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ダウンロードしたファイルはFLVプレイヤーでのみ再生が可能です。
FLVプレイヤーは「FLVPLAYERをダウンロードする」をクリックして頂ければダウンロード可能です。
FLVプレイヤーはWINDOWS XPで動作確認がとれております。WINDOWS 98以前のOSやそれ以外のOSでは動作の確認はとれておりません。

(Linux ubuntu Ver710では動画自体をダウンロードすれば自動でコーデックを検索、ダウンロードを行い動画を見ることができます。)

各動画やFLVPLAYERは無料でダウンロード可能です。またインストールも無料のソフトを使用していますので無料でお使い頂くことが可能です。ただし、インストール後の不具合に関しましては自己責任でお願い致します。(とはいっても今までそのようなことはありませんでしたが・・・)

インストール方法
ダウンロードをしたFLVPLAYERをダウンロードしてダブルクリックをすると「flvpex02」といいうファイルが出てきます。それも迷わずダブルクリック。

そうすると「flvpex.exe」というファイルが出てきます。それをダブルクリックし「すべて展開」を選択、クリックを行います。

展開ウィザードを完了させて展開を完了させたら、また「flvpex.exe」という赤い箱型のアイコンが出てくるまでひたすらダブルクリックをする。

「flvpex.exe」という赤い箱型のアイコンが出てきたらそれをダブルクリックするとプレイヤーが表示されますので、そこに各ダウンロードをしたファイルをドラッグさせてやれば見ることができます。

数日前にはaviファイルとしてコーデックをインストールすればWINDOWS上で動画の閲覧が可能でしたが、ファイルが壊れてしまい動画が見れないという現象が起きてしまい、FLVプレイヤーでのみ動画を再生できるように設定を変更させて頂きました。御了承願います。


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[ 2007/07/01 11:14 ] はじめに・・・ | TB(0) | CM(4)

Nissan Skyline RS-TURBO CM 史上最強のスカイライン(DR30) 0'30" 

トップページNISSANカテゴリーNissan Skyline RS-TURBO CM 史上最強のスカイライン(DR30)
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通称:ニューマンスカイライン、鉄仮面(後期型RSの通称)
キャッチコピー:New 愛のスカイライン・ニューマン スカイライン・史上最強のスカイライン

1981年8月 R30型発売。アメリカの俳優ポール・ニューマンが広告キャラクターであったため、「ニューマン・スカイライン」と呼ばれた。グレード体系はC210型同様の直列6気筒エンジンを搭載する「GTシリーズ」と直列4気筒エンジンを搭載する「TIシリーズ」の2系列だが、ホイールベースは1種類となった。ボディバリエーションは、4ドアセダン・2ドアハードトップ・5ドアハッチバック・後に追加されるライトバン(エステート)の4種。

ハッチバックはスカイライン史上初である。現在は常識となっているテンパータイヤは、このR30型ハッチバックが日本初採用であり、スペアタイヤに空気圧減圧警告灯なども装備されていた。搭載エンジンは、Z18S型(エステート・TI)、Z18E型/Z20S型/Z20E型(TI)、L20E型/L20ET型/LD28 型(GT)の7機種。

1981年10月 直列4気筒4バルブDOHC FJ20E型エンジン(150ps/6000rpm、18.5kgm/4800rpm)を搭載する「2000RS(DR30型)」を追加。GT-Rの再来と期待されたが、FJ20E型が直列4気筒であるがためにGT-Rを名乗らなかったともいわれている。同時にZ18S型を搭載する「エステート」が追加。

1982年10月 一部変更。「TIシリーズ」の1800cc Z18型エンジンを直列4気筒OHC CA18型/CA18E型エンジンへ変更(FJR30型)。「TI Lエクストラ」および「GT Xエクストラ」を追加し、「2000RS」に60%扁平タイヤを装着。

1983年2月 FJ20E型にターボチャージャーを追加した、FJ20ET型(190ps/6400rpm)を搭載した「2000ターボRS(DR30JFT型)」を追加。歴代スカイラインのどれよりも高出力であったことから「史上最強のスカイライン」というキャッチコピーが用いられる。また、日産は、このモデルにてハコスカ以来となるワークスとしてレースに復帰。

刑事ドラマ西部警察の劇用車として、2ドアハードトップが旧モデルに引続き使われていた。最初に2000RS=1台(マシンRS、ターボ車追加後RS-3に名称変更)が登場し、後に2000ターボRS=2台(RS-1.RS-2)が追加された。

1983年8月 マイナーチェンジにより後期型へ。前後の意匠変更、大型バンパーの採用等を行う。RSの後期型は薄型ヘッドランプ、ラジエーターグリルレスのデザインにより「鉄仮面」と呼ばれた。パワーランバーサポート・パワーステアリング・パワーウインド・カセットコンポを装備した豪華仕様「2000ターボRS-X(DR30XFT型)」を追加。

1983年10月日本初のAT専用グレードであるNAの豪華仕様「2000RS-X(DR30XFE型)」、および15インチアルミホイール、ブロンズガラス、専用ステッカーを装備する「2000ターボGT-E・S ポール・ニューマン・バージョン(HR30JFT型)」を追加。

1983年11月 日産50周年記念限定車「50アニバーサリー バージョン」を設定。これは2ドアハードトップ2000ターボRS-Xをベースに、メッキドアミラー、専用エムブレム、「ハイタッチモケット」と呼ばれる専用の内装(後にオプション設定)を備え、白のほかにガンメタ/赤茶ツートンの専用ボディカラーも用意された。

1984年1月 「2000ターボGT-E・Xパサージュ(HR30GAE型)」を追加。

1984年2月 インタークーラー搭載モデルである「2000ターボインタークーラーRS/RS-X(DR30JFS/DR30XFS)」を追加。このモデルは「ターボC」と呼ばれる、RS -XターボCでは、前述のハイタッチモケット仕様の内装が選択可能となった。インタークーラー付きFJ20ET型エンジンはグロス表示ながら 205ps/6400rpm、25.0kgm/4400rpmを発生させ、いまだに根強いファンを持つ。

1984年8月エンジンの点火系を変更した「プラズマスパークシリーズ」を発売。最強のエンジンでイージードライブが可能になった「2000ターボインタークーラーRS -X A/T(DR30XAS型)」、および「2000ターボGT-E・II(HR30HFT型)」を追加。

1985年8月 モデルチェンジによりR31型に移行されるが、5ドアハッチバックはこのモデル限りで廃止となる。エステート(バン)は1990年2月まで継続生産されるが、こちらもこのモデルを最後に廃止された(後継車はアベニールカーゴ(1990年5月〜1999年6月)、現在はADエキスパートが販売されている。


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[ 2007/07/02 14:25 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Nissan Sentra/Stanza/Maxima CM 0'30" 

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  • SENTRA(セントラ)・・・日本名、サニー
  • STANZA(スタンザ)・・・日本名、そのまんまのSTANZA
  • MAXIMA(マキシマ)・・・日本名、ブルーバードMAXIMA


NISSAN SENTRA
2代目(B12型)角ばったデザインが特徴であるB12型セントラは、サニーにはない2ドアセダンが設定されていた。
大きく伸ばされた前後バンパーが外観上の特徴で、日本でも人気が高かったモデルである。

NISSAN STANZA
1986年6 月 - 3代目登場。またサブネームの「FX」が取れ正式車名が「スタンザ」に戻った。ボディはハッチバックがなくなり4ドアセダンのみとなり、U11型ブルーバードと基本設計が共通化された。同じ共通設計の兄弟車である3代目オースターとの相違点はフロントノーズの造形が逆スラント形状、リアデッキの造形が非スポイラー形状となっており、トランクリッドの開口部がバンパーレベルからでなく、アッパーレベルからになっている。エンジンは、1600ccSOHC(CA16S・「1.6スプレモ」)と1800ccがあり、後者にはSOHC(CA18i・「1.8スプレモ」)、SOHCターボ(CA18ET・「1.8スプレモ・ターボ」)、DOHC16バルブターボ(CA18DET・「1.8スプレモ・ツインカムターボ」)が設定された。SOHCエンジン全車にツインプラグを採用する。キャッチコピーは「クラッシー・スタンザ」。

1987年2月 - 10周年記念特別仕様車「エクストラサルーン」を発売。

1988年1 月 - マイナーチェンジ。同時期にマイナーチェンジを実施したT12型オースターと同じ形状の前後バンパーを用いる。そのためか全長はマイナーチェンジ後の T12型オースターと同じ数値となっている。CA18ET型エンジンが廃止された代わりにノンターボDOHC16バルブのCA18DE型エンジンが加わる。グレード名は「1.8スプレモ・ツインカム」。キャッチコピーは「URBAN DRY(アーバン・ドライ)」。

1990年、オースターと統合して後継車のプリメーラが誕生した。

NISSAN MAXIMA
1984年10月 U11型ブルーバード・マキシマとして日米同時発売。U11型ブルーバード・マキシマは、U11型ブルーバードのフロントノーズ部分を90mm延長し、セドリックなどのFR車に搭載のVG20ET型・V型6気筒エンジン、専用グリル、大型パンパーなどが与えられていた。

1986年1月 マイナーチェンジでフロントノーズがややスラント化されるのと同時にテールランプのデザイン変更/VG20Eエンジン(自然吸気)車を追加。

1987年5月、車名をそれまでのブルーバード・マキシマから、マキシマとして独立(トランクのエンブレムはNISSAN MAXIMAへ)。形式はU11型のままである。

1987年10月 4気筒エンジンのブルーバード(セダンと4ドアハードトップ)がフルモデルチェンジされたがバン/ワゴン(90年のアベニール登場まで)、6気筒マキシマ(88年まで)はU11型で引き続き生産


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[ 2007/07/03 14:37 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

NISSAN 4×4s CM 1'00" 

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Nissan Patrol → Nissan Safari(日本名)3代目(Y61型)
1997年10月 - Y61型にモデルチェンジ。ねらいは中東砂漠の高速ツアラー。搭載エンジンはTB45E、TD42T、RD28ETi(2ドアハードトップ)。消防車仕様は廃止された。

1999年9月 - マイナーチェンジ。内外装の意匠変更、仕様装備の向上のほか、2ドアハードトップ車に、直列4気筒DOHC直噴ターボ付ディーゼル ZD30DDTi型を搭載。オーテックジャパンの手によるキャンピングカー、「フィールドベース」も変更。

2000年3月 - ZD30DDTi型搭載欧州向けパトロールを第70回ジュネーブモーターショーに出品。

2002年8月 - 日本向けの販売を休止。

2002年11月 - マイナーチェンジを施し日本向けの販売を再開。内外装の意匠変更、装備の向上のほか、新開発の直列6気筒DOHC TB48DEエンジンに5速マニュアルモード付オートマチックトランスミッションを組み合わせる。グレードは4ドアワゴングランロードリミテッドのみとなる。ただし、海外向けはディーゼルエンジンやMTも継続設定される。

2003年6月 - FIAクロスカントリーラリー・ワールドカップ第4戦 ORPIモロッコラリーにスポット参戦。T1クラス3位。

2004年1月 - テレフォニカ・ダカール2004に参戦し、総合22位、T1(市販車無改造)クラス優勝。

2004年8月 - マイナーチェンジ。内外装を大幅変更する。

2004年9月 - 第12回「4x4 24時間atエッソンヌ」T1クラスに参戦。総合47位、クラス17位完走。

2005年2月 - パキスタンへ輸出開始。現地名は「パトロール」。

2007年6月 - 日本国内での販売を終了。

X-Trail 初代(T30型、2000年-2007年)
日本仕様は2000ccガソリン車(QR20DEエンジン搭載の自然吸気と、SR20VETエンジン搭載のターボ)だけだが、ヨーロッパではディーゼル車も設定されている。また、アジア、オーストラリア、中近東では2500ccガソリン車(QR25DEエンジン搭載)が設定されている。

4WDシステムは「オールモード4X4」。

2000年 9月 - パリサロンにコンセプトカー「X-TRAIL」を出展。

200年 10月 - T30型発表。エンジンルームに横置きされるエンジンは、直列4気筒DOHCのQR20DE型およびSR20VET型の2機種。センターメーター、樹脂製フロントフェンダーなどを装備。

11月 - 発売開始。オーテックジャパンによる、専用バンパー、丸型ヘッドランプなどを装備する特別仕様車「style-AX」を発売。

2001年 2月 - SR20VET型搭載車「GT」発売。

10月 - 「St」、「Xt」、およびオーテックジャパンによる、専用バンパー・内装仕様を装備する特別仕様車「ライダー」を追加。

2002年1月 - 第24回トタール・アラス・マドリード・ダカール・ラリーにR50型テラノをベースにVQ35DEを搭載して、VQ35DE搭載D22型ピックアップ、VQ35DE搭載R50型テラノとともに参戦。

6月 - 第7回北京国際モーターショーに出品。

10月 - 「Stt」、「Xtt」、およびオーテックジャパンによる専用バンパー・内装仕様を装備する特別仕様車「アクシス」を追加。

12月 - 高圧水素式燃料電池車「エクストレイル FCV」の国土交通大臣認定を取得。日本国内公道走行試験を開始。

2003年 6月 - マイナーチェンジ。内外装の一部変更、ポップアップステアリング等の仕様・装備の向上の他、グレードの見直しを実施。

9月 - 第60回フランクフルトモーターショーに「X-TRAIL FCV」を出展。

10月 - 第37回東京モーターショーに「X-TRAIL FCV」を出展。

12月 - 11月に「X-TRAIL FCV」03年モデルの国土交通大臣認定を取得したのを受け、限定リース販売を開始。02年モデルに対し、最高速度および航続距離が向上している。2004年にコスモ石油、神奈川県、および横浜市へ納入された。

2004年 1月 - インドニューデリーにて開催された第7回「Auto Expo」に出展。

5月「St」と「Xt」を追加。

8月インドにて発売。

9月パリサロンに「X-TRAIL FCV」03年モデルを出展。

11月 - AMVシャムロックラリー(モロッコ)T2クラスに参戦。総合優勝および総合4位(T2ガソリン車クラス2位)。

12月 - 「St」と「Xt」を廃止し、「Stt」と「Xtt」を追加。

「GT」を一部改良。インテリジェントキーを採用。

2005年
2月 - パキスタンへ輸出開始。

4月 - 「オート上海 2005」に「X-TRAIL FCV」を出展。

12月 - 一部改良を実施。SttとXttに、2リットルのペットボトルが3本収納できる「シートバックXポケット」を新たに設定、「ハイパールーフレール」を標準装備した。また、2006年1月から改定される灯火器技術基準に適合させるために、全グレードにヘッドランプレベライザー、ハイマウントストップランプを標準装備。同時に特別仕様車「スクラッチガードコートエディション」を追加。世界で初めて、塗装表面の擦りキズ痕が復元するクリヤー塗装「スクラッチガードコート」を採用。

2006年
11月 - 一部改良。「Stt」と「Xtt」を廃止。「Sドライビングギア」を追加。特別仕様車として「Xエクストリームレザー」を追加。ボディ色に「アイアングレー」を追加し全7色になった。

2007年
2月19日 - 神奈川都市交通にエクストレイルFCVのハイヤーを納入。日本で初めての燃料電池車のハイヤーとなった。

Nissan Pathfinder 3代目 R51型 (2004年-)
日産・パスファインダー(PATHFINDER)は、日産自動車が生産・販売している海外向け4輪駆動車である。初代WD22型および2代目R50型はそれぞれ「テラノ」の北米、中東向け仕様車であったが、2002年8月に日本向けテラノが生産終了したため、海外専用車種として独立している。

2003年9月 第60回フランクフルトモーターショーにコンセプトカー「Dunehawk(デューンホーク)」を出展。

2004年1月 北米国際オートショーにR51型パスファインダーを出展。3列シートを採用し、7人乗りとなる。生産拠点はテネシー州スマーナ工場。

2004年9月 パリサロンに欧州仕様R51型を出展。新型2.5リッターディーゼルエンジンを搭載する。

同月 北米向けR51型の生産開始。搭載するエンジンはV型6気筒DOHC4.0リッター VQ40DE型。

2005年3月 欧州にて販売開始。欧州向けの生産はスペインにて行われる。

2007年2月 シカゴオートショーに2008年モデルを出展。新たにタイタン/アルマーダと同じV型8気筒DOHC5.6リッター VK56DE型エンジン搭載車種が追加されたほか、内装の意匠を一新して質感の向上を図っている。また、外観も小変更されている。

NISSAN NAVARA
オセアニア・欧州向けは「NAVARA」である。国内では「NAVARA」を湘南日産車体で組み立ていた。現在は、現地生産されている。

ダットサントラックは、日産が生産していたピックアップトラックで現在での国内生産は終了している。 D22〜海外では「FRONTIER」のネーミングで販売されている。「FRONTIER」は国内・海外とも生産されており、北米(日産ノースアメリカINC)・ブラジル・タイ(サイアム日産モーターリミテッド)・スペイン(日産モトールイベリカS.A.)・中国(河南省の鄭州日産汽車公司)の日産工場で生産されている。

NISSAN MURANO 初代 Z50型(2002年 - 2008年)
日本市場においてはトヨタ・ハリアーを意識し、本格的クロカン車のサファリと、小型SUVのエクストレイルの中間に設定されたモデル。

北米市場では近年人気の高い高級ラグジュアリーSUVと位置づけられている。 元々は日本での販売予定はなかったとされるが、アメリカ合衆国での高い評価を受け、2004年9月より国内販売が開始された。 北米、日本のみならず、世界各地域においても販売されており、全ての地域において名称は「ムラーノ」に統一されている。

製造は福岡県京都郡苅田町の日産自動車九州工場で製造されている。

かつてのテラノの後継車種であるという見方もあるが、クロスカントリー色の濃いテラノの直接的な後継は、欧州・北米で多く展開されているパスファインダーやエクステラである。

ティアナなどと同じ、『ニッサン・FF-Lプラットフォーム』を使用する。

エンジンはVQ35DE型V6 3500ccまたはQR25DE型直4 2500cc(2500ccは日本・シンガポール仕様のみ)。

トランスミッションは6速マニュアルモード付きCVT(3500cc)または4速AT(2500cc)になる。駆動方式はFFと3500ccのみ4WDがある。

ムラーノは灰皿とシガーライターが標準装備されておらずディーラーオプションとなっている(マーチなどと同様)。

2002年3月 - 第102回ニューヨーク国際オートショーに出品。

2002年11月 - 北米で販売開始。

2003年2月 - カナダ・トラック・オブ・ザ・イヤーを受賞。

2003年10月 - 第37回東京モーターショーに北米仕様(左ハンドル)を参考出品。

2004年9月2日 - 日本で発売。レッドステージ店で販売する。同月、パリサロンに欧州仕様を出展。

2004年10月29日 - ブルーステージ店での取り扱いを開始。

2005年1月 - 九州工場車両生産累計台数1000万台を記念した期間限定車「カベルネ」を設定。北米向けモデルにのみ採用しているカベルネ色の本革シートをはじめ、装備をした。生産計画台数100台、2005年3月までの期間限定販売。

2005年2月 - ヨーロッパで販売開始。

2005年6月 - 期間限定車「アルテ・カベルネ」を設定。生産計画台数100台、2005年9月までの期間限定販売。

2005年12月27日 - 一部改良。

2007年5月 - 特別仕様車「スタイリッシュシルバーレザー アンコール」を発売。2006年5月に発表した「スタイリッシュシルバーレザー」の復刻版。

2007年9月 - 期間限定車「アルテ・ビアネロッソ」を設定。生産計画台数100台、2008年3月までの期間限定販売。

2007年12月 - 特別仕様車「モードブラウンレザー アンコール」を発売。2006年12月に発表した「モードブラウンレザー」の復刻版。


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[ 2007/07/04 14:58 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Nissan Safari CM 1'00"  

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NISSAN SAFARI
1997年10月3代目、Y61型にモデルチェンジ。ねらいは中東砂漠の高速ツアラー。搭載エンジンはTB45E、TD42T、RD28ETi(2ドアハードトップ)。消防車仕様は廃止された。

1999年9月 - マイナーチェンジ。内外装の意匠変更、仕様装備の向上のほか、2ドアハードトップ車に、直列4気筒DOHC直噴ターボ付ディーゼル ZD30DDTi型を搭載。オーテックジャパンの手によるキャンピングカー、「フィールドベース」も変更。

2000年3月 - ZD30DDTi型搭載欧州向けパトロールを第70回ジュネーブモーターショーに出品。
2002年8月 - 日本向けの販売を休止。
2002年11月 - マイナーチェンジを施し日本向けの販売を再開。内外装の意匠変更、装備の向上のほか、新開発の直列6気筒DOHC TB48DEエンジンに5速マニュアルモード付オートマチックトランスミッションを組み合わせる。グレードは4ドアワゴングランロードリミテッドのみとなる。ただし、海外向けはディーゼルエンジンやMTも継続設定される。

2003年6月 - FIAクロスカントリーラリー・ワールドカップ第4戦 ORPIモロッコラリーにスポット参戦。T1クラス3位。
2004年1月 - テレフォニカ・ダカール2004に参戦し、総合22位、T1(市販車無改造)クラス優勝。

2004年8月 - マイナーチェンジ。内外装を大幅変更する。
# 2004年9月 - 第12回「4x4 24時間atエッソンヌ」T1クラスに参戦。総合47位、クラス17位完走。
2005年2月 - パキスタンへ輸出開始。現地名は「パトロール」。
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[ 2007/07/05 15:04 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Nissan Rogue Concept Car 0'50" 

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NISSAN ROGUE CONCEPT CAR
コンセプトカーだけあって情報が乏しいです。わかり次第書き込みしていきますんで・・・情報お持ちの方コメントがトラックバックよろしくお願い致します。


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[ 2007/07/06 15:10 ] NISSAN | TB(0) | CM(0)

Isuzu Gemini CM 6'15" 

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2代目は1985年5月、発売された。型式名は1985年に登場した1500ccガソリン車がJT150型、1988年に登場した1600ccDOHCガソリン車がJT190型。そして1500ccディーゼルと1500ccディーゼルターボ車はJT600型。

GMの世界戦略車構想の「Rカー」として、「クオリティ・コンパクト」というコンセプトで、いすゞが単独開発した(Rカーは1984年11月よりGM向けに供給を開始)。駆動方式は前輪駆動を採用。当初は初代(PF60型)の「ZZ」が併売されていた関係で、「FFジェミニ」と称していた。ボディサイズは小型車クラスから大衆車クラスへとサイズダウンされた。

117クーペ以来17年ぶりのいすゞオリジナル設計の乗用車で、モデルチェンジにあたり、アスカとの競合を避け、なおかつ米国市場をも意識して初代より一回り小型のクラス(現在のBセグメント)をターゲットとし、居住性と取り回しの良さを得るためにFF化、パワーステアリングやサーボブレーキなど特に操縦性を重視した設計とされた。このコンセプト内容は、かつて次期ベレット構想時にも検討されていた。

ボディデザインは有名デザイナーのジウジアーロが手がけた。ボディタイプは4ドアセダンと、先代の2ドアクーペに代わって3ドアハッチバックが設定された。

1987年2月に1回目のマイナーチェンジ。特に大きな変更を受けたのはフロントマスクで、サイドマーカーをサイドに回りこませた、通称「つり目」といわれるフォグランプ一体の異型ヘッドライトを採用、同時にグリル形状も変更された。室内も見直しが行われ、インパネやクラスタースイッチの形状変更などが行なわれた。

また、これと同時に先代ジェミニ(PF60型)の製造が終了。差別化の為に付いていた「FF」と言う冠が取れ、「ジェミニ」になった。

1986年には専用の電子制御式ターボ付き1500ccガソリンエンジン「4XC1-T型」を搭載し、足回りを旧・西ドイツのイルムシャー社がチューニングした「イルムシャー」仕様が登場。 2代目ジェミニJT190に搭載の4XE1エンジン 2代目ジェミニJT190に搭載の4XE1エンジン

1988年 には、1600ccの4バルブDOHCエンジン「4XE1型)を搭載し、足回りを英国のロータス社がチューニングしてBBSホイールをオプション設定(ZZ-SEのみ標準装備)した「ZZハンドリング・バイ・ロータス」仕様が追加された。のちに同じエンジンを搭載した1600cc「イルムシャー」も追加される。

「イルムシャー」は高い走行性能を有するヨーロピアン・スポーツ車として、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」は高性能ながらも落ち着いた操縦性を有するラグジュアリ・アダルトスポーツ車としての性格付けがなされていた。また、いずれも前席にレカロ社製のセミバケットシートを標準装備していた。

そして1989年2月に2回目のマイナーチェンジ。サイドマーカーの位置がフェンダー部分に変更され、セダンのみ後ろ周りのデザイン変更が行われ、ナンバープレートの位置が、トランクリッド部分からバンパー中央部分に移動されている。

2代目はトヨタ・カローラや日産・サニーなど、強力な競合車種が存在する大衆車クラスに変更された関係で、当初は販売面が憂慮された。しかし、「街の遊撃手」というキャッチコピーそのままに、ジェミニがパリの街並みを踊るように駆け抜けていくテレビCMが評判を呼び、カラーバリエーションも豊富で、一時は月間販売台数でカローラを抜くほどの販売台数を記録した。

2代目の総生産台数は 748,216台(いすゞHPより)。

グレード展開は当初「C/C」を基本グレードとして、実用仕様の4ドア「T/T」と3ドア「D/D」の実質2種類だった。その後、スポーツモデルの「イルムシャー」、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」が追加。また、1988年には「C/C」の上級モデルの「G/G」が追加された。

他にも「パティオ」、屋根がキャンバストップになった「C/Cユーロルーフ」、レカロシート装備のターボディーゼル「S/S」、特殊架装のピックアップモデルである「ドゥエドゥ」、ガソリン・ディーゼル共にNAVi5モデルなどが設定されていた。

機構
駆動方式は前輪駆動を採用している。
搭載されたエンジンは1500ccSOHCの4XC1型および同ターボ付の4XC1-T型、1600ccDOHCの4XE1型、1500ccディーゼルの4EC1型および同ターボ付の4EC1-T型。

組み合わされるトランスミッションは当初、5速MTと3速ATでスタートしたが、1986年にコンピューター制御の5速オートマチックであるドライビングロボットこと「NAVi5」を搭載したモデル車が登場した。

サスペンションは四輪独立操架で、前輪にマクファーソンストラットコイル式、後輪にコンパウンドクランクコイルを採用。また、スポーツモデルの「イルムシャー」仕様にはメーカーオプション扱いでビスカス式LSDの装備も可能だった。

ステアリングはラック・アンド・ピニオン式。パワーステアリング仕様も選べた。また、ブレーキには全車サーボが標準装備されたのも特徴の一つである。

初期型
  • 1985年5月 フルモデルチェンジで2代目が登場。1500ccガソリン車(JT150型)のセダンとハッチバックが登場。先代ジェミニ(PF型)の一部モデルが継続販売であった為に「FFジェミニ」と言う名称で販売が開始された。
  • 1985年11月 1500ccディーゼルターボ車、1500ccディーゼル車(共にJT600型)のセダンとハッチバックが登場。
  • 1985年12月 セダン及びハッチバックの「C/C」が、日本産業デザイン振興会主催の1985年度グッドデザイン賞商品に選出された。
  • 1986年1月 特別仕様車「ホワイト・ジェミニ」を限定発売。
  • 1986年2月 特別仕様車「ブラック・ジェミニ」を限定発売。
  • 1986年3月 特別仕様車「ブライトスプリング・ジェミニ」を限定発売。
  • 1986年4月 一部改良で同時に1500ガソリン車のセダン及びハッチバックに、コンピューター制御の5速オートマチック「NAVI-5」搭載モデルが追加。
  • 1986年5月 1500ガソリン車に、インタークーラー付きターボエンジンを搭載したのセダン及びハッチバックの「イルムシャー」(JT150型)を追加。
  • 1986年7月 「C/C」ベースの特別仕様車「サマー・ジェミニ」を限定販売。
  • 1986年9月 特別仕様車「ホワイト・ジェミニ」を限定発売。
  • 1986年12月 「C/C」ベースの特別仕様車「ウインター・ジェミニ」を限定販売。
中期型
  • 1987年2月 マイナーチェンジ。ヘッドライトの形状が変更され、同時にグリル形状やテールレンズも変更。室内もインパネやクラスタースイッチの形状が変更された。
  • 1987年3月 いすゞ自動車創立50周年特別記念車として特別仕様の「C/C」を限定発売。
  • 1987年4月 セダンの1500ccガソリン/ディーゼル車に「パティオ」を追加。通販会社ディノスと提携した専用モデルの「ディノス」を限定発売。グレード名は「E/E」(セダン「T/T」とほぼ同仕様)。
  • 1987年5月 1500ccガソリン車のセダン及びハッチバックに「ユーロルーフ」モデルを追加。1500ccガソリンターボ車に特別仕様車として「イルムシャーRS」を台数限定発売。
  • 1987年6月 1500ccガソリンターボ車のセダン及びハッチバックに、競技用ベース車両で時計、オーディオ、ホイールキャップ等の装備が省略された「イルムシャーR」を追加設定。同月、いすゞ自動車創立50周年特別記念車の第2弾として特別仕様の「C/C」と「イルムシャー」を限定発売。
  • 1987年7月 1500ccディーゼルターボ車のセダン及びハッチバックに「NAVI-5」搭載モデルが追加。
  • 1987年8月 「C/C」ベースの特別仕様車「サマー・ジェミニ」を限定発売。
  • 1987年9月 1500ccガソリンターボ車に特別仕様車として「イルムシャーRS」を200台の台数限定発売。
  • 1987年11月 特別仕様車「ハイクオリティ・ジェミニ」を限定発売。
  • 1988年2月 「NAVI-5」を一部改良。
  • 1988年3月 1600ccのDOHCガソリンエンジン搭載車「ZZハンドリング・バイ・ロータス」(JT190型)を追加。1500ccガソリン車のセダンに「C/C」の上級グレードとして「G/G」を追加。
  • 1988年4月 「C/Cユーロルーフ」ベースでバンパーやサイドプロテクターなどがシルバー(ベース車は素材色)に塗り分けられた2トーンカラーの特別仕様車「C/C-SE・スプリングキュート」を限定発売。
  • 1988年5月 前年に限定発売した「ディノス」が、通販会社「ディノス」でのカタログ販売専用モデルとして追加。
  • 1988年6月 1600ccガソリン車に「イルムシャー」と受注生産の「イルムシャーR」を追加。特別仕様車「クールサマー・ジェミニ」を限定発売。
  • 1988年9月 特別仕様車「オータムエレガント・ジェミニ」を限定発売。
最終型
  • 1989年2月 マイナーチェンジ。外観の変更を行う。特別仕様車「スプリングフィット・ジェミニ」を限定発売。
  • 1989年6月 1500ccガソリン車のセダンに「G/Gリミテッド」を追加。
  • 1989年7月 1600ccガソリン車のセダンに「ZZ-SEハンドリング・バイ・ロータス」を追加。
  • 1989年9月 特別仕様車「オータムフィット・ジェミニ」を限定発売。
  • 1989年11月 特別仕様車「ウインターフィット・ジェミニ」を限定発売。「イルムシャーRS」を台数限定発売。
  • 1990年1月 C/Cベースの特別仕様車「ウインター・ジェミニ」を限定発売。
  • 1990年3月 販売終了。3代目にバトンタッチ。
3代目(JT151・191・641)
3代目は1990年3月登場。ボディサイズは2代目よりも拡大され、競合車種のトヨタ・カローラや日産・サニーなどとほぼ同じになっていた。

形式名は、1500ccガソリン車がJT151F型、1600ccDOHCガソリン車がJT191F型、1600ccDOHCガソリンインタークーラー付きターボ4WD車がJT191S型、1700ccディーゼルターボ車がJT641F型、同4WD車がJT641S型。

これらにホットモデルとして「イルムシャー」仕様および「ZZハンドリング・バイ・ロータス」仕様がラインナップされている点は先代と変わらない。その中でもハイパワーエンジン+フルタイム4WDを搭載したJT191S型は「イルムシャーR」を名乗る最上位ホットモデルである。

デビュー当初4ドアセダンのみの設定だったが、1990年9月にクーペが、翌1991年3月に3ドアハッチバックが追加されている。

セダンは北米市場で「いすゞ・スタイラス」の名称で販売された。

また、派生車種として、米GM社のGEOブランド向けに、フロントフェイスが異なる2ドアクーペ「ジオ・ストーム(日本ではヤナセで販売されていたPAネロと同デザイン)が販売されていた。ジェミニクーペ、ハッチバックはこの「ジオ・ストーム」をフェイスリフトしたモデルとなっている。またストームはその後、2代目ピアッツァのベースになっている。

3代目は技術的に特徴が多く、販売当時ジェミニシリーズが活躍していたラリーフィールドを意識した設計が施されている。「カプセルシェイプ」と銘打った一体型ボディ構造を持ち、強度重視で厚い鉄板を使用したため、当時の1600ccクラス車としては車重は重い部類に入る。

足回りではリアサスペンションに、ストラット式をベースにトーコントロール機構を持たせた4WSの一種である「ニシボリック・サスペンション」が採用されたことが挙げられる。しかし、自動車評論家を招待して満を持して行なわれた試乗会では、サスペンションを誇張するチューニングをした試乗車を用いたため、「腰砕け」や「後席に座ると酔う」などの酷評が相次いだ[要出典]。とは言うものの、レースシーンでの評価は高く、特に日本の国内ラリーシーンにおいては"FF車ベースなのにFR車的なドリフトが出来る"と好評であった。現に1991年、 1992年の全日本ラリー選手権では連続でクラス優勝に輝いている。

デザインは中村史郎を中心にいすゞ社内でまとめられたものであるが、GMの意向が強く影響した点は否めず、欧州車の味わいが売りであったいすゞ車では異例の、アメリカンなデザインとなった。しかし、リアプレスドアがCピラーを兼ねるなど、他に例を見ない斬新なデザイン処理も見られる。

1500ccガソリン車の動力性能は著しく向上したが、肥大化した車体や、グリルレスのフロントフェイス、前が見づらい運転ポジションなど、従来からのいすゞユーザーから不評を買い、ディーラーからも「先代の客に代替で試乗させると売れない」などの声があった。さらに、販売面で重視したはずの米国市場でも販売が振るわず、結果的にこの不振が、いすゞの乗用車事業撤退の決定要因になったとも言われている。

1993年7月限りで生産終了。3代目の総生産台数は 406,625台(いすゞHPより)。

駆動方式は前輪駆動だが、イルムシャーR仕様と一部のターボディーゼル車については4WDを採用している。

エンジンは1500ccSOHCの4XC1型、1600ccDOHCの4XE1型、同インタークーラーターボ付、1700ccディーゼル4EE1型、同インタークーラーターボ付の5種類が搭載された。

組み合わされるトランスミッションは5速MTと電子制御式4速AT。

サスペンションは四輪独立操架で、前輪がマクファーソンストラットコイル、後輪には4WSの一種であるニシボリック・サスペンションを装備する。

ステアリングはパワーステアリング付ラック・アンド・ピニオン式。ブレーキにサーボが標準装備されている点は先代と同様だが、本車は前後輪ともディスクブレーキとなっている。

そのほか、ガソリン車の排気系パイプ類にステンレス材を採用したり、「C/C-X」以上のグレードにヒーター付きドアミラーを標準装備するなどコストを掛けたつくりとなっている。シートは先代のJT0型を踏襲した「ファニチャーシート」と呼ばれるヨーロピアンテイストのデザインだが、クッション硬度を上げたり、前後部別のハイトアジャスターを装備するなどより人間工学に配慮したものとなっていた(「C/C」シリーズのみ)。スポーツ系グレードの前席には先代同様、レカロ社製のセミバケットシートを標準装備していた。

前期型
  • 1990年3月 フルモデルチェンジで3代目が登場。当初はセダンの1500ccガソリン車(JT151F型)、1600ccガソリン車(JT191F型)、1700ccディーゼル車(JT641F型)がラインナップされた。グレード名は1500ccガソリン車と1700ccディーゼル車が「C/C」、「C/C-L」、「C/C-X」「ZZ」。1600ccガソリン車が「ZZハンドリング・バイ・ロータス」。
  • 1990年5月 1600ccガソリン車に「イルムシャー」が追加。
  • 1990年9月 2ドアクーペの1600ccガソリン車(JT191F型)が追加登場。グレードは「OZ」、「OZ-G」。
  • 1991年3月 3ドアハッチバックの1500ccガソリン車(JT151F型)、1600ccガソリン車(JT191F型)が追加登場。グレードは「OZ」、「OZ-G」。1600ccガソリン車のクーペにフルタイム4WD(JT191S型)の「イルムシャーR」と1700ccディーゼル車のセダンに「T/T」が追加。
  • 1991年5月 1600ccガソリン車のハッチバックにフルタイム4WD(JT191S型)の「イルムシャーR」が追加。
  • 1991年6月 特別仕様車「ジョイフルサマー・ジェミニ」を限定発売。特別仕様車「イルムシャーRS」(車体色はミスティックブルーマイカのみ)を100台限定で発売。
  • 1991年9月 特別仕様車「ジョイフルオータム・ジェミニ」を限定発売。
  • 1991年10月 セダンの1700ccディーゼルターボ車にフルタイム4WD(JT641S型)を追加。
  • 1992年1月 初売りの特別仕様車として「初売り仕様車」(一部地域では「初売り・ジェミニ」や「お年玉・ジェミニ」等の名称)を限定発売。
  • 1992年2月 特別仕様車「エンジョイスプリング・ジェミニ」を限定発売。特別仕様車「イルムシャーDSP」(車体色はトーチレッドとエボニーブラック)を135台限定で発売。
中期型
  • 1992年3月 マイナーチェンジ。
  • 1992年6月 特別仕様車「エンジョイサマー・ジェミニ」を限定発売。特別仕様車「イルムシャー・タイプコンペティション」(車体色はトーチレッドのみ)を50台限定で発売。
  • 1992年9月 特別仕様車「ジョイフルオータム・ジェミニ」を限定発売。
後期型
  • 1992年11月 マイナーチェンジ。フロントグリルの追加とテールレンズのデザインを変更。
  • 1993年4月 量販グレード以外は全て注文生産へ。
  • 1993年7月 いすゞ自動車が乗用車生産からの撤退を表明し生産打ち切りが決定。この報道により、在庫車もほとんどが即完売状態に。後継モデルはホンダからのOEM車となった。よって、この3代目が、最後のオリジナルジェミニとなったわけである。
車名の由来は、英語でふたご座を表し、いすゞとGMの協力で誕生したことから、両者のパートナーシップをふたご座に例えて命名。 ちなみに「Tカー」の中、アジア・オセアニア地域におけるオペル・カデットをベースにした車種は、Geminiの名称でいすゞの他に、韓国・セハン自動車(当時、現在のGM大宇)、豪・ホールデンでも販売された。

CM編
2代目は「ジェミニダンシングシリーズ」。パリの町並みの中を、「花のワルツ」などをはじめとするクラシック音楽の名曲の旋律に合わせて、2台のジェミニがまるでワルツを舞うかのようにジャンプや旋回を繰り返したり、何台ものジェミニがぴったりと寄り添って一糸乱れぬ動きを繰り広げる、アクロバティック(ジムカーナ)なCM。当時はCGや合成等の映像技術がまだ発展途上だったこともあり、カースタントによる実写で行われた。CM業界で今もって語り草の伝説的なCMのひとつでもある。

キャッチコピーは、「街の遊撃手。」(句点が付かない場合もある)。コピーライターは、佐藤康明。1987年から。

カースタント監修は、レミー・ジュリアン(en:Rémy Julienne)。

  • 第1弾:1985年(昭和60年)5月 - 12月頃…誕生・セーヌ川編 - 曲名不明
  • 第2弾:1985年(昭和60年)5月以降 - 12月頃…パッシング編 - 曲名不明(第1弾と同曲)
  • 第3弾:1985年(昭和60年)5月以降 - 12月頃…ターボD登場編 - 不明
  • 第4弾:1986年(昭和61年)1月 - 3月頃・12月頃…ワルツ編 - 「花のワルツ」 チャイコフスキー
  • 第5弾:1986年(昭和61年)4月 - 6月頃…雨編 - 「雨に唄えば」 TACO
  • 第6弾:1986年(昭和61年)7月 - 9月頃…ターン編 - 「メリー・ウィドウ」 レハール
  • (第7弾の30秒バージョンから10〜20秒前後付近の映像を使い、上記BGMを流した同時ターンバージョンと2台併走している途中で突然1台が360度スピンターンする単独ターンバージョンの2種類ある。)
  • 第7弾:1986年(昭和61年)9月 - 11月頃…ジャンプ編 - 「コッペリア」 レオ・ドリーブ
  • 第8弾:1987年(昭和62年)1月頃…片輪走行(V字型)編 - 「軍隊行進曲」 シューベルト
  • 第9弾:1987年(昭和62年)2月 - 5月頃…ポワント編 - 「ラデツキー行進曲」 ヨハン・シュトラウス1世
  • 第10弾:1987年(昭和62年)6月 - 8月頃…タンゴ編 - 「ブルー・タンゴ」 ルロイ・アンダーソン
  • 第11弾:1987年(昭和62年)9月 - 12月頃…クロスジャンプ編 - 「トルコ行進曲」 ベートーヴェン
  • 第12弾:1988年(昭和63年)1月 - 5月頃…メトロ編 - 「おおシャンゼリゼ」 ダニエル・ビダル
  • 第13弾:1988年(昭和63年)6月 - 8月頃…ロンド編 - 「女学生のワルツ」 ワルトトイフェル
  • 第14弾:1988年(昭和63年)9月 - 12月頃…ファシネーション編 - 「魅惑のワルツ」 マルケッティ
  • 第15弾:1989年(平成元年)1月 - 5月頃…遊園地編 - 「回転木馬」 グランツベルグ
  • 第16弾:1989年(平成元年)5月 - 9月頃…ホップステップジャンプ編 - 「ボルサリーノのテーマ」 クロード・ボラン
  • 第17弾:1989年(平成元年)9月 - 1990年(平成2年)2月頃…片輪走行編 - 「仔象の行進」 ヘンリー・マンシーニ
3代目のテレビCMは男女の恋愛をテーマにしたものとなった。赤のセダンが彼女、緑又は青のセダンが彼氏と設定されていた。フランス語による会話がアフレコされて、日本語字幕も付いていた。

キャッチコピーは、「才なクルマ。」

  • 1990年(平成2年)3月 - 5月頃… 男と女(誕生・出逢い)編 - 「男と女」 フランシス・レイ
  • 1990年(平成2年)5月末 - 8月頃… 男と女(デート・見とれる)編 - 「幸せを売る男」 J.P.カルヴェット
  • 1990年(平成2年)9月頃 - 不明…クーペ登場編 - 「『ピーターガン』のテーマ」 ヘンリー・マンシーニ
  • 1990年(平成2年)9月 - 1991年(平成3年)3月頃…浮気心編 - 「ベイビーフェイス」 ブライアン・ハイランド
  • 1990年(平成2年)11月 - 1991年(平成3年)1月頃…男と女(映画館へデート)編 - 「パリのめぐり逢い」 フランシス・レイ
  • 1991年(平成3年)2月 - 12月頃…ハッチバック登場編 - 「私のシェリー」 リアーヌ・フォリー

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[ 2007/07/07 15:24 ] ISUZU | TB(0) | CM(0)

GOODYEAR CM タイヤ交換は危険? 2'15" 

トップページGOODYEARカテゴリータイヤ交換は危険?
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グッドイヤー・タイヤ・アンド・ラバー・カンパニー(Goodyear Tire and Rubber Company,NYSE:GT)は、アメリカ合衆国のゴム、タイヤメーカー。
同社はフランク・セイバーリングによって1898年に設立された。日・ブリヂストン、仏・ミシュランと並び、世界で最大のタイヤ会社3社の1つであり、世界最大のゴム会社の1つでもある。本社はオハイオ州アクロンに位置する。同社は加硫ゴムの発明者チャールズ・グッドイヤーにちなんでその名が命名されたが、グッドイヤーと同社の直接の関係は無い。

グッドイヤーは同社のロゴを書き込んだ飛行船により世界の至る所で知られている。飛行船は長年同社の航空子会社、グッドイヤー・エアクラフト・カンパニー(第二次世界大戦後にグッドイヤー・エアロスペース・コーポレーションと改名される。)によって整備が行われた。子会社は1987年にジェームズ・ゴールドスミス卿のグリーンメール攻撃(買収した株の高値買い取り要求)による敵対的買収の結果、ローラル・コーポレーションに売却された。

セイバーリングは義理の兄弟から借りた3,500ドルを頭金にして最初のプラントを購入した。グッドイヤー社は1898年8月29日に100,000ドルの資本金で設立された。当初は13人の工員で自転車と馬車のタイヤ、蹄鉄のゴム詰め物、ポーカーチップの製造を行った。

翼の付いた足のロゴマークは1901年にセイバーリングが発案した。初めて登場したのはサタデー・イブニング・ポスト誌の広告であり、セイバーリングは自宅の階段の手すり柱にあったローマ神話のメルクリウス像からロゴを考案した。同年セイバーリングはヘンリー・フォードが自動車レースに参加するに当たり、レース用のタイヤを提示した。

1917年に自社のタイヤの性能証明を行うためオハイオ州アクロンからマサチューセッツ州ボストン市に向けてウィングフット・エクスプレス(the Wingfoot Express)を走らせた。それは24日かけて走破に成功した。1926年にグッドイヤーは世界最大のゴム会社となる。

1986年にジェームズ・ゴールドスミス卿と投資グループが敵対的買収を仕掛け、発行株式の11%を買収したが、翌年には買収攻勢を回避し、グッドイヤーは買収防衛のため子会社の売却と共に工場を閉鎖し大規模なリストラを行った。同年カリフォルニア州からテキサス州に及ぶ「オール・アメリカン」石油パイプラインの完成を発表する。また、子会社のケリー・スプリングフィールド社がメリーランド州に新しい本部の構築を発表した。

グッドイヤーの日本法人、日本グッドイヤー株式会社は1952年に100%出資の子会社として設立された。同社は1999年9月1日に住友ゴム工業株式会社の資本下に入った。そのため国内生産品は住友ゴム工業にて開発から生産まで行われている。

同社はモータースポーツに「イーグル」EAGLE ブランドで製品供給を行っている。F1 には1963年から参戦し、一時は独占供給を行っていた。1998年に撤退するまで通算368勝をあげており、これはタイヤメーカーとしてF1で最多勝記録であり、現在参戦している2位のブリヂストン、ミシュラン(ともに100勝)に対してすら3倍以上の差をつける圧倒的な記録となっている(2006年7月末現在)。ちなみに1965年にグッドイヤーにとっての1勝目を記録したのは日本のホンダであり、1998年の第14戦イタリアグランプリでグッドイヤーにとって最後の1勝を記録したのはフェラーリのミハエル・シューマッハであった。


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[ 2007/07/08 15:42 ] GOODYEAR | TB(0) | CM(0)

Lexus LS600 CM 0'30" 

トップページLEXUSカテゴリーLexus LS600 CM
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レクサス・LS(エルエス)はトヨタ自動車が展開している高級車ブランドレクサスのフラグシップモデルである。従来、日本国内ではトヨタブランドでセルシオとして販売されてきたが、4代目にあたる現行モデルからは、国外同様にLSとして販売されるようになった。なお、車名のLSはLuxury Sedanの頭文字に由来する。

1989年、アメリカでのレクサスブランド導入と同時に販売を開始。以来、世界各国で展開されるようになった同ブランドのフラッグシップモデルである。

それまでは日本車が世界の高級車市場に参入する余地はないとされていた。だが、販売開始後は多くの支持を集め、特に北米で大ヒットし、またたく間に世界に十分通用する高級車として認知されたのであった。その静粛性の高さはメルセデス・ベンツ、BMWなど欧州を代表する自動車メーカーを震撼させた。それ以降、静粛性は高級車にとって非常に重要な要素のひとつとなる。初代LSのエンジンはその当時、世界で最高、最良のV型8気筒といわれた。

日本国内に初代から3代目までのレクサスLSが存在する場合、それらは輸入業者により並行輸入(アメリカ等からの逆輸入)されたものか、あるいは国内仕様のセルシオのエンブレムをレクサスに交換したものである。

初代 「LS400」(1989年-1994年)UCF10
1989年販売開始。同年秋にはセルシオとしてトヨタブランドで日本国内販売されるようになった。それまでトヨタの北米市場では、最高級車としてクレシダが存在していたが、それとは全くの別クラスとなるモデルとして位置づけられた。

  • LS400:4.0L V型8気筒DOHCエンジン 1UZ-FE (260ps/36.0kgm)、4速AT、駆動方式はFR


  • 2代目 「LS400」(1994年-2000年)UCF20
    1994年にモデルチェンジ。
  • LS400:4.0L V型8気筒DOHCエンジン 1UZ-FE(265ps/37.0kgm)、4速AT、駆動方式はFR。
  • 1997年マイナーチェンジ。エンジンにVVT-iが搭載され、5速AT、ディスチャージヘッドランプが採用される。
  • LS400:4.0L V型8気筒DOHCエンジン 1UZ-FE(280ps/41.0kgm)、5速AT、駆動方式はFR。


  • 3代目 「LS430」(2000年-2006年)UCF30
    2000年にモデルチェンジ。
  • LS430:4.3L V型8気筒DOHCエンジン 3UZ-FE(280ps/43.8kgm)、5速AT、駆動方式はFR。
  • 2003年マイナーチェンジ。6速ATやプロジェクター式ヘッドランプ(AFS)が採用される。
  • LS430:4.3L V型8気筒DOHCエンジン 3UZ-FE(280ps/43.8kgm)、6速AT、駆動方式はFR。


  • 4代目 「LS460/LS600h/LS600hL」(2006年-)LS460(USF40)
    2005年10月、東京モーターショーでコンセプトモデルLF-Sh出展。
    2006年1月、デトロイトモーターショーでプロトタイプ発表。
    2006年4月、日本国内で右ハンドル仕様発表。
    2006年9月19日、日本国内でも「LS460」が発売開始となる。セルシオの後継車にあたり、同車のトヨタブランド時代から数えると通算4代目となる。量産乗用車では世界初となるシーケンシャルシフト付き8速AT(8 Super ECT)が搭載されている。ボディサイズは、5030(標準)、5190(ロング)×1875×1465、ホイールベースは2970(標準)、3090(ロング)となり、センチュリーを凌ぐ。日本国内での価格は770万円-965万円。

    日本では、グレードとして"LS460"(標準)、19インチホイール、制動力を高めたブレーキローター、専用チューニングエアサスペンションなどを装備した"version S"、アームレストスイッチや後席パワーシートなど後席の装備を充実させた"version U"があり、各グレードにアルカンターラルーフ、セミアニリン本革シートを装備た"Ipackage"が設定される。なお、"version U"にはステレオカメラフュージョン方式のプリクラッシュセーフティシステムがメーカーオプションで設定されている。これはステレオカメラで前方を監視し、障害物を見つけたらブレーキをかけるというものである。また、ステアリングコラムにもカメラが付いており、運転者がわき見して障害物に接近している場合は音で警告する。

  • LS460:4.6L V型8気筒DOHCエンジン 1UR-FSE(385ps/51.0kgm)、8速AT、駆動方式はFR。
  • LS460L:LS460のロングホイールベース版。日本では発売されていない。

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    [ 2007/07/09 20:38 ] LEXUS | TB(0) | CM(0)

    Toyota Sera CM 0'30" 

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    1987年に開催された第27回東京モーターショーに出展された「AXV-供廚了堡硫愁皀妊襪任△襦F閏劼両型車スターレットをベースにしているが、その特徴は上半分ほぼ全てがガラスで占められていること(グラスキャノピー)と、それを実現するために採用されたガルウイングドアである。ガルウイングドアといえばメルセデス・ベンツ 300SLやランボルギーニ・カウンタックに代表される超高級スポーツカーの専売特許であったが、一般レベルで日本で初めて採用したのがこのセラである。走行性能を求めるのではなく、あくまで雰囲気だけを楽しむという斬新な自動車であった。

    ガルウイングと言っても車両によって、採用する理由が様々であり、セラの場合は安価な小型量産車で設計販売を企画し、トヨタの企業イメージのアピールが主な理由である。この構造を可能にする為に用いられた生産技術はハイレベルなものであったが、ルーフ部分をガラスエリアとしたガルウイングの構造上の弱点を出してしまっている。つまり、上半分がほぼ全てガラスであるがゆえに温室のようになってしまい、室内温度が非常に高くなるのである。この為、マイナーチェンジでグラスキャノピーに改良および冷房能力の強化が加えられた。

    デザインが特異などの理由により、セールス的に成功したとはいえない。バブル景気という時代背景があり、外見が特徴的なセラは迷車ではあったが、歴史に残る一台ともいえる。

    ボディサイズの割に重く重量税がかさむのも失敗の一因とと言われたが、実際には車両重量が1000kgを超えるモデルは存在せず、自動車重量税等級はベースモデルと変わらない。ガルウイングドアの構造上、乗降時には周辺のスペースが相当必要な感じも受けるが、高さは車体外寸上の屋根を越えてしまうが、ミニバン程の高さもなく、横への振り出しは43cmと小さい。ただし室内からの開閉には一般的なドアのようにノブを引いて横へ押しても開閉しにくく、やや斜め上へ押し上げて開ける必要がある。

    全長 3860mm、全幅 1650mm、全高 1265mmのコンパクトな外寸に車両重量は890kgに対して、エンジンは1.5Lの水冷直列4気筒DOHC16バルブEFI-S(5E-FHE型)で最高出力110PS、最大トルク13.5kgmで、DOHCと言ってもスポーツツインカムではなく、L40系ターセル/コルサ/カローラII/サイノスの各最上級グレード用を搭載された、ほぼコンベンショナルなハイメカツインカム1本のみであった。もっとも車体構造上ハイパワーエンジンを搭載し加速は良くなっても、ボディ剛性の弱さが強調されるだけになるので、バリエーションを増やさなかった様子。

    登場まもなくの間はオーダーから納車まで数ヶ月を要したが、これはオーダーが殺到したというよりも、特殊な製法や部品の調達などにより月に千台程度しか製造できなかったため。

    ごく少数ではあるが、メーカーオプションでフェンダーミラーを選択しツノが生えて、さらに独特の雰囲気を出してしまった車両も確認されている。

    E型エンジンを搭載していることもあり、スターレット用のターボエンジンに載せ換えるパターンも見られた。


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    [ 2007/07/10 20:49 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

    Toyota Rav4 (1) CM 1'00" 

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    名前の由来
    Recreational Active Vehicle 4Wheel Drive を略したもの。 またRAV4LのLはLiberty、RAV4JのJはJoyfulを表す。

    モノコック構造の乗用車をベースにしたオフロード車「クロスオーバーSUV」の先駆となった車種である。RAV4の成功を受け他社もCR-V(本田技研工業)、エクストレイル(日産)、フォレスター(スバル)などのクロスオーバーSUVを製造するなどSUV市場に大きな影響を与えた。尚、RAV4の登場に先んじて日本市場ではエスクードが販売されていたが、エスクードはデザインやサイズ等はRAV4等のクロスオーバーSUVと酷似しているものの、本質的には堅牢なラダーフレーム構造を持つクロスカントリー車であるという点で異なる。

    初代RAV4は本国の日本で言う「5ナンバーサイズ」に収まるコンパクトなサイズのSUVであったが、モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、 2代目で3ナンバーサイズとなった。そして3代目は日本国外での販売を重視した事もあり全幅が「5ナンバーサイズ」を大きく超える1815mmになるまでに至った。これによりRAV4は日本ではコンパクトとは言えないサイズとなったが、軽自動車ベースのキャミのフルモデルチェンジを目前に控えており、新型(ラッシュで登場)をひとまわり大きくするため、それに伴う競合を避けるためであろう。主要市場の欧米においては他車種よりもコンパクトなサイズとなっている。生産はトヨタ自動車田原工場とグループ会社の豊田自動織機である。

    その後RAV4はSUVのカローラと呼べるまでに世界中で販売台数を延ばしており、欧州全域・北米・南米・オセアニア・中国・東南アジア・南アフリカなど世界200ヶ国以上で使用される世界戦略車である。

    初代のRAV4は、1993年の東京モーターショーにほぼ市販車の形の参考出品車が披露された後、1994年5月に発売。

    セリカなどのコンポーネンツを流用しながらも、開発を、ランドクルーザーをはじめとする本格オフロードカーを手がける第三開発センターが担当したことから、フロアパネルは独自のものとされ、リアサスペンションも、鍛造リンクを用いた仮想球面支持の専用品となるなど、オン・オフ両面の性能追求のため、惜しみなく技術が投入されることとなった。

    パワートレーンは、直列4気筒 2.0Lガソリンエンジンとトランスミッションを横置きに搭載し、ドライブトレーンは、ベベルギア式のセンターデフを持つ、本格的なフルタイム4WDである。

    当初はコンパクトな3ドアシティユースRVとして登場し、他メーカーに競合車がほとんどなかったことや、CMキャラクターの木村拓哉の影響もあり、好評を博す。 1995年4月には、ホイールベースを延長し、居住性と利便性を向上させた5ドアモデル「RAV4 V(ラヴフォーファイブ)」が追加された。

    しかし、1995年10月にホンダから同クラスではあるものの、センターデフを省略したスタンバイ4WDとするなど、徹底したコストダウンで低価格戦略を採るCR-Vがリリースされ、3ナンバーボディとコラム式ATなどを武器にシェアを伸ばしたため、以後苦戦する。CR-Vに対抗するために、スポーツエンジンである3S-GEを搭載した3ナンバーボディのスポーツモデル、Type Gも追加された。

    シティユースを目的とした車ではあるものの、余裕のある最低地上高や優秀な4WD性能、及びボディ下部が破損しにくい樹脂プロテクターで覆われている事などから、プライベートでは足回りのチューニングを施しオフロードでも力を発揮させるケースもあった。ボルトオンターボも少数ではあるが販売されている。また、セリカGT-FOURに搭載された3S-GTEをスワップしてターボ化も可能である(ワンオフする部分もあり)。

    RAV4をベースとした電気自動車のRAV4EVも後にフリート発売された。

    2代目RAV4は、2000年5月に登場。海外戦略を重視した為に同年のジュネーブモーターショーで海外先行デビューした。カローラ系のコンポーネンツを使用するがフロアパネルは先代同様に専用設計となっている。エンジンは2WD用に1ZZ-FE(1.8L)と4WD用に1AZ-FSE(2.0L直噴)が設定されている。グレードは下からX、X-G、エアロスポーツ、ワイドスポーツの4つでそれぞれに4ATと5MTが組み合わされていたが、2003年8月のマイナーチェンジ時にエアロスポーツ及び、各MT仕様が廃止された。

    当モデルは先代の弱点であった室内空間の貧弱さを克服する方策としてボディサイズを拡大し全モデルで3ナンバーボディサイズとなった(それでも他社製の同クラスSUVに比べると小型であった)。また先代モデルが3ドアモデルメインの開発であったことに対し、当モデルではより居住空間に優れた5ドアモデルメインの開発が行われた。内外装の質向上も著しく、よりシティユースを志向したモデルであると言える。しかし走行性能や室内ユーティリティを強化した2代目 CR-Vや、レジャーユーティリティとスポーツ性能を両立させたエクストレイル等のライバルに再び苦戦を強いられ、さらには日本国内でのSUVブームの沈静化もあり最終的に良好なセールスを記録するには至らなかった。反面、欧米では非常に人気が高く輸出仕様には本革シートを装備したモデルやターボエンジンを搭載したモデルも存在している。CMキャラクターは女優の木村佳乃。

    余談だが、当モデルは2004年-2005年にかけて主に関東方面で組織的な車両盗難被害が頻発した経緯がある。 他社の同クラスSUVを差し置いてRAV4だけが狙われた理由は不明だが、上位車種が軒並み盗難防止装置を強化し盗みにくくなったこともその遠因であろう。

    2005年11月14日3代目RAV4が発売。同年のフランクフルトモーターショーで海外先行デビューした。トヨタの「MCプラットフォーム」を進化させた「新MCプラットフォーム」を初めて採用した市販車。エンジンは1種類で2AZ-FE(2.4L)のみ。グレードは下からX、G、スポーツの3つ。全モデルでCVTのみの設定となる。4WD性能はこれまでのビスカスカップリング式フルタイム4WDではなく、電子制御式4WDに変更された。

    当モデルは先代モデルに比べてさらにボディサイズが拡大され海外市場をより強く意識した内容となっている。また初代から設定されていた3ドアモデルが廃止され5ドアモデルのみの設定となるが、日本国内では2007年8月から派生車種ヴァンガードとして発売された海外向け(欧州以外)モデルは荷室などを延長したロングボディであり、ドア枚数こそ変わらないもののこれまで通りロングとショートの2種類のボディタイプを持つSUVであると言える。 尚、ロングタイプでは3列シートも選択可能で、エンジンは2.4L 直4の他に3.5L V6(北米、豪州等のみ)エンジンも用意されている。

    欧州向けは日本と同じサイズのショートボディであり、4WDモデルしか設定されていない。また他の地域ではみられない、1AZ-FE(2.0L)および 2AD-FTV(2.2Lディーゼル,135ps)、2AD-FHV(2.2Lディーゼル,180ps)エンジンを搭載したモデルもある。なお、ディーゼルエンジンと組み合わされるトランスミッションは6MTのみとなっている。

    日本ではフロントエンブレムに従来のトヨタマークではなく"N"をかたどったエンブレムを採用。これはネッツ店で専売となった車種に順次採用されている。尚、ネッツ店専売モデルになったことで販売店区別であったサブネームの「J」と「L」が消滅しRAV4に車名統合された。これらの取扱車種の統廃合によってRAV4と同じくカローラ店とネッツ店で併売されていたクルーガーはカローラ店の専売モデルとなったが、2007年6月RAV4ロングボディ日本仕様(ヴァンガード)を後継に発売中止となった。

    製作工場は 田原工場 及び 豊田自動織機 長草工場である。 2006年5月より、元宝塚の紺野まひるがテレビCMに出演。CMソングはKOTOの「LOVE FOR YOU」。
    2007年9月6日に特別仕様車X Limited を発売。

    2代目まではRAV4Lはトヨタカローラ店系、RAV4Jはネッツトヨタ店(旧トヨタオート店)系にて取扱っていたが、3代目はネッツ専売となった。


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    [ 2007/07/11 20:55 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

    Toyota Rav4 (2) CM 0'40" 

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    名前の由来
    Recreational Active Vehicle 4Wheel Drive を略したもの。 またRAV4LのLはLiberty、RAV4JのJはJoyfulを表す。

    モノコック構造の乗用車をベースにしたオフロード車「クロスオーバーSUV」の先駆となった車種である。RAV4の成功を受け他社もCR-V(本田技研工業)、エクストレイル(日産)、フォレスター(スバル)などのクロスオーバーSUVを製造するなどSUV市場に大きな影響を与えた。尚、RAV4の登場に先んじて日本市場ではエスクードが販売されていたが、エスクードはデザインやサイズ等はRAV4等のクロスオーバーSUVと酷似しているものの、本質的には堅牢なラダーフレーム構造を持つクロスカントリー車であるという点で異なる。

    初代RAV4は本国の日本で言う「5ナンバーサイズ」に収まるコンパクトなサイズのSUVであったが、モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、 2代目で3ナンバーサイズとなった。そして3代目は日本国外での販売を重視した事もあり全幅が「5ナンバーサイズ」を大きく超える1815mmになるまでに至った。これによりRAV4は日本ではコンパクトとは言えないサイズとなったが、軽自動車ベースのキャミのフルモデルチェンジを目前に控えており、新型(ラッシュで登場)をひとまわり大きくするため、それに伴う競合を避けるためであろう。主要市場の欧米においては他車種よりもコンパクトなサイズとなっている。生産はトヨタ自動車田原工場とグループ会社の豊田自動織機である。

    その後RAV4はSUVのカローラと呼べるまでに世界中で販売台数を延ばしており、欧州全域・北米・南米・オセアニア・中国・東南アジア・南アフリカなど世界200ヶ国以上で使用される世界戦略車である。

    初代のRAV4は、1993年の東京モーターショーにほぼ市販車の形の参考出品車が披露された後、1994年5月に発売。

    セリカなどのコンポーネンツを流用しながらも、開発を、ランドクルーザーをはじめとする本格オフロードカーを手がける第三開発センターが担当したことから、フロアパネルは独自のものとされ、リアサスペンションも、鍛造リンクを用いた仮想球面支持の専用品となるなど、オン・オフ両面の性能追求のため、惜しみなく技術が投入されることとなった。

    パワートレーンは、直列4気筒 2.0Lガソリンエンジンとトランスミッションを横置きに搭載し、ドライブトレーンは、ベベルギア式のセンターデフを持つ、本格的なフルタイム4WDである。

    当初はコンパクトな3ドアシティユースRVとして登場し、他メーカーに競合車がほとんどなかったことや、CMキャラクターの木村拓哉の影響もあり、好評を博す。 1995年4月には、ホイールベースを延長し、居住性と利便性を向上させた5ドアモデル「RAV4 V(ラヴフォーファイブ)」が追加された。

    しかし、1995年10月にホンダから同クラスではあるものの、センターデフを省略したスタンバイ4WDとするなど、徹底したコストダウンで低価格戦略を採るCR-Vがリリースされ、3ナンバーボディとコラム式ATなどを武器にシェアを伸ばしたため、以後苦戦する。CR-Vに対抗するために、スポーツエンジンである3S-GEを搭載した3ナンバーボディのスポーツモデル、Type Gも追加された。

    シティユースを目的とした車ではあるものの、余裕のある最低地上高や優秀な4WD性能、及びボディ下部が破損しにくい樹脂プロテクターで覆われている事などから、プライベートでは足回りのチューニングを施しオフロードでも力を発揮させるケースもあった。ボルトオンターボも少数ではあるが販売されている。また、セリカGT-FOURに搭載された3S-GTEをスワップしてターボ化も可能である(ワンオフする部分もあり)。

    RAV4をベースとした電気自動車のRAV4EVも後にフリート発売された。

    2代目RAV4は、2000年5月に登場。海外戦略を重視した為に同年のジュネーブモーターショーで海外先行デビューした。カローラ系のコンポーネンツを使用するがフロアパネルは先代同様に専用設計となっている。エンジンは2WD用に1ZZ-FE(1.8L)と4WD用に1AZ-FSE(2.0L直噴)が設定されている。グレードは下からX、X-G、エアロスポーツ、ワイドスポーツの4つでそれぞれに4ATと5MTが組み合わされていたが、2003年8月のマイナーチェンジ時にエアロスポーツ及び、各MT仕様が廃止された。

    当モデルは先代の弱点であった室内空間の貧弱さを克服する方策としてボディサイズを拡大し全モデルで3ナンバーボディサイズとなった(それでも他社製の同クラスSUVに比べると小型であった)。また先代モデルが3ドアモデルメインの開発であったことに対し、当モデルではより居住空間に優れた5ドアモデルメインの開発が行われた。内外装の質向上も著しく、よりシティユースを志向したモデルであると言える。しかし走行性能や室内ユーティリティを強化した2代目 CR-Vや、レジャーユーティリティとスポーツ性能を両立させたエクストレイル等のライバルに再び苦戦を強いられ、さらには日本国内でのSUVブームの沈静化もあり最終的に良好なセールスを記録するには至らなかった。反面、欧米では非常に人気が高く輸出仕様には本革シートを装備したモデルやターボエンジンを搭載したモデルも存在している。CMキャラクターは女優の木村佳乃。

    余談だが、当モデルは2004年-2005年にかけて主に関東方面で組織的な車両盗難被害が頻発した経緯がある。 他社の同クラスSUVを差し置いてRAV4だけが狙われた理由は不明だが、上位車種が軒並み盗難防止装置を強化し盗みにくくなったこともその遠因であろう。

    2005年11月14日3代目RAV4が発売。同年のフランクフルトモーターショーで海外先行デビューした。トヨタの「MCプラットフォーム」を進化させた「新MCプラットフォーム」を初めて採用した市販車。エンジンは1種類で2AZ-FE(2.4L)のみ。グレードは下からX、G、スポーツの3つ。全モデルでCVTのみの設定となる。4WD性能はこれまでのビスカスカップリング式フルタイム4WDではなく、電子制御式4WDに変更された。

    当モデルは先代モデルに比べてさらにボディサイズが拡大され海外市場をより強く意識した内容となっている。また初代から設定されていた3ドアモデルが廃止され5ドアモデルのみの設定となるが、日本国内では2007年8月から派生車種ヴァンガードとして発売された海外向け(欧州以外)モデルは荷室などを延長したロングボディであり、ドア枚数こそ変わらないもののこれまで通りロングとショートの2種類のボディタイプを持つSUVであると言える。 尚、ロングタイプでは3列シートも選択可能で、エンジンは2.4L 直4の他に3.5L V6(北米、豪州等のみ)エンジンも用意されている。

    欧州向けは日本と同じサイズのショートボディであり、4WDモデルしか設定されていない。また他の地域ではみられない、1AZ-FE(2.0L)および 2AD-FTV(2.2Lディーゼル,135ps)、2AD-FHV(2.2Lディーゼル,180ps)エンジンを搭載したモデルもある。なお、ディーゼルエンジンと組み合わされるトランスミッションは6MTのみとなっている。

    日本ではフロントエンブレムに従来のトヨタマークではなく"N"をかたどったエンブレムを採用。これはネッツ店で専売となった車種に順次採用されている。尚、ネッツ店専売モデルになったことで販売店区別であったサブネームの「J」と「L」が消滅しRAV4に車名統合された。これらの取扱車種の統廃合によってRAV4と同じくカローラ店とネッツ店で併売されていたクルーガーはカローラ店の専売モデルとなったが、2007年6月RAV4ロングボディ日本仕様(ヴァンガード)を後継に発売中止となった。

    製作工場は 田原工場 及び 豊田自動織機 長草工場である。 2006年5月より、元宝塚の紺野まひるがテレビCMに出演。CMソングはKOTOの「LOVE FOR YOU」。
    2007年9月6日に特別仕様車X Limited を発売。

    2代目まではRAV4Lはトヨタカローラ店系、RAV4Jはネッツトヨタ店(旧トヨタオート店)系にて取扱っていたが、3代目はネッツ専売となった。


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    [ 2007/07/12 21:01 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

    Toyota Rav4 (3) CM 1'05" 

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    名前の由来
    Recreational Active Vehicle 4Wheel Drive を略したもの。 またRAV4LのLはLiberty、RAV4JのJはJoyfulを表す。

    モノコック構造の乗用車をベースにしたオフロード車「クロスオーバーSUV」の先駆となった車種である。RAV4の成功を受け他社もCR-V(本田技研工業)、エクストレイル(日産)、フォレスター(スバル)などのクロスオーバーSUVを製造するなどSUV市場に大きな影響を与えた。尚、RAV4の登場に先んじて日本市場ではエスクードが販売されていたが、エスクードはデザインやサイズ等はRAV4等のクロスオーバーSUVと酷似しているものの、本質的には堅牢なラダーフレーム構造を持つクロスカントリー車であるという点で異なる。

    初代RAV4は本国の日本で言う「5ナンバーサイズ」に収まるコンパクトなサイズのSUVであったが、モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、 2代目で3ナンバーサイズとなった。そして3代目は日本国外での販売を重視した事もあり全幅が「5ナンバーサイズ」を大きく超える1815mmになるまでに至った。これによりRAV4は日本ではコンパクトとは言えないサイズとなったが、軽自動車ベースのキャミのフルモデルチェンジを目前に控えており、新型(ラッシュで登場)をひとまわり大きくするため、それに伴う競合を避けるためであろう。主要市場の欧米においては他車種よりもコンパクトなサイズとなっている。生産はトヨタ自動車田原工場とグループ会社の豊田自動織機である。

    その後RAV4はSUVのカローラと呼べるまでに世界中で販売台数を延ばしており、欧州全域・北米・南米・オセアニア・中国・東南アジア・南アフリカなど世界200ヶ国以上で使用される世界戦略車である。

    初代のRAV4は、1993年の東京モーターショーにほぼ市販車の形の参考出品車が披露された後、1994年5月に発売。

    セリカなどのコンポーネンツを流用しながらも、開発を、ランドクルーザーをはじめとする本格オフロードカーを手がける第三開発センターが担当したことから、フロアパネルは独自のものとされ、リアサスペンションも、鍛造リンクを用いた仮想球面支持の専用品となるなど、オン・オフ両面の性能追求のため、惜しみなく技術が投入されることとなった。

    パワートレーンは、直列4気筒 2.0Lガソリンエンジンとトランスミッションを横置きに搭載し、ドライブトレーンは、ベベルギア式のセンターデフを持つ、本格的なフルタイム4WDである。

    当初はコンパクトな3ドアシティユースRVとして登場し、他メーカーに競合車がほとんどなかったことや、CMキャラクターの木村拓哉の影響もあり、好評を博す。 1995年4月には、ホイールベースを延長し、居住性と利便性を向上させた5ドアモデル「RAV4 V(ラヴフォーファイブ)」が追加された。

    しかし、1995年10月にホンダから同クラスではあるものの、センターデフを省略したスタンバイ4WDとするなど、徹底したコストダウンで低価格戦略を採るCR-Vがリリースされ、3ナンバーボディとコラム式ATなどを武器にシェアを伸ばしたため、以後苦戦する。CR-Vに対抗するために、スポーツエンジンである3S-GEを搭載した3ナンバーボディのスポーツモデル、Type Gも追加された。

    シティユースを目的とした車ではあるものの、余裕のある最低地上高や優秀な4WD性能、及びボディ下部が破損しにくい樹脂プロテクターで覆われている事などから、プライベートでは足回りのチューニングを施しオフロードでも力を発揮させるケースもあった。ボルトオンターボも少数ではあるが販売されている。また、セリカGT-FOURに搭載された3S-GTEをスワップしてターボ化も可能である(ワンオフする部分もあり)。

    RAV4をベースとした電気自動車のRAV4EVも後にフリート発売された。

    2代目RAV4は、2000年5月に登場。海外戦略を重視した為に同年のジュネーブモーターショーで海外先行デビューした。カローラ系のコンポーネンツを使用するがフロアパネルは先代同様に専用設計となっている。エンジンは2WD用に1ZZ-FE(1.8L)と4WD用に1AZ-FSE(2.0L直噴)が設定されている。グレードは下からX、X-G、エアロスポーツ、ワイドスポーツの4つでそれぞれに4ATと5MTが組み合わされていたが、2003年8月のマイナーチェンジ時にエアロスポーツ及び、各MT仕様が廃止された。

    当モデルは先代の弱点であった室内空間の貧弱さを克服する方策としてボディサイズを拡大し全モデルで3ナンバーボディサイズとなった(それでも他社製の同クラスSUVに比べると小型であった)。また先代モデルが3ドアモデルメインの開発であったことに対し、当モデルではより居住空間に優れた5ドアモデルメインの開発が行われた。内外装の質向上も著しく、よりシティユースを志向したモデルであると言える。しかし走行性能や室内ユーティリティを強化した2代目 CR-Vや、レジャーユーティリティとスポーツ性能を両立させたエクストレイル等のライバルに再び苦戦を強いられ、さらには日本国内でのSUVブームの沈静化もあり最終的に良好なセールスを記録するには至らなかった。反面、欧米では非常に人気が高く輸出仕様には本革シートを装備したモデルやターボエンジンを搭載したモデルも存在している。CMキャラクターは女優の木村佳乃。

    余談だが、当モデルは2004年-2005年にかけて主に関東方面で組織的な車両盗難被害が頻発した経緯がある。 他社の同クラスSUVを差し置いてRAV4だけが狙われた理由は不明だが、上位車種が軒並み盗難防止装置を強化し盗みにくくなったこともその遠因であろう。

    2005年11月14日3代目RAV4が発売。同年のフランクフルトモーターショーで海外先行デビューした。トヨタの「MCプラットフォーム」を進化させた「新MCプラットフォーム」を初めて採用した市販車。エンジンは1種類で2AZ-FE(2.4L)のみ。グレードは下からX、G、スポーツの3つ。全モデルでCVTのみの設定となる。4WD性能はこれまでのビスカスカップリング式フルタイム4WDではなく、電子制御式4WDに変更された。

    当モデルは先代モデルに比べてさらにボディサイズが拡大され海外市場をより強く意識した内容となっている。また初代から設定されていた3ドアモデルが廃止され5ドアモデルのみの設定となるが、日本国内では2007年8月から派生車種ヴァンガードとして発売された海外向け(欧州以外)モデルは荷室などを延長したロングボディであり、ドア枚数こそ変わらないもののこれまで通りロングとショートの2種類のボディタイプを持つSUVであると言える。 尚、ロングタイプでは3列シートも選択可能で、エンジンは2.4L 直4の他に3.5L V6(北米、豪州等のみ)エンジンも用意されている。

    欧州向けは日本と同じサイズのショートボディであり、4WDモデルしか設定されていない。また他の地域ではみられない、1AZ-FE(2.0L)および 2AD-FTV(2.2Lディーゼル,135ps)、2AD-FHV(2.2Lディーゼル,180ps)エンジンを搭載したモデルもある。なお、ディーゼルエンジンと組み合わされるトランスミッションは6MTのみとなっている。

    日本ではフロントエンブレムに従来のトヨタマークではなく"N"をかたどったエンブレムを採用。これはネッツ店で専売となった車種に順次採用されている。尚、ネッツ店専売モデルになったことで販売店区別であったサブネームの「J」と「L」が消滅しRAV4に車名統合された。これらの取扱車種の統廃合によってRAV4と同じくカローラ店とネッツ店で併売されていたクルーガーはカローラ店の専売モデルとなったが、2007年6月RAV4ロングボディ日本仕様(ヴァンガード)を後継に発売中止となった。

    製作工場は 田原工場 及び 豊田自動織機 長草工場である。 2006年5月より、元宝塚の紺野まひるがテレビCMに出演。CMソングはKOTOの「LOVE FOR YOU」。
    2007年9月6日に特別仕様車X Limited を発売。

    2代目まではRAV4Lはトヨタカローラ店系、RAV4Jはネッツトヨタ店(旧トヨタオート店)系にて取扱っていたが、3代目はネッツ専売となった。


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    [ 2007/07/13 21:05 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

    Toyota Tacoma CM (1) 0'30" 

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    元々ハイラックスの北米仕様だが、1995年にタコマとして登場して以降、フロントのデザインを大幅に変更している。また、ディーゼルエンジンの設定はなく、V6エンジンの設定もあり、装備を抑えた実用仕様からスーパーチャージャーを搭載したスポーツモデルもあり、アメリカ人の趣向に合わせたものとなっている。2ドア2人乗りのレギュラーキャブ、観音開き4ドアのアクセスキャブ(4人乗りだが後席は補助席程度のもの)、4ドアのダブルキャブ、スポーツタイプのSランナー(初代)・Xランナー(2代目)がある。西海岸ではオプションのFRP製トノカバーを装着してサーフボードを積載する車両も多い。

    日本では販売されていないが、少数が並行輸入されている。

    なお、同じく北米向けピックアップトラックのトヨタ・タンドラ同様、リアエンブレムにトヨタのコーポレート・アイデンティティ(CI)ロゴが使われておらず、「TOYOTA」のローマ字が使われている。

    トヨタ・トラック(ハイラックス)時代は日野自動車羽村工場で製造されていたが、タコマはアメリカのNUMMIで製造される。
    1995年に登場した初代TACOMA。シフトは5速フロアMT、4速フロア/コラムATが設定される。エンジンは2.7L 直列4気筒の3RZ-FEと3.4L V型6気筒の5VZ-FEが設定された。

    2001年、マイナーチェンジ。個性的なフロントグリルが与えられた。

    2代目は2004年に登場。威圧的な大型のグリルとライトが与えられさらにハイラックスとの差別化がなされた。

    エンジンは2.7L 直列4気筒の2TR-FEと4.0L V型6気筒の1GR-FEが設定され、フロア5/6速MTとフロア4/5速ATが組み合わされる。

    最大の違いとしてはXランナーの設定である。1GR-FEに6MTが組み合わされ、18インチタイヤ、LSD、エアロパーツが装備され、さらにTRD製のスーパーチャージャーの設定もあり、こちらは300psを発揮する。


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    [ 2007/07/14 21:12 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

    Toyota Tacoma CM(2) 0'30" 

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    元々ハイラックスの北米仕様だが、1995年にタコマとして登場して以降、フロントのデザインを大幅に変更している。また、ディーゼルエンジンの設定はなく、V6エンジンの設定もあり、装備を抑えた実用仕様からスーパーチャージャーを搭載したスポーツモデルもあり、アメリカ人の趣向に合わせたものとなっている。2ドア2人乗りのレギュラーキャブ、観音開き4ドアのアクセスキャブ(4人乗りだが後席は補助席程度のもの)、4ドアのダブルキャブ、スポーツタイプのSランナー(初代)・Xランナー(2代目)がある。西海岸ではオプションのFRP製トノカバーを装着してサーフボードを積載する車両も多い。

    日本では販売されていないが、少数が並行輸入されている。

    なお、同じく北米向けピックアップトラックのトヨタ・タンドラ同様、リアエンブレムにトヨタのコーポレート・アイデンティティ(CI)ロゴが使われておらず、「TOYOTA」のローマ字が使われている。

    トヨタ・トラック(ハイラックス)時代は日野自動車羽村工場で製造されていたが、タコマはアメリカのNUMMIで製造される。
    1995年に登場した初代TACOMA。シフトは5速フロアMT、4速フロア/コラムATが設定される。エンジンは2.7L 直列4気筒の3RZ-FEと3.4L V型6気筒の5VZ-FEが設定された。

    2001年、マイナーチェンジ。個性的なフロントグリルが与えられた。

    2代目は2004年に登場。威圧的な大型のグリルとライトが与えられさらにハイラックスとの差別化がなされた。

    エンジンは2.7L 直列4気筒の2TR-FEと4.0L V型6気筒の1GR-FEが設定され、フロア5/6速MTとフロア4/5速ATが組み合わされる。

    最大の違いとしてはXランナーの設定である。1GR-FEに6MTが組み合わされ、18インチタイヤ、LSD、エアロパーツが装備され、さらにTRD製のスーパーチャージャーの設定もあり、こちらは300psを発揮する。


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    [ 2007/07/15 21:17 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

    Toyota Vios CM 0'30" 

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    初代(CP40系、2002年-2007年)
    中国および東南アジア市場向けの戦略車種(いわゆるアジアカー)であり、1997年から東南アジアで販売されていたソルーナ(Soluna)の後継となるエントリーセダンである。2002年10月より中国で販売を開始。翌11月にはタイでもソルーナ・ヴィオスの名称で発売され、その後、台湾や他の東南アジア各国でも順次販売が開始された。

    ベースは初代ヴィッツ。前身のソルーナとは異なり、当時のトヨタの最新技術を反映させて作られている。一方で価格はソルーナ並みに抑えられた。

    外寸は全長4285mm×全幅1690mm×全高1450mm、ホイールベース2500mm。同じくヴィッツ派生セダンのプラッツがいかにもトランクを後付けしたようなデザインなのに対し、ヴィッツよりも全高を50mm下げ、ホイールベースを130mm伸ばすことで自然なスタイルを実現している。この手法は後のベルタにも生かされることになる。

    エンジンは台湾・東南アジア仕様が1NZ-FE型直列4気筒1500cc。フィリピンのみ2NZ-FE型直列4気筒1300ccも設定される。また、タイではTRDの手によるターボ付きのモデルも用意されている。一方、中国仕様は一世代前の5A-FE型直列4気筒1500ccと8A-FE型直列4気筒1300ccが搭載されていたが、2006年にそれぞれ3SZ型(1500cc)と2SZ型(1300cc)に換装された。シフトは5速MTと4速ATが設定される。

    2005年暮れにフェイスリフトが行われた。

    2代目(CP90系、2007年-)
    2007年3月からタイで発売開始され、間もなくシンガポールやインドネシアでも新型が投入された。アジア専用に開発された初代とは異なり、2代目はベルタのアジア仕様車であり、外観や内装なども基本的に同じである(インドネシア仕様車のみフロントグリルのデザインが異なる)。ただし、エンジンは日本仕様とは異なり1NZ-FE型直列4気筒1500ccが設定される。


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    [ 2007/07/16 21:23 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

    Toyota Matrix CM 1'00" 

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    以前、日米貿易摩擦解消のためにトヨタが日本に輸入したシボレー・キャバリエの販売か芳しくなかったこともあり、開発段階からトヨタとGMが協力、生産はカナダのTMMC(Toyota Motor Manufacturing Canada Inc.)で行われている。日本国内には正規輸入されず、トヨタディーラーで購入することはできないかわりに、GM仕様であるポンティアック・ヴァイブがトヨタ・ヴォルツとして販売されたが、こちらは2004年で販売を中止している。なお、このマトリックスは実質的にはE120G系カローラフィールダーの北米版との見方もあるようだ。

    • 2002年 - 販売開始。
    • 2005年 - マイナーチェンジで前後デザインを一部変更。2ZZ-GE型エンジンが廃止。


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    [ 2007/07/17 21:30 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

    Toyota CM Human Touch 1'05" 

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    日本はもとよりアジアでもトップ、世界でも生産及び販売台数世界一を誇る最大手の自動車メーカーである。2007年の第一四半期にゼネラル・モータースを総販売数で上回り、事実上の世界トップとなった [1]。また、ダイハツ工業と日野自動車の親会社であり、富士重工業の筆頭株主でもある(株式保有比率 8.7%)。

    通称「トヨタ」(日本のテレビ局・ラジオ局では、2005年7月より「トヨタ自動車」を改めこの呼称を使用)、英語表記「TOYOTA」。トヨタグループ内では「TMC」の略称で表記される。社長は渡辺捷昭(わたなべ かつあき、1942年2月13日、豊田市出身、慶應義塾大学経済学部卒)。

    豊田佐吉(とよだ さきち)(1867年〜1930年)が創業した豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)に、1933年9月に開設された自動車部が起源である。この設立の中心になったのは佐吉の息子である豊田喜一郎(1894年〜1952年)であるが、初代社長に就任したのは佐吉の娘婿(喜一郎にとっては義兄〔旧戸籍法では妹の夫が本人より年上である場合、義兄と言う扱いとなる為〕)である豊田利三郎である。織機製作における鋳造・機械加工技術等のノウハウを活かし、研究期間を経て1935年に自動車製造を開始。1937年に独立した新会社「トヨタ自動車工業株式会社」が設立された。

    誤解されがちだがトヨタという社名は豊田市で創始されたからではなく、創始者である豊田の名前からである。豊田市は元々、挙母(ころも)市という市名だったがトヨタ自動車にちなんで1959年に改名された(本社所在地も「トヨタ町1番」である。企業城下町の典型)。創始者の名前が由来なので本来なら「トヨダ」になるところだが、「トヨダ」では10画で縁起が悪いということで、濁点を取って8画にした「トヨタ」が使われるようになったと言われている。

    利三郎は太平洋戦争が勃発した1941年に会長に退き、第2代社長には創業者の喜一郎が就任した。太平洋戦争時は陸軍用のトラックを生産したが、物資不足のため簡素なものだった。 愛知の工場は米軍による爆撃が予定されていたが、その前に終戦となる。戦後の1950年、ドッジ・ラインに伴うデフレにより経営危機に陥り豊田喜一郎社長は辞任、帝国銀行(後の三井銀行、現・三井住友銀行)を中心とする銀行団の緊急融資の条件として、販売強化のためにトヨタ自動車販売株式会社(「自販」と略された)が設立された。これを工販分離という。

    喜一郎の後を継いだ石田退三社長の時代にはクラウン、コロナ、パブリカなどロングセラーカーを開発し、販売網の整備を推し進めた。その後中川不器男社長時代にはカローラを発売し、豊田英二社長の時代にはマークII、カリーナ、セリカ、ターセル、コルサ、カムリ、ソアラなどを投入し、公害問題や排ガス規制などに対処した。販売面では1980年にビスタ店を設立し、トヨタ店、トヨペット店、カローラ店、オート店とともに「販売5チャネル体制」を確立した。

    1982年にトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売は合併、現在のトヨタ自動車株式会社となった。新会社の社長には喜一郎の長男・豊田章一郎が就任し、佐吉の甥である英二は会長に退いた。国内市場では1982年のビスタ、1984年のハイラックスサーフ、1986年のスープラ、1989年のセルシオ、1990年のエスティマなど次世代のトヨタを担う車種を投入し、販売高トップの座を不動のものにした。

    1992年に章一郎は社長を退き、弟の豊田達郎が社長となった。しかし、バブル経済の崩壊は自動車業界を直撃し、トヨタもその影響を受けた。バブル崩壊後の不況の中、1995年に達郎は高血圧で倒れ、副社長の奥田碩が社長職を継いだ。奥田は業績が下り坂になりつつあったトヨタを再生させ、1999年のヴィッツ発売を機に張富士夫に社長の座を譲った。2003年3月末集計における従業員数は65,551人、連結会社の合計は 264,096人で日本最大、世界では第三位の企業規模となった。2004年にはネッツ店とビスタ店が統合され、ネッツ店として再出発した。

    2005年にはトヨタ町の本社新本館が完成し地上14階、地下2階の一面ガラス張りの現代的な建物が出来上がった。8月にはレクサス店の日本導入を果たした。同年には渡辺捷昭社長が就任。10月、ゼネラルモータースが保有していた富士重工業株(約20%)のうち8.7%を取得し筆頭株主になった上で、提携を結ぶことを発表。2006年、リコールを放置していた疑いが浮上し、熊本県警がリコール隠しとして担当部長を書類送検した。捜索を行ってもリコール隠しを裏付ける証拠は何ら見つけられず、証拠が無いままの不適切な送検であったため、検察の判断によって不起訴処分となった。2007年には名古屋駅前にある豊田ビル・毎日ビルの建替えによる再開発で建設されるミッドランドスクエア内に新しい名古屋オフィスが完成し、元名古屋ビル、JRセントラルタワーズオフィス、本社機能の一部および東京本社の営業部門が移転した。

    前述の1950年の経営危機を教訓とし、「改善(カイゼン)」、ジャストインタイム (JIT) (カンバン方式)、トヨタ生産方式等の生産・経営のノウハウを確立した。また販売を重視し、銀行融資に頼らず自己資本の充実に努め、名古屋式経営の見本ともされる無借金経営で優良企業の代表的企業とされる。しかしこれはあくまで単独会計の場合であり、連結子会社においては有利子負債が相応に存在し、また顧客貸し出し(自動車ローン)事業をおこなう金融子会社が存在するため、連結決算においては企業規模相応の有利子負債(約12兆円)が存在する。一方で、単独決済で約6兆円(これはスイスの単年度国家予算に匹敵する)、連結では約13兆円もの多大な内部留保を抱えるため、トヨタ銀行とも称される。2002年3月期の通期決算において日本企業初の連結経常利益一兆円を超え、さらに2004年3月期の通期決算では、連結純利益(米国会計基準)でも日本企業初の一兆円超えを達成した。そして2007年3月期連結決算(米国会計基準)では営業利益が2兆2386億円となり、6年連続で過去最高を更新した上に日本企業として初の二兆円の大台を突破しマスコミから絶賛された。

    1990年代以後の不況期にはその経営姿勢が注目され、ついにはトヨタ自身も生産方式を他企業にパッケージ販売するに至った。

    近年では社会貢献活動に力を入れており、2006年1月からトヨタ社内に「社会貢献推進部」を設置し、交通安全や中国での植林活動、人材育成、自動車のリサイクルなどの環境への貢献などの社会貢献活動を積極的に行っている。

    1999年に、東京モーターショー出展のコンパクトカー“ファンタイム”を基に開発された新車種ヴィッツの爆発的ヒットを皮切りに始まった新路線と、2005年3月より9月まで愛知県東部丘陵地区(豊田市、長久手町、瀬戸市)にて開催された日本での20年ぶりの万国博覧会“愛・地球博"による東海地方の経済効果、また、2000年代前半における中小企業の徹底的な経営改善などが功を奏し、いわば“第3次トヨタ黄金時代”と言われている。

    開発に6年を費やして1961年に発売された700ccの小型大衆車・初代パブリカは、基本コンセプトとして低廉化・経済性を実現するため、徹底して合理的に設計され、実用車としての完成度は高かった。しかし、「せっかく購入するのだから少々高くても」という消費者心理を掴み切れず販売は不振であった。この不振を分析し、ラジオやヒーター等を装備したデラックスモデルを加えた結果、販売台数は増加した。これを踏まえて、トヨタの80点主義と呼ばれる思想が生まれる。

    80点主義とは、1966年に発売された初代カローラの開発主査である長谷川龍雄が打ち出した考え方である。商品の完成度を高める一方で、一部の飛び抜けて優れた機能や性能を追いかけることなく、まず全ての項目において最低でも80点を目指し、及第点に達したのち更に上の点数を順次達成していくトータルバランスを念頭に置いた企業思想である。のちに、この80 点主義は80点主義+アルファとなり、旧車種や他社への差別化戦略へと移行していく。

    この「80点」という言葉が、各界からは頻繁に「完璧でない、手を抜いた車作り(=完成度は80点でよい)」という批判に用いられる。「80点主義」に対する批判はその提唱からまもなく現れたが、1968年に発売された自社の小型トラックハイラックスの広告コピーに「101点主義」とアピールしていたが、しかし、マスメディアに登場する経済評論家や自動車評論家をはじめ世間からも、トヨタの「80点主義」は「80点で良いという考え方」と評価されるケースが殆どである。

    1950年代から品質管理に力を入れてきた。たとえば、ドアやトランクリッドなど開口部の切断線[1]の合い具合や遮音性など、ユーザーにも容易にわかる部分の品質には定評がある。手堅い既存技術を巧みにブラッシュアップし、低コストで比較的質の高い製品を作る技術に長けており、故障率が低いと言われている。

    1970年代後半から小型乗用車の前輪駆動化が世界的に進行した際、トヨタは前輪駆動を主力車種カローラやコロナに採用する前に、新車種「ターセル・コルサ」や、改良型の中級小型自動車「カムリ・ビスタ」など主力外車種での経験を踏まえた上で、なおかつ、顧客の反応を見るために従来型である後輪駆動車と併売を経て本採用する、という慎重ぶりであった。

    また、ヤマハ発動機からは高性能型DOHCユニットの供給を、本田技研工業からは希薄燃焼システムや排ガス浄化システム(CVCC) の技術供与を受けるなど、高度な技術や、排出ガス対策などの緊急を要する技術に関しては同業他社に援助を請う場合もあったが、受け入れた技術に量産に見合う改良を施すことにかけては実力を発揮する傾向がある。燃焼効率の向上を企図した狭角配置の多バルブDOHCエンジン(ハイメカ・ツインカムと呼ばれる。1986年に市販開始)の開発と、量産車への搭載などはその一例である。

    1990年代後半、トヨタが先陣を切って普及させた技術としては、内燃機関における吸気時期電子制御システム"VVT-i( Intelligent Valuable Valve Timing Control)である(ただし最初に開発・実用化したのはフォード)。これは従来、エンジン機関の全体的回転タイミングによって吸気していたものに代え、電子制御により強制的適量吸気を実現したもので、国土交通省(旧運輸省)低排出ガス車認定基準へのほとんどの車種の適合を実現した一要素である。日産自動車のNVCSや富士重工業のAVCS、本田技研工業のi-VTEC、三菱自動車工業のMIVECなどは同種のシステムである。

    1990年代の業界再編期を経た現在は、グループ内各社との共同開発が一般的となっており、小型車用エンジンの新規設計や一部の小型車の企画ではダイハツ工業の、トラック開発では日野自動車の参画を得ている。燃料電池車やガソリン-電気方式のハイブリッドカーの開発では、部品供給で関係の深かった松下グループと連携し、また、欧州では知名度が今ひとつのためもあり、モータースポーツの世界最高峰に位置するF1に参戦するなど、最先端の技術開発・実用化に取り組んでいる。G-BOOK・G-BOOK ALPHAと呼ばれる情報通信システムは、本田技研工業のインターナビに登録者数で負けているが、グループ外他社に供与し、更に利用料を無料にするなど挽回策を図っている。

    北海道士別市に巨大なテストコースを持っており、降雪地帯での乗用車や海外向け商品の開発にも多面的に取り組んでいる。

    2005年8月30日に国内に投入した高級車ブランドレクサスは当年目標の6割と販売は振るわなかった。これには、これまでのセルシオの事実上の4代目次期型としてブランドの旗艦たる新型LSの導入が遅れたことも要因の一つであるが、トヨタ自身はそれほど深刻に受け止めていない。また世界初のFRハイブリッド車を発売し、新型LSへもハイブリッド車を設定するなど、レクサスへのハイブリッド技術の導入にも積極的である。

    TOYOTA(トヨタ)
    創業当初から、全国各地の地場資本に協力を求め、早期に販売網を整備していた。これは喜一郎に請われ1935年にトヨタに移籍した日本ゼネラル・モータース販売広告部長であった神谷正太郎(トヨタ自販初代社長)が、米国GM流の販売方法を取り入れたためである。神谷は日本GMにおいて日本での自動車販売網を整備しオートローンもはじめるなど米国GM流儀を日本において徹底させ戦前の日本自動車市場をフォードと二分していた。神谷がトヨタとなってからはGM、フォードが開拓していた各道府県のディーラー網を自社ディーラー網として取り込んでいく。戦後、自動車製造・販売が再び許可されると「販売のトヨタ」と言われ、以降、現在に至るまで営業能力の高さには定評がある。現在、日本国内では4系統のディーラー網を傘下に持つ。

    1954年に発売された1000ccのSKBトラック[2]は簡素なセミ・キャブオーバー型トラックだが、当時日本国内の市場を席巻していた三輪トラック(オート三輪)へ対抗した商品であり、あえて戦略的に低価格で販売したことで、大きな成功を収めた。これをきっかけに、日本の小型トラック市場は、三輪から四輪に移行することになる。

    また、1955年に発売された初代クラウンは、前輪独立懸架や低床シャシーなど、一応ヨーロッパ車並の構成を採った最初の日本製量産車となった。以後クラウンは、国内専用車として独特の発展を遂げ、日本国内の保守的な階層や官公庁用の車両、各種事業用車両としてドメスティックに定着し、2000年代前半からは中国などでも本格生産が開始されている。

    1960年代以降は、手堅い保守的設計で排気量やボディサイズにゆとりを持たせ、多くのオプションを用意するという戦略で、競合他社を圧してきた。

    1989年(平成元年)に「新しいトヨタが走り始めます」というキャッチコピーでトヨタの新時代・新しいトヨタマークを大々的に宣伝したが、なぜか、国内仕様車では車のフロントグリル等に、車種ごとに異なるエンブレムを装着している。

    LEXUS(レクサス)
    1989年、アメリカで高級車ブランド「レクサス」を創設し、大型高級セダンの「レクサス・LS」(日本では後に「トヨタ・セルシオ」として発売)と「レクサス・ES」[4]を発表した。従前、米国トヨタの最上位車種はクレシーダ(日本におけるトヨタ・マークII)であり、トヨタブランドで高級車種を販売することには限界があるとの判断からだった。開業後、日本の大衆車メーカーの参入余地がないと見られていた高級車市場でたちまち成功をおさめ、メルセデス・ベンツをはじめ、BMW、キャデラックなど欧米の高級車メーカーに強い衝撃と影響を与えた。

    世界各国で販売開始された後、日本国内にも展開されることになり、2005年8 月30日に日本国内向けレクサス・ブランドとして、GSシリーズ、ISシリーズとSCシリーズの3系列投入で発足した。ISシリーズは1か月遅れの 2005年9月28日から発売した。高級車ブランドとしてはメルセデス・ベンツ、BMWに次ぐ販売台数であった。しかし、販売台数は予定の約6割とされている。2006年9月19日にはレクサスの旗艦車種であるLSシリーズが発売された。

    SCION(サイオン)
    サイオンはアメリカの若者向けのブランドで2003年に開始。いわゆる「ジェネレーションY」と呼ばれる20代前半の若い世代をターゲットとする。トヨタの主要顧客は概して年齢層が高く、若年層の取り込みが課題であった。商品開発思想や広告展開まで新しい手法を用い、従来の "退屈なトヨタ車" のイメージを覆すことを狙った。クールでスタイリッシュな「ファッション性」を商品力とし、あらかじめ多様なカスタマイズを用意することで「個性化」を呼びかけた。マス(大衆)にもアッパーにも属さない新しいカテゴリの開拓を狙う。開始当時の車種はxA、xBで、後に日本未発売のクーペCが追加された。

    販売最優先によるシェアの確保がトヨタの方針である。

    「販売のトヨタ」
    トヨタは、1950年代後半から60年代にかけて、クラウン、コロナ、パブリカの乗用車3車種を相次いで発売、乗用車の基本ラインナップを構築した。

    さらに1960年代後半からは、それぞれの車種がモデルチェンジにより大型化、上級化するに従って、中間モデルを充実させることに力を入れた。すなわち、パブリカとコロナの中間にはカローラを、コロナとクラウンの中間にはマークIIを配し、カローラとコロナの中間にカリーナおよびセリカを配した。車種追加により、パブリカをエントリーモデルとし、カローラ、コロナ、マークII、そして最高峰ブランドのクラウンに至るまでのピラミッド型商品展開を完成させたのである。

    これは日本的な年功序列や終身雇用といった慣例的制度に支えられ、日本のサラリーマンたちに昇進・昇給が約束されていた時代には、より上位モデルへの買い替えを促すシナリオでもあった。1980年代に用いられたいつかはクラウンというキャッチコピーは、トヨタの販売戦略を端的に表す。一方、販売店系列の整備がすすむと、系列別に同一シャシ・同一ボディでありながら若干意匠を変えた「兄弟車」[7]を投入することで、系列間の競争を促し、さらなる拡販を試みた。

    また、全国に配置した販売会社はすべて地元の商業資本との提携で設立しており、他社が販売会社の再編成を余儀なくされた1990年代以降にあっても、各都道府県に密着した手堅い販路を堅持し続けており、地元企業などの社用車需要はもとより、それに付随して個人(自家用車)需要に対してもトヨタ車の販売を強力に支えるバックボーンとなっている。

    このような商品展開と販売会社構成など、顧客の動向を重視する経営姿勢は1960年代、日本のモータリゼーションが始まったころは、「技術の日産」に対して「販売(商売)のトヨタ」と評された。

    近年では、自動車産業と先進国における市場の成熟、社会環境の変化、世代交代や価値観の変容などを受けて、トヨタの商品も多様な変化に富んだ広範な展開を見せている。

    1985年、4ドア車でありながらクーペ並みに全高が低く、徹底的に耽美性を追求したハードトップ車、カリーナEDを発表し大ヒットした。自動車評論家の評価は芳しくなかったものの、その後、国内各社から同種のハードトップ車が続々と登場するきっかけとなった。

    1997年、「21世紀に間に合いました」というフレーズで世界初の量産ハイブリッド車、プリウスを市場に送り出した。業界では時期尚早と見られていた「エコカー」を、他に先駆けて成功させた。また同年発表しヒットモデルとなったハリアーは、クロスオーバー車、高級SUVという新たなジャンルを生むことになり、その後他社がこぞって追随した。また、本田技研工業に続き南米市場向けにフレックスエンジン車を投入する。

    1999年に登場したヴィッツは、日本で長く衰退状態だったコンパクト・カーが復権するきっかけとなり、後にこのセグメントは大きな市場へと発展する。北米においては、従来苦手としてきた若者向け車種と、かつて経済摩擦を起こした経緯から一時注力を手控えてきた「ピックアップ・トラック」の各分野に置ける拡販を試みている。2002年に若者向け銘柄の「サイオン」をスタートさせ、2006年にはフルサイズ・ピックアップ・トラック市場への本格参入が計画されている。

    中国戦略
    第一汽車集団と包括提携関係にある。また、2004年9月には広州汽車集団との間でも合弁会社を設立した。

    • 2000年12月15日に四川豊田(現・四川一汽豊田)でコースター(「柯斯達」)の生産を開始。
    • 2002年10月8日に天津豊田(現・天津一汽豊田 第一工場)でヴィオス(「威馳」)の生産を開始。出遅れていた中国市場への進出に乗り出す。
    • 2003年9月5日に四川豊田でランドクルーザープラド(「普拉多」)の生産を開始。
    • 2003年10月8日に長春一汽豊越汽車(四川一汽豊田・長春工場)でランドクルーザー(「陸地巡洋艦」)の生産を開始。
    • 2004年2月23日に天津一汽豊田でカローラ(「花冠」)の生産を開始。
    • 2005年3月21日に天津一汽豊田・第2工場でクラウン(「皇冠」)の生産を開始。
    • 2005年10月24日に天津一汽豊田・第2工場でレイツ(「鋭志」、日本名マークX)の生産を開始。
    • 2005年12月15日に四川一汽豊田・長春工場でプリウス(「普鋭斯」)のノックダウン生産を開始。
    • 2006年5月23日に広州豊田でカムリ(「凱美瑞」)の生産を開始。
    • 2007年5月28日に天津一汽豊田・第3工場で新型カローラ(「卡羅拉」)の生産を開始(従来型カローラ「花冠」の生産も第1工場にて継続)。
    ラリー
    トヨタにおけるモータースポーツの活動は、1957年オーストラリア・ラリーにクラウンで出場したのが最初。結果は47位だった。

    1973年から1999年まで世界ラリー選手権(WRC)にトヨタ・チーム・ヨーロッパがカローラレビン、スプリンタートレノ、セリカ、スープラで参戦。1975年フィンランド1000湖ラリーで、WRC初制覇に始まり、1988年ツール・ド・コルス(フランス)でセリカGT-FOUR ST165をデビューさせWRC王座獲得を目指すべく当時最強を誇っていた王者ランチアに挑み、熾烈な戦いを繰り広げることになる。1990年と1992年にはカルロス・サインツがドライバーズチャンピオンを獲得する。1993年、1994年には2年連続で、ドライバーとメーカーのダブルタイトルを獲得。

    しかし、1995年のWRCカタルニア・ラリーでエンジンの吸気量を制限するリストリクターに意図的に細工を施していた違反行為が発覚し、1995年の全ポイント抹消と1996年終了までの出場停止処分を受けた。

    そして1997年のシーズン途中、重く大きくなったセリカを捨て、カローラに3S‐Gエンジンを搭載したカローラWRCがディディエ・オリオールの手によって1997年のフィンランドラリーでデビューを飾った。翌1998年、カルロス・サインツがフォードから移籍、開幕戦で優勝を飾り、その後2勝してマニュファクチャラーズランキング2位でシーズンを終える。翌1999年は優勝こそチャイナラリーのみだったもののコンスタントに入賞を繰り返し、5年ぶり3度目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。しかし、サンレモラリーの直前にTTEはF1参戦を発表、27年にも及ぶ日本最大のマニュファクチャラーのラリーへの挑戦は幕を閉じた。

    スポーツプロトタイプ
    トヨタが初めてスポーツプロトタイプのレースに参加したのは1966年の第3回日本グランプリである。ただしマシンは市販前のトヨタ2000GTで、純粋なプロトタイプではない。日産/プリンスに対しプロトタイプの開発が遅れたトヨタは翌1967年の第4回日本グランプリを欠場。翌1968年、トヨタは初のプロトタイプレーシングマシン、3リッターV型8気筒エンジン搭載のトヨタ・7をデビューさせる。5月の日本グランプリでは日産・R381に敗れたものの、その他多くのスポーツカー耐久レースで勝利を収める。

    翌1969年には5リッターV型8気筒エンジンを搭載するトヨタ・7の第2期モデルが登場する。このマシンもデビュー戦の7月の富士1000kmで勝利を収め、続く8月のNETスピードカップも日産R381を破り優勝。また11月の第2回日本CanAMも制するが、肝心の10月の日本グランプリでは6リッターV型12気筒エンジンを搭載する日産R・382の前にまたも涙を飲む。翌年に向けてトヨタは5リッターV型8気筒エンジンにターボチャージャーを装着した第3期モデルのトヨタ・7を開発するが、日産が1970年の日本グランプリの欠場を表明したためトヨタも欠場することとなる。トヨタの目は世界に向けられ、トヨタ・ 7ターボでのCanAMへの挑戦を決意するが、それが決定したまさにその日、鈴鹿サーキットでトヨタ・7ターボをテスト中の川合稔が事故死、トヨタ・7のプロジェクトはキャンセルされてしまう。以降80年代までトヨタはプロトタイプカーのレース活動を中断することになる。

    1982年に世界耐久選手権(WEC)が日本で開催されると、スポーツプロトタイプカー(グループCカー)を童夢とトムスの共同開発のトムス童夢・セリカCで参戦した。

    1983年から始まる全日本耐久選手権(1987年より全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権=JSPCに改称)にも参戦し、以後、童夢とトムスの共同開発による4気筒ターボの83C(1983年)〜88C(1988年)、8気筒ターボの88CV(1988年)〜92CV(1992年)を送り込み、1987年からはトヨタの名を冠した「トヨタチームトムス」として参戦を開始し、マシン名も「トムス」から「トヨタ」となり、オイルショック以降中断していたワークス活動の事実上の再開となった。

    1985年からはル・マン24時間レースにも参戦を始めた。トヨタエンジンを搭載したマシンのルマン参戦としては1975年のシグマMC-75が最初である。また1973年にマツダのロータリーエンジンを搭載したシグマMC-73のリアウィングには「TOYOTA」のスポンサーロゴが書かれている。メーカーでの参戦は途中不参加の年もあるものの、 1999年まで行われている。1985年〜1990年まではターボエンジン車で参戦し、1992年〜1993年には当時のF1と同じ規定で造られた自然吸気3.5リッター10気筒エンジンを搭載したTS010で参戦し、1992年には2位を獲得している。1994年には92C-Vを改造した94C-Vで出場、しかしポルシェ962CをGTとして改造した、掟破りとも言えるダウアー962GTの前にまたも2位に終わる。1998年から1999年にかけてToyota GT-One(TS020)でル・マンに参戦。マシン性能をは他社に比べて圧倒的であったが安定度が不足しており、マシントラブルのために最高成績は1999年の2位止まりに終わる。

    1992年にスポーツカー世界選手権(SWC)にTS010でフル参戦し、第1戦のモンツァで日本の小河等が優勝した。

    F1
    1994〜1998年には全日本ツーリングカー選手権(JTCC)に参戦し、1994年第4戦SUGOからは全日本GT選手権(JGTC:現・SUPER GT)に参戦。GT500クラスでは2005年までスープラ、2006年からはレクサスSCで参戦。GT300クラスにもセリカとMR-Sが参戦している。

    1996年からアメリカのチャンピオンシップシリーズ(CART)にエンジンマニュファクチャラーとして参戦し、2002年ドライバーズ、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得し、2003年からは、インディ・レーシング・リーグ(IRL)へ参戦。世界3大レースの一つ「インディ500」を日本メーカーとして初めて制覇。IRLシリーズ参戦初年でドライバーズ、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。なおIRLからは2006年末撤退予定を前倒しし、2005年一杯で撤退した。アメリカのストックカー・レースであるNASCARには2000年にセリカでNASCARグッディーズ・ダッシュ・シリーズで初参戦し、2004年にトップ3カテゴリーへ史上初の新マニュファクチャラーとしてタンドラでNASCARクラフツマン・トラック・シリーズに参戦した。そして2007年からはカムリでNASCAR最高峰カテゴリーにあたるネクステル・カップ・シリーズとブッシュ・シリーズへ参戦することを発表している。

    またアマチュア向けとして、ヴィッツとアルテッツァのワンメイクレース「ネッツカップ」、ラリー初心者向けのワンメイクラリー「TRDヴィッツチャレンジ」などを開催しているほか、若手ドライバー育成を目的としたジュニア・フォーミュラのシリーズ「フォーミュラ・トヨタ」など、底辺カテゴリーの拡大にも力を入れている。

    幻の航空機計画
    トヨタ自動車は1930年代の創業期に、自動車開発に加えて航空機開発の研究を同時並行させていた。1936年、創業者の豊田喜一郎はフランスから軽飛行機を購入して羽田空港で試験飛行した後、いとこの豊田英二(現トヨタ自動車最高顧問)がエンジンを解体してスケッチし、再び組み立てなおして飛行させることに成功した。また、海軍から払い下げられた一三式練習機に試作した木製プロペラを取り付けて小幡飛行場(名古屋市内)から衣が原飛行場[8]までを飛行した。また、同じ敷地内では独自にヘリコプターの研究もしており、ローター回転による揚力実験まで進んでいた。しかしこれらの航空機研究は戦時体制が強まり、軍用トラックや他社製の航空機エンジンの量産に追われたために中断に追い込まれた。

    また、戦後にも航空禁止解除をにらんで航空機分野への進出企画していたが、立川飛行機から招いた長谷川龍雄技師から現状のトヨタの体制では無理という旨の意見を聞き断念している。


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    [ 2007/07/18 21:36 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

    Toyota Hilux CM 1'05" 

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    初代10系(1968-1972年)
    1968年、登場。ブリスカのモデルチェンジに際し、名称をハイラックスに変更。ブリスカ同様、企画はトヨタ、設計は日野主導で行われ、組み立ては日野自動車・羽村工場が担当した。

    北米ではトヨタ・トラックとして発売された。

    2代目20系(1972年-1978年)
    1972年5月登場。エンジンは従来の12Rに加え2.0Lの18R型を搭載した「ハイウェイ」も設定された。「ハイウェイ」にはハイラックス初のフロアAT車を選択できた。

    1975年10月 マイナーチェンジでフロントグリルが変更される。「ハイウェイ」は廃止されハイラックスのAT車も1983年のフルモデルチェンジまで一旦中止された。

    3代目30/40系(1978-1988年)
    1978年9月登場。スタウト110系がこのキャビンを流用した。エンジンは従来どおり1.6Lの12R型。ヘッドライトは丸目4灯式から丸目2灯式に変更された。

    1979年12月、これも初となる、ディーゼルエンジンが設定された。ディーゼルエンジンは乗用車系の2.2Lの「L型」だったが、生産コストが低いこと(だけ)が取り柄のこのエンジンは、噴射ポンプは分配式、カムシャフトと噴射ポンプはベルト駆動とするなど、トラック用としてはいささか華奢で、その後、連続高負荷運転ではヘッドやブロックの変形が大きくなる事も発覚し、市場での評判は芳しくなかった。またランドクルーザーの足回りを流用したハイラックス初の4WDモデルが標準ボデー車に追加された。エンジンは荷重を考慮し2.0Lのガソリンの「18R」型が搭載された。

    1981年10月 マイナーチェンジで角目2灯ライトに変更。ダブルキャブ仕様車と4WDディーゼルを追加。

    1983年11月 廉価版のみへ車種整理され「ポピュラーシリーズ」として88年9月まで継続。

    4代目50/60系(1983年-1988年)
    1983年11月登場。ガソリン車のエンジンがR型からY型に変更された。

    ディーゼルエンジン搭載車に2人乗りのフロア4速AT車が追加され、フロアAT車設定は2代目のハイウェイ以来となった。

    1984年5月 トヨタ初のSUVとなる、4ランナー/ハイラックスサーフ60系が登場する。

    1985年8月 4ランナー/ハイラックスサーフがフロントサスペンションをトヨタ4WD初採用となる、トーションバー+ダブルウイッシュボーンの独立式に変更する。

    いすゞ・ファスターロデオ、ダットサントラック、三菱・フォルテの各4WDピックアップは、この時期すでにフロント独立式サスペンションを採用していたが、ハイラックスピックアップはリーフ+リジッドのまま残された。ただし、海外の途上国や、国内でも、業務用やクロスカントリーを楽しむユーザーには、丈夫で、ホイールストロークの大きい(脚の長い)リジッドが歓迎さていたため、これ以降も残されることとなった。

    5代目80/100系(1988年-1997年)
    1988年9月発表。130系サーフは1989年5月発表。エンジンは直列4気筒2000ガソリンの3Y、2800ディーゼルの3Lが設定のほか、北米向けなどは、直列4気筒2400 22R-E、V型6気筒3000の3VZ-Eが設定された。

    1989年から1996年まで、トヨタ社とフォルクスワーゲン社との提携の一環として、ハイラックスがフォルクスワーゲン社ハノーファー工場で生産された。半数はトヨタ・ハイラックスとして欧州トヨタから販売され、のこり半数はフォルクスワーゲン社から、VW タロー(太郎)という車名で販売された。

    タローには現地製のほかに、日野自動車・羽村工場製のOEM車も存在した。 (フォルクスワーゲン 年表)

    1993年、北米向けに、ハイラックスのコンポーネンツを使った、より大型のT100が登場。日野・羽村工場での生産は、ハイラックスとの混流となった。ビッグスリーを刺激しないよう、フルサイズとすることを避けたT100は、その後、タンドラに道を譲り消滅する。

    1995年北米向けハイラックスがタコマとして独立した車種となる。

    1996年同車をベースにトヨダ・AA型乗用車をモチーフとしたトヨタ・クラシックが限定発売された。

    6代目140/160/170系(1997-2004年)
    1997年登場。乗用仕様には「スポーツピックアップ」と名づけられた。エンジンは直列4気筒SOHC2000ガソリン(1RZ-E)、直列4気筒SOHC2400ディーゼルターボ(2L-TE)、直列4気筒SOHC2700ガソリン(3RZ-E)、直列4気筒SOHC3000ディーゼル(5L)が設定された。

    2WDダブルキャブ、2WDエクストラキャブ、4WDダブルキャブ(ワイドボディ設定あり)、4WDエクストラキャブが設定された。ピックアップには珍しくTVCMも放映され、TRDによるカスタマイズバージョンも用意された。
    • 2001年マイナーチェンジ。
    • 2004年秋に日本での販売を終了した。
    • 同車をベースにかつて発売されたクラシックのトラック版といえるTCピックアップが発売されており、こちらは台数限定はされておらずトヨタテクノクラフトの特装車扱いだった。
    7代目 (2004年〜)
    トヨタIMVプロジェクトのフレーム構造をベースとした単一プラットフォームを共有する世界戦略車「IMVシリーズ」としてピックアップトラック、SUV、ミニバンが設定され、このピックアップトラック車種がハイラックス7代目を継承した。「IMVシリーズ」はパワーと低価格が重視される地域向けに、トラックを乗用としても使用する購買層に対し、従来のトラックに比べ乗用車風の高級感を感じさせるつくりとし、さらにトヨタの安定した品質を提供することで販売増を狙うという、新興国向け世界戦略車として生み出されている。世界中の多くの国で販売されるが、日本、北米、欧州(除く旧東欧地域)などでは販売されない。

    生産はまずタイで開始された。日野自動車羽村工場のラインが一部移管され2004年8月からおこなわれた。羽村工場でも2005年6月末まで生産されていたが、IMVは日本国外以外の世界的規模でトヨタ生産方式を実現することが求められるプロジェクトであり、最終的にタイに完全に移管された。

    一国生産のリスクを避けるためにタイ以外でも順次生産開始され、アルゼンチン(2005年2月)、南アフリカ(2005年4月)の3ヶ国がIMVシリーズピックアップ車の主要な輸出拠点となっている。この3拠点から世界の新興諸国に向け輸出されるほか、マレーシアやパキスタン、ベネズエラなどでは自国向けにCKD生産されている。

    エンジンは直列4気筒DOHC2.7Lガソリンの2TR-FE、直列4気筒DOHCディーゼルは3.0Lの1KD-FTV、2.5Lの2KD-FTVが設定されている。

    車名は地域によって異なり、タイではHilux Vigo(ハイラックス ヴィーゴ)、南太平洋地域ではHilux IMV[1]として販売されている。

    日本の代表的なキャンピングカービルダーであるバンテック社はHILUX VIGOをベース車としたテラ(Terra)を2006年から販売している。トヨタタイ工場から仕入れたHILUX VIGOをバンテック社タイ工場で架装。ベース車としてのHILUX VIGOは並行輸入扱いとなっている。

    ラインナップ(タイ仕様)
    • スタンダードキャブ(最廉価グレード。フロントバンパーは樹脂製。)
    • エクストラキャブ2WD/4WD
    • ダブルキャブ2WD/4WD
    • プリランナー

    〈派生車種〉

    ハイラックス
    • ハイラックスサーフ 設計、生産は日野とトヨタの共同。3代目(180系)以降はランドクルーザープラド(90系以降)とシャーシの多くを共用。
    • T100 日野製。
    • タコマ 日野製。
    • FJクルーザー 日野製。
    • キジャン/タマラオ インドネシア、トヨタ・アストラモーター製。
    IMVプラットフォーム
    • ハイラックスヴィーゴ(ハイラックスIMV)
    • キジャンイノーバ/イノーバ ミニバン。インドネシアではキジャン/タマラオの後継車キジャンイノーバとして販売されている。その他ではトヨタ・イノーバ。インドネシアで生産開始され、トヨタアストラモーター/トヨタ・タイランドなどでも生産されている。
    • フォーチュナー(南米ではハイラックス SW4) SUV。トヨタ・タイランド、アルゼンチン・トヨタ、トヨタ南アフリカなどで生産されている。


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    [ 2007/07/19 21:40 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

    Lexus GS/IS Series CM 0'31" 

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    Eセグメントに属し、ラインナップではLSとISの中間に位置している。ESも同様にLSとISの中間に位置している。

    市場調査会社J.D.パワー・アンド・アソシエイツが実施した、100台あたりの不具合件数を集計する米国自動車耐久品質調査SM(VDS)では、2005年に引き続き2006年もミッド・ラグジュアリー部門での不具合件数報告が最も少なかったという極めて優秀な耐久性を示している。一方、米国道路安全保険協会(IIHS)のおいて実施された2006年度調査において、後方からの追突時の安全性が「MARGINAL」(不十分)という評価がなされた。

    Eセグメントの車種としては唯一ハイブリッド車がラインナップに用意されている。ステーションワゴンは販売されていない。基本的なコンポーネントを、トヨタブランドのクラウンやクラウンマジェスタと共有している。

    北米では2006年の販売台数ではライバルとしているBMW・5シリーズやメルセデス・ベンツ Eクラスの半数程度にとどまっている。2005年の販売台数の差を考慮すれば、シェアを拡大している。

    初代(1993年-1997年)
    1991年から製造が始まったアリストのレクサスブランド版として、1993年2月22日からトヨタ自動車田原工場にて生産を開始した。アリストにはターボエンジンの設定があったが、北米向けの「GS300」のエンジンは3.0L直列6気筒自然吸気エンジンだった。

    2代目(1998年-2005年)
    1997年にアリストがモデルチェンジした翌年、GSもモデルチェンジした。エンジンは直列6気筒エンジン(2JZ-GE)とV8エンジン(1UZ-FE)の2本立て。アメリカの雑誌『モータトレンド』が選定する1998年のインポートカー・オブ・ザ・イヤーに輝いている。また、同じくアメリカの雑誌『カーアンドドライバー』が選定するテン・ベストカーに、1998年から2000年の間選ばれ続けた。

    2001年マイナーチェンジ。「GS400」に搭載されていた4.0L V8エンジン(1UZ-FE)の排気量が4.3Lに拡大され、3UZ-FEとなり、「GS430」がラインナップ。同時にGS400はラインナップから消滅した。

    3代目(2005年-)
    2005年1月北米国際自動車ショーで展示。
    2005年8月30日より、日本国内におけるレクサスブランドの立ち上げと同時に「GS430」「GS350」を発売開始。アリストの後継車である。日本国内での価格は520〜770万円。

    「GS350」のV型6気筒3.5Lエンジン(2GR-FSE)の出力は315psで、トヨタの乗用車としては初めて280psを超えた。また、地域によって商品展開に違いがあり、「GS350」は日本・北米・韓国で、「GS300」はその他の地域で販売されている。

    2006年3月、ハイブリッド仕様の「GS450h」を追加。

    2007年3月、日本車として初めて、ドイツ・iFデザイン賞金賞を受賞 (レクサスISと同時授賞)

    2007年10月、GS各モデルを改良。GS430(1UZ-FEエンジン搭載車)がグレードから消滅し、代わりにGS460(1UR-FSEエンジン搭載)がシリーズにラインナップされた。外観ではトヨタ車のマイナーチェンジの例に漏れずメッキ部分が増し、サイドウィンカーがドアミラー内蔵のタイプに変更となった。

    LEXUS IS SERIES
    初代(1999-2005年)
    日本でアルテッツァがデビューした翌年の1999年、同車のレクサスブランド版としてヨーロッパで販売開始。北米においても同様に展開された。

    IS200:直列6気筒2000ccエンジン(1G-FE)ヨーロッパのみでの販売。日本国内におけるアルテッツァAS200に相当。

    IS300:直列6気筒3000ccエンジン(2JZ-GE)を搭載。北米、ヨーロッパで展開。

    IS sports cross:ステーションワゴンモデル(本来のステーションワゴンに比較すると実用性に乏しい為、実質的には5ドアハッチバック扱い)。日本国内におけるアルテッツァ・ジータ(Gita)に相当。

    2代目(2005年〜)
    2005年9月生産・販売開始。2代目からは日本国内においても、販売チャネルがレクサスブランドに移行したためアルテッツァの名称は消滅し、すべてレクサス・ISとして販売されている。展開車種はセダンのみとなり、初代アルテッツァに存在したアルテッツァ・ジータ(gita)に相当するステーションワゴンモデルは、ラインナップされていない。

    車両デザインには「流鏑馬(やぶさめ)」をイメージともしており、躍動感あるデザインとなっている。

    日本国内においては、排気量3456ccのIS350と排気量2499ccのIS250の2グレードがラインナップされている。 IS350・IS250ともに、標準のベースグレード・Version L・Version Sの3モデルから選択可能である。IS250のみAWDモデルも存在する。(IS250AWDには、Version Sのモデルは設定されていない) Version Sは、専用サスペンションと18インチアルミホイールを装着し、なかでも走りに重きをおいたモデルである。 IS350に搭載されている3456ccの(2GR-FSE)は、IS専用のチューニングを施した結果メーカー公表値318psを発生している。これは同エンジンが搭載されているクラウンやGS350の315psより大きい数値である。

    2006年11月には商品性改善のため年次改良が行われた。主なところでは、Version Sのサスペンション設定値の変更・トランク・フェールリッドオープナースイッチ形状の変更が行われている。と同時にVersion IがIS350・IS250に追加モデルとして設定された。

    2007年9月には、商品性改善のため年次改良が行われた。主なところでは、標準装着アルミホイールの色変更(薄色→濃色)・運転席コインホルダーの新規設置・運転席および助手席のシートバックの形状変更・薄型化(後席足下容量の増大目的)などである。

    2007年12月には、特別仕様として"Elegant white Interior"が発表された。700台限定で日本国内で販売される。これはVersion Lを車両ベースに用い、内装色にメローホワイト・ライトグレーのセミアニリン本革を使用し、パネルにはバーズアイメイプル本木目(ボルドー)を使用したモデルである。IS350・IS250・IS250(AWD)に設定されている。

    同時にVersion Iのパネルに標準設定されているバーズアイメイプル本木目に、ボルドーが追加選択(オプション)可能となった、これはVersion LおよびElegant white Interiorの本木目色と同一である。

    製造は、当初トヨタ自動車九州・宮田工場およびトヨタ自動車・田原工場第3製造部のレクサス車両専用の製造ラインで製造されていたが、2007年8月からはトヨタ自動車九州・宮田工場に生産が一本化されている。

    同時に発売されたレクサス・GSと同様、メーカーの隅々に渡る品質管理でカスタマイズは困難を極めたが、BLITZをはじめとするメーカーがカスタマイズに成功している。

    グレード詳細(海外販売分も含む)
    • IS250:V型6気筒2499ccエンジン(4GR-FSE)を搭載。四輪駆動モデルもラインナップ。欧米向けは6速MTの設定もある。
    • IS300:V型6気筒2994ccエンジン(3GR-FE)を搭載。中国・ブルネイ・中東での販売。
    • IS350:V型6気筒3456ccエンジン(2GR-FSE)を搭載。VDIMを標準装備。
    • IS220d:直列4気筒2200ccディーゼルエンジン(2AD-FHV)を搭載。ヨーロッパのみでの販売で6速MTのみ設定。


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    [ 2007/07/20 22:09 ] LEXUS | TB(0) | CM(0)

    Fiat Commercial 0'38" 

    トップページFIATカテゴリーFiat Commercial
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    イタリア最大の自動車会社 FIAT
    社名のフィアット(FIAT)とはFabbrica Italiana Automobili Torino の略で、「トリノのイタリア自動車製造所」の意味。トリノ市のリンゴット地区に本拠を置くことから、フィアット本社工場と「リンゴット」はしばしば同義とされる。

    ジョヴァンニ・アニェッリら数人の実業家の出資によって、1899年にトリノで創業された。かつてはフォーミュラーレースにも参戦してアルファ・ロメオやブガッティなどと覇を競い、1950年代には「8V」という高性能な高級GTカーも製造、数々の先進的な設計を次々と実用化・量産化した。

    第二次世界大戦後にジョヴァンニ・アニェッリの孫のジャンニ・アニェッリ(ジャンニは愛称、本名は祖父と同じジョヴァンニ)が経営を引き継いでからは、ランチア、フェラーリ、アルファ・ロメオ、マセラティ、アウトビアンキ、アバルトなど、イタリア国内の自動車メーカーなどを次々と傘下に収め、同国最大の自動車メーカーとなっている。また、商用車部門としてイヴェコ、電装部品部門としてマニエッティ・マレリなども傘下に収めている。現在のフィアット本体は主に比較的小型の大衆向け乗用車を生産し、高級車などは傘下のメーカーが生産している。

    イタリア国外進出
    第2次世界大戦前から国外進出に意欲的で、1934年にはフランスにシムカを設立させたほか、ドイツではNSUの自動車部門を買収し、「NSUフィアット」とした。戦後になってもスペインでセアト(現在はフォルクスワーゲングループ)を設立した。

    また、冷戦下において東欧圏への進出し、旧ソビエト連邦にプラントを輸出し、1970年にAvtoVAZが「ジグリ(輸出名『ラーダ』)」の生産を開始した他、ポーランドや旧ユーゴスラビアにも進出した。さらに南アメリカではアルゼンチンに進出した他、1970年代にはブラジルでも生産を始めた。

    またこの頃には、国営化されて以降高コスト体制と販売不振から経営苦境に陥っていたアルファロメオや、同じく経営不振に陥っていたランチア傘下に収め、イタリアの自動車業界を事実上独占することになる。

    経営不振
    この間、フィアットは石油ショックやその後の慢性的な労働争議により経営が不安定化し、1974年から1978年まで新型車の発表がなかった。リビアの元首カダフィ大佐からの融資を受け入れ、その後1980年代始めに発売された、斬新な設計の小型車「パンダ」と「ウーノ」の成功で窮地を脱した他、エンツォ・フェラーリ亡き後のフェラーリを完全子会社化した。しかし、1990年代は、「ブラーボ/ブラーバ」が成功したのを最後に、ヒット作に恵まれなかった。

    その後も低迷が続き、2000年より自動車部門でゼネラルモータースと提携していたが、GM側が2005年に一方的に提携を解消、買収契約に関する違約金、15.5億ユーロをゼネラルモータースから得た。

    経営建て直し
    その後は、傘下のフェラーリおよびマセラティの経営を立て直したルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ会長、およびセルジオ・マルキオンネCEOのもと、経営の建て直しをはじめた。

    その様な中でもアニェッリ一族による経営が基本にあり、2005年にはジャンニ・アニェッリの孫のジョン・エルカーンがフィアットの取締役に、その弟のラポ・エルカーンがブランドマーケティング担当部長に就任し、過去に使用していたロゴマークを復活させ、ロゴを入れたアパレルなどを展開し、世界的に大ヒットさせた。これらの功績を認められ、両氏は将来的にトップに就任することが予想されている[要出典]。

    また、経営建て直しの一環として、モンテゼーモロ会長の指揮のもと、2005年に相次いで3つの新型車を発表している。まず、導入が待たれていた新Dセグメントモデルを、かつて使用していた車名、「クロマ」の名で発表。ワゴン風の5ドアボディとなっている。続いて7月28日、フィアット社はプントの第3世代「グランデプント」を発表した。実際に全長が4mを超える、「グランデ」(大きい)サイズだが、それ以上に大きな命運がこの車種に懸かっているとされ、実際同モデルはその後2006年1月のヨーロッパ市場における販売台数1位になるなど、フィアット建て直しのシンボルとなった。

    さらに12月11日にはスズキとの共同開発による小型クロスオーバーSUV「セディチ(16、4×4=16から)」を発表。これらはいずれもジョルジェット・ジウジアーロとの協力でデザインされたものである。

    復活
    その様な中、1979年のデビュー以来根強い人気に支えられてきたパンダの後継であるニューパンダが2004年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

    その後、積極的な新車攻勢とブランドイメージの復活を受けて販売台数が増加し、2005年11月には単月黒字を計上したほか、その後も単月黒字を連続して達成。その他にもクロマの予想を上回る販売台数を得た他、グランデプントが2006年1月のヨーロッパ市場における販売台数1位になる。2006年第三四半期の販売台数も、ルノーやプジョーなどのライバルが前年比割れになる中、前年比増になるなど、長年の低迷から完全に復活したとの評価を受けている

    現在
    2007年にはグランデプントベースのセダン「リネア」、大失敗に終わったスティーロの後継車種「ブラーボ」(これまたかつての車名が復活)、往年のヒット作である「500」の新型をデビューさせる他、アバルト(Abarth)ブランドの復活(同モデルをベースに東京モーターショーで発表)を行う予定である。

    ラリー
    世界ラリー選手権(WRC)には早期から参戦しており、1970年代はグループ4マシンの「124アバルトラリー」、「131アバルトラリー」で上位に食い込む活躍をした。1980年代からはグループ会社のランチアのグループB及びグループA車両で参戦して好成績を残し、特にデルタで6連覇を果たした1987年〜1993年にかけては常勝ともいえる活躍をしていた。近年は経営悪化もあって活動を潜めていたが、プントでJWRCに継続的に参戦。2006年から本格的にシリーズ化されたS2000クラスにグランデ・プントで参戦しヨーロッパ選手権、イタリア選手権を制覇し、アバルトブランドを復活させた。

    長い歴史を持つフィアットは、社名ロゴと車両オーナメントの変更が多いことでも知られている。

    プチ情報
    • イタリアのマイアーニ社から「フィアット」という名のチョコレートが販売されている。1911年に、新車「タイプ4」の宣伝に使うためマイアーニ社に制作を依頼したのが誕生のきっかけ。
    • トリノ市の有力紙「ラ・スタンパ(La Stampa)」などの各種マスコミや各種製造業の多くもフィアットグループに属する。
    • イタリアサッカー1部リーグセリエAの強豪ユヴェントスは、フィアットのオーナー一族であるアニエッリ家が設立し、現在もオーナーとしてその資金・運営においてバックアップしている。そのため、ユーヴェの選手たちはフィアットグループの車に乗って(乗らされて)いる。
    • 2007年よりロードレース世界選手権MotoGPクラスにおいてヤマハチームのスポンサーとなっている。自動車会社が資本関係のない自動車会社のスポンサーとなるケースはトラック業界など以外では少ないが、チームにはフィアットと資本関係のあるフェラーリへの去就が噂されているバレンティーノ・ロッシ選手がいる。


    日本でのビジネス
    第二次世界大戦前より自動車の輸入が行われていたが、幾つかの変遷を経て1980年代に入ると、ジヤクス・カーセールス、チェッカーモータース、サミットモータース(住友商事)の大手3社によって全国展開された。

    1990年4月、フィアット・アルファロメオの正式な日本法人として「アルファロメオジャパン株式会社」が設立。全国正規販売網「アレ-ゼ」が構築され、アルファロメオと併売でフィアット車の販売を開始する。

    現在は日本法人の社名は「フィアット グループ オートモービルズ ジャパン株式会社」となり、日本でのフィアット&アルファロメオのビジネス(ランチア、マセラティ、フェラーリを除く)を統括している。


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    [ 2007/07/21 22:32 ] FIAT | TB(0) | CM(1)

    Lexus SC430 CM 1'00" 

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    初代(1991年-2001年)

    1989年にアメリカで開業したレクサスブランドで初めてのクーペとして開発され、1991年に「SC400」、1992年に「SC300」が、それぞれアメリカで発売された。デザインは、カリフォルニア州のデザインセンター「CALTY」による。日本では、同型車が「トヨタ・ソアラ」の3代目モデルとして1991年から販売されていた。

    アメリカでの評価は極めて高く、1992年にモータトレンド(Motor Trend)誌主催の「インポートカー・オブ・ザ・イヤー」を受賞、カーアンドドライバー(Car and Driver)誌の「テン・ベストカー」に1992年から4年連続で選出された。

    2代目(2001年- )
    自動開閉式のハードトップを持つ「クーペカブリオレ」として、2000年のパリサロンで公開され、2001年に発売された。エンジンは、レクサスLSにも搭載されていた4.3L V8エンジン(3UZ-FE)。初代とは異なり、デザインは欧州と日本で行われている。乗車定員は4名であるが、多くの高級オープンカー同様に後部座席は狭小であり着座には適さない。4シーターの設定であることは、アメリカでの保険料対策(2シーターのスポーツカーの保険料が高額)でもあると言われる。屋根の自動開閉という複雑な機構を持つにも関わらず、極めて信頼性の高い乗用車である。市場調査会社JDパワーによる初期品質調査では、2004年と2005年に高級車部門の第1位を獲得している。

    日本では、2001年からトヨタ・ソアラの4代目モデルとして販売されていた。2005年8月、レクサス開業に伴い、国外同様にレクサスSCとして再発売された。この際、デザインや装備などが若干の変更を受けている。レクサス店移籍後、価格が上昇したにもかかわらず、販売台数が倍増するという現象もあった。

    国内発表のレクサスモデルで唯一「L-finess」コンセプトに沿わないエクステリアデザインであるが、初代ヴィッツをデザインしたギリシャ人デザイナー、ソティリス・コヴォス(ヨーロッパにあるトヨタのデザインスタジオ「ED4」(旧・EPOC)に所属していた。)による美しくプレミアム感のあるエクステリアは、「全車中、最もレクサスらしい」デザインであるとも言われている。また、他のレクサスモデルと異なり、ヘッドライト横に北米法規サイドマーカーを装着していない。(バンパーに装着)

    北米で人気を獲得している一方、欧州での評価は芳しくない。顕著な例としては、イギリスの自動車評論番組TOPGEARに於いて、司会者3人が、「現在売られている車で最も欲しくない車」としてSCを選んでいる

    モータースポーツ
    2006年より、トヨタ・スープラの後継として、SUPER GTに参戦。日本でレクサスブランドの車種がモータースポーツで活躍するのは初めてとなる。鈴鹿サーキットでの開幕戦にてトムスの脇阪寿一/アンドレ・ロッテラー組(OPENINTERFACE TOM'S SC430)が優勝、デビューウィンとなった。また、この二人は、2006シーズンのシリーズチャンピオンの栄冠に輝き、SC430のSUPER GTデビューイヤーチャンピオンを飾った。 また、2007年も同じく鈴鹿サーキットの開幕戦で、セルモの立川祐路/高木虎之助組(ZENTセルモSC430)が優勝、SCに開幕2連覇(スープラ時代も含めると3連覇)をもたらした。

    なお、2007年シーズンよりスープラは完全に撤退し、GT500のトヨタワークスのチームはすべてSC430を使用している。


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    [ 2007/07/22 22:38 ] LEXUS | TB(0) | CM(0)

    Toyota Camry 1989 CM 0'30" 

    トップページTOYOTAカテゴリーToyota Camry 1989 CM
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    3代目(1986-1990年)V20型
    1986年8月登場。エンジンは、2000ccのみトヨタ初となるハイメカツインカム(3S-FE型)エンジンが搭載された。ほかに1800cc(1S-i型)と2000ccターボディーゼル(2C-T型)、更に先代から引き続き2000ccスポーツツインカム(3S-GE型、2.0GTのみ)が用意された。

    • エクステリアは、カリーナEDや2代目ソアラから始まった当時のトヨタデザインのトレンドに沿い、角と丸を巧みに融合させたもので、モールやメッキ類の採用で車格感も高められている。
    • インテリアは先代の比較的シンプルなものから一転し、上位車種であるマークIIに匹敵する豪華なものとなった。一部の上級グレードではCDプレーヤーやクルーズコントロールがオプションで選べるなど、装備の面でもこれらに劣らない豪華さを誇った。フロントウインドウの傾斜もきつくなり、先代のような圧倒的な室内広さは実感できなくなり、初のFF中型車として実験的な色彩が感じられた先代とは違う、トヨタ車としてごく普通の車となった。
    • 1987年4月 - 新開発された2000ccV6エンジンを搭載した『プロミネント』(VZV20型)も登場。フロントグリルの形状が異なり、豪華装備がさらに追加される点などが4気筒モデルとの違いであった。
    • プロミネントのエンジンは2000ccV型6気筒DOHCの1VZ-FE型で、最高出力は103kw 140ps)/6000rpm・最大トルクは174Nm(17.7kg・m)/4600rpmを発揮。
    • 1987年10月 直列4気筒2000cc(3S-FE型)モデルにはビスカスカップリング方式のフルタイム4WDも追加され、バリエーションが豊富になった。
    • 1988年8月のマイナーチェンジでは1800ccもハイメカツインカム化された(1S-i型OHCエンジンから4S-Fi型DOHCエンジンに換装)。同時にプロミネントシリーズのみに4ドアハードトップと2000cc4WDにAT車が追加されている。
    • 海外ではステーションワゴンも存在したが、日本市場向けラインナップに追加されることはなかった。
    • HTのプロミネントは、北米でレクサスが発足した当初、ES250として販売された。フロントグリルなどが同時に登場したLS400(初代セルシオ)に似せた造形になっているのが国内仕様との違いであった。
    • ES250のエンジンは2500ccV型6気筒DOHCの2VZ-FE型で、最高出力は116kw(158ps)/5800rpm・最大トルクは206Nm(21kg・m)/4600rpmを発揮。
    • 国内ではトヨタのFFと4WD車のラインナップ上の最上級車種として、またカローラ店の最上級車種として、時の『ハイソカー』ブームにうまく乗った戦略が功を奏し、なかなかの成功を収める。その豪華さから「FF版マークII」とも呼ばれた。
    • ちなみに前期型のデビュー当初、CMに出演する子役を募集していたことがある。


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    [ 2007/07/23 22:43 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

    Brigestone 犬のCM 1'00" 

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    株式会社ブリヂストン(英語名: BRIDGESTONE CORPORATION) は、世界最大のゴム・タイヤメーカー。本社は東京都中央区京橋。

    2005年フランスのミシュラン社を抜き世界シェアトップとなる。連結従業員数はおよそ12万6千人(2006年現在)。生産拠点数は25カ国165拠点(2006年現在)。連結売上高はおよそ3兆円(2006年現在)。売上高のおよそ2割はタイヤ以外の多角化事業での売上。スポーツ用品事業と自転車事業はグループ子会社。

    社名は、創業者の石橋正二郎にちなみ英語の「ブリッジ」(橋)と「ストーン」(石)を合成したもの。姓を直訳して、「ストーンブリッジ」では語呂が悪いので、逆さにして「ブリヂストン」になったという。ブリヂストンを略して「BS」と称される事が多い(1967〜84年当時のマークにBSが使われた)。

    沿革
    • 1930年、日本足袋株式会社(現・アサヒコーポレーション)タイヤ部の手により、純国産タイヤの第1号が生まれる。
    • 1931年3月1日、日本足袋株式会社タイヤ部から独立する形で、福岡県久留米市に「ブリッヂストンタイヤ株式会社」設立。
    • 1934年、久留米工場完成。本格的に量産開始。
    • 1937年、本社を東京に移転。
    • 1942年、戦争激化に伴い、英語表記の社名を「日本タイヤ株式会社」に改称。
    • 1951年、社名を「ブリヂストンタイヤ株式会社」に再び改称。
    • 1962年、日本初のトラック用スチールラジアルタイヤ開発。
    • 1964年、日本初の乗用車用ラジアルタイヤ開発。
    • 1965年、マレーシアに、戦後初の海外工場を設立。
    • 1967年、アメリカに、販売会社「ブリヂストン・アメリカ」を設立。
    • 1968年、デミング賞受賞。
    • 1970年、第1回「ブリヂストンゴルフトーナメント」(現「ブリヂストンオープン」)開催。
    • 1981年、提供番組「ベストヒットUSA」(テレビ朝日)放送開始。
    • 1982年、日本初のスタッドレスタイヤ発売。
    • 1983年、アメリカのファイアストン社のナッシュビル工場を買収。
    • 1984年、社名を「株式会社ブリヂストン」に改称。(現在のコーポレート・シンボル導入)
    • 1988年、アメリカのファイアストン社を正式に買収、子会社化。
    • 1989年、アメリカの子会社を再編、「ブリヂストン/ファイアストン・インク」設立。
    • 1990年、ヨーロッパ統括会社として、「ブリヂストン/ファイアストン・ヨーロッパ エス エー」を設立。
    • 1993年、スポーツ関連用品事業を、ブリヂストンスポーツに統合。
    • 1994年、ヨーロッパにおける事業を、「ブリヂストン/ファイアストン・ヨーロッパ エス エー」に統合
    • 1997年、F1に参戦。
    • 2001年、「ブリヂストン/ファイアストン・インク」が持株会社制を導入。(「ブリヂストン/ファイアストン アメリカス ホールディング・インク」)
    • 2002年、創業者の石橋正二郎が日本自動車殿堂入り。
    • 2003年、アメリカの統括子会社の社名を「ブリヂストン アメリカス ホールディング・インク」に、同様にヨーロッパの統括子会社の社名を「ブリヂストン ヨーロッパ エヌヴイ エスエー」に変更。
    • 2004年、中国にタイヤ事業を統括する普利司通(中国)投資有限公司を設立。
    • 2005年、日本市場向けとしては24年ぶりとなる新ブランド「Playz(プレイズ)」を発売。
    • 2006年、ブリヂストン アメリカス ホールディング・インク、再生タイヤ大手バンダグ社(Bandag Inc.)を買収。石橋正二郎が米国自動車殿堂入り。戦略的事業ユニット(SBU)、グローバル経営プラットフォーム(GMP)、グローバル本社(GHO)からなる組織改革を実施。
    タイヤ部門
    乗用車用/トラック・バス用/建設・産業・農業車両用/航空機用/二輪自動車用のタイヤ・チューブほか。

    化工品部門
    自動車関連部品、ウレタンフォーム及びその関連用品、事務機器用精密部品、工業用資材関連用品、建築・配管関連用品、土木・海洋関連用品ほか。

    主なブランド(タイヤ)
    • POTENZA(ポテンザ)シリーズ - スポーツドライブ派向けのブランド。F1などでの展開が有名。モータースポーツに於いては古くから多くの支持を得ている。
    • REGNO(レグノ)シリーズ - 乗り心地・静粛性優先派向けのブランド。その乗り心地と操縦安定性、高い静粛性には定評がある。
    • Playzシリーズ(プレイズ) - 運転者や同乗者のストレス軽減を主目的に開発された新しいブランド。軽自動車から大型セダン、ミニバン、スポーツカーまで、幅広い車種に対応する。
    • Bシリーズ(BスタイルEX、BスタイルRVなど) - ウェット時の性能と転がり抵抗の低減、コストパフォーマンスを狙って開発されたブランド。
    • SNEAKERシリーズ(スニーカー) - 主に軽自動車やリッターカー、小型乗用車向けのブランド。
    • DUELERシリーズ(デューラー) - 4×4 (SUV) 車用タイヤのブランド。
    • JEEP SERVICE(ジープサービス) - オフロードに於ける走破性能に特化されたバイアスタイヤ。現行では主に不整地を走行するトラック用として位置づけられているが、不整地走行を趣味とするクロスカントリー車のユーザーから根強い支持を集め続けているロングセラーブランド。
    • BLIZZAKシリーズ(ブリザック) - 冬用スタッドレスタイヤのブランド。雪国での装着率は非常に高い。
    • BATTLAX(バトラックス) - オートバイ用のタイヤのブランド。
    • ECOPIA(エコピア) - トラック・バス用の省燃費タイヤのブランド。
    • GREATEC(グレイテック) - トラック・バス用の超偏平タイヤのブランド。後輪の2本(複輪)のタイヤを1本(単輪)化できる。
    特記事項
    • 社名は、正式には「シ」に濁点ではなく「チ」に濁点のブリヂストンである。
    • 売上高の所在地別内訳は、日本国内は3割程でしかなく、6割が米欧州である。
    • 2006年現在、世界シェアベースで競合のミシュラン(仏)とグッドイヤー(米)を抜き、世界第1位である。(出展=タイヤビジネス誌)又、売上高ベースでも世界第1位である。(出展=フォーチュン誌)
    • 2007年10月に、2008年からの5年間で設備投資費を1兆3千億円まで増額し、インドや東欧等での生産能力を上げる事を発表したが、これにより2012年の連結売上高は4兆円の大台に達する見込みとなった。
    • 子会社ブリヂストンサイクルで自転車事業を展開するが、現在は自転車用タイヤの自社生産は行っていない。
    • 1950年代にはブリヂストンサイクルでオートバイを製造したこともあったが、撤退した。
    • 日本足袋から独立した経緯がある為、その後身にあたるアサヒコーポレーションからブリヂストンブランドの靴を発売している。
    • シンボルマークとして、現在はアルファベットのBをかたどったマークが使われている。このマークはタイヤや自転車といった製品に表示されている他に、モータースポーツの分野でもブランドロゴとして使われている。
    • 旧ロゴ時代に『2キロに1店、ブリヂストンのサービスショップ』というCMをやっていた。
    • 2006年のドイツGPにおいてF1通算100勝を達成。
    • 2007年からは、F1でのミシュラン撤退でブリヂストンのワンメイクとなる(契約上は2008年度〜2011年度)。トヨタ、ウィリアムズは2006年にミシュランからブリヂストンに変更。
    • F1で使用されるソフトタイヤの白いラインは、白の特製マジックインキによるスタッフの手書きである。
    • 国内で市販されているタイヤは、基本的にブリヂストン本体から、各都道府県にある販売子会社がタイヤを買い、市場に供給している。尚、他のタイヤメーカーも同様の販売ルート体制である。
    • 本社ビルには現在ブリヂストン美術館が入っているが、かつては旧住友銀行も間借りしていた。


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    [ 2007/07/24 22:58 ] BRIDGESTONE | TB(0) | CM(0)

    Toyota Rav4 (8) 1'00" 

    トップページTOYOTAカテゴリーToyota Rav4 (8)
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    名前の由来
    Recreational Active Vehicle 4Wheel Drive を略したもの。 またRAV4LのLはLiberty、RAV4JのJはJoyfulを表す。

    モノコック構造の乗用車をベースにしたオフロード車「クロスオーバーSUV」の先駆となった車種である。RAV4の成功を受け他社もCR-V(本田技研工業)、エクストレイル(日産)、フォレスター(スバル)などのクロスオーバーSUVを製造するなどSUV市場に大きな影響を与えた。尚、RAV4の登場に先んじて日本市場ではエスクードが販売されていたが、エスクードはデザインやサイズ等はRAV4等のクロスオーバーSUVと酷似しているものの、本質的には堅牢なラダーフレーム構造を持つクロスカントリー車であるという点で異なる。

    初代RAV4は本国の日本で言う「5ナンバーサイズ」に収まるコンパクトなサイズのSUVであったが、モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、 2代目で3ナンバーサイズとなった。そして3代目は日本国外での販売を重視した事もあり全幅が「5ナンバーサイズ」を大きく超える1815mmになるまでに至った。これによりRAV4は日本ではコンパクトとは言えないサイズとなったが、軽自動車ベースのキャミのフルモデルチェンジを目前に控えており、新型(ラッシュで登場)をひとまわり大きくするため、それに伴う競合を避けるためであろう。主要市場の欧米においては他車種よりもコンパクトなサイズとなっている。生産はトヨタ自動車田原工場とグループ会社の豊田自動織機である。

    その後RAV4はSUVのカローラと呼べるまでに世界中で販売台数を延ばしており、欧州全域・北米・南米・オセアニア・中国・東南アジア・南アフリカなど世界200ヶ国以上で使用される世界戦略車である。

    初代のRAV4は、1993年の東京モーターショーにほぼ市販車の形の参考出品車が披露された後、1994年5月に発売。

    セリカなどのコンポーネンツを流用しながらも、開発を、ランドクルーザーをはじめとする本格オフロードカーを手がける第三開発センターが担当したことから、フロアパネルは独自のものとされ、リアサスペンションも、鍛造リンクを用いた仮想球面支持の専用品となるなど、オン・オフ両面の性能追求のため、惜しみなく技術が投入されることとなった。

    パワートレーンは、直列4気筒 2.0Lガソリンエンジンとトランスミッションを横置きに搭載し、ドライブトレーンは、ベベルギア式のセンターデフを持つ、本格的なフルタイム4WDである。

    当初はコンパクトな3ドアシティユースRVとして登場し、他メーカーに競合車がほとんどなかったことや、CMキャラクターの木村拓哉の影響もあり、好評を博す。 1995年4月には、ホイールベースを延長し、居住性と利便性を向上させた5ドアモデル「RAV4 V(ラヴフォーファイブ)」が追加された。

    しかし、1995年10月にホンダから同クラスではあるものの、センターデフを省略したスタンバイ4WDとするなど、徹底したコストダウンで低価格戦略を採るCR-Vがリリースされ、3ナンバーボディとコラム式ATなどを武器にシェアを伸ばしたため、以後苦戦する。CR-Vに対抗するために、スポーツエンジンである3S-GEを搭載した3ナンバーボディのスポーツモデル、Type Gも追加された。

    シティユースを目的とした車ではあるものの、余裕のある最低地上高や優秀な4WD性能、及びボディ下部が破損しにくい樹脂プロテクターで覆われている事などから、プライベートでは足回りのチューニングを施しオフロードでも力を発揮させるケースもあった。ボルトオンターボも少数ではあるが販売されている。また、セリカGT-FOURに搭載された3S-GTEをスワップしてターボ化も可能である(ワンオフする部分もあり)。

    RAV4をベースとした電気自動車のRAV4EVも後にフリート発売された。

    2代目RAV4は、2000年5月に登場。海外戦略を重視した為に同年のジュネーブモーターショーで海外先行デビューした。カローラ系のコンポーネンツを使用するがフロアパネルは先代同様に専用設計となっている。エンジンは2WD用に1ZZ-FE(1.8L)と4WD用に1AZ-FSE(2.0L直噴)が設定されている。グレードは下からX、X-G、エアロスポーツ、ワイドスポーツの4つでそれぞれに4ATと5MTが組み合わされていたが、2003年8月のマイナーチェンジ時にエアロスポーツ及び、各MT仕様が廃止された。

    当モデルは先代の弱点であった室内空間の貧弱さを克服する方策としてボディサイズを拡大し全モデルで3ナンバーボディサイズとなった(それでも他社製の同クラスSUVに比べると小型であった)。また先代モデルが3ドアモデルメインの開発であったことに対し、当モデルではより居住空間に優れた5ドアモデルメインの開発が行われた。内外装の質向上も著しく、よりシティユースを志向したモデルであると言える。しかし走行性能や室内ユーティリティを強化した2代目 CR-Vや、レジャーユーティリティとスポーツ性能を両立させたエクストレイル等のライバルに再び苦戦を強いられ、さらには日本国内でのSUVブームの沈静化もあり最終的に良好なセールスを記録するには至らなかった。反面、欧米では非常に人気が高く輸出仕様には本革シートを装備したモデルやターボエンジンを搭載したモデルも存在している。CMキャラクターは女優の木村佳乃。

    余談だが、当モデルは2004年-2005年にかけて主に関東方面で組織的な車両盗難被害が頻発した経緯がある。 他社の同クラスSUVを差し置いてRAV4だけが狙われた理由は不明だが、上位車種が軒並み盗難防止装置を強化し盗みにくくなったこともその遠因であろう。

    2005年11月14日3代目RAV4が発売。同年のフランクフルトモーターショーで海外先行デビューした。トヨタの「MCプラットフォーム」を進化させた「新MCプラットフォーム」を初めて採用した市販車。エンジンは1種類で2AZ-FE(2.4L)のみ。グレードは下からX、G、スポーツの3つ。全モデルでCVTのみの設定となる。4WD性能はこれまでのビスカスカップリング式フルタイム4WDではなく、電子制御式4WDに変更された。

    当モデルは先代モデルに比べてさらにボディサイズが拡大され海外市場をより強く意識した内容となっている。また初代から設定されていた3ドアモデルが廃止され5ドアモデルのみの設定となるが、日本国内では2007年8月から派生車種ヴァンガードとして発売された海外向け(欧州以外)モデルは荷室などを延長したロングボディであり、ドア枚数こそ変わらないもののこれまで通りロングとショートの2種類のボディタイプを持つSUVであると言える。 尚、ロングタイプでは3列シートも選択可能で、エンジンは2.4L 直4の他に3.5L V6(北米、豪州等のみ)エンジンも用意されている。

    欧州向けは日本と同じサイズのショートボディであり、4WDモデルしか設定されていない。また他の地域ではみられない、1AZ-FE(2.0L)および 2AD-FTV(2.2Lディーゼル,135ps)、2AD-FHV(2.2Lディーゼル,180ps)エンジンを搭載したモデルもある。なお、ディーゼルエンジンと組み合わされるトランスミッションは6MTのみとなっている。

    日本ではフロントエンブレムに従来のトヨタマークではなく"N"をかたどったエンブレムを採用。これはネッツ店で専売となった車種に順次採用されている。尚、ネッツ店専売モデルになったことで販売店区別であったサブネームの「J」と「L」が消滅しRAV4に車名統合された。これらの取扱車種の統廃合によってRAV4と同じくカローラ店とネッツ店で併売されていたクルーガーはカローラ店の専売モデルとなったが、2007年6月RAV4ロングボディ日本仕様(ヴァンガード)を後継に発売中止となった。

    製作工場は 田原工場 及び 豊田自動織機 長草工場である。 2006年5月より、元宝塚の紺野まひるがテレビCMに出演。CMソングはKOTOの「LOVE FOR YOU」。
    2007年9月6日に特別仕様車X Limited を発売。

    2代目まではRAV4Lはトヨタカローラ店系、RAV4Jはネッツトヨタ店(旧トヨタオート店)系にて取扱っていたが、3代目はネッツ専売となった。


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    [ 2007/07/25 22:49 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

    Mercedes Benz SLK Class 1'32" 

    トップページMERCEDES BENZカテゴリーMercedes Benz SLK Class
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    メルセデス・ベンツ (Mercedes-Benz) は、ドイツの自動車会社、 ダイムラー(2007年〜)が所有する乗用車、バス、トラックのブランドである。 1926年のほとんど同時期に設立された世界最古の自動車会社である、ベンツ&シー・ライニッシェ・ガスモトーレン・ファブリーク(1883年〜1926年)とダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト(1890年〜1926年)で1900年から使用されていた「メルセデス」を始まりとし、その後1926年の合併により、正式に「メルセデス・ベンツ」ブランドがスタートした。以降、社名はダイムラー・ベンツ(1926年〜1998年)、ダイムラー・クライスラー(1998年〜2007年)と変更されるも、ブランド名の変更はない。

    ドイツ、シュトゥットガルトを拠点に、乗用車と商用車を「メルセデス・ベンツ」のブランドで展開している。

    2代目(2004年〜)R171
    2004年にモデルチェンジされ、2代目に移行した。エクステリアは躍動感と攻撃性を増したデザインに変貌を遂げ、特にノーズ(鼻)部のデザインはSLRマクラーレンを連想させるものとなっている。サイズは4082x1788x1298(mm)。

    日本では、当初先代では売れ筋であった直列4気筒エンジン搭載モデルの導入が見送られ、新世代の3.5L V6エンジン(272)を積む「SLK350」とAMGモデルの「SLK55 AMG」が販売されていた。価格は672〜960万円。

    「SLK55 AMG」は専用のフロントグリルやAMG製のエアロパーツ、強化ブレーキ、パドルシフト、スポーツサスペンションを装備している。

    2005年8月、3.0L V6エンジン(272M30)を搭載する「SLK280」を追加(価格は615万円)。 同時に「SLK350」は722万円に、「SLK55 AMG」は1050万円に値上げされた。

    • SLK55 AMG:5.4L V型8気筒SOHCエンジン(360ps/52.0kgm)、7速AT、駆動方式はFR。
    • SLK350:3.5L V型6気筒DOHCエンジン(272ps/35.7kgm)、7速AT、駆動方式はFR。
    • SLK280:3.0L V型6気筒DOHCエンジン(231ps/30.6kgm)、7速AT、駆動方式はFR。
    2006年2月、直列4気筒エンジン搭載モデルの「SLK200 コンプレッサー」を追加。価格は552万円。

    現在、「SLK55 AMG」にセーフティカーに準じた強化パーツを組み込んだ「パフォーマンスパッケージ」(受注生産)が用意される。また、「SLK280」「SLK200 コンプレッサー」には大型のアルミホイールやスポーツサスペンションを装着した「スポーツパッケージ」、「SLK350」にはAMG製のアルミホイール、パドルシフトが装着される「AMG スポーツパッケージ」が存在する。

    • SLK55 AMG:5.4L V型8気筒SOHCエンジン(360ps/52.0kgm)、7速AT、駆動方式はFR。
    • SLK350:3.5L V型6気筒DOHCエンジン(272ps/35.7kgm)、7速AT、駆動方式はFR。
    • SLK280:3.0L V型6気筒DOHCエンジン(231ps/30.6kgm)、7速AT、駆動方式はFR。
    • SLK200 コンプレッサー:スーパーチャージャー付き 1.8L 直列4気筒DOHCエンジン(163ps/24.5kgm)、5速AT、駆動方式はFR。


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    [ 2007/07/26 22:20 ] MERCEDES BENZ | TB(0) | CM(0)

    Ford Mustang GT 2006 0'35" 

    トップページFORDカテゴリーFord Mustang GT 2006
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    シェルビー・マスタング(Shelby Mustang)は、アメリカ合衆国のフォード・モーターが製造する乗用車である。また過去にシェルビー社がフォード・マスタングをベースにチューニングカーとしてモディファイ、販売(ただしシェルビー社として日本での販売実績はない)を行った経緯がある。したがってマスタングをベースにした特定車種を指す総称であり、モデル名ではない。

    マスタングをベースにキャロル・シェルビー(の会社)が手がけた、いわゆるレース向けのチューニングカーで、マスタングの上位モデル/フラッグシップモデルとしてフォード・モーターから販売されている。 1965年から1969年まで製造され、一部のエンスージアストから人気があり、フォードの懐古路線戦略により2006年復活する。 マスタング・コブラ等、「コブラ」の名前とバッジを与えられる事が多い(混同しやすいがシェルビー・コブラは別の車種)。またエンジンユニットにはバルブカバー、もしくはエアクリーナヘッドにコブラのマークもしくはロゴが与えられているのも特徴。 ただしキャロル・シェルビーが手がけたものではないマスタングの上位モデルとして「コブラ」の名前を受け継いだモデル(マスタング・コブラ、マスタング・キングコブラ等)もあるが、それらはシェルビー・マスタングとは呼ばない。あくまでもキャロル・シェルビーが手がけたマスタングの事を指す。

    1965 GT350/GT350R
    1964年、フォード・モーターはマスタングの製造、販売を開始。それに伴いフォード・モーターはマスタングの販売促進の為、SCCAのロードレース参戦を決意。マスタング・ファストバックをベースにしたロードレース用のハイパフォーマンスモデルの開発をシェルビーに委託し、GT350の開発に至る。当時のSCCS Bプロダクション・ホモロゲーション取得には、100台以上の製造販売などが条件であったが、レース出場の約款には市販車から軽量化などのライトチューニングのみ(エンジン、サスペンション、ブレーキ変更不可)で行うというものであった。そのため、市販車がそのままレースに適応できる状態にする必要があった。 GT350はこうした当時のレースシーン、ナショナリズム(アメリカの)、オイルショック前の時代背景といった複合的背景をもって生まれた。

    レース適用の為、ボンネットはFRP、レース用LSD、サスペンションもレース用に強化されたものを、さらにエンジンは289ci(ciはキュービックインチ。289ci は約4.7L)のフォードウィンザーエンジンのハイパフォーマンスバージョンを装備。このユニットはマスタングのオプション用エンジンをベースにシェルビーアメリカン社がさらにチューニング。通常の289ciエンジンよりも高回転で、最高出力は309馬力@6000rpm(from 289 Hi)。

    さらに細かいところでは、遮音材、制振材、ヒーター、パワーステアリングなど快適性を求めるものは一切排除し、軽量化のためアルミケースのトランスミッションや、重量配分などを考慮してバッテリーがトランクに、スペアタイアが車内に移動した。またホモロゲーションが2シータ車であったことなどから、リアシートは取り除かれていた。

    外見的なマスタング・ファストバックとの差は、フロントグリルおよびサイドのバッジとボンネット中央のフードシェイカー。リアの中央にある給油口もコブラのエンブレムがある。色は白地のみで、オプションでストライプ(青)をいれる事が可能。またGT350とGT350Rの間に安全装備以外のスペック的な差はなく、エクステリアでフロントバンパーがFRP化されていた事と、フロント以外の窓がアクリル化していただけである。

    1965年製造モデルはストリートモデル(通常版)が516台、ドラッグレースモデル(GT350R)が9台、その他(プロトタイプなど)が37台、合計562台とされているが、実際はストリートモデル(GT350)が526台、GT350Rが36台となった。製造、販売はシェルビー・アメリカン社。

    1966 GT350/GT350H
    レース指向が強すぎた1965年モデルとは対照的に1966年モデルでは、一般人に受け入れられるようデチューンが施される。レースシーンでは1965年以降、3年に渡りSCCA Bプロダクションで優勝はもちろん、上位独占という華々しいものであった。しかしその実績、人気とは裏腹にGT350の市販車はあまりに評判が悪かった。それは必要以上にレース指向に傾いた仕様に起因していた。そのためフォードのイメージ戦略として市販車の評判を向上させるべく快適性を1966年モデル以降で向上させた。それは足回りやトランスミッションなどのレース指向のスパルタンなパーツはほぼオプション化、オートマティックトランスミッションやエアコン、ラジオの取り付けオプション選択が可能となり、リアシートも折り畳み式に変更。また色の選択も可能となった。 ちなみに外見的な特徴は、サイドクオーターが窓化されたくらいで、1965年モデルとほとんど変わっていない。

    最大の特徴はハーツレンタルカーバージョンの製造が挙げられる。ハーツレンタルカーバージョンはGT350Hとして米国のハーツレンタカー店舗に提供された。これは誰でもスペシャルなマスタングを体験してもらいたいというシェルビーとフォードの意図によるものである。ちなみにGT350Hは一般に販売される事はなかった。 GT350Hの典型的なカラーは黒で(約1000台中、800台)、すべて金のストライプが入っている。

    またキャロル・シェルビーが熱望したコンバーチブルバージョンが製造されている。

    1966年製造モデルはGT350Hも含め2380台(うち6台はキャロル・シェルビーによる特注のコンバーチブル)。

    1967 GT350/GT500
    1967年モデルは外装が大きく変化した。同年にマイナーチェンジが施されたフォード・マスタングをベースにしており、よりエアロダイナミクスを考慮した外装となった。またこのモデルより排気量を向上させたGT500を投入。レース色が濃すぎたイメージを払拭するべくより快適性を求め、マスタングの上位/フラッグシップモデル指向が強くなった。またコブラのバッジが与えられたのもこのモデルからである。

    1967年モデルから追加されたGT500は、428ci(約7.0L)、最高出力が355馬力@5400rpmのV8エンジンを与えられた。そのためトランスミッションもフォード製の強化タイプが適用された。GT350は従来通りの289HiPoモデル。GT350とGT500の差はエンジンのみである。

    ちなみに1967年モデルはフロント周辺外装が2種類存在する。それはハイビームランプの位置である(ラジエータグリルに設置されたランプはフォグランプではなくハイビームランプ)。サイドに位置するメインのランプに挟まれたラジエータグリルにハイビームランプがセットされるのだが、中央に2つ並んでセットされたバージョンと、ラジエータグリルの両端にセットされメインランプと並ぶバージョンがある。これは当時、ランプの横にハイビームランプを設置しなければならないという法律がカリフォルニア州、ペンシルベニア州などいくつかの州で定められていたため、当該する州ではラジエターグリルの両端にハイビームランプがセットされた。またテールランプは1967年型マーキュリー・クーガーからの流用。

    1968 GT350/GT500/GT500KR
    1968年モデルはフォード・マスタングのカタログモデルとなった事と、外装、仕様がさらに変化した。外装はラジエータグリルが大きくなり、またハイビームランプも円形から長方形に変更。些細なところではテールランプが1965年型フォード・サンダーバードからの流用。エンジンではGT350には302ci(約4.9L)V8が与えられた。これは前年までの289HiPoと同じくGT350用にハイパフォーマンスチューニングが施されており、315馬力@5000rpmである(from 302)。 GT500は前年と変わらないエンジンモデルであった吸気ユニットに変更があり、最高出力が360馬力@5400rpmとなった。

    1968年モデルで特筆すべきは、GT500KRが加わった事である。KRはキングオブロード(King of Road)の略であり、その名の通りGT500を凌駕するスペックが与えられた。エンジンは428コブラ・ジェット、ショックアブソーバ、トラクションロックLSDなど様々な点でGT500を上回る装備が与えられた。しかしカタログ上のスペックは最高出力335馬力@5200rpmとGT500を下回っている。これは過激な馬力競争、いわゆるマッスルカーの渦中にあり厳しい検査を逃れる為だと言われている。ちなみにこの数値はねつ造ではなく、吸気排気システムをすべて設置して計測した数値。通常のカタログでは吸気排気システムをすべて取り払い、エンジン単体で数値計測を行った数値を載せている。

    またそれぞれのモデルにコンバーチブルもカタログモデルとして投入されており、コンバーチブルには車体剛性を補強するロールバーが標準装備となる。

    シェルビー・マスタングを取り巻く周辺の出来事としては、1968年、シェルビー・アメリカン社は3つに分社化される。レース専門のシェルビー・レーシング社、パーツサプライヤーとなったシェルビー・パーツ社、そしてフォードの下請けとなりFRPパーツなどを生産するシェルビー・オートモーティブ社である。これはシェルビー・アメリカン社が製造、販売が困難になり、またキャロル・シェルビーがレースに専念したいという思惑などの背景がある。その分社化の一環で「コブラ」の商標がシェルビー・アメリカン社からフォード・モーターに売却された。

    1969 GT350/GT500
    1969年モデルは再度、外装を変更する事となった。同年デビューしたフォード・マスタング・マッハ1をベースにフルモデルチェンジと言っても過言ではないほどの変貌を遂げている。スペックとしてGT350のエンジンユニットが351ci(約5.8L)の最高出力290馬力@4800rpm。バルブカバーにはコブラのマークを入れいかにもスペシャルチューンに見せていたが、中身はマスタング・マッハ1のエンジンと同一であった。GT500のエンジンもまた、前年モデルの GT500KRと同一の428コブラジェット。スペックとして大きな変貌はなかった。

    シェルビー・マスタングの歴史はこのモデルで一旦幕を下ろす事となった。フォード・モーターの戦略として、既にマスタング・マッハ1、マスタング・ BOSSという新しいモデルを投入しており、レースシーンもSCCA Tras-Amへと主力ステージを変更しつつあった。大排気量を武器に高スペックとレース指向のいわゆるマッスルカーの市場も狭まりつつ、存在意義も疑問視されていた。それは社会情勢としての背景もある。ベトナム戦争の長期化など国家としての疲弊や、社会情勢の不安やエネルギー問題の浮上などが挙げられる。何より1969年モデルが顕著なのだが、シェルビーというレース名門ブランドを冠したただの車になっている実情があった。発祥はレースにも適用できるロードゴーイングカーであったシェルビー・マスタングもデチューンを繰り返し、上がるのは排気量とエンジンスペックのみ。そしてそれらを補う意味でギミックやデコレートが増える一方であった。その現状を鑑みフォード・モーターとキャロル・シェルビーはシェルビー・マスタングの開発を中止にした。

    2007 フォード・シェルビー GT500
    2005年、フォード・モーターは5代目マスタングを発売した。その外見は初代をモチーフにしたデザインであった。理由はいくつか挙げられるが、フォード設立100周年記念事業のまっただなかであり、車の流行も懐古路線に傾きつつある。そうした背景の中でフォード・サンダーバード、フォード・GTと往年の名車を彷彿させるデザインの新車を発表しており、その事業の一環としてマスタングも懐古路線をたどる事になり、シェルビーが手がけたスペシャル・マスタングもまた同様に復活を遂げる事となった。ただし1965年当時(GT500だから1967年当時でも)と決定的に違うのはフォードが主導を握り、フォード Special Vehicle Team(SVT)がこのマシンを作っている点である。しかしフォードと関わりを持つキャロル・シェルビーの意見をスペックから外装に関するものまで取り入れているため、シェルビーの名前とバッジが与えられている。

    このモデルのプロトタイプが発表,公開されたのは2005年のニューヨーク国際オートショーが最初である。プロトタイプとはいえ、このとき既に量産を可能なモデルとなっていた。実際、2006年秋に売り出された2007年型GT500と同等のスペックであった。 そのエンジンユニットはスーパーチャージャー付き5.4L(330ci)32バルブDOHC V8エンジンで、カタログスペックでは500馬力@6000rpmとある。(from SVT)

    ボディタイプはクーペとコンパーチブル。ちなみに中央と側面のストライプをオプションで入れる事が可能だが、2008年モデルより赤のストライプを選択する事が出来る。


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    [ 2007/07/27 09:19 ] FORD | TB(0) | CM(0)

    Mazda Demio 0'35" 

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    2002年8月7日発表。日本国外ではMazda2のネーミングで販売されている。初代型の「広く実用的なコンパクトカー」としてのコンセプトを継承しながらも、「急造車」の初代からエンジン・プラットフォームを一新し、市場競争力を確保した。

    初代型にも使われた旧小型車用プラットフォームの使用をやめ、17年ぶりにフォードと共同開発した新世代小型車用プラットフォームであるマツダ・DYプラットフォームを使用している。 エンジンは先代と同じクラスの1,300ccと1,500ccだが、いずれも新開発の「MZR」系エンジンに一新されている。可変バルブタイミング仕様DOHC・後方排気レイアウト(触媒加熱性能向上を企図した)を採用し、エンジン特性改善や燃費・環境対策を図っている。駆動方式は前輪駆動のほか、日産自動車より供給されるe-4WD方式の四輪駆動が設定された。

    ボディは先代の機能主義なミニバンコンセプトを継承しつつも、マツダが戦略として打ち出した「スポーティ」な方向にデザインされ、グリル・ボンネット形状などのモチーフは上位クラスのマツダ車と共通性を持たせて、イメージを統一している。リアコンビネーションランプは縦型から横型に変更された[1]。車体後部の車名エンブレムは、アテンザ、アクセラ等と同様な斜体のレタリングを用いたDemioに変更された。「フェスティバ」以来のキャンバストップ仕様も設定されている。

    2005年4月13日に大規模なマイナーチェンジを実施。グレード形態の見直しと、フロントグリル・ヘッドランプ・リアバンパーのデザインを一新し、一部内装デザインの変更が行われた。また、市販オーディオが後付けできるようになるオーディオレス仕様が設定された


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    [ 2007/07/28 23:15 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

    Volkswagen Golf GTI (4) 0'30" 

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    ゴルフ( Golf )はドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲンの主力モデルであるハッチバック型の自動車。2007年時点での現行モデルは5代目。車名の由来はスポーツのゴルフではなく、「メキシコ湾流の風(ドイツ語でゴルフシュトローム Der Golfstrom 、英語のガルフストリーム the Gulf Stream に当たる)」である。VWの車名は、風の名前から取ることが多い。(ジェッタ、ヴェント、ボーラ、シロッコetc) 北米では、「ラビット(うさぎ)」の名称で販売されている。

    欧州では「Cセグメント」に分類される乗用車である。トヨタ・カローラに次いで世界中で最も販売されている乗用車であり、 2007年3月には累計の生産台数が2,500万台に達した。日本にもこれまで約60万台が輸入されている[1]。1974年に発売された初代モデルは680万台が生産された。販売はモデルチェンジの度に減少し、1997年発表の4代目モデルの生産台数は430万台であった。

    ジョルジェット・ジウジアーロのデザインになる初代ゴルフは、横置きエンジンによるFF(前輪駆動)方式と、効率的なパッケージングによる、コンパクトな外寸と、余裕のある室内空間を持ち、世界中でヒットとなった。空冷、リアエンジンへの固執や、NSU・アウディ方式でのFFへのトライなど、紆余曲折を繰り返し、ビートルに続く大衆車の開発は難産を極めていた。しかし、これは、ジウジアーロにスタイリングのみならず、設計をも一任することで解決を見た。その理由は、イタリアやフランスの小型車では、FF+ハッチバックは既にポピュラーとなっており、さらにエンジン、トランスミッション、デフを並列に配置する、ジアコーサレイアウトも既にフィアットが手がけており、これらの前例をジウジアーロ自身が熟知していたことが大きい。

    当初は現在のルポ位の大きさであったが、モデルチェンジをするたびにサイズが大きくなっていった。ゴルフIV(4代目)は全幅が日本で言うところの「3ナンバーサイズ」となって、もはや小型車とは呼べない大きさとなり、現在の5代目はさらに大きくなっている。これに伴い、従来ゴルフが担っていたコンパクトカーとしての役割は、弟分のポロが引き継いでいる。

    「GTI」と呼ばれるホットモデルが初代から用意されている。初代は1.6リッター、2代目は、1.8リッターDOHCが搭載されたモデルである。

    なお、初代ゴルフの派生車種にシロッコ(Scirocco)を挙げる場合があが、ともにジウジアーロによるデザインで、開発の時期も重なってはいるもの、発売はシロッコが先行している。これは、生産台数の差から、市場への影響が少ないシロッコで初期不良の洗い出しを済ませ、ゴルフIにフィードバックする為と言われている。現在では、ゴルフと同じプラットフォームを使うアウディ A3が先行して発売され、同じ役割を担っている。

    歴代カブリオ(カブリオレ)の人気が高かったが、現在のゴルフ Vにはカブリオは無く、オープンモデルはイオスと、ゴルフIVベースのニュービートル がその任を担っている。

    5代目(2003年-)
    先代に引き続きプラットフォームはA3と共通。本モデルからはエンジンが直噴化され、先代と同じ排気量と比較しても出力向上がみられる。燃料消費の低減を図っている。トランスミッションはこのクラスでも、ターボディーゼルのトルクにも対応した、アイシンAW製6速ATを採用した。GT TSI以上のグレードにはトルコン式ATではなく、DSGを搭載している。MTは、日本ではGTIとR32のみ設定となっている。外観は、ティアドロップ形のヘッドランプ(涙目)と、それに呼応したリアコンビランプ、ラジエターグリルからフード上に伸びる深いVラインなどをスタイリングの特徴としている。太いCピラーは歴代モデルと同様である。

    フォード・フォーカスの比較対象とされ、さんざんたたかれた操安性を向上させるなどの改良と、内装を中心としたコストの見直しが開発の主眼となった。ベーシックグレードのE、コンフォート志向のGLi、スポーツ志向のGT(GT TSI)、リアルスポーツのGTI、ラグジュアリーなGTX、スポーツプレミアムのR32(この仕様のみ4モーション)と多彩なバリエーションを持つ。特にGTIは先代、先々代と他グレードと見た目にほとんど差が見られなかったが、5代目GTIは明らかに差別化された外観を持ち、多くのバックオーダーを抱えながらも全販売台数の約三分の一を占める人気グレードとなっている。尚、GTIと同じエンジン、トランスミッション(DSG)を搭載するGTXはGTIベースではなく、GTベースであり、日本専用モデルである。「ゴルフワゴン」は「ゴルフヴァリアント」と名称を変更(ドイツ本国の名称に合わせられた)して、登場した。(ワールドプレミアはジュネーブモーターショー)

    製造工場はドイツ・ヴォルフスブルク、及び南アフリカ共和国・ユイテンヘーグ(Uitenhage)であり、日本市場向けのモデルは後者において製造されている。


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    [ 2007/07/29 22:07 ] VOLKSWAGEN | TB(0) | CM(0)

    Volkswagen Golf Plus 0'48" 

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    ゴルフ( Golf )はドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲンの主力モデルであるハッチバック型の自動車。2007年時点での現行モデルは5代目。車名の由来はスポーツのゴルフではなく、「メキシコ湾流の風(ドイツ語でゴルフシュトローム Der Golfstrom 、英語のガルフストリーム the Gulf Stream に当たる)」である。VWの車名は、風の名前から取ることが多い。(ジェッタ、ヴェント、ボーラ、シロッコetc) 北米では、「ラビット(うさぎ)」の名称で販売されている。

    欧州では「Cセグメント」に分類される乗用車である。トヨタ・カローラに次いで世界中で最も販売されている乗用車であり、 2007年3月には累計の生産台数が2,500万台に達した。日本にもこれまで約60万台が輸入されている[1]。1974年に発売された初代モデルは680万台が生産された。販売はモデルチェンジの度に減少し、1997年発表の4代目モデルの生産台数は430万台であった。

    ジョルジェット・ジウジアーロのデザインになる初代ゴルフは、横置きエンジンによるFF(前輪駆動)方式と、効率的なパッケージングによる、コンパクトな外寸と、余裕のある室内空間を持ち、世界中でヒットとなった。空冷、リアエンジンへの固執や、NSU・アウディ方式でのFFへのトライなど、紆余曲折を繰り返し、ビートルに続く大衆車の開発は難産を極めていた。しかし、これは、ジウジアーロにスタイリングのみならず、設計をも一任することで解決を見た。その理由は、イタリアやフランスの小型車では、FF+ハッチバックは既にポピュラーとなっており、さらにエンジン、トランスミッション、デフを並列に配置する、ジアコーサレイアウトも既にフィアットが手がけており、これらの前例をジウジアーロ自身が熟知していたことが大きい。

    当初は現在のルポ位の大きさであったが、モデルチェンジをするたびにサイズが大きくなっていった。ゴルフIV(4代目)は全幅が日本で言うところの「3ナンバーサイズ」となって、もはや小型車とは呼べない大きさとなり、現在の5代目はさらに大きくなっている。これに伴い、従来ゴルフが担っていたコンパクトカーとしての役割は、弟分のポロが引き継いでいる。

    「GTI」と呼ばれるホットモデルが初代から用意されている。初代は1.6リッター、2代目は、1.8リッターDOHCが搭載されたモデルである。

    なお、初代ゴルフの派生車種にシロッコ(Scirocco)を挙げる場合があが、ともにジウジアーロによるデザインで、開発の時期も重なってはいるもの、発売はシロッコが先行している。これは、生産台数の差から、市場への影響が少ないシロッコで初期不良の洗い出しを済ませ、ゴルフIにフィードバックする為と言われている。現在では、ゴルフと同じプラットフォームを使うアウディ A3が先行して発売され、同じ役割を担っている。

    歴代カブリオ(カブリオレ)の人気が高かったが、現在のゴルフ Vにはカブリオは無く、オープンモデルはイオスと、ゴルフIVベースのニュービートル がその任を担っている。

    5代目(2003年-)
    先代に引き続きプラットフォームはA3と共通。本モデルからはエンジンが直噴化され、先代と同じ排気量と比較しても出力向上がみられる。燃料消費の低減を図っている。トランスミッションはこのクラスでも、ターボディーゼルのトルクにも対応した、アイシンAW製6速ATを採用した。GT TSI以上のグレードにはトルコン式ATではなく、DSGを搭載している。MTは、日本ではGTIとR32のみ設定となっている。外観は、ティアドロップ形のヘッドランプ(涙目)と、それに呼応したリアコンビランプ、ラジエターグリルからフード上に伸びる深いVラインなどをスタイリングの特徴としている。太いCピラーは歴代モデルと同様である。

    フォード・フォーカスの比較対象とされ、さんざんたたかれた操安性を向上させるなどの改良と、内装を中心としたコストの見直しが開発の主眼となった。ベーシックグレードのE、コンフォート志向のGLi、スポーツ志向のGT(GT TSI)、リアルスポーツのGTI、ラグジュアリーなGTX、スポーツプレミアムのR32(この仕様のみ4モーション)と多彩なバリエーションを持つ。特にGTIは先代、先々代と他グレードと見た目にほとんど差が見られなかったが、5代目GTIは明らかに差別化された外観を持ち、多くのバックオーダーを抱えながらも全販売台数の約三分の一を占める人気グレードとなっている。尚、GTIと同じエンジン、トランスミッション(DSG)を搭載するGTXはGTIベースではなく、GTベースであり、日本専用モデルである。「ゴルフワゴン」は「ゴルフヴァリアント」と名称を変更(ドイツ本国の名称に合わせられた)して、登場した。(ワールドプレミアはジュネーブモーターショー)

    製造工場はドイツ・ヴォルフスブルク、及び南アフリカ共和国・ユイテンヘーグ(Uitenhage)であり、日本市場向けのモデルは後者において製造されている。


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    [ 2007/07/30 20:15 ] VOLKSWAGEN | TB(0) | CM(0)
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