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Toyota Tundra Ramp CM Ver-2 0'41"

トップページTOYOTAカテゴリーTundra Ramp CM Ver-2 0'41" Toyota Tundra Ramp.jpg

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タンドラ(Tundra)は北米トヨタが販売するトヨタ自動車のフルサイズピックアップトラック。

2代目(2007年-)
2004年東京モーターショーにてコンセプトモデルFUTURE TRUCK CONCEPT展示。

2006年2月、シカゴモーターショーでプロトタイプ展示。ビッグスリーのフルサイズピックアップトラックと真向勝負するため、ボディとエンジンの排気量が拡大された。

米国テキサス州・サンアントニオに建設したテキサス工場(TMMTX)で2006年11月17日に1台目がラインオフした。そして、この工場の所在地はテキサス州の愛称から取って、ローンスター1番地と名づけられた。

テキサス工場は、タンドラをはじめとするフルサイズピックアップが最も売れているテキサス州に、新たに建てられた工場で、2代目タンドラがはじめての生産モデルとなる。ちなみにこの模様はNHKスペシャルでも放送された。

現在、レギュラーキャブとダブルキャブがこのテキサス工場で生産され、クルーマックスはインディアナ工場で生産されている。テキサス工場で作られているレギュラーキャブとダブルキャブには、リアウインドウに、テキサス州の州旗をモチーフにしたステッカーが貼られており、そこには「BORN IN TEXAS, MADE BY TEXANS」(テキサスで生まれ、テキサス人によって作られた)とある。

初代に引き続き、リアにはトヨタマークが使われておらず、「TOYOTA」のアルファベットのみとなっている。(8代目カムリよりも前に登場した、北米向けトヨタ車のリアにはトヨタマークに加え「TOYOTA」の文字が併用されてきたが、8代目カムリ以降の多くのトヨタ車には、トヨタマークのみが使われている。)

2007年1月デトロイトモーターショーで市販モデル展示。2月販売開始。

エンジンは1GR-FE型、2UZ-FE型に加え、新開発のV8・5.7Lの3UR-FE型が設定された。

ライバルのビッグスリーが売り上げを落とす中、攻撃的なスタイルとハイパワーなエンジンが功を奏したタンドラの売り上げは、テキサス工場地元のサンアントニオをはじめ、非常に好調であった[1][2]が、原油高や、ライバルの販売奨励金の引き上げにより、タンドラも売り上げが減っている。このせいか、現在建設中のアメリカ新工場は初めはタンドラなどの大型車を生産する予定であったが、プリウスの生産工場へ変更となった。

2010年モデルより、V8エンジンが、4.7Lの2UZ-FE型から、4.6Lの1UR-FE型へ変更されている。

キャブバリエーション
* レギュラーキャブ
* ダブルキャブ - 小型のリアドアと+2のシートを持つ
* クルーマックス - 4ドアの通常型ダブルキャブ

ベッドバリエーション
* ショートベッド
* レギュラーベッド
* ロングベッド

グレード
* ベース
* リミテッド - クルーマックスのみ

日本での販売
初代のみトヨタグループのセントラル自動車がタンドラの日本への並行輸入・販売をおこなっていた。同時にタンドラをキャンピング仕様のエクスクルーザーとして(プレジャーおよびプラウド)架装し販売していたが、2008年にキャンピングカー事業から撤退。そのため現在は、販売業者単位での並行輸入が行われている。

トリビア
2003年にアメリカ映画「ターミネーター3」の公開を記念して、850台限定でSR5のアクセスキャブ二輪駆動をベースに「T3」仕様が発売された。

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[ 2010/04/01 11:12 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Prince Skyline1500DX 1964 1'02"

トップページNISSANカテゴリーPrince Skyline1500DX 1964 prince_skyline_1500_-_1964dx

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1957年に富士精密工業(のちのプリンス自動車)の主力車種として生産を開始。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた。

車名は「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。2007年3月21日、名付け親の桜井眞一郎がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレートが設置される。

GT系は愛称として「スカG」(すかジー)と呼ばれることもある。

長野県岡谷市の鳥居平やまびこ公園内には、自動車博物館としては異例の単一車種の博物館「プリンス&スカイラインミュウジアム」がある。

C10型からR32型までは、型式ごとにCMキャッチコピーなどから採られた愛称(通称)を持つ。

2代目 S5型(1963年-1968年)
1963年11月27日
S50D-I型発売。1900cc以上の上級市場はグロリアに譲り、1500ccクラスの量販車市場を拡充するために、G1型直列4気筒OHV1484ccエンジンを搭載する、小型ファミリーセダンとして開発・投入された。
モノコック構造を採用したボディのバリエーションは4ドアセダンとステーションワゴン(W50A-I型)の2種類。当初、バンはスカイウェイ(V51A-I型)としてラインナップしていたが、後のマイナーチェンジでスカイラインバンとなった。メンテナンスフリー化を積極的に進め、4万kmまたは2年間保障の封印エンジン[1]や、1年間3万km無給油シャシーなどを採用。

1963年10月
第10回全日本自動車ショーに、S50型をベースとした2ドアクーペ「スカイライン1900スプリント」を参考出品。

1964年4月
スタンダードグレード(S50S-I)型追加。

1964年5月
第2回日本グランプリGTクラス出場のため、より強力なグロリアスーパー6用のG7型直列6気筒OHC1988ccエンジンを、ボディのフロント部を200mm延長して搭載したスカイラインGT(S54A-I型)を開発。ホモロゲーション用に100台を生産し販売した。

1965年2月
レースモデルと同等にウェーバー製のキャブを3連装し、125psを出力したスカイライン2000GT(S54B-II型)発売。 1500DXに、フロアシフト追加。

1965年4月
米国統治下だった、沖縄でも(S50E)型の輸出開始。

1965年5月
1500DXに、スペースフロー(AT)が追加。

1965年9月
シングルキャブ仕様(105ps)の2000GT-A(S54A-II型)が追加。2月に発売されていた2000GTは「2000GT-B」となった。このとき、GT-Aは青のGTエンブレム(通称;青バッヂ)、GT-Bは赤のGTエンブレム(赤バッヂ)を装着した。

1966年7月 
デラックスとスタンダードの中間グレード的存在の「デラックス・ファイン」という車種が追加された。このモデルは、スタンダードをベースにしたボディに、グリルは、デラックスの物を使用し、ボンネットには、「P」と書かれたエンブレムではなく「PRNICE」と書かれたエンブレムを使用した。
ちなみにラジオ、ヒーターは標準装備で、販売期間が同年10月までの3か月だったので、生産台数が少ない。

1966年8月
プリンス自動車が日産自動車と合併したため、車名をニッサン・プリンス・スカイラインに変更。

1966年10月
マイナーチェンジ。グリルが横桟のデザインになる。

1967年8月
G1型に替わり、G15型直列4気筒OHC1483ccエンジン(88ps)を搭載するS57D型が登場。6万km無給油シャシーとなった。

[ 2010/04/02 11:21 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Toyota Tundra See Saw CM Ver-3 0'41"

トップページTOYOTAカテゴリーToyota Tundra See Saw CM Ver-3 Toyota Tundra See Saw.jpg

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タンドラ(Tundra)は北米トヨタが販売するトヨタ自動車のフルサイズピックアップトラック。

2代目(2007年-)
2004年東京モーターショーにてコンセプトモデルFUTURE TRUCK CONCEPT展示。

2006年2月、シカゴモーターショーでプロトタイプ展示。ビッグスリーのフルサイズピックアップトラックと真向勝負するため、ボディとエンジンの排気量が拡大された。

米国テキサス州・サンアントニオに建設したテキサス工場(TMMTX)で2006年11月17日に1台目がラインオフした。そして、この工場の所在地はテキサス州の愛称から取って、ローンスター1番地と名づけられた。

テキサス工場は、タンドラをはじめとするフルサイズピックアップが最も売れているテキサス州に、新たに建てられた工場で、2代目タンドラがはじめての生産モデルとなる。ちなみにこの模様はNHKスペシャルでも放送された。

現在、レギュラーキャブとダブルキャブがこのテキサス工場で生産され、クルーマックスはインディアナ工場で生産されている。テキサス工場で作られているレギュラーキャブとダブルキャブには、リアウインドウに、テキサス州の州旗をモチーフにしたステッカーが貼られており、そこには「BORN IN TEXAS, MADE BY TEXANS」(テキサスで生まれ、テキサス人によって作られた)とある。

初代に引き続き、リアにはトヨタマークが使われておらず、「TOYOTA」のアルファベットのみとなっている。(8代目カムリよりも前に登場した、北米向けトヨタ車のリアにはトヨタマークに加え「TOYOTA」の文字が併用されてきたが、8代目カムリ以降の多くのトヨタ車には、トヨタマークのみが使われている。)

2007年1月デトロイトモーターショーで市販モデル展示。2月販売開始。

エンジンは1GR-FE型、2UZ-FE型に加え、新開発のV8・5.7Lの3UR-FE型が設定された。

ライバルのビッグスリーが売り上げを落とす中、攻撃的なスタイルとハイパワーなエンジンが功を奏したタンドラの売り上げは、テキサス工場地元のサンアントニオをはじめ、非常に好調であった[1][2]が、原油高や、ライバルの販売奨励金の引き上げにより、タンドラも売り上げが減っている。このせいか、現在建設中のアメリカ新工場は初めはタンドラなどの大型車を生産する予定であったが、プリウスの生産工場へ変更となった。

2010年モデルより、V8エンジンが、4.7Lの2UZ-FE型から、4.6Lの1UR-FE型へ変更されている。

キャブバリエーション
* レギュラーキャブ
* ダブルキャブ - 小型のリアドアと+2のシートを持つ
* クルーマックス - 4ドアの通常型ダブルキャブ

ベッドバリエーション
* ショートベッド
* レギュラーベッド
* ロングベッド

グレード
* ベース
* リミテッド - クルーマックスのみ

日本での販売
初代のみトヨタグループのセントラル自動車がタンドラの日本への並行輸入・販売をおこなっていた。同時にタンドラをキャンピング仕様のエクスクルーザーとして(プレジャーおよびプラウド)架装し販売していたが、2008年にキャンピングカー事業から撤退。そのため現在は、販売業者単位での並行輸入が行われている。

トリビア
2003年にアメリカ映画「ターミネーター3」の公開を記念して、850台限定でSR5のアクセスキャブ二輪駆動をベースに「T3」仕様が発売された。

[ 2010/04/03 11:20 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Toyota Tundra - Made for Extreme Heat CM Ver-4 0'31

トップページTOYOTAカテゴリーTundra - Made for Extreme Heat CM Ver-4 2010 Toyota Tundra - Made for Extreme Heat.jpg

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タンドラ(Tundra)は北米トヨタが販売するトヨタ自動車のフルサイズピックアップトラック。

2代目(2007年-)
2004年東京モーターショーにてコンセプトモデルFUTURE TRUCK CONCEPT展示。

2006年2月、シカゴモーターショーでプロトタイプ展示。ビッグスリーのフルサイズピックアップトラックと真向勝負するため、ボディとエンジンの排気量が拡大された。

米国テキサス州・サンアントニオに建設したテキサス工場(TMMTX)で2006年11月17日に1台目がラインオフした。そして、この工場の所在地はテキサス州の愛称から取って、ローンスター1番地と名づけられた。

テキサス工場は、タンドラをはじめとするフルサイズピックアップが最も売れているテキサス州に、新たに建てられた工場で、2代目タンドラがはじめての生産モデルとなる。ちなみにこの模様はNHKスペシャルでも放送された。

現在、レギュラーキャブとダブルキャブがこのテキサス工場で生産され、クルーマックスはインディアナ工場で生産されている。テキサス工場で作られているレギュラーキャブとダブルキャブには、リアウインドウに、テキサス州の州旗をモチーフにしたステッカーが貼られており、そこには「BORN IN TEXAS, MADE BY TEXANS」(テキサスで生まれ、テキサス人によって作られた)とある。

初代に引き続き、リアにはトヨタマークが使われておらず、「TOYOTA」のアルファベットのみとなっている。(8代目カムリよりも前に登場した、北米向けトヨタ車のリアにはトヨタマークに加え「TOYOTA」の文字が併用されてきたが、8代目カムリ以降の多くのトヨタ車には、トヨタマークのみが使われている。)

2007年1月デトロイトモーターショーで市販モデル展示。2月販売開始。

エンジンは1GR-FE型、2UZ-FE型に加え、新開発のV8・5.7Lの3UR-FE型が設定された。

ライバルのビッグスリーが売り上げを落とす中、攻撃的なスタイルとハイパワーなエンジンが功を奏したタンドラの売り上げは、テキサス工場地元のサンアントニオをはじめ、非常に好調であった[1][2]が、原油高や、ライバルの販売奨励金の引き上げにより、タンドラも売り上げが減っている。このせいか、現在建設中のアメリカ新工場は初めはタンドラなどの大型車を生産する予定であったが、プリウスの生産工場へ変更となった。

2010年モデルより、V8エンジンが、4.7Lの2UZ-FE型から、4.6Lの1UR-FE型へ変更されている。

キャブバリエーション
* レギュラーキャブ
* ダブルキャブ - 小型のリアドアと+2のシートを持つ
* クルーマックス - 4ドアの通常型ダブルキャブ

ベッドバリエーション
* ショートベッド
* レギュラーベッド
* ロングベッド

グレード
* ベース
* リミテッド - クルーマックスのみ

日本での販売
初代のみトヨタグループのセントラル自動車がタンドラの日本への並行輸入・販売をおこなっていた。同時にタンドラをキャンピング仕様のエクスクルーザーとして(プレジャーおよびプラウド)架装し販売していたが、2008年にキャンピングカー事業から撤退。そのため現在は、販売業者単位での並行輸入が行われている。

トリビア
2003年にアメリカ映画「ターミネーター3」の公開を記念して、850台限定でSR5のアクセスキャブ二輪駆動をベースに「T3」仕様が発売された。

[ 2010/04/04 11:25 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Toyota Tundra Managing 10,000 lbs CM Ver-5 0'30"

トップページTOYOTAカテゴリーTundra Managing 10,000 lbs CM Ver-5 0'30" _08 Toyota Tundra Managing 10,000 lbs.jpg

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タンドラ(Tundra)は北米トヨタが販売するトヨタ自動車のフルサイズピックアップトラック。

2代目(2007年-)
2004年東京モーターショーにてコンセプトモデルFUTURE TRUCK CONCEPT展示。

2006年2月、シカゴモーターショーでプロトタイプ展示。ビッグスリーのフルサイズピックアップトラックと真向勝負するため、ボディとエンジンの排気量が拡大された。

米国テキサス州・サンアントニオに建設したテキサス工場(TMMTX)で2006年11月17日に1台目がラインオフした。そして、この工場の所在地はテキサス州の愛称から取って、ローンスター1番地と名づけられた。

テキサス工場は、タンドラをはじめとするフルサイズピックアップが最も売れているテキサス州に、新たに建てられた工場で、2代目タンドラがはじめての生産モデルとなる。ちなみにこの模様はNHKスペシャルでも放送された。

現在、レギュラーキャブとダブルキャブがこのテキサス工場で生産され、クルーマックスはインディアナ工場で生産されている。テキサス工場で作られているレギュラーキャブとダブルキャブには、リアウインドウに、テキサス州の州旗をモチーフにしたステッカーが貼られており、そこには「BORN IN TEXAS, MADE BY TEXANS」(テキサスで生まれ、テキサス人によって作られた)とある。

初代に引き続き、リアにはトヨタマークが使われておらず、「TOYOTA」のアルファベットのみとなっている。(8代目カムリよりも前に登場した、北米向けトヨタ車のリアにはトヨタマークに加え「TOYOTA」の文字が併用されてきたが、8代目カムリ以降の多くのトヨタ車には、トヨタマークのみが使われている。)

2007年1月デトロイトモーターショーで市販モデル展示。2月販売開始。

エンジンは1GR-FE型、2UZ-FE型に加え、新開発のV8・5.7Lの3UR-FE型が設定された。

ライバルのビッグスリーが売り上げを落とす中、攻撃的なスタイルとハイパワーなエンジンが功を奏したタンドラの売り上げは、テキサス工場地元のサンアントニオをはじめ、非常に好調であった[1][2]が、原油高や、ライバルの販売奨励金の引き上げにより、タンドラも売り上げが減っている。このせいか、現在建設中のアメリカ新工場は初めはタンドラなどの大型車を生産する予定であったが、プリウスの生産工場へ変更となった。

2010年モデルより、V8エンジンが、4.7Lの2UZ-FE型から、4.6Lの1UR-FE型へ変更されている。

キャブバリエーション
* レギュラーキャブ
* ダブルキャブ - 小型のリアドアと+2のシートを持つ
* クルーマックス - 4ドアの通常型ダブルキャブ

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* ショートベッド
* レギュラーベッド
* ロングベッド

グレード
* ベース
* リミテッド - クルーマックスのみ

日本での販売
初代のみトヨタグループのセントラル自動車がタンドラの日本への並行輸入・販売をおこなっていた。同時にタンドラをキャンピング仕様のエクスクルーザーとして(プレジャーおよびプラウド)架装し販売していたが、2008年にキャンピングカー事業から撤退。そのため現在は、販売業者単位での並行輸入が行われている。

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2003年にアメリカ映画「ターミネーター3」の公開を記念して、850台限定でSR5のアクセスキャブ二輪駆動をベースに「T3」仕様が発売された。

[ 2010/04/05 11:28 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Toyota Tundra Fall Test CM Ver-6 0'30"

トップページTOYOTAカテゴリーTundra Fall Test CM Ver-6 0'30" Toyota Tundra V8 Commercial Fall Test

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タンドラ(Tundra)は北米トヨタが販売するトヨタ自動車のフルサイズピックアップトラック。

2代目(2007年-)
2004年東京モーターショーにてコンセプトモデルFUTURE TRUCK CONCEPT展示。

2006年2月、シカゴモーターショーでプロトタイプ展示。ビッグスリーのフルサイズピックアップトラックと真向勝負するため、ボディとエンジンの排気量が拡大された。

米国テキサス州・サンアントニオに建設したテキサス工場(TMMTX)で2006年11月17日に1台目がラインオフした。そして、この工場の所在地はテキサス州の愛称から取って、ローンスター1番地と名づけられた。

テキサス工場は、タンドラをはじめとするフルサイズピックアップが最も売れているテキサス州に、新たに建てられた工場で、2代目タンドラがはじめての生産モデルとなる。ちなみにこの模様はNHKスペシャルでも放送された。

現在、レギュラーキャブとダブルキャブがこのテキサス工場で生産され、クルーマックスはインディアナ工場で生産されている。テキサス工場で作られているレギュラーキャブとダブルキャブには、リアウインドウに、テキサス州の州旗をモチーフにしたステッカーが貼られており、そこには「BORN IN TEXAS, MADE BY TEXANS」(テキサスで生まれ、テキサス人によって作られた)とある。

初代に引き続き、リアにはトヨタマークが使われておらず、「TOYOTA」のアルファベットのみとなっている。(8代目カムリよりも前に登場した、北米向けトヨタ車のリアにはトヨタマークに加え「TOYOTA」の文字が併用されてきたが、8代目カムリ以降の多くのトヨタ車には、トヨタマークのみが使われている。)

2007年1月デトロイトモーターショーで市販モデル展示。2月販売開始。

エンジンは1GR-FE型、2UZ-FE型に加え、新開発のV8・5.7Lの3UR-FE型が設定された。

ライバルのビッグスリーが売り上げを落とす中、攻撃的なスタイルとハイパワーなエンジンが功を奏したタンドラの売り上げは、テキサス工場地元のサンアントニオをはじめ、非常に好調であった[1][2]が、原油高や、ライバルの販売奨励金の引き上げにより、タンドラも売り上げが減っている。このせいか、現在建設中のアメリカ新工場は初めはタンドラなどの大型車を生産する予定であったが、プリウスの生産工場へ変更となった。

2010年モデルより、V8エンジンが、4.7Lの2UZ-FE型から、4.6Lの1UR-FE型へ変更されている。

キャブバリエーション
* レギュラーキャブ
* ダブルキャブ - 小型のリアドアと+2のシートを持つ
* クルーマックス - 4ドアの通常型ダブルキャブ

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* ショートベッド
* レギュラーベッド
* ロングベッド

グレード
* ベース
* リミテッド - クルーマックスのみ

日本での販売
初代のみトヨタグループのセントラル自動車がタンドラの日本への並行輸入・販売をおこなっていた。同時にタンドラをキャンピング仕様のエクスクルーザーとして(プレジャーおよびプラウド)架装し販売していたが、2008年にキャンピングカー事業から撤退。そのため現在は、販売業者単位での並行輸入が行われている。

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2003年にアメリカ映画「ターミネーター3」の公開を記念して、850台限定でSR5のアクセスキャブ二輪駆動をベースに「T3」仕様が発売された。

[ 2010/04/06 11:31 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Toyota Tundra Versus The Competition Full Version 3'27"

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タンドラ(Tundra)は北米トヨタが販売するトヨタ自動車のフルサイズピックアップトラック。

2代目(2007年-)
2004年東京モーターショーにてコンセプトモデルFUTURE TRUCK CONCEPT展示。

2006年2月、シカゴモーターショーでプロトタイプ展示。ビッグスリーのフルサイズピックアップトラックと真向勝負するため、ボディとエンジンの排気量が拡大された。

米国テキサス州・サンアントニオに建設したテキサス工場(TMMTX)で2006年11月17日に1台目がラインオフした。そして、この工場の所在地はテキサス州の愛称から取って、ローンスター1番地と名づけられた。

テキサス工場は、タンドラをはじめとするフルサイズピックアップが最も売れているテキサス州に、新たに建てられた工場で、2代目タンドラがはじめての生産モデルとなる。ちなみにこの模様はNHKスペシャルでも放送された。

現在、レギュラーキャブとダブルキャブがこのテキサス工場で生産され、クルーマックスはインディアナ工場で生産されている。テキサス工場で作られているレギュラーキャブとダブルキャブには、リアウインドウに、テキサス州の州旗をモチーフにしたステッカーが貼られており、そこには「BORN IN TEXAS, MADE BY TEXANS」(テキサスで生まれ、テキサス人によって作られた)とある。

初代に引き続き、リアにはトヨタマークが使われておらず、「TOYOTA」のアルファベットのみとなっている。(8代目カムリよりも前に登場した、北米向けトヨタ車のリアにはトヨタマークに加え「TOYOTA」の文字が併用されてきたが、8代目カムリ以降の多くのトヨタ車には、トヨタマークのみが使われている。)

2007年1月デトロイトモーターショーで市販モデル展示。2月販売開始。

エンジンは1GR-FE型、2UZ-FE型に加え、新開発のV8・5.7Lの3UR-FE型が設定された。

ライバルのビッグスリーが売り上げを落とす中、攻撃的なスタイルとハイパワーなエンジンが功を奏したタンドラの売り上げは、テキサス工場地元のサンアントニオをはじめ、非常に好調であった[1][2]が、原油高や、ライバルの販売奨励金の引き上げにより、タンドラも売り上げが減っている。このせいか、現在建設中のアメリカ新工場は初めはタンドラなどの大型車を生産する予定であったが、プリウスの生産工場へ変更となった。

2010年モデルより、V8エンジンが、4.7Lの2UZ-FE型から、4.6Lの1UR-FE型へ変更されている。

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* レギュラーキャブ
* ダブルキャブ - 小型のリアドアと+2のシートを持つ
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* レギュラーベッド
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* ベース
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日本での販売
初代のみトヨタグループのセントラル自動車がタンドラの日本への並行輸入・販売をおこなっていた。同時にタンドラをキャンピング仕様のエクスクルーザーとして(プレジャーおよびプラウド)架装し販売していたが、2008年にキャンピングカー事業から撤退。そのため現在は、販売業者単位での並行輸入が行われている。

トリビア
2003年にアメリカ映画「ターミネーター3」の公開を記念して、850台限定でSR5のアクセスキャブ二輪駆動をベースに「T3」仕様が発売された。

[ 2010/04/07 11:34 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Toyota Sera CM Ver-2 031"

トップページTOYOTAカテゴリーToyota Sera CM Ver-2 sera.jpg

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1987年に開催された第27回東京モーターショーに出展された「AXV-Ⅱ」の市販化モデルである。同社の小型車スターレットをベースにしているが、その特徴は上半分ほぼ全てがガラスで占められていること(グラスキャノピー)と、それを実現するために採用されたガルウイングドアである。ガルウイングドアといえばメルセデス・ベンツ 300SLやランボルギーニ・カウンタックに代表される超高級スポーツカーの専売特許であったが、一般レベルで日本で初めて採用したのがこのセラである。走行性能を求めるのではなく、あくまで雰囲気だけを楽しむという斬新な自動車であった。

ガルウイングと言っても車両によって、採用する理由が様々であり、セラの場合は安価な小型量産車で設計販売を企画し、トヨタの企業イメージのアピールが主な理由である。この構造を可能にする為に用いられた生産技術はハイレベルなものであったが、ルーフ部分をガラスエリアとしたガルウイングの構造上の弱点を出してしまっている。つまり、上半分がほぼ全てガラスであるがゆえに温室のようになってしまい、室内温度が非常に高くなるのである。この為、マイナーチェンジでグラスキャノピーに改良および冷房能力の強化が加えられた。

デザインが特異などの理由により、セールス的に成功したとはいえない。バブル景気という時代背景があり、外見が特徴的なセラは迷車ではあったが、歴史に残る一台ともいえる。

ボディサイズの割に重く重量税がかさむのも失敗の一因とと言われたが、実際には車両重量が1000kgを超えるモデルは存在せず、自動車重量税等級はベースモデルと変わらない。ガルウイングドアの構造上、乗降時には周辺のスペースが相当必要な感じも受けるが、高さは車体外寸上の屋根を越えてしまうが、ミニバン程の高さもなく、横への振り出しは43cmと小さい。ただし室内からの開閉には一般的なドアのようにノブを引いて横へ押しても開閉しにくく、やや斜め上へ押し上げて開ける必要がある。

全長 3860mm、全幅 1650mm、全高 1265mmのコンパクトな外寸に車両重量は890kgに対して、エンジンは1.5Lの水冷直列4気筒DOHC16バルブEFI-S(5E-FHE型)で最高出力110PS、最大トルク13.5kgmで、DOHCと言ってもスポーツツインカムではなく、L40系ターセル/コルサ/カローラII/サイノスの各最上級グレード用を搭載された、ほぼコンベンショナルなハイメカツインカム1本のみであった。もっとも車体構造上ハイパワーエンジンを搭載し加速は良くなっても、ボディ剛性の弱さが強調されるだけになるので、バリエーションを増やさなかった様子。

登場まもなくの間はオーダーから納車まで数ヶ月を要したが、これはオーダーが殺到したというよりも、特殊な製法や部品の調達などにより月に千台程度しか製造できなかったため。

ごく少数ではあるが、メーカーオプションでフェンダーミラーを選択しツノが生えて、さらに独特の雰囲気を出してしまった車両も確認されている。

E型エンジンを搭載していることもあり、スターレット用のターボエンジンに載せ換えるパターンも見られた。

[ 2010/04/08 13:22 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Vios CM (Un)Lucky Man 0'32"

トップページTOYOTAカテゴリーVios CM (Un)Lucky Man
20071105171659.jpg

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初代(CP40系、2002年-2007年)
中国および東南アジア市場向けの戦略車種(いわゆるアジアカー)であり、1997年から東南アジアで販売されていたソルーナ(Soluna)の後継となるエントリーセダンである。2002年10月より中国で販売を開始。翌11月にはタイでもソルーナ・ヴィオスの名称で発売され、その後、台湾や他の東南アジア各国でも順次販売が開始された。

ベースは初代ヴィッツ。前身のソルーナとは異なり、当時のトヨタの最新技術を反映させて作られている。一方で価格はソルーナ並みに抑えられた。

外寸は全長4285mm×全幅1690mm×全高1450mm、ホイールベース2500mm。同じくヴィッツ派生セダンのプラッツがいかにもトランクを後付けしたようなデザインなのに対し、ヴィッツよりも全高を50mm下げ、ホイールベースを130mm伸ばすことで自然なスタイルを実現している。この手法は後のベルタにも生かされることになる。

エンジンは台湾・東南アジア仕様が1NZ-FE型直列4気筒1500cc。フィリピンのみ2NZ-FE型直列4気筒1300ccも設定される。また、タイではTRDの手によるターボ付きのモデルも用意されている。一方、中国仕様は一世代前の5A-FE型直列4気筒1500ccと8A-FE型直列4気筒1300ccが搭載されていたが、2006年にそれぞれ3SZ型(1500cc)と2SZ型(1300cc)に換装された。シフトは5速MTと4速ATが設定される。
2005年暮れにフェイスリフトが行われた。

2代目(CP90系、2007年-)
2007年3月からタイで発売開始され、間もなくシンガポールやインドネシアでも新型が投入された。アジア専用に開発された初代とは異なり、2代目はベルタのアジア仕様車であり、外観や内装なども基本的に同じである(インドネシア仕様車のみフロントグリルのデザインが異なる)。ただし、エンジンは日本仕様とは異なり1NZ-FE型直列4気筒1500ccが設定される。

[ 2010/04/09 17:05 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Vios XP40 CM Ver-3 Britney Spears 0'32"

トップページTOYOTAカテゴリーVios XP40 CM Ver-2 Britney Spears
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初代(CP40系、2002年-2007年)
中国および東南アジア市場向けの戦略車種(いわゆるアジアカー)であり、1997年から東南アジアで販売されていたソルーナ(Soluna)の後継となるエントリーセダンである。2002年10月より中国で販売を開始。翌11月にはタイでもソルーナ・ヴィオスの名称で発売され、その後、台湾や他の東南アジア各国でも順次販売が開始された。

ベースは初代ヴィッツ。前身のソルーナとは異なり、当時のトヨタの最新技術を反映させて作られている。一方で価格はソルーナ並みに抑えられた。

外寸は全長4285mm×全幅1690mm×全高1450mm、ホイールベース2500mm。同じくヴィッツ派生セダンのプラッツがいかにもトランクを後付けしたようなデザインなのに対し、ヴィッツよりも全高を50mm下げ、ホイールベースを130mm伸ばすことで自然なスタイルを実現している。この手法は後のベルタにも生かされることになる。

エンジンは台湾・東南アジア仕様が1NZ-FE型直列4気筒1500cc。フィリピンのみ2NZ-FE型直列4気筒1300ccも設定される。また、タイではTRDの手によるターボ付きのモデルも用意されている。一方、中国仕様は一世代前の5A-FE型直列4気筒1500ccと8A-FE型直列4気筒1300ccが搭載されていたが、2006年にそれぞれ3SZ型(1500cc)と2SZ型(1300cc)に換装された。シフトは5速MTと4速ATが設定される。
2005年暮れにフェイスリフトが行われた。

2代目(CP90系、2007年-)
2007年3月からタイで発売開始され、間もなくシンガポールやインドネシアでも新型が投入された。アジア専用に開発された初代とは異なり、2代目はベルタのアジア仕様車であり、外観や内装なども基本的に同じである(インドネシア仕様車のみフロントグリルのデザインが異なる)。ただし、エンジンは日本仕様とは異なり1NZ-FE型直列4気筒1500ccが設定される。

[ 2010/04/10 17:16 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Vios XP40 CM Ver-4 0'30" 「Wouldn’t you wish for one」

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初代(CP40系、2002年-2007年)
中国および東南アジア市場向けの戦略車種(いわゆるアジアカー)であり、1997年から東南アジアで販売されていたソルーナ(Soluna)の後継となるエントリーセダンである。2002年10月より中国で販売を開始。翌11月にはタイでもソルーナ・ヴィオスの名称で発売され、その後、台湾や他の東南アジア各国でも順次販売が開始された。

ベースは初代ヴィッツ。前身のソルーナとは異なり、当時のトヨタの最新技術を反映させて作られている。一方で価格はソルーナ並みに抑えられた。

外寸は全長4285mm×全幅1690mm×全高1450mm、ホイールベース2500mm。同じくヴィッツ派生セダンのプラッツがいかにもトランクを後付けしたようなデザインなのに対し、ヴィッツよりも全高を50mm下げ、ホイールベースを130mm伸ばすことで自然なスタイルを実現している。この手法は後のベルタにも生かされることになる。

エンジンは台湾・東南アジア仕様が1NZ-FE型直列4気筒1500cc。フィリピンのみ2NZ-FE型直列4気筒1300ccも設定される。また、タイではTRDの手によるターボ付きのモデルも用意されている。一方、中国仕様は一世代前の5A-FE型直列4気筒1500ccと8A-FE型直列4気筒1300ccが搭載されていたが、2006年にそれぞれ3SZ型(1500cc)と2SZ型(1300cc)に換装された。シフトは5速MTと4速ATが設定される。
2005年暮れにフェイスリフトが行われた。

2代目(CP90系、2007年-)
2007年3月からタイで発売開始され、間もなくシンガポールやインドネシアでも新型が投入された。アジア専用に開発された初代とは異なり、2代目はベルタのアジア仕様車であり、外観や内装なども基本的に同じである(インドネシア仕様車のみフロントグリルのデザインが異なる)。ただし、エンジンは日本仕様とは異なり1NZ-FE型直列4気筒1500ccが設定される。

[ 2010/04/11 17:19 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Tacoma Meteor CM Ver-2 0'32"

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元々ハイラックスの北米仕様だが、1995年にタコマとして登場して以降、フロントのデザインを大幅に変更している。また、ディーゼルエンジンの設定はなく、V6エンジンの設定もあり、装備を抑えた実用仕様からスーパーチャージャーを搭載したスポーツモデルもあり、アメリカ人の趣向に合わせたものとなっている。2ドア2人乗りのレギュラーキャブ、観音開き4ドアのアクセスキャブ(4人乗りだが後席は補助席程度のもの)、4ドアのダブルキャブ、スポーツタイプのSランナー(初代)・Xランナー(2代目)がある。西海岸ではオプションのFRP製トノカバーを装着してサーフボードを積載する車両も多い。

日本では販売されていないが、少数が並行輸入されている。

なお、同じく北米向けピックアップトラックのトヨタ・タンドラ同様、リアエンブレムにトヨタのコーポレート・アイデンティティ(CI)ロゴが使われておらず、「TOYOTA」のローマ字が使われている。

トヨタ・トラック(ハイラックス)時代は日野自動車羽村工場で製造されていたが、タコマはアメリカのNUMMIで製造される。
1995年に登場した初代TACOMA。シフトは5速フロアMT、4速フロア/コラムATが設定される。エンジンは2.7L 直列4気筒の3RZ-FEと3.4L V型6気筒の5VZ-FEが設定された。

2001年、マイナーチェンジ。個性的なフロントグリルが与えられた。

2代目は2004年に登場。威圧的な大型のグリルとライトが与えられさらにハイラックスとの差別化がなされた。

エンジンは2.7L 直列4気筒の2TR-FEと4.0L V型6気筒の1GR-FEが設定され、フロア5/6速MTとフロア4/5速ATが組み合わされる。

最大の違いとしてはXランナーの設定である。1GR-FEに6MTが組み合わされ、18インチタイヤ、LSD、エアロパーツが装備され、さらにTRD製のスーパーチャージャーの設定もあり、こちらは300psを発揮する。

[ 2010/04/12 17:47 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

RAV4 Family War 1'05"

トップページTOYOTAカテゴリーRAV4 Family War
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名前の由来
Recreational Active Vehicle 4Wheel Drive を略したもの。 またRAV4LのLはLiberty、RAV4JのJはJoyfulを表す。

モノコック構造の乗用車をベースにしたオフロード車「クロスオーバーSUV」の先駆となった車種である。RAV4の成功を受け他社もCR-V(本田技研工業)、エクストレイル(日産)、フォレスター(スバル)などのクロスオーバーSUVを製造するなどSUV市場に大きな影響を与えた。尚、RAV4の登場に先んじて日本市場ではエスクードが販売されていたが、エスクードはデザインやサイズ等はRAV4等のクロスオーバーSUVと酷似しているものの、本質的には堅牢なラダーフレーム構造を持つクロスカントリー車であるという点で異なる。

初代RAV4は本国の日本で言う「5ナンバーサイズ」に収まるコンパクトなサイズのSUVであったが、モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、 2代目で3ナンバーサイズとなった。そして3代目は日本国外での販売を重視した事もあり全幅が「5ナンバーサイズ」を大きく超える1815mmになるまでに至った。これによりRAV4は日本ではコンパクトとは言えないサイズとなったが、軽自動車ベースのキャミのフルモデルチェンジを目前に控えており、新型(ラッシュで登場)をひとまわり大きくするため、それに伴う競合を避けるためであろう。主要市場の欧米においては他車種よりもコンパクトなサイズとなっている。生産はトヨタ自動車田原工場とグループ会社の豊田自動織機である。

その後RAV4はSUVのカローラと呼べるまでに世界中で販売台数を延ばしており、欧州全域・北米・南米・オセアニア・中国・東南アジア・南アフリカなど世界200ヶ国以上で使用される世界戦略車である。

初代のRAV4は、1993年の東京モーターショーにほぼ市販車の形の参考出品車が披露された後、1994年5月に発売。

セリカなどのコンポーネンツを流用しながらも、開発を、ランドクルーザーをはじめとする本格オフロードカーを手がける第三開発センターが担当したことから、フロアパネルは独自のものとされ、リアサスペンションも、鍛造リンクを用いた仮想球面支持の専用品となるなど、オン・オフ両面の性能追求のため、惜しみなく技術が投入されることとなった。

パワートレーンは、直列4気筒 2.0Lガソリンエンジンとトランスミッションを横置きに搭載し、ドライブトレーンは、ベベルギア式のセンターデフを持つ、本格的なフルタイム4WDである。

当初はコンパクトな3ドアシティユースRVとして登場し、他メーカーに競合車がほとんどなかったことや、CMキャラクターの木村拓哉の影響もあり、好評を博す。 1995年4月には、ホイールベースを延長し、居住性と利便性を向上させた5ドアモデル「RAV4 V(ラヴフォーファイブ)」が追加された。

しかし、1995年10月にホンダから同クラスではあるものの、センターデフを省略したスタンバイ4WDとするなど、徹底したコストダウンで低価格戦略を採るCR-Vがリリースされ、3ナンバーボディとコラム式ATなどを武器にシェアを伸ばしたため、以後苦戦する。CR-Vに対抗するために、スポーツエンジンである3S-GEを搭載した3ナンバーボディのスポーツモデル、Type Gも追加された。

シティユースを目的とした車ではあるものの、余裕のある最低地上高や優秀な4WD性能、及びボディ下部が破損しにくい樹脂プロテクターで覆われている事などから、プライベートでは足回りのチューニングを施しオフロードでも力を発揮させるケースもあった。ボルトオンターボも少数ではあるが販売されている。また、セリカGT-FOURに搭載された3S-GTEをスワップしてターボ化も可能である(ワンオフする部分もあり)。

RAV4をベースとした電気自動車のRAV4EVも後にフリート発売された。

2代目RAV4は、2000年5月に登場。海外戦略を重視した為に同年のジュネーブモーターショーで海外先行デビューした。カローラ系のコンポーネンツを使用するがフロアパネルは先代同様に専用設計となっている。エンジンは2WD用に1ZZ-FE(1.8L)と4WD用に1AZ-FSE(2.0L直噴)が設定されている。グレードは下からX、X-G、エアロスポーツ、ワイドスポーツの4つでそれぞれに4ATと5MTが組み合わされていたが、2003年8月のマイナーチェンジ時にエアロスポーツ及び、各MT仕様が廃止された。

当モデルは先代の弱点であった室内空間の貧弱さを克服する方策としてボディサイズを拡大し全モデルで3ナンバーボディサイズとなった(それでも他社製の同クラスSUVに比べると小型であった)。また先代モデルが3ドアモデルメインの開発であったことに対し、当モデルではより居住空間に優れた5ドアモデルメインの開発が行われた。内外装の質向上も著しく、よりシティユースを志向したモデルであると言える。しかし走行性能や室内ユーティリティを強化した2代目 CR-Vや、レジャーユーティリティとスポーツ性能を両立させたエクストレイル等のライバルに再び苦戦を強いられ、さらには日本国内でのSUVブームの沈静化もあり最終的に良好なセールスを記録するには至らなかった。反面、欧米では非常に人気が高く輸出仕様には本革シートを装備したモデルやターボエンジンを搭載したモデルも存在している。CMキャラクターは女優の木村佳乃。

余談だが、当モデルは2004年-2005年にかけて主に関東方面で組織的な車両盗難被害が頻発した経緯がある。 他社の同クラスSUVを差し置いてRAV4だけが狙われた理由は不明だが、上位車種が軒並み盗難防止装置を強化し盗みにくくなったこともその遠因であろう。

2005年11月14日3代目RAV4が発売。同年のフランクフルトモーターショーで海外先行デビューした。トヨタの「MCプラットフォーム」を進化させた「新MCプラットフォーム」を初めて採用した市販車。エンジンは1種類で2AZ-FE(2.4L)のみ。グレードは下からX、G、スポーツの3つ。全モデルでCVTのみの設定となる。4WD性能はこれまでのビスカスカップリング式フルタイム4WDではなく、電子制御式4WDに変更された。

当モデルは先代モデルに比べてさらにボディサイズが拡大され海外市場をより強く意識した内容となっている。また初代から設定されていた3ドアモデルが廃止され5ドアモデルのみの設定となるが、日本国内では2007年8月から派生車種ヴァンガードとして発売された海外向け(欧州以外)モデルは荷室などを延長したロングボディであり、ドア枚数こそ変わらないもののこれまで通りロングとショートの2種類のボディタイプを持つSUVであると言える。 尚、ロングタイプでは3列シートも選択可能で、エンジンは2.4L 直4の他に3.5L V6(北米、豪州等のみ)エンジンも用意されている。

欧州向けは日本と同じサイズのショートボディであり、4WDモデルしか設定されていない。また他の地域ではみられない、1AZ-FE(2.0L)および 2AD-FTV(2.2Lディーゼル,135ps)、2AD-FHV(2.2Lディーゼル,180ps)エンジンを搭載したモデルもある。なお、ディーゼルエンジンと組み合わされるトランスミッションは6MTのみとなっている。

日本ではフロントエンブレムに従来のトヨタマークではなく"N"をかたどったエンブレムを採用。これはネッツ店で専売となった車種に順次採用されている。尚、ネッツ店専売モデルになったことで販売店区別であったサブネームの「J」と「L」が消滅しRAV4に車名統合された。これらの取扱車種の統廃合によってRAV4と同じくカローラ店とネッツ店で併売されていたクルーガーはカローラ店の専売モデルとなったが、2007年6月RAV4ロングボディ日本仕様(ヴァンガード)を後継に発売中止となった。

製作工場は 田原工場 及び 豊田自動織機 長草工場である。 2006年5月より、元宝塚の紺野まひるがテレビCMに出演。CMソングはKOTOの「LOVE FOR YOU」。
2007年9月6日に特別仕様車X Limited を発売。

2代目まではRAV4Lはトヨタカローラ店系、RAV4Jはネッツトヨタ店(旧トヨタオート店)系にて取扱っていたが、3代目はネッツ専売となった。

[ 2010/04/13 19:11 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Rav4 Driver kids 0’32”

トップページTOYOTAカテゴリーRav4 Driver kids
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名前の由来
Recreational Active Vehicle 4Wheel Drive を略したもの。 またRAV4LのLはLiberty、RAV4JのJはJoyfulを表す。

モノコック構造の乗用車をベースにしたオフロード車「クロスオーバーSUV」の先駆となった車種である。RAV4の成功を受け他社もCR-V(本田技研工業)、エクストレイル(日産)、フォレスター(スバル)などのクロスオーバーSUVを製造するなどSUV市場に大きな影響を与えた。尚、RAV4の登場に先んじて日本市場ではエスクードが販売されていたが、エスクードはデザインやサイズ等はRAV4等のクロスオーバーSUVと酷似しているものの、本質的には堅牢なラダーフレーム構造を持つクロスカントリー車であるという点で異なる。

初代RAV4は本国の日本で言う「5ナンバーサイズ」に収まるコンパクトなサイズのSUVであったが、モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、 2代目で3ナンバーサイズとなった。そして3代目は日本国外での販売を重視した事もあり全幅が「5ナンバーサイズ」を大きく超える1815mmになるまでに至った。これによりRAV4は日本ではコンパクトとは言えないサイズとなったが、軽自動車ベースのキャミのフルモデルチェンジを目前に控えており、新型(ラッシュで登場)をひとまわり大きくするため、それに伴う競合を避けるためであろう。主要市場の欧米においては他車種よりもコンパクトなサイズとなっている。生産はトヨタ自動車田原工場とグループ会社の豊田自動織機である。

その後RAV4はSUVのカローラと呼べるまでに世界中で販売台数を延ばしており、欧州全域・北米・南米・オセアニア・中国・東南アジア・南アフリカなど世界200ヶ国以上で使用される世界戦略車である。

初代のRAV4は、1993年の東京モーターショーにほぼ市販車の形の参考出品車が披露された後、1994年5月に発売。

セリカなどのコンポーネンツを流用しながらも、開発を、ランドクルーザーをはじめとする本格オフロードカーを手がける第三開発センターが担当したことから、フロアパネルは独自のものとされ、リアサスペンションも、鍛造リンクを用いた仮想球面支持の専用品となるなど、オン・オフ両面の性能追求のため、惜しみなく技術が投入されることとなった。

パワートレーンは、直列4気筒 2.0Lガソリンエンジンとトランスミッションを横置きに搭載し、ドライブトレーンは、ベベルギア式のセンターデフを持つ、本格的なフルタイム4WDである。

当初はコンパクトな3ドアシティユースRVとして登場し、他メーカーに競合車がほとんどなかったことや、CMキャラクターの木村拓哉の影響もあり、好評を博す。 1995年4月には、ホイールベースを延長し、居住性と利便性を向上させた5ドアモデル「RAV4 V(ラヴフォーファイブ)」が追加された。

しかし、1995年10月にホンダから同クラスではあるものの、センターデフを省略したスタンバイ4WDとするなど、徹底したコストダウンで低価格戦略を採るCR-Vがリリースされ、3ナンバーボディとコラム式ATなどを武器にシェアを伸ばしたため、以後苦戦する。CR-Vに対抗するために、スポーツエンジンである3S-GEを搭載した3ナンバーボディのスポーツモデル、Type Gも追加された。

シティユースを目的とした車ではあるものの、余裕のある最低地上高や優秀な4WD性能、及びボディ下部が破損しにくい樹脂プロテクターで覆われている事などから、プライベートでは足回りのチューニングを施しオフロードでも力を発揮させるケースもあった。ボルトオンターボも少数ではあるが販売されている。また、セリカGT-FOURに搭載された3S-GTEをスワップしてターボ化も可能である(ワンオフする部分もあり)。

RAV4をベースとした電気自動車のRAV4EVも後にフリート発売された。

2代目RAV4は、2000年5月に登場。海外戦略を重視した為に同年のジュネーブモーターショーで海外先行デビューした。カローラ系のコンポーネンツを使用するがフロアパネルは先代同様に専用設計となっている。エンジンは2WD用に1ZZ-FE(1.8L)と4WD用に1AZ-FSE(2.0L直噴)が設定されている。グレードは下からX、X-G、エアロスポーツ、ワイドスポーツの4つでそれぞれに4ATと5MTが組み合わされていたが、2003年8月のマイナーチェンジ時にエアロスポーツ及び、各MT仕様が廃止された。

当モデルは先代の弱点であった室内空間の貧弱さを克服する方策としてボディサイズを拡大し全モデルで3ナンバーボディサイズとなった(それでも他社製の同クラスSUVに比べると小型であった)。また先代モデルが3ドアモデルメインの開発であったことに対し、当モデルではより居住空間に優れた5ドアモデルメインの開発が行われた。内外装の質向上も著しく、よりシティユースを志向したモデルであると言える。しかし走行性能や室内ユーティリティを強化した2代目 CR-Vや、レジャーユーティリティとスポーツ性能を両立させたエクストレイル等のライバルに再び苦戦を強いられ、さらには日本国内でのSUVブームの沈静化もあり最終的に良好なセールスを記録するには至らなかった。反面、欧米では非常に人気が高く輸出仕様には本革シートを装備したモデルやターボエンジンを搭載したモデルも存在している。CMキャラクターは女優の木村佳乃。

余談だが、当モデルは2004年-2005年にかけて主に関東方面で組織的な車両盗難被害が頻発した経緯がある。 他社の同クラスSUVを差し置いてRAV4だけが狙われた理由は不明だが、上位車種が軒並み盗難防止装置を強化し盗みにくくなったこともその遠因であろう。

2005年11月14日3代目RAV4が発売。同年のフランクフルトモーターショーで海外先行デビューした。トヨタの「MCプラットフォーム」を進化させた「新MCプラットフォーム」を初めて採用した市販車。エンジンは1種類で2AZ-FE(2.4L)のみ。グレードは下からX、G、スポーツの3つ。全モデルでCVTのみの設定となる。4WD性能はこれまでのビスカスカップリング式フルタイム4WDではなく、電子制御式4WDに変更された。

当モデルは先代モデルに比べてさらにボディサイズが拡大され海外市場をより強く意識した内容となっている。また初代から設定されていた3ドアモデルが廃止され5ドアモデルのみの設定となるが、日本国内では2007年8月から派生車種ヴァンガードとして発売された海外向け(欧州以外)モデルは荷室などを延長したロングボディであり、ドア枚数こそ変わらないもののこれまで通りロングとショートの2種類のボディタイプを持つSUVであると言える。 尚、ロングタイプでは3列シートも選択可能で、エンジンは2.4L 直4の他に3.5L V6(北米、豪州等のみ)エンジンも用意されている。

欧州向けは日本と同じサイズのショートボディであり、4WDモデルしか設定されていない。また他の地域ではみられない、1AZ-FE(2.0L)および 2AD-FTV(2.2Lディーゼル,135ps)、2AD-FHV(2.2Lディーゼル,180ps)エンジンを搭載したモデルもある。なお、ディーゼルエンジンと組み合わされるトランスミッションは6MTのみとなっている。

日本ではフロントエンブレムに従来のトヨタマークではなく"N"をかたどったエンブレムを採用。これはネッツ店で専売となった車種に順次採用されている。尚、ネッツ店専売モデルになったことで販売店区別であったサブネームの「J」と「L」が消滅しRAV4に車名統合された。これらの取扱車種の統廃合によってRAV4と同じくカローラ店とネッツ店で併売されていたクルーガーはカローラ店の専売モデルとなったが、2007年6月RAV4ロングボディ日本仕様(ヴァンガード)を後継に発売中止となった。

製作工場は 田原工場 及び 豊田自動織機 長草工場である。 2006年5月より、元宝塚の紺野まひるがテレビCMに出演。CMソングはKOTOの「LOVE FOR YOU」。
2007年9月6日に特別仕様車X Limited を発売。

2代目まではRAV4Lはトヨタカローラ店系、RAV4Jはネッツトヨタ店(旧トヨタオート店)系にて取扱っていたが、3代目はネッツ専売となった。

[ 2010/04/14 19:14 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Rav4 Backing Running 1’00”

トップページTOYOTAカテゴリーRav4 Backing Running
TOYOTA_RAV4_Commercial(8).jpg

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名前の由来
Recreational Active Vehicle 4Wheel Drive を略したもの。 またRAV4LのLはLiberty、RAV4JのJはJoyfulを表す。

モノコック構造の乗用車をベースにしたオフロード車「クロスオーバーSUV」の先駆となった車種である。RAV4の成功を受け他社もCR-V(本田技研工業)、エクストレイル(日産)、フォレスター(スバル)などのクロスオーバーSUVを製造するなどSUV市場に大きな影響を与えた。尚、RAV4の登場に先んじて日本市場ではエスクードが販売されていたが、エスクードはデザインやサイズ等はRAV4等のクロスオーバーSUVと酷似しているものの、本質的には堅牢なラダーフレーム構造を持つクロスカントリー車であるという点で異なる。

初代RAV4は本国の日本で言う「5ナンバーサイズ」に収まるコンパクトなサイズのSUVであったが、モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、 2代目で3ナンバーサイズとなった。そして3代目は日本国外での販売を重視した事もあり全幅が「5ナンバーサイズ」を大きく超える1815mmになるまでに至った。これによりRAV4は日本ではコンパクトとは言えないサイズとなったが、軽自動車ベースのキャミのフルモデルチェンジを目前に控えており、新型(ラッシュで登場)をひとまわり大きくするため、それに伴う競合を避けるためであろう。主要市場の欧米においては他車種よりもコンパクトなサイズとなっている。生産はトヨタ自動車田原工場とグループ会社の豊田自動織機である。

その後RAV4はSUVのカローラと呼べるまでに世界中で販売台数を延ばしており、欧州全域・北米・南米・オセアニア・中国・東南アジア・南アフリカなど世界200ヶ国以上で使用される世界戦略車である。

初代のRAV4は、1993年の東京モーターショーにほぼ市販車の形の参考出品車が披露された後、1994年5月に発売。

セリカなどのコンポーネンツを流用しながらも、開発を、ランドクルーザーをはじめとする本格オフロードカーを手がける第三開発センターが担当したことから、フロアパネルは独自のものとされ、リアサスペンションも、鍛造リンクを用いた仮想球面支持の専用品となるなど、オン・オフ両面の性能追求のため、惜しみなく技術が投入されることとなった。

パワートレーンは、直列4気筒 2.0Lガソリンエンジンとトランスミッションを横置きに搭載し、ドライブトレーンは、ベベルギア式のセンターデフを持つ、本格的なフルタイム4WDである。

当初はコンパクトな3ドアシティユースRVとして登場し、他メーカーに競合車がほとんどなかったことや、CMキャラクターの木村拓哉の影響もあり、好評を博す。 1995年4月には、ホイールベースを延長し、居住性と利便性を向上させた5ドアモデル「RAV4 V(ラヴフォーファイブ)」が追加された。

しかし、1995年10月にホンダから同クラスではあるものの、センターデフを省略したスタンバイ4WDとするなど、徹底したコストダウンで低価格戦略を採るCR-Vがリリースされ、3ナンバーボディとコラム式ATなどを武器にシェアを伸ばしたため、以後苦戦する。CR-Vに対抗するために、スポーツエンジンである3S-GEを搭載した3ナンバーボディのスポーツモデル、Type Gも追加された。

シティユースを目的とした車ではあるものの、余裕のある最低地上高や優秀な4WD性能、及びボディ下部が破損しにくい樹脂プロテクターで覆われている事などから、プライベートでは足回りのチューニングを施しオフロードでも力を発揮させるケースもあった。ボルトオンターボも少数ではあるが販売されている。また、セリカGT-FOURに搭載された3S-GTEをスワップしてターボ化も可能である(ワンオフする部分もあり)。

RAV4をベースとした電気自動車のRAV4EVも後にフリート発売された。

2代目RAV4は、2000年5月に登場。海外戦略を重視した為に同年のジュネーブモーターショーで海外先行デビューした。カローラ系のコンポーネンツを使用するがフロアパネルは先代同様に専用設計となっている。エンジンは2WD用に1ZZ-FE(1.8L)と4WD用に1AZ-FSE(2.0L直噴)が設定されている。グレードは下からX、X-G、エアロスポーツ、ワイドスポーツの4つでそれぞれに4ATと5MTが組み合わされていたが、2003年8月のマイナーチェンジ時にエアロスポーツ及び、各MT仕様が廃止された。

当モデルは先代の弱点であった室内空間の貧弱さを克服する方策としてボディサイズを拡大し全モデルで3ナンバーボディサイズとなった(それでも他社製の同クラスSUVに比べると小型であった)。また先代モデルが3ドアモデルメインの開発であったことに対し、当モデルではより居住空間に優れた5ドアモデルメインの開発が行われた。内外装の質向上も著しく、よりシティユースを志向したモデルであると言える。しかし走行性能や室内ユーティリティを強化した2代目 CR-Vや、レジャーユーティリティとスポーツ性能を両立させたエクストレイル等のライバルに再び苦戦を強いられ、さらには日本国内でのSUVブームの沈静化もあり最終的に良好なセールスを記録するには至らなかった。反面、欧米では非常に人気が高く輸出仕様には本革シートを装備したモデルやターボエンジンを搭載したモデルも存在している。CMキャラクターは女優の木村佳乃。

余談だが、当モデルは2004年-2005年にかけて主に関東方面で組織的な車両盗難被害が頻発した経緯がある。 他社の同クラスSUVを差し置いてRAV4だけが狙われた理由は不明だが、上位車種が軒並み盗難防止装置を強化し盗みにくくなったこともその遠因であろう。

2005年11月14日3代目RAV4が発売。同年のフランクフルトモーターショーで海外先行デビューした。トヨタの「MCプラットフォーム」を進化させた「新MCプラットフォーム」を初めて採用した市販車。エンジンは1種類で2AZ-FE(2.4L)のみ。グレードは下からX、G、スポーツの3つ。全モデルでCVTのみの設定となる。4WD性能はこれまでのビスカスカップリング式フルタイム4WDではなく、電子制御式4WDに変更された。

当モデルは先代モデルに比べてさらにボディサイズが拡大され海外市場をより強く意識した内容となっている。また初代から設定されていた3ドアモデルが廃止され5ドアモデルのみの設定となるが、日本国内では2007年8月から派生車種ヴァンガードとして発売された海外向け(欧州以外)モデルは荷室などを延長したロングボディであり、ドア枚数こそ変わらないもののこれまで通りロングとショートの2種類のボディタイプを持つSUVであると言える。 尚、ロングタイプでは3列シートも選択可能で、エンジンは2.4L 直4の他に3.5L V6(北米、豪州等のみ)エンジンも用意されている。

欧州向けは日本と同じサイズのショートボディであり、4WDモデルしか設定されていない。また他の地域ではみられない、1AZ-FE(2.0L)および 2AD-FTV(2.2Lディーゼル,135ps)、2AD-FHV(2.2Lディーゼル,180ps)エンジンを搭載したモデルもある。なお、ディーゼルエンジンと組み合わされるトランスミッションは6MTのみとなっている。

日本ではフロントエンブレムに従来のトヨタマークではなく"N"をかたどったエンブレムを採用。これはネッツ店で専売となった車種に順次採用されている。尚、ネッツ店専売モデルになったことで販売店区別であったサブネームの「J」と「L」が消滅しRAV4に車名統合された。これらの取扱車種の統廃合によってRAV4と同じくカローラ店とネッツ店で併売されていたクルーガーはカローラ店の専売モデルとなったが、2007年6月RAV4ロングボディ日本仕様(ヴァンガード)を後継に発売中止となった。

製作工場は 田原工場 及び 豊田自動織機 長草工場である。 2006年5月より、元宝塚の紺野まひるがテレビCMに出演。CMソングはKOTOの「LOVE FOR YOU」。
2007年9月6日に特別仕様車X Limited を発売。

2代目まではRAV4Lはトヨタカローラ店系、RAV4Jはネッツトヨタ店(旧トヨタオート店)系にて取扱っていたが、3代目はネッツ専売となった。

[ 2010/04/15 19:15 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Rav4 Enamórate 1'00"

トップページTOYOTAカテゴリーRav4 Enamórate
Rav4 Enamórate.jpg

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名前の由来
Recreational Active Vehicle 4Wheel Drive を略したもの。 またRAV4LのLはLiberty、RAV4JのJはJoyfulを表す。

モノコック構造の乗用車をベースにしたオフロード車「クロスオーバーSUV」の先駆となった車種である。RAV4の成功を受け他社もCR-V(本田技研工業)、エクストレイル(日産)、フォレスター(スバル)などのクロスオーバーSUVを製造するなどSUV市場に大きな影響を与えた。尚、RAV4の登場に先んじて日本市場ではエスクードが販売されていたが、エスクードはデザインやサイズ等はRAV4等のクロスオーバーSUVと酷似しているものの、本質的には堅牢なラダーフレーム構造を持つクロスカントリー車であるという点で異なる。

初代RAV4は本国の日本で言う「5ナンバーサイズ」に収まるコンパクトなサイズのSUVであったが、モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、 2代目で3ナンバーサイズとなった。そして3代目は日本国外での販売を重視した事もあり全幅が「5ナンバーサイズ」を大きく超える1815mmになるまでに至った。これによりRAV4は日本ではコンパクトとは言えないサイズとなったが、軽自動車ベースのキャミのフルモデルチェンジを目前に控えており、新型(ラッシュで登場)をひとまわり大きくするため、それに伴う競合を避けるためであろう。主要市場の欧米においては他車種よりもコンパクトなサイズとなっている。生産はトヨタ自動車田原工場とグループ会社の豊田自動織機である。

その後RAV4はSUVのカローラと呼べるまでに世界中で販売台数を延ばしており、欧州全域・北米・南米・オセアニア・中国・東南アジア・南アフリカなど世界200ヶ国以上で使用される世界戦略車である。

初代のRAV4は、1993年の東京モーターショーにほぼ市販車の形の参考出品車が披露された後、1994年5月に発売。

セリカなどのコンポーネンツを流用しながらも、開発を、ランドクルーザーをはじめとする本格オフロードカーを手がける第三開発センターが担当したことから、フロアパネルは独自のものとされ、リアサスペンションも、鍛造リンクを用いた仮想球面支持の専用品となるなど、オン・オフ両面の性能追求のため、惜しみなく技術が投入されることとなった。

パワートレーンは、直列4気筒 2.0Lガソリンエンジンとトランスミッションを横置きに搭載し、ドライブトレーンは、ベベルギア式のセンターデフを持つ、本格的なフルタイム4WDである。

当初はコンパクトな3ドアシティユースRVとして登場し、他メーカーに競合車がほとんどなかったことや、CMキャラクターの木村拓哉の影響もあり、好評を博す。 1995年4月には、ホイールベースを延長し、居住性と利便性を向上させた5ドアモデル「RAV4 V(ラヴフォーファイブ)」が追加された。

しかし、1995年10月にホンダから同クラスではあるものの、センターデフを省略したスタンバイ4WDとするなど、徹底したコストダウンで低価格戦略を採るCR-Vがリリースされ、3ナンバーボディとコラム式ATなどを武器にシェアを伸ばしたため、以後苦戦する。CR-Vに対抗するために、スポーツエンジンである3S-GEを搭載した3ナンバーボディのスポーツモデル、Type Gも追加された。

シティユースを目的とした車ではあるものの、余裕のある最低地上高や優秀な4WD性能、及びボディ下部が破損しにくい樹脂プロテクターで覆われている事などから、プライベートでは足回りのチューニングを施しオフロードでも力を発揮させるケースもあった。ボルトオンターボも少数ではあるが販売されている。また、セリカGT-FOURに搭載された3S-GTEをスワップしてターボ化も可能である(ワンオフする部分もあり)。

RAV4をベースとした電気自動車のRAV4EVも後にフリート発売された。

2代目RAV4は、2000年5月に登場。海外戦略を重視した為に同年のジュネーブモーターショーで海外先行デビューした。カローラ系のコンポーネンツを使用するがフロアパネルは先代同様に専用設計となっている。エンジンは2WD用に1ZZ-FE(1.8L)と4WD用に1AZ-FSE(2.0L直噴)が設定されている。グレードは下からX、X-G、エアロスポーツ、ワイドスポーツの4つでそれぞれに4ATと5MTが組み合わされていたが、2003年8月のマイナーチェンジ時にエアロスポーツ及び、各MT仕様が廃止された。

当モデルは先代の弱点であった室内空間の貧弱さを克服する方策としてボディサイズを拡大し全モデルで3ナンバーボディサイズとなった(それでも他社製の同クラスSUVに比べると小型であった)。また先代モデルが3ドアモデルメインの開発であったことに対し、当モデルではより居住空間に優れた5ドアモデルメインの開発が行われた。内外装の質向上も著しく、よりシティユースを志向したモデルであると言える。しかし走行性能や室内ユーティリティを強化した2代目 CR-Vや、レジャーユーティリティとスポーツ性能を両立させたエクストレイル等のライバルに再び苦戦を強いられ、さらには日本国内でのSUVブームの沈静化もあり最終的に良好なセールスを記録するには至らなかった。反面、欧米では非常に人気が高く輸出仕様には本革シートを装備したモデルやターボエンジンを搭載したモデルも存在している。CMキャラクターは女優の木村佳乃。

余談だが、当モデルは2004年-2005年にかけて主に関東方面で組織的な車両盗難被害が頻発した経緯がある。 他社の同クラスSUVを差し置いてRAV4だけが狙われた理由は不明だが、上位車種が軒並み盗難防止装置を強化し盗みにくくなったこともその遠因であろう。

2005年11月14日3代目RAV4が発売。同年のフランクフルトモーターショーで海外先行デビューした。トヨタの「MCプラットフォーム」を進化させた「新MCプラットフォーム」を初めて採用した市販車。エンジンは1種類で2AZ-FE(2.4L)のみ。グレードは下からX、G、スポーツの3つ。全モデルでCVTのみの設定となる。4WD性能はこれまでのビスカスカップリング式フルタイム4WDではなく、電子制御式4WDに変更された。

当モデルは先代モデルに比べてさらにボディサイズが拡大され海外市場をより強く意識した内容となっている。また初代から設定されていた3ドアモデルが廃止され5ドアモデルのみの設定となるが、日本国内では2007年8月から派生車種ヴァンガードとして発売された海外向け(欧州以外)モデルは荷室などを延長したロングボディであり、ドア枚数こそ変わらないもののこれまで通りロングとショートの2種類のボディタイプを持つSUVであると言える。 尚、ロングタイプでは3列シートも選択可能で、エンジンは2.4L 直4の他に3.5L V6(北米、豪州等のみ)エンジンも用意されている。

欧州向けは日本と同じサイズのショートボディであり、4WDモデルしか設定されていない。また他の地域ではみられない、1AZ-FE(2.0L)および 2AD-FTV(2.2Lディーゼル,135ps)、2AD-FHV(2.2Lディーゼル,180ps)エンジンを搭載したモデルもある。なお、ディーゼルエンジンと組み合わされるトランスミッションは6MTのみとなっている。

日本ではフロントエンブレムに従来のトヨタマークではなく"N"をかたどったエンブレムを採用。これはネッツ店で専売となった車種に順次採用されている。尚、ネッツ店専売モデルになったことで販売店区別であったサブネームの「J」と「L」が消滅しRAV4に車名統合された。これらの取扱車種の統廃合によってRAV4と同じくカローラ店とネッツ店で併売されていたクルーガーはカローラ店の専売モデルとなったが、2007年6月RAV4ロングボディ日本仕様(ヴァンガード)を後継に発売中止となった。

製作工場は 田原工場 及び 豊田自動織機 長草工場である。 2006年5月より、元宝塚の紺野まひるがテレビCMに出演。CMソングはKOTOの「LOVE FOR YOU」。
2007年9月6日に特別仕様車X Limited を発売。

2代目まではRAV4Lはトヨタカローラ店系、RAV4Jはネッツトヨタ店(旧トヨタオート店)系にて取扱っていたが、3代目はネッツ専売となった。

[ 2010/04/16 19:17 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Rav4 Washing Car 0'35"

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20071105171434.jpg

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名前の由来
Recreational Active Vehicle 4Wheel Drive を略したもの。 またRAV4LのLはLiberty、RAV4JのJはJoyfulを表す。

モノコック構造の乗用車をベースにしたオフロード車「クロスオーバーSUV」の先駆となった車種である。RAV4の成功を受け他社もCR-V(本田技研工業)、エクストレイル(日産)、フォレスター(スバル)などのクロスオーバーSUVを製造するなどSUV市場に大きな影響を与えた。尚、RAV4の登場に先んじて日本市場ではエスクードが販売されていたが、エスクードはデザインやサイズ等はRAV4等のクロスオーバーSUVと酷似しているものの、本質的には堅牢なラダーフレーム構造を持つクロスカントリー車であるという点で異なる。

初代RAV4は本国の日本で言う「5ナンバーサイズ」に収まるコンパクトなサイズのSUVであったが、モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、 2代目で3ナンバーサイズとなった。そして3代目は日本国外での販売を重視した事もあり全幅が「5ナンバーサイズ」を大きく超える1815mmになるまでに至った。これによりRAV4は日本ではコンパクトとは言えないサイズとなったが、軽自動車ベースのキャミのフルモデルチェンジを目前に控えており、新型(ラッシュで登場)をひとまわり大きくするため、それに伴う競合を避けるためであろう。主要市場の欧米においては他車種よりもコンパクトなサイズとなっている。生産はトヨタ自動車田原工場とグループ会社の豊田自動織機である。

その後RAV4はSUVのカローラと呼べるまでに世界中で販売台数を延ばしており、欧州全域・北米・南米・オセアニア・中国・東南アジア・南アフリカなど世界200ヶ国以上で使用される世界戦略車である。

初代のRAV4は、1993年の東京モーターショーにほぼ市販車の形の参考出品車が披露された後、1994年5月に発売。

セリカなどのコンポーネンツを流用しながらも、開発を、ランドクルーザーをはじめとする本格オフロードカーを手がける第三開発センターが担当したことから、フロアパネルは独自のものとされ、リアサスペンションも、鍛造リンクを用いた仮想球面支持の専用品となるなど、オン・オフ両面の性能追求のため、惜しみなく技術が投入されることとなった。

パワートレーンは、直列4気筒 2.0Lガソリンエンジンとトランスミッションを横置きに搭載し、ドライブトレーンは、ベベルギア式のセンターデフを持つ、本格的なフルタイム4WDである。

当初はコンパクトな3ドアシティユースRVとして登場し、他メーカーに競合車がほとんどなかったことや、CMキャラクターの木村拓哉の影響もあり、好評を博す。 1995年4月には、ホイールベースを延長し、居住性と利便性を向上させた5ドアモデル「RAV4 V(ラヴフォーファイブ)」が追加された。

しかし、1995年10月にホンダから同クラスではあるものの、センターデフを省略したスタンバイ4WDとするなど、徹底したコストダウンで低価格戦略を採るCR-Vがリリースされ、3ナンバーボディとコラム式ATなどを武器にシェアを伸ばしたため、以後苦戦する。CR-Vに対抗するために、スポーツエンジンである3S-GEを搭載した3ナンバーボディのスポーツモデル、Type Gも追加された。

シティユースを目的とした車ではあるものの、余裕のある最低地上高や優秀な4WD性能、及びボディ下部が破損しにくい樹脂プロテクターで覆われている事などから、プライベートでは足回りのチューニングを施しオフロードでも力を発揮させるケースもあった。ボルトオンターボも少数ではあるが販売されている。また、セリカGT-FOURに搭載された3S-GTEをスワップしてターボ化も可能である(ワンオフする部分もあり)。

RAV4をベースとした電気自動車のRAV4EVも後にフリート発売された。

2代目RAV4は、2000年5月に登場。海外戦略を重視した為に同年のジュネーブモーターショーで海外先行デビューした。カローラ系のコンポーネンツを使用するがフロアパネルは先代同様に専用設計となっている。エンジンは2WD用に1ZZ-FE(1.8L)と4WD用に1AZ-FSE(2.0L直噴)が設定されている。グレードは下からX、X-G、エアロスポーツ、ワイドスポーツの4つでそれぞれに4ATと5MTが組み合わされていたが、2003年8月のマイナーチェンジ時にエアロスポーツ及び、各MT仕様が廃止された。

当モデルは先代の弱点であった室内空間の貧弱さを克服する方策としてボディサイズを拡大し全モデルで3ナンバーボディサイズとなった(それでも他社製の同クラスSUVに比べると小型であった)。また先代モデルが3ドアモデルメインの開発であったことに対し、当モデルではより居住空間に優れた5ドアモデルメインの開発が行われた。内外装の質向上も著しく、よりシティユースを志向したモデルであると言える。しかし走行性能や室内ユーティリティを強化した2代目 CR-Vや、レジャーユーティリティとスポーツ性能を両立させたエクストレイル等のライバルに再び苦戦を強いられ、さらには日本国内でのSUVブームの沈静化もあり最終的に良好なセールスを記録するには至らなかった。反面、欧米では非常に人気が高く輸出仕様には本革シートを装備したモデルやターボエンジンを搭載したモデルも存在している。CMキャラクターは女優の木村佳乃。

余談だが、当モデルは2004年-2005年にかけて主に関東方面で組織的な車両盗難被害が頻発した経緯がある。 他社の同クラスSUVを差し置いてRAV4だけが狙われた理由は不明だが、上位車種が軒並み盗難防止装置を強化し盗みにくくなったこともその遠因であろう。

2005年11月14日3代目RAV4が発売。同年のフランクフルトモーターショーで海外先行デビューした。トヨタの「MCプラットフォーム」を進化させた「新MCプラットフォーム」を初めて採用した市販車。エンジンは1種類で2AZ-FE(2.4L)のみ。グレードは下からX、G、スポーツの3つ。全モデルでCVTのみの設定となる。4WD性能はこれまでのビスカスカップリング式フルタイム4WDではなく、電子制御式4WDに変更された。

当モデルは先代モデルに比べてさらにボディサイズが拡大され海外市場をより強く意識した内容となっている。また初代から設定されていた3ドアモデルが廃止され5ドアモデルのみの設定となるが、日本国内では2007年8月から派生車種ヴァンガードとして発売された海外向け(欧州以外)モデルは荷室などを延長したロングボディであり、ドア枚数こそ変わらないもののこれまで通りロングとショートの2種類のボディタイプを持つSUVであると言える。 尚、ロングタイプでは3列シートも選択可能で、エンジンは2.4L 直4の他に3.5L V6(北米、豪州等のみ)エンジンも用意されている。

欧州向けは日本と同じサイズのショートボディであり、4WDモデルしか設定されていない。また他の地域ではみられない、1AZ-FE(2.0L)および 2AD-FTV(2.2Lディーゼル,135ps)、2AD-FHV(2.2Lディーゼル,180ps)エンジンを搭載したモデルもある。なお、ディーゼルエンジンと組み合わされるトランスミッションは6MTのみとなっている。

日本ではフロントエンブレムに従来のトヨタマークではなく"N"をかたどったエンブレムを採用。これはネッツ店で専売となった車種に順次採用されている。尚、ネッツ店専売モデルになったことで販売店区別であったサブネームの「J」と「L」が消滅しRAV4に車名統合された。これらの取扱車種の統廃合によってRAV4と同じくカローラ店とネッツ店で併売されていたクルーガーはカローラ店の専売モデルとなったが、2007年6月RAV4ロングボディ日本仕様(ヴァンガード)を後継に発売中止となった。

製作工場は 田原工場 及び 豊田自動織機 長草工場である。 2006年5月より、元宝塚の紺野まひるがテレビCMに出演。CMソングはKOTOの「LOVE FOR YOU」。
2007年9月6日に特別仕様車X Limited を発売。

2代目まではRAV4Lはトヨタカローラ店系、RAV4Jはネッツトヨタ店(旧トヨタオート店)系にて取扱っていたが、3代目はネッツ専売となった。

[ 2010/04/17 19:18 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Rav4 Rav4 CM Jewel theft(後編) 0'32"

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名前の由来
Recreational Active Vehicle 4Wheel Drive を略したもの。 またRAV4LのLはLiberty、RAV4JのJはJoyfulを表す。

モノコック構造の乗用車をベースにしたオフロード車「クロスオーバーSUV」の先駆となった車種である。RAV4の成功を受け他社もCR-V(本田技研工業)、エクストレイル(日産)、フォレスター(スバル)などのクロスオーバーSUVを製造するなどSUV市場に大きな影響を与えた。尚、RAV4の登場に先んじて日本市場ではエスクードが販売されていたが、エスクードはデザインやサイズ等はRAV4等のクロスオーバーSUVと酷似しているものの、本質的には堅牢なラダーフレーム構造を持つクロスカントリー車であるという点で異なる。

初代RAV4は本国の日本で言う「5ナンバーサイズ」に収まるコンパクトなサイズのSUVであったが、モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、 2代目で3ナンバーサイズとなった。そして3代目は日本国外での販売を重視した事もあり全幅が「5ナンバーサイズ」を大きく超える1815mmになるまでに至った。これによりRAV4は日本ではコンパクトとは言えないサイズとなったが、軽自動車ベースのキャミのフルモデルチェンジを目前に控えており、新型(ラッシュで登場)をひとまわり大きくするため、それに伴う競合を避けるためであろう。主要市場の欧米においては他車種よりもコンパクトなサイズとなっている。生産はトヨタ自動車田原工場とグループ会社の豊田自動織機である。

その後RAV4はSUVのカローラと呼べるまでに世界中で販売台数を延ばしており、欧州全域・北米・南米・オセアニア・中国・東南アジア・南アフリカなど世界200ヶ国以上で使用される世界戦略車である。

初代のRAV4は、1993年の東京モーターショーにほぼ市販車の形の参考出品車が披露された後、1994年5月に発売。

セリカなどのコンポーネンツを流用しながらも、開発を、ランドクルーザーをはじめとする本格オフロードカーを手がける第三開発センターが担当したことから、フロアパネルは独自のものとされ、リアサスペンションも、鍛造リンクを用いた仮想球面支持の専用品となるなど、オン・オフ両面の性能追求のため、惜しみなく技術が投入されることとなった。

パワートレーンは、直列4気筒 2.0Lガソリンエンジンとトランスミッションを横置きに搭載し、ドライブトレーンは、ベベルギア式のセンターデフを持つ、本格的なフルタイム4WDである。

当初はコンパクトな3ドアシティユースRVとして登場し、他メーカーに競合車がほとんどなかったことや、CMキャラクターの木村拓哉の影響もあり、好評を博す。 1995年4月には、ホイールベースを延長し、居住性と利便性を向上させた5ドアモデル「RAV4 V(ラヴフォーファイブ)」が追加された。

しかし、1995年10月にホンダから同クラスではあるものの、センターデフを省略したスタンバイ4WDとするなど、徹底したコストダウンで低価格戦略を採るCR-Vがリリースされ、3ナンバーボディとコラム式ATなどを武器にシェアを伸ばしたため、以後苦戦する。CR-Vに対抗するために、スポーツエンジンである3S-GEを搭載した3ナンバーボディのスポーツモデル、Type Gも追加された。

シティユースを目的とした車ではあるものの、余裕のある最低地上高や優秀な4WD性能、及びボディ下部が破損しにくい樹脂プロテクターで覆われている事などから、プライベートでは足回りのチューニングを施しオフロードでも力を発揮させるケースもあった。ボルトオンターボも少数ではあるが販売されている。また、セリカGT-FOURに搭載された3S-GTEをスワップしてターボ化も可能である(ワンオフする部分もあり)。

RAV4をベースとした電気自動車のRAV4EVも後にフリート発売された。

2代目RAV4は、2000年5月に登場。海外戦略を重視した為に同年のジュネーブモーターショーで海外先行デビューした。カローラ系のコンポーネンツを使用するがフロアパネルは先代同様に専用設計となっている。エンジンは2WD用に1ZZ-FE(1.8L)と4WD用に1AZ-FSE(2.0L直噴)が設定されている。グレードは下からX、X-G、エアロスポーツ、ワイドスポーツの4つでそれぞれに4ATと5MTが組み合わされていたが、2003年8月のマイナーチェンジ時にエアロスポーツ及び、各MT仕様が廃止された。

当モデルは先代の弱点であった室内空間の貧弱さを克服する方策としてボディサイズを拡大し全モデルで3ナンバーボディサイズとなった(それでも他社製の同クラスSUVに比べると小型であった)。また先代モデルが3ドアモデルメインの開発であったことに対し、当モデルではより居住空間に優れた5ドアモデルメインの開発が行われた。内外装の質向上も著しく、よりシティユースを志向したモデルであると言える。しかし走行性能や室内ユーティリティを強化した2代目 CR-Vや、レジャーユーティリティとスポーツ性能を両立させたエクストレイル等のライバルに再び苦戦を強いられ、さらには日本国内でのSUVブームの沈静化もあり最終的に良好なセールスを記録するには至らなかった。反面、欧米では非常に人気が高く輸出仕様には本革シートを装備したモデルやターボエンジンを搭載したモデルも存在している。CMキャラクターは女優の木村佳乃。

余談だが、当モデルは2004年-2005年にかけて主に関東方面で組織的な車両盗難被害が頻発した経緯がある。 他社の同クラスSUVを差し置いてRAV4だけが狙われた理由は不明だが、上位車種が軒並み盗難防止装置を強化し盗みにくくなったこともその遠因であろう。

2005年11月14日3代目RAV4が発売。同年のフランクフルトモーターショーで海外先行デビューした。トヨタの「MCプラットフォーム」を進化させた「新MCプラットフォーム」を初めて採用した市販車。エンジンは1種類で2AZ-FE(2.4L)のみ。グレードは下からX、G、スポーツの3つ。全モデルでCVTのみの設定となる。4WD性能はこれまでのビスカスカップリング式フルタイム4WDではなく、電子制御式4WDに変更された。

当モデルは先代モデルに比べてさらにボディサイズが拡大され海外市場をより強く意識した内容となっている。また初代から設定されていた3ドアモデルが廃止され5ドアモデルのみの設定となるが、日本国内では2007年8月から派生車種ヴァンガードとして発売された海外向け(欧州以外)モデルは荷室などを延長したロングボディであり、ドア枚数こそ変わらないもののこれまで通りロングとショートの2種類のボディタイプを持つSUVであると言える。 尚、ロングタイプでは3列シートも選択可能で、エンジンは2.4L 直4の他に3.5L V6(北米、豪州等のみ)エンジンも用意されている。

欧州向けは日本と同じサイズのショートボディであり、4WDモデルしか設定されていない。また他の地域ではみられない、1AZ-FE(2.0L)および 2AD-FTV(2.2Lディーゼル,135ps)、2AD-FHV(2.2Lディーゼル,180ps)エンジンを搭載したモデルもある。なお、ディーゼルエンジンと組み合わされるトランスミッションは6MTのみとなっている。

日本ではフロントエンブレムに従来のトヨタマークではなく"N"をかたどったエンブレムを採用。これはネッツ店で専売となった車種に順次採用されている。尚、ネッツ店専売モデルになったことで販売店区別であったサブネームの「J」と「L」が消滅しRAV4に車名統合された。これらの取扱車種の統廃合によってRAV4と同じくカローラ店とネッツ店で併売されていたクルーガーはカローラ店の専売モデルとなったが、2007年6月RAV4ロングボディ日本仕様(ヴァンガード)を後継に発売中止となった。

製作工場は 田原工場 及び 豊田自動織機 長草工場である。 2006年5月より、元宝塚の紺野まひるがテレビCMに出演。CMソングはKOTOの「LOVE FOR YOU」。
2007年9月6日に特別仕様車X Limited を発売。

2代目まではRAV4Lはトヨタカローラ店系、RAV4Jはネッツトヨタ店(旧トヨタオート店)系にて取扱っていたが、3代目はネッツ専売となった。

[ 2010/04/18 19:19 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

bB Open Deck ad 0'30"

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bB(ビービー)とは、トヨタ自動車で生産されている小型トールワゴン型乗用車。初代はヴィッツ、2代目はパッソ/ダイハツ・ブーンをベースにしている。

初代 CP30型(2000年-2005年)
2000年2月、発売。カスタマイズされることを前提にしていたため、東京オートサロンで発表された。

対抗車種は同じコンパクトトールワゴンのホンダ・キャパや日産・キューブなどである。初代ヴィッツとプラットフォームを共有し、エンジンは1300ccと1500ccの2種類が設定された。スタイルはボックス型で、20歳代の男性をターゲットにした車種だが、車体前後の見切りのよさなどもあって中高年ドライバーにも人気があり、結果として年齢や性別を問わず幅広い層から支持を受けた

。 なお開発にあたっては試作車を製作せず、CGで作成されたバーチャルクレイモデルを用いた「フルデジタル設計」で製作されている。

2001年6月、ピックアップタイプのオープンデッキが登場。登録区分は4ナンバーではなく、5ナンバー(乗用車)である。車体の変更により、リアコンビランプの位置と寸法を変更する必要が生じ、N180系ハイラックスサーフのものが流用されている。

2003年1月に特別色のベールブルーマイカを採用した最終仕様「オーシャンズバージョン」を投入するが、それでもオープンデッキの販売は伸びず、2003年4月、bBのマイナーチェンジとともに製造終了となった。

2003年、北米でサイオンブランドの立ち上げとともに、xBの車名で販売される。若年層の「スティックシフト」(フロアシフト)人気から、日本国内にはない5速MT仕様も用意される。

2003年4月、マイナーチェンジ。前後バンパーがサイオン・xBと同等の物となり、アルミホイールとリアゲートのデザインが変更(ナンバープレートはxB同様ゲート内に移動)され、上級グレードにはディスチャージバルブ+マルチリフレクターヘッドランプが装備された。

[ 2010/04/19 21:19 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Publica 1964 CM Ver-2 0'30"

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パブリカ (Publica) は、トヨタ自動車が1961年から1978年まで生産した小型乗用車である。 1950年代の国民車構想の影響を受けて開発され、長年にわたってトヨタの生産・販売する最小車種として位置付けられた。後のスターレット、そして現在販売されているヴィッツへと連なる、トヨタのコンパクトカーの元祖的な車種である。

車名の由来
「大衆車」を意味する英語「パブリック・カー」(Public car)を略した造語である。唐辛子の一種の「パプリカ」と誤表記されることが多いが、単に文字が似ているだけであり、パプリカとは何の関連もない。

UP10系
国民車構想
パブリカの商品企画は、1955年に当時の通商産業省(通産省)で立案された国民車構想に遡ることができる。これは一定条件を満たす「国民車」の生産を国によって後援しようという「日本版フォルクスワーゲン計画」であったが、マスコミのスクープによって内部構想が明らかになっただけのもので、公式な政策とはならなかった。

この構想で通産省が想定した「国民車」の性能は、
1.最高時速100km以上。
2.乗車定員4名、または2名と100kg以上の貨物が積めること。
3.平らな道路で、時速60kmのとき、1リットルの燃料で30km以上走れること。
4.大がかりな修理をしなくても、10万km以上走れること。

価格は月産2000台の場合、最終販売価格は1台25万円以下でなければならない。
性能と価格から勘案されるエンジンの排気量は350~500cc、車重は400kg以下。

というものであった。自動車好きの官僚が一つのプランとして提示したものに過ぎず、技術・コストの両面から実現するのは困難で現実味を欠く、というのが当時の自動車業界における大方の批評であった。

それでもこの企画に刺激されていくつかのメーカーで小型車開発が行われることになった。

トヨタも国民車構想をそのまま実現するという考え方は持っていなかったが、技術開発推進の見地から、1956年7月より、従前の自社最小クラスである1000cc級(トヨタでは当時1500cc車への切り替えで生産が途絶えていたが、翌1957年に初代コロナが再発売されている)より更に小型の車の試作を開始した。

試作過程
当初の計画では、当時の専務であった豊田英二の陣頭指揮の下、駆動方式として前輪駆動(FF)を採用することとなり、一次試作車も完成したが、当時の技術的限界から前輪駆動システムにはトラブルが続出した。

後を受けた主査の長谷川龍雄は、プロペラシャフトを介した後輪駆動(FR)方式への変更を決断した。実績のない前輪駆動車は彼に与えられた僅か2年の開発期間では不可能であるとの結論からである。当時「500cc車には税制上の特典を設ける」という行政の触れ込みがあったものの、既に高速道路の建設が開始された高速化時代にあっては、あまりに非力で対応できないとの判断で、700ccエンジン搭載とした(500cc車優遇は結局実現しなかった)。

搭載されたのは697cc、空冷2気筒OHV・水平対向で28馬力を発する新開発のU型エンジンである。トヨタ車で初めての空冷エンジンは、BMWやツェンダップなどのドイツ製オートバイ用水平対向2気筒エンジンを参考にした設計で、バルブ部の調整機構として日本初の油圧式ラッシュアジャスターを採用しメンテナンスフリーを実現し、軽量かつ簡潔、しかもコンパクトであった。このエンジンの採用で、後輪駆動車ながら前輪駆動車と大差ない居住空間を得ることができたが、空冷エンジン故の騒音などハンデキャップも抱えることになった。

車体は軽量なフル・モノコック構造、大きなプレス部材を用いて生産性を高める配慮が為されていたが、やや華奢な印象があった。2ドア3ボックスのセダン形ボディを標準とし、大人4人を載せる最低限のスペースを確保していた(それでも当時の軽乗用車よりはゆとりがあり、さらに独立したトランクスペースを設けていたのは長所であった)。サスペンションは前輪ダブルウィッシュボーン式サスペンション、後輪縦置き半楕円リーフ・リジッドの当時ごくコンベンショナルなレイアウトであるが、前輪サスペンションのスプリングに縦置きトーションバーを用いていたのが意欲的である。

発売と失敗
車名である「パブリカ」は、当時流行していた一般公募による。先述の如くパブリック・カー(Public car)からの造語であり、国民車に相応しい名であるとされた。

またトヨタは、パブリカ専売の新たな販売チャネルとして、既存の「トヨタ店」「トヨペット店」につづく第三の販売店網の構築に着手し、この新チャネルは「パブリカ店(現在のカローラ店とネッツ店(旧・オート店))」と名づけられた。パブリカ店は既存の販売店網に対し、小規模の拠点を多数展開すること、地元資本の新たな参加を求めること、同一地域、同一都道府県内で複数の店舗・販売会社を競合させること、などを基本コンセプトとした。

1961年6月発売当時、セダン型の価格は38.9万円であった。広告コピーは「パブリカにはじまって、パブリカにつきる」であった。また、森永乳業とタイアップし、同社の販売する濃縮乳酸菌飲料「コーラス」のビンの栓(王冠)を集めると抽選でパブリカが当たるというキャンペーンを行った。パブリカの最初期型は現在トヨタ博物館で見ることができる。

しかし、発売時のパブリカは機能性とコストダウンを重んじて徹底した簡素化を図った結果、外装にはメッキ部品がほとんどなく、ラジオ・ヒーターなどの快適装備はもちろん、フェンダーミラーすら装備されていないという無い物づくしなありさまであった。性能や実用性には優れていたものの、そのあまりの質素さゆえに、発売当初から多くの大衆層には支持されず、販売台数は低迷した。当時は自家用車を購入することは大衆の「夢」のひとつであり、ゆえに自家用車には単なる実用性以上に、装飾などによる「高級感の演出」が求められていたからである。パブリカの発売に対抗して、軽自動車各車はデラックス化を進め、大衆は軽自動車へと流れた。

デラックス化・派生モデルの出現
トヨタは翌1962年にバン、トヨグライド式のセミオートマチック仕様車を追加した。ライトバン仕様は当時大きかった商用車需要に応える形で販売強化を狙ったものであり、トヨグライド・モデルの投入は、イージードライブ性の向上による競合モデルとの差別化であったが、特に半自動変速機の後者を廉価な大衆車に導入したことは意欲的試みと言える。

同年の全日本自動車ショーで「パブリカスポーツ」を参考出品する。これはのち量産化改良され、1965年に「トヨタ・スポーツ800」として発売、空気抵抗の小さい軽量ボディによって高性能を発揮して「ヨタハチ」の愛称で親しまれることになる。

1963年、リクライニングシート装備やラジオ、ヒーターなどを搭載、クロームメッキ・モールなどの装飾を施した「デラックス」仕様(UP10D型)を追加する。東京地区の販売店がパブリカ販促の独自企画として、燃焼式ヒーターやラジオを装備し、メッキパーツをあしらった特別仕様車を売り出して好評であったことをうけて、全国展開したものである。デラックスの登場で、パブリカの売れ行きはようやく上向きとなった。

デラックスの発売により、基本モデルは「スタンダード」と呼ばれることになった。また同年には、セントラル自動車にボディ製造を委託したコンバーチブルを追加発売し、漸く月販3000~4000台の当初の予定台数に乗った。1964年2月にはトラックモデルを発売、同年9月にはマイナーチェンジを行い、エンジン出力は32psにアップし、バンにもデラックス仕様が追加された。

UP20系
1966年に、大規模なマイナーチェンジが行われた。排気量を800ccに拡大し、36psに出力が増した2U型エンジンを搭載、トルクチューブ・ドライブ化やフロントノーズ形状およびリアデッキ形状の大幅変更など、同一モデルとしてはフルモデルチェンジに近い、大がかりな仕様変更を行った。

コンバーチブルモデルにはスポーツ800と同一のツインキャブ45psエンジンが搭載された。変更後の型式はUP20系である。この年10月から、パブリカ店の名称は「トヨタパブリカ店」へと改められた。この間、数次にわたり販売価格が値下げされ、1967年にはスタンダードの価格は35.9万円となった。トヨタは、当時1ドルが360円であったことにちなみ、パブリカを1000ドルカーと表現し、広告のキャッチコピーとした。

また、派生車種としてキャブオーバー型トラックのミニエースが発売された。

この年、日野自動車と業務提携したトヨタは翌1968年、パブリカバンの生産を日野自動車に委託、バンは日野自動車羽村工場内の小型車ラインで製造されることになった。また同年は、コンバーチブルやスポーツ800と同様の高性能型エンジンを搭載したパブリカ・スーパーが追加された。

UP/KP30系
1969年4月に二代目(UP/KP30系)へとモデルチェンジする。二代目にも2U型空冷800ccエンジンも残されたが(スタンダードのみ)、主力は1000ccの水冷4気筒エンジンとなった。すなわち、初代カローラに搭載されていたK型エンジン(1100cc)を基本とする2K型エンジンである。また、トラックモデルは「ピックアップ」に改称された。業務提携した日野自動車も、羽村工場内に小型車専用ラインを設け、商用モデルの組み立てに参加した。

初代の発売から8年が経過し、高度経済成長期にあった日本ではモータリゼーションが進展していた。自家用車の保有台数は毎年倍増する勢いであったし、また、第二次世界大戦直後に生まれたいわゆるベビーブーマーたちが自動車運転免許取得年齢に達していた。トヨタは、パブリカを初代モデル発売以来の「大衆車」という位置づけから、「若者が最初に購入する新車=エントリーカー」へと商品イメージの変更を企図した。

「1000ドルカー」という初代後期型の直截的なキャッチコピーは消え、「ガッツ!パブリカ」「カモシカ」(ハイウェイの──、スタイリッシュなトヨタの──、──ルック、など)という、より抽象的なムードの表現に変化した。また、広告のイメージキャラクターには、大河ドラマへの出演などで人気が上昇中の若手俳優であった石坂浩二が起用された。

更にダイハツ工業との提携により、同社からはパブリカと同一ボディのコンソルテが発売された。コンソルテはパブリカと異なり、従来のダイハツ製乗用車であるコンパーノから転用された1000ccエンジンが搭載された。

新たに設けられたスポーティグレードのSLは、カローラSLと同一の1100ccのK-B型エンジンを搭載したが、同年10月、カローラがマイナーチェンジによって1200ccになると期を一にして、パブリカSLのエンジンもカローラ用の3K-Bエンジン (77ps/6600rpm)に変更された。同時に、トヨグライド式オートマチック仕様が1000ccに追加された。なおこの年、パブリカ店はカローラ店に改称され、パブリカは商用車を除いてオート店の取扱い車種となった。

1970年10月、マイナーチェンジが行われた。インストルメントパネルを変更し、1200ccモデルにシングル・キャブレターのハイ・デラックス仕様が登場、前輪ディスクブレーキが標準装備となった。自動車排出ガス規制対策として、全エンジンにブローバイガス還元装置が取り付けられたのはこのときである。

1972年1月に大規模なマイナーチェンジを行い、前後のデザインを大幅に改めた。この際、自動車排出ガス規制をクリアできないため、2U型空冷2気筒800ccエンジンを搭載するモデルが廃止された。翌1973年には、派生車のパブリカ・スターレット(KP40系)を登場させるが、人気は次第に下降線をたどり(この当時、大衆の多くはカローラやサニーなどのクラスの大衆車に流れていったという経緯があったようである)、1978年、二代目スターレット(KP61)の登場を機に生産を終了した。

なお、その後もピックアップのみは生産が続けられ、エンジンを1300cc(4K-J型)に変更して1988年まで生産された。

[ 2010/04/20 21:41 ] TOYOTA | TB(0) | CM(1)

Video Option - Smokey Nagata Special 64'00"

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OPTION VIDEO スモーキー永田の「変だわスモーキー」
JZA80スープラにRB26をセット。最高出力は1000PS。首都高からイギリスまで出向き白煙を上げながら最高速度を狙う!
実際に警察のお世話になってしまうことも。
みなさ~ん決してマネしないようにね。
[ 2010/04/21 14:04 ] OPTION/HOTVERSION | TB(0) | CM(0)

Video Option D1 Crash 2001~2003 75'50"

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DIクラッシュキング総集編 2001~2008
DIのクラッシュシーン。クラッシュ時、スポイラーを破損したもの、または横転した車輌などなど・・・

最高速マニアの千葉クンの最高速日記
GT-Rを何台も所有する謎の千葉クン。色々なところで最高速を狙っては警察のお世話に。
免許停止中に首都高や東名などに自転車で行くところが面白い。
ラーマンのD1人体実験「D1車輌の安全性テスト」
5万円で買ってきたHCR32にバケットシートとロールバーを装備。
どのくらい安全性が確保できるのかを、特殊な人間、ラーマンで試す。

などなど・・・

[ 2010/04/22 17:16 ] OPTION/HOTVERSION | TB(0) | CM(0)

Hot Version AE86 Club - Volume 06 60'44"

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Hot Version AE86 Club - Volume 06
ちょっと古いですが・・・ AE86のチューン術

いろんなAE86が見れるぞ~

ワットリンクをつけたらどう、変わるのか?

錆に負けないAE86を作るには?

今では有名な若きD1ドライバーが見れるぞ~

[ 2010/04/23 01:15 ] OPTION/HOTVERSION | TB(0) | CM(0)

Nissan Violet 710 1974 0'30"

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「バイオレット」 (VIOLET) は、日産自動車が生産していた小型乗用車。車名の「バイオレット」は英語で「スミレ」の意味である。

1973年1月に発売された初代710型バイオレットは、下級車種のサニーと、上級車種の610型ブルーバードUの中間クラスを担う新規車種として発売されたが、実際は、ブルーバードシリーズの一車種として、510型ブルーバードの実質的な後継車種として位置付けており、その背景には日産の商品企画や販売政策が影響している。

初代710型バイオレットが発売される前の1971年8月、ブルーバードは、先代の510型ブルーバードよりも車格クラス・価格共に上昇した上級車種として、「U」のサブネームを付けた610型ブルーバードUとしてフルモデルチェンジされて発売された。その背景には、ブルーバードのライバル車種であるトヨタ自動車のコロナの上級車種として発売されたコロナマークIIの存在や、高度経済成長に伴う物価上昇や所得倍増による経済情勢下であった時期に企画開発された事情があり、610型ブルーバードUが先代の510型ブルーバードよりも車格クラス・価格共に上昇した事により、既納先の510型までのブルーバードユーザーから610型ブルーバードUへの代替を躊躇されて他メーカー・他車種への代替や客離れが懸念された日産サイドの商品企画や販売政策上、610型ブルーバードUの発売以降も、先代の510型ブルーバードは「幸せの1400」のCMキャッチコピーで、1400ccと1600ccの4ドアセダンと2ドアセダンの廉価グレードだけを残した上で継続生産・販売され、510型ブルーバードの実質的な後継車種として位置付けていた初代710型バイオレットが発売される直前の1972年12月まで610型ブルーバードUと共に併売されていた。

なお、初代710型バイオレットは、ブルーバードシリーズの一車種としての役目も担う位置付けから、型式番号は歴代ブルーバードの型式番号である「310型」「410型」「510型」「610型」から連なる「710型」が与えられており、歴代のブルーバードに「710型」が存在していないのはそのためである。

初代 710型系(1973年 - 1977年)
1973年1月に新発売。ボディタイプは当初4ドアセダン、2ドアセダン、2ドアハードトップの3種類。サスペンションは、前輪にはマクファーソンストラット式独立懸架が全車に採用され、後輪は、スポーツグレードのSSSにのみ510型ブルーバードと同様のセミトレーリングアーム式独立懸架が採用され、その他の車種はリーフ式車軸懸架が採用された。ラリーでは510型ブルーバード譲りのスポーツグレード・SSS(スリーエス)が活躍していた。510型ブルーバードが直線的でクリーンな外観だったのに対し、710型バイオレットは複雑な曲面で構成されたファストバックスタイルだったため販売は低迷し、後に4ドアセダンは、ノッチバックスタイルへ大幅なマイナーチェンジを行う。後に5ドアのライトバンが追加された。タクシー仕様車では、710型バイオレットの4ドアセダン(5人乗り・3速コラム・前席ベンチシート、L16型1600ccLPG)が、510型ブルーバードのタクシー仕様車の実質的な後継車種として発売され(上級クラスへ移行した610型ブルーバードUにはタクシー仕様車が設定されていなかった)、後にエンジンは、昭和50・51年排ガス規制に絡んでL18型1800ccLPGに変更されている。1976年7月に、810型ブルーバードにタクシー仕様車が設定された後も1977年4月頃まで生産・販売が継続されていた。

1973年1月 710型バイオレット登場。
1974年9月 セダンのリヤコンビネーションランプ変更。
1976年2月 マイナーチェンジ。4ドアセダンがノッチバックスタイルに変更(理由はタクシーユーザーから要望の多かった後方視界を向上するため)、型式も711型に。1600ccが51年排ガス規制に適合(同年5月には1400ccも51年規制に適合)。2ドアセダンは廃止。
1977年4月 生産終了。A10型にバトンタッチ。

[ 2010/04/24 19:41 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Hot Version AE86 Club - Volume 07 59'36"

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ちょっと古いですが・・・ AE86のチューン術

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「Hot Version AE86 Club - Volume 07」で土屋86がボディ補強で2002年Versionに生まれ変わっての登場だ~!”

AE86のボディ補強の仕方など、色々な情報てんこ盛り。

AE86のみのレースも見れるぞ~ちょっと古いけど

[ 2010/04/25 20:31 ] OPTION/HOTVERSION | TB(0) | CM(0)

Prince Skyline1500DX 1963 1'02

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1957年に富士精密工業(のちのプリンス自動車)の主力車種として生産を開始。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた。

車名は「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。2007年3月21日、名付け親の桜井眞一郎がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレートが設置される。

GT系は愛称として「スカG」(すかジー)と呼ばれることもある。

長野県岡谷市の鳥居平やまびこ公園内には、自動車博物館としては異例の単一車種の博物館「プリンス&スカイラインミュウジアム」がある。

C10型からR32型までは、型式ごとにCMキャッチコピーなどから採られた愛称(通称)を持つ。

2代目 S5型(1963年-1968年)
1963年11月27日
S50D-I型発売。1900cc以上の上級市場はグロリアに譲り、1500ccクラスの量販車市場を拡充するために、G1型直列4気筒OHV1484ccエンジンを搭載する、小型ファミリーセダンとして開発・投入された。
モノコック構造を採用したボディのバリエーションは4ドアセダンとステーションワゴン(W50A-I型)の2種類。当初、バンはスカイウェイ(V51A-I型)としてラインナップしていたが、後のマイナーチェンジでスカイラインバンとなった。メンテナンスフリー化を積極的に進め、4万kmまたは2年間保障の封印エンジン[1]や、1年間3万km無給油シャシーなどを採用。

1963年10月
第10回全日本自動車ショーに、S50型をベースとした2ドアクーペ「スカイライン1900スプリント」を参考出品。

1964年4月
スタンダードグレード(S50S-I)型追加。

1964年5月
第2回日本グランプリGTクラス出場のため、より強力なグロリアスーパー6用のG7型直列6気筒OHC1988ccエンジンを、ボディのフロント部を200mm延長して搭載したスカイラインGT(S54A-I型)を開発。ホモロゲーション用に100台を生産し販売した。

1965年2月
レースモデルと同等にウェーバー製のキャブを3連装し、125psを出力したスカイライン2000GT(S54B-II型)発売。 1500DXに、フロアシフト追加。

1965年4月
米国統治下だった、沖縄でも(S50E)型の輸出開始。

1965年5月
1500DXに、スペースフロー(AT)が追加。

1965年9月
シングルキャブ仕様(105ps)の2000GT-A(S54A-II型)が追加。2月に発売されていた2000GTは「2000GT-B」となった。このとき、GT-Aは青のGTエンブレム(通称;青バッヂ)、GT-Bは赤のGTエンブレム(赤バッヂ)を装着した。

1966年7月 
デラックスとスタンダードの中間グレード的存在の「デラックス・ファイン」という車種が追加された。このモデルは、スタンダードをベースにしたボディに、グリルは、デラックスの物を使用し、ボンネットには、「P」と書かれたエンブレムではなく「PRNICE」と書かれたエンブレムを使用した。
ちなみにラジオ、ヒーターは標準装備で、販売期間が同年10月までの3か月だったので、生産台数が少ない。

1966年8月
プリンス自動車が日産自動車と合併したため、車名をニッサン・プリンス・スカイラインに変更。

1966年10月
マイナーチェンジ。グリルが横桟のデザインになる。

1967年8月
G1型に替わり、G15型直列4気筒OHC1483ccエンジン(88ps)を搭載するS57D型が登場。6万km無給油シャシーとなった。

[ 2010/04/26 21:40 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Skyline GT-R BCNR33 0'30"

トップページNISSANカテゴリーE-BCNR33 Skyline GT-R Ver 1 0'30" NISSAN SKYLINE GT-R_BCNR33.jpg
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1957年に富士精密工業(のちのプリンス自動車)の主力車種として生産を開始。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた。

車名は「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。2007年3月21日、名付け親の桜井眞一郎がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレートが設置される。

ボディラインナップはこれまで、4ドアセダンと2ドアクーペの2タイプであったが、2009年7月13日にクロスオーバーSUVが加わり、3つのタイプになった。過去には5ドアハッチバック、ステーションワゴン、ライトバンなども存在した時期もあるが、日産自動車の類似車種統一化政策等により、他の同クラスと統合されスカイラインとしての製造は廃止となっている。

市場での位置付けはミドルクラスのセダンであるが、過去に自動車レースで用いられた歴史があり、製品の性格付けもスポーティーなイメージが強調され、広告等では過去のレースシーンとの関連が強調される事も多い。しかし、スカイラインの中では2代目の"GT"とそれ以降の"GT-R"や"RS"グレードは実際にレース色が強いが、その他の車種は実際にはそれほどレース色が強い訳ではない。

GT系は愛称として「スカG」(スカジー)と呼ばれることも多い。

長野県岡谷市の鳥居平やまびこ公園内には、自動車博物館としては異例の単一車種の博物館「プリンス&スカイラインミュウジアム」がある。

C10型からR32型までは、型式ごとにCMキャッチコピーなどから採られた愛称(通称)を持つ。

9代目 R33型(1993年-1998年)
通称:R33(アールサンサン)、GT9(ジーティーナイン)
キャッチコピーは本流グランドツーリングカー。ボディをふたたび大型化。主力は2.5Lとなり、全車3ナンバーとなった。GT-Rは1995年1月に発売された。R32型に比べて全体的に大型化された事により、居住性は大幅に上がったが同時に車両重量も増加した。特に発売初期の頃はGT-Rも含め R31型程ではないが評価・評判共にあまり芳しくなかった。R33が発表されたとたんに、在庫のR32に注文が殺到したというエピソードもある。しかし今となってはその大柄なボディが生み出す直進安定性と、当時の不人気ぶりから来る値ごろ感(R32、R34が年式から考えられる値段より遥かに高値安定状態)から、お買い得モデルとして認識され始めている。

サスペンション形式はR32と同じくマルチリンクだが、前アッパーアームをI型からA型に変更、後ダンパーのストローク増、などの改良が図られている。

GT-R含むクーペ全てとセダンの前期モデルは、バッテリーをトランク奥に設置するハイトラクションレイアウトを採用している。搭載される専用バッテリーは高価だが大した容量を持っていない。

開発当初はクーペをショートホイールベースにする予定だったが、終盤でセダンとのシャシー共用によるコストカットを求められた。そのためかクーペの外観は間延びしたものとなっており、ドアもかなりの大きさを持つ。

エンジンのラインアップはGT-R専用となる2.6L RB26DETT型、2.5L RB25DET型とRB25DE型、および2.0L RB20E型(R33型唯一のSOHCエンジン)の4タイプであった。またスカイラインとして初めて、全グレードに「GT」が冠されることになった。トランスミッションは5速MTと5速AT(5速ATはマイナーチェンジにて4速ATに変更される)であった。RB25DET型エンジンは『リニアチャージコンセプト』により過給圧を抑えレスポンスの向上を図っていたが、市場からの評価はターボらしくないと芳しいものではなかった。

R33型デビュー直後、東京モーターショーでGT-Rのプロトタイプが発表されたが、市販モデルではフロント周りを見直された。そして一般車としては前代未聞の、改造車の祭典東京オートサロンにてデビュー。

一般的には問題が無いが、チューニングした上で非常にハードな走行を繰り返すと、Cピラー根元がストレスに耐え切れず、曲がってしまうというトラブルが報告されている。

GT-Rの車両形式が前回のBNR32からBCNR33へとアルファベットが変更された。前回はB=RB26DETT、N=アテーサ+HICAS、 R=スカイラインの意味を持たされていた。R33ではB=RB26DETT、N=アテーサ、C=HICAS、R=スカイラインの意味なのだが、このモデルにだけ"C"がつくのは、R32型・R34型共にアテーサ装着車にはHICASが自動的に装着されていたのに対し、R33型GT-R以外のモデルではアテーサ装着車でもHICASが装着されていないモデルも存在したことにより、差別化のためCが表記されている。

しかし、OptionではR34でまたC=HICASが社内記号での判断となり消滅した事と合わせ、「C=C34ローレルとのシャーシ共用を意味してるのではないか?」と書かれていた。しかし実体は上記の通りであり、単なる都市伝説と考えるのが正解である。

発売後、NISMOからは400Rと呼ばれるコンプリートカーが限定車として44台販売された(限定台数は99台であったが、その前に販売が終了)。当時の販売価格は1200万円である。この400Rの名前の由来は搭載されたエンジン、ニスモが「RB-X GT2」と呼ぶ2.8L排気量アップ版の最大出力400psに由来する。

1995年1月
一部変更。運転席SRSエアバッグ、およびテールパイプフィニッシャーを標準装備としたほか、外装を一部変更。セダンのラジエータグリル、ヘッドランプ周りをスモークシルバーに変更し、GTSタイプG系にアルミホイールを標準装備化。クーペのラジエータグリルをボディカラー化し、「エアロパッケージ」を設定。「セダンGTS25タイプG・SE」および「セダンGTS-4タイプG」を追加。さらに、BNR32型が継続販売されていた「GT-R」がフルモデルチェンジしBCNR33型となる。桟の無いラジエータグリルにGT-Rのエンブレムを配し、角度変更可能なリアウイングを採用した。 RB26DETT型エンジンの出力は280ps/6800rpm、37.5kgm/4400rpmとなる。グレードは標準車のほか「GT-R Vスペック」、「GT-R VスペックN1仕様」の3種類。N耐参戦ベース車である「Vスペック N1仕様」は、カーボンセンターリヤスポイラー(角度調整機構付)、カーボン製アンダーカバー、メタルタービン、空冷式エンジンオイルクーラーなどの専用装備を持ち、軽量化として助手席エアバッグ、エアコン、オーディオ、集中ドアロック、リヤワイパーなどが省かれている。なおボディカラーの設定はホワイト (#QM1)のみであった。

1996年1月
標準モデルをビッグマイナーチェンジ。外装が大幅に変更され、セダンとクーペの差別化が明確にされた。

1996年5月
ル・マン24時間レース出場記念モデル「GT-R Vスペック LMリミテッド」と「GT-R LMリミテッド」を2ヶ月間の期間限定販売モデルとして追加。

1997年2月
GT-Rをマイナーチェンジ。フロントバンパーの形状が変更され、スポイラー部を下方に20mm延長し大型化。プロジェクタータイプのキセノンヘッドランプを採用。ABSのアクチュエーターを小型軽量化したほか、リアメンバーを補強し剛性アップも図られBCNR33型としての最終進化型となった。

1997年10月
第32回東京モーターショーに「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を出展。スカイライン生誕40周年を記念した限定車。BCNR33型GT-Rをベースに4ドアのボディを載せた、PCG10型 GT-R以来の4ドアGT-Rである。2ドアGT-Rのブリスターフェンダーを再現するために、わざわざリアドアとリアフェンダーのプレス型を作り直す程であった。

1998年1月
「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を発売[5]。型式は「BCNR33改」となる。村山工場で組み立てされた後、座間事業所にて仕上げを施され、出荷された。神奈川県警が白黒、埼玉県警が覆面パトカーとして2台ずつ導入している。

GT-Rのみ100台限定でイギリスへ輸出されている(下記「GT-Rとは」参照)。そして、日産がル・マン24時間レース参戦用に「GT-R LM」と呼ばれるホモロゲーションマシンも1台だけ製作された。

この頃のGT-RやJZA80スープラRZ等のスポーツモデルは出力こそ自主規制値の上限である280psとなっているが、実際にはマフラー等で出力を絞っているだけであり、マフラー等の吸排気系を社外品に変えるだけのライトチューンでも実測値で400ps弱という出力が発生してしまうため[6]、自主規制は有って無いような物となっている。

スカイラインのモータースポーツ活動
スカイラインは初代モデルからモータースポーツに参戦しているが、本格的に参戦したのはS54型による第二回日本グランプリが最初。ホモロゲーションモデルであるGT-A、GT-Bから「スカG」の歴史が始まった。

3代目PGC10型/KPGC10型GT-R は国内レースで、マツダのロータリー勢に苦しめられながらも50勝を達成したほか、数々の伝説を残す。

その後、R30シルエット・フォーミュラ、R31・GTS-RでのグループA全日本ツーリングカー選手権参戦を経て、 グループAの頂点を目指すべく、GT-R(BNR32型)が復活、デビューからレース終焉まで29連勝の新たな伝説を築く。

全日本GT選手権では、1993年の開幕から2003年シーズンまで、R32からR34までの3世代のモデルが参戦し、すべてタイトルを獲得している。

※5代目(C210型)については排ガス規制の対策に追われたため、特にモータースポーツ活動はない。

9代目(R33型)
1995年
ル・マン24時間レースに参戦。総合10位。
全日本GT選手権シリーズタイトル獲得。

1996年
ル・マン24時間レースに参戦。総合15位。翌年はGT-Rで参戦せず、R390で参戦している。ル・マン24時間レースの車輌規定上、「同一車種に4ドア車が存在する車種のエントリーは認めない」とする規定が存在する為、日産NISMO GT-R LMという独立した車種を製作、ナンバーを取得して規定に合わせるという作業が行われた。「公認を得た"ロードカー"を最低一台製作すること。但し、販売の義務は無い」という条項を利用した。後のR390もこれを利用した形となっている。

1998年
パイクスピークに「ニスモ400R」で参戦。チャンピオン獲得。
全日本GT選手権シリーズタイトル獲得。

1994年より始まったJTCCにも4ドアセダンが近藤レーシングガレージにより参戦していた。当初はR32型で参戦を予定していたが日産がホモロゲーション申請していたのがBNR32、つまりGT-Rのみであったのだが何とか R32で出場したいとの願いから関係各所を回ってみたものの「旧型車にはホモロゲーションを与えられない」との一点張りで渋々諦めた所、日産がR33セダンのホモロゲーション申請を行い、車両を提供されて参戦を果たした。ちなみにR32型で参戦予定していたレーシングカーはFRと4WDの2台製作され、ほぼ完成状態まで来ていたが先述のホモロゲーション問題により参戦が不可能となった時点で解体され産業廃棄物として処理されたという。

[ 2010/04/27 11:34 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Skyline GT-R CM E-BCNR33 0'30"

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1957年に富士精密工業(のちのプリンス自動車)の主力車種として生産を開始。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた。

車名は「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。2007年3月21日、名付け親の桜井眞一郎がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレートが設置される。

ボディラインナップはこれまで、4ドアセダンと2ドアクーペの2タイプであったが、2009年7月13日にクロスオーバーSUVが加わり、3つのタイプになった。過去には5ドアハッチバック、ステーションワゴン、ライトバンなども存在した時期もあるが、日産自動車の類似車種統一化政策等により、他の同クラスと統合されスカイラインとしての製造は廃止となっている。

市場での位置付けはミドルクラスのセダンであるが、過去に自動車レースで用いられた歴史があり、製品の性格付けもスポーティーなイメージが強調され、広告等では過去のレースシーンとの関連が強調される事も多い。しかし、スカイラインの中では2代目の"GT"とそれ以降の"GT-R"や"RS"グレードは実際にレース色が強いが、その他の車種は実際にはそれほどレース色が強い訳ではない。

GT系は愛称として「スカG」(スカジー)と呼ばれることも多い。

長野県岡谷市の鳥居平やまびこ公園内には、自動車博物館としては異例の単一車種の博物館「プリンス&スカイラインミュウジアム」がある。

C10型からR32型までは、型式ごとにCMキャッチコピーなどから採られた愛称(通称)を持つ。

9代目 R33型(1993年-1998年)
通称:R33(アールサンサン)、GT9(ジーティーナイン)
キャッチコピーは本流グランドツーリングカー。ボディをふたたび大型化。主力は2.5Lとなり、全車3ナンバーとなった。GT-Rは1995年1月に発売された。R32型に比べて全体的に大型化された事により、居住性は大幅に上がったが同時に車両重量も増加した。特に発売初期の頃はGT-Rも含め R31型程ではないが評価・評判共にあまり芳しくなかった。R33が発表されたとたんに、在庫のR32に注文が殺到したというエピソードもある。しかし今となってはその大柄なボディが生み出す直進安定性と、当時の不人気ぶりから来る値ごろ感(R32、R34が年式から考えられる値段より遥かに高値安定状態)から、お買い得モデルとして認識され始めている。

サスペンション形式はR32と同じくマルチリンクだが、前アッパーアームをI型からA型に変更、後ダンパーのストローク増、などの改良が図られている。

GT-R含むクーペ全てとセダンの前期モデルは、バッテリーをトランク奥に設置するハイトラクションレイアウトを採用している。搭載される専用バッテリーは高価だが大した容量を持っていない。

開発当初はクーペをショートホイールベースにする予定だったが、終盤でセダンとのシャシー共用によるコストカットを求められた。そのためかクーペの外観は間延びしたものとなっており、ドアもかなりの大きさを持つ。

エンジンのラインアップはGT-R専用となる2.6L RB26DETT型、2.5L RB25DET型とRB25DE型、および2.0L RB20E型(R33型唯一のSOHCエンジン)の4タイプであった。またスカイラインとして初めて、全グレードに「GT」が冠されることになった。トランスミッションは5速MTと5速AT(5速ATはマイナーチェンジにて4速ATに変更される)であった。RB25DET型エンジンは『リニアチャージコンセプト』により過給圧を抑えレスポンスの向上を図っていたが、市場からの評価はターボらしくないと芳しいものではなかった。

R33型デビュー直後、東京モーターショーでGT-Rのプロトタイプが発表されたが、市販モデルではフロント周りを見直された。そして一般車としては前代未聞の、改造車の祭典東京オートサロンにてデビュー。

一般的には問題が無いが、チューニングした上で非常にハードな走行を繰り返すと、Cピラー根元がストレスに耐え切れず、曲がってしまうというトラブルが報告されている。

GT-Rの車両形式が前回のBNR32からBCNR33へとアルファベットが変更された。前回はB=RB26DETT、N=アテーサ+HICAS、 R=スカイラインの意味を持たされていた。R33ではB=RB26DETT、N=アテーサ、C=HICAS、R=スカイラインの意味なのだが、このモデルにだけ"C"がつくのは、R32型・R34型共にアテーサ装着車にはHICASが自動的に装着されていたのに対し、R33型GT-R以外のモデルではアテーサ装着車でもHICASが装着されていないモデルも存在したことにより、差別化のためCが表記されている。

しかし、OptionではR34でまたC=HICASが社内記号での判断となり消滅した事と合わせ、「C=C34ローレルとのシャーシ共用を意味してるのではないか?」と書かれていた。しかし実体は上記の通りであり、単なる都市伝説と考えるのが正解である。

発売後、NISMOからは400Rと呼ばれるコンプリートカーが限定車として44台販売された(限定台数は99台であったが、その前に販売が終了)。当時の販売価格は1200万円である。この400Rの名前の由来は搭載されたエンジン、ニスモが「RB-X GT2」と呼ぶ2.8L排気量アップ版の最大出力400psに由来する。

1995年1月
一部変更。運転席SRSエアバッグ、およびテールパイプフィニッシャーを標準装備としたほか、外装を一部変更。セダンのラジエータグリル、ヘッドランプ周りをスモークシルバーに変更し、GTSタイプG系にアルミホイールを標準装備化。クーペのラジエータグリルをボディカラー化し、「エアロパッケージ」を設定。「セダンGTS25タイプG・SE」および「セダンGTS-4タイプG」を追加。さらに、BNR32型が継続販売されていた「GT-R」がフルモデルチェンジしBCNR33型となる。桟の無いラジエータグリルにGT-Rのエンブレムを配し、角度変更可能なリアウイングを採用した。 RB26DETT型エンジンの出力は280ps/6800rpm、37.5kgm/4400rpmとなる。グレードは標準車のほか「GT-R Vスペック」、「GT-R VスペックN1仕様」の3種類。N耐参戦ベース車である「Vスペック N1仕様」は、カーボンセンターリヤスポイラー(角度調整機構付)、カーボン製アンダーカバー、メタルタービン、空冷式エンジンオイルクーラーなどの専用装備を持ち、軽量化として助手席エアバッグ、エアコン、オーディオ、集中ドアロック、リヤワイパーなどが省かれている。なおボディカラーの設定はホワイト (#QM1)のみであった。

1996年1月
標準モデルをビッグマイナーチェンジ。外装が大幅に変更され、セダンとクーペの差別化が明確にされた。

1996年5月
ル・マン24時間レース出場記念モデル「GT-R Vスペック LMリミテッド」と「GT-R LMリミテッド」を2ヶ月間の期間限定販売モデルとして追加。

1997年2月
GT-Rをマイナーチェンジ。フロントバンパーの形状が変更され、スポイラー部を下方に20mm延長し大型化。プロジェクタータイプのキセノンヘッドランプを採用。ABSのアクチュエーターを小型軽量化したほか、リアメンバーを補強し剛性アップも図られBCNR33型としての最終進化型となった。

1997年10月
第32回東京モーターショーに「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を出展。スカイライン生誕40周年を記念した限定車。BCNR33型GT-Rをベースに4ドアのボディを載せた、PCG10型 GT-R以来の4ドアGT-Rである。2ドアGT-Rのブリスターフェンダーを再現するために、わざわざリアドアとリアフェンダーのプレス型を作り直す程であった。

1998年1月
「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を発売[5]。型式は「BCNR33改」となる。村山工場で組み立てされた後、座間事業所にて仕上げを施され、出荷された。神奈川県警が白黒、埼玉県警が覆面パトカーとして2台ずつ導入している。

GT-Rのみ100台限定でイギリスへ輸出されている(下記「GT-Rとは」参照)。そして、日産がル・マン24時間レース参戦用に「GT-R LM」と呼ばれるホモロゲーションマシンも1台だけ製作された。

この頃のGT-RやJZA80スープラRZ等のスポーツモデルは出力こそ自主規制値の上限である280psとなっているが、実際にはマフラー等で出力を絞っているだけであり、マフラー等の吸排気系を社外品に変えるだけのライトチューンでも実測値で400ps弱という出力が発生してしまうため[6]、自主規制は有って無いような物となっている。

スカイラインのモータースポーツ活動
スカイラインは初代モデルからモータースポーツに参戦しているが、本格的に参戦したのはS54型による第二回日本グランプリが最初。ホモロゲーションモデルであるGT-A、GT-Bから「スカG」の歴史が始まった。

3代目PGC10型/KPGC10型GT-R は国内レースで、マツダのロータリー勢に苦しめられながらも50勝を達成したほか、数々の伝説を残す。

その後、R30シルエット・フォーミュラ、R31・GTS-RでのグループA全日本ツーリングカー選手権参戦を経て、 グループAの頂点を目指すべく、GT-R(BNR32型)が復活、デビューからレース終焉まで29連勝の新たな伝説を築く。

全日本GT選手権では、1993年の開幕から2003年シーズンまで、R32からR34までの3世代のモデルが参戦し、すべてタイトルを獲得している。

※5代目(C210型)については排ガス規制の対策に追われたため、特にモータースポーツ活動はない。

9代目(R33型)
1995年
ル・マン24時間レースに参戦。総合10位。
全日本GT選手権シリーズタイトル獲得。

1996年
ル・マン24時間レースに参戦。総合15位。翌年はGT-Rで参戦せず、R390で参戦している。ル・マン24時間レースの車輌規定上、「同一車種に4ドア車が存在する車種のエントリーは認めない」とする規定が存在する為、日産NISMO GT-R LMという独立した車種を製作、ナンバーを取得して規定に合わせるという作業が行われた。「公認を得た"ロードカー"を最低一台製作すること。但し、販売の義務は無い」という条項を利用した。後のR390もこれを利用した形となっている。

1998年
パイクスピークに「ニスモ400R」で参戦。チャンピオン獲得。
全日本GT選手権シリーズタイトル獲得。

1994年より始まったJTCCにも4ドアセダンが近藤レーシングガレージにより参戦していた。当初はR32型で参戦を予定していたが日産がホモロゲーション申請していたのがBNR32、つまりGT-Rのみであったのだが何とか R32で出場したいとの願いから関係各所を回ってみたものの「旧型車にはホモロゲーションを与えられない」との一点張りで渋々諦めた所、日産がR33セダンのホモロゲーション申請を行い、車両を提供されて参戦を果たした。ちなみにR32型で参戦予定していたレーシングカーはFRと4WDの2台製作され、ほぼ完成状態まで来ていたが先述のホモロゲーション問題により参戦が不可能となった時点で解体され産業廃棄物として処理されたという。

[ 2010/04/28 11:38 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Infinity Q45 World Trade Center in Backround 1992 0'30"

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インフィニティ (INFINITI) は日産自動車がアメリカ合衆国・カナダ・韓国・中華民国(台湾)・中東地域で展開する高級車ブランド。

日産ブランドに比べ、高級ブランドとして付加価値の高い商品性はもちろんのこと、スポーティさを強調している点が特徴である。その証拠に、2007年現在ラインナップされている車種全ての駆動方式がFRもしくはFRベースの4WDとなっている。ただし、2005年まではIシリーズ(日本名:日産・セフィーロがベース)のようにFFベースのクルマも存在していた。

また、デザイン上の特徴として「オーセンティック」な面を強調し、日産ブランドと比べてラグジュアリーでスポーティ、かつクラシカルな要素も持ち合わせたスタイリングを目指している。具体的には、フロントグリルのダブルアーチ、L字型のヘッドランプとテールランプの形状、さらに、新型Gシリーズでは、日本刀からモチーフを取り入れたグリル内の4本横線などが挙げられる。しかし、それらインフィニティブランドの特徴的デザインの多くは、日産ブランドの車種でも取り入れられており、現時点では明確な特徴とはなっていない様子である。

インフィニティ・ブランド確立や日本市場導入のために独自の開発がさらに必要になるとの判断から、2006年春に行われた日産内部の組織改正でインフィニティ専門の担当部署が多く新設されており、今後はより高価格・高付加価値型車両に特化した商品開発が進むことが予想されている。

1989年にアメリカ市場向けの高級ブランドとして設立された。設立当初は流通システムの不備などから、トヨタ自動車のレクサスや、本田技研工業のアキュラほどの人気は勝ち得ず、1990年代後半には販売台数が非常に低迷した。

しかし、ルノーと提携後のカルロス・ゴーン体制下では、高価格・高付加価値型車両中心のブランドとしてテコ入れする方針が打ち出され、販売網整備と車両のデザイン等を核とした抜本的な見直しが図られた。

その後、比較的手頃な価格でリリースされたV35型インフィニティ・G35(日本名:日産・スカイライン)が大ヒットしたこともあり、現在ではアメリカでも高級車ブランドの一つとして認知されるだけのシェアを得ることができるようになった。

ちなみに、なぜ表記が"INFINITY"でなく"INFINITI"なのか、という点については、「英語ではなく、イタリア語であるから」とアナウンスされている。

車種一覧
* セダン
o Q (FR)
+ Q45は、2006年北米での販売を終了。現在韓国で販売。
o M (FR/4WD)
o G (FR/4WD)

* クーペ
o Gクーペ (FR)

* SUV
o QX (FR/4WD) (日本未発売モデル)
o FX (FR/4WD) (日本未発売モデル)
o EX (FR/4WD) (日本未発売モデル)

車種名について
車種名の末尾に2桁の数字を付け、Q45→4500cc、QX56→5600ccの様におおよそのエンジン排気量を表す。車種名をつけるにあたって、規則性や、意味が特にあるわけではないが、セダン系の場合、Qを頂点にM→J→I→Gとアルファベットの順序が早いほうが下級で、遅い方が上級のようである。同じくSUV系でもQXを頂点にFX→EXという順序でグレードわけされているようだ。ちなみに、Qシリーズに限っては、英語のCue=きっかけという意味があると言われている。

2代目 FY33型 (1997-2001年)
1997年 海外向けインフィニティQ45のモデルチェンジが実施され、FY33型シーマの姉妹車となる。この年、台湾で発売。

[ 2010/04/29 00:59 ] INFINITI | TB(0) | CM(0)

Nissan Skyline 2000 GT-R KPGC110 3'33"

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GT-Rは、C10型(通称:ハコスカ)から続くスカイラインの中でもサーキットでの使用を主眼にして開発(メーカーチューン)された車両である。乗用車ベースでありながらレースで勝つことを使命とし、スカイラインの他のグレードと違った装備やエンジンを搭載し、他の国産スポーツカーにも影響を与えるほどの車である。それゆえに熱狂的なファンが多く、エンジニアにも特別のこだわりがある。そのためにGT-Rの名を冠することが許されなかったモデルもあり、それがGT-Rの存在をより特別のものとしている。

「世界的に有名な3つのアルファベットがあります。G, T, Rです。私はここでお約束いたします。必ずGT-Rは復活します。」と2001年東京モーターショーのプレス・カンファレンスでカルロス・ゴーンCOO(当時)が“GT-Rコンセプト”を前に、プレゼンテーションの冒頭で発言した。徹底した合理化戦略ばかりが取り上げられることが多いゴーンにこのような内容を託したことからも、この車に懸ける日産の姿勢が伺える。この約束をカルロス・ゴーンは果たし日産・GT-Rを2007年10月24日第40回東京モーターショーで量産型が発表され2007年12月6日に販売される事となる。 特にR32型からではあるが、海外のレースで大いに活躍した功績から、Rの評判は国内のみならず世界にもその名を知られており、ゴジラ(Godzilla)と呼ばれる程浸透している。それ故に、スカイラインはほぼ国内販売専用車であるが、R32、R33、R34のGT-Rが輸出業者の手により海外へと渡っている。評判は非常に高く、正規輸出としてもR33GT-Rはモデル末期に100台限定で、さらに、R34GT-Rも同じくV-specが100台限定ながらイギリスで販売された。

これは日産自動車側に「海外でも販売して欲しい」と言う要望が強かったことと、ル・マン24時間耐久レースに、「NISMO GT-R LM」として出場した事によりヨーロッパでの知名度が上がった事を受けてのことである。イギリスでは関税の影響で、日本円に換算すると1080万円する(国内仕様のV-specIIの新車価格は 574.8万円)事で、高所得層しか購入出来なかったが、フェラーリ以上の価値(希少性)やステータスがあると言うユーザーもあり、「スポーツ走行が出来る程高性能なのに、家族も乗せられる」と、実用面に対しての満足度も非常に高い。英国の自動車誌では、「パフォーマンスとテクノロジーは最高だが、見た目は東京タクシーのようだ」と評されたが、この書き方は英国流のジョークであり、むしろ「外見が普通の乗用車的なのに中身はスポーツカー」というコンセプトが、新鮮なものとして受け入れられている事の裏返し的表現である。現に「カーガイ(クルマ好き)」には好感を持って迎えられた。なおこの計200台はいずれも数日で完売している。

その他、ドイツ、フランス、スイス、アメリカ、香港、UAEなどへは個人輸出された(アメリカでは州によっては基準に適合していない車を入れることは法律違反となる場合もあり、業者が警察当局に拘束、収監されてしまったケースもある)。また、SUPER GTで活躍するミハエル・クルムも日本国内でR34GT-Rを2台購入し、モナコへ輸送している。

英国仕様は、国内仕様とは特に大きな差異はないが、R34型は現地の法規に合わせた対応(セキュリティの強化やヘッドライトのハロゲンバルブ化(保安基準に適合しなかったための変更)、スピードリミッターを欧州の自主規制値である250km/hへ引き上げ、及び200マイル/hスケールスピードメーターの採用等)や、後に国内仕様のMスペックにも採用された本革シートが装備されている(英国仕様の本皮はコノリー社により手作業で張られたもので、日本のラインナップには無かった赤色表皮も選択出来、一応日本でもNISMOから20脚限定で発売されていた)。

ハコスカ時代、初代GT-Rが発売される前年の1968年東京モーターショーには市販直前型のプロトタイプが参考出品されているが、この時点ではまだGT-Rの名は明かされておらず、2代目スカイラインのホットモデルに付けられたGT-AおよびGT-Bの流れを汲み、市販時にはGT-Cとなるとの噂もあった。

GT-Rはストックの状態で、既にチューニングカーとしての完成度が高いことから、無闇に手を入れることを嫌うオーナーが多い。また、標準モデルに GT-Rのエンブレムをつけたりバンパーを移植するなどして、GT-Rっぽく見せるチューニングも多く行われることからGT-Rのスタイルの人気が伺える。もちろんコアなチューニング好きに、内に秘めるエンジンパワーをしっかり受け止めるために外装に大幅なモデファイが加えられることも多い。

モータースポーツ活動
スカイラインは初代モデルからモータースポーツに参戦しているが、本格的に参戦したのはS54型による第二回日本グランプリが最初。ホモロゲーションモデルであるGT-A、GT-Bから「スカG」の歴史が始まった。

3代目PGC10型/KPGC10型GT-R は国内レースで、マツダのロータリー勢に苦しめられながらも50勝を達成したほか、数々の伝説を残す。

その後、R30シルエット・フォーミュラ、R31・GTS-RでのグループA全日本ツーリングカー選手権参戦を経て、 グループAの頂点を目指すべく、GT-R(BNR32型)が復活、デビューからレース終焉まで29連勝の新たな伝説を築く。

全日本GT選手権では、1993年の開幕から2003年シーズンまで、R32からR34までの3世代のモデルが参戦し、すべてタイトルを獲得している。

※5代目(C210型)については排ガス規制の対策に追われたため、特にモータースポーツ活動はない。

1973年6月 「JAF公認・JMC主催 第10回北海道周回ノンストップラリー」にて、「セダン1800(PC110型)ラリーバージョン」が総合優勝を飾る。

1975年6月 「北海道周回ラリー」にて「セダン1800」が総合優勝を飾る。

1975年7月 「第3回JMCオーバーナイトラリー」にて「セダン1800」が優勝を飾る。

1976年11月 「JMC中部ラリー」にて「セダン1800GL」が優勝を飾る。

この年、「オーストラリア トタル エコノミーラン」にオーストラリア向けスカイライン「ダットサン240K」が出場。優勝を飾っている。

4代目 C110型(1972年-1977年)
1972年10月
第19回東京モーターショーに「ハードトップ2000GT-Rレーシング仕様」を出品。

1973年1月
「ハードトップ2000GT-R」(KPGC110型)を追加。先代同様S20型エンジン(1989cc 160ps/7000rpm、18.0kgm/5600rpm)を搭載し、専用ラジエータグリル、前後オーバーフェンダー、リアスポイラー等を装備する他、先代では標準でなかったラジオが標準装備とされている。排出ガス規制の影響もあり、わずか197台が生産され、うち195台が市販されたのみで終了している。残りの2台はレースカーの試作車である。レースに出場することはなかったが、旧車趣味界においても希少なGT-Rとして知られている。この後、R32型までGT-Rは設定されていない。

製造台数が197台となった理由には、三国工業から購入したS20エンジン用ソレックスキャブレターが、 197台分だけ残っていたためである。ただし、生産台数には諸説あり、試作車も含めて少なくとも200台以上が生産されたと思われる節が見受けられる。その根拠としては旧車専門ショップ「ガレージ石坂」よりカーメイキングマナブスの社長、近藤学が購入した日産が放出した車両に刻印されていたフレームナンバーが今迄公にされてきた番号より若い上にフロントメンバーの形状が通常市販車と違い、マウントも異なっていたことから日産がロータリーエンジンを開発する際のテストベッドであった可能性も指摘されている。なお、この車両は近藤が購入後、日産から正式に生産証明を与えられ、ナンバープレートを取得して公道走行可能な状態にされている。

[ 2010/04/30 12:19 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)
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