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Corona Sir Roger Moore Japanese Ad 2'28"

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1982年1月7代目(1982年-1987年 KT140/AT140/TT140/ST140/RT140/CT140/YT140系)が登場。外観はやや丸みがかった形状から直線的なスタイルへと変貌されスタイリッシュなイメージとなった。タクシー仕様は当初はディーゼルのみ発売され(LPGは130系を継続生産)、同年9月にLPG車もフルモデルチェンジされた。コロナ最後のFRモデル(この代からプラットフォームをカリーナ/セリカと共有化)。4ドアセダンと2ドアハードトップを設定。5ドアセダンは一旦消滅(150系で復活)。

1982年10月、それまでの2000GT(18R-GEU型エンジン搭載)に代わり、1800ccツインカムターボの3T-GTE型エンジンを搭載したGT-T・GT-TRが登場。それに伴い2000GTは消滅となる。 また、一部では2ドアハードトップはプアマンズ・ソアラと称される程スタイル面で好評を得ていた。

1983年10 月、FF4ドアセダン(150系)登場に伴い、車種を整理。同時にマイナーチェンジ。4A-GEU型エンジン搭載の1600GTを追加。カリーナ/セリカに設定されていたGT-Rは設定されず、GTのみの設定だが、「スポーツ7仕様」なるスポーツ・パッケージが設定されていた。

バンのガソリンエンジンが1600㏄の12T-Jから1500ccの5K-Jに変更。

1985年8月、2ドアハードトップ廃止(コロナクーペにモデルチェンジ)。GTシリーズはFFセダンへ移行。

1986年12月、タクシー仕様車がビッグマイナーチェンジ。フロントドア以外の外板がすべて変更され(フロントグリルはA60カリーナバンのものを流用、その他にもフェンダー等に A60カリーナセダンのものを流用し全長が切り詰められる。)、同時にディーゼル車のエンジンが1800㏄の1C型から2000㏄の2C型に換装された(バンのディーゼルは1Cのまま)。またディーゼル車の足回りも変更され、リヤサスペンションは4リンク式コイルリジッドサスからLPG車と同じリーフリジッドサスへと変更、操舵方式はボールナット式からラック&ピニオン式に変更された。また一般ユーザー向けのセダンも引き続き継続販売(こちらは外板の変更はなし)。

1987年12月、一般ユーザー向けのセダンが生産終了、バンはフルモデルチェンジされタクシー仕様車のみの販売となる。

1991年11月、ディーゼルが廃止、LPG(2Y-P)車のみの販売となる。

1998年4月、原設計が古いため安全対策が困難なため生産終了。

このモデルは「BC戦争」が最も激化したモデルで、発売当時最大のライバルである910型ブルーバードが大ヒットを飛ばしており、ブルーバードのキャッチコピー「ザ・スーパースター」に対して、CMキャラクターにロジャー・ムーアを起用し、「スーパーヒーローより愛をこめて」「舞台は、主役を待っていた」というキャッチコピーで対抗。さらには新開発エンジンに「レーザー (LASRE)」と名づければ、日産は「プラズマ (PLASMA)」と名づけるほど、BC戦争は激化していた。

モデル生産終了後も、タクシー仕様は1986年末にビッグマイナーチェンジを行って外観を一変させたうえで引き続き生産されていた。小型タクシーの居住性改善の動きに合せて、徐々にマークIIに切り替えるタクシー事業者が増加し、販売台数が減少していったが、1995年にコンフォートが登場した後も、1998年まで生産が続けられていた(末期はトヨタ車体が生産を担当)。競合車種の910型ブルーバードと共に、中型タクシーが中心の都心よりも、小型タクシーが中心の地方に多い車種であった。

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[ 2008/01/01 02:40 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Carina Japanese ad 1983 0'29"

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1981年9月発売。ボディ形状は4ドアセダン、3ドアハッチバッククーペ、5ドアバンの3種類。2世代続いた2ドアハードトップと2ドアセダンは廃止。名機の誉れ高い4A-Gエンジンを搭載しているFRモデルもあり草レース関係者などからの人気が今でも高い。

エンジン
  • 3A-U型・1500cc・OHCシングルキャブ
  • 1S-U型・1800cc・OHCシングルキャブ
  • 3T-EU型・1800cc・OHV EFI
  • 2T-GEU型・1600cc・DOHC EFI
  • 4A-GEU型・1600cc・DOHC EFI
  • 18R-GEU型・2000cc・DOHC EFI
  • 12T-J型・1600cc・OHVシングルキャブ(バン専用)
  • 1C型・1800cc・ディーゼルOHC
形式
  • 1500cc車 AA60型
  • 1800cc車(1S-U) SA60型
  • 1800cc車(3T-EU) TA63型
  • 1600cc車(2T-GEU) TA61型
  • 1600cc車(4A-GEU) AA63型
  • 2000cc車(18R-GEU) RA63型
  • 1600cc車(12T-J バン専用) TA67V型
  • 1800ccディーゼル車 (1C バン専用) CA67V型
1982年2月 5ドアワゴンの「サーフ」シリーズ追加。カリーナ発売以来初の5ドアワゴン(後のカルディナのルーツ)。 1C型1800cc・OHCディーゼル追加。

1982年5月 1500SE追加。

1982年6月 主に女性ユーザー向けの1500ジュン追加。

1982年10月 日本初のDOHCターボエンジン(3T-GTEU型・1800cc・160ps ツインスパークプラグ式)搭載の「GT-TR」追加(セリカと同時発売)。18R-GEUエンジンの2000GT廃止。

1983年5 月マイナーチェンジ(バン除く)。フェンダーミラーからドアミラーに、フロントグリル、テールランプのデザインも変更された。スポーツモデルの1600GT に、それまでの2T-GEU型エンジンに替わり4A-GEU型エンジンが搭載される(1600cc・DOHC16バルブ)。3T-EUエンジン廃止。

1983年8月 バンシリーズをマイナーチェンジ。12T-J型エンジンが5K-J型・1500ccOHVに変更。

1984年5月 FF4ドアセダンシリーズ(T150系)追加に伴い、車種を整理。同時にマイナーチェンジ。セダンは1500STD、DX、SG、1800SG、1600GT、1600GT-R、1800GT-T、1800GT-TRのみとなる。サーフ、バンは継続。

1985年8月 車種を整理。セダンDOHC搭載車(1600GT、1600GT-R、1800GT-T、1800GT-TR)はFFセダンに移行、クーペ廃止(カリーナEDにモデルチェンジ)。セダンは1500STD、DX、SG、1800SGのみとなる。サーフ、バンは継続。

1988年5月 FRセダンシリーズ、サーフ、バンシリーズ生産終了。

[ 2008/01/02 03:17 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

3000GT Supra ad 0'15"

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1986年~93年(A70系)かつてのセリカXXからスープラへ車名を変更。

アメリカではポルノのハードさを意味する「X」を嫌い、国内でのセリカXX(XXはとても卑猥なイメージ)はスープラという車名で販売されていた。A70系よりセリカとは独立し「SUPRA」という車名を採用・販売することになった。発売当時のキャッチコピーは「TOYOTA 3000GT」。

ソアラと同じプラットフォーム(ただし補強は少ない)を使用し、当初の主なエンジンは、2.0Lの1G-GEU、そのツインターボ版1G-GTEU、3.0Lターボの7M-GTEUであった。

1986年6月にはエアロトップが発売され、1987年1月にはソアラと同時に7M-GTEUにも5速マニュアルが設定され、それまでは輸出仕様のみに採用されていたブリスター形状フェンダーのリミテッドが3リッターに追加された。

1988年8月にはマイナーチェンジが行われ、フロントマスク及びテールライトのデザインが変更された。

1989年8月に一部変更が行われ、ツインターボ版1G-GTE仕様にワイドボディが追加され、E仕様がワイドボディ化され、3.0Lターボ仕様にTEMS、パワーシート、デジタルメーターを簡略して価格を抑えた買い得版の3.0GTターボSが追加された。

モデル末期の1990年8月にはマークIIなどにも搭載された、2.5Lツインターボで280psの1JZ-GTE型が追加された。そのため7M-GTE仕様はカタログから消えた。外観上の変更点はフロントノーズのエンブレムが縦長のスープラのマークから丸いトヨタマークに変更された。トヨタ自動車として初の280馬力で5速マニュアル設定車であり(AT仕様もあり)、デビュー当時の国産市販車の280馬力のレシプロエンジン中で最小の 2500ccの排気量で自主規制枠一杯の最大出力を絞り出していた。 搭載エンジンは、初代から一貫して、直列6気筒のみである。

グループAのホモロゲモデルとして7M-GTEにターボAタービンを搭載した3.0Lターボ車「ターボA」が1988年8月のマイナーチェンジと同時に500台限定で販売された。特徴はフロントバンパーセンター部の3連ダクト。このダクトの形はターボAダクトと呼ばれ、汎用社外パーツとなり人気を博した。その他にボディカラーは黒のみの設定でホイルもブラックアウトされていた。

グループAではデビューウィンこそ飾ったものの、フォード・シエラや日産・スカイラインの前に苦戦した。

[ 2008/01/03 03:23 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Celica XX Japanese ad 1978 0'29"

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1978_Toyota_Celica_XX__Celica_Supra__Japanese_ad.jpg

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1977年の東京モーターショーに参考出品。セリカの上級車種として翌1978年登場。TA40/RA40系セリカ(4気筒モデル)のフロントノーズを延長し、M型6気筒エンジンを搭載。ラグジュアリーな雰囲気を持った高級スペシャルティカーという設定で、4灯角型ヘッドランプやカラードウレタンバンパー、ガラス調のリアガーニッシュやBピラーフィニッシャー、七宝調エンブレムを装備し、後の初代ソアラやマークII3兄弟(マークII/チェイサー/クレスタ)などに代表されるトヨタハイソカーブームへ続くエンジ色の内装など、装飾による高級感の演出の元祖であり、その4年後に登場する初代ソアラの源流にもなった車種である。

当時のアメリカでは「Xの列記」が映画の成人指定度合いを示すため、北米を含めた全ての輸出車は「Xの列記」を避けスープラと命名し発売された。このことによって「セリカXX」は日本国内専用の車名となった。エンジンは直列6気筒2000SOHC(M-EU)と2600SOHC(4M-EU)が搭載された。フロントグリルの造型に Toyota の T をあしらい、同じモチーフを用いた同社最高級スポーツカー2000GTを彷彿させた。

前期型
グレードは2000cc車 (MA45) が下位から L、S、G の3種、2600cc車 (MA46) が下位から S、G の2種が用意された。
トヨタ・クラウンとともにトヨタ車初の4速オートマチックトランスミッションが搭載された。オーバードライブ解除スイッチはダッシュボードに装備された。
メーカーオプションとしてスライディングサンルーフが用意されたが、開閉は室内天井に装備した折りたたみ式ハンドル回転による手動式であった。
ステアリングホイールのスポーク裏にもホーンボタンが装備されていた。

後期型
1980年8月にマイナーチェンジ。このマイナーチェンジ車はわずか7ヶ月しか販売されていない。
リアサスペンションが4リンク/コイルスプリングのリジッドアクスル式からセミトレーリングアーム/コイルスプリングの独立懸架式に変更された。
3ナンバー車は 4M-EU に代わり 5M-EU 2800ccエンジンが搭載された。
センターコンソールに、規格化されたDIN2段オーディオスペースが新設された。
[ 2008/01/04 18:25 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Celica XX (Celica Supra) Colin Chapman Japanese ad 0'29"

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第24回東京モーターショーに出品されたコンセプトカー「SV-2」のコンセプトをほぼそのままに1981年7月3日登場。初代がラグジュアリー志向の高級スペシャルティカーであったのに対し、初代のコンセプトを先に発売されたソアラが引き継いでいたため、2代目はスポーティー路線へとキャラクターが変更された。

CMでもロータスの創始者であるコーリン・チャップマンを起用しカタログでも走行性能の高さを前面にアピールしていた。外観も初代の曲線基調のなだらかなラインのボディーと、角目4灯ヘッドライトと2000GTを彷彿させるT字グリルの重厚な顔立ちから、直線を主体としたシャープな造形のボディーと空力を意識したリトラクタブルヘッドライトによるシンプルな顔立ちへと変貌を遂げた。CD値0.35とソアラよりも優れた空力特性と前面投影面積の小ささで日本車としては久々となる200Km/h オーバーを記録した(2800GT)。

スポーティーに振ったキャラクターではあったが装備は充実しており、カローラ店での高級車の役割も担っていた。クルーズコンピューター(ガソリン満タン時からの走行可能距離、燃料消費量、目的地までの到着予定時刻、等をコンピューターが自動演算し表示するドライブ情報表示システム)、ソアラに初採用されたデジタルメーター(2800GTに標準、2000Gにオプション)、オートドライブ、スピードアラーム(オートドライブとの併設は不可)、電子チューナーAM/FMラジオカセットオーディオ(オプション)とウーファー1個、ツイーター2個、スピーカー2 個の5スピーカの凝ったオーディオシステムが装備されていた。中でも注目の装備は、目的地の方角を入力するとその方角を指示し、目的地までの距離をコンピューターが算出する「クルーズナビコン」が2800GTにオプション設定された(クルーズコンピューター、電動式サンルーフとの併設は不可)。エンジ色の内装設定も引き続き採用され、サンルーフは初代の手動式から電動式に改められた。

ちなみに、このモデルでは、日本テレビ系のドラマ太陽にほえろ!に出ていた。

前期型
角目4灯ヘッドライトからリトラクタブルヘッドライトに変更された。2000GT登場時CMソングにELOの『Twilight』が起用された。エンジンは2800GTに直列6気筒2800ccDOHC(5M-GEU)と2000L、S、Gに2000ccSOHC(1G-EU)を搭載。
1982年2月 2000ccSOHCターボ(M-TEU)を搭載するターボS/Gを追加
1982年8月 6気筒2000ccDOHC24バルブ(1G-GEU)を搭載する2000GTを追加。(2000GTにオプションで195/60R15サイズの60扁平タイヤが用意された)
上級モデルにはデジタルメーターが採用された。(2800GTに標準、2000G、2000Gターボ、2000GTにオプション設定)

後期型
1983年8月 マイナーチェンジ。外観の変更はバンパーの形状変更、テールレンズのデザイン変更、テールゲート及びリヤバンパーのボディー同色化、ドアミラーの標準化。最廉価グレードのLは廃止。
1986年製造終了。後継車はスープラ。
[ 2008/01/05 18:51 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Sprinter Ad 1979 0'15"

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1979年4代目(E70系)として3月発売。エンジンは当初、1300cc(4K-U)、1500cc(3A-U)、1600cc(2T-GEU)の設定であった。ボディタイプは今までと同じセダン/ハードトップ/3ドアリフトバック/3ドアクーペの4種類。ハードトップはベースがセダンからクーペ系になったために車高が低くなった。
1979年9月、1800ccのガソリン(13T-U)が登場した。「1.8SE」など。
1981年8月、マイナーチェンジで既存エンジンをレーザーエンジンに換装と同時に1.3Lも3速ATに変更/セダンのヘッドランプが異型2灯式に変更/セダンのフロントノーズがスラント化される/女性仕様車のLISSE(リセ)をハードトップに追加。
1982年2月、セダンに1800ccディーゼル(1C)が追加。
1982年8月、ターセル・コルサのシャーシをベースにしたスプリンターカリブがデビュー(L25系)。
[ 2008/01/06 19:54 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Supra 3000GT CM 0'30"

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かつてのセリカXXからスープラへ車名を変更。

アメリカではポルノのハードさを意味する「X」を嫌い、国内でのセリカXX(XXはとても卑猥なイメージ)はスープラという車名で販売されていた。A70系よりセリカとは独立し「SUPRA」という車名を採用・販売することになった。発売当時のキャッチコピーは「TOYOTA 3000GT」。

ソアラと同じプラットフォーム(ただし補強は少ない)を使用し、当初の主なエンジンは、2.0Lの1G-GEU、そのツインターボ版1G-GTEU、3.0Lターボの7M-GTEUであった。

1986年6月にはエアロトップが発売され、1987年1月にはソアラと同時に7M-GTEUにも5速マニュアルが設定され、それまでは輸出仕様のみに採用されていたブリスター形状フェンダーのリミテッドが3リッターに追加された。

1988年8月にはマイナーチェンジが行われ、フロントマスク及びテールライトのデザインが変更された。

1989年8月に一部変更が行われ、ツインターボ版1G-GTE仕様にワイドボディが追加され、E仕様がワイドボディ化され、3.0Lターボ仕様にTEMS、パワーシート、デジタルメーターを簡略して価格を抑えた買い得版の3.0GTターボSが追加された。

モデル末期の1990年8月にはマークIIなどにも搭載された、2.5Lツインターボで280psの1JZ-GTE型が追加された。そのため7M-GTE仕様はカタログから消えた。外観上の変更点はフロントノーズのエンブレムが縦長のスープラのマークから丸いトヨタマークに変更された。トヨタ自動車として初の280馬力で5速マニュアル設定車であり(AT仕様もあり)、デビュー当時の国産市販車の280馬力のレシプロエンジン中で最小の 2500ccの排気量で自主規制枠一杯の最大出力を絞り出していた。 搭載エンジンは、初代から一貫して、直列6気筒のみである。

グループAのホモロゲモデルとして7M-GTEにターボAタービンを搭載した3.0Lターボ車「ターボA」が1988年8月のマイナーチェンジと同時に500台限定で販売された。特徴はフロントバンパーセンター部の3連ダクト。このダクトの形はターボAダクトと呼ばれ、汎用社外パーツとなり人気を博した。その他にボディカラーは黒のみの設定でホイルもブラックアウトされていた。

グループAではデビューウィンこそ飾ったものの、フォード・シエラや日産・スカイラインの前に苦戦した。

[ 2008/01/07 20:03 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

General Moters 1958 1'12"

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ゼネラルモーターズ (General Motors Corporation,NYSE:GM) はアメリカ合衆国ミシガン州デトロイトに本社を置く企業で、2006年時点で世界最大の販売台数を誇る自動車メーカーである。アメリカのビッグスリーの一角。略称は「GM」

1908年9月16日に、ウイリアム・C・デュラントがミシガン州フリントで組織した持株会社がゼネラルモーターズである。ビュイック・モーター(1903年創業)の経営を1904年に任されたデュラントは、社長としてビュイックを全米有数の自動車メーカーにした。デュラントはゼネラルモーターズ創設後、1908年末にオールズモビルを買収し、翌年にはキャディラック、エルモア、オークランド(後のポンティアック)などを買収してGMの一部とした。その後もミシガン州周辺のトラックメーカーを次々買収するが、1910年には買収費用により100万ドルの負債を抱えたデュラントはGMの支配権を失い、バンカーズ・トラストが会社の支配権を握った。

デュラントはその後シボレーの創立(1911年)に関わり、GMの株を買い戻して1916年には社長に返り咲き、シボレーを翌年GMの一部とした。彼の背後には1914年に最初の投資を行って以降1950年代までGMに関与し続けたデュポン社の社長ピエール・S・デュポンがいた。

1920年にピエール・デュポンはデュラントを追い出してGMの実権を奪い、アルフレッド・スローンの経営によって現在に繋がる経営基盤が確立され、政争に揺れたフォードを抜いて世界最大のメーカーとなった。商品方針は「どんな予算でも、どんな目的でも」。このために複数のブランドを所有し、北米では最下段にシボレー(1990年からサターンがシボレーとは別にベーシックブランドとして登場した。また、ジオというブランドが最下層として存在した時期があった)、最上段にキャディラックを位置付け、巧妙なマーケティングと、それに直結したスタイリング戦略で衆目を引き続け、業界シェアナンバー1であり続けた。消費者はGMの提供する上級ブランドに魅せられ、GMの金融サービスによるローンやクレジットで高額のブランド車を買うようになった。GMはこうしてクレジット商法を拒んだフォードを突き放した。

1920年代から1930年代にかけてGMはバス製造会社イエローコーチを買収し、グレイハウンド社の創設を手助けした。またGMは1936年に石油会社スタンダード・オイル・カリフォルニア(のちのシェブロン)やタイヤ会社ファイアストンと共同で「ナショナル・シティ・ラインズ」を創設し、1950年までに全米各地の路面電車会社や電鉄会社を買収し、これをバス運送に置き換えていったが、これは後に自動車関連各社による鉄道縮小の陰謀として非難を浴びた。(Great American Streetcar Scandal、その正確性についてはパシフィック電鉄を参照)

GMは航空機製造に関心を示し、1930年にフォッカーの子会社アトランティック・エアクラフト・コーポレーション・オブ・アメリカを買収しゼネラル・アビエーション部門とし、1933年にはノースアメリカンを買収してノースアメリカンを存続企業としたが、1948年に株を公開し、これ以降航空機には関わっていない。

また初期のフォードは1つの車種を世界中で生産したが、GMは初期から各々の地域毎に多種多様な車種を供給し、そのために南北アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアなど世界中に生産拠点を設けた。1925年(大正14年)のアジアを視野に入れたフォード社日本進出に続き、1927年(昭和2年)から1941年(昭和16年)まで、大阪に日本法人日本ゼネラル・モータースを設立。シボレー車のアジア向けノックダウン生産および、販売サービスをおこなった。昭和初期の日本国内は、GMのシボレー車とフォード車の独壇場だった。

ドイツではGMはオペルを1931年に子会社とするなど活発な投資を繰り広げ、ドイツでの自動車製造を利益の大きな重要事業とみていた。ナチス台頭後はオペルはGMの支配を離れ、GMはイギリスの子会社ヴォクスホールなどを通じ戦車など軍用車両を製造して第二次世界大戦下で連合軍を支えたが、一方でオペルはナチスの欧州侵攻を支え、GM首脳グレアム・K・ハワードやジェームズ・D・ムーニーらはナチスに個人的に深くかかわり、ムーニーは戦争前にヒトラーから受勲するなどしている。

戦後、1950年代にはGMはアメリカ最大の会社となり、1953年には社長チャールズ・E・ウィルソンはアイゼンハワー政権の国防長官となった。1955年12月末には、GMはアメリカで最初に年10億ドル以上を稼ぐ企業となった。

1970年代以降、石油ショックによって小型車の需要が高まると、それまでアメリカ国内で開発して来た小型車(コーヴェア、ヴェガ等)をオペル、いすゞ等の開発協力を得たモデル(『Tカー』、『Jカー』等)に代替し、また、1984年にはトヨタ自動車との合弁会社『NUMMI』で小型車を生産するなどして、国際化を推進して行った。一方、1990年代前半は、アメリカの好景気を受けてフルサイズSUV・ピックアップトラックなどの販売が好調だったため、高い業績を維持していた。

しかし、近年では原油価格の高騰によるガソリンの値上げなどの影響で収益源の大型車を消費者が敬遠し燃費の良い小型車やハイブリッドカーにシフトする傾向にあり、またGM自体に小型車開発のノウハウが蓄積されてなく(例えば北米市場でのサブコンパクトカーの開発および生産は、かつてはスズキに、現在はGM大宇に行わせている)、この分野で日本車に水をあけられてしまい、そのため販売面で苦戦が続いている。また、過去の従業員の退職年金や医療費負担なども財務を圧迫し、格付け会社からは社債を「投資不適格」にランク付けされてしまった。この影響で、2005年10月中旬には系列の大手部品メーカーデルファイが経営破綻してしまった。このため、自動車ローンの金利優遇や、社員向け販売の価格での一般販売などで在庫処理を図っているのが現状である。

2005年10月になって、資本提携していた富士重工業の株式をトヨタへ売却した。2006年3月には、スズキの株式の大半を売却、いすゞ自動車の株式の売却などにより、資本の集中による経営改善を試みている。2006年7月には大株主投資会社トラシンダからルノー=日産アライアンスとの提携を推奨され協議に入った。これはトラシンダを率いる米投資家カーク・カーコリアンの意向といわれている。しかし、当初よりリチャード・ワゴナー会長以下GM首脳部にはその意思はなく、同年10月に交渉は終了した。売却資産は特別利益になっており、今後、急激な販売減による損失を相殺できた時点より反騰、経営は改善の方向に向かうと考えられる。ただし、今のところ肝心な販売高は回復しておらず、その建て直しが急務となっている。

1915年(大正4年)創業の梁瀬自動車が、輸入代理店として、GMのビュイック、キャディラックの販売を開始。ビュイックはビウイク号、キャディラックはカデラツク号だった。のち、シボレー号も販売開始。シボレーは当初よりシボレー(名訳である)。

1925年(大正14年)、フォード社が日本進出に進出、神奈川県横浜市に組立工場を開業した。GMは1927年(昭和2年)、大阪市大正区鶴町に日本法人日本ゼネラル・モータースを設立し、組立工場でのシボレー車のノックダウン生産と販売をおこなう。1941年(昭和16年)まで操業。フォード同様、日本だけでなく中国などアジア全体を視野にいれた進出だった。日本における影響は大きく、全国に渡る自動車販売サービス網を構築し、以後の自動車販売業界はここから発展したものである。昭和初期の日本国内は、GMのシボレー車とフォード車の独壇場だった。

1936年の自動車製造事業法施行により、国産メーカーのみに大量生産が許され、発展の余地がなくなり、1941年太平洋戦争開戦の年に日本から撤退。第二次世界大戦後、再びヤナセが日本市場の販売代理店を長期間つとめる。

現在、日本法人は日本ゼネラルモーターズ (GMJ) とゼネラルモーターズ・アジア・パシフィック・ジャパン (GMAPJ) の2社がある。2006年より、恵比寿ガーデンプレイス(東京都渋谷区恵比寿)から品川シーサイド(東京都品川区)へ本社を移転した。

GMはスズキの株式を20%取得していたが、2006年にその持ち株比率を20%から3%へ大幅に引き下げた。合弁企業CAMIオートモーティブ(カナダ)での生産や、スズキのGM大宇への出資は引き続き行われる。一方でスズキが行っていたシボレー・クルーズの生産やシボレー車の輸入については打ち切りが決定している。

  • 富士重工業→資本提携解消。保有株式の一部をトヨタ自動車へ売却。
  • フィアット(イタリア)→資本提携解消
  • いすゞ自動車→資本提携解消(のち保有株式の一部を伊藤忠と三菱商事が取得)。ただし業務提携関係は維持。
    • トヨタ自動車 - カリフォルニア州での合弁事業(NUMMI)、燃料電池車の開発など。
    • BMW、ダイムラー - ハイブリッドシステム「2モードハイブリッド」の3社共同開発。
    • アフトヴァズ(ロシア) - ロシアでの合弁事業(GM-AVTOVAZ)。
    • ボスホス - オートバイメーカー。自社製のV型8気筒エンジンを供給。
    • カノン - 同上。フォード・モーターとともに自社製エンジンを供給。
    [ 2008/01/08 17:07 ] GENERAL MOTERS | TB(0) | CM(0)

    GM Chevrolet 1'00"

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    シボレー(Chevrolet、略称シェビー、Chevy)はゼネラルモーターズ(GM)の乗用車のブランドであり、アメリカ合衆国では大衆車とSUV、ミニバン。日本ではスポーティカーやSUVのブランドとして知られる。略称がついた由来は「シボレー」が英語圏の人には発音し難いためであるという。

    創業者はスイス出身のレーシングドライバー、ルイ・シボレーとGM設立に大きく関わったウィリアム・デュラントで、1911年に設立した。シボレーのエンブレムはそのデザインからボウタイ(蝶ネクタイ)とも呼ばれる。

    1920年代、フォード・モデルTがベストセラーとなると、高級車に似せたより近代的なデザインと、豊富なカラーバリエーション(モデルTは黒1色)展開等で対抗し、実用本位だが旧態化したライバルを圧倒し、以来GMは規模面で常にフォードを凌駕する世界最大の自動車メーカーとなった。

    その後第二次世界大戦や1950年代の黄金期を経て、長らくGMのブランド階層の最底辺に位置しながら、ごく真っ当な基本設計と時流を的確に捉えたスタイル戦略でアメリカNo.1ブランドの地位を保っていた。1970年代に入ると、石油ショックの影響を受けて小型、軽量化を余儀なくされ、以後、ドイツのオペルや日本のいすゞやスズキ、さらにはトヨタと連携して行く。

    アメリカ合衆国以外の国では主にオペル(中南米など)やGM大宇(ヨーロッパ、アジアなど)のリバッジ車が売られている。

    日本ではかつて、1927年に日本ゼネラル・モータースが設立され、大阪に組立工場が建設されたことがあった(1941年に操業中止)。 また1995年から2000年までトヨタ自動車がシボレー・キャバリエのOEM供給を受けてトヨタ・キャバリエとして販売していた。

    2000年に、シボレー車の輸入権は日本ゼネラルモーターズ(GMJ)の所有となった。ただし、近年はGMとスズキが販売提携を結んでいたため、スズキが2000年からMWのOEM供給を、2001年からはGMとの共同開発車クルーズの生産をそれぞれ開始し、2003年からはコルベットを除くシボレー車の輸入権をGMJから取得してトレイルブレイザー、アストロ、オプトラの取扱を行った。 しかし、2006年3月にGMがスズキの株式の大半を売却したのを機にスズキは事業の見直しを行い、スズキが保有するシボレー車の輸入権については2006年11月にゼネラルモーターズ・アジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)へと移管すると発表した。アライアンスパートナーとしてのGMとスズキの両社間における戦略的業務提携関係は今後も継続されるため、スズキが生産・販売しているクルーズ、MWは2008年まで生産・販売が続けられる予定。

    日本には正規輸入していない車種
    • アヴェオ - GM大宇製
    • セルタ - GMブラジルにて製造・販売
    • プリズマ - GMブラジルにて製造・販売
    • コバルト(「キャバリエ」の後継車)
    • SSR
    • エキノックス
    • キャプティバ - GM大宇製
    • エピカ - GM大宇製
    • マリブ
    • インパラ
    • サバーバン
    • クラシック
    • コロラド
    • モンツァ - GMブラジルにて製造・販売
    • シェベル
    • エルカミーノ
    • ノマド
    • ベル・エアー
    [ 2008/01/09 16:55 ] CHEVROLET | TB(0) | CM(0)

    GM Chevrolet Camaro 1970 1'00"

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    カマロ (Chevrolet Camaro) とは、ゼネラルモーターズが生産・販売していた2ドアハードトップ、クーペおよびオープンカーの名称。
    「シボレー カマロ」と呼ぶのが正しいが、一般には単にカマロと呼ばれているために、ここでも呼び方はカマロで統一する。
    カマロは全部で4代目まで存在したが、日本に正規輸入されたのはそのうち3代目と4代目のみである。ここでは日本に輸入されなかった初代と2代目についても記述する。

    2代目カマロは1970年2月に発売された。ボディはクーペへ変更となり、多少大型化され、重量も増加している。

    プラットフォームを初代と同じ、GM Fボディ プラットフォームを採用しただけでなく、途中から追加ランナップされた3.8L V6エンジン搭載モデルを除き、エンジンなど大半のコンポーネントは初代から引き継がれたもので、典型的なスキンチェンジである。グレードは初代と同じSS、RS、Z28、それに1973年にはLTが、1979年にはベルリネッタがラインナップされた。

    生産期間の長さとマスキー法への対応から、エンジンのバリエーションはカマロの中でも特に多く、
    • 1970年-1972年: 6.6 L V8
    • 1970年-1973年: 5.0 L V8
    • 1970年-1979年: 4.1 L 直6
    • 1970年-1981年: 5.7 L V8
    • 1976年-1981年: 5.0 L V8
    • 1980年-1981年: 3.8 L V6
    • 1980年-1981年: 3.8 L V6(カリフォルニアモデル)
    • 1980年-1981年: 4.4 L V8
    の実に9種類が搭載されている。

    この2代目カマロは1982年に3代目が発売されるまで、カマロの中ではもっとも長い12年間にわたり販売され続けたが、これは、段階的に厳しくなる排出ガス規制への対応が優先され、次世代型の開発が後回しとなった結果である。

    また、オーストラリア向けの右ハンドル車が初めてラインナップされた。

    [ 2008/01/10 16:47 ] CHEVROLET | TB(0) | CM(0)

    GM Cadillac CTS 0'32"

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    CTS(シーティーエス、Cadillac CTS)は、アメリカの自動車メーカーゼネラルモーターズ社が生産し、同社がキャディラックブランドで販売しているミドルサイズラグジュアリーセダンである。CTSはCatera Touring Sedan(カテラツーリングセダン)の略称であり、カテラの後継車種である。

    キャディラックは長年にわたりフロントエンジン・フロントドライブ(FF)にこだわり続けていたが、このCTSはシグマ・アーキテクチャと呼ばれる新設計のプラットフォームを採用し、フロントエンジン・リアドライブ(FR)レイアウトとしている。生産はテネシー州に新設された専用工場で行われる。

    従来、キャディラックは北米市場のみに注力してきたため、その他の地域では「キャデラック車はあまりに大きすぎる」と評価されており、ヨーロッパやアジアなどの市場では販売がふるわない状態が続いていた。また、CTSデビュー当時の米国でのキャディラックオーナーの平均年齢はおよそ60歳であり、本国では「リタイヤした老人が乗るクルマ」というイメージが強かったため、より若い消費者に受け入れられる車の開発が急務であった。こういった経緯から、これまでのキャディラックよりコンパクトでスポーティなCTSが誕生した。CTSの開発にあたっては、全く新しいFRプラットフォームの設計はもちろんのこと、ドイツ・ニュルブルクリンクサーキットでの3年にわたりテストを繰り返し走行性能を磨くなど、メルセデス・ベンツやBMWなどに代表される欧州製セダンを強く意識している。

    日本仕様は右ハンドルも設定し、またオプションでカーナビゲーションを用意するなどしているが、販売は芳しくない。一方、中国では一時期、ノックダウン生産 (北米設計のキャディラックでは初めての海外生産)を行ったこともあるが、ノックダウン生産の関税の問題で米国からの輸入に切り替わった。

    初代(2003年-2008年)
    2001年に発表され、2003年に発売された。市販車としては、キャディラックが「アート&サイエンス」と呼ぶデザイン哲学に則った外観を持つ最初のモデルである。

    エンジンは前期型では2.6リッターもしくは3.6リッター、後期型では2.8リッターもしくは3.6リッターのV型6気筒。2004年にはシボレー・コルベットと同じ5.7リッターV型8気筒を搭載した(2006年からは6.0リッター)高性能版のCTS-Vもラインナップに追加された。用意されるトランスミッションは5速AT、5速もしくは6速のMT。

    2代目(2008年- )
    日本では2007年10月22日に発表され、2008年1月より発売開始する。

    現時点では右ハンドル車の設定はされていない。

    [ 2008/01/11 16:34 ] CADILLAC  | TB(0) | CM(0)

    GM Cadillac History 1'00"

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    Cadillac(キャディラック)は、アメリカの自動車メーカーゼネラルモーターズ社が展開している高級車のブランド名である。なお、日本ゼネラルモーターズでは「キャデラック」と表記されており、かつては「キヤデラック(「ヤ」が大文字)」、「カデラック」とも表記されていた。

    ロールス・ロイスやリンカーンなどと並び、アメリカのみならず世界を代表する高級車ブランドとして知られる。また、アメリカ大統領の専用車として第一次世界大戦当時のウッドロー・ウィルソンから、現在のジョージ・ウォーカー・ブッシュに至るまで、長年に渡りライバルのパッカード(現在は消滅)やリンカーンとともに使用されている他、多数の国で王侯貴族・政府指導者の専用車に採用されている。

    キャディラックは本国市場がメインで、輸出は事実上日本を含む東アジアと中東諸国のみだったが、1990年代後半からヨーロッパ進出を試みるようになった。また、同時期に日本やイギリス向けに右ハンドル仕様車(セヴィル)を投入し話題になった。2000年代には中国やロシアにも進出。2007年には右ハンドル・左側通行の南アフリカ共和国にも展開する予定である。

    1899年にヘンリー・フォードを擁してヘンリー・フォード・カンパニーが設立されたが、フォードは経営陣との対立で会社を去り、1902年、機械メーカーの工場長であったヘンリー・マーティン・リーランドが請われて後任となった。デトロイトを開拓したフランス貴族「Antoine De La Mothe Cadillac」にちなんで社名とブランドを「キャディラック」に変更、1903年から自動車の本格生産を開始した。1909年にはゼネラル・モーターズ(GM)の設立者ウィリアム・C・デュラントの求めに応じてGMグループ入りし、以後はGMの最高級レンジを担うモデルとして生産されている。

    リーランドは精密加工技術の権威であり、その指導のもとに作られたキャディラックは高品質であるだけでなく、黎明期の自動車の欠点であった部品互換性の悪さを最初に克服した自動車の一つとなった。1908年、イギリスの王立自動車クラブ(RAC)による部品互換性テストに合格して、RACから「デュワー・トロフィー」を受賞している。リーランドは第一次世界大戦中に連合軍を応援するための軍需品製作をしないGMに愛想を尽かし、リバティエンジンを製作するために自身でリンカーン社を設立した。この会社は第一次大戦後高級車を製作したが、すでに大衆車の時代でありフォード・モーターに破格の値段で買収され、フォードの経営の元で安定を得、ブランドとしてキャディラックのライバルとなった。

    キャディラックの特徴として、古くより先進技術を積極的に取り入れたことが挙げられる。特に、世界初の実用的なセルフスターターの搭載(1912年)は顕著な功績である。量産V型8気筒エンジン、V型16気筒エンジン、シンクロメッシュ・ギアボックス、ウィッシュボーン式前輪独立懸架の実用化、エアコンディショニングの搭載、曲面ガラスの採用など、近代の乗用車の技術革新に大いに貢献した。

    1910年代から高級車としての名声を確立していたものの、特にアメリカ経済の絶頂期でもある第二次世界大戦前から1960年代にかけてはその名声の絶頂期で、大排気量エンジンやボタン式オートマチック、巨大なテールフィン等の豪華な装備が世界中の大富豪、セレブリティの憧れの的となり、多くの映画にも登場した。

    オイルショック後の1980年代以降、シマロンやアランテなどマーケットの混乱が招いたダウンサイジング化や他のGM車との部品共通化によるブランディングの失敗などでそのブランドイメージが若干低下した。

    しかし2000年代以降の「エスカレード」などの4輪駆動車の導入やイタリアの宝石商・ブルガリとのタイアップ、ル・マン24時間レースへの参戦などの積極的なマーケティング戦略が功を奏し、現在はその人気を復活させた。

    1910年代よりヤナセにより日本への輸入が開始された。当初より皇族や華族、政治家に愛好され、日米関係が悪化した1930年代の後半に至っても輸入が継続されたものの、1941年12月の大東亜戦争(太平洋戦争)の開戦により輸入は中断された。

    終戦後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の最高司令官ダグラス・マッカーサーの専用車として全国の一般市民にまでその名が知られることになり、その後も多くのハリウッド映画でアメリカの富の象徴として露出されたことから庶民の憧れの高級車となった。

    [ 2008/01/12 16:23 ] CADILLAC  | TB(0) | CM(0)

    GM Cadillac 1958 0'56"

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    Cadillac(キャディラック)は、アメリカの自動車メーカーゼネラルモーターズ社が展開している高級車のブランド名である。なお、日本ゼネラルモーターズでは「キャデラック」と表記されており、かつては「キヤデラック(「ヤ」が大文字)」、「カデラック」とも表記されていた。

    ロールス・ロイスやリンカーンなどと並び、アメリカのみならず世界を代表する高級車ブランドとして知られる。また、アメリカ大統領の専用車として第一次世界大戦当時のウッドロー・ウィルソンから、現在のジョージ・ウォーカー・ブッシュに至るまで、長年に渡りライバルのパッカード(現在は消滅)やリンカーンとともに使用されている他、多数の国で王侯貴族・政府指導者の専用車に採用されている。

    キャディラックは本国市場がメインで、輸出は事実上日本を含む東アジアと中東諸国のみだったが、1990年代後半からヨーロッパ進出を試みるようになった。また、同時期に日本やイギリス向けに右ハンドル仕様車(セヴィル)を投入し話題になった。2000年代には中国やロシアにも進出。2007年には右ハンドル・左側通行の南アフリカ共和国にも展開する予定である。

    1899年にヘンリー・フォードを擁してヘンリー・フォード・カンパニーが設立されたが、フォードは経営陣との対立で会社を去り、1902年、機械メーカーの工場長であったヘンリー・マーティン・リーランドが請われて後任となった。デトロイトを開拓したフランス貴族「Antoine De La Mothe Cadillac」にちなんで社名とブランドを「キャディラック」に変更、1903年から自動車の本格生産を開始した。1909年にはゼネラル・モーターズ(GM)の設立者ウィリアム・C・デュラントの求めに応じてGMグループ入りし、以後はGMの最高級レンジを担うモデルとして生産されている。

    リーランドは精密加工技術の権威であり、その指導のもとに作られたキャディラックは高品質であるだけでなく、黎明期の自動車の欠点であった部品互換性の悪さを最初に克服した自動車の一つとなった。1908年、イギリスの王立自動車クラブ(RAC)による部品互換性テストに合格して、RACから「デュワー・トロフィー」を受賞している。リーランドは第一次世界大戦中に連合軍を応援するための軍需品製作をしないGMに愛想を尽かし、リバティエンジンを製作するために自身でリンカーン社を設立した。この会社は第一次大戦後高級車を製作したが、すでに大衆車の時代でありフォード・モーターに破格の値段で買収され、フォードの経営の元で安定を得、ブランドとしてキャディラックのライバルとなった。

    キャディラックの特徴として、古くより先進技術を積極的に取り入れたことが挙げられる。特に、世界初の実用的なセルフスターターの搭載(1912年)は顕著な功績である。量産V型8気筒エンジン、V型16気筒エンジン、シンクロメッシュ・ギアボックス、ウィッシュボーン式前輪独立懸架の実用化、エアコンディショニングの搭載、曲面ガラスの採用など、近代の乗用車の技術革新に大いに貢献した。

    1910年代から高級車としての名声を確立していたものの、特にアメリカ経済の絶頂期でもある第二次世界大戦前から1960年代にかけてはその名声の絶頂期で、大排気量エンジンやボタン式オートマチック、巨大なテールフィン等の豪華な装備が世界中の大富豪、セレブリティの憧れの的となり、多くの映画にも登場した。

    オイルショック後の1980年代以降、シマロンやアランテなどマーケットの混乱が招いたダウンサイジング化や他のGM車との部品共通化によるブランディングの失敗などでそのブランドイメージが若干低下した。

    しかし2000年代以降の「エスカレード」などの4輪駆動車の導入やイタリアの宝石商・ブルガリとのタイアップ、ル・マン24時間レースへの参戦などの積極的なマーケティング戦略が功を奏し、現在はその人気を復活させた。

    1910年代よりヤナセにより日本への輸入が開始された。当初より皇族や華族、政治家に愛好され、日米関係が悪化した1930年代の後半に至っても輸入が継続されたものの、1941年12月の大東亜戦争(太平洋戦争)の開戦により輸入は中断された。

    終戦後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の最高司令官ダグラス・マッカーサーの専用車として全国の一般市民にまでその名が知られることになり、その後も多くのハリウッド映画でアメリカの富の象徴として露出されたことから庶民の憧れの高級車となった。

    [ 2008/01/13 16:17 ] CADILLAC  | TB(0) | CM(0)

    GM Buick Excelle (2) 0'30"

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    GM DAEWOO LACETTIと似てるような感じしません?シートは本皮のようですが・・カバーなのかな?

    [ 2008/01/14 16:09 ] BUICK | TB(0) | CM(0)

    GM Buick Excelle (1) 1'03"

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    模型が実際の車に。中国で放映されたCMのようです。

    [ 2008/01/15 16:03 ] BUICK | TB(0) | CM(0)

    Honda FIT 0'35"

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    初代(2001-2007年 GD1/2/3/4型)
    搭載されたエンジンは、L13A型 1.3L SOHC i-DSI(86PS/12.1kgm)と、L15A型 1.5L SOHC VTEC(110PS/14.6kgm)。トランスミッションは、当初ホンダマルチマチックSと呼ばれるCVTのみで、2002年9月に1.5Lモデルの追加に合わせ、ホンダマルチマチックS+7スピード(7速自動変速モード付き:ハンドルのスイッチで任意に切り替え可能)に改良された。その後、スポーティ・ドライビングを好むユーザーに向け、2004年のマイナーチェンジで1.5L FF仕様に5速MTが追加された。同時に、ホンダマルチマチックS+7スピードモードモデルはパドルシフト付きに改良されている。

    • 2001年6月21日 - 1.3L仕様が発売された。
    • 2001年11月 - 2001-2002日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。
    • 2002年9月12日 - 1.5LエンジンとホンダマルチマチックS+7スピードモードとが搭載された「1.5T」を追加。
    • 2002年11月14日 - マイナーチェンジ。HIDヘッドライトやハイマウントストップランプがメーカーオプションに設定され、キーレスエントリーにアンサーバック機能を追加。


    • 2002年には、年間販売台数で33年間トップを守り続けたトヨタのカローラを上回りトップとなった。
    • 2003年4月10日 - 1.3L FF仕様のエンジンを改良し、「超-低排出ガス」認定を取得。
    • 2003年10月21日 - マイナーチェンジ。全タイプが「超-低排出ガス」認定を取得。
    • 2003年12月25日 - 1.3L仕様が「平成17年排出ガス基準75%低減レベル(★★★★低排出ガス車)」認定を取得。
    • 2004年6月10日 - マイナーチェンジ。全仕様が「平成22年度燃費基準+5%レベル」を達成。スポーティーグレードの「1.3S」、「1.5S」を追加。エクステリアデザインの変更が行われ、LEDブレーキランプ及びテールランプ(全車)、LEDドアミラーウインカー(一部)を装備。5速MT仕様が国内向けの1.5L仕様にも追加され、ホンダマルチマチックS+7スピードモードはパドルシフト付きに改良された。
    • 2005年12月8日 - マイナーチェンジ。全仕様が「平成17年排出ガス基準75%低減レベル(★★★★低排出ガス車)」認定を取得。フロントグリル、前後ランプ系周りが変更された。スポーティーグレードの「1.3S」、「1.5S」は、フロントディスクブレーキ径が14in化や、リアディスクブレーキが標準装備(それ以前は、1.5L FFのみメーカーオプション)され、15インチアルミホイールも標準装備されるなどより差別化が図られ、同時に4WD仕様が廃止された。
    • 2006年12月21日 - 「1.3AU」を追加。「1.3A」にプライバシーガラスや電動格納ドアミラーを標準装備したもの。
    • 2007年6月末に、世界累計販売台数が200万台を達成した
    欧州及び東南アジアでは「Jazz」、北米および中国では日本と同じ「Fit」の名称で販売されている。北米仕様は、1.5L VTECエンジンを搭載し,トランスミッションは5MTの他5ATが設定されている。またフラットブレードワイパーも適用されている。米高速道路交通安全局(NHTSA)の新車評価基準に合わせてフロントバンパーを拡大しており、同局の前面衝突試験では運転席・助手席ともに最高評価の五つ星を獲得している。ブラジルではフレックスエンジン(エタノールとガソリン両用エンジン)搭載車を売り出している。

    フィットが大ヒットした影で、同じカテゴリーにあったシビックのハッチバックモデルが販売面で打撃を受けてしまったため、次期モデルからはセダンのみとなった。

    [ 2008/01/16 11:02 ] HONDA | TB(0) | CM(0)

    Ford Shelby MustangGT 1968 1'10"

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    シェルビー・マスタング(Shelby Mustang)は、アメリカ合衆国のフォード・モーターが製造する乗用車である。また過去にシェルビー社がフォード・マスタングをベースにチューニングカーとしてモディファイ、販売(ただしシェルビー社として日本での販売実績はない)を行った経緯がある。したがってマスタングをベースにした特定車種を指す総称であり、モデル名ではない。

    マスタングをベースにキャロル・シェルビー(の会社)が手がけた、いわゆるレース向けのチューニングカーで、マスタングの上位モデル/フラッグシップモデルとしてフォード・モーターから販売されている。 1965年から1969年まで製造され、一部のエンスージアストから人気があり、フォードの懐古路線戦略により2006年復活する。 マスタング・コブラ等、「コブラ」の名前とバッジを与えられる事が多い(混同しやすいがシェルビー・コブラは別の車種)。またエンジンユニットにはバルブカバー、もしくはエアクリーナヘッドにコブラのマークもしくはロゴが与えられているのも特徴。 ただしキャロル・シェルビーが手がけたものではないマスタングの上位モデルとして「コブラ」の名前を受け継いだモデル(マスタング・コブラ、マスタング・キングコブラ等)もあるが、それらはシェルビー・マスタングとは呼ばない。あくまでもキャロル・シェルビーが手がけたマスタングの事を指す。

    1965 GT350/GT350R
    1964年、フォード・モーターはマスタングの製造、販売を開始。それに伴いフォード・モーターはマスタングの販売促進の為、SCCAのロードレース参戦を決意。マスタング・ファストバックをベースにしたロードレース用のハイパフォーマンスモデルの開発をシェルビーに委託し、GT350の開発に至る。当時のSCCS Bプロダクション・ホモロゲーション取得には、100台以上の製造販売などが条件であったが、レース出場の約款には市販車から軽量化などのライトチューニングのみ(エンジン、サスペンション、ブレーキ変更不可)で行うというものであった。そのため、市販車がそのままレースに適応できる状態にする必要があった。 GT350はこうした当時のレースシーン、ナショナリズム(アメリカの)、オイルショック前の時代背景といった複合的背景をもって生まれた。

    レース適用の為、ボンネットはFRP、レース用LSD、サスペンションもレース用に強化されたものを、さらにエンジンは289ci(ciはキュービックインチ。289ci は約4.7L)のフォードウィンザーエンジンのハイパフォーマンスバージョンを装備。このユニットはマスタングのオプション用エンジンをベースにシェルビーアメリカン社がさらにチューニング。通常の289ciエンジンよりも高回転で、最高出力は309馬力@6000rpm(from 289 Hi)。

    さらに細かいところでは、遮音材、制振材、ヒーター、パワーステアリングなど快適性を求めるものは一切排除し、軽量化のためアルミケースのトランスミッションや、重量配分などを考慮してバッテリーがトランクに、スペアタイアが車内に移動した。またホモロゲーションが2シータ車であったことなどから、リアシートは取り除かれていた。

    外見的なマスタング・ファストバックとの差は、フロントグリルおよびサイドのバッジとボンネット中央のフードシェイカー。リアの中央にある給油口もコブラのエンブレムがある。色は白地のみで、オプションでストライプ(青)をいれる事が可能。またGT350とGT350Rの間に安全装備以外のスペック的な差はなく、エクステリアでフロントバンパーがFRP化されていた事と、フロント以外の窓がアクリル化していただけである。

    1965年製造モデルはストリートモデル(通常版)が516台、ドラッグレースモデル(GT350R)が9台、その他(プロトタイプなど)が37台、合計562台とされているが、実際はストリートモデル(GT350)が526台、GT350Rが36台となった。製造、販売はシェルビー・アメリカン社。

    1966 GT350/GT350H
    レース指向が強すぎた1965年モデルとは対照的に1966年モデルでは、一般人に受け入れられるようデチューンが施される。レースシーンでは1965年以降、3年に渡りSCCA Bプロダクションで優勝はもちろん、上位独占という華々しいものであった。しかしその実績、人気とは裏腹にGT350の市販車はあまりに評判が悪かった。それは必要以上にレース指向に傾いた仕様に起因していた。そのためフォードのイメージ戦略として市販車の評判を向上させるべく快適性を1966年モデル以降で向上させた。それは足回りやトランスミッションなどのレース指向のスパルタンなパーツはほぼオプション化、オートマティックトランスミッションやエアコン、ラジオの取り付けオプション選択が可能となり、リアシートも折り畳み式に変更。また色の選択も可能となった。 ちなみに外見的な特徴は、サイドクオーターが窓化されたくらいで、1965年モデルとほとんど変わっていない。

    最大の特徴はハーツレンタルカーバージョンの製造が挙げられる。ハーツレンタルカーバージョンはGT350Hとして米国のハーツレンタカー店舗に提供された。これは誰でもスペシャルなマスタングを体験してもらいたいというシェルビーとフォードの意図によるものである。ちなみにGT350Hは一般に販売される事はなかった。 GT350Hの典型的なカラーは黒で(約1000台中、800台)、すべて金のストライプが入っている。

    またキャロル・シェルビーが熱望したコンバーチブルバージョンが製造されている。

    1966年製造モデルはGT350Hも含め2380台(うち6台はキャロル・シェルビーによる特注のコンバーチブル)。

    1967 GT350/GT500
    1967年モデルは外装が大きく変化した。同年にマイナーチェンジが施されたフォード・マスタングをベースにしており、よりエアロダイナミクスを考慮した外装となった。またこのモデルより排気量を向上させたGT500を投入。レース色が濃すぎたイメージを払拭するべくより快適性を求め、マスタングの上位/フラッグシップモデル指向が強くなった。またコブラのバッジが与えられたのもこのモデルからである。

    1967年モデルから追加されたGT500は、428ci(約7.0L)、最高出力が355馬力@5400rpmのV8エンジンを与えられた。そのためトランスミッションもフォード製の強化タイプが適用された。GT350は従来通りの289HiPoモデル。GT350とGT500の差はエンジンのみである。

    ちなみに1967年モデルはフロント周辺外装が2種類存在する。それはハイビームランプの位置である(ラジエータグリルに設置されたランプはフォグランプではなくハイビームランプ)。サイドに位置するメインのランプに挟まれたラジエータグリルにハイビームランプがセットされるのだが、中央に2つ並んでセットされたバージョンと、ラジエータグリルの両端にセットされメインランプと並ぶバージョンがある。これは当時、ランプの横にハイビームランプを設置しなければならないという法律がカリフォルニア州、ペンシルベニア州などいくつかの州で定められていたため、当該する州ではラジエターグリルの両端にハイビームランプがセットされた。またテールランプは1967年型マーキュリー・クーガーからの流用。

    [ 2008/01/17 10:23 ] FORD | TB(0) | CM(0)

    Volkswagen Golf GTI (2) 0'30"

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    ゴルフ( Golf )はドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲンの主力モデルであるハッチバック型の自動車。2007年時点での現行モデルは5代目。車名の由来はスポーツのゴルフではなく、「メキシコ湾流の風(ドイツ語でゴルフシュトローム Der Golfstrom 、英語のガルフストリーム the Gulf Stream に当たる)」である。VWの車名は、風の名前から取ることが多い。(ジェッタ、ヴェント、ボーラ、シロッコetc) 北米では、「ラビット(うさぎ)」の名称で販売されている。

    欧州では「Cセグメント」に分類される乗用車である。トヨタ・カローラに次いで世界中で最も販売されている乗用車であり、 2007年3月には累計の生産台数が2,500万台に達した。日本にもこれまで約60万台が輸入されている[1]。1974年に発売された初代モデルは680万台が生産された。販売はモデルチェンジの度に減少し、1997年発表の4代目モデルの生産台数は430万台であった。

    ジョルジェット・ジウジアーロのデザインになる初代ゴルフは、横置きエンジンによるFF(前輪駆動)方式と、効率的なパッケージングによる、コンパクトな外寸と、余裕のある室内空間を持ち、世界中でヒットとなった。空冷、リアエンジンへの固執や、NSU・アウディ方式でのFFへのトライなど、紆余曲折を繰り返し、ビートルに続く大衆車の開発は難産を極めていた。しかし、これは、ジウジアーロにスタイリングのみならず、設計をも一任することで解決を見た。その理由は、イタリアやフランスの小型車では、FF+ハッチバックは既にポピュラーとなっており、さらにエンジン、トランスミッション、デフを並列に配置する、ジアコーサレイアウトも既にフィアットが手がけており、これらの前例をジウジアーロ自身が熟知していたことが大きい。

    当初は現在のルポ位の大きさであったが、モデルチェンジをするたびにサイズが大きくなっていった。ゴルフIV(4代目)は全幅が日本で言うところの「3ナンバーサイズ」となって、もはや小型車とは呼べない大きさとなり、現在の5代目はさらに大きくなっている。これに伴い、従来ゴルフが担っていたコンパクトカーとしての役割は、弟分のポロが引き継いでいる。

    「GTI」と呼ばれるホットモデルが初代から用意されている。初代は1.6リッター、2代目は、1.8リッターDOHCが搭載されたモデルである。

    なお、初代ゴルフの派生車種にシロッコ(Scirocco)を挙げる場合があが、ともにジウジアーロによるデザインで、開発の時期も重なってはいるもの、発売はシロッコが先行している。これは、生産台数の差から、市場への影響が少ないシロッコで初期不良の洗い出しを済ませ、ゴルフIにフィードバックする為と言われている。現在では、ゴルフと同じプラットフォームを使うアウディ A3が先行して発売され、同じ役割を担っている。

    歴代カブリオ(カブリオレ)の人気が高かったが、現在のゴルフ Vにはカブリオは無く、オープンモデルはイオスと、ゴルフIVベースのニュービートル がその任を担っている。

    5代目(2003年-)
    先代に引き続きプラットフォームはA3と共通。本モデルからはエンジンが直噴化され、先代と同じ排気量と比較しても出力向上がみられる。燃料消費の低減を図っている。トランスミッションはこのクラスでも、ターボディーゼルのトルクにも対応した、アイシンAW製6速ATを採用した。GT TSI以上のグレードにはトルコン式ATではなく、DSGを搭載している。MTは、日本ではGTIとR32のみ設定となっている。外観は、ティアドロップ形のヘッドランプ(涙目)と、それに呼応したリアコンビランプ、ラジエターグリルからフード上に伸びる深いVラインなどをスタイリングの特徴としている。太いCピラーは歴代モデルと同様である。

    フォード・フォーカスの比較対象とされ、さんざんたたかれた操安性を向上させるなどの改良と、内装を中心としたコストの見直しが開発の主眼となった。ベーシックグレードのE、コンフォート志向のGLi、スポーツ志向のGT(GT TSI)、リアルスポーツのGTI、ラグジュアリーなGTX、スポーツプレミアムのR32(この仕様のみ4モーション)と多彩なバリエーションを持つ。特にGTIは先代、先々代と他グレードと見た目にほとんど差が見られなかったが、5代目GTIは明らかに差別化された外観を持ち、多くのバックオーダーを抱えながらも全販売台数の約三分の一を占める人気グレードとなっている。尚、GTIと同じエンジン、トランスミッション(DSG)を搭載するGTXはGTIベースではなく、GTベースであり、日本専用モデルである。「ゴルフワゴン」は「ゴルフヴァリアント」と名称を変更(ドイツ本国の名称に合わせられた)して、登場した。(ワールドプレミアはジュネーブモーターショー)

    製造工場はドイツ・ヴォルフスブルク、及び南アフリカ共和国・ユイテンヘーグ(Uitenhage)であり、日本市場向けのモデルは後者において製造されている。

    [ 2008/01/18 20:23 ] VOLKSWAGEN | TB(0) | CM(0)

    GM Daewoo Winstrom 0'30"

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    シボレー・キャプティバ (Chevrolet Captiva) は韓国のGM大宇が製造し、欧州市場およびベトナムでシボレーブランドで販売している中型クロスオーバーSUVである。豪州ホールデンではホールデン・キャプティバ (Holden Captiva) 、本国韓国ではデーウ・ウィンストーム (Daewoo Winstorm) の名称で販売されている。

    2004年9月のパリモーターショーでコンセプトモデル「シボレー・S3X」が、2006年3月のジュネーヴ・モーターショーで市販モデル(C100型)がそれぞれ公開され、同年夏から各国市場にて順次発売を開始した。

    主に欧州市場を意識して開発された車種であり、既に同じGMシータ・プラットフォームを採用するシボレー・エキノックスが販売されている北米市場には投入されない。5人乗りと7人乗りが用意され、エンジンは直列4気筒エコテック2400cc、V型6気筒アロイテック3200ccの2種類のガソリンエンジン(いずれもホールデンから供給)に加えて、伊VMモトーリ社との共同開発によるGM大宇初の2000ccコモンレールディーゼルエンジンが搭載される。

    [ 2008/01/19 15:42 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

    GM Daewoo Matiz (1) 0'30"

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    マティス (Matiz) は韓国のGM大宇 (GMDAT) が製造する超小型車である。現在では韓国と一部の地域を除いてシボレー・マティス (Chevrolet Matiz) もしくはシボレー・スパーク (Chevrolet Spark) の名称で輸出もしくは現地生産されている。また、メキシコではポンティアック・マティスG2 (Pontiac Matiz G2) として販売されている。

    2代目 (M200型)
    2005年にフルモデルチェンジを実施し、二代目に移行。エンジンは3気筒800ccと4気筒1000ccの二本立て。 韓国国内では旧モデルの差別化から「オールニューマティス」と表記される場合がある。 2006年にノーマル仕様と若干外装などが異なるグレード「SE」が韓国国内で追加された。 日本では2006年にナゴヤドームで開催された名古屋輸入車ショウで初披露された。2007年には韓国内でキム・テヒがCMに出演し、CMに登場したマティスがオークションにかけられた。

    [ 2008/01/20 13:52 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

    GM Daewoo Matiz (2) 0'35"

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    マティス (Matiz) は韓国のGM大宇 (GMDAT) が製造する超小型車である。現在では韓国と一部の地域を除いてシボレー・マティス (Chevrolet Matiz) もしくはシボレー・スパーク (Chevrolet Spark) の名称で輸出もしくは現地生産されている。また、メキシコではポンティアック・マティスG2 (Pontiac Matiz G2) として販売されている。

    2代目 (M200型)
    2005年にフルモデルチェンジを実施し、二代目に移行。エンジンは3気筒800ccと4気筒1000ccの二本立て。 韓国国内では旧モデルの差別化から「オールニューマティス」と表記される場合がある。 2006年にノーマル仕様と若干外装などが異なるグレード「SE」が韓国国内で追加された。 日本では2006年にナゴヤドームで開催された名古屋輸入車ショウで初披露された。2007年には韓国内でキム・テヒがCMに出演し、CMに登場したマティスがオークションにかけられた。

    [ 2008/01/21 13:27 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

    GM Daewoo Lacetti (2) 0'32"

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    ピニンファリーナがデザインを担当したセダンとステーションワゴン、およびジョルジェット・ジウジアーロがデザインを担当した5ドアハッチバック(オプトラ5)の3タイプがある。日本では2005年よりスズキが輸入販売しているが、2006年モデルからはセダンの販売が中止されてワゴンのみの取り扱いになっている。スズキがオプトラワゴンを取り扱っているのにはカルタスワゴンの生産中止以後ステーションワゴンを自社生産していないため、ラインアップを補完する意味であり、後継車であるものと思われる。しかし、ゼネラルモーターズがスズキの株式の大半を売却したことに伴うスズキの輸入GM車取扱の中止に伴い、2006年一杯でワゴンの取扱も中止した。

    エンジンはオーストラリアのホールデンが開発した2リッターエンジンを搭載している。 同クラスの国産車とは異なりトラクションコントロールやヘッドランプレベライザー、ワゴンのみにラゲッジパーティションネットを標準装備で設定される。グレードはモノグレードで、サンルーフと本革シートがそれぞれメーカーオプションで設定される。

    海外での車名
    • 本国(韓国) - 大宇・ラセッティ(セダン/ハッチバック/ステーションワゴン)
    • 米国 - スズキ・フォレンツァ(セダン/ステーションワゴン)、スズキ・リーノ(ハッチバック)
    • カナダ - シボレー・オプトラ/スズキ・フォレンツァ(セダン/ステーションワゴン)、スズキ・リーノ(ハッチバック)
    • 欧州 - シボレー・ラセッティまたはシボレー・ヌビラ(セダン/ハッチバック/ステーションワゴン)
    • 南米(ベネズエラ/コロンビア/エクアドル/チリ) - シボレー・オプトラ
    • タイ/シンガポール/マレーシア/フィリピン/インド/南アフリカ共和国 - シボレー・オプトラ
    • ベトナム - 大宇・ラセッティ(セダン)
    • 中国 - ビュイック・エクセル(セダン)、ビュイック・エクセルHRV(ハッチバック)
    • オセアニア - ホールデン・ヴィヴァ
    [ 2008/01/22 13:17 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

    GM Daewoo Lacetti (1) 0'30"

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    ピニンファリーナがデザインを担当したセダンとステーションワゴン、およびジョルジェット・ジウジアーロがデザインを担当した5ドアハッチバック(オプトラ5)の3タイプがある。日本では2005年よりスズキが輸入販売しているが、2006年モデルからはセダンの販売が中止されてワゴンのみの取り扱いになっている。スズキがオプトラワゴンを取り扱っているのにはカルタスワゴンの生産中止以後ステーションワゴンを自社生産していないため、ラインアップを補完する意味であり、後継車であるものと思われる。しかし、ゼネラルモーターズがスズキの株式の大半を売却したことに伴うスズキの輸入GM車取扱の中止に伴い、2006年一杯でワゴンの取扱も中止した。

    エンジンはオーストラリアのホールデンが開発した2リッターエンジンを搭載している。 同クラスの国産車とは異なりトラクションコントロールやヘッドランプレベライザー、ワゴンのみにラゲッジパーティションネットを標準装備で設定される。グレードはモノグレードで、サンルーフと本革シートがそれぞれメーカーオプションで設定される。

    海外での車名
    • 本国(韓国) - 大宇・ラセッティ(セダン/ハッチバック/ステーションワゴン)
    • 米国 - スズキ・フォレンツァ(セダン/ステーションワゴン)、スズキ・リーノ(ハッチバック)
    • カナダ - シボレー・オプトラ/スズキ・フォレンツァ(セダン/ステーションワゴン)、スズキ・リーノ(ハッチバック)
    • 欧州 - シボレー・ラセッティまたはシボレー・ヌビラ(セダン/ハッチバック/ステーションワゴン)
    • 南米(ベネズエラ/コロンビア/エクアドル/チリ) - シボレー・オプトラ
    • タイ/シンガポール/マレーシア/フィリピン/インド/南アフリカ共和国 - シボレー・オプトラ
    • ベトナム - 大宇・ラセッティ(セダン)
    • 中国 - ビュイック・エクセル(セダン)、ビュイック・エクセルHRV(ハッチバック)
    • オセアニア - ホールデン・ヴィヴァ
    [ 2008/01/23 13:12 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(1)

    GM Daewoo Gentra 0'30"

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    2005年の上海オートショーで世界初公開され、同年9月に韓国仕様車が大宇・ジェントラ (Daewoo Gentra) として先行発売された。ただし、今のところセダンのみのラインアップとなっており、ハッチバックについては先代のカロスが継続販売されている。なお、デザインはGMと上海汽車との合弁で中国に設立された汎亜汽車技術中心(PATAC)が担当している。

    海外での展開については、北米では2006年1月のロサンゼルス・モーターショーで新型が発表され、同年夏に発売を予定している。また、オーストラリアでは同年2月にホールデン・バリーナセダンとして発売され、中国ではシボレー・ロヴァ (Chevrolet Lova) の名称で同年に発売された。さらにメキシコにもポンティアック・G3 (Pontiac G3) として投入される。

    [ 2008/01/24 12:59 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

    GM Daewoo Tosca (2) 0'30"

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    2005年12月に韓国仕様車が大宇・トスカ (Daewoo Tosca) の名称で発表され、翌2006年1月から発売を開始した。なお、この車名は公式には"Tomorrow Standard Car"の略であるとされるが、ジャコモ・プッチーニのオペラ「トスカ」という説もある。その後、シボレーブランド版が同年3月のジュネーヴ・モーターショーで発表された(今回から欧州向けもエピカのネーミングを使用)。また、豪州でもホールデン・ベクトラ(オペル・ベクトラの豪州仕様車)に代わってホールデン・エピカとして販売される。なお、V250型はスズキへのOEM供給は行われず、スズキ・ヴェローナは2006年モデルを最後に打ち切りとなった。

    基本設計は先代のものを踏襲しており、横置きFFで直列6気筒エンジン(2000ccと2500cc)を搭載する。2006年3月には韓国国内向けとしてLPGガスインジェクション方式のLPG車も追加された。なお、ディーゼルエンジンも遅れて追加される予定である。

    [ 2008/01/25 12:54 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

    GM Daewoo Tosca (1) 1'30"

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    2代目(V250型、2006年)
    2005年12月に韓国仕様車が大宇・トスカ (Daewoo Tosca) の名称で発表され、翌2006年1月から発売を開始した。なお、この車名は公式には"Tomorrow Standard Car"の略であるとされるが、ジャコモ・プッチーニのオペラ「トスカ」という説もある。その後、シボレーブランド版が同年3月のジュネーヴ・モーターショーで発表された(今回から欧州向けもエピカのネーミングを使用)。また、豪州でもホールデン・ベクトラ(オペル・ベクトラの豪州仕様車)に代わってホールデン・エピカとして販売される。なお、V250型はスズキへのOEM供給は行われず、スズキ・ヴェローナは2006年モデルを最後に打ち切りとなった。

    基本設計は先代のものを踏襲しており、横置きFFで直列6気筒エンジン(2000ccと2500cc)を搭載する。2006年3月には韓国国内向けとしてLPGガスインジェクション方式のLPG車も追加された。なお、ディーゼルエンジンも遅れて追加される予定である。

    [ 2008/01/26 12:49 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

    Honda Accord Wagon 2'00"

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    4代目(2002年- CM1/2/3型)
    アコードより1ヶ月半ほど遅れて2002年11月28日に登場。エンジンはすべて新開発のK24A型 2,400cc DOHC i-VTECとなり、アコードセダンやオデッセイアブソルートに搭載されている200PSと、ワゴン専用で超低排出ガス仕様の160PSの2種類のエンジンを使用する(違いは排気口が両出しが前者、右側にしかないものが後者となる)。

    スタイリングを大幅に変更し、ハヤブサをモチーフに設計されたウイングルーフを採用し、先代の反省を生かし、実用性向上の観点から後方部も傾斜式からごく普通の直立式になっている。更にリアシートが可到式となっており、巨大なカーゴスペースが得られる。型式名はCM2/3。

    ステーションワゴン初の電動式リアテールゲートを採用。また、ヘッドライトはアコード同様の「鋭い目」であり、セダン同様ドアミラーウインカーを標準装備しており、リアコンビネーションランプは従来の台形風からマツダ・デミオ(2代目)のテールランプに類似した丸型重視の横長のテールランプとなる。トランスミッションは全グレードSマチック付き5ATで、先代のゲート式からストレート式になった。また、「24T」と「24T・エクスクルーシブパッケージ」にはオプション設定でHiDS(インテリジェントハイウェイクルーズコントロール・レーンキープアシストシステム)が装備できる。

    また、ヨーロッパでは「アコードツアラー (ACCORD TOURER)」として販売されている。CMソングは「カルメン」のアレンジ版。

    2004年10月21日にグレード整理が行われ、「24E・エクスクルーシブパッケージ」が「24E・プレミアムパッケージ」に変更となり、新たに最廉価グレードとしてK20A型 2,000cc DOHC i-VTEC(155PS)を搭載した「20A」(型式名 CM1)がラインアップされた。

    2005年11月24日にマイナーチェンジが行われた。「24T」シリーズはアコードセダン同様の「タイプS」となり、「24E」シリーズは「24EL」となった。

    現在、ニッポン放送がラジオカー3号として、アコードワゴンを使用している。黄色の塗装にボンネットには、フジサンケイグループのロゴマークがつけられている。

    5代目(2008年)
    2007年9月11日から23日まで行われる、フランクフルトモーターショーに、5代目(欧州仕様 アコードツアラー)のコンセプトモデルが出展される。このモデルは、欧州地域で2008年半ばに発売が予定されている。

    [ 2008/01/27 10:58 ] HONDA | TB(0) | CM(0)

    Mercedes Benz Alonso vs Hamilton...Commercial 1'00"

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    この二人は永久的に争うんだろうな・・・

    [ 2008/01/28 21:23 ] MERCEDES BENZ | TB(0) | CM(0)

    Mercedes Benz G-Class Commercial 0'28"

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    Gクラス(ジークラス、Mercedes-Benz G-Class)は、ドイツの自動車メーカーダイムラー社が生産し、同社がメルセデス・ベンツブランドで販売しているラグジュアリーSUVである。「G」とはドイツ語でオフローダーを意味する、「ゲレンデワーゲン」(Geländewagen)の頭文字である。
    BR> 1979年登場。NATO正式採用という実績も持つもともと軍用車両であったゲレンデワーゲンを民生用にアレンジさせたものが、現在のGクラスの源流である。およそ四半世紀に及び、幾度ものマイナーチェンジを受けた。最高速度も当初の2倍以上となっており、同じ車といえるのは、その性格と外観のみであると捉えることもできるが、メルセデス・ベンツでは、すべてのモデルチェンジをひとつのGクラスとして扱っている。発売当初から基本コンポーネントが変わらないという、ある意味不変の車種であり決して万人向け、ファミリー向けという車種ではなかった。その一方でこのモデルが放つ強烈な個性から、芸能人やデザイナーなどの愛好家も多い。製造は、オーストリア・グラーツで行われている。日本では1981年に発売が開始され、ショートボディやカブリオレ、ディーゼルエンジン搭載モデルなど、多種多彩なモデルが輸入された。

    かつてはイギリスやオーストラリア、そして日本向けに右ハンドルモデルを生産していたが、Mクラスが登場して以降、右ハンドルモデルの生産は行われておらず、日本以外の左側通行の国や地域での販売は終了している。

    また230Gをベースにボディ上部を取り払ってその部分に防弾ガラス製の箱のようなものを載せたローマ教皇専用車として公式行事などで使用されていたが、現在ではフォルクスワーゲン・トゥアレグに同様の架装を行った車輌が取って代わっている。

    2006年、メルセデス・ベンツブランドの最上級SUVとしてGLクラスが発売された。このモデルは、その名称が示すように、本来はGクラスと置換えでのラインナップが企図されていたが、実際にはその後もGクラスの販売は継続されている。

    日本では現在、「G500 long」と「G55 AMG long」が販売されている。国土交通省の定める保安基準に準拠して、右フェンダーにサイドアンダーミラーが装着された。価格は1210~1650万円で、国内にある装備・仕様であれば、購入から概ね2~3週間での納車が可能である。なお、求める仕様・装備の車がない場合は、概ね6ヶ月程度の期間を要する。

    [ 2008/01/29 20:50 ] MERCEDES BENZ | TB(0) | CM(0)

    Mercedes Benz Inventions Commercial 1'00"

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    メルセデス・ベンツ (Mercedes-Benz) は、ドイツの自動車会社、 ダイムラー(2007年~)が所有する乗用車、バス、トラックのブランドである。 1926年のほとんど同時期に設立された世界最古の自動車会社である、ベンツ&シー・ライニッシェ・ガスモトーレン・ファブリーク(1883年~1926年)とダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト(1890年~1926年)で1900年から使用されていた「メルセデス」を始まりとし、その後1926年の合併により、正式に「メルセデス・ベンツ」ブランドがスタートした。以降、社名はダイムラー・ベンツ(1926年~1998年)、ダイムラー・クライスラー(1998年~2007年)と変更されるも、ブランド名の変更はない。

    ドイツ、シュトゥットガルトを拠点に、乗用車と商用車を「メルセデス・ベンツ」のブランドで展開している。

    世界を代表する高級車ブランドとしての一面と、タクシーやトラックなどとしても広く使われる実用車・大衆車の供給者としての一面がある。

    富裕層のステータス性を象徴する乗用車としての一面がある反面、欧米のメディアやマスコミにおいては、武器商人やビバリーヒルズの歯医者、セレブリティの所有車といった成金的なイメージとして表象されることも多く、日本でも暴力団や芸能、テレビ関係者、スポーツ選手等が好む車の代名詞として知られている。また、外交官向け販売を行っていることより、冷戦時代においては東側諸国の外交官の利用者も多く、その為「ペルソナ・ノン・グラータ向けの車」と揶揄されることもあった。

    日本では、もっとも代表的な高級車ブランドとして挙げられ、外車=高級車のイメージ形作る要因の一つとなった。一方、中古車では安価でも高価に見える車両も多く販売されており、「ベンツは高い」や「金持ちが乗る車」という固定観念は、一概に正しいとは言えない。日本で販売されている車種の新車販売価格は、約250万円台(Aクラス) ~ 5,700万円台(SLRマクラーレン)であり、すべてのクラスにおいて、国産車で同じ排気量を持つ車種の1.5倍以上の価格設定である。 また、CAR and DRIVER誌が東京・青山通りで行なっている車種別の通行数ランキングでは、カローラなどの大衆車を押さえ、Eクラスが1位の常連となっている。 2006年の販売台数クラス別ランキング(世界)では、1位はEクラス、2位はSクラス、3位はCクラス、4位はBクラスである。

    バスやバン、特殊車両なども含めた商用車の主な市場は、ヨーロッパのほか、中東、アジア、中南米諸国などである。

    北米では、商用バン「スプリンター」がバッジエンジニアリングを受け、クライスラーから「ダッジ・スプリンター」として販売されている例がある。

    日本ではダイムラー子会社のバスなどを三菱ふそうトラック・バスが販売、多目的商用自動車であるウニモグをワイ・エンジニアリング株式会社が販売している。

    1886年にドイツの技術者、カール・ベンツによって創設された世界最古の自動車メーカーの一つ。 1886年に世界初の自動車として初の特許を取得している。しかし当時は、自動車の有用性に気が付く者は無く、当時の交通の主役であった「馬を怖がらせる邪魔者」的な存在であった。 そうした中、カール・ベンツの婦人であるベルタ・ベンツは、夫の発明がすばらしいものであるということ何とか世間に認めてもらいたいと考え、あるアイデアを実行に移す。 1888年8月5日、夫カールがまだ寝ている間に、二人の息子と連れ立ち自動車に乗り町を出発した。当時の道は、当然舗装されたものではなく、また空気タイヤもまだ自転車用が発明されたばかりだっため自動車用は存在せず、その過酷さは余りあるものだった。さらには、ガソリンスタンドなど無いため、ガソリンを薬局で購入するなどして旅行を続けた。やがて、陽の暮れる頃マンハイムから106km離れたプフォルツハイムの街に到着する。やがて疲れ果てたベルタと息子たち、そして自動車の回りに町中の人たちが集まり、ベルタたちに惜しみない賞賛の声が送られた。この距離と時間は、当時の馬車で10頭以上の馬を乗り換えなければならないほどのものだったのである。これらの成功により、ベルタの当初の目論見は達せられ、その後カールの発明は広く知られるようになった。同時に、ベルタは世界初の女性ドライバーであり、世界初の自動車長距離旅行として歴史に名を残すことになる。

    1920年代より、当時ヨーロッパで盛んになっていたモータースポーツに積極的に参戦し、数々の好成績を収めその名声を確固たるものにした。 その後、ゴットリープ・ダイムラーは、ベンツと殆ど同時期に創設したダイムラー社と1926年に合併する。

    ナチスの創設者でドイツの独裁者であったアドルフ・ヒトラーは、政権獲得後の1933年2月11日、国際ベルリンモーターショーにおける開会宣言で新時代の交通機関である自動車と自動車道路の建設に注目し、モータリゼーションの速度を速めることが国家の防衛力を高めることになると説いた。これ以降政府は自動車税の撤廃、アウトバーン建設、国有鉄道にトラック輸送部門の新設等の政策を打ち出した。

    ナチス党は、党内に国家社会主義自動車隊(NSKK)を設け、運転技能者育成を始める。ベンツは運転教官の派遣、教習車の無償提供、国家社会主義ドイツ労働者党機関への役員の派遣等で積極的に対応して、国家社会主義ドイツ労働者党の強力なバックアップによりグランプリ・レース、ル・マン24時間レースやミッレミリアなどのレースで同じくバックアップを受けるアウトウニオンなどとともに活躍した。

    また、1935年ドイツ再軍備宣言以降のドイツの軍備拡張を支える企業として、戦闘機のエンジンや軍用車両などの生産を行う。1939年9月に勃発した第二次世界大戦中は軍需生産に集中して、連合軍の爆撃の標的になるなどしてドイツの敗戦までの約6年間に壊滅的な損害を受ける。また、大戦中にユダヤ人や連合軍の捕虜を大量に強制労働者として使用した事から戦後多額の賠償を行うことになった。

    その後、1950年代以降のドイツ経済の回復に合わせるように、ミッレ・ミリアやル・マン24時間レースで大活躍した300SLRや、石原裕次郎の愛車として有名な300SLなどの数々の名車を送り出す。

    その後も1960年代後半に発売されたミディアム・クラス(現在のEクラス)や、R107SL、「サッコプレート」で有名なブルーノ・サッコの手による、W124(このときからコンパクトクラスが「E」クラスと呼ばれる)、また、ドイツのヘルムート・コール首相の専用車であったW126(クーペの「SEC」は「C126」)、そしてアメリカのCAFE対策で生まれたW201(通称190E / 現行W204Cクラスにつながる)、などのヒット作を市場に送り出し、高級車市場での存在感を持ち続けている。

    またこれらのモデルのシートは、世界でも唯一の高品質な構造をしており、非常に快適なことで知られる。下からコイルスプリング、網状のスプリング、ウレタン性ダンパー、椰子繊維と馬の毛で作った通気性の良いクッション、ウール製の表皮(ベロア、ファブリック)で構成され十分なサイズと調整機能(電動調整式が多い)があり、滑らず疲れにくい、耐久性も著しく高い。

    1980年以降、オプション装備としてのエアバッグ設定で先行するなど、自動車の安全向上に関わる実績がある。またジグザグ形状のゲート式ATシフトレバー(現在特許が切れて、多くの自動車メーカーにより模倣されている)、衝撃吸収三叉式構造ボディ、シートベルトテンショナー、レインランネル(雨水を窓に流さないボディ構造)、凹凸のあるテールランプ、衝突時に体を守るステアリングコラムとブレーキペダル、横滑り防止装置、グリップ式ドアハンドル、本体強度取り付け強度の高いベンツ独自のシート、伸縮しながら窓を拭くワイパー、2速発進及び2速後退機能つきAT、安全性を徹底追及したシャシ(スポーツ走行には向かない)等枚挙に暇がないほどである。

    かつては「Das Besten oder Nicht(最善か、無か)」の企業スローガンの元、「全ての形に理由がある」と言われるほど質実剛健であり良い意味で過剰性能・品質であったのだが、1990年代中盤以降の利益率向上を目指したコストダウンによって、市場に迎合し単なる高額ブランド商品的な製品が多く見られるようになった。

    特に1997年に発売されたメルセデス・ベンツとして初のアメリカ工場(アラバマ州)で生産されたMLクラスは、その品質の低さと完成度の低さで「アラバマ・メルセデス」と酷評され、全世界におけるブランドイメージを大きく落とすことに一役買う結果になってしまった。また、先代Sクラス(W220)及び先代Eクラス(W210)が登場した際、古くからのメルセデス・ユーザーが代替した直後乗り味や質感の違いに先々代の新車(Sクラス:W140、Eクラス:W124)(W124の500E初期(91/92年)モデルはポルシェのラインを使用した生産)への交換を要求するなどのことが発生した。

    これらのことにより、1990年代後半では「Das Besten oder Nicht(最善か、無か)」時代に発売された車種が一時的に中古車市場にて高値で取引され、程度によっては後に発売された後継車よりも高値をつけるなど、ある意味異常な状態も発生した。

    これらの問題に対して、メルセデス・ベンツは、各車種のイヤーモデルごとに品質の改善を進め、1998年デビューの後期型Cクラス(W202)や1999年デビューの後期型Eクラス(W210)での品質改善、2000年代以降のモデルであるEクラスやSLクラス、SLKクラスなどでの初期設計からの品質改善などをすすめた。

    また、以前と比べて補器類やゴム部品などの交換耐用年数も大幅に伸びて、高年式になるとメンテナンスに手間と金額が掛かる車ではなくなった。特に2005年以降のイヤーズモデルでは、新Sクラス(W221)の発売や最販車種であるEクラスの各種リコールによる問題部分の変更がすすみ、品質の安定と故障率の低下を実現している。

    1997年に登場したAクラスが、北欧の自動車雑誌による“エルクテスト”と呼ばれる危険回避の運転操作の際に横転し、「メルセデス・ベンツにあるまじき失態」と世界中で報じられることになった。その後メルセデス・ベンツは発売した全てのAクラスをリコールしESPを装着するなどの改修を実施したものの、この事件は世界中に報道されたばかりでなく、多くの報道記事において、同時期に発売されその品質の低さと完成度の低さで酷評されたMLクラスの失態と並んで報じられたこともあり、大きく評価を下げることになってしまった。

    さらに、2004年から2005年にかけて発生した、ボッシュ製SBC(センソトロニック・ブレーキ・コントロール)の2度に渡るリコールは、主力車種であるEクラスと看板車種のSLクラスで発生し、安全を最も重要なブランドイメージとしている、「メルセデス・ベンツ」にとって、大きな痛手となり経営を極度に悪化させる原因となった。

    このSBCは、雨天時などの走行でブレーキディスクが濡れ、通常であれば制動力を損じてしまうようなケースでも、意図的にディスクバットを僅かに付着け、摩擦熱でディスクを乾かしたり、アクセルペダルを放した瞬間にディスクバッドを僅かな隙間を残して近づけるなど、非常に安全性を高めるものだった。しかしそのセイフティープロセスの要である、センサー類の故障により、SBCが利かなくなり、バックアップの通常のブレーキ(約5倍の踏力を必要)が突如作動するというものであった。

    なお、2005年8月以降に発売されたEクラス、SLクラスでは、各種リコール対応により、十分な信頼性の確保が行われたが、イメージ的な判断であったのか、マイナーチェンジ後はこの装備がなくなっている。この年のアメリカでの信頼性調査では、メルセデス・ベンツは37ブランド中29位、ジャーマン・オートモービル・グラブの顧客満足度調査では、33ブランドのなかで最下位だった。

    「メルセデス(スペイン語で『慈悲深い人』という意味)」という名前は、命名された1899年当時、ダイムラー車のディーラーを経営していたオーストリア・ハンガリー帝国の領事、ユダヤ系ドイツ人エミール・イェネリックの娘の名前である。「ダイムラー」という硬い響きを持つブランドネームを避け、当時流行していたスペイン風の響きを持つ名前をあえて選んだと言われている。「メルセデス」ブランドは非常に有名になったこともあり、ダイムラー・モトーレンは1902年、メルセデスを商標登録した。なお、欧米では一般に「メルセデス」「メルセデス・ベンツ」と呼ばれるのに対して、日本では「ベンツ」と呼ばれることが多い。

    なお、ドイツ語の原音に近い読み方では「メルツェデス」となる。自動車評論家の徳大寺有恒は著書や自動車雑誌の中でこの表記を用いることが殆んどである。また、五木寛之も著書の中ではこの表現に固執して使っている。しかし、この読み方はまったく認知されていない。

    メルセデス・ベンツの車体に輝くエンブレムは、合併前のダイムラー社が使用していたスリーポインテッド・スターとベンツ社の円形月桂冠とを併せデザインされたもので、3点にはそれぞれ「陸・海・空」の各分野でダイムラーベンツ社の繁栄が込められている。

    メルセデスのセダン、クーペ、オープンカーでは、銀色のボティがもっとも人気高い。この理由のひとつとしてあげられるのが、「シルバー・アロー」の逸話である。

    1934年~1937年のグラン・エプルーブ、グランプリ・レース(現在のF1世界選手権に相当)は、後に「750kgフォーミュラ」と呼ばれることとなる、車重を750kg以下とするレギュレーションで実施されていた。

    1934年のニュルブルクリンクにおけるアイフェル・レンネン(アイフェルレース)前夜、車両重量規定をわずか1キログラムオーバーしてしまったメルセデス・チーム(監督はアルフレート・ノイバウア)は、苦肉の策としてボディーの純白の塗装をすべて剥がすことを決断する。

    一晩かかって塗装を落としたアルミむき出しの銀色のボディーに、直接ゼッケンを貼り付けてレースに参戦、そしてこの車を駆るマンフレート・フォン・ブラウヒッチュが優勝する。それ以降メルセデスのレーシングカーは銀色がトレードマークとなり、「シルバー・アロー」の愛称で呼ばれるようになった。また、これ以降ドイツのナショナルカラーも、それまでの白色から銀色とされた。

    同時期に活躍した、アウトウニオンも同様に銀の塗装で「シルバー・フィッシュ」と呼ばれ、第二次世界大戦の勃発する1939年まで、シルバー・アローとシルバー・フィッシュのドイツ勢が、グランプリを席巻するのである。

    日本における販売台数は、49,713台(2006年、日本自動車販売協会連合会)である。内訳は、1位:Eクラス 9,639台、2位:Sクラス 8,078台、3位:Cクラス 8,042台、4位:Bクラス 7,189台、5位:Aクラス 5,157台(2006年、日本自動車輸入組合)など。

    「高級車」、「高価」というイメージだけが先行して浸透しており、車自体の質について語られることは少ない。また、「暴力団」がよく好んで乗る車(特に黒)というイメージもある。浜田省吾の「MONEY」という楽曲の歌詞には、金持ちの象徴としてドン・ペリニヨンとともに引用されている。

    正規ディーラーとして長年取り扱ってきたヤナセと、1990年代以降にスタートしたシュテルン(現メルセデス・ベンツ店)での取り扱いが行われている。

    バブル景気末期の1980年代後半から1990年代前半にかけて、一部の三菱ギャラン店で販売されていた事があった。現在も三菱系ディーラーがメルセデス・ベンツ店を運営する場合もある。またシュテルン店の母体の一部にはトヨタや日産などの国産車ディーラーの子会社が運営しているところもある。このほか、並行輸入がいくつかの輸入業者によって行われており、正規輸入ディーラーでは取り扱っていない車種やオプションの組み合わせを購入することが出来る。

    1998年4月以降(AMG、Gクラスは6月以降)に、正規販売店で新車を購入した場合、3年間の無料保障と故障や事故時に「24時間ツーリングサポート」を受けることが出来るサービス。特徴的なのは、一般的な故障などのほか、ワイパーブレード、オイル、ブレーキパッド、ブレーキディスクなど一部ではあるが消耗品も無料交換の対象となることである。車検整備にかかる費用及び車検取得に必要な諸費用は含まれない。

    欧米の正規代理店で購入できる車種と、日本国内の正規代理店から購入できる車種で、装備や内装などに違いがあることがある。販売戦略によるケースが大部分であるが、一部法規や、マーケティング分析の明らかなミス・手抜きと思われる様なものもあり、ユーザー間で是正が待たれている。

    他の高級車に装備されたり、欧米での購入時には対応できるもので、国内購入のメルセデス・ベンツに装備されないものの一例
    • ハンズフリー装置 : DoCoMo(mova、後にFOMAを追加)のみ対応。BMWなどの競合他社は基本的に全キャリア対応となる。
    • HDDカーナビ : Sクラスや、Aクラスなど一部の車種のみに対応しており、(最販売車種であるEクラスなどには設置ではない)競合他社は基本的に標準かオプションなどでHDDカーナビを選択することが出来る。
    • オートクルーズコントロール : 前車との位置により自動的に加減速する装置であるが、法規上の問題に対応できず[要出典]Sクラス以外には装備されていない。
    • iPod接続機能 : 最近販売された一部車種のみ接続でき、大部分の車種で接続できない。(外部入力端子そのものがないケースが多い)
    • SOSシステム : 事故時などに、自動的に事故情報と生存者の状況を問い合わせるための音声回路が接続されるシステム。北米で運用されている。
    正規輸入ディーラーとしてコマツ、シュテルン及びその他ディーラーでの取り扱いが行われていたが、ダイムラー・クライスラーと三菱ふそうトラック・バスとの関係の強化に伴い、2006年までに日本における輸入販売事業から撤退した。

    ウェスタン自動車(メルセデス・ベンツ日本総代理店)によって1985年に輸入され、1986年に宮城野観光バスに導入されたものが最初である。その後、日の丸自動車興業や岐阜バスなどで導入された。

    当初はほとんどが貸切バスとしての導入であるが、日本急行バス(当時)では、名神ハイウェイバス名古屋~神戸線を中心に「ベンツ特急」と銘打って昼行高速バスへ投入した。

    1993年に西日本鉄道などへ導入された2台を最後に、新車での輸入は途絶えていたが、その後2006年になって、東京都内の新規貸切バス事業者によって、イギリスで使用されていたスーパーハイデッカー「トゥーロ」が中古車で2台輸入されており、現在は日の丸自動車グループに売却されている。

    路線バス車両については、大阪市交通局の小型コミュニティバス(通称「赤バス」)にメルセデス・ベンツ・スプリンター(T1N)が13台導入されたのが最初である。また、2007年末には神奈川中央交通に連節バス(シターロG)が導入されている。

    様々な特殊パーツを装備できるウニモグをワイ・エンジニアリング株式会社が販売している。

    S/SS/SSK/SSKL 通称Sシリーズ。1927年、前身のKシリーズをいっそうスポーティにしたモデル「S」(SはSport(シュポルト)の略)が登場。設計はフェルディナント・ポルシェである。前身のKシリーズのフレームにキックダウンをつけることで低重心化し、エンジン位置も調整したもので、市販車であるがそのままレース出場すら可能な、文字通りのスーパースポーツカーである。Sシリーズはエンジン排気量・ホイールベースの改良により、SS/SSKへと進化。SSKに至っては、 1920年代の市販車でありながら、最高速は時速192kmを出すことが可能であったという。日本では、SSKがルパン三世の愛車としても知られている(但し、エンジンはフェラーリ12 気筒に変更されているという設定)。究極的には、エンジンを当時としては例のない300馬力まで強化し、大幅にストリップダウンされて軽量化したSSKL となり、最高速は時速235kmに達したが、これはレース専用であり、僅か数台が製造されただけであるとされる。SSKLは、1931年には、伝統のミッレ・ミリアを制したことでも名高い。Sシリーズは、名手ルドルフ・カラツィオラの活躍や、その生産台数の少なさもあり、現在まで伝説のマシーンとして記憶されている。

    • 170H
    • 540K ホルヒ853と互角に競った、最高のパーソナルカーである。当時、どの自動車会社もスペシャリティモデルはすべてコーチワークをコーチビルダーに任せていたが先代の500K同様、自社でコーチワークを行っている。だがその完成度はコーチビルダーに勝るとも劣らない程であった。又、映画サウンド・オブ・ミュージックでもこれのカブリオレBが使用されている。
    • 260D 世界で初めてディーゼルエンジンを搭載・市販された乗用車である。
    • 770(770K)、 通称「グローサー・メルセデス」と呼ばれている直列8気筒のこのモデルはダイムラー・ベンツのフラッグシップモデルである。主な顧客は世界の王侯貴族や富豪層、そしてヒトラーを始めとする国家社会主義ドイツ労働者党の高官達である。モデルは初代と2代目がある。国家社会主義ドイツ労働者党では戦勝地でのパレードで国力を見せつけるために使用された、まさにグローサーの名に恥じない偉大なモデルである。このグローサーの初代モデルはかつて大日本帝國の皇室で昭和天皇の御料車として15年以上使用された(ドイツ、Stuttgartのメルツェデスベンツミュージアムで展示)。同じ770でもヒトラーら国家社会主義ドイツ労働者党の高官達のものは、当時のダイムラーベンツ社の技術部長であったフェルディナント・ポルシェ開発によるスーパーチャージャー(Kompressor)を追加したものであり、特にヒトラーのものはレーサーのルドルフ・カラツィオラ (Rudolf Caracciola)により納車された。
    300SL スポーツクーペ/ロードスター。世界初のガソリン直噴エンジン搭載車。クーペはガルウイングが特徴。

    190E(W201) 長らく小型車を持たなかったメルセデスが1982年に発表、業界を驚かせた。アメリカのCAFE対策で生まれた車。名称も本来メルセデスは排気量を示す「190」がそのまま車名になってしまい、2.3リットルモデルは、190E2.3等とCクラス出現までは変則的な名称となってしまった。デザインは、社内デザイナーのブルーノ・サッコの手による。ブレーメン工場で初めて生産された。小型化するために世界初のマルチリンク(ポルシェ・928のバイザッハアクスルが先とする説もある)。本来の目的はラリー参戦とも、アメリカ合衆国で販売する際のメーカーの総排気量規制の結果とも言われる(ラリー参戦については実現しなかったがツーリングカーレースには参戦)。コスワースが開発に協力した高性能版『2.3-16』後の『2.5-16』は特に有名で4ドアセダンの高性能モデルの魁となった。オリジナルの2リットル版の他に 2.3/2.6リットルの直6や2.5リットルのディーゼルを搭載した車両もあったが、ボディタイプは上級車であるミディアムクラス(後のEクラス)と異なり4ドアセダンのみだった。バブル経済時代の日本では5ナンバーサイズに収まることから「小ベンツ」と呼ばれもっとも街中で見かけるメルセデスと言うことで揶揄された。しかしサスペンション等、上級車であるミディアムクラス(後のEクラス)との共通部品が多く、所謂ダイムラー・ベンツとクライスラーの合併以前の「Das Besten order Nicht(最善か、無か)」時代のモデルである。

    メルセデス・ベンツの車両は第二次世界大戦前からモータースポーツに盛んに登場していた。

    1934年から1939年の第二次世界戦勃発まで、メルセデス・ベンツとアウトウニオンのドイツ勢は、ヨーロッパのモータースポーツ界を完全に席巻した。

    メルセデス・ベンツチームは偉大なレース監督アルフレート・ノイバウア (Alfred Neubauer)(サインボードの発明者である)により、まさに軍隊的規律の元でレースに臨み、結果を出しつづけたのである。

    BR> 1937年に登場したマシンW125に到っては、600馬力を超えるエンジンを持ち、最高速度は現代のF1と遜色ない時速340Km以上に達していた。

    そのため、W125はターボ・マシン登場以前の1970年代後半になるまで、史上最強・最速のレーシング・カーであるとの伝説を保ち続けていた。

    同年のアーヴス・レンネン(アーヴスレース;フリー・フォーミュラ=制限なしで行われた)では、ヘルマン・ラングが特製された流線型ボディのマシン(同年のフォーミュラマシン・W125 に流線型ボディを着せた車ではない)に乗り、時速260.7kmという現代でも驚かされるような平均速度で優勝しているが、クローズド・サーキットの記録としてはその後20年以上及ぶものはなく、オーバルを使用するインディ500において、優勝者の平均速度がこの記録を上回るのは1972年のマーク・ダナヒュー(マクラーレン・オッフィー)の平均時速261.08kmを待たねばならないほどである。メルセデスとアウトウニオンは、同年のアーヴス・レンネンの直線では、実に時速380kmを出していたと言われている。

    1939年のトリポリグランプリ(イタリア領リビアのメラハサーキットで開催。メラハサーキットは一周13キロメートルの高速コースで、当時『モータースポーツのアスコット』と呼ばれていた)は、レース開催の8ヶ月前になって、強すぎるドイツ勢を締め出すべく、当時の国際フォーミュラである3リッター・マシンではなく、イタリア国内ルールである1.5リッター・マシンで実施されることとなった。イタリア側としては、短期間での新型メルセデス、新型アウトウニオンの製造は不可能と考えたためであるが、メルセデス・ベンツチームはその当時の3リッターマシン、W154のミニチュアともいうべきW165 を短期間で完成させ、同グランプリにおいても、メルセデス以外の全車を周回遅れとして1-2フィニッシュ(ラング、カラツィオラ)を飾ることとなる。ラングの平均速度は時速197.8kmを記録している。なお、W165の実戦はこの年のトリポリグランプリのみであった。

    また、ルドルフ・カラツィオラはモータースポーツのみならず、速度記録にも挑戦し、メルセデス・ベンツのレーシングカーを改造したレコードブレーカーに乗り、数々の速度記録を打ち立てている。1938年には、フランクフルト:ダルムシュタット間のアウトバーンにおいて、フライング・キロメーターで時速432.7kmを記録している。

    大戦後、1952年にル・マン24時間レース、1954年にF1世界選手権に参戦し、偉大なドライバー、ファン・マヌエル・ファンジオやスターリング・モスの活躍により、それぞれ大きな成果を挙げた。特にF1では出走した12レースで9勝(ファンジオ8勝、モス1勝)という圧倒的な成績で、両年ともにファンジオがワールドチャンピオンを獲得するという「旋風」を巻き起こした。

    しかし、1955年のル・マン24時間レースで、ピエール・ルヴェーの運転するメルセデス300SLRがクラッシュし、分解したマシーンのエンジンとサスペンションが時速200kmを超える速度のまま観客席に飛び込む事故を起こし、200名以上の観客を死傷させる大惨事となった。このレースでメルセデスチームは、ファンジオ・モス組がトップを走行していたにもかかわらず、すべての車両を途中でリタイアさせている(レースはホーソーン(ジャガー)が優勝)。また同年末で一切のモータースポーツ活動から撤退した。

    1980年代後半には、ザウバーと共同でWSPC(世界プロトタイプカー選手権)に出場するなど、徐々にモータースポーツとの関係を取り戻し始めた。またこの頃、ミハエル・シューマッハをはじめとする若手ドイツ人ドライバーの育成プログラムを開始し、本格的なレースへの復帰を模索し始めた。この頃にル・マンに復帰し、1989年に総合優勝を遂げるが、1999年のレースでまたしても宙を飛ぶ事故を起こし、犠牲者は出なかったが、やはりこのときも直後に全車をリタイアさせている。その後のル・マンには参戦していない。

    1990年代序盤にはフォーミュラカー用エンジンビルダーであるイルモアに資本参加し、インディカーおよびF1においてメルセデス・ブランドでのエンジン供給を開始。現在はF1のマクラーレンに対してエンジンを独占供給する形で参戦しているが、マクラーレンを完全買収してメルセデス・ベンツ単独でのF1参加を画策しているという噂は根強い。

    [ 2008/01/30 20:33 ] MERCEDES BENZ | TB(0) | CM(0)
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