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Subaru Leone SwingBack Ad 1979 0'14"

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富士重工業で生産されていた乗用車である。セダンとステーションワゴンの他、多くのボディバリエーションを持ち、レガシィやインプレッサが登場する前の基幹車種だった。

2代目 (1979年-1984年)
二代目(EA81)は1979年6月1日に発売され、ボディサイズは拡大され、排気量も最大1800ccに拡大され、ホンダ・アコードを強く意識した設計となった。ボディタイプは、二代目アウディ・80に良く似た4ドアセダン、やや流行遅れのオペラウインドウを持つ2ドアハードトップ、エステートバンに加え、「スイングバック」と呼ばれる、全長270㎜、ホイールベース80㎜短縮されて全長を4メートル以下に抑えた3ドアハッチバックボディが用意された。スイングバックには1300ccの廉価版も用意されたので、二代目レオーネは、いずれもスバル初のパワーステアリング・パワーウインドウ・オートエアコンが装備可能だったトップモデルの1800GTSまで、広範囲をカバーするラインナップとなっていた。また、好評の4WDモデルもセダン・エステートバン・スイングバックに用意され、スイングバックにはツインキャブのスポーツモデル1600SRXも存在した。しかし、エンジンは依然OHVのままで、3段式オートマチックや手動式チョークなど、スバル1000以来の進歩的設計もさすがに旧態化が隠せなくなってきていた。

1981年6月にはマイナーチェンジが行われ、4ドアセダン1800とハードトップが異型角型2灯式+複雑な形状のフロントグリルから流行の角型4灯を持つ比較的シンプルなフロントグリルに改められ、また全車種のテールライトの形状が当時のメルセデス・ベンツ式の、凹凸を持ち汚れても視認性が確保されるタイプに変更された。

同年7月にはスバル初の5ナンバーワゴン、「ツーリングワゴン」を追加。エステートバンのBピラー直前からルーフを30㎜嵩上げした2段ルーフを採用し、装備を1.8L4ドアセダン4WD/1800GTSに準じた豪華なものとして、レジャー用途の取り込みを図った。更に11月には日本初のAWDオートマチックを持つ「レオーネ1.8L4WDオートマチック」をセダン・ツーリングワゴンに追加、後輪駆動用のトランスファーに、世界初となる流体式「電磁式油圧多板クラッチ」を採用し、富士重工伝統の技術重視の姿勢が4WD技術を中心に再び復活の兆しを示し始めた。

1982年11月には、折からのターボ車のブームに乗って日本初の水平対向エンジン+4WD+ターボモデル(1800cc120馬力)をセダンとツーリングワゴンに追加、翌83年7月には4ドアセダンにFF1800ターボと16004WDを追加した。同時に、ハードトップを新設定の4WD1800ccツインキャブの「RX」に一本化し、FF車を廃止した。1983年10月には、4WDターボに車高調整機能の「ハイトコントロール」を追加した。


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[ 2007/10/05 20:00 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru Leone RXⅡ 0'15"

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OEM生産車以外では最後のレオーネとなった3代目は1984年7月16日に、まず4ドアセダンとして発売され、10月25日に3ヵ月遅れでツーリングワゴン/エステートバンが追加された。ボディサイズは一回り大型化されて平面と直線を基調としたものになり、フラッシュサーフェス化されて「Cd値=0.35」という良好な空力特性が大きく宣伝さわれたが、ホンダ・アコードをはじめとする競合他車に比べデザインの新鮮さや高級感の乏しさは否めなかった。なお、このモデルから伝統の水平対向4気筒「EA型」エンジンは、1800ccのみ「EA81型」のバルブ作動方式をスバル・1000以来のOHVからOHCに改めた「EA82型」に進化し、わずかながらも高出力化、高回転化が可能となった。

1985年11月にはドアミラーを、フロントサイドガラス前方に追加されたガセットに固定するタイプに変更し、下級グレードのハーフキャップの意匠を変え、GT・GRにサンルーフ装着車を設定する小変更を行い、新たに「3ドアクーペ」シリーズを発売した。

デビュー当初の4WDシステムは依然パートタイム方式で、アウディ・クアトロ以来のフルタイム化の流れに取り残されていたが、まずマニュアルトランスミッションの4WDが、1986年4月発売の「3ドアクーペRX-II」から、遊星歯車とバキューム・サーボ式のデフロック付きのセンターデフの採用により、フルタイム4WD化され、10月にはセダン/ワゴンにも採用が拡大された。翌1987年10月には、AWDオートマティック車に4速AT「E-4AT」採用とあわせ、専用のコントロールユニットによるパルス制御によって前後トルク配分を予測制御する「ACT-4」と呼ばれる、高度な制御方式を持つフルタイム4WDへ発展させ、ようやくフルタイム化の時流に追い着いた。同時にフロントグリル、テールランプの意匠変更が行われた。

1989年2月、レガシィの発売により、販売車種がセダン1600ccOHVのマイア/マイアⅡのみに縮小され、1992年10月、インプレッサの発売により、セダンが販売終了したが、バンは1994年3月まで継続生産された。


[ 2007/12/12 17:39 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru Leone 1971 0'29"

トップページSUBARUカテゴリーSubaru Leone 1971
japanese_ad___Subaru_Leone_1971.jpg


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初代は1971年10月7日に発売され、当初はクーペモデルのみの展開(グレードはDL・GL・GS・GSR)で、スバルff-1 1300G シリーズと併売されたが、1972年4月、2/4ドアセダン(スタンダード・DL・GL・カスタム・スーパーツーリング)、1100ccモデル(DL)、商用車のエステートバン(スタンダード・DL・スバル初の4WD)が追加され、ff-1からの世代交代を完了した。当時のトレンド及び提携先の日産自動車の影響が感じられる、ロングノーズ・ショートデッキの抑揚の強いデザインを持ち、スバル1000/ff-1シリーズのシンプルな機能美が失われたことから、古くからのスバルファンや、欧州車志向の強いCAR GRAPHICなどの自動車ジャーナリズムを嘆かせた。メカニズム的にもブレーキがアウトボードになり、スポーツモデルのステアリングギア比が遅くされるなど、スバル1000/ff-1の技術至上主義的な性格は薄められた。

一方、レオーネの進歩的な部分としては、窓枠のないサッシュレスドアをバンを含む全車に採用したことが挙げられる。サッシュレスドアは富士重工業にとっては1960年の試作車「A-5」以来追求されてきたテーマで、ガラスの境目がわかりにくく体をぶつけやすい他、ウインドウのガタつきや雨漏りなど欠点も少なくないにもかかわらず、レガシィやフォレスターなどの主要小型車に今日に至るまで採用され続けている。さらに1972年12月1日には、専用ハードサスペンション、専用クロスレシオ5速マニュアルトランスミッションを装備したホットモデル・「RX」が追加された。基本的な構成は「1400GSR」と共通だが、量産車では日本初となる4輪ディスクブレーキを装備していたことが特筆される。

1973年6 月には、ピラーレスの2ドアハードトップが追加された。後席ヘッドクリアランス確保のためにリヤウィンドウ傾斜角がクーペから若干立てられ、15mm全高が高められている。4灯式フロントグリルとランドウトップ風の太いCピラーによる、元々アクの強い初代レオーネ中でも最も複雑なスタイリングを特徴とした。続いて73年10月のマイナーチェンジではセダン・クーペ・エステートバンのフロントグリルが変更され、インパネが先に発売されたハードトップと統一デザインとなった。またこの際、セダン1100は1200にスケールアップされた。

1975年1月20日には日本初の4WD乗用車となる「4WD]が、同じく日本製前輪駆動車では初のフルオートマチック車(セダン・カスタムとハードトップGFに設定)と同時に発売された。同時にマイナーチェンジが行われ、セダン1200GLの追加、ホイールカバーの変更などが行われ、セダン1400シリーズのフロントマスクはハードトップと同じ丸型4灯ライトのものに変更された。75年10月にはSEEC-T方式により(50年規制を飛び越えて一気に、ツインキャブのスポーツ系も含めて)全車51年排出ガス規制適合を果たした。パワーダウンを補うため、この時既存1200→1400cc、1400→1600ccへと排気量アップが行われた。

1977年4月には、日本初の全車53年度排気ガス規制適合を達成、今回もツインキャブのスポーツモデルは全て生き残り、スバルファンのみならず当時の車好きたちに喝采された。同時に大幅なマイナーチェンジが実施され、ボディサイズが拡幅され、リヤトレッドも50mmのサイズアップとなった。フロントマスクはどことなくアルファロメオを思わせるシンプルな造形となり、ホンダがシビックで流行させたアッパートレイ付きのダッシュボード、やリアデザインの変更により、初期型のアクの強さが軽減され、デザイン的にもかなり「クリーン」になった。同時にセダン・カスタムは新設定の最上級モデル・スーパーカスタムに取って代わられた。同77年11月にはセダン・2ドアハードトップにポンティアックの車名から拝借した「グランダム(Grandam)[3]」なる車種を追加した。同車は北米仕様と共通の大型バンパーや派手な色調のインテリアを特徴とした。

コマーシャル
  • 1971年10月~ : クーペ 「野性の響き~どこから来たのかお前と俺」 : イメージキャラクター : 尾崎紀世彦
  • 1972年2月~ : 4ドアセダン 「クーペから生まれた魅惑のセダン」 : 尾崎紀世彦
  • 1973年6月~ : ハードトップ 「心ときめく夜のハードトップ」 : 鮎淵晴子
  • 1973年12月~ : 「FF自然(じねん)流~野性の響き」
  •  
  • 1975年10月~ : レオーネSEEC-T「いいメカはシンプル~信じられるかね、明智君。」 : 怪人二十面相
  • 1975年10月~ : 「SPIRIT OF SUBARU~飛行機野郎ノ主張アル車」
  • 1978年7月~ : 西郷輝彦、太地喜和子

[ 2007/12/13 17:55 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru Leone Commercial [1980s] 0'30"

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2代目(EA81)は1979年6月1日に発売され、ボディサイズは拡大され、排気量も最大1800ccに拡大され、ホンダ・アコードを強く意識した設計となった。

ボディタイプは、二代目アウディ・80に良く似た4ドアセダン、やや流行遅れのオペラウインドウを持つ2ドアハードトップ、エステートバンに加え、「スイングバック」と呼ばれる、全長270㎜、ホイールベース80㎜短縮されて全長を4メートル以下に抑えた3ドアハッチバックボディが用意された。スイングバックには1300ccの廉価版も用意されたので、2代目レオーネは、いずれもスバル初のパワーステアリング・パワーウインドウ・オートエアコンが装備可能だったトップモデルの1800GTSまで、広範囲をカバーするラインナップとなっていた。

また、好評の4WDモデルもセダン・エステートバン・スイングバックに用意され、スイングバックにはツインキャブのスポーツモデル1600SRXも存在した。しかし、エンジンは依然OHVのままで、3段式オートマチックや手動式チョークなど、スバル1000以来の進歩的設計もさすがに旧態化が隠せなくなってきていた。

1981年6月にはマイナーチェンジが行われ、4ドアセダン1800とハードトップが異型角型2灯式+複雑な形状のフロントグリルから流行の角型4灯を持つ比較的シンプルなフロントグリルに改められ、また全車種のテールライトの形状が当時のメルセデス・ベンツ式の、凹凸を持ち汚れても視認性が確保されるタイプに変更された。

同年7月にはスバル初の5ナンバーワゴン、「ツーリングワゴン」を追加。エステートバンのBピラー直前からルーフを30㎜嵩上げした2段ルーフを採用し、装備を1.8L4ドアセダン4WD/1800GTSに準じた豪華なものとして、レジャー用途の取り込みを図った。更に11月には日本初のAWDオートマチックを持つ「レオーネ1.8L4WDオートマチック」をセダン・ツーリングワゴンに追加、後輪駆動用のトランスファーに、世界初となる流体式「電磁式油圧多板クラッチ」を採用し、富士重工伝統の技術重視の姿勢が4WD技術を中心に再び復活の兆しを示し始めた。

1982年11月には、折からのターボ車のブームに乗って日本初の水平対向エンジン+4WD+ターボモデル(1800cc120馬力)をセダンとツーリングワゴンに追加、翌83年7月には4ドアセダンにFF1800ターボと16004WDを追加した。同時に、ハードトップを新設定の4WD1800ccツインキャブの「RX」に一本化し、FF車を廃止した。1983年10月には、4WDターボに車高調整機能の「ハイトコントロール」を追加した。


[ 2007/12/14 18:14 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru 1000 0'41"

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スバル・1000は富士重工業が1966年から1969年まで生産していた乗用車。 水平対向エンジン、センターピボット式ステアリングなど、そのメカニズムや基本性能はライバル車と大幅に異なるもので、なおかつ「1,500ccクラス並み」と謳われた室内ユーティリティを生む優れたパッケージングやかつての航空機製造技術に基づいたユニークかつ合理的なエンジニアリングは、後に「スバリスト」と呼ばれる熱狂的なスバル愛好家を生むきっかけとなった。

1966年5月、富士重工業初の小型車、スバル・1000が発売された。 開発の総指揮はスバル・360に引き続き、百瀬晋六が担当した。 スバル・360で自動車産業への進出に成功した富士重工業は、小型車市場への進出を狙い、P-1計画中止以後も社内で検討を重ねていた。その成果は、1960年に、開発コード「A-5」と呼ばれる、空冷4サイクル水平対向4気筒1,500cc、クリフカットの特徴的なエクステリア・デザインを持つ小型車に具現化し、FF方式、フロント:コイル/ウィッシュボーン、リヤ:コイル/トレーリングアームのサスペンション形式、サッシュレスウィンドウなど、のちのスバル・1000や富士重工業製の小型車に引き継がれる意欲的な技術の雛形が、この「A-5」計画で初めて提示された。しかしP-1計画と同じく、当時の富士重工業の企業規模ではトヨタ、日産などの先行他社に、1,500ccクラスでは太刀打ちできないと判断。生産化に至らなかった。

「A-5」計画中止後、新たに「A-4」と呼ばれる「A-5」より一回り小さい小型車の計画がスタートし、排気量800cc程度、全長3,500mm、全幅1,400mm、車両重量500kg、価格40万円以下を目標に検討が開始された。

1963年、「A-4」計画は、排気量923cc、FF、全長:3,885mm、全幅:1,400mm、ホイールベース:2,400mm、トレッド(前)1,230mm(後)1,220mm、車両重量650kgという具体的なパッケージングが決定され「63-A」として商品化に向けた開発に移った。

この「63-A」計画が、富士重工業初の小型車「スバル・1000」として世に出ることになる。

開発に当たって、スペース効率と、静粛性、振動には特に留意され、早期から水冷4サイクル水平対向エンジンとトランスミッションを縦置として、等長のドライブシャフトを用いたFF方式というパッケージングを核に開発を進める事が決定された。

その基本メカニズムを「A-5」を下地としながらも、サスペンションのスプリングにはスバル・360と同じくトーションバー(ねじり棒ばね)を採用することによるスペース効率とコストダウンの両立、急坂登坂などFF方式の難点だったトラクション確保と軽量な車重の両立のために、スペアタイヤ、ジャッキ等の工具類までエンジンルームに収納し、フロントに全車重の60%程度の荷重を集中させることや、パワーロスがなく静粛性に優れた「デュアルラジエター」の開発、さらに、完全なフラット・フロアの実現のために、排気管を運転席側サイドシルに配置するなど、スバル・1000の特徴となる、非常に合理的で独創的なメカニズムの数々が徐々に形成されていった。

一方、FF方式成立の要となる、フロント・ドライブシャフトの等速ジョイントについては、東洋ベアリング(現:NTN)との共同開発から、画期的な「D.O.J(ダブル・オフセット・ジョイント)」の開発に成功。ばね下重量を軽減するインボード・ブレーキ、四輪独立懸架の採用と相まって、従来のFF車の常識を覆す、滑らかで正確な操縦性と乗り心地、そして耐久性を実現した。

スバル・1000は、国産自動車メーカーのFF方式への関心を高めたのみならず、アルファロメオ・スッド、シトロエン・GSの開発に多大の影響を与えたと言われ、当時の2社の工場にはスバル・1000の残骸が多く見られたという。

発売当初は、トヨタ・カローラ、日産・サニー、マツダ・ファミリアなどがしのぎを削る小型車市場で、販売網の脆弱さから販売は立ち遅れたものの、伊藤忠商事との販売提携、またエンジニアリングの理想を追求したメカニズムから「スバリスト」と呼ばれる熱心な信奉者を生み、徐々に販売台数を伸ばし、1969年3月には月販台数4,000台超と、カローラ、サニーに続き小型車市場の一角を確保。富士重工業の自動車メーカーとしての基盤造りに大きく貢献した。

スバル・1000の「D.O.J」の開発成功により、1970年代からの世界的な小型車のFF化への潮流が決定的になったことは、自動車の歴史において特筆に値する出来事である。

1969年3月にはボアを4mm拡げて1,088ccとしたスバル・ff-1シリーズへ移行した。

現在の富士重工業が謳う「シンメトリカルAWD」のまさに始祖といえる、この水平対向エンジンを核とした、左右対称レイアウトの採用は、3,900mmの全長に2,400mmという長いホイールベースを採用することによる広い室内空間の確保と、FF方式の採用のためにエンジン全長を短くする必然から生まれた。

FRについて百瀬はこう述べている。
「P-1でFRをやったが、そのときに感じたのはいかにも非合理的なパワートレーンだということだ。駆動力をフロントのエンジンからプロペラシャフトでリアデフに持っていき、さらにドライブシャフトを経てタイヤに伝えるという駆動経路の長さ。しかも長いプロペラシャフトはやっかいな振動源にほかならない。人を乗せるための乗用車に採用する合理性はない。それに対してRRやFFは、部品点数が少なく、乗員のためのスペースを圧迫することのない、合理的な駆動方式だ」

スバル・360でRR方式の採用により、わずか3.0mという全長の制約の中で大人4人が無理なく移動できる革新的なパッケージングを構築した当時の富士重工業の技術陣は、スバル・1000の開発にあたり、一転して当時まだ世界的にも採用例が少なかったFF方式の採用を決定したのである。もちろん、FF方式の採用には、1964年東京オリンピック以来、全国で整備が進められていた高速道路網による「高速時代」に、直進性、横風安定性などの操縦安定性で十分な性能が得られないという判断もあったといわれている。

こうして先に決定された室内スペース・駆動方式のために、スバル・360に引き続き、エンジンに割り当てられるスペースは非常に限られたものとなった。しかし、当時の富士重工業の技術陣は、1959年発売のミニの採用した、狭いスペースの中に横置き直列エンジンの下にトランスミッションを詰め込む(いわゆる「2階建て方式」)のようなメカニカル・パッケージよりも、より無理がなく、よりコンパクトなエンジン・トランスミッション構成を目指した。そのため、本質的に低重心で全長が短く、直列エンジンと比較して優れた回転バランスを有し、なおかつ「A-5」以来の技術的蓄積のある水平対向エンジンの採用につながった。当時エンジン開発を担当した山川徹は当時を回想して「水平対向なら入る」と直感的に思ったという。

また水冷方式の採用については、「A-5」計画の空冷水平対向エンジンがオーバーヒートに悩まされたためだといわれている。

スバル・1000の「EA52」型エンジンは、軽量化とフロントオーバーハング部への搭載による操縦性の悪化を防ぐために、シリンダー・ブロック、シリンダー・ヘッドはアルミ合金鋳造製とされ、エンジン重量は乾燥重量でわずか75kgという非常に軽量に仕上げられている。

冷却方式には「デュアルラジエター」と呼ばれるシステムを採用。これは従来のエンジンのような冷却ファンを持たず、メインとサブの二つのラジエター、それに小型電動ファンで構成され、低温時はサブラジエターのみが作動し、高温になるとメインラジエターも合わせて作動、さらに高温になった場合、電動ファンが作動してサブラジエターの強制冷却を開始するため、軽量で静粛性に優れた冷却システムである。また、サブラジエターをヒーターの熱源として利用するため、1,500~2,000ccクラスの乗用車に匹敵するヒーターがスタンダードモデルまで標準装備となっていた。

縦置きのトランスミッションは、ドライブシャフト長を左右等長かつ可能な限り長く取ることで、ロールセンターの最適化による良好な走行安定性と乗り心地を両立させるという、スバル・360と同じ設計思想に基づいており、開発期間を通じ最適な等速ジョイントが得られなかったことから、ジョイントの不等速性から発生する振動の軽減も狙ったといわれている。

また、ブレーキを一般的なホイール内からトランスミッション側に移動して、キングピンとタイヤの中央線を一致させた「センター・ピボット式ステアリング」の採用も、ばね下重量を軽減しジョイントの不等速性から発生する振動の改善を図ったものだといわれている。

スバル・1000の開発陣は、ジョイントの不等速性から発生する振動や耐久性の問題を解決するため、インボード側の伸縮可能な等速ジョイントの開発に「63-A」計画の初期から取り組んでいたが、その実用化には開発の最終段階に至ってもなかなか目途が立たなかった。

当時、国内ではすでにFF車用のフロント・ドライブシャフト用ジョイントとして「C.V.J(コンスタント・ベロシティ・ジョイント)」が開発され、スズキ・スズライトや日野・コンマースの国産FF車が採用していたものの、サスペンションのストローク時、あるいは大きな舵角を与えた際にはドライブシャフトの全長が変化するため、ジョイントの不等速性から発生する振動や、ジョイント自体の耐久性に大きな問題を抱え、FF方式の普及の障害になっていた。

だが発売直前の1965年、東洋ベアリング(現:NTN)との共同開発から、ついに画期的な伸縮可能なジョイント、「D.O.J(ダブル・オフセット・ジョイント)」の開発に成功。「センター・ピボット式ステアリング」の採用と相まって、従来のFF車の常識を覆す、滑らかで正確な操縦性と耐久性、さらに製造にかかるコストの問題を解決した。

また、1970年代後半から始まった世界的な小型車のFF化の流れは、その多くが横置き直列エンジンレイアウトを採用しており、スバル・1000の「D.O.J(ダブル・オフセット・ジョイント)」の実用化がなければ、左右不等長のドライブシャフト長によるFF化は不可能だったといっても過言ではない。

スバル・1000以降に登場した世界のFF車が、ほぼ例外なくインボード側「D.O.J」、アウトボード側「C.V.J」というジョイント方式を採用していることがその証明である。

さらにスバル・360に引き続く四輪独立懸架の採用とあわせ、優れた乗り心地とロードホールディングを実現。FF方式ならではの直進安定性と操縦性、独特のメカニズムは当時の自動車雑誌等からも絶賛され、「スバリスト」と呼ばれる、熱心な信者を生み出すほどの個性を獲得した。

スバル・1000のトランスミッション後端から後輪駆動用のプロペラシャフトとリヤアクスルを追加することにより、容易にAWD化が可能であることは、スバル・1000開発過程ですでに話題に上っていたが、スバル・1000開発当時は、まだ乗用車タイプAWDの商品化は時期尚早ということで大きな議論にはならなかったという。

しかし1970年、東北電力からの現場巡回用車輌の共同開発の申し出が発端となり、1971年、1ディーラーである宮城スバルがスバル・1000バンをベースに日産・ブルーバード(510型)のリヤデフを組み合わせてAWD化した試作車を製作。関係者の間で非常に好評だったことから、1971年3月から富士重工業・群馬試作所で生産化に向けてのテストが開始され、1971年秋の東京モーターショー商用車館にスバル・ff-1 1300Gバン 4WDとして参考出品され、注目を集めた。

当時スバル・ff-1 1300Gは新型車「レオーネ」へのモデルチェンジを控えていたため、スバル・ff-1 1300Gバン4WDはパイロットモデルとして、1972年3月から合計8台が生産・納入されたに留まった。

「EA型」水平対向エンジンは、1965年のスバル・1000の登場から1989年のレガシィに搭載された「EJ型」エンジンの登場以降1992年まで、排気量アップを繰り返しながら「レオーネ」に搭載され続け、最終的に1,781ccにまで成長。実に26年もの命脈を保った。

片側2気筒のみのシリンダーブロック配置は、1970年代のアメリカの「マスキー法」に端を発する、世界的な排気ガス規制の流れでも有利に働き、昭和51年度排気ガス規制では、三元触媒、EGRなどの装着なしでクリア

短いエンジン全長と低いエンジン高は1968年のアメリカにおける米国連邦自動車安全基準(MVSS:Federal Motor Vehicle Safety Standards)の制定以降厳しくなっていく前面衝突基準でもアドバンテージとなった。

さらに世界初の本格的量産乗用車ベースAWDの発売から、現在のシンメトリカルAWD技術の確立まで、富士重工業の自動車メーカーとしての方向性を決定付けた傑作といえる。しかし、スバル・1000の拡大キャパシティを備えた、優れた素質が、円安に依存したアメリカ市場への過度の依存を招き、富士重工業内部の組織の硬直化が、1985年の「プラザ合意」以降の急激な円高以降、対応の迷走から倒産の危機が公然と報道されるほどの状況にまで繋がったのではないかという指摘もある。

サスペンションにはスバル・360に引き続き4輪独立懸架で、フロントが縦置きトーションバー・スプリング(ねじり棒ばね)をアッパーアームに使用するダブルウイッシュボーン、リヤがトーションバー・スプリングとセンター・コイルスプリング併用のトレーリングアームで、フロントはトーションバー前端のカムによって、リヤはセンター・コイルスプリング部のボルトをレンチによって、それぞれ車高調整が可能となっていた。

スバル・1000の特徴である、トランスミッション側にブレーキを配置するインボード・ブレーキの採用は、主にFF方式採用によるフロントタイヤ切れ角の減少を補う為であったといわれている。特に開発途上では、最適な等速ジョイントの開発の目途がなかなか立たず、ジョイントの不等速性から発生する振動を軽減する狙いもあったといわれている。

またインボード・ブレーキの採用によって可能になった「センターピボット式ステアリング」は、フロントサスペンションのキングピンの軸線とホイールの中心線を一致させたもので、路面からの入力に対してサスペンション自体の強度に頼ることなくスムーズにストロークさせることが可能で、フロントダブルウイッシュボーンサスペンションの採用と相まって、不要なジオメトリー変化を押さえ、ばね下重量を軽量化できる点で、理論的には最も優れたサスペンション構成といえる。さらに4輪独立懸架の採用により、FF方式本来の優れた直進安定性と高い操縦安定性に、スバル・1000ならではの鋭い操縦性と安定したロードホールディングをもたらした。

こうしたエンジニアリングの理想を具現化したメカニズムは、航空機製造との共通性を感じさせるもので、一部からは非常に高い評価を得て、熱狂的な「スバリスト」と呼ばれる信奉者を生み出したが、一方、当時、富士重工業の販売・サービス網は脆弱で、一般の整備工場にメンテナンスを頼らざる得なかった状況で、アフターサービスの現場からの寄せられるメンテナンスの煩わしさに対する声や、それまでのFF車がドライブシャフト・ジョイントの耐久性に問題を抱えていたために、その耐久性に懐疑的な声も少なくなく、そのことが当時のスバル・1000の評価に影響を与えていたことは否定できない。

このスバル・1000のインボード・ブレーキは、スバル・ff-1、スバル・ff-1 1300Gを経て、1971年の「レオーネ」の登場の際には一般的なアウトボード・ブレーキに改められ、この特徴的な「センターピボット式ステアリング」も廃止された。

この「センターピボット・ステアリング」は、1990年代にトヨタの「スーパーストラットサスペンション」の開発の端緒になったといわれている。

スバル・1500(P-1)以来の伝統であるフルモノコックボディは、スバル・360の基本デザインを手掛けた工業デザイナー、佐々木達三をアドバイザーに迎えた社内デザインで、開発の参考にされたといわれる「シトロエン・DS」の流れを汲むセミファストバックスタイルとなっている。

スバル・360と同様、クラス最大の室内スペースの確保が最優先とされた。そのために採用された2,400mmというホイールベース長は、当時の1,500ccクラスの標準的な長さであり、ライバルであるトヨタ・カローラや日産・サニーと比較すると、120mm余りも長い。

FF方式の採用によりフロアトンネルをもたず、排気管を助手席側サイドシルに配置させることで実現した完全なフラットフロア、さらにサイドガラスにカーブドグラスを採用することで、1,500~2,000ccクラスに匹敵する広く、開放感の高い室内空間を実現した。

国産車では初めて燃料タンクを後席座面下に配置してモノコックボディの構造材の一部としての役割を受け持たせ、スペアタイヤ及びジャッキまでをフロントエンジンルーム内に配置することで、当時の記者発表会で「サッカーボール48個分」と謳うほどの広大なトランクスペースを得た。スペアタイヤ及びジャッキ等をフロントエンジンルーム内に配置させることは、軽量な車重とFF方式採用によるフロント駆動輪のトラクション確保のための前軸荷重の増大を意図したもので、「ひとつの部材でふたつ以上の機能を果たす」航空機製造に通じる設計理念が感じられる。

スーパーデラックスでは、すでにこの時代に運転席と後席、さらにタナーボードを繋いだフルリクライニング・シートまで実現している点は注目される。

1967年11月に追加された「スバル・1000」のスポーティグレード。

スバル・1000の「EA52」型をベースとなっているが、圧縮比を10.0に上げ、三国工業製のソレックスタイプのツインキャブレターを装着、クランクシャフト、カムシャフト、シリンダーヘッドなど、その構成部品の多くが専用部品で、もはや別のエンジンといっても良いほどの本格的なチューニングが施されている。

FF方式採用によるトラクションと、軽量な車重を武器に、国内ラリーでは1,000ccクラスでは無敵の強さを誇り、1968年9月に行われた「第10回日本アルペンラリー」ではクラス優勝を獲得している。


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Subaru 360 CM 0'43"

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スバル360(SUBARU 360)は、富士重工業が開発した軽自動車である。1958年から1970年までのべ12年間に渡り、約39万2,000台が生産された。

航空機技術を応用した超軽量構造を採用し、また限られたスペースで必要な居住性を確保するための斬新なアイデアが、数多く導入された。その結果、量産型の軽自動車としては、史上初めて大人4人の乗車を可能とすると共に、当時の水準を超える走行性能を実現した。 比較的廉価で、なおかつ十分な実用性を備えていたことから、1960年代の日本において一般大衆に広く歓迎され、モータリゼーション推進の一翼を担った。ゆえに日本最初の「国民車(大衆車)」と評されると同時に「マイカー」という言葉を誕生・定着させた車であり、日本の自動車史のみならず戦後日本の歴史を語る上で欠かす事のできない「名車」である。

範となったフォルクスワーゲン・タイプ1のあだ名となっていた「かぶと虫」との対比から、また、そのコンパクトにまとめられた軽快なデザインから、「てんとう虫」の通称で庶民に広く親しまれた。

スバル360発売以前の1950年代中期、日本における国産乗用車は複数の大手メーカーから発売されていた。しかしその価格は、小型の1000cc級であっても当時で100万円程度であり、月収が僅かに数千円レベルであったほとんどの庶民にとっては縁のないものであった。

軽自動車の規格自体は1949年から存在したが、もっぱら2輪車や3輪トラックを製造することを念頭に置いた規格であり、これに準拠して4輪の乗用車を製作する大手メーカーはほとんど無かった。

史上初の4輪軽乗用車は、1952年に製作された250cc車「オートサンダル」と見られている。名古屋の零細メーカーである中野自動車工業が、三菱の汎用単気筒エンジンを用いて手作業で製造したもので、リアエンジン2人乗りのフリクション・ドライブ車であった。およそ通常の実用に耐えうる性能ではなく、1954年までに200台ほどを製作し、その後前輪駆動モデルの開発を行ったが量産化せずに生産中止したと言われている(中野自動車については零細企業のためほとんど資料が残されておらず、詳細は不明である)。

その後1957年頃までに、いくつかのメーカーが4輪軽乗用車の開発を行った。「NJ(のち『ニッケイタロー』)」(日本自動車工業 1953~1957)、「テルヤン」(三光製作所 1957)などは、何れも零細企業が技術的裏付けの薄いままに急造した粗末なもので、長続きはしなかった。

元日産自動車社員で、野心的な自動車技術者の富谷龍一は、大手織物メーカー傘下の自動車ボディメーカーである住江製作所で、超軽量4輪軽自動車「フライングフェザー」を開発した(1954~1955)。リアエンジンV型2気筒の350cc・2座席である。4輪独立懸架の採用はともかく、華奢な外観は商品性に乏しく、前輪ブレーキがないなど性能的に不十分な面も多かった。数十台が市販されただけで製造中止となった。 富谷は後輪を1輪としたFRP製フル・モノコック車体の125cc2座キャビンスクーター「フジキャビン」を、富士自動車(東京瓦斯電気工業の後身。富士重工の前身・富士自動車工業とは全く無関係なメーカー。のち小松ゼノアに吸収)で開発したが(1956)、こちらもパワー不足と操縦安定性の悪い失敗作で、85台しか作られていない。

比較的まっとうな成績を収めたのは、自動織機メーカーから2輪車業界に進出していた鈴木自動車工業(現・スズキ)で、1955年に前輪駆動の360cc車「スズキ・スズライト」を開発した。これは実質は、西ドイツ・ボルグワルト社(Borgward)社のミニカー、「ロイトLP400(Lloyd LP400)」を軽自動車規格に縮小したような設計で、外観も酷似していた。乗用車・ライトバン・ピックアップトラックの3タイプがあり、乗用車タイプは名目上は大人4人が乗車できたが、実際は後部座席は子供が精一杯の広さだった。

だが乗用車・ピックアップの販売は不振で、1957年には後部を折り畳み式1座とした3人乗りのライトバン仕様のみとなった。このライトバン仕様「スズライト」も商業的に大きな成功は収められず、スズキの軽自動車生産が軌道に乗るのは改良型の「スズライト・フロンテ」に移行した1962年以降であった。

富士重工業の前身で、旧・中島飛行機を前身とする富士産業株式会社は、群馬県太田市の呑竜工場と、東京都下の三鷹工場において、1946年からスクーター「ラビット」を生産し、実績を上げていた。また、群馬県の伊勢崎工場では1947年から軽量なバスボディの製作で好成績を収め、1949年にはアメリカ製のバスに倣った、フレームレスモノコック構造(応力外皮構造)のリアエンジンバスを、日本で初めて開発している。何れも、航空機メーカーとしてのエンジン技術や金属モノコック構造設計に関する素地があっての成功であった。

その後、1950年にはGHQ指令による財閥解体で富士産業は計12社に分社され、太田呑竜・三鷹の各工場は富士工業(株)に、また伊勢崎工場は富士自動車工業(株)に改組される。

これら12社のうち、東京富士産業、富士工業、富士自動車工業、大宮富士工業、宇都宮車両の5社が協同出資して1953年に「富士重工業」が設立され、のち出資した5社が1955年に富士重工業に吸収合併されるという形で統合された。

P-1(スバル1500)
1950年、富士自動車工業専務取締役の松林敏夫は、普通乗用車の開発を企画した。伊勢崎でのバスボディ生産は好調だったが、当時の日本のバスボディ市場は過当競争状態でパイが限られ、これに頼り切ることは好ましくないと考えられたからである。石油供給の好転や、朝鮮戦争による特需景気も、新たな事業拡張の好機と考えられた。

1951年1月、富士自動車工業の設計係長であった百瀬晋六(ももせ しんろく、1919年2月20日-1997年1月21日)は、松林から乗用車開発を命じられた。百瀬は長野県塩尻市出身で戦時中に東京帝国大学(現、東京大学)工学部を卒業して中島飛行機に入社、航空エンジン用の排気タービン(ターボチャージャー)開発に取り組んだ経歴もあったが、戦後伊勢崎工場所属となり、専らバスボディの設計に当たっていた。

百瀬はバスボディ設計の傍ら、東京のGHQの図書館に通って海外の自動車に関する最新の資料を収集し、これを研究することで開発の素地を作った。その結果、当時の小型車規格一杯のサイズである1500ccのセダンを製作することになった。メカニズムは極力先進的な内容を志向した。

1952年6月、やはり中島飛行機時代からのベテラン技術者である小口芳門と、東大卒の新人であった室田公三が百瀬の下に配属され、彼らを中心とした小チームで、百瀬を主任設計者として1500cc級の乗用車開発を開始した。自動車開発は初めてであるだけに、関係者は「自動車を理解する」ことから開発を始め、苦心を重ねた。

1954年には試作車P-1(愛称「スバル1500」)が完成、翌年までに20台を試作し、うち、伊勢崎、太田、本庄でタクシー会社向けに6台のみを販売した。この4ドア車は、日本では初めて、世界でも早い時期のフル・モノコック構造の乗用車であった。前輪はウィッシュボーンとコイルによる独立懸架、また固定軸の後輪には低フリクションの3枚板バネを採用し、その性能は極めて優秀であったと言われる。

この車に当初積まれた4気筒の1500cc・48PSエンジン「FG4A型」は、富士精密がフランス製プジョー202のエンジンをベースに開発した製品で、本来はプリンス自動車工業の「プリンス」向けのエンジンで、その開発費もプリンス自動車工業が負担していた。結果、競合するプリンス側からの抗議もあり、富士精密からのエンジン供給は途絶した(富士精密は中島飛行機を前身とし、富士産業が分社した12社の1つだったが、富士重工業設立に参加せず、のちプリンス自動車工業と合併した)。

当時の富士自動車工業は、主に軽飛行機用大型エンジンと、スクーター用や汎用形の小さなエンジンしか作っていなかった。それでもこの事態に対し、大宮富士工業に依頼して4気筒OHV・1500ccエンジン「L-4型」を開発した。20%以上も軽量でありながら、富士精密FG4Aをしのぐ52PSの性能を達成している。

たが、先行メーカーが多数存在する1500cc級市場へ参入するのは勝算が薄いこと、またボディ、エンジンとも量産体制を整えるための投資が過大であることから、1955年12月9日、スバル1500の本格量産計画は正式に見送られた。この決定の影には、メインバンクである日本興業銀行の意向もあった。

ちなみに、「スバル」の愛称は、日本興業銀行から派遣されて富士重工業初代社長となった北謙治の手になるものである。北は銀行家出身ながら、「P-1」計画に対し積極的な推進の意向を持っていた人物である。

P-1の愛称は当初社内募集したが、投じられたのは車の印象に合わない外国名前や、「坂東太郎」などいささか見当外れな名称ばかりで、あきれた北社長は自ら「スバル」と命名した。

「スバル」=「昴」とは、よく知られているようにプレアデス星団のことで、六連星(むつらぼし)とも言われる。

古事記や日本書紀、平安時代の清少納言の随筆「枕草子」の中にも登場する非常に古い日本語で、『万葉集』で「須売流玉(すまるのたま)、また、『日本紀竟宴和歌』では「儒波窶玉(すばるのたま)」など、玉飾(たまぐし)を糸でひとくくりとしたものを「すまる・すばる」と呼び、「統一されている」「ひきいられている」という意味がある。

富士重工業が5社の合併により設立したことから、前身の中島飛行機系5社と富士重工業を含めた6社を「統べる」=「統合する」との思いが込められている。

この名称はその後カタカナ表記の「スバル」となり、21世紀初頭の現在まで富士重工業のブランドとして用いられている。

スバル360の開発過程
1955年12月のスバル1500本格発売断念と同日、富士重工業は、当時三鷹製作所で生産していた250ccのスクーター用エンジンの生産ラインを流用し、356ccの軽自動車用エンジンを製造することと、これを基にした大人4人乗りの軽自動車の生産を計画した。これは、当時の通商産業省が企画した、「国民車構想」を凌ぐ自動車である。

1955年当時、日本製自動車の品質・性能は欧米の自動車先進国と比較して著しく低いものだった。

1954年9月に「新・道路交通取締法」が施行され、全長×全幅×全高(mm)=3,000×1,300×2,000という寸法はそのままに、2ストローク、4ストロークエンジンともに排気量が360ccに統一され[1]、この新規格に沿った日本初の本格的軽自動車として1955年10月、鈴木自動車工業から「スズライトSF」が発売されたものの、当時の軽自動車市場はまだ確立されておらず、当初は月販数台というレベルで細々と生産されているに過ぎず、その他は技術力の乏しい中小零細メーカーによる未熟な製品か、ある程度の規模がある既存機械メーカーの手になるものでも技術的アプローチにおいて革新性を欠く製品が多かった。乗用車タイプのほとんどは開発の容易な2人乗り車であり、その最高速度は45km/h~65km/h程度の低水準に留まっていた。

しかし富士重工業は、大人4人乗車可能、路線バスの通る道はすべて走れる車というコンセプトの元、大胆な手法をもって軽乗用車の開発に挑んだ。その計画スペックは、軽自動車規格の枠内で大人4人を乗せることができ、空車状態での総重量は350kg、350cc級の15PSエンジンを搭載して最高速度 80km/hを想定するもので、もはや従来の既成概念では実現困難な内容であった。

エンジンの設計は三鷹製作所が、また車体・シャーシの設計は当時バスの生産を行っていた伊勢崎製作所が担当し、スバル1500の設計チームがそのまま新型車の設計チームとなった。三鷹側のチーフは菊地庄治、伊勢崎側のチーフは百瀬晋六で、設計は主に伊勢崎側主導で行われた。

当初はチャンネルフレームで組まれた試作台車にドライブトレーンを装備して試験走行するという手法で、テスト走行を開始している。これはスバル1500で行われた開発手法を踏襲したものであった。

スバル360の基本構成
フル・モノコック構造の超軽量車体後部に空冷エンジンを横置きし、後輪を駆動するリアエンジン・リアドライブ方式を採り、サスペンションは日本で初めてトーションバー・スプリング(棒鋼のねじれによる反発を利用したばね)を用いた極めてコンパクトな構造として、車内の客室容積確保を図った。タイヤは当時としては異例の10インチサイズを、これまた新規開発させて日本初採用した。

それまでの軽自動車・オートバイでしばしば見られた、既にある出来合いの部品を組み立てて製造する(町工場的な寄せ集めの)アッセンブリー方式ではなく、目的達成のために部品1つ1つを最適化した形で新たに設計するというレベルの高い手法を用いた。10インチタイヤの新規開発や、トーションバー・スプリングの導入はその最たるものである。そして、ねじもスバル360用に独自に設計されており、富士重工業のマークの「フ」の刻印を入れた純正ねじとなっていた。軽量化と客室スペース確保のためには文字通り手段を選ばず金も惜しまず、コストのかかる加工法や、アルミニウム合金、繊維強化プラスチック(FRP)などの高価な新素材も大胆に取り入れている。これらは富士重工と百瀬晋六の卓見であった。

またフル・モノコック構造の採用は、軽量化対策としてスバル1500での経験を活かしたものであり、元航空技術者を多く擁する富士重工技術陣にとっては自家薬籠中の技術と言えた。

駆動レイアウトについては議論があった。重量・スペースに制限のある超小型車においてプロペラシャフトは省略した方が有利であり、開発初期段階において技術陣は、前輪駆動車か、リアエンジン方式のいずれかの選択を迫られた。理論上のスペース効率では前輪駆動方式に長があり、車体後部をバンやトラックなど様々な形状にたやすく設計変更できるメリットがあった。この時代、すでに前輪駆動方式は実用化されており、スズキ「スズライト」のように日本での市販例も存在した。このため、計画段階で三鷹製作所の菊池庄治らは前輪駆動を主張していた。

だが前輪駆動車の場合、旋回中にも滑らかに前輪への駆動力を伝えられる「等速ジョイント」が必要になる。1950年代中期の時点では、耐久性とスムーズさを両立させた等速ジョイントを低コストに量産できる状況になく、市販されていたヨーロッパの前輪駆動車でもジョイントの耐久性不足と旋回時の特有な振動が最大の弱点になっていた。

百瀬晋六は前輪駆動の長所を知悉しつつも、このような等速ジョイントの問題によって開発が難航するであろうことを推察し、1950年代中期におけるより堅実な手法として、すでにフォルクスワーゲンなど多くの類例が見られたリアエンジン方式の採用を決定したのであった。

ボディ構造
2ドア4窓セダンボディ。日本の自動車業界において、独立したフレームを持たないフル・モノコック構造を量産車で実現した先駆的存在である。

当時、自動車ボディを構築するための鋼板は、最低でも0.8mmの厚さが必要と見られていたが、これでは軽量化の支障となると判断された。そこで、それまで通常強度部材には用いられていなかった0.6mm厚の鋼板をボディ素材に採用した。それでも十分な強度を得るため、車体は平面部分を避け、全体に「卵形」と表現される曲面で構成された(ただし、フロアパネルについては強度上の問題もあって1.2mm厚とした)。更に本体強度に影響のないフード等にはアルミ材も用いている。

屋根については、四辺の枠だけあればモノコック構造の強度は保てる。そこで天井部分は思い切って当時の新素材であったFRP(強化プラスチック)製とし、H断面のゴムで車体に固定する方式とした。これによって軽量化できただけでなく、全体の重心が下がり、また車内に響くエンジン騒音を車外に逃せる効用も生じた。もっとも生産形では、H断面ゴムのみで固定したせいで走行中の振動によってプラ屋根が突然に外れる問題も発生し、ネジ止めの補強が加えられている。また必要に応じ、屋根のふちにラジオ用アンテナ線を内蔵することも行われた。

ガラスは重量がかさむこと、またボディ開口部を小さくする目的もあって、フロントのウインドシールド及び側面窓は比較的面積が狭く取られている。ユニークなのはリアウインドウで、ここには安全規格上、ガラスを用いる必要がないことから、透明なアクリル樹脂板で代用することにした。軽量化の効果はあったが、長く使用すると変色が生じたという。

ドアは前席側のみの2ドアで、後方ヒンジ・前開きとし、ドア開口面積を前輪直後まで確保して、乗降性を良好にするよう努めている。安全性の面からは前開きは好ましくなく、このレイアウトは後年には廃れたが、1950年代半ばには乗降性の有利さから採用する自動車の例も多く、スバルが特異だったわけではない。

愛嬌のある卵形デザインには、強度確保も兼ねて、フロントフェンダーからサイドに至る波形のキャラクターラインが添えられ、そのままでは腰高過ぎるように見えかねないサイドビューを軽快にまとめる助けになっている。

スタイリングの過程
ボディ設計の担当者は室田公三であるが、車体のデザインは、社外の工業デザイナーである佐々木達三(ささき たつぞう 1906年-1998年)が当たった。戦前から船舶塗色や建築などのデザインを手がけてきたベテランの佐々木は、バスボディのカラーリングを通じて富士重工業とも関係があり、この縁から1956年に自動車デザインの依頼を受けたのである。

佐々木にとっても初めての自動車デザインであり、彼はデザインと並行して自ら自動車免許を取得、当時の代表的小型車であった日野ルノー・4CVを運転するなどして自動車の理解に努めた。フォルクスワーゲン似と言われることの多いスバル360だが、随所のディテールを見るとむしろルノー・4CVとの近似性があるのは、ここにも一因があると思われる。

佐々木は図面を書かず、模型を作るデザイナーだったため、デザインは佐々木の作った1/5倍粘土模型をもとに、これを拡大した等倍粘土模型を修正して石膏型をとるという方式がとられた。デザインベースとして富士重工で木型にボディ外殻の限界目安となる釘を打ったものが作られ、1956年6月1日に佐々木に引き渡された。佐々木はこれに粘土を盛りつけることでデザインの原型作りに着手、わずか3週間後の6月21日には原型模型を完成させている。

もっとも、佐々木の原デザインはやや鈍重なところもあり、等倍模型を製作するまでに、百瀬晋六と富士重工社内デザイナーの永田秀明による手直しがかなりの部分で行われたという。

等倍模型を用いた最終的なボディデザイン形成作業は、富士重工の伊勢崎第二工場内で行われた。佐々木も1956年9月から3ヶ月に渡って伊勢崎に滞在し、百瀬、永田らをも交えたデザイン作業に取り組んだ。こうして完成したボディデザインは、1957年3月完成の試作車で具現化し、量産型にも踏襲された。

なお自動車の客室スペースの検討に際して、通常はダミーモデルを用いるのであるが、スバル・360の場合は設計者たち本人が自分の身体でテストした。180cm超の長身で脚も長い百瀬晋六と、百瀬より背は低いが座高の高い室田公三とが、自らシートに座ってレッグスペースやヘッドクリアランスのテストを行ったのである。その結果、1950年代後半のほとんどの日本人が無理なく乗車できるだけのスペースが確保されたのであった。

従前の軽自動車のごとく大きな自動車の滑稽なまでに強引な縮小版ではなく、4人乗りミニカーのためのデザインという大前提のもと、機能と直結したクリーンな形態が実現されたことは画期的であり、スバル・360が日本の工業デザインの歴史において高く評価されている理由でもある。

室内
初期形の車内は、これ以上ないというほどに簡素な車内で、軽量化とコストダウンのためにあらゆる無駄が省かれている。航空機開発の経験を先例として可能な限り軽量化に徹した開発陣の意図が伺える。

ステアリングホイールは強度に問題のないギリギリにまで部材を細身に削られており、計器類はステアリングポスト上に配置されたスピードメーターとその中の積算距離計が唯一である。これまた最小限のスイッチ類が薄い「ダッシュボード」前面に備わる。ダッシュボード下には車体全幅に渡るトレーが設置され、荷物スペースの一助となっている。ドア窓は当初、横引きスライドの引き違い窓だったため、ドアパネル部分は客室内部容積の一部として上手く活用されていた。

フロント・サスペンションにトーションバーとトレーリングアームの組み合わせを用いることで、前席足元のレッグスペースは前車軸中心線より前方にまで及び、前輪のタイヤハウスによって片側を圧迫されはするものの、ともかく大人が足を伸ばせるだけの最大長確保に成功している。運転席足元は右足側をタイヤハウスに取られているため、アクセル・ブレーキ・クラッチの各ペダルは、車体センター寄りにオフセットしている。従って運転中には、両脚についてオフセット状態を強いられる。

シートは前後席とも、プレスしたアルミ合金の湯たんぽ(コルゲート、リブ形状)状のフレームをベースに、ゴムひもとウレタンフォームでクッションを整えてビニール表皮を張っただけという軽量かつ簡素な構造である。研究用車両として富士重工が購入していたシトロエン・2CVを彷彿とさせる内容で、座り心地は当時としてはまずまずの水準であったという。シートポジションはねじで予め調整する必要があった。リアシート乗車時には、フロントシートはラッチを外して背もたれを前傾できた。

開発当時、スバルに限らず、大衆車には贅沢装備と言えるものは与えられなかった。当初のスバル360の車内設備としては、エンジン冷却風の排熱を利用したヒーター(あまり強くは効かない)と、手動式のベンチレーターがあるのみだった。ラジオはオプションで装備できた。

乗員の激突時に備えると同時に豪華さを演出するためのクラッシュパッド、その他多くの計器類が追加されたのは、エンジン出力が向上し、量産効果でコストダウンも進んで、性能・コスト配分に余裕ができた後年のことである。競合車種並みのデラックスな内容が求められたのが理由である。

パワートレーン
強制空冷2ストローク直列2気筒・356ccエンジンを車体後部のエンジンルームに横置き搭載している。当初のスペックはグロス値で16PS/4,500rpmであった。

富士重工は、汎用小型エンジンでは早くからクランクケース圧縮式の空冷2ストローク方式を採用しており、1955年からはラビットスクーターにも導入して成功を収めていた。軽量かつ簡素で出力も稼ぐことができ、製造コストも安く、当時としては妥当な選択と言える。直列2気筒としたのは出力確保、振動、コストなどを総合的に配慮した結果であった。テスト台車での開発当初は西ドイツ・ボルグワルト社(Borgward)製の400cc前輪駆動車「ロイトLP400(Lloyd LP400)」の2ストローク2気筒パワーユニットで代用し、その後完全な新設計の自社製エンジンに移行している。

横置き配置としたのは、前後方向の省スペース化に加え、コストダウンの一環でもあった。縦置きエンジンでは駆動系の部品として駆動軸方向を直角に変向するスパイラル・ベベルギア(ねじり傘歯車)が必要になるが、横置きエンジンなら車軸と並行なのでこれを省略できたのである。スパイラル・ベベルギアの歯切りには、当時、アメリカ・グリーソン社製の優良な工作機械が必要で、これはきわめて高価だった。

富士重工はすでに1956年、ラビットスクーターS61型に「スーパーフロー」の愛称で変速機代用のトルクコンバータ仕様車を設定していた(変速ギア等なしでトルクコンバータのみで変速)が、スバル・360については堅実に一般的なマニュアルトランスミッション仕様とし、乾式単板クラッチとノンシンクロメッシュの前進3速・後進1速手動変速機の組み合わせとした。

この変速機もエンジンと並行配置で、当然ながら横置きとなった。シフトレバーはフロア式で、発売当初は横置き変速機を特別なリンケージなしにロッドで遠隔操作する制約から、普通の縦置きエンジン自動車のような縦 H 形でなく、横 H 形(エの字型)のシフトパターンとなっていた。これを活かしてユーザー間に「左膝で2→3速のシフトアップをやってのける」横着な操作法が編み出されたことは初期スバルの有名なエピソードとなっている。しかしさすがに実用面では普通のパターンの方がよいということになり、1960年に変速機のシンクロメッシュ化に際し、方向を変えるリンクを加えてノーマルな縦 H 形パターンに変更された。

変速機と一体構造のディファレンシャル・ギア(デフギア)から出た左右ドライブシャフトは、軽量化のためシャフトチューブなどがない露出状態となっており、外端でトレーリング・アームに吊られる。そのデフギア側、タイヤ側それぞれにカルダンジョイントが備わっているが、簡素化・軽量化のため、シャフト自体には伸縮するスプライン等を備えていない。従って車輪の揺動によって生ずる横圧はシャフト及びジョイントに直接掛かることになり、強度面で不安視もあったが、実際にはこの構造自体に起因するトラブルは生じなかった。シャフトの有効長を可能な限り伸ばして実質的な揺動角度を抑えるため、デフギア側のジョイントはギア内にめり込んだような作りになっている。

燃料タンクはエンジンルームの直上に配置している。タンクの蓋に小穴を開けてあり、燃料は重力で自然流下する二輪車同様の仕組みで、燃料供給ポンプは不要であった。当初は独立した燃料計がなく、燃料ゲージがタンク蓋に装着してあり、これでタンク内の燃料残量を見る必要があった。やはり二輪車同様に本タンクとは別にリザーバータンクがあり、燃料残量が少なくなった場合、コックを切り替えて走行するようになっていた。

空冷リアエンジン方式の弱点として、冷却対策が挙げられる。試作車では暑い時期にはオーバーヒートしがちで、冷却風の取り入れ、廃熱の排出などに多々苦労した末、熱気が上昇する流れも配慮して、リアのエンジンフードのルーバーから排気、車体側面に設けたグリルから吸気という冷却風レイアウトを決定した。

キャブレターへのエア吸入は、車体後部からだとほこりを吸い込みかねないという危惧から、前期型では車体先端にダクトを伸ばしてここから吸入していたが、フロント吸入になると今度は先行車の立てる砂塵を吸い込む事態も生じることや、1960年代中期になると道路整備が進んでほこり問題が改善されてきたため、1965年型から車体後部吸入に変更されている。

開発中、エンジンの排気ポートには、オイルの燃えカスであるスラッジやカーボンが恒常的に詰まり、パワーを低下させた。ポート形状変更など様々な工夫が為されたが根本的解決にはならなかった。最終的にオイル添加剤「ペンタルーブ」の採用で数千kmにわたりカーボン付着を抑制できるようになり、ようやく長期間オーバーホールを要しなくなった(同時期のラビット・スクーターの2ストローク車開発中にも同様な事態が起こり、やはりペンタルーブによって解消している)。このため、スバル・360は純正添加剤としてペンタルーブを指定していた。

サスペンション
懸架装置は前後ともトレーリングアームに横置きトーションバーとセンターコイルスプリングを組み合わせた、きわめて軽量・省スペースでサスペンションストロークの大きな4輪独立懸架構造である。ポルシェタイプのリアサスペンションはスイングアクスル式に分類される。

自動車用トーションバーは、当時の日本に製造しているメーカーがなく、富士重工はばねメーカーの日本発条に新たに開発・製造を要請した。当初の試作品は削り出し加工で作られ、1台分4本が合計4万円にもなる法外さで、車全体の予定価格の1割近くに達した。しかもメーカーの経験不足もあり、試験中に破損することもしばしばであった。その後、品質面で改善が進められ、また鍛造が可能になって量産体制が整ったことで、発売時点の価格は4本で数千円レベルに引き下げられた。このトーションバーと連結されて車輪を支えるトレーリングアームも、軽量化と強度確保という相反する課題のため破損続出に悩まされ、高価なクローム・モリブデン鋼を材質に使うことで解決している。

サスペンション方式に前後ともトレーリングアームを採用した背景には、やはり横置きトーションバー・トレーリングアームレイアウトのフォルクスワーゲン・ビートルの影響もかいま見ることができるが、特にフロントサスペンションのコンパクト化という点では普通小型車サイズのビートルに比して格別に徹底されたものがあった(ビートルはトーションバーを二段としたポルシェ式のダブル・トレーリングアームだが、スバルはより簡潔なシングル・トレーリングアームである)。これは後述のとおり、フロントシートのレッグスペース確保に絶大な効果を発揮した。

超軽量車の開発における問題点の一つは、積空差が著しく大きいことである。運転者1名のみの場合と、4人フル乗車の場合とで、車両の総重量は 150kg以上の差が生じ、空車での総重量350kgを計画している自動車には大変な重量差である。このような条件で、フル乗車時でも最低限のロード・クリアランスを保障し、サスペンションストロークも確保しながら操縦性と乗り心地を常に良好とすることには、非常な困難があった。

対策として当初考えられたのは、トーションバーの他に補助スプリングとして車体前後中央にエンジン動力で油圧を得て作動する補助スプリングを装備することだった。シトロエンのハイドロニューマチックシステムに近い発想であったが、試験では油圧スプリングユニットのオイル漏れを解決できず、油圧ポンプについても搭載スペース難やこれを駆動するだけのエンジン出力余裕の難など多くの制約があり、コストや開発期間も厳しかったことから、結局実用化は諦められた。

代案として、油圧スプリングを装備予定だった中央位置に補助のコイルスプリング1基を装備することになった。トーションバーに一定以上の大きな荷重がかかれば基部に接続するこのセンタースプリングが働き、ダンピング効果が生じるわけである。スイングアクスル式サスペンションでは避けて通れない問題として、リアのジャッキアップ現象があるが、後にスバル360でも横転事故の事例が多発するようになった。当初、前後輪それぞれにリンクされていたセンタースプリングは、横転対策としてリアサスペンションの剛性を確保するため、後部の接続を止め、後輪はトーションバーのみの支持に変更された。同時に後輪用トーションバーは径を太くし、対ロール抗性が高められた。

またダンパーについては、当初コストの制約から原始的なフリクションダンパーを用いざるを得なかった。これでは定量的なダンパーとしての効果には不満もあり、後に油圧ダンパーの価格低下でそちらに移行した。

当時の日本の自動車業界では、小型車の場合、乗り心地と悪路への耐久性・踏破性はおよそ相反するものと考えられていただけに、悪路をフワフワといなして快適に走行できるスバル360のサスペンションは感嘆をもって迎えられ、愛好者の間では「スバル・クッション」と称された。

タイヤ・ホイール・ブレーキ
1955年~1957年頃、軽自動車のタイヤは既存の規格品を用いることが多かった。例えばスズキの「スズライト」はダットサン用の大きな14インチタイヤを用いていたが、これは軽自動車用には分不相応で大きくて嵩張り、しかも重いタイヤだった。また住江製作所の「フライングフェザー」はリヤカー用タイヤとワイヤースポーク装備であり、他にもスクーター用タイヤを用いる零細軽自動車メーカーもあったが、元々4輪自動車用ではない代用タイヤでは性能面で限界があった。これらの状況は翻っては、できあいのパーツを多用せざるを得ないアッセンブリー・メーカーの限界とも言えた。

かように、タイヤが超小型車開発における文字通りの「足かせ」になっていた状況で、富士重工技術陣がスペース効率と軽量化の追求を目指し、必要なタイヤサイズを極めてコンパクトな「10インチ」級と割り出したこと、なおかつ、従来日本で製造されていなかった自動車用10インチタイヤを、新たにブリヂストンに開発依頼したことは、画期的であった。元々ブリヂストンと富士重工はスクーター用タイヤの納入で取引があったので、その方面からのコネクションが活かされた訳である。軽量化のため、補強コードを通常の4プライでなく半分の2プライにしたが、「2プライで4プライ並みの強度を」という富士重工の要望は厳しいもので、テストではパンクも頻発し、ブリヂストン側も実用域に達するまで苦心を重ねたという。

同時代にイギリスのBMC社で開発されていた「Mini」も、専用タイヤとしてダンロップで新開発させた10インチタイヤを採用しており、同時期の着想として興味深い事実と言える。

スチール製のタイヤホイールについても、普通車並みの重い「合わせリム」を避け、外枠のみで軽量な「割りリム」とした。これはルノー・4CVなどで多くの先行例があったが、特にバネ下重量軽減策として効果があった。

ステアリングギアはラック&ピニオン式である。当時はウォーム&ローラー式などが主流の時代で、日本で普及していたラック&ピニオン式の自動車としては日野自動車がライセンス生産していたルノー・4CVぐらいに限られていたが、スペース効率に優れ、軽量かつ簡潔で操縦性も良いことから採用された。

ブレーキは当時としては一般的な油圧式の4輪ドラムブレーキである。

ネーミング
スバル360という車名は、正式には誰も決定しなかった。デザイナーの佐々木が、以前の試作車の名が「スバル1500」であったと聞き、勝手に車に「SUBARU 360」のロゴをつけたことから、自然と名称が決定した。佐々木によれば、百瀬晋六をはじめとする富士重工開発陣の間でも「スバル」をペットネームとして用いることは暗黙の了解となっていた模様である。

なお、この車につけられたスバルのエンブレム(六連星マーク)は、富士重工の社内募集案に佐々木が手を加えたもので、何度かのデザイン変更が行われているが、基本モチーフは継承され、現在でも富士重工業のマークとして踏襲されている。

耐久試験と運輸省認定試験
試作1号車は1957年4月20日に完成。その後、試作車は4台まで増産され、それぞれが過酷な試験走行を繰り返し、完成にこぎつけた。

当時の試験走行は、伊勢崎から高崎までの未舗装道路を往復する1日あたり16時間・600kmの長距離連続走行テスト、そして伊勢崎から赤城山山頂付近までエンストなしで往復する登坂テストであった。

試作車のエンジンは酷使されてほぼ毎日故障したため、三鷹製作所から伊勢崎に派遣された技術者が徹夜で修理・調整し、翌朝には再び、試験走行が繰り返された。

当時未舗装であった赤城山登山道路の標高差1000m近い連続急勾配区間は、当時の普通乗用車でもオーバーヒート覚悟の過酷なコースであり、4名を満載してのスバルの登坂も、幾度となくエンジンの過熱に阻まれた。冷却対策をはじめとするこれらの問題も最終的に解決され、試作車は赤城山の上にノンストップで到着可能となった(この赤城山登坂成功の時期には、1957年8月説と、運輸省認定試験を目前に控えた1958年2月説がある)。

従来の軽乗用車の多くが、このような厳しい条件での耐久テストを行っていたかは不明であるが、少なくともここまで徹底したテストを行ったことがスバルの信頼性確保に大きく寄与したことは間違いない。『マン・マシンの昭和伝説』によれば、この試作車にプリンス自動車の中川良一やトヨタ自動車の長谷川龍雄が試乗している。今では考えられないことであるが当時は自動車メーカーの枠を超えた技術交流会があり、試作車を乗り比べをすることもあった。長谷川は製造上の問題として外板の継ぎ目線を指摘した。

運輸省の認定試験は1958年2月24日に箱根で行われた。テストドライバーは社員の福島時雄が担当した。負担となる重量を僅かでも減らすため、福島は2月の寒い最中でありながら、つなぎの下に薄い下着だけという非常な軽装で運転した。この試験では、運輸省の職員2名が同乗しなければならなかったが、1人の職員はスバルがあまりに小さい車であることにおそれを抱いて乗車を拒み、代わりに1名分55kgの重りが乗せられたという。認定試験でも箱根越えの試験コースを予定以上の快速で登坂するなど、好成績を収めた。

最終的に、発売時のスペックは空車重量385kg、エンジン出力16PS、最高速度83km/hとなり、目標よりやや重量を超過したものの、ほぼ計画した通りの性能を満たした。

発表
スバル・360が市販車両として公式にプレス発表されたのは、1958年3月3日の昼12時、会場は東京都内の千代田区丸の内にあった富士重工業本社であった。

プレス発表というイベントに慣れていなかった富士重工のスタッフは、実車無し、カタログのみで発表を済ませようとしていたが、大挙参集した報道陣から「実車はどうした」と催促され、急遽2台のスバル・360がトラックで伊勢崎から運ばれることになった。夕方4時まで辛抱強く待った記者たちは、トラックから降ろされたスバルを代わる代わる運転し、その乗り心地と走行性能を体験することになった。

反響は著しいものであった。国内の自動車メーカー各社からも関心を持たれ、日本国内のメディアのみならず、イギリスの老舗自動車雑誌「オートカー」をはじめとする欧米の自動車雑誌にも取り上げられるなど、当初から強く注目される存在となった。販売1号車の顧客が松下幸之助であったことは有名な逸話である。

富士重工業はすでにラビットスクーターの代理店網こそ整備していたが、一般向けに4輪自動車を販売したことはなく、スバル発売に際してはそのディーラー網整備から始めなければならなかった。このため、販売店については既存のスクーター代理店、既存の四輪車ディーラー、商社などを利用して各都道府県に手配された。当初のディーラーは、東京地区では主として伊藤忠商事(1958年5月より販売)、また大阪地区では高木産業(1958年7月より販売)で、全国一斉販売開始ではなかった(販売網整備が進んでいなかった時代ゆえにやむを得ないことではあった)。

発売後の経過
1958年型の販売台数は385台である。この数でも当時の軽乗用車販売数としては大変な実績であったが、実用に堪える性能が市場から評価されて売れ行きを伸ばし、1961年度型は17000台を突破した。比較的短期間で販売網を整備し、また姉妹車として、新たに開発した本格的軽4輪トラックスバル・サンバーを1961年に発表してこれが大成功を収めたことで、新規参入メーカーにとっての障壁となる販売網の弱さを改善できた。これによって、四輪車メーカーとしての基盤固めができたことは、富士重工業にとって幸運であった。

1960年にはスバル・360と基本構造を共通としつつもデラックス仕様のボディと大型バンパー、423ccエンジンを備える小型車規格の上級モデル「スバル・450」が発売されたが、さしたる実績は収めることができなかった。

1962年に発売されたデラックスな装備のマツダ・キャロル360に攻勢を掛けられたが、重い車体に重い水冷4気筒エンジンを積んで重量の嵩んだキャロルに比し、軽いため動力性能で勝るスバルは、デラックスモデルの導入で巻き返しに成功する。同時期には三菱はミニカ、ダイハツはフェローで軽乗用車市場に参入してきたが、知名度と販売力を高め、また長期の量産効果によって値下げも進められたスバルの首位は揺るがなかった。

しかし、1967年に本田技研工業から桁外れに高性能で低価格なホンダ・N360が発売されて以降は販売が伸び悩み、軽自動車市場の販売台数首位をホンダに譲らざるを得なかった。このため、通常モデルはN360による馬力ブーム対策として最終的に25PSまで出力向上されたほか、1968年には若年層を狙ったスポーツモデルとして36psを発揮するEK32型エンジンを搭載した「ヤング SS」と25psだが内外装をスポーティ仕様とした「ヤングS」を発売したが、基本設計の古さによる陳腐化は否めず、1969年発売の後継車スバル・R-2と入れ替わる形で同年8月に生産が打ち切られた。 一方でその独特なフォルムと自動車史に燦然と残る経歴から生産中止後も根強いファンも多く、現在でもまれに路上を走る姿を見かけることがある。

輸出仕様
スバル360はごくわずかであるが、左ハンドル仕様も生産され、当時米国統治下にあった沖縄にも輸出された。

また米国本土ではラビットスクーターを輸入していた実業家、マルコム・ブリックリン (w:Malcolm Bricklin) らによって販売されたこともあった。しかし、非常に小型であったことや、折からラルフ・ネーダーによって指摘されていたシボレー・コルベア、フォルクスワーゲン・ビートルなどのリアエンジン車の安定性問題にも影響され、大きな実績を上げるには至らなかった。

輸出仕様の名前は「スバル・マイア」であったが、この名前は後に3代目スバルレオーネの特別仕様車にも使われた。

スバル360コンバーチブル
元々FRP製で取り外しても車体強度に影響の無かった屋根部分を、オープンにできるよう、巻き取り式の幌に置き換えたタイプ。シトロエン・2CV、初代と2代目のフィアット・500など、欧州の大衆車に多く見られるタイプ。完全なオープンカーでは無く、キャンバストップの一種であり巻き取り量で開口面積の調節が出来る。通常の屋根には無い開放感が得られることはもちろん、閉めた状態での篭り音が少なくなる利点もある。

スバル360コマーシャル
スバル360の屋根部・後席窓側面パネルに手を加え、商用車として使用可能としたモデル。セダンボディのレイアウトのままで屋根は幌とし、ドア直後のBピラー部分直後側面の後席窓回りのパネルを外側に倒し、ベニヤ板張りとした後部スペースへの荷物搭載アクセスを改善した。商用車として無理が多いことは否めず、短期間の生産に終わった。

スバル360カスタム
コマーシャルに代わる本格的な商用バンモデル。スバル360の車体後部に折り畳みシートと荷室を設け、使いやすいバンボディとした。エンジン周りの補機類のレイアウトをサンバーと共通とすることで、荷室の床を低くし、容積の増大と使い勝手の向上を図った。

スバル450
エンジンを423ccにボアアップし、大型バンパーを装着した。主に輸出向けモデルだった。日本国内でも販売されたが、実際には普通小型車扱いになるにもかかわらず、360に比べて70ccほどの排気量増大に過ぎず、居住性にも差がなかったため、360の性能向上に伴って存在意義は薄れ、ほとんど販売実績はなかった。


[ 2008/06/29 13:20 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru Alcyone SVX Ad 1991 1'00"

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スバル・アルシオーネSVX(Alcyone SVX)は、富士重工業が1991年9月に発売を開始した5人乗り2ドアクーペタイプの乗用車である。

日本国内向きにはアルシオーネの2代目にあたるが、海外では単にSVXという別モデル扱いをされる。国際性のあるグラントゥーリズモと位置づけ、開発のポイントとして、先代の高い空力性能は引継ぎつつ、悪天候下における安全性を兼ねそろえることが目標とされ、240psを発揮するEG33型3300cc水平対向6気筒エンジン(レガシィ ブライトン220用EJ22型水平対向4気筒SOHC16バルブ2200ccをベースに2気筒追加し、ヘッドを狭角DOHC化したもの)と、トルク配分式4WDシステムを搭載した。尚、総排気量が3300ccとされたのは、3000ccターボエンジンと比較して、「GTには自然吸気のフィーリングのほうが相応しい」という理由から、3000ccに1割増しの余裕が与えられたためである。尚、スポーツカーさながらのスタイルを持っているものの、スペシャルティカーという設定とされた為、マニュアルトランスミッションは設定されなかった。

また、先代モデルのデザインセンスを叩かれたことからジョルジェット・ジウジアーロにエクステリアデザインを依頼した。また、グラスtoグラスのキャノピーは、ドアガラスがルーフ面にまで回り込む形状のデザインでサイドウィンドウ全体を開閉できないため、その一部だけが切り欠くように開閉するという斬新なミッドフレームウインドーを日本で初めて採用した。

意欲的なコンセプトとメカニズムを持った同車であったが、スバルというブランド自体が当時の高級GT市場の顧客と結びつかず、販売面では苦戦を強いられた。高年次車は販売台数が伸びなかったため、販売価格と内容をともに落とすモデルとなった。国内販売台数は生産終了までの期間で僅か5,884台、海外輸出分を含めた総生産台数は2万3,750台ほどに留まった。

1996年12月、バブル崩壊による高級車(特に2ドアクーペなどのスペシャリティモデル)市場の冷え込みと、レガシィの大ヒットにより、スバルのイメージリーダーカーとしてのアルシオーネは役割を果たしたとし、生産ラインをフォレスターに譲り生産終了となる。

車名の由来
SVXとは、「Subaru Vehicle X」の略。スバルが提唱した「グランドツアラー」を象徴した呼び名である。

グレード・輸出仕様と日本仕様の相違など・・・
* Version L =型式CXD 生産台数1905台 1991年9月~1992年9月 舵角センサー感知による電動4WS

* Version E, S3, S4など=型式CXW

外観では内装以外に区別できないが、操舵系が大きく異なり、全く別の車といえる。

最も台数が少ない仕様はCXD SRS(サンルーフ付)レッドマイカ色で僅か 45台のみ生産された。CXD全体の生産台数が少ない事もありレッドマイカは115台に留まり生産月は通算6ヶ月のみであった。

* 最後期グレードであるS4のオートマチックトランスミッションはレガシィ用をベースとしていたが、それ以外はレオーネ用をベースにしていたため、耐久性に問題があった。パーツリストによると細かな内部部品については度々変更されているが、S4を境にトランスミッション・アッセンブリーとコントロールユニットが変更されている。

* 輸出専用バージョンが多く製造された。ファイナル比が異なり最高速度が若干違うが200km/h以上で巡航が可能。アメリカ仕様の4WDは、日本仕様で採用されていたVTD-4WDではなく、旧アルシオーネに搭載されていた直進性に優れたACT-4が採用された。また最廉価版である2WDバージョンも存在した。

o 主な輸出国:アメリカ、イギリス、ドイツ、オランダ、ルクセンブルグ、ベルギー、スイス、フランス、スペイン、オーストリア、オーストラリア、ブラジル、イスラエル、タイ。4WDシステムは各国の道路事情でACT-4またはVTDが採用されている。

* 自動溶接38%、手溶接62%、溶接打点5000ポイント以上(更に増打ち工程がありプラスαがあった)他車>4000程度。現代の車作りで二度とこのような事は行われない。骨格部分のみ精度の向上の為一括自動溶接している。

* 当時世界最高厚の厚め付け亜鉛メッキ鋼板が使われた。

* 艤装精度は他の車種の50%増し ガラスとボディーのピンとの穴はわずか0.2mmの誤差しか許容されていない。

* 90%がオリジナル部品で互換性が他の車種とない。一般的な規格ねじ類を除くとほぼ100%、オーディオのコネクターまですべてオリジナルで、他のスバル車との共通性はない。ショックアブソーバーの径はどの国産車とも異なり10%程太くアフターパーツも存在しない。(日本車(エアサスを除く)の円筒の径は基本的に同じ)

* 耐寒、耐熱、高速試験に世界中で延べ100万kmにわたる実走試験を行っている。

* この時代のスバル車にしては珍しく、ホイールのPCDは100ではなく日産の同クラスと同じ114.3となっている。


[ 2008/07/13 14:39 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru Impreza CDN commercial 2008 0'42"

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インプレッサ(IMPREZA)は、1992年に発売を開始した富士重工業の生産する乗用車である。

レオーネの後継車種として、そしてレガシィの下位モデルという位置付けで登場し、世界市場・・・特にヨーロッパにおけるCセグメント市場を狙ったスバルの世界戦略車としての役割も担っている。

3代目GE・GH・GR型(2007年6月-)
ノーマルモデル
商品コンセプトを「新快適スタイル」とし、先代までに存在したスポーツワゴンが廃止され、ドアサッシュ付4ドアセダンと2代目トヨタ・プリウスに似たコーダトロンカスタイルの5ドアハッチバックの2モデルとなった。ただし、日本では、現在4ドアセダンは発売されず、5ドアハッチバックのみの販売となっている。なお、いずれのモデルも全幅が1700mmを超えるので3ナンバーとなる。シャシーはBL/BP型レガシィのプラットホームをベースにした「SI-シャシー(Subaru Intelligent Chassis)」を新採用、リアサスペンションの形式が従来のストラット式から新開発のダブルウィッシュボーン式へと変更された。ドアも従来のサッシュレスドアから、サッシュドアに変更された。

エンジンは1500ccモデル「15S」はEL15型DOHC16バルブ、2000ccモデル「20S」はNA仕様がEJ20型SOHC16バルブであり、ツインスクロールターボ仕様「S-GT」がEJ20型DOHC16バルブである。これに伴い既存の1500ccのEJ15型SOHC16バルブエンジンは今回から廃止された。この3代目から2000ccターボ車のグレード名が「WRX」から「S-GT」となり、事実上の後継グレードとなった。過激なスポーツテイストは影を潜めており、どちらかというとグランドツーリング志向な車である。ただし、北米輸出モデルは先代同様「WRX」のグレード名を使用する。

  2007年11月20日、新型インプレッサはアメリカの保険団体の衝突安全テストで、最高評価を獲得した。また、2008年4月21日国土交通省などが、安全性能の評価が最も高い車に与える2007年度の「自動車アセスメントグランプリ」に選ばれ表彰を受けた。

発売当初からアナウンスはあったものの、しばらくセダン投入の動きは見られず、富士重工は「日本市場の様子を見てセダンの販売を検討していく」としていたが、同年11月29日、日本国内でもセダンを投入すると報じられている。

WRX STI
2007年10月24日に発売。先代までのセダンボディから、ショートオーバーハングの5ドアハッチバックボディとなった。型式はCBA-GRB。

エクステリアでは大きく張り出しエッジを効かせた前後フェンダーを採用し、独自の存在感を出した。

インテリアでは、新たにレカロ社製フロントバケットタイプシートをメーカー装着オプションで設定。本革巻3本スポークステアリング、3連式のレッドルミネセントメーターや、テレスコピックステアリングも採用された。

走行面では、SI-DRIVEやマルチモードDCCD、マルチモードVDCなどのメカニズムが新たに採用された。EJ20ターボエンジンは280馬力の大台を超え最大出力308馬力となり、同時に低中速トルクも向上したほか、デュアル可変バルブタイミングリフト化が行われた。走行性能を高めながらも、「平成17年排出ガス基準50%低減」を達成した。

年表
* 2007年4月 ニューヨーク国際オートショーで発表(ワールドプレミア)。
* 2007年6月4日 フルモデルチェンジ。
* 2007年10月24日 追加モデル「WRX STI」発売。
* 11月14日 特別仕様車「BEAMS EDITION」発表・発売。
o セレクトショップのBEAMSとコラボレートしたモデル。ボディカラーにBEAMSのイメージカラーであるオレンジが設定されているほか、専用の本革シートを装備している。
* 2008年5月15日 特別仕様車「15S コンフォートセレクション」発売。消臭ルーフトリムなどの快適装備が標準装備となっていた。また、ボディカラーでは、15Sに初めてWRブルー・マイカとスパークシルバー・メタリックが設定された。

車名の由来
インプレッサの名称、IMPREZA とは、「紋章」「金言」などの意を持つ英語“IMPRESA”からの造語である。<bR>
モータースポーツ
インプレッサは、市販車両を基に改造された車両が世界ラリー選手権(WRC)などラリーにしばしば登場し、シトロエンやプジョーと互角の争いを繰り広げている。日本では三菱自動車工業のランサー・エボリューションと並び称せられる。

WRC(世界ラリー選手権)には、1993年シーズン終盤の第9戦「1000湖ラリー」から投入され、あわやデビューウィンの鮮烈なデビューを飾ったのを皮切りに、1994年には、1990年、92年のWRCドライバーチャンピオン、C.サインツのチーム加入を得て、第6戦「アクロポリス・ラリー」で初優勝、マニュファクチャラーズポイントで2位に。さらに1995年には8戦中5勝を挙げて、本格参戦から6年目にして、マニュファクチャラーズタイトル、ドライバーズ・タイトル(C.マクレー)のダブルタイトルに輝いた。続く1996年、97年とスバルに日本メーカーでは唯一の3年連続のマニュファクチャラーズタイトルをもたらした。また、2001年にはリチャード・バーンズが、2003年にはペター・ソルベルグが、それぞれWRCドライバーズ・タイトルを獲得。さらに2005年にはプロダクションカーWRC(PCWRC)で新井敏弘がシーズン・チャンピオンを獲得するなど、WRCを通じて、スバルの世界的なブランド・イメージの構築に大きく貢献している。

最近のWRC(世界ラリー選手権)における成績は決して悪くはないが、先代の圧倒的な強さはない。その理由に現在のWRCの主流が小型・軽量でより有利なハッチバックモデルへと移行していることや、資金の問題がある。資金が豊富なプジョー(2005年限りで撤退)やシトロエンに比べテストが不足し、マシンの開発や熟成に時間がかかっている。デビューの1993年を除けば、1994年から2005年まで優勝していたが、2006年、2007年と2シーズン連続で未勝利に終わった。

マニュファクチュアラーズチャンピオン3回(1995年、1996年、1997年)、ドライバーズチャンピオン3回(1995年、2001年、2003年)を獲得している。 WRCにおいてラリーステージの下見(レッキ)に行く際の車としてランエボと共に使用される事が多い(大抵のWRC参戦メーカーは自社の市販車に四輪駆動車を持たない事が多い為)

サーキット
インプレッサはラリー以外の分野でも活躍している。SUPER GT(旧:JGTC)には4ドア車が特認車両として出場している。4WD禁止というレギュレーションの為、以前は後輪駆動化されていたが、4WDが解禁となった2006年途中からAWD(4WD)仕様が参加している。また、インプレッサの活躍で2008年より4ドアが公認となった。

スーパー耐久では2002年・2005年にST2クラス(旧クラス2)のシリーズチャンピオンを獲得している。

全日本ツーリングカー選手権(JTCC) にも1996年と1997年にSYMSレーシングからスポーツワゴンで出場している。レギュレーション上、駆動方式の変更が認められていた為、FRとし、同一メーカー製造のエンジンであれば換装可能であったので、当時の生産車には存在しなかったEJ20ベースの自然吸気DOHCエンジンが搭載された。

D1グランプリにチームオレンジのマシンとして初代、2代目(涙目、鷹目GDB)が使用されていた。スバルの水平対向4WDは縦置きであり、センターデフの小加工でFRにできる為、比較的早く4WD改FR仕様が製作された。無論、後輪に全出力が集中する為、駆動強化は必須となる。


[ 2008/07/14 15:13 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru Rex CM 0'30"

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レックス (Rex) は、富士重工業で生産されていたスバル360、R-2に続く軽自動車である。

外観は凡庸
レックスは、その前任者であるスバル360や R-2、あるいは後継のヴィヴィオに比べて、よく言えば落ち着いた、悪く言えば凡庸なデザインのクルマであった。初代こそ若干のアクがあり、スバルらしさを残していたと言えるが、2代目、3代目はアルトやミラといった強力なライバルと対抗するため、基本コンポーネントの部分で大きな冒険は出来なくなっていた。この2代目、3代目は、スズキやダイハツには及ばなかったものの、オーソドックスな構成が商品としての競争力を向上させ、一定のシェアを確保し続けるなど、スバルの経営に貢献した、優等生的存在であった。

タフネス・スバル
デザイン面では個性の少なくなった2代目レックスだったが、機能面でのマーケットの評価は低くはない。レックスでは、サスペンションにコイルスプリングが採用され、トーションバースプリングは補助的な役割に後退したものの、なお四輪独立懸架を貫き、依然ロードホールディングに優れていた。エンジンは他社が3気筒へと移行する中、2気筒を堅持し、騒音と振動では不利であったが、トランスミッションとともに十分な耐久性を持ち、扱い易いものであった(ただし初期のECVTは電磁クラッチの動作不良が多発した)。

4気筒は災い転じて福となる
レックスの打ちたてたエポックの中に、550ccへの規格変更以降では初となる、直列4気筒、SOHC、4ストロークエンジンの採用(EN05型)がある(360cc時代には、マツダ・キャロルのアルミ製4気筒エンジンの採用例がある)。当初このエンジンは2気筒のEK23をベースに4気筒化したもので、ボディの設計を大幅に変更することなくエンジンルームに納められるようになっていた。ところが、直後に運輸省(現・国土交通省)から軽新規格(660cc旧)が発表された。スバルの技術陣には寝耳に水の事態であった。車体も多少大きくなるものの、他社の直列3気筒エンジンとは異なり、ボア(シリンダー径)アップのみではエンジンルームの容積を超えてしまう。苦肉の策として、上下方向への拡大、すなわちストローク(ピストンの最上時と最下時の位置差)アップでこれに対応した。

ところが、これは結果的に吉とでた。通常、マルチシリンダー化(気筒数を増やすこと)を行うと、トルク特性は広い回転域で均一化され、扱いやすくなる反面、低回転時のスロットルレスポンスが悪くなり、回転の上昇も鈍くなる。一方、ロングストローク化すると、トルクの最大値が増加し、低速域の回転上昇が速くなる傾向にある。その為、スバルの660cc4気筒エンジン「EN07」は、4気筒の静粛性と、他社3気筒並みのトルクを兼ね備えたエンジンへと成長する事が出来た。

後に、他社も軽4気筒を開発するが、3気筒を凌ぐ出力を発揮できても、いずれもフリクションの増大から燃費が悪化する傾向にあった。また、各社とも 3気筒と変わらない、スバルの2/3程度のショートストロークを採用した為、トルク不足が深刻になった。これらの理由で、主力商品となることなく、消えていった。スズキはいわゆる「660cc新」の規格に移行した際、オールアルミの3気筒エンジンに統一し、4気筒を廃止した。ダイハツは乗用車ではしばらく3気筒との併売であったが、トルク不足からターボチャージャー車[1]のみの設定へと移行して行った。三菱はWRCでのスバルとのライバル関係もあり、地道に改良を続け2007年12月現在では唯一、パジェロミニに搭載している[2]。三菱製は4気筒ながら、静粛性では他社に劣る。また、「エンジン屋」ともいえるホンダにいたっては、ユーザーにメリットなしとして、端から4気筒エンジンの商品化には無関心であった。

初代(1972年~1981年)
* 1972年7月 - 初代登場。1971年に追加された水冷R-2をベースとした。駆動方式はRRを採用し、当初は2ドアセダンのみの展開。このため、R-2は空冷セダンとバンを残して併売された。エンジンは2サイクルで、キャブレターの仕様により3種が設定されていた。デザインはR-2の反省を踏まえ、前年発売のレオーネに似た、ウェッジシェイプを強調したもので、当時の若者層に受け入れられるデザインにしたようなのであったが、好き嫌いの分かれるものとなっていた。後発のバン・ワゴンを含む2ドアモデルのアウタードアハンドルは独特のグリップ形状をしている。グレード展開は、シングルキャブ32馬力仕様が上からカスタム L、スーパーL、ラグジュアリー、デラックス、スタンダード。シングルキャブ35馬力仕様がTS、ツインキャブ37馬力仕様がGSRであった。カスタムL とスーパーLには、アイドリング時のパラパラ音を減少させるスバルISVを装着。

* 1973年3月 - 4ドアセダンを追加。ディビジョンバーのないリヤドアウインドウが特徴であった。グレード展開はカスタムL、スーパーL、ラグジュアリーの3種。同時に、シングルキャブ32馬力仕様全車にスバルISVを拡大設定。

* 1973年10月 - マイナーチェンジ。公害対策のため、エンジンを2ストロークから4ストロークに変更。このときスポーティーグレードはカタログ落ち。最上級グレードであるカスタムLにフロントディスクブレーキと4輪ディスクホイールを採用。

* 1974年2月 - カスタムLに5速MTを装着したカスタム5と、2人乗りバンを追加。カスタム5は、5速化による静粛性と低燃費を謳っていたものの、クロースなギアレシオ設定で、4速車に比べキビキビした走りが可能であった。バンは乗用車のシルエットそのままのモデルで、2ドアセダンを大改造せざるを得ない富士重工の苦しい台所事情が伺える。また、RRというエンジン搭載方法はそのままだったため、荷室高が足りないという欠点を補うべく、フロントのトランクが残された。荷室高の小ささは、後にハイルーフとすることでやや改善されたが、他車と比べれば不足気味であった。

* 1974年9月 - マイナーチェンジでワゴンを追加。ベースモデルはバンスーパーL。バン発売時から4人乗り仕様の要望が高かったが、後席のヘッドクリアランスを稼ぐため背もたれを寝かせた結果、荷室長が減少、乗用登録のワゴンとなった。同時にナンバープレートの大型化に対応。軽自動車初のブレーキモニターをセダンカスタム L・カスタム5・スーパーL・ワゴン・バンスーパーLに装着。

* 1975年4月 - バン4人乗りを追加。荷室高[3]の拡大を狙ってハイルーフを採用。くしくもボンネットタイプのモデル(乗用・商用ともに)でハイルーフをカタログ上で謳ったのはレックスが国産初であった。バン4人乗りの発売に伴い、バン2人乗りを廃止。

* 1975年12月 - 既存の360cc4サイクルエンジンで51年排出ガス規制適合(SEEC-T)。同時にラインナップを一新し、3ドアワゴンを廃止。

* 1976年5月 - 軽自動車の規格改定に伴い、500ccに排気量をアップするとともにボディを拡幅。

* 1977年5月 - 53年排出ガス規制に適合、同時にフルスケールの550ccになった。

* 1978年3月 - 2ドアセダンにリヤガラスハッチを装備した「スイングバック」を追加。

* 1979年10月 - スズキ・アルトのライバルとして、47万円に値下げしたバンに「ファミリーレックス」を追加。ベーシックな多目的車として先駆的存在だったため当初は善戦したものの、1980年にダイハツ・ミラ(デビュー当時は「ミラ・クオーレ」)が発売されるに及んで基本設計の古さが目立ったため販売台数は頭打ちとなり、翌年に駆動方式を180°転換したFFの2代目にスイッチされる。

* 1980年3月 - 電磁粉体クラッチを用いたクラッチペダルレスの「オートクラッチ」を追加。

車名の由来
「Rex」はラテン語で王様の意味。


[ 2008/07/15 15:30 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru Rex CM 0'30"

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レックス (Rex) は、富士重工業で生産されていたスバル360、R-2に続く軽自動車である。

外観は凡庸
レックスは、その前任者であるスバル360や R-2、あるいは後継のヴィヴィオに比べて、よく言えば落ち着いた、悪く言えば凡庸なデザインのクルマであった。初代こそ若干のアクがあり、スバルらしさを残していたと言えるが、2代目、3代目はアルトやミラといった強力なライバルと対抗するため、基本コンポーネントの部分で大きな冒険は出来なくなっていた。この2代目、3代目は、スズキやダイハツには及ばなかったものの、オーソドックスな構成が商品としての競争力を向上させ、一定のシェアを確保し続けるなど、スバルの経営に貢献した、優等生的存在であった。

タフネス・スバル
デザイン面では個性の少なくなった2代目レックスだったが、機能面でのマーケットの評価は低くはない。レックスでは、サスペンションにコイルスプリングが採用され、トーションバースプリングは補助的な役割に後退したものの、なお四輪独立懸架を貫き、依然ロードホールディングに優れていた。エンジンは他社が3気筒へと移行する中、2気筒を堅持し、騒音と振動では不利であったが、トランスミッションとともに十分な耐久性を持ち、扱い易いものであった(ただし初期のECVTは電磁クラッチの動作不良が多発した)。

4気筒は災い転じて福となる
レックスの打ちたてたエポックの中に、550ccへの規格変更以降では初となる、直列4気筒、SOHC、4ストロークエンジンの採用(EN05型)がある(360cc時代には、マツダ・キャロルのアルミ製4気筒エンジンの採用例がある)。当初このエンジンは2気筒のEK23をベースに4気筒化したもので、ボディの設計を大幅に変更することなくエンジンルームに納められるようになっていた。ところが、直後に運輸省(現・国土交通省)から軽新規格(660cc旧)が発表された。スバルの技術陣には寝耳に水の事態であった。車体も多少大きくなるものの、他社の直列3気筒エンジンとは異なり、ボア(シリンダー径)アップのみではエンジンルームの容積を超えてしまう。苦肉の策として、上下方向への拡大、すなわちストローク(ピストンの最上時と最下時の位置差)アップでこれに対応した。

ところが、これは結果的に吉とでた。通常、マルチシリンダー化(気筒数を増やすこと)を行うと、トルク特性は広い回転域で均一化され、扱いやすくなる反面、低回転時のスロットルレスポンスが悪くなり、回転の上昇も鈍くなる。一方、ロングストローク化すると、トルクの最大値が増加し、低速域の回転上昇が速くなる傾向にある。その為、スバルの660cc4気筒エンジン「EN07」は、4気筒の静粛性と、他社3気筒並みのトルクを兼ね備えたエンジンへと成長する事が出来た。

後に、他社も軽4気筒を開発するが、3気筒を凌ぐ出力を発揮できても、いずれもフリクションの増大から燃費が悪化する傾向にあった。また、各社とも 3気筒と変わらない、スバルの2/3程度のショートストロークを採用した為、トルク不足が深刻になった。これらの理由で、主力商品となることなく、消えていった。スズキはいわゆる「660cc新」の規格に移行した際、オールアルミの3気筒エンジンに統一し、4気筒を廃止した。ダイハツは乗用車ではしばらく3気筒との併売であったが、トルク不足からターボチャージャー車[1]のみの設定へと移行して行った。三菱はWRCでのスバルとのライバル関係もあり、地道に改良を続け2007年12月現在では唯一、パジェロミニに搭載している。三菱製は4気筒ながら、静粛性では他社に劣る。また、「エンジン屋」ともいえるホンダにいたっては、ユーザーにメリットなしとして、端から4気筒エンジンの商品化には無関心であった。

2代目(1981年~1986年)
* 1981年10月 - 9年ぶりの全面変更。初代とくらべ最大の変更点は、スバル360時代から続いていた駆動方式・RR方式(リアエンジン、リアドライブ)からFF方式(フロントエンジン、フロントドライブ)への変更であった。これにより、室内空間は他社並となった。ホイールベースはクラス最大。スズキ・アルト等で当時流行の4ナンバー・ボンバン型(ボンネットバン = 2BOX)はレックス・コンビというネーミングとなった。ここからはこれまでの吊り下げ式クーラー(オプション)に代わって、ヒーター一体型のビルトインエアコンをやはりオプション設定するように改められた。

* 1982年 - フジサンケイグループの通信販売部門「ディノス」と提携して、業界初の通販モデル「ディノス・レックス」が登場した。

* 1983年10月 - 3ドアセダンモデルとコンビに4WDが追加された。FFと4WDの切り替えにバキュームを用いたパートタイム式で、走行中でも低速であれば、シフトノブ内の赤いスイッチで切り替えが可能であった。

* 1983年12月 - コンビのFF仕様にターボモデルも追加された。三菱・ミニカに継いで2例目。コーナーリング中にアクセルオフするとタックイン現象が起こる、FFのクセが強いグレードであった。ちなみに軽クラス初のフロントベンチレーテッドディスクブレーキを採用している。

* 1984年9月 - マイナーチェンジ。ヘッドランプを丸形2灯から角形2灯へ変更。同時に4WDターボも設定された。

* 1985年9月 - 助手席回転シートを装備したフルカラーの女性仕様レックス・uとレックスコンビ・i、標準エンジンの5速MT仕様車をそれぞれ追加。軽ボンバンの全盛期であるにもかかわらず、レックスでは5ドアセダンのSXが販売の中心となった。


[ 2008/07/16 15:43 ] SUBARU | TB(0) | CM(1)

Subaru Rex SuperCharger CM 0'29"

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3代目(1986年~1992年)
* 1986年11月 - 3代目登場。エンジンは先代と同様のSOHC直列2気筒だが、1気筒あたり3バルブ仕様(吸気2バルブ、排気1バルブ)エンジン搭載のスポーティグレードも存在した。4ナンバーバンの「コンビ」には「VIKI(ヴィキ)」グレードが設定された。

パッケージングは大幅に見直され特に居住空間は従来型以上に広くなった。またノークラッチ仕様も従来のオートクラッチから2速フルATとなった。3ドア車がレックス・コンビ、5ドア車がレックス・セダンとなった。

* 1987年1月 - 5ドアセダンフルタイム4WD車とコンビ5ドアヴィキを追加。

* 1987年6月 - ECVT車を追加。ホワイトで統一した限定車ヴィッキーをセダン・コンビ共に発売。このグレードは前期型(1989年6月まで)度々発売された。セダンのヴィッキーは5ドアのみだが消費税導入後は3ドアセダンにも追加された。

* 1988年3月 - スーパーチャージャーを追加。エンジンは2気筒3バルブEGIインタークーラー付きスーパーチャージャーでネット55馬力までパワーアップしてきた。3ドアバンコンビと5ドアセダンに設定。既存グレードは30馬力仕様&2速AT仕様は廉価版のみとし36馬力の3バルブ仕様にパワーアップした。コンビにもフルタイム4WDを追加。

* 1988年5月 - 電動キャンバストップ装備の3ドアセダンを追加。スーパーチャージャーと標準仕様の2タイプ。

* 1989年6月 - マイナーチェンジでエンジンを直列4気筒クローバー4のEN05型(標準仕様38馬力・スーパーチャージャー仕様61馬力)へ。ATは全車ECVT化される。CMには松田聖子を起用。

* 1990年4 月 - 軽規格変更に伴いエンジンを660ccに拡大(スーパーチャージャー仕様64馬力・標準仕様42馬力・EMPi仕様<MT48馬力・ECVT46馬力>)。バンの「コンビ」の商標が廃止されて「レックス・バン」に改称されている。前回のマイナーチェンジからそれほど時間のたっていないレックスはヘッドライトの変更とバンパーを含む前端部分の延長等にとどまった。この時フルモデルチェンジしたのはミラ(同時にクオーレを統合)のみで、アルト、ミニカ、トゥディはレックス同様のマイナーチェンジとなり、また、スバルはサンバーをフルモデルチェンジしている。規格の変更時期がメーカー各社のモデルチェンジのサイクルと同調していない為、規格変更のたびにこのように足並みのそろわない状況となる。CMキャラクターは山田邦子が起用された。

* 1992年3月 - 生産終了。後継車はヴィヴィオである。


[ 2008/10/07 12:18 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru Alcyone 0'33"

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アルシオーネ (ALCYONE) は、富士重工業が過去に製造していた2ドアクーペタイプの乗用車である。

1985年6月7日、富士重工業はパーソナル・スポーツクーペ「アルシオーネ」シリーズを発売した。国内発売に先立つ1985年1月に、すでにスバルXTクーペとして「デトロイト・ショー」で初披露され、富士重工業としては初の海外先行発売車種となった。

「デトロイト・ショー」デビューに際して、各国のモータージャーナリストを招いた大々的な試乗会や、ハリウッド映画へ登場させるなど、「XTクーペ」へのアメリカ市場における富士重工業の期待の大きさを窺わせた。入念な事前プロモーションの結果、アメリカ市場では、発売直後こそ非常に好調な販売で推移したが、1985年9月の「プラザ合意」以降の急激な円高のために商品力が低下。急遽、既存のEA型水平対向4気筒エンジンに2気筒を追加して、6気筒、排気量2.7Lの「XT6」(日本名:アルシオーネ2.7VX)が企画され、1987年、販売に移された(アメリカ発売は1988年度から)。

しかし、「廉価でスタイリッシュなクーペ」から「先進的な高級パーソナル・クーペ」への突然の趣旨変えが受け入れられたとは言い難く、期待されたアメリカ市場での販売を回復することは出来なかったため、コンポーネントから専用設計とした「SVX」に再起を賭ける事になった。

メカニズムでは従来の油圧多板クラッチに専用コントロール・ユニットによるパルス制御を取り入れることにより、前後駆動トルク配分を自動制御する「ACT-4」、オートマチックトランスミッションの4速化、電動モーター・アシストによるパワーステアリング「CYBRID」、ABSのライン装着など、非常に意欲的なアクティブ・セイフティに対する姿勢は、現在でも一部に高い評価がある。

1985年6月の発売時には、VRターボ(4WD)、VSターボ(FF)の2グレードで、VRターボのみ3速ATと5速マニュアルの選択が可能だった。

1986年3月にVSターボの3速ATを追加。

1987年7 月に、2.7VXを追加(「E-4AT」4速ATのみの設定)。また、VRターボはVRに、VSターボはVSに、呼称が変更され、ATが3速から4速になり、4WDのAT車のトランスファはMP-T(マルチプレート・トランスファ)からACT-4(アクティブトルクスプリット4WD)になった。

因みに、新車解説書や整備書には、3代目レオーネ(オールニューレオーネ)の2ドア版と書かれている(2.7VX以外は、3代目レオーネとの共通部品が多い)。

エクステリア
リトラクタブルヘッドライトを採用した特徴的なウェッジシェイプ(くさび形)のスタイリングで、カタログには「エアクラフトテクノロジーの血統」と国産車で初めてCD(空気抵抗係数)値=0.30の壁を突破、CD値=0.29を達成し、CD×A(空気抵抗係数×前面投影面積)=0.53、CLF(揚力係数(前))=0.10、 CLR(揚力係数(後))=0(いずれもVSターボ)という空力性能の理想の徹底追求が大きく謳われており、

* リトラクタブルヘッドライト採用の低いフロントフード
* フロント、リヤウィンドウの傾斜角を同じ28度に設定
* 複雑な三次元成形のリヤウィンドウ採用による、フラッシュサーフェス・ラップラウンド・キャビン
* ライズアップ格納機構を備えたコンシールドタイプ・シングルブレードワイパーの採用
* ボディからフローティングさせた「スペースドアミラー」
* 可動式フラップでボディ表面の凹凸を完全になくす「エアプレーンタイプドアハンドル」
* アンダーフロアのフラットボトム化
* タイヤハウスへの風の巻き込みを防止するサイドエアフラップ
* ボディ下部に流れる空気を整流してスムースに流すリヤアンダースポイラー
* 空気抵抗と揚力低減に最適なハイデッキ、ダックテール形状

などが列挙されている。自動車工学では車両の空気抵抗の低減は燃費、高速安定性など自動車の性能向上に有効であることは、1960年代後半からのレーシングカーにおけるウイング、スポイラーなどの採用による劇的な性能向上によって証明されていたが、市販乗用車でアルシオーネほど空力性能を訴求した例はなく、それがどれほどの効果があったのかはともかく、今なお、斬新なボディ・スタイリングとともに、現在もアルシオーネを特徴付けているポイントである。アルシオーネ登場以降、国産各社のカタログにも空力についての記述が見られるようになり、その影響は決して小さくなかったといえるだろう。

一方、2,465mmというホイールベースは3代目レオーネ(AA型)と全く同じで、全長×全幅×全高=4,450(4,510※2.7VX)×1,690×1,335(1,295※VSターボ)mmという寸法は、1982年登場の2代目ホンダ・プレリュードの全長×全幅×全高=4295×1690×1295mm (XX)にかなり近い。

ボディカラーはVRターボ、VSターボともにツートンカラーとし、ホワイト、レッド、ブルー、ダークグレーのそれぞれがライトグレーとの組み合わせとなっている。

1987年7月、水平対向6気筒エンジン搭載の2.7VXの登場に伴い、アルシオーネ・シリーズはマイナーチェンジ。2.7VXにはパールホワイト・マイカ、ディープレッド・マイカ単色の専用色が与えられ、開口部を拡大したフォグライト埋込の大型衝撃吸収バンパー、 14インチアルミホイールを装着。また、フロントフードのエアインテークが省略される。4気筒シリーズについては2トーンカラーを継続。ホイールの14インチ化に伴う、新デザインのホイールキャップの採用など変更は軽微に留まり、差別化が図られた。またグレード名から「ターボ」が外れ、単に「VR」「VS」と呼ばれるようになった。

インテリア
低めの着座位置に高いセンターコンソールといった、当時の「スペシャリティ・クーペ」の文法に適ったドライビングポジションに、センターコンソールから運転席前方に続く切り立った広い平面に、スイッチ、メーター類を散りばめた、壮観なインストルメントパネル、ガングリップ・タイプのシフトレバー、左右非対称のL字型スポークステアリング、一般的なコラムスイッチの機能をそれぞれボタンスイッチに分割して独立したパネルに配置した「コントロール・ウィング」の組み合わせは、当時の富士重工業の主張する個性が良くも悪くも形になったものである。

また、テレビゲームさながらのデザインが話題になった「エレクトロニック・インストルメントパネル」[2]と呼ばれる液晶式デジタル・メーターも用意された。

前期型は、簡単な減算・平均車速表示機能の付いたトリップコンピューター[3]、4スピーカーロジックコントロール機能付きAM/FMチューナーカセットコンポも標準装備とされ、当時の富士重工業のフラッグシップに相応しいフル装備を誇った。

内装色には、前期型が標準車が明るいブラウン系内装、ブルー・メタリック2トーン外装色にブルー系内装にモケット+ビニールレザーの組み合わせ。

1986年、ビニールレザー張りだったリアシートを、フロントシートと同一のモケット生地に改めた。

1987年のマイナーチェンジ以降は2.7VXのみがダークブラウンに毛足の長いディンプルモケット生地の組み合わせ、4気筒エンジン搭載の標準車にグレー内装、ブルー・メタリック2トーン外装色にブルー系内装とモケット生地の組み合わせとなった。

エンジン・ドライブトレイン
エンジンは、レオーネ1.8LGTターボと共通の水平対向4気筒OHC「EA82ターボ」(最高出力:135ps/5,600rpm、最大トルク:20.0kg-m/2800rpm(いずれもグロス値))を搭載。低くスラントしたフロントノーズのために補機類配置が見直されている(スペアタイヤは、エンジンの上でなく、後部トランク内に収納されている)。

VRターボAT車には、急加速時、急制動時、雨天時に、アクセル、ブレーキ、ワイパーと連動して、自動的にAWDに切り替わる 「AUTO-4WD」 システムが搭載されていた。これは当時パーツサプライヤーの供給するABSの作動精度が現在に比べ著しく甘く、そもそも前後のドライブトレインを連結した AWD なら、加速・制動時のホイールスピンやロックを防ぐために効果的であることから考えられたシステムで、現在のAWDの高度な駆動力制御の先鞭をつけたものといえる。、VRターボの5速マニュアル車は、副変速機「デュアルレンジ」を装備しない、当時の富士重工業のAWDラインナップの中でも最もシンプルなシステムが与えられた。VSターボは、国内向け3代目レオーネにはFF+EA82型ターボの設定がなかったため、当時の富士重工業のラインナップの中でも異色の存在だった。

1987年7月のマイナーチェンジで追加された2.7VXには、既存のEA82型エンジンに2気筒を追加した、水平対向6気筒OHC「ER27」エンジンが搭載された。ボアおよびストロークは「EA82」と共通であるが、このエンジンがアルシオーネ以外に搭載されることはなく、事実上、専用設計となっている。最高出力:150ps/5,200rpm、最大トルク:21.5kg-m/4,000rpmを発生した。

2.7VXおよびVRには、MP-Tの油圧をパルス制御することによって、前後の駆動力配分を自動的かつ連続的に変化させる 「電子制御アクティブトルクスプリット4WD(ACT-4)」を搭載。これは2WDに比べ駆動力に優れる AWD 本来の特性に、前後の駆動力を変化させることで自動車の操縦性まで変化させることを可能にした画期的な駆動力制御で、現在の 「VTD-AWD」につながる富士重工業のAWDシステムの中核に位置する技術である。また、2.7VX、VRのオートマチックトランスミッションには、それまでの3速に代わり、4速の 「E-4AT」 が与えられた。6気筒・4気筒シリーズともにトランスミッション・ギヤ比は共通である。また、このマイナーチェンジで、VRの5速マニュアルトランスミッション車は、それまでのパートタイムAWDから、レオーネRX-Ⅱ と同じバキューム・サーボ式デフロック機能を備えた、遊星歯車センターデフ付のフルタイムAWDに改められた。

2.7VX 専用の水平対向6気筒エンジン「ER27」は、1985年10月、第26回「東京モーターショー」に参考出品されたアルシオーネベースのコンセプトカー「ACX-II」で公開されている。「ACX-II」は走行可能なコンセプトカーで、走行シーンも公開されたが、この時点では、同時に参考出品されていた「レオーネ3ドアクーペ・フルタイム4WD」[5]と共通のバキューム・サーボ式のデフロックを備えた傘歯車式センターデフ・マニュアルトランスミッションとの組み合わせで、ブリスターフェンダーによって3ナンバーに拡幅された全幅やショーカーらしい数々のギミックは明らかに商品化を前提にしたものではなかった。

しかし、1985年9月の「プラザ合意」以降の急激な円高は、それまで廉価を売り物にアメリカ市場でのシェアを拡大してきた日本車に、軒並みアメリカへの工場進出によるアメリカ社会との共存と付加価値の高い高級化への路線転換を迫った。

当時、レオーネとアルシオーネ、収益率の悪いジャスティしか持ち駒のなかった富士重工業にとって、主要マーケット・アメリカでの深刻な販売不振の打開策として急遽「ER27」エンジンの市場投入は決定した。しかし、商品化に2年もの時間を必要とした上、レオーネの狭いエンジンルームには搭載することは不可能[6]で、この後、1980年代後半にかけての富士重工業の混迷振りを象徴するような商品化となったのは皮肉な話である。

シャシー・サスペンション
シャシー・サスペンションともに、基本的にはレオーネ1.8LGTターボと共通だが、2.7VX、VRターボがE-PS(エレクトロ・ニューマティック・サスペンション)と呼ばれる、オートセルフ・レベリングつきエアサスペンションを装備するのに対し、VSターボはコイルスプリング・サスペンションとなる。E-PSはハイトコントロール(車高調整)機構付きで、標準車高の165mmとハイ車高195mmの2段階で任意の車高を選択可能で、ハイ車高で 80km/hに達すると自動的にノーマル車高へ復帰、さらに50km/h以下になると自動的にハイ車高に戻る機能を備えていた。

また、2.7VXには富士重工業としては初となる、4センサー対角セレクトロー[7]方式を採用した、当時としては非常に高度なABS制御と、AWDの前後駆動トルク配分制御「ACT-4」、さらに電動パワーステアリング「CYBRID」との統合制御を行うという、積極的なアクティブ・セイフティ(能動安全性)の一歩進んだ形を提案。このシステムは各方面から絶賛を浴び、その後の世界の自動車メーカーのアクティブ・セイフティの考え方に与えた影響は極めて大きい。

トピック
* アメリカなどでは「XTクーペ」という名前で主に女性ユーザーに人気となった。同車の女性ユーザー比率は64.3%と、コンパクトでスタイリッシュなところが女性を引き付けたらしい。

* 新宿のスバルプラザで展示されていたVXは車高を低く見せる為に「重し」を乗せていた事はスバリストの間で有名な話である。

* 当時の富士重工では社用車としてレオーネを使っていたが、他人と同じ自動車に乗ることを嫌った当時の社長は、アルシオーネを社長用の社用車として使った。2ドア車であるため、社長は助手席に乗る事になった。

* 1985年発売から6年間での輸出分を含めた総生産台数は9万8918台だった。

* アルシオーネは国内デビュー直後の1985年8月、オーストラリアで行われた「ウインズ・サファリ・ラリー」に、当時、富士重工業社員でS.M.S.G(スバル・モーター・スポーツ・グループ)の監督兼エースドライバーだった高岡祥郎(コ・ドライバー:B.レイク)が出場。オーストラリア大陸を縦断する総走行距離5,690kmの過酷なこのマラソンラリーで、2日目にエンジントラブルで惜しくもリタイヤとなったが、アルシオーネ唯一の国際ラリー出場車両として現在でも人気が高い。

名前の由来
すばる(プレアデス星団)の中でおうし座の名前 「アルキオネ」(Alcyone)にちなんでおり(スバルのマークで言えば六連星のうちの一番大きい星)、スバルのフラグシップであることを表している。


[ 2009/06/04 11:38 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru Leone 1984 0'30"

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レオーネ (LEONE) はスバルブランドを展開する富士重工業で生産されていた自動車である。セダンとステーションワゴンの他、多くのボディバリエーションを持ち、レガシィやインプレッサが登場する前の基幹車種だった。

3代目(1984年-1994年)
OEM生産車以外では最後のレオーネとなった3代目(オールニューレオーネ)は1984年7月16日に、まず4ドアセダンとして発売され、10月25日に3ヵ月遅れでツーリングワゴン/エステートバンが追加された。

ボディサイズは一回り大型化されて平面と直線を基調としたものになり、フラッシュサーフェス化されて「Cd値=0.35」という良好な空力特性が大きくアピールされた。

伝統の水平対向4気筒「EA型」エンジンは、1800ccのみ「EA81型」のバルブ作動方式をスバル・1000以来のギア駆動のカムシャフトによるOHVからタイミングベルト駆動のカムシャフトによるOHCに改めた「EA82型」に進化し、わずかながらも高回転化が可能となって高出力化(ターボの場合、グロス135馬力、ネット120馬力)された。

最上級グレードのGTにはエアサスペンションが採用され、車高調整機能の「ハイトコントロール」もついていた。

1985年11月にはドアミラーを、フロントサイドガラス前方に追加されたガセットに固定するタイプに変更し、下級グレードのホイールハーフキャップの意匠を変え、GT・GRにサンルーフ装着車を設定する小変更を行い、新たに「3ドアクーペ」シリーズを発売した。

デビュー当初のマニュアルトランスミッション車の4WDシステムは依然パートタイム方式で、アウディ・クワトロ以来のフルタイム化の流れに取り残されていたが、国内初のマニュアルトランスミッションのフルタイム4WD乗用車のマツダ・ファミリア4WD(1.6Lターボ)に僅かに遅れて、1986年4月発売の「3ドアクーペRX-II」(1.8Lターボ)から、傘歯車(ベベルギヤ)とバキューム・サーボ式のデフロック付きのセンターデフの採用によってセンターデフ付きフルタイム4WD化され、10月にはセダン/ワゴンにも採用が拡大された。このとき、セダン/ワゴンのフロントグリルとテールランプの意匠変更が行われた。翌1987年10月には、電子制御式4速AT「E-4AT」採用とあわせ、それまでのMP-T4WDから専用のコントロールユニットによるパルス制御によって前後トルク配分を予測制御する「ACT-4[8]」(電子制御MP-T)と呼ばれる、高度な制御方式を持つフルタイム4WDへ発展させ、ようやくフルタイム化の時流に追い着いた。

1989年2月、レガシィの発売により、販売車種がセダン1600のマイア/マイアⅡとエステートバン1600LCのみに縮小された。1992年10月、インプレッサの発売によりセダンが販売終了したが、バンは1994年3月まで継続生産された。警察の捜査用覆面パトカーとしても多数導入されていた。

車名の由来
「レオーネ (LEONE) 」とはイタリア語で雄ライオンの意味で転じて「勇者」を表す


[ 2009/09/10 16:12 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

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インプレッサ(IMPREZA)は、スバルブランドを展開する富士重工業が生産・販売する乗用車である。1992年に発売を開始した。

レガシィの下位モデルという位置付けで登場し、世界市場=特にヨーロッパにおけるCセグメント市場を狙ったスバルの世界戦略車としての役割も担っている。 後述するが、日本車としては1代1代のモデルサイクルが長いことでも知られる。

初代GC・GF型(1992年-2000年)
パッケージングはCセグメントと5ドアハッチバックそのものだが、スバルは5ドア版にステーションワゴンとしての使い勝手を追求した上で、新たに「スポーツワゴン」という概念を打ち出した。

また、年次改良や特別仕様車の積極的な投入により、日本車としては異例の8年という非常に長期に渡るモデルサイクルを通じて高い商品力を維持した。

レガシィRSに代わりWRC(世界ラリー選手権)参戦車両として最高性能が与えられたモデルには「WRX」の名が冠された。エンジンもレガシィRSに搭載されていたEJ20型・DOHCターボ(240ps)が搭載された。

ボディ・デザインはスバル内部によるものである。「フローイングライン」と名付けられたなめらかなシルエットなど、ほぼすべての角が丸められた柔らかなイメージを特徴としている。

シャシーは、初代レガシィをベースに開発され、全長で200mm、ホイールベースで60mm狭められ、全高を10mm嵩上げしている。ホワイトボディで175kgと、初代レガシィの200kgに対し25kgの軽量化、車両重量では80kgの軽量化を実現している。

エンジンは、全グレードに水平対向4気筒「EJ」型を採用している。初代レガシィRS(BC5)から引き継いだ「EJ20G」、「EJ20」のシリンダライナーの変更によりボアを4.1mm縮小した「EJ18」、「EJ18E」のストロークを9.2mm縮めた「EJ16E」、さらに「EJ16E」のシリンダライナーの変更によりボアを2.9mm縮小した「EJ15E」の4種類が存在する。

トランスミッションは、NA車用として5速マニュアルトランスミッションとE-4ATが用意され、ターボ車用は、5速マニュアルトランスミッションがノーマルレシオとクロスレシオ、それにE-4AT・VTD-AWDトランスミッションが用意された。しかし、このマニュアルトランスミッションはファンの間で「ガラスのミッション」と呼ばれ、チューニングを進めた場合壊れやすいことで悪名が高かった(レオーネのときと基本構造が変わらないミッションを搭載していたため)、だが実際は400馬力程度までならストリート及びサーキット走行においても特に問題はない。ただ、ゼロヨン競技等、急激にトルクがかかるような使い方をすれば強度不足を露呈することになる。

WRX type RA STi、WRX type R STiには、「DCCD(ドライバーズコントロールセンターデフ)」が機械式リアLSDとの組み合わせで用意された。DCCDとはシフトレバー脇に設置されたダイヤルで前後輪のトルク配分を任意調節出来る機構である。作動原理は、電磁式クラッチを応用したものである。 合わせて、リヤデフがR180にサイズアップされ、機械式LSDが組み込まれる。またリヤドライブシャフトも太いもの、サイドブレーキのドラム径が大きいものが採用されている。

サスペンションは、フロントがL型ロアアーム式ストラット、リアが2本のラテラルリンクとトレーリングリンクを組み合わせたストラット式で、初代レガシィと共通である。セダンWRXのMT車にはバネ下重量軽減のため、アルミ合金製鍛造フロントロアアームを新たに採用している。

ブレーキは、ベンチレーテッドディスクブレーキが前輪に全車標準装備されており、WRXでは後輪にも奢られている。また、D年改以降のSTiバージョンにはフロントに対向4ポットキャリパーと16インチ対応ディスクロータ、E年改以降のWRX type RA STi、WRX type R STiにはさらにリヤ対向2ポットキャリパーと15インチ対応ディスクロータが採用された。

年表
* 1992年10月22日:インプレッサ・シリーズ(セダン、スポーツワゴン、セダンWRX)を発表、11月2日から発売。

* 1993年9月:一部改良でBタイプとなる。要望の多かったワゴンWRXを追加。同時にMTのみであったセダンWRXにもATを追加(220馬力)。翌1994年1月、STI製コンプリートカー「WRX STi」発売。環境対策としてエアコンガスの新冷媒の採用。

* 1993年8月:WRCデビュー。

* 1994年10月:一部改良でCタイプとなる。セダンWRX系が260馬力に出力アップ。同時にAT廃止。1.8LのHX edition Sに、このWRX用のフロントバンパーが標準となった。また、WRX系のアルミホイールが16インチになったのに併せ、タイヤも205/55R15から 205/50R16にサイズアップされた。「WRX RA STi」の追加。

* 1995年1月 輸出向け2ドアクーペを「リトナ」名で国内発売。1.5L FF/1.6L 4WDの2種類。

* 1995年10月 ガードバーやスペアタイヤキャリアを備え車高を上げることでクロカン車の雰囲気を持たせた「グラベルEX」を設定。この試みは、後の「フォレスター」への試金石ともなった。また、正式カタログモデルとして「STiバージョン2」が登場。同時にWRCをイメージさせる青いボディカラー[6]の「STiバージョン2 555」をセダン555台、ワゴン100台で限定発売。

* 1996年1月:前年のWRCにおけるドライバー・メイクス両タイトル獲得を記念した限定モデル「V-Limited」を発売。販売台数は「WRX」ベースが1,000台、「WRX RA STiバージョン2」ベースが555台。

* 1996年9月:中期型へのマイナーチェンジでDタイプとなる。フロント廻りを中心としたエクステリアの変更がおこなわれ、リア・コンビネーションランプのターンシグナル部分をクリアーに改める。またアルミホイールも新デザインとなっている。セダンWRX系のエンジンは高回転高出力化の図られた EJ20Kに変更され280馬力に到達、またEJ15、EJ18も改良を受けた。EJ20Eを搭載した「HX20S」の追加(特別仕様車からカタログモデルに格上げ)。EJ16は廃止。FFのみであった1.5リッターに4WD車の追加。住友製フロント対向キャリパーを採用したSTiバージョン3の登場。販売不評の国内向け2ドアクーペは廃止(同じ車体でピュアスポーツクーペWRXとして復活)。

* 1997年9月:一部改良でEタイプとなる。前面衝突安全性への対応のため、運転席エアバッグの標準装備化、助手席エアバッグのオプション設定を起因とする内装の大幅な変更(フォレスターと共用化)。STiバージョン4の登場。「WRX RA STi」「WRX R STi」でリヤブレーキにも対向キャリパーが採用される。

* 1997年10月:東京モーターショーにクラシカルな風貌の「カサブランカ」を参考出品。

* 1997年11月:台湾・大慶汽車工業股份有限公司で左ハンドルモデルの現地生産を開始。1.6L、1.8L、2.0Lターボモデルを生産。

* 1998年3月:22B-STI Version発売。
o 当時WRCで3連覇を成し遂げたインプレッサWRC97を、ロードカーとして再現したモデル。クーペボディをベースに、鋼板プレスの専用ボディパネル(前後フェンダーパネル)および専用バンパー(前後)を用いたハンドメイドにより1770mmまで全幅が拡げられたほか、エクステリア・パーツがWR カーの意匠に統一されていた。エンジンは、22B専用の水平対向4気筒「EJ22改」2212ccエンジンを搭載。400台限定で価格は500万円だったが、瞬く間に完売した。
o 余談であるが、スポンサーロゴの「555」を16進数に変換すると「22B」になる事から、グレード名の由来のひとつではないかと言われている。

* 1998年9月:後期型へのマイナーチェンジでFタイプとなる。WRX系のフロント形状を変更。全車ヘッドライトがマルチリフレクター・タイプに改められた。セダン・クーペSTiには大型トランクスポイラーが標準装備。F・Gタイプでは、全車フェイズ2と呼ばれる新設計のシリンダーブロック、シリンダーヘッドを採用。エアフローセンサーをはじめとした補機類も一新。2.0L DOHC・NAのスポーティグレード「SRX」が新登場。その他のエンジンも改良を受けた。WRX系にカヤバ製倒立式ストラットの採用。STiバージョン 5の登場。

* 1998年12月:5,000台の限定車として「カサブランカ」を発表。

* 1999年9月:一部改良でGタイプとなる。STi系の大型トランクスポイラーの断面形状の変更、WRX STiとSTiタイプRにフロントアンダースポイラーを追加。ワゴンWRX STiとWRX系のアルミホイールが6スポークデザインのものへ変更。「WRX type RA STi」、「WRX type RA」にはオプションで砲弾型ドアミラーが設定された。MT車にクラッチスタートシステムの採用。STiバージョン6の登場。「カサブランカ」がカタログモデルとなる。

* 2000年4月:STIによるコンプリートカー「S201 STi Version」発売。
o STIによりチューニングされたEJ20エンジンは、最高出力300馬力を誇った。また、サスペンションやエクステリアも、STIの技術が注ぎ込まれていた。300台限定で、価格は390万円だった。

ラリー
インプレッサは初代から一貫してモータースポーツ、特にラリー競技と切り離せない関係にあり、世界ラリー選手権(WRC)ではシトロエンやプジョーと互角の闘いを繰り広げ、国内イベントでも常にチャンピオン争いに絡む活躍を見せてきた。2リッタークラスのラリー競技用車両としては、日本はもちろん世界的にも三菱自動車工業のランサー・エボリューションと並び称せられ、特に近年のグループNクラスはほぼこの2車種が独占する状況にあるなど、スバルの世界的なブランド・イメージの構築に大きく貢献している。

WRCでは、これまでマニュファクチュアラーズチャンピオン3回(1995年、1996年、1997年)、ドライバーズチャンピオン3回(1995年、2001年、2003年)を獲得している。また、競技本番用としてだけでなく、ラリーステージの下見(レッキ)を行う際の車としてスバルチーム以外にも使用されることがある(大抵のWRC参戦メーカーは自社の市販車に四輪駆動車を持たないことが多いため)。

2008年12月16日、スバルは世界的不景気の影響を理由にWRC参戦の終了を発表し、これに伴ってワークスインプレッサのWRC参戦が無くなった。

初代4ドア・グループA (1993年~1996年)
ホモロゲーション名は「インプレッサ555」。 WRC(世界ラリー選手権)には、1993年シーズン終盤の第9戦「1000湖ラリー」からレガシィに代わって投入され、アリ・バタネンのドライブにより初参戦にして2位という鮮烈なデビューを飾った。1994年には、1990年、92年のWRCドライバーチャンピオン、C.サインツのチーム加入を得てその繊細なセッティング能力によって戦闘力が一気に向上、第6戦「アクロポリス・ラリー」で初優勝を果たし、マクレーの手による2勝と併せてマニュファクチャラーズポイントでも2位を獲得した。1995年には8戦中5勝を挙げて、スバルは本格参戦から6年目にして、マニュファクチャラーズ及びドライバーズ(C.マクレー)のダブルタイトルに輝いた。続く1996年も、ドライバーズタイトルこそ三菱のトミ・マキネンに奪われるものの、マニュファクチャラーズタイトルを2年連続で獲得。グループA最強のラリーマシンとして認知され、欧州におけるスバルのブランディング向上とインプレッサの販売および日本におけるラリー人気の拡大に大きく貢献した。

初代2ドア・ワールドラリーカー (1997年~2000年)
グループA規定が緩和されたワールドラリーカーの導入にあたってスバルは2ドアのリトナをベース車に選択。97年にもドライバーのポイントの積み重ねでマニュファクチャラーズタイトルを獲得。日本メーカーでは唯一の3年連続のマニュファクチャラーズタイトルを達成した。だがこれ以降、マニュファクチャラーズタイトルからは遠のいてしまう。2000年には、2代目インプレッサへの移行を見越した大々的な改修が施された。

ラリーアメリカ
世界ラリー選手権(WRC)以外のラリー競技では、ラリーアメリカで“Subaru Rally Team USA”が活躍中である、中でもケン・ブロックとトラビス・パストラーナは人気の選手である。

サーキット
全日本ツーリングカー選手権(JTCC) にも1996年と1997年にSYMSレーシングからスポーツワゴンで出場している。レギュレーション上、駆動方式の変更が認められていた為、FRとし、同一メーカー製造のエンジンであれば換装可能であったので、EJ18をボアアップし、EJ20の4カムシリンダーヘッドとドッキングさせた自然吸気 DOHCエンジンが搭載された。

D1グランプリにチームオレンジのマシンとして初代、2代目(涙目、涙目改鷹目GDB)が使用されていた。スバルの水平対向4WDは縦置きであり、センターデフの小加工でFRにできる為、比較的早く4WD改FR仕様が製作された。無論、後輪に全出力が集中する為、駆動強化は必須となる。

車名の由来
インプレッサの名称、IMPREZA とは、「紋章」「金言」などの意を持つ英語“IMPRESA”からの造語である。

ハイパワーモデルの呼称であるWRXとはWRCの「WR」とレオーネのスポーツグレードで採用されていた呼称「RX」を掛け合わせた造語である。


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インプレッサ(IMPREZA)は、スバルブランドを展開する富士重工業が生産・販売する乗用車である。1992年に発売を開始した。

レガシィの下位モデルという位置付けで登場し、世界市場=特にヨーロッパにおけるCセグメント市場を狙ったスバルの世界戦略車としての役割も担っている。 後述するが、日本車としては1代1代のモデルサイクルが長いことでも知られる。

2代目GD・GG型(2000年-2007年)
ボディデザインは初代を引き継いでセダンとスポーツワゴンが用意されたが、スポーツワゴンが5ナンバー枠に収まるのに対し、セダンはスポーツ走行での安定性を考慮しブリスターフェンダーを備えた3ナンバーサイズとなった。また、スバルブランドがイメージ模索に迷走するあおりを受けてそのライフスパンの中で大きく3度に及ぶ大幅なフェイスリフトを受けた。スポーツワゴンは一時期、サーブ・9-2Xとして北米市場にOEM供給された。

2代目開発当時、各メーカーで盛んに叫ばれていたいわゆる「衝突安全ボディー」の設計に注力され、「新環状力骨構造 」の採用、また前面衝突時の衝撃を効果的に吸収するサブフレームが前端に追加された。「STI」では剛性の確保が根本的に見直され、サイドシルの断面積拡大、ストラットボックス、クロスメンバー部の補強などが行われた。

2.0L ターボ、2.0L NAには、新たに可変バルブタイミング機構(AVCS)を吸気側に新たに採用した。

2.0Lターボ車に新たにTGV(タンブル・ジェネレーション・バルブ)が採用され、燃焼効率の向上、触媒の二重化による始動直後の排出ガスレベルの低減を実現し、STIを除く全車が平成12年度基準排出ガス25%低減レベル適合(G-LEV)した。また、2.0Lターボ、2.0L NAが「良低排出ガス車(☆)」、1.5Lが「優低排出ガス車(☆☆)」に適合し、「グリーン税制」対象車となっている。

AWDモデルでは5MTにVCU(ビスカスカップリング)方式センターデフを、E-4ATに「MP-T」を用いたアクティブトルクスプリットAWDを採用している。AWDターボ用には、5MTとして従来のTY75型(VCU方式センターデフ)を引き継いでいる。E-4ATとしてレガシィと共通の、遊星歯車式センターデフ+「MP-T」によるVTD-AWDトランスミッションが搭載された。STIには、今回は全くの新開発のスバル内製「TY85」型6速マニュアルトランスミッションが搭載された。先代ではガラスのミッションと酷評されたが、この代から搭載されたミッションは強度が見直された。

全国の警察の機動捜査隊に後期型WRXが覆面パトカーとして導入されている。

年表
* 2000年8月23日、WRX(4ドアセダン)とスポーツワゴンが登場。WRXは2.0L・AWDのみ。ワゴンに1.5LFFを設定。2.0Lターボ、NA車が「良低排出ガス車(☆)」、1.5Lが「優低排出ガス車(☆☆)」適合。

* 2000年10月、「WRX STi」、「スポーツワゴン STi」登場。新たに吸気側にAVCSを装着。

* 2001年11月、「WRX STi type RA specC」を追加。

* 2001年12月 WRCドライバーズ・タイトルを獲得。

* 2002年6月、「WRX STi type RA spec C」をベースにした、ストリートにおけるオンロード性能の向上を徹底追求したSTI製コンプリートカー「S202 STi Version」を発売。
o チタンマフラー、専用ECUの採用により320psの最高出力を実現。パワーウインドウなどの快適装備が特別設定されていた。

* 2002年11 月、中期型にマイナーチェンジ。Cタイプとなる。評判の芳しくなかったエクステリアを大幅変更(いわゆる丸目⇒涙目)。あわせてエンジン・シャシーにも大幅に変更が加えられた。特にエギゾーストマニホールドが等長化されたことが大きな変化であり、スバルの水平対向エンジン搭載車特有の「ズドドド」という音が小さくなった。

ワゴンAWDターボ車に「WRX」の名称が復活。ワゴンSTiは廃止となった。

* 2003年9月、一部改良でD型へ。セダンに、新たに5ナンバーボディのSOHC 1500ccモデルが追加された。

* 2004年6 月、一部改良でEタイプへ。STiはさらにパフォーマンスアップ。あわせて行われたフロントハブの強化、ホイールPCDを従来の100mmから 114.3mmに拡大。1.5Lを4ドアセダンにも新たに設定。スポーツワゴンと同じく5ナンバーサイズボディが採用されている。

* 2005年1月、WRX STiをベースに「グローバルピュアスポーツセダン」をコンセプトにしたSTI製コンプリートカー、「S203」を発売。
o S203よりベースモデルがspec CからSTiとなった。専用の減衰力4段可変式ストラット、ピロボール式リヤサスペンションリンク、ドライカーボン製フロントアンダースカート、専用リヤウイング、BBS製18インチ鍛造アルミホイール、STI・レカロ共同開発の専用ドライカーボン製リクライニング機構付フロントバケットシートなどを装備していた。

* 2005年6 月、後期型にマイナーチェンジ。Fタイプとなる。このモデルより、ブランド名グレード名ともSTI(すべて大文字)に統一。再びエクステリアの変更が行われ、「スプレッドウイングズグリル」と呼ばれる飛行機をモチーフにしたフロントグリルデザインを採用する(いわゆる涙目⇒鷹目)。*2006年1月、STI製コンプリートカー「S204」発売。
o 基本的なメカニズムはS203と共通。STIとヤマハ発動機が共同開発した、車体への入力を減衰するパフォーマンスダンパーが新たに採用されたのがトピックだった。600台限定で、価格は480万9,000円だった。

* 2006年6月、一部改良でGタイプへ。1.5Lモデルに、新たにDOHC・ロングストローク設計のEL15型エンジンが登場した。

* 2006年11月、「純粋に速く、安全に、本気で攻められるインプレッサ」をコンセプトとした特別仕様車「WRX STI spec C type RA-R」を発売。
o ブレンボ製6ポットキャリパー(フロント)や235/40R18タイヤなどを採用して、ショートコース・サーキットでの走行性能を向上していた。

モータースポーツ
ラリー
インプレッサは初代から一貫してモータースポーツ、特にラリー競技と切り離せない関係にあり、世界ラリー選手権(WRC)ではシトロエンやプジョーと互角の闘いを繰り広げ、国内イベントでも常にチャンピオン争いに絡む活躍を見せてきた。2リッタークラスのラリー競技用車両としては、日本はもちろん世界的にも三菱自動車工業のランサー・エボリューションと並び称せられ、特に近年のグループNクラスはほぼこの2車種が独占する状況にあるなど、スバルの世界的なブランド・イメージの構築に大きく貢献している。

WRCでは、これまでマニュファクチュアラーズチャンピオン3回(1995年、1996年、1997年)、ドライバーズチャンピオン3回(1995年、2001年、2003年)を獲得している。また、競技本番用としてだけでなく、ラリーステージの下見(レッキ)を行う際の車としてスバルチーム以外にも使用されることがある(大抵のWRC参戦メーカーは自社の市販車に四輪駆動車を持たないことが多いため)。

2008年12月16日、スバルは世界的不景気の影響を理由にWRC参戦の終了を発表し、これに伴ってワークスインプレッサのWRC参戦が無くなった。

初代4ドア・グループA (1993年~1996年)
ホモロゲーション名は「インプレッサ555」[17]。 WRC(世界ラリー選手権)には、1993年シーズン終盤の第9戦「1000湖ラリー」からレガシィに代わって投入され、アリ・バタネンのドライブにより初参戦にして2位という鮮烈なデビューを飾った。1994年には、1990年、92年のWRCドライバーチャンピオン、C.サインツのチーム加入を得てその繊細なセッティング能力によって戦闘力が一気に向上、第6戦「アクロポリス・ラリー」で初優勝を果たし、マクレーの手による2勝と併せてマニュファクチャラーズポイントでも2位を獲得した。1995年には8戦中5勝を挙げて、スバルは本格参戦から6年目にして、マニュファクチャラーズ及びドライバーズ(C.マクレー)のダブルタイトルに輝いた。続く1996年も、ドライバーズタイトルこそ三菱のトミ・マキネンに奪われるものの、マニュファクチャラーズタイトルを2年連続で獲得。グループA最強のラリーマシンとして認知され、欧州におけるスバルのブランディング向上とインプレッサの販売および日本におけるラリー人気の拡大に大きく貢献した。

初代2ドア・ワールドラリーカー (1997年~2000年)
グループA規定が緩和されたワールドラリーカーの導入にあたってスバルは2ドアのリトナをベース車に選択。97年にもドライバーのポイントの積み重ねでマニュファクチャラーズタイトルを獲得。日本メーカーでは唯一の3年連続のマニュファクチャラーズタイトルを達成した。だがこれ以降、マニュファクチャラーズタイトルからは遠のいてしまう。2000年には、2代目インプレッサへの移行を見越した大々的な改修が施された。

2代目4ドア・ワールドラリーカー (2001年~2008年)
2001年にはリチャード・バーンズが、2003年にはペター・ソルベルグが、それぞれWRCドライバーズ・タイトルを獲得。2004年初開催となったラリージャパンではペター・ソルベルグが勝利し、記念すべき初代王者に輝いた。さらに、2005年にはプロダクションカーWRC(PCWRC)で新井敏弘がシーズン・チャンピオンを獲得した。しかし、ライバルチームの戦闘力向上に追いつかなくなった2006年、2007年に、スバルは屈辱的な年間未勝利に終わった。

3代目5ドア・ワールドラリーカー (2008年)
フルモデルチェンジに伴い、リアオーバーハングが短くホイールベースが長いハッチバックボディになったため、ようやくシトロエン・フォードなどのライバルと同等のボディ・次元で戦えるようになった。

しかし、タバコスポンサーの撤退に伴い、資金が豊富なシトロエンやフォードに比べテストが不足し、プロドライブにおける度重なるトップエンジニアの更迭・引き抜き・解雇等に端を発する開発現場の混乱も手伝い、マシンの開発や熟成に時間がかかっているといった問題が、新型へスイッチされてもなお、改善されなかった。また、WRカーレギュレーションはエンジンの搭載位置および搭載角度は規定内で変更可能であり、横置き直列4気筒エンジンならマシン中央部に寄せて倒す等、重心位置を大幅に改善する設計が可能だが、水平対向エンジンを縦置きにレイアウトしているインプレッサにはほとんど改造の余地が無く、グループAでは絶大だったロードカーとしての素性の良さを生かせないWRカー規定自体がインプレッサに不利だった。

2008年12月16日に、同年をもってWRCから撤退することが正式に発表され、長きにわたって維持されてきたインプレッサによるワークス・エントリーの歴史に終止符が打たれた。同一車名による14年間連続ワークス・フルエントリーは、WRC史上最長記録となっている。

ラリーアメリカ
世界ラリー選手権(WRC)以外のラリー競技では、ラリーアメリカで“Subaru Rally Team USA”が活躍中である、中でもケン・ブロックとトラビス・パストラーナは人気の選手である。

サーキット
インプレッサはラリー以外の分野でも活躍している。SUPER GT(旧:JGTC)には4ドア車が特認車両として出場している。4WD禁止というレギュレーションの為、以前は後輪駆動化されていたが4WDが解禁となった2006年途中からAWD(4WD)仕様が参加している。また、インプレッサの活躍で2008年より4ドアが公認となり、同年第4戦 マレーシアで、インプレッサは4ドア、そして4WD車として初優勝を飾った。但し2009年は参戦していない。

スーパー耐久では2002年・2005年にST2クラス(旧クラス2)のシリーズチャンピオンを獲得している。

全日本ツーリングカー選手権(JTCC) にも1996年と1997年にSYMSレーシングからスポーツワゴンで出場している。レギュレーション上、駆動方式の変更が認められていた為、FRとし、同一メーカー製造のエンジンであれば換装可能であったので、EJ18をボアアップし、EJ20の4カムシリンダーヘッドとドッキングさせた自然吸気 DOHCエンジンが搭載された。

D1グランプリにチームオレンジのマシンとして初代、2代目(涙目、涙目改鷹目GDB)が使用されていた。スバルの水平対向4WDは縦置きであり、センターデフの小加工でFRにできる為、比較的早く4WD改FR仕様が製作された。無論、後輪に全出力が集中する為、駆動強化は必須となる。

車名の由来
インプレッサの名称、IMPREZA とは、「紋章」「金言」などの意を持つ英語“IMPRESA”からの造語である。

ハイパワーモデルの呼称であるWRXとはWRCの「WR」とレオーネのスポーツグレードで採用されていた呼称「RX」を掛け合わせた造語である。

ちなみに3代目セダンのサブネームであるアネシス(ANESIS)とはギリシャ語で「安心」「リラクゼーション」を意味する。


[ 2009/09/12 19:07 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru ImprezaⅡ GD・GG 0'30"

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インプレッサ(IMPREZA)は、スバルブランドを展開する富士重工業が生産・販売する乗用車である。1992年に発売を開始した。

レガシィの下位モデルという位置付けで登場し、世界市場=特にヨーロッパにおけるCセグメント市場を狙ったスバルの世界戦略車としての役割も担っている。 後述するが、日本車としては1代1代のモデルサイクルが長いことでも知られる。

2代目GD・GG型(2000年-2007年)
ボディデザインは初代を引き継いでセダンとスポーツワゴンが用意されたが、スポーツワゴンが5ナンバー枠に収まるのに対し、セダンはスポーツ走行での安定性を考慮しブリスターフェンダーを備えた3ナンバーサイズとなった。また、スバルブランドがイメージ模索に迷走するあおりを受けてそのライフスパンの中で大きく3度に及ぶ大幅なフェイスリフトを受けた。スポーツワゴンは一時期、サーブ・9-2Xとして北米市場にOEM供給された。

2代目開発当時、各メーカーで盛んに叫ばれていたいわゆる「衝突安全ボディー」の設計に注力され、「新環状力骨構造 」の採用、また前面衝突時の衝撃を効果的に吸収するサブフレームが前端に追加された。「STI」では剛性の確保が根本的に見直され、サイドシルの断面積拡大、ストラットボックス、クロスメンバー部の補強などが行われた。

2.0L ターボ、2.0L NAには、新たに可変バルブタイミング機構(AVCS)を吸気側に新たに採用した。

2.0Lターボ車に新たにTGV(タンブル・ジェネレーション・バルブ)が採用され、燃焼効率の向上、触媒の二重化[9]による始動直後の排出ガスレベルの低減を実現し、STIを除く全車が平成12年度基準排出ガス25%低減レベル適合(G-LEV)した。また、2.0Lターボ、2.0L NAが「良低排出ガス車(☆)」、1.5Lが「優低排出ガス車(☆☆)」に適合し、「グリーン税制」対象車となっている。

AWDモデルでは5MTにVCU(ビスカスカップリング)方式センターデフを、E-4ATに「MP-T」を用いたアクティブトルクスプリットAWDを採用している。AWDターボ用には、5MTとして従来のTY75型(VCU方式センターデフ)を引き継いでいる。E-4ATとしてレガシィと共通の、遊星歯車式センターデフ+「MP-T」によるVTD-AWDトランスミッションが搭載された。STIには、今回は全くの新開発のスバル内製「TY85」型6速マニュアルトランスミッションが搭載された。先代ではガラスのミッションと酷評されたが、この代から搭載されたミッションは強度が見直された。

全国の警察の機動捜査隊に後期型WRXが覆面パトカーとして導入されている。

年表
* 2000年8月23日、WRX(4ドアセダン)とスポーツワゴンが登場。WRXは2.0L・AWDのみ。ワゴンに1.5LFFを設定。2.0Lターボ、NA車が「良低排出ガス車(☆)」、1.5Lが「優低排出ガス車(☆☆)」適合。

* 2000年10月、「WRX STi」、「スポーツワゴン STi」登場。新たに吸気側にAVCSを装着。

* 2001年11月、「WRX STi type RA specC」を追加。

* 2001年12月 WRCドライバーズ・タイトルを獲得。

* 2002年6月、「WRX STi type RA spec C」をベースにした、ストリートにおけるオンロード性能の向上を徹底追求したSTI製コンプリートカー「S202 STi Version」を発売。
o チタンマフラー、専用ECUの採用により320psの最高出力を実現。パワーウインドウなどの快適装備が特別設定されていた。

* 2002年11 月、中期型にマイナーチェンジ。Cタイプとなる。評判の芳しくなかったエクステリアを大幅変更(いわゆる丸目⇒涙目)。あわせてエンジン・シャシーにも大幅に変更が加えられた。特にエギゾーストマニホールドが等長化されたことが大きな変化であり、スバルの水平対向エンジン搭載車特有の「ズドドド」という音が小さくなった。

ワゴンAWDターボ車に「WRX」の名称が復活。ワゴンSTiは廃止となった。

* 2003年9月、一部改良でD型へ。セダンに、新たに5ナンバーボディのSOHC 1500ccモデルが追加された。

* 2004年6 月、一部改良でEタイプへ。STiはさらにパフォーマンスアップ。あわせて行われたフロントハブの強化、ホイールPCDを従来の100mmから 114.3mmに拡大。1.5Lを4ドアセダンにも新たに設定。スポーツワゴンと同じく5ナンバーサイズボディが採用されている。

* 2005年1月、WRX STiをベースに「グローバルピュアスポーツセダン」をコンセプトにしたSTI製コンプリートカー、「S203」を発売。
o S203よりベースモデルがspec CからSTiとなった。専用の減衰力4段可変式ストラット、ピロボール式リヤサスペンションリンク、ドライカーボン製フロントアンダースカート、専用リヤウイング、BBS製18インチ鍛造アルミホイール、STI・レカロ共同開発の専用ドライカーボン製リクライニング機構付フロントバケットシートなどを装備していた。

* 2005年6 月、後期型にマイナーチェンジ。Fタイプとなる。このモデルより、ブランド名グレード名ともSTI(すべて大文字)に統一。再びエクステリアの変更が行われ、「スプレッドウイングズグリル」と呼ばれる飛行機をモチーフにしたフロントグリルデザインを採用する(いわゆる涙目⇒鷹目)。*2006年1月、STI製コンプリートカー「S204」発売。
o 基本的なメカニズムはS203と共通。STIとヤマハ発動機が共同開発した、車体への入力を減衰するパフォーマンスダンパーが新たに採用されたのがトピックだった。600台限定で、価格は480万9,000円だった。

* 2006年6月、一部改良でGタイプへ。1.5Lモデルに、新たにDOHC・ロングストローク設計のEL15型エンジンが登場した。

* 2006年11月、「純粋に速く、安全に、本気で攻められるインプレッサ」をコンセプトとした特別仕様車「WRX STI spec C type RA-R」を発売。
o ブレンボ製6ポットキャリパー(フロント)や235/40R18タイヤなどを採用して、ショートコース・サーキットでの走行性能を向上していた。

モータースポーツ
ラリー
インプレッサは初代から一貫してモータースポーツ、特にラリー競技と切り離せない関係にあり、世界ラリー選手権(WRC)ではシトロエンやプジョーと互角の闘いを繰り広げ、国内イベントでも常にチャンピオン争いに絡む活躍を見せてきた。2リッタークラスのラリー競技用車両としては、日本はもちろん世界的にも三菱自動車工業のランサー・エボリューションと並び称せられ、特に近年のグループNクラスはほぼこの2車種が独占する状況にあるなど、スバルの世界的なブランド・イメージの構築に大きく貢献している。

WRCでは、これまでマニュファクチュアラーズチャンピオン3回(1995年、1996年、1997年)、ドライバーズチャンピオン3回(1995年、2001年、2003年)を獲得している。また、競技本番用としてだけでなく、ラリーステージの下見(レッキ)を行う際の車としてスバルチーム以外にも使用されることがある(大抵のWRC参戦メーカーは自社の市販車に四輪駆動車を持たないことが多いため)。

2008年12月16日、スバルは世界的不景気の影響を理由にWRC参戦の終了を発表し、これに伴ってワークスインプレッサのWRC参戦が無くなった。

初代4ドア・グループA (1993年~1996年)
ホモロゲーション名は「インプレッサ555」[17]。 WRC(世界ラリー選手権)には、1993年シーズン終盤の第9戦「1000湖ラリー」からレガシィに代わって投入され、アリ・バタネンのドライブにより初参戦にして2位という鮮烈なデビューを飾った。1994年には、1990年、92年のWRCドライバーチャンピオン、C.サインツのチーム加入を得てその繊細なセッティング能力によって戦闘力が一気に向上、第6戦「アクロポリス・ラリー」で初優勝を果たし、マクレーの手による2勝と併せてマニュファクチャラーズポイントでも2位を獲得した。1995年には8戦中5勝を挙げて、スバルは本格参戦から6年目にして、マニュファクチャラーズ及びドライバーズ(C.マクレー)のダブルタイトルに輝いた。続く1996年も、ドライバーズタイトルこそ三菱のトミ・マキネンに奪われるものの、マニュファクチャラーズタイトルを2年連続で獲得。グループA最強のラリーマシンとして認知され、欧州におけるスバルのブランディング向上とインプレッサの販売および日本におけるラリー人気の拡大に大きく貢献した。

初代2ドア・ワールドラリーカー (1997年~2000年)
グループA規定が緩和されたワールドラリーカーの導入にあたってスバルは2ドアのリトナをベース車に選択。97年にもドライバーのポイントの積み重ねでマニュファクチャラーズタイトルを獲得。日本メーカーでは唯一の3年連続のマニュファクチャラーズタイトルを達成した。だがこれ以降、マニュファクチャラーズタイトルからは遠のいてしまう。2000年には、2代目インプレッサへの移行を見越した大々的な改修が施された。

2代目4ドア・ワールドラリーカー (2001年~2008年)
2001年にはリチャード・バーンズが、2003年にはペター・ソルベルグが、それぞれWRCドライバーズ・タイトルを獲得。2004年初開催となったラリージャパンではペター・ソルベルグが勝利し、記念すべき初代王者に輝いた。さらに、2005年にはプロダクションカーWRC(PCWRC)で新井敏弘がシーズン・チャンピオンを獲得した。しかし、ライバルチームの戦闘力向上に追いつかなくなった2006年、2007年に、スバルは屈辱的な年間未勝利に終わった。

3代目5ドア・ワールドラリーカー (2008年)
フルモデルチェンジに伴い、リアオーバーハングが短くホイールベースが長いハッチバックボディになったため、ようやくシトロエン・フォードなどのライバルと同等のボディ・次元で戦えるようになった。

しかし、タバコスポンサーの撤退に伴い、資金が豊富なシトロエンやフォードに比べテストが不足し、プロドライブにおける度重なるトップエンジニアの更迭・引き抜き・解雇等に端を発する開発現場の混乱も手伝い、マシンの開発や熟成に時間がかかっているといった問題が、新型へスイッチされてもなお、改善されなかった。また、WRカーレギュレーションはエンジンの搭載位置および搭載角度は規定内で変更可能であり、横置き直列4気筒エンジンならマシン中央部に寄せて倒す等、重心位置を大幅に改善する設計が可能だが、水平対向エンジンを縦置きにレイアウトしているインプレッサにはほとんど改造の余地が無く、グループAでは絶大だったロードカーとしての素性の良さを生かせないWRカー規定自体がインプレッサに不利だった。

2008年12月16日に、同年をもってWRCから撤退することが正式に発表され、長きにわたって維持されてきたインプレッサによるワークス・エントリーの歴史に終止符が打たれた。同一車名による14年間連続ワークス・フルエントリーは、WRC史上最長記録となっている。

ラリーアメリカ
世界ラリー選手権(WRC)以外のラリー競技では、ラリーアメリカで“Subaru Rally Team USA”が活躍中である、中でもケン・ブロックとトラビス・パストラーナは人気の選手である。

サーキット
インプレッサはラリー以外の分野でも活躍している。SUPER GT(旧:JGTC)には4ドア車が特認車両として出場している。4WD禁止というレギュレーションの為、以前は後輪駆動化されていたが4WDが解禁となった2006年途中からAWD(4WD)仕様が参加している。また、インプレッサの活躍で2008年より4ドアが公認となり、同年第4戦 マレーシアで、インプレッサは4ドア、そして4WD車として初優勝を飾った。但し2009年は参戦していない。

スーパー耐久では2002年・2005年にST2クラス(旧クラス2)のシリーズチャンピオンを獲得している。

全日本ツーリングカー選手権(JTCC) にも1996年と1997年にSYMSレーシングからスポーツワゴンで出場している。レギュレーション上、駆動方式の変更が認められていた為、FRとし、同一メーカー製造のエンジンであれば換装可能であったので、EJ18をボアアップし、EJ20の4カムシリンダーヘッドとドッキングさせた自然吸気 DOHCエンジンが搭載された。

D1グランプリにチームオレンジのマシンとして初代、2代目(涙目、涙目改鷹目GDB)が使用されていた。スバルの水平対向4WDは縦置きであり、センターデフの小加工でFRにできる為、比較的早く4WD改FR仕様が製作された。無論、後輪に全出力が集中する為、駆動強化は必須となる。

車名の由来
インプレッサの名称、IMPREZA とは、「紋章」「金言」などの意を持つ英語“IMPRESA”からの造語である。

ハイパワーモデルの呼称であるWRXとはWRCの「WR」とレオーネのスポーツグレードで採用されていた呼称「RX」を掛け合わせた造語である。

ちなみに3代目セダンのサブネームであるアネシス(ANESIS)とはギリシャ語で「安心」「リラクゼーション」を意味する。


[ 2009/09/13 19:41 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru Leone 1980 0'30"

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2代目(EA81)は1979年6月1日に発売され、ボディサイズは拡大され、排気量も最大1800ccに拡大され、ホンダ・アコードを強く意識した設計となった。

ボディタイプは、二代目アウディ・80に良く似た4ドアセダン、やや流行遅れのオペラウインドウを持つ2ドアハードトップ、エステートバンに加え、「スイングバック」と呼ばれる、全長270㎜、ホイールベース80㎜短縮されて全長を4メートル以下に抑えた3ドアハッチバックボディが用意された。スイングバックには1300ccの廉価版も用意されたので、2代目レオーネは、いずれもスバル初のパワーステアリング・パワーウインドウ・オートエアコンが装備可能だったトップモデルの1800GTSまで、広範囲をカバーするラインナップとなっていた。

また、好評の4WDモデルもセダン・エステートバン・スイングバックに用意され、スイングバックにはツインキャブのスポーツモデル1600SRXも存在した。しかし、エンジンは依然OHVのままで、3段式オートマチックや手動式チョークなど、スバル1000以来の進歩的設計もさすがに旧態化が隠せなくなってきていた。

1981年6月にはマイナーチェンジが行われ、4ドアセダン1800とハードトップが異型角型2灯式+複雑な形状のフロントグリルから流行の角型4灯を持つ比較的シンプルなフロントグリルに改められ、また全車種のテールライトの形状が当時のメルセデス・ベンツ式の、凹凸を持ち汚れても視認性が確保されるタイプに変更された。

同年7月にはスバル初の5ナンバーワゴン、「ツーリングワゴン」を追加。エステートバンのBピラー直前からルーフを30㎜嵩上げした2段ルーフを採用し、装備を1.8L4ドアセダン4WD/1800GTSに準じた豪華なものとして、レジャー用途の取り込みを図った。更に11月には日本初のAWDオートマチックを持つ「レオーネ1.8L4WDオートマチック」をセダン・ツーリングワゴンに追加、後輪駆動用のトランスファーに、世界初となる流体式「電磁式油圧多板クラッチ」を採用し、富士重工伝統の技術重視の姿勢が4WD技術を中心に再び復活の兆しを示し始めた。

1982年11月には、折からのターボ車のブームに乗って日本初の水平対向エンジン+4WD+ターボモデル(1800cc120馬力)をセダンとツーリングワゴンに追加、翌83年7月には4ドアセダンにFF1800ターボと16004WDを追加した。同時に、ハードトップを新設定の4WD1800ccツインキャブの「RX」に一本化し、FF車を廃止した。1983年10月には、4WDターボに車高調整機能の「ハイトコントロール」を追加した。


[ 2009/11/14 16:09 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

SUBARU Impreza WRX STI _11 -The Fastest WRX STI Ever 1'56"

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インプレッサ(IMPREZA)は、1992年に発売を開始した富士重工業の生産する乗用車である。

レオーネの後継車種として、そしてレガシィの下位モデルという位置付けで登場し、世界市場・・・特にヨーロッパにおけるCセグメント市場を狙ったスバルの世界戦略車としての役割も担っている。

3代目GE・GH・GR型(2007年6月-)
ノーマルモデル
商品コンセプトを「新快適スタイル」とし、先代までに存在したスポーツワゴンが廃止され、ドアサッシュ付4ドアセダンと2代目トヨタ・プリウスに似たコーダトロンカスタイルの5ドアハッチバックの2モデルとなった。ただし、日本では、現在4ドアセダンは発売されず、5ドアハッチバックのみの販売となっている。なお、いずれのモデルも全幅が1700mmを超えるので3ナンバーとなる。シャシーはBL/BP型レガシィのプラットホームをベースにした「SI-シャシー(Subaru Intelligent Chassis)」を新採用、リアサスペンションの形式が従来のストラット式から新開発のダブルウィッシュボーン式へと変更された。ドアも従来のサッシュレスドアから、サッシュドアに変更された。

エンジンは1500ccモデル「15S」はEL15型DOHC16バルブ、2000ccモデル「20S」はNA仕様がEJ20型SOHC16バルブであり、ツインスクロールターボ仕様「S-GT」がEJ20型DOHC16バルブである。これに伴い既存の1500ccのEJ15型SOHC16バルブエンジンは今回から廃止された。この3代目から2000ccターボ車のグレード名が「WRX」から「S-GT」となり、事実上の後継グレードとなった。過激なスポーツテイストは影を潜めており、どちらかというとグランドツーリング志向な車である。ただし、北米輸出モデルは先代同様「WRX」のグレード名を使用する。

  2007年11月20日、新型インプレッサはアメリカの保険団体の衝突安全テストで、最高評価を獲得した。また、2008年4月21日国土交通省などが、安全性能の評価が最も高い車に与える2007年度の「自動車アセスメントグランプリ」に選ばれ表彰を受けた。

発売当初からアナウンスはあったものの、しばらくセダン投入の動きは見られず、富士重工は「日本市場の様子を見てセダンの販売を検討していく」としていたが、同年11月29日、日本国内でもセダンを投入すると報じられている。

WRX STI
2007年10月24日に発売。先代までのセダンボディから、ショートオーバーハングの5ドアハッチバックボディとなった。型式はCBA-GRB。

エクステリアでは大きく張り出しエッジを効かせた前後フェンダーを採用し、独自の存在感を出した。

インテリアでは、新たにレカロ社製フロントバケットタイプシートをメーカー装着オプションで設定。本革巻3本スポークステアリング、3連式のレッドルミネセントメーターや、テレスコピックステアリングも採用された。

走行面では、SI-DRIVEやマルチモードDCCD、マルチモードVDCなどのメカニズムが新たに採用された。EJ20ターボエンジンは280馬力の大台を超え最大出力308馬力となり、同時に低中速トルクも向上したほか、デュアル可変バルブタイミングリフト化が行われた。走行性能を高めながらも、「平成17年排出ガス基準50%低減」を達成した。

年表
* 2007年4月 ニューヨーク国際オートショーで発表(ワールドプレミア)。
* 2007年6月4日 フルモデルチェンジ。
* 2007年10月24日 追加モデル「WRX STI」発売。
* 11月14日 特別仕様車「BEAMS EDITION」発表・発売。
o セレクトショップのBEAMSとコラボレートしたモデル。ボディカラーにBEAMSのイメージカラーであるオレンジが設定されているほか、専用の本革シートを装備している。
* 2008年5月15日 特別仕様車「15S コンフォートセレクション」発売。消臭ルーフトリムなどの快適装備が標準装備となっていた。また、ボディカラーでは、15Sに初めてWRブルー・マイカとスパークシルバー・メタリックが設定された。

車名の由来
インプレッサの名称、IMPREZA とは、「紋章」「金言」などの意を持つ英語“IMPRESA”からの造語である。<bR>
モータースポーツ
インプレッサは、市販車両を基に改造された車両が世界ラリー選手権(WRC)などラリーにしばしば登場し、シトロエンやプジョーと互角の争いを繰り広げている。日本では三菱自動車工業のランサー・エボリューションと並び称せられる。

WRC(世界ラリー選手権)には、1993年シーズン終盤の第9戦「1000湖ラリー」から投入され、あわやデビューウィンの鮮烈なデビューを飾ったのを皮切りに、1994年には、1990年、92年のWRCドライバーチャンピオン、C.サインツのチーム加入を得て、第6戦「アクロポリス・ラリー」で初優勝、マニュファクチャラーズポイントで2位に。さらに1995年には8戦中5勝を挙げて、本格参戦から6年目にして、マニュファクチャラーズタイトル、ドライバーズ・タイトル(C.マクレー)のダブルタイトルに輝いた。続く1996年、97年とスバルに日本メーカーでは唯一の3年連続のマニュファクチャラーズタイトルをもたらした。また、2001年にはリチャード・バーンズが、2003年にはペター・ソルベルグが、それぞれWRCドライバーズ・タイトルを獲得。さらに2005年にはプロダクションカーWRC(PCWRC)で新井敏弘がシーズン・チャンピオンを獲得するなど、WRCを通じて、スバルの世界的なブランド・イメージの構築に大きく貢献している。

最近のWRC(世界ラリー選手権)における成績は決して悪くはないが、先代の圧倒的な強さはない。その理由に現在のWRCの主流が小型・軽量でより有利なハッチバックモデルへと移行していることや、資金の問題がある。資金が豊富なプジョー(2005年限りで撤退)やシトロエンに比べテストが不足し、マシンの開発や熟成に時間がかかっている。デビューの1993年を除けば、1994年から2005年まで優勝していたが、2006年、2007年と2シーズン連続で未勝利に終わった。

マニュファクチュアラーズチャンピオン3回(1995年、1996年、1997年)、ドライバーズチャンピオン3回(1995年、2001年、2003年)を獲得している。 WRCにおいてラリーステージの下見(レッキ)に行く際の車としてランエボと共に使用される事が多い(大抵のWRC参戦メーカーは自社の市販車に四輪駆動車を持たない事が多い為)

サーキット
インプレッサはラリー以外の分野でも活躍している。SUPER GT(旧:JGTC)には4ドア車が特認車両として出場している。4WD禁止というレギュレーションの為、以前は後輪駆動化されていたが、4WDが解禁となった2006年途中からAWD(4WD)仕様が参加している。また、インプレッサの活躍で2008年より4ドアが公認となった。

スーパー耐久では2002年・2005年にST2クラス(旧クラス2)のシリーズチャンピオンを獲得している。

全日本ツーリングカー選手権(JTCC) にも1996年と1997年にSYMSレーシングからスポーツワゴンで出場している。レギュレーション上、駆動方式の変更が認められていた為、FRとし、同一メーカー製造のエンジンであれば換装可能であったので、当時の生産車には存在しなかったEJ20ベースの自然吸気DOHCエンジンが搭載された。

D1グランプリにチームオレンジのマシンとして初代、2代目(涙目、鷹目GDB)が使用されていた。スバルの水平対向4WDは縦置きであり、センターデフの小加工でFRにできる為、比較的早く4WD改FR仕様が製作された。無論、後輪に全出力が集中する為、駆動強化は必須となる。

<2010 Subaru Impreza WRX STIを参照>


[ 2009/12/20 15:19 ] SUBARU | TB(0) | CM(1)

すげーよ!ドリフト。高度な技術に感動♪インプレッサの戦闘力 4'27"

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このドリフトはスゴイ!!まずは見てみて

インプレッサ(IMPREZA)は、スバルブランドを展開する富士重工業が生産・販売する乗用車である。1992年に発売を開始した。

レガシィの下位モデルという位置付けで登場し、世界市場=特にヨーロッパにおけるCセグメント市場を狙ったスバルの世界戦略車としての役割も担っている。 後述するが、日本車としては1代1代のモデルサイクルが長いことでも知られる。

2代目GD・GG型(2000年-2007年)
ボディデザインは初代を引き継いでセダンとスポーツワゴンが用意されたが、スポーツワゴンが5ナンバー枠に収まるのに対し、セダンはスポーツ走行での安定性を考慮しブリスターフェンダーを備えた3ナンバーサイズとなった。また、スバルブランドがイメージ模索に迷走するあおりを受けてそのライフスパンの中で大きく3度に及ぶ大幅なフェイスリフトを受けた。スポーツワゴンは一時期、サーブ・9-2Xとして北米市場にOEM供給された。

2代目開発当時、各メーカーで盛んに叫ばれていたいわゆる「衝突安全ボディー」の設計に注力され、「新環状力骨構造 」の採用、また前面衝突時の衝撃を効果的に吸収するサブフレームが前端に追加された。「STI」では剛性の確保が根本的に見直され、サイドシルの断面積拡大、ストラットボックス、クロスメンバー部の補強などが行われた。

2.0L ターボ、2.0L NAには、新たに可変バルブタイミング機構(AVCS)を吸気側に新たに採用した。

2.0Lターボ車に新たにTGV(タンブル・ジェネレーション・バルブ)が採用され、燃焼効率の向上、触媒の二重化[9]による始動直後の排出ガスレベルの低減を実現し、STIを除く全車が平成12年度基準排出ガス25%低減レベル適合(G-LEV)した。また、2.0Lターボ、2.0L NAが「良低排出ガス車(☆)」、1.5Lが「優低排出ガス車(☆☆)」に適合し、「グリーン税制」対象車となっている。

AWDモデルでは5MTにVCU(ビスカスカップリング)方式センターデフを、E-4ATに「MP-T」を用いたアクティブトルクスプリットAWDを採用している。AWDターボ用には、5MTとして従来のTY75型(VCU方式センターデフ)を引き継いでいる。E-4ATとしてレガシィと共通の、遊星歯車式センターデフ+「MP-T」によるVTD-AWDトランスミッションが搭載された。STIには、今回は全くの新開発のスバル内製「TY85」型6速マニュアルトランスミッションが搭載された。先代ではガラスのミッションと酷評されたが、この代から搭載されたミッションは強度が見直された。

全国の警察の機動捜査隊に後期型WRXが覆面パトカーとして導入されている。

年表
* 2000年8月23日、WRX(4ドアセダン)とスポーツワゴンが登場。WRXは2.0L・AWDのみ。ワゴンに1.5LFFを設定。2.0Lターボ、NA車が「良低排出ガス車(☆)」、1.5Lが「優低排出ガス車(☆☆)」適合。

* 2000年10月、「WRX STi」、「スポーツワゴン STi」登場。新たに吸気側にAVCSを装着。

* 2001年11月、「WRX STi type RA specC」を追加。

* 2001年12月 WRCドライバーズ・タイトルを獲得。

* 2002年6月、「WRX STi type RA spec C」をベースにした、ストリートにおけるオンロード性能の向上を徹底追求したSTI製コンプリートカー「S202 STi Version」を発売。
o チタンマフラー、専用ECUの採用により320psの最高出力を実現。パワーウインドウなどの快適装備が特別設定されていた。

* 2002年11 月、中期型にマイナーチェンジ。Cタイプとなる。評判の芳しくなかったエクステリアを大幅変更(いわゆる丸目⇒涙目)。あわせてエンジン・シャシーにも大幅に変更が加えられた。特にエギゾーストマニホールドが等長化されたことが大きな変化であり、スバルの水平対向エンジン搭載車特有の「ズドドド」という音が小さくなった。

ワゴンAWDターボ車に「WRX」の名称が復活。ワゴンSTiは廃止となった。

* 2003年9月、一部改良でD型へ。セダンに、新たに5ナンバーボディのSOHC 1500ccモデルが追加された。

* 2004年6 月、一部改良でEタイプへ。STiはさらにパフォーマンスアップ。あわせて行われたフロントハブの強化、ホイールPCDを従来の100mmから 114.3mmに拡大。1.5Lを4ドアセダンにも新たに設定。スポーツワゴンと同じく5ナンバーサイズボディが採用されている。

* 2005年1月、WRX STiをベースに「グローバルピュアスポーツセダン」をコンセプトにしたSTI製コンプリートカー、「S203」を発売。
o S203よりベースモデルがspec CからSTiとなった。専用の減衰力4段可変式ストラット、ピロボール式リヤサスペンションリンク、ドライカーボン製フロントアンダースカート、専用リヤウイング、BBS製18インチ鍛造アルミホイール、STI・レカロ共同開発の専用ドライカーボン製リクライニング機構付フロントバケットシートなどを装備していた。

* 2005年6 月、後期型にマイナーチェンジ。Fタイプとなる。このモデルより、ブランド名グレード名ともSTI(すべて大文字)に統一。再びエクステリアの変更が行われ、「スプレッドウイングズグリル」と呼ばれる飛行機をモチーフにしたフロントグリルデザインを採用する(いわゆる涙目⇒鷹目)。*2006年1月、STI製コンプリートカー「S204」発売。
o 基本的なメカニズムはS203と共通。STIとヤマハ発動機が共同開発した、車体への入力を減衰するパフォーマンスダンパーが新たに採用されたのがトピックだった。600台限定で、価格は480万9,000円だった。

* 2006年6月、一部改良でGタイプへ。1.5Lモデルに、新たにDOHC・ロングストローク設計のEL15型エンジンが登場した。

* 2006年11月、「純粋に速く、安全に、本気で攻められるインプレッサ」をコンセプトとした特別仕様車「WRX STI spec C type RA-R」を発売。
o ブレンボ製6ポットキャリパー(フロント)や235/40R18タイヤなどを採用して、ショートコース・サーキットでの走行性能を向上していた。

モータースポーツ
ラリー
インプレッサは初代から一貫してモータースポーツ、特にラリー競技と切り離せない関係にあり、世界ラリー選手権(WRC)ではシトロエンやプジョーと互角の闘いを繰り広げ、国内イベントでも常にチャンピオン争いに絡む活躍を見せてきた。2リッタークラスのラリー競技用車両としては、日本はもちろん世界的にも三菱自動車工業のランサー・エボリューションと並び称せられ、特に近年のグループNクラスはほぼこの2車種が独占する状況にあるなど、スバルの世界的なブランド・イメージの構築に大きく貢献している。

WRCでは、これまでマニュファクチュアラーズチャンピオン3回(1995年、1996年、1997年)、ドライバーズチャンピオン3回(1995年、2001年、2003年)を獲得している。また、競技本番用としてだけでなく、ラリーステージの下見(レッキ)を行う際の車としてスバルチーム以外にも使用されることがある(大抵のWRC参戦メーカーは自社の市販車に四輪駆動車を持たないことが多いため)。

2008年12月16日、スバルは世界的不景気の影響を理由にWRC参戦の終了を発表し、これに伴ってワークスインプレッサのWRC参戦が無くなった。

初代4ドア・グループA (1993年~1996年)
ホモロゲーション名は「インプレッサ555」[17]。 WRC(世界ラリー選手権)には、1993年シーズン終盤の第9戦「1000湖ラリー」からレガシィに代わって投入され、アリ・バタネンのドライブにより初参戦にして2位という鮮烈なデビューを飾った。1994年には、1990年、92年のWRCドライバーチャンピオン、C.サインツのチーム加入を得てその繊細なセッティング能力によって戦闘力が一気に向上、第6戦「アクロポリス・ラリー」で初優勝を果たし、マクレーの手による2勝と併せてマニュファクチャラーズポイントでも2位を獲得した。1995年には8戦中5勝を挙げて、スバルは本格参戦から6年目にして、マニュファクチャラーズ及びドライバーズ(C.マクレー)のダブルタイトルに輝いた。続く1996年も、ドライバーズタイトルこそ三菱のトミ・マキネンに奪われるものの、マニュファクチャラーズタイトルを2年連続で獲得。グループA最強のラリーマシンとして認知され、欧州におけるスバルのブランディング向上とインプレッサの販売および日本におけるラリー人気の拡大に大きく貢献した。

初代2ドア・ワールドラリーカー (1997年~2000年)
グループA規定が緩和されたワールドラリーカーの導入にあたってスバルは2ドアのリトナをベース車に選択。97年にもドライバーのポイントの積み重ねでマニュファクチャラーズタイトルを獲得。日本メーカーでは唯一の3年連続のマニュファクチャラーズタイトルを達成した。だがこれ以降、マニュファクチャラーズタイトルからは遠のいてしまう。2000年には、2代目インプレッサへの移行を見越した大々的な改修が施された。

2代目4ドア・ワールドラリーカー (2001年~2008年)
2001年にはリチャード・バーンズが、2003年にはペター・ソルベルグが、それぞれWRCドライバーズ・タイトルを獲得。2004年初開催となったラリージャパンではペター・ソルベルグが勝利し、記念すべき初代王者に輝いた。さらに、2005年にはプロダクションカーWRC(PCWRC)で新井敏弘がシーズン・チャンピオンを獲得した。しかし、ライバルチームの戦闘力向上に追いつかなくなった2006年、2007年に、スバルは屈辱的な年間未勝利に終わった。

3代目5ドア・ワールドラリーカー (2008年)
フルモデルチェンジに伴い、リアオーバーハングが短くホイールベースが長いハッチバックボディになったため、ようやくシトロエン・フォードなどのライバルと同等のボディ・次元で戦えるようになった。

しかし、タバコスポンサーの撤退に伴い、資金が豊富なシトロエンやフォードに比べテストが不足し、プロドライブにおける度重なるトップエンジニアの更迭・引き抜き・解雇等に端を発する開発現場の混乱も手伝い、マシンの開発や熟成に時間がかかっているといった問題が、新型へスイッチされてもなお、改善されなかった。また、WRカーレギュレーションはエンジンの搭載位置および搭載角度は規定内で変更可能であり、横置き直列4気筒エンジンならマシン中央部に寄せて倒す等、重心位置を大幅に改善する設計が可能だが、水平対向エンジンを縦置きにレイアウトしているインプレッサにはほとんど改造の余地が無く、グループAでは絶大だったロードカーとしての素性の良さを生かせないWRカー規定自体がインプレッサに不利だった。

2008年12月16日に、同年をもってWRCから撤退することが正式に発表され、長きにわたって維持されてきたインプレッサによるワークス・エントリーの歴史に終止符が打たれた。同一車名による14年間連続ワークス・フルエントリーは、WRC史上最長記録となっている。

ラリーアメリカ
世界ラリー選手権(WRC)以外のラリー競技では、ラリーアメリカで“Subaru Rally Team USA”が活躍中である、中でもケン・ブロックとトラビス・パストラーナは人気の選手である。

サーキット
インプレッサはラリー以外の分野でも活躍している。SUPER GT(旧:JGTC)には4ドア車が特認車両として出場している。4WD禁止というレギュレーションの為、以前は後輪駆動化されていたが4WDが解禁となった2006年途中からAWD(4WD)仕様が参加している。また、インプレッサの活躍で2008年より4ドアが公認となり、同年第4戦 マレーシアで、インプレッサは4ドア、そして4WD車として初優勝を飾った。但し2009年は参戦していない。

スーパー耐久では2002年・2005年にST2クラス(旧クラス2)のシリーズチャンピオンを獲得している。

全日本ツーリングカー選手権(JTCC) にも1996年と1997年にSYMSレーシングからスポーツワゴンで出場している。レギュレーション上、駆動方式の変更が認められていた為、FRとし、同一メーカー製造のエンジンであれば換装可能であったので、EJ18をボアアップし、EJ20の4カムシリンダーヘッドとドッキングさせた自然吸気 DOHCエンジンが搭載された。

D1グランプリにチームオレンジのマシンとして初代、2代目(涙目、涙目改鷹目GDB)が使用されていた。スバルの水平対向4WDは縦置きであり、センターデフの小加工でFRにできる為、比較的早く4WD改FR仕様が製作された。無論、後輪に全出力が集中する為、駆動強化は必須となる。

車名の由来
インプレッサの名称、IMPREZA とは、「紋章」「金言」などの意を持つ英語“IMPRESA”からの造語である。

ハイパワーモデルの呼称であるWRXとはWRCの「WR」とレオーネのスポーツグレードで採用されていた呼称「RX」を掛け合わせた造語である。

ちなみに3代目セダンのサブネームであるアネシス(ANESIS)とはギリシャ語で「安心」「リラクゼーション」を意味する。


[ 2010/01/15 11:02 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru WRX STI sedan Nurburgring record lap with Tommi Mäkin 8'22"

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インプレッサ(IMPREZA)は、スバルブランドを展開する富士重工業が生産・販売する乗用車、ラリーカーである。1992年に発売を開始!

レガシィの下位モデルという位置付けで登場し、世界市場=特にヨーロッパにおけるCセグメント市場を狙ったスバルの世界戦略車としての役割も担っている。後述するが、日本車としては1代1代のモデルサイクルが長いことでも知られるが、3代目から4代目へのフルモデルチェンジは4年6ヶ月の異例の短スパンで行われた。

3代目GE・GH・GR・GV型(2007年-2011年)
ノーマルモデル
商品コンセプトを「新快適スタイル」とし、4ドアセダンと先代までに存在したスポーツワゴンに代わって登場した5ドアハッチバックの2モデルとなった。ただし、日本では5ドアハッチバックの販売が先行し、4ドアセダンは約1年遅れて市場に投入された(2008年10月8日)。なお、いずれのモデルも全幅が1,700mmを超えるので3ナンバーとなる。シャシーは、BL/BP型レガシィのプラットホームを基にした「SI-シャシー(Subaru Intelligent Chassis)」を新たに採用し、リアサスペンションの形式が従来のストラット式から新開発のダブルウィッシュボーン式へと変更された。ドアも従来の枠なしドアから、枠付ドアに変更された。

エンジンについては、1.5Lモデル「15S」はEL15型DOHC16バルブ、2.0Lモデル「20S」はNA仕様がEJ20型SOHC16バルブであり、ツインスクロールターボ仕様「S-GT」がEJ20型DOHC16バルブである。これに伴い、既存の1.5LのEJ15型SOHC16バルブエンジンは廃止された。この3代目から、日本国内向け2.0Lターボ車のグレード名は「WRX」から「S-GT」となったが、日本国外モデルのターボ車(全て2.5L)は先代同様「WRX」のグレード名を使用する。

2007年11月20日、新型インプレッサはアメリカの保険団体の衝突安全テストで最高評価を獲得し、2008年4月21日国土交通省などが、安全性能の評価が最も高い車に与える2007年度の「自動車アセスメントグランプリ」に選ばれるなど、安全性の高い車種として評価されている。

発売当初から発表はあったものの、しばらくセダン投入の動きは見られず、富士重工は「日本市場の様子を見てセダンの販売を検討していく」としていたが、同年11月29日、日本国内でもセダンを投入すると報じられた[34]。 当初は2008年初頭の発表が噂されたが、報道から約9か月後の同年10月8日に「インプレッサアネシス」の名で発売が開始された。

アネシスの特徴として「ツーリング・コンフォート」をコンセプトとし、ゴルフバッグを4つ積載できるトランクルームを備えるとともに、光輝タイプのヘッドライトや専用フロントグリルにより、ハッチバックとは異なるフロントマスクとなっていることが挙げられる。また、インテリアに関しては上級モデルにパールスエードと本革を組み合わせて上質感を演出している点も、ハッチバックと異なる点である[31]。エンジンは1.5LNAのEL15型DOHC16バルブと2L自然吸気のEJ20型SOHC16バルブの2種で、ターボ搭載のS-GTや先代のWRX系は設定されない[35]。また、アネシス登場を機にハッチバックにも一部改良が実施され、新デザインのフロントグリル、LEDサイドターンランプ付きドアミラー(2Lのみ)、ブラックトリムと後席中央3点式シートベルト&ヘッドレストを装備するなど、機能性と質感の向上を図った。

XV
2010年6月、インプレッサの一部改良と同時に登場した、クロスオーバーモデル(別項を参照)。 2012年9月、スバル・XVと名乗ってフルモデルチェンジ。

WRX STI
2007年10月24日に発売された[37]。先代までのセダンボディから、ショートオーバーハングの5ドアハッチバックボディとなった。型式はCBA-GRBである。 エクステリアには大きく張り出しエッジを効かせた前後フェンダーを採用し、独自の存在感を出した。これにより、WRX STIとして初めて標準インプレッサシリーズとは別の専用ボディとなり、前述の通り車両型式も専用となった。 インテリアでは、新たにレカロ社製フロントバケットタイプシートをメーカー装着オプションで設定した[37]。本革巻3本スポークステアリング、3連式のレッドルミネセントメーターや、テレスコピックステアリングも採用された[37]。 走行面では、SI-DRIVEやマルチモードDCCD、マルチモードVDCなどのメカニズムが新たに採用された[37]。先代に続きツインスクロールターボを採用した新開発のEJ20エンジンは280仏馬力の自動車馬力規制を超え最大出力308仏馬力となり、同時に低・中回転域のトルクも向上したほか、可変バルブタイミング機構・AVCSが吸気、排気の双方に設けられ[38]、走行性能を高めながらも、「平成17年排出ガス基準50%低減」を達成した。

2010年7月1日より4ドアも販売され、同時に5ドアがフロントなどをマイナーチェンジされた。グレードはともに2.0Lターボに6MTの組み合わせの「WRX STI(型式 GRB/GVB)」と2.5Lターボに5ATの組み合わせの「WRX STI A-Line(型式 GRF/GVF)」の2種で、後者にはサンルーフやタン色本皮革シートが選べる「プレミアムパッケージ」を用意。また、この年次改良から、カタログ掲載および店頭等での表示車名が「スバル インプレッサ WRX STI」から「スバル WRX STI」に省略変更された(正式車名は「スバル インプレッサ WRX STI」のままである)。なお、標準モデルがフルモデルチェンジした2011年11月30日以降も、本モデルは継続生産している。

※注)スバルHP・全車種一覧では「インプレッサシリーズ」と「WRX STI」がそれぞれ別枠に分類されているが、2010年7月1日の改良時[40]やその後の広報発表資料[41]の記事中にて引き続き「インプレッサ WRX STI」と表記されている(過去に、レガシィアウトバックがレガシィシリーズであるにもかかわらず単に「アウトバック」と称されていた件(後年「レガシィアウトバック」と表記されるようになった)、「インプレッサリトナ」が単に「リトナ」と称された件、カローラレビンが単に「レビン」と通称で呼ばれていた件などと同じであると考えられる)。

年表
2007年4月 ニューヨーク国際オートショーで発表(ワールドプレミア)。

2007年6月4日 フルモデルチェンジ。国内の目標月間販売台数はシリーズ全体で2,500台と発表されている。グローバルの目標年間販売台数は12万台で45%を米国、25%を日本、20%を欧州、10%をその他の地域で売るとしている。

2007年10月24日 追加モデル「WRX STI」発売。

11月14日 特別仕様車「BEAMS EDITION」発表・発売。

セレクトショップのBEAMSとコラボレートしたモデル。ボディカラーにBEAMSのイメージカラーであるオレンジが設定されているほか、専用の本革シートを装備していた。

2008年5月15日 特別仕様車「15S コンフォートセレクション」発売。消臭ルーフトリムなどの快適装備が標準装備となっていた。また、ボディカラーでは、「15S」に初めてWRブルー・マイカとスパークシルバー・メタリックが設定された。

2008年10月8日 シリーズ一部改良、同時に4ドアセダン「アネシス」を追加。グレード名の変更(S-GT→2.0GTなど)、新グレードの追加、2.0L NAモデルへのFF車の設定。5ドア車はボディカラーに「ダークアメジスト・ギャラクシィ」を新たに追加したほか、ボディカラー「ニューポートブルー・パール」、「トパーズゴールド・メタリック」を廃止。

2008年10月23日 特別仕様車「STI 20th ANNIVERSARY」発売開始。WRX STIをベースに、“曲がる楽しさ”にこだわり「匠のハンドリング」をテーマとし、S402でも採用されたフレキシブル・タワーバーの搭載など、シャシーを中心にSTIによるチューニングが施された。300台の限定受注生産で、車両本体価格は412万6,500円(税込み)。

2009年2月24日 「WRX STI」の一部改良とともに、追加モデル「WRX STI A-Line」発売開始、B型となる。一部改良では、ヒルスタートアシストのキャンセル機能の追加、インフォメーションディスプレイでの瞬間燃費の表示、運転席パワーシート化(メーカー装着オプションのレカロシートを除く)、ボディカラーの変更などが行われた。「WRX STI A-Line」はWRX STI史上初となる2ペダル仕様として派生したモデルである。専用2.5Lシングルスクロールターボエンジンが搭載され、パドルシフトおよびシフトダウン・ブリッピング・コントロール付5速ATが架装された。また、トランスミッションの変更に伴い、4WD方式はVTD-4WDとなった。その一方で、等長等爆エキゾーストマニホールドは採用されず、ブレンボ社製ベンチレーテッドディスクブレーキはオプション装備とされた。

2009年7月23日 特別仕様車「STI spec C」発売開始。WRX STIをベースに、ボールベアリングターボや専用ECUの採用により、レスポンスと加速性能を向上させたほか、GDB型以来となるインタークーラーウォータースプレイを採用。シャシー剛性の向上を図ったほか、アルミ製フロントフード、軽量ガラス、小型バッテリーなどの採用により軽量化。販売計画は2009年12月27日受注分までの限定900台。「18インチタイヤ仕様車」と「17インチタイヤ仕様車」を設定。但し17インチタイヤ仕様車は台数、受注期間のいずれも限定はないが、エアコンが後からも装着できない競技用途を想定したものである。

2009年9月2日 一部改良。5ドアモデルはフロントグリルデザインを変更し、コンソールボックスの上蓋部をソフトパット化。サスペンションやリアショックアブソーバー、ステアリングシステムの特性変更を行い、操縦安定性や乗り心地、操作性などを向上させた。AWD車には「SYMMETRICAL AWD」のエンブレムをリアに装着した。新設された「i-S」系グレードには、ホワイトルミネセントメーターやシート表皮のメイン部にアルカンターラを採用。また、2.0GTと共通デザインのバンパー、サイドシルスポイラーやアルミホイール(1.5L車は16インチ、2.0L車は17インチ)などを装備し、スポーティさを高めた。また、全車で新ボディカラー「ブリティッシュレーシンググリーン・パール」を追加し、5ドア車のボディカラー、「ダークアメジスト・ギャラクシィ」と4ドア車のボディカラー「ミッドナイトブルー・パール」を廃止。

2010年1月7日 特別仕様車「WRX STI A-Line type S」を発売。「WRX STI A-Line」をベースにアルカンターラと本革を組み合わせた専用シートを採用するとともにRECARO製専用フロントシートをオプション設定。さらに、内装の一部に赤ステッチを施し、アルミホイールをガンメタリック塗装の軽量タイプを採用した。同日に最高出力235kw(320仏馬力)、最大トルク431N・m(44kg・m)のハイパフォーマンスを持つ専用ターボエンジンを搭載したほか、「WRX STI Spec C」で採用された装備や仕様を生かし内外装の加飾を控え、走りに磨きをかけて設計したコンプリートカー「R205」を発売。こちらは400台の限定販売である。

2010年6月24日 一部改良、同時にクロスオーバーモデル「インプレッサXV」が追加。ボディカラーにオプションカラーの「カメリアレッド・パール」を追加し、「ブリティッシュレーシンググリーン・パール」、「ライトニングレッド」を廃止。メーカーオプションにはフルセグ地上デジタルチューナーを内蔵し、「SUBARU G-BOOK mX」に対応したオーディオ一体型HDDナビゲーションシステムを追加した。

2010年7月1日 「WRX STI」をマイナーチェンジ、同時に4ドアモデルを追加。新ボディカラー「プラズマブルー・シリカ」が設定され、5ドア車のボディカラー「ライトニングレッド」を廃止した。外装では前バンパーおよびラジエターグリルが変更され、冷却効率の向上を目指した。また、ショックアブソーバー、コイルスプリングの特性がグレード毎に見直された。4ドアのMT車には大型のトランクスポイラーが装着される。「A-Line」のプレミアムパッケージは、ブラックハイラスター塗装のBBS製アルミホイールや、タンカラーの革内装となる。 2010年12月21日 - 特別仕様車「1.5i-S Limited」・「2.0i-S Limited」を発売[51]。「1.5i-S」・「2.0i-S」をベースに、ガンメタリック塗装アルミホイール、LEDハイマウントストップランプ内蔵の大型ルーフスポイラー、専用メッシュタイプフロントグリル、専用ブラックインテリア等を装備し、派生スポーツモデルの「WRX STI」をイメージさせる外観・内装としたほか、スポーティチューニングサスペンションを行い、走行性能を強化しつつ、価格を抑えた仕様である。なお、「1.5i-S Limited」にはHIDロービームランプやキーレスアクセス&プッシュスタートなど7つの装備をプラスした「プレミアムパッケージ」も設定された。合わせて、「WRX STI」シリーズには、モータースポーツなどでの使用を前提に、エンジンやシャシーの強化、車両の軽量化などを行ったことでパフォーマンス向上を図った5ドアタイプ「WRX STI spec C」を追加し、スバルテクニカインターナショナルからは4ドアタイプをベースにシャシーを中心としたSTI独自の仕様に加え、カーボンルーフ(富士重工業と東レで共同開発された炭素繊維複合材を使用)やアルミ製エンジンフード、こだわりの内外装を備えたコンプリートカー「WRX STI tS」・「WRX STI A-Line tS」を発表した(2011年1月25日販売開始、同年3月14日受注分までの400台限定販売)。

2011年10月 - XVが生産終了。

2011年11月24日 - 特別仕様車「WRX STI A-Line type S」・「WRX STI S206」を発売[52][53]。前者は「WRX STI A-Line」をベースに、新デザインを採用したハイラスター塗装の18インチアルミホイール、アルカンターラと本革のバケットタイプフロントシート、助手席8ウェイパワーシート、本革製のリアシートセンターアームレスト、アルカンターラ製のフロアコンソールリッドとドアアームレストを装備、さらに、4ドアタイプには大型リアスポイラーも装備された。また、オプションとして、レバー式運転席シートリフター付きRECARO製バケットタイプフロントシートを設定した(本オプションを装備した場合、助手席8ウェイパワーシートは非装備となる)。後者は4ドアタイプをベースに、スバルテクニカインターナショナルが運動性能を向上させ、専用内外装を備えたコンプリートカーで、具体的にはボディやエンジンにチューニングを行うとともに、専用大型フロントアンダースポイラー、専用フロントフェンダーアウトレットグリル、STI製トランクスポイラー、専用高級革巻ステアリングホイール、専用RECARO製バケットタイプシート、専用シートベルトなどを装備している。なお、2012年5月7日受注分までの300台限定販売であるが、このうち、同年6月のニュルブルクリンク24時間レースでのSP3Tクラス優勝を記念し、カーボンルーフや専用ドライカーボン製リアスポイラーなどを追加した「NBR CHALLENGE PACKAGE」については、発売当日に販売予定台数(最大100台)に達してしまったため、設定されていた受注期限を待たずに当日のうちに販売終了、また「WRX STI S206」についても12月7日で予定生産分の300台すべてが完売となった。

2012年7月3日 - 「WRX STI」を一部改良。標準グレードと「A-Line」に採用の18インチアルミホイールのデザインを変更したことで1本あたり220gの軽量化。さらに、「A-Line」ではメーカーオプションのプレミアムパッケージを6MT車でも設定できるようにし、4ドアモデルはトランクガーニッシュをボディ同色に変更した。5ドアモデルのみの設定だった「spec C」を4ドアモデルにも拡大設定(4ドアモデルではリア周りの軽量化のため、リアワイパーやリアフォグランプが非装備となり、17インチ仕様車では大型リアスポイラーも非装備となる)し、17インチ仕様車にはフルオートエアコンをメーカーオプションに追加し、リヤ中央席にヘッドレストと3点式シートベルトを追加した。2011年11月に発売した特別仕様車「A-Line type S」は装備内容を見直してスポーティーテイストをさらに高め、「A-Line S Package」としてカタロググレードに昇格した。

2011バージョンのインプレッサ、Nurburgringでのインプレッション!7'55"をたたき出す!!


[ 2010/02/10 11:51 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru WRX STI sedan Nurburgring Challenge 2010 - digest movie 3'52"

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インプレッサ(IMPREZA)は、スバルブランドを展開する富士重工業が生産・販売する乗用車、ラリーカーである。1992年に発売を開始!

レガシィの下位モデルという位置付けで登場し、世界市場=特にヨーロッパにおけるCセグメント市場を狙ったスバルの世界戦略車としての役割も担っている。後述するが、日本車としては1代1代のモデルサイクルが長いことでも知られるが、3代目から4代目へのフルモデルチェンジは4年6ヶ月の異例の短スパンで行われた。

3代目GE・GH・GR・GV型(2007年-2011年)
ノーマルモデル
商品コンセプトを「新快適スタイル」とし、4ドアセダンと先代までに存在したスポーツワゴンに代わって登場した5ドアハッチバックの2モデルとなった。ただし、日本では5ドアハッチバックの販売が先行し、4ドアセダンは約1年遅れて市場に投入された(2008年10月8日)。なお、いずれのモデルも全幅が1,700mmを超えるので3ナンバーとなる。シャシーは、BL/BP型レガシィのプラットホームを基にした「SI-シャシー(Subaru Intelligent Chassis)」を新たに採用し、リアサスペンションの形式が従来のストラット式から新開発のダブルウィッシュボーン式へと変更された。ドアも従来の枠なしドアから、枠付ドアに変更された。

エンジンについては、1.5Lモデル「15S」はEL15型DOHC16バルブ、2.0Lモデル「20S」はNA仕様がEJ20型SOHC16バルブであり、ツインスクロールターボ仕様「S-GT」がEJ20型DOHC16バルブである。これに伴い、既存の1.5LのEJ15型SOHC16バルブエンジンは廃止された。この3代目から、日本国内向け2.0Lターボ車のグレード名は「WRX」から「S-GT」となったが、日本国外モデルのターボ車(全て2.5L)は先代同様「WRX」のグレード名を使用する。

2007年11月20日、新型インプレッサはアメリカの保険団体の衝突安全テストで最高評価を獲得し、2008年4月21日国土交通省などが、安全性能の評価が最も高い車に与える2007年度の「自動車アセスメントグランプリ」に選ばれるなど、安全性の高い車種として評価されている。

発売当初から発表はあったものの、しばらくセダン投入の動きは見られず、富士重工は「日本市場の様子を見てセダンの販売を検討していく」としていたが、同年11月29日、日本国内でもセダンを投入すると報じられた[34]。 当初は2008年初頭の発表が噂されたが、報道から約9か月後の同年10月8日に「インプレッサアネシス」の名で発売が開始された。

アネシスの特徴として「ツーリング・コンフォート」をコンセプトとし、ゴルフバッグを4つ積載できるトランクルームを備えるとともに、光輝タイプのヘッドライトや専用フロントグリルにより、ハッチバックとは異なるフロントマスクとなっていることが挙げられる。また、インテリアに関しては上級モデルにパールスエードと本革を組み合わせて上質感を演出している点も、ハッチバックと異なる点である[31]。エンジンは1.5LNAのEL15型DOHC16バルブと2L自然吸気のEJ20型SOHC16バルブの2種で、ターボ搭載のS-GTや先代のWRX系は設定されない[35]。また、アネシス登場を機にハッチバックにも一部改良が実施され、新デザインのフロントグリル、LEDサイドターンランプ付きドアミラー(2Lのみ)、ブラックトリムと後席中央3点式シートベルト&ヘッドレストを装備するなど、機能性と質感の向上を図った。

XV
2010年6月、インプレッサの一部改良と同時に登場した、クロスオーバーモデル(別項を参照)。 2012年9月、スバル・XVと名乗ってフルモデルチェンジ。

WRX STI
2007年10月24日に発売された[37]。先代までのセダンボディから、ショートオーバーハングの5ドアハッチバックボディとなった。型式はCBA-GRBである。 エクステリアには大きく張り出しエッジを効かせた前後フェンダーを採用し、独自の存在感を出した。これにより、WRX STIとして初めて標準インプレッサシリーズとは別の専用ボディとなり、前述の通り車両型式も専用となった。 インテリアでは、新たにレカロ社製フロントバケットタイプシートをメーカー装着オプションで設定した[37]。本革巻3本スポークステアリング、3連式のレッドルミネセントメーターや、テレスコピックステアリングも採用された[37]。 走行面では、SI-DRIVEやマルチモードDCCD、マルチモードVDCなどのメカニズムが新たに採用された[37]。先代に続きツインスクロールターボを採用した新開発のEJ20エンジンは280仏馬力の自動車馬力規制を超え最大出力308仏馬力となり、同時に低・中回転域のトルクも向上したほか、可変バルブタイミング機構・AVCSが吸気、排気の双方に設けられ[38]、走行性能を高めながらも、「平成17年排出ガス基準50%低減」を達成した。

2010年7月1日より4ドアも販売され、同時に5ドアがフロントなどをマイナーチェンジされた。グレードはともに2.0Lターボに6MTの組み合わせの「WRX STI(型式 GRB/GVB)」と2.5Lターボに5ATの組み合わせの「WRX STI A-Line(型式 GRF/GVF)」の2種で、後者にはサンルーフやタン色本皮革シートが選べる「プレミアムパッケージ」を用意。また、この年次改良から、カタログ掲載および店頭等での表示車名が「スバル インプレッサ WRX STI」から「スバル WRX STI」に省略変更された(正式車名は「スバル インプレッサ WRX STI」のままである)。なお、標準モデルがフルモデルチェンジした2011年11月30日以降も、本モデルは継続生産している。

※注)スバルHP・全車種一覧では「インプレッサシリーズ」と「WRX STI」がそれぞれ別枠に分類されているが、2010年7月1日の改良時[40]やその後の広報発表資料[41]の記事中にて引き続き「インプレッサ WRX STI」と表記されている(過去に、レガシィアウトバックがレガシィシリーズであるにもかかわらず単に「アウトバック」と称されていた件(後年「レガシィアウトバック」と表記されるようになった)、「インプレッサリトナ」が単に「リトナ」と称された件、カローラレビンが単に「レビン」と通称で呼ばれていた件などと同じであると考えられる)。

年表
2007年4月 ニューヨーク国際オートショーで発表(ワールドプレミア)。

2007年6月4日 フルモデルチェンジ。国内の目標月間販売台数はシリーズ全体で2,500台と発表されている。グローバルの目標年間販売台数は12万台で45%を米国、25%を日本、20%を欧州、10%をその他の地域で売るとしている。

2007年10月24日 追加モデル「WRX STI」発売。

11月14日 特別仕様車「BEAMS EDITION」発表・発売。

セレクトショップのBEAMSとコラボレートしたモデル。ボディカラーにBEAMSのイメージカラーであるオレンジが設定されているほか、専用の本革シートを装備していた。

2008年5月15日 特別仕様車「15S コンフォートセレクション」発売。消臭ルーフトリムなどの快適装備が標準装備となっていた。また、ボディカラーでは、「15S」に初めてWRブルー・マイカとスパークシルバー・メタリックが設定された。

2008年10月8日 シリーズ一部改良、同時に4ドアセダン「アネシス」を追加。グレード名の変更(S-GT→2.0GTなど)、新グレードの追加、2.0L NAモデルへのFF車の設定。5ドア車はボディカラーに「ダークアメジスト・ギャラクシィ」を新たに追加したほか、ボディカラー「ニューポートブルー・パール」、「トパーズゴールド・メタリック」を廃止。

2008年10月23日 特別仕様車「STI 20th ANNIVERSARY」発売開始。WRX STIをベースに、“曲がる楽しさ”にこだわり「匠のハンドリング」をテーマとし、S402でも採用されたフレキシブル・タワーバーの搭載など、シャシーを中心にSTIによるチューニングが施された。300台の限定受注生産で、車両本体価格は412万6,500円(税込み)。

2009年2月24日 「WRX STI」の一部改良とともに、追加モデル「WRX STI A-Line」発売開始、B型となる。一部改良では、ヒルスタートアシストのキャンセル機能の追加、インフォメーションディスプレイでの瞬間燃費の表示、運転席パワーシート化(メーカー装着オプションのレカロシートを除く)、ボディカラーの変更などが行われた。「WRX STI A-Line」はWRX STI史上初となる2ペダル仕様として派生したモデルである。専用2.5Lシングルスクロールターボエンジンが搭載され、パドルシフトおよびシフトダウン・ブリッピング・コントロール付5速ATが架装された。また、トランスミッションの変更に伴い、4WD方式はVTD-4WDとなった。その一方で、等長等爆エキゾーストマニホールドは採用されず、ブレンボ社製ベンチレーテッドディスクブレーキはオプション装備とされた。

2009年7月23日 特別仕様車「STI spec C」発売開始。WRX STIをベースに、ボールベアリングターボや専用ECUの採用により、レスポンスと加速性能を向上させたほか、GDB型以来となるインタークーラーウォータースプレイを採用。シャシー剛性の向上を図ったほか、アルミ製フロントフード、軽量ガラス、小型バッテリーなどの採用により軽量化。販売計画は2009年12月27日受注分までの限定900台。「18インチタイヤ仕様車」と「17インチタイヤ仕様車」を設定。但し17インチタイヤ仕様車は台数、受注期間のいずれも限定はないが、エアコンが後からも装着できない競技用途を想定したものである。

2009年9月2日 一部改良。5ドアモデルはフロントグリルデザインを変更し、コンソールボックスの上蓋部をソフトパット化。サスペンションやリアショックアブソーバー、ステアリングシステムの特性変更を行い、操縦安定性や乗り心地、操作性などを向上させた。AWD車には「SYMMETRICAL AWD」のエンブレムをリアに装着した。新設された「i-S」系グレードには、ホワイトルミネセントメーターやシート表皮のメイン部にアルカンターラを採用。また、2.0GTと共通デザインのバンパー、サイドシルスポイラーやアルミホイール(1.5L車は16インチ、2.0L車は17インチ)などを装備し、スポーティさを高めた。また、全車で新ボディカラー「ブリティッシュレーシンググリーン・パール」を追加し、5ドア車のボディカラー、「ダークアメジスト・ギャラクシィ」と4ドア車のボディカラー「ミッドナイトブルー・パール」を廃止。

2010年1月7日 特別仕様車「WRX STI A-Line type S」を発売。「WRX STI A-Line」をベースにアルカンターラと本革を組み合わせた専用シートを採用するとともにRECARO製専用フロントシートをオプション設定。さらに、内装の一部に赤ステッチを施し、アルミホイールをガンメタリック塗装の軽量タイプを採用した。同日に最高出力235kw(320仏馬力)、最大トルク431N・m(44kg・m)のハイパフォーマンスを持つ専用ターボエンジンを搭載したほか、「WRX STI Spec C」で採用された装備や仕様を生かし内外装の加飾を控え、走りに磨きをかけて設計したコンプリートカー「R205」を発売。こちらは400台の限定販売である。

2010年6月24日 一部改良、同時にクロスオーバーモデル「インプレッサXV」が追加。ボディカラーにオプションカラーの「カメリアレッド・パール」を追加し、「ブリティッシュレーシンググリーン・パール」、「ライトニングレッド」を廃止。メーカーオプションにはフルセグ地上デジタルチューナーを内蔵し、「SUBARU G-BOOK mX」に対応したオーディオ一体型HDDナビゲーションシステムを追加した。

2010年7月1日 「WRX STI」をマイナーチェンジ、同時に4ドアモデルを追加。新ボディカラー「プラズマブルー・シリカ」が設定され、5ドア車のボディカラー「ライトニングレッド」を廃止した。外装では前バンパーおよびラジエターグリルが変更され、冷却効率の向上を目指した。また、ショックアブソーバー、コイルスプリングの特性がグレード毎に見直された。4ドアのMT車には大型のトランクスポイラーが装着される。「A-Line」のプレミアムパッケージは、ブラックハイラスター塗装のBBS製アルミホイールや、タンカラーの革内装となる。 2010年12月21日 - 特別仕様車「1.5i-S Limited」・「2.0i-S Limited」を発売[51]。「1.5i-S」・「2.0i-S」をベースに、ガンメタリック塗装アルミホイール、LEDハイマウントストップランプ内蔵の大型ルーフスポイラー、専用メッシュタイプフロントグリル、専用ブラックインテリア等を装備し、派生スポーツモデルの「WRX STI」をイメージさせる外観・内装としたほか、スポーティチューニングサスペンションを行い、走行性能を強化しつつ、価格を抑えた仕様である。なお、「1.5i-S Limited」にはHIDロービームランプやキーレスアクセス&プッシュスタートなど7つの装備をプラスした「プレミアムパッケージ」も設定された。合わせて、「WRX STI」シリーズには、モータースポーツなどでの使用を前提に、エンジンやシャシーの強化、車両の軽量化などを行ったことでパフォーマンス向上を図った5ドアタイプ「WRX STI spec C」を追加し、スバルテクニカインターナショナルからは4ドアタイプをベースにシャシーを中心としたSTI独自の仕様に加え、カーボンルーフ(富士重工業と東レで共同開発された炭素繊維複合材を使用)やアルミ製エンジンフード、こだわりの内外装を備えたコンプリートカー「WRX STI tS」・「WRX STI A-Line tS」を発表した(2011年1月25日販売開始、同年3月14日受注分までの400台限定販売)。

2011年10月 - XVが生産終了。

2011年11月24日 - 特別仕様車「WRX STI A-Line type S」・「WRX STI S206」を発売[52][53]。前者は「WRX STI A-Line」をベースに、新デザインを採用したハイラスター塗装の18インチアルミホイール、アルカンターラと本革のバケットタイプフロントシート、助手席8ウェイパワーシート、本革製のリアシートセンターアームレスト、アルカンターラ製のフロアコンソールリッドとドアアームレストを装備、さらに、4ドアタイプには大型リアスポイラーも装備された。また、オプションとして、レバー式運転席シートリフター付きRECARO製バケットタイプフロントシートを設定した(本オプションを装備した場合、助手席8ウェイパワーシートは非装備となる)。後者は4ドアタイプをベースに、スバルテクニカインターナショナルが運動性能を向上させ、専用内外装を備えたコンプリートカーで、具体的にはボディやエンジンにチューニングを行うとともに、専用大型フロントアンダースポイラー、専用フロントフェンダーアウトレットグリル、STI製トランクスポイラー、専用高級革巻ステアリングホイール、専用RECARO製バケットタイプシート、専用シートベルトなどを装備している。なお、2012年5月7日受注分までの300台限定販売であるが、このうち、同年6月のニュルブルクリンク24時間レースでのSP3Tクラス優勝を記念し、カーボンルーフや専用ドライカーボン製リアスポイラーなどを追加した「NBR CHALLENGE PACKAGE」については、発売当日に販売予定台数(最大100台)に達してしまったため、設定されていた受注期限を待たずに当日のうちに販売終了、また「WRX STI S206」についても12月7日で予定生産分の300台すべてが完売となった。

2012年7月3日 - 「WRX STI」を一部改良。標準グレードと「A-Line」に採用の18インチアルミホイールのデザインを変更したことで1本あたり220gの軽量化。さらに、「A-Line」ではメーカーオプションのプレミアムパッケージを6MT車でも設定できるようにし、4ドアモデルはトランクガーニッシュをボディ同色に変更した。5ドアモデルのみの設定だった「spec C」を4ドアモデルにも拡大設定(4ドアモデルではリア周りの軽量化のため、リアワイパーやリアフォグランプが非装備となり、17インチ仕様車では大型リアスポイラーも非装備となる)し、17インチ仕様車にはフルオートエアコンをメーカーオプションに追加し、リヤ中央席にヘッドレストと3点式シートベルトを追加した。2011年11月に発売した特別仕様車「A-Line type S」は装備内容を見直してスポーティーテイストをさらに高め、「A-Line S Package」としてカタロググレードに昇格した。

新型インプレッサ、ニュルブルクリンクを攻める!
この恐ろしいほど怖い、楽しいサーキットをどう攻めるか?


[ 2010/02/11 12:51 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru R-1 1'30"

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R1(アールワン)は、スバルブランドを展開する富士重工業がかつて生産・販売していた軽自動車である。

主に子どもが独立した世帯や女性をターゲットとする。乗車定員は4人だが1、2人乗車をメインとする「2+2シーターパッケージ」としており、運転席からレバーを操作して助手席の背もたれを倒せる機能および後席の背もたれを倒す機能を備え、1人乗車の際に便利なシートアレンジが可能である。

1958年に発売されたスバル360が「てんとう虫」の愛称で親しまれたコンセプトを受け継ぎ、R1を「NEWてんとう虫」と位置づけてカタログおよび一部オプションで、てんとう虫のイラストを用いている。

RJ1/RJ2型(2005年 - 2010年)<>BR> 2003年10月
第37回東京モーターショーで電気モーターを動力とするコンセプトカー「R1e」が公開。
2004年11月
第38回東京モーターショーでR1ベースの介護車両が公開。
2004年12月24日
R1発表。グレードは「R」のみ設定。取り回しの良さを得るためR2と比較して、全長が110mm、ホイールベースが165mm短縮される。車体外観はR2に類似しているが、ドアミラーやアンテナおよびスバルCIマークを模ったバックドアオープナー以外はR1専用の部品である。エンジンは660cc自然吸気直列4気筒連続可変バルブ機構(AVCS)付DOHC16バルブ。このエンジンは、燃費が24km/l(10・15モード、2WD車)で「平成22年度燃費基準+25%」および「平成17年排出ガス基準75%低減」を達成し、「環境対応車普及促進税制」に適合する。トランスミッションはCVT。四輪ともストラット式の独立懸架サスペンションを装備し、前輪駆動またはビスカス式フルタイム四輪駆動を設定。15インチアルミホイール、デュアルSRSエアバッグおよびブレーキアシスト付きABSを標準装備。自発光式メーターを採用。内装色はレッド&ブラックのツートーンカラー。メーカーオプションとして2灯式HIDハイ&ロービームランプおよびレザー&アルカンターラセレクションを設定。レザー&アルカンターラセレクションはシートのメイン部にブラックのアルカンターラ、サイド部にはレッドの本革を用い、本革巻きステアリング・本革巻きシフトノブおよびアルミ製スポーツペダルを装備する。「スプレッドウイングスグリル」と名づけられた航空機をモチーフにしたフロントグリルを採用。ボディカラーは6色設定。

2005年1月4日
販売開始。
2005年7月
低価格グレード「i」を追加。エンジンは660cc自然吸気直列4気筒SOHC8バルブ。ホイールは14インチ。ボディカラーは4色に絞られ、「R」グレードのレッド&ブラック内装色からシルバー&ブラックの内装色に変更される。メーカーオプションのHIDおよびレザー&アルカンターラセレクションの設定は無い。

2005年9月
第39回モーターショーで再び「R1e」が公開され、試乗もできた。電気モーターの出力は54PS/6000rpmで、最高速度が120km/h、0-60km/h加速が7.4秒とガソリン版のR1の7.7秒をも凌いでいる。東京電力とNECラミリオエナジーとの共同開発。

2005年10月
2005年度グッドデザイン賞を受賞。
2005年11月24日
グレード追加および一部改良。660cc直列4気筒DOHC16バルブインタークーラー付スーパーチャージャー搭載グレード「S」を追加。最高出力64PS(47kW)、最大トルク10.5Kg・m。ホイールは15インチ。「S」グレードのCVTには7速マニュアルモード付が付く。同時に全グレードのフロントドアにUVカットガラスの採用およびドアミラーの視界拡大化。ボディーカラー3色廃止。

2006年11月15日
2007年6月12日
一部改良。「i」グレードが廃止。ボディーカラーが一部変更。
2008年6月12日
一部改良。ボディカラーを1色追加。
2009年11月4日
特別仕様車追加。「R」および「S」グレードをベースに専用シート表皮、ステアリングおよびシフトレバーなどをブラックで統一し、アルミパッド付スポーツペダルとHIDなどを装備した特別仕様車「Premium Black Limited」を設定。「Premium Black Limited」専用ボディカラー1色追加。

2010年3月12日
スバル公式サイトの発表では2010年3月14日で受注を終了の予定であったが、同日付けで受注を終了

[ 2010/05/12 00:51 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

SUBARU JUSTY CM 03'0"

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ジャスティ(JUSTY )はスバルブランドを展開する富士重工業で販売されていたBセグメントの車である。台湾大慶汽車では初代をベースに5ドアセミノッチバックセダンに仕立てた「TUTTO(テュット、金美滿)」も生産・発売されていた。

初代(1984年-1994年
1984年
当時の軽自動車、スバル・レックスをベースに(ドアは流用)、ボディを拡大して発売開始。エンジンは直3 SOHC 1L(EF10型)で、ボディタイプは3ドアHBと5ドアHBの2タイプ、それぞれにFF(前輪駆動)と4WD(パートタイム四輪駆動)がラインアップされていた。4WD仕様は当時のレックス4WDと同様、シフトノブ内にある赤い4WDスイッチをワンプッシュするだけでFF⇔4WDの切り替えが可能であった。

1985年秋
『火の玉ボーイ』というキャッチコピーとともに、3気筒1.2Lエンジン〔EF12型。1気筒あたり3バルブ(吸気2バルブ、排気1バルブ)仕様〕を追加、シリーズ充実化を図る。

1987年
バンドーネタイプのベルト式変速機ECVTを量産車世界初で採用するも、他社同クラスのAT車よりも高価であったことから、国内での商業的には失敗であった。しかし、アメリカ合衆国では、1987年 - 1989年まで3年連続で燃費ベストカーに選ばれるほど燃費が良かった。

1988年
ビッグ・マイナーチェンジを行い、外装デザインが大幅に変更された。エンジンは1.2LのEF12型のみとなり、ECVT+パートタイム4WDの機種が選べるようになった。

1991年
ブレーキのノンアスベスト化やパワーステアリングとオーディオの標準装備化などのマイナーチェンジを行った。

1994年
生産終了。

後継車の模索
富士重工はジャスティの後継車種を開発するに当たって、資本関係上日産・パルサーを製造していた縁から、2代目日産・マーチ(K11型)を日産と共同開発またはOEM生産供給を模索した時期があった。しかし1989年発売のスバル・レガシィが思いのほかヒットし、スバル・インプレッサという中排気量車への集中投資の必要性が生じたことから開発は断念された。

初代モデルのエンジンは、日本国内向けでは1,000cc、1,200ccともにEFCと呼ばれた電子制御キャブレターによる燃料供給システムだけであった。 しかし、アメリカ合衆国カリフォルニアの排ガス規制に対応するため、1989年には1,200ccエンジンに燃料噴射システムを備えたモデルを生産している。 このモデルは、O2センサー、プレッシャセンサー、吸気温センサー、スロットルセンサー、8bitのCPUを備えたコントロールユニット等で制御されるDジェトロニックシステムで、富士重工内ではEMPI(Electric Multi-point Injection)と呼ばれていた。 その翌年の1990年、このモデルはドイツ・スイス・オーストリア向け仕様としても輸出されているが、アメリカ向けにはキャタライザが2個であったのに対し、ヨーロッパ向けにはキャタライザは1個であった。


[ 2010/07/04 22:00 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)

Subaru Leone CM 1975 0'30"

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レオーネ(LEONE )はスバルブランドを展開する富士重工業で生産されていた自動車である。セダンとステーションワゴンのほか、多くのボディバリエーションを持ち、レガシィやインプレッサが登場する前の基幹車種だった。

初代(1971年-1979年)
初代は1971年10月7日に発売され、当初はクーペモデルのみの展開(グレードはDL・GL・GS・GSR)で、スバル・ff-1 1300G シリーズと併売されたが、1972年4月、2/4ドアセダン(スタンダード・DL・GL・カスタム・スーパーツーリング)、1,100ccモデル(DL)、商用車のエステートバン(スタンダード・DL・スバル初の4WD)が追加され、ff-1からの世代交代を完了した。

当時のトレンドおよび提携先の日産自動車の影響が感じられるロングノーズ・ショートデッキの抑揚の強いデザインを持ち、メカニズム的にもブレーキがアウトボードになったり、スポーツモデルのステアリングギア比が遅くされるなど、スバル・1000/ff-1の技術至上主義を抑え、より市場に受容される「商品」としての性格を強めようとする意図が感じられた。スバル・360/サンバー/1000まで全てのスバル車の基本設計を担当してきた名設計者百瀬晋六を、日産自動車との業務提携が成立した1968年8月に設計本部から技術本部に移し、レオーネの設計に関わらせなかったことも、新型車レオーネの性格を決定付けている。レオーネの代になってスバル1000/ff-1シリーズのシンプルな機能美が失われた点は、古くからのスバルファンや、欧州車志向の強いカーグラフィックなどの自動車ジャーナリズムを嘆かせた。

一方、レオーネの進歩的な部分としては、窓枠のないサッシュレスドアをバンを含む全車に採用したことが挙げられる。サッシュレスドアは富士重工業にとっては1960年の試作車「A-5」以来追求されてきたテーマで、近年まで採用を続けていたが、インプレッサやフォレスターでは2007年のフルモデルチェンジとともに一般的なサッシュドアに移行し、最後までサッシュレスドアを採用していたレガシィも2009年の5代目へのモデルチェンジによりラインナップから姿を消した。1972年8月1日、エステートバンに4WDを設定。前年に東北電力の要請に応じて数台が注文生産された「1300Gバン4輪駆動車」から得た経験をつぎ込んだ「ジープタイプではない量産4WD」が世界で初めて世に送り出された。さらに同年12月1日には、専用ハードサスペンション、専用クロスレシオ5速マニュアルトランスミッションを装備したホットモデル・「RX」が追加された。基本的な構成は「1400GSR」と共通だが、量産車では日本初となる4輪ディスクブレーキを装備していたことが特筆される。

1973年6月には、ピラーレスの2ドアハードトップが追加された。後席ヘッドクリアランス確保のためにリヤウィンドウ傾斜角がクーペから若干立てられ、15mm全高が高められている。4灯式フロントグリルとランドウトップ風の太いCピラーによる、元々アクの強い初代レオーネ中でも最も複雑なスタイリングを特徴とした。続いて1973年10月のマイナーチェンジではセダン・クーペ・エステートバンのフロントグリルが変更され、インパネが先に発売されたハードトップと統一デザインとなった。またこの際、セダン1100は1200にスケールアップされ、エステートバンにはFFのトップグレードとして1400GLを新設定。当時の商用車としては珍しく、前輪ディスクブレーキ(マスターバック付)を標準装備していた。

1975年1月20日にはエステートバン4WDに続いて世界初の量産4WD乗用車「4ドアセダン4WD」が、同じく日本の前輪駆動車では初のフルオートマチック車(セダン・カスタムとハードトップGFに設定)と同時に発売された。[2]。同時にマイナーチェンジが行われ、セダン1200GLの追加、ホイールカバーの変更、セダン1400シリーズのフロントマスクはハードトップと同じ丸型4灯ライトとなった。同年10月には、SEEC-Tと名付けられた排気ガス浄化方式により(ツインキャブのスポーツ系も含めて50年規制を飛び越え一気に)全車51年排出ガス規制適合を果たした。パワーダウンを補うために、車種構成全体で1,200→1,400cc、1,400→1,600ccへと排気量アップが行われた。

1977年4月には、日本初の全車53年度排気ガス規制適合を達成、スポーツカーが軒並み淘汰された他社を尻目にツインキャブのスポーツモデルも引き続き生き残り、スバルファンのみならず当時の車好きたちに喝采された。同時に大幅なマイナーチェンジが実施され、ボディサイズを拡幅、リヤトレッドも50mmのサイズアップとなった。どことなくアルファ・ロメオを思わせるシンプルな造形のフロントマスクやキャラクターラインの整理、リアデザインの変更によって、初期型に比べるとかなりクリーンな外観となった。インテリアにはホンダがシビックで流行させたアッパートレイ付きのダッシュボードが備わる。この機会にセダン・カスタムは新設定の最上級モデル・スーパーカスタムに取って代わられた。同年11月にはセダン・2ドアハードトップにポンティアックの車名から拝借した「グランダム」(Grandam)なる車種を追加した。同車は北米仕様と共通の大型衝撃吸収バンパーや派手な色調の内外装を特徴とした。 幻の4代目
1991年ごろ、自動車専門誌等で、長く不在だったレガシィとジャスティの中間車種が開発中であると報道された。この時点では正式な車名が決定しておらず、自動車専門誌編集部などでは「おそらく『レオーネ』になるのではないか」と推測していた。しかし、この車種が正式に発売された際には『インプレッサ』と名づけられ、『レオーネ』の復活は幻に終わった。

クロスオーバーSUVとしてのレオーネ
歴代のレオーネ4WDのカタログには、「レオーネ4WDは通常の乗用車から本格的4WD車の全てをカバーする」と詠われていた。実際、レオーネ4WDは乗用車としてはやや最低地上高が高くとってあり(特に2代目が顕著である)、ある程度のオフロード走行を前提としたもので、現代で言う「クロスオーバーSUV」のさきがけとなった。しかし、その後は乗用4WDスポーツモデル≒ターマック・ラリーのベースモデルという構図ができあがったため、後継のレガシィやインプレッサではオンロード重視の仕様となり、1995年にレガシィ・グランドワゴンが発売されるまでの間、クロスSUVとしてのレオーネの後継車は不在という事態になった。

車名の由来
「レオーネ (LEONE) 」とはイタリア語で雄ライオンの意味で転じて「勇者」を表す。


[ 2010/07/05 22:23 ] SUBARU | TB(0) | CM(0)
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