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Mazda Demio 0'35"

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2002年8月7日発表。日本国外ではMazda2のネーミングで販売されている。初代型の「広く実用的なコンパクトカー」としてのコンセプトを継承しながらも、「急造車」の初代からエンジン・プラットフォームを一新し、市場競争力を確保した。

初代型にも使われた旧小型車用プラットフォームの使用をやめ、17年ぶりにフォードと共同開発した新世代小型車用プラットフォームであるマツダ・DYプラットフォームを使用している。 エンジンは先代と同じクラスの1,300ccと1,500ccだが、いずれも新開発の「MZR」系エンジンに一新されている。可変バルブタイミング仕様DOHC・後方排気レイアウト(触媒加熱性能向上を企図した)を採用し、エンジン特性改善や燃費・環境対策を図っている。駆動方式は前輪駆動のほか、日産自動車より供給されるe-4WD方式の四輪駆動が設定された。

ボディは先代の機能主義なミニバンコンセプトを継承しつつも、マツダが戦略として打ち出した「スポーティ」な方向にデザインされ、グリル・ボンネット形状などのモチーフは上位クラスのマツダ車と共通性を持たせて、イメージを統一している。リアコンビネーションランプは縦型から横型に変更された[1]。車体後部の車名エンブレムは、アテンザ、アクセラ等と同様な斜体のレタリングを用いたDemioに変更された。「フェスティバ」以来のキャンバストップ仕様も設定されている。

2005年4月13日に大規模なマイナーチェンジを実施。グレード形態の見直しと、フロントグリル・ヘッドランプ・リアバンパーのデザインを一新し、一部内装デザインの変更が行われた。また、市販オーディオが後付けできるようになるオーディオレス仕様が設定された

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[ 2007/07/28 23:15 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda RX-7 Commercial 1979 0'33"

トップページMAZDAカテゴリーMazda RX-7 Commercial 1979 20071105102505.jpg
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当初、サバンナの後継として サバンナ RX-7(SAVANNA RX-7) の名で1978年3月に発表され、1991年に行われた2度目のフルモデルチェンジを機にマツダが当時展開していた「アンフィニ」ブランドによる発売となり、「サバンナ」の名称が外され アンフィニ RX-7 となった。「アンフィニ」ブランドの廃止により1997年10月、 マツダ RX-7 となり、2002年8月に環境(排ガス)対策の行き詰まりにより生産が終了した。

RX-7の販売終了後に登場したRX-8はネーミングからは後継のように思えるが、マツダ自身がRX-8を後継車とよばず新規車種と紹介している。なお、車名の由来は「R」が「ロータリーエンジン」、「X」が「未来を象徴する記号」である。「7」は「開発コードを示す番号」で他には2・3・4・5(輸出仕様のみ)・8がある。 RX-7は、2007年現在においても、日本だけでなく日本国外にも熱狂的な支持者が存在する。自動車愛好家の間では、モデルを区別するために初代から3代目まで、それぞれ「SA」「FC」「FD」という呼び方が通用している。

初代・SA22C型(1978-1985年)
1978年3月、サバンナ(輸出名RX-3)の後継として、初代RX-7、SA22C型 サバンナ RX-7 が登場した。開発コードはX605。 プラットフォームは、マツダ・SA2プラットフォーム(のちFBプラットフォームに改称)が用いられた。エンジンは水冷2ローターエンジン2ANA(自然吸気)仕様を搭載。オイルショックの影響を受け、REAPSと呼ばれる排ガスを再燃焼させるサーマルリアクター方式を採用し従来の40%の燃費アップを達成した。1983年のマイナーチェンジの際に日本仕様のみ12Aターボに変更される。ロータリーターボエンジンの搭載は世界初搭載のルーチェ/コスモから1年後だった。日本以外では、1984年 - 1985年に、13BEGI自然吸気エンジン搭載仕様車が販売されている(こちらは日本では未発売)。

口の悪い者たちからは、スタイルがポルシェ・924に似ていたため、発売当時「広島ポルシェ」「プアマンズポルシェ」などと揶揄されたこともあったというが、価格帯が異なる中でのこの評価は賞賛ともとれる。しかも、現在ではスポーツカーの雄と比較され、実質面でもポルシェ等と比較され名前を併記される車として評価されている(スポーツカーとしての評価を参照)。

なお、海外では、VINコードにあわせるため、1980年モデルより、FB3Sという型番号が導入されている。そのため、海外では、FBと呼ばれることがある。日本では、FB3Sという型番号は導入されなかった。

基本は単室容積573cc×2の12A型ロータリーエンジン。小変更後の自然吸気仕様の形式名は12A-6PIで、RX-8タイプSと同じ6PI(詳細は3代目・コスモを参照)が採用されたが、後に追加されたターボ仕様(12A-T)にはあまりメリットがないため、採用されなかった。自然吸気仕様130ps、ターボ仕様165ps。

2004年、辛口の批評で有名な米国のスポーツカー専門誌、スポーツカー・インターナショナルが選出したベスト・スポーツカー1990年代部門で3代目FD型が第10位に、また同1970年代部門で初代SA22C型が第7位にリストされている。

ビデオオプション企画、筑波スーパーラップにてRE雨宮チューンのFDが3部門(FR、N/A、ブーストアップ)のレコードホルダーになっている。コーナーの多い筑波サーキットでは、軽量、コンパクト、ハイパワー、良バランスの4拍子がそろっており、タイム的にライバルとなる日産・シルビア(S15型)を0.5秒程度引き離す結果になっている。特にブーストアップ部門ではライバルがランサーエボリューションという絶対レコードホルダーのベースモデルであるにもかかわらず、エアコンオーディオフル装備(=重量増)というハンデを抱えながらも0.2秒程度上回っている。

そのほか0-400加速でもKSPチューンのFD3SがFR車ストリート部門(ナンバー取得前提車)でトップタイムを叩き出すなど、素材の良さが各方面で生きている。

RE雨宮の雨宮勇美によると「FDは250 - 260Km/hのスラローム勝負ならどんな車にも負けない。でも300Km/hオーバーになるとパワーの差で負けちゃうけどね」と、最高速の場でもコーナリングマシーンであることが判る。

またジムカーナにおいても、FD3Sは優秀なコーナリング性能を発揮し、ホンダ・NSX、S2000、トヨタ・MR2(SW20型)、ロータス・エキシージなどと並んで後輪駆動車クラスの上位を占める車種となっている。

[ 2007/09/10 22:01 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda RX-7 Commercial 1983 0'35"

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当初、サバンナの後継として サバンナ RX-7(SAVANNA RX-7) の名で1978年3月に発表され、1991年に行われた2度目のフルモデルチェンジを機にマツダが当時展開していた「アンフィニ」ブランドによる発売となり、「サバンナ」の名称が外され アンフィニ RX-7 となった。「アンフィニ」ブランドの廃止により1997年10月、 マツダ RX-7 となり、2002年8月に環境(排ガス)対策の行き詰まりにより生産が終了した。

RX-7の販売終了後に登場したRX-8はネーミングからは後継のように思えるが、マツダ自身がRX-8を後継車とよばず新規車種と紹介している。なお、車名の由来は「R」が「ロータリーエンジン」、「X」が「未来を象徴する記号」である。「7」は「開発コードを示す番号」で他には2・3・4・5(輸出仕様のみ)・8がある。 RX-7は、2007年現在においても、日本だけでなく日本国外にも熱狂的な支持者が存在する。自動車愛好家の間では、モデルを区別するために初代から3代目まで、それぞれ「SA」「FC」「FD」という呼び方が通用している。

初代・SA22C型(1978-1985年)
1978年3月、サバンナ(輸出名RX-3)の後継として、初代RX-7、SA22C型 サバンナ RX-7 が登場した。開発コードはX605。 プラットフォームは、マツダ・SA2プラットフォーム(のちFBプラットフォームに改称)が用いられた。エンジンは水冷2ローターエンジン2ANA(自然吸気)仕様を搭載。オイルショックの影響を受け、REAPSと呼ばれる排ガスを再燃焼させるサーマルリアクター方式を採用し従来の40%の燃費アップを達成した。1983年のマイナーチェンジの際に日本仕様のみ12Aターボに変更される。ロータリーターボエンジンの搭載は世界初搭載のルーチェ/コスモから1年後だった。日本以外では、1984年 - 1985年に、13BEGI自然吸気エンジン搭載仕様車が販売されている(こちらは日本では未発売)。

口の悪い者たちからは、スタイルがポルシェ・924に似ていたため、発売当時「広島ポルシェ」「プアマンズポルシェ」などと揶揄されたこともあったというが、価格帯が異なる中でのこの評価は賞賛ともとれる。しかも、現在ではスポーツカーの雄と比較され、実質面でもポルシェ等と比較され名前を併記される車として評価されている(スポーツカーとしての評価を参照)。

なお、海外では、VINコードにあわせるため、1980年モデルより、FB3Sという型番号が導入されている。そのため、海外では、FBと呼ばれることがある。日本では、FB3Sという型番号は導入されなかった。

基本は単室容積573cc×2の12A型ロータリーエンジン。小変更後の自然吸気仕様の形式名は12A-6PIで、RX-8タイプSと同じ6PI(詳細は3代目・コスモを参照)が採用されたが、後に追加されたターボ仕様(12A-T)にはあまりメリットがないため、採用されなかった。自然吸気仕様130ps、ターボ仕様165ps。

2004年、辛口の批評で有名な米国のスポーツカー専門誌、スポーツカー・インターナショナルが選出したベスト・スポーツカー1990年代部門で3代目FD型が第10位に、また同1970年代部門で初代SA22C型が第7位にリストされている。

ビデオオプション企画、筑波スーパーラップにてRE雨宮チューンのFDが3部門(FR、N/A、ブーストアップ)のレコードホルダーになっている。コーナーの多い筑波サーキットでは、軽量、コンパクト、ハイパワー、良バランスの4拍子がそろっており、タイム的にライバルとなる日産・シルビア(S15型)を0.5秒程度引き離す結果になっている。特にブーストアップ部門ではライバルがランサーエボリューションという絶対レコードホルダーのベースモデルであるにもかかわらず、エアコンオーディオフル装備(=重量増)というハンデを抱えながらも0.2秒程度上回っている。

そのほか0-400加速でもKSPチューンのFD3SがFR車ストリート部門(ナンバー取得前提車)でトップタイムを叩き出すなど、素材の良さが各方面で生きている。

RE雨宮の雨宮勇美によると「FDは250 - 260Km/hのスラローム勝負ならどんな車にも負けない。でも300Km/hオーバーになるとパワーの差で負けちゃうけどね」と、最高速の場でもコーナリングマシーンであることが判る。

またジムカーナにおいても、FD3Sは優秀なコーナリング性能を発揮し、ホンダ・NSX、S2000、トヨタ・MR2(SW20型)、ロータス・エキシージなどと並んで後輪駆動車クラスの上位を占める車種となっている。

[ 2007/09/11 23:06 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Savanna RX-7 Cabriolet FC3C CF 0'28"

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2代目・FC3S型(1985-1991年)
RX-7は、1985年10月に最初のフルモデルチェンジが行われ、FC3S型となった。開発コードはP747。ファンの間ではFCと呼ばれている。

プラットフォームは、マツダ・FCプラットフォームが用いられた。エンジンはインタークーラー付きターボ13B型を搭載。日本以外では、初代に続き日本未発売の13BEFI自然吸気エンジン仕様車が13Bターボエンジン搭載車とともに併売された。

途中マイナーチェンジが行われ、エアフロ(フラップ式→メジャリングコア式)、リアコンビネーションランプ(角目→丸目3灯)、ボディのモール・ドアミラーの同色化、リアスポイラー形状等が変更された。出力もタービンの改良により、前期の185psから205psに向上している。

グレードは廉価モデルのGT-R、中間モデルのGT-X、上級モデルで豪華装備のGT-Limitedが用意された。一番の売れ筋はビスカスLSDとアルミ製のボンネットが奢られたスポーツグレードのGT-Xであった。

「∞(アンフィニ)」シリーズと呼ばれる2人乗りスペシャリティーモデルが4世代に渡りリリースされる。このモデルは最終的に、FC3S型最高となる215ps/6500rpmを発生させた。また、1991年のFD3S型へのフルモデルチェンジの年初、787Bのル・マン24時間レース総合優勝を記念した、最後の特別仕様車「ウィニングリミテッド」というモデルが発売された。

2代目に設定されていたカブリオレ・FC3C型はロータリーエンジン生誕20周年を記念して1987年8月に登場。二代目サバンナRX-7に設定されたオープンカー仕様のグレード。電動ソフトトップを装備する。1991年、FC3S型はフルモデルチェンジされFD3S型となるが、カブリオレ仕様は2代目仕様のまま生産され1992年10月に最後のマイナーチェンジモデルが発売され、サバンナRX-7の14年間・RX-7カブリオレ5年間を締め括るモデルとして、台数限定のファイナルバージョン(最終仕様)となった。プラットフォーム、エンジンはFC3S型と同様。

[ 2007/09/26 14:11 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Savanna RX-7 1980 ad  0'28"

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当初、サバンナの後継として サバンナ RX-7(SAVANNA RX-7) の名で1978年3月に発表され、1991年に行われた2度目のフルモデルチェンジを機にマツダが当時展開していた「アンフィニ」ブランドによる発売となり、「サバンナ」の名称が外され アンフィニ RX-7 となった。「アンフィニ」ブランドの廃止により1997年10月、 マツダ RX-7 となり、2002年8月に環境(排ガス)対策の行き詰まりにより生産が終了した。

RX-7の販売終了後に登場したRX-8はネーミングからは後継のように思えるが、マツダ自身がRX-8を後継車とよばず新規車種と紹介している。なお、車名の由来は「R」が「ロータリーエンジン」、「X」が「未来を象徴する記号」である。「7」は「開発コードを示す番号」で他には2・3・4・5(輸出仕様のみ)・8がある。 RX-7は、2007年現在においても、日本だけでなく日本国外にも熱狂的な支持者が存在する。自動車愛好家の間では、モデルを区別するために初代から3代目まで、それぞれ「SA」「FC」「FD」という呼び方が通用している。

初代・SA22C型(1978-1985年)
1978年3月、サバンナ(輸出名RX-3)の後継として、初代RX-7、SA22C型 サバンナ RX-7 が登場した。開発コードはX605。 プラットフォームは、マツダ・SA2プラットフォーム(のちFBプラットフォームに改称)が用いられた。エンジンは水冷2ローターエンジン2ANA(自然吸気)仕様を搭載。オイルショックの影響を受け、REAPSと呼ばれる排ガスを再燃焼させるサーマルリアクター方式を採用し従来の40%の燃費アップを達成した。1983年のマイナーチェンジの際に日本仕様のみ12Aターボに変更される。ロータリーターボエンジンの搭載は世界初搭載のルーチェ/コスモから1年後だった。日本以外では、1984年 - 1985年に、13BEGI自然吸気エンジン搭載仕様車が販売されている(こちらは日本では未発売)。

口の悪い者たちからは、スタイルがポルシェ・924に似ていたため、発売当時「広島ポルシェ」「プアマンズポルシェ」などと揶揄されたこともあったというが、価格帯が異なる中でのこの評価は賞賛ともとれる。しかも、現在ではスポーツカーの雄と比較され、実質面でもポルシェ等と比較され名前を併記される車として評価されている(スポーツカーとしての評価を参照)。

なお、海外では、VINコードにあわせるため、1980年モデルより、FB3Sという型番号が導入されている。そのため、海外では、FBと呼ばれることがある。日本では、FB3Sという型番号は導入されなかった。

[ 2007/09/27 14:09 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Capella Ad 1980 0'30"

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カペラ (Capella) はかつてマツダで生産されていた乗用車である。30年以上の期間にわたり、ファミリアと共にマツダ乗用車の基幹車種として広く知られていた。

3代目(CB系 1978-1982年:タクシー仕様は1978年 - 1984年)
1978年10月、マツダの他の主力車種ファミリア、ルーチェ、サバンナRX-7に遅れる形で、初代登場から8年5ヶ月ぶりにフルモデルチェンジを行い3代目カペラになった(カペラAPが2代目の為)。3代目よりロータリー車は設定されずにレシプロ専用車種として登場、ファミリーカーに生まれ変わった。

ボディタイプは従来からの4ドアセダンと共に、2ドアを先代までのクーペスタイルではなく、フロントドアサッシュレス&Bピラーレスのハードトップスタイルへと変更する。空気抵抗は当時の車種としては良く、ハードトップはCd値=0.38だった。また、同クラスの車種と比べて車内の居住空間及びトランクスペースは大きい方だった。デビュー当初のフロント周りは、グリル部のみが傾斜し前照灯部が切り立ってSAE規格の角型2灯ランプを配した奥目がちなデザインであった。エンジンは発売当初は1600㏄と1800㏄の2タイプが用意された。(後に2ドアは4代目のクーペ、ハードトップは1988年登場のペルソナへと進展した。)

1979年3月、2000㏄車追加。

1980年9月、マイナーチェンジでフロント部の大幅変更を受け、角型異型レンズの採用でグリル面との連続性を持った、当時流行のマイナーチェンジ手法ともいえるスラントノーズデザインとなった。

1982年に後述の4代目(GC系)が登場してからも、4ドアセダンの1800LPGタクシー仕様(DXのみ)は、FR駆動で整備性が良く価格も安いことから地方の事業者での支持が多く、1984年末まで生産・販売が継続されていた。

なお、参考画像の3代目カペラは前照灯にSAE規格の角型2灯ランプを配したものではあるが、これは日本仕様では後期型となる角型異型ライトのカペラをベースに、SAE規格の角型2灯を配した北米輸出仕様の「Mazda 626」で、フロントエンドの造形は1980年9月のマイナーチェンジより前の国内仕様とは違うものである。これは当時の米国ではまだ市販車両に於いて、前照灯の規格に非常に厳しい制限があり、当時のSAE規格に準じた丸型及び角型のランプ以外の使用を認めていなかったためである。

[ 2007/09/28 14:08 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Eunos Cosmo commercial Japan 1990 0'30"

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マツダ・コスモは1967年(昭和42年)5月から1997年(平成9年)にかけてマツダが生産・発売していた乗用車である。1972年(昭和47年)から1975年(昭和50年)までモデルネームが中断したが、1975年に復活。1989年(平成元年)に再び中断(生産中止)した後1990年(平成2年)に再び復活し、ユーノス・コスモとして作られた。1996年の生産終了以降、コスモの名は途絶えている。

4代目・ユーノスコスモ(1990-1996年)
1990年(平成2年)のユーノスチャンネル発足に合わせて、ユーノスコスモは量産車初の3ローターのロータリーエンジンを搭載した自動車として登場した。ボディは2ドアクーペのみ。当時マツダは販売チャンネルのディビジョン(多チャンネル化。GMでいうシボレーやポンティアックのような展開)にはマツダ、ユーノス、アンフィニ、オートザム、オートラマがあり、ユーノスブランドのフラグシップであった。

時代はちょうどバブル経済末期で、世界で初めて「CCS」と呼ばれるGPSカーナビ(三菱電機と共同開発)を標準搭載したグレードがあったなど、豪華絢爛であった。エンジンは13B REWと20B REWの二種。いずれもシーケンシャル・ツインターボ。これは日本車としては初の採用であった。20Bは3ローター車。タイプはTYPE-ECCS・TYPE-E・TYPE-S(前期・中期型)・TYPE-SX(後期型のみ)。1996年(平成8年)まで生産された。プラットフォームはマツダ・JCプラットフォームが採用された。

1992年にTBS系で放送されたテレビドラマ「俺たちルーキーコップ」では覆面パトカーとして使われた。

[ 2007/09/29 14:05 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Savanna RX-3 Rotary Coupe 1972 1'00"

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マツダ・サバンナ(Savanna)は1971年(昭和46年)から1978年(昭和53年)にかけてマツダが生産していた乗用車である。

コスモ、ファミリア、ルーチェ、カペラに次ぐマツダ第5弾のロータリーエンジン搭載車として、1971年より発売された。開発コードはX808。RX-7の前身にあたる。ボディタイプはクーペの他にセダンやワゴンの「サバンナスポーツワゴン」があった。なお、マツダのロータリーゼーション政策の一環としてライトバンも試作されたが、経済性に難があり、発売はされなかった。輸出名RX-3。ロータリーエンジン専用車であったが、事実上のレシプロエンジン版として姉妹車のグランドファミリアがあった。

最初のモデルは10A型エンジン搭載で、トランスミッションは4速フロアMTのみ。最高出力は105馬力ではあるものの、ロータリーパワーに対応するべく、リヤのショックアブソーバーをバイアスマウントしていたのが特徴。これにより、トルクロッドを省略していた。また、航続距離の問題から、このクラスでは異例に大きい65ℓタンクを採用していた。

発売直後のグレード展開は
セダン
  • 標準車
  • RX
  • GR
クーペ
  • 標準車
  • SX
  • GS
  • GSII
の7種で、GSIIは8トラックカーステレオを標準装備したシリーズの豪華モデル。それ以外のグレードはグランドファミリアに準じていたが、ロータリーエンジンを搭載するという性格上、全車にディスクブレーキを標準装備していた。なお、セダンGRには国産初のガラスプリントアンテナを採用している。

1972年1 月にはグランドファミリアバンをベースにロータリーエンジンを搭載して乗用登録としたスポーツワゴンと、10A型搭載車では初となるREマチック(3速 AT)を追加。さらに9月に発売された「日本GP」優勝車の市販バージョン「サバンナGT」で12Aエンジンを搭載した。日産自動車のハコスカGT-Rの連勝記録を止めた事、値段が比較的安価であった事で、当時の走り屋達に人気があった。

その一方で、低公害車であることを積極的にアピールし、1973年6月にはサーマルリアクターを装着した12A型を搭載した、50年排出ガス規制適合車のAPをシリーズに加えた。1974年11月には10A型エンジン搭載車がカタログ落ちし、12A型に換装。GTを含めた全車が50年排出ガス規制に適合する。1975年10月にマイナーチェンジを受けて51年排出ガス規制に適合するが、後継のRX-7が登場する形で1978年に製造中止となった。

1972年5月に開催された「日本GP」でハコスカGT-Rを破り、1位から3位を独占した。その後、1978年までに100勝を達成している。

1975年のル・マン24時間レースにジャン・ロンドーが唯一のロータリー車として出場している。J・ロンドーは1980年のルマンで、ロンドー M379Bを製作し総合優勝している。

[ 2007/09/30 14:02 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Cosmo Sport 1967 0'20"

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マツダ・コスモは1967年(昭和42年)5月から1997年(平成9年)にかけてマツダが生産・発売していた乗用車である。1972年(昭和47年)から1975年(昭和50年)までモデルネームが中断したが、1975年に復活。1989年(平成元年)に再び中断(生産中止)した後1990年(平成2年)に再び復活し、ユーノス・コスモとして作られた。1996年の生産終了以降、コスモの名は途絶えている。

コスモスポーツ(1967-1972年)
コスモスポーツとは、現マツダ株式会社が(昭和42年(1967年)に旧東洋工業株式会社の社名時代に製造した世界初の実用・量産ロータリーピストンエンジンを搭載した2シータークーペである。

世界初の単一ロータリーピストンエンジン搭載車は現アウディ株式会社(旧NSUヴァンケル社)のスパイダーだが,多くのロータリーエンジン特有のトラブルを克服したかたちで発売された点から,コスモスポーツは世界初の量産多気筒ロータリーピストンエンジン搭載車である.マツダは世界で初めてロータリーエンジンの実用化に成功したメーカーということです。昭和43年(1968年)8月には,mazda110Sの名でニュルブルクリンクで行われた84時間耐久レース「マラトン・デ・ラ・ルート」に挑戦。生産車によってスピードと耐久性が競われる,文字通りのマラソンレースでポルシェ・ランチア・BMW・SAAB・オペル・シムカ・ダットサンなどと激戦を展開,ポルシェ・ランチアに次ぐ堂々4位入賞の快挙となった.参加59台中,完走はわずか26台であった。

コスモスポーツに搭載された10A型エンジンは,それ以降ファミリアロータリークーペ・サバンナRX-3などに搭載された.5枚のハウジング構成から出来ている.開発目的がスポーツカーを眼目である為,エンジンは0813 13 101cの2台のローターハウジング迄含み全て総アルミニュウム合金であった.コスモスポーツ以後の量産モデルはローターハウジングが鋳鉄に変更される.コスモスポーツは炭素鋼を溶射するという高価かつ手の込んだものであるのに対し,以降は特殊鋳鉄を高周波焼入れ加工したものとされ,量産化・低コスト化がはかられた.また加工法もコスモスポーツの砂型鋳造に対し,金型鋳造とされ大量生産された. 昭和47年(1972年)までに前期型(L10A)が昭和42年に343台販売されて,後期型(L10B)の最終販売車までの累計で1176台売られ,終えた.後進のロータリーエンジン搭載車の礎となった.まさに記念すべきモデルである。

昭和50年(1975年)のコスモAPの登場まで一旦コスモの名はここで途絶える。

前期型(L10A)には、10A型ロータリーエンジン(491cc×2)が搭載された。9.4の高圧縮比とツインプラグによって110ps/7000rpm・13.3kg/3500rpmを発生した。車重は940kgと比較的軽量であった。サスペンションは、フロントがウィッシュボーン・コイルの独立懸架、リアにはバネ下重量の軽減に効果的なド・ディオン式のリーフスプリングサスペンションが奢られた。ステアリングにはクイックなラック&ピニオン形式を採用。トランスミッションは4速フルシンクロで、ブレーキは前輪がダンロップ型ディスク、後輪はアルフィン・ドラムであった。なお油圧系統は前後独立のタンデム式。どちらかが故障した場合に備えた安全性の高いものとなっていた。ロータリーエンジンは極力低く、そして後方に配され、のちのマツダのアイデンティティともなるフロント・ミッドシップの発想が既に生かされていた。重量物であるバッテリーも前期型ではトランクに、後期型では室内の助手席後部にBoxで蓋があり回すつまみ式の開閉のタイプだった。ここからマツダのスポーツカーの歴史は始まりました。

ロータリーエンジン搭載用に専用設計されたボディはセミモノコック方式であった。ボディは開口部以外には継ぎ目がなく、ハンドメイドのスペシャルカー然としていた。全ての開口部は来たるべき高速時代を見越して、車両進行方向に対し後ろ開きとされた。デザインにあたっては革新的なロータリーエンジンにふさわしい、大胆かつ斬新なスタイルが望まれた。当時の松田恒次社長から「売り出すつもりのないイメージカーだ」といわれたからこそ、この思い切ったスタイリングが生まれたともいわれる。全高は1165mmと異様に低かった。「軽量コンパクトなロータリーエンジンでなければ成しえないデザインをという学芸大卒業のマツダ初のデザイナー小林平治氏の意図はその低さに結実し、伸びやかなリア・オーバーハング、ボディー中央を走るプレスラインとあいまって、コスモスポーツの未来的なイメージをさらに強調している。ボンネット・フードの小ささ、低さはロータリーエンジンの小ささを暗示する。また、バンパーを境に上下に分けたテールランプも特徴的である。

アルミのダッシュパネルは黒で統一艶消し塗装,無反射ガラスの7連メーター(時計・燃料計・電流計・速度計・回転計・油温計・水温計の順)が整然と並ぶ.フルパッド室内,体の通気性を考慮してあたる部分のみを白と黒の千鳥格子柄のウールを使用.前期はヘッドレスがない.前後に調節可能な3本スポークのウッドステアリング(一部昭和45~46年車:ナルディ社製Φ380ステアリング)標準,真っ赤なジュータンで車内は風格あり,シフトノブは自然に手を下ろした位置,操作できるシュートストローク.クラリオン製オートラジオ、トングルスイッチの上下に作動させるタイプのセミオート・アンテナ、メーター照度調整、ホーン音質切り替え(市街地用・高速用)、2スピードワイパー(途中切ると自動的に原点復帰するタイプ。高速時の浮き上がり防止するフィンも付いていた。)さらにマップ・足元(ドア開閉連動)・グローブボックス・トランクの各ランプなども標準で装備されていた。ドアは二段チェッカーであり、スマートに乗り降りできるように考えられていた。座席の後ろには手荷物を置くためのスペースが設けられ、固定用ベルトもついていた。リアガラスには非常に曲率の大きなものが用いられて、室内の開放感を高めた(現行RX-8およびRX-7のリアガラスはこのオマージュとされる)。助手席側サンバイザー裏面には鏡、足元にはフットレスト、前方のグローブボックス脇にはアシスト・グリップも装備され、まさに二人のための贅を尽くした空間が演出されていた。コスモスポーツひいてはロータリーエンジンにかける東洋工業の意気込みの高さが伺える。

価格は148万円でフェアレディ2000の88万円、スカイライン2000GT-Bの94万円と比べても高価であり、スポーツカーというより二人の乗員のための高級グランドツーリングスポーツの趣きであった。当時の大卒初任給を基準に現在の価格に換算すると、1000万円を優に超える。東洋工業のイメージリーダーであり、「夢の車」であった。

ロータリーエンジンの走りは、レシプロエンジンとはまさに異次元的な感覚をもたらした。当時、ほとんどのレシプロ国産車は4000rpmを過ぎたあたりから騒音・振動がひどくなり、100km/hを超える高速走行では会話すら困難となり、怒鳴りあうようにしなければならぬこともままあった。しかしロータリーエンジンはレッドゾーンの7000rpmまで静粛かつスムーズにためらいなく吹けあがり、さらにその上までも回るかのように思われた。コスモスポーツの加速フィーリングは「走るというより飛ぶ感じ」と表現され、「モーターのようだ」と評された。

TITLE2002年7月号でも三本和彦が「私の好きなマツダ車」としてコスモスポーツを取り上げ、「初めて乗った場所は首都高速。有楽町から羽田までやっとつながったころだったかな。マツダの広報の人を助手席に乗せていたんだけど、初めて乗るんだからちょっとブン回してやろうと思ってね、 120km/hくらい出したの。走り出しは急激な感じではなかったんだけど、アクセルを踏めば踏むほどエンジンが気持ちよくブン回る。 3000~6000rpmくらいまではいいトルク感でした。」と語っている。

昭和43年(1968年)7月には早くもマイナーチェンジ(L10AからL10Bに形式変更)が行われ、ラジエーターグリル形状の変更、ブレーキ冷却口の新設、ホイールベース・全長・トレッドの拡大、トランスミッション5速化、前後ブレーキへのハイドロマスター装着さる。ラジアルタイヤ標準化(155HR15)、ポートタイミングの変更にともなう吸入効率向上によるパワーアップ(110ps/13.3kg→128ps/14.2kg)等を施す。この結果、最高速は185km/h→200km/h、0-400m加速も16.3秒→15.8秒となった。

マイナーチェンジによって、当時としては高級品であったディーゼル機器㈱製のクーラーがオプションで装着可能となった。このヂーゼル機器製クーラーの価格は40万円を超えたという。ホンダN360のフル装備グレードである、ツーリングSサン・ルーフ仕様の価格が42.2万円であった時代である。ユニットは座席後ろの手荷物スペースに置かれたため、冷風は後方から吹き出す形であった。同様な方式はトヨタ2000GT。コスモスポーツ専用設計のクーラーであったため効きは悪くなかったが、発熱量の多いロータリーのためオーバーヒート気味となることもままあった。当時の取扱説明書にも「クーラ装着車はクーラ作動時、シフトをTOPおよびO・Tにし、エンジン回転1500rpm以下の低回転でノロノロ運転している場合オーバ・ヒート気味になることがありますので、このような場合はシフトを2速か3速にして運転してください。」(原文ママ)との記載がある。

また室内のウォッシャー・ワイパー・ディマー・ウィンカーの4スイッチが、1本のコンビネーション・レバーにまとめられた。3点式シートベルト、調整可能なヘッドレスト後期より装備された。パーキング(エンジン始動時自動消灯)や非常灯も装備され,名実共に充実した最高級グランド・ツーリングスポーツに相応しい仕様となる。

この後期型(L10B)の価格は158万円であった。なお車両形式名はL10Bとなったが、エンジンの排気量は変わらず形式も10A型のままであったがエンジンの仕様は数回変更された。ポートやキャブレターやマフラーである。この変更はあまり知られていない。

バッテリーが上がりやすかったとの風評がある。コスモスポーツはキーを抜いてもシガーソケットが通電しており、このためではないかと思われる。マツダ・コスモを一時期所有していた漫画家の秋本治もこれに悩まされ、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』にはその記述が見られる。また石原慎太郎が参議院議員として初登院の際に、国会に乗りつけたことでも知られている。

『帰ってきたウルトラマン』の劇中ではMATの専用車・マットビハイクル(MAT VEHICLE)のベース車両ともなった。昭和42年(1967年)には、調布-八王子間が開通した中央高速に高速パトロールカーとして警視庁第八方面交通機動隊に配備された。

2007年に劇場公開された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』にはコスモスポーツが停車しているシーンがワンシーンだけある。

[ 2007/10/06 14:00 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Capella Rotary Coupe 1970 0'30"

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カペラ (Capella) はかつてマツダで生産されていた乗用車である。30年以上の期間にわたり、ファミリアと共にマツダ乗用車の基幹車種として広く知られていた。

初代(SNA・S122A系 1970-1974年)
1970年5月登場。当初は、ファミリアの上位機種として、12Aロータリーエンジンを搭載するモデルと、1600ccレシプロエンジンを搭載するモデルがあった。12Aロータリーエンジンはカペラロータリーのために開発されたもので、基本的には10A型と同じだったが、ローターハウジングの厚みを10mm増して単室容積で573ccの排気量を得た。また、排気孔をハニカムポートとして燃焼効率を上げトルク特性を改善した。最高出カ 120ps/6500rpm(グロス)、最大トルク16.0kgm/3500fpm(グロス)、最高速度190Km、さらに0→400m=15.7秒(MT車)で、当時の日本車としては、並はずれたパワーを誇った。そのエンジンパワーを生かし、レースにも出場。当時無敵を誇った日産・スカイラインGT-Rに挑んだが、及ばず、打倒GT-Rは、サバンナまで待つ必要があった。

タイヤは13インチと一回り小さいサイズを採用。1クラス上のトヨタ・マークIIに匹敵する車内空間を誇った。愛称は風のカペラと呼ばれ、当時としては圧倒的な加速力で、ノーマル状態で勝てるのはポルシェ・911だけと言われた。

1970年10月、レシプロエンジンに1500㏄が追加される。

1971年10月、マイナーチェンジ。デビューしたサバンナとの差別化を図るためにGシリーズとして、4灯ヘッドライトを採用。ロータリー車に初のATであるREマチック仕様が登場した。ロータリーに合わせた特性で、0→400m=17.5秒だった。

1971年から1973年までがカペラを含めたロータリー全盛期で、1971年は63389台、1972年は57748台、1973年は54962台販売された。

[ 2007/10/07 14:00 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Cosmo AP L 1978 Ad 0'30"

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MAZDAコスモAP(1975-1981年)
コスモスポーツ製造中止より3年後の1975年(昭和50年)にコスモAPとして復活した。 APとはアンチ ポリューション・公害対策の意味。オイルショック後、マツダが初めて発表したモデルで、コスモスポーツと異なりスペシャルティカーとなった裏側には、北米市場の要求があった。

排気ガス対策で、スポーツモデルが次々と消えていこうとしている時期に登場し、未対策車にも負けない走り、オイルショックで落ち込んだ世相を吹き飛ばすような派手な赤いボディカラーなど、話題になった。内装、装備に至っても高級感・豪華さを押し出したものとなっており、スポーツカーというよりはラグジュアリーなグランドツーリングカーといった趣であった。

エンジンは135PSの13B、125PSの12A、レシプロの2000、1800の4タイプのバリエーションがあった。前期型は丸型4灯のヘッドランプとL字型のテールランプが特徴であった。1979年のマイナーチェンジで角形2灯のヘッドランプに変更されラジエターグリルも変更され雰囲気を一変した。CMソングにはしばたはつみの「マイ・ラグジュアリー・ナイト」が使われた。そのCMのモデルは宇佐美恵子を起用。この年は広島東洋カープがセントラル・リーグで初優勝を果たし、中国放送の日本シリーズ(相手は阪急ブレーブス)中継等で同車のCMが流れた。

コスモの登場により、各車のスポーツモデル開発に火がつき、様々な名車が生まれた。また、ドラマや映画では「探偵物語」や「太陽を盗んだ男」などで活躍し、派手なカースタントシーンもあった。

余談だが、第五代民主党代表である前原誠司の学生時代の愛車だったらしい(2007年4月26日付日本経済新聞夕刊「心の玉手箱」より)。

コスモL
コスモAPから遅れること2年、1977年にバリエーションモデルとして追加された。”L”はランドウトップの頭文字で、高級馬車の屋根の形式からきている名前である。最大の特徴は、その名のとおりランドウトップにある。コスモAPではファーストバックであったが、コスモLではノッチバック+ハーフレザーのトップとなっていた。これも北米市場からの強い要求によるもので、フォード・マスタングをはじめトヨタ・カローラおよびトヨタ・セリカなども2種類のバックスタイルのクーペボディをそろえている。

ランドウトップのコスモLはリアシートのヘッドルームに余裕があり、居住性が良いことと、クオーターウインドウが小さく、プライバシーが守れることで、コスモAPとの性能、装備の違いは無くとも、やや高い年齢層に向けた高級モデルとしての位置づけであった。

市場での評価とは別に、工場内での評価は全く異なるものがあった。プレスしたボディパネルを溶接する際、Cピラーは溶接部分が表に出てしまうので、通常は半田で表面を埋めてなだらかに仕上げる行程があった。ランドウトップでは、この行程を省略できたので鉛公害も発生せず、その意味で高い評価を得ることになった。

[ 2007/10/08 13:58 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Cosmo 1980 Ad 0'30"

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MAZDA コスモ AP(1975-1981年)
コスモAP
コスモスポーツ製造中止より3年後の1975年(昭和50年)にコスモAPとして復活した。 APとはアンチ ポリューション・公害対策の意味。オイルショック後、マツダが初めて発表したモデルで、コスモスポーツと異なりスペシャルティカーとなった裏側には、北米市場の要求があった。

排気ガス対策で、スポーツモデルが次々と消えていこうとしている時期に登場し、未対策車にも負けない走り、オイルショックで落ち込んだ世相を吹き飛ばすような派手な赤いボディカラーなど、話題になった。内装、装備に至っても高級感・豪華さを押し出したものとなっており、スポーツカーというよりはラグジュアリーなグランドツーリングカーといった趣であった。

エンジンは135PSの13B、125PSの12A、レシプロの2000、1800の4タイプのバリエーションがあった。前期型は丸型4灯のヘッドランプとL字型のテールランプが特徴であった。1979年のマイナーチェンジで角形2灯のヘッドランプに変更されラジエターグリルも変更され雰囲気を一変した。CMソングにはしばたはつみの「マイ・ラグジュアリー・ナイト」が使われた。そのCMのモデルは宇佐美恵子を起用。この年は広島東洋カープがセントラル・リーグで初優勝を果たし、中国放送の日本シリーズ(相手は阪急ブレーブス)中継等で同車のCMが流れた。

コスモの登場により、各車のスポーツモデル開発に火がつき、様々な名車が生まれた。また、ドラマや映画では「探偵物語」や「太陽を盗んだ男」などで活躍し、派手なカースタントシーンもあった。

余談だが、第五代民主党代表である前原誠司の学生時代の愛車だったらしい(2007年4月26日付日本経済新聞夕刊「心の玉手箱」より)。

[ 2007/10/09 13:57 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Cosmo 1981 Ad  0'30"

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MAZDA コスモ(1981-1990年)
1981年(昭和56年)に登場した、3代目コスモは4代目ルーチェと姉妹車になった。ボディバリエーションも4ドア・セダン、4ドア・ハードトップ、2ドア・ハードトップの3種類を揃えた。空力に配慮されたデザインが特徴であり、ハードトップは4灯式のリトラクタブル・ヘッドライトを持つ。中でも2ドアのCd値は当時としては世界トップクラスの0.32を記録していた。エンジンは当初、従来型と同じMA型4気筒2Lレシプロエンジン(EGIおよびキャブレター仕様)のみが先行発売されたが、2.2Lディーゼルエンジン(セダンのみ)、12A型ロータリーエンジン(573cc×2)もすぐに追加された。

12A型ロータリーエンジンは新たに6PI(シックス ピーアイ)と名付けられた、6ポート・インダクションを採用、これは従来1ローターあたりプライマリーポート、セカンダリーポートと吸気ポートを2つ設けていたものを、新たにセカンダリーポートをメインポート、補助ポートと分割し、1ローター毎3ポート(2ローターで計6ポート)としていた。これにより燃費や出力の向上を謳っていた。

プラットフォームの型式から、「HBコスモ」と呼ばれ、区別されるが、それほど低くないノーズに、リトラクタブルヘッドライトを組み合わせたことから、「ゲンコツ・コスモ」なるあだ名を付けられてしまった。

1982年10月、12A型ロータリー・ターボ車を発売(ルーチェとともに世界初)。耐久性の関係から6PIの採用は見送られた。「全域・全速ターボ」と名付けられたこのエンジンは82年当時の国産車の中ではトップクラスの性能を誇り、80年代に行われる高性能戦争へ先鞭をつけた。

インテリアでは、デジタルながら、面積変化で情報を伝えるスピードメーター、サテライトスイッチの影響が見られる、メーターナセル両端に配した、エアコン、灯火類、ワイパーなどのスイッチ、カセットテープを見せるデザインの正立型カーオーディオ、シートバックの中折れ機構などに特徴がある。

自動車ジャーナリスト三本和彦は、1982年9月にコスモ・ロータリー・ターボを自動車ジャーナリスト3人で茨城県谷田部の日本自動車研究所で谷田部24時間耐久テストを行い、非公式ながら平均時速は211.7km/hに達し、しかもノントラブルだったと述べている。高速耐久トライアルとしてはトヨタ・2000GTによるものが有名であるが、6時間時点でのトヨタ2000GTの新国際記録210.42km/hを上回っている。(最終的にトヨタ・2000GTは72時間で平均206.02km/h)コスモが24時間でのタイムであること、メカニックなどの体制が十分ではなかったこと、暑さの残る9月、しかも昼12時から行われたテストであることなどを合わせ考えると、この数字は驚きに値する。

1983年10月、マイナーチェンジ。個性的なデザインからかルーチェともども販売が芳しくなく、4ドア・ハードトップのフロントマスクを一般的な固定式ヘッドライトへと変更する。このフロントデザインは翌年デビューするトヨタ・チェイサー(X70系)と酷似していた。同時に4ドア系に13B型ロータリー・スーパーインジェクション(SI)車を設定する。なお、2ドア・ハードトップは従来のリトラクタブル・ヘッドライトを継承した。

1985年5月、モデル末期のグレード整理と梃入れとしてレシプロエンジン車に「ジェンティール」シリーズを投入する。2ドア・ハードトップのフェイスリフトを行い、4ドア同様の固定式ヘッドライトが与えられる(ただしGTグレードのみ従来のリトラクタブル方式)。

ルーチェは1986年(昭和61年)にモデルチェンジされたが、コスモはハードトップのみが残り1990年(平成2年)まで継続製造された。

キャッチコピーは初期が「疾走する知性」「予感、ロマン。」 12Aターボ追加後が「全域全速ターボ。」 83年以降のマイナーチェンジ後が「咲いてるオトコのビッグラン(BIG RUN)」であった。

[ 2007/10/10 13:55 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

MAZDA FAMILIA 新方向ファミリア 02'08"

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8代目(1994年~1998年)
1994年6月、8代目ファミリアが発売された。エンジンは1500cc・1600cc(フルタイム4WDのみ)1800cc・(後に追加された)いすゞ製エンジンの1700ccターボディーゼルの3本立てとなり、1500ccにはリーンバーンエンジン車もあった。マイナーチェンジ後は、セダンに、1300ccを追加し、廉価路線での販売数拡大をねらった。モデル途中まで、前代7代目の3ドアハッチバック車が1300ccにモデルを絞って継続生産されていた。

WRCの撤退により、本モデルでは、「生活4WD」をテーマに、フルタイム4WDが、セダンのみ設定された。エンジンは、E-BFMRから3代に渡って、B6が採用された。DOHC化(E-BG6Z/E-BG6R)の他に、EGIも2代ぶり(E-BFMR/E-BWMR)にセットされ、レギュラーガソリンで115psをマークした。しかし、「生活4WD」のポリシーのため、リアスタビライザーが廃止された。初期型4WDセダンはリアシートが倒せないという問題があったが、マイナーチェンジで6:4分割シートが採用された。しかし、そのためか、セダン4WDのローグレードであったLSのタコメータが、後期型では廃止された。

プラットフォームにマツダ・BHプラットフォームを採用。ホイールベースが伸ばされ、セダンはマツダの時流であったイタリアンなデザイン、3ドアハッチバックにはNEOというサブネームが付けられ、今日のマツダ・アテンザスポーツや2代目トヨタ・プリウス、あるいは2代目フォード・フォーカスのようなクーペルック(カムバックスタイル)の奇抜なデザインだった。発売当初はクラストップの低価格をうたい文句にしていたが、実態は最廉価モデルの価格であり、中級以上のグレードではライバル車と価格面での優位性はほとんどなかった。当時は各社がコスト削減に取り組んでいた時代で、このモデルも先代より大幅にコストダウンが図られていた。

ファミリアはハッチバックがマツダの主力車種であるにもかかわらず、NEOの月販は100台前後を彷徨うという非常事態に1996年10月のマイナーチェンジでより従来のハッチバックのイメージに近い、オーソドックスな3ドアに刷新された(これに伴い、7代目3ドアは生産終了)。しかし、国内ではすでに3ドアハッチバック市場は下火で、ステーションワゴン、ミニバンが販売の中心になっていた。フェイスリフトの際、直線基調のデザインに変更し、ヘッドランプはマルチリフレクター化され、1300ccSOHC16バルブEGIガソリンエンジンが追加された。海外向けの3ドアはNEO(名前は異なる)が継続生産された。

教習車としてルーチェやカペラの代替のため、採用された例もある。輸出仕様と同じ大型バンパーを装着。

CMキャラクターに初期草刈正雄、野村佑香、大槻ケンヂ、鈴木杏樹を起用。中期にはとんねるず(ここまでが前期型)。後期型のファミリア・ハッチバックにはアンドレ・アガシを起用し、バックにザ・ナックの「マイ・シャローナ」をCMソングに起用した。

1995年12月にファミリア生産累計1000万台を達成したものの、派生車種であるランティスの販売台数も伸びず、拡大路線が裏目に出たマツダは、創業以来の苦境に見まわれた。

バンとワゴンはこの8代目からADバンのOEMとなった。

[ 2007/11/01 11:23 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Automatic Commercial 0'30"

トップページMAZDAカテゴリーMazda Automatic Commercial Mazda_automatic_commercial.jpg
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マニュアル車で左手を奪われてしまうと・・・ でもちょっと興奮してしまいますね。

[ 2007/11/02 22:19 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda BT-50 Commercial 0'38"

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2006年3月の第27回バンコクモーターショーで発表された。
フォード・モーターとの共同開発車で、従来のBシリーズの後継に当たり、フォード・レンジャーの姉妹車である。

生産はマツダとフォードとのタイ合弁会社であるオート・アライアンス・タイランド(AAT)社で行われ、北アメリカや日本以外の国 (オセアニア、欧州など) に輸出される。エンジンはレンジャーと同じ「デュラトルク」コモンレール式直噴ターボディーゼルエンジンで、直列4気筒2.5Lと3.0Lが用意される。

車名の「BT」は「B-Series Truck」(Bシリーズトラック)の略で、マツダピックアップトラックの伝統を、また「50」は、この車種が積載量500kg程度の小型トラックと大型トラックの中間に位置することを表している(マツダ・ニュースリリースより抜粋)。

[ 2007/11/03 22:45 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda RX-8 Commercial 0'34"

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RX-8(アールエックス-エイト)は、マツダの4人乗りスポーツカーである。現在唯一のロータリーエンジンを搭載し、生産されている市販車である。型式番号はSE3P。愛称は8(エイト)。

ロータリーエンジンを搭載し、RX-7の後継車としてではなく、新規車種として2003年に発売が開始された。プラットフォームは、マツダ・FEプラットフォームが用いられた。名称を見ると、FD3S型RX-7の後継プラットフォームに見えるが、設計はFDから一新されている。

RX-7の後部座席は「ワンマイルシート」と呼ばれる補助的なもので、乗員の長距離移動には不向きであったが、RX-8 では「ファミリースポーツ」という新たな分野を掲げ、大人4人がゆったり乗れる形での登場となった。

4人乗りで、スポーツカーとしては珍しく4枚のドアを備える。4ドアはフォード側の絶対条件であったが4ドアにすると車体が大きくなり重量も増しロータリースポーツの旨みである「軽快さ」がスポイルされてしまう。そこでマツダが開発したのが前後観音開きになる「フリースタイルドア」である。ただし、後方部分(アルミ製)は前部が開くことによって初めて開閉が可能となり、前部が後部ドアをロックする役割も兼ね備えている。また、他社に先駆けピラーと呼ばれるボディーの上下を結ぶ骨組みをドアに組み込んだビルトインピラーによりピラーレス構造を実現。広い開口部はさらに斬新さを助長した。

セーフティ面においても国土交通省による衝突安全性能総合評価において運転席、助手席とも最高ランクの六つ星を獲得(自動車アセスメント情報安全性能試験結果詳細データ(Type S))し、ブレーキ性能試験においても100km/hからの停止距離が38.6m(湿潤時は44.4m)とトップクラスの性能を実現している(但し全ての自動車を評価しているわけではないので注意が必要)。

かつてのRX-7などの本格的スポーツカーと比べてエンジンの馬力は少なく飛び抜けた速さもないが、NAロータリーならではの爽快な吹けあがりと低振動、RX-7を凌ぐコーナリング性能、約250万円~という低価格などで新たなファンを獲得した。

警視庁ではパトカーとして4台導入されている(1台は第九方面交通機動隊、3台は高速隊所属)。

エンジンは、マツダの至宝『ロータリーエンジン』である。排気ガス規制の強化や燃費向上の為ターボチャージャーは搭載せず自然吸気となっているが、レブリミットを毎分9000回転(マツダ787BのR26Bエンジンと同数値)というレーシングエンジンに引けをとらない超高回転型ユニットとなっている。設計の変更によりこの「RENESIS RE」は従来のロータリーエンジンと比較して燃費も向上しており、より大きなトルクを発生するものとなっている。イギリスの「エンジン・テクノロジー・インターナショナル」が主催する「インターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤー 2003」を受賞した。過去最高の審査員50人中44人の得票を得て受賞したことから、この「RENESIS RE」の技術力の高さが見てとれる。このエンジンの基となったものを搭載した車が次期RX-7と呼ばれたコンセプトカー「RX-01」(1995年東京モーターショー展示車)で、吸気と同じく排気もサイドポート(これ以前はペリフェラルポート)にすることによりオーバーラップ0が実現できた為、数値通りの圧縮比が出せる様になったので低速トルクも向上した。 同時に燃費向上とクリーンな排ガスを実現した。しかし、サイド排気にした事により「熱だまり」が出来てしまい、13B-REWよりも冷却が厳しくなってしまった。

マツダのスポーツカーに継承されてきたフロントミッドシップをさらに推し進めた「アドバンスドフロントミッドシップ」レイアウトを採用。車両の重量配分はRX-7の最終型となったFD3S型と同様に「前後50対 50」の比率を確保し、エンジンの搭載位置をより低くしたためFD3S型よりもヨー慣性モーメントが5%低減され、高い運動性能を誇っている。

また、ロータリーエンジンはローターハウジング内で吸気、圧縮、爆発、排気の行程が異なる場所で行われるため耐ノッキング性能に優れ水素燃料等のガス燃料を燃焼するのに安全性が高く、一番効率が良いとされ、水素ロータリーエンジン「HYDROGEN RE」を搭載した水素型RX-8「ハイドロジェンRE」が開発されている。スイッチ一つでガソリンと水素を切り替えて使用できるバイフューエルとなっている。2006年現在広島県・山口県・岩谷産業・出光興産に貸与して公道試験走行が行われている。

エンジンの最高出力は標準モデル(5MT)で210PS、標準モデル(6AT)及びTYPE-E(6AT)は215PS、TYPE-S(6MT)250PS、ハイドロジェンREの水素使用時は110PSである。

サイド排気となり低速域のトルクは増したものの、「熱だまり」のせいで冷却はそれまでのロータリーより更に厳しいものとなっている。

軽量化されたRENESISローターは肉厚が薄く、大体350馬力程度で耐久限界と言われている。 ただし、軽量化された恩恵はNAチューンでは多く、常時9000rpmでの運用でもメタルトラブルが無くなるといったメリットがある。 

サイド排気は排気効率でペリフェラルポートより劣る。 またオーバーラップが無く、過給機を付けた際にノッキングが起き易いので、従来のRX-7用のペリフェラル排気のハウジングへ換装しオーバーラップを付け、圧縮比が8.5~9.7のローターへ交換する事により大きなタービンを持つターボ化が可能となる。RX-7のノウハウを生かしつつ新世代の環境性能に配慮したチューニングメニューが開発されている。

尚、NAでもペリフェラル排気にすれば、TRUSTから発売されているボルトオンターボKITに近い馬力アップが望める。ただし、ノーマルのECU では制御が困難な為、フルコン等の制御が必要になる。 2007年現在では、藤田エンジニアリングがこの開発を進めており、12月までの完成度は80%程度。 NAの為、燃費はノーマルのTYPE-Sとほぼ変わりはない。パワーが上がったのに燃費が変わらないのは、ノーマルの燃調がターボ並みに濃い事が原因である。

[ 2007/11/04 22:52 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Speed 3 Commercial 0'30"

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アクセラ (AXELA。輸出名マツダ3(Mazda3))は、マツダの中型自動車である。長年親しまれた「ファミリア」(北米輸出名「プロテジェ」、欧州など輸出名「マツダ323」)に代わる世界戦略車として、大幅に拡大し、性能を引き上げて開発された。2種類の車体形状を用意し、ファミリア同様、日米欧の3極をはじめ世界展開される、同社の中核車種である。

ボディは4ドアセダンの「アクセラ」と、5ドアハッチバックの「アクセラスポーツ」がある。

特にヨーロッパにおけるCセグメント車の市場を見据えて基本設計され、近年の大型化の流れを受けて全幅は1745mmあり、エンジンの排気量にかかわらず全車3ナンバーとなる。ただし、ドアミラーを含めた車幅は日本の道路事情を考慮して5ナンバー車と同等の数値に抑えている。

製造は防府第1工場(通称:H1、山口県防府市)、宇品第2工場(通称:U2、広島県広島市南区)で行われている。

欧州でのCセグメントというフォルクスワーゲン・ゴルフVやプジョー・307、オペル・アストラ等の超激戦区に本格投入された日本車の代表格。走りにこだわる欧州のユーザーに高い評価を得ており、2004年の欧州カー・オブ・ザ・イヤーにてゴルフと並ぶ同率2位(日本車中1位。総合1位はフィアット・ニューパンダ)を獲得。アテンザに並ぶ新生「マツダ」の代表格となっている。2005年度にマツダはさらなる増産を決定。2006年8月末時点で国内生産累計台数は100万台を突破した。生産開始から3年2ヵ月での達成は、マツダ車として過去最短記録である。

エンジンは直列4気筒DOHCのZY-VE型1500cc、同LF-DE型2000cc、L3-VE型2300cc、同L3-VDT型2300cc(ターボ付)がある。

トランスミッションは1500cc及び2000ccの4WD車に4速AT、2000ccのFF車及び2300ccのNA車に5速ATを搭載する他、1500ccのNA車と2300ccのターボ車(マツダスピード アクセラ)にのみMTがある。以前は2300ccのNA車もMTが選択できたが、現在はATのみとなっている。輸出仕様では全ての排気量でMTが選択できる。

プラットフォームは、フォード・フォーカス、ボルボV50/S40と同様、フォード・C1プラットフォームを採用。

アクセラスポーツ(5ドア)
  • 1500cc 15C、15F
  • 2000cc 20C、20F、20S
  • 2300cc 23S
アクセラ(4ドア)
  • 1500cc 15F、15C
  • 2000cc 20C、20S、20F
  • 2300cc 23S(消滅)
2000cc、2300ccはAT(アクティブマチック)のみ。

4ドアのアクセラには教習車仕様やビジネス仕様も存在する。

輸出仕様には引き続き2000cc、2300ccのMTや2300ccセダンが設定されている。

マツダスピードアクセラ(Mazda3 MPS)
2006年2月に開催されたジュネーブモーターショーにMazda3 MPSを出展した。これと同じモデルが北米ではMazdaspeed3、日本ではマツダスピード アクセラとして販売される。エンジンはマツダスピードアテンザより若干デチューンされたDISIターボエンジンが搭載され、最高出力は184kW(264ps)/5500rpm、最大トルクは380N・m(38.7kg・m)/3000rpmというスペックを誇る。また、マツダスピードアテンザがAWDなのに対し、LSDの助けもあってマツダスピードアクセラはFFである。そのエンジンパワーのため、1速、2速ではドライブ・バイ・ワイヤの制御によりアクセルは全開にならない仕様である。6MT、18インチアルミホイールなどが標準装備される。

補強された5ドアハッチバックボディが採用され、ブレーキは前輪・12.6インチ(320mm)、後輪・11インチ(280mm)という大きいサイズのものが採用される。

2006年6月6日、アクセラのマイナーチェンジと同時に発表、6月22日に発売された。Mazdaspeed3はアメリカのコンシューマー・レポート誌では、アメリカで販売されるSPORTY CARSの中で最もFun-to-driveな車であるとされた。

ゲームでの登場:EAより2006年に発売されたレースゲーム、ニード・フォー・スピード カーボンに登場している。

2003年10月15日 発売。

2003年12月19日 23Sグレードに5MT仕様追加。

2004年4月1日 15Fが平成17年低排出ガス75%低減レベル(SU-LEV)適合、内装一部変更などの小変更を受ける。

2004年10月21日 新グレード「20S」追加、リトラクタブルキー採用、ボディーカラーからカナリーイエローマイカを廃止し、スノーフレイクホワイトパールマイカを追加するなどのマイナーチェンジを行う。型式がそれまでのUA-xxxxxからDBA-xxxxx/CBA-xxxxxへと変更となる。

2004年12月22日 スポーツ20S/23Sに特別仕様「Sound Lether Limited」を600台限定で設定。(若干数追加)

2005年11月22日 スポーツにレザー内装、BOSEサウンドの23H/20H、ブラック内装の15C追加。セダンにブラック内装の15C追加。新色カッパーレッドマイカ(NCロードスターにも設定)、カーボングレー(以前はSLL専用色であった)が登場。

2006年6月6日マイナーチェンジを実施、新グレード20Fを追加、2.3リッター車及び2.0リッターのFF車は5AT化、各20H/23Hとセダンの23S及びスポーツ 23Sの5MTは廃止された。またエクステリア・インテリアを変更、ボディーカラーにオーロラブルーマイカ、クリスタルホワイトパールマイカ、トゥルーレッド、ファントムブルーマイカ、ギャラクシーグレーマイカを追加。20S/23Sにはステアリングシフトを標準装備した。同時に、マツダスピードアクセラを発売。
名前の由来は「アクセラレート(加速する)」+「アクセラレーター(アクセル)」+「エクセレント(卓越した)」を語源とした造語。がきている。海外ではマツダ3として販売されているが、3は車格を表している。

[ 2008/02/19 16:09 ] MAZDA | TB(1) | CM(0)

Mazda RX-3 Wagon Commercial 0'52"

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コスモ、ファミリア、ルーチェ、カペラに次ぐマツダ第5弾のロータリーエンジン搭載車として、1971年より発売された。開発コードはX808。RX-7の前身にあたる。ボディタイプはクーペの他にセダンやワゴンの「サバンナスポーツワゴン」があった。なお、マツダのロータリーゼーション政策の一環としてライトバンも試作されたが、経済性に難があり、発売はされなかった。輸出名RX-3。ロータリーエンジン専用車であったが、事実上のレシプロエンジン版として姉妹車のグランドファミリアがあった。

最初のモデルは10A型エンジン搭載で、トランスミッションは4速フロアMTのみ。最高出力は105馬力ではあるものの、ロータリーパワーに対応するべく、リヤのショックアブソーバーをバイアスマウントしていたのが特徴。これにより、トルクロッドを省略していた。また、航続距離の問題から、このクラスでは異例に大きい65ℓタンクを採用していた。発売直後のグレード展開は

セダン
  • 標準車
  • RX
  • GR
クーペ
  • 標準車
  • SX
  • GS
  • GSII
の7種で、GSIIは8トラックカーステレオを標準装備したシリーズの豪華モデル。それ以外のグレードはグランドファミリアに準じていたが、ロータリーエンジンを搭載するという性格上、全車にディスクブレーキを標準装備していた。なお、セダンGRには国産初のガラスプリントアンテナを採用している。

1972年1 月にはグランドファミリアバンをベースにロータリーエンジンを搭載して乗用登録としたスポーツワゴンと、10A型搭載車では初となるREマチック(3速 AT)を追加。さらに9月に発売された「日本GP」優勝車の市販バージョン「サバンナGT」で12Aエンジンを搭載した。日産自動車のハコスカGT-Rの連勝記録を止めた事、値段が比較的安価であった事で、当時の走り屋達に人気があった。

その一方で、低公害車であることを積極的にアピールし、1973年6月にはサーマルリアクターを装着した12A型を搭載した、50年排出ガス規制適合車のAPをシリーズに加えた。1974年11月には10A型エンジン搭載車がカタログ落ちし、12A型に換装。GTを含めた全車が50年排出ガス規制に適合する。1975年10月にマイナーチェンジを受けて51年排出ガス規制に適合するが、後継のRX-7が登場する形で1978年に製造中止となった。

[ 2008/02/20 15:52 ] MAZDA | TB(1) | CM(0)

Mazda K360 CM 0'35"

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マツダ・K360は東洋工業(現マツダ)が、かつて生産・販売していた軽三輪トラック(オート三輪)である。 けさぶろうの愛称で知られる。

1959年5月、発売。東洋工業初の軽三輪となる。小杉次郎氏によるデザインと派手なツートンカラーにより、商用車とは思えない雰囲気が人気をよんだ。

1962年8月、マイナーチェンジ。スライド式だったサイドウィンドウを巻き上げ式に変更。三角窓追加。

1964年1月、マイナーチェンジ。幌のルーフが鋼板化される。

1969年生産中止。

[ 2008/02/21 15:35 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda R360 ad CM 0'30"

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マツダ・R360クーペは、マツダ(当時は東洋工業)の製造した軽自動車。1960年に発売された。この車で、マツダは4輪乗用車市場に参入した。

1960年製造開始。4サイクルOHV356cc強制空冷V型2気筒、16馬力のエンジンをリアに積む後輪駆動車。売価は30万円で、当時のスバル360より安く設定された。

ドアは2つで4人乗りだが、後部は非常に狭く、子供向けだった。このクラスであれば1人か2人での乗車が多く、軽量化を優先するために2+2と割り切ったものである。これに限らず軽量化対策は徹底され、アルミニウム、マグネシウム、プラスチックなどの軽量な素材を多く用いている。

モノコックボディのスタイルは、既にマツダのオート三輪のデザインを手がけた実績のある工業デザイナーの小杉二郎(1915-1981)と、東洋工業社内デザイナーの手による。尖ったノーズとヘッドライト回りの処理は既存のマツダ製オート三輪のモチーフを踏襲したもので、スバル360同様に「ミニカーのデザイン」として完成度の高いものであった。ことにグラスエリアの広いことは特筆されるが、サイドウィンドゥとリアウィンドゥにはガラスの代わりにアクリルを用いている。

サスペンションは4輪共にトレーリングアームの独立懸架で、ピボット部に内装されたゴムのねじれを利用する「トーションラバースプリング」を用い、軽量化を図りつつもソフトな乗り心地を得ている。リアエンジン車の標準となっていたスイングアクスルでは無く、後輪にもトレーリングアームを使っていることで、対地キャンバー変化やジャッキアップ現象が抑えられている。また、ラバースプリングを圧縮、引張方向で使うBMC・Miniに比べ、ゆったりとした振幅となっている。

エンジンは同社のオート三輪、K360と同様のVツインであるが、基本はアルミニウム合金製で、動弁機構や補機類にはマグネシウムを多用した軽量設計で、4サイクルのためもあり、許容回転数は最大5,000rpmを超える、当時としては異例の高回転エンジンであった。その後しばらくの間マツダはアルミエンジンを「白いエンジン」と呼び、セールスポイントの一つとするようになった。またこの車には軽自動車で初めて、トルクコンバーターを用いたオートマチックトランスミッション装備車が設定された。トルクコンバーターは岡村製作所製で、同社の「ミカサ・ツーリング」(1957年)に次ぐ採用である。

破格の廉価から発売当初は非常に高い人気を得たが、完全な4座であるスバル360の対抗馬としては、実質2人乗りのR360クーペは不利であった。ゆえに、1962年に発表された4ドア(デビュー当初は2ドアのみ)4座軽乗用車である「キャロル」に主力の座を譲ってからは存在が薄くなったものの、1966年まで生産が続けられ、AT車のみ、身体障害者のドライバー向けに1969年まで受注生産された。総生産台数は65,737台であった。

第二次大戦後では日本車として初めて「クーペ」を名乗った車である(戦前ではダットサンにクーペモデルが存在した)。

[ 2008/02/22 15:15 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Chantez Ad CM 1'00"

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ボディタイプはキャロルと異なり2ドアのみだったが、当時クラス最長だったホイールベース(2,200 mm)のため他車に比べると室内は広々していたという。また、FRレイアウト故にリアシートバックが前方に可倒し軽乗用車クラス最大級のラゲッジルームが実現するなど実用性に長けていた。 当初、マツダはこのシャンテにシングルローターのロータリーエンジン(RE)を搭載する計画だったが、同業他社からの圧力によって頓挫したと言われている。実際には、商用車マツダ・ポーターキャブ用の空冷2気筒2サイクルエンジンを水冷化したエンジンが採用された。車両重量490 kg、最大出力35 PS/6,500 rpm。

1972年7月 - 1970年に生産を中止した初代キャロルの後継車として発売。

1976年4月 - 排気量アップは行わず生産終了。以降、1989年までマツダの軽自動車は軽トラック・ポーターキャブのみを生産し、軽乗用車部門から撤退することとなる。

RE雨宮が当時のキャロルRE化(当初はキャロルとして販売する予定であった)の発売頓挫からのオマージュなのかRX-7用REを移植したチューニングカー、「REシャンテ」を発表したこともある。 最終的にはK26タービン(KKK製)を使用した12A3ローターターボエンジンへ換装されている。

車名の由来はフランス語の「歌う」「歌おう」といった意味。

[ 2008/02/23 14:53 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Capella Ad CM 1'00"

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カペラ (Capella) はかつてマツダで生産されていた乗用車である。30年以上の期間にわたり、ファミリアと共にマツダ乗用車の基幹車種として広く知られていた。

初代(SNA・S122A系 1970-1974年)
1970年5月登場。当初は、ファミリアの上位機種として、12Aロータリーエンジンを搭載するモデルと、1600ccレシプロエンジンを搭載するモデルがあった。12Aロータリーエンジンはカペラロータリーのために開発されたもので、基本的には10A型と同じだったが、ローターハウジングの厚みを10mm増して単室容積で573ccの排気量を得た。また、排気孔をハニカムポートとして燃焼効率を上げトルク特性を改善した。最高出カ 120ps/6500rpm(グロス)、最大トルク16.0kgm/3500fpm(グロス)、最高速度190Km、さらに0→400m=15.7秒(MT車)で、当時の日本車としては、並はずれたパワーを誇った。そのエンジンパワーを生かし、レースにも出場。当時無敵を誇った日産・スカイラインGT-Rに挑んだが、及ばず、打倒GT-Rは、サバンナまで待つ必要があった。

タイヤは13インチと一回り小さいサイズを採用。1クラス上のトヨタ・マークIIに匹敵する車内空間を誇った。愛称は風のカペラと呼ばれ、当時としては圧倒的な加速力で、ノーマル状態で勝てるのはポルシェ・911だけと言われた。

1970年10月、レシプロエンジンに1500㏄が追加される。

1971年10月、マイナーチェンジ。デビューしたサバンナとの差別化を図るためにGシリーズとして、4灯ヘッドライトを採用。ロータリー車に初のATであるREマチック仕様が登場した。ロータリーに合わせた特性で、0→400m=17.5秒だった。

1971年から1973年までがカペラを含めたロータリー全盛期で、1971年は63389台、1972年は57748台、1973年は54962台販売された。

[ 2008/02/24 14:27 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Bongo Wagon Ad CM 1985 0'30"

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商用車用途をメインとしたキャブオーバー車である。以前はワゴンも発売されていたが、現在はバン、トラックのみの販売となっている。また、後輪ダブルタイヤはこのクラスではボンゴ及びボンゴのOEMのみ設定がある。

初代は小型ワンボックスバンでも初期のベストセラーであり、ワンボックスカーの代名詞としてその名を広く浸透させた。かつて、自動車のスタイルの呼称である、ワンボックスカーという名称が一般に広く認知される以前、「○×(社名)が出したボンゴの名前は?」と言われたほどである。

3代目と同時に発売されたフォード・スペクトロンをはじめ、OEM供給による数多くの姉妹車が存在する。

トヨタ自動車が、2007年7月にタウンエース・ライトエースをオーダーストップした為、新型が発売された2008年1月までの間、このクラスの商用車(ワンボックスバン・トラック)の生産はマツダ1社による独占状態となった。※この期間同クラスの商用車は、ボンゴ3姉妹(マツダ・ボンゴ、日産・バネット、三菱・デリカ)のみ。

海外ではEシリーズとして販売されている。

3代目(1983~1999年)
1983年9月 フルモデルチェンジ。オートラマ向けにスペクトロンをOEM供給開始。

従来型にあったロングボディ車は先行発売されたボンゴブローニィに合流され、後輪タイヤのダブルタイヤ仕様は一部グレードに設定された他は前後同サイズのタイヤとなった。内装を中心とした装備と快適装備は比べものにならないほど充実が図られ、ワゴンの上位グレードにはパワーウインドが装備されパワーステアリングもグレードにより標準及びオプション設定された。冷房装置もようやく吊り下げ式クーラーからヒーター組み込み型のエアコンになる。

1984年11月 4WD車をバン/ワゴンに追加、ワゴンの後輪ダブルタイヤ仕様は廃止/1年車検を嫌う人向けのワゴンに2列シート6人乗りのBW(ビジネス・ワゴン)追加。

1986年11月 マイナーチェンジ。外装を中心としたフェイスリフトを実施/ワゴンのガソリンエンジンが2.0L化される。

1989年1月 マイナーチェンジ。2000ターボディーゼル車を追加。

1990年2月 プレミアムチャネルユーノス向けに、ユーノス・カーゴの販売開始。

1994年4月 日産自動車に対し、ボンゴバン・トラックの供給を開始した。

1995年6月 ワゴンにセミキャブオーバーミニバンボンゴフレンディを発売、事実上の後継モデルとなる。詳しくは、ボンゴフレンディを参照。

1996年 マイナーチェンジ。

1998年5月 ボンゴEV追加。

1999年4月 継続生産されたワゴンが絶版となった。 現在、歴代ボンゴの中でモデルライフが一番長い。プラットフォームは、ワンボックスカー(ワゴン・バン)用SSプラットフォーム及び、トラック用SEプラットフォームが用いられていた。

特装車としてバンベースの高所作業車が存在する(儀装は新明和工業)。

起亜自動車ではワゴンが「ベスタ」、バン・トラックが「ワイドボンゴ」としてライセンス生産が行われた。なお、1997年にフルモデルチェンジが行われ「ボンゴフロンティア」となるが、オリジナルのボンゴとはプラットフォーム以外関連性は無い。2004年には更にモデルチェンジが行われ「ボンゴIII」となり、親会社の現代自動車の「ポーターII」と兄弟車となった。

[ 2008/02/25 14:10 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Familia ad CM 1987 0'30"

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ファミリア (FAMILIA) は、1963年(昭和38年)10月から2003年(平成15年)10月まで、マツダ(旧東洋工業)が製造生産していた小型自動車である。現在は日産自動車からOEM供給を受けて販売されている商用車のファミリアバンにその名前が残っている。

6代目(1985年~1989年 バン/ワゴンは~1994年)
ファミリアは当初1984年にモデルチェンジする予定だったが、5代目が好評だったため延期し、1985年1月に6代目が発売された。

6代目は先代の成功からキープコンセプトの保守的なものとなり、スタイルの新鮮さよりも中身の熟成をアピールするようになる。バリエーションは非常に豊富で、定番の3・5ドアハッチバックと4ドアセダン、久しぶりのモデルチェンジで前輪駆動化されたバンとワゴン、1600ccツインカムターボ、日本初のフルタイム4WD、実用的なディーゼルエンジン、ファミリアで唯一のオープンカーであるカブリオレ、可変吸気システムを採用したスポルト16、後輪部に日本初のビスカスLSD(リミテッド・スリップ・デフ)採用したラリー競技ベース車であるGT-Aなどがある。しかし、新機軸の4WDやターボエンジンが注目された割には、普通のモデルはシビックやカローラFXに比べると地味な存在だった。

プラットフォームにマツダ・BFプラットフォームを採用。派生車にスペシャリティカー風のエチュードがあった。

イメージキャラクターは中井貴一。

前期型はBDファミリアから受け継いだタイミングチェーン式のE3型 / E5型エンジンを採用していたが、まず1985年7月にはファミリア初の1700ディーゼルエンジン車が追加された。1985年10月にB6型 油圧式ラッシュアジャスター付直動式DOHC16バルブターボモデルを追加し(3ドア∞、3ドアGT、4ドアセダンGT)、当時国内1600ccクラス最高の140ps(ネット)を発揮した。

それと同時に日本発のフルタイム4WDモデルも追加した(3ドアGT-X、3ドアGT(ともにB6型ターボ、型式名「BFMR」)、3ドアXG 4WD、3ドアXR 4WD(共にE5型、シングルキャブレター))。これはマツダとしてはWRC参戦計画の一環で作ったものであり、当時RX-7でグループBを戦っていたマツダが、ラリーにはフルタイム4WDでないと勝てないという現実をライバル車から見せ付けられたためである。こうして、投入されたフルタイム 4WDのBFMRは、マツダ・ヨーロッパのラリーチームにより、RX-7と入れ替えで参戦。スエディッシュラリーでの優勝などから、雪の女王とも呼ばれるようになった。また、市場では日本国内で乗用4WDの代名詞であったスバルにフルタイム4WD導入を決定させ、最終的に長く同社のフラッグシップであったレオーネを撤退に追い込んでいる(後継車はレガシィ)。フルタイム4WD発売記念限定グレード「ラリーファミリア」が発売されている。

1986年7月には1500ターボに代わって1600DOHC16 バルブの自然吸気仕様のスポルト16を追加。後期型ではフルタイム4WDラインナップが更に充実、セダンへの追加や豪華仕様XGiグレード(B6型 EGI・SOHC8バルブエンジン、油圧式ラッシュアジャスターを採用)の追加等も相まって、マツダのフルタイム4WD生産台数100万台への後押しとなった。ちなみにこのXGi 4WDには、マツダ4WD初の4速ロックアップ付きATが搭載されていた。

WRCでは次なるBG8Zファミリアにバトンタッチするまで、前期型を継続採用。日本国内においても、このWRCカーのベースモデルである3ドアGT-Xが圧倒的な人気を誇った。

保守的なスタイリングが販売面で裏目に出るようになると、後期型では大幅なフェイスリフトにより、ターゲット層が異なるハッチバック系とセダン系・ファミリー系とスポーティ系で差別化を図るようになる。タイミングチェーン駆動のE型エンジンは廃止され、B6型と同じゴム製タイミングベルト式で油圧式ラッシュアジャスターを採用するB5型(1500cc、SOHC8バルブ)、B3型(1300cc、SOHC8バルブ)エンジンに改良された。これにより E型のタペットを叩くようなシャカシャカ音はなくなり、マツダ特有の図太いノイズエンジン音に変化した。

カブリオレは塗色は専用色とされ、前期型(BF5S)ではE5型ターボを搭載していたが、後期型(BFMS)ではB6型DOHCに変更された。また、前期型は5速マニュアルミッションのみであった。

後期型のフルタイム4WDには、競技モデルに快適装備を追加したGT-Aeが存在した。また後期型は、セダン拡販にも力を入れており、1500XGをベースにしたスポーティモデルのグランツなど、多岐にわたるモデルが存在した。

WRCでは次第にB6型のパワー不足が顕在化、急遽RX-7をフルタイム4WD化したモデルで参戦するなどの対策が講じられ、次期型 (BG8Z) の開発が急がれる結果となった。後期型の競技モデルGT-A、GT-Aeはハイオク化され、エンジン出力が150psにアップ。しかし市販車ベースの5速ミッションは弱く、国内ラリーでは“3速抜け問題”が頻発した。

モデル末期の1988年には、1300ccモデルの最廉価グレードをベースにエアコン、パワーステアリング等が標準装備されたお買い得な特別仕様車「クレール」シリーズや4ドアセダンのB6型DOHC16バルブEGIエンジン搭載モデルをベースにした資生堂の男性用化粧品「タクティクス」シリーズとのコラボレーションから生まれた完全限定車「ファミリア タクティクスバージョン」(全国100台限定)も発売された。フルタイム4WDの廉価版としてレバンテというグレードが存在した。セダンは、XL 4WDをベースに、ハッチバックはXR 4WDをベースに作られたが、廉価化のために、XR 4WDからタコメータを取り外している。

東映制作の特撮ドラマ超人機メタルダーに6代目ファミリア3HBが登場。通常施されがちな派手な装飾も無いまま、変形して空を飛ぶという演出が施された。

3代目を継続生産をしていたバンモデルも、ようやくフルモデルチェンジされた。4ドア車2/5人乗り車に一本化され、これと同じボディのワゴンモデルが初代以来の復活となった。ワゴンのエンジンは1987年2 月にE型からB型に変更されたが、バンの2WDモデルは最後までE型が搭載されていた(バンにもB型エンジン搭載の1600cc4WDモデル(セダンと同じXGiというグレード名が与えられた)が1989年11月追加)。ちなみにバン・ワゴンは、3ドアとセダンがフルモデルチェンジされた後も1994年まで生産された。これ以降のファミリアのバン・ワゴンは、日産のOEM車となった。1600ccのフルタイム4WD XGiは、型式こそE-BWMRとなったが、コンポーネンツは、E-BFMRと共通である。後期型のE-BWMRは、初期型(1987年)と違い、E- BFMR同様、フロントバンパーとリアバンパーが下まですっぽり覆うカラードタイプになっている。また175SR13だったタイヤサイズも14インチ化された。初期型のE-BWMRには、サンルーフ設定があったが、後期型では廃止されている。

日本国外では、南米にて、2007年もセダン、ハッチバックが継続生産されている。

[ 2008/02/26 14:00 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Luce 1980 ad CM 0'30"

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マツダ・ルーチェ (LUCE) は、マツダから製造・発売された乗用車。マツダのプレステージセダンとして発売。

3代目後期型と5代目は「メルセデス・ベンツに似ている」という意見も聞かれたため、「広島(産)ベンツ」と呼ばれた事もあった(5代目については実際、広報資料では当時のベンツ・ミディアムクラスとツーショットで「日本のベンツです。」と謳っていた)。

4代目 HB系(1981年-1986年)
1981年10月 フルモデルチェンジされコスモとデザインを共通化。4ドアハードトップと4ドアサルーンを設定。プラットフォームにマツダ・HBプラットフォームを採用。エンジンは従来型と同じ2.0L直4のMA型/1.8L直4のVC型をそれぞれ搭載。インパネデザインは大きく変えられハードトップ車ではメーターフードの左にエアコンとワイパーが、右にライトスイッチを装備したサテライトスイッチを装備した。この代から上位モデルのカセットプレーヤーはホーム用と同じ正立タイプとなる(この正立型カセットプレーヤーは5代目HC型にも受け継がれる)。

1981年11月 省燃費対策が施された12Aロータリー6PI(6ポート・インダクション)、2200ccディーゼルを追加。

1982年3月 LPGエンジンのタクシー仕様もフルモデルチェンジ。エンジンは従来型と同じLPG仕様の2.0L直4のMA型でグレードはDX/SG-L/SG-S(布シート、パワーウインド装備)の3種類。6人乗り4速MTコラムシフト(LPGタクシー専用)が標準仕様であったが、SG-Sには5人乗り5速MTフロア、6人乗りATコラム(ガソリン)も選べた。

1982年10月 世界初ロータリーターボ(12A)とセダン2.0LにEGI車追加。

1983年10月 大幅にマイナーチェンジ。ハイパワー仕様のRE13B-スーパーインジェクション(SI)追加。レシプロエンジン車は、2000ccのマグナムエンジンのFE型(直4EGI、直4キャブ)に統一され1800ccは廃止。ロータリーターボにも 4AT車が追加される。最上級モデルLIMITEDに電子制御サスペンションAASが装備される。上級モデルは木目調の内装となる。タクシー仕様もマグナム直4のLPG仕様に変更され、グレードに関係なくAT車も選択可能になった。

1985年5月 レシプロエンジン車にGENTEEL(ジェンティール)シリーズ追加。

1986年9月 ルーチェのみフルモデルチェンジ。姉妹車のコスモはハードトップのみ継続され1990年3月のユーノス・コスモ登場まで継続。LPG仕様のセダンは1989年5月のカスタムキャブで再登場する。

[ 2008/02/27 13:38 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Bongo Multi Wagon 1980 Ad CM 0'30"

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商用車用途をメインとしたキャブオーバー車である。以前はワゴンも発売されていたが、現在はバン、トラックのみの販売となっている。また、後輪ダブルタイヤはこのクラスではボンゴ及びボンゴのOEMのみ設定がある。

初代は小型ワンボックスバンでも初期のベストセラーであり、ワンボックスカーの代名詞としてその名を広く浸透させた。かつて、自動車のスタイルの呼称である、ワンボックスカーという名称が一般に広く認知される以前、「○×(社名)が出したボンゴの名前は?」と言われたほどである。

3代目と同時に発売されたフォード・スペクトロンをはじめ、OEM供給による数多くの姉妹車が存在する。

トヨタ自動車が、2007年7月にタウンエース・ライトエースをオーダーストップした為、新型が発売された2008年1月までの間、このクラスの商用車(ワンボックスバン・トラック)の生産はマツダ1社による独占状態となった。※この期間同クラスの商用車は、ボンゴ3姉妹(マツダ・ボンゴ、日産・バネット、三菱・デリカ)のみ。

海外ではEシリーズとして販売されている。

2代目 BA2系(1977~1983年)
1977年9月、トラックがフルモデルチェンジでひとまわり大きくなる。駆動方式をRRからFRに変更。全車リヤタイヤをダブルタイヤ化。トラックは「ボンゴワイドロー」の名称で販売された。エンジンは1.3Lと1.6Lの二種類。

ボンゴで採用された後輪ダブルタイヤによる低床化はその後の他の同クラスのライバル車にも影響した。

1978年1月、後輪ダブルタイヤによるまっ平らフロアが売り物の「ボンゴマルチバン」追加。トラックと同様に積載量の違う2種類のホイールベース車がある。他社のライバルと同様に標準ルーフとハイルーフがある。キャッチコピーは「これからはマルチバンの時代」

1978年10月、9/10人乗りの「ボンゴマルチワゴン」を追加。 標準ボデーとロングボデーがあり、ロングには4列シートの10人乗りもある。エンジンは乗車定員とツインクーラーで荷重が増えることを考慮し95馬力・1.8LのVC型を搭載。

1979年4月、フロントのデザインを変更したマツダオート店向けの姉妹車、ボンゴボンディを追加。

1979年10月 同クラスの1BOXカー初のディーゼル車。70馬力の2200ディーゼル搭載車発売。バンとトラックは54年排出ガス規制適合。ディーゼル車のキャッチコピーは「乗って差が出る・走って差が出る」

1981年1 月、マイナーチェンジ。ヘッドライトを丸型二灯→角型二灯に変更と同時にインパネのデザインを変更する。バン/ワゴンはテールランプのデザインとナンバープレートの位置変更。電動サンルーフ、回転対座シートなどを装備した上級グレード「ウェストコースト」を設定。ボンゴとボンゴボンディはフロントグリルのデザインが異なる。

マツダと提携関係だった韓国・起亜自動車でもライセンス生産が行われ、農業用トラックとして「セレス」の名称が与えられたモデルも存在した。

デビューからモデル末期までイメージキャラクターとして山城新伍が起用された。CM中のコミカルな演技と後輪ダブルタイヤによる低床化と相まってボンゴシリーズは大ヒットをうけた。当時経営の行き詰まったマツダの救世主となり、1978年~1980年はマツダの国内ディーラーの最量販車(1980年にファミリアがFF化される前)になった。

[ 2008/02/28 13:26 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Carol 600 Ad 0'29"

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マツダが販売する軽自動車。もともとは、1962年に発売された、軽自動車初の4ドアセダンタイプの車で、1970年まで生産された。その後、1989年にマツダが立ち上げた軽自動車中心のオートザムブランドの中心車種として復活した。現在は、アルトの完全なOEM供給となって現在に至っている。

初代・KPDA系(1962年-1970年)
1962年製造開始。4サイクルOHV360cc直列4気筒水冷アルミシリンダーエンジンをリアに積む後輪駆動車。当初は2ドアが、翌年の1963年にデラックス仕様車の4ドアが発売され大ヒットした。

600ccのエンジンを持つキャロル(1960年代当時の軽自動車規格は総排気量は360cc以下であり、小型登録車規格扱いだった)も発売されている。全幅は 1m30cm前後と狭く、現在の感覚ではかなり窮屈な乗車姿勢を強いられる。モデル末期には1ローター仕様のロータリーエンジン搭載の計画もあったが、排気量換算上の出力のクレームが当時の運輸省ないし、他メーカーとの兼ね合いにて許可が下りず、試作もされたがエンジン振動自体が大きい、燃費等のデメリット、1ローターだと逆作用の力が加わってしまうとローターが逆回転してしまう等もあり問題は克服したが計画は実現しなかった。

後継車はREでの発売が頓挫した事から名を変えたシャンテ。独特のクリフカット屋根から取ってついた別名が「走るぜっぺき頭」。 チューンショップRE雨宮が当時のオマージュなのか12A型3ローターターボエンジンを換装したRE雨宮シャンテを製作しており、一時期話題になっていた。

[ 2008/04/15 20:57 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Familia Ad 3'13"

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1963年(昭和38年)10月から2003年(平成15年)10月まで、マツダ(旧東洋工業)が製造生産していた小型自動車である。現在は日産自動車からOEM供給を受けて販売されている商用車のファミリアバンにその名前が残っている。

初代(1963年~1968年)
当時、主力商品をオート三輪から軽自動車や小型トラックに移行させつつあった東洋工業(マツダ)は、キャロルとファミリアという2つの小型車の開発を開始する。しかし、小型自動車への参入は時期尚早と判断され軽自動車であるキャロルが先に発売された。

ファミリアは市場調査の結果、商用車としたライトバンの開発が優先された。このライトバン車種が1963年10 月に「マツダ ファミリア」として販売開始され最初のファミリアとなった。水冷4気筒OHV782cc、最高出力42PS/6000rpm 最大トルク6kgm/3200rpm。乗員5名、後部シートを倒した時の積載量400kgであった。テールゲートは上下水平開きで、上側扉はフリーストップと呼ばれどの位置でも固定できる機構が採用されていた。スタンダード車種が43万8千円、デラックス車種は46万8千円で販売された。ファミリアは当時の他のライトバンと比較し、「貨客兼用というよりも乗用に近い」と評された。

1964年4月には、乗用タイプとして「ファミリアワゴン800」が追加された。1964年10月に4ドアセダン車種が追加発売され、「ファミリアセダン800」と名づけられた。この時点で総アルミ合金エンジンが搭載され、これは「白いエンジン」と宣伝された。さらに翌月の11月に、2ドアセダン車種「ファミリア2ドアセダン800」が追加された。

クーペ車種は、1965年11月に1000ccエンジンを搭載して「ファミリアクーペ1000」として発売された。セダンとクーペはベルトーネ、トラックは小杉次郎がスタイリングを担当し、個性的で美しいイタリアンデザインが好評を博し、商業的に成功を収めた。800(782ccエンジン)のモデルは、前方のナンバープレートを上方にめくり上げるとバンパーにクランク棒を通す穴が設けられており、これにより、バッテリー上がり時にはクランク棒による始動ができた。

4代目(ハッチバック 1977年~1980年:バン 1978-1985年)
4代目ファミリアAPは20代、30代の若い人々の要求に応えるべく、「新しい感覚」、「多用途性」、「経済性」に優れ、かつ「高品質」という4つのテーマで構想開発され、業界の常識を破る2年というスピードと、少ない開発費(20億円)で完成、1977年1月24日に発売された。1975年の8番目に開発着手されたモデルであることから、社内略号では「X508」となるが、それをそのまま広告にも用い、話題となった。

欧米の小型車の主流となりつつあったハッチバックを採用、リアに二代目コスモの5リンク支持リジッドアクスルを流用したのも特徴的である。

グレードは3ドアSTD / DX / GF / スーパーカスタム、5ドアSTD / DX / GL / スーパーカスタム。

1978年1月 バンのフルモデルチェンジ。2ドアと4ドアの二種類。既存ハッチバック車は昭和53年排出ガス規制適合と同時に一部変更。バンパーサイドにラバー横着。スーパーカスタムとGFのフェンダーミラーが角型になる。テールゲートのMAZDAロゴ大型化。

1978年3月 1400追加。エンジンはUC型・1415cc 80馬力。3ドアツーリングカスタムはハロゲンランプとラジアルタイヤが標準装備となった。グレードは3ドアがGF、スーパーカスタム、ツーリングカスタム、エレガントカスタム。5ドアGL、スーパーカスタム、エレガントカスタム。中でもエレガントカスタムのインテリアは、明るいベージュで統一されルーチェ並みに豪華であった。

1978年7月 1400に3速オートマチック車追加。

1979年4月 マイナーチェンジでヘッドライトが角形となる。マニュアル車は低速ギヤの歯車比をアップ。その他50項目に及ぶ改良を実施。欧米ではスタイル、性能、耐久性などが評価され、売れに売れたが、日本での売り上げは海外と比べると今一つであった。

1980年6月、ハッチバック車が満を持して登場したFF(BD系)にフルモデルチェンジされたが、バンは排出ガス規制適応とマイナーチェンジを行い、1985年12月まで生産された。

ハッチバックはさらにその後、主要コンポーネンツをそのままにスキンチェンジを行い、東南アジアでの現地生産車である「MR90」へと受け継がれている。

ちなみに、映画『幸福の黄色いハンカチ』で武田鉄矢が運転していたのは赤の5ドア・スーパーカスタムである。

CMキャラクターは、前期型丸2灯ライト車が秋川リサ。後期型角2灯ライト車がチェリッシュである。

5代目(1980年~1985年)
第2次オイルショックが勃発した後の1980年6月、5代目にモデルチェンジする。

ボディは6月に発売された3・5ドアのハッチバックと9月追加の78年で生産中止なったグランドファミリア後継の4ドアのサルーン。スタイルはウェッジの効いたローワーボディと、大きなグリーンハウス(窓面積)によるクリーンなものに様変わりした。前期モデルのサルーンはハッチバックと顔つきが異なり、逆スラントノーズであったが、1983年のマイナーチェンジでハッチバックと同じ顔つきとなる。

5代目のプラットフォームは、このクルマのために新規に開発されたもので、マツダ・BDプラットフォームと名づけられた。この世代で駆動方式が後輪駆動から前輪駆動となり、エンジンとトランスアクスルとを同軸に配するジアコーサレイアウトを採用した。リアには台形に配した2本のラテラルリンクと、長いトレーリングリンクをそれぞれのストラットをで支持する「SSサスペンション」と名づけられた、変形パラレルリンクストラット式を開発、簡潔な構造ながら抜群の操縦安定性を獲得した。

シートはフルフラット化が可能な前席と、2分割でたためる上に角度調整(リクライニング)も備える背もたれを持った後席となっている。特に、3ドア「1500XG」の後席は、背もたれ部と側面内張りが丸みを帯びて連続するラウンジソファシートが採用されている。

若者の心をがっちり捉え、アッと言う間に100万台を生産、マツダ復活を果たしたベストセラーモデルになった。特に赤色の「XG」が若者に大人気で、これに乗っていれば確実にナンパは成功すると言われた。モテアイテムとして、リアウインドウに張られた東京ディズニーランドと苗場プリンスホテルのステッカー、サーフボードをルーフキャリアにボルト留めしたスタイルが定番化し、「陸(おか)サーファー」なる流行語を産むなど、「赤いファミリア」は社会現象となった。

1980年9月発売にはノッチバックの「サルーン」が追加され、これも成功を収めた。1982年には「オートラマ」店向けに姉妹車のフォード・レーザーも発売され、また、1983年1月にはマイナーチェンジを実施し、ファミリア初のターボエンジン車であるターボも発売された。日本、アメリカ、オーストラリアでカーオブザイヤーを受賞した。モータースポーツでも輝かしい功績を上げ、WRCモンテカルロ・ラリーではクラス優勝となっている。また、イメージキャラクターに北大路欣也を起用し、CM曲には高中正義のギターミュージック(採用曲は時期によって多数あり)を流していた。

ワゴン・バンは4代目を改良し継続生産。この時点でフロント周辺のデザインが5代目のハッチバックモデル(特に前期型)に似た顔つきになる。

このモデルは、記念すべき第一回目の日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車でもある。

6代目(1985年~1989年 バン/ワゴンは-1994年)
ファミリアは当初1984年にモデルチェンジする予定だったが、5代目が好評だったため、1985年1月の発売となった。

6代目は先代の成功からキープコンセプトの保守的なものとなり、スタイルの新鮮さよりも中身の熟成をアピールするようになる。バリエーションは非常に豊富で、定番の3・5ドアハッチバックと4ドアセダン、久しぶりのモデルチェンジで前輪駆動化されたバンとワゴン、1600ccツインカムターボ、日本初のフルタイム4WD、実用的なディーゼルエンジン、ファミリアで唯一のオープンカーであるカブリオレ、可変吸気システムを採用したスポルト16、後輪部に日本初のビスカスLSD(リミテッド・スリップ・デフ)採用したラリー競技ベース車であるGT-Aなどがある。しかし、新機軸の4WDやターボエンジンが注目された割に、普通のモデルはシビックやカローラFXに比べると地味な存在だった。

プラットフォームにマツダ・BFプラットフォームを採用。派生車にスペシャリティカー風のエチュードがあった。

イメージキャラクターは中井貴一

前期型はBDファミリアから受け継いだタイミングチェーン式のE3型 / E5型エンジンを採用していたが、まず1985年7月にはファミリア初の1700ディーゼルエンジン車が追加された。1985年10月にB6型 油圧式ラッシュアジャスター付直動式DOHC16バルブターボモデルを追加し(3ドア∞、3ドアGT、4ドアセダンGT)、当時国内1600ccクラス最高の140ps(ネット)を発揮した。

それと同時に日本初のフルタイム4WDモデルも追加した(3ドアGT-X、3ドアGT[4])。これはマツダとしてはWRC参戦計画の一環で作ったものであり、当時RX-7でグループBを戦っていたマツダが、ラリーにはフルタイム4WDでないと勝てないという現実をライバル車から見せ付けられたためである。こうして、投入されたフルタイム 4WDのBFMRは、マツダ・ヨーロッパのラリーチームにより、RX-7と入れ替えで参戦。スエディッシュラリーでの優勝などから、雪の女王とも呼ばれるようになった[5]。フルタイム4WD発売記念限定グレード「ラリースポルト」が発売されている。

1986年7月には1500ターボに代わって1600DOHC16 バルブの自然吸気仕様のスポルト16を追加。後期型ではフルタイム4WDラインナップが更に充実、セダンへの追加や豪華仕様XGiグレード(B6型 EGI・SOHC8バルブエンジン、油圧式ラッシュアジャスターを採用)の追加等も相まって、マツダのフルタイム4WD生産台数100万台への後押しとなった。ちなみにこのXGi 4WDには、マツダ4WD初の4速ロックアップ付きATが搭載されていた。

WRCでは次なるBG8Zファミリアにバトンタッチするまで、前期型を継続採用。日本国内においても、このWRCカーのベースモデルである3ドアGT-Xが圧倒的な人気を誇った。

保守的なスタイリングが販売面で裏目に出るようになると、後期型では大幅なフェイスリフトにより、ターゲット層が異なるハッチバック系とセダン系・ファミリー系とスポーティ系で差別化を図るようになる。タイミングチェーン駆動のE型エンジンは廃止され、B6型と同じゴム製タイミングベルト式で油圧式ラッシュアジャスターを採用するB5型(1500cc、SOHC8バルブ)、B3型(1300cc、SOHC8バルブ)エンジンに改良された。これにより E型のタペットを叩くようなシャカシャカ音はなくなり、マツダ特有の図太いノイズエンジン音に変化した。

カブリオレは塗色は専用色とされ、前期型(BF5S)ではE5型ターボを搭載していたが、後期型(BFMS)ではB6型DOHCに変更された。また、前期型は5速マニュアルミッションのみであった。

後期型のフルタイム4WDには、競技モデルに快適装備を追加したGT-Aeが存在した。また後期型は、セダン拡販にも力を入れており、1500XGをベースにしたスポーティモデルのグランツなど、多岐にわたるモデルが存在した。

WRCでは次第にB6型のパワー不足が顕在化、急遽RX-7をフルタイム4WD化したモデルで参戦するなどの対策が講じられ、次期型 (BG8Z) の開発が急がれる結果となった。後期型の競技モデルGT-A、GT-Aeはハイオク化され、エンジン出力が150psにアップ。しかし市販車ベースの5速ミッションは弱く、国内ラリーでは“3速抜け問題”が頻発した。

モデル末期の1988年1月には、1300ccモデルの最廉価グレードをベースにエアコン、パワーステアリング等が標準装備されたお買い得な特別仕様車「クレール」シリーズや4ドアセダンのB6型DOHC16バルブEGIエンジン搭載モデルをベースにした資生堂の男性用化粧品「タクティクス」シリーズとのコラボレーションから生まれた完全限定車「ファミリア タクティクスバージョン」(全国100台限定)も発売された。フルタイム4WDの廉価版としてレバンテというグレードが存在した。セダンは、XL 4WDをベースに、ハッチバックはXR 4WDをベースに作られたが、廉価化のために、XR 4WDからタコメータを取り外している。

東映制作の特撮ドラマ超人機メタルダーに6代目ファミリア3HBが登場。通常施されがちな派手な装飾も無いまま、変形して空を飛ぶという演出が施された。

4代目を継続生産をしていたバンモデルも、ようやくフルモデルチェンジされた。4ドア車2/5人乗り車に一本化され、これと同じボディのワゴンモデルが初代以来の復活となった。ワゴンのエンジンは1987年2 月にE型からB型に変更されたが、バンの2WDモデルは最後までE型が搭載されていた(バンにもB型エンジン搭載の1600cc4WDモデル(セダンと同じXGiというグレード名が与えられた)が1989年11月追加)。ちなみにバン・ワゴンは、3ドアとセダンがフルモデルチェンジされた後も1994年まで生産された。これ以降のファミリアのバン・ワゴンは、日産のOEM車となった。1600ccのフルタイム4WD XGiは、型式こそE-BWMRとなったが、コンポーネンツは、E-BFMRと共通である。後期型のE-BWMRは、初期型(1987年)と違い、E- BFMR同様、フロントバンパーとリアバンパーが下まですっぽり覆うカラードタイプになっている。また175SR13だったタイヤサイズも14インチ化された。初期型のE-BWMRには、サンルーフ設定があったが、後期型では廃止されている。

日本国外では、南米にて、現在もセダン、ハッチバックが継続生産されている。

7代目(1989年~1996年)
1989年2月、ファミリアは7代目にフルモデルチェンジされた。保守的な従来モデルから大幅にコンセプトの変更が行われている。またこの代のファミリアはドイツ車のように非常にしっかりしたボディ剛性をもち、走りの安心感や、ハンドリング性能も高かった。

フルタイム4WDはWRC向けのモデルと、大衆モデルに分けられ、WRCをねらったモデルは、GT-Xとして登場した。1800ccで180psを出すこのグレードは、旋廻性を考慮して、センターデフロックを排除し、ビスカスLSDが導入された。リアデフも純正でビスカスLSDが装備された。大衆モデルはインタープレイとクレールの中に属し、先代同様、センターデフロックスイッチ付きのフルタイム4WDとなった。1500ccの4WDは廃止され、 B6に一本化された。しかし、コストダウンが図られ、先代のB6 SOHC EGIエンジンから、EGIが削除された。そのため、先代の85psから91psへ6psパワーアップしたものの、吹け上がりが悪くなった。またセダン 4WDからは、先代にあったリアワイパーも廃止された。寒冷地仕様のフルタイム4WD車には、ヘッドランプウォッシャーが装備された。

デザインは3ドア、セダン、5ドアがそれぞれ全く別の異なったデザインとなり、同じファミリアの名前を用いていても外観は完全に別々の車の形状をしていた。

3ドアは全長を詰めてコンパクトさを演出し、フランス車を思わせる小粋なハッチバック、セダンは当時発売されていたメルセデス・ベンツ 190Eの影響を大きく受けたボディフォルム、後述する5ドアは、従来のものとは一線を画すイタリアン・デザインを与えられ、「アスティナ」として独自の道を歩みはじめるなど、それぞれの個性を最大限に生かす、新たなチャレンジに打って出た。

また、この7代目でも平行してファミリアの姉妹車としてフォード・レーザーがオートラマ系列で販売されていた。ファミリアとは大幅に異なるデザインが与えられ、特に3ドアは「クーペ」スタイルとなった。なおワゴン・バンは先代BFのままでエンブレムの変更など、一部の改良にとどまった。

プラットフォームにマツダ・BGプラットフォームを採用。エンジンはディーゼルを除き、DOHCだけでなくSOHCも全て16バルブ化され、ホイールのPCDが114.3mmから100mmに変更になった。

スポーツモデルも豊富で、1800ccのインタークーラー付きターボモデルのGT-Xは180psものパワーを出し、WRCで1989年グループN部門のマニュファクチュラーズ・チャンピオンシップおよび1991年のドライバーズ・チャンピオンシップを勝ち取った。しかし、インタークーラーが横置きで、放熱に問題があった。その後、1992年1月にWRCでのパワー不足を補うためにGT-R(210ps)を発売。インタークーラーもフロントに設置された。バブル崩壊による会社の資金難により、ワークスチームは1992年を持ってWRCからは無期限撤退となり、以降の参戦は無かったが、プライベートチームにより、1993年グループNチャンピオンとなるほか、全日本ダートトライアル選手権三連覇を達成した。他にはGT-Aの後継であるGT-Aeがある。

マツダの特別限定車に与えられるアンフィニ(∞)グレードが、セダンに設定された。GT-Xと同じ1800ccエンジンを搭載したが、NA化され、アンフィニグレードの特徴であるFFスポーツとなった(4WDではない)。フロントデフはビスカスLSDが標準装備された。リアに張られた∞デカールと、フロントマスクがハッチバックのヘッドライトを採用している点、グリルに∞マークがある点が、一般のファミリアセダンとの見分けポイントとなった。

発売当初のCMソングはサディスティック・ミカ・バンドの「Boys & Girls」、中期にチェッカーズの「運命[SADAME]」、後期はパール兄弟の「色以下」が使われた。後に所ジョージがCMに起用された。

5ドアモデルのアスティナは、それまでのホンダ・シビックなどを含めて、全ての車が追求してきた実用車としての5ドアハッチバック、という概念をまったく覆す「4ドア・クーペ」のコンセプトで作られ、新たに「アスティナ」のネーミングを与えられた。同型の姉妹車となるユーノス・100もユーノス店向けに供給された。ボブスレーがデザインのモチーフとされている。

アスティナはリトラクタブルヘッドランプの採用などにより、非常にスポーティなスタイルであったが、大人4人分の空間と荷物スペースはきっちりと確保されており、この高い実用性と走りの融合がヨーロッパで人気を集めた。このアスティナは次世代でランティスへと発展する。

8代目(1994年~1998年)
1994年6月に発売。通称「新方向ファミリア」。エンジンは1500cc・1600cc(フルタイム4WDのみ)1800cc・(後に追加された)いすゞ製エンジンの1700ccターボディーゼルの3本立てとなり、1500ccにはリーンバーンエンジン車も設定された。マイナーチェンジ後はセダンに1300ccを追加し、廉価路線での販売数拡大を狙った。後述の「ネオ」との兼ね合いもあり、1996年11月まで先代モデルの1300cc[6]が継続生産されていた。ちなみに、バンとワゴンはこの代からADバンのOEMとなる。

プラットフォームにマツダ・BHプラットフォームを採用。ホイールベースが伸ばされ、セダンはマツダの時流であったイタリアンなデザイン、3ドアハッチバックには「ネオ(NEO)」というサブネームが付けられ、今日でいうマツダ・アテンザスポーツや2代目トヨタ・プリウス、あるいは2代目フォード・フォーカスのようなクーペルック(カムバックスタイル)の奇抜なデザインだった。セダンは、初代ルノー・ラグナのデザインと共通性がある。ラグナをデザインしたパトリック・ル・ケモンは、8代目ファミリア開発当時フォードのデザイナーであり、その後ルノーに移籍しラグナをデザインした。発売当初は「クラストップの低価格」をうたい文句としていたが、実態は最廉価モデルの価格であり、中級以上のグレードではライバル車と価格面での優位性はほとんどなかった。当時は各社がコスト削減に取り組んでいた時代で、このモデルも先代より大幅にコストダウンが図られていた。

CMキャラクターに初期草刈正雄、野村佑香、大槻ケンヂ、鈴木杏樹を起用。中期にはとんねるず(ここまでが前期型)。後期型のファミリア・ハッチバックにはアンドレ・アガシを起用し、バックにザ・ナックの「マイ・シャローナ」をCMソングに起用した。

ファミリアはハッチバックがマツダの主力車種であるにも関わらず、ネオの月販は100台前後を彷徨うという非常事態に陥り、1996年11月のマイナーチェンジで従来のハッチバックのイメージに近い、オーソドックスな3ドアに刷新された(これに伴い、7代目3ドアは生産終了。海外向けの3ドアはネオ(名前は異なる)が継続生産された)。しかし、国内ではすでに3ドアハッチバック市場は下火で、ステーションワゴン・ミニバンが販売の中心になっていた。フェイスリフトの際、直線基調のデザインに変更し、ヘッドランプはマルチリフレクター化され、1300cc・SOHC16バルブEGIガソリンエンジンが追加された。

1995年12月には生産累計1000万台を達成したものの、派生車種であるランティスの販売台数も伸びず、拡大路線が裏目に出たマツダは、創業以来の苦境に見まわれた。

[ 2008/04/16 21:22 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)

Mazda Familia Rotary Coupe 1'03"

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2代目(1967年~1973年、商用車系のみ1978年まで)
1967年11月、ファミリアに初めてのフルモデルチェンジが行われた。デザインは、時流に乗って丸みを基調に一体感を追求したものとなった。また、三角窓は廃止された。ファミリアとしては最後のトラックモデルであるトラックも同時にモデルチェンジされ、エンジンは1000ccに一本化された。

1968年2月 バンのフルモデルチェンジ、4ドアセダンに1200を追加。

1968年6月には、マツダにとって2台目のロータリーエンジン搭載車である、ロータリークーペが発売された。インパネはT型のコクピットタイプ。キャッチコピーの「走るというより飛ぶ感じ」はまさにロータリーエンジンの加速性のよさを表すものであった。

1968年9月 モデルチェンジで絶えていたクーペモデルが復活。レシプロエンジンの1200ccエンジンを搭載。

1969年7月 ロータリー4ドアセダンのSSと、平面インパネのロータリークーペEタイプを追加。

1969年10月 セダンにT型インパネのロータリーTSSを追加。

1970年4月 ビッグマイナーチェンジで、1000/1300のSOHCエンジンに換装。三代目の前身となる「ファミリア・プレスト」が発売された。トラックを除く全車はファミリア・プレストシリーズとなった。またロータリー車の一部を除きインパネのデザインも一新した。

1970年12月 レザートップとラジアルタイヤを装備したロータリークーペGSと、1300クーペにT型インパネをもつ1300GFを追加。

1972年2月 マイナーチェンジで、セダン・クーペ・バンのレシプロ車のフロントグリルは、先に発売されたクーペGFと同じ物へ変更。フロントグリルにPrestoエンブレムを追加。1300は87馬力にパワーアップ。

1973年9月 セダンとクーペがフルモデルチェンジした後も、バンとトラックはフロントグリルの変更を行い、1978年1月まで従来型を継続生産。最後まで角目2灯ライトであった。1976年2月以降は50年排ガス規制適合、ホイールキャップが廃止された。

マーケティング面では、「オリジナル」という最少装備の低価格モデルを打ち出し、客が必要な好みの装備を加えることができるフルチョイスシステムを採り、多くの機能部品やアクセサリーを揃えた。マスキー法をクリアし、北米市場参入を果たしたのもこの車である。

また、1971年9月には、サバンナのレシプロ版であるグランドファミリアが追加された。グランドファミリアはカペラとファミリアの中間的存在であったが、後にカペラのエンジンを搭載しサバンナと肩を並べる存在になった。

[ 2008/04/17 22:23 ] MAZDA | TB(0) | CM(0)
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