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Ford Mustang GT 2006 0'35"

トップページFORDカテゴリーFord Mustang GT 2006 fordmustangshelbygtpolicepursuitchase.jpg
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シェルビー・マスタング(Shelby Mustang)は、アメリカ合衆国のフォード・モーターが製造する乗用車である。また過去にシェルビー社がフォード・マスタングをベースにチューニングカーとしてモディファイ、販売(ただしシェルビー社として日本での販売実績はない)を行った経緯がある。したがってマスタングをベースにした特定車種を指す総称であり、モデル名ではない。

マスタングをベースにキャロル・シェルビー(の会社)が手がけた、いわゆるレース向けのチューニングカーで、マスタングの上位モデル/フラッグシップモデルとしてフォード・モーターから販売されている。 1965年から1969年まで製造され、一部のエンスージアストから人気があり、フォードの懐古路線戦略により2006年復活する。 マスタング・コブラ等、「コブラ」の名前とバッジを与えられる事が多い(混同しやすいがシェルビー・コブラは別の車種)。またエンジンユニットにはバルブカバー、もしくはエアクリーナヘッドにコブラのマークもしくはロゴが与えられているのも特徴。 ただしキャロル・シェルビーが手がけたものではないマスタングの上位モデルとして「コブラ」の名前を受け継いだモデル(マスタング・コブラ、マスタング・キングコブラ等)もあるが、それらはシェルビー・マスタングとは呼ばない。あくまでもキャロル・シェルビーが手がけたマスタングの事を指す。

1965 GT350/GT350R
1964年、フォード・モーターはマスタングの製造、販売を開始。それに伴いフォード・モーターはマスタングの販売促進の為、SCCAのロードレース参戦を決意。マスタング・ファストバックをベースにしたロードレース用のハイパフォーマンスモデルの開発をシェルビーに委託し、GT350の開発に至る。当時のSCCS Bプロダクション・ホモロゲーション取得には、100台以上の製造販売などが条件であったが、レース出場の約款には市販車から軽量化などのライトチューニングのみ(エンジン、サスペンション、ブレーキ変更不可)で行うというものであった。そのため、市販車がそのままレースに適応できる状態にする必要があった。 GT350はこうした当時のレースシーン、ナショナリズム(アメリカの)、オイルショック前の時代背景といった複合的背景をもって生まれた。

レース適用の為、ボンネットはFRP、レース用LSD、サスペンションもレース用に強化されたものを、さらにエンジンは289ci(ciはキュービックインチ。289ci は約4.7L)のフォードウィンザーエンジンのハイパフォーマンスバージョンを装備。このユニットはマスタングのオプション用エンジンをベースにシェルビーアメリカン社がさらにチューニング。通常の289ciエンジンよりも高回転で、最高出力は309馬力@6000rpm(from 289 Hi)。

さらに細かいところでは、遮音材、制振材、ヒーター、パワーステアリングなど快適性を求めるものは一切排除し、軽量化のためアルミケースのトランスミッションや、重量配分などを考慮してバッテリーがトランクに、スペアタイアが車内に移動した。またホモロゲーションが2シータ車であったことなどから、リアシートは取り除かれていた。

外見的なマスタング・ファストバックとの差は、フロントグリルおよびサイドのバッジとボンネット中央のフードシェイカー。リアの中央にある給油口もコブラのエンブレムがある。色は白地のみで、オプションでストライプ(青)をいれる事が可能。またGT350とGT350Rの間に安全装備以外のスペック的な差はなく、エクステリアでフロントバンパーがFRP化されていた事と、フロント以外の窓がアクリル化していただけである。

1965年製造モデルはストリートモデル(通常版)が516台、ドラッグレースモデル(GT350R)が9台、その他(プロトタイプなど)が37台、合計562台とされているが、実際はストリートモデル(GT350)が526台、GT350Rが36台となった。製造、販売はシェルビー・アメリカン社。

1966 GT350/GT350H
レース指向が強すぎた1965年モデルとは対照的に1966年モデルでは、一般人に受け入れられるようデチューンが施される。レースシーンでは1965年以降、3年に渡りSCCA Bプロダクションで優勝はもちろん、上位独占という華々しいものであった。しかしその実績、人気とは裏腹にGT350の市販車はあまりに評判が悪かった。それは必要以上にレース指向に傾いた仕様に起因していた。そのためフォードのイメージ戦略として市販車の評判を向上させるべく快適性を1966年モデル以降で向上させた。それは足回りやトランスミッションなどのレース指向のスパルタンなパーツはほぼオプション化、オートマティックトランスミッションやエアコン、ラジオの取り付けオプション選択が可能となり、リアシートも折り畳み式に変更。また色の選択も可能となった。 ちなみに外見的な特徴は、サイドクオーターが窓化されたくらいで、1965年モデルとほとんど変わっていない。

最大の特徴はハーツレンタルカーバージョンの製造が挙げられる。ハーツレンタルカーバージョンはGT350Hとして米国のハーツレンタカー店舗に提供された。これは誰でもスペシャルなマスタングを体験してもらいたいというシェルビーとフォードの意図によるものである。ちなみにGT350Hは一般に販売される事はなかった。 GT350Hの典型的なカラーは黒で(約1000台中、800台)、すべて金のストライプが入っている。

またキャロル・シェルビーが熱望したコンバーチブルバージョンが製造されている。

1966年製造モデルはGT350Hも含め2380台(うち6台はキャロル・シェルビーによる特注のコンバーチブル)。

1967 GT350/GT500
1967年モデルは外装が大きく変化した。同年にマイナーチェンジが施されたフォード・マスタングをベースにしており、よりエアロダイナミクスを考慮した外装となった。またこのモデルより排気量を向上させたGT500を投入。レース色が濃すぎたイメージを払拭するべくより快適性を求め、マスタングの上位/フラッグシップモデル指向が強くなった。またコブラのバッジが与えられたのもこのモデルからである。

1967年モデルから追加されたGT500は、428ci(約7.0L)、最高出力が355馬力@5400rpmのV8エンジンを与えられた。そのためトランスミッションもフォード製の強化タイプが適用された。GT350は従来通りの289HiPoモデル。GT350とGT500の差はエンジンのみである。

ちなみに1967年モデルはフロント周辺外装が2種類存在する。それはハイビームランプの位置である(ラジエータグリルに設置されたランプはフォグランプではなくハイビームランプ)。サイドに位置するメインのランプに挟まれたラジエータグリルにハイビームランプがセットされるのだが、中央に2つ並んでセットされたバージョンと、ラジエータグリルの両端にセットされメインランプと並ぶバージョンがある。これは当時、ランプの横にハイビームランプを設置しなければならないという法律がカリフォルニア州、ペンシルベニア州などいくつかの州で定められていたため、当該する州ではラジエターグリルの両端にハイビームランプがセットされた。またテールランプは1967年型マーキュリー・クーガーからの流用。

1968 GT350/GT500/GT500KR
1968年モデルはフォード・マスタングのカタログモデルとなった事と、外装、仕様がさらに変化した。外装はラジエータグリルが大きくなり、またハイビームランプも円形から長方形に変更。些細なところではテールランプが1965年型フォード・サンダーバードからの流用。エンジンではGT350には302ci(約4.9L)V8が与えられた。これは前年までの289HiPoと同じくGT350用にハイパフォーマンスチューニングが施されており、315馬力@5000rpmである(from 302)。 GT500は前年と変わらないエンジンモデルであった吸気ユニットに変更があり、最高出力が360馬力@5400rpmとなった。

1968年モデルで特筆すべきは、GT500KRが加わった事である。KRはキングオブロード(King of Road)の略であり、その名の通りGT500を凌駕するスペックが与えられた。エンジンは428コブラ・ジェット、ショックアブソーバ、トラクションロックLSDなど様々な点でGT500を上回る装備が与えられた。しかしカタログ上のスペックは最高出力335馬力@5200rpmとGT500を下回っている。これは過激な馬力競争、いわゆるマッスルカーの渦中にあり厳しい検査を逃れる為だと言われている。ちなみにこの数値はねつ造ではなく、吸気排気システムをすべて設置して計測した数値。通常のカタログでは吸気排気システムをすべて取り払い、エンジン単体で数値計測を行った数値を載せている。

またそれぞれのモデルにコンバーチブルもカタログモデルとして投入されており、コンバーチブルには車体剛性を補強するロールバーが標準装備となる。

シェルビー・マスタングを取り巻く周辺の出来事としては、1968年、シェルビー・アメリカン社は3つに分社化される。レース専門のシェルビー・レーシング社、パーツサプライヤーとなったシェルビー・パーツ社、そしてフォードの下請けとなりFRPパーツなどを生産するシェルビー・オートモーティブ社である。これはシェルビー・アメリカン社が製造、販売が困難になり、またキャロル・シェルビーがレースに専念したいという思惑などの背景がある。その分社化の一環で「コブラ」の商標がシェルビー・アメリカン社からフォード・モーターに売却された。

1969 GT350/GT500
1969年モデルは再度、外装を変更する事となった。同年デビューしたフォード・マスタング・マッハ1をベースにフルモデルチェンジと言っても過言ではないほどの変貌を遂げている。スペックとしてGT350のエンジンユニットが351ci(約5.8L)の最高出力290馬力@4800rpm。バルブカバーにはコブラのマークを入れいかにもスペシャルチューンに見せていたが、中身はマスタング・マッハ1のエンジンと同一であった。GT500のエンジンもまた、前年モデルの GT500KRと同一の428コブラジェット。スペックとして大きな変貌はなかった。

シェルビー・マスタングの歴史はこのモデルで一旦幕を下ろす事となった。フォード・モーターの戦略として、既にマスタング・マッハ1、マスタング・ BOSSという新しいモデルを投入しており、レースシーンもSCCA Tras-Amへと主力ステージを変更しつつあった。大排気量を武器に高スペックとレース指向のいわゆるマッスルカーの市場も狭まりつつ、存在意義も疑問視されていた。それは社会情勢としての背景もある。ベトナム戦争の長期化など国家としての疲弊や、社会情勢の不安やエネルギー問題の浮上などが挙げられる。何より1969年モデルが顕著なのだが、シェルビーというレース名門ブランドを冠したただの車になっている実情があった。発祥はレースにも適用できるロードゴーイングカーであったシェルビー・マスタングもデチューンを繰り返し、上がるのは排気量とエンジンスペックのみ。そしてそれらを補う意味でギミックやデコレートが増える一方であった。その現状を鑑みフォード・モーターとキャロル・シェルビーはシェルビー・マスタングの開発を中止にした。

2007 フォード・シェルビー GT500
2005年、フォード・モーターは5代目マスタングを発売した。その外見は初代をモチーフにしたデザインであった。理由はいくつか挙げられるが、フォード設立100周年記念事業のまっただなかであり、車の流行も懐古路線に傾きつつある。そうした背景の中でフォード・サンダーバード、フォード・GTと往年の名車を彷彿させるデザインの新車を発表しており、その事業の一環としてマスタングも懐古路線をたどる事になり、シェルビーが手がけたスペシャル・マスタングもまた同様に復活を遂げる事となった。ただし1965年当時(GT500だから1967年当時でも)と決定的に違うのはフォードが主導を握り、フォード Special Vehicle Team(SVT)がこのマシンを作っている点である。しかしフォードと関わりを持つキャロル・シェルビーの意見をスペックから外装に関するものまで取り入れているため、シェルビーの名前とバッジが与えられている。

このモデルのプロトタイプが発表,公開されたのは2005年のニューヨーク国際オートショーが最初である。プロトタイプとはいえ、このとき既に量産を可能なモデルとなっていた。実際、2006年秋に売り出された2007年型GT500と同等のスペックであった。 そのエンジンユニットはスーパーチャージャー付き5.4L(330ci)32バルブDOHC V8エンジンで、カタログスペックでは500馬力@6000rpmとある。(from SVT)

ボディタイプはクーペとコンパーチブル。ちなみに中央と側面のストライプをオプションで入れる事が可能だが、2008年モデルより赤のストライプを選択する事が出来る。

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[ 2007/07/27 09:19 ] FORD | TB(0) | CM(0)

Ford Sport KA 0'25"

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フォード・Ka ( -カァ) は欧州フォードが開発、製造するコンパクトカーである。

欧州仕様
1996年秋に開催された「パリサロン」で発表された。フォード・フィエスタのプラットフォームを流用し、当時フォードが提唱したニュー・エッジ・デザインによる斬新な車内外のスタイリングを採用した。一方で、エンジンには1958年開発の「ケントエンジン」を30年以上に渡って改良した、(当時としても)古風なOHVユニット「エンデューラEエンジン」の1.3リッター版を搭載していた。

2002年にはSOHCの新型エンジン「デュラテックエンジン」に変更された。その後も1.6リッターエンジン搭載の高性能版、スポーツKa(イギリスでは、その『ワル』なキャラクターを前面に出したテレビCMが物議をかもした)やロードスターのモデル、ストリートKaなどが追加された。

ストリートKaはピニンファリーナとの共同製作で、約2年間生産された。

2002年にはベースとなるフィエスタがフルモデルチェンジし、同じくフィエスタをベースにしたフォード・プーマが生産終了したが、Kaについては車体の変更等はせず引き続き生産することとなった。

フォードの最小セグメントを担当するモデルとして好調なセールスを記録し、2007年現在も生産・販売されている。

三代目フィエスタの登場まで、初心者向けラリーカーのベースとして用いられることが多かった。

2008年には、フィアット・パンダとプラットフォーム(車台部)を共用したニューモデルに代替される、という情報がある(英語版に詳細)。

南米仕様
小型低価格車の需要が根強い南米諸国でも、ブラジル工場で生産されたモデルが販売されている。

欧州仕様との主な相違点は、外観(フロントライト・ブレーキランプの形状など)と、防音対策の軽減によるコストダウンである。エンジンは1.6リッターのZetecエンジンが搭載される。

日本仕様
1999年に右ハンドルの5速マニュアル車が輸入された。高温多湿な日本の気候に対応するため、欧州仕様に比べて大型のラジエターやエアコンユニットが搭載された。このため大型化した前バンパーを新設計し、全長が若干拡大された。このほかにも電動サンルーフやドアミラー調整リモコン、パワーウィンドウ、リヤゲート開放ボタンなどが搭載され、日本仕様は装備面で充実していた。日本仕様車の生産は全てスペイン・バレンシア工場で行われた。

車両本体価格は150万円。当時人気だったグループ「globe」をCMに起用した他、後にインターネット限定色(黄色)を設定するなどして話題を呼ぶが、販売は振るわなかった。これは、ATの設定が無かった事が最大の要因だとしばしば指摘されている。また近年の商用車以外のMT車ユーザーは主にスポーツカー好きが多いが、KaはMT車でありながらタコメーターが付いていなかったり(オプション扱い)とスポーティさが足りなかった事も一因と思われる。

2000年末には実質的な大幅値引キャンペーンなどを行ったが、期待通りの成果は得られぬまま僅か2年ほどで販売終了となった。

CM等のキャッチコピーはMT車しか投入されなかったのを逆手にとって「乗れたらエライ」だった。

日本導入時にPR車両としてラリー仕様が作られた。外装からエンジンに至るまで全ての面で実際の競技向けの改造が施されたもので、競技車両扱いとなったため公道は走れなかった。

販売終了後、自動車誌「カーグラフィック」のイベントでオーナーの募集を呼びかけたところ300通を超える応募があり、抽選の末、一般者へと引き渡された。

販売終了後のため直接的な関係はないが、2001年の日本のアニメーション映画「カウボーイビバップ 天国の扉」のオープニングに一瞬登場している。

CMはイギリスで放映されたものである。

[ 2007/11/27 10:45 ] FORD | TB(0) | CM(0)

Ford Shelby MustangGT 1968 1'10"

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シェルビー・マスタング(Shelby Mustang)は、アメリカ合衆国のフォード・モーターが製造する乗用車である。また過去にシェルビー社がフォード・マスタングをベースにチューニングカーとしてモディファイ、販売(ただしシェルビー社として日本での販売実績はない)を行った経緯がある。したがってマスタングをベースにした特定車種を指す総称であり、モデル名ではない。

マスタングをベースにキャロル・シェルビー(の会社)が手がけた、いわゆるレース向けのチューニングカーで、マスタングの上位モデル/フラッグシップモデルとしてフォード・モーターから販売されている。 1965年から1969年まで製造され、一部のエンスージアストから人気があり、フォードの懐古路線戦略により2006年復活する。 マスタング・コブラ等、「コブラ」の名前とバッジを与えられる事が多い(混同しやすいがシェルビー・コブラは別の車種)。またエンジンユニットにはバルブカバー、もしくはエアクリーナヘッドにコブラのマークもしくはロゴが与えられているのも特徴。 ただしキャロル・シェルビーが手がけたものではないマスタングの上位モデルとして「コブラ」の名前を受け継いだモデル(マスタング・コブラ、マスタング・キングコブラ等)もあるが、それらはシェルビー・マスタングとは呼ばない。あくまでもキャロル・シェルビーが手がけたマスタングの事を指す。

1965 GT350/GT350R
1964年、フォード・モーターはマスタングの製造、販売を開始。それに伴いフォード・モーターはマスタングの販売促進の為、SCCAのロードレース参戦を決意。マスタング・ファストバックをベースにしたロードレース用のハイパフォーマンスモデルの開発をシェルビーに委託し、GT350の開発に至る。当時のSCCS Bプロダクション・ホモロゲーション取得には、100台以上の製造販売などが条件であったが、レース出場の約款には市販車から軽量化などのライトチューニングのみ(エンジン、サスペンション、ブレーキ変更不可)で行うというものであった。そのため、市販車がそのままレースに適応できる状態にする必要があった。 GT350はこうした当時のレースシーン、ナショナリズム(アメリカの)、オイルショック前の時代背景といった複合的背景をもって生まれた。

レース適用の為、ボンネットはFRP、レース用LSD、サスペンションもレース用に強化されたものを、さらにエンジンは289ci(ciはキュービックインチ。289ci は約4.7L)のフォードウィンザーエンジンのハイパフォーマンスバージョンを装備。このユニットはマスタングのオプション用エンジンをベースにシェルビーアメリカン社がさらにチューニング。通常の289ciエンジンよりも高回転で、最高出力は309馬力@6000rpm(from 289 Hi)。

さらに細かいところでは、遮音材、制振材、ヒーター、パワーステアリングなど快適性を求めるものは一切排除し、軽量化のためアルミケースのトランスミッションや、重量配分などを考慮してバッテリーがトランクに、スペアタイアが車内に移動した。またホモロゲーションが2シータ車であったことなどから、リアシートは取り除かれていた。

外見的なマスタング・ファストバックとの差は、フロントグリルおよびサイドのバッジとボンネット中央のフードシェイカー。リアの中央にある給油口もコブラのエンブレムがある。色は白地のみで、オプションでストライプ(青)をいれる事が可能。またGT350とGT350Rの間に安全装備以外のスペック的な差はなく、エクステリアでフロントバンパーがFRP化されていた事と、フロント以外の窓がアクリル化していただけである。

1965年製造モデルはストリートモデル(通常版)が516台、ドラッグレースモデル(GT350R)が9台、その他(プロトタイプなど)が37台、合計562台とされているが、実際はストリートモデル(GT350)が526台、GT350Rが36台となった。製造、販売はシェルビー・アメリカン社。

1966 GT350/GT350H
レース指向が強すぎた1965年モデルとは対照的に1966年モデルでは、一般人に受け入れられるようデチューンが施される。レースシーンでは1965年以降、3年に渡りSCCA Bプロダクションで優勝はもちろん、上位独占という華々しいものであった。しかしその実績、人気とは裏腹にGT350の市販車はあまりに評判が悪かった。それは必要以上にレース指向に傾いた仕様に起因していた。そのためフォードのイメージ戦略として市販車の評判を向上させるべく快適性を1966年モデル以降で向上させた。それは足回りやトランスミッションなどのレース指向のスパルタンなパーツはほぼオプション化、オートマティックトランスミッションやエアコン、ラジオの取り付けオプション選択が可能となり、リアシートも折り畳み式に変更。また色の選択も可能となった。 ちなみに外見的な特徴は、サイドクオーターが窓化されたくらいで、1965年モデルとほとんど変わっていない。

最大の特徴はハーツレンタルカーバージョンの製造が挙げられる。ハーツレンタルカーバージョンはGT350Hとして米国のハーツレンタカー店舗に提供された。これは誰でもスペシャルなマスタングを体験してもらいたいというシェルビーとフォードの意図によるものである。ちなみにGT350Hは一般に販売される事はなかった。 GT350Hの典型的なカラーは黒で(約1000台中、800台)、すべて金のストライプが入っている。

またキャロル・シェルビーが熱望したコンバーチブルバージョンが製造されている。

1966年製造モデルはGT350Hも含め2380台(うち6台はキャロル・シェルビーによる特注のコンバーチブル)。

1967 GT350/GT500
1967年モデルは外装が大きく変化した。同年にマイナーチェンジが施されたフォード・マスタングをベースにしており、よりエアロダイナミクスを考慮した外装となった。またこのモデルより排気量を向上させたGT500を投入。レース色が濃すぎたイメージを払拭するべくより快適性を求め、マスタングの上位/フラッグシップモデル指向が強くなった。またコブラのバッジが与えられたのもこのモデルからである。

1967年モデルから追加されたGT500は、428ci(約7.0L)、最高出力が355馬力@5400rpmのV8エンジンを与えられた。そのためトランスミッションもフォード製の強化タイプが適用された。GT350は従来通りの289HiPoモデル。GT350とGT500の差はエンジンのみである。

ちなみに1967年モデルはフロント周辺外装が2種類存在する。それはハイビームランプの位置である(ラジエータグリルに設置されたランプはフォグランプではなくハイビームランプ)。サイドに位置するメインのランプに挟まれたラジエータグリルにハイビームランプがセットされるのだが、中央に2つ並んでセットされたバージョンと、ラジエータグリルの両端にセットされメインランプと並ぶバージョンがある。これは当時、ランプの横にハイビームランプを設置しなければならないという法律がカリフォルニア州、ペンシルベニア州などいくつかの州で定められていたため、当該する州ではラジエターグリルの両端にハイビームランプがセットされた。またテールランプは1967年型マーキュリー・クーガーからの流用。

[ 2008/01/17 10:23 ] FORD | TB(0) | CM(0)

Ford Festiva CM 0'30"

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フォード・フェスティバはマツダと起亜自動車が生産し、フォードの販売網で日本や米国などで発売されたサブコンパクトカー(バジェットカー)である。

初代(1986年~1993年)
マツダが開発して当時のオートラマ(現フォード店)で販売されていた車種。3ドアハッチバックでブリスターフェンダーがデザイン上の特徴である。直列4気筒SOHCの 1100ccと1300ccが用意された。エンジンは後にファミリアにも採用される事になるB型エンジンでこれは新規開発されたものだった。1100ccは4速マニュアルのみ、1300ccは5速マニュアルと3速ATが用意されていた。フロントダッシュボード内にクーラーボックスを備え、リアシートスライド機能やリアシートリクライニング機能、全席フルフラットにもなる多彩なシートレイアウト構造を持っていた。 これらのシートレイアウト構造はその後に登場するマツダ・デミオにも引き継がれる事になる。

キャンバストップと呼ばれるオープンカー気分が味わえるサンルーフと、ヨーロピアンテイストのスタイルが人気を集める。

尾崎亜美の音楽とともに田中康夫がフェステイバのPVに起用され、キャンバストップを自分の言葉で語るなど、宣伝にも力が入っており、オートラマオリジナルブランドの車両として、そのイメージを牽引する役目を担っていた。

代表格のキャンバストップの他に、車内からスイッチコントロール出来る減衰可変式ダンパーを備えた「S」や、その後のマイナーチェンジで、フル革張りの内装を持つ「GHIA」、ファミリア用1.6L(B6型)エンジンをショートストローク化した、1.3L 88psのBJ型 DOHCエンジンを搭載した「GT」と「GT-X」なども追加され、幅広い層に好評を得た。

またモデル末期には「GT-X」をベースに、ドイツのスカラ社がデザインした、往年のアバルトやアルファ・ロメオの雰囲気にも通ずる、ロッソコルサ(イタリアのレーシングカーのナショナルカラーである、鮮やかな赤)の外板色に、丸型ヘッドライトのフロントフェイスを持つ「GT-A」が、300台限定で発売されている。実際のレーシングカーの識別色よろしく、鼻先のみ白に塗り分けられており、派手な外観を好まない向きには、識別色なしで赤一色のモデルも用意された。外板や前後バンパーの変更により重量がわずかに増加しており、それに伴う排出ガスの重量ランクの変更による再申請を不要とするため、メーカー出荷時にエアコンは装着されておらず、ディーラー取り付けとされた。「GT-A」の企画は、無類のエンスージアストとしても知られ、当時オートラマに在籍し、現在はモータージャーナリストとフリーアナウンサーの二足のわらじを履く、中島秀之が手がけた。

ヨーロッパではMazda121という名称で販売された。またこの車のプラットフォーム、マツダ・DAプラットフォームから2代目フェスティバ、オートザム・レビュー、マツダ・デミオ用の各プラットフォームが誕生している。

キア・プライド(第1世代)
韓国の起亜自動車ではプライド(Pride)という名称で生産・販売されていた。プライドはアメリカへ輸出されフェスティバとして販売されていた。またこのプライドには5ドアハッチバック、セダン(プライド・ベータ)、ワゴンもあり、モデル末期には日本にも5ドアとセダンが相次いで輸入され、それぞれフェスティバ5、フェスティバβとして販売された。韓国からの輸入車で、日本へは左ハンドルのまま販売された。なお、現在販売されている第2世代のプライドに関してはキア・リオを参照のこと。

[ 2008/10/16 13:12 ] FORD | TB(0) | CM(0)

Ford Capri Commercial 0'52"

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フォード・カプリの名称は下記3つの別々のモデルに使用されている。

* コンサル・カプリ:1961年から1964年にイギリス・フォードで生産。
* カプリ・クーペ:1969年から1986年に欧州フォードで生産されたスペシャルティカー。
* カプリ・コンバーチブル:1989年から1994年にフォード・オーストラリアで生産されたFWDのスペシャルティカー。

1969年1月、アメリカで大ヒットとなっていたフォード・マスタングの成功をヨーロッパで再現しようと、前年発売したフォード・エスコートに次ぐ英独フォード共通モデルとして登場した。ロングノーズ、ショートデッキ、セミファストバックのプロポーションは、リアフェンダーのプレスラインやU型のクオーターウインドーの処理が個性的で、一目でカプリとわかるデザインを持っており、特に後者は1986年の最終型まで踏襲された。アメリカのマスタング同様、豊富なエンジンと内外装トリムレベルを組み合わせられるワイドセレクションを採用し、幅広いユーザー層を吸収した。

なお、カプリの前身は1961年から64年まで、フォード・コンサル・クラシック315のクーペ版として生産された「コンサル・カプリ」であるが、商業的には失敗作であった。

Mk1
初代モデル。機構的には既存フォード各車からの流用が多い。当初のエンジンは生産国で異なり、ドイツ製はタウヌスの1300/1500/1700ccV4エンジン、英国製はコルチナ等に用いられた直列4気筒のいわゆる「ケント・ユニット」の1300/1600ccであった。上級モデルは当初ドイツ製V6・2000ccであったが1969年末には125馬力の2300GTがドイツで、V6・3000cc138馬力の3000GTが英国でそれぞれ追加された。1970年に始まった対米輸出車は「フェデラル・カプリ」と呼ばれ、丸型ヘッドライトや大型バンパーが特徴で、フォード・ピント用の直4・2000ccか英国製1600ccが搭載された。

Mk1カプリはスポーツイメージを高めるためモータースポーツにも活発に参戦、ラリーに参戦した他、1971年のスパ・フランコルシャン24時間耐久レースに優勝した他、ツーリングカーレースでBMW・3.0CSLと活発なバトルを展開した。レース仕様のホモロゲーション獲得のため、2600ccV6を150馬力に強化したRS2600や拡大版RS3100も生産された。Mk1は英独合計で100万台以上が生産されるヒット作となった。

当時の日本にもディーラーの近鉄モータース・ニューエンパイヤモーター等から主に英国製の1600GTや2000GTが多数輸入され、1970年代初頭には最多販売の英国車となったほどで、その後の日本製スポーティーカーのデザインにも大きな影響を与えた。

カプリll
カプリは1974年2月にモデルチェンジされ、「カプリll」となった。サイズはやや拡大され、3ドアハッチバックとなった。機構的にはMk1をほぼ踏襲したが、エンジンは英独共通化され、エスコートと同じ直4・1300/1600ccやピント用2000ccが用いられるようになった。

カプリllは513,500台が生産され、日本にもフォード自動車(日本)を輸入元として2000GTが販売されたが、この頃には日本製スポーティーカーも進歩しており、初代ほど成功しなかった。

Mk3
1978年にマイナーチェンジを受け、再び単に「カプリ」と呼ばれるようになる。(ヨーロッパでは一般にMk3として区別される)丸型4灯式ヘッドライトと大きなエアダムスカートが特徴であったが、機構的にはllとほとんど変化はなかった。V6のトップモデルは3000ccから2800ccの新エンジンとなり、190 馬力を発生するターボモデルも追加され、その最高速度は220km/hに達した。

1984年11月以降は英国専売モデルとなり(1976年以降は全てのカプリがドイツで生産されていたにもかかわらず)、根強い愛好者向けに「Capri 280 Brooklands」などの限定モデルが販売された。1986年12月19日に最後のカプリがラインオフした時の累計生産台数は1,886,647台であった。

フォード・オーストラリア製 SA30
コードネームSA30として1989年に登場したカプリ・コンバーチブルはBF型レーザー、すなわち6代目マツダ・ファミリアのプラットフォームをベースに開発されたモデルであった。エクステリアデザインはギア、インテリアデザインはイタルデザインが担当し、アメリカではマーキュリー・カプリとして販売された。

[ 2009/08/09 17:30 ] FORD | TB(0) | CM(0)

Ford Pinto Commercial "Introducing the Pinto 1970" 1'01"

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フォード・ピント(Ford Pinto)は、米のフォード・モーター社が発売していたサブコンパクトカーである。同社の元社長であるリー・アイアコッカが責任開発者となっており、また構造上の欠陥が問題となったことで有名である。

ピントは北米市場向けに製造され、1970年9月11日に販売を始めた。 当時アメリカのコンパクトカー市場はフォルクスワーゲンやトヨタ自動車、同じアメリカの自動車会社が挙って参入する熾烈な状況となっており、この状況に対抗するために同社のマーキュリーと部品を共有させ、通常開発に約2年半~3年を掛ける所を僅か25ヶ月で開発し市場投入された(後にこれが重大な問題(後述)となる)。1972年にはワゴンタイプも発売され、価格も破格の 2000ドル以下と言うことで人気を博していった。その後数回の小さいマイナーチェンジを繰り返し、1979年にはライトを角型とするマイナーチェンジを行い翌年1980年にフォード・エスコートにその座を譲り生産終了。姉妹車にマーキュリー・ボブキャットが存在する。

また、1973年から1974年に掛けてピント・パングラと呼ばれるターボチャージャーを装備し内装もデジタルメーターに換装させたモデルも販売されていた。(価格は5000ドル)

当初販売面ではAMC社が開発していた競合車種であるグレムリンに敗北したものの、そのグレムリンも売り上げこそは好調だったものの評価は良いとは言えず、後にピントが巻き返すこととなる。(とは言え当時コスト削減のために質が必然的に犠牲になって行った時代背景もあり、2005年にNBCが行った「オールタイム・アメリカン・ワースト・カー」と呼ばれる調査において、同時期に発売されていた車種のほとんどがランクインしてしまっていることもまた事実である)

ピントはストックカーレースのベースとしても用いられ、大いに活躍した。

エンジン
* 1971
o 1.6 L (98 CID) OHV I4 - 75 hp (56 kW) and 96 ft.lbf (130 Nm)
o 2.0 L (122 CID) SOHC I4 - 100 hp (74.5 kW)

* 1972
o 1.6 L Kent - 54 hp (40 kW)
o 2.0 L EAO - 86 hp (64 kW)

* 1973
o 2.0 L EAO - 86 hp (64 kW)

* 1974
o 2.0 L EAO - 86 hp (64 kW)
o 2.3 L OHC - 90 hp (67 kW)

* 1975
o 2.3 L OHC - 83 hp (62 kW)
o 2.8 L (170 CID) V6 - 97 hp (72 kW)

* 1976
o 2.3 L OHC - 92 hp (69 kW) and 121 ft.lbf (163 Nm)
o 2.8 L Cologne - 103 hp (77 kW) and 149 ft.lbf (201 Nm)

* 1977
o 2.3 L OHC - 89 hp (66 kW) and 120 ft.lbf (162 Nm)
o 2.8 L Cologne - 93 hp (69 kW) and 140 ft.lbf (189 Nm)

* 1978
o 2.3 L OHC - 88 hp (66 kW) and 118 ft.lbf (159 Nm)
o 2.8 L Cologne - 90 hp (67 kW) and 143 ft.lbf (193 Nm)

* 1979
o 2.3 L OHC - 88 hp (66 kW) and 118 ft.lbf (159 Nm)
o 2.8 L Cologne - 102 hp (76 kW) and 138 ft.lbf (186 Nm)

* 1980
o 2.3 L OHC - 88 hp (66 kW) and 119 ft.lbf (160 Nm)

欠陥
このピントに纏わるエピソードとして最も有名なのがいわゆるフォード・ピント事件である。 ピントは先述の通り、短期間で市場に送り込むこととコストを減らす目的で通常43ヶ月を要する開発期間を25ヶ月間で開発し市場に送り込んでいるのだが、開発段階でデザイン重視によるガソリンタンクのバンパーへの隣接、バンパーの強度がないなど後方から衝突する事故に非常に脆弱である欠陥が発覚した。しかしフォード社は、欠陥対策に掛かるコストと、事故が発生した場合の賠償とを比較し、賠償を支払う方が安価であると判断し、そのまま放置した。 そんな折市販された翌年の1972年にインターステートハイウェイを走行中のピントがエンストを起こし、約50km/hで走行していた後続車に追突されて炎上し、運転していた男性が死亡、同乗者が大火傷を負う事故が発生した。この事故での陪審評決でフォードを退社した元社員らが欠陥を知りながら開発を進めた事実を証言し、コスト比較計算の事実も発覚した。結果的にフォードは多額の賠償金の支払いが課せられることとなってしまい、逆に経済的に打撃を受け、加えて製品の信頼性や同社の信用も失墜してしまう皮肉な結果となった。フォードは対策としてガソリンタンクを車軸上に配置変更させ、バンパーとタンクの強化を行う等の対策を取った。

この事件は今日まで大学での企業倫理系統の講義にしばしば題材として用いられ、20世紀フォックスが1991年に製作した映画『訴訟』(原題:Class Action)の題材となっている。

[ 2009/08/28 21:44 ] FORD | TB(0) | CM(0)

Ford Thunderbird commercial 1'00"

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フォード・サンダーバード(Ford Thunderbird)は、アメリカのフォード・モーター・カンパニーで製造された高級志向のスペシャリティー・カーである。

7代目(1977-1979、トリノ・バーズ)
1977-79にかけてのモデルは、その通称通りに小型のフォード・トリノのシャシーを流用して登場した。これにより先代よりも車重は約400kg軽減、全長は254mm短縮された。角張ってよりシャープなスタイリングとなったデザインはこの世代のサンダーバードの特徴であり、エンジンも重い大型V8が小型V8に置き換えられたが、車重が軽くなったため問題はなかった。また価格が下げられたこともあって良好な販売を見せた。

[ 2009/08/29 23:41 ] FORD | TB(0) | CM(0)

Ford Thunderbird commercial (1961) 1'57"

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フォード・サンダーバード(Ford Thunderbird)は、アメリカのフォード・モーター・カンパニーで製造された高級志向のスペシャリティー・カーである。

3代目(1961-1963、ブリット・バーズ)
1961年モデルは一層流線型のスタイリングをもって登場した。販売は底堅く、1万台を超えるコンバーチブルを含め、7万3千台以上を販売した。新型の390立方インチ(6.4L)V8、FE-シリーズ・エンジンだけが搭載された。この年、サンダーバードはインディアナポリス500のペースカーとなり、ジョン・F・ケネディ大統領就任パレードにも登場した。

1962年も販売は好調で7万8千台を越えるセールスを記録、スポーツ・ロードスターも登場した。このモデルはリア・シートを覆うトノ・カバーが附属し、事実上は2シーターで、エルビス・プレスリーも所有していた。ランドー・モデルも販売され、ビニール製の屋根にS型のバーが飾られた。このデザインは有名となり、続く20年に渡って使われた。1963年は、販売を6万3千台まで落とし、ランドー・モデルはハードトップに次ぐ位置づけとなった。また、特別限定車で「プリンシパリティ・オブ・モナコ」と呼ばれるモデルが登場、2千台のみが販売された。革張りの内装にローズ・カラーのルーフなどが特徴である。

[ 2009/08/30 00:15 ] FORD | TB(0) | CM(0)

Ford Thunderbird Commercial T-Bird TBird 1960 1'48"

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フォード・サンダーバード(Ford Thunderbird)は、アメリカのフォード・モーター・カンパニーで製造された高級志向のスペシャリティー・カーである。

2代目(1958-1960、スクエア・バーズ)
第1世代のサンダーバードが成功に終わり、市場拡大に向けて、2シーターの販売に限界があること、ファミリー層に受け入れられなかったことなどを挙げて、更なるマーケット・リサーチが実施された。その結果、1958年モデルを含む第2世代は4シーターでデザインされ、新型サンダーバードは他車との共用可能なシャシーを基本に設計された。その意図は、車内スペースを最大限に取り、それに関連して外装部分をコンパクトにすることであった。また、そのスタイリングには、この世代のニックネームが示すとおり、独自のテーマが設定された。また、当時の他のアメリカ車に比べて9インチも低く、そのためにトランスミッションを収めるスペースを設けるため、前後のシートを分離するほどの最大長のセンター・コンソールが設けられた。

エンジンはフォードの新型であるFEシリーズの352立方インチ(5.8L)エンジンが採用された。サスペンションは前後ともコイル・スプリング式であったが、リアはオプション設定でエア・スプリングに変更可能であった。このサンダーバードは発売年にモーター・トレンド誌のカー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。ファンにとっても、2シーターのサンダーバードは歓迎されず、この新たな新機軸は成功を収めた結果、第1世代の倍、3万8千台近くを販売した。1959年モデルに、フォードはフロント、リア、サイドに渡る装飾に変化を加えた。また、当初は革製の内装も選択可能としていた。また、リア・サスペンションはコイル・スプリング式を廃して、ホッチキス・ドライブと呼ばれる板バネ式に変更された。少数ではあったが新エンジンの430立方インチ(7.0L)のMELシリーズが使用されたモデルも存在する。販売は更に倍加し、約1万代のコンバーチブルを含め、6万7千台以上が販売された。その宣伝が主に女性にターゲットを絞って行われた結果であった。

[ 2009/09/04 00:02 ] FORD | TB(0) | CM(0)
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