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Hino Contessa 1300 Sprint 3'05"

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コンテッサ(Contessa)は、かつて日野自動車が製造していた乗用車である。

日野自動車が1953年にルノー4CVのライセンス生産で得た経験をもとに開発したRR方式の乗用車である。

同社が自社開発した唯一の乗用車でもあり、同時に同社最後の乗用車である。

1964年9月、総排気量1251cc、出力55psの「コンテッサ1300」として発売されたモデルである。デザインはコンテッサ900スプリント同様、ジョバンニ・ミケロッティが手がけた。当初は4ドアセダンのみの設定であったが、翌1965年に2ドアクーペが新たに設定された。この2ドアクーペは圧縮比を8.5から9.0に上げ、出力を65psに上げている。

少量ながら欧州などへも輸出されたが、このモデルが発売開始された時期には乗用車の主流はすでにフロントエンジンに移っており、販売も振るわなかったこともあって、日野がトヨタ自動車と提携した翌年の1967年には生産を終了した。このコンテッサを最後に、日野は乗用車の自主開発から撤退し、トヨタの一部車種を委託生産することとなった。現在はハイラックスサーフなどを日野の工場で生産している。

1965年、900スプリントと同じ手法でDOHC搭載の1300スプリントも作られ欧州でテストランが繰り返されたが発売には至らなかった。

1966年には1500ccのエンジンが試作され、コンテッサ1500として販売する予定だったが開発は中止となった。現在、この試作エンジンは「幻のコンテッサ1500用エンジン」として日野オートプラザに展示されている。

車名の由来
イタリア語で「伯爵夫人」である。

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[ 2009/11/15 16:29 ] HINO | TB(0) | CM(0)

Hino Contessa 900 Sprint 1'30"

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コンテッサ(Contessa)は、かつて日野自動車が製造していた乗用車である。

日野自動車が1953年にルノー4CVのライセンス生産で得た経験をもとに開発したRR方式の乗用車である。

同社が自社開発した唯一の乗用車でもあり、同時に同社最後の乗用車である。

1961年に総排気量893cc、出力35psのエンジンを搭載する「コンテッサ900」として登場した。4ドアセダンのみの設定で、丸型2灯ヘッドライトであった。シャーシーはルノー・ドーフィンと共通化され、駆動方式やサスペンションなどの基本的レイアウトは日野ルノーを踏襲している。

1963年にはコンテッサ900をベースにジョバンニ・ミケロッティのデザインで2ドアクーペのコンテッサ900スプリントが発表されたが、諸般の事情により量産化されず、「幻の名車」となっている。

1965年まで生産された。

車名の由来
イタリア語で「伯爵夫人」である。

[ 2009/11/16 16:50 ] HINO | TB(0) | CM(0)

Hino Contessa 1300 Deluxe 9'10"

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コンテッサ(Contessa)は、かつて日野自動車が製造していた乗用車である。

日野自動車が1953年にルノー4CVのライセンス生産で得た経験をもとに開発したRR方式の乗用車である。

同社が自社開発した唯一の乗用車でもあり、同時に同社最後の乗用車である。

1964年9月、総排気量1251cc、出力55psの「コンテッサ1300」として発売されたモデルである。デザインはコンテッサ900スプリント同様、ジョバンニ・ミケロッティが手がけた。当初は4ドアセダンのみの設定であったが、翌1965年に2ドアクーペが新たに設定された。この2ドアクーペは圧縮比を8.5から9.0に上げ、出力を65psに上げている。

少量ながら欧州などへも輸出されたが、このモデルが発売開始された時期には乗用車の主流はすでにフロントエンジンに移っており、販売も振るわなかったこともあって、日野がトヨタ自動車と提携した翌年の1967年には生産を終了した。このコンテッサを最後に、日野は乗用車の自主開発から撤退し、トヨタの一部車種を委託生産することとなった。現在はハイラックスサーフなどを日野の工場で生産している。

1965年、900スプリントと同じ手法でDOHC搭載の1300スプリントも作られ欧州でテストランが繰り返されたが発売には至らなかった。

1966年には1500ccのエンジンが試作され、コンテッサ1500として販売する予定だったが開発は中止となった。現在、この試作エンジンは「幻のコンテッサ1500用エンジン」として日野オートプラザに展示されている。

[ 2009/11/17 15:29 ] HINO | TB(0) | CM(0)
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