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Skyline ケンメリCM 1'06"

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4代目(C110型、1972年-1977年)
通称:ケンメリ、ヨンメリ(セダンモデルのみの愛称)
キャッチコピー:ケンとメリーのスカイライン
1972年9月 C110型にモデルチェンジ。ボディバリエーションは4ドアセダン、2ドアハードトップ、およびワゴン/バンを有し、セダン/ハードトップは4気筒エンジン車、6気筒エンジン車でフロントノーズの長さが異なる(当然ホイールベースも)。サーフィンラインは折り目のあるシャープなデザインに発展。2ドアハードトップは太いCピラーを特徴とし、ワゴン/バンはラゲッジルームの窓の無い、CピラーとDピラーをつなげた造形を特徴とした。搭載するエンジンはG15 型をボアアップした直列4気筒OHC1600cc・G16型、先代より継続されたOHC1800cc・G18型、およびL20型の3機種。足回りはフロント側がストラット式。リア側は4気筒モデルがリーフリジッド、6気筒モデルがセミトレーリングアームの組合せ。4ドアGTおよび2ドアハードトップ全グレードのテールライトが丸型4灯となった。この丸型4灯テールライトは以後スカイラインのアイデンティティの一つとして、10代目のR34まで受け継がれていくことになる。4ドアセダンはヨンメリ(4ドアのケンメリ)とも呼ばれている。また1600ccには、LPGエンジンのタクシー仕様車も設定されていた(販売は1975年頃まで)。

なお、ボディカラーが白の2ドアハードトップにのみ、リアフェンダーに接着剤付けのモールが設定されている。当時の日産自動車の社長命令で設定されたといわれる。

この代は警察庁で警らパトロールカーとして導入された。エンジンはGT系と同じL20だが、装備の質は落とされており、専用モデルとなっている(警らパトカー仕様はR31まで設定された)。

C110型は海外(右ハンドル圏)にも「ダットサン240K」の名で輸出された。

1972年10月 第19回東京モーターショーに「ハードトップ2000GT-Rレーシング仕様」を出品。

1973年1 月 「ハードトップ2000GT-R(KPGC110型)」を追加。先代同様S20型エンジン(1989cc 160ps/7000rpm、18.0kgm/5600rpm)を搭載し、専用ラジエータグリル、前後オーバーフェンダー、リアスポイラー等を装備する他、先代では標準でなかったラジオが標準装備とされている。排気ガス規制の影響もあり僅か197台が生産され、うち195台が市販されただけで生産が終了された。レースに出場することもなかったが、生産台数が極端に少ないがゆえに幻のGT-Rとして有名で、旧車市場において非常に高額で売買されている。GT-Rは後のR32型の登場まで復活しなかった。197台となった理由には、三国工業から購入したソレックスのキャブレターが197台分残っていたためである。

1975年5月 マイナーチェンジ。4気筒モデルのG16型、G18型に替わり、L16型、L18型が搭載される。

1975年9月 50年排ガス規制(A-)対応の、電子制御燃料噴射(ニッサンEGI)を採用するL20E型を搭載する「セダン/ハードトップ2000GTX・E」を追加。

1975年10月 セダン/ハードトップの1600・1800・2000(L20S型搭載車)系をNAPSにより50年排ガス規制(A-)に適合。同時にマイナーチェンジ、フロント/リアのデザインが変更される。最下位グレードがセダン1600DXとなる

1976年2月~3月 GT系のL20E搭載車が、51年排ガス規制(C-)に適合。翌月には1600も51年規制に適合

1976年6月 GT系のL20S搭載車、1800系が51年規制に適合。

広告で「ケンとメリーのスカイライン」のキャッチコピーが使われたことから、「ケンメリ」と呼ばれる。傘のマークをワンポイントにしたキャラクター商品も販売された。バズが歌うCMソング『ケンとメリー~愛と風のように~』がヒットチャート1位になり、CMの撮影が行われた北海道美瑛町のポプラの木は今なお「ケンとメリーの木」として観光名所である。当時このCMにケン役で出ていたのはマイケル富岡であるとの誤解が一部にあるが、マイケル富岡が出演していたのは5代目のC210型のCMである。

東宝製作の特撮テレビドラマ「流星人間ゾーン」に登場する車両「マイティーライナー」のベース車両は、このGC110型(2ドアハードトップ)スカイラインである。

1980年代、手頃な価格とあいまって若者を中心に人気があったこのモデルは、姉妹車のローレルとともに暴走族の改造車(族車)の定番になり、テールライトの中心寄り2つをパテ埋めする「ワンテール仕様」や、ウインカーやグリルをローレルのものに交換する、テールライトをチェリーのものに交換するなどといった、当時の日産車同士のパーツの互換性を活かした多彩な改造が流行した。

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[ 2007/09/01 00:07 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Datsun 260Z CM 0'58"

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初代(S30系 1969-1978年)
1969年、前身となるオープンボディの「フェアレディ」に代わって登場。

国内ではSUツインキャブレターを装備したSOHCのL20型と、ソレックスツインチョークキャブレターを3基装備したDOHCのS20型の2種類の直列6気筒2L エンジンが設定された。SOHCモデルは「素Z(すゼット)」と呼ばれたベースモデルと、装備を充実させた「L」、DOHCモデルは「432」がそれぞれラインアップされた。 「432」とは、「4バルブ・3キャブレター・2カム」の意であり、搭載されるS20型エンジンの構成に由来する。その他、競技用ベース車両として、ヒーターすらオプションとなり、アクリル製ウィンドウを採用するなどの軽量化が施された「432R」も存在した。

「432」系の車両は、販売期間の短さや、開発やメンテナンスの優先順位をめぐる旧プリンス陣営との確執などもあり、競技への参戦は意外と少なく、ほとんどの戦歴は後に登場する「240Z」が打ち立てている。

アメリカではダットサン・スポーツのブランドで、2.4LのL型直6エンジンを搭載した「240Z」を発売、その後厳しさを増す排出ガス規制による出力低下を補うため、2.6L、2.8Lと排気量を順次拡大、車名もそれぞれ「260Z」、「280Z」となる。市場の要求から、ホイールベースを延長した4人乗り(2+2)の「2 by 2」も追加し、世界総販売台数55万台という、当時のスポーツカーとしては空前の記録を樹立した。

モデルサイクル途中、折からの環境汚染問題に端を発した排出ガス規制に対応するため、「240Z」の廃止に続き、1976年7月に、2LモデルはSUツインキャブレターを電子制御式燃料噴射装置に置き換えたNAPS仕様のL20E型エンジンへと変更となり、型式もS31 / GS31型となった。

S30は現在でも人気が高く、ファンは多い。ビンテージカーとして流通もしているが、その多くは今までの所有者によって何らかの改造が施されたものであり、完全に原型の車両を手に入れることは、非常に困難である。多くの所有者がレストレーションにより、オリジナルに近づける努力をしているが、製造廃止になっている純正部品も多く、復元のためには各自の工夫が必要となる。

[ 2007/09/02 00:16 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Datsun 280ZX TV commercial - Awesome 0'30"

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2代目(S130型、1978-1983年)
1978年8月、S130型にフルモデルチェンジ。
先代のロングノーズ・ショートデッキスタイルを継承しながら、2代目はややワイドサイズとなって登場。2000ccの「200Z」と2800ccの「280Z」の2つのL型・直列6気筒エンジンを設定していた。しかし、これらL型エンジンは、吹け上がりの重さなどに次第に古さが感じられるようになった。また、ボディの大型化による重量増などから、一部には「セドリッククーペ」などと揶揄された。ただし先代を正常進化させたスタイルは流麗で美しく、ファンも少なくない。

1980年、国産車で初めて「Tバールーフ」仕様車を追加。このモデルを改造、ガス圧開閉式のセミガルウィングウィンドウを装備したのがテレビドラマ『西部警察』に登場する「スーパーZ」である。

1981年10月、マイナーチェンジ。ボンネットフードにNACAダクトを追加。

1982年、アメリカでL28ET型エンジンを搭載した2800ccターボモデルが誕生。初代に引き続き、S130もアメリカでは大ヒットとなり、1年足らずで生産台数10万台を突破。

1982年10月、歴代フェアレディZ初のL20ET型2000ccリットルターボエンジン搭載モデル「200Z-T」が追加。国産車初の60%扁平タイヤ(215/60R15)装着車だった。

1983年、初代からの累計台数100万台を達成。

キャッチコピーは「新たなるZゾーンへ」。

[ 2007/09/03 00:26 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Datsun 280ZX 10th Anniversary Black Gold 0'30"

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2代目(S130型、1978-1983年)
1978年8月、S130型にフルモデルチェンジ。
先代のロングノーズ・ショートデッキスタイルを継承しながら、2代目はややワイドサイズとなって登場。2000ccの「200Z」と2800ccの「280Z」の2つのL型・直列6気筒エンジンを設定していた。しかし、これらL型エンジンは、吹け上がりの重さなどに次第に古さが感じられるようになった。また、ボディの大型化による重量増などから、一部には「セドリッククーペ」などと揶揄された。ただし先代を正常進化させたスタイルは流麗で美しく、ファンも少なくない。

1980年、国産車で初めて「Tバールーフ」仕様車を追加。このモデルを改造、ガス圧開閉式のセミガルウィングウィンドウを装備したのがテレビドラマ『西部警察』に登場する「スーパーZ」である。

1981年10月、マイナーチェンジ。ボンネットフードにNACAダクトを追加。

1982年、アメリカでL28ET型エンジンを搭載した2800ccターボモデルが誕生。初代に引き続き、S130もアメリカでは大ヒットとなり、1年足らずで生産台数10万台を突破。

1982年10月、歴代フェアレディZ初のL20ET型2000ccリットルターボエンジン搭載モデル「200Z-T」が追加。国産車初の60%扁平タイヤ(215/60R15)装着車だった。

1983年、初代からの累計台数100万台を達成。

キャッチコピーは「新たなるZゾーンへ」。

[ 2007/09/04 00:34 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Tiida CM 0'30"

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ティーダは同車の販売開始によって生産を終了した、日産伝統の大衆車サニーの事実上の後継モデル。また、2000年8月にパルサーセリエの生産を終了して以来、日産から同クラスのハッチバックが消えていたこともあり、同車の後継車的なポジションも兼ねる。ティーダという名が英語のTIDEを語源とするというだけでなく、沖縄方言で太陽の意を表す“てぃーだ”から来ているということも、それを暗示している。

姉妹車にセダンの日産・ティーダラティオが存在する。

当初はアジア戦略車と位置付けられていたが、2006年にはメキシコのアグアスカリエンテス工場でも生産を開始し、北米サブコンパクト市場にも投入された。さらに2007年からはメキシコからスペイン、アイルランド、ポーランド、ハンガリーなど欧州諸国への輸出も開始された。欧州市場ではアルメーラの生産終了によって空いた小型ファミリーカーのポジションを埋める役割を担う。

なお、中華人民共和国向けはいち早く2007年11月にフェイスリフトが行われている

米国・カナダでは「ヴァーサ」(Versa)、シンガポール、インドネシア、マレーシアでは日本向けのセダンのサブネームと同じ「ラティオ」、それ以外の地域では日本同様「ティーダ」の車名で販売される。なお、日本向けはセダンにサブネームを付加して区別しているが、海外向けはシンガポールとマレーシアを除いて(ハッチバックが「ラティオスポーツ」とサブネーム付きの車名になる)、ハッチバック・セダンとも同じ車名となる。また、中国仕様では漢字表記のときのみに際し同音異字を用いて区別している。

シャシー(プラットフォーム)は、日産の事実上の親会社で、アライアンス関係を結んでいるルノーと共同開発し、すでにマーチやルノー・モデュスなどで使用されているアライアンス・Bプラットフォームの中でも、特にキューブキュービックのものをベースに開発されている。

ボディサイズは、全長4205mm、全幅1695mm、全高1535mm(4WDモデルは1540mm)、ホイールベース2600mmと、近年このクラスのモデルが大型化して3ナンバーボディを採用することが多い中、5ナンバーサイズを堅持している。

エンジンは低中速トルク・燃費性能・環境性能を、従来のQG型から大幅に向上させたという、新開発のHR15DE型直列4気筒1.5Lエンジンを搭載。2005年初頭には同じく新開発のMR18DE型直列4気筒1.8Lエンジンが追加された。また、海外向けにはHR16DE型直列4気筒1.6LエンジンやK9K型直列4気筒1.5Lディーゼルエンジンも用意されている。

トランスミッションは4速AT(E-ATx)と伝達効率を向上させた新開発CVT(エクストロニックCVT)を用意。ただしe-4WDシステム(トランスファー、プロペラシャフトを用いず、電気モーターによって後輪を駆動する)搭載車には4速ATのみしか用意されない。これはCVTとe-4WDがうまく合わなかったためとされる。

内外装は、日産がティーダに掲げる“SHIFT_ compact quality”のコンセプト通り、従来の小型車のレベルを超えた高い質感を実現している。

エクステリアは、一部でルノーのモデル(メガーヌなど)との類似性を指摘されている(両社は提携関係にあるのだから、似ていてもおかしくはない)が、質感は高く、リアコンビネーションランプは同社のモデル、フェアレディZにも似たスタイリッシュなデザインを採用している。

インテリアは、すでに高い質感とデザインで好評を得ている同社のモデル、ティアナを手がけたスタッフによるもので、ダッシュボードにはアルミ調パネルをあしらい、シートはティアナと同等の余裕あるサイズのものを採用している。さらにオプションでシートをクロスレザー仕様にすることもでき、全体として高い質感を実現している。

なお、初期モデルはインパネおよびドアトリム上部にソフトパッドが採用されていたが、2006年12月の一部改良を機にハード樹脂に変更された。そのため現行モデルは見た目柔らかそうに見えるが、触感は指が沈まない硬質なものとなり質感が幾分後退している。

仙台市内、および浜松市内では個人タクシーが営業中。

2004年10月29日、同車のセダンバージョンである、ティーダラティオ(これが事実上のサニー後継車)が発売された。

[ 2007/09/04 00:57 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Volkswagen Commercial with Silversun Pickups song 編 0'32"

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VOLKSWAGEN PASSAT VARIANT
2008年時点での現行モデルは6代目。車名の由来は貿易風のドイツ語から。VWの車名には、ほかにも風の名前から取られたものがある。(ゴルフ、ジェッタ、ヴェント、ボーラ、シロッコなど)

1960年代後半、K70(ロータリーエンジンを搭載したNSUのRo80のレシプロエンジン版)などあったものの商業的に成功していたとは言えずフォルクスワーゲンの主力は依然ビートルであった。この状態から脱却する為に生まれたのがパサートである。1973年ジウジアーロがデザインしたとされる初代パサートは、アウディ80をベースとする姉妹車であり、アウディ80がノッチバックだったのに対し、パサートはファストバック風のハッチバックを採用し、より若々しいキャラクターづけがされていた。2世代目も同じくアウディ80をベースとするが新たにノッチバックのサンタナがデビューし、貿易摩擦解消の意味も兼ねて、日本では日産自動車がノックダウン生産していた。

3世代目では、アウディとの姉妹関係は解消され一般的な横置きエンジン・前輪駆動(4WDのシンクロも存在する)の方式に改められ、主に居住性が向上している。アウディA4とプラットフォームを共用する5代目ではW型エンジン搭載車が登場し、堅実なファミリーサルーンからフォルクスワーゲンのフラッグシップとしての格付けにシフトする(ただし2002年にVWの最高級車、フェートンが登場した)。現行6代目モデルでは再び横置きエンジンとなりゴルフとの姉妹関係になっている。

6代目パサート (2006年 - )
横置きエンジンと改められW8エンジン車は姿を消し、ゴルフとシャーシを共通化し、ボディは更に大型化されている。パワーユニットもゴルフと共用し、日本への正規輸入車では直列4気筒及びV型6気筒が販売されている。

  • 2.0リッター直4DOHC、150馬力(2.0)
  • 2.0リッター直4DOHCターボ、200馬力(2.0T)
  • 3.2リッターV6DOHC、250馬力(V6・4モーション)
[ 2007/09/05 16:21 ] VOLKSWAGEN | TB(0) | CM(0)

Volkswagen Banned Commercial 0'21"

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4代目前期型(2001-2005年)
2001年本国登場の4代目は1.2リッターから1.4リッターのガソリンエンジン仕様や1.4および1.9リッターのTDIディーゼルエンジン仕様があるが、日本では1.4リッター・ガソリンエンジンのみの設定であった。前述のように、ボディ剛性と衝突安全性向上を理由に大幅なサイズ拡大が行われ、日本でもベストセラーとなった2代目ゴルフ(ゴルフⅡ)とほぼ同等の大きさとなっている(とはいっても初代トヨタ・ヴィッツと大きさはあまり変わらない)。

日本仕様は、横滑り防止機構(ESP)、サイドエアバッグが標準装備されるなど安全装置が充実している。又、セアト・イビーザ、シュコダ・ファビアとプラットフォームを共通化している。

2004年1月31日から1500台限定で販売を開始されたアベニーダと呼ばれるモデルはベースとなる4ドアモデルに対し11万円高の199万円で 14インチのアルミホイールやMMS(マルチメディアステーション:DVDナビゲーションシステム、MDプレーヤー、AM/FMラジオ、TV)を標準装備としたモデルである。モデル名のアベニーダ(avenida)は英語のavenue(アベニュー)に相当するスペイン語である。

2004年4月27日から販売を開始されたEUと呼ばれるモデルは左ハンドルで欧州車の雰囲気がより味わえるというもので、15インチアルミホイールが装備された。色はブラックパールマジックエフェクトとリフレックスシルバーメタリックの2色。価格は207万9000円。

2005年1月29日から1500台限定で発売が開始されたヴィアッジョはカーテンエアバッグが採用された新型モデルに前年に発売されたアベニーダと同等の装備が採用されたモデルである。ヴィアッジョ(viaggio)は英語のtrip(トリップ)に相当するイタリア語である。価格は211万 5000円

2005年7月2日に発売が開始されたSEは1500台限定で202万6500円。ステアリングホイールやパーキングブレーキのグリップ、シフトノブにレザーを配しアルミホイールやダークな色のテールレンズが採用されている。色はブラックパールマジックエフェクトとリフレックスシルバーメタリック、フラッシュレッドの3色。SEの名はSummer Edition(サマーエディション)の頭文字をとったものである。

日本導入モデル(4代目前期型)
  • 2002年5月 2D、4D(GH-9NBBY)4AT
  • 2004年1月 アベニーダ 4D(限定モデル・GH-9NBBY)4AT
  • 2004年4月 EU 4D(限定モデル・左ハンドル・GH-9NBBY)4AT
  • 2004年10月 2D、4D(GH-9NBKY)4AT
  • 2005年1月 ヴィアッジョ 4D(限定モデル・GH-9NBKY)4AT
  • 2005年7月 SE 4D(限定モデル・GH-9NBKY)4AT
  • 後期型(2005年-)
    現行モデルは、これまでの丸いライトの4代目に代わって、より攻撃的とも思える顔つきの新型が発売されている(エンジンなどの基本部分は変更なし)。デザインはアルファロメオの元チーフデザイナーであるワルテル・デ・シルヴァ(Walter de’Silva)による。2005年の東京モーターショーでこのモデルに先代ゴルフGTIの1.8リッターターボエンジンを搭載した新型GTIが世界に先がけて発表され、12月20日に発売された。また、2006年8月には日本でも1.6リッターと6速マニュアルモードつきATを装備した「1.6リッター スポーツライン」が投入され、それまでの車両重量に対する動力性能に不満があった点が解消されている。さらに「クロスポロ」やVWの新たなエントリーモデルに位置付けられる「1.4リッター トレンドライン」が加わるなど、ラインナップが大幅に拡大された。そして、2006年10月より装備を充実させつつ価格を195万円におさえた「1.4リッター コンフォートライン」が加わった。

    2007年8月には特別仕様車のfeinが1000台限定で販売開始された。このモデルは既存のコンフォートラインをベースに、ステアリングホイール等に革を配し、各部にブルーのステッチを施すなど質感を向上させ、シートヒーターを装備するなど女性ユーザーをより強く意識したものとなっている。又、新たにクルーズコントロールシステムやフォグランプなどを標準で装備した。「fein」はドイツ語で上品、洗練、繊細を意味する。

    1.8リッター、インタークーラー付ターボエンジンを搭載したホットモデル。2ドアと4ドアのボディタイプがあり、トランスミッションは5MTのみ。最高出力はそれぞれ150ps、22.4kg・mで、0-100km/h加速は8.2秒とのこと。最高速度は約時速216キロ。ただし、ルポGTIに比べヘッドライトもハロゲンのままなど標準グレードとの差は少ない。ルポGTIが6MTであるのに対し後発のポロが5MTなのはエンジン特性を考慮した結果である。 又、ドイツ本国ではGTIカップエディションというモデルが存在する。このモデルはADACポロカップレースのマシンに準じて開発されたもので、2ドアと4ドアのボディタイプがあり、外観は大きな開口部を持ったバンパーに、ホイールも17インチのものへと変更されるなど通常のGTIとは差別化が図られている。そして、エンジンは180ps、24.0kg・mに強化されたのに併せ、サスペンションはよりハードに固められ、ブレーキも大径化されるとともに後輪ブレーキディスクを通常のソリッドディスクからベンチレーテッド・ディスクに変更されるなど、各部も強化されている。

    欧州では2003年、最低地上高を上げルーフレールを装備することによってSUVのテイストを取り入れたモデル「ポロファン」を投入していた。2005年のポロのビックマイナーチェンジに合わせて2006年2月にマイナーチェンジを施した「クロスポロ」が投入された。2006年8月には日本への投入も発表された。

    通常のポロと顔つきや車内のインテリアの基本は同じだが、最低地上高が20mm高く、ルーフレール、フォグランプ、17インチアルミホイールなどが装備され、ボディやシートのデザインもライムグリーンなどの鮮やかな色がラインナップされている。日本仕様はスポーツラインと同様の1.6リッターのガソリンエンジンと6速マニュアルモードつきATを搭載し駆動方式は本国仕様も含めて4WDではなく、FWDである。最高速度は時速182km。

    日本導入モデル(4代目後期型)
    • 2005年9月 2D、4D(GH-9NBKY)4AT
    • 2005年12月 GTI 2D、4D(GH-9NBJX)5MT
    • 2006年9月 トレンドライン 2D(GH-9NBKY)4AT
    • 2006年9月 スポーツライン 4D(GH-9NBTS)6AT(ティプトロニック付)
    • 2006年9月 クロスポロ 4D(GH-9NBTS)6AT(ティプトロニック付)
    • 2006年10月 コンフォートライン 4D(GH-9NBKY)4AT
    • 2007年8月 fein 4D (GH-9NBKY)4AT
    搭載エンジン
    • 1.2リッター 3気筒 9バルブ ガソリン 55ps
    • 1.2リッター 3気筒 12バルブ ガソリン 64ps
    • 1389cc 4気筒 16バルブ ガソリン 75ps(日本導入モデル)
    • 1389cc 4気筒 16バルブ ガソリン 86ps
    • 1389cc 4気筒 16バルブ ガソリン 100ps
    • 1.9リッター 4気筒 TDI(ディーゼル)100ps
    • 1389cc 3気筒 TDI(ディーゼル)75ps
    • 1.9リッター 4気筒 TDI(ディーゼル)130ps
    • 1780cc 4気筒 ガソリン インタークーラー付ターボ 150ps(日本導入モデル)
    • 1597cc 4気筒 ガソリン 105ps(日本導入モデル)

    スーパー1600(JWRC)
    ポロはJWRC(ジュニアWRCについてはWRCを参照)に2002年よりエントリー。マシンは実質的にキットカーからコンバートしたものであり、初期は3代目後期型GTIをベースにオーバーフェンダーやリアスポイラーを追加していたものの他車とは比較的控えめな外観となっていた。その後4代目前期型をベースとしたもの(約215ps)に切換えられた。マシンのタフさには定評があったものの現在ではJRCでその姿を見かける事はない。2003年のトルコラリーで優勝を飾った。

    S2000
    2007年現在、ポロS2000はIRC(Intercontinental Rally Challenge)を舞台に活躍。製作はVW南アフリカによるもので2003年モデルのポロスーパー1600がベースとなっている。IRCデビューは 2007年6月の第3戦イプルーで、フレディ・ロイクスがドライブ。 ポロS2000のスペックはサイズがそれぞれ全長3916mm×全幅1800mm。重量は1185Kg。1984ccの直列4気筒エンジンを搭載し、最高出力は195kw(約280ps)/8250rpm、235Nmを発揮する。トランスミッションは6速シーケンシャル。駆動方式は 4WDとなっている。 ヨーロッパにおける独占販売権を所持しているのは、ルネ・ジョルジュ・ラリー・スポート・ベルギーであるが、ポロ自体がモデル末期であるということからもパーツ等の供給は不安定気味との事である。

    ワンメイクレース
    VWによる2代目後期型のGT G40カップカーによるワンメイクレースが行われていた。

    ドイツADAC主催のポロカップレースはモータースポーツの登竜門的存在のひとつとして高い人気がある。

    4代目初期型の日本向けカタログにトヨタ・カローラが写っている。バンパーが大型なので北米仕様と思われる。

    シュコダ・ファビア、セアト・イビーザとはプラットフォームを共通化している。

    80年代中ごろのポロにはステアリングホイール中央部にヴォルフスブルクのロゴマークが配されていた。

    2004年、ポロの偽CMの動画が一部に出回った。テロリスト風の男が9N型ポロに乗って自爆テロを謀る。カフェの前で爆発物のスイッチを押すが爆発は車内のみで収まり、周囲の人々も気付かないというもので、「small but tough」というポロのキャッチコピーにかけたものである。

[ 2007/09/06 16:27 ] VOLKSWAGEN | TB(0) | CM(0)

Volkswagen Commercial 1'32"

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1938年の生産開始以来、2003年まで生産が続き、四輪自動車としては世界最多となる生産台数「2,152万9,464台」の記録を打ち立てた伝説的大衆車である。

卓越した自動車設計者フェルディナント・ポルシェが1920年代以来、長年にわたり抱いていた高性能小型大衆車のプランが、1933年にドイツの覇権を握ったアドルフ・ヒトラーの大衆政策と結びつくことで実現した。1930年代におけるもっとも進歩した小型乗用車の一つで、その進歩性が、長年にわたって世界的な自動車市場の第一線で競争力を維持できた大きな理由とも言える。

1938年から量産を始めたが、ヒトラーの政治的野心に翻弄され、第二次世界大戦中に空襲によって工場その他は壊滅した。しかし、戦後フォルクスワーゲン工場を管理する立場に立ったイギリス軍将校アイヴァン・ハーストの尽力により復活して1945年から本格生産開始に至る。更に、元オペル社幹部であったハインリッヒ・ノルトホフが最高経営者に就任し、彼の経営手腕の下で、ドイツ国内はもとより、アメリカ合衆国をはじめとする国外への輸出でも1950年代から1970年代にかけて大きな成功を収めた。おびただしい外貨獲得によって、戦後の西ドイツ経済の復興に多大な貢献をした。

1938年から2003年まで、累計2,152万9,464台が生産された。これは、4輪乗用車における世界最多量産記録である。

ドイツ本国では1978年に生産終了しており、この時点で主力生産品の第一線からは退いたが、現在に至るまで世界的な人気は高い。フォルクスワーゲン社はこの車のデザインをモチーフとしたスタイルを持つモデル「ニュー・ビートル」を1998年から生産している。

多くのバリエーションがあり、その多様性から一語で指し示す用語として、英語の「Type 1」という型式名や「ビートル」などの愛称が用いられる。時代ごとの正式車名は「フォルクスワーゲン1200」、「フォルクスワーゲン1300」、「フォルクスワーゲン1303/S」、「フォルクスワーゲン1303 LS」など、何の変哲もない呼称であった。

Type 1(ドイツ語では「ティープ1」 Typ 1)はフォルクスワーゲン社内の生産型式番号で単に「1型」という意味であり、フォルクスワーゲン社の一号車であることを表しているが、一般にはよりわかりやすい通称で呼ばれる事が多い。

英語圏では、そのカブトムシの様な形から「ビートル(Beetle)」「バグ(Bug)」、ドイツでは1960年代後半より「ケーファー(Käfer=カブトムシ)」という愛称で親しまれた。ブラジルなどでは「フスカ」(Fusca=南米産の大ゴキブリ)と呼ばれ、日本では英語の「ビートル」の他に「カブトムシ」や「ワーゲン」と呼ばれている。

これらはあくまでも愛称であるが、ニュー・ビートルでフォルクスワーゲン社は「ビートル」を初めて正式車名に用いた。

フォルクスワーゲン・タイプ1となる自動車の開発は、1933年、ドイツ首相に就任したヒトラーが、ベルリン自動車ショーの席上でアウトバーン建設と国民車構想の計画を打ち出したところに始まる。当時、いまだ高価だった自動車を「国民全員が所有できるようにする」というプランは、ヒトラー率いるナチス党が国民の支持を得るのに絶好の計画であった。

ヒトラーは、後にスポーツカーメーカーとなるポルシェ社の創業者であるフェルディナント・ポルシェに国民車の設計を依頼することになった。ポルシェはダイムラー・ベンツ出身の優れた自動車技術者で、退社後の1931年からはシュトゥットガルトに独立した設計事務所を構えて自動車メーカーからの設計請負業務をおこない、ナチスの支援していた「アウトウニオン・グランプリカー」(いわゆるPヴァーゲン 1933年)の設計にも携わっていた。

ポルシェ自身、生涯に開発したい車として「高性能レーシングカー」「農業用トラクター」「優秀な小型大衆車」を挙げており、1920年代以来、様々な自動車メーカーとの提携でリアエンジン方式の小型車開発に取り組んでいたが、毎度試作車を開発した段階で、予算不足や不景気、提携メーカーの弱腰などによって、計画を頓挫させ続けていたのである。それだけにヒトラーの提案は「渡りに船」であった。

運転はしなかったが自動車に乗ることが好きで、メルセデス・ベンツとタトラを好んだカー・マニアのヒトラーは、ポルシェに国民車の条件として、連続巡航速度100km/h、大人3人と子供2人が乗車可能なこと、7リットルの燃料で100kmの走行が可能である(=1リットルあたりの燃費が14.3km以上である)こと、空冷エンジンの採用、価格が1000ドイツマルクをきるなどの厳しい条件を示した。

ヒトラー自身もこの条件の厳しさは承知していたようだが、特に、当時のドイツ製4人乗り小型乗用車で大量生産による低価格化を実現した代表例のオペル「P4」ですら、定価1450マルクした[1]ことを考えれば、販売価格1000マルクで必要とされる性能の自動車を開発することは極めて困難があった。

ドイツの各自動車メーカーが政府統制によって結成した団体「ドイツ帝国自動車産業連盟」(RDA)が、1934年6月にポルシェ事務所と開発契約を結び、計画がスタートした。ポルシェ社は、決して潤沢とは言えない開発予算の中で、1930年代初頭から幾度か試作されては頓挫してきた小型大衆車の開発経験を活かして、開発を進めた。

契約を結んでから2年後の1936年にようやくプロトタイプ2台の製作が完了、1937年には計30台のプロトタイプが製作された。ナチス親衛隊(SS)隊員の免許保有者たちによって過酷なテストドライブを受けることで、プロトタイプの弱点が洗い出され、強化された。

翌年1938年には最終プロトタイプVW38が完成する。同年5月には工場の定礎が行われて、その会場でヒトラーは生産型の車を『KdF-Wagen(歓喜力行団の車)』と命名した。国民はクーポン券による積み立てでKdF購入費用を貯蓄し、満額に達した者に車を引き渡すという計画が立てられた。

しかし、ヒトラー自身が1939年に第二次世界大戦を勃発させてしまったため、量産直前まで到達した国民車構想はストップした。KdF-Wagen 製造工場は軍用仕様のキューベルワーゲンやシュビムワーゲンを主に生産するようになった。若干数の KdF-Wagen も軍用車両として用いられた。この工場では戦争捕虜や収容所収容者が過酷な労働に従事させられた(現在のフォルクスワーゲン社に、この戦時中の強制労働の直接責任があるわけではないが、同社は歴史担当部門を設け1998年から各種の戦争補償プログラムをおこなっている)。

KdFに関しては、チェコのタトラ社のハンス・レドヴィンカが試作し、1937年から少数を生産した1700ccリアエンジン車タトラT97との類似が指摘されることがある(更には同じくタトラが1934年に発表した大型リアエンジン車「T77」、1935年の「T77A」、1936年の「T87」の影響も指摘される)。カブトムシ型の流線型ボディ、空冷の水平対向もしくはV型エンジンをバックボーンフレームの後部に搭載し、四輪独立懸架とするシャーシ構造、冷却システムなど、確かに類似点は多い。空冷エンジン採用には、空冷モデルを主力としたタトラに対するヒトラーの傾倒があったとも言われる。

実際に戦後タトラ社はフォルクスワーゲン社に訴訟を惹起、1961年、VW社は300万ドイツマルクに及ぶ賠償金を支払っている。しかしビートルの原型は1934年のNSU試作車(タイプ32)において完成をみており、これ(タトラ社への賠償金支払)は著作権侵害の賠償というよりは、ドイツによるチェコスロバキア併合と、相前後してのT97生産停止命令への賠償を肩代わりしたものとみていいだろう。

ちなみにポルシェとレドヴィンカは交遊があり、お互いのアイデアを頻繁に交換しあっていた。二人はいずれも1920年代からバックボーン・フレームやスイング・アクスル独立懸架、空冷エンジンなどの導入に熱心で、1931年~1933年頃にはほとんど並行する形で流線型ボディの空冷式小型リアエンジン試作車を開発していた。またリアエンジン流線型車を構成する個々の技術要素のほとんどは、特に二人が発明したという訳ではなかった(フォルクスワーゲンにおいても、ポルシェ自身が考案した部分は、トーションバーを用いたダブル・トレーリングアームの前輪独立懸架ぐらいである)。類似した原因は、当時のトレンドであった新技術を両者が貪欲に取り入れていた結果で、一方がもう一方を単純に模倣したと言えるものでもない。

1945年、ドイツは戦争に敗れ、KdF-Wagen 工場跡は空爆で大きな被害を受けていた。この工場を管理する役目を与えられたイギリス軍将校アイヴァン・ハーストは、「ナチス側が爆破したように見えた」と証言している。

資材のない戦後の混乱期であり、ドイツ国内のさまざまな工場や資材は、進駐してきた米国、フランス、イギリス、ソ連の4国に収奪され、自国に持ち帰られてしまうような状況であった。しかしアイヴァン・ハーストはドイツ人の協力的な態度とフォルクスワーゲン車の内容に将来性を抱き、手段を尽くして工場を修復させ、自動車生産を再開させることをもくろんだ。こうして彼は、残っていたドイツ人労働者らの力でその名の通りの「国民車・フォルクスワーゲン」を、はじめて誕生させたのだった。1945年中に早くも1785台を生産している。

ハーストは英国軍に対し、ジープに代わる耐候性の高いスタッフカーとしてフォルクスワーゲンを用いることを提案し、1946年には1万台のフォルクスワーゲン・タイプ1が生産された。

1947年には、オランダ向けを第一陣として国外輸出が始まった。最大の市場となったアメリカへの進出は、1949年である。

以後のフォルクスワーゲン・タイプ1の歴史は、破竹の勢いと言うべきものであった。とにかく頑丈で酷使に耐えるうえ、材質・工作が優秀で整備性も良く、大人4人を乗せて経済的に高速巡航できるこの車の性能・品質は、1950年代に至ってもなお世界各国の新型小型乗用車に引けを取らないものであった。アウトバーンでの走行を念頭にした、100km/h以上で高速道路を連続巡航できる車、というポルシェとヒトラーのコンセプトは、戦後の先進各国におけるハイウェイ時代到来に、見事に適応したのである。「悪名高い独裁者であったヒトラーが残した数少ない『正の遺産』は、アウトバーンとフォルクスワーゲンである」とも言われたほどである。

緻密に構築された質の高いディーラーサービス網は、ユーザーからの信頼をより一層高めた。1955年には累計生産100万台に到達、更に工場の増設・新設を繰り返して、1964年には累計生産1000万台に到達した。

改良は年々為され、エンジンや電装の強化(1960年代中期以降、6V電装を12Vへ変更)、細部の形態変更などが繰り返されている。排気量は当初の1000ccがすぐ1100ccへ拡大、のち1954年からは1200ccとなるが、1960年代に入ると輸出モデルを中心に1300cc、 1500ccへの移行が進み、モデル後期には1600cc型も出現している。

アメリカではセカンドカーとしての需要が高かったが、特に合理性を重んじる知的階層からは「大型車へのアンチテーゼ」として愛用され、一時はデトロイトの大型車と正反対な、反体制の象徴の一つとしても扱われた。理知的なユーモアに溢れる優れた広告戦略も好評を博したが、その広告代理店がドイツ系ユダヤ人のウィリアム・バーンバック率いるDDB(ドイル・ディーン・バーンバック)社であったことは、フォルクスワーゲンの生い立ちからすれば歴史の皮肉と言える。

日本では老舗輸入車ディーラーヤナセが1952年から取り扱いを開始。「寒冷時の急な往診にも速やかにコールドスタートできる頑丈なドイツ製品」というキャラクターが開業医に好まれ「ドクターズカー」として使われる例が多かった。このため、昭和30年代には「お医者さんの車」として一般大衆にも知られるようになった。フォルクスワーゲンは、戦後のヤナセにおいて長く主力商品の一つとなった。

だが1960年代以降は、設計の古さによるスペース・ユーティリティの悪さや、リアエンジンとスイングアクスル式独立懸架による高速走行時の不安定さ、空冷エンジンの騒音などが問題視されるようになる。しかし、フォルクスワーゲン社は決定的な代替車種開発に失敗し続けて1970年前後は経営困難に苦しみ、1974年に前輪駆動方式の本格的な代替車「フォルクスワーゲン・ゴルフ」を世に出すまで、前時代化したビートルを主力車種としたまま改良のみでしのぐことになる。

1970年には、ポルシェ式のトーションバー式トレーリングアームに代わり、安定性を改善したストラット式サスペンションを備えた1302系が発表される。サスペンションのみが大幅近代化されながら、外観は在来型ビートルから大きな発展はなかった。この系列は1973年にはボディ形状の変更などで1303系に移行しているが、1975年まで生産された。もっともストラットサスペンション系列と並んで、ポルシェ式サスペンションを持つ在来モデルも継続生産された。この間、1972年2月17日には、累計生産1500万7034台に到達し、フォード・モデルT(1908~1927)の1500万7033台という生産記録を追い抜いた。

前輪駆動車へのシフトで、ドイツ本国では1978年を最後に製造が終了したが、メキシコではその後も生産を継続、ブラジルでも一時生産中止していたビートルを生産再開した時期がある。

2153万台弱という膨大な生産台数を達成して、メキシコで最後のタイプ1の生産が終了したのは2003年であった。発表以来65年間に渡る製品寿命を保った四輪乗用車は、他に存在しない。

ドイツ人はオープンモデルへの志向が強く、タイプ1(ビートル)をベースにした2シーターカブリオレのヘブミューラー・カブリオレが生産されている。生産数が少なく、幻の車とされるロメシュ(ロメチュ)も同類に属する。

更に、ビートルのコンポーネンツを用いた本格的なスポーツクーペとしてイタリアのギア社のデザインしたボディをドイツのカルマン社で生産した「カルマン・ギア」(1955年、タイプ3系カルマンギアは1961年)は、洒落たスタイルで人気を博した。

ビートルのリアエンジンシャーシは応用範囲が広く、これを流用ないし強化する形で、広大な荷室を備える先進的ワンボックス車のタイプ2(1950年)や、ノッチバック、ファストバック、ワゴンを擁す幅広ポンツーン・スタイルのタイプ3(1961年)、4ドアのタイプ4(1968年)などがラインアップに加えられてきた。

鋼管バックボーンフレームとプラットフォームを組み合わせた頑強なプラットフォーム・フレームを備え、後部にギアボックスとディファレンシャルを兼ねたトランスアクスル、及びエンジンを搭載する。1930年代の自動車としては進んだ設計である。

サスペンションは前後とも、横置きトーションバーからトレーリングアームで吊られる構造で、フロントはポルシェ流の2段式トレーリングアーム、リアはシングルトレーリングアームで吊られたジョイントレス・スイングアクスル構造である。このサスペンションと、車格の割には大径のタイヤによって悪路踏破性能は高かった。ブレーキは初期こそメカニカル・ドラムだったが、1950年代前半に油圧化され、更に末期には前輪をディスクブレーキ化している。

ポルシェ社のフランツ・ライムシュピースによって設計されたエンジンは、軽量さと簡易性を配慮して設計された強制空冷水平対向4気筒OHVで、車体の最後部に置かれるRR(リアエンジン、リアドライブ)である。ポルシェは整備性に重きを置いており、エンジンルームにはかなりのゆとりが確保されていた。多くの場合、ソレックス製のシングルキャブレター装備が標準だった。

水平対向の強制空冷エンジンゆえに「バタバタ」「バサバサ」などの擬音、もしくは「ミシンの音」と表現される大きな騒音を発したが、その代わり耐久性は抜群で、灼熱・酷寒の気候でも酷使に耐えた。ビートルだけでも1600ccに至る排気量拡大などの大改良が幾度となくなされたにも関わらず、基本レイアウトがそのまま踏襲され続けたことは特筆に値する。

エンジン交換が比較的容易で、1970年代などに盛んに行われたファン・ミーティングでは「エンジン脱着競争」(ル・マン式スタートの如く、車から離れたスタート地点から二人一組のチームが車に駆け寄り、エンジンを外した後、それを台車に載せてスタート地点に戻り、また車に戻ってエンジンを装着し、エンジン始動の後車をスタート地点までバックさせてゴール。平均タイムは20分少々)が恒例行事として行われていた。

VW空冷エンジンは、廉価で軽く頑丈なため、軽飛行機などのエンジンにも流用された。

VWエンジンを使ったフォーミュラカー、Vee(1200ccエンジンを使用)・Super Vee(1600ccエンジンを使用)のシリーズも存在し、同シリーズからはニキ・ラウダがF1まで駆け上っている。

全鋼製セミ・モノコック構造の流線型で、「カブトムシ型」といわれるヤーライ流線型ボディの典型である。まだ木骨ボディの大衆車も多かった時代に、プレス鋼板による量産性や耐久性、安全性を考慮していち早く全鋼製ボディを採用したことには先見の明があった。丸みの強いボディは空気抵抗が小さいだけでなく、鋼材の節約や強度確保の効果もあった。なお、ボディ形状は2ドアセダンないしカブリオレのみで、4ドア型は存在しない(にも関わらず、タクシーやパトロールカーなど4ドアに適する用途にもしばしば用いられた)。

デザインはポルシェ社のエルヴィン・コメンダによるもので、「ヒトラーのデザイン」という奇妙な説が一部にあるが間違いである。類似した流線型車は1930年代からポルシェ自身によって設計されていたが、コメンダのデザインは独立式フェンダーやホイールベース間の側面ステップを残す古典性はあるものの、流麗で完成度が高かった。

長い生産期間を通じ、窓形状やフード、フェンダー、バンパーなどの形状変更は枚挙に暇がないが、「独立フェンダーとホイールベース間のサイドステップを持つカブトムシ型」という流線型ボディの基本的なデザインモチーフは一貫して踏襲され、世界的に親しまれた。

もっとも、ボンネット内容積・幅員の有効利用が為されていないなど実用面の弱点もあり、1930年代基準のデザインは、1950年代中期時点ですでに「時代遅れ」と評されていたのであるが、大きな変更もなくそのまま生産が続けられたのである。

その全鋼製ボディは、当時の車としては気密性も高く(窓を閉めておけば)「水に浮く車」としても有名だった。ほとんど無改造のビートルがイタリアのメッシーナ海峡を横断したり、フォルクスワーゲン社の実験では、エンジンをかけたままプールに沈めたところ、9分あまりも沈まなかったという。洪水に流されたが無事だった、というエピソードもいくつかある。

1970~80年代には、キャル・ルック(California Look)と呼ばれるスタイルのビートルが流行した。12V車をベースに、ホイールボルトを4本から5本に、911用アロイホイールの流用、6V用フェンダー&ヘッドライトへの換装、メッキモールの除去、チョップドトップ、ローライダー、チューンナップしたエンジンの熱対策にフードをヒンジ側で持ち上げるなどである。

[ 2007/09/07 16:40 ] VOLKSWAGEN | TB(0) | CM(0)

Mitsubishi Lancer Evolution-7(GH-CT9A) 1'00"

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ランサーをベースに、2000ccハイパワーターボエンジンを搭載したスポーツモデルであり、公道走行を前提に快適装備を備えた GSR と、競技用ベースモデルの RS の2グレードで展開されている(VII及びワゴンではオートマチックのGT-A、IXではGTを追加でラインナップ)。通称ランエボ。ただ単にエボと呼ばれたり、モデルを識別するためにエボ○(○は数字が入る)と呼ばれることもある。

現行のランサーエボリューションはWRCとの関係が次第に希薄化しているものの、他のモータースポーツカテゴリーではその存在感は健在である。また、VIIIからは海外市場に正式に輸出が開始されるなど、国内外における三菱のイメージリーダーとして位置付けられている。

ランサーエボリューションVII
2001年2月発売。形式名"GH-CT9A"。通称"エボVII"
ベースモデルは前年にフルモデルチェンジしたランサーセディアになり、エボVI以前のエアロデザインと比べると幾分か大人しい物となったが、ボディ剛性は格段に向上した。ベースがセディアであるためにボディの大型化や、ACDの搭載によって大きさも重量も増えたため、販売される前は「大型ボディと重さで運動性が悪くなる」「エボの進化はVIまで」などと言う向きもあったが、出た後に証明されたその実力から、そのような声は全く聞かれなくなった。

前後輪の差動制限を電子制御するACD(Active Center Differential/ アクティブセンターデフ)【電子制御可変多板クラッチ機構】をエボVIIから初めて採用し、道路のコンデションにあわせ、『ターマック(舗装路)』・『グラベル(未舗装路)』・『スノー(雪道)』を、ボタンひとつで切り替えをしてセンターデフをコントロールし、さらに、パーキングブレーキ作動時に作動制限をフリーにする機能を追加した。このためラリーやジムカーナで、旋回が安易となり、「史上最強に曲がるエボ」の評判を得る事となった。ギア比もエボVIと比べ、1速がローギアード化され、5速はハイギアード化された。また、車両本体価格もGSRで299万円と安価になり、バーゲンプライスと言われるほどの値段設定がなされた。

なお、このモデルより三菱はWRCでの活動をグループAからCS2A・ランサーセディアをベースとしたWRカーに移行(ネーミングのみエボリューションを継承)、グループN及び全日本ラリーやスーパー耐久等の国内レース向けのモデルに特化していくことになる。

ランサーエボリューションVII GT-A
2002年1月発売。形式名"GH-CT9A"。通称"エボVII GT-A"。 ランエボ初のオートマチックトランスミッション採用モデルとして追加販売された。「INVECS-II」と呼ばれるスポーツモード(MT)付きオートマチックトランスミッション採用により顧客層の間口を広げたかに思えたが、ランエボの進化の過程とオートマチックトランスミッションは両立しがたいものがあり、その存在は賛否両論であった。

エンジンは、オートマチックトランスミッションの特性を考慮し、出力を272psに落としてピークパワーよりも中低速トルクを重視したセッティングとなる。内装では、ランエボ初の本革シートをオプションで用意。外観では、スポーツ走行でしか使用しないパーツを廃し、街乗り重視の仕様とする為、リアウイングを専用設計の小型のものを標準とし、GSRと同じ大型リアウイング、並びにウイングレス仕様をオプションで選択可能とした。またGT-AからヘッドライトにHIDを採用、以降のランエボはGSRシリーズは標準でHIDを搭載。フロント周りは元々エボVIIのナンバープレート装着位置にATクーラーへの通風口が設けられた為、ナンバープレートを中央に戻した。その他にもエアアウトレット・エアインテークも廃している。

[ 2007/09/08 16:08 ] MITSUBISHI | TB(0) | CM(0)

Mitsubishi Lancer Evolution 7 GT-A (CM/LONG) 0'29"

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ランサーをベースに、2000ccハイパワーターボエンジンを搭載したスポーツモデルであり、公道走行を前提に快適装備を備えた GSR と、競技用ベースモデルの RS の2グレードで展開されている(VII及びワゴンではオートマチックのGT-A、IXではGTを追加でラインナップ)。通称ランエボ。ただ単にエボと呼ばれたり、モデルを識別するためにエボ○(○は数字が入る)と呼ばれることもある。

現行のランサーエボリューションはWRCとの関係が次第に希薄化しているものの、他のモータースポーツカテゴリーではその存在感は健在である。また、VIIIからは海外市場に正式に輸出が開始されるなど、国内外における三菱のイメージリーダーとして位置付けられている。

2001年2月発売。形式名"GH-CT9A"。通称"エボVII"
ベースモデルは前年にフルモデルチェンジしたランサーセディアになり、エボVI以前のエアロデザインと比べると幾分か大人しい物となったが、ボディ剛性は格段に向上した。ベースがセディアであるためにボディの大型化や、ACDの搭載によって大きさも重量も増えたため、販売される前は「大型ボディと重さで運動性が悪くなる」「エボの進化はVIまで」などと言う向きもあったが、出た後に証明されたその実力から、そのような声は全く聞かれなくなった。

前後輪の差動制限を電子制御するACD(Active Center Differential/ アクティブセンターデフ)【電子制御可変多板クラッチ機構】をエボVIIから初めて採用し、道路のコンデションにあわせ、『ターマック(舗装路)』・『グラベル(未舗装路)』・『スノー(雪道)』を、ボタンひとつで切り替えをしてセンターデフをコントロールし、さらに、パーキングブレーキ作動時に作動制限をフリーにする機能を追加した。このためラリーやジムカーナで、旋回が安易となり、「史上最強に曲がるエボ」の評判を得る事となった。ギア比もエボVIと比べ、1速がローギアード化され、5速はハイギアード化された。また、車両本体価格もGSRで299万円と安価になり、バーゲンプライスと言われるほどの値段設定がなされた。

なお、このモデルより三菱はWRCでの活動をグループAからCS2A・ランサーセディアをベースとしたWRカーに移行(ネーミングのみエボリューションを継承)、グループN及び全日本ラリーやスーパー耐久等の国内レース向けのモデルに特化していくことになる。

ランサーエボリューションVII GT-A
2002年1月発売。形式名"GH-CT9A"。通称"エボVII GT-A"。 ランエボ初のオートマチックトランスミッション採用モデルとして追加販売された。「INVECS-II」と呼ばれるスポーツモード(MT)付きオートマチックトランスミッション採用により顧客層の間口を広げたかに思えたが、ランエボの進化の過程とオートマチックトランスミッションは両立しがたいものがあり、その存在は賛否両論であった。

エンジンは、オートマチックトランスミッションの特性を考慮し、出力を272psに落としてピークパワーよりも中低速トルクを重視したセッティングとなる。内装では、ランエボ初の本革シートをオプションで用意。外観では、スポーツ走行でしか使用しないパーツを廃し、街乗り重視の仕様とする為、リアウイングを専用設計の小型のものを標準とし、GSRと同じ大型リアウイング、並びにウイングレス仕様をオプションで選択可能とした。またGT-AからヘッドライトにHIDを採用、以降のランエボはGSRシリーズは標準でHIDを搭載。フロント周りは元々エボVIIのナンバープレート装着位置にATクーラーへの通風口が設けられた為、ナンバープレートを中央に戻した。その他にもエアアウトレット・エアインテークも廃している。

[ 2007/09/09 16:16 ] MITSUBISHI | TB(0) | CM(0)

Mazda RX-7 Commercial 1979 0'33"

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当初、サバンナの後継として サバンナ RX-7(SAVANNA RX-7) の名で1978年3月に発表され、1991年に行われた2度目のフルモデルチェンジを機にマツダが当時展開していた「アンフィニ」ブランドによる発売となり、「サバンナ」の名称が外され アンフィニ RX-7 となった。「アンフィニ」ブランドの廃止により1997年10月、 マツダ RX-7 となり、2002年8月に環境(排ガス)対策の行き詰まりにより生産が終了した。

RX-7の販売終了後に登場したRX-8はネーミングからは後継のように思えるが、マツダ自身がRX-8を後継車とよばず新規車種と紹介している。なお、車名の由来は「R」が「ロータリーエンジン」、「X」が「未来を象徴する記号」である。「7」は「開発コードを示す番号」で他には2・3・4・5(輸出仕様のみ)・8がある。 RX-7は、2007年現在においても、日本だけでなく日本国外にも熱狂的な支持者が存在する。自動車愛好家の間では、モデルを区別するために初代から3代目まで、それぞれ「SA」「FC」「FD」という呼び方が通用している。

初代・SA22C型(1978-1985年)
1978年3月、サバンナ(輸出名RX-3)の後継として、初代RX-7、SA22C型 サバンナ RX-7 が登場した。開発コードはX605。 プラットフォームは、マツダ・SA2プラットフォーム(のちFBプラットフォームに改称)が用いられた。エンジンは水冷2ローターエンジン2ANA(自然吸気)仕様を搭載。オイルショックの影響を受け、REAPSと呼ばれる排ガスを再燃焼させるサーマルリアクター方式を採用し従来の40%の燃費アップを達成した。1983年のマイナーチェンジの際に日本仕様のみ12Aターボに変更される。ロータリーターボエンジンの搭載は世界初搭載のルーチェ/コスモから1年後だった。日本以外では、1984年 - 1985年に、13BEGI自然吸気エンジン搭載仕様車が販売されている(こちらは日本では未発売)。

口の悪い者たちからは、スタイルがポルシェ・924に似ていたため、発売当時「広島ポルシェ」「プアマンズポルシェ」などと揶揄されたこともあったというが、価格帯が異なる中でのこの評価は賞賛ともとれる。しかも、現在ではスポーツカーの雄と比較され、実質面でもポルシェ等と比較され名前を併記される車として評価されている(スポーツカーとしての評価を参照)。

なお、海外では、VINコードにあわせるため、1980年モデルより、FB3Sという型番号が導入されている。そのため、海外では、FBと呼ばれることがある。日本では、FB3Sという型番号は導入されなかった。

基本は単室容積573cc×2の12A型ロータリーエンジン。小変更後の自然吸気仕様の形式名は12A-6PIで、RX-8タイプSと同じ6PI(詳細は3代目・コスモを参照)が採用されたが、後に追加されたターボ仕様(12A-T)にはあまりメリットがないため、採用されなかった。自然吸気仕様130ps、ターボ仕様165ps。

2004年、辛口の批評で有名な米国のスポーツカー専門誌、スポーツカー・インターナショナルが選出したベスト・スポーツカー1990年代部門で3代目FD型が第10位に、また同1970年代部門で初代SA22C型が第7位にリストされている。

ビデオオプション企画、筑波スーパーラップにてRE雨宮チューンのFDが3部門(FR、N/A、ブーストアップ)のレコードホルダーになっている。コーナーの多い筑波サーキットでは、軽量、コンパクト、ハイパワー、良バランスの4拍子がそろっており、タイム的にライバルとなる日産・シルビア(S15型)を0.5秒程度引き離す結果になっている。特にブーストアップ部門ではライバルがランサーエボリューションという絶対レコードホルダーのベースモデルであるにもかかわらず、エアコンオーディオフル装備(=重量増)というハンデを抱えながらも0.2秒程度上回っている。

そのほか0-400加速でもKSPチューンのFD3SがFR車ストリート部門(ナンバー取得前提車)でトップタイムを叩き出すなど、素材の良さが各方面で生きている。

RE雨宮の雨宮勇美によると「FDは250 - 260Km/hのスラローム勝負ならどんな車にも負けない。でも300Km/hオーバーになるとパワーの差で負けちゃうけどね」と、最高速の場でもコーナリングマシーンであることが判る。

またジムカーナにおいても、FD3Sは優秀なコーナリング性能を発揮し、ホンダ・NSX、S2000、トヨタ・MR2(SW20型)、ロータス・エキシージなどと並んで後輪駆動車クラスの上位を占める車種となっている。

[ 2007/09/10 22:01 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda RX-7 Commercial 1983 0'35"

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当初、サバンナの後継として サバンナ RX-7(SAVANNA RX-7) の名で1978年3月に発表され、1991年に行われた2度目のフルモデルチェンジを機にマツダが当時展開していた「アンフィニ」ブランドによる発売となり、「サバンナ」の名称が外され アンフィニ RX-7 となった。「アンフィニ」ブランドの廃止により1997年10月、 マツダ RX-7 となり、2002年8月に環境(排ガス)対策の行き詰まりにより生産が終了した。

RX-7の販売終了後に登場したRX-8はネーミングからは後継のように思えるが、マツダ自身がRX-8を後継車とよばず新規車種と紹介している。なお、車名の由来は「R」が「ロータリーエンジン」、「X」が「未来を象徴する記号」である。「7」は「開発コードを示す番号」で他には2・3・4・5(輸出仕様のみ)・8がある。 RX-7は、2007年現在においても、日本だけでなく日本国外にも熱狂的な支持者が存在する。自動車愛好家の間では、モデルを区別するために初代から3代目まで、それぞれ「SA」「FC」「FD」という呼び方が通用している。

初代・SA22C型(1978-1985年)
1978年3月、サバンナ(輸出名RX-3)の後継として、初代RX-7、SA22C型 サバンナ RX-7 が登場した。開発コードはX605。 プラットフォームは、マツダ・SA2プラットフォーム(のちFBプラットフォームに改称)が用いられた。エンジンは水冷2ローターエンジン2ANA(自然吸気)仕様を搭載。オイルショックの影響を受け、REAPSと呼ばれる排ガスを再燃焼させるサーマルリアクター方式を採用し従来の40%の燃費アップを達成した。1983年のマイナーチェンジの際に日本仕様のみ12Aターボに変更される。ロータリーターボエンジンの搭載は世界初搭載のルーチェ/コスモから1年後だった。日本以外では、1984年 - 1985年に、13BEGI自然吸気エンジン搭載仕様車が販売されている(こちらは日本では未発売)。

口の悪い者たちからは、スタイルがポルシェ・924に似ていたため、発売当時「広島ポルシェ」「プアマンズポルシェ」などと揶揄されたこともあったというが、価格帯が異なる中でのこの評価は賞賛ともとれる。しかも、現在ではスポーツカーの雄と比較され、実質面でもポルシェ等と比較され名前を併記される車として評価されている(スポーツカーとしての評価を参照)。

なお、海外では、VINコードにあわせるため、1980年モデルより、FB3Sという型番号が導入されている。そのため、海外では、FBと呼ばれることがある。日本では、FB3Sという型番号は導入されなかった。

基本は単室容積573cc×2の12A型ロータリーエンジン。小変更後の自然吸気仕様の形式名は12A-6PIで、RX-8タイプSと同じ6PI(詳細は3代目・コスモを参照)が採用されたが、後に追加されたターボ仕様(12A-T)にはあまりメリットがないため、採用されなかった。自然吸気仕様130ps、ターボ仕様165ps。

2004年、辛口の批評で有名な米国のスポーツカー専門誌、スポーツカー・インターナショナルが選出したベスト・スポーツカー1990年代部門で3代目FD型が第10位に、また同1970年代部門で初代SA22C型が第7位にリストされている。

ビデオオプション企画、筑波スーパーラップにてRE雨宮チューンのFDが3部門(FR、N/A、ブーストアップ)のレコードホルダーになっている。コーナーの多い筑波サーキットでは、軽量、コンパクト、ハイパワー、良バランスの4拍子がそろっており、タイム的にライバルとなる日産・シルビア(S15型)を0.5秒程度引き離す結果になっている。特にブーストアップ部門ではライバルがランサーエボリューションという絶対レコードホルダーのベースモデルであるにもかかわらず、エアコンオーディオフル装備(=重量増)というハンデを抱えながらも0.2秒程度上回っている。

そのほか0-400加速でもKSPチューンのFD3SがFR車ストリート部門(ナンバー取得前提車)でトップタイムを叩き出すなど、素材の良さが各方面で生きている。

RE雨宮の雨宮勇美によると「FDは250 - 260Km/hのスラローム勝負ならどんな車にも負けない。でも300Km/hオーバーになるとパワーの差で負けちゃうけどね」と、最高速の場でもコーナリングマシーンであることが判る。

またジムカーナにおいても、FD3Sは優秀なコーナリング性能を発揮し、ホンダ・NSX、S2000、トヨタ・MR2(SW20型)、ロータス・エキシージなどと並んで後輪駆動車クラスの上位を占める車種となっている。

[ 2007/09/11 23:06 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mitsubishi GTO CM 0'28"

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三菱自動車工業が生産していた自動車。スタリオンの後継車として1990年に登場したフラグシップスポーツクーペである。

1989年に第28回東京モーターショーで三菱HSXという名でディアマンテとともに参考出品された。全グレード駆動方式は4WDのみ。

基本コンポーネンツは初代ディアマンテだが、内容はフラグシップスポーツに恥じないもので、下記に示す装備が日本車としては初採用されたものである。

  • アルミ製異径対向ピストン4ポットのディスクブレーキキャリパ
  • ドイツ・ゲトラグ社製の5速MT(ツインターボ車)
  • 225/55/R16インチのタイヤ
  • 高張力鋼製のドライブシャフト
  • 4WS(ツインターボ車)
  • スイッチで排気音を変えられる「アクティブエグゾーストシステム」(ツインターボ車)
  • 可変リアスポイラー及びフロントスカート「アクティブエアロシステム」(ツインターボ車)
2000年12月の生産終了まで、大きなもので4度ものマイナーチェンジが施された。詳細内容は下記の通り。

2000年12月の生産終了まで、大きなもので4度ものマイナーチェンジが施された。詳細内容は下記の通り。

1992年1月のマイナーチェンジ
  • グラストップ(メーカーオプション)追加
  • ホイールの17インチ化。それに伴いスペアタイヤも17インチ/アルミホイール化
  • 国内初の50%扁平タイヤ(225/50/R17)採用
  • 電動格納式ドアミラー採用
  • 運転席シートに電動スライド機能追加
  • エアコン冷媒を代替フロン(R134a)に変更
同年10月のマイナーチェンジ
  • ブレーキディスクを17インチ化
  • リアブレーキに対向2ポッドキャリパ採用
  • キーレスエントリー採用(NA車はメーカーオプション)
1993年8月のビックマイナーチェンジ(中期型へ進化)
  • ヘッドライトを4灯固定式プロジェクタータイプへ変更
  • トランスミッションの6速化(ツインターボ車)
  • シリンダーヘッドガスケットのメタル化によりターボチャージャーの加給圧変更、これによりエンジン出力向上(280ps/42.5kg-mから280ps/43.5kg-mへ)
  • 助手席エアバッグ追加
  • BBSのホイールを標準で装備した軽量モデル「MR」の追加(1994年8月から)
1996年6月のマイナーチェンジ
  • ブレーキ冷却導風板の装着
  • ターボモデルの18インチクロムメッキホイールの採用(この変更に伴い、MRの標準装備も18インチクロムメッキホイールとなる)
1998年6月のマイナーチェンジ(後期型へ進化、最終マイナーチェンジ)
  • APロッキード社製6ポッドブレーキのオプション採用
  • 大型リアスポイラーの採用
  • フロントウインカーをコンビネーションランプ化
小さな変更(シートの柄、オーディオ、ガラス、内装色等)を入れると毎年の様に改良されており、特にターボモデルの方がマイナーチェンジでの進化の度合いが大きかった。尚、最初期型と最終型では17インチアルミホイールのスペアタイヤは採用されていない。

GTOは高速隊のパトカーとして国費で前期型、中期型、中期型MR(96年モデル)が導入されており、基本的にフェンダーミラー仕様で導入されたがMRのみドアミラー仕様で導入されている(ちなみにこのモデルが国費導入の白黒パトカーでは初めてのドアミラーとなった)。現在は年数の経過で殆どの車両が廃車になっている。因みにGTO製造中止後はギャランVR-4が国費導入されている。

海外へは「3000GT」という名称で輸出され、こちらにはSL,RTという自然吸気エンジンの前輪駆動モデルもあった。トップグレードであるVR-4はAWDで320psの出力を発生させていた。また姉妹車としてクライスラーの傘下のダッジブランドに於いては「ダッジ・ステルス」として販売されていた。北米では電動格納式ハードトップのオープンモデルである「3000GTスパイダー・リトラクタブルハードトップ」と呼ばれるモデルも設定された。これは1959年フォードスカイライナーがカタログから消えて以来の電動ハードトップの復活であり、現在に続くリトラクタブルハードトップ流行の先鞭をつけたものだった。

スタイリングは三菱らしい個性の強いもの。コークボトルラインの魅惑的なボディの絞り込まれたサイドに描かれる美しいZラインの綾線はデザイン上のハイライトとなっている。全幅は1840mmと当時のライバル達の中で随一の全幅を持つ。デザイン上の特徴として良く取り上げられるサイドエアダムのエアインテークは、モーターショー出展時のHSXではブレーキ冷却ダクトだった。HSXは2 シーターであったが、市販化にあたり後部座席を設置しなければならなくなり、後部座席周りの設計上の都合により市販車ではダミーとなってしまったという経緯がある。マイナーチェンジにより、ダミーであったエアインテークにはタイヤハウスに空気が抜ける孔が設けられているが、直接的にはブレーキ冷却機能は与えられていない。

いわゆるマイナー車に分類されるため前述の通りアフターパーツが少ない。日本車離れしたボディスタイルのため、エアロパーツによるチューンも盛んである。 海外、とりわけアメリカでは、3000cc(V型6気筒)ツインターボと言う強力なエンジンと、四輪駆動車であるという点から、ドラッグレースのベース車両に使われることも多い。いっぽう、国内に目を向けると、兵庫県にあるピットロードMが耐久&レース仕様にモディファイしていたり、なかにはドラシャを抜き、デフを溶接ロックして完全にFRにしているオーナーもいる。戦車のように強固なボディ剛性・トルクが豊かなV6ツインターボ・強度十分のゲトラグ社製のミッション・大容量ブレーキシステムなどの確かな素性に目を向けたオーナーも少なくないことが確認できる。

[ 2007/09/12 23:17 ] MITSUBISHI | TB(0) | CM(0)

Mitsubishi Galant Σ Ad 1981 0'29"

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車体は4ドアセダンの他に初代・2代目にはライトバン(定義上ではエステートバン)、3代目にはハードトップの設定もあった。当時の同クラスの日本車にない斬新なヨーロピアン調のスタイリングが印象的だった。またギャラン店で販売されていたこのギャランΣに対し、1978年に新設された『カープラザ』店から発売されたエテルナΣ(当初の車名は『ギャランΣエテルナ』)は、バッジやグリル、灯火類のデザイン違いの姉妹車である。

2代目(1980年~1984年)
1980年5 月フルモデルチェンジ。初代ギャランから数えて4代目であり人気の高かった初代Σの直線基調イメージを色濃く残しながらも、空気抵抗を向上したスラントノーズが特徴でもあった。エンジンは1600ccサターン86PS(G32B)1800ccシリウス100PS(G62B)2000ccアストロン110PS (G63B)2300ccディーゼルエンジン75PSの設定で競合車種に三菱も合流し、競合車種にいち早くターボディーゼル(2300cc 95PS)を搭載しハイパワー化と省エネ時代に挑んだ。

また電子技術の発展による装備品のクオリティもこのクラスでは考えられないものがありVELNAS(ベルナス)と呼ばれるドライブコンピュータ(ストップウォッチ・平均速度・燃費・燃料消費量が表示できた)・後席パワーリクライニングシート・リヤにボックス型スピーカを備えたカーコンポ・さらに最上級グレードの2000ロイヤルには本革シート装着車もあった。 タクシー仕様も設定されエンジンは1800LPG(G62B)と2300ディーゼルの2種類。1984年まで生産。 ライトバンも設定され1600ccにLとGL・2000ccスーパーエステートの3種類が設定。1985年2月に新型ミラージュ/ランサーバンに合流した。

1980年11月 2000ガソリンターボ車追加。電子制御噴射装置の組み合わせで145PSまでパワーアップ。

1981年4月 ターボ車(ガソリン・ディーゼル共に)AT車追加。

1981年11月 マイナーチェンジ。バンパーガードを装着しリヤバンパーの中央にナンバープレートを移動。2000ターボの設定を拡大。

1982年11月 新たに1800にスーパーサルーンターボとバックソナーを装備した1800GLサルーンAD登場。

1983年9月 販売が不振だった為、僅か3年4ヶ月のモデルスパンでFF方式の新型ギャランΣにフルモデルチェンジ。ただしライトバン(1985年2月にミラージュ/ランサーバンに合流)とセダンのタクシー仕様(1984年10月にFF化)は継続。

[ 2007/09/13 23:41 ] MITSUBISHI | TB(0) | CM(0)

Daewoo Lemans GSI 1989 0'32"

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オペル・カデットのOEM
カデットE(1984-1991)
最後のカデットとなったEは1984年に登場した。最大のライバルであるゴルフは1982年に「ゴルフⅡ」に発展していたし、同時期のドイツにはアウディ・100やフォード・シエラなど、いわゆるエアロルックと呼ばれる空力的スタイルの新型車が次々に登場していた。新鮮さを失ったカデットDの角張ったスタイルをエアロルックで一気に若返らせたことがEの最大の特徴で、空気抵抗係数(Cd値)は0.32と、当時の最先端の値となった。ただしその代償として窓面積が小さくかつ傾斜が強いため、室内は開放感に欠け、狭く感じられた。

機構的には先代をほぼ踏襲しており、エンジンも従来からの1196cc・1297cc・1598ccのガソリンと1598ccディーゼルがそのまま用いられた。ボディは3ドアと5ドアのハッチバック、4ドア3ボックスのセダン、ホイールベースを235mm延長した3・5ドアワゴンのキャラバンがあったが、1987年にはイタリアのベルトーネが車体製作を担当した2ドアカブリオレも追加された。

1986年には高性能版のGSiが登場、空力ボディによって最高速度は203km/hに達した。当初は1796ccであったが、1988年にはマイナーチェンジが行われてフロント部分が改変された他、エンジン排気量が1400/1800/2000ccに拡大され、GSiは2000ccDOHC16バルブ156馬力となった。

1992年にモデルチェンジされる際に、オペル版も車名が「アストラ」に統一され、戦前から数えると50年以上の歴史を持つカデットの名前は消滅した。

なお、WRCへはグループAでGSiでの参戦に留まるものの、グループBが凍結されたため撤回された上位カテゴリ・グループS用のマシンとして、GSiベースの600馬力、パワートレーンを4駆化した「GSi T16 ラリー4X4」が開発され、投入するカテゴリを失うと1988年ヨーロッパラリークロス選手権に参戦していた。

[ 2007/09/14 23:59 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

Daewoo Lemans Coupe 1986 Airwolf 0'31" 

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オペル・カデットのOEM
カデットE(1984-1991)
最後のカデットとなったEは1984年に登場した。最大のライバルであるゴルフは1982年に「ゴルフⅡ」に発展していたし、同時期のドイツにはアウディ・100やフォード・シエラなど、いわゆるエアロルックと呼ばれる空力的スタイルの新型車が次々に登場していた。新鮮さを失ったカデットDの角張ったスタイルをエアロルックで一気に若返らせたことがEの最大の特徴で、空気抵抗係数(Cd値)は0.32と、当時の最先端の値となった。ただしその代償として窓面積が小さくかつ傾斜が強いため、室内は開放感に欠け、狭く感じられた。

機構的には先代をほぼ踏襲しており、エンジンも従来からの1196cc・1297cc・1598ccのガソリンと1598ccディーゼルがそのまま用いられた。ボディは3ドアと5ドアのハッチバック、4ドア3ボックスのセダン、ホイールベースを235mm延長した3・5ドアワゴンのキャラバンがあったが、1987年にはイタリアのベルトーネが車体製作を担当した2ドアカブリオレも追加された。

1986年には高性能版のGSiが登場、空力ボディによって最高速度は203km/hに達した。当初は1796ccであったが、1988年にはマイナーチェンジが行われてフロント部分が改変された他、エンジン排気量が1400/1800/2000ccに拡大され、GSiは2000ccDOHC16バルブ156馬力となった。

1992年にモデルチェンジされる際に、オペル版も車名が「アストラ」に統一され、戦前から数えると50年以上の歴史を持つカデットの名前は消滅した。

なお、WRCへはグループAでGSiでの参戦に留まるものの、グループBが凍結されたため撤回された上位カテゴリ・グループS用のマシンとして、GSiベースの600馬力、パワートレーンを4駆化した「GSi T16 ラリー4X4」が開発され、投入するカテゴリを失うと1988年ヨーロッパラリークロス選手権に参戦していた。

[ 2007/09/15 23:54 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

Daewoo Lemans 1990 0'33" 

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オペル・カデットのOEM
カデットE(1984-1991)
最後のカデットとなったEは1984年に登場した。最大のライバルであるゴルフは1982年に「ゴルフⅡ」に発展していたし、同時期のドイツにはアウディ・100やフォード・シエラなど、いわゆるエアロルックと呼ばれる空力的スタイルの新型車が次々に登場していた。新鮮さを失ったカデットDの角張ったスタイルをエアロルックで一気に若返らせたことがEの最大の特徴で、空気抵抗係数(Cd値)は0.32と、当時の最先端の値となった。ただしその代償として窓面積が小さくかつ傾斜が強いため、室内は開放感に欠け、狭く感じられた。

機構的には先代をほぼ踏襲しており、エンジンも従来からの1196cc・1297cc・1598ccのガソリンと1598ccディーゼルがそのまま用いられた。ボディは3ドアと5ドアのハッチバック、4ドア3ボックスのセダン、ホイールベースを235mm延長した3・5ドアワゴンのキャラバンがあったが、1987年にはイタリアのベルトーネが車体製作を担当した2ドアカブリオレも追加された。

1986年には高性能版のGSiが登場、空力ボディによって最高速度は203km/hに達した。当初は1796ccであったが、1988年にはマイナーチェンジが行われてフロント部分が改変された他、エンジン排気量が1400/1800/2000ccに拡大され、GSiは2000ccDOHC16バルブ156馬力となった。

1992年にモデルチェンジされる際に、オペル版も車名が「アストラ」に統一され、戦前から数えると50年以上の歴史を持つカデットの名前は消滅した。

なお、WRCへはグループAでGSiでの参戦に留まるものの、グループBが凍結されたため撤回された上位カテゴリ・グループS用のマシンとして、GSiベースの600馬力、パワートレーンを4駆化した「GSi T16 ラリー4X4」が開発され、投入するカテゴリを失うと1988年ヨーロッパラリークロス選手権に参戦していた。

[ 2007/09/16 23:46 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

Daewoo Lemans 1990 (2) 0'31"

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オペル・カデットのOEM
カデットE(1984-1991)
最後のカデットとなったEは1984年に登場した。最大のライバルであるゴルフは1982年に「ゴルフⅡ」に発展していたし、同時期のドイツにはアウディ・100やフォード・シエラなど、いわゆるエアロルックと呼ばれる空力的スタイルの新型車が次々に登場していた。新鮮さを失ったカデットDの角張ったスタイルをエアロルックで一気に若返らせたことがEの最大の特徴で、空気抵抗係数(Cd値)は0.32と、当時の最先端の値となった。ただしその代償として窓面積が小さくかつ傾斜が強いため、室内は開放感に欠け、狭く感じられた。

機構的には先代をほぼ踏襲しており、エンジンも従来からの1196cc・1297cc・1598ccのガソリンと1598ccディーゼルがそのまま用いられた。ボディは3ドアと5ドアのハッチバック、4ドア3ボックスのセダン、ホイールベースを235mm延長した3・5ドアワゴンのキャラバンがあったが、1987年にはイタリアのベルトーネが車体製作を担当した2ドアカブリオレも追加された。

1986年には高性能版のGSiが登場、空力ボディによって最高速度は203km/hに達した。当初は1796ccであったが、1988年にはマイナーチェンジが行われてフロント部分が改変された他、エンジン排気量が1400/1800/2000ccに拡大され、GSiは2000ccDOHC16バルブ156馬力となった。

1992年にモデルチェンジされる際に、オペル版も車名が「アストラ」に統一され、戦前から数えると50年以上の歴史を持つカデットの名前は消滅した。

なお、WRCへはグループAでGSiでの参戦に留まるものの、グループBが凍結されたため撤回された上位カテゴリ・グループS用のマシンとして、GSiベースの600馬力、パワートレーンを4駆化した「GSi T16 ラリー4X4」が開発され、投入するカテゴリを失うと1988年ヨーロッパラリークロス選手権に参戦していた。

[ 2007/09/17 23:40 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

Daewoo Leganza 1999 0'45"

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大宇Leganzaは、1997年から2002年まで生産された中型セダン。
語源はイタリア語の「エレガント」と「フォルツァ」を組み合わされたもの。
型式はV100。ちなみにT100はラノス、J100はNubira

[ 2007/09/18 23:27 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

Daewoo Imperial 1989 0'33"

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オペル・レコルトがベースの中型セダンである、プリンスの大型セダンモデル

[ 2007/09/19 23:13 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

Daewoo Espero Topgun 0'32"

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1990年から1997年まで大宇自動車にて製造販売されていたモデル。
デザインはベルトーネが担当

[ 2007/09/20 23:07 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

Daewoo Espero 1993 0'30" 

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1990年から1997年まで大宇自動車にて製造販売されていたモデル。
デザインはベルトーネが担当

[ 2007/09/21 22:57 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

Daewoo Espero 1989 0'30"

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1990年から1997年まで大宇自動車にて製造販売されていたモデル。
デザインはベルトーネが担当

[ 2007/09/22 22:49 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

Daewoo Cielo 1995 (1) 0'30"

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この車はオペル・カデットがベースとなっていますが、ベクトラBにも似ているような気がします。

[ 2007/09/23 22:37 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

Daewoo Cielo 1995 0'30"

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この車はオペル・カデットがベースとなっていますが、ベクトラBにも似ているような気がします。

[ 2007/09/24 22:20 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

Daewoo Cielo 1994  0'30" 

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オペル・カデットがベースとなっているはすのなのですが、ベクトラBにもにているような・・・

[ 2007/09/25 22:11 ] GM DAEWOO | TB(0) | CM(0)

Mazda Savanna RX-7 Cabriolet FC3C CF 0'28"

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2代目・FC3S型(1985-1991年)
RX-7は、1985年10月に最初のフルモデルチェンジが行われ、FC3S型となった。開発コードはP747。ファンの間ではFCと呼ばれている。

プラットフォームは、マツダ・FCプラットフォームが用いられた。エンジンはインタークーラー付きターボ13B型を搭載。日本以外では、初代に続き日本未発売の13BEFI自然吸気エンジン仕様車が13Bターボエンジン搭載車とともに併売された。

途中マイナーチェンジが行われ、エアフロ(フラップ式→メジャリングコア式)、リアコンビネーションランプ(角目→丸目3灯)、ボディのモール・ドアミラーの同色化、リアスポイラー形状等が変更された。出力もタービンの改良により、前期の185psから205psに向上している。

グレードは廉価モデルのGT-R、中間モデルのGT-X、上級モデルで豪華装備のGT-Limitedが用意された。一番の売れ筋はビスカスLSDとアルミ製のボンネットが奢られたスポーツグレードのGT-Xであった。

「∞(アンフィニ)」シリーズと呼ばれる2人乗りスペシャリティーモデルが4世代に渡りリリースされる。このモデルは最終的に、FC3S型最高となる215ps/6500rpmを発生させた。また、1991年のFD3S型へのフルモデルチェンジの年初、787Bのル・マン24時間レース総合優勝を記念した、最後の特別仕様車「ウィニングリミテッド」というモデルが発売された。

2代目に設定されていたカブリオレ・FC3C型はロータリーエンジン生誕20周年を記念して1987年8月に登場。二代目サバンナRX-7に設定されたオープンカー仕様のグレード。電動ソフトトップを装備する。1991年、FC3S型はフルモデルチェンジされFD3S型となるが、カブリオレ仕様は2代目仕様のまま生産され1992年10月に最後のマイナーチェンジモデルが発売され、サバンナRX-7の14年間・RX-7カブリオレ5年間を締め括るモデルとして、台数限定のファイナルバージョン(最終仕様)となった。プラットフォーム、エンジンはFC3S型と同様。

[ 2007/09/26 14:11 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Savanna RX-7 1980 ad  0'28"

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当初、サバンナの後継として サバンナ RX-7(SAVANNA RX-7) の名で1978年3月に発表され、1991年に行われた2度目のフルモデルチェンジを機にマツダが当時展開していた「アンフィニ」ブランドによる発売となり、「サバンナ」の名称が外され アンフィニ RX-7 となった。「アンフィニ」ブランドの廃止により1997年10月、 マツダ RX-7 となり、2002年8月に環境(排ガス)対策の行き詰まりにより生産が終了した。

RX-7の販売終了後に登場したRX-8はネーミングからは後継のように思えるが、マツダ自身がRX-8を後継車とよばず新規車種と紹介している。なお、車名の由来は「R」が「ロータリーエンジン」、「X」が「未来を象徴する記号」である。「7」は「開発コードを示す番号」で他には2・3・4・5(輸出仕様のみ)・8がある。 RX-7は、2007年現在においても、日本だけでなく日本国外にも熱狂的な支持者が存在する。自動車愛好家の間では、モデルを区別するために初代から3代目まで、それぞれ「SA」「FC」「FD」という呼び方が通用している。

初代・SA22C型(1978-1985年)
1978年3月、サバンナ(輸出名RX-3)の後継として、初代RX-7、SA22C型 サバンナ RX-7 が登場した。開発コードはX605。 プラットフォームは、マツダ・SA2プラットフォーム(のちFBプラットフォームに改称)が用いられた。エンジンは水冷2ローターエンジン2ANA(自然吸気)仕様を搭載。オイルショックの影響を受け、REAPSと呼ばれる排ガスを再燃焼させるサーマルリアクター方式を採用し従来の40%の燃費アップを達成した。1983年のマイナーチェンジの際に日本仕様のみ12Aターボに変更される。ロータリーターボエンジンの搭載は世界初搭載のルーチェ/コスモから1年後だった。日本以外では、1984年 - 1985年に、13BEGI自然吸気エンジン搭載仕様車が販売されている(こちらは日本では未発売)。

口の悪い者たちからは、スタイルがポルシェ・924に似ていたため、発売当時「広島ポルシェ」「プアマンズポルシェ」などと揶揄されたこともあったというが、価格帯が異なる中でのこの評価は賞賛ともとれる。しかも、現在ではスポーツカーの雄と比較され、実質面でもポルシェ等と比較され名前を併記される車として評価されている(スポーツカーとしての評価を参照)。

なお、海外では、VINコードにあわせるため、1980年モデルより、FB3Sという型番号が導入されている。そのため、海外では、FBと呼ばれることがある。日本では、FB3Sという型番号は導入されなかった。

[ 2007/09/27 14:09 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Capella Ad 1980 0'30"

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カペラ (Capella) はかつてマツダで生産されていた乗用車である。30年以上の期間にわたり、ファミリアと共にマツダ乗用車の基幹車種として広く知られていた。

3代目(CB系 1978-1982年:タクシー仕様は1978年 - 1984年)
1978年10月、マツダの他の主力車種ファミリア、ルーチェ、サバンナRX-7に遅れる形で、初代登場から8年5ヶ月ぶりにフルモデルチェンジを行い3代目カペラになった(カペラAPが2代目の為)。3代目よりロータリー車は設定されずにレシプロ専用車種として登場、ファミリーカーに生まれ変わった。

ボディタイプは従来からの4ドアセダンと共に、2ドアを先代までのクーペスタイルではなく、フロントドアサッシュレス&Bピラーレスのハードトップスタイルへと変更する。空気抵抗は当時の車種としては良く、ハードトップはCd値=0.38だった。また、同クラスの車種と比べて車内の居住空間及びトランクスペースは大きい方だった。デビュー当初のフロント周りは、グリル部のみが傾斜し前照灯部が切り立ってSAE規格の角型2灯ランプを配した奥目がちなデザインであった。エンジンは発売当初は1600㏄と1800㏄の2タイプが用意された。(後に2ドアは4代目のクーペ、ハードトップは1988年登場のペルソナへと進展した。)

1979年3月、2000㏄車追加。

1980年9月、マイナーチェンジでフロント部の大幅変更を受け、角型異型レンズの採用でグリル面との連続性を持った、当時流行のマイナーチェンジ手法ともいえるスラントノーズデザインとなった。

1982年に後述の4代目(GC系)が登場してからも、4ドアセダンの1800LPGタクシー仕様(DXのみ)は、FR駆動で整備性が良く価格も安いことから地方の事業者での支持が多く、1984年末まで生産・販売が継続されていた。

なお、参考画像の3代目カペラは前照灯にSAE規格の角型2灯ランプを配したものではあるが、これは日本仕様では後期型となる角型異型ライトのカペラをベースに、SAE規格の角型2灯を配した北米輸出仕様の「Mazda 626」で、フロントエンドの造形は1980年9月のマイナーチェンジより前の国内仕様とは違うものである。これは当時の米国ではまだ市販車両に於いて、前照灯の規格に非常に厳しい制限があり、当時のSAE規格に準じた丸型及び角型のランプ以外の使用を認めていなかったためである。

[ 2007/09/28 14:08 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Eunos Cosmo commercial Japan 1990 0'30"

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マツダ・コスモは1967年(昭和42年)5月から1997年(平成9年)にかけてマツダが生産・発売していた乗用車である。1972年(昭和47年)から1975年(昭和50年)までモデルネームが中断したが、1975年に復活。1989年(平成元年)に再び中断(生産中止)した後1990年(平成2年)に再び復活し、ユーノス・コスモとして作られた。1996年の生産終了以降、コスモの名は途絶えている。

4代目・ユーノスコスモ(1990-1996年)
1990年(平成2年)のユーノスチャンネル発足に合わせて、ユーノスコスモは量産車初の3ローターのロータリーエンジンを搭載した自動車として登場した。ボディは2ドアクーペのみ。当時マツダは販売チャンネルのディビジョン(多チャンネル化。GMでいうシボレーやポンティアックのような展開)にはマツダ、ユーノス、アンフィニ、オートザム、オートラマがあり、ユーノスブランドのフラグシップであった。

時代はちょうどバブル経済末期で、世界で初めて「CCS」と呼ばれるGPSカーナビ(三菱電機と共同開発)を標準搭載したグレードがあったなど、豪華絢爛であった。エンジンは13B REWと20B REWの二種。いずれもシーケンシャル・ツインターボ。これは日本車としては初の採用であった。20Bは3ローター車。タイプはTYPE-ECCS・TYPE-E・TYPE-S(前期・中期型)・TYPE-SX(後期型のみ)。1996年(平成8年)まで生産された。プラットフォームはマツダ・JCプラットフォームが採用された。

1992年にTBS系で放送されたテレビドラマ「俺たちルーキーコップ」では覆面パトカーとして使われた。

[ 2007/09/29 14:05 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)
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