スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

Suzuki GSX-R 1000 k3 CM 0'40"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki GSX-R 1000 k3 CM SUZUKI_GSXR_1000_k3_CM.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
1984年、4ストローク直列4気筒エンジンを搭載したGSX-R(排気量398cc)が発売され、以降はレーサーレプリカ車種として排気量別に数車種が生産された。なお現在は海外市場向けの大型自動二輪車(600cc、750cc、1000cc)が販売されている。

GSX-R1000
1000ccで行なわれるレースのレギュレーションに対応させるため、2000年型GSX-R750のエンジンを987.8ccに排気量アップし、フレームやスイングアームを若干強化した車体に搭載したGSX-R1000として2001年に登場した。GSX-Rシリーズにおける旗艦として位置付けられ、現在も海外向けに生産されている。

GSX-R1000のエンジンのルーツは1996年型GSX-R750の3分割クランクケースエンジンまで遡るが、これは元来、排気量アップを念頭に置いていない750ccに最適化して開発されたエンジンであった為にシリンダピッチにあまり余裕が無く、1000cc化にあたり、2001年当初は 72mmから73mmと、1気筒当り1mmしかボアを広げる事が出来なかった。一から新たにエンジンを新造するには大変なコストと時間が掛かるため、シリンダヘッドを2000年型GSX-R750と共通とし、ストロークを46mmから59mmへと13mmも伸ばすことで、1000ccフルスケールにわずかに足らない987.8ccで市販された。これにより、ボアストローク比が0.808と、高出力スーパースポーツ車のエンジンとしては異例のロングストローク型エンジンとなったが、これが非常に扱いやすい出力特性を得る結果に繋がった。なお、1000ccレースレギュレーション内での更なる出力増を主目的として、2005年型からはボアを1気筒辺りさらに0.4mm広げた73.4mmとし、総排気量はほぼフルスケールの998.6ccとなっている。

登場時、コーナリングのシャープさにやや欠けるという評価もあったものの、ライバルのCBR929RR・YZF-R1とはクラス違いともいえるパワーの差を見せ付け、世界中のサーキットで大活躍した。特に改造範囲の狭いプロダクションレースではワンメイク状態となるほどの圧倒的な戦闘力であった。2002年には他社が改良モデルを投入するが、依然サーキットではR1000が有利であり、2003年にR1000がモデルチェンジをするとその差はさらに拡大した。

2004年にはR1がフルモデルチェンジをし、CBR1000RRとZX-10Rなどが登場すると飛び抜けた存在ではなくなったがそのバランスのよさから高い評価は変らなかった。

2005年にフルモデルチェンジを受け、クラストップとなる178psを発生させるエンジンと166kgと軽量でバランスのとれた車体などと相まってパワーウエイトレシオはF1に匹敵する1kg/psをあくまでカタログ上ではあるが達成し、クラス最強と言われている。尚他のリッターSSがセンターアップマフラーを採用するのにも関わらずR1000がオーソドックスな右出しマフラーを採用しているのは、マスの集中化が図られ(マフラーという重量物をセンターアップより重心に近づける事ができる)、さらにセンターアップマフラーを採用するのに比べて軽量化が図られるというものである。

新型R1000のそのクラス最強といわれる性能はモータースポーツで遺憾なく発揮されている。実際去年までのスーパーバイク世界選手権で、過去18回のうちドゥカティの独擅場であった(メーカータイトル13回、ライダータイトル11回)が、スズキがワークス参戦を開始した2005年はそのドゥカティからあっさりタイトルを奪うなどまさしくそのクラス最強の名は伊達ではない事を証明している。

2007年にシリーズとして3回目のフルモデルチェンジを受け、EUの自動車排出ガス規制に対応するために両側出しサイレンサーを採用する。今回もセンターアップマフラーを採用しなかった。重量は両側出しサイレンサーを採用した結果重量は172kgと、先代から6kg増加しているが、エンジンは185psとクラス最強の性能(ライバルのヤマハ・YZF-R1は180ps・177kg)を手に入れた上、場面に応じてエンジン特性を3つのモードに切り替えることができるなどさらなる進化を遂げている。

2007年7月29日、この2007年モデルは、ヨシムラスズキwithJOMO 34 加賀山就臣/秋吉耕佑のライディングにより、750ccレギュレーション時代を含め、GSX-Rシリーズとして初めて鈴鹿8時間耐久ロードレースの表彰台の頂点に立った。

スポンサーサイト
[ 2007/11/06 14:31 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki GSX-R 1000 CM 0'30"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki GSX-R 1000 CM 0'30" suzuki_gsx-r_1000.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
1984年、4ストローク直列4気筒エンジンを搭載したGSX-R(排気量398cc)が発売され、以降はレーサーレプリカ車種として排気量別に数車種が生産された。なお現在は海外市場向けの大型自動二輪車(600cc、750cc、1000cc)が販売されている。

GSX-R1000
1000ccで行なわれるレースのレギュレーションに対応させるため、2000年型GSX-R750のエンジンを987.8ccに排気量アップし、フレームやスイングアームを若干強化した車体に搭載したGSX-R1000として2001年に登場した。GSX-Rシリーズにおける旗艦として位置付けられ、現在も海外向けに生産されている。

GSX-R1000のエンジンのルーツは1996年型GSX-R750の3分割クランクケースエンジンまで遡るが、これは元来、排気量アップを念頭に置いていない750ccに最適化して開発されたエンジンであった為にシリンダピッチにあまり余裕が無く、1000cc化にあたり、2001年当初は 72mmから73mmと、1気筒当り1mmしかボアを広げる事が出来なかった。一から新たにエンジンを新造するには大変なコストと時間が掛かるため、シリンダヘッドを2000年型GSX-R750と共通とし、ストロークを46mmから59mmへと13mmも伸ばすことで、1000ccフルスケールにわずかに足らない987.8ccで市販された。これにより、ボアストローク比が0.808と、高出力スーパースポーツ車のエンジンとしては異例のロングストローク型エンジンとなったが、これが非常に扱いやすい出力特性を得る結果に繋がった。なお、1000ccレースレギュレーション内での更なる出力増を主目的として、2005年型からはボアを1気筒辺りさらに0.4mm広げた73.4mmとし、総排気量はほぼフルスケールの998.6ccとなっている。

登場時、コーナリングのシャープさにやや欠けるという評価もあったものの、ライバルのCBR929RR・YZF-R1とはクラス違いともいえるパワーの差を見せ付け、世界中のサーキットで大活躍した。特に改造範囲の狭いプロダクションレースではワンメイク状態となるほどの圧倒的な戦闘力であった。2002年には他社が改良モデルを投入するが、依然サーキットではR1000が有利であり、2003年にR1000がモデルチェンジをするとその差はさらに拡大した。

2004年にはR1がフルモデルチェンジをし、CBR1000RRとZX-10Rなどが登場すると飛び抜けた存在ではなくなったがそのバランスのよさから高い評価は変らなかった。

2005年にフルモデルチェンジを受け、クラストップとなる178psを発生させるエンジンと166kgと軽量でバランスのとれた車体などと相まってパワーウエイトレシオはF1に匹敵する1kg/psをあくまでカタログ上ではあるが達成し、クラス最強と言われている。尚他のリッターSSがセンターアップマフラーを採用するのにも関わらずR1000がオーソドックスな右出しマフラーを採用しているのは、マスの集中化が図られ(マフラーという重量物をセンターアップより重心に近づける事ができる)、さらにセンターアップマフラーを採用するのに比べて軽量化が図られるというものである。

新型R1000のそのクラス最強といわれる性能はモータースポーツで遺憾なく発揮されている。実際去年までのスーパーバイク世界選手権で、過去18回のうちドゥカティの独擅場であった(メーカータイトル13回、ライダータイトル11回)が、スズキがワークス参戦を開始した2005年はそのドゥカティからあっさりタイトルを奪うなどまさしくそのクラス最強の名は伊達ではない事を証明している。

2007年にシリーズとして3回目のフルモデルチェンジを受け、EUの自動車排出ガス規制に対応するために両側出しサイレンサーを採用する。今回もセンターアップマフラーを採用しなかった。重量は両側出しサイレンサーを採用した結果重量は172kgと、先代から6kg増加しているが、エンジンは185psとクラス最強の性能(ライバルのヤマハ・YZF-R1は180ps・177kg)を手に入れた上、場面に応じてエンジン特性を3つのモードに切り替えることができるなどさらなる進化を遂げている。

2007年7月29日、この2007年モデルは、ヨシムラスズキwithJOMO 34 加賀山就臣/秋吉耕佑のライディングにより、750ccレギュレーション時代を含め、GSX-Rシリーズとして初めて鈴鹿8時間耐久ロードレースの表彰台の頂点に立った。

[ 2007/11/07 14:40 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Cultus 1985 CM 0'15"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Cultus 1985 CM 20071030162645.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
初代(1983-1988年)
カルタス(Cultus)とは、スズキがかつて製造、販売していた乗用車のことである。スズキが送り出した小型乗用車は、1965年から1969年にかけて製造・販売されたフロンテ800以来、2車種目。また、価格が安いことからパトロールカーとして交番などによく配備された車でもある。

1983年10月登場。エンジンは当初直列3気筒の1000ccで、FF駆動、3ドアハッチバックであった。また製造コストを下げるために同社のアルト等の軽自動車用のコンポーネンツ(特にサスペンション関係)を一部に用いている。

1984年、直列4気筒の1300ccおよび5ドアが登場した。

同年、ターボと3速ATを追加。

車重が軽いこともあり、当時の乗用車の中では省燃費の筆頭格である。質実剛健で販売価格が軽自動車並みであり、世界各国へ輸出され、米国ではシボレー・スプリント、ポンティアック・ファイヤーフライ の名称で販売された。国内は軽自動車の存在により販売量は伸びなかったが、海外、特にアメリカ市場でヒットしバジェットカーとして親しまれた。国内向けには、後にホットモデルである1000ターボ('84)やツインカムGT-i('86)が追加された。1986年の大規模なマイナーチェンジでフロント回りの顔が変更になり、ライトが異型ハロゲンになり、リアサスペンションがこれまでのリーフ・リジットに代わりアイソレーテッド・トレーリング・リンク(I.T.L)に変更。他外装、内装等も多少変更された。

GT-Iはクラストップの出力(初期モデル97馬力・後期モデル110馬力)を生かし当時の国内モータースポーツ(レース・ダートトライアル)では小排気量クラスの主力として活躍した。

商用モデルである、カルタスバンはいすゞ自動車へもOEM供給され「ジェミネット」として販売されていた。

日本での生産中止後、製造ラインを中国の長春自動車やGMのコロンビアに存在する工場に移設し、現在でも現地生産が行われている。コロンビア仕様

[ 2008/02/16 11:19 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Alto 1982 前期型 CM 0'30”

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Alto 1982 前期型 CM
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
初代(1979年-1984年)
アルト (Alto) はスズキのハッチバック型軽自動車。かつては同社の看板車種だった。

1979年5月にフロンテのライトバンとして発売(厳密にはフロンテハッチのフルモデルチェンジである)。型式は『H-SS30V』。市場でのリサーチから「軽自動車の基本乗車人数は1~2人」というデータを元にし、また当時軽ボンネットバン(商用車)は物品税が無税だったこともあり、それを逆手にとって「乗用車としての商用車」という位置付けにし、ターゲットも従来の商業関係者では無く、セカンドカーとして買い物や子どもの送り迎えなどに使う主婦層を狙っていた。フロアマットはゴム製にし、バンパーもグレーの樹脂製、助手席側ドアの鍵穴を省く、ウィンドウウォッシャーも手動式にするなど、徹底したコストダウンを実施したことで、全国統一車両本体価格は47万円という驚異的な低価格を打ち出した。当時としては近代的な外観であった反面、機構的には2ストロークエンジン、リアリーフサスペンションを採用するなど前時代的なものであった。

1979年10月、2シーター車を設定。これまで商用車には物品税が無税であったが、軽ボンネットバンの急速な普及に対して商用車にも2%の物品税が課せられる事になる。但し2シーター車は対象外とされていた為、2シーター車を他メーカーも合わせて一斉に設定した。これにより価格設定を変え、2シーター車は従来の47万円になり、4シーター車は49万円に2万円上乗せされた。

1980年5月、AT発売。2段型の、トルコン式セミATであった。

1981年1月、3気筒SOHC4ストロークエンジン(F5A)搭載車発売。

1982年10月、マイナーチェンジ。

1983年10月、4WD「スノーライナー」シリーズ発売。12インチホイール&同12インチタイヤ[3]を採用しリアデフには手動式のフリーホイールハブが装備されている。ブレーキシステムはFF車同様、4輪ドラムブレーキを用いる。

[ 2008/02/17 10:50 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Fronte 1973 0'29"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Fronte 1973 suzuki_fronte_4th
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
4代目(1973年-1979年)
1973年登場。先代の「スティング・レイ・ルック」のデザインから、LC10系のコークボトルラインを彷彿とさせる「オーバル・シェル」の丸みあるスタイルへと変化した。空冷エンジンは消え、水冷エンジンのみの搭載となる。ボディサイドのドアデザインは日産・チェリーに非常に似ているものであった。ホンダ・ライフやスバル・レックスに対抗するべく初めから4ドアモデルを設定してファミリーニーズに対応すると共に、実用性の更なる拡大を図ってリアウィンドゥをガラス・ハッチの閉開式にしてエンジンルーム上部にトランクスペースを設けた。これによりフロントとリア両方にトランクスペースを持つ事となる。昭和53年排出ガス規制をクリアするため、一時期ダイハツ製550cc2気筒4サイクルSOHCエンジン(AB型エンジン)を搭載したことがあった (のちに自社製に移行)。この550ccモデルは「フロンテ7-S」と呼ばれていた。

[ 2008/06/18 20:44 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Fronte 1967 0'26"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Fronte 1967 suzuki_fronte_2th.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
アルトが商用モデル(4ナンバー)としてデビューしたのに対しこちらは乗用モデル(5ナンバー)だった。1989年にフロンテはアルトに統合され、現在アルトは5ナンバー、4ナンバーはアルトバンとなっている。ちなみに東京モーターショー2005では、フロンテ360をモデルにしたスズキLCが展示されている。

2代目(1967年-1970年)
1967年4月登場。車名は「スズライト」の文字が消えて「フロンテ360」になり、駆動方式をRR(リアエンジン・リアドライブ)に変更。コークボトルラインと言われる、丸みを帯びたデザインを採用すると共にホンダN360に対抗すべく、31馬力のエンジンを搭載する。

1968年11月、高性能バージョン「フロンテSS」を追加。レーシングドライバーのスターリング・モスがイタリアの高速道路、「アウトストラーダ・デル・ソル」で長時間高速走行テストしたのは有名。「SS」のグレード名は2代目フロンテ以降途絶えていたが、30数年ぶりの2003年に「アルトラパン」に採用された。

[ 2008/06/19 20:55 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Fronte 3th 1972 0'31"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Fronte 3th 1972 suzuki_fronte_3th_1972.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
3代目(1970年-1973年)
1970年11月 3代目フロンテ(フロンテ71)発売。形式名はLC10-II型。グレード構成は、スタンダード、デラックス、ハイデラックス、スーパーデラックス、ハイスーパー、S、SSS、SSS-R。SSS-Rの「R」は、ラジアルタイヤ(135SR10サイズ)標準装備の意味。エンジンは基本的には従来の空冷エンジンを使用。スタンダード、デラックス、スーパーデラックスは31馬力。ハイスーパー、Sは34馬力。SSS系は36馬力。ボディスタイルは全く新しいものとされ、直線基調の2ボックススタイルとされた。車高は1260mm(スポーツ系)とかなり低く設定され、フロントのトランクは大きく拡大された。室内寸法はクラス最大。通称「スティングレイ・ルック」と呼ばれた。

1971年5月 フロンテ71W追加発売(空冷車と併売)。フロンテ71のボディはそのままに、新しい水冷エンジンを搭載したモデル。形式名はLC10W型。グレードは当初GL-W、GT-W、GT-RWの3機種。GT-RWの「R」は、ラジアルタイヤ(135SR10サイズ)標準装備の意味。エンジンは新開発の水冷2ストローク3気筒を搭載。冷却には独自の「デュアル・ラジエター方式」を採用。GL-Wは34馬力、GT-W系は37馬力となる。室内には温水による新しいヒーターシステムが完備され、エンジン性能向上に伴い、各部が強化された。動力性能は当時の軽4輪車の中では抜きん出ており、GT-Wの走行性能は「1500ccの乗用車とほぼ互角」と言われた。これによって吊り下げ式クーラーがオプション設定されるようになった。

1971年7月 水冷GS-W、GO-Wを追加。GS-WはGT-W同様のシャシーに34馬力エンジンを搭載したムード・スポーツ。GO-WはGL-Wより少し装備を簡略化した廉価モデル。

1971年9月 3代目フロンテをベースにした、軽自動車枠のスポーツカー、「フロンテ・クーペ」発売。セダン系とは別に、独自の車種構成を展開していく(詳細はフロンテ・クーペを参照)。

1971年11月 マイナーチェンジで72(セブンティ・ツー)フロンテに名称変更。フロントグリルのデザイン変更、ダッシュボードやシート等、内装の変更が施される。スポーツ系のホイールキャップデザイン変更。空冷エンジン車のスポーツ系は消滅。空冷車は「ビジネス・シリーズ」水冷車は「ゴージャス・シリーズ」水冷スポーツ車は「スポーツ・シリーズ」と称される。

1972年3月 水冷シングルキャブ31馬力のGD-WとGU-Wが追加。GD-Wはデラックス、GU-Wはスタンダードに相当。

1972年10月 マイナーチェンジで73年型としてニューフロンテシリーズを発売。外観はフロントグリルからボンネットやバンパーまで大改良。ヘッドライトは角型2灯式から丸型2灯式に変更。上級グレードはテールランプ横に化粧板を装備。三角窓廃止。空冷車はスタンダードとオートクラッチのみとなる。タンデムブレーキマスターシリンダーと前ディスクブレーキ装備のGT-TYPEIIを新設定。

[ 2008/06/20 21:14 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Cervo SS20型 0'30"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Cervo SS20型 Suzuki Cervo_1.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
元々は2ドアのボディを持つ、パーソナル・ユーズをコンセプトとした軽スペシャルティカー(のちの車種ではこのコンセプトも見直される)。

後のモデルではアルトの姉妹車と捉えられることが多いが、系譜上はフロンテクーペを始祖とする。

フロンテ・クーペの後継・規格拡大型として発売されたグループである。「軽自動車のクーペ」として、アルトやフロンテとは異なるジャンルの車種であった。

初代(1977年-1982年)SS20型
1977年、360ccの旧規格によるスポーツカー、フロンテクーペの製造中止から数年を経てコンセプトを見直した上で、女性向けの軽スペシャルティカーとして550ccの新軽規格車としてセルボが誕生。

デザインはフロンテ・クーペの意匠を踏襲している。

ヘッドライトは女性ドライバーを意識して角型から丸型に変更、フォグランプは逆に丸から角になり、フロントグリル内に移動、パンパーの大型化、フロンテクーペの代には完全な+2仕様だったリアシートを大型化すると共に、可倒式にしてラゲッジスペースにもなった。フェンダーミラーがタルボ型からスクエアなデザインに、リアウインドウがハメ殺しからガラスハッチへ変更など、大きく手が入れられた。デザインはよくカースタイリングの第一人者ジョルジェット・ジウジアーロによるものに、スズキ社内デザインチームにより手が加えられていると言われているが、事実としてはジウジアーロが元々手がけたのはフロンテ・バンに近いものだったようで、フロンテ・クーペとこのセルボは、スズキ・オリジナルデザインだったというのが真相のようである。

エンジンは、水冷2ストローク3気筒539ccを後部に搭載した、リアエンジン・リアドライブ駆動となっている。

最高出力はグロスで 28馬力と数値的には物足りないが、2サイクル3気筒特有の滑らかさと、低めのギアリングの組み合わせで加速に不満は無く、また、二名乗車時、4速、 25km/hでノン・スナッチで走ることができるばかりか、緩慢ながらもそこから加速もできるほどのフレキシビリティーを持ち合わせている。このギアリングは良く考えられたもので、常用域でのピックアップの良さは、快活な走りを楽しむには好都合であるが、オーバーオールレシオはさすがに低いため、当然、高速巡航では勢い高回転を多用することなり、高回転時の騒音レベルは高い。 騒音の低減と省燃費のためにも、もう一速、オーバードライブギアを、と望む声は当時から高かった。

ドライブポジションは非常に低く、フロントボンネットの中ほどまで脚を投げ出すというスポーツカー的な運転姿勢であり、基本的に2人乗りという考えで設計されていた[1]のでフロントは広く、全高が1210mmという、フェラーリなどと並ぶ屋根の低さでありながら、それほどの窮屈感は二名乗車では感じられなかった。

当時、軽自動車市場は税制面で優遇されていた初代アルトに代表される、ボンネットバンタイプに人気が集中していたことから、セルボは販売面で成功したとは言い難く、フロンテ・クーペがミニ・スポーツをコンセプトとしたのに対し、このセルボは女性をターゲットとしたパーソナルクーペへと路線変更されている。そのためにグレードはCX-G、CX-L、CXの3種類が存在し、CX-Gのみはフロントディスクブレーキを持つスポーツグレードであったが CX-LとCXは全輪ドラムブレーキであった。CX-LのLはLadies仕様を指しており、サンバイザーの裏にはバニティミラーがついていた。また室内色もCX-Gの黒に比べ、CX-Lはクリーム色となっていた。(CXは廉価仕様)

トランスミッションは4速マニュアルのみ、サスペンションは4輪独立懸架を採用しているが、低いシルエットを実現するためにそのストロークは短くされ、乗り心地はお世辞にも良いとはとてもいえない。RRレイアウトによる前輪荷重の少なさから高速時の直進安定性は低く、その代わり停車時のハンドル据え切りは極めて軽かった。CX-Gのインパネは、真のスポーツミニと言われたフロンテ・クーペ同様、時計を含め丸型6連メーターが壮観な70年代調のものである。

武蔵工業大学が研究している水素自動車の一連の試作車"MUSASHI"シリーズの1977年の3号車「武蔵3号(MUSASHI 3)」のベース車両に採用された。

現在でも熱狂的なファンがおり、個体によっては新車当時の価格で売買されている。

海外(主にヨーロッパ)へは4ストローク1000ccエンジンを搭載した、SC100型と呼ばれる車種が輸出され、イギリスでは「ウィズキッド(WHIZZKID)」という名称で販売されていた。ただし、このモデルはエンジン以外もセルボとは異なり、ヘッドライトはフロンテ・クーペと同じ角型であるなど、外観はセルボというよりは1000ccエンジンを積んだフロンテ・クーペに近い。より重量のあるエンジンをRRレイアウトに搭載したことによる前輪荷重の不足を補うため、フロントバンパー内にバランスウェイトが装着されていた。このSC100型のエンジンF10Aは、国内向けジムニーにも搭載された。

1978年、マイナーチェンジを受け、前期モデルではハイバック型だったフロントシートがヘッドレスト分離型になるなどの小変更はあったが、外観的には大きな変更は無く、基本的な成り立ちは最後まで変更されないまま、後継となるモデルも現れることはなかった。結果としてセルボは、5ナンバー最後の2サイクルエンジン車となった。

[ 2008/06/21 15:02 ] SUZUKI | TB(0) | CM(1)

Suzuki Jimny 1000 CM 0'30"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Jimny 1000 CM Suzuki_jimny_1000_CM
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
ジムニー (Jimny) は、スズキが1970年から市販している四輪駆動の軽自動車である。通常「ジムニー」は軽自動車を指すが、当項目では普通自動車登録であるジムニーシエラ、ジムニーワイド等についても併記する。

SJ40 ジムニー1000
日本国内では、1982年8月に発売。

1981年にSJ410の輸出が始まり、海外で販売台数を伸ばしていた。しかし、ジムニー8の販売が芳しくなかったこともあり日本国内での販売は計画されていなかった。ところが、ユーザーから国内販売を求める声があがり、その希望にこたえる形で国内販売された。

エンジンは、SJ20 に搭載された F8A 型をボアアップし、970ccとした F10A 型を搭載した。このF10A型は、当時のスズキでは最大排気量のエンジンであり、セルボの輸出仕様車(SC100)にも搭載されていたものである。2代目となるボディやフレーム、駆動系は、直列4気筒の F10A 型の搭載を前提として設計されている。

また、国内で販売されたジムニーでは初めてピックアップモデルが設定されたが、販売台数が321台と伸びず、この形式のみとなっている。荷箱は同社のキャリイのものを流用している。また、2型である SJ40T-DT はカタログには載ったものの、実際は販売されていないモデルとなった。ピックアップであるため、通常のモデルよりもホイールベースや全長が長くなっている。

軽自動車枠の SJ30 とは異なり、195SR15タイヤを標準装着としていたが、15インチホイール(5.5Jオフセット+10)は、PCD139.7mmの6穴仕様となった。これは、ホイールを軽モデルに流用できないようにするため、当時の運輸省の指導があったためとされる。ピックアップモデルのみ16インチホイールを採用したため、軽モデルと同じ5穴ホイールとなっている。
,Br> 1986年の貨物自動車排出ガス規制に対応するため、小型車登録のジムニーは JA51 に移行した。軽貨物車は昭和53年規制で普通乗用車同様の規制値が適応されていた。日本国内での登録台数は、6,558台であった。

国内では3年ほどの販売であったが、海外モデルである SJ410 は、スペイン、インド、タイ、インドネシアなどで1998年頃までノックダウンおよび現地生産されていた。

[ 2009/03/29 22:31 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Alto Works 1989 0'30"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Alto Works 1989 CM___SUZUKI_ALTO_WORKS__89
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
アルト (Alto) はスズキのハッチバック型軽自動車。ワゴンRが登場するまでは同社の軽自動車としての基幹車種であった。
2009年5月に当車種は誕生(発売)30周年を迎える。

4代目(1994年-1998年)
1994年11 月にフルモデルチェンジ。特に3ドア車はデザイン的に先代からのキープコンセプトでホイールベースを含むボディサイズは先代から据え置かれたが、レジーナやスライドスリムなどのバリエーションはなくなり、3ドアと5ドア、そしてスポーツ仕様のワークスのみとなる。先代はベスト・アルトのコンセプト通り大ヒット作となったが、コスト削減のためか4代目は身内であるワゴンRの影響によってやや影の薄れたモデルとなってしまった。フルモデルチェンジでワークスの上級グレードのRS/Zのエンジンは新開発のオールアルミ製3気筒DOHC12バルブインタークーラーターボのK6A型660ccエンジンを搭載し、ECUが16ビットへ変更。最高出力64hp 10.5kg-m/3500rpmを発生。なおF6A SOHCインタークーラーターボのie/sは制御用コンピューターは従来どおり8ビットを採用。

1995年5月には先代モデルに設定された競技仕様車のワークスRが追加された。RS/Zをベースとし先代と同じくエンジンのファインチューニング、クロスミッションの採用、装備の簡略化など。エンジン出力に変化はないが最大トルクは11.0kg-m/3500rpmへと性能UPされている。ただし先代とは違い現モデルは乗用車登録の5ナンバーとなっている。

1995年10月、ワークスのみフロントフェイスを含むマイナーチェンジ。

1997年4月には本格的なマイナーチェンジ。実用シリーズはフロントグリル、リアバックドア等のデザインが変更される。ただしワークスは、155/55R14扁平タイヤアルミホイール (RS/Z) 、内装フルトリム、ホワイトメーター等の小規模な変更に留まる。

1998年1月、ie/sをベースに専用バケットシート、専用14インチアルミなどを装備した、ワークス特別限定仕様車「アルトワークス スズキスポーツリミテッド」を発売。

1998年5月、お買い得特別仕様車「ビーム」を発売。

[ 2009/03/31 13:20 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Fronte 1971 1'00"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Fronte 1971 Suzuki Fronte 1971
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
3代目(1970年-1973年)
1970年11月 3代目フロンテ(フロンテ71)発売。形式名はLC10-II型。グレード構成は、スタンダード、デラックス、ハイデラックス、スーパーデラックス、ハイスーパー、S、SSS、SSS-R。SSS-Rの「R」は、ラジアルタイヤ(135SR10サイズ)標準装備の意味。エンジンは基本的には従来の空冷エンジンを使用。スタンダード、デラックス、スーパーデラックスは31馬力。ハイスーパー、Sは34馬力。SSS系は36馬力。ボディスタイルは全く新しいものとされ、直線基調の2ボックススタイルとされた。車高は1260mm(スポーツ系)とかなり低く設定され、フロントのトランクは大きく拡大された。室内寸法はクラス最大。通称「スティングレイ・ルック」と呼ばれた。

1971年5月 フロンテ71W追加発売(空冷車と併売)。フロンテ71のボディはそのままに、新しい水冷エンジンを搭載したモデル。形式名はLC10W型。グレードは当初GL-W、GT-W、GT-RWの3機種。GT-RWの「R」は、ラジアルタイヤ(135SR10サイズ)標準装備の意味。エンジンは新開発の水冷2ストローク3気筒を搭載。冷却には独自の「デュアル・ラジエター方式」を採用。GL-Wは34馬力、GT-W系は37馬力となる。室内には温水による新しいヒーターシステムが完備され、エンジン性能向上に伴い、各部が強化された。動力性能は当時の軽4輪車の中では抜きん出ており、GT-Wの走行性能は「1500ccの乗用車とほぼ互角」と言われた。これによって吊り下げ式クーラーがオプション設定されるようになった。

1971年7月 水冷GS-W、GO-Wを追加。GS-WはGT-W同様のシャシーに34馬力エンジンを搭載したムード・スポーツ。GO-WはGL-Wより少し装備を簡略化した廉価モデル。

1971年9月 3代目フロンテをベースにした、軽自動車枠のスポーツカー、「フロンテ・クーペ」発売。セダン系とは別に、独自の車種構成を展開していく(詳細はフロンテ・クーペを参照)。

1971年11月 マイナーチェンジで72(セブンティ・ツー)フロンテに名称変更。フロントグリルのデザイン変更、ダッシュボードやシート等、内装の変更が施される。スポーツ系のホイールキャップデザイン変更。空冷エンジン車のスポーツ系は消滅。空冷車は「ビジネス・シリーズ」水冷車は「ゴージャス・シリーズ」水冷スポーツ車は「スポーツ・シリーズ」と称される。

1972年3月 水冷シングルキャブ31馬力のGD-WとGU-Wが追加。GD-Wはデラックス、GU-Wはスタンダードに相当。

1972年10月 マイナーチェンジで73年型としてニューフロンテシリーズを発売。外観はフロントグリルからボンネットやバンパーまで大改良。ヘッドライトは角型2灯式から丸型2灯式に変更。上級グレードはテールランプ横に化粧板を装備。三角窓廃止。空冷車はスタンダードとオートクラッチのみとなる。タンデムブレーキマスターシリンダーと前ディスクブレーキ装備のGT-TYPEIIを新設定。

[ 2009/04/01 13:32 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Carry L40 1970 0'30"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Carry L40 1970 suzuki carryl40
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
キャリイ (CARRY) は、スズキが製造、販売するトラック型の軽自動車(軽トラック)。
10代目まではワンボックス(キャリイバン)もラインナップされていたが、併売時期を経て10代目キャリイ=3代目エブリイ中盤以降はエブリイに完全移行している。

ネーミングはその名の通り、「運ぶ」の英語名からとって「CARRY」としている。

この車は、1971年~2009年までの39年連続で、日本国内で販売されているトラック(軽・小型・普通)の車名別年間販売台数第1位である。さらに、2010年1月で累計販売台数400万台を達成した。

シャーシ構造が全く異なる(トラックがFR、1BOXがMRと駆動方式から違う)51系(10代目キャリイ/3代目エブリイ)を除いて、バンタイプのスズキ・エブリイと2002年までは共通の構造を多く有していた。スズキからマツダにOEM供給を行っているマツダ・スクラムのトラックタイプは、この車両を元に一部外装パーツの変更を行ったものである。またエブリイも1981年まではキャリイを名乗り、1991年~1993年の間は上級車種以外の車種についてはキャリイバンの車名で販売されていた。

軽自動車の新規格に適合させるため1999年以降のキャリイはロングホイールベース、セミキャブタイプの仕様だったが、2005年11月におよそ7年ぶりにショートホイールベース、フルキャブタイプの仕様(キャリイFCシリーズ、ボディサイズはもちろん新規格で農耕用に特化した)が復活、追加された。ただし、OEM版のマツダ・スクラムトラックにはこの仕様は設定されていない。

なお、欧米や東南アジア、インド、オーストラリア等では排気量を拡大したモデルが生産、販売され、また大宇国民車(現:韓国GM)からは9代目(エブリイにおける2代目)が「ラボ(LABO)」(エブリイは「ダマス(DAMAS)」)と言う名称で登場。いずれも現在も生産されているが、ダマスはフェイスリフトを受けている。

4代目 L40(1969-1972年)
1969年、フルモデルチェンジ。ジョルジェット・ジウジアーロがデザインを手がけた。しかしバンはリアビューに傾斜があったため、あまり扱いやすくはなかった。この弱点は5代目で幾分改善される。

[ 2010/02/05 02:53 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Carry L50 0'30"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Carry L50 1970 suzuki carry l50
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
キャリイ (CARRY) は、スズキが製造、販売するトラック型の軽自動車(軽トラック)。

10代目まではワンボックス(キャリイバン)もラインナップされていたが、併売時期を経て10代目キャリイ=3代目エブリイ中盤以降はエブリイに完全移行している。

ネーミングはその名の通り、「運ぶ」の英語名からとって「CARRY」としている。

シャーシ構造が全く異なる(トラックがFR、1BOXがMRと駆動方式から違う)51系(10代目キャリイ/3代目エブリイ)を除いて、バンタイプのスズキ・エブリイと2002年までは共通の構造を多く有していた。スズキからマツダにOEM供給を行っているマツダ・スクラムのトラックタイプは、この車両を元に一部外装パーツの変更を行ったものである。またエブリイも1981年まではキャリイを名乗り、1991年~1993年の間は上級車種以外の車種についてはキャリイバンの車名で販売されていた。

軽自動車の新規格に適合させるため1999年以降のキャリイはロングホイールベース、セミキャブタイプの仕様だったが、2005年11月におよそ7年ぶりにショートホイールベース、フルキャブタイプの仕様(キャリイFCシリーズ、ボディサイズはもちろん新規格で農耕用に特化した)が復活、追加された。ただし、OEM版のマツダ・スクラムトラックにはこの仕様は設定されていない。

なお、欧米や東南アジア、インド、オーストラリア等では排気量を拡大したモデルが生産、販売され、また大宇国民車(現:韓国GM)からは9代目(エブリイにおける2代目)が「ラボ(LABO)」(エブリイは「ダマス(DAMAS)」)と言う名称で登場。いずれも現在も生産されているが、ダマスはフェイスリフトを受けている。

5代目 L50(1972-1976年)
1972年
フルモデルチェンジ。水冷エンジンとなる。もちろん排気量はそのまま。バンは荷室面積が拡大、スライドドアが設定され、のちに5ドアも追加された。三角窓がなくなる。

1974年
フロントグリルのデザインを変更。のちに現行の黄色ナンバーにも対応した改良が行われる。

[ 2010/03/02 03:21 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Fronte Coupe 1'00"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Fronte Coupe suzuki fronte coupe
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
フロンテクーペは、かつて鈴木自動車工業(現在のスズキ)が製造・販売していた軽自動車である。

当時360ccの軽自動車枠内の中で、各社からクーペモデルも投入され、スズキからは『ふたりだけのクーペ』の宣伝フレーズでフロンテクーペが登場した。デザインはジョルジェット・ジウジアーロによるものをベースに、スズキ社内で完成させたものである[1]。フロントの窓は鋭角にデザインされ、三角窓も廃した。車高は軽乗用車中最低の1,200mmで低い車高(ルーフ)で、前後重量配分は39.5対60.5であり、ゼロヨン加速は19.47秒であった。ステアリングポストが上下に57mmチルトし、体形に合わせて調節可能であり、シートも当時としては本格的なバケットタイプで運転席、助手席ともに前後スライド調整できた。メーターはグレード等にもよるが、7連メーターを装備し右から順に、燃料、速度、機関、水温、電圧、時計と並んだ。タイマー付時計で秒針とブザー付。最上級のGXには室内温度計付のオーバーヘッドコンソールが天井に装備された。

1971年9月 - 発売。当初は2シーターのみの設定。フロントフェンダーボンネットにFRPが使われていた。37psユニットのみ搭載。

1972年2月 - 4人乗りの2+2・GXFを追加。

1972年3月 - 34ps廉価ユニットのGXDF、34ps仕様のGX-PF追加。

1972年6月 - 31psユニットを搭載する最廉価版のGAFと前輪ディスクブレーキ、タンデムブレーキマスターシリンダーを装備した最上級のGXCFを追加。

1972年10月 - 2シーターを廃止。

1974年5月 - 37psユニットが35psにダウン、ラインナップが縮小される。翌年に黄色ナンバーが制定するのを受けて、それに対応するようにした。

1976年6月 - 生産終了。翌年10月に新軽自動車規格にあわせた後継車のセルボが登場。

1991年10月 - 「愛車に生まれ故郷を見せてやろう」を謳い文句に発売20周年を祝うイベントが社名変更後のスズキ本社で行われ、17台が集まった。

主なグレード
GXCF
GXDF
GXF
GX
GER
GE
GAF

[ 2010/03/03 03:41 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Jimny LJ10 0'30"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Jimny LJ10 suzuki jimny lj10
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
ジープ以来の伝統的な四輪駆動車の構成を固持する、小型で軽量のパートタイム4WD車。低級振動や重量増などの不利をおして、今なお強度と耐久性を重視した梯子形フレーム(ラダーフレーム)を使い続け、サスペンションも前後とも固定軸を用いている。これは現代の自動車において、乗用車のみならずオフロード車であっても車台のモノコック化、サスペンションの独立懸架化が進んでいる今日にあって、独自かつ稀有な存在である。

小型軽量ボディやラダーフレーム、リジッドアクスル式サスペンション、大径タイヤなどの優位性により、特に純粋な悪路の踏破性能では四輪自動車としてトップクラスの性能を持ち、クロスカントリー競技のベース車としても使用されている。

2000年9月-2001年2月と2001年2月-2002年1月に FR車(前者:ジムニーL、後者:ジムニーJ2)が発売されたこともあるが、現在は四輪駆動のみのラインナップとなっている。

約40年近い歴史で細かい改良は多いものの、モデルチェンジはわずか2回とモデルライフが長いのが特徴である。このモデルライフの長さが評価され、2008年10月8日にグッドデザイン賞の中でも、10年以上にわたって同一の商品コンセプトで継続的に生産販売されている商品等に与えられる特別賞「2008年度グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞した(プレスリリース

車名の由来はジープ(Jeep)型のミニという意味を込め、「Jeep」と「Mini」をかけあわせ命名されたものであり[1]、メーカーの公式発表でも「発音のしやすさ、覚えやすさなどから作った造語である」とされている。北米発の愛称は「Suzy(スージー)」。

軽自動車として同一車種名での歴史の長さを誇る車種のひとつである。誕生から長い間、法定費用の面で有利な軽貨物となる4ナンバー規格(商用車)で販売されており、5ナンバーの軽乗用仕様の登場は1995年からと、比較的新しい。貨物仕様は1998年に廃止された。

マツダへOEM供給されたモデルはAZ-オフロードの名で販売されている。

1977年に発売された SJ20 以降、普通車登録のジムニーも発売され、日本国外でも販売されている。日本国外では、輸出、ノックダウン生産、現地生産を含め、多くの国で販売されており、現地で荷台や車体を架装したピックアップトラックやワゴン(4ドアもある)など、ロングホイールベース車の比率も高い。車名も、「ジムニー」のほか、時期や仕向け地によって、「ブルート」、「サムライ」、「SJ410 / 413」、「シエラ」、「KATANA」などを使い分けている。

日本国内で狭隘な道路を擁する山岳地域・積雪地において、機動性の高い生活用車両としての根強い需要を持つ。同様な地域でのパトロールカーや郵便集配車としても用いられる。

また林道走破や釣り目的の山道・砂浜での走行にも耐えることから、それらを目的としたレジャードライブ用途にも用いられている。簡素で頑丈な構造ながら改造の余地が大きく、破損時の修復も比較的容易なため、ヒルクライム競技など悪路走行を前提としたアマチュアモータースポーツに出場することも多い。

ジムニー開発のきっかけは、かつて軽オート三輪の先駆的メーカーでありながら、大手に押されて自動車業界からの撤退に至ったホープ自動車(現・ホープ)から、同社が開発した軽四輪駆動車「ホープスター・ON型4WD」(1967年完成)の製造権を、当時スズキ東京社長、現スズキ会長兼社長である鈴木修が、社内の反対を押し切る形で買い取ったことに端を発する。

「不整地用万能車」とうたわれた ON型4WD は軽自動車ながら高い性能を備えた四輪駆動車だったが、ホープ自動車の創業者で ON型4WD の開発者でもある小野定良は、この設計を商業的に活かすにも、もはや自社に量産・販売能力がない実情を鑑み、大手メーカーへの製造権譲渡を決意した。ホープは同時期に遊園地の遊具開発に業態転換することで会社の命脈をつないだ。

小野は当初、ON型4WD のエンジンやパーツの供給元であった三菱重工業(1970年の三菱自動車工業の分離以前)に売り込んだが、ジープのライセンス生産を行っていた三菱からは理解を得られず、スズキに提案を行ったところ、鈴木修が「軽四輪駆動車」というユニークなプランに関心を示し、ホープ側から製造権を買い取った。資料によれば当時の金額で約1200万円程だったと言われている。

このときスズキの幹部からは「売れなくて撤退した車の製造権を買ってどうするのか」、「社長の道楽」、「もしこんなものが売れたら社内をちょうちん行列で歩いてやる」という批判があったとの話もあり、鈴木修を除いた周囲からは、期待されていなかった模様である。鈴木修はもともと銀行員から自動車会社の経営幹部に転身した人物で、元来技術者ではないため、それまで四輪駆動車がいかなる物かという基礎知識すら持っていなかった。しかし、小さなONが急勾配を登坂する様子を撮影した8mm映画でその驚異的な機動性を実見し、軽四輪駆動車の実用車としての可能性に開眼したという。

ごく少量が生産、販売されたホープスター・ON型4WD の組み立ては、ほとんどが手作りで、三菱エンジンのものが15台、検討用にスズキから依頼された、スズキエンジンのものが3台生産されたにとどまっている。結果としてホープスター・ON型4WD は、ジムニーのプロトタイプとしての役割を果たした。

初代第1期(1970年-1972年)
1970年4月に軽自動車初の本格四輪駆動オフロード車として発表。
Br> ON型4WD のドライブトレインは、前後リジッドアクスル、16インチホイール、2速のトランスファーなど、ジープ同様の本格的な構成であった。そこでスズキでは、ON型4WD の優れた機能はそのままに生かしながらも、自社生産向けに大変更を加えた。

パワーユニットは自社の軽トラック・キャリイ用のエンジンとトランスミッションを流用し、ON型4WD同様に軽自動車枠内に収めた。規格品の鋼材を積極的に導入し、他の部品も自社の既存のものをなるべく流用することでコストを抑えた。また作業車としての用途に応えるため、トランスファーへPTO(動力取り出し装置)を組み込んで動力を取り出し、ウインチを動かすことができるようにした。このPTOウインチは、SJ10 / 20 まで純正オプションとして設定されている。

その一方でスタイリングを重視し、武骨な形の ON型4WD に比べ、スポーツ性を取り入れたデザインとなった。また商用車扱いとして販売価格や維持費を抑えるなど、購買、設計、生産技術、デザイン、営業などとの全方位的な折衝の末、商品として成立させた。

発表されると、維持費の安い軽自動車でありながら、大型の四輪駆動車以上の機動力を発揮する実用性で、「それまでにない軽自動車」として市場に評価され、スズキの販売力もあって、大きな商業的成功を収めることとなった。

当時のキャッチコピーは「自然に挑戦する男のくるま」、「男の相棒☆ジムニー」、「最前線志願」であり、カタログなどで使用された。

初代第2期(1972年-1976年)
LJ20-1型
1972年5月、発表。
LJ10 との大きな違いは、エンジンを空冷から水冷に変更したことである。水冷となって快適な温水式ヒーターを得たことと、耐候性・安全性に優れるバンモデルの LJ20V が追加されたことも相まって、雪国や寒冷地を中心に販売台数を伸ばした。外見ではフロントグリル穴の形状が、LJ10系の横長型から、縦型に変更され、容易に区別できる。

1972年7月には、ソニーと共同で LJ20 にソニーの18型カラーテレビとUマチック方式のビデオデッキを搭載した「ビデオジムニー」を発売した。トランスファーのPTO装置を使って発電し、電力を供給する仕組みであった。法人や自治体を販売対象と想定して、電源の無いところでビデオの録画及び再生ができることをうたい、東京モーターショーにも出品したが、結局1台も売れなかった。ビデオジムニー専用の部品もあり、パーツリストには記載されている。

LJ20-2型
1973年11月発売。フロントマーカーランプ(車幅灯)とフロントターンシグナル(方向指示器)が分離され、リアターンシグナルランプが赤からオレンジに変わった。

1975年2月、幌モデルに向かい合わせの後席を持つ4人乗りの LJ20F を追加。居住空間捻出のため、スペアタイヤは荷室から車体背面に移動され、幌後半の高さも嵩上げされる。

[ 2010/03/04 04:05 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Jimny SJ10 0'36"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Jimny SJ10 suzuki_ jimny_sj10
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
ジープ以来の伝統的な四輪駆動車の構成を固持する、小型で軽量のパートタイム4WD車。低級振動や重量増などの不利をおして、今なお強度と耐久性を重視した梯子形フレーム(ラダーフレーム)を使い続け、サスペンションも前後とも固定軸を用いている。これは現代の自動車において、乗用車のみならずオフロード車であっても車台のモノコック化、サスペンションの独立懸架化が進んでいる今日にあって、独自かつ稀有な存在である。

小型軽量ボディやラダーフレーム、リジッドアクスル式サスペンション、大径タイヤなどの優位性により、特に純粋な悪路の踏破性能では四輪自動車としてトップクラスの性能を持ち、クロスカントリー競技のベース車としても使用されている。

2000年9月-2001年2月と2001年2月-2002年1月に FR車(前者:ジムニーL、後者:ジムニーJ2)が発売されたこともあるが、現在は四輪駆動のみのラインナップとなっている。

約40年近い歴史で細かい改良は多いものの、モデルチェンジはわずか2回とモデルライフが長いのが特徴である。このモデルライフの長さが評価され、2008年10月8日にグッドデザイン賞の中でも、10年以上にわたって同一の商品コンセプトで継続的に生産販売されている商品等に与えられる特別賞「2008年度グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞した(プレスリリース

車名の由来はジープ(Jeep)型のミニという意味を込め、「Jeep」と「Mini」をかけあわせ命名されたものであり、メーカーの公式発表でも「発音のしやすさ、覚えやすさなどから作った造語である」とされている。北米発の愛称は「Suzy(スージー)」。

軽自動車として同一車種名での歴史の長さを誇る車種のひとつである。誕生から長い間、法定費用の面で有利な軽貨物となる4ナンバー規格(商用車)で販売されており、5ナンバーの軽乗用仕様の登場は1995年からと、比較的新しい。貨物仕様は1998年に廃止された。

マツダへOEM供給されたモデルはAZ-オフロードの名で販売されている。

1977年に発売された SJ20 以降、普通車登録のジムニーも発売され、日本国外でも販売されている。日本国外では、輸出、ノックダウン生産、現地生産を含め、多くの国で販売されており、現地で荷台や車体を架装したピックアップトラックやワゴン(4ドアもある)など、ロングホイールベース車の比率も高い。車名も、「ジムニー」のほか、時期や仕向け地によって、「ブルート」、「サムライ」、「SJ410 / 413」、「シエラ」、「KATANA」などを使い分けている。

日本国内で狭隘な道路を擁する山岳地域・積雪地において、機動性の高い生活用車両としての根強い需要を持つ。同様な地域でのパトロールカーや郵便集配車としても用いられる。

また林道走破や釣り目的の山道・砂浜での走行にも耐えることから、それらを目的としたレジャードライブ用途にも用いられている。簡素で頑丈な構造ながら改造の余地が大きく、破損時の修復も比較的容易なため、ヒルクライム競技など悪路走行を前提としたアマチュアモータースポーツに出場することも多い。

ジムニー開発のきっかけは、かつて軽オート三輪の先駆的メーカーでありながら、大手に押されて自動車業界からの撤退に至ったホープ自動車(現・ホープ)から、同社が開発した軽四輪駆動車「ホープスター・ON型4WD」(1967年完成)の製造権を、当時スズキ東京社長、現スズキ会長兼社長である鈴木修が、社内の反対を押し切る形で買い取ったことに端を発する。

「不整地用万能車」とうたわれた ON型4WD は軽自動車ながら高い性能を備えた四輪駆動車だったが、ホープ自動車の創業者で ON型4WD の開発者でもある小野定良は、この設計を商業的に活かすにも、もはや自社に量産・販売能力がない実情を鑑み、大手メーカーへの製造権譲渡を決意した。ホープは同時期に遊園地の遊具開発に業態転換することで会社の命脈をつないだ。

小野は当初、ON型4WD のエンジンやパーツの供給元であった三菱重工業(1970年の三菱自動車工業の分離以前)に売り込んだが、ジープのライセンス生産を行っていた三菱からは理解を得られず、スズキに提案を行ったところ、鈴木修が「軽四輪駆動車」というユニークなプランに関心を示し、ホープ側から製造権を買い取った。資料によれば当時の金額で約1200万円程だったと言われている。

このときスズキの幹部からは「売れなくて撤退した車の製造権を買ってどうするのか」、「社長の道楽」、「もしこんなものが売れたら社内をちょうちん行列で歩いてやる」という批判があったとの話もあり、鈴木修を除いた周囲からは、期待されていなかった模様である。鈴木修はもともと銀行員から自動車会社の経営幹部に転身した人物で、元来技術者ではないため、それまで四輪駆動車がいかなる物かという基礎知識すら持っていなかった。しかし、小さなONが急勾配を登坂する様子を撮影した8mm映画でその驚異的な機動性を実見し、軽四輪駆動車の実用車としての可能性に開眼したという。

ごく少量が生産、販売されたホープスター・ON型4WD の組み立ては、ほとんどが手作りで、三菱エンジンのものが15台、検討用にスズキから依頼された、スズキエンジンのものが3台生産されたにとどまっている。結果としてホープスター・ON型4WD は、ジムニーのプロトタイプとしての役割を果たした。

初代第3期(1976年-1981年)
SJ10-1型
1976年6月、発表。1976年の法律改正により軽自動車の規格が変更され、それに対応して、旧規格の車体サイズのまま、新しいLJ50型エンジン(水冷直列3気筒2サイクル)を搭載し、排気量を550ccクラス(539cc)へと拡大する。愛称は「ジムニー55(ゴーゴー)」となる。

幌型で向かい合わせとなる後席の居住性改善のため、幌後半の高さを増大した。

SJ10-2型
1977年6月、新規のホーシングとオーバーフェンダーにより、トレッドと車体サイズを拡幅する。 エンジンフードは盛り上がった形状となり、前端にはエアインテークが設けられた。

SJ10-3型 / -4型
1978年11月、ヘッドランプの取り付け位置(光軸中心)が下がり、それに伴いフロントグリルのデザインが変更される。

SJ20 ジムニー8
1977年7月、発表。
SJ10 の車体に排気量800ccのF8A型エンジンを搭載した輸出仕様のLJ80を基に、日本国内向けとしたものである。このF8A型は、スズキの4輪車では初めての4サイクルエンジンであり、軽自動車の枠には納まらないため小型車(登録車)となった。日本国内での登録台数は、1,799台にとどまっている。

[ 2010/03/05 04:21 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Jimny SJ30 1981 0'33"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Jimny SJ30 suzuki_ jimny_1981_SJ30
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
ジープ以来の伝統的な四輪駆動車の構成を固持する、小型で軽量のパートタイム4WD車。低級振動や重量増などの不利をおして、今なお強度と耐久性を重視した梯子形フレーム(ラダーフレーム)を使い続け、サスペンションも前後とも固定軸を用いている。これは現代の自動車において、乗用車のみならずオフロード車であっても車台のモノコック化、サスペンションの独立懸架化が進んでいる今日にあって、独自かつ稀有な存在である。

小型軽量ボディやラダーフレーム、リジッドアクスル式サスペンション、大径タイヤなどの優位性により、特に純粋な悪路の踏破性能では四輪自動車としてトップクラスの性能を持ち、クロスカントリー競技のベース車としても使用されている。

2000年9月-2001年2月と2001年2月-2002年1月に FR車(前者:ジムニーL、後者:ジムニーJ2)が発売されたこともあるが、現在は四輪駆動のみのラインナップとなっている。

約40年近い歴史で細かい改良は多いものの、モデルチェンジはわずか2回とモデルライフが長いのが特徴である。このモデルライフの長さが評価され、2008年10月8日にグッドデザイン賞の中でも、10年以上にわたって同一の商品コンセプトで継続的に生産販売されている商品等に与えられる特別賞「2008年度グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞した(プレスリリース

車名の由来はジープ(Jeep)型のミニという意味を込め、「Jeep」と「Mini」をかけあわせ命名されたものであり[1]、メーカーの公式発表でも「発音のしやすさ、覚えやすさなどから作った造語である」とされている。北米発の愛称は「Suzy(スージー)」。

軽自動車として同一車種名での歴史の長さを誇る車種のひとつである。誕生から長い間、法定費用の面で有利な軽貨物となる4ナンバー規格(商用車)で販売されており、5ナンバーの軽乗用仕様の登場は1995年からと、比較的新しい。貨物仕様は1998年に廃止された。

マツダへOEM供給されたモデルはAZ-オフロードの名で販売されている。

1977年に発売された SJ20 以降、普通車登録のジムニーも発売され、日本国外でも販売されている。日本国外では、輸出、ノックダウン生産、現地生産を含め、多くの国で販売されており、現地で荷台や車体を架装したピックアップトラックやワゴン(4ドアもある)など、ロングホイールベース車の比率も高い。車名も、「ジムニー」のほか、時期や仕向け地によって、「ブルート」、「サムライ」、「SJ410 / 413」、「シエラ」、「KATANA」などを使い分けている。

日本国内で狭隘な道路を擁する山岳地域・積雪地において、機動性の高い生活用車両としての根強い需要を持つ。同様な地域でのパトロールカーや郵便集配車としても用いられる。

また林道走破や釣り目的の山道・砂浜での走行にも耐えることから、それらを目的としたレジャードライブ用途にも用いられている。簡素で頑丈な構造ながら改造の余地が大きく、破損時の修復も比較的容易なため、ヒルクライム競技など悪路走行を前提としたアマチュアモータースポーツに出場することも多い。

ジムニー開発のきっかけは、かつて軽オート三輪の先駆的メーカーでありながら、大手に押されて自動車業界からの撤退に至ったホープ自動車(現・ホープ)から、同社が開発した軽四輪駆動車「ホープスター・ON型4WD」(1967年完成)の製造権を、当時スズキ東京社長、現スズキ会長兼社長である鈴木修が、社内の反対を押し切る形で買い取ったことに端を発する。

「不整地用万能車」とうたわれた ON型4WD は軽自動車ながら高い性能を備えた四輪駆動車だったが、ホープ自動車の創業者で ON型4WD の開発者でもある小野定良は、この設計を商業的に活かすにも、もはや自社に量産・販売能力がない実情を鑑み、大手メーカーへの製造権譲渡を決意した。ホープは同時期に遊園地の遊具開発に業態転換することで会社の命脈をつないだ。

小野は当初、ON型4WD のエンジンやパーツの供給元であった三菱重工業(1970年の三菱自動車工業の分離以前)に売り込んだが、ジープのライセンス生産を行っていた三菱からは理解を得られず、スズキに提案を行ったところ、鈴木修が「軽四輪駆動車」というユニークなプランに関心を示し、ホープ側から製造権を買い取った。資料によれば当時の金額で約1200万円程だったと言われている。

このときスズキの幹部からは「売れなくて撤退した車の製造権を買ってどうするのか」、「社長の道楽」、「もしこんなものが売れたら社内をちょうちん行列で歩いてやる」という批判があったとの話もあり、鈴木修を除いた周囲からは、期待されていなかった模様である[2]。鈴木修はもともと銀行員から自動車会社の経営幹部に転身した人物で、元来技術者ではないため、それまで四輪駆動車がいかなる物かという基礎知識すら持っていなかった。しかし、小さなONが急勾配を登坂する様子を撮影した8mm映画でその驚異的な機動性を実見し、軽四輪駆動車の実用車としての可能性に開眼したという。

ごく少量が生産、販売されたホープスター・ON型4WD の組み立ては、ほとんどが手作りで、三菱エンジンのものが15台、検討用にスズキから依頼された、スズキエンジンのものが3台生産されたにとどまっている。結果としてホープスター・ON型4WD は、ジムニーのプロトタイプとしての役割を果たした。

2代目第1期(1981年-1984年)
1981年5月、発売。
11年ぶりのフルモデルチェンジとなり、快適性や操作性など、乗用車としての性能を向上させた。

キャッチコピーは「Tough & Neat」(タフ アンド ニート / タフ = 頑丈な、ニート = きちんとした、こぎれいな)で、オフロードとオンロード性能の両立をうたっており、カタログも男くささや野性味を打ち出した70年代とはうってかわり、女性ユーザーをも意識したものとなった。

いくぶん柔らかくされたリーフスプリング、前向きとなったリアシート、工具なしで簡単に前倒出来る幌モデルのフロントウインドシールド、フルメタルドアモデルの距離計がトリップメーター付きとなるなど、乗用車からの乗り換え組や、初心者でも扱えるよう配慮された設計となった。

同時期、すでにスズキの軽自動車のほとんどは4サイクルエンジンの「F5A型」に移行していたが、不整地では低回転時のトルクが重要となるため、「LJ50型」が継承された。エンジンの改良により、最高出力は28psに向上した。日本では最後のクランクケース圧縮型2サイクルエンジン搭載の4輪自動車となった。

トランスミッションは4速MTのみ。また、SJ30の取扱説明書にはハイオクガソリンを給油しないよう書かれているが、これはSJ30-1型発売当時、ハイオクガソリンが有鉛ガソリンだった名残であり、現在の無鉛プレミアムガソリンを給油しても問題は無い。

このSJ30型は、同じ軽自動車規格の JA71 型の登場後も、エンジン、電装系、内装等のマイナーチェンジを行いながら、1987年まで生産が続けられ、併売された。

なおCMコピーでは「ジムニー」だけとなったが、SJ30 も JA71 発売以前(-3型まで)の正式な商標は SJ10 から引き続き「ジムニー55」である(取扱説明書に記載されている)。

2サイクルならではの粘り強いエンジン特性から、いまだに根強いファンを持つ。

SJ30-1型
1981年5月発表。
バリエーション
ソフトトップ
SJ30F - 幌ドア
SJ30FK - ハーフメタルドア
SJ30FM - フルメタルドア
メタルトップバン
SJ30V-VA (ベーシック・業務用)
SJ30V-VC - デラックス(個人向け、ベーシックより20kg増)

SJ30-2型
1983年8月、マイナーチェンジ。幌ドアのFが廃止される。

バンVA以外のフロントブレーキがドラムからディスクへ変更され、フリーホイールハブも設定される。ヒューズがガラス管からブレードタイプになる。

バリエーション
ソフトトップ
SJ30FK-2 - ハーフメタルドア
SJ30JM - フルメタルドア
メタルトップバン
SJ30V-VA
SJ30V-VC

SJ30-3型
1984年6月、マイナーチェンジ。インパネ全面が樹脂で覆われた。またラジオの搭載方法が変更され、現在標準的な1DINサイズのユニットをダッシュボード中央部下に取り付ける形になった。クーラーがそれまでの後組み形に代わって、ディーラーオプションのビルトイン形に変更された。エンジンは点火系が改良される。車体色に「ホワイト」と「シルバー」が設定される。

ソフトトップ
J30FK-3 - ハーフメタルドア
J30JM-3 - フルメタルドア
メタルトップバン
SJ30V-VA-3
SJ30V-JC-3

SJ30-4型
1986年2月、マイナーチェンジ。
ソフトトップ
J30FK-4 - ハーフメタルドア
J30JM-4 - フルメタルドア
メタルトップバン
SJ30V-VA-4
SJ30V-JC-4

SJ30-5型
1987年9月、マイナーチェンジ。JA71 の登場により、SJ30 は車種を大幅に整理され、幌とバンそれぞれに1車種のみが残された。

SJ30で唯一、ELR式シートベルトを採用している。

同年11月、生産終了。
ソフトトップ
J30JM-5 - フルメタルドア
メタルトップバン
SJ30V-JC-5

[ 2010/03/06 04:43 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)

Suzuki Carry L50(1) 0'30"

トップページSUZUKIカテゴリーSuzuki Carry L50(1) suzuki carry l50_1
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
キャリイ (CARRY) は、スズキが製造、販売するトラック型の軽自動車(軽トラック)。

10代目まではワンボックス(キャリイバン)もラインナップされていたが、併売時期を経て10代目キャリイ=3代目エブリイ中盤以降はエブリイに完全移行している。

ネーミングはその名の通り、「運ぶ」の英語名からとって「CARRY」としている。

シャーシ構造が全く異なる(トラックがFR、1BOXがMRと駆動方式から違う)51系(10代目キャリイ/3代目エブリイ)を除いて、バンタイプのスズキ・エブリイと2002年までは共通の構造を多く有していた。スズキからマツダにOEM供給を行っているマツダ・スクラムのトラックタイプは、この車両を元に一部外装パーツの変更を行ったものである。またエブリイも1981年まではキャリイを名乗り、1991年~1993年の間は上級車種以外の車種についてはキャリイバンの車名で販売されていた。

軽自動車の新規格に適合させるため1999年以降のキャリイはロングホイールベース、セミキャブタイプの仕様だったが、2005年11月におよそ7年ぶりにショートホイールベース、フルキャブタイプの仕様(キャリイFCシリーズ、ボディサイズはもちろん新規格で農耕用に特化した)が復活、追加された。ただし、OEM版のマツダ・スクラムトラックにはこの仕様は設定されていない。

なお、欧米や東南アジア、インド、オーストラリア等では排気量を拡大したモデルが生産、販売され、また大宇国民車(現:韓国GM)からは9代目(エブリイにおける2代目)が「ラボ(LABO)」(エブリイは「ダマス(DAMAS)」)と言う名称で登場。いずれも現在も生産されているが、ダマスはフェイスリフトを受けている。

5代目 L50(1972-1976年)
1972年
フルモデルチェンジ。水冷エンジンとなる。もちろん排気量はそのまま。バンは荷室面積が拡大、スライドドアが設定され、のちに5ドアも追加された。三角窓がなくなる。

1974年
フロントグリルのデザインを変更。のちに現行の黄色ナンバーにも対応した改良が行われる。

[ 2010/05/20 21:22 ] SUZUKI | TB(0) | CM(0)
FC2カウンター
ブログ内検索
コミュニティ・ツール
ブロガー(ブログ)交流空間 エディタコミュニティ





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。