加したが入札の結果、三菱がライセンス生産するウイリス・ジープが採用され、他の2車は敗れた。トヨタとしては当初の目的は果たせなかったがその後、国家地方警察(国警:こっけい)のパトロールカーとして採用された。
基本型の「BJT型」(ツーリング)、無線連絡車の「BJR型」(ラジオ)、消防用シャーシの「BJJ型」(略号Jの意味は不明)の3タイプがカタログモデルとされ、その他の「変り型」は特装扱いとした。

BJ・FJ型年表
1951年 8月1日、試作車完成。富士山6合目までの登山試験にも成功、路外でも優秀な成績を収めたが、警察予備隊の入札では実績のあるウィリス・ジープのライセンス生産車である三菱・ジープに敗れた。
1953年、本格生産開始。シャーシ組み立てはトヨタ本社工場、車体および最終組み立ては荒川鈑金工業。 1954年、高負荷運転となる消防ポンプ車用に、より強力なF型エンジンを追加。これはB型同様大型トラック用のエンジンで、以後ランクルとは切っても切れない関係となるが、この時期はまだ消防用シャーシ「FJJ型」専用であった。
同年6月、「ジープ」という名称が米国ウィリス・オーバーランド社(当時)の商標権に抵触するため、ランドクルーザーと改名された。英国ローバー社の有名な四輪駆動車ランドローバーに対抗し、ROVER(海賊、海賊船)を駆逐するという意気込みを込め、「巡洋艦」を用いての命名であった。

20系(1955年-1960年)
1955年8月、ランドクルーザーは初めてのモデルチェンジを受け、20系となった。
ホイールベースはショート(#J25、21等)とやや長いミドルの(#J28、24等)の二種類でスタート、後にロング(FJ35V)が追加される。
ショート 2285mm
ミドル 2430mm
ロング 2650mm
エンジンは従来のB型(初代)とF型ガソリンエンジンで、ほとんどの車種に両方のエンジンが設定された。
B型(初代) 水冷 直列6気筒 OHV ガソリンエンジン 3386cc
F型 水冷 直列6気筒 OHV ガソリンエンジン 3870cc 120~135ps/3200rpm 28.0~30.0kgm/2000rpm
トランスミッションは4速マニュアル、トランスファーはセンタースルーの2速で、どちらもフロアシフトとされた。
ボディーのバリエーションはソフトトップ、ハードトップと、ピックアップ、バン、消防用シャーシとされ、後にロングの4ドアステーションワゴンが加わった。
これら以外の変り型については特装とされた。
ソフトトップ・ショート/ミドル
ハードトップ・ショート/ミドル
ピックアップ・ミドル
バン・ミドル
消防用シャーシ・ミドル
ステーションワゴン・ロング
国家警察用のパトロールカーをはじめ、ラインナップの約半数が2輪駆動であることも20系の特徴であった。
この20系より各国に見本車を送り、本格的に輸出を開始した。
特に北米では、市場に適合せず、評判の優れなかったクラウンに代わり、米国トヨタの経営を支えた。
モデル末期の1959年、輸出の好調を受けランクル初の本格ステーションワゴンが追加されることになった。
ホイールベースはさらに延長され2650mmとなり、4ドアボディを与えられ、エンジンはF型とされた。
形式は、20番台はすでに全て使い切られていたため、30番台でロングホールベースを表すFJ35Vとされた。
40系へのモデルチェンジまで一年を切ったこの時期に投入されたFJ35Vは、実質的には40系のFJ45V(初代)の前倒し生産といえるもので、日本国外の旺盛な需要の前に、逼迫した当時の状況が現れている。

40系(1960年-1984年)
でに20系が30番台の数字を使っていたため、型式は40とされた。 1984年11月に70系にフルモデルチェンジされるまで24年にわたり販売され続け、超ロングセラーモデルとなった。北米においても、1960年代前半まではトヨタの最量販車種であった。
そのため、世界各国で業務用として今なお現役のものも多く、また、趣味の世界でも、「ヨンマル」、「フォーティー」などの愛称で親しまれ、多くの愛好家に大切にされている。
当初のコンセプトは、20系に対する北米市場の要求から、 T / Mを4速からワイドレシオの3速に シフトレバーをフロアからコラムへ(北米以外は従来の4速フロアと3速フロアも選べた) T / Fを1速から2速へ(リアもセンタースルーからオフセットへ変更された) T / Fレバーをフロアからインパネへ ファイナル(アクスルデフ)のギアリングを高く(5.555から3.300または3.700へ) エンジン特性を高回転寄りに サスペンションスプリングをソフトライドに ソフトトップの着脱を容易に ラジエターグリルをフォード・トラック風のオーバル形になど主に高速走行を重視した快適性の向上と乗用車の雰囲気を盛り込むことが設計の主眼とされた。

ホイールベース
ホイールベースはショートの40とやや長いミドルの43、ロングの初代45でスタート、後にフレームを300mm延長した45(B)が追加され、その後、延長形に一本化され、45(2代目)に変更された。
ショート 2285mm
ミドル 2430mm
ロング初代 2650mm
ロング(B) 2950mm
ロング2代目 2950mn ロング(B)を名称変更

ボディーバリエーション
ソフトトップ・ショート/ミドル/ロング(2代目)
ハードトップ・ショート/ミドル/ロング(2代目)
ピックアップ・ロング(初代)/ロング(B)/ロング(2代目)
ステーションワゴン・ロング(初代)
消防用シャーシ・ロング(初代)
キャブシャーシ・ロング(初代)/ロング(B)/ロング(2代目)

マニュアルトランスミッション
コラムシフト
3速 J30型 1960年1月 ~ 1972年9月

フロアシフト
3速 J30型 1960年1月 ~ 1975年1月
4速 H41 / 41F型 ~ 1984年10月
4速 H42F型 1972年10月 ~ 1984年10月(北米向け)
5速 H55F型 1982年10月 ~ 1984年10月(日本国内向け LX グレードのみ)

コラムシフト
3速 J30型 1960年1月 ~ 1972年9月
フロアシフト
3速 J30型 1960年1月 ~ 1975年1月
4速 H41 / 41F型 ~ 1984年10月
4速 H42F型 1972年10月 ~ 1984年10月(北米向け)
5速 H55F型 1982年10月 ~ 1984年10月(日本国内向け LX グレードのみ)

第1期
1960年1月生産開始。輸出が優先された結果、国内のハードトップモデル(バン FJ40V)は遅れて登場する。
遅れて45(B)シリーズ登場。荷台の狭さが指摘されていたピックアップトラックとキャブシャーシ用にホイールベースを2950mmとした、45(B)と呼ばれるスーパーロングが追加される。ピックアップの型式はFJ45PからFJ45P(B)に切り替わる。

第2期
1967年7月55型の生産開始に伴い、4ドアステーションワゴンのFJ45Vは生産終了。同時にロングのホイールベースを2950mmへ統一、45(B)は、再び単に45と呼ばれることになる。同じ型式で長さと形態が異なるモデルが混在するため、趣味上の分類としては1967年以前の45を初代、それ以降を2代目としている。
45(初代) W/B 2650mm
45(B) W/B 2950mm
45(2代目) W/B 2950mm
ショートのハードトップとバックドアを設計変更。屋根を鋼板プレスからFRPのモールド品に変更。クォーターウインドウ、バックドアウインドウを拡大、リアコーナーウインドウを新設、後方視界の改善を図った。

1973年、日本国外向けのロングホイールベースモデル(2950mm 2代目45シリーズ)に直6 3.6L 3576c OHV 90HPのH型ディーゼルエンジン搭載のHJ45を追加。ランクル史上初のディーゼルエンジンとなる。

1974年、B型(2代目)ディーゼルエンジンが投入され、長い40の歴史上でのターニングポイントとなる。 ショートとミドルモデルにU10系ダイナ用として好評を博していた4気筒・3000ccのB型(2代目)と呼ばれるディーゼルエンジンが搭載された。4気筒エンジンはランドクルーザーとしては初めてとなる。

BJ40 と BJ43 と呼ばれるこのモデルは、ファイナルギア・レシオをFJ40 / 43の3.700から4.111にたった1割下げた以外(実際、ピニオンギアの歯数が一山少ないだけ)はT / Mも含め、FJ40 / 43の4速車と同じであったが、ディーゼルエンジンの特性から、その走行性能はF型との馬力差(125PSと85PS)を感じさせない遜色の無いものであり、4気筒のためエンジンの搭載位置が後退してフロントミッドシップレイアウトとなったことで車両の重量バランスやハンドリングが改善される効果も生んだ。

日本では小型登録(4ナンバー)できることもあって好評をもって迎えられたが、その優れた経済性と卓越した性能はもとより備わっていた高い耐久性と相まって世界的なヒットとなり、販売台数は飛躍的に増えることとなった。 2種類のディーゼルエンジンの追加により、全てのボディータイプでディーゼルエンジンが選べるようになる。 もともとはオイルショックが招いた流れではあったが、これ以降、ディーゼルエンジンはランクルの主流となって行く。

1975年1月
ワイパーのピボットをウインドシールドフレームの上部から下部に変更、ワイパーモーターカバーが車外に露出した。
ハードトップのドアを組み立て式サッシからフルプレスに変更。
それまで固定式であったリア・クォーターウインドウを引き違い式と後端フリップアウト式の2種類へ変更。換気性能が大幅に向上し、後席の快適性が改善された。

1976年8月アウターリアビューミラー(バックミラー)の位置がカウルサイドからドアに変更となり、国内ボンネット型車では初のドアミラーとなり、乗用車(1980年)より一足早い登場となった。その後、乗用車からの乗り換えユーザーが急増し、車両感覚がつかみづらいとの声が多かったことと、幌モデルでドアを取り外した場合、ミラーも一緒に無くなってしまうことから1980年7月、国内モデルのみフェンダーミラーへ変更された。
ここまでをビンテージモデルとすることが多い。

第3期
1979年2月
ボディーを大幅に設計変更。大型プレス材を多用し、パネル枚数の削減と組み立て行程の短縮を図った。また、鋼板のゲージも下げられた(薄くなった)。
20系以来、室内に置かれていた燃料タンクを室外(床下)配置に変更し、油臭の解消と懸案だった安全性と容量不足が改善された(65Lから95Lに拡大)。
法改正に合わせヘッドランプの間隔が広げられ、ラジエターグリルもオーバルから短形になる。
日本国内のみ排ガス対策のため、ディーゼルエンジンをB型から3200ccの2B型に変更、型式もBJ41とBJ44となる。
数字のうえではパワーアップであったが、進角特性の変更でマイルドな味付けとなり、燃費も若干悪化することになる。

フロントベンチレーテッドディスクブレーキとリアLSDがオプション設定される。 室内のトリムカラーが黒からグレーに変更される。

同年9月?、ディーゼル化以降、増加の一途をたどる日本国内の一般ユーザーへの対策として、ファブリック内装の導入が検討され、そのリサーチのため初めての限定車が発表される。ボディーカラーはダークブルー、シートトリムはダークブルーとグレーの細い斜めストライプであった。

同年12月、バンパーなどのメッキ装飾や、トラック丸出しのリング式ながら白く塗られたホイールで差別化された外観と、室内には紅白のコントラストが鮮やかなファブリックシートを持ったLパッケージが登場。ランクル史上初めてのグレード設定となる。

Lパッケージのドアトリムやフロアマットは明るい黄土色で、紅白シートと相まって非常に華やかな内装となり、もはや業務用の雰囲気は感じられなくなった。この変更は功を奏し、これ以降乗用車からの乗り換えユーザーが一段と増えることになる。

第4期
1980年7月
60系のデビューに合わせ、エンジン、T / M、T / F、ブレーキなどの主要部品が60系と共通化され、パーキングブレーキも専用のセンタードラム式からフットブレーキと共用の後2輪ドラム式へと変更となる。
ロングホイールベースのディーゼルエンジンをH型から6気筒・4000ccの2H型と4気筒・3400ccの3B型へ変更、60系と共通化され、それぞれHJ47、BJ45となる。HJ47は主にオーストラリア(略号 ARL)に向けてBJ45はそれ以外の地域向(欧州 = EUR、ジェネラルカントリー = GEN)けに広く輸出された。B / 2B型も合わせて改良され、それ以前のエンジンとの互換性が少なくなる。

マニュアル・フリーハブが日本国内向けにも装備され、それを車幅内に収めるため、樹脂製スペーサーによりフロントフェンダーの取り付け幅が広げられる。日本国内向けのみフェンダーミラーとなる。
1981年5月限定車の第2段として「ザ・マイティー」が登場(国内)、通称は「マイティーBJ」、「マイティー ブラック」。ブラックのボディーにゴールドの子持ちラインを持ったえんじのストライプとえんじとグレーの室内トリムの組み合わせであった。

1981年8月インパネのデザインを変更。センタークラスタータイプとなるが、シンプルでクリーンな印象は無くなり、評判は芳しくなかった。また、日本国内でもラジアルタイヤが選べるようになり、回転突起物対策としてリヤフェンダーにエクステンションが追加され全幅が増す。

パワーステアリングとタコメーター、専用の室内トリムを持った「LX」が追加される。 1982年2月最後の限定車となる「ザ・マイティーII」が登場(国内)。「マイティーBJ」と同様のカラー、トリムであったが、パワーステアリングとタコメーターを装備し、「LX」同様の装備となる。

1982年日本国内は排ガス対策でエンジンが2B型から3400ccの3B型へ変更され、同時に噴射ポンプがボッシュA型(列型)からボッシュVE型(分配型)へ変更となる。ショートとミドルの日本国外向けも含めた3B型エンジン搭載車の型式はBJ42とBJ46(B型搭載の日本国外向けBJ40 / 43と3B型搭載の日本国外向けロングのBJ45は変更なし)。 1984年10月70系へモデルチェンジ。国内での生産を終了。

55、56型(1967年4月-1980年7月)
乗用車ムードあふれるユニークなボディースタイル、4輪駆動車という特異な車であるにもかかわらず、乗用車を上回る安全性。高出力エンジンと理想的な車両重量配分と抜群の高速性能、と当時の解説書にはある。
北米市場を強く意識したモデルでランドクルーザーシリーズとしては初めて、工業デザイナー(社内)によるスタイリングを採用している。
北米でムース(へら鹿)とあだ名されることとなったフロントまわりや大きくへこんだスライド式(電動、または手動の下降式)のリアウインドウなどそれまでの常識にとらわれない独特のスタイルとなった。
しかし現場経験の無い若手が担当したことから、パネル割りに不慣れな部分が多く、生産開始後もライン上でハンマーによる修正が必要となり、品質が安定するまでには多くの月日を要する結果となった。
北米の保安安基準に適合させるため、インストゥルメントパネルは発泡ウレタンのパッドで覆われ、ステアリングホイール中央にも大型パッドが設けられた(その後40系と共通の小ぶりのものに変更)。
パワートレインは40系と全く同じで、125馬力のF型ガソリンエンジンと、オフセット式の2速トランスファーに、コラムシフトの3速M / Tが標準の組み合わせで、オプションでフロアシフトの3速と4速M / Tが選べた。ファイナルレシオ(デフの減速比)は3.700が標準とされた。3速M / Tは1速とリバースがノンシンクロであった。
その後、1969年にエンジン出力が130馬力に向上した。
1967年7月FJ45V(初代・4ドア)の後継車として登場。バックドアはスライディングウインドウ(パワーまたはマニュアルの下降式)を持つテールゲート(下開き)とスイングアウトドア(観音開き)の二種類が設定された。
45(初代)で好評だった消防車用シャーシ(国内向け)も55ベースに代わった。
1972年4月ステアリングギアをウオーム&ローラーからリサーキュレーテッドボール(ボールナット)に変更。
1973年2月バックアップランプを大型化し、輝度も上げられた(安全対策)。
1973年9月エンジンを無鉛仕様に変更(環境対策)。
1975年1月排ガス対策に適合させるため、全モデルが4200cc、135psの2F型ガソリンエンジンに変更となり、3速M/Tが廃止された。エンジンの変更で、型式認定の都合上、国内のみ形式がFJ56Vとなった。
1977年5月フロントドアガラスとサッシの前側の角の形状をR付きに変更(安全対策)。
1977年9月アウターリアビューミラー(バックミラー)が可倒式に、リアコンビネーションランプ(テールランプ)が縦長の大きなものになり、位置も低くされた(安全対策)。すでに60系の設計が始まっていたため、それに似た形状となった。
1979年4月ロッカーアーム、プッシュロッドを軽量化、ロッカーアームカバーを鋼板プレスからアルミダイキャストに変更。
この改良は次期モデルの60系に2F型を引き続き搭載するにあたり、騒音対策の一つとして行われたもの。エンジン音が乗用車風になったため、旧来からのファンを嘆かせることになった。
北米以外の仕向け地についても、トヨタは55型にディーゼルエンジンを最後まで与えなかった。その点にこのモデルのポジショニングが良く表れている。
より実用的なモデルが必要な仕向け地には、H型ディーゼルエンジン搭載のHJ45(1967年~1980年 二代目FJ45と同じ、ホイールベース2950mmで2ドアのモデル)の各タイプが用意され、それを補っていた。
当初の予定どおり、生産台数のほとんどが北米をはじめとする日本国外へ輸出された。
国内では業務用として多くの納入実績を誇ったが、高価であったこと、小型車枠を超えていたこと、ディーゼルエンジンが無かったことがネックであったと言われ、個人向けの販売は振るわなかった。
まぼろしの50「系」
50「系」の開発計画は当初、ショートホイールベースの2ドアハードトップとロングホイールベースの4ドアステーション・ワゴンの二本立てであり、その時点では名実ともに50「系」であった。
2ドアモデルは1/10クレイモデルによるスタイリング検討まで行われており、このモデルが生産されていれば、FJ50型を名乗るはずであった。しかし、北米での販売が好調であったFJ40とのバッティングの可能性、販売価格、荒川車体の生産能力などを考慮した結果、2ドアモデルの計画は中止されることになった。
現在50番台の55、56型が50「系」ではなく、「型」と呼ばれる理由はここにある。
ちなみに50「系」はブラジル・トヨタが生産する、ランドクルーザーのノックダウンから発展した「バンデランテ(Toyota Bandeirante)OJ、BJ50系(1954年~2001年11月)が名乗っている。
この区別はランクルに詳しい者以外にとっては非常に分かりづらいため、一般的には55、56「型」をまとめて50「系」、OJ、BJ50系は「バンデランテ」と車名で呼ばれることが多い。

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[ 2010/02/13 19:31 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)
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