スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

Pontiac Wicked 0'30"

トップページGM PONTIACカテゴリーPontiac Wicked WinnipegParkPontiaccommercial1986.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
特にこの車の情報がないのですが・・・女性の髪形が時代を物語っていますね。懐かしい。

スポンサーサイト
[ 2007/11/29 17:57 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Pontiac Firebird Commercial 1967 1'00"

トップページGM PONTIACカテゴリーPontiac Firebird Commercial 1967 1967_Pontiac_Firebird_Commercial.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
ポンティアック・ファイヤーバード(Pontiac Firebird)は、ゼネラルモーターズが製造していたポニーカー(日本で言うスペシャルティカーに相当)であり、シボレー・カマロの姉妹車である。

初代(1967-1969)
初代ファイヤーバードはコークボトル・スタイルが特徴で、姉妹車であるカマロとは異なりフロントバンパーがボディデザインの一部に組み込まれていた。ボディ形式は2ドアハードトップとコンバーチブルを用意。元来ポンティアックは独自の2シーター・スポーツカーをラインナップに追加希望していたが、GMはシボレー・コルベットと競合すると判断。人気トップのポニーカー、フォード・マスタングとの競争に打ち勝つため、F-ボディのプラットホームをカマロと共用することとなった。

ベースモデルはシングルバレル・キャブレター装備の230cui OHC6気筒エンジンを搭載、最高出力は165馬力を発生した。第2のモデル、スプリントは4バレルのキャブレター付き同型エンジン(215馬力)が標準装備されたが、実際はオプションのV8エンジン搭載で販売されることがほとんどであった。V8エンジンは326cui(5.3L)2バレル・キャブレター装備(250馬力)、同型のハイ・アウトプット(H.O)・エンジン又は4バレル・キャブレター付きで285馬力を発する400cui(6.6L)エンジンの三種類存在。

1968年、ラムエアーがオプションに追加。ボンネットスクープ、強化されたバルブスプリングと異なるカムシャフトを持つヘッドにより、従来の400H.Oパッケージより高回転型となった。230cui(3.8L)エンジンは250cui(4.1L)エンジンに変更され、出力はシングルバレルが175馬力、4バレルが215馬力。326cui(5.3L)エンジンが350cuiエンジンに変更。改良されたカムを装備した同エンジンのH.Oバージョンも登場。他のエンジンもわずかに出力増加した。

1969年、ハンドリング・パッケージとしてトランザム(Trans Am Performance And Appearance Package)がオプションで登場。トランザムの名はSCCA (Sports Car Club of America)による市販車レースであるTrans Am Seriesから取られたものだが、GMが無許可で使用したため、SCCA側は告訴も辞さないと申し入れた。結果、トランザムが一台売れるごとにGMからSCCAに5ドル支払うことで両者は合意。リアスポイラーが特徴の初代トランザムは、ハードトップが689台とコンバーチブルが8台製造された。同年ラムエアーIIIとIVが400cuiエンジン用に設定され、それぞれ335馬力と345馬力を発生。 外観上は1968年、サイド・マーカーが法規対応で追加。フロントウィンカーが大型化し、リヤ側部にV型のポンティアックエンブレムを装着。1969年には大幅にフェイスリフトされ樹脂製フロントエンドが付く。内装はインパネとステアリングホイールが変更、イグニッションがダッシュボードからステアリングコラムに移設された。2代目ファイヤーバードの登場が1970年2月まで遅れたため(ポンティアックの他車種の1970年モデルは、1969年9月に発表された)、それまで初代の生産は延長された。

[ 2009/01/10 13:59 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Pontiac Firebird Commercial 1970 1'00"

トップページGM PONTIACカテゴリーPontiac Firebird Commercial 1970 1970_pontiac_firebird_commercial.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
ポンティアック・ファイヤーバード(Pontiac Firebird)は、ゼネラルモーターズ社が製造するスポーツカーで、ポニー・カー(1964年型フォード・マスタングに代表される手ごろな価格でコンパクトかつスポーツ走行が可能なスタイリッシュな車)にカテゴライズされており、アメリカ車を代表する2シーターのコルベット対して、双璧を成すファイヤーバードは4シーターである。また、シボレー・カマロは姉妹車である

2代目(1970-1981)
第2世代のファイヤーバードは、1970年の中頃に登場した。ファイヤーバードは、第1世代のコーク・ボトル・シェイプを廃し、リア・ウィンドーのトップからほぼ直角的に落ち込むラインを持ち、より鋭角的なボディ・デザインを施されていた。この形状は、F-ボディを利用して最も長期に渡って製造されたファイヤーバードを代表するものである。この新世代のデザインは、リア・ウィンドーが大型化される1975年モデルまで、大きなCピラーを特徴としていた。1970年モデルには、1969年から持ち越されたラム・エアーIII(335馬力、GTOの366馬力)とラム・エアーIV(345馬力、GTOの370馬力)の2種類のラム・エアー400エンジンが用意された。

特徴的な傾斜したフロント・ノーズは、1977年(1979年にいくぶん修正される)に登場した。1977年から1981年まで、カマロが2灯丸型ヘッドライトを保持し続ける間、ファイヤーバードは4灯角型ヘッドライトを導入した。第2世代で搭載が選択可能となる455エンジンは、恐らくマッスルカー世代で最後のハイパフォーマンス・エンジンである。455エンジンは、1971年に初登場した。1973年と1974年に、455(SD-455と呼ばれる)の特別版も供給された。SD-455はポンティアックの366ナスカー・エンジンからのコンポーネントを利用して、540馬力を発生するレース用のエンジンとして造られたが、同時に環境保護庁とGMの協議の結果、車両は300馬力を上回らないことを義務づけられた。結果としてPMDエンジニアは290馬力でSD-455を登場させた。しかし実際には 371馬力(またはグロスでおよそ440馬力)を発生していた。同エンジンが魅力的であったのは、500馬力以上の仕様に楽に戻すことが出来た事であった。SD-455は、これまでポンティアックが製造したピュア・スポーツカーエンジンの最終形で最強のエンジンであると考えられている。

ポンティアックは 455cuiを数年間提供したが、排出ガスに対する規制が強化され終焉を迎える。455cui搭載車は7,100台に留まった1976年のトランザムは、「ビッグ・キューブ・バーズ」の終焉でもあった。1974年にはI6エンジンと、350cuiエンジン(V8、185馬力)、400cui エンジン(V8、175~225馬力)をラインナップした。SD-455が290馬力を生じる一方で455は215と250馬力を生じた。400、455 とSD-455エンジンは1974年の間にトランザムに供給された。しかし、400と455エンジンは1975年と1976年のモデルの唯一のオプションであった。1976年、ポンティアックは同社の50周年を祝してトランザムの特別版をリリースした。金のアクセントで黒に塗られ、これは最初の記念パッケージであり、最初に生産されたブラックとゴールドの特別版であった。1977年、ポンティアックは180馬力の400cui(6.6L)とは対照的に、T/A6.6L400180馬力と評価される(オプションW72)を供給した。カリフォルニアとハイパフォーマンス車は、オールズ403エンジンを搭載した。

1977年の、GMエンジンより僅かに高い圧縮比と日用的なトルクバンドを有したエンジンであった。1978年から始まって、GMエンジニアは、より小さな燃焼室で異なるシリンダーヘッドを通してポンティアック400で圧縮比を上げることによって、長年落ちていた馬力を向上させた。これは、1978~79モデル年の間に合計220の車で10%馬力を増加させた。400/403オプションは1979年まで搭載可能で400cuiのエンジンには、4速トランスミッションが装備された。また、1979年には、シルバー・ボディにシルバー・インテリアを持つ10周年モデルが発売され、同時にファイヤーバードのエンブレムがエンジン・フードに大きく描かれた。1980年は、ファイヤーバードのエンジンが劇的に変化した年であった。301エンジン(オプションとして1979年に提供される)は、同年モデルの標準装備エンジンであった。オプションは、ターボ付き301エンジンとシボレー305スモール・ブロック・エンジン。第2世代最後の年となる1981年、ファイヤーバードは前年モデルと同じエンジンを搭載し電子制御の燃料供給システムを追加しただけの変更にとどまった。

[ 2009/01/11 14:13 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Pontiac Firebird Trans Am Commercial 1975 0'35"

トップページGM PONTIACカテゴリーPontiac Firebird Trans Am Commercial 1975 1975_pontiac_firebird_trans_am_commercial.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
ポンティアック・トランザム(Pontiac Trans Am)あるいはトランザムは、ゼネラルモータースが生産したスポーツカー、ポンティアック・ファイヤーバードの最上級グレード車。

SCCA (Sports Car Club of America)による市販車ベースのレースTrans-American Sedan Championshipがその名の由来。トランザムはあくまでグレードの名前でありモデル名ではないため、本来は「ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム」と呼ぶのが正しいが、「ポンティアック・トランザム」という表記も各種媒体で頻繁に使用されている。

ファイヤーバードの中でもハイパワーエンジンを搭載し、スポーティーな足回りを持つが、運動性能はより軽量な他のファイアーバードに抜かれる場合もある(同じパワートレーンの場合)。また何度かシボレー・コルベットのエンジンが設定されたが、スペック上はコルベットが上回るようデチューンされることが多かった。

外観上はエアロパーツ、エアスクープ等が追加されている。また年式によってはオプションで、火の鳥を模した巨大なボンネット用デカールも注文でき、視覚上強烈なインパクトを与えた。

そのハイパフォーマンスと派手な外観故に、アメリカの映画やテレビドラマでは主役の車や、脇役でも存在感ある車として多くの作品に登場している。『ナイトライダー』では、番組のファンが販売店にナイトライダー仕様のトランザムであるナイト2000が欲しいと駆けつけ、ポンティアックが番組のプロデューサーに起用車を伏せてほしいとお願いしたというエピソード[2]を持つなど、単に作品に登場するだけに留まらない影響力を持つケースも見られる。トランザムが登場する代表的な作品としてはナイトライダーの他に『暴走パニック大激突』、『白バイ野郎ジョン&パンチ』、『機動刑事ジバン』、『マッハ'78』、『ザ・ドライバー』、『トランザム7000』などがある。

[ 2009/01/12 14:59 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

PontiacFirebird Trans Am Commercial 1977 1'11"

トップページGM PONTIACカテゴリーPontiacFirebird Trans Am Commercial 1977 1977_pontiac_firebird_trans_am_commercial
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
ポンティアック・トランザム(Pontiac Trans Am)あるいはトランザムは、ゼネラルモータースが生産したスポーツカー、ポンティアック・ファイヤーバードの最上級グレード車。

SCCA (Sports Car Club of America)による市販車ベースのレースTrans-American Sedan Championshipがその名の由来。トランザムはあくまでグレードの名前でありモデル名ではないため、本来は「ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム」と呼ぶのが正しいが、「ポンティアック・トランザム」という表記も各種媒体で頻繁に使用されている。

ファイヤーバードの中でもハイパワーエンジンを搭載し、スポーティーな足回りを持つが、運動性能はより軽量な他のファイアーバードに抜かれる場合もある(同じパワートレーンの場合)。また何度かシボレー・コルベットのエンジンが設定されたが、スペック上はコルベットが上回るようデチューンされることが多かった。

外観上はエアロパーツ、エアスクープ等が追加されている。また年式によってはオプションで、火の鳥を模した巨大なボンネット用デカールも注文でき、視覚上強烈なインパクトを与えた。

そのハイパフォーマンスと派手な外観故に、アメリカの映画やテレビドラマでは主役の車や、脇役でも存在感ある車として多くの作品に登場している。『ナイトライダー』では、番組のファンが販売店にナイトライダー仕様のトランザムであるナイト2000が欲しいと駆けつけ、ポンティアックが番組のプロデューサーに起用車を伏せてほしいとお願いしたというエピソード[2]を持つなど、単に作品に登場するだけに留まらない影響力を持つケースも見られる。トランザムが登場する代表的な作品としてはナイトライダーの他に『暴走パニック大激突』、『白バイ野郎ジョン&パンチ』、『機動刑事ジバン』、『マッハ'78』、『ザ・ドライバー』、『トランザム7000』などがある。

2代目(1970-1981)
第2世代のファイヤーバードは、1970年の中頃に登場した。ファイヤーバードは、第1世代のコーク・ボトル・シェイプを廃し、リア・ウィンドーのトップからほぼ直角的に落ち込むラインを持ち、より鋭角的なボディ・デザインを施されていた。この形状は、F-ボディを利用して最も長期に渡って製造されたファイヤーバードを代表するものである。この新世代のデザインは、リア・ウィンドーが大型化される1975年モデルまで、大きなCピラーを特徴としていた。

1970年モデルには、1969年から持ち越されたラム・エアーIII(335馬力、GTOの366馬力)とラム・エアーIV(345馬力、GTOの370馬力)の2種類のラム・エアー400エンジンが用意された。特徴的な傾斜したフロント・ノーズは、1977年(1979年にいくぶん修正される)に登場した。1977年から1981年まで、カマロが2灯丸型ヘッドライトを保持し続ける間、ファイヤーバードは4灯角型ヘッドライトを導入した。第2世代で搭載が選択可能となる455エンジンは、恐らくマッスルカー世代で最後のハイパフォーマンス・エンジンである。455エンジンは、1971年に初登場した。1973年と1974年に、455(SD-455と呼ばれる)の特別版も供給された。SD-455はポンティアックの366ナスカー・エンジンからのコンポーネントを利用して、540馬力を発生するレース用のエンジンとして造られたが、同時に環境保護庁とGMの協議の結果、車両は300馬力を上回らないことを義務づけられた。結果としてPMDエンジニアは290馬力でSD-455を登場させた。しかし実際には 371馬力(またはグロスでおよそ440馬力)を発生していた。同エンジンが魅力的であったのは、500馬力以上の仕様に楽に戻すことが出来た事であった。SD-455は、これまでポンティアックが製造したピュア・スポーツカーエンジンの最終形で最強のエンジンであると考えられている。

ポンティアックは 455cuiを数年間提供したが、排出ガスに対する規制が強化され終焉を迎える。455cui搭載車は7,100台に留まった1976年のトランザムは、「ビッグ・キューブ・バーズ」の終焉でもあった。1974年にはI6エンジンと、350cuiエンジン(V8、185馬力)、400cui エンジン(V8、175~225馬力)をラインナップした。SD-455が290馬力を生じる一方で455は215と250馬力を生じた。400、455 とSD-455エンジンは1974年の間にトランザムに供給された。しかし、400と455エンジンは1975年と1976年のモデルの唯一のオプションであった。1976年、ポンティアックは同社の50周年を祝してトランザムの特別版をリリースした。金のアクセントで黒に塗られ、これは最初の記念パッケージであり、最初に生産されたブラックとゴールドの特別版であった。1977年、ポンティアックは180馬力の400cui(6.6L)とは対照的に、T/A6.6L400180馬力と評価される(オプションW72)を供給した。カリフォルニアとハイパフォーマンス車は、オールズ403エンジンを搭載した。1977年の、GMエンジンより僅かに高い圧縮比と日用的なトルクバンドを有したエンジンであった。1978年から始まって、GMエンジニアは、より小さな燃焼室で異なるシリンダーヘッドを通してポンティアック400で圧縮比を上げることによって、長年落ちていた馬力を向上させた。これは、1978~79モデル年の間に合計220の車で10%馬力を増加させた。400/403オプションは1979年まで搭載可能で400cuiのエンジンには、4速トランスミッションが装備された。また、1979年には、シルバー・ボディにシルバー・インテリアを持つ10周年モデルが発売され、同時にファイヤーバードのエンブレムがエンジン・フードに大きく描かれた。1980年は、ファイヤーバードのエンジンが劇的に変化した年であった。301エンジン(オプションとして1979年に提供される)は、同年モデルの標準装備エンジンであった。オプションは、ターボ付き301エンジンとシボレー305スモール・ブロック・エンジン。

第2世代最後の年となる1981年、ファイヤーバードは前年モデルと同じエンジンを搭載し電子制御の燃料供給システムを追加しただけの変更にとどまった。

[ 2009/01/13 14:33 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Pontiac TransAm Commercial 1979 0'40"

トップページGM PONTIACカテゴリーPontiacFirebird Trans Am Commercial 1977 Pontiac_Trans_am_1979_commercial.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
ポンティアック・トランザム(Pontiac Trans Am)あるいはトランザムは、ゼネラルモータースが生産したスポーツカー、ポンティアック・ファイヤーバードの最上級グレード車。

SCCA (Sports Car Club of America)による市販車ベースのレースTrans-American Sedan Championshipがその名の由来。トランザムはあくまでグレードの名前でありモデル名ではないため、本来は「ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム」と呼ぶのが正しいが、「ポンティアック・トランザム」という表記も各種媒体で頻繁に使用されている。

ファイヤーバードの中でもハイパワーエンジンを搭載し、スポーティーな足回りを持つが、運動性能はより軽量な他のファイアーバードに抜かれる場合もある(同じパワートレーンの場合)。また何度かシボレー・コルベットのエンジンが設定されたが、スペック上はコルベットが上回るようデチューンされることが多かった。

外観上はエアロパーツ、エアスクープ等が追加されている。また年式によってはオプションで、火の鳥を模した巨大なボンネット用デカールも注文でき、視覚上強烈なインパクトを与えた。

そのハイパフォーマンスと派手な外観故に、アメリカの映画やテレビドラマでは主役の車や、脇役でも存在感ある車として多くの作品に登場している。『ナイトライダー』では、番組のファンが販売店にナイトライダー仕様のトランザムであるナイト2000が欲しいと駆けつけ、ポンティアックが番組のプロデューサーに起用車を伏せてほしいとお願いしたというエピソード[2]を持つなど、単に作品に登場するだけに留まらない影響力を持つケースも見られる。トランザムが登場する代表的な作品としてはナイトライダーの他に『暴走パニック大激突』、『白バイ野郎ジョン&パンチ』、『機動刑事ジバン』、『マッハ'78』、『ザ・ドライバー』、『トランザム7000』などがある。

2代目(1970-1981)
第2世代のファイヤーバードは、1970年の中頃に登場した。ファイヤーバードは、第1世代のコーク・ボトル・シェイプを廃し、リア・ウィンドーのトップからほぼ直角的に落ち込むラインを持ち、より鋭角的なボディ・デザインを施されていた。この形状は、F-ボディを利用して最も長期に渡って製造されたファイヤーバードを代表するものである。この新世代のデザインは、リア・ウィンドーが大型化される1975年モデルまで、大きなCピラーを特徴としていた。

1970年モデルには、1969年から持ち越されたラム・エアーIII(335馬力、GTOの366馬力)とラム・エアーIV(345馬力、GTOの370馬力)の2種類のラム・エアー400エンジンが用意された。特徴的な傾斜したフロント・ノーズは、1977年(1979年にいくぶん修正される)に登場した。1977年から1981年まで、カマロが2灯丸型ヘッドライトを保持し続ける間、ファイヤーバードは4灯角型ヘッドライトを導入した。第2世代で搭載が選択可能となる455エンジンは、恐らくマッスルカー世代で最後のハイパフォーマンス・エンジンである。455エンジンは、1971年に初登場した。1973年と1974年に、455(SD-455と呼ばれる)の特別版も供給された。SD-455はポンティアックの366ナスカー・エンジンからのコンポーネントを利用して、540馬力を発生するレース用のエンジンとして造られたが、同時に環境保護庁とGMの協議の結果、車両は300馬力を上回らないことを義務づけられた。結果としてPMDエンジニアは290馬力でSD-455を登場させた。しかし実際には 371馬力(またはグロスでおよそ440馬力)を発生していた。同エンジンが魅力的であったのは、500馬力以上の仕様に楽に戻すことが出来た事であった。SD-455は、これまでポンティアックが製造したピュア・スポーツカーエンジンの最終形で最強のエンジンであると考えられている。

ポンティアックは 455cuiを数年間提供したが、排出ガスに対する規制が強化され終焉を迎える。455cui搭載車は7,100台に留まった1976年のトランザムは、「ビッグ・キューブ・バーズ」の終焉でもあった。1974年にはI6エンジンと、350cuiエンジン(V8、185馬力)、400cui エンジン(V8、175~225馬力)をラインナップした。SD-455が290馬力を生じる一方で455は215と250馬力を生じた。400、455 とSD-455エンジンは1974年の間にトランザムに供給された。しかし、400と455エンジンは1975年と1976年のモデルの唯一のオプションであった。1976年、ポンティアックは同社の50周年を祝してトランザムの特別版をリリースした。金のアクセントで黒に塗られ、これは最初の記念パッケージであり、最初に生産されたブラックとゴールドの特別版であった。1977年、ポンティアックは180馬力の400cui(6.6L)とは対照的に、T/A6.6L400180馬力と評価される(オプションW72)を供給した。カリフォルニアとハイパフォーマンス車は、オールズ403エンジンを搭載した。1977年の、GMエンジンより僅かに高い圧縮比と日用的なトルクバンドを有したエンジンであった。1978年から始まって、GMエンジニアは、より小さな燃焼室で異なるシリンダーヘッドを通してポンティアック400で圧縮比を上げることによって、長年落ちていた馬力を向上させた。これは、1978~79モデル年の間に合計220の車で10%馬力を増加させた。400/403オプションは1979年まで搭載可能で400cuiのエンジンには、4速トランスミッションが装備された。また、1979年には、シルバー・ボディにシルバー・インテリアを持つ10周年モデルが発売され、同時にファイヤーバードのエンブレムがエンジン・フードに大きく描かれた。1980年は、ファイヤーバードのエンジンが劇的に変化した年であった。301エンジン(オプションとして1979年に提供される)は、同年モデルの標準装備エンジンであった。オプションは、ターボ付き301エンジンとシボレー305スモール・ブロック・エンジン。

第2世代最後の年となる1981年、ファイヤーバードは前年モデルと同じエンジンを搭載し電子制御の燃料供給システムを追加しただけの変更にとどまった。

[ 2009/01/14 14:42 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Pontiac Firebird Trans Am Commercial 1983 0'30"

トップページGM PONTIACカテゴリーPontiac Firebird Trans Am Commercial 1983 1983_Pontiac_Firebird_Trans_Am_Commercial.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
ポンティアック・トランザム(Pontiac Trans Am)あるいはトランザムは、ゼネラルモータースが生産したスポーツカー、ポンティアック・ファイヤーバードの最上級グレード車。

SCCA (Sports Car Club of America)による市販車ベースのレースTrans-American Sedan Championshipがその名の由来。トランザムはあくまでグレードの名前でありモデル名ではないため、本来は「ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム」と呼ぶのが正しいが、「ポンティアック・トランザム」という表記も各種媒体で頻繁に使用されている。

ファイヤーバードの中でもハイパワーエンジンを搭載し、スポーティーな足回りを持つが、運動性能はより軽量な他のファイアーバードに抜かれる場合もある(同じパワートレーンの場合)。また何度かシボレー・コルベットのエンジンが設定されたが、スペック上はコルベットが上回るようデチューンされることが多かった。

外観上はエアロパーツ、エアスクープ等が追加されている。また年式によってはオプションで、火の鳥を模した巨大なボンネット用デカールも注文でき、視覚上強烈なインパクトを与えた。

そのハイパフォーマンスと派手な外観故に、アメリカの映画やテレビドラマでは主役の車や、脇役でも存在感ある車として多くの作品に登場している。『ナイトライダー』では、番組のファンが販売店にナイトライダー仕様のトランザムであるナイト2000が欲しいと駆けつけ、ポンティアックが番組のプロデューサーに起用車を伏せてほしいとお願いしたというエピソード[2]を持つなど、単に作品に登場するだけに留まらない影響力を持つケースも見られる。トランザムが登場する代表的な作品としてはナイトライダーの他に『暴走パニック大激突』、『白バイ野郎ジョン&パンチ』、『機動刑事ジバン』、『マッハ'78』、『ザ・ドライバー』、『トランザム7000』などがある。

3代目(1982-1992)
第3世代のF-ボディは、歴代のそれよりもかなり軽量であった。また流線型のボディを持ち、エアロ・ダイナミクスに基づくスタイリングが大いに反映されたものであった。GM社のCCC(Computer Command Control)エンジン・システムが搭載され、進化を続けた。同時に、エンジンのパフォーマンスも向上し、燃費がよく、低公害なものとなった。このことにより、第3世代のファイヤーバードは、消えつつあったポニー・カーのイメージを再び活性化するに足りるものとなった。

1982年に登場した第3世代は、3つのモデルがラインナップした、ファイヤーバード、ファイヤーバードS/Eとファイヤーバード・トランザムがそれである。ファイヤーバードはベースモデルで、カマロ・スポーツ・クーペと同グレードであった。ファイヤーバードS/Eは中グレードで、実際は、トランザムと同じくらい多くのオプションを積むことも可能であった。そして、ファイヤーバード・トランザムは、もちろん、ハイ・パフォーマンス・レベルであった。ファイヤーバードとカマロは、完全にスタイルが一新された。2つのポップアップヘッドライトでファイヤーバードの主要な際立った特徴、60度(GMがこれまでに試みた何よりもおよそ3度急な)でセットされるフロントガラス斜面と大きな、ガラスで構成された後部のハッチバックである。500lb軽いことに加えて、現在まで最も空気力学的に生産されたファイヤーバードであった。空気力学的な進歩は、機能的なスポイラーやアルミ・ホイールに渡った。トランザムは「ターボ・バルジ」ボンネットを装備した。そして、以前のターボ・トランザムの後、スムーズなスタイルに整えられた。実際、計画は当初、ポンティアック4.9ターボを搭載する計画であったが、直前になって中止された。しかし、フードのふくらみは残って、クロスファイヤ・インジェクションの305エンジンのために機能的に活かされた。

1983年モデルは基本的に前年モデルと同じであった。この年、デイトナ500のペースカーに選ばれた。ペースカー・レプリカの限定版車は、全ての車のまわりで広がったグラウンド・エフェクト効果を持ったスカートを特徴とした。右のパネルの「トランザム」の文字、前部バンパーグリルはプラスチックパネルと交換された。また、レカロ製革/スエード・シート、15インチのエアロ・ホイール、「デイトナ500」のグラフィックスと独特の白との塗装などが施された。

1984年、トランザムは、前年のデイトナ・ペース・カー・レプリカのグラウンド・エフェクト・パッケージをベースとして購入可能であった。フロント・グリルが一新され、15インチのアルミ・ホイールも取り付け可能であった。トランザムの15周年記念として、ポンティアックはもう一つのスペシャル・エディションの限定車をリリースした。

1983年のペース・カー・レプリカ複と同じ車体を使って、新しい16インチ・アルミ・ホイール、そしてWSサスペンションが装備された最初のポンティアックでもあった。新しい25mmの後部のスタビライザー、グレーのマルチ・トーンと白い革のレカロ・インテリア、特別なステアリングとシフター、パーキング・ブレーキ・ハンドル、白いストライプのテールライトレンズ、特別な青いストライプと青いボンネットのデカール、4輪ディスクブレーキ、そして、T-トップが装備された。

1985年、いくつかのパワートレインが発表されたように、全てのファイヤーバード・モデルは売上高を押し上げるために改修が行われた。ファイヤーバードは、古いグリルに代わる「バンパーレッツ」として知られている広角の細片のノーズに、スタイル変更された。その変更は前後に及んだ。トランザムは15周年記念モデルの生産を中止をそのWS6サスペンションが標準となり、新しい、より大きなスタビライザーでアップグレードされた。また全てのグレードで16インチ・アルミ・ホイールが装備可能となった。レカロ・オプション・パッケージはなくなったが、レカロ・シートはまだ装備可能であった。

1986年、全てのファイヤーバードは、法律に従って、ハイマウント・ストップランプが、ハッチウインドウのトップに設置された。そして、新しいテール・ランプが装備され、1967年以降、ファイヤーバードのサインがあったテール・ライト・レンズと置き換えられた。また、ファイヤーバードS/Eモデルの製造が中止された。そして、オプションのゴム/ビニル製リアスポイラーが登場した(黒だけで利用し、近年、ひびや割れが問題化している)。この年の半ば、ポンティアックは、トランザムに装備可能な、軽量のクロスレースのホイール・リムを導入した。

1987年、ハイマウント・ストップランプは、スポイラーとリアデッキの間の新しい位置へ再配置された。そして、ボンネットの大きなファイヤーバードのエンブレムはこの年以降、永遠に廃止された。また、トランザムGTA(Gran Turismo Americano)がラインナップした。LB9- 305 TPIエンジン(215馬力)またはL98-350TPIエンジンが搭載可能であった。金色の16-インチ、フラット・メッシュ、ダイヤモンド・スポーク・ホイールは、GTAで標準装備であった。また、V8(LG4、LB9-350TPI、LB9-350TPI)、16インチの凸面ホールと以前のトランザム「ターボ・バルジ」付きボンネットが選択でできるファイヤーバード・フォーミュラが再登場した。そして、トランザムGTAは、標準的な350エンジン (5.7L)をポンティアックの誇りをかけたTPI(Tuned Port Injection)を装備した。また、この年、コンバーチブル・モデルが登場した。

1988年、新しいノッチバック・ハッチが、GTAでオプションとなった。第3世代のファイヤーバードで共通だった大きなガラスのハッチバックより、小さく、平らな、垂直ガラスのウインドウでファイバーグラス・トランクが装備された。また、ノッチバック採用に伴って、後部座席が再設計された。

1989年、GMは、新しい二重触媒コンバーター排気システムを開発した。このシステムの装着で、同じLB9、L98搭載のフォーミュラとトランザムで13%の出力向上をもたらした。また、後部のディスクブレーキでオプションをつけられる全てのファイヤーバードはPBRブレーキ・キャリパーとより大きなブレーキローターを装備した。そして、それは前のモデルリア・ディスクで課題であったストッピング・パワー不足の問題を解決した。GMのVATS(Vehicle Anti Theft System)の導入は、全てのファイヤーバードの窃盗に対して効果を挙げた。システムは、カマロとファイヤーバードを目標とすることが自動車泥棒の間で拡大している傾向に応じ、GMの上級車、コルベットとキャデラックの装置を改良して作られた。トランザムはインディアナポリス500のペースカーに選ばれ、ポンティアックは新たなペースカー・レプリカを市場に出した。この特別な、第20周年TTA(Turbo Trans Am)は、白いボディとタンのインテリアだけが用意され、3.8Lターボ付きV6のビュイック・エンジンを搭載した。

1990年、インテリアの改修を施され、1991年には、ポンティアックが全て新しい第4世代プラットホームを開発する間「バンシーIV」コンセプトに基づくコンセプト・カーを発表したあと、全てのファイヤーバードはゆるい傾斜で形作られるフロント・ノーズにデザイン変更された。トランザムのグラウンド・エフェクトは同様に改修された。そして、それはベースモデルのファイヤーバードで利用可能となった。

1992年、は第3世代最後の年で、第4世代モデルの登場が差し迫っていた。このため、ファイヤーバードは大きな変更を受けなかった。この年、SLPパフォーマンス・パーツによってファクトリー・チューンされた、いわゆる「ファイヤーホーク」が登場する。

1993年、ファイヤーホークは、300馬力に増加し機能的なボンネットと他の機能強化でSLPパッケージを供給し、わずか201台が製造された。

各年のエンジンラインナップ
* 1982-1983: Chevrolet Small-Block engine#LU5 5.0L V8, 165-175 hp and 240-250 ft·lbf
* 1982-1984: GM 60-Degree V6 engine#LC1 2.8L V6, 102-107 hp and 142-145 ft·lbf
* 1982-1985: GM 2500 engine#LQ8 2.5L I4, 88-92 hp and 132-134 ft·lbf
* 1982-1987: Chevrolet Small-Block engine#LG4 5.0L V8, 145-170 hp and 240-250 ft·lbf
* 1983-1984: GM 60-Degree V6 engine#LL1 2.8L V6, 125 hp and 145 ft·lbf
* 1983-1986: Chevrolet Small-Block engine#L69 5.0L V8, 190 hp and 240 ft·lbf
* 1985-1989: GM 60-Degree V6 engine#LB8 2.8L V6, 135 hp and 165 ft·lbf
* 1985-1992: Chevrolet Small-Block engine#LB9 5.0L V8, 190-230 hp and 275-300 ft·lbf
* 1987-1992: Chevrolet Small-Block engine#L98 5.7L V8, 225-245 hp and 330-345 ft·lbf
* 1988-1992: Chevrolet Small-Block engine#L03 5.0L V8, 170 hp and 255 ft·lbf
* 1989-1989: Buick V6 engine#LD5 3.8L V6, 250 hp and 340 ft·lbf (turbocharged engine)
* 1990-1992: GM 60-Degree V6 engine#LH0 3.1L V6, 140 hp and 180 ft·lbf

[ 2009/01/15 14:51 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Firebird Trans Am Commercial 0'52"

トップページGM PONTIACカテゴリーPontiac Firebird Trans Am Commercial Firebird_Trans_Am_Commercial.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
ポンティアック・トランザム(Pontiac Trans Am)あるいはトランザムは、ゼネラルモータースが生産したスポーツカー、ポンティアック・ファイヤーバードの最上級グレード車。

SCCA (Sports Car Club of America)による市販車ベースのレースTrans-American Sedan Championshipがその名の由来。トランザムはあくまでグレードの名前でありモデル名ではないため、本来は「ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム」と呼ぶのが正しいが、「ポンティアック・トランザム」という表記も各種媒体で頻繁に使用されている。

ファイヤーバードの中でもハイパワーエンジンを搭載し、スポーティーな足回りを持つが、運動性能はより軽量な他のファイアーバードに抜かれる場合もある(同じパワートレーンの場合)。また何度かシボレー・コルベットのエンジンが設定されたが、スペック上はコルベットが上回るようデチューンされることが多かった。

外観上はエアロパーツ、エアスクープ等が追加されている。また年式によってはオプションで、火の鳥を模した巨大なボンネット用デカールも注文でき、視覚上強烈なインパクトを与えた。

そのハイパフォーマンスと派手な外観故に、アメリカの映画やテレビドラマでは主役の車や、脇役でも存在感ある車として多くの作品に登場している。『ナイトライダー』では、番組のファンが販売店にナイトライダー仕様のトランザムであるナイト2000が欲しいと駆けつけ、ポンティアックが番組のプロデューサーに起用車を伏せてほしいとお願いしたというエピソード[2]を持つなど、単に作品に登場するだけに留まらない影響力を持つケースも見られる。トランザムが登場する代表的な作品としてはナイトライダーの他に『暴走パニック大激突』、『白バイ野郎ジョン&パンチ』、『機動刑事ジバン』、『マッハ'78』、『ザ・ドライバー』、『トランザム7000』などがある。

2代目(1970-1981)
第2世代のファイヤーバードは、1970年の中頃に登場した。ファイヤーバードは、第1世代のコーク・ボトル・シェイプを廃し、リア・ウィンドーのトップからほぼ直角的に落ち込むラインを持ち、より鋭角的なボディ・デザインを施されていた。この形状は、F-ボディを利用して最も長期に渡って製造されたファイヤーバードを代表するものである。この新世代のデザインは、リア・ウィンドーが大型化される1975年モデルまで、大きなCピラーを特徴としていた。

1970年モデルには、1969年から持ち越されたラム・エアーIII(335馬力、GTOの366馬力)とラム・エアーIV(345馬力、GTOの370馬力)の2種類のラム・エアー400エンジンが用意された。特徴的な傾斜したフロント・ノーズは、1977年(1979年にいくぶん修正される)に登場した。1977年から1981年まで、カマロが2灯丸型ヘッドライトを保持し続ける間、ファイヤーバードは4灯角型ヘッドライトを導入した。第2世代で搭載が選択可能となる455エンジンは、恐らくマッスルカー世代で最後のハイパフォーマンス・エンジンである。455エンジンは、1971年に初登場した。1973年と1974年に、455(SD-455と呼ばれる)の特別版も供給された。SD-455はポンティアックの366ナスカー・エンジンからのコンポーネントを利用して、540馬力を発生するレース用のエンジンとして造られたが、同時に環境保護庁とGMの協議の結果、車両は300馬力を上回らないことを義務づけられた。結果としてPMDエンジニアは290馬力でSD-455を登場させた。しかし実際には 371馬力(またはグロスでおよそ440馬力)を発生していた。同エンジンが魅力的であったのは、500馬力以上の仕様に楽に戻すことが出来た事であった。SD-455は、これまでポンティアックが製造したピュア・スポーツカーエンジンの最終形で最強のエンジンであると考えられている。

ポンティアックは 455cuiを数年間提供したが、排出ガスに対する規制が強化され終焉を迎える。455cui搭載車は7,100台に留まった1976年のトランザムは、「ビッグ・キューブ・バーズ」の終焉でもあった。1974年にはI6エンジンと、350cuiエンジン(V8、185馬力)、400cui エンジン(V8、175~225馬力)をラインナップした。SD-455が290馬力を生じる一方で455は215と250馬力を生じた。400、455 とSD-455エンジンは1974年の間にトランザムに供給された。しかし、400と455エンジンは1975年と1976年のモデルの唯一のオプションであった。1976年、ポンティアックは同社の50周年を祝してトランザムの特別版をリリースした。金のアクセントで黒に塗られ、これは最初の記念パッケージであり、最初に生産されたブラックとゴールドの特別版であった。1977年、ポンティアックは180馬力の400cui(6.6L)とは対照的に、T/A6.6L400180馬力と評価される(オプションW72)を供給した。カリフォルニアとハイパフォーマンス車は、オールズ403エンジンを搭載した。1977年の、GMエンジンより僅かに高い圧縮比と日用的なトルクバンドを有したエンジンであった。1978年から始まって、GMエンジニアは、より小さな燃焼室で異なるシリンダーヘッドを通してポンティアック400で圧縮比を上げることによって、長年落ちていた馬力を向上させた。これは、1978~79モデル年の間に合計220の車で10%馬力を増加させた。400/403オプションは1979年まで搭載可能で400cuiのエンジンには、4速トランスミッションが装備された。また、1979年には、シルバー・ボディにシルバー・インテリアを持つ10周年モデルが発売され、同時にファイヤーバードのエンブレムがエンジン・フードに大きく描かれた。1980年は、ファイヤーバードのエンジンが劇的に変化した年であった。301エンジン(オプションとして1979年に提供される)は、同年モデルの標準装備エンジンであった。オプションは、ターボ付き301エンジンとシボレー305スモール・ブロック・エンジン。

第2世代最後の年となる1981年、ファイヤーバードは前年モデルと同じエンジンを搭載し電子制御の燃料供給システムを追加しただけの変更にとどまった。

4代目(1993-2002)
1994年に登場した第4世代のF-ボディは、先代よりも更にエアロ・ダイナミクスに磨きがかけられた。しかし、魅力的なスポーツ・カーであった一方で、販売的には下降傾向になった。ファイヤーバードはリトラクタブルライトを採用したが、それは第3世代から採用された「バンシーIV」コンセプトを更に強烈に引き継いだものであった。LS1ファイヤーバードは、低い売上高にもかかわらず、これに生産された車よりも、最も速いものの一つであった。コルベットC5のV8(5.7L)アルミニウム・エンジンから、305馬力(2000 年以後の310)またはWS-6ラム・エアー・バージョンで320馬力(2000年以後の325)を生じ、この第4世代のファイヤーバードは、マッスル・カーのファイヤーバードを含む、他のどの世代よりも高性能であった。

1994年モデルでは、白く塗られたボディのやや下側に青い1本のストライプが描かれた25周年記念エディションが発売されたが、それは1970年モデルを彷彿させるものであった。

1998年、ファイヤーバードは他の修正と同様にフロントのデザイン変更を受けた。そして最も大きな改修ポイントは、最新のコルベットのスモール・ブロックV8エンジン(LS1)の搭載であった。また、1998年~2002年の間、ポンティアックはヘビー・デューティーなブレーキとステアリングギア比、燃料ポンプとショックアブソーバーが装備された。また、エンジンはV6とV8が搭載可能であった。

1999年、トランザムは30周年記念モデルを生産、このモデルは、先の25周年モデルよりも一層1969年のトランザムを意識したカラーデザインが採用された。最後のモデルとなる2002年モデルには、黄色いボディのコレクターズ・エディションが設定された。しかし、F-ボディを基本とする第4世代のファイヤーバードの生産終了を最後に、工場も閉鎖されることとなった。

[ 2009/01/16 15:11 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Pontiac GTO Commercial 1965 1'00" 

トップページGM PONTIACカテゴリーPontiac GTO Commercial 1965 The Pontiac GTO Commercial _1965.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
ポンティアック・GTO(Pontiac GTO)は、1964年から1974年までポンティアックによって、そして、2004年から2006年までオーストラリアのゼネラルモータース・ホールデンによって製造された自動車である。

最初で本物のマッスルカーとしばしば捉えられる。1964年から1973年5月までポンティアック・テンペストに密接に関連があった。しかし、最後の年にはポンティアック・ヴェンチュラをベースとした。21世紀のGTOは、基本的にホールデン・モナロ(ホールデン・コモドアのクーペ版)をベースとしている。

最初のGTOは、ポンティアック・エンジニアのラッセル・ギー、エンジン・スペシャリストでチーフ・エンジニアのジョン・Z・デローリアンが開発した。シェーン・ワイザーは、GTOの開発を思いついた最初の人物であった。1963年前半、GMのマネージメントは、カー・レースを禁止する命令を出した。その時、ポンティアックの広報とマーケティング・アプローチは、車のパフォーマンスを基本とし、レースはその戦略上重要な構成要素と捉えていた。ジム・ワンガースは、パフォーマンスイメージを保持するために、ストリート・パフォーマンスに注力すべきであると提案した。そのため、従来のフロント・エンジン、フロント変速装置、リア駆動構成に戻る用意が整ったテンペストをベースに、テンペストのV8-326立方インチ(5.3L)の標準エンジンを、フルサイズのカタリーナとボンネビルの389立方インチV8エンジン(6.5L)の大型エンジンに換装して「スーパー・テンペスト」に変えることが必要となった。

テンペストを特別な高性能モデルとして販売促進することによって、彼らは速度に関心がある若者の市場(それは、フォード・マスタングをその時準備していたフォード・モーターのリー・アイアコッカにもよっても認識されていた)に訴えることができた。デ・ロレアンの考えでは、名前はフェラーリ・250GTO(非常に成功したレース車)の影響を受けた。それは、Gran Turismo Omologato(GTクラスで競争するためのホモロゲーション)の頭字語である。その名前は、殆ど冒涜に近いと考える根本主義者から抗議を受けた。GTOは技術的にA-bodyベースの中型車で、330立方インチ(5.4L)を最大排気量に制限している。GM方針に違反するものであったが、GTOがオプションパッケージであり、標準的な器材以外を装備したため、その方針には違反しないと判断した。ポンティアックのゼネラルマネージャー、エリオット・ピート・エステスはこの新型車を承認した。しかし、販売マネージャーのフランク・ブリッジは最初の生産をほんの5,000台の車に制限すると言ってゆずらなかった。モデルが失敗であったならば、エステスは非難されたであろうが、結果、それは大成功を収めた。

初代(1964-1967年)
1964年の最初のポンティアックGTOは、ポンティアック・ル・マンのオプション・パッケージであった。296ドルで、V8-389立方インチ(325馬力)に、4バレル・キャブレターとデュアル・エグゾースト、クロムメッキされたバルブ・カバーとエア・クリーナー、7枚羽のクラッチファン、フロアシフトの3速マニュアル・ミッション、より固いスプリング、より大きな直径フロント・スタビライザー、幅の広いタイヤ、ボンネット・スクープとGTOバッジを装備した。オプションで、4マニュアル・ミッション、2速オートマチック・ミッション、348馬力のパワフルなキャブレーション、金属のドラム・ブレーキ・ライニング、ヘビー・デューティな冷却装置など、あらゆるオプションを装備して、GTOは4,500ドルのコストで、およそ1600kgの重量であった。

ロイヤルオーク(ミシガン)のロイヤルポンティアックで提供される「ボブキャット」キットで調整されたGTOが、スリックタイヤで1/4マイルを12.8秒、179km/hの最高の速度を計測した。GTOパッケージは1964年となる前に1万台を販売し、その年の総売上台数は3万2,450台で、フランク・ブリッジの販売予測は、不正確であると判明した。

1965年、 GTOを含むテンペストのモデルはスタイル変更を受けた。同じホイールベースとインテリア空間を保持しながら、全長が7.9cm延長された。そして、ポンティアックの特徴のある垂直に積み重ねられたヘッドライトを有した。全体的な重さはおよそ45kg増加したが、ブレーキ・ライニング・エリアがほぼ15% 増加した。また、ダッシュボードの設計が改善され、より読みやすいタコメーターと油圧力計をオプションに加えた。389エンジンはインテーク側でシリンダーヘッドの改良を受けて、吸気量を改善し、標準の4バレル・エンジンで335馬力にパワーアップし、トリ・パワー・エンジンで360馬力となった。トリ・パワー・エンジンは、ベースエンジンよりわずかにトルクが少なかった。スタイルを一新されたGTOは、ボンネット・スクープを装備していた。稀にディーラーが設置されたオプションは、金属製アンダーフッド・パンとガスケットであったため、飾り用の装置が機能的に冷たい空気を取り込むのに役立つことになった。しかし、スクープは低く、その効果が疑わしかったが、少なくともより冷たい、より濃い空気を受け入れ、より多くのエンジンの轟音を排出した。

GTOへの大きな批判は、相変わらずスローなステアリング(17.5:1、4回転ロック・トゥ・ロック)、そして、平凡なブレーキに関するものであった。GTO(歌といろいろな商品を含んだ膨大なマーケティングとプロモーションのキャンペーンによって唆される)の売上高は、7万5,342台と2倍以上になった。この頃には、他のGM部門とその競争相手内で、多くの似た車を生んでいた。ポンティアックの中間車種は1966年、再びスタイルを改良されて、より女性的な曲線のスタイリングと、リア・フェンダーのラインを少し持ち上げた「コークボトル」ラインを施された。幅が189cmに拡大し、全長が524cm、ホイールベースが292cmとなったが、全体的な重さは、ほぼ同じであった。

GTOは、ユニークなグリルとテールライトでの別々の典型的なシリーズ、スポーツ・クーペ、ハードトップとコンバーチブルを登場させた。過去の車に見られるポット金属とアルミニウムのフロント・グリルが、業界で初めてプラスチックに取り替えられた。新しいストラト・バケットシートはより高くてより細い座席となり、快適性向上のためクッションの輪郭が追加された。そして、可調ヘッドレストは新しいオプションとして紹介された。計器板は再設計されて、イグニッション・スイッチがダッシュボードの左からステアリングホイールの右側へ移動された。そして、GTOのダッシュはクルミ薄板装飾によってハイライトされた。

1966年は、 389トリ・パワー・エンジンが供給された最後の年であった。エンジンは、前年と同じであったが、新しいエンジンオプションが提供された。XSエンジンオプションは、ラム・エアーと744ハイ・リフト・カムを装備した。35の工場でラム・エアー・パッケージが製造され、300のラム・エアー・パッケージがオーダーされたと見られる。名目上は、これらの数字がGMの委任を過ぎた数値になるため、はなはだしく過小評価がちであるが、パッケージはトリ・パワー車と同等の360馬力を生じた。売上高は、9万6,946台(全てのGTO年最も高い生産数字)まで増加した。ポンティアックが「GTOタイガー」として広告においてGTOを精力的に販売促進し、それは若者の市場に「ゴート(やぎ)」として知られており、ポンティアックは広告でこの新しいあだ名を利用しようとしたが、会社重役陣によって拒否された。

1967年、スタイルは基本的に不変のままであったが、GTOはいくつかの重要な機能的な変化があった。シボレー・コルベットを除く全ての車種で複数のキャブレターを禁止することが会社の政策として決定され、トリ・パワー・エンジンは、新しい4バレルキャブレターと交換され、 GTOは深刻な競争力低下が問題になった。これを補完して389エンジンは、わずかにより広いシリンダ内径(4.12インチ、104.7mm、6.6L)を得て、400立法インチエンジンに置き換えられた。トルクは、わずかに増加したが、馬力は、同じままであった。テスターではほとんどパフォーマンス違いが見られなかったが、トリ・パワーの特徴的な音と咆哮は消え去った。2台の新しいエンジンが提供され、経済的なエンジンと400立方インチで2バレル・キャブレター装備したエンジンである。オートマチックだけで提供されたため、購入者には好評ではなかった。他のエンジンと同様に、最大のものは、 400ciであった。この6.5リットルのエンジンでには2モデルあり、360馬力と335馬力のエンジンがラインナップする。これらハイ・アウトプット・エンジンは、GTOが前年に搭載したトリ・パワーに代わった。エミッションコントロールが、カリフォルニアだけで売られるGTOに装備された。二段変速オートマチックは三段変速ターボ・ハイドロマチックTH400と入れ替えられ、それはどんなエンジンでも利用できた。ストラト・バケットシートとコンソールを注文すると、ハーストのデュアル・ゲート・シフターを用いてさらに強化され、オートマチックとマニュアルを選択できるトランスミッションを装備した。一方、テンペストの不十分なドラムブレーキは、前輪がオプションのディスクブレーキとすることができた。GTOセールスは、8万1,722台で高いままであった。

[ 2009/11/07 02:48 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Pontiac GTO Commercial 1968 0'57"

トップページGM PONTIACカテゴリーPontiac GTO Commercial 1968 1968 Pontiac GTO Commercial.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
ポンティアック・GTO(Pontiac GTO)は、1964年から1974年までポンティアックによって、そして、2004年から2006年までオーストラリアのゼネラルモータース・ホールデンによって製造された自動車である。

最初で本物のマッスルカーとしばしば捉えられる。1964年から1973年5月までポンティアック・テンペストに密接に関連があった。しかし、最後の年にはポンティアック・ヴェンチュラをベースとした。21世紀のGTOは、基本的にホールデン・モナロ(ホールデン・コモドアのクーペ版)をベースとしている。

最初のGTOは、ポンティアック・エンジニアのラッセル・ギー、エンジン・スペシャリストでチーフ・エンジニアのジョン・Z・デローリアンが開発した。シェーン・ワイザーは、GTOの開発を思いついた最初の人物であった。1963年前半、GMのマネージメントは、カー・レースを禁止する命令を出した。その時、ポンティアックの広報とマーケティング・アプローチは、車のパフォーマンスを基本とし、レースはその戦略上重要な構成要素と捉えていた。ジム・ワンガースは、パフォーマンスイメージを保持するために、ストリート・パフォーマンスに注力すべきであると提案した。そのため、従来のフロント・エンジン、フロント変速装置、リア駆動構成に戻る用意が整ったテンペストをベースに、テンペストのV8-326立方インチ(5.3L)の標準エンジンを、フルサイズのカタリーナとボンネビルの389立方インチV8エンジン(6.5L)の大型エンジンに換装して「スーパー・テンペスト」に変えることが必要となった。

テンペストを特別な高性能モデルとして販売促進することによって、彼らは速度に関心がある若者の市場(それは、フォード・マスタングをその時準備していたフォード・モーターのリー・アイアコッカにもよっても認識されていた)に訴えることができた。デ・ロレアンの考えでは、名前はフェラーリ・250GTO(非常に成功したレース車)の影響を受けた。それは、Gran Turismo Omologato(GTクラスで競争するためのホモロゲーション)の頭字語である。その名前は、殆ど冒涜に近いと考える根本主義者から抗議を受けた。GTOは技術的にA-bodyベースの中型車で、330立方インチ(5.4L)を最大排気量に制限している。GM方針に違反するものであったが、GTOがオプションパッケージであり、標準的な器材以外を装備したため、その方針には違反しないと判断した。ポンティアックのゼネラルマネージャー、エリオット・ピート・エステスはこの新型車を承認した。しかし、販売マネージャーのフランク・ブリッジは最初の生産をほんの5,000台の車に制限すると言ってゆずらなかった。モデルが失敗であったならば、エステスは非難されたであろうが、結果、それは大成功を収めた。

2代目(1968-1972年)
1968年-GMは、1968年A- ボディを再設計し、より女性的な曲線をもった「ファストバック」が登場した。前モデルの292cmのホイールベースは、全ての2-ドアモデルのために、 284cmまで短くなった。全長は150mm短く、高さは12mm低くなった。しかし、全体的な重さはおよそ34kg重くなった。ポンティアックは、よく知られている積み重ねられたヘッドライト(縦目)を廃止し、分割したグリルの後ろに、隠れる格納式ヘッドライトを採用した。ボンネット・スクープは、突き出ている鼻から後方に広がっている突出したボンネット・バルジの両側に、デュアル・スクープと変更された。ユニークな特徴は、「エンデューラ」と呼ばれるフロント・バンパーであった。それは、低速であれば形状の変化なしに衝撃を吸収するように設計されており(史上初のボディ同色衝撃吸収バンパー)、ポンティアックは広告でこの特徴を宣伝した。しかし、珍しいオプションではあったが、GTOは「エンデューラ・デリート」で注文することができ、その場合には、バンパーはポンティアック・ル・マンからのフロントバンパーとグリルが取り付けられた。

側から見た、更なるこの年のモデルの特徴は、女性的な曲線の「コーク・ボトル」スタイルがより強調されたことであった。1967年と同じように、パワートレインのオプションはかなり残り、標準的なGTOエンジンの馬力は、350馬力まで上がった。この年の中頃、新しいラム・エアー・パッケージ(ラム・エアーII)が装備できるようになった。それは、より自由に呼吸するシリンダーヘッド、円形の排気ポートと744カムを装備した。実際の出力はいくぶんより高まったが、馬力は変わらなかった。1967年からのもう一つの繰越しは、4-ピストン・キャリパーのディスクブレーキ・オプションであった。大部分の1968年のモデルの多くが、ドラムブレーキを備えたため、この珍しいオプションはより強力なストッピング・パワーを、同期間の他のGM A-ボディ車両で発揮された。1968のGTOボンネット搭載の「タック・アナザー」機能は隠されたワイパーで、ボンネット後方端部の下に隠されていた(フルコンシールドワイパー)。もう一つの人気のオプション(実は1967年モデルに登場する)はボンネット搭載のタコメーターであった。それは、フロントガラスの前に位置した。インダッシュのタコメーターも装備可能であったが、フードタコメーターはちょっとしたステータスシンボルとなった。 第2世代 1969年型 The Judge

1969年-1969年型
このモデルは三角窓がなかった。そしてわずかにグリルとテールライトが改修された。また、イグニッション・キーが、ダッシュボードからステアリングコラムへ移動された。そのうえ、後部のクォーター・パネルでは、サイド・マーカーの色と位置が変更された。先の経済的なエンジンと標準の400立方インチ・V8エンジン(360馬力)は残ったが、360馬力のエンジンは最後の年となった。400立方インチエンジンにラム・エアーIII装備されたものは366馬力、ハイ・フローなマニホールドとシリンダーヘッド、アルミニウム吸気マニホールド、より大きなロチェスター・クアドらジェットの4バレル・キャブレター、ハイ・リフト、さらにいろいろな内部の構成要素を特徴とした370馬力ラム・エアーIVで、より高速でよりパワーのあるトップ・オプションのラム・エアー IVを装備したものは370馬力であった。ビッグ・ブロックシボレーとヘミエンジンとは異なり、ラム・エアーIVは、油圧リフターを利用した。その結果、それは過熱せず、他のスポーツカーで見られるかなりの排気量高性能エンジンは別として、それをセットする点火プラグを汚すこともなかった。

この時まで、両方のラム・エアー・エンジンの向上した馬力はグロス・パワーとはあまり関係ないのではないかと疑念がもたれていたが、コルベット以外の全ての車を、GMの社内方針で制限するというわけではないことを、10ポンド当たりの馬力を広告することで示した。しかし、ラム・エアーIVのパワー・ピークが、実は非力なラム・エアーIIIより低かった。

そして、1969年ラム・エアーVが登場した。それは、新しく設計された高圧縮トンネルポート・ヘッドと特別な吸気マニホールドによる特別な400立法インチのブロックであった。しかし、ラム・エアーVは、アフターマーケット製品だけとして使われた。1969年の重要なイベントは、「ジャッジ」と呼ばれている新型車(スポーツパッケージのオプション車)の開発であった。ジャッジの名はコメディ・ルーチン"Here comes The Judge"が語源である。そして、"Rowan & Martin's Laugh-In TV"ショーで繰り返し使われた。広告は「ジャッジのために立ち上がれ」や、「誰でも買えるジャッジ」というような広告スローガンが使われた。ジャッジは低コストなGTOになることになっていた。そして、それをプリムス・ロードランナーと競合させるために、若干の装備を取り除かれた。しかし、開発の途上、ジャッジを究極のパフォーマンス車とすることが決定された。標準GTOやラム・エアー III装備車を含め、スタイリッシュなホイールとハースト・シフター、より広いタイヤ、様々なデカールと、リアスポイラー、ポンティアックのこのスポイラーは小さいが、かなりのダウンフォースを発生し、より高い速度で若干の機能的な影響を持つと主張した。しかし、それは法定速度でほとんど価値がなかった。GTOは、シボレー・シェベルSS396とプリムス・ロードランナーによって両方ともセールにおいて凌がれた。しかし、72,287台は1969年モデルとして売られた。そのうちの6,833台が「ジャッジ」である。

[ 2009/11/08 03:07 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)

Pontiac GTO commercial 1970 0'45"

トップページGM PONTIACカテゴリーPontiac GTO commercial 1970 1970 Pontiac GTO commercial.jpg
blogram投票ボタンにほんブログ村 動画紹介ブログへ人気ブログランキングへ
ポンティアック・GTO(Pontiac GTO)は、1964年から1974年までポンティアックによって、そして、2004年から2006年までオーストラリアのゼネラルモータース・ホールデンによって製造された自動車である。

最初で本物のマッスルカーとしばしば捉えられる。1964年から1973年5月までポンティアック・テンペストに密接に関連があった。しかし、最後の年にはポンティアック・ヴェンチュラをベースとした。21世紀のGTOは、基本的にホールデン・モナロ(ホールデン・コモドアのクーペ版)をベースとしている。

最初のGTOは、ポンティアック・エンジニアのラッセル・ギー、エンジン・スペシャリストでチーフ・エンジニアのジョン・Z・デローリアンが開発した。シェーン・ワイザーは、GTOの開発を思いついた最初の人物であった。1963年前半、GMのマネージメントは、カー・レースを禁止する命令を出した。その時、ポンティアックの広報とマーケティング・アプローチは、車のパフォーマンスを基本とし、レースはその戦略上重要な構成要素と捉えていた。ジム・ワンガースは、パフォーマンスイメージを保持するために、ストリート・パフォーマンスに注力すべきであると提案した。そのため、従来のフロント・エンジン、フロント変速装置、リア駆動構成に戻る用意が整ったテンペストをベースに、テンペストのV8-326立方インチ(5.3L)の標準エンジンを、フルサイズのカタリーナとボンネビルの389立方インチV8エンジン(6.5L)の大型エンジンに換装して「スーパー・テンペスト」に変えることが必要となった。

テンペストを特別な高性能モデルとして販売促進することによって、彼らは速度に関心がある若者の市場(それは、フォード・マスタングをその時準備していたフォード・モーターのリー・アイアコッカにもよっても認識されていた)に訴えることができた。デ・ロレアンの考えでは、名前はフェラーリ・250GTO(非常に成功したレース車)の影響を受けた。それは、Gran Turismo Omologato(GTクラスで競争するためのホモロゲーション)の頭字語である。その名前は、殆ど冒涜に近いと考える根本主義者から抗議を受けた。GTOは技術的にA-bodyベースの中型車で、330立方インチ(5.4L)を最大排気量に制限している。GM方針に違反するものであったが、GTOがオプションパッケージであり、標準的な器材以外を装備したため、その方針には違反しないと判断した。ポンティアックのゼネラルマネージャー、エリオット・ピート・エステスはこの新型車を承認した。しかし、販売マネージャーのフランク・ブリッジは最初の生産をほんの5,000台の車に制限すると言ってゆずらなかった。モデルが失敗であったならば、エステスは非難されたであろうが、結果、それは大成功を収めた。

2代目(1968-1972年)
1970年型
-テンペストのラインは、再びデザイン変更を1970年モデルで受けた。格納式ヘッドライトは、一般的な仕様に変更されて、より狭いグリルの外側に4灯のむき出しの丸型ヘッドライトが装備された。突き出た垂直のノーズは保持されたが、前モデルと比べて、より目立って取り上げられることはではなかった。標準的なテンペストとル・マンがクロム・グリルを持つ一方、GTOはヘッドライトとグリルのまわりをウレタンカバーで覆った。サスペンションは、オールズモビル442とビュイック・グランド・スポーツと同じように、後部のアンチロールバーの追加で改善された。前部アンチロールバーは、わずかにより固かった。結果は、回転時のボディの傾きの軽減と、アンダーステアの縮小において役立った。もう一つのハンドリング改善は、オプションの可変比率のパワーステアリングであった。改善された17.5:1の比率よりはむしろ、ロック・トゥ・ロック4ターンロックを必要とし、新しいシステムは、14.6:1からその比率を18.9:1へ変更した。これにより、回転直径は、12.5mから11.4mまで減少した

ベースエンジンは、1970年までの間不変であった。低圧縮で経済的なエンジンが廃止されて、ラム・エアーIIIとラム・エアーIVが搭載可能であったが、後半は特別注文オプションであった。新しいオプションはポンティアックの455立法インチ・エンジンであった。そして、GMが400立法インチより大きなエンジンを中型車での使用禁止を取り消したため、利用できるようになった。455立法インチのフルサイズのポンティアック・ボンネヴィルのラインから転用されたロング・ストローク・エンジンは、ベース400より適度に強力で、ラム・エアーIIIより実際に強力なだけではなかった。455は 360馬力を記録し、その利点はトルクにあった。しかし、実際にはラム・エアーIIIより力不足であった。455は360馬力であったが、利点はトルクにあった。また、機能的なラム・エアー・スクープが利用可能であったが、それでもストック455はラム・エアーIIIほど強力ではなかった。車とドライバーは、4速ミッションと3.31アクスルを装備して、155.3km/hの速度を記録した。また、ターボ・ハイドロマチック455と3.35のリア・デフ・ギアで、154.40km/hを記録した。ラム・エアー・エンジンはアイドリングが騒がしく、低速を運転するのは難しかった。より小さく置換えたエンジンがガソリンのガロンあたり9マイル未満を記録した(26.1 L/100km)、455エンジンの1ガロンあたり10から11マイルと比較される。

1970年モデルのための新しく、短命なオプションは、真空操作排気(VOE)であった。それは、ダッシュボード下の排気というマークのレバーを経て作動した。VOE は、増加した馬力と性能のために排気圧をに減らすようにデザインされたが、それは排気ノイズも大幅に増大させた。VOEオプションは1969年11月から1970年1月まで提供された。約230台の1970年型 GTOが、この稀なオプションを組み込まれた。若干のマフラーは売れ残った車のための「ハンドメイド」であった。ジャッジはGTOのオプションとして継続して入手可能あった。ジャッジはラム・エアーIIIを標準装備した一方、ラム・エアーIVはオプションであった。455立法インチ・エンジンは、この年のモデルでは、標準のGTOのオプションとして入手可能であったが、455エンジンは、この年の後半までジャッジには供給されなかった。455エンジンとターボ・ハイドラマティック・トランスミッションを持つ、オービット・オレンジの1970年型GTOジャッジは、新しいGTOと1955年型シボレー・ベル・エアーのレースを描いた、"Two-Lane Blacktop"という映画に登場した車のうちの1台であった。当時、全てのマッスル・カーに対する、下がっている買い手の関心がなくなりつつあり、自動車保険会社によって課される懲罰的な追加料金が徴収されるようになって、新しいスタイルは売上高を若干は増加させることに貢献した。売上台数は4万 149台で、うち3,797台はジャッジであった。そして、シボレー・シェベルSS396/454とプリムス・ロードランナーが売上高をリードし、GTOは第3のベストセラーのままであった。

[ 2009/11/10 15:57 ] PONTIAC | TB(0) | CM(0)
FC2カウンター
ブログ内検索
コミュニティ・ツール
ブロガー(ブログ)交流空間 エディタコミュニティ





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。