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西部警察 大激走!スーパーマシン 1980.08.24. 21'51"

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マシンX(マシンエックス)とは、テレビドラマ・『西部警察』第45話から登場した初代大門軍団特殊車両で日産・スカイライン2000GTターボ(HGC211型、通称ジャパン)をベースとしている架空の車両。

車内のマイクロコンピューター、サーチライト、リモコン式スチルカメラ、フロントバンパーに設置されたレーダー・スピード感知器および特殊発信ペイント弾発射銃、更に遠隔操作式の自爆装置(起爆スイッチは木暮課長が管理していた)など52種類の特殊装置を搭載している特殊車両で、主に大門団長が運転する。出動の際は“エンジン音”-“暗闇に光り出すパトランプ”-“サイレン音”ガレージオープンの順で現れる。また、始動は“キースイッチ”(と初回登場時に桐生刑事が言っていたが、これは「キルスイッチ」(電源ON/OFFスイッチ)の言い間違い)-“マスターキー”-“イグニッション”の順にONにし、最後にスターターボタンでエンジン始動というレースカー同様の複雑な方法となっている。

なおマイクロコンピューターなどの機器を助手席スペースに設置しているため、設定では「一人乗り」となっている。

西部署管内で、銀行強盗を襲撃して現金を強奪し、マーキュリー・クーガーで逃走するという事件(犯人役は片岡五郎・椎谷建治・鳥巣哲生)が多発。大門軍団の黒パトでは、違法なチューンが施されしかもA級ライセンス保持者である犯人が運転するクーガーに追いつけず、谷刑事の指示により3台の黒パトで挟み撃ちしようとしたところ、車の運転に自信のある桐生刑事が独断行動に出て、黒パトでクーガーを無理に深追いしたため、民間人と接触しはねる不祥事が発生してしまう。このことがきっかけで、木暮課長は日産にマシンXの納車を前倒しさせる。かねてより、西部署には木暮から「捜査課に新人が来る。」という噂が流されており、二宮係長以下軍団刑事達は「大門が更迭されて代わりの人間が来る。」と思い込んでいた。そんな折、遂にマシンXが納車され、大門軍団は新しい仲間の加入に喜ぶ。

その日の夜、早速マシンXのサーチライトを駆使してクーガーを追跡し、搭載されているスチルカメラで撮影するも見失ってしまう。なかなか姿を現さないクーガーに、大門軍団は焦りを感じ始める。 最終手段として、大門は松田刑事と源田刑事によるおとり捜査を決行し、クーガーをおびき出すことに成功するものの、犯人によるマシンガンの銃撃で2人が乗った車は横転、松田が犯人に拉致されてしまう。マシンXでクーガーを追跡する桐生は、マシンXの特殊装置の1つである発信ペイント弾をクーガーに命中させ、レーダーによる追跡を開始するが、それでも何故か見失ってしまう。スチルカメラで撮影したクーガーの写真を見ていた大門と木暮は、全く違う場所で撮影された写真に同じクーガーと大型トラックが写っていることに気付き、クーガーは普段この大型トラックで搬送されており、更にトラックのコンテナはレーダー波を通さないアルミ製であると推測する。トラックのナンバーは既に二宮によって手配されていたが、一向に見つからない。そんな時、東名高速道路の川崎インターチェンジから、30分前に手配のトラックが通過したという連絡が入った。トラックの現在地は厚木付近であると推測した大門はヘリで出動し、木暮はマシンXに乗る桐生に東名高速に入るよう無線で指示を出す。

大門は、東名高速道路の厚木手前を走る桐生に、トラックが法定速度の時速80キロで走行していると仮定した時、マシンXが追いつくまでの時間を搭載してあるコンピュータで計算させる。すると、マシンXの最高速度である時速240キロで走ると、10分35秒後に追いつくという回答が出る。桐生はマシンXを時速240キロに加速させ、東名高速を走行している一般車を次々と追い抜いてトラックを追跡するが、予定時間になっても該当する大型トラックが見当たらない。大門は、桐生にすぐ近くの足柄サービスエリアを捜索するよう指示した。そして桐生は、サービスエリア内で遂に犯人達の大型トラックを発見する。大門の指示で大型トラックを監視していた桐生は、トラックのコンテナからクーガーが出てくるのを目撃する。東名高速を走り出したクーガーを追跡するマシンX。犯人達は警察がここまで追跡してくるとは思っておらず、全速で逃げ始める。大門は、桐生に御殿場インターチェンジからクーガーを一般道路に追い出すよう指示する。一般道路に出たマシンXは、追いついてきた大門の乗るヘリとの連携でクーガーを道路脇の山道に追い込み、遂に行き止まりまで追い詰める。クーガーから降りた犯人達は、松田を人質にとって抵抗する。大門と桐生は地形を利用して一時身を隠し、犯人を分散させる。不審に思って辺りを探し始めた犯人を仕留める大門と桐生。人質になっていた松田をクーガーから救出した大門は、クーガーに向けてショットガンを撃つ。クーガーは爆発炎上し、拳銃で抵抗していた最後の犯人も爆発に巻き込まれて死亡する。その直後、桐生の後を追ってきた谷、兼子、源田の黒パトがようやく到着し、炎上するクーガーを見て事件の解決を知るのであった。捜査課の課長室では、木暮と二宮が事件解決を喜びあう。安堵し背広の内ポケットからハンカチを取り出して汗をぬぐう二宮であったが、ハンカチと一緒に忍ばせていた退職願を木暮に見つかってしまう。木暮は退職願を手に取ると、細かく破って灰皿に捨ててしまう。西部署へ帰る大門軍団。桐生がマシンXのコンピュータにキーパッドでコードを打ち込むと、モニターには「イッケン ラクチャク(一件落着)」と表示される。

『パート1』の第69話『マシンX爆破命令』では、夜中の西部署にかかってきた電話に銃声と女性の悲鳴が入っており、当直の北条刑事はマシンXで現場の公園に急行する。北条刑事がエンジンをかけたまま女性を探していたため、マシンX強奪という陽動作戦に引っ掛かり、現金輸送車襲撃を狙っている犯人・藤倉(演:藤木孝)に乗り逃げされてしまう。この回で、自爆装置のスイッチが課長室の引き出しに隠されていることが判明し、マシンXが発見されないことを原因に、木暮課長が自爆装置のスイッチを押そうとした寸前、北条刑事から発見の連絡があり、自爆を免れる。その後、現金輸送車襲撃計画を企てようとしていた犯人に拉致されてしまった北条刑事とマシンXは、大門軍団の手で取り戻すことに成功する。

『パート2』の第14話まで活躍し、後継のスーパーZ・マシンRSが登場してからは、コンピュータの回線は全てオフにされた状態で警視庁特殊車両課のガレージに保管されていた。しかし、『パート3』の第47話『戦士よ さらば…』で、かつて飲酒運転の上ひき逃げを起こして逃走し、マシンXを運転する北条刑事に逮捕された事を逆恨みする自動車メーカーの元エリート技術者・尾崎浩一(演:林ゆたか)によって盗まれてしまう。次々とひき逃げ事件を起こして逃走するマシンXを追跡する大門軍団だったが、五代刑事がRS-3に搭載されたビデオカメラで撮影した映像を検証した結果、犯人がかつてメーカーで研究していた技術を用いて無線操縦車に改造されている事が判明する。更に、車内には時限爆弾が搭載され、誘拐した印刷工の娘を乗せて走り出してしまう。RS-2のシグナルコントロールで前方の信号を赤信号に変えてマシンXを停車させ、その間に人質を救出しようとするも失敗してしまうが、RS軍団の連携により無線誘導コードの解析に成功し、北条刑事がRS-2からマシンXの運転席に乗り移る。人質を無事救出するが、爆弾の爆発までの残り時間がわずかとなり、北条刑事は大門の指示で近くの空き地にマシンXを走らせる。時間ぎりぎりで北条刑事は脱出し、マシンXはついに爆発・炎上してしまう。炎上するマシンXに向かい敬礼する大門軍団。同じころ、捜査課では佐川が机に置かれたマシンXの写真の隣にブランデーの入ったグラスを置き、木暮と共に敬礼してマシンXを偲んでいた。

大門団長以外にも、桐生刑事・松田刑事・北条刑事が運転することも多く、大門不在時には主にこの3人が運転していた。登場当初は、成田空港から海外逃亡しようとした犯人を逮捕するために松田刑事が運転して、あまりの速さに驚くシーンがある。また『PART2』では、静岡県警から団員全員が出動するシーンで、大門団長がヘリコプターに搭乗したため、沖田刑事が一度だけマシンXを運転する貴重なシーンが残されている。

前述の『マシンX爆破命令』では、奪われたマシンXを無事取り戻した後、桐生・松田・源田の3人がマシンXの運転権を奪い合い、一度は源田刑事が運転席に座るものの、大門に「似合わないんだよ。交代、交代。」と言われてあえなく明け渡すというコメディタッチのシーンがある。この他にも、源田刑事はマシンXの運転をめぐって松田刑事とジャンケンをするも負けたりと、なかなか運転する機会を与えられなかったが、捜査課事務員・山野美子の歓迎会が行なわれた夜の当直時、および第114話『FBI・指名手配!』での犯人追跡時と、2回の運転が確認できる。

劇中設定上の台数は1台であるが、撮影用に製作された車両が複数ある。パート2以降のエンディング映像ではガゼールとサファリの後ろにマシンXらしきスカイラインが2台並んで走行しているのが確認できることを一例として、一説にはスタント用、撮影用など7台が制作されたといわれている。パート3における爆破シーンに使用されたのは、状態の悪い同型車をマシンX風に仕立てたダミーカーであったといわれ、実際の撮影用車輌については現存しているとする説と、経年による損傷が激しく処分されてしまったという説があり、真相は明らかでない。番組終了後の1984年(昭和59年)11月29日、広島県立体育館にて催行された『さよなら西部警察フェア』に出展されているので、少なくともこの時点で現存していたことは確かである。近年、レプリカが長野県岡谷市のプリンス&スカイラインミュウジアムに展示されたことがある。

マシンXのパトランプは助手席側の機械の上に設置されており、そのまま車内で点灯される。石原プロモーションのホームページに掲載されている写真や、この写真を元にデザインしたと思われるトミカなどでは屋根の上に設置されているが、この状態での使用は登場初期などごく限られる。パート1第45話では夜間の追跡を行う際に屋根の上に設置された。車内でパトランプが点灯していると非常に眩しく、運転に支障をきたすためと考えられる。もっとも、夜間に車内で点灯させていたこともある(パート1第69話やパート3第47話など)。マシンXの助手席には機械が設置されているため人が乗り込むことはできない。そのためパトランプの屋根への設置は運転手が行わなければならないが、走行中にそれを行うことは危険であるため、発車前に行うか一度停車しなければならない。そのような時間を節約するために車内で点灯させることが前提になっていると考えられる。また、車内点灯することで緊急走行中のシーンで運転する俳優の顔に赤色の光が当たり印象的な映像が演出できるという側面もある。

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[ 2009/01/01 00:29 ] MOVIE | TB(0) | CM(0)

RONIN the car chase 9'58"

トップページMOVIEカテゴリーRONIN the car chase
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『RONIN』(原題:Ronin)は1998年に製作されたアメリカ映画。題名は日本語の「浪人」から取られている。

パリ。謎の女、ディアドラ(ナターシャ・マケルホーン)のもとに、サム(ロバート・デ・ニーロ)、ヴィンセント(ジャン・レノ)はじめ、いずれも国家や組織からフリーの立場である5人の男たちが集まった。依頼は、ある男から銀色のケースを奪うこと。準備段階の武器調達で未熟さをあらわにしたスペンス(ショーン・ビーン)はクビになり、残った4人はニースで襲撃の綿密な計画を練る。そして決行。ケースの奪取には成功するが、電子機器担当のグレゴール(ステラン・スカルスガルド)が突如として裏切り、銀色のケースを奪い去る。サムとビンセントはアルルのコロッセオで、ケースを別の勢力へ売り飛ばそうとしていたグレゴールを追いつめるが、すんでのところでディアドラとシーマス(ジョナサン・プライス)らIRAに拉致され、ドライバーのラリー(スキップ・サダス)も殺害される。雇い主に切り捨てられ、腹に銃弾を受けて治療を余儀なくされたサムはヴィンセントのセーフハウスで傷を癒すと、真相とケースを求めて再びパリに向かう。

劇中では激しいカーチェイスが数度に渡って展開されるが、フランケンハイマー監督が元アマチュア・レーシングドライバーだったこともあり、カーチェイスシーンの撮影も監督が担当し、時には監督自ら車に乗り込むこともあった。特撮による不自然な動きを嫌い、全てのカーチェイスシーンは実写によるもので、高速走行シーンの多くも実際に俳優らが乗車していた。クラッシュシーンなどはスタントマンによる運転だったが、ラリー役のスキップ・サダスに至っては、ほとんどが彼自身の運転によるもの。さらに信憑性を上げるために各車の実際の走行音を別に録音して、それぞれの車の映像と合わせている。

登場する車種も拘りを持って選ばれており、アウディ・S8、プジョー・605、プジョー・406、シトロエン・XM、メルセデス 450SEL 6.9、BMW M5 (E34)などで、また舞台の中心がフランスであるため、多くのフランス車が登場する。なおアウディS8は、イギリス・カーマガジンの「映画に登場するカッコイイ車トップ40」の第9位にランクインしている。

[ 2009/01/03 01:29 ] MOVIE | TB(0) | CM(0)

アラーム・フォー・コブラ11 スペシャル 2'58"

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PWAD1300
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世界50ヵ国以上で放映される人気カーアクションTVシリーズのスペシャル版。人身売買犯罪の捜査中に殺された相棒の仇を討つため捜査に燃える刑事・ゼミルは、殺害現場に居合わせた男・クリスが犯人だと思い込むが、彼は警察のスパイだった。
[ 2009/01/04 06:46 ] MOVIE | TB(0) | CM(0)

Car Chase (Scene From The Rock) 5'31"

トップページMOVIEカテゴリーCar Chase (Scene From The Rock)
Car Chase (Scene From The Rock).jpg
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『ザ・ロック』(The Rock)は1996年のアメリカ映画。ジェリー・ブラッカイマー、マイケル・ベイのコンビによるアクション映画。

アメリカ海兵隊員の英雄が起こしたテロ事件との攻防を描いているが、テロリストの行動は、秘密作戦で戦死した部下がアメリカ政府に不当な扱いを受けたことに対して、遺族への補償と、死んだ戦友の魂に報いるという大義を掲げての戦いであり、私利私欲に走る犯人が敵というよくあるアクション映画とは異なる。

アメリカ海兵隊武装偵察部隊の伝説的英雄、フランシス・X・ハメル准将(エド・ハリス)は、政府に強い怒りを感じていた。かつて非合法作戦に従事していたハメルの部下たちは、敵に包囲された末に救援も得られずに見殺しにされ、その事実は公表されず、勲章も授与されなければ遺族への恩給や賠償金も支払われず、葬儀もされていない。そしてこうした問題に対する自らの訴えにも、下院議会や政府はまったく耳を傾けなかった。
ハメルは、ついに14人の部下と共に化学兵器VXガスの奪取という反乱行動にでる。そしてザ・ロックと呼ばれるかつての刑務所島、アルカトラズ島に観光客・ガイド計81人を人質にとって立てこもったうえ、遺族へ渡す補償金の原資として現金1億ドルを要求。これが受け入れられない場合は、VXガスを積んだロケットをサンフランシスコに撃ち込むとアメリカ国防総省を脅迫する。実行されればサンフランシスコは壊滅する。

劇中で舞台になったアルカトラズ島
FBI長官は特別捜査官で化学兵器のスペシャリスト、スタンリー・グッドスピード(ニコラス・ケイジ)に、アメリカ海軍特殊部隊SEALsへ同行して島に潜入し、毒ガスを処理するよう命じる。しかし、ザ・ロックに潜入するためには、アルカトラズ島から唯一脱獄できた男にして、現在は刑務所に監禁中の元イギリス情報局秘密情報部部員・兼SAS大尉、ジョン・パトリック・メイスン(ショーン・コネリー)の協力が必要だった。CIAに陥れられた過去を持つメイスンは当初協力を拒んで逃走をはかるが、グッドスピードはなんとかメイソンの信頼を勝ち取り、2人はSEALsと共にザ・ロックへと潜入する。

[ 2009/01/05 07:13 ] MOVIE | TB(0) | CM(0)

Road Safety - Dubai 0'30"

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後悔先に立たずっといった感じでしょうか・・・

[ 2009/01/06 17:24 ] 交通事故撲滅CM集 | TB(0) | CM(0)

Campagne de pr vention-Prevention campaign 0'54"

トップページ交通事故撲滅カテゴリーCampagne de pr vention-Prevention campaign Campagne_de_pr_vention_-_Prevention_campaign.jpg
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かなり考えさせられる飲酒運転撲滅CMです。あなたもこうならないように・・・・

[ 2009/01/07 17:39 ] 交通事故撲滅CM集 | TB(0) | CM(0)

Pub S curit Routi re Fran aise 0'30"

トップページ交通事故撲滅カテゴリーPub S curit Routi re Fran aise Pub_S_curit__Routi_re_Fran_aise.jpg
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何気にない普段の道路。でも・・・

[ 2009/01/08 17:53 ] 交通事故撲滅CM集 | TB(0) | CM(0)

FAST AND FURIOUS MAX CAR CHASE 6'30"

トップページMOVIEカテゴリーFAST AND FURIOUS MAX CAR CHASE
FAST AND FURIOUS MAX (2)
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監督は前作に引き続き『ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT』のジャスティン・リン。キャストは1作目『ワイルドスピード』の主要キャスト、ポール・ウォーカーとヴィン・ディーゼルが復帰し、1作目のコンビが復活。シリーズの時間軸は、1作目→2作目→4作目(本作)→5作目→3作目の順となっている。

ドミニクは南米でガソリン運搬車を強奪するグループのリーダーを務めていたが、警察の捜査の手は彼にジワジワと伸びてきていた。それを感じ取った彼は仲間に解散を促し、一緒にいればレティを危険な目に遭わせることに悩み、黙って彼女の元を去ってしまう。その後、ドミニクは妹のミアからの衝撃的な報せにより、ある男への復讐のために危険を承知で再びアメリカへ舞い戻るのだった。 一方、ブライアンはマイアミでの活躍によってFBI入りを果たし、職務を果たす日々を過ごしていた。彼はとある麻薬密輸組織の捜査をしていたが、ドミニクが国境を越えて戻って来た事を知る。ブライアンにはその理由がわかっていた。複雑な思いを胸に彼は捜査を続けるが、その先で計らずもドミニクと再会することになる。 追っている相手が同じだったのである。 以前の経緯と立場の違いから、二人は手を組むこと無く別々に相手を追い始めるのだった。

登場する車たち
NISSAN スカイラインGT-R BNR34(青。ブライアンがFBIの押収品より自らチューンして使用していたが途中で爆発させられている)
NISSAN スカイライン25GTターボ ER34(白。上記の車とともにブライアンが選んでいる。)
NISSAN GT-R R35(赤。上記の車とともにブライアンが選んでいるが劇中では使用されていない。)
スバル インプレッサWRX STI(銀。ブライアンがドミニクよりGT-Rの替わりに手に入れてもらう)
シボレー・カマロ(ドミニクがラストのカーチェイス中に乗り換える)
シボレーシェベル(ドミニクが使用、初めはレッドのボディーカラーだがレースに出る為にボディーカラーを塗り替える)
NISSAN シルビア S15
クライスラーダッジ・チャージャー(ドミニクが後半で使用。実は初代に登場したチャージャーと同一である事を思わせるシーンがある。)
クライスラー プリムスロードランナー(レティが使用)
ビュイック グランナショナル GNX 1987(ドミニクが冒頭で使用,こちらも本物のGNXではない)
フォード グラントリノ 1972(フェニックスが使用)
BMW M5 E39(黄色。中盤のレースシーンで登場するが途中でクラッシュ)
NISSAN シルビア S14(中盤のレースシーンで登場するが途中でクラッシュ)
HONDA NSX(ミアが使用)
ポルシェ ケイマン(ジゼルが使用)
Ford RS200(白。メインタイトル後のレースで登場)
MAZDA RX-7 FC3S(レティの葬式時に登場)
HONDA シビック EG6(上記のRX-7と一緒に駐車されていた)
ハマーH1(ブライアンとドミニクが組織より奪い逃走する際に使用)
Ford クラウンビクトリア(FBIの捜査車両ブライアンが職務中に使用する)
TOYOTA スプリンタートレノ AE86(カラーはシルバー・ブラックのツートンで上述のRS200とバトル)

備考
NISSAN スカイラインGT-R BNR34が登場する撮影には、RB25DET型を搭載する「25GT-t」をベースとして製作したレプリカ車両が使われた。これは実際のGT-Rはアメリカ国内においては8万ドルもする為である(DVDの特典映像より)。実際に劇中でフロントバンパーの違いで見分けることができる。(リアにはGT-Rエンブレムがついているが、フロントは25GT-tのままになっている)

俳優のドライブシーンの多くが、グリーンスクリーンでの合成撮影である。ハリウッドでは、俳優は各種の制約がある為に危険なシーンは全てスタントマンが行う。(DVDの特典映像より)

本作ではワイルドスピードのシリーズではあまり使われないSUBARUの車両が主に後半でよく使われている。

[ 2009/01/09 03:56 ] MOVIE | TB(0) | CM(0)

Pontiac Firebird Commercial 1967 1'00"

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ポンティアック・ファイヤーバード(Pontiac Firebird)は、ゼネラルモーターズが製造していたポニーカー(日本で言うスペシャルティカーに相当)であり、シボレー・カマロの姉妹車である。

初代(1967-1969)
初代ファイヤーバードはコークボトル・スタイルが特徴で、姉妹車であるカマロとは異なりフロントバンパーがボディデザインの一部に組み込まれていた。ボディ形式は2ドアハードトップとコンバーチブルを用意。元来ポンティアックは独自の2シーター・スポーツカーをラインナップに追加希望していたが、GMはシボレー・コルベットと競合すると判断。人気トップのポニーカー、フォード・マスタングとの競争に打ち勝つため、F-ボディのプラットホームをカマロと共用することとなった。

ベースモデルはシングルバレル・キャブレター装備の230cui OHC6気筒エンジンを搭載、最高出力は165馬力を発生した。第2のモデル、スプリントは4バレルのキャブレター付き同型エンジン(215馬力)が標準装備されたが、実際はオプションのV8エンジン搭載で販売されることがほとんどであった。V8エンジンは326cui(5.3L)2バレル・キャブレター装備(250馬力)、同型のハイ・アウトプット(H.O)・エンジン又は4バレル・キャブレター付きで285馬力を発する400cui(6.6L)エンジンの三種類存在。

1968年、ラムエアーがオプションに追加。ボンネットスクープ、強化されたバルブスプリングと異なるカムシャフトを持つヘッドにより、従来の400H.Oパッケージより高回転型となった。230cui(3.8L)エンジンは250cui(4.1L)エンジンに変更され、出力はシングルバレルが175馬力、4バレルが215馬力。326cui(5.3L)エンジンが350cuiエンジンに変更。改良されたカムを装備した同エンジンのH.Oバージョンも登場。他のエンジンもわずかに出力増加した。

1969年、ハンドリング・パッケージとしてトランザム(Trans Am Performance And Appearance Package)がオプションで登場。トランザムの名はSCCA (Sports Car Club of America)による市販車レースであるTrans Am Seriesから取られたものだが、GMが無許可で使用したため、SCCA側は告訴も辞さないと申し入れた。結果、トランザムが一台売れるごとにGMからSCCAに5ドル支払うことで両者は合意。リアスポイラーが特徴の初代トランザムは、ハードトップが689台とコンバーチブルが8台製造された。同年ラムエアーIIIとIVが400cuiエンジン用に設定され、それぞれ335馬力と345馬力を発生。 外観上は1968年、サイド・マーカーが法規対応で追加。フロントウィンカーが大型化し、リヤ側部にV型のポンティアックエンブレムを装着。1969年には大幅にフェイスリフトされ樹脂製フロントエンドが付く。内装はインパネとステアリングホイールが変更、イグニッションがダッシュボードからステアリングコラムに移設された。2代目ファイヤーバードの登場が1970年2月まで遅れたため(ポンティアックの他車種の1970年モデルは、1969年9月に発表された)、それまで初代の生産は延長された。

[ 2009/01/10 13:59 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Pontiac Firebird Commercial 1970 1'00"

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ポンティアック・ファイヤーバード(Pontiac Firebird)は、ゼネラルモーターズ社が製造するスポーツカーで、ポニー・カー(1964年型フォード・マスタングに代表される手ごろな価格でコンパクトかつスポーツ走行が可能なスタイリッシュな車)にカテゴライズされており、アメリカ車を代表する2シーターのコルベット対して、双璧を成すファイヤーバードは4シーターである。また、シボレー・カマロは姉妹車である

2代目(1970-1981)
第2世代のファイヤーバードは、1970年の中頃に登場した。ファイヤーバードは、第1世代のコーク・ボトル・シェイプを廃し、リア・ウィンドーのトップからほぼ直角的に落ち込むラインを持ち、より鋭角的なボディ・デザインを施されていた。この形状は、F-ボディを利用して最も長期に渡って製造されたファイヤーバードを代表するものである。この新世代のデザインは、リア・ウィンドーが大型化される1975年モデルまで、大きなCピラーを特徴としていた。1970年モデルには、1969年から持ち越されたラム・エアーIII(335馬力、GTOの366馬力)とラム・エアーIV(345馬力、GTOの370馬力)の2種類のラム・エアー400エンジンが用意された。

特徴的な傾斜したフロント・ノーズは、1977年(1979年にいくぶん修正される)に登場した。1977年から1981年まで、カマロが2灯丸型ヘッドライトを保持し続ける間、ファイヤーバードは4灯角型ヘッドライトを導入した。第2世代で搭載が選択可能となる455エンジンは、恐らくマッスルカー世代で最後のハイパフォーマンス・エンジンである。455エンジンは、1971年に初登場した。1973年と1974年に、455(SD-455と呼ばれる)の特別版も供給された。SD-455はポンティアックの366ナスカー・エンジンからのコンポーネントを利用して、540馬力を発生するレース用のエンジンとして造られたが、同時に環境保護庁とGMの協議の結果、車両は300馬力を上回らないことを義務づけられた。結果としてPMDエンジニアは290馬力でSD-455を登場させた。しかし実際には 371馬力(またはグロスでおよそ440馬力)を発生していた。同エンジンが魅力的であったのは、500馬力以上の仕様に楽に戻すことが出来た事であった。SD-455は、これまでポンティアックが製造したピュア・スポーツカーエンジンの最終形で最強のエンジンであると考えられている。

ポンティアックは 455cuiを数年間提供したが、排出ガスに対する規制が強化され終焉を迎える。455cui搭載車は7,100台に留まった1976年のトランザムは、「ビッグ・キューブ・バーズ」の終焉でもあった。1974年にはI6エンジンと、350cuiエンジン(V8、185馬力)、400cui エンジン(V8、175~225馬力)をラインナップした。SD-455が290馬力を生じる一方で455は215と250馬力を生じた。400、455 とSD-455エンジンは1974年の間にトランザムに供給された。しかし、400と455エンジンは1975年と1976年のモデルの唯一のオプションであった。1976年、ポンティアックは同社の50周年を祝してトランザムの特別版をリリースした。金のアクセントで黒に塗られ、これは最初の記念パッケージであり、最初に生産されたブラックとゴールドの特別版であった。1977年、ポンティアックは180馬力の400cui(6.6L)とは対照的に、T/A6.6L400180馬力と評価される(オプションW72)を供給した。カリフォルニアとハイパフォーマンス車は、オールズ403エンジンを搭載した。

1977年の、GMエンジンより僅かに高い圧縮比と日用的なトルクバンドを有したエンジンであった。1978年から始まって、GMエンジニアは、より小さな燃焼室で異なるシリンダーヘッドを通してポンティアック400で圧縮比を上げることによって、長年落ちていた馬力を向上させた。これは、1978~79モデル年の間に合計220の車で10%馬力を増加させた。400/403オプションは1979年まで搭載可能で400cuiのエンジンには、4速トランスミッションが装備された。また、1979年には、シルバー・ボディにシルバー・インテリアを持つ10周年モデルが発売され、同時にファイヤーバードのエンブレムがエンジン・フードに大きく描かれた。1980年は、ファイヤーバードのエンジンが劇的に変化した年であった。301エンジン(オプションとして1979年に提供される)は、同年モデルの標準装備エンジンであった。オプションは、ターボ付き301エンジンとシボレー305スモール・ブロック・エンジン。第2世代最後の年となる1981年、ファイヤーバードは前年モデルと同じエンジンを搭載し電子制御の燃料供給システムを追加しただけの変更にとどまった。

[ 2009/01/11 14:13 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Pontiac Firebird Trans Am Commercial 1975 0'35"

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ポンティアック・トランザム(Pontiac Trans Am)あるいはトランザムは、ゼネラルモータースが生産したスポーツカー、ポンティアック・ファイヤーバードの最上級グレード車。

SCCA (Sports Car Club of America)による市販車ベースのレースTrans-American Sedan Championshipがその名の由来。トランザムはあくまでグレードの名前でありモデル名ではないため、本来は「ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム」と呼ぶのが正しいが、「ポンティアック・トランザム」という表記も各種媒体で頻繁に使用されている。

ファイヤーバードの中でもハイパワーエンジンを搭載し、スポーティーな足回りを持つが、運動性能はより軽量な他のファイアーバードに抜かれる場合もある(同じパワートレーンの場合)。また何度かシボレー・コルベットのエンジンが設定されたが、スペック上はコルベットが上回るようデチューンされることが多かった。

外観上はエアロパーツ、エアスクープ等が追加されている。また年式によってはオプションで、火の鳥を模した巨大なボンネット用デカールも注文でき、視覚上強烈なインパクトを与えた。

そのハイパフォーマンスと派手な外観故に、アメリカの映画やテレビドラマでは主役の車や、脇役でも存在感ある車として多くの作品に登場している。『ナイトライダー』では、番組のファンが販売店にナイトライダー仕様のトランザムであるナイト2000が欲しいと駆けつけ、ポンティアックが番組のプロデューサーに起用車を伏せてほしいとお願いしたというエピソード[2]を持つなど、単に作品に登場するだけに留まらない影響力を持つケースも見られる。トランザムが登場する代表的な作品としてはナイトライダーの他に『暴走パニック大激突』、『白バイ野郎ジョン&パンチ』、『機動刑事ジバン』、『マッハ'78』、『ザ・ドライバー』、『トランザム7000』などがある。

[ 2009/01/12 14:59 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

PontiacFirebird Trans Am Commercial 1977 1'11"

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ポンティアック・トランザム(Pontiac Trans Am)あるいはトランザムは、ゼネラルモータースが生産したスポーツカー、ポンティアック・ファイヤーバードの最上級グレード車。

SCCA (Sports Car Club of America)による市販車ベースのレースTrans-American Sedan Championshipがその名の由来。トランザムはあくまでグレードの名前でありモデル名ではないため、本来は「ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム」と呼ぶのが正しいが、「ポンティアック・トランザム」という表記も各種媒体で頻繁に使用されている。

ファイヤーバードの中でもハイパワーエンジンを搭載し、スポーティーな足回りを持つが、運動性能はより軽量な他のファイアーバードに抜かれる場合もある(同じパワートレーンの場合)。また何度かシボレー・コルベットのエンジンが設定されたが、スペック上はコルベットが上回るようデチューンされることが多かった。

外観上はエアロパーツ、エアスクープ等が追加されている。また年式によってはオプションで、火の鳥を模した巨大なボンネット用デカールも注文でき、視覚上強烈なインパクトを与えた。

そのハイパフォーマンスと派手な外観故に、アメリカの映画やテレビドラマでは主役の車や、脇役でも存在感ある車として多くの作品に登場している。『ナイトライダー』では、番組のファンが販売店にナイトライダー仕様のトランザムであるナイト2000が欲しいと駆けつけ、ポンティアックが番組のプロデューサーに起用車を伏せてほしいとお願いしたというエピソード[2]を持つなど、単に作品に登場するだけに留まらない影響力を持つケースも見られる。トランザムが登場する代表的な作品としてはナイトライダーの他に『暴走パニック大激突』、『白バイ野郎ジョン&パンチ』、『機動刑事ジバン』、『マッハ'78』、『ザ・ドライバー』、『トランザム7000』などがある。

2代目(1970-1981)
第2世代のファイヤーバードは、1970年の中頃に登場した。ファイヤーバードは、第1世代のコーク・ボトル・シェイプを廃し、リア・ウィンドーのトップからほぼ直角的に落ち込むラインを持ち、より鋭角的なボディ・デザインを施されていた。この形状は、F-ボディを利用して最も長期に渡って製造されたファイヤーバードを代表するものである。この新世代のデザインは、リア・ウィンドーが大型化される1975年モデルまで、大きなCピラーを特徴としていた。

1970年モデルには、1969年から持ち越されたラム・エアーIII(335馬力、GTOの366馬力)とラム・エアーIV(345馬力、GTOの370馬力)の2種類のラム・エアー400エンジンが用意された。特徴的な傾斜したフロント・ノーズは、1977年(1979年にいくぶん修正される)に登場した。1977年から1981年まで、カマロが2灯丸型ヘッドライトを保持し続ける間、ファイヤーバードは4灯角型ヘッドライトを導入した。第2世代で搭載が選択可能となる455エンジンは、恐らくマッスルカー世代で最後のハイパフォーマンス・エンジンである。455エンジンは、1971年に初登場した。1973年と1974年に、455(SD-455と呼ばれる)の特別版も供給された。SD-455はポンティアックの366ナスカー・エンジンからのコンポーネントを利用して、540馬力を発生するレース用のエンジンとして造られたが、同時に環境保護庁とGMの協議の結果、車両は300馬力を上回らないことを義務づけられた。結果としてPMDエンジニアは290馬力でSD-455を登場させた。しかし実際には 371馬力(またはグロスでおよそ440馬力)を発生していた。同エンジンが魅力的であったのは、500馬力以上の仕様に楽に戻すことが出来た事であった。SD-455は、これまでポンティアックが製造したピュア・スポーツカーエンジンの最終形で最強のエンジンであると考えられている。

ポンティアックは 455cuiを数年間提供したが、排出ガスに対する規制が強化され終焉を迎える。455cui搭載車は7,100台に留まった1976年のトランザムは、「ビッグ・キューブ・バーズ」の終焉でもあった。1974年にはI6エンジンと、350cuiエンジン(V8、185馬力)、400cui エンジン(V8、175~225馬力)をラインナップした。SD-455が290馬力を生じる一方で455は215と250馬力を生じた。400、455 とSD-455エンジンは1974年の間にトランザムに供給された。しかし、400と455エンジンは1975年と1976年のモデルの唯一のオプションであった。1976年、ポンティアックは同社の50周年を祝してトランザムの特別版をリリースした。金のアクセントで黒に塗られ、これは最初の記念パッケージであり、最初に生産されたブラックとゴールドの特別版であった。1977年、ポンティアックは180馬力の400cui(6.6L)とは対照的に、T/A6.6L400180馬力と評価される(オプションW72)を供給した。カリフォルニアとハイパフォーマンス車は、オールズ403エンジンを搭載した。1977年の、GMエンジンより僅かに高い圧縮比と日用的なトルクバンドを有したエンジンであった。1978年から始まって、GMエンジニアは、より小さな燃焼室で異なるシリンダーヘッドを通してポンティアック400で圧縮比を上げることによって、長年落ちていた馬力を向上させた。これは、1978~79モデル年の間に合計220の車で10%馬力を増加させた。400/403オプションは1979年まで搭載可能で400cuiのエンジンには、4速トランスミッションが装備された。また、1979年には、シルバー・ボディにシルバー・インテリアを持つ10周年モデルが発売され、同時にファイヤーバードのエンブレムがエンジン・フードに大きく描かれた。1980年は、ファイヤーバードのエンジンが劇的に変化した年であった。301エンジン(オプションとして1979年に提供される)は、同年モデルの標準装備エンジンであった。オプションは、ターボ付き301エンジンとシボレー305スモール・ブロック・エンジン。

第2世代最後の年となる1981年、ファイヤーバードは前年モデルと同じエンジンを搭載し電子制御の燃料供給システムを追加しただけの変更にとどまった。

[ 2009/01/13 14:33 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Pontiac TransAm Commercial 1979 0'40"

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ポンティアック・トランザム(Pontiac Trans Am)あるいはトランザムは、ゼネラルモータースが生産したスポーツカー、ポンティアック・ファイヤーバードの最上級グレード車。

SCCA (Sports Car Club of America)による市販車ベースのレースTrans-American Sedan Championshipがその名の由来。トランザムはあくまでグレードの名前でありモデル名ではないため、本来は「ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム」と呼ぶのが正しいが、「ポンティアック・トランザム」という表記も各種媒体で頻繁に使用されている。

ファイヤーバードの中でもハイパワーエンジンを搭載し、スポーティーな足回りを持つが、運動性能はより軽量な他のファイアーバードに抜かれる場合もある(同じパワートレーンの場合)。また何度かシボレー・コルベットのエンジンが設定されたが、スペック上はコルベットが上回るようデチューンされることが多かった。

外観上はエアロパーツ、エアスクープ等が追加されている。また年式によってはオプションで、火の鳥を模した巨大なボンネット用デカールも注文でき、視覚上強烈なインパクトを与えた。

そのハイパフォーマンスと派手な外観故に、アメリカの映画やテレビドラマでは主役の車や、脇役でも存在感ある車として多くの作品に登場している。『ナイトライダー』では、番組のファンが販売店にナイトライダー仕様のトランザムであるナイト2000が欲しいと駆けつけ、ポンティアックが番組のプロデューサーに起用車を伏せてほしいとお願いしたというエピソード[2]を持つなど、単に作品に登場するだけに留まらない影響力を持つケースも見られる。トランザムが登場する代表的な作品としてはナイトライダーの他に『暴走パニック大激突』、『白バイ野郎ジョン&パンチ』、『機動刑事ジバン』、『マッハ'78』、『ザ・ドライバー』、『トランザム7000』などがある。

2代目(1970-1981)
第2世代のファイヤーバードは、1970年の中頃に登場した。ファイヤーバードは、第1世代のコーク・ボトル・シェイプを廃し、リア・ウィンドーのトップからほぼ直角的に落ち込むラインを持ち、より鋭角的なボディ・デザインを施されていた。この形状は、F-ボディを利用して最も長期に渡って製造されたファイヤーバードを代表するものである。この新世代のデザインは、リア・ウィンドーが大型化される1975年モデルまで、大きなCピラーを特徴としていた。

1970年モデルには、1969年から持ち越されたラム・エアーIII(335馬力、GTOの366馬力)とラム・エアーIV(345馬力、GTOの370馬力)の2種類のラム・エアー400エンジンが用意された。特徴的な傾斜したフロント・ノーズは、1977年(1979年にいくぶん修正される)に登場した。1977年から1981年まで、カマロが2灯丸型ヘッドライトを保持し続ける間、ファイヤーバードは4灯角型ヘッドライトを導入した。第2世代で搭載が選択可能となる455エンジンは、恐らくマッスルカー世代で最後のハイパフォーマンス・エンジンである。455エンジンは、1971年に初登場した。1973年と1974年に、455(SD-455と呼ばれる)の特別版も供給された。SD-455はポンティアックの366ナスカー・エンジンからのコンポーネントを利用して、540馬力を発生するレース用のエンジンとして造られたが、同時に環境保護庁とGMの協議の結果、車両は300馬力を上回らないことを義務づけられた。結果としてPMDエンジニアは290馬力でSD-455を登場させた。しかし実際には 371馬力(またはグロスでおよそ440馬力)を発生していた。同エンジンが魅力的であったのは、500馬力以上の仕様に楽に戻すことが出来た事であった。SD-455は、これまでポンティアックが製造したピュア・スポーツカーエンジンの最終形で最強のエンジンであると考えられている。

ポンティアックは 455cuiを数年間提供したが、排出ガスに対する規制が強化され終焉を迎える。455cui搭載車は7,100台に留まった1976年のトランザムは、「ビッグ・キューブ・バーズ」の終焉でもあった。1974年にはI6エンジンと、350cuiエンジン(V8、185馬力)、400cui エンジン(V8、175~225馬力)をラインナップした。SD-455が290馬力を生じる一方で455は215と250馬力を生じた。400、455 とSD-455エンジンは1974年の間にトランザムに供給された。しかし、400と455エンジンは1975年と1976年のモデルの唯一のオプションであった。1976年、ポンティアックは同社の50周年を祝してトランザムの特別版をリリースした。金のアクセントで黒に塗られ、これは最初の記念パッケージであり、最初に生産されたブラックとゴールドの特別版であった。1977年、ポンティアックは180馬力の400cui(6.6L)とは対照的に、T/A6.6L400180馬力と評価される(オプションW72)を供給した。カリフォルニアとハイパフォーマンス車は、オールズ403エンジンを搭載した。1977年の、GMエンジンより僅かに高い圧縮比と日用的なトルクバンドを有したエンジンであった。1978年から始まって、GMエンジニアは、より小さな燃焼室で異なるシリンダーヘッドを通してポンティアック400で圧縮比を上げることによって、長年落ちていた馬力を向上させた。これは、1978~79モデル年の間に合計220の車で10%馬力を増加させた。400/403オプションは1979年まで搭載可能で400cuiのエンジンには、4速トランスミッションが装備された。また、1979年には、シルバー・ボディにシルバー・インテリアを持つ10周年モデルが発売され、同時にファイヤーバードのエンブレムがエンジン・フードに大きく描かれた。1980年は、ファイヤーバードのエンジンが劇的に変化した年であった。301エンジン(オプションとして1979年に提供される)は、同年モデルの標準装備エンジンであった。オプションは、ターボ付き301エンジンとシボレー305スモール・ブロック・エンジン。

第2世代最後の年となる1981年、ファイヤーバードは前年モデルと同じエンジンを搭載し電子制御の燃料供給システムを追加しただけの変更にとどまった。

[ 2009/01/14 14:42 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Pontiac Firebird Trans Am Commercial 1983 0'30"

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ポンティアック・トランザム(Pontiac Trans Am)あるいはトランザムは、ゼネラルモータースが生産したスポーツカー、ポンティアック・ファイヤーバードの最上級グレード車。

SCCA (Sports Car Club of America)による市販車ベースのレースTrans-American Sedan Championshipがその名の由来。トランザムはあくまでグレードの名前でありモデル名ではないため、本来は「ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム」と呼ぶのが正しいが、「ポンティアック・トランザム」という表記も各種媒体で頻繁に使用されている。

ファイヤーバードの中でもハイパワーエンジンを搭載し、スポーティーな足回りを持つが、運動性能はより軽量な他のファイアーバードに抜かれる場合もある(同じパワートレーンの場合)。また何度かシボレー・コルベットのエンジンが設定されたが、スペック上はコルベットが上回るようデチューンされることが多かった。

外観上はエアロパーツ、エアスクープ等が追加されている。また年式によってはオプションで、火の鳥を模した巨大なボンネット用デカールも注文でき、視覚上強烈なインパクトを与えた。

そのハイパフォーマンスと派手な外観故に、アメリカの映画やテレビドラマでは主役の車や、脇役でも存在感ある車として多くの作品に登場している。『ナイトライダー』では、番組のファンが販売店にナイトライダー仕様のトランザムであるナイト2000が欲しいと駆けつけ、ポンティアックが番組のプロデューサーに起用車を伏せてほしいとお願いしたというエピソード[2]を持つなど、単に作品に登場するだけに留まらない影響力を持つケースも見られる。トランザムが登場する代表的な作品としてはナイトライダーの他に『暴走パニック大激突』、『白バイ野郎ジョン&パンチ』、『機動刑事ジバン』、『マッハ'78』、『ザ・ドライバー』、『トランザム7000』などがある。

3代目(1982-1992)
第3世代のF-ボディは、歴代のそれよりもかなり軽量であった。また流線型のボディを持ち、エアロ・ダイナミクスに基づくスタイリングが大いに反映されたものであった。GM社のCCC(Computer Command Control)エンジン・システムが搭載され、進化を続けた。同時に、エンジンのパフォーマンスも向上し、燃費がよく、低公害なものとなった。このことにより、第3世代のファイヤーバードは、消えつつあったポニー・カーのイメージを再び活性化するに足りるものとなった。

1982年に登場した第3世代は、3つのモデルがラインナップした、ファイヤーバード、ファイヤーバードS/Eとファイヤーバード・トランザムがそれである。ファイヤーバードはベースモデルで、カマロ・スポーツ・クーペと同グレードであった。ファイヤーバードS/Eは中グレードで、実際は、トランザムと同じくらい多くのオプションを積むことも可能であった。そして、ファイヤーバード・トランザムは、もちろん、ハイ・パフォーマンス・レベルであった。ファイヤーバードとカマロは、完全にスタイルが一新された。2つのポップアップヘッドライトでファイヤーバードの主要な際立った特徴、60度(GMがこれまでに試みた何よりもおよそ3度急な)でセットされるフロントガラス斜面と大きな、ガラスで構成された後部のハッチバックである。500lb軽いことに加えて、現在まで最も空気力学的に生産されたファイヤーバードであった。空気力学的な進歩は、機能的なスポイラーやアルミ・ホイールに渡った。トランザムは「ターボ・バルジ」ボンネットを装備した。そして、以前のターボ・トランザムの後、スムーズなスタイルに整えられた。実際、計画は当初、ポンティアック4.9ターボを搭載する計画であったが、直前になって中止された。しかし、フードのふくらみは残って、クロスファイヤ・インジェクションの305エンジンのために機能的に活かされた。

1983年モデルは基本的に前年モデルと同じであった。この年、デイトナ500のペースカーに選ばれた。ペースカー・レプリカの限定版車は、全ての車のまわりで広がったグラウンド・エフェクト効果を持ったスカートを特徴とした。右のパネルの「トランザム」の文字、前部バンパーグリルはプラスチックパネルと交換された。また、レカロ製革/スエード・シート、15インチのエアロ・ホイール、「デイトナ500」のグラフィックスと独特の白との塗装などが施された。

1984年、トランザムは、前年のデイトナ・ペース・カー・レプリカのグラウンド・エフェクト・パッケージをベースとして購入可能であった。フロント・グリルが一新され、15インチのアルミ・ホイールも取り付け可能であった。トランザムの15周年記念として、ポンティアックはもう一つのスペシャル・エディションの限定車をリリースした。

1983年のペース・カー・レプリカ複と同じ車体を使って、新しい16インチ・アルミ・ホイール、そしてWSサスペンションが装備された最初のポンティアックでもあった。新しい25mmの後部のスタビライザー、グレーのマルチ・トーンと白い革のレカロ・インテリア、特別なステアリングとシフター、パーキング・ブレーキ・ハンドル、白いストライプのテールライトレンズ、特別な青いストライプと青いボンネットのデカール、4輪ディスクブレーキ、そして、T-トップが装備された。

1985年、いくつかのパワートレインが発表されたように、全てのファイヤーバード・モデルは売上高を押し上げるために改修が行われた。ファイヤーバードは、古いグリルに代わる「バンパーレッツ」として知られている広角の細片のノーズに、スタイル変更された。その変更は前後に及んだ。トランザムは15周年記念モデルの生産を中止をそのWS6サスペンションが標準となり、新しい、より大きなスタビライザーでアップグレードされた。また全てのグレードで16インチ・アルミ・ホイールが装備可能となった。レカロ・オプション・パッケージはなくなったが、レカロ・シートはまだ装備可能であった。

1986年、全てのファイヤーバードは、法律に従って、ハイマウント・ストップランプが、ハッチウインドウのトップに設置された。そして、新しいテール・ランプが装備され、1967年以降、ファイヤーバードのサインがあったテール・ライト・レンズと置き換えられた。また、ファイヤーバードS/Eモデルの製造が中止された。そして、オプションのゴム/ビニル製リアスポイラーが登場した(黒だけで利用し、近年、ひびや割れが問題化している)。この年の半ば、ポンティアックは、トランザムに装備可能な、軽量のクロスレースのホイール・リムを導入した。

1987年、ハイマウント・ストップランプは、スポイラーとリアデッキの間の新しい位置へ再配置された。そして、ボンネットの大きなファイヤーバードのエンブレムはこの年以降、永遠に廃止された。また、トランザムGTA(Gran Turismo Americano)がラインナップした。LB9- 305 TPIエンジン(215馬力)またはL98-350TPIエンジンが搭載可能であった。金色の16-インチ、フラット・メッシュ、ダイヤモンド・スポーク・ホイールは、GTAで標準装備であった。また、V8(LG4、LB9-350TPI、LB9-350TPI)、16インチの凸面ホールと以前のトランザム「ターボ・バルジ」付きボンネットが選択でできるファイヤーバード・フォーミュラが再登場した。そして、トランザムGTAは、標準的な350エンジン (5.7L)をポンティアックの誇りをかけたTPI(Tuned Port Injection)を装備した。また、この年、コンバーチブル・モデルが登場した。

1988年、新しいノッチバック・ハッチが、GTAでオプションとなった。第3世代のファイヤーバードで共通だった大きなガラスのハッチバックより、小さく、平らな、垂直ガラスのウインドウでファイバーグラス・トランクが装備された。また、ノッチバック採用に伴って、後部座席が再設計された。

1989年、GMは、新しい二重触媒コンバーター排気システムを開発した。このシステムの装着で、同じLB9、L98搭載のフォーミュラとトランザムで13%の出力向上をもたらした。また、後部のディスクブレーキでオプションをつけられる全てのファイヤーバードはPBRブレーキ・キャリパーとより大きなブレーキローターを装備した。そして、それは前のモデルリア・ディスクで課題であったストッピング・パワー不足の問題を解決した。GMのVATS(Vehicle Anti Theft System)の導入は、全てのファイヤーバードの窃盗に対して効果を挙げた。システムは、カマロとファイヤーバードを目標とすることが自動車泥棒の間で拡大している傾向に応じ、GMの上級車、コルベットとキャデラックの装置を改良して作られた。トランザムはインディアナポリス500のペースカーに選ばれ、ポンティアックは新たなペースカー・レプリカを市場に出した。この特別な、第20周年TTA(Turbo Trans Am)は、白いボディとタンのインテリアだけが用意され、3.8Lターボ付きV6のビュイック・エンジンを搭載した。

1990年、インテリアの改修を施され、1991年には、ポンティアックが全て新しい第4世代プラットホームを開発する間「バンシーIV」コンセプトに基づくコンセプト・カーを発表したあと、全てのファイヤーバードはゆるい傾斜で形作られるフロント・ノーズにデザイン変更された。トランザムのグラウンド・エフェクトは同様に改修された。そして、それはベースモデルのファイヤーバードで利用可能となった。

1992年、は第3世代最後の年で、第4世代モデルの登場が差し迫っていた。このため、ファイヤーバードは大きな変更を受けなかった。この年、SLPパフォーマンス・パーツによってファクトリー・チューンされた、いわゆる「ファイヤーホーク」が登場する。

1993年、ファイヤーホークは、300馬力に増加し機能的なボンネットと他の機能強化でSLPパッケージを供給し、わずか201台が製造された。

各年のエンジンラインナップ
* 1982-1983: Chevrolet Small-Block engine#LU5 5.0L V8, 165-175 hp and 240-250 ft·lbf
* 1982-1984: GM 60-Degree V6 engine#LC1 2.8L V6, 102-107 hp and 142-145 ft·lbf
* 1982-1985: GM 2500 engine#LQ8 2.5L I4, 88-92 hp and 132-134 ft·lbf
* 1982-1987: Chevrolet Small-Block engine#LG4 5.0L V8, 145-170 hp and 240-250 ft·lbf
* 1983-1984: GM 60-Degree V6 engine#LL1 2.8L V6, 125 hp and 145 ft·lbf
* 1983-1986: Chevrolet Small-Block engine#L69 5.0L V8, 190 hp and 240 ft·lbf
* 1985-1989: GM 60-Degree V6 engine#LB8 2.8L V6, 135 hp and 165 ft·lbf
* 1985-1992: Chevrolet Small-Block engine#LB9 5.0L V8, 190-230 hp and 275-300 ft·lbf
* 1987-1992: Chevrolet Small-Block engine#L98 5.7L V8, 225-245 hp and 330-345 ft·lbf
* 1988-1992: Chevrolet Small-Block engine#L03 5.0L V8, 170 hp and 255 ft·lbf
* 1989-1989: Buick V6 engine#LD5 3.8L V6, 250 hp and 340 ft·lbf (turbocharged engine)
* 1990-1992: GM 60-Degree V6 engine#LH0 3.1L V6, 140 hp and 180 ft·lbf

[ 2009/01/15 14:51 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Firebird Trans Am Commercial 0'52"

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ポンティアック・トランザム(Pontiac Trans Am)あるいはトランザムは、ゼネラルモータースが生産したスポーツカー、ポンティアック・ファイヤーバードの最上級グレード車。

SCCA (Sports Car Club of America)による市販車ベースのレースTrans-American Sedan Championshipがその名の由来。トランザムはあくまでグレードの名前でありモデル名ではないため、本来は「ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム」と呼ぶのが正しいが、「ポンティアック・トランザム」という表記も各種媒体で頻繁に使用されている。

ファイヤーバードの中でもハイパワーエンジンを搭載し、スポーティーな足回りを持つが、運動性能はより軽量な他のファイアーバードに抜かれる場合もある(同じパワートレーンの場合)。また何度かシボレー・コルベットのエンジンが設定されたが、スペック上はコルベットが上回るようデチューンされることが多かった。

外観上はエアロパーツ、エアスクープ等が追加されている。また年式によってはオプションで、火の鳥を模した巨大なボンネット用デカールも注文でき、視覚上強烈なインパクトを与えた。

そのハイパフォーマンスと派手な外観故に、アメリカの映画やテレビドラマでは主役の車や、脇役でも存在感ある車として多くの作品に登場している。『ナイトライダー』では、番組のファンが販売店にナイトライダー仕様のトランザムであるナイト2000が欲しいと駆けつけ、ポンティアックが番組のプロデューサーに起用車を伏せてほしいとお願いしたというエピソード[2]を持つなど、単に作品に登場するだけに留まらない影響力を持つケースも見られる。トランザムが登場する代表的な作品としてはナイトライダーの他に『暴走パニック大激突』、『白バイ野郎ジョン&パンチ』、『機動刑事ジバン』、『マッハ'78』、『ザ・ドライバー』、『トランザム7000』などがある。

2代目(1970-1981)
第2世代のファイヤーバードは、1970年の中頃に登場した。ファイヤーバードは、第1世代のコーク・ボトル・シェイプを廃し、リア・ウィンドーのトップからほぼ直角的に落ち込むラインを持ち、より鋭角的なボディ・デザインを施されていた。この形状は、F-ボディを利用して最も長期に渡って製造されたファイヤーバードを代表するものである。この新世代のデザインは、リア・ウィンドーが大型化される1975年モデルまで、大きなCピラーを特徴としていた。

1970年モデルには、1969年から持ち越されたラム・エアーIII(335馬力、GTOの366馬力)とラム・エアーIV(345馬力、GTOの370馬力)の2種類のラム・エアー400エンジンが用意された。特徴的な傾斜したフロント・ノーズは、1977年(1979年にいくぶん修正される)に登場した。1977年から1981年まで、カマロが2灯丸型ヘッドライトを保持し続ける間、ファイヤーバードは4灯角型ヘッドライトを導入した。第2世代で搭載が選択可能となる455エンジンは、恐らくマッスルカー世代で最後のハイパフォーマンス・エンジンである。455エンジンは、1971年に初登場した。1973年と1974年に、455(SD-455と呼ばれる)の特別版も供給された。SD-455はポンティアックの366ナスカー・エンジンからのコンポーネントを利用して、540馬力を発生するレース用のエンジンとして造られたが、同時に環境保護庁とGMの協議の結果、車両は300馬力を上回らないことを義務づけられた。結果としてPMDエンジニアは290馬力でSD-455を登場させた。しかし実際には 371馬力(またはグロスでおよそ440馬力)を発生していた。同エンジンが魅力的であったのは、500馬力以上の仕様に楽に戻すことが出来た事であった。SD-455は、これまでポンティアックが製造したピュア・スポーツカーエンジンの最終形で最強のエンジンであると考えられている。

ポンティアックは 455cuiを数年間提供したが、排出ガスに対する規制が強化され終焉を迎える。455cui搭載車は7,100台に留まった1976年のトランザムは、「ビッグ・キューブ・バーズ」の終焉でもあった。1974年にはI6エンジンと、350cuiエンジン(V8、185馬力)、400cui エンジン(V8、175~225馬力)をラインナップした。SD-455が290馬力を生じる一方で455は215と250馬力を生じた。400、455 とSD-455エンジンは1974年の間にトランザムに供給された。しかし、400と455エンジンは1975年と1976年のモデルの唯一のオプションであった。1976年、ポンティアックは同社の50周年を祝してトランザムの特別版をリリースした。金のアクセントで黒に塗られ、これは最初の記念パッケージであり、最初に生産されたブラックとゴールドの特別版であった。1977年、ポンティアックは180馬力の400cui(6.6L)とは対照的に、T/A6.6L400180馬力と評価される(オプションW72)を供給した。カリフォルニアとハイパフォーマンス車は、オールズ403エンジンを搭載した。1977年の、GMエンジンより僅かに高い圧縮比と日用的なトルクバンドを有したエンジンであった。1978年から始まって、GMエンジニアは、より小さな燃焼室で異なるシリンダーヘッドを通してポンティアック400で圧縮比を上げることによって、長年落ちていた馬力を向上させた。これは、1978~79モデル年の間に合計220の車で10%馬力を増加させた。400/403オプションは1979年まで搭載可能で400cuiのエンジンには、4速トランスミッションが装備された。また、1979年には、シルバー・ボディにシルバー・インテリアを持つ10周年モデルが発売され、同時にファイヤーバードのエンブレムがエンジン・フードに大きく描かれた。1980年は、ファイヤーバードのエンジンが劇的に変化した年であった。301エンジン(オプションとして1979年に提供される)は、同年モデルの標準装備エンジンであった。オプションは、ターボ付き301エンジンとシボレー305スモール・ブロック・エンジン。

第2世代最後の年となる1981年、ファイヤーバードは前年モデルと同じエンジンを搭載し電子制御の燃料供給システムを追加しただけの変更にとどまった。

4代目(1993-2002)
1994年に登場した第4世代のF-ボディは、先代よりも更にエアロ・ダイナミクスに磨きがかけられた。しかし、魅力的なスポーツ・カーであった一方で、販売的には下降傾向になった。ファイヤーバードはリトラクタブルライトを採用したが、それは第3世代から採用された「バンシーIV」コンセプトを更に強烈に引き継いだものであった。LS1ファイヤーバードは、低い売上高にもかかわらず、これに生産された車よりも、最も速いものの一つであった。コルベットC5のV8(5.7L)アルミニウム・エンジンから、305馬力(2000 年以後の310)またはWS-6ラム・エアー・バージョンで320馬力(2000年以後の325)を生じ、この第4世代のファイヤーバードは、マッスル・カーのファイヤーバードを含む、他のどの世代よりも高性能であった。

1994年モデルでは、白く塗られたボディのやや下側に青い1本のストライプが描かれた25周年記念エディションが発売されたが、それは1970年モデルを彷彿させるものであった。

1998年、ファイヤーバードは他の修正と同様にフロントのデザイン変更を受けた。そして最も大きな改修ポイントは、最新のコルベットのスモール・ブロックV8エンジン(LS1)の搭載であった。また、1998年~2002年の間、ポンティアックはヘビー・デューティーなブレーキとステアリングギア比、燃料ポンプとショックアブソーバーが装備された。また、エンジンはV6とV8が搭載可能であった。

1999年、トランザムは30周年記念モデルを生産、このモデルは、先の25周年モデルよりも一層1969年のトランザムを意識したカラーデザインが採用された。最後のモデルとなる2002年モデルには、黄色いボディのコレクターズ・エディションが設定された。しかし、F-ボディを基本とする第4世代のファイヤーバードの生産終了を最後に、工場も閉鎖されることとなった。

[ 2009/01/16 15:11 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Corvette Vintage TV Commercial Ad 1953 1'34"

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シボレー・コルベット、コーベット(Chevrolet Corvette)は、ゼネラルモーターズのシボレーブランドによって販売されているスポーツカーである。

コルベットは、台頭し始めたヨーロッパ製スポーツカーへの対抗心によって産み落とされた。アメリカン・モータースポーツの象徴として、フォード・マスタングらと並べて語られることも多く、シボレーのスポーツブランド・イメージを確固たるものとして印象づけている一台である。そのイメージはアメリカ車らしく、大排気量エンジンをフロントに積み、太いトルクを後輪に供給する、典型的なフロントエンジン・リアドライブを現代に至るまで貫き通している。また、時代に合わせて頻繁にアップデートが施され、時には走行性能だけではなく、外観を激しく変えるほどのマイナーチェンジが果たされることも珍しくない。一方で太いトルクによる大馬力に固執し、一時期DOHCエンジンを採用した事があったものの、最新型においてもOHVエンジンを採用し、低回転・大トルクがコルベットのアイディンティティとなっている。

コルベットは、その基本性能の優秀さから初代C1型コルベットの時代から様々なレーシング仕様が製作され、数多い功績を挙げた。ワークスでのレース活動を休止していた時期もあるが、その間を埋めるようにプライベーターによる参戦も盛んに行われた。

現在、欧州や日本ではシボレーのブランド名が落とされて、単にコルベットとして販売されているが、シボレーブランドのフラッグシップモデルである事には変わりはない。また日本への輸入はGMアジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)によって行われている。

初代(C1 1954年-1963年)
シボレー初の2シーターレイアウトのオープンスポーツカー。1953年にプロトタイプが披露され、翌年に生産を開始する。初期のC1型コルベットは、純粋なスポーツカーというより、スポーツカーと先進的イメージを押し出した雰囲気車のような感は否めず、スチール製バックボーンフレームに、量産車としては初めてとなるFRPボディパネルを貼り付けた、ヨーロッパ車顔負けの先進的な特徴を有していながら、最高出力150馬力と貧弱な3859ccの排気量を持つ水冷直列6気筒OHVエンジン、2速オートマチックトランスミッションなど、少なくとも本質的な走りを重視する人々の琴線を刺激するだけの魅力は持ち合わせていなかった。しかも品質不足での購入者からの苦情も殺到した。これは先進的なFRP素材を使用したがために起こってしまった弊害で、まだ厳密な品質が確立されていなかった時代であったため、温度差によってボディパネルが歪んでしまうことが原因であった。

初期にはこのようなメーカー側の不備から批判を受けたコルベットであるが、しかし、優れた車体特徴を備えたコルベットを見放さなかったのは、チューニングを生業とする者達だった。彼らは市場の不満の声に応えるかのごとく、エンジン・チューニングキットや、マニュアルミッションへの交換などを請け負い、潜在的な需要を満たした。

しかし、コルベットの評価を一転させるマイナーチェンジが行われることとなる。その先鋒に立ったのがゼネラルモーターズ実験部門に所属していたエンジニア、ゾーラ・アンカス・ダントフで、シボレー・セダン用の4343cc水冷V型8気筒OHVエンジンを専用にチューンを施し、コルベットのエンジンルームに押し込むことにより、大幅なパワーアップを達成する。1955年ではオプション扱いだったものの、1956年からは通常ラインアップに加わり、逆に当初の標準だった6気筒エンジンは蹴落とされる格好となった。ちなみに、このエンジンは後々のコルベットにもスモールブロックユニットとして受け継がれていくこととなる。トランスミッションもボルグワーナー製の3速マニュアルトランスミッションが選べるようになり、いよいよ本格的なスポーツカーとしての認知を得るに至る。以降、ドーピングのごとくパワー至上主義路線を貫くようになり、200馬力前半だったパワーは、最後期には300馬力オーバーに達するまでになった。

C1型コルベットは、本格的にレースにも参戦し、そのテストベッドとして1954年にMule(雑種の意)と呼ばれる、レーシングチューンの施されたV型8気筒エンジンを搭載したモデルがあった。Muleは最高速トライアルやデイトナに参戦し、このモデルの活躍がコルベットの名声を高めるきっかけとなった。その後、1956年のセブリング12時間レースに参戦するために手直しされたコルベットSR(セブリング・レーサー)が出走し、クラス優勝に輝く活躍を見せ、1957年以降には数々のレースでアマチュアレーサーの手で走らされるコルベットを見るようになった。また、SRが活躍したとほぼ同時期に、更なるパフォーマンスアップを図ったSR2に発展し、1957年のデイトナでル・マン24時間レースの王者であるジャガー・Dタイプに続く2位に食い込み、その実力を示したが、コルベットのレース活動の指揮を執っていたゾーラ・ダントフの意向により、SR2の現役としての期間は短く、その活動はコルベットの名を冠した、しかしオリジナルとは関連性のない新たなレーシングカーであるコルベットSSに委ねられた。

スティングレイレーサー
C2型コルベットの直接的なデザインスタディとなったのが、スティングレイレーサーと呼ばれる車である。しかし、この車は紆余曲折の末にようやく生まれた車だった。当時のAMA(自動車工業会)は、1957年のNASCARで起こった事故を契機に神経質になり、自動車企業に対し一切のワークスによるレース活動を事実上禁ずる処置を申し合わせていた。そのため、シャシーを完全新設計し、コルベットの名を借りたレーシングカーとしてサーキットでの活躍を確約されていたコルベットSSは、大きな舞台をほとんど経験することなく、テストカーとして生涯を終える運命にあった。 それを阻止したのが、C3型コルベットまで開発の中枢メンバーの一人だったビル・ミッチェルで、彼はコルベットSSのフレームを流用したMule(C1型ベースのものではなく、コルベットSSの計画が立ち上がる際に新規製作されたもの)を僅か1ドルで引き取り、新たなデザインに仕立て直した。デザインを手がけたのは、シェルビー・コブラデイトナクーペの設計を担当したこともあるピート・ブロック。彼は当初、クーペスタイルを主張したが、いくつかの変遷を経てオープンカーとすることになった。

フレームには鋼管スペースフレーム構造が採用され、オープンカーながら剛性の高いシャシーを実現した。サスペンションは、前ダブルウィッシュボーン式、後ドディオン・アクスル+トレーリングアームが採用された。しかし、デフにLSDを採用せず、ブレーキはレーシングカーとしては性能不足な4輪ドラムブレーキであったため、ハードなコーナーリングをすると内側のタイヤがホイールスピンし、レースを走り終えると必ずフェードを起こす、レーシングカーとしてあるまじき事態を引き起こした。ブレーキに関してはディスクブレーキの性能に懐疑的だったGM首脳陣が採用を認めなかったことが原因と言われている。

[ 2009/01/17 15:30 ] CHEVROLET | TB(0) | CM(0)

Corvette TV Commercial from Corvette 1965 0'34"

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シボレー・コルベット、コーベット(Chevrolet Corvette)は、ゼネラルモーターズのシボレーブランドによって販売されているスポーツカーである。

コルベットは、台頭し始めたヨーロッパ製スポーツカーへの対抗心によって産み落とされた。アメリカン・モータースポーツの象徴として、フォード・マスタングらと並べて語られることも多く、シボレーのスポーツブランド・イメージを確固たるものとして印象づけている一台である。そのイメージはアメリカ車らしく、大排気量エンジンをフロントに積み、太いトルクを後輪に供給する、典型的なフロントエンジン・リアドライブを現代に至るまで貫き通している。また、時代に合わせて頻繁にアップデートが施され、時には走行性能だけではなく、外観を激しく変えるほどのマイナーチェンジが果たされることも珍しくない。一方で太いトルクによる大馬力に固執し、一時期DOHCエンジンを採用した事があったものの、最新型においてもOHVエンジンを採用し、低回転・大トルクがコルベットのアイディンティティとなっている。

コルベットは、その基本性能の優秀さから初代C1型コルベットの時代から様々なレーシング仕様が製作され、数多い功績を挙げた。ワークスでのレース活動を休止していた時期もあるが、その間を埋めるようにプライベーターによる参戦も盛んに行われた。

現在、欧州や日本ではシボレーのブランド名が落とされて、単にコルベットとして販売されているが、シボレーブランドのフラッグシップモデルである事には変わりはない。また日本への輸入はGMアジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)によって行われている。

2代目(C2 1963年-1967年)
スティングレイレーサーのスタイルを基礎にしてデザインされたC2型コルベットは、原型となったレーサーモデルの名を取ってコルベットスティングレイ(スティングレイは赤エイの意)と呼ばれた。このネーミングは、開発担当者の一人であるビル・ミッチェルが名付け親だが、これは彼が釣りを嗜んでいたことに由来すると言われている。なお、両車の間には構造的共通点はないに等しく、市販にあたって新たにボディ設計がなされている。販売が開始されたのは1963年から。オープンモデルのみのラインナップだったC1型と違い、クーペをメインに据えることとなった。

大きく変貌したスタイリングは、ダイナミックだった先代に対し、先鋭的でエッジの立った独特なスタイリングで、何物にも似ていない。特に1963年に生産されたもののみが有する、「スプリット・ウインドウ」と呼ばれる、ルーフからリアエンドに向かって走るフレームによって二つに寸断されるリアウインドウを持ったモデルは、現在でも人気(と付随するプレミア)を獲得している。また、C5型まで伝統となった、本来とは逆方向から回転する構造を持つリトラクタブル・ヘッドライトが採用されたのは、C2型が最初で、このヘッドライトを備えたモデルは1964年に登場した。

エンジンは基本的に先代に採用されていたものが継承され、それに更にチューニングを加えたもの。排気量は大幅に拡大され5358ccの水冷V型8気筒OHVエンジンで、キャブレターの違いで300馬力、340馬力、インジェクション仕様の360馬力のものが設定された。特に360馬力仕様は事実上のレーシング仕様で、足回りがレースでの出走を前提にして硬く引き締められており、とてもではないが公道での使用に使おうと思わせるものではなかった。デビューから2年後の1965年には、レーシングスペックのZ06が登場。6489ccという排気量を持つ、通称ビッグブロックユニットが搭載され、425馬力、45.5kgmという途轍もないハイパワーを誇った。後にビッグブロックは更なる排気量拡大を受け、427キュービックインチ(6997cc)までスープアップされている。圧巻なのはL88型と呼ばれる、C2型末期の1967年に追加されたエンジンで、レーシングカー用エンジンをデチューンした代物。排気量燃料には103オクタン以上のレース用ガソリンを使用しなければ動かないという、日常的な公道での使用などにはとても堪えられる仕様のものではなく、あくまでGTレースを出走するためのホモロゲーションを取得するためのモデルだった。また、L88型は430馬力と公表されたが、若者の奮起や保険料の問題等で伏せていただけで、実際は500馬力以上の代物だったと言われる。L88型エンジンを積んだコルベットは、20台が市販されるに留まっている。 L88型'を搭載したC2が約7500万円の値が付けられオークションで落札された。

初期C1型で犯してしまったミスを払拭するかのごとく、トランスミッションには力が入り、標準装備の3速マニュアルトランスミッション、オプションで3速オートマチック、ギアレシオをクロスさせた4速マニュアルが設定された。このことからも、コルベットは二代目にして、シボレーの旗持ちを務めるほどのイメージリーダーとなっていた。

ボディは完全な新設計で、堅牢なラダーフレーム構造を採っていた。車高は低くなり、重心も下がっていたが、なによりもC2型コルベットは、フロントエンジン車でありながらリアヘビーという、かなりユニークな前後重量配分を有していた。これは燃料タンクが最も後ろに配置されていたためで、通説では前後 47:53の重量配分といわれている。足回りは前ダブルウィッシュボーン式、後トレーリングアーム式で、後輪にリジッドアクスルを採用していた先代と比較し、前後輪とも独立懸架によって支持されるという進化を遂げた。フロントはコイルスプリングであるが、後輪には本来縦に置くはずのリーフスプリングを横置きにしていた。これは後々のコルベットにも受け継がれることとなるが、実はこのスプリングには設計の妙が込められており、バネ下重量を理論上0に抑えることができる利点があった。ブレーキは当初4輪ドラムブレーキだったが、1965年からは4輪ディスクブレーキに改められている。

[ 2009/01/18 15:45 ] CHEVROLET | TB(0) | CM(0)

Corvette Sting Ray Commercial 0'55"

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シボレー・コルベット、コーベット(Chevrolet Corvette)は、ゼネラルモーターズのシボレーブランドによって販売されているスポーツカーである。

コルベットは、台頭し始めたヨーロッパ製スポーツカーへの対抗心によって産み落とされた。アメリカン・モータースポーツの象徴として、フォード・マスタングらと並べて語られることも多く、シボレーのスポーツブランド・イメージを確固たるものとして印象づけている一台である。そのイメージはアメリカ車らしく、大排気量エンジンをフロントに積み、太いトルクを後輪に供給する、典型的なフロントエンジン・リアドライブを現代に至るまで貫き通している。また、時代に合わせて頻繁にアップデートが施され、時には走行性能だけではなく、外観を激しく変えるほどのマイナーチェンジが果たされることも珍しくない。一方で太いトルクによる大馬力に固執し、一時期DOHCエンジンを採用した事があったものの、最新型においてもOHVエンジンを採用し、低回転・大トルクがコルベットのアイディンティティとなっている。

コルベットは、その基本性能の優秀さから初代C1型コルベットの時代から様々なレーシング仕様が製作され、数多い功績を挙げた。ワークスでのレース活動を休止していた時期もあるが、その間を埋めるようにプライベーターによる参戦も盛んに行われた。

現在、欧州や日本ではシボレーのブランド名が落とされて、単にコルベットとして販売されているが、シボレーブランドのフラッグシップモデルである事には変わりはない。また日本への輸入はGMアジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)によって行われている。

2代目(C2 1963年-1967年)
スティングレイレーサーのスタイルを基礎にしてデザインされたC2型コルベットは、原型となったレーサーモデルの名を取ってコルベットスティングレイ(スティングレイは赤エイの意)と呼ばれた。このネーミングは、開発担当者の一人であるビル・ミッチェルが名付け親だが、これは彼が釣りを嗜んでいたことに由来すると言われている。なお、両車の間には構造的共通点はないに等しく、市販にあたって新たにボディ設計がなされている。販売が開始されたのは1963年から。オープンモデルのみのラインナップだったC1型と違い、クーペをメインに据えることとなった。

大きく変貌したスタイリングは、ダイナミックだった先代に対し、先鋭的でエッジの立った独特なスタイリングで、何物にも似ていない。特に1963年に生産されたもののみが有する、「スプリット・ウインドウ」と呼ばれる、ルーフからリアエンドに向かって走るフレームによって二つに寸断されるリアウインドウを持ったモデルは、現在でも人気(と付随するプレミア)を獲得している。また、C5型まで伝統となった、本来とは逆方向から回転する構造を持つリトラクタブル・ヘッドライトが採用されたのは、C2型が最初で、このヘッドライトを備えたモデルは1964年に登場した。

エンジンは基本的に先代に採用されていたものが継承され、それに更にチューニングを加えたもの。排気量は大幅に拡大され5358ccの水冷V型8気筒OHVエンジンで、キャブレターの違いで300馬力、340馬力、インジェクション仕様の360馬力のものが設定された。特に360馬力仕様は事実上のレーシング仕様で、足回りがレースでの出走を前提にして硬く引き締められており、とてもではないが公道での使用に使おうと思わせるものではなかった。デビューから2年後の1965年には、レーシングスペックのZ06が登場。6489ccという排気量を持つ、通称ビッグブロックユニットが搭載され、425馬力、45.5kgmという途轍もないハイパワーを誇った。後にビッグブロックは更なる排気量拡大を受け、427キュービックインチ(6997cc)までスープアップされている。圧巻なのはL88型と呼ばれる、C2型末期の1967年に追加されたエンジンで、レーシングカー用エンジンをデチューンした代物。排気量燃料には103オクタン以上のレース用ガソリンを使用しなければ動かないという、日常的な公道での使用などにはとても堪えられる仕様のものではなく、あくまでGTレースを出走するためのホモロゲーションを取得するためのモデルだった。また、L88型は430馬力と公表されたが、若者の奮起や保険料の問題等で伏せていただけで、実際は500馬力以上の代物だったと言われる。L88型エンジンを積んだコルベットは、20台が市販されるに留まっている。 L88型'を搭載したC2が約7500万円の値が付けられオークションで落札された。

初期C1型で犯してしまったミスを払拭するかのごとく、トランスミッションには力が入り、標準装備の3速マニュアルトランスミッション、オプションで3速オートマチック、ギアレシオをクロスさせた4速マニュアルが設定された。このことからも、コルベットは二代目にして、シボレーの旗持ちを務めるほどのイメージリーダーとなっていた。

ボディは完全な新設計で、堅牢なラダーフレーム構造を採っていた。車高は低くなり、重心も下がっていたが、なによりもC2型コルベットは、フロントエンジン車でありながらリアヘビーという、かなりユニークな前後重量配分を有していた。これは燃料タンクが最も後ろに配置されていたためで、通説では前後 47:53の重量配分といわれている。足回りは前ダブルウィッシュボーン式、後トレーリングアーム式で、後輪にリジッドアクスルを採用していた先代と比較し、前後輪とも独立懸架によって支持されるという進化を遂げた。フロントはコイルスプリングであるが、後輪には本来縦に置くはずのリーフスプリングを横置きにしていた。これは後々のコルベットにも受け継がれることとなるが、実はこのスプリングには設計の妙が込められており、バネ下重量を理論上0に抑えることができる利点があった。ブレーキは当初4輪ドラムブレーキだったが、1965年からは4輪ディスクブレーキに改められている。

[ 2009/01/19 15:54 ] CHEVROLET | TB(0) | CM(0)

Women Drivers in Action 3'43"

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女性ドライバーのハプニング動画を集めてみました。結構面白いですよ。

[ 2009/01/20 03:09 ] その他の動画集 | TB(0) | CM(0)

My Favorite Corvette Commercial - Banned 1'01"

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シボレー・コルベット、コーベット(Chevrolet Corvette)は、ゼネラルモーターズのシボレーブランドによって販売されているスポーツカーである。

コルベットは、台頭し始めたヨーロッパ製スポーツカーへの対抗心によって産み落とされた。アメリカン・モータースポーツの象徴として、フォード・マスタングらと並べて語られることも多く、シボレーのスポーツブランド・イメージを確固たるものとして印象づけている一台である。そのイメージはアメリカ車らしく、大排気量エンジンをフロントに積み、太いトルクを後輪に供給する、典型的なフロントエンジン・リアドライブを現代に至るまで貫き通している。また、時代に合わせて頻繁にアップデートが施され、時には走行性能だけではなく、外観を激しく変えるほどのマイナーチェンジが果たされることも珍しくない。一方で太いトルクによる大馬力に固執し、一時期DOHCエンジンを採用した事があったものの、最新型においてもOHVエンジンを採用し、低回転・大トルクがコルベットのアイディンティティとなっている。

コルベットは、その基本性能の優秀さから初代C1型コルベットの時代から様々なレーシング仕様が製作され、数多い功績を挙げた。ワークスでのレース活動を休止していた時期もあるが、その間を埋めるようにプライベーターによる参戦も盛んに行われた。

現在、欧州や日本ではシボレーのブランド名が落とされて、単にコルベットとして販売されているが、シボレーブランドのフラッグシップモデルである事には変わりはない。また日本への輸入はGMアジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)によって行われている。

6代目(C6 2005年-)
2005年型から生産を開始したC6型コルベットは、「Power,Passion,Precision(よりパワフルに、情熱的に、精緻に)」をコンセプトに掲げ、C5に存在した欠点を洗い出し、改善した正常進化モデルである。そのため、メカニズム的な共通点は多いものの、そのほとんどは新しく設計されている。実際の生産は秋頃から開始され、日本での販売は2005年2月11日から行われている。また、衝突安全性や軽量化の視点からリトラクタブル・ヘッドライトは廃止され、吊り目型の固定式ヘッドライトが採用された。このデザインは、当時GMの傘下であったフィアット(同年に解消)のグループ企業であるフェラーリの影響が色濃く残っており、そのためにバルケッタや360とヘッドライトが似ている。C5にも密接に関わり、その後GMハイパフォーマンスカー設計グループのチーフを務めたデイブ・ヒルが開発リーダーを務めた。

曲面で構成されていたC5と比較し、よりエッジの利いたラインで構成された力強いスタイリングとなった。また、運動性能向上のためダウンサイジングを敢行し、先代より全長100mm、全幅10mm、全高20mmそれぞれ短縮されたが、逆にホイールベースは30mm延長され、オーバーハングを縮小することで安定性を高めている。足回りは前後ダブルウィッシュボーン式、コンポジット材を使用した横置きリーフスプリングという組み合わせは不変であるものの、C5末期に採用された、路面状況に合わせて減衰力をオートマチックに制御するマグネティック・セレクティブ・ライド・コントロールを装備している。

歴代コルベットからフレーム構造を引き継ぎ、C5で採用されたハイドロフォームによって成型される、フロアの周囲にフレームを巡らせたスチール製ペリメーターフレームを基本に、ボックス断面のセンタートンネルなどを組み合わせたフレーム構造を有する。フロアパネルにはコンポジット材を用いるなど、軽量化にも配慮がなされている。

基本的にはキャデラック・XLRとプラットフォームを共有しており、この車の開発にはデイブ・ヒルが指揮を執った経緯が存在する。また、細部形状の適正化により、先代のCD値0.29を更に上回り、0.28と優秀な空力特性を実現している。

パワートレインは先代からの流用で、新型に合わせて改良を施されている。LS2と銘打たれた、5967ccにボアアップされたスモールブロックユニットは404馬力を発生する。ギアボックスがディファレンシャルギアと一体構造となるトランスアクスルも引き継がれており、前51:後49という、スポーツカーとして理想的な前後重量配分を保っている。トランスミッションのバリエーションは2種類で、日本仕様ではクーペにのみ設定される6速マニュアルミッションと4速オートマチックが用意される。また、2006年モデルではオートマチックが6速・パドルシフト付きに変更される。

2008年モデルでは、エンジンのシリンダーブロックの改良を受けると同時に排気量が6156ccに上げられ、最高出力も436馬力に上げられた。また、パドルシフト付き6速オートマチックも反応速度が上がり、同時に6速マニュアルミッションもギアレイアウトが改善され、さらに高いパフォーマンスを発揮することとなった。

なお、ハイパフォーマンス版である「Z06」も用意される。軽量化のためにチタニウム製のコネクティングロッドとインテークバルブを奢られた、 6997ccに排気量が上げられ、511馬力を発揮する、ドライサンプのLS7型スモールブロックエンジンが搭載された。タイヤサイズもパワーの向上に合わせてより大型の、P275/35ZR18F(前輪)、P325/30ZR19(後輪)となると同時に、ブレーキシステムも大型化されたベンチレーテッドクロスドリルローターに、フロント6ピストン、リア4ピストンキャリパーを組み合わせものとなった。なおトランスミッションは、トランスミッションオイルクーラーを備えた6速マニュアルミッションのみとなる。

発売当初、アメリカではガイ・リッチーが監督したテレビコマーシャルが放映されたが、「子供がクルマを運転するのは危険」だと指摘され、すぐに放送中止となった。

[ 2009/01/21 13:18 ] CHEVROLET | TB(0) | CM(0)

Banned Corvette Commercial 0'20"

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シボレー・コルベット、コーベット(Chevrolet Corvette)は、ゼネラルモーターズのシボレーブランドによって販売されているスポーツカーである。

コルベットは、台頭し始めたヨーロッパ製スポーツカーへの対抗心によって産み落とされた。アメリカン・モータースポーツの象徴として、フォード・マスタングらと並べて語られることも多く、シボレーのスポーツブランド・イメージを確固たるものとして印象づけている一台である。そのイメージはアメリカ車らしく、大排気量エンジンをフロントに積み、太いトルクを後輪に供給する、典型的なフロントエンジン・リアドライブを現代に至るまで貫き通している。また、時代に合わせて頻繁にアップデートが施され、時には走行性能だけではなく、外観を激しく変えるほどのマイナーチェンジが果たされることも珍しくない。一方で太いトルクによる大馬力に固執し、一時期DOHCエンジンを採用した事があったものの、最新型においてもOHVエンジンを採用し、低回転・大トルクがコルベットのアイディンティティとなっている。

コルベットは、その基本性能の優秀さから初代C1型コルベットの時代から様々なレーシング仕様が製作され、数多い功績を挙げた。ワークスでのレース活動を休止していた時期もあるが、その間を埋めるようにプライベーターによる参戦も盛んに行われた。

現在、欧州や日本ではシボレーのブランド名が落とされて、単にコルベットとして販売されているが、シボレーブランドのフラッグシップモデルである事には変わりはない。また日本への輸入はGMアジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)によって行われている。

5代目(C5 1997年-2005年)
C5コルベットは5700cc水冷V型8気筒OHVをそのままに350馬力を手に入れ、馬力だけ見ればヨーロッパのスポーツカーと肩を並べられるハイパフォーマンスカーへと進化した。車重もクーペで1480kgと大きさの割には軽く、フロントフェンダー部分からリアフェンダーにかけては、角を削り落とした現代的な曲線を多用する流麗なスタイルとなった。伝統のリトラクタブルヘッドライト、片側2連の楕円テールライトを受け継いだ。室内の質感はプラスチッキーで安っぽいイメージが残るものの、C4と比べれば大幅に改善されている。タイヤサイズもパワーの向上に合わせてより大型のF245/45-ZR17、R275/40-ZR18サイズとなった。また最高速度は282km/hとなった。

2001年にマイナーチェンジを施し、最大出力が355馬力、トルクも49.8kgとなり、マニュアルモデルのZ-51で51.8kgに向上した。Z51 については、後に紹介する電磁制御ダンパーを装備せず、シボレーレーシングが専用に開発したZ51スエーバーとハードセッティングの専用スプリングを採用し、高速域での安定した走りを実現させた。また軽量なアルミホイールが採用されよりスポーツカーとしての魅力も同時に向上した。シャーシはスポット溶接等を一切行わないペリメーターフレームで構成される。また、シボレーが長期に渡り研究開発を進めてきた電磁制御ダンパーがC5で採用され、1/1000秒単位で路面の衝撃を和らげる制御が行われる。センターコンソールにダンパーの切り替えスイッチがあり「ツアー」と「スポーツ」の二つから選べ、前者は高速道路での繋ぎ目でのショックは皆無となる。後者はサーキットなどでの走行を想定して開発され、路面からのショックをドライバーによりダイレクトに伝え、路面状態をドライバーへ明確に伝えるセッティングとなっている。また、リアデフとミッションを一体化させるトランスアクスルの採用により前後の車重をほぼ 50:50に近いものとした。その他の装備として、電磁ステアとトラクションコントロール、フロントウインドウにエンジンの状況など様々な情報を表示できるヘッドアップディスプレーなどを装備している。

価格は発売当時で、クーペが580万円。最終型の2004年モデルでは730万円に改定された。

[ 2009/01/22 13:30 ] CHEVROLET | TB(0) | CM(0)

Honda Civic - Banned Commercial 1'00"

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シビック (CIVIC) は本田技研工業が生産する乗用車で、欧州の区分ではCセグメント、アメリカ合衆国の区分ではコンパクトカーである。

1972年に販売が開始され、今日に至るまで世界各国で販売される。

駆動方式はエンジン横置きの前輪駆動(バリエーションとして四輪駆動もあった)で当初から変更されていないが、7代目の一部グレードからエンジンの搭載方向が左右逆になった。7代目までは小型乗用車の分類に属しており、5ドアハッチバックのEU型と4ドアセダンのES型は1.5L SOHC D15Bから1.7L SOHC D17A、4ドアセダンにはガソリン電気ハイブリッド仕様、さらに3ドアハッチバックのEP型 タイプRが2L DOHC i-VTEC K20A と、かなり幅広い展開だったのに対し、8代目から3ナンバーサイズの中型乗用車にボディサイズが拡大され、日本仕様に関しては、ボディ形状はセダン型のみで、エンジンは1.8L SOHC i-VTEC R18AとK20A(旧タイプRとは仕様が異なる)に集約された。但し、日本以外の国ではハッチバックやクーペボディ仕様も展開されており、ディーゼルエンジンの2.2L DOHC i-CTDi N22A搭載車もラインナップされている。

現在販売されている乗用車のなかでは、トヨタ・カローラ及びトヨタ・センチュリーに次いで長く同一の名称で販売されている乗用車である。

7代目 EU型(2000年 - 2005年)
* 2000年9月13日にモデルチェンジ型式名は5ドアはEU、4ドアフェリオはES。このモデルから歴代シビックについていた「○○シビック」の通称がなくなった。5ドアEUにはインパネシフト、フラットフロア ウォークスルーを採用し、ミニバンに近い高効率パッケージングによって広大な室内空間を実現している。当初5ドアモデルとフェリオのみのラインナップとなった。なお、主にアメリカ向けにクーペ(EM型)、欧州向けに3ドア(EP型)が存在している。

* 4度目の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。

* 2000年12月6日に追加された「タイプR」(EP3型)は、イギリスから輸入されて販売している。

* 2001年12月13日には、ハイブリッドカーであるシビックハイブリッド(ES9型)が発売された。専用エアロパーツ、専用アルミホイールなどを装備する。

* 2003年9月18日マイナーチェンジを受け、内外装の大幅なデザイン変更を実施した。5ドアにもフェリオ同様にスポーツグレードXSが用意され(反対にフェリオはスポーツモデルが廃止)、マニュアルシフトができる7速CVTが採用されている。またこのマイナーチェンジで5ドアからD15B型のモデルが消滅し、D17A型 1,700cc VTECエンジン 130PSに一本化された。走り志向の「XS」ではトレッドが広げられ、16インチタイヤとなりホイールハブが5穴に変更され、EU系の5ドアで初めて4 輪ディスクブレーキが採用された。

7代目シビックは先代モデル同様に世界的なベストセラーであったが、日本国内での販売はフィット登場以降は低迷した。

車名の由来
Civic「住民の」などを意味する。

[ 2009/01/23 13:27 ] HONDA | TB(0) | CM(0)

Min Cooper Banned Commercial 0'34"

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MINI(ミニ)とは、イギリスの小型自動車である。
現在はドイツのBMW AGを中核企業とするBMWグループの一部門であり、日本でもBMW JAPANにより、輸入、販売されている。

BMWはオックスフォード近郊にある、旧ローバーのカウリー工場を本社とするBMW生産子会社、「BMW (UK) Manufacturing Ltd」を新たに設立し、オックスフォード工場として2001年4月から、新型MINIの生産を開始した。

2007年時点でのBMWグループは、傘下のブランドとして、BMW、ロールス・ロイス、MINIを展開し、3ブランドいずれもが『プレミアム(Premium - and nothing else)』と位置づけられ、MINIはグループの狙うプレミアムのスモールを担う車として位置づけられている。

Miniは、1959年にBMC傘下のオースチンとモーリスから発売されて以来、相次ぐ吸収合併でブランド名は変わりながらも、2000年まで、40年の長きに渡り、生産、販売されていた。

BMWは1994年からローバーを傘下に収め、生産を始めとするMiniに関する全ての権利を有したところから、100%新設計となるニューMINIの開発を行った。車名は先代と異なり、すべて大文字で表記される。初代との区別が必要な際には、先代をクラシックミニと呼び2001年以降をBMW MINI(ビーエムダブリュー ミニ)や、New MINI(ニュー ミニ)と呼ぶことがある。これがBMW初のFF車となる。

初代(2001年-2006年)R50/52/53
1994年、BMWがローバーグループを総括することとなったと同時に全く新しいMINIの開発が開始された。当初は英国を拠点として、ローバーが中心となって新型MINIの開発が進められ、1997年にはジュネーヴ・モーターショーで一般公開された。

ところが、ローバーの経営悪化はとどまるところを知らず、ついにBMWはローバーを切り離すこととなった。そこでほぼ開発の終わっていたMINIは、ドイツに開発拠点を移し、インチサイズのヤード・ポンド法から、ミリを用いるメートル法での再設計を行うこととなった。結局ローバーとBMWによって開発されたMINIは2001年に発表され、日本ではBMW JAPANが3月2日をミニの日と名づけ、2002年3月2日に発売された。

デザイナーは2002年7月からフェラーリ・マセラティ・グループのコンセプトデザイン担当役員を勤め、2005年2月よりフィアットに在籍し、2007年6月よりアルファロメオに移籍している、フランク・スティーブンソン。

エンジンはBMWとクライスラーとの合弁会社で、ブラジルに拠点を置くトライテックによって製造される直列4気筒1.6Lの、通称「トライテック・エンジン」(または「ペンタゴン・エンジン」とも呼ばれる)が搭載される。90psの標準的な「ワン」と、エンジン制御プログラミングの変更により116psに出力を高めたハイパワーバージョンの「クーパー」、そしてスーパーチャージャーを装着し163ps(マイナーチェンジ後170ps)を絞り出す「クーパーS」が用意されている。特にスーパーチャージャーを装着した1.6Lエンジンは、「1.4Lから1.8L」のエンジンカテゴリーにおいて「インターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤー for 2003」と 「テン・ベスト・エンジン2005」 を受賞している。この他、欧州仕様には1.4L コモンレール式ターボディーゼルエンジンを搭載する「ワン D」も設定されており、このためにトヨタから、ヤリス(欧州向け)およびカローラ(欧州向け)用の1ND-TV型エンジンが供給されていた。

トランスミッションは、「ワン」と「クーパー」に5速MTとCVT、「クーパーS」には6速MTのみが設定されていたが、2005年のマイナーチェンジで、「クーパーS」に6速ATが追加された。

足回りも、ばねやダンパーの設定が比較的柔らかめの「ワン」に対して、「クーパー」は前後ともスタビライザーを装備し、ばね定数とダンパー減衰力を高めた「スポーツサスペンション」を標準で装備している。「クーパーS」はさらに径の太いスタビライザーと、堅めのダンパーを持った「スポーツサスペンションプラス」を標準装備している。

仕様面では、各種ボディカラー、インテリアカラー、オプション装備を組み合わせることにより、10万通りものバリエーションとなることが特徴で、さながらBMWインディビジュアルのようである。

当初はハッチバックのみだったが、2004年にはコンバーチブルも追加設定(コンバーチブルのワンは海外のみ発売)された。コンバーチブルの追加に合わせ、既存のサルーンもマイナーチェンジが行われ、ヘッドランプ周り、前後バンパー形状、リアコンビランプ割付、リアフォグランプ配置、インテリアの見直しなどが施された。 さらに2006年初春には、「セブン(SE7EN)」、「パークレーン」、「チェックメイト」が追加され、同時にバックミラーやドアハンドルなど、インテリアデザインを中心にマイナーチェンジが施された。因みに、「セブン」は「ワン」の「ポップでスタイリッシュなアーバンライフを演出する」モデル、「パークレーン」は「クーパー」の「シックでエレガントかつエクスクルーシブな」モデル、そして「チェックメイト」が「クーパーS」の「クール&スポーティなエナジー」を表すモデルとなっており、それぞれ専用塗装色と特別装備が設定された。

2006年9月、「クーパーS with JCW GP kit」という全世界2000台の限定生産モデルが日本でも発売になった。日本での発売台数は160台。

JCW(ジョン・クーパー・ワークス)というこのモデルは、レーシングミニの名チューナーとしてのブランドイメージを強く押し出したモデルで、「クーパーS」の170psという出力に対して、48ps増の218psという小型 FF車としては限界ともいえる高出力を引き出している。内装も大きく変わり、後席を撤去し2座席としている。フォグランプやリアワイパーも撤去し、ヘッドランプも軽量化の為にHIDランプからハロゲンランプに変更している他、リアサスペンションのロアアームもアルミ製とし、JCW専用のセッティングとブレーキを採用するなど、走りに振った構成となっている。シートもレカロ製スペシャルを採用(全モデルレカロ製)し、サイドサポートも従来より改善されたが、デザイン重視であるため軽量化・ホールド性の観点からすると疑問が残る。軽量化の反面、大径の18インチホイールの採用や各部の強度アップ、巨大な整流板の追加などもあり、車両重量は「クーパーS」より15kgほど増の1195kgとなった。他にも多くの部分で見直しが図られ、スポイラーや車体下部の大きな整流板など空力にもかなり手を入れられた結果、最高速度は240km/h、0-100km/h加速においては6.5秒という、ラインナップの中では最高の性能を発揮している。

2006年11月、日本専用として300台の「デザイナーズチョイス」というモデルが発売になった。内訳は「クーパー」100台、「クーパーS」100台である。

ラインナップ
* サルーン
o ワン
o ワンD(日本未導入)
o クーパー
o クーパーS

* コンバーチブル
o ワン(日本未導入)
o クーパー
o クーパーS

* 特別仕様車
o ワン セブン
o クーパー セブン
o クーパー パークレーン
o クーパーS パークレーン
o クーパー チェックメイト
o クーパーS チェックメイト
o クーパーS JCW
o クーパーS with JCW GP kit

[ 2009/01/24 14:08 ] MINI | TB(0) | CM(0)

Mini Cooper vs Bike 0'32"

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MINI(ミニ)とは、イギリスの小型自動車である。
現在はドイツのBMW AGを中核企業とするBMWグループの一部門であり、日本でもBMW JAPANにより、輸入、販売されている。

BMWはオックスフォード近郊にある、旧ローバーのカウリー工場を本社とするBMW生産子会社、「BMW (UK) Manufacturing Ltd」を新たに設立し、オックスフォード工場として2001年4月から、新型MINIの生産を開始した。

2007年時点でのBMWグループは、傘下のブランドとして、BMW、ロールス・ロイス、MINIを展開し、3ブランドいずれもが『プレミアム(Premium - and nothing else)』と位置づけられ、MINIはグループの狙うプレミアムのスモールを担う車として位置づけられている。

Miniは、1959年にBMC傘下のオースチンとモーリスから発売されて以来、相次ぐ吸収合併でブランド名は変わりながらも、2000年まで、40年の長きに渡り、生産、販売されていた。

BMWは1994年からローバーを傘下に収め、生産を始めとするMiniに関する全ての権利を有したところから、100%新設計となるニューMINIの開発を行った。車名は先代と異なり、すべて大文字で表記される。初代との区別が必要な際には、先代をクラシックミニと呼び2001年以降をBMW MINI(ビーエムダブリュー ミニ)や、New MINI(ニュー ミニ)と呼ぶことがある。これがBMW初のFF車となる。

初代(2001年-2006年)R50/52/53
1994年、BMWがローバーグループを総括することとなったと同時に全く新しいMINIの開発が開始された。当初は英国を拠点として、ローバーが中心となって新型MINIの開発が進められ、1997年にはジュネーヴ・モーターショーで一般公開された。

ところが、ローバーの経営悪化はとどまるところを知らず、ついにBMWはローバーを切り離すこととなった。そこでほぼ開発の終わっていたMINIは、ドイツに開発拠点を移し、インチサイズのヤード・ポンド法から、ミリを用いるメートル法での再設計を行うこととなった。結局ローバーとBMWによって開発されたMINIは2001年に発表され、日本ではBMW JAPANが3月2日をミニの日と名づけ、2002年3月2日に発売された。

デザイナーは2002年7月からフェラーリ・マセラティ・グループのコンセプトデザイン担当役員を勤め、2005年2月よりフィアットに在籍し、2007年6月よりアルファロメオに移籍している、フランク・スティーブンソン。

エンジンはBMWとクライスラーとの合弁会社で、ブラジルに拠点を置くトライテックによって製造される直列4気筒1.6Lの、通称「トライテック・エンジン」(または「ペンタゴン・エンジン」とも呼ばれる)が搭載される。90psの標準的な「ワン」と、エンジン制御プログラミングの変更により116psに出力を高めたハイパワーバージョンの「クーパー」、そしてスーパーチャージャーを装着し163ps(マイナーチェンジ後170ps)を絞り出す「クーパーS」が用意されている。特にスーパーチャージャーを装着した1.6Lエンジンは、「1.4Lから1.8L」のエンジンカテゴリーにおいて「インターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤー for 2003」と 「テン・ベスト・エンジン2005」 を受賞している。この他、欧州仕様には1.4L コモンレール式ターボディーゼルエンジンを搭載する「ワン D」も設定されており、このためにトヨタから、ヤリス(欧州向け)およびカローラ(欧州向け)用の1ND-TV型エンジンが供給されていた。

トランスミッションは、「ワン」と「クーパー」に5速MTとCVT、「クーパーS」には6速MTのみが設定されていたが、2005年のマイナーチェンジで、「クーパーS」に6速ATが追加された。

足回りも、ばねやダンパーの設定が比較的柔らかめの「ワン」に対して、「クーパー」は前後ともスタビライザーを装備し、ばね定数とダンパー減衰力を高めた「スポーツサスペンション」を標準で装備している。「クーパーS」はさらに径の太いスタビライザーと、堅めのダンパーを持った「スポーツサスペンションプラス」を標準装備している。

仕様面では、各種ボディカラー、インテリアカラー、オプション装備を組み合わせることにより、10万通りものバリエーションとなることが特徴で、さながらBMWインディビジュアルのようである。

当初はハッチバックのみだったが、2004年にはコンバーチブルも追加設定(コンバーチブルのワンは海外のみ発売)された。コンバーチブルの追加に合わせ、既存のサルーンもマイナーチェンジが行われ、ヘッドランプ周り、前後バンパー形状、リアコンビランプ割付、リアフォグランプ配置、インテリアの見直しなどが施された。 さらに2006年初春には、「セブン(SE7EN)」、「パークレーン」、「チェックメイト」が追加され、同時にバックミラーやドアハンドルなど、インテリアデザインを中心にマイナーチェンジが施された。因みに、「セブン」は「ワン」の「ポップでスタイリッシュなアーバンライフを演出する」モデル、「パークレーン」は「クーパー」の「シックでエレガントかつエクスクルーシブな」モデル、そして「チェックメイト」が「クーパーS」の「クール&スポーティなエナジー」を表すモデルとなっており、それぞれ専用塗装色と特別装備が設定された。

2006年9月、「クーパーS with JCW GP kit」という全世界2000台の限定生産モデルが日本でも発売になった。日本での発売台数は160台。

JCW(ジョン・クーパー・ワークス)というこのモデルは、レーシングミニの名チューナーとしてのブランドイメージを強く押し出したモデルで、「クーパーS」の170psという出力に対して、48ps増の218psという小型 FF車としては限界ともいえる高出力を引き出している。内装も大きく変わり、後席を撤去し2座席としている。フォグランプやリアワイパーも撤去し、ヘッドランプも軽量化の為にHIDランプからハロゲンランプに変更している他、リアサスペンションのロアアームもアルミ製とし、JCW専用のセッティングとブレーキを採用するなど、走りに振った構成となっている。シートもレカロ製スペシャルを採用(全モデルレカロ製)し、サイドサポートも従来より改善されたが、デザイン重視であるため軽量化・ホールド性の観点からすると疑問が残る。軽量化の反面、大径の18インチホイールの採用や各部の強度アップ、巨大な整流板の追加などもあり、車両重量は「クーパーS」より15kgほど増の1195kgとなった。他にも多くの部分で見直しが図られ、スポイラーや車体下部の大きな整流板など空力にもかなり手を入れられた結果、最高速度は240km/h、0-100km/h加速においては6.5秒という、ラインナップの中では最高の性能を発揮している。

2006年11月、日本専用として300台の「デザイナーズチョイス」というモデルが発売になった。内訳は「クーパー」100台、「クーパーS」100台である。

ラインナップ
* サルーン
o ワン
o ワンD(日本未導入)
o クーパー
o クーパーS

* コンバーチブル
o ワン(日本未導入)
o クーパー
o クーパーS

* 特別仕様車
o ワン セブン
o クーパー セブン
o クーパー パークレーン
o クーパーS パークレーン
o クーパー チェックメイト
o クーパーS チェックメイト
o クーパーS JCW
o クーパーS with JCW GP kit

[ 2009/01/25 14:27 ] MINI | TB(0) | CM(0)

Mini Cabrio Walk The Dog 0'49"

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MINI(ミニ)とは、イギリスの小型自動車である。
現在はドイツのBMW AGを中核企業とするBMWグループの一部門であり、日本でもBMW JAPANにより、輸入、販売されている。

BMWはオックスフォード近郊にある、旧ローバーのカウリー工場を本社とするBMW生産子会社、「BMW (UK) Manufacturing Ltd」を新たに設立し、オックスフォード工場として2001年4月から、新型MINIの生産を開始した。

2007年時点でのBMWグループは、傘下のブランドとして、BMW、ロールス・ロイス、MINIを展開し、3ブランドいずれもが『プレミアム(Premium - and nothing else)』と位置づけられ、MINIはグループの狙うプレミアムのスモールを担う車として位置づけられている。

Miniは、1959年にBMC傘下のオースチンとモーリスから発売されて以来、相次ぐ吸収合併でブランド名は変わりながらも、2000年まで、40年の長きに渡り、生産、販売されていた。

BMWは1994年からローバーを傘下に収め、生産を始めとするMiniに関する全ての権利を有したところから、100%新設計となるニューMINIの開発を行った。車名は先代と異なり、すべて大文字で表記される。初代との区別が必要な際には、先代をクラシックミニと呼び2001年以降をBMW MINI(ビーエムダブリュー ミニ)や、New MINI(ニュー ミニ)と呼ぶことがある。これがBMW初のFF車となる。

初代(2001年-2006年)R50/52/53
1994年、BMWがローバーグループを総括することとなったと同時に全く新しいMINIの開発が開始された。当初は英国を拠点として、ローバーが中心となって新型MINIの開発が進められ、1997年にはジュネーヴ・モーターショーで一般公開された。

ところが、ローバーの経営悪化はとどまるところを知らず、ついにBMWはローバーを切り離すこととなった。そこでほぼ開発の終わっていたMINIは、ドイツに開発拠点を移し、インチサイズのヤード・ポンド法から、ミリを用いるメートル法での再設計を行うこととなった。結局ローバーとBMWによって開発されたMINIは2001年に発表され、日本ではBMW JAPANが3月2日をミニの日と名づけ、2002年3月2日に発売された。

デザイナーは2002年7月からフェラーリ・マセラティ・グループのコンセプトデザイン担当役員を勤め、2005年2月よりフィアットに在籍し、2007年6月よりアルファロメオに移籍している、フランク・スティーブンソン。

エンジンはBMWとクライスラーとの合弁会社で、ブラジルに拠点を置くトライテックによって製造される直列4気筒1.6Lの、通称「トライテック・エンジン」(または「ペンタゴン・エンジン」とも呼ばれる)が搭載される。90psの標準的な「ワン」と、エンジン制御プログラミングの変更により116psに出力を高めたハイパワーバージョンの「クーパー」、そしてスーパーチャージャーを装着し163ps(マイナーチェンジ後170ps)を絞り出す「クーパーS」が用意されている。特にスーパーチャージャーを装着した1.6Lエンジンは、「1.4Lから1.8L」のエンジンカテゴリーにおいて「インターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤー for 2003」と 「テン・ベスト・エンジン2005」 を受賞している。この他、欧州仕様には1.4L コモンレール式ターボディーゼルエンジンを搭載する「ワン D」も設定されており、このためにトヨタから、ヤリス(欧州向け)およびカローラ(欧州向け)用の1ND-TV型エンジンが供給されていた。

トランスミッションは、「ワン」と「クーパー」に5速MTとCVT、「クーパーS」には6速MTのみが設定されていたが、2005年のマイナーチェンジで、「クーパーS」に6速ATが追加された。

足回りも、ばねやダンパーの設定が比較的柔らかめの「ワン」に対して、「クーパー」は前後ともスタビライザーを装備し、ばね定数とダンパー減衰力を高めた「スポーツサスペンション」を標準で装備している。「クーパーS」はさらに径の太いスタビライザーと、堅めのダンパーを持った「スポーツサスペンションプラス」を標準装備している。

仕様面では、各種ボディカラー、インテリアカラー、オプション装備を組み合わせることにより、10万通りものバリエーションとなることが特徴で、さながらBMWインディビジュアルのようである。

当初はハッチバックのみだったが、2004年にはコンバーチブルも追加設定(コンバーチブルのワンは海外のみ発売)された。コンバーチブルの追加に合わせ、既存のサルーンもマイナーチェンジが行われ、ヘッドランプ周り、前後バンパー形状、リアコンビランプ割付、リアフォグランプ配置、インテリアの見直しなどが施された。 さらに2006年初春には、「セブン(SE7EN)」、「パークレーン」、「チェックメイト」が追加され、同時にバックミラーやドアハンドルなど、インテリアデザインを中心にマイナーチェンジが施された。因みに、「セブン」は「ワン」の「ポップでスタイリッシュなアーバンライフを演出する」モデル、「パークレーン」は「クーパー」の「シックでエレガントかつエクスクルーシブな」モデル、そして「チェックメイト」が「クーパーS」の「クール&スポーティなエナジー」を表すモデルとなっており、それぞれ専用塗装色と特別装備が設定された。

2006年9月、「クーパーS with JCW GP kit」という全世界2000台の限定生産モデルが日本でも発売になった。日本での発売台数は160台。

JCW(ジョン・クーパー・ワークス)というこのモデルは、レーシングミニの名チューナーとしてのブランドイメージを強く押し出したモデルで、「クーパーS」の170psという出力に対して、48ps増の218psという小型 FF車としては限界ともいえる高出力を引き出している。内装も大きく変わり、後席を撤去し2座席としている。フォグランプやリアワイパーも撤去し、ヘッドランプも軽量化の為にHIDランプからハロゲンランプに変更している他、リアサスペンションのロアアームもアルミ製とし、JCW専用のセッティングとブレーキを採用するなど、走りに振った構成となっている。シートもレカロ製スペシャルを採用(全モデルレカロ製)し、サイドサポートも従来より改善されたが、デザイン重視であるため軽量化・ホールド性の観点からすると疑問が残る。軽量化の反面、大径の18インチホイールの採用や各部の強度アップ、巨大な整流板の追加などもあり、車両重量は「クーパーS」より15kgほど増の1195kgとなった。他にも多くの部分で見直しが図られ、スポイラーや車体下部の大きな整流板など空力にもかなり手を入れられた結果、最高速度は240km/h、0-100km/h加速においては6.5秒という、ラインナップの中では最高の性能を発揮している。

2006年11月、日本専用として300台の「デザイナーズチョイス」というモデルが発売になった。内訳は「クーパー」100台、「クーパーS」100台である。

ラインナップ
* サルーン
o ワン
o ワンD(日本未導入)
o クーパー
o クーパーS

* コンバーチブル
o ワン(日本未導入)
o クーパー
o クーパーS

* 特別仕様車
o ワン セブン
o クーパー セブン
o クーパー パークレーン
o クーパーS パークレーン
o クーパー チェックメイト
o クーパーS チェックメイト
o クーパーS JCW
o クーパーS with JCW GP kit

[ 2009/01/26 14:37 ] MINI | TB(0) | CM(0)

Mini Cooper Stunts 0'55"

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Mini(ミニ)とは、イギリスのブリティッシュ・モーター・カンパニーが生んだ大衆車。自動車としての必要最小限を形にした設計は、登場当時、革命的とまでいわれた。

長く低迷したイギリスの自動車工業界の状況を反映し、生産、販売会社の名前は幾度も変わったが、 Mini 自体は2000年まで、40年以上に渡り、生産、販売が継続された。1990年頃には、日本の企業がMiniの製造、販売権を取得する計画(その場合,国内向けに軽自動車版も予定されていた)もあったが実現せず、1994年以降は、ドイツのBMWが、ランドローバーと同時にローバーを傘下とし、 Mini にまつわる権利も手中にした。

BMWは、新規に投入する、同社初となるFF車をニューMiniと位置づけ、それまでの資産(ヘリテイジ)を生かしたビジネスをすべく、傘下となった旧ローバーの技術者による車両開発を行った。2001年から、英国のオックスフォード工場(旧ローバー社カウリー工場)で生産開始され、車名を全て大文字のMINIに変更し、販売されている。

BMW・MINIが登場したことで、初代「Mini」は、「Classic Mini」、「BMC Mini」、「Rover Mini」とも呼ばれる。

第二世代のMINIについては、MINI (BMW)を参照していただき、当項目では1959年から2000年まで生産された、オリジナルの「Mini」について記述する。

なおイギリスは日本と同じ左側通行で、Miniも元来右ハンドル車であるが、日本に輸入されたMiniには左ハンドル車も多い。 これは排気ガス規制が日本に近い米国カリフォルニア州に合わせた対米輸出車を並行輸入していた為である。

オリジナルのMiniはイギリスBMC(British Motor Corporation)の技術者であるサー・アレック・イシゴニス(アレクサンダー・アーノルド・コンスタンチン・イシゴニス Alec Issigonis 1906-1988)の指揮するチームによって設計された。

開発は、1956年初頭から新コンセプトの小型車として着手されたものであったが、同年9月、スエズ動乱が中東で勃発し、石油価格が高騰したことが大きな転機となった。

石油難で大衆が3輪・4輪の粗末なバブルカー購入に走るのを憂いたBMCの経営責任者サー・レオナード・ロードは、対抗のため、開発陣に「極めて経済的な4人乗り小型車を早急に開発すること」を命じた。この際、条件として当時のBMCが生産していたエンジンを流用する(つまり、当時のBMCで小排気量クラス用エンジンだったAシリーズ4気筒エンジンを使用する)こと以外は、設計陣にあらゆる手段を用いることが許容されたのである。こうしてMiniは、現在の小型車の定番になっている横置きエンジン、前輪駆動、2ボックススタイル(ハッチバックではなく、独立したトランクを持っていた)という、1950年代後半としては画期的な成り立ちの自動車として設計されることになる。

Miniは全車種で一般的な水冷4気筒エンジンを採用していた。それまでの車のパッケージとは異なり、エンジンを横置きにして、トランスミッションをオートバイと同様に、エンジン下部のオイルパン内部に置き、エンジンオイルで共通潤滑する構造とした。これらの工夫によって前輪駆動が可能となった。コンパクトなパワートレイン設計によって、小さな車体にもかかわらず、必要十分な室内空間を確保することに成功している。

横置きエンジンによる前輪駆動自体は、2気筒の軽便な車両では第二次世界大戦以前から見られたが、サイズの大きな4気筒エンジンでは実用車として世界でほぼ最初であった。イシゴニスはこのレイアウトの着想を1946年頃から抱いていたというが、前輪駆動に適した「バーフィールド・ツェッパ等速ジョイント」が1950年代後半に実用化されたことが、当時イギリスでほとんど例の無かった前輪駆動を採用するブレイクスルーの決め手となった。

FF車のエンジンとトランスミッションの配置はメーカーごとにさまざまであったが、現在では、4輪駆動を主力商品とするメーカーであるアウディやスバルの上級モデルに縦置きエンジンのFFが見られるのみで、ほとんどのFF車は横置きエンジンとなっている。

横置きエンジン方式自体は時代に先んじた、エレガントな技術革新だったが、Miniと同じ二階建てパワートレインの「イシゴニス・レイアウト」を採用した車種は非常に少なく、イシゴニスの手になる、Miniの拡大版ともいえるBMCのADO14、16、17、ポストイシゴニスのADO27、67以外では、フランスのプジョー204・304やプリンス自動車時代に設計が始まった日産・チェリーと、ミッドシップのランボルギーニ・ミウラ程度しかなく、より広く普及して一般化したのは、イタリアで1960年代に開発され、トランスミッションをエンジンと並列に配置した、ジアコーサレイアウトであった。

全長3mほどに過ぎないコンパクトなボディは、設計者のイシゴニスが自らのスケッチでデザインするという異例の過程でスタイリングされた。だがコンセプトと内部構造を熟知した設計者自身のデザインは、機能に直結した合理性に富むもので完成度が高く、そのまま生産されることになった。組み立て時の手間を節約するために、ボディには風変わりな外板の継ぎ目が見られる。生産はバーミンガムのロングブリッジ工場で行われた。

MK I 1959年-1967年
Miniは最初 ADO15(ADO はAustin Drawing/Design Officeを表す)というプロジェクト名で呼ばれ、最初のモデルはオースチン・セブン(しばしばSE7ENと表記される)及びモーリス・ミニ・マイナーの名でイギリス国内向けに発売された。「セブン」とは、第二次世界大戦前、大成功を収めたオースチンの大衆車にあやかったもので、「マイナー」は、「ミニ」とかけた「洒落」であるという。1962年までには北米とフランスでもオースチン850、モーリス850の名前で発売された。

Miniのサスペンションスプリングには、一般的な金属ばねではなく、当時、ばねの先端素材として注目されていた、ゴムを使っている。ゴムメーカーであるダンロップの技術者、アレックス・モールトンの設計による、円錐状に成型されたゴムばねを用いたラバーコーンサスペンションである。このばねは強いプログレッシブレートを持ち、最小のストロークで最大のエネルギー吸収量を得る様に設計されている。この強いプログレッシブ・レートを持つばねや、フロントが高くリヤが路面上にあるという特異なロールセンター設定のサスペンション、量産車としては今日の基準でも驚異的に速いステアリングギアレシオや、回転慣性モーメントが小さく、ジャイロ効果の小さい10インチのタイヤなどによって、Miniのゴーカートのようなハンドリングが生まれた。

設計者イシゴニスの友人で、1959年と1960年のF1のコンストラクターズ・チャンピオンに輝いたクーパー・カー・カンパニーの経営者ジョン・クーパーは、当時英国内のサルーンカーレースにトライアンフで参加していたが、ライバルであるロータス車の次元の違うハンドリングに太刀打ち出来ずにいた。この時イシゴニスにMiniの試作車を見せられ、その驚異的なハンドリングに注目、何回かの実験とテスト走行の後、イシゴニスと共同で、機敏で経済的で、しかも安価な車を作ることを決意した。その成果として、1962年にADO50、「オースチン・ミニ・クーパー」と、「モーリス・ミニ・クーパー」が誕生した。

1964年にハイエンドモデルのサスペンションは、内部にオリフィスと空洞を持つゴムばねを、前後輪でパイプで連通し不凍液を満たしたハイドロラスティック(Hydro=水とErastic=ゴムの合成語)システムに変更された。この新しいサスペンションは柔らかな乗り心地で「魔法の絨毯」とも喩えられていたが、重量と生産コストが余計にかかり、またピッチングの制御が難しくセッティングの幅も狭いなど問題もあり、Mk III前期を最後に元のラバー・コーンサスペンションに戻された。

Miniは映画やミュージシャンなどを通じて、1960年代の大衆文化の中にその存在を焼き付けた。ビートルズのメンバーや、イギリス女王、エリザベス2世も Mini のオーナーだった。

ミニ・クーパーは1964年、1965年、1967年のモンテカルロ・ラリーで総合優勝している(なお、1966年に関しては、ゴール時の成績は優勝相当であったが、補助灯のレギュレーション違反ということで失格となっている。)。

1960年代の Mini の売り上げは全モデルで好調であったが、生産メーカーにはほとんど利益をもたらさなかった。競合他社との競争に勝つために、製造原価を割り込む価格で販売することを余儀なくされたためである。

クーパー / クーパーS
オリジナルのモーリス・ミニ・マイナーに搭載されていた848ccのエンジンは、997ccまで排気量が増やされ、馬力も34馬力から55馬力に高められた。このエンジンにはレース向けのチューニングが施され、当時小型車には馴染みのなかったSU ツイン・キャブレターとディスクブレーキが装備された。経営陣はこのモデルの生産を決め、1,000台を発注した。これは、経営陣が参加を目指していた、世界ラリー選手権 (WRC) の、当時のグループ2規定の生産義務台数をクリアするためであった。1964年、997ccのエンジンが、よりストロークの短い998ccのモデルに変更された。これ以降、1967年にクーパーモデルの生産が終了するまでに計12,274台の「クーパー」が販売された。1963年にはよりパワフルな「クーパーS」モデルが相前後して開発、生産された。

「クーパーS」は1071ccのエンジンと、より大型のディスクブレーキを特徴とし、1964年8月のモデルチェンジまでに計4,030台が生産、販売された。当初A型エンジンの排気量UPは1071ccが限界と見られていたが、ダウントン社のダニエル・リッチモンドがボア・ピッチをずらして1275ccまで拡大する手法を考案、イシゴニス、クーパー、リッチモンドの歴史的な3者会談により、量産型の1275クーパーSの計画がスタートした。量産に際して、サーキット・レースのクラス分けに合致した970ccと1275ccの2つのモデルを新たに追加、970ccモデルはあまり売れず、963台が生産された後1965年に生産終了となったが、1275ccの「クーパーS」は40,000台以上が生産され、1971年に生産終了となった。

MK II 1967年 - 1969年
1967年から1970年までの間、イシゴニスは実験モデルとして9Xと呼ばれる Mini の代替モデルを設計していた。この車は Mini よりも高出力であったが、当時 BMC とスタンダード・トライアンフ社の合併で設立されたブリティッシュ・レイランド社の「政治力」によって、結局、生産されることはなかった。しかしこのモデルは技術的にも先進的であったため、もし現実に生産されていれば、他社に対し、1980年代まで競争力を保てたかも知れない、と多くの人々が考えている。

1967年、ボディがMk IIと呼ばれるタイプに変更された。フロントグリルはデザインし直され、リアウインドウも左右に拡大された。ドア上の水切りが廃止され、雨樋も工数を減らしたものに変わった。リアコンビランプは、大きな角型のものへと変更された。

エンジンは、998ccと1275ccの二種類が用意された。998ccモデルは55.000台以上が販売され、1969年に生産終了となった。

1275ccモデルは1969年から1970年にかけて、わずかに改良を施したMk IIIボディを採用した後、1972年1月まで販売された。クーパー社は輸出モデル向けの改造キットの開発と販売に事業を切り替え、1975年まで販売を続けた。

コストと重量がネックとなり、ハイドロラスティックシステムは廃止された。

この頃、 Mini は1969年の映画 The Italian Job(『ミニミニ大作戦』)にも出演しており、その小ささや、走りの良さをクローズアップした小気味良いカーチェイスの演出は、2003年のリメイク版には見られない美点となっている。

1978年 - 1980年(通称MK 4)
初期の特徴でもあったセンターメーターは、この時期をもって廃止される。

1981年 - 1984年 (通称MK 5)
通常の Mini を「Mini H/L」に名称変更。クラブマンシリーズのダッシュボードとメーター周りが流用される。

10インチホイール+フロントドラムブレーキはこの時期までとなる。

1983年、日英自動車が正規輸入元となり、いわゆるディーラー車の販売を開始する。

1980年、オースチン・ミニ・メトロ(この車のエンブレムでは 'Mini' は全て小文字表記になっている)の発売が失敗に終わるとともに、Miniの生産終了が迫っているといううわさが再び持ち上がった。

1981年にはニュージーランドで、ジェフ・マーフィー監督の Goodbye Pork Pie というロードムービーにMiniが出演した。しかしこの頃には多くの国への輸出市場でMiniの人気は低下し始めていた。南アフリカやオーストラリア、ニュージーランドでの生産はこの頃までに全て中止となった。ニュージーランドでは組み立てラインを当時新たに人気が出ていたホンダ・シティの生産に切り替えた。

1980年代を通じて、英国の市場では数多くのMiniのスペシャル・エディションが発売され、これによってMiniは大衆市場向けの製品からファッショナブルなアイコンへと役割を変えていった。現在 Mini が BMW の所有となっており、それに対して BMC の残りの部門がローバー・グループとしてまとめて売却されたのは、Miniが持つこのイメージのためであるとも言える。

人気が高い Mini は、一方ではレトロスタイルのモチーフとしても捉えられており、日本の自動車メーカーによって、Mini を模倣した多くの車が生み出される元となっている。

1985年 - 1988年(通称MK 6)
エンジンがメトロと同じ、A+(エープラス)に変更される。

フロントディスクブレーキが採用され、それに伴い、ホイール径が12インチとなる。

1989年 - 1991年 (通称MK 7)
ブレーキマスターバックを標準装備。

1989年10月、誕生30周年を記念した「サーティー」(4MT 税別179万円)を発表。

1.0LモデルのMini1000生産終了。

1991年 - 1992年(通称MK 8)
メトロのエンジンを流用し、全車種1.3Lとなる。

1991年、待望の「クーパー」モデルが復活する。新しいクーパーは、1960年代のクーパーよりも性能的には若干劣るスペックで一時的に再発売された。この車種は非常に人気を博し、新しい Cooper マークを付けた Mini は、1991年終わりにはフル生産体勢に入った。

1990年10月に登場したERA社チューニングの「ERAターボ」は、大きく出張ったエアロパーツに太いタイヤが威圧感を放った限定車だった。

1991年6月、「ERAターボ」、「クーパー1.3」、カスタムや競技用ベースとしての需要を見込んだ、最廉価版の「スプライト」を日本導入(ERAターボ359万円、クーパー1.3 194万円、スプライト144万円 すべて4MT、税別)。次いで7月、キャンバストップ(4MT 税別175万円)を日本導入。

1992年 - 1996年(通称MK 9)
1992年、全車インジェクション化される。これはメインマーケットである日本市場の要望(クーラー装着が必須のため)からといわれている。ただし、インジェクター化と言ってもシングルポイントインジェクションであり、日本車で主流となっている各シリンダーの吸気ポートに噴射する方式ではない。同年6月、インジェクションモデルを日本導入。クーパー1.3iの4MTのみが62馬力、その他のグレードは 53馬力となった。

1994年にはイシゴニスの甥である ベルント・ピシェッツリーダー(当時のBMW社長)の下、BMW がローバーグループを統括することとなり、MiniブランドもBMWに買収される。

また、同時にBMWは、全く新しいMINIの開発を始める事を決め、膨大な開発予算を計上している。この頃からコストダウンが目立ち始め、特別仕様車の頻繁な発表が相次ぐようになる。

1996年6月、モンテカルロラリー出場車を彷彿とさせる4連フォグランプを装備し、Mk I当時のアーモンドグリーンのボディーカラーをまとった誕生35周年記念モデル、「35thアニバーサリー」(4MT 税別189万円)を日本導入。塗色は他にフレームレッドも用意。

1997年 - 2000年(通称MK 10)
各国の衝突安全基準に対応するため、MiniにSRSエアバッグと、サイドインパクトバーを初採用。この延命策により、Miniの生産打ち切りまで猶予のあることが予想された。

1997年、エンジンを改良。マルチポイントインジェクションエンジンが導入され、点火系が同時点火方式となる。

マルチポイントインジェクション仕様は発表されてから生産終了の2000年までの間、日本には導入されなかった。

1998年1月、13インチホイールと大型フェンダーを装備した「クーパー スポーツパック・リミテッド」(4MT 税別224.9万円)を日本導入。

4月、ポールスミスとのコラボレーションモデル、「ポールスミス」(4MT 税別200.9万円)を日本導入。車内、エンジンタペットカバー、プラグコード、工具入れ、トランク用クッションなどにアクセントカラーのライムグリーンを配した。

8月、1968年のBSCC(ブリティッシュ・サルーン・カー・チャンピョンシップ)のクラス優勝と、総合優勝の30周年記念モデルとして、「クーパーBSCCリミテッド」(4MT 税別229万円)を日本導入。 「クーパー スポーツパック・リミテッド」がベースとなる。

1999年6月、誕生40周年記念の「クーパー 40th アニバーサリー・リミテッド」を日本導入。

同年9月、再び「クーパー 40th アニバーサリー・リミテッド」を日本導入。

2000年当時、ローバーは依然として莫大な赤字を抱えており、BMW はMGローバーのほとんどの部門を整理することを決定した。

MG とローバーは新たに設立されたイギリスの合弁企業であるフェニックス社に売却され、ランドローバーはフォードに売却された。

BMW は ローバーグループにより開発継続中であったMINI、およびブランド名を自社に残し、現在では完全に新しいMINIを生産販売している。

オリジナルの Mini は、少なくともヨーロッパでは、主な競合車種であるフォルクスワーゲン・ビートルやシトロエン・2CV、そして跡継ぎのメトロなどの大衆車達より、長く生き抜いた。最後の Mini は2000年10月に組み立てラインを離れた。この年までに合計で530万台の Mini が生産された。生産終了となる経緯については、各国における衝突安全性や排出ガスの基準見直しによるところが大きいと言われている。末期は生産数のかなりの割合が日本向けとなっていたが、もはや新基準にMiniは合致しなかったのである。

1999年12月、1900年代の カー・オブ・ザ・センチュリー を選ぶ投票がアメリカ・ラスベガスで行われ、 Mini は第2位となり、ヨーロッパ車で最高の得票を得た(Car Of The Century はフォードT型が受賞した)

生産終了後も日本国内のMiniへの人気は根強いものがあり、ミニ・ミニクーパー専門店が全国に数多くある。

[ 2009/01/27 15:17 ] MINI | TB(0) | CM(0)

Mini Cooper Ad Lots of Space 0'17"

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MINI(ミニ)とは、イギリスの小型自動車である。
現在はドイツのBMW AGを中核企業とするBMWグループの一部門であり、日本でもBMW JAPANにより、輸入、販売されている。

BMWはオックスフォード近郊にある、旧ローバーのカウリー工場を本社とするBMW生産子会社、「BMW (UK) Manufacturing Ltd」を新たに設立し、オックスフォード工場として2001年4月から、新型MINIの生産を開始した。

2007年時点でのBMWグループは、傘下のブランドとして、BMW、ロールス・ロイス、MINIを展開し、3ブランドいずれもが『プレミアム(Premium - and nothing else)』と位置づけられ、MINIはグループの狙うプレミアムのスモールを担う車として位置づけられている。

Miniは、1959年にBMC傘下のオースチンとモーリスから発売されて以来、相次ぐ吸収合併でブランド名は変わりながらも、2000年まで、40年の長きに渡り、生産、販売されていた。

BMWは1994年からローバーを傘下に収め、生産を始めとするMiniに関する全ての権利を有したところから、100%新設計となるニューMINIの開発を行った。車名は先代と異なり、すべて大文字で表記される。初代との区別が必要な際には、先代をクラシックミニと呼び2001年以降をBMW MINI(ビーエムダブリュー ミニ)や、New MINI(ニュー ミニ)と呼ぶことがある。これがBMW初のFF車となる。

初代(2001年-2006年)R50/52/53
1994年、BMWがローバーグループを総括することとなったと同時に全く新しいMINIの開発が開始された。当初は英国を拠点として、ローバーが中心となって新型MINIの開発が進められ、1997年にはジュネーヴ・モーターショーで一般公開された。

ところが、ローバーの経営悪化はとどまるところを知らず、ついにBMWはローバーを切り離すこととなった。そこでほぼ開発の終わっていたMINIは、ドイツに開発拠点を移し、インチサイズのヤード・ポンド法から、ミリを用いるメートル法での再設計を行うこととなった。結局ローバーとBMWによって開発されたMINIは2001年に発表され、日本ではBMW JAPANが3月2日をミニの日と名づけ、2002年3月2日に発売された。

デザイナーは2002年7月からフェラーリ・マセラティ・グループのコンセプトデザイン担当役員を勤め、2005年2月よりフィアットに在籍し、2007年6月よりアルファロメオに移籍している、フランク・スティーブンソン。

エンジンはBMWとクライスラーとの合弁会社で、ブラジルに拠点を置くトライテックによって製造される直列4気筒1.6Lの、通称「トライテック・エンジン」(または「ペンタゴン・エンジン」とも呼ばれる)が搭載される。90psの標準的な「ワン」と、エンジン制御プログラミングの変更により116psに出力を高めたハイパワーバージョンの「クーパー」、そしてスーパーチャージャーを装着し163ps(マイナーチェンジ後170ps)を絞り出す「クーパーS」が用意されている。特にスーパーチャージャーを装着した1.6Lエンジンは、「1.4Lから1.8L」のエンジンカテゴリーにおいて「インターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤー for 2003」と 「テン・ベスト・エンジン2005」 を受賞している。この他、欧州仕様には1.4L コモンレール式ターボディーゼルエンジンを搭載する「ワン D」も設定されており、このためにトヨタから、ヤリス(欧州向け)およびカローラ(欧州向け)用の1ND-TV型エンジンが供給されていた。

トランスミッションは、「ワン」と「クーパー」に5速MTとCVT、「クーパーS」には6速MTのみが設定されていたが、2005年のマイナーチェンジで、「クーパーS」に6速ATが追加された。

足回りも、ばねやダンパーの設定が比較的柔らかめの「ワン」に対して、「クーパー」は前後ともスタビライザーを装備し、ばね定数とダンパー減衰力を高めた「スポーツサスペンション」を標準で装備している。「クーパーS」はさらに径の太いスタビライザーと、堅めのダンパーを持った「スポーツサスペンションプラス」を標準装備している。

仕様面では、各種ボディカラー、インテリアカラー、オプション装備を組み合わせることにより、10万通りものバリエーションとなることが特徴で、さながらBMWインディビジュアルのようである。

当初はハッチバックのみだったが、2004年にはコンバーチブルも追加設定(コンバーチブルのワンは海外のみ発売)された。コンバーチブルの追加に合わせ、既存のサルーンもマイナーチェンジが行われ、ヘッドランプ周り、前後バンパー形状、リアコンビランプ割付、リアフォグランプ配置、インテリアの見直しなどが施された。 さらに2006年初春には、「セブン(SE7EN)」、「パークレーン」、「チェックメイト」が追加され、同時にバックミラーやドアハンドルなど、インテリアデザインを中心にマイナーチェンジが施された。因みに、「セブン」は「ワン」の「ポップでスタイリッシュなアーバンライフを演出する」モデル、「パークレーン」は「クーパー」の「シックでエレガントかつエクスクルーシブな」モデル、そして「チェックメイト」が「クーパーS」の「クール&スポーティなエナジー」を表すモデルとなっており、それぞれ専用塗装色と特別装備が設定された。

2006年9月、「クーパーS with JCW GP kit」という全世界2000台の限定生産モデルが日本でも発売になった。日本での発売台数は160台。

JCW(ジョン・クーパー・ワークス)というこのモデルは、レーシングミニの名チューナーとしてのブランドイメージを強く押し出したモデルで、「クーパーS」の170psという出力に対して、48ps増の218psという小型 FF車としては限界ともいえる高出力を引き出している。内装も大きく変わり、後席を撤去し2座席としている。フォグランプやリアワイパーも撤去し、ヘッドランプも軽量化の為にHIDランプからハロゲンランプに変更している他、リアサスペンションのロアアームもアルミ製とし、JCW専用のセッティングとブレーキを採用するなど、走りに振った構成となっている。シートもレカロ製スペシャルを採用(全モデルレカロ製)し、サイドサポートも従来より改善されたが、デザイン重視であるため軽量化・ホールド性の観点からすると疑問が残る。軽量化の反面、大径の18インチホイールの採用や各部の強度アップ、巨大な整流板の追加などもあり、車両重量は「クーパーS」より15kgほど増の1195kgとなった。他にも多くの部分で見直しが図られ、スポイラーや車体下部の大きな整流板など空力にもかなり手を入れられた結果、最高速度は240km/h、0-100km/h加速においては6.5秒という、ラインナップの中では最高の性能を発揮している。

2006年11月、日本専用として300台の「デザイナーズチョイス」というモデルが発売になった。内訳は「クーパー」100台、「クーパーS」100台である。

ラインナップ
* サルーン
o ワン
o ワンD(日本未導入)
o クーパー
o クーパーS

* コンバーチブル
o ワン(日本未導入)
o クーパー
o クーパーS

* 特別仕様車
o ワン セブン
o クーパー セブン
o クーパー パークレーン
o クーパーS パークレーン
o クーパー チェックメイト
o クーパーS チェックメイト
o クーパーS JCW
o クーパーS with JCW GP kit

[ 2009/01/28 15:42 ] MINI | TB(0) | CM(0)

Volvo V50 CM Throbbing at moment ep1 1'01"

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ボルボ・V50はボルボ・カーズが製造・販売するステーションワゴンである。

2003年のボローニャモーターショーにてプロトタイプが発表され、2004年5月に発表された。姉妹車としてS40がある。

5ドアのステーションワゴンであり、斜線と縦格子を組合せたフロントグリルにV型のボンネットなど伝統的なボルボのデザインが見られる。プラットフォームは、マツダ・アクセラやフォード・フォーカスなどと共通の「フォード・C1プラットフォーム」を用いている。

衝突安全性においては、ボディが複数のクランプルゾーン(衝撃吸収前後ボディ構造)で構成され、側面には「SHIPS」、後方には「WHIPS」と呼ばれるボルボ独自のシステムが装備されている。

エンジンは1.6L・1.8L・2.0Lの直4DOHCガソリンと2.4L・2.4Lターボの直5DOHCガソリン、1.4L・2.0Lの直4DOHCディーゼルと2.4Lの直5DOHCディーゼルがラインナップされている(ディーゼルは北米では販売されていない)。駆動方式はFF/4WD。

2008年モデルでは、ボディサイズの変更と1.8L直4フレックスエンジンの追加などが行われた。

[ 2009/01/29 16:10 ] VOLVO | TB(0) | CM(0)

Volvo V50 CM Throbbing at moment ep2 0'21"

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ボルボ・V50はボルボ・カーズが製造・販売するステーションワゴンである。

2003年のボローニャモーターショーにてプロトタイプが発表され、2004年5月に発表された。姉妹車としてS40がある。

5ドアのステーションワゴンであり、斜線と縦格子を組合せたフロントグリルにV型のボンネットなど伝統的なボルボのデザインが見られる。プラットフォームは、マツダ・アクセラやフォード・フォーカスなどと共通の「フォード・C1プラットフォーム」を用いている。

衝突安全性においては、ボディが複数のクランプルゾーン(衝撃吸収前後ボディ構造)で構成され、側面には「SHIPS」、後方には「WHIPS」と呼ばれるボルボ独自のシステムが装備されている。

エンジンは1.6L・1.8L・2.0Lの直4DOHCガソリンと2.4L・2.4Lターボの直5DOHCガソリン、1.4L・2.0Lの直4DOHCディーゼルと2.4Lの直5DOHCディーゼルがラインナップされている(ディーゼルは北米では販売されていない)。駆動方式はFF/4WD。

2008年モデルでは、ボディサイズの変更と1.8L直4フレックスエンジンの追加などが行われた。

[ 2009/01/30 16:20 ] VOLVO | TB(0) | CM(0)

Delorean TV Commercial 0'23"

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デロリアン (De Lorean) はアメリカ合衆国にかつて存在した自動車製造会社である。また同社で製造された自動車『DMC-12』の通称としても用いられる。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ』に登場するタイムマシンとして有名。

1975年10月24日、当時ゼネラルモーターズの副社長であったジョン・ザッカリー・デロリアン(en:John DeLorean)が、理想の車を作るためにGMを辞職し独立して自ら設立したのがデロリアン・モーター・カンパニー(Delorean Motor Company Ltd./DMC)である。本社はミシガン州デトロイトに、製造工場はイギリス・北アイルランドのベルファスト郊外、アントリム州ダンマリー村にあった。1982年に解散。

長い開発期間を経て1981年に登場した同社唯一のモデル『DMC-12』は、イタルデザイン社のジョルジェット・ジウジアーロがデザインし(そのため、ロータス・エスプリに似ているという人もいる)、ロータス社がメカニック設計を請け負った。同車は、ガルウィングドア等の先進的な発想を取り入れたため、開発は非常に難航し、ロータス創業者コーリン・チャップマンが生涯をかけて設計したことでも知られている。

バックボーンフレーム上に強化プラスチックボディを載せる手法はロータスが得意とした構造だが、メンテナンスフリーをも狙って外部全体を無塗装ステンレスで覆ったことが極めてユニークである。銀色に光るヘアライン仕上げのステンレスが剥き出しの外装と、近未来的なガルウイングドア装備は見る者に衝撃を与え、後年まで同社のイメージを決定づける存在となった(コーリン・チャップマンはこのステンレス製のボディについて難色を示したと言われる)。なお、ノーマル時の車高(ロードクリアランス)が高いのは、当時の基準におけるヘッドライトの高さを満たすためであった。

エンジンはフランス製(「PRV」V型6気筒SOHC2849cc。プジョー・ルノー・ボルボが乗用車用に共同開発した量産品)を後部に搭載。1973年のエネルギー危機後に設計されたもので、当時としては出力よりも経済性を優先したエンジンであった。 外見からイメージされるほどのスーパーカー的な車ではなく、むしろ個性的なスタイルのスペシャリティ・クーペというのが正確な捉え方である。

初年度は約6,500台を販売するなど売り上げは好調で、ターボチャージャー搭載や4枚ガルウイングドア4座仕様追加等の計画もあったが、1980年のアメリカでは「構造改革」によって所得格差が拡大し、貧困層が急増した背景もあり、発売価格が2万5,000ドル(当時の為替レートで約625万円)とやや高値であったDMC-12は、翌年以降たちまち売り上げが不調になっていった。また、北アイルランドへの工場誘致の条件として交付されていたイギリス政府からの補助金が停止された。後にエンロン社の会計監査も行ったアーサー・アンダーセン社が、デロリアン社の資金を社長ジョン・デロリアンが私的に流用するなどしたことを黙認していたことが、マスコミの調査などで明らかになっている。さらに1982年10月19日に、社長のジョン・デロリアンがコカイン所持容疑で逮捕されるスキャンダルが発生したことにより、会社は資金繰りが立ち行かなくなり倒産してしまった(のちジョン・デロリアンの麻薬嫌疑は、裁判の結果1985年頃に無罪が確定した)。

生産期間中には風変わりなバージョンも製造された。1981年モデルの最後を締めくくっているのが2台の純金パネル装備車で、2005年現在もネバダ州リノの National Auto Museum とテキサス州の Snyder Bank に展示されている。(1台12万5,000ドル以上という)。なお、最後に製造された車も純金パネルであったが、これは宝くじのような富くじ方式で一般人の手に渡った。

最終生産車が作られたのは工場閉鎖後のことで、工場に残っていたパーツ等で1982年12月24日に作られた4台が、一般向け生産の最後となった。最終的に、8,583台が製造されたと見られている(500台が調整用として確保されたため実質7,883台と思われる)。

なお、ボディのプレス型は倒産後に他社による再生を恐れた人々が海に捨ててしまったため現存せず、再生産が不可能になっている。

日本において、公道を走らせるため車検を取得した場合、自動車検査証の社名表記は「デロリアン」ではなく「デローリアン」になる。

これら多くの逸話と映画での活躍によって、DMC-12は1980年代を代表するカルトカーとなり、21世紀初頭の現代でも多くの自動車マニアのコレクション対象となっている。倒産後のデロリアン社の設備を取得した Stephen Wynneは、現在もDMC-12のオーナーに修理用パーツを供給し続けており、1台丸ごと新車を組み立てることも可能である。

ジョン・デロリアンは再び新たな車を創造するプランを抱いていたが、麻薬売買に関わった容疑で逮捕され、のちに裁判の末無罪となったものの、新モデルの開発、発売を果たすことなく2005年3月19日に死去した。あるデロリアン愛好者のウェブサイトによると、2ドア・2シーター、時速60マイル(96km/h)到達まで3.5秒、価格は1万7,500ドル程度と、低価格でありながら非常な高性能を目指していたようである。

DMC-12の再生産計画
現在、DMC-12の修理などを行っている Stephen Wynneは2007年8月、DMC-12を再生産することを明らかにした。

しかし、近年の衝突安全基準(特に歩行者頭部保護テスト)や排ガス基準等に合わせて設計を行い直すことは困難であり、再生産車では車検に適応し一般道を走らせることはほぼ不可能なため、展示用や富豪家へのコレクターアイテム的な目的で出荷されている。(歩行者頭部保護テストでは、歩行者を跳ねたことを想定し歩行者がボンネットに頭を打ち付けても安全であることが求められているが、鉄よりも硬いステンレスボディが特徴であるデロリアンでは相反するものとなるからである)

Wynneは、アメリカのテキサス州ヒューストン郊外に約3700m²の工場を建設し、そこで新DMC-12を再生産することを計画している。オリジナルのDMC-12には配線などにトラブルがあったが、新バージョンではそれらのトラブルは改善される予定である。生産台数は、月20台とデロリアン社があった頃と比べて減るものの、ファンからの期待は高いようである。

[ 2009/01/31 17:07 ] DELOREAN | TB(0) | CM(0)
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