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Isuzu Gemini CM 9'57"

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2代目は1985年5月、発売された。型式名は1985年に登場した1500ccガソリン車がJT150型、1988年に登場した1600ccDOHCガソリン車がJT190型。そして1500ccディーゼルと1500ccディーゼルターボ車はJT600型。

GMの世界戦略車構想の「Rカー」として、「クオリティ・コンパクト」というコンセプトで、いすゞが単独開発した(Rカーは1984年11月よりGM向けに供給を開始)。駆動方式は前輪駆動を採用。当初は初代(PF60型)の「ZZ」が併売されていた関係で、「FFジェミニ」と称していた。ボディサイズは小型車クラスから大衆車クラスへとサイズダウンされた。

117クーペ以来17年ぶりのいすゞオリジナル設計の乗用車で、モデルチェンジにあたり、アスカとの競合を避け、なおかつ米国市場をも意識して初代より一回り小型のクラス(現在のBセグメント)をターゲットとし、居住性と取り回しの良さを得るためにFF化、パワーステアリングやサーボブレーキなど特に操縦性を重視した設計とされた。このコンセプト内容は、かつて次期ベレット構想時にも検討されていた。

ボディデザインは有名デザイナーのジウジアーロが手がけた。ボディタイプは4ドアセダンと、先代の2ドアクーペに代わって3ドアハッチバックが設定された。

1987年2月に1回目のマイナーチェンジ。特に大きな変更を受けたのはフロントマスクで、サイドマーカーをサイドに回りこませた、通称「つり目」といわれるフォグランプ一体の異型ヘッドライトを採用、同時にグリル形状も変更された。室内も見直しが行われ、インパネやクラスタースイッチの形状変更などが行なわれた。

また、これと同時に先代ジェミニ(PF60型)の製造が終了。差別化の為に付いていた「FF」と言う冠が取れ、「ジェミニ」になった。

1986年には専用の電子制御式ターボ付き1500ccガソリンエンジン「4XC1-T型」を搭載し、足回りを旧・西ドイツのイルムシャー社がチューニングした「イルムシャー」仕様が登場。 2代目ジェミニJT190に搭載の4XE1エンジン 2代目ジェミニJT190に搭載の4XE1エンジン

1988年 には、1600ccの4バルブDOHCエンジン「4XE1型)を搭載し、足回りを英国のロータス社がチューニングしてBBSホイールをオプション設定(ZZ-SEのみ標準装備)した「ZZハンドリング・バイ・ロータス」仕様が追加された。のちに同じエンジンを搭載した1600cc「イルムシャー」も追加される。

「イルムシャー」は高い走行性能を有するヨーロピアン・スポーツ車として、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」は高性能ながらも落ち着いた操縦性を有するラグジュアリ・アダルトスポーツ車としての性格付けがなされていた。また、いずれも前席にレカロ社製のセミバケットシートを標準装備していた。

そして1989年2月に2回目のマイナーチェンジ。サイドマーカーの位置がフェンダー部分に変更され、セダンのみ後ろ周りのデザイン変更が行われ、ナンバープレートの位置が、トランクリッド部分からバンパー中央部分に移動されている。

2代目はトヨタ・カローラや日産・サニーなど、強力な競合車種が存在する大衆車クラスに変更された関係で、当初は販売面が憂慮された。しかし、「街の遊撃手」というキャッチコピーそのままに、ジェミニがパリの街並みを踊るように駆け抜けていくテレビCMが評判を呼び、カラーバリエーションも豊富で、一時は月間販売台数でカローラを抜くほどの販売台数を記録した。

2代目の総生産台数は 748,216台(いすゞHPより)。

グレード展開は当初「C/C」を基本グレードとして、実用仕様の4ドア「T/T」と3ドア「D/D」の実質2種類だった。その後、スポーツモデルの「イルムシャー」、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」が追加。また、1988年には「C/C」の上級モデルの「G/G」が追加された。

他にも「パティオ」、屋根がキャンバストップになった「C/Cユーロルーフ」、レカロシート装備のターボディーゼル「S/S」、特殊架装のピックアップモデルである「ドゥエドゥ」、ガソリン・ディーゼル共にNAVi5モデルなどが設定されていた。

機構
駆動方式は前輪駆動を採用している。
搭載されたエンジンは1500ccSOHCの4XC1型および同ターボ付の4XC1-T型、1600ccDOHCの4XE1型、1500ccディーゼルの4EC1型および同ターボ付の4EC1-T型。

組み合わされるトランスミッションは当初、5速MTと3速ATでスタートしたが、1986年にコンピューター制御の5速オートマチックであるドライビングロボットこと「NAVi5」を搭載したモデル車が登場した。

サスペンションは四輪独立操架で、前輪にマクファーソンストラットコイル式、後輪にコンパウンドクランクコイルを採用。また、スポーツモデルの「イルムシャー」仕様にはメーカーオプション扱いでビスカス式LSDの装備も可能だった。

ステアリングはラック・アンド・ピニオン式。パワーステアリング仕様も選べた。また、ブレーキには全車サーボが標準装備されたのも特徴の一つである。

初期型>
  • 1985年5月 フルモデルチェンジで2代目が登場。1500ccガソリン車(JT150型)のセダンとハッチバックが登場。先代ジェミニ(PF型)の一部モデルが継続販売であった為に「FFジェミニ」と言う名称で販売が開始された。
  • 1985年11月 1500ccディーゼルターボ車、1500ccディーゼル車(共にJT600型)のセダンとハッチバックが登場。
  • 1985年12月 セダン及びハッチバックの「C/C」が、日本産業デザイン振興会主催の1985年度グッドデザイン賞商品に選出された。
  • 1986年1月 特別仕様車「ホワイト・ジェミニ」を限定発売。
  • 1986年2月 特別仕様車「ブラック・ジェミニ」を限定発売。
  • 1986年3月 特別仕様車「ブライトスプリング・ジェミニ」を限定発売。
  • 1986年4月 一部改良で同時に1500ガソリン車のセダン及びハッチバックに、コンピューター制御の5速オートマチック「NAVI-5」搭載モデルが追加。
  • 1986年5月 1500ガソリン車に、インタークーラー付きターボエンジンを搭載したのセダン及びハッチバックの「イルムシャー」(JT150型)を追加。
  • 1986年7月 「C/C」ベースの特別仕様車「サマー・ジェミニ」を限定販売。
  • 1986年9月 特別仕様車「ホワイト・ジェミニ」を限定発売。
  • 1986年12月 「C/C」ベースの特別仕様車「ウインター・ジェミニ」を限定販売。
中期型
  • 1987年2月 マイナーチェンジ。ヘッドライトの形状が変更され、同時にグリル形状やテールレンズも変更。室内もインパネやクラスタースイッチの形状が変更された。
  • 1987年3月 いすゞ自動車創立50周年特別記念車として特別仕様の「C/C」を限定発売。
  • 1987年4月 セダンの1500ccガソリン/ディーゼル車に「パティオ」を追加。通販会社ディノスと提携した専用モデルの「ディノス」を限定発売。グレード名は「E/E」(セダン「T/T」とほぼ同仕様)。
  • 1987年5月 1500ccガソリン車のセダン及びハッチバックに「ユーロルーフ」モデルを追加。1500ccガソリンターボ車に特別仕様車として「イルムシャーRS」を台数限定発売。
  • 1987年6月 1500ccガソリンターボ車のセダン及びハッチバックに、競技用ベース車両で時計、オーディオ、ホイールキャップ等の装備が省略された「イルムシャーR」を追加設定。同月、いすゞ自動車創立50周年特別記念車の第2弾として特別仕様の「C/C」と「イルムシャー」を限定発売。
  • 1987年7月 1500ccディーゼルターボ車のセダン及びハッチバックに「NAVI-5」搭載モデルが追加。
  • 1987年8月 「C/C」ベースの特別仕様車「サマー・ジェミニ」を限定発売。
  • 1987年9月 1500ccガソリンターボ車に特別仕様車として「イルムシャーRS」を200台の台数限定発売。
  • 1987年11月 特別仕様車「ハイクオリティ・ジェミニ」を限定発売。
  • 1988年2月 「NAVI-5」を一部改良。
  • 1988年3月 1600ccのDOHCガソリンエンジン搭載車「ZZハンドリング・バイ・ロータス」(JT190型)を追加。1500ccガソリン車のセダンに「C/C」の上級グレードとして「G/G」を追加。
  • 1988年4月 「C/Cユーロルーフ」ベースでバンパーやサイドプロテクターなどがシルバー(ベース車は素材色)に塗り分けられた2トーンカラーの特別仕様車「C/C-SE・スプリングキュート」を限定発売。
  • 1988年5月 前年に限定発売した「ディノス」が、通販会社「ディノス」でのカタログ販売専用モデルとして追加。
  • 1988年6月 1600ccガソリン車に「イルムシャー」と受注生産の「イルムシャーR」を追加。特別仕様車「クールサマー・ジェミニ」を限定発売。
  • 1988年9月 特別仕様車「オータムエレガント・ジェミニ」を限定発売。
最終型
  • 1989年2月 マイナーチェンジ。外観の変更を行う。特別仕様車「スプリングフィット・ジェミニ」を限定発売。
  • 1989年6月 1500ccガソリン車のセダンに「G/Gリミテッド」を追加。
  • 1989年7月 1600ccガソリン車のセダンに「ZZ-SEハンドリング・バイ・ロータス」を追加。
  • 1989年9月 特別仕様車「オータムフィット・ジェミニ」を限定発売。
  • 1989年11月 特別仕様車「ウインターフィット・ジェミニ」を限定発売。「イルムシャーRS」を台数限定発売。
  • 1990年1月 C/Cベースの特別仕様車「ウインター・ジェミニ」を限定発売。
  • 1990年3月 販売終了。3代目にバトンタッチ。
3代目(JT151・191・641)
3代目は1990年3月登場。ボディサイズは2代目よりも拡大され、競合車種のトヨタ・カローラや日産・サニーなどとほぼ同じになっていた。

形式名は、1500ccガソリン車がJT151F型、1600ccDOHCガソリン車がJT191F型、1600ccDOHCガソリンインタークーラー付きターボ4WD車がJT191S型、1700ccディーゼルターボ車がJT641F型、同4WD車がJT641S型。

これらにホットモデルとして「イルムシャー」仕様および「ZZハンドリング・バイ・ロータス」仕様がラインナップされている点は先代と変わらない。その中でもハイパワーエンジン+フルタイム4WDを搭載したJT191S型は「イルムシャーR」を名乗る最上位ホットモデルである。

デビュー当初4ドアセダンのみの設定だったが、1990年9月にクーペが、翌1991年3月に3ドアハッチバックが追加されている。

セダンは北米市場で「いすゞ・スタイラス」の名称で販売された。

また、派生車種として、米GM社のGEOブランド向けに、フロントフェイスが異なる2ドアクーペ「ジオ・ストーム(日本ではヤナセで販売されていたPAネロと同デザイン)が販売されていた。ジェミニクーペ、ハッチバックはこの「ジオ・ストーム」をフェイスリフトしたモデルとなっている。またストームはその後、2代目ピアッツァのベースになっている。

3代目は技術的に特徴が多く、販売当時ジェミニシリーズが活躍していたラリーフィールドを意識した設計が施されている。「カプセルシェイプ」と銘打った一体型ボディ構造を持ち、強度重視で厚い鉄板を使用したため、当時の1600ccクラス車としては車重は重い部類に入る。

足回りではリアサスペンションに、ストラット式をベースにトーコントロール機構を持たせた4WSの一種である「ニシボリック・サスペンション」が採用されたことが挙げられる。しかし、自動車評論家を招待して満を持して行なわれた試乗会では、サスペンションを誇張するチューニングをした試乗車を用いたため、「腰砕け」や「後席に座ると酔う」などの酷評が相次いだ[要出典]。とは言うものの、レースシーンでの評価は高く、特に日本の国内ラリーシーンにおいては"FF車ベースなのにFR車的なドリフトが出来る"と好評であった。現に1991年、 1992年の全日本ラリー選手権では連続でクラス優勝に輝いている。

デザインは中村史郎を中心にいすゞ社内でまとめられたものであるが、GMの意向が強く影響した点は否めず、欧州車の味わいが売りであったいすゞ車では異例の、アメリカンなデザインとなった。しかし、リアプレスドアがCピラーを兼ねるなど、他に例を見ない斬新なデザイン処理も見られる。

1500ccガソリン車の動力性能は著しく向上したが、肥大化した車体や、グリルレスのフロントフェイス、前が見づらい運転ポジションなど、従来からのいすゞユーザーから不評を買い、ディーラーからも「先代の客に代替で試乗させると売れない」などの声があった。さらに、販売面で重視したはずの米国市場でも販売が振るわず、結果的にこの不振が、いすゞの乗用車事業撤退の決定要因になったとも言われている。

1993年7月限りで生産終了。3代目の総生産台数は 406,625台(いすゞHPより)。

駆動方式は前輪駆動だが、イルムシャーR仕様と一部のターボディーゼル車については4WDを採用している。

エンジンは1500ccSOHCの4XC1型、1600ccDOHCの4XE1型、同インタークーラーターボ付、1700ccディーゼル4EE1型、同インタークーラーターボ付の5種類が搭載された。

組み合わされるトランスミッションは5速MTと電子制御式4速AT。

サスペンションは四輪独立操架で、前輪がマクファーソンストラットコイル、後輪には4WSの一種であるニシボリック・サスペンションを装備する。

ステアリングはパワーステアリング付ラック・アンド・ピニオン式。ブレーキにサーボが標準装備されている点は先代と同様だが、本車は前後輪ともディスクブレーキとなっている。

そのほか、ガソリン車の排気系パイプ類にステンレス材を採用したり、「C/C-X」以上のグレードにヒーター付きドアミラーを標準装備するなどコストを掛けたつくりとなっている。シートは先代のJT0型を踏襲した「ファニチャーシート」と呼ばれるヨーロピアンテイストのデザインだが、クッション硬度を上げたり、前後部別のハイトアジャスターを装備するなどより人間工学に配慮したものとなっていた(「C/C」シリーズのみ)。スポーツ系グレードの前席には先代同様、レカロ社製のセミバケットシートを標準装備していた。

前期型
  • 1990年3月 フルモデルチェンジで3代目が登場。当初はセダンの1500ccガソリン車(JT151F型)、1600ccガソリン車(JT191F型)、1700ccディーゼル車(JT641F型)がラインナップされた。グレード名は1500ccガソリン車と1700ccディーゼル車が「C/C」、「C/C-L」、「C/C-X」「ZZ」。1600ccガソリン車が「ZZハンドリング・バイ・ロータス」。
  • 1990年5月 1600ccガソリン車に「イルムシャー」が追加。
  • 1990年9月 2ドアクーペの1600ccガソリン車(JT191F型)が追加登場。グレードは「OZ」、「OZ-G」。
  • 1991年3月 3ドアハッチバックの1500ccガソリン車(JT151F型)、1600ccガソリン車(JT191F型)が追加登場。グレードは「OZ」、「OZ-G」。1600ccガソリン車のクーペにフルタイム4WD(JT191S型)の「イルムシャーR」と1700ccディーゼル車のセダンに「T/T」が追加。
  • 1991年5月 1600ccガソリン車のハッチバックにフルタイム4WD(JT191S型)の「イルムシャーR」が追加。
  • 1991年6月 特別仕様車「ジョイフルサマー・ジェミニ」を限定発売。特別仕様車「イルムシャーRS」(車体色はミスティックブルーマイカのみ)を100台限定で発売。
  • 1991年9月 特別仕様車「ジョイフルオータム・ジェミニ」を限定発売。
  • 1991年10月 セダンの1700ccディーゼルターボ車にフルタイム4WD(JT641S型)を追加。
  • 1992年1月 初売りの特別仕様車として「初売り仕様車」(一部地域では「初売り・ジェミニ」や「お年玉・ジェミニ」等の名称)を限定発売。
  • 1992年2月 特別仕様車「エンジョイスプリング・ジェミニ」を限定発売。特別仕様車「イルムシャーDSP」(車体色はトーチレッドとエボニーブラック)を135台限定で発売。
中期型
  • 1992年3月 マイナーチェンジ。
  • 1992年6月 特別仕様車「エンジョイサマー・ジェミニ」を限定発売。特別仕様車「イルムシャー・タイプコンペティション」(車体色はトーチレッドのみ)を50台限定で発売。
  • 1992年9月 特別仕様車「ジョイフルオータム・ジェミニ」を限定発売。
後期型
  • 1992年11月 マイナーチェンジ。フロントグリルの追加とテールレンズのデザインを変更。
  • 1993年4月 量販グレード以外は全て注文生産へ。
  • 1993年7月 いすゞ自動車が乗用車生産からの撤退を表明し生産打ち切りが決定。この報道により、在庫車もほとんどが即完売状態に。後継モデルはホンダからのOEM車となった。よって、この3代目が、最後のオリジナルジェミニとなったわけである。
車名の由来は、英語でふたご座を表し、いすゞとGMの協力で誕生したことから、両者のパートナーシップをふたご座に例えて命名。 ちなみに「Tカー」の中、アジア・オセアニア地域におけるオペル・カデットをベースにした車種は、Geminiの名称でいすゞの他に、韓国・セハン自動車(当時、現在のGM大宇)、豪・ホールデンでも販売された。

CM編
2代目は「ジェミニダンシングシリーズ」。パリの町並みの中を、「花のワルツ」などをはじめとするクラシック音楽の名曲の旋律に合わせて、2台のジェミニがまるでワルツを舞うかのようにジャンプや旋回を繰り返したり、何台ものジェミニがぴったりと寄り添って一糸乱れぬ動きを繰り広げる、アクロバティック(ジムカーナ)なCM。当時はCGや合成等の映像技術がまだ発展途上だったこともあり、カースタントによる実写で行われた。CM業界で今もって語り草の伝説的なCMのひとつでもある。

キャッチコピーは、「街の遊撃手。」(句点が付かない場合もある)。コピーライターは、佐藤康明。1987年から。

カースタント監修は、レミー・ジュリアン(en:Rémy Julienne)。

  • 第1弾:1985年(昭和60年)5月 - 12月頃…誕生・セーヌ川編 - 曲名不明
  • 第2弾:1985年(昭和60年)5月以降 - 12月頃…パッシング編 - 曲名不明(第1弾と同曲)
  • 第3弾:1985年(昭和60年)5月以降 - 12月頃…ターボD登場編 - 不明
  • 第4弾:1986年(昭和61年)1月 - 3月頃・12月頃…ワルツ編 - 「花のワルツ」 チャイコフスキー
  • 第5弾:1986年(昭和61年)4月 - 6月頃…雨編 - 「雨に唄えば」 TACO
  • 第6弾:1986年(昭和61年)7月 - 9月頃…ターン編 - 「メリー・ウィドウ」 レハール
  • (第7弾の30秒バージョンから10~20秒前後付近の映像を使い、上記BGMを流した同時ターンバージョンと2台併走している途中で突然1台が360度スピンターンする単独ターンバージョンの2種類ある。)
  • 第7弾:1986年(昭和61年)9月 - 11月頃…ジャンプ編 - 「コッペリア」 レオ・ドリーブ
  • 第8弾:1987年(昭和62年)1月頃…片輪走行(V字型)編 - 「軍隊行進曲」 シューベルト
  • 第9弾:1987年(昭和62年)2月 - 5月頃…ポワント編 - 「ラデツキー行進曲」 ヨハン・シュトラウス1世
  • 第10弾:1987年(昭和62年)6月 - 8月頃…タンゴ編 - 「ブルー・タンゴ」 ルロイ・アンダーソン
  • 第11弾:1987年(昭和62年)9月 - 12月頃…クロスジャンプ編 - 「トルコ行進曲」 ベートーヴェン
  • 第12弾:1988年(昭和63年)1月 - 5月頃…メトロ編 - 「おおシャンゼリゼ」 ダニエル・ビダル
  • 第13弾:1988年(昭和63年)6月 - 8月頃…ロンド編 - 「女学生のワルツ」 ワルトトイフェル
  • 第14弾:1988年(昭和63年)9月 - 12月頃…ファシネーション編 - 「魅惑のワルツ」 マルケッティ
  • 第15弾:1989年(平成元年)1月 - 5月頃…遊園地編 - 「回転木馬」 グランツベルグ
  • 第16弾:1989年(平成元年)5月 - 9月頃…ホップステップジャンプ編 - 「ボルサリーノのテーマ」 クロード・ボラン
  • 第17弾:1989年(平成元年)9月 - 1990年(平成2年)2月頃…片輪走行編 - 「仔象の行進」 ヘンリー・マンシーニ
3代目のテレビCMは男女の恋愛をテーマにしたものとなった。赤のセダンが彼女、緑又は青のセダンが彼氏と設定されていた。フランス語による会話がアフレコされて、日本語字幕も付いていた。

キャッチコピーは、「才なクルマ。」

  • 1990年(平成2年)3月 - 5月頃… 男と女(誕生・出逢い)編 - 「男と女」 フランシス・レイ
  • 1990年(平成2年)5月末 - 8月頃… 男と女(デート・見とれる)編 - 「幸せを売る男」 J.P.カルヴェット
  • 1990年(平成2年)9月頃 - 不明…クーペ登場編 - 「『ピーターガン』のテーマ」 ヘンリー・マンシーニ
  • 1990年(平成2年)9月 - 1991年(平成3年)3月頃…浮気心編 - 「ベイビーフェイス」 ブライアン・ハイランド
  • 1990年(平成2年)11月 - 1991年(平成3年)1月頃…男と女(映画館へデート)編 - 「パリのめぐり逢い」 フランシス・レイ
  • 1991年(平成3年)2月 - 12月頃…ハッチバック登場編 - 「私のシェリー」 リアーヌ・フォリー
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[ 2007/07/07 15:24 ] ISUZU | TB(0) | CM(0)

Isuzu PiazzaJR120 130型 0'30"

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ピアッツァ(Piazza )は、1981年よりいすゞ自動車が発売していたクーペ型の乗用車である。

1981年に絶版となった乗用車・117クーペの後継モデルであり、1991年には2代目モデルに移行した。1993年、いすゞ自動車はSUVを除く乗用車の開発・生産から撤退し、ピアッツァも消滅した。

初代 JR120/130型(1981年-1991年)
形式名:JR130(NA車)、JR120(ターボ車)

1979年、117クーペの後継モデルを計画したいすゞ自動車は、イタリアのデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ にそのデザインを依頼した[1]。翌1979年3月、ジウジアーロは「1980年代のボディライン」としてデザインカー「アッソ・デ・フィオーリ」(Asso di fiori、イタリア語でクラブのエース)をジュネーヴショーに出展、そのデザインカーの寸法を拡大、細部にリファインを加えて商品化されたクーペがピアッツァであった。

市販化を前提としてデザインされたショーカーといえども、内部機構とのすり合わせや生産性の考慮などの理由により完成時までには相当のスタイル変更を受けるのが通常であり、オリジナルのイメージをほぼ保ったままでの量産化いうピアッツァの試みは世界中から驚きを持って受けとめられた。外観デザインはエッジの効いたボンネットと3ドアハッチバックの独特な形状で、ジウジアーロが提案したAssoシリーズの最終作にふさわしい完成度の高さであったのと同時に、空力が十分に考慮された先進的なものでもあった(CD値0.36)。ボンネットには、デビュー当時はフェンダーミラーが装着されていたが、1983年の道路運送車両法の改正に伴って、ドアミラーに変更された。

室内は、大人4人の乗車が可能な居住性を有した。エクステリア同様にインテリアもショーカーに極めて近く製品化された。サテライト式コクピットは極めて斬新なものであり、デジタルメーター(XES,XEに標準装備)に加えて、ステアリングから手を離さずにエアコンやハザードスイッチ操作など、大抵の操作ができた。右手側にライトスイッチ等11項目、左手側にワイパーなど13項目(XE、OD付AT)の操作項目の操作部が配置されていた。サテライトにはシールが貼られた謎のスイッチがあったがそれはフォグランプのスイッチで、ランプ本体を装着すればオンオフ可能であった。シールを外すとフォグランプのアイコンが現れた。 室内にはさらにコンセプトモデルそのままの異常なまでのマニアックな拘りがある。エアコンの噴出し口が運転席側のフロントウインドー下の部分から12cm程度も上に競りあがって来る。 さらにオーナーすら気がつかない運転手足元の回転開閉するエアコン吹き出し口・助手席横にせり出すエアコン噴出し口など小さなギミックも満載であった。 装備としては、オートエアコンやマルチドライブモニター(JR130 XES,XE)、車速感応型操舵力可変パワーステアリング、パワーウィンドウ等が装備され、安全装備としての後席3点式シートベルトの採用も先進的であった。また、特異なウォッシャーノズル内蔵のワンアーム式フロントワイパーが装備されていた。

機構
駆動方式は後輪駆動。エンジンは、デビュー時のエンジンはPF ZZ用の1800ccDOHCを1949ccにスケールアップしたDOHC(G200WN)と、117クーペ用のOHC(G200ZNS)を改良したものを搭載。G200WNはエアフローメーターに世界で初めてホットワイヤを採用し、クランク角センサはフォトダイオードを使用した無接触式(世界初)、ECUはダイアグノーシス(自己診断)機能を有する(世界初)ものであり、117クーペに搭載されたG200WEとは見掛けの出力が同じだけで内容的には別物である。

当時はエンジンのパワー競争が行われており、最高出力135ps(グロス値)トルク17kg-mでは不足とされ、1984年6月よりアスカ用エンジン[2]をベースとした2,000cc電子制御式ターボ付OHCをラインナップに追加(1.9L DOHCは受注生産に)、ターボ付モデルは出力180ps[3]、トルク23kg-mを記録した。

トランスミッションは、5速MTと4速ATで、ATはアイシンワーナーがトヨタ以外に初めて供給した4速ATであった。

シャシ関連では、フロアパンが新設計されたが、サスペンションは、前輪がダブルウィッシュボーン、後輪が3リンク式コイルスプリングリジッド(handling by LOTUSは5リンクリジッド)で、リアスプリングこそリーフスからコイルへ変更されているが、フローリアン、117クーペと引き継がれて来た、旧弊だが実績のあるものである。前後輪共にスタビライザーが付き、ホイール・アライメントは年式・グレードにより細かく異なる。

ステアリングギアボックスは、当初は一部のグレードがバリアブルギアレシオのマニュアルステアリングであったが、後に全車車速感応型パワーステアリング装備となる。ブレーキは、フロントが全車ベンチレーテッドディスク、リヤもJR120は全車ベンチレーテッドディスクである。トルクウェイトレシオ70kg/kgm、パワーウェイトレシオは8.8であった。

歴史
1981年5月 - 登場。

1983年5月 - マイナーチェンジ。ドアミラーが装着された。

1984年6月 - 前年に登場したアスカに搭載された、アスカ用エンジン(4ZC1-T)にインタークーラー付きターボエンジンを搭載したモデルを投入(「XE」、「XS」)。出力は180psで、当時2,000ccのOHCエンジンとしては日本一であった。

1.9L DOHCモデル(XG)を受注生産化。

1985年11月 - 旧西ドイツのチューナーイルムシャー (irmscher) に足回りのチューニングを依頼したイルムシャーグレードを発売。しなやかな足回りに、ステアリングにMOMO、シートはレカロを採用した充実装備、イルムシャーシリーズ専用デザインのフルホイールカバーを装着したスポーティな外観を持っていた。

1987年 - 通商産業省(現・経済産業省)グッドデザイン賞部門別(輸送機器部門)大賞を受賞。

8月 - 一部改良。テールランプの大型化やアルミホイールの意匠変更、コンソール/ステアリングのデザイン変更など。84年6月より受注生産だった1.9L DOHCを廃止。2L版の出力表示をネット化(180ps→150ps、1.9L SOHCはグロス表示(120ps)のまま)。

1988年6月 - ロータス社との技術提携により、「ハンドリングバイロータス」 (handling by LOTUS) 仕様が追加。MOMOステアリング、ロータスチューンドサスペンション、英国アームストロング製ド・カルボン型ショックアブソーバー、BBS製2ピースアルミホイール、レカロにも負けないと評された7項目調節機構付リアルバケットシート等を装備。このモデルで国内モデルでは初めてリヤサスペンション形式が変更され、それまでの3リンクから5リンクとなった。1.9L版を廃止し2Lターボに一本化。

1990年 - 最後のモデルとして「ハンドリングバイロータスリミテッド」を追加。外観の差はリミテッドのデカールのみであるが、シートが部分皮革仕上げとなり、LSDが標準装備となっている。

1991年8月 - 販売終了。総生産台数11万3,419台。

ピアッツァ・ネロ
日本国内でピアッツァは、ヤナセによっても販売され、その際に冠された名称が「ピアッツァ・ネロ(Piazza Nero)」である。これは、1971年以降ゼネラル・モーターズ(GM)傘下であって国内販売網の拡大を意図したいすゞと、日本におけるGM車の正式な輸入代理店であり、販売車種の拡大を意図したヤナセとの提携の結果であった。

ネロとはイタリア語の「黒」で、高級・スポーティーなイメージを表現する。内外装をその名の通りのブラックやピンストライプなど、いすゞ販売車にはみられないものを用意し差別化が図られていた。その他、ピアッツァの特徴であった異形2灯ヘッドライトが1984年より輸出型の4灯に変更され、更に1988年にはIMPULSE用のボンネットフードの採用と可動式ヘッドカバーの廃止が行われた。

日本国外での販売
欧米に輸出され、北米市場では「Impulse」(インパルス)(en:Isuzu_Impulse)の名称で販売された。また、オーストラリアでは、同じくGM系の自動車会社ホールデンによって、「ホールデン・ピアッツァ」として販売された。

[ 2008/02/14 07:44 ] ISUZU | TB(0) | CM(0)

Isuzu VehiCROSS SUV CM 0'30"

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ビークロス(VehiCROSS )は、1997年からいすゞ自動車によって販売されていたSUVである。

1993年に乗用車生産から撤退したいすゞ自動車にとって当時唯一のスペシャルティカーであると同時に、スペシャルティカーとSUVという異なるジャンルを融合させたクロスオーバーカーの先駆けであり、以降ハリアーやムラーノなどのクロスオーバーSUVの登場に影響を及ぼした車である。

形式名はE-UGS25DW。車名の由来はVehicle(乗り物)とVision(未来像)とCross(交差)を合わせた造語であり、オンロードとオフロード、日常と非日常のクロスオーバーを表現している。

サイモン・コックスのデザインによるラウンドしたフォルムやスペアタイヤ内蔵バックドア、黒色PPで造形された車体下部など、極めて個性的なフォルムは大いに注目を浴びた。車体は3ドア車のみで、設定グレードも1つのみであった。いすゞのRVとしては珍しく、ディーゼルエンジン車が存在しないのも大きな特徴であった。オリジナルビデオ作品『ウルトラマンネオス』に登場する「ハートビーターSX」やウルトラセブン1999最終章6部作のポインターなどのモデル車両になった。

2006年春にビークロスオーナー&ファンクラブ”VehiSQUARE”開設5周年を記念したビークロス専門書籍「VehiCross Perfect~Chronicle1993-2003~」が発売された。コンセプトカー誕生から10年に渡る軌跡を、開発、生産、販売、モータースポーツなど、まさに可能な限りすべてを網羅した歴史本となっている(完全限定販売で、開発コードにちなんだ175部となっている)。

1993年、いすゞはコンセプトカー「ヴィークロス」(ビークロスではない)を第30回東京モーターショーに参考出品させ、その前衛的なスタイリングが広く衆目を集めた。ただヴィークロスは量産型「ビークロス」とは異なり、ジェミニ4WD車のシャシを流用しており、クロスオーバーSUVに近い性格のモデルであった。

ヴィークロスがショー来場者の良好な反応を集めたため市販型の開発が決定、1997年、車名も新たに「ビークロス」として発売された。(当時の担当者が運輸省へ認可のための書類を提出する際、誤って『ビークロス』としたといわれている。そのためか、いすゞのパンフレットなどにはプライドからか『ヴィークロス』と表記されているものが多い。)シャシーはビッグホーン・ショート型のものに変更となり、車種の性格も本格的なクロスカントリーSUVに改められた。ベース車種が大幅に変更となったため、コンセプトカーのデザインを再現するにあたって相当な困難があったとされている。実車は長くなったオーバーハングなどショーモデルと異なる部分はあるものの、全体としてショーモデルの雰囲気が再現されていた。車体組立てに本来収縮率の異なる鋼体とPPとをうまく接合させる事に神経を使うデザインであったため、かつて117クーペハンドメイド車に携わった熟練組立工が手作業で担当したのも隠れた逸話である。

1993年東京モーターショー出品用のコンセプトカーとして、1992年初夏に開発がスタート。企画・基本設計は日本、デザインはヨーロッパで行われた。主にいすゞ・藤沢工場で行われた基本設計では、3代目ジェミニなどで採用されたニシボリック・サスペンション開発者の西堀稔がリーダーとなり作業が進められた。「海外の悪路を走破できる全天候型スポーツカー」というコンセプトのもと、ラリーレイドでも十分対応できる走りのパッケージが追求され、380mmを確保した最低地上高、ロングストロークを実現した4輪ダブルウィッシュボーン式サスペンションの採用などが特徴である。またカーボン素材やアルミフレームなどの高価な素材も多用されている。エンジンは、ジェミニの1.6Lエンジンをベースにしたスーパーチャージャー付きガソリン直噴エンジンの搭載が計画された。

デザイン開発はベルギーのIEE(いすゞ・ヨーロッパ・エンジニアリング)で行われ、現在日産自動車常務・デザイン本部長を務める中村史郎がチーフデザイナーとなり、デザイン全体のマネージメントを行った(チーフデザイナーは途中交替)。エクステリアデザインのキーデザイナーは現在GMへ移籍したサイモン・コックス。その後、イギリスに開発拠点を移し最終的なクレイモデルの完成に漕ぎ着けた。3代目ジェミニの基本コンポーネンツを流用して開発されたコンセプトカーであったため、低いフロアやコンパクトなボディが実現可能となった。後の市販化の際にはモノコックボディの技術を継承すべく、再度ジェミニのコンポーネンツ流用も検討されたが、生産設備の関係から結局見送られた

1997 - 1999年 国内仕様
1997年3月26日に量産型ビークロスは新車発表され、翌月4月26日より発売が開始された。量産化においては同社ですでに発売されていたミュー、ミュー・ウィザード、ビッグホーンなどの既存のプラットフォームを有効利用するとともに、当時まだ珍しかったバックアイカメラ連動型モニタを標準装備し、レカロシートやモモのエアバッグ付き本革巻きステアリングを国内では最も早く採用するなど社外ブランドも積極的に取り入れた。

同年11月には当初設定された5色に20色のボディカラーを加えた「プレミアムプロデュースカラー25」がオプション設定された。デザインが注目を浴び、「RV+スペシャリティカー」という現在主流になったクロスオーバー的な新しいクルマの位置づけも評価され、1997‐1998日本カー・オブ・ザ・イヤー特別賞とグッドデザイン賞を受賞した。 発売当初は5色の標準ボディーカラーを十数台から数十台単位でまとめて塗装、生産していたが、途中から受注生産・塗装に近い形となり、プレミアムカラー発売後はほとんどが手吹き塗装である。また、プレミアムカラーはそれまでいすゞが発売してきた乗用車、SUVのフラッグシップカラーを基にしたものが多い。ちなみに、塗装コストが最も高いのはゴールデンイエローマイカとされる。

1999年2月8日、国内販売終了に際して、最終限定車「175リミテッドエディション」を発売。ビークロスの開発コードに由来して175台がすべて受注生産され発売された。この特別仕様の内容は、国内仕様に代わり生産される北米仕様に準じて、各部メタル調のパーツ、ポリッシュ加工されたアルミホイール、立体デカール、黒を基調とした内装にレッド/ブラックの本革シート、そしてシリアルナンバーを刻印した記念プレートが装備された。たった175台とはいえ、総生産台数からすると10台に1台がリミテッドエディションとなる。

日本国内での生産は、ボディプレスに使用したセラミック(コンクリート)製金型の耐久性などから当初限定で約2,000台~3,000台の範囲で想定されていたが、最終的に月産約200台の規模で行われた。国内市場での販売台数は、登録ベースで約1,700台。元々少量生産が前提であったものの、クルマの性格、デザインが特異だったことやハードな乗り心地、2ドアという使い勝手にハンディを負ったことからメーカーが想定したほど多くの台数を販売することができなかった。 海外での人気は高く、ロシアでは正規販売されていないにも関わらず現地で開催されたデザイン賞かカーオブザイヤーに相当する賞を受賞した。

1999 - 2002年 北米仕様
国内仕様に代わり、北米仕様が藤沢工場で生産されることとなった。内容は先に述べた「175リミテッドエディション」の装備に加え、北米の安全法規、現地からの市場調査・テストに基づいた3,500ccエンジン(6VD1→6VE1)への変更、ヘッドランプのマルチルフレクター化、運転席エアバッグの仕様変更(MOMO製→いすゞ純正、容量変更55リットル→70リットル)、サスペンションの減衰力変更、バックアイカメラの廃止などが行われた。北米仕様では年次改良が行われ、2000年にボディカラーの追加・変更、18インチホイールへの換装が行われた。

販売台数は約4,000台という実績を残した。現地では日本よりマニアックなユーザーが多く、弁護士や自営業者などの高額所得者が多かったのも特徴であった。現地法人ではビークロスによるスペシャリティSUVの潜在的需要を掘り起こすべく、2つのコンセプトカーが企画された。1つはカルフォルニアなどの温暖な地域でのオープンカー需要に対応したオープン仕様「VX-02」(1999年発表)。もう1つは、使い勝手を向上させるべくビッグホーンのロングボディのフレームを使用して4ドア化した「VX-4」(2000年発表)であったが、2台とも市販化されることはなかった。2002年、ビークロスは強化された北米での衝突安全基準等への対応も難しくなったため、スペシャリティSUVの座をアクシオムに譲り渡し、生産・販売を終了した。

駆動方式
駆動方式はTODと呼ばれる電子制御トルクスプリット4WDをビッグホーンより流用。ビッグホーンに比べ、ビークロスの車両特性に合わせてトルクスプリットの応答性を向上させ、スポーツ性を強調した設定になっている。なお、北米仕様は、現地の仕様特性に合わせ国内仕様のパートタイム方式からフルタイム方式に変更されている(2Hの設定がない。)

エンジン
エンジンは6VD1型3,200ccDOHCガソリンエンジンで、75°という特異なバンク角を持ち、オールアルミ製で、ヘッドカバーにマグネシウムを採用されていた。国内仕様は3,200ccDOHC(アメリカ版では3,500ccに変更)ガソリンエンジンのみの設定で、これはスペシャリティカーとして投入されたクルマであり、高出力エンジンを搭載させるためにあえて選択されたものであった。型式こそUBS25ビッグホーンに搭載された6VD1ながら、大幅な改良が施された。 主な改良点は次のとおりである。

EGR(排気ガス循環)の電子制御バルブの採用 ⇒ 低燃費化・排ガス浄化
動弁系のフリクション(摩擦)低減 ⇒ 低燃費化
高速走行時に排圧抵抗を下げるデュアルモードサイレンサー ⇒ 騒音低減
アルミクランクケースの採用 ⇒ 騒音低減
シリンダーヘッドのコンパクト化 ⇒ 軽量化
ハイフローストレートポートの採用 ⇒ 高出力化
吸気ポート長を可変とした慣性吸気システム ⇒ 高出力化

これらの改良により出力、トルク、燃費等は次のように向上した(スペックは国内仕様3.2L6VD1型のもの)。

最高出力(仏馬力/rpm・ネット)215/5,600
最大トルク(kg‐m/rpm・ネット)29.0/3,000
燃料消費率(km/l)60km/h定地走行値 14.6
燃料消費率(km/l)10・15モード値 7.8

ちなみに北米仕様の3.5L6VE1型のスペックは、次のとおりである。
最高出力(仏馬力/rpm・ネット)230/5,600
最大トルク(kg‐m/rpm・ネット)32.0/3,000

なお、このエンジン改良は、1998年にモデルチェンジが計画されていたミュー/ウィザードに先行して行われたものであった。

シャシ・サスペンション
シャシ・フレーム自体は、ビッグホーンショートのものをほぼ流用している。変更は、ボディ=キャブのデザイン要件やバックドア側の要件に対応してフレームとキャブマウント位置を変更した程度である。マウントの位置は上記略図のように、片側5点、両側10点に位置している。マウントに用いられる材質は、乗り心地や騒音・振動の低減に有利だが変形が大きい軟らかいラバーブッシュから、ラリーレイドで使用しているナイロン樹脂に近い硬度のものに変更した。乗り心地や快適性は一般的な日常の低速走行ではあまり芳しくないが、高速走行時やダート、モーグル等の悪路では、ドライバーに路面からの情報を遅延なく的確に伝達する。

サスペンションは、前輪がダブルウィッシュボーン式サスペンション、後輪が4リンクコイルスプリングを用いている。カヤバ製のオイルタンク別体のショックアブソーバーが採用され、固めのスプリングと高い減衰力の組み合わせとなっている。足回りでラリーレイドからのフィードバックが特に強く反映された部品がこのショックアブソーバーであり、ビッグホーンのラリー車専用に設計されたアルミ製タンク別体式モノチューブタイプのショックアブソーバーの採用となった。開発のベース仕様(ビッグホーンラリー用)では減衰力が調整できるものであり、しかもアルミ削り出しであった。開発の際、主要メーカー数社に依頼を行い、最終的に某メーカーのアルミ製タンク別体式モノチューブタイプの開発・生産が得意な2輪部門(オートバイ)で開発を担当することとなった。当時、アルミ製タンク別体式モノチューブタイプのショックアブソーバーといえばバイク業界でも最新の技術であり、4輪用ではまだ市販どころか量産用の開発さえされておらず、2輪部門が開発を担当したのは当然の成り行きであった。

量産化に際し、調整構造の廃止と減衰力の見直し以外、競技車用とほぼ同スペックとした。 実際に部品単体でショックアブソーバーを注文すると、1本当り5万円という破格の値段であった。なお、北米仕様のサスペンション設定は、現地の路面状況や嗜好に合わせ、ショックアブソーバーの減衰力の違いや、ラテラルロッドを廃止する等の変更が加えられており、国内仕様に比べて乗り心地を重視したものになっている。

トランスミッション
上記のようなハードな足回りに引き換え、トランスミッションは4速ATのみの設定となっている。これには、少量生産車ゆえの事情があり、運輸省(現:国土交通省)の型式認証を販売台数が見込めるAT車のみとし、コストを抑えるためであった。

MT車の開発が全く行われていなかった訳ではなく、試作車も存在し、パジェロエボリューションのようなラリーレイド向けのモデルも検討されたが、採用されることはなかった。なお、それに近いモデルとしては、1998年BELLスポーツ製作のパリ・ダカールラリー出場車や、トンボハウス製作のアジアクロスカントリーラリー出場車など、ラリーレイド専用のモデルがある。

その他
バックドアは鍵でしか開けられず、不便であるが、最後まで改良されなかった。

[ 2008/02/15 08:16 ] ISUZU | TB(0) | CM(0)

Isuzu Gemini Ad 1982 0'30"

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初代「PF型」は、提携先のゼネラルモーターズ (GM) の「ワールドカー構想」に基づく世界戦略車のひとつ、「Tカー」であった。オペル・カデットをはじめとして各国で姉妹車が生産されていた。

2代目「JT0型」と3代目「JT1型」は、GMの「Rカー」としてOEM生産(相手先ブランド供給)を視野に入れ自主開発されたモデル。特に2代目は、いすゞの乗用車史上最大の販売台数を記録。しかし、3代目へのモデルチェンジでは一転して販売台数が低迷した。

業績悪化により4代目以降は自社開発を断念、ホンダのOEM供給を受けることとなり、供給モデルの絶版に伴い5代目で販売を打ち切った。

初代(PF50型、PF60型、PFD60型)
1974年11月登場。形式名は1974年に登場した1600ccガソリン車がPF50型、1977年に登場した1800ccガソリン車がPF60型。そして1979年に登場した1800ccディーゼル車がPFD60型となっている。

GMがベレットの生産継続を主張したのに対し、いすゞは市場性の見地よりモデルチェンジを要望、その結果、オペル・カデットを原型とするGMの世界戦略車構想の「Tカー」をベースにする事が決まった。

ボディーサイズは、カデットをベースにした為べレットより一回り大きくなり、フローリアンとの関係が不明確となった。

「ふたご座」の英名である「ジェミニ」を名乗った。ただし、ベレットの後継車としての位置を明確とするため、1975年までは「ベレット・ジェミニ」と称していた。

「Tカー」はオペル・カデットのほかに、シボレー・シェベット、ポンティアック・1000など世界中で姉妹車が生産されていた。

ボディタイプは4ドアセダンと2ドアクーペの2種類。当初は1600ccシングルキャブのSOHCエンジンを搭載したPF50型のみのラインナップであったが、ベース車両となったオペル・カデットそのままに逆スラントノーズを採用し、直線を基調にした欧州風のボディデザインとなった。

ヘッドライトは、オリジナルは丸目2灯であったが1977年6月に角目2灯に変更。1979年にジェミニ単独のフェイスリフトが行われスラントノーズ形状に変更、ヘッドライトも丸目2灯に戻った。後に異型2灯に変更される。

1979年に大幅なボディデザインの変更を受け、ディーゼルエンジン搭載車と1800ccDOHCガソリンエンジン搭載のホットモデル「ZZ」(ダブルズィー)シリーズが追加された。また車名表記も「Gemini」から「GEMINI」と変更されている。

このディーゼルエンジンモデルは「第二次オイルショック」の時期と重なったことで、低燃費車として脚光を浴び、1982年には世界初の電子制御式ディーゼルエンジンモデルも登場した。このため、後期型の初代ジェミニは「80年代のディーゼル車」とも言われるように、ディーゼル乗用車の代表として広く認知される。

1985年に2代目の「FFジェミニ」が登場したのに伴い、同年販売終了。ただし、1800ccDOHCエンジン搭載のスポーツモデル「ZZ」シリーズのみは2代目に「イルムシャー」仕様が追加される1987年2月まで生産継続された。

機構
駆動方式は後輪駆動。エンジンは当初1600ccSOHCの「G161型」のみであったが、1977年6月より1800ccSOHCの「G180型」が追加。さらに、1979年のビッグマイナーチェンジ時に1800ccDOHCエンジンと1800ccディーゼルエンジンが追加された。

組み合わされるトランスミッションは当初4速MTのみでスタートするが、1975年に3速AT 、1976年に5速MTが追加された。

サスペンションは前輪がダブルウィッシュボーン式、後輪が3リンク・コイルスプリング式で、ステアリングはラック・アンド・ピニオン式を採用していた。

年表
前期(逆スラントノーズ)型
1974年5月 前年に販売終了したベレットの後継車として「ベレットジェミニ1600」(PF50型)が発表。
1974年10月 1600ccガソリン車(PF50型)登場。クーペ、セダン共に「LD」、「LT」、「LS」の3グレードを用意していた。全車4速MT車。
1975年4月 安全対策向上の為に改良実施。また、これに合わせて車名からベレットの後継車という位置付けを明確にする為に付けていた「ベレット」という冠が取れ、「ジェミニ1600」となった。
1975年12月 昭和50年排ガス規制に適合。「LD」、「LT」に3速AT車を追加。
1976年5月 「LS」に5速MT車をオプション設定化。
1976年11月 昭和51年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。ヒルマン・ミンクスの再来のような外観の「LTミンクス」が追加。
1977年6月 1800ccガソリン車(PF60型)登場。同時に、ヘッドライトのデザインが丸目2灯から角目2灯に変更された。
1977年11月 1600ccガソリン車が昭和53年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。
1978年11月 1800ccガソリン車が昭和53年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。
1800ccガソリン車セダンに「ミンクス」「ブラックジェミニ」を追加。同時に、1600ccガソリン車も一部改良を実施した。

後期(スラントノーズ)型
1979年6月 ビッグマイナーチェンジを受け、フロント部分は通称「逆スラ」からサイドマーカー付きのスラントノーズに変更され、ヘッドライトは銀縁の付いた角目2灯(一部のグレードは丸目2灯)に変更。リアテールレンズは大型化された。1800ccガソリン車クーペに「ミンクス」を追加。またチルト付サンルーフを国産初の試みとしてオプション設定した。
このスラントノーズを採用したデザインはホールデン・ジェミニ、セハン・メプシ(後の大宇・メプシーナ)が採用。ジェミニ系車種のベースとなった姉妹車オペル・カデットは採用しなかった。
1979年11月 1800ccガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ」を追加。1800ccディーゼル車(PFD60型)登場。
1980年3月 1800ccガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ-L」を追加。
1980年6月 LS相当のスポーティなディーゼル車の「ゴールドディーゼル」とエアコンとステレオ標準装備の1800「クリーンLT」(ガソリンとディーゼルに設定)
1980年9月 ジェミニのディーゼル車が「ディーゼル乗用車クラス」での販売台数1位になった事を記念して、「いすゞジェミニディーゼル感謝祭」を開催。合わせて特別仕様車を限定発売した。
1981年1月 1800ccディーゼル車に998000円の「LDスペシャル」を追加。
1981年4月 1800ccガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ-R」を限定発売。当時参戦していた国内ラリーを意識したモデルだった。
1981年10月 マイナーチェンジでインパネのデザインが大幅に変更される。ヘッドライトが近代的な異型2灯に変更。リアは変更なし。1800cc車に「LG」、1800ccディーゼル車に「LJ」(クリーンLTの改称)「LS」(ゴールドの改称)を追加。
1982年10月 1800ccディーゼル車に初の電子制御噴射装置を内蔵して66馬力にパワーアップした「LT-E」「LJ-E」を追加。
1982年11月 一部改良。73馬力までパワーを上げた1800ccディーゼルターボ車(PFD60型)が登場。
世界初の電子制御式のターボチャージャー搭載ディーゼルエンジンであった。
1983年10月 一部改良でドアミラーを採用。車種整理でカスタムシリーズを追加。
1984年12月 特別仕様車「エクストラシリーズ」を追加。
1985年3月 1800ccガソリン車の「ZZ」を改良。
1985年5月 2代目「FFジェミニ」が登場するが、継続生産される。
1986年6月 生産終了。同時に2代目はFFと言う冠が取れ「ジェミニ」となる。

[ 2008/06/03 16:50 ] ISUZU | TB(0) | CM(0)

Isuzu Aska 1983 Ad 1'00"

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フローリアンの後継車として発売された。1990年からは、いち早く他社からのOEM供給車に切り替わったが、同様にOEM供給車に切り替わっていったジェミニの廃止後も2002年まで販売が継続され、結果的には、いすゞが最後まで販売したセダンとなる。

車体は4ドアノッチバックセダンのみ。初代は、姉妹車のような3ドアハッチバック、5ドアハッチバックも設計されたが、生産・販売には至らなかった。先代のフローリアンに設定されていたライトバンやOEM元に設定されているステーションワゴンなどは設定されていない。 初代にはタクシーや教習車仕様も設定されていた。

初代はラインナップが幅広く、販売の主力はディーゼル車であった。自家用車としてもそこそこの売れ行きはあったが、タクシーや教習車といった法人需要があったのも、フローリアンの後継車らしいところ。

OEMに切り替えられた2代目以降はラインナップが大幅に整理され、オーソドックスなグレードのみの設定となる。派手な広告戦略も展開されなかった事から、先代やOEM元よりも地味な車となってしまった。

初代
1983年4月、「フローリアン・アスカ」として発売。
型式名:JJ110(1800cc車)、JJ120(2000cc車)、JJ510(2000ccディーゼル車)
いすゞがフローリアンの後継車の設計を迫られていた時期に、GMが立ち上げることになった世界戦略車構想へ当初より参画して作られたJ-car(当初はU-car)というクラスのモデルである。姉妹車にはオペル・アスコナ(3代目)、ホールデン・カミーラ、キャディラック・シマロン、シボレー・キャバリエなどがある。アスコナが原型と言われることが多いが、実際にはごく初期段階を除いてほとんどの設計を、オペル、GM、いすゞの3社が個別で同時進行したため、足回りや一部の外装以外、部品の共通性は無いに等しい。

姉妹車より2ヶ月遅れの1981年秋を発売予定として設計が進められていたが、結果として約1年半遅れてしまった。これも、他車との販売競争に打ち勝てなかった一因と思われる
。 1983年8月、89馬力にパワーアップをしたターボディーゼル車追加。
1983年11月、イギリスRACラリーに初出場し、クラス優勝。
1984年1月、ディーゼル車にAT車を追加。
1984年10月、ターボディーゼル車の国際速度記録樹立/ターボディーゼル車にAT車を追加。
1984年、オリエントスピードが、ガソリンターボLSをチューンしたTC2000を発売。いすゞディーラーでも購入できるアスカのチューニングカーであった。

1985年7月、マイナーチェンジでフェイスリフトが行われる。名称が「アスカ」となる。廉価グレードが廃止された。

1985年10月、ホットモデルとしてSOHCターボモデルをベースにサスペンションと一部内外装を変更したイルムシャー仕様が追加された。イルムシャーモデルのCMではモーツァルトの「ホルン協奏曲」のバックに平原を疾走する同車に「DANKE SCHÖN IRMSCHER(ありがとうイルムシャー)」というナレーションが入る。

1989年3月、いすゞの乗用車の中では最初に自社生産を終了。総生産台数は108.512台(いすゞHPより)。翌年6月に後継車のアスカCX(レガシィのOEM)が登場。

機構
駆動方式は前輪駆動。
エンジンはSOHC。NAはキャブであるが、2000ccガソリンには前期型のみ電子制御キャブ搭載モデル(115馬力)も存在した。2Lガゾリンと2Lディーゼルにそれぞれターボ付仕様があるので合計5種類ものラインナップが存在する。インタークーラー付きターボディーゼルは広く注目を集め、また2000ccSOHCガソリンターボはエンジン出力150PS(グロス)を誇り、このクラスの車としては比較的軽量な1000kg少々の車体とあいまってゼロヨン15.3秒を叩き出した。これは当時の世界最速値であった。

サスペンションは四輪独立操架で、前輪がマクファーソンストラットとコイルの組み合わせ、後輪がトレーリングアームとコイルの組み合わせを用いる。

変速機構は5MTと3ATでスタートしたが、1984年には5MTを電子制御した世界初のオートマチックトランスミッションであるNAVi5を搭載し、注目を集めた。

[ 2008/06/04 17:12 ] ISUZU | TB(0) | CM(0)

Isuzu Gemini 1980 Ad 0'30"

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ジェミニ (Gemini) は、1974年から2000年までいすゞ自動車で製造(3代目まで)・販売されていた乗用車である。1993年からは、OEM供給による販売となっていた。

概要
初代「PF型」は、提携先のゼネラルモーターズ (GM) の「ワールドカー構想」に基づく世界戦略車のひとつ、「Tカー」であった。オペル・カデットをはじめとして各国で姉妹車が生産されていた。

2代目「JT0型」と3代目「JT1型」は、GMの「Rカー」としてOEM生産(相手先ブランド供給)を視野に入れ自主開発されたモデル。特に2代目は、いすゞの乗用車史上最大の販売台数を記録。しかし、3代目へのモデルチェンジでは一転して販売台数が低迷した。

業績悪化により4代目以降は自社開発を断念、ホンダのOEM供給を受けることとなり、供給モデルの絶版に伴い5代目で販売を打ち切った。

初代(PF50型、PF60型、PFD60型)
1974年11月登場。形式名は1974年に登場した1600ccガソリン車がPF50型、1977年に登場した1800ccガソリン車がPF60型。そして1979年に登場した1800ccディーゼル車がPFD60型となっている。

GMがベレットの生産継続を主張したのに対し、いすゞは市場性の見地よりモデルチェンジを要望、その結果、オペル・カデットを原型とするGMの世界戦略車構想の「Tカー」をベースにする事が決まった。

ボディーサイズは、カデットをベースにした為べレットより一回り大きくなり、フローリアンとの関係が不明確となった。

「ふたご座」の英名である「ジェミニ」を名乗った。ただし、ベレットの後継車としての位置を明確とするため、1975年までは「ベレット・ジェミニ」と称していた。

「Tカー」はオペル・カデットのほかに、シボレー・シェベット、ポンティアック・1000など世界中で姉妹車が生産されていた。

ボディタイプは4ドアセダンと2ドアクーペの2種類。当初は1600ccシングルキャブのSOHCエンジンを搭載したPF50型のみのラインナップであったが、ベース車両となったオペル・カデットそのままに逆スラントノーズを採用し、直線を基調にした欧州風のボディデザインとなった。

ヘッドライトは、オリジナルは丸目2灯であったが1977年6月に角目2灯に変更。1979年にジェミニ単独のフェイスリフトが行われスラントノーズ形状に変更、ヘッドライトも丸目2灯に戻った。後に異型2灯に変更される。

1979年に大幅なボディデザインの変更を受け、ディーゼルエンジン搭載車と1800ccDOHCガソリンエンジン搭載のホットモデル「ZZ」(ダブルズィー)シリーズが追加された。また車名表記も「Gemini」から「GEMINI」と変更されている。

このディーゼルエンジンモデルは「第二次オイルショック」の時期と重なったことで、低燃費車として脚光を浴び、1982年には世界初の電子制御式ディーゼルエンジンモデルも登場した。このため、後期型の初代ジェミニは「80年代のディーゼル車」とも言われるように、ディーゼル乗用車の代表として広く認知される。

1985年に2代目の「FFジェミニ」が登場したのに伴い、同年販売終了。ただし、1800ccDOHCエンジン搭載のスポーツモデル「ZZ」シリーズのみは2代目に「イルムシャー」仕様が追加される1987年2月まで生産継続された。

初代ジェミニの総生産台数は768,537台(いすゞHPより)。

機構
駆動方式は後輪駆動。エンジンは当初1600ccSOHCの「G161型」のみであったが、1977年6月より1800ccSOHCの「G180型」が追加。さらに、1979年のビッグマイナーチェンジ時に1800ccDOHCエンジンと1800ccディーゼルエンジンが追加された。

組み合わされるトランスミッションは当初4速MTのみでスタートするが、1975年に3速AT 、1976年に5速MTが追加された。

サスペンションは前輪がダブルウィッシュボーン式、後輪が3リンク・コイルスプリング式で、ステアリングはラック・アンド・ピニオン式を採用していた。

前期(逆スラントノーズ)型

1974年5月 前年に販売終了したベレットの後継車として「ベレットジェミニ1600」(PF50型)が発表。
1974年10月 1600ccガソリン車(PF50型)登場。クーペ、セダン共に「LD」、「LT」、「LS」の3グレードを用意していた。全車4速MT車。
1975年4月 安全対策向上の為に改良実施。また、これに合わせて車名からベレットの後継車という位置付けを明確にする為に付けていた「ベレット」という冠が取れ、「ジェミニ1600」となった。
1975年12月 昭和50年排ガス規制に適合。「LD」、「LT」に3速AT車を追加。
1976年5月 「LS」に5速MT車をオプション設定化。
1976年11月 昭和51年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。ヒルマン・ミンクスの再来のような外観の「LTミンクス」が追加。
1977年6月 1800ccガソリン車(PF60型)登場。同時に、ヘッドライトのデザインが丸目2灯から角目2灯に変更された。
1977年11月 1600ccガソリン車が昭和53年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。
1978年11月 1800ccガソリン車が昭和53年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。
1800ccガソリン車セダンに「ミンクス」「ブラックジェミニ」を追加。同時に、1600ccガソリン車も一部改良を実施した。

自動車のスペック表
1979年6月 ビッグマイナーチェンジを受け、フロント部分は通称「逆スラ」からサイドマーカー付きのスラントノーズに変更され、ヘッドライトは銀縁の付いた角目2灯(一部のグレードは丸目2灯)に変更。リアテールレンズは大型化された。1800ccガソリン車クーペに「ミンクス」を追加。またチルト付サンルーフを国産初の試みとしてオプション設定した。
このスラントノーズを採用したデザインはホールデン・ジェミニ、セハン・メプシ(後の大宇・メプシーナ)が採用。ジェミニ系車種のベースとなった姉妹車オペル・カデットは採用しなかった。
1979年11月 1800ccガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ」を追加。1800ccディーゼル車(PFD60型)登場。
1980年3月 1800ccガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ-L」を追加。
1980年6月 LS相当のスポーティなディーゼル車の「ゴールドディーゼル」とエアコンとステレオ標準装備の1800「クリーンLT」(ガソリンとディーゼルに設定)
1980年9月 ジェミニのディーゼル車が「ディーゼル乗用車クラス」での販売台数1位になった事を記念して、「いすゞジェミニディーゼル感謝祭」を開催。合わせて特別仕様車を限定発売した。
1981年1月 1800ccディーゼル車に998000円の「LDスペシャル」を追加。
1981年4月 1800ccガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ-R」を限定発売。当時参戦していた国内ラリーを意識したモデルだった。
1981年10月 マイナーチェンジでインパネのデザインが大幅に変更される。ヘッドライトが近代的な異型2灯に変更。リアは変更なし。1800cc車に「LG」、1800ccディーゼル車に「LJ」(クリーンLTの改称)「LS」(ゴールドの改称)を追加。
1982年10月 1800ccディーゼル車に初の電子制御噴射装置を内蔵して66馬力にパワーアップした「LT-E」「LJ-E」を追加。
1982年11月 一部改良。73馬力までパワーを上げた1800ccディーゼルターボ車(PFD60型)が登場。 世界初の電子制御式のターボチャージャー搭載ディーゼルエンジンであった。
1983年10月 一部改良でドアミラーを採用。車種整理でカスタムシリーズを追加。
1984年12月 特別仕様車「エクストラシリーズ」を追加。

[ 2008/06/12 08:26 ] ISUZU | TB(0) | CM(0)

Isuzu in Joe Germany 0'29"

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ジェミニ (Gemini) は、1974年から2000年までいすゞ自動車で製造(3代目まで)・販売されていた乗用車である。1993年からは、OEM供給による販売となっていた。

概要
初代「PF型」は、提携先のゼネラルモーターズ (GM) の「ワールドカー構想」に基づく世界戦略車のひとつ、「Tカー」であった。オペル・カデットをはじめとして各国で姉妹車が生産されていた。

2代目「JT0型」と3代目「JT1型」は、GMの「Rカー」としてOEM生産(相手先ブランド供給)を視野に入れ自主開発されたモデル。特に2代目は、いすゞの乗用車史上最大の販売台数を記録。しかし、3代目へのモデルチェンジでは一転して販売台数が低迷した。

業績悪化により4代目以降は自社開発を断念、ホンダのOEM供給を受けることとなり、供給モデルの絶版に伴い5代目で販売を打ち切った。

2代目(JT150・190・600)
2代目は1985年5月、発売された。型式名は1985年に登場した1500ccガソリン車がJT150型、1988年に登場した1600ccDOHCガソリン車がJT190型。そして1500ccディーゼルと1500ccディーゼルターボ車はJT600型。

GMの世界戦略車構想の「Rカー」として、「クオリティ・コンパクト」というコンセプトで、いすゞが単独開発した(Rカーは1984年11月よりGM向けに供給を開始)。駆動方式は前輪駆動を採用。当初は初代(PF60型)の「ZZ」が併売されていた関係で、「FFジェミニ」と称していた。ボディサイズは小型車クラスから大衆車クラスへとサイズダウンされた。

117クーペ以来17年ぶりのいすゞオリジナル設計の乗用車で、モデルチェンジにあたり、アスカとの競合を避け、なおかつ米国市場をも意識して初代より一回り小型のクラス(現在のBセグメント)をターゲットとし、居住性と取り回しの良さを得るためにFF化、パワーステアリングやサーボブレーキなど特に操縦性を重視した設計とされた。このコンセプト内容は、かつて次期ベレット構想時にも検討されていた。

ボディデザインは有名デザイナーのジウジアーロが手がけた。ボディタイプは4ドアセダンと、先代の2ドアクーペに代わって3ドアハッチバックが設定された。

1987年2月に1回目のマイナーチェンジ。特に大きな変更を受けたのはフロントマスクで、サイドマーカーをサイドに回りこませた、通称「つり目」といわれるフォグランプ一体の異型ヘッドライトを採用、同時にグリル形状も変更された。室内も見直しが行われ、インパネやクラスタースイッチの形状変更などが行なわれた。

また、これと同時に先代ジェミニ(PF60型)の製造が終了。差別化の為に付いていた「FF」と言う冠が取れ、「ジェミニ」になった。

1986年には専用の電子制御式ターボ付き1500ccガソリンエンジン「4XC1-T型」を搭載し、足回りを旧・西ドイツのイルムシャー社がチューニングした「イルムシャー」仕様が登場。

1988年 には、1600ccの4バルブDOHCエンジン「4XE1型)を搭載し、足回りを英国のロータス社がチューニングしてBBSホイールをオプション設定(ZZ-SEのみ標準装備)した「ZZハンドリング・バイ・ロータス」仕様が追加された。のちに同じエンジンを搭載した1600cc「イルムシャー」も追加される。

「イルムシャー」は高い走行性能を有するヨーロピアン・スポーツ車として、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」は高性能ながらも落ち着いた操縦性を有するラグジュアリ・アダルトスポーツ車としての性格付けがなされていた。また、いずれも前席にレカロ社製のセミバケットシートを標準装備していた。

そして1989年2月に2回目のマイナーチェンジ。サイドマーカーの位置がフェンダー部分に変更され、セダンのみ後ろ周りのデザイン変更が行われ、ナンバープレートの位置が、トランクリッド部分からバンパー中央部分に移動されている。

2代目はトヨタ・カローラや日産・サニーなど、強力な競合車種が存在する大衆車クラスに変更された関係で、当初は販売面が憂慮された。しかし、「街の遊撃手」というキャッチコピーそのままに、ジェミニがパリの街並みを踊るように駆け抜けていくテレビCMが評判を呼び(当時の世界最高レベルのカースタント技術が使われていた)、カラーバリエーションも豊富で、一時は月間販売台数でカローラを抜くほどの販売台数を記録した。

2代目の総生産台数は 748,216台(いすゞHPより)。

グレード
グレード展開は当初「C/C」を基本グレードとして、実用仕様の4ドア「T/T」と3ドア「D/D」の実質2種類だった。その後、スポーツモデルの「イルムシャー」、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」が追加。また、1988年には「C/C」の上級モデルの「G/G」が追加された。

他にも「パティオ」、屋根がキャンバストップになった「C/Cユーロルーフ」、レカロシート装備のターボディーゼル「S/S」、特殊架装のピックアップモデルである「ドゥエドゥ」、ガソリン・ディーゼル共にNAVi5モデルなどが設定されていた。

機構
駆動方式は前輪駆動を採用している。

搭載されたエンジンは1500ccSOHCの4XC1型および同ターボ付の4XC1-T型、1600ccDOHCの4XE1型、1500ccディーゼルの4EC1型および同ターボ付の4EC1-T型。

組み合わされるトランスミッションは当初、5速MTと3速ATでスタートしたが、1986年にコンピューター制御の5速オートマチックであるドライビングロボットこと「NAVi5」を搭載したモデル車が登場した。

サスペンションは四輪独立操架で、前輪にマクファーソンストラットコイル式、後輪にコンパウンドクランクコイルを採用。また、スポーツモデルの「イルムシャー」仕様にはメーカーオプション扱いでビスカス式LSDの装備も可能だった。

ステアリングはラック・アンド・ピニオン式。パワーステアリング仕様も選べた。また、ブレーキには全車サーボが標準装備されたのも特徴の一つである。

初期型
1985年5月 フルモデルチェンジで2代目が登場。1500ccガソリン車(JT150型)のセダンとハッチバックが登場。先代ジェミニ(PF型)の一部モデルが継続販売であった為に「FFジェミニ」と言う名称で販売が開始された。
1985年11月 1500ccディーゼルターボ車、1500ccディーゼル車(共にJT600型)のセダンとハッチバックが登場。
1985年12月 セダン及びハッチバックの「C/C」が、日本産業デザイン振興会主催の1985年度グッドデザイン賞商品に選出された。
1986年1月 特別仕様車「ホワイト・ジェミニ」を限定発売。
1986年2月 特別仕様車「ブラック・ジェミニ」を限定発売。
1986年3月 特別仕様車「ブライトスプリング・ジェミニ」を限定発売。
1986年4月 一部改良で同時に1500ガソリン車のセダン及びハッチバックに、コンピューター制御の5速オートマチック「NAVI-5」搭載モデルが追加。
1986年5月 1500ガソリン車に、インタークーラー付きターボエンジンを搭載したのセダン及びハッチバックの「イルムシャー」(JT150型)を追加。
1986年7月 「C/C」ベースの特別仕様車「サマー・ジェミニ」を限定販売。
1986年9月 特別仕様車「ホワイト・ジェミニ」を限定発売。
1986年12月 「C/C」ベースの特別仕様車「ウインター・ジェミニ」を限定販売。

中期型
1987年2月 マイナーチェンジ。ヘッドライトの形状が変更され、同時にグリル形状やテールレンズも変更。室内もインパネやクラスタースイッチの形状が変更された。
1987年3月 いすゞ自動車創立50周年特別記念車として特別仕様の「C/C」を限定発売。
1987年4月 セダンの1500ccガソリン/ディーゼル車に「パティオ」を追加。通販会社ディノスと提携した専用モデルの「ディノス」を限定発売。グレード名は「E/E」(セダン「T/T」とほぼ同仕様)。
1987年5月 1500ccガソリン車のセダン及びハッチバックに「ユーロルーフ」モデルを追加。1500ccガソリンターボ車に特別仕様車として「イルムシャーRS」を台数限定発売。
1987年6月 1500ccガソリンターボ車のセダン及びハッチバックに、競技用ベース車両で時計、オーディオ、ホイールキャップ等の装備が省略された「イルムシャーR」を追加設定。同月、いすゞ自動車創立50周年特別記念車の第2弾として特別仕様の「C/C」と「イルムシャー」を限定発売。
1987年7月 1500ccディーゼルターボ車のセダン及びハッチバックに「NAVI-5」搭載モデルが追加。
1987年8月 「C/C」ベースの特別仕様車「サマー・ジェミニ」を限定発売。
1987年9月 1500ccガソリンターボ車に特別仕様車として「イルムシャーRS」を200台の台数限定発売。
1987年11月 特別仕様車「ハイクオリティ・ジェミニ」を限定発売。
1988年2月 「NAVI-5」を一部改良。
1988年3月 1600ccのDOHCガソリンエンジン搭載車「ZZハンドリング・バイ・ロータス」(JT190型)を追加。1500ccガソリン車のセダンに「C/C」の上級グレードとして「G/G」を追加。
1988年4月 「C/Cユーロルーフ」ベースでバンパーやサイドプロテクターなどがシルバー(ベース車は素材色)に塗り分けられた2トーンカラーの特別仕様車「C/C-SE・スプリングキュート」を限定発売。
1988年5月 前年に限定発売した「ディノス」が、通販会社「ディノス」でのカタログ販売専用モデルとして追加。
1988年6月 1600ccガソリン車に「イルムシャー」と受注生産の「イルムシャーR」を追加。特別仕様車「クールサマー・ジェミニ」を限定発売。
1988年9月 特別仕様車「オータムエレガント・ジェミニ」を限定発売。

最終型
1989年2月 マイナーチェンジ。外観の変更を行う。特別仕様車「スプリングフィット・ジェミニ」を限定発売。
1989年6月 1500ccガソリン車のセダンに「G/Gリミテッド」を追加。
1989年7月 1600ccガソリン車のセダンに「ZZ-SEハンドリング・バイ・ロータス」を追加。
1989年9月 特別仕様車「オータムフィット・ジェミニ」を限定発売。
1989年11月 特別仕様車「ウインターフィット・ジェミニ」を限定発売。「イルムシャーRS」を台数限定発売。
1990年1月 C/Cベースの特別仕様車「ウインター・ジェミニ」を限定発売。
1990年3月 販売終了。3代目にバトンタッチ。

[ 2008/06/13 15:48 ] ISUZU | TB(0) | CM(0)

Isuzu Piazza JT221 0'30"

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概要
PFジェミニの販促用のアイキャッチモデルとして計画されたが、発売開始時期が117クーペの販売終了時期と重なった為、117クーペの後継車的位置付けも加えられた。初代のデザインは117クーペと同じくジョルジェット・ジウジアーロが担当した。

いすゞのフラグシップを務め、2代目モデルはプラットフォームをジェミニと共有する。

なお、歴代のいすゞ製乗用車のなかで本車のみ、ディーゼルエンジン搭載モデルが存在しない。

2代目(1991年-1993年)
形式名:JT221。
いすゞは、ゼネラルモーターズ向けに生産した3代目ジェミニの派生車種「ジオ・ストーム」をベースに、北米市場で「いすゞ」ブランドで展開する乗用車として2代目「インパルス」を開発、1990年より北米で発売する。ストームをベースとして派生モデルを作成することは、同車開発時より考慮されていたことである。インパルスは当初から日本への展開も予定されており、1991年8月より日本国内向けに仕様を変更して、2代目ピアッツァとして販売が開始された。

デザインは「インパルス」、「ピアッツァ」共に中村史郎が担当し、スマートな形状のストーム・ジェミニクーペに対して、力強さをアピールしがっちりとしたフォルムを出すことで差別化を図っている。前後のエアダムスポイラーと可動式ヘッドランプカバーが外観における特徴となっている。

だが、カリスマ性のあった先代と異なり、日本国内では高級志向にシフトしたために価格がジェミニより割高に設定されていたのにもかかわらず、機構的にはジェミニクーペと差異が少なく、どこにでもありそうなクーペとなったことから3代目ジェミニの(突然変異的)変形車と受け止められ、日本市場では不評に終わる。

1993年3月 - いすゞの乗用車自主生産撤退により、本車がいすゞが開発した最後の乗用車になった。総生産台数はいすゞからは公表されていないが、判明する限りのデータを集計すると、わずか9,613台にとどまる。このうち、日本国内での登録数は1,200台にも満たなかった。

また、この2代目は一応ヤナセでピアッツァ・ネロとして販売されてはいたが、いすゞモデルとはセンターグリルエンブレム・ステッカー類・内装の柄の違いとボディカラー設定の差位しかなかった為、あまりの影の薄さにモデルが存在していないという誤った知識が出るほどであった。

海外で販売されたインパルスは国内モデルとは細部が異なっており、外観はフロントバンパーが異なるためピアッツァよりも全長が短く、エンジンはジェミニ用の1600ccターボ(=4WD)、インパネもストーム(PAネロ)のものと同じで、いすゞ版ストームという位置付けであった。国内向けモデルのリヤクロスメンバーがジェミニ4駆モデルと同じなのはこの海外向けモデルの存在が大きい。ちなみに日本では展開されなかったが、ストームがベースとなったインパルスでは、この顔をしたハッチバックモデルもラインナップされていた。

また、カナダではGM系ブランド「アスナ」向けに「サンファイア」として供給されていた。

機構
駆動方式は前輪駆動。エンジンは1800ccDOHCの4XF1型で、これはジェミニやロータスエランに搭載された4XE1型をストロークアップしたものである。変速機構は5MTと4AT。サスペンションは3代目ジェミニ同様、ストラット式をベースに後輪には4WSの一種であるニシボリック・サスペンションを装備する。また、2代目ピアッツァについては開発過程でロータスが監修しており、生産車すべてが「ハンドリングバイロータス」仕様である。

ピアッツァ・ネロ
ヤナセが1980年代初め大型外車販売が不振であり、GM車の販売も減退していた為、Jカー発売を控えGMとの提携強化を図りたいいすゞ側との思惑が一致し、いすゞ車の販売チャンネルをヤナセに設ける事により発売となった。ネロとはイタリア語の「黒」で、高級・スポーティーなイメージを表現する。内外装をその名の通りのブラックやピンストライプなど、いすゞ純正車にはみられないものを用意し差別化が図られている。初代はピアッツァとの差別化の為、ピアッツァの特徴である異形2灯ヘッドライトを1984年より輸出型の4灯に変更し、更に1988年にはIMPULSE用のボンネットフードを採用し、同時に可動式ヘッドカバーを廃止した。初代、2代目合計で11,656台が販売された。

なお、ヤナセから販売されたモデルとしては、他に3代目ジェミニベースの北米向けクーペであるジオ・ストームを日本国内向けに調整したPA NERO(PAネロ)が存在する。ピアッツァとはフロントマスク、リアデザイン、エンジン以外等、細部以外のほとんどのパーツを共有する兄弟モデルとも言える。

車名の由来
# イタリア語で「広場」の意味で、1980年代の車社会において広場のような価値観の車であることを願って命名されている。

[ 2008/06/14 10:20 ] ISUZU | TB(0) | CM(0)

Isuzu Gemini CM Powants 0'30"

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2代目(JT150・190・600)
2代目は1985年5月、発売された。型式名は1985年に登場した1500ccガソリン車がJT150型、1988年に登場した1600ccDOHCガソリン車がJT190型。そして1500ccディーゼルと1500ccディーゼルターボ車はJT600型。

GMの世界戦略車構想の「Rカー」として、「クオリティ・コンパクト」というコンセプトで、いすゞが単独開発した(Rカーは1984年11月よりGM向けに供給を開始)。駆動方式は前輪駆動を採用。当初は初代(PF60型)の「ZZ」が併売されていた関係で、「FFジェミニ」と称していた。ボディサイズは小型車クラスから大衆車クラスへとサイズダウンされた。

117クーペ以来17年ぶりのいすゞオリジナル設計の乗用車で、モデルチェンジにあたり、アスカとの競合を避け、なおかつ米国市場をも意識して初代より一回り小型のクラス(現在のCセグメント)をターゲットとし、居住性と取り回しの良さを得るためにFF化、パワーステアリングやサーボブレーキなど特に操縦性を重視した設計とされた。このコンセプト内容は、かつて次期ベレット構想時にも検討されていた。

ボディデザインは117クーペやピアッツァなどでいすゞとの関係が深かったジウジアーロが手がけた。しかしフロント部のいすゞ社内によるリデザインにジウジアーロが難色を示したため、発表時には彼のデザインであることは伏せられた。ボディタイプは4ドアセダンと、先代の2ドアクーペに代わって3ドアハッチバックが設定された。

1987年2月に1回目のマイナーチェンジ。特に大きな変更を受けたのはフロントマスクで、サイドマーカーをサイドに回りこませた、通称「つり目」といわれるフォグランプ一体の異型ヘッドランプを採用、同時にグリル形状も変更された。室内も見直しが行われ、インパネやクラスタースイッチの形状変更などが行なわれた。

また、これと同時に先代ジェミニ(PF60型)の製造が終了。差別化の為に付いていた「FF」と言う冠が取れ、「ジェミニ」になった。

1986年には専用の電子制御式ターボ付き1500ccの2バルブSOHCガソリンエンジン「4XC1-T型」を搭載し、足回りを旧・西ドイツのイルムシャー社がチューニングしたスポーツモデルの「1.5 イルムシャー」が登場。

1988年 には、1600ccの4バルブDOHCエンジン「4XE1型)を搭載し、足回りを英国のロータス社がチューニングしてBBSホイールをオプション設定(ZZ-SEのみ標準装備)した「ZZハンドリング・バイ・ロータス」仕様が追加された。のちに同じエンジンを搭載した「1.6 イルムシャー」も追加される。

「イルムシャー」は高い走行性能を有するヨーロピアン・スポーツ車として、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」は高性能ながらも落ち着いた操縦性を有するラグジュアリ・アダルトスポーツ車としての性格付けがなされていた。また、いずれも前席にレカロ社製のセミバケットシートを標準装備していた。

そして1989年2月に2度目のマイナーチェンジ。サイドマーカーの位置がフェンダー部分に変更され、セダンのみ後ろ周りのデザイン変更が行われ、ナンバープレートの位置が、トランクリッド部分からバンパー中央部分に移動されていた。

2代目は大衆車クラスに変更された関係で当初は販売面が憂慮されたが、当時の世界最高レベルのカースタント技術を持つレミー・ジュリアンが監修を務め「街の遊撃手」というキャッチコピーを視覚表現した、ジェミニがパリの街並みを踊るように駆け抜けていくテレビCMが大きな反響を呼んだこと[2][3]やカラーバリエーションが豊富なことも起因して、一時は月間販売台数でカローラを抜くほどの販売台数を記録した。

2代目の総生産台数は 748,216台(いすゞHPより)。

グレード
グレード展開は当初「C/C」を基本グレードとして、実用仕様の4ドア「T/T」と3ドア「D/D」の実質2種類だった。その後、スポーツモデルの「イルムシャー」、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」が追加。また、1988年には「C/C」の上級モデルの「G/G」が追加された。

他にも「パティオ」、屋根がキャンバストップになった「C/Cユーロルーフ」、レカロシート装備のターボディーゼル「S/S」、特殊架装のピックアップモデルである「ドゥエドゥ」、ガソリン・ディーゼル共にNAVi5モデルなどが設定されていた。

機構
駆動方式は前輪駆動を採用している。搭載されたエンジンは1500ccSOHCの4XC1型および同ターボ付の4XC1-T型、1600ccDOHCの4XE1型、1500ccディーゼルの4EC1型および同ターボ付の4EC1-T型。組み合わされるトランスミッションは当初、5速MTと3速ATでスタートしたが、1986年にコンピューター制御の5速オートマチックであるドライビングロボットこと「NAVi5」を搭載したモデル車が登場した。

サスペンションは前輪にマクファーソンストラットコイル式、後輪にコンパウンドクランクコイル(トーションビーム)を採用。また、スポーツモデルの「イルムシャー」仕様にはメーカーオプション扱いでビスカス式LSDの装備も可能だった。

ステアリングはラック・アンド・ピニオン式。パワーステアリング仕様も選べた。また、ブレーキには全車サーボが標準装備されたのも特徴の一つである。

初期型
* 1985年5月 フルモデルチェンジで2代目が登場。1500ccガソリン車(JT150型)のセダンとハッチバックが登場。先代ジェミニ(PF型)の一部モデルが継続販売であった為に「FFジェミニ」と言う名称で販売が開始された。
* 1985年11月 1500ccディーゼルターボ車、1500ccディーゼル車(共にJT600型)のセダンとハッチバックが登場。
* 1985年12月 セダン及びハッチバックの「C/C」が、日本産業デザイン振興会主催の1985年度グッドデザイン賞商品に選出された。
* 1986年1月 特別仕様車「ホワイト・ジェミニ」を限定発売。
* 1986年2月 特別仕様車「ブラック・ジェミニ」を限定発売。
* 1986年3月 特別仕様車「ブライトスプリング・ジェミニ」を限定発売。
* 1986年4月 一部改良で同時に1500ガソリン車のセダン及びハッチバックに、コンピューター制御の5速オートマチック「NAVi5」搭載モデルが追加。
* 1986年5月 1500ガソリン車に、インタークーラー付きターボエンジンを搭載したのセダン及びハッチバックの「イルムシャー」(JT150型)を追加。
* 1986年7月 「C/C」ベースの特別仕様車「サマー・ジェミニ」を限定販売。
* 1986年9月 特別仕様車「ホワイト・ジェミニ」を限定発売。
* 1986年12月 「C/C」ベースの特別仕様車「ウインター・ジェミニ」を限定販売。

中期型
* 1987年2月 マイナーチェンジ。ヘッドランプの形状が変更され、同時にグリル形状やテールレンズも変更。室内もインパネやクラスタースイッチの形状が変更された。
* 1987年3月 いすゞ自動車創立50周年特別記念車として特別仕様の「C/C」を限定発売。
* 1987年4月 セダンの1500ccガソリン/ディーゼル車に「パティオ」を追加。通販会社ディノスと提携した専用モデルの「ディノス」を限定発売。グレード名は「E/E」(セダン「T/T」とほぼ同仕様)。
* 1987年5月 1500ccガソリン車のセダン及びハッチバックに「ユーロルーフ」モデルを追加。1500ccガソリンターボ車に特別仕様車として「イルムシャーRS」を台数限定発売。
* 1987年6月 1500ccガソリンターボ車のセダン及びハッチバックに、競技用ベース車両で時計、オーディオ、ホイールキャップ等の装備が省略された「イルムシャーR」を追加設定。同月、いすゞ自動車創立50周年特別記念車の第2弾として特別仕様の「C/C」と「イルムシャー」を限定発売。
* 1987年7月 1500ccディーゼルターボ車のセダン及びハッチバックに日本初の自動制御式マニュアルトランスミッション(AMT)である「NAVi5」搭載モデルが追加。
* 1987年8月 「C/C」ベースの特別仕様車「サマー・ジェミニ」を限定発売。
* 1987年9月 1500ccガソリンターボ車に特別仕様車として「イルムシャーRS」を200台の台数限定発売。
* 1987年11月 特別仕様車「ハイクオリティ・ジェミニ」を限定発売。
* 1988年2月 「NAVi5」を一部改良。
* 1988年3月 1600ccのDOHCガソリンエンジン搭載車「ZZハンドリング・バイ・ロータス」(JT190型)を追加。1500ccガソリン車のセダンに「C/C」の上級グレードとして「G/G」を追加。
* 1988年4月 「C/Cユーロルーフ」ベースでバンパーやサイドプロテクターなどがシルバー(ベース車は素材色)に塗り分けられた2トーンカラーの特別仕様車「C/C-SE・スプリングキュート」を限定発売。
* 1988年5月 前年に限定発売した「ディノス」が、通販会社「ディノス」でのカタログ販売専用モデルとして追加。
* 1988年6月 1600ccガソリン車に「イルムシャー」と受注生産の「イルムシャーR」を追加(いずれも1600cc・DOHC16バルブ)。特別仕様車「クールサマー・ジェミニ」を限定発売。
* 1988年9月 特別仕様車「オータムエレガント・ジェミニ」を限定発売。

最終型
* 1989年2月 マイナーチェンジ。外観の変更を行う。特別仕様車「スプリングフィット・ジェミニ」を限定発売。
* 1989年6月 1500ccガソリン車のセダンに「G/Gリミテッド」を追加。
* 1989年7月 1600ccガソリン車のセダンに「ZZ-SEハンドリング・バイ・ロータス」を追加。
* 1989年9月 特別仕様車「オータムフィット・ジェミニ」を限定発売。
* 1989年11月 特別仕様車「ウインターフィット・ジェミニ」を限定発売。「イルムシャーRS」を台数限定発売。
* 1990年1月 C/Cベースの特別仕様車「ウインター・ジェミニ」を限定発売。
* 1990年3月 販売終了。3代目にバトンタッチ。

[ 2008/12/11 19:25 ] ISUZU | TB(0) | CM(0)

Isuzu Florian 3'22"

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フローリアン (FLORIAN) は、いすゞ自動車が1967年から1982年まで製産・販売した中型乗用車である。

フローリアンは既存モデルの大衆車であるベレットのやや上級の中型車として企画されたもので、競合モデルにコロナやブルーバードを想定した、ミドルクラスのファミリーカーである。

営業力の弱さと欧州的なデザインがユーザー受けしなかったこと、更に開発費の不足からモデルチェンジの機会を逸し、根本改良のないまま15年間も長期生産されたことから、商業的には不成功なモデルであった。

形式名は1600cc車がPA20、1800cc車がPA30、ディーゼルモデルはPAD30で、バンはそれぞれの数字の後にVがつく。当初の開発コードから、ショー発表時に117サルーンとされたことからもわかるように、117クーペとは姉妹車の関係にあたり、両車はシャシを共有する。また、本車のスタイリングは、イタリアのカロッツェリア・ギアに依頼されている。

車体は4ドアセダンと5ドアライトバンの 2種類。発表当時は、当時の他車種と比較すれば背が高いロングキャビン型の設計で、流麗なラインを持つ居住性に優れたセダンとして、一定の評価を受けている。ことに、6ライト型の側窓処理は日本車らしからぬ個性があった。これはリアドアウインドウのサッシ上辺をなるべく水平にすることで、後端を高くし、後席の乗降性、特に高島田姿の女性に配慮した設計とするためにも必要であった。しかし、ドア開口部自体はそれほど大きくない。

1982年までの長期に渡り、途中2回のマイナーチェンジのみで製造が続けられたため、末期はモデルとしての陳腐化が著しく、社用車、タクシー、教習車といった業務用としての需要がほとんどだった。

このため、117クーペの倍近い生産台数がありながら現存稼動車は極端に少ないが、オーバーデコレーションで存在感あるデザインとなったシリーズ2 ( S II ) については、一時期旧車愛好家の間でそのキッチュさが再評価されたが、それが若年層にも注目されるきっかけとなり、多くがカスタムカーのベースとなり、一気に現存数を減らしている。

15年間の総生産台数は145,836台

車名の由来
「フローリアン」とはオーストリア皇帝の純白の愛馬の名前で、さらにその名は聖人フロリアヌスに由来する。この馬は「バンビ」で知られる児童文学作家フェーリクス・ザルテンの作品「皇帝の馬フローリアン」にも登場する。派生車種である117クーペが唐獅子のエンブレムをフロントグリルに持つのは、ジウジアーロが東洋を象徴するものとして唐獅子を選択し、エンブレムをデザインしたものであるが、本車の後期型(SⅡ)の一部が馬のエンブレムを付けるのは車名由来によるものである。

プロトタイプ
117クーペの母体となった117サルーンが1966年10月の第13回東京モーターショーに117スポーツ(117クーペのプロトタイプ)とともに出品される。

デザインはジウジアーロが移籍してくる以前の「カロッツェリア・ギア」のフィリッポ・ザビーヌが担当。丸型4灯のフロントビューとリアコンビランプなどが生産型と大きく異なる。ギアのオリジナルではリアがファストバックであった。

初期型(1967年~1969年)
1967年11月発表。前後ともに逆スラント形状で、後端の下がったシルエットや、6ライトキャビン、大型の異型角形ヘッドランプなど、欧州車の雰囲気が強い外観で異彩を放った。フロントには当時、いすゞが採用しはじめた新エンブレム「アイマーク」を採用している。

べレットGTの1600ccOHVガソリンエンジンを扱いやすくチューンして搭載したが、1969年よりSOHCに変更となる。トランスミッションはデビュー時は3速MTであったが、翌年4速MTに変更されている。

セダンのテールランプはブレーキ(ダブル球による兼用)、バックアップとのコンビランプであるが、ライトバンは、跳ね上げ式のバックドアのためランプ取り付けスペースが狭く、ブレーキランプ兼用の小さな赤いレンズのみで、バックアップランプは左右のテールランプの下に、ボディーから飛び出す形で丸形のランプを別体で装備する。このレンズはワスプやエルフのバックアップランプにも使われている。

1969年3月に初めてのマイナーチェンジを実施。フロントグリルのデザインを変更。セダンのリヤコンビランプは横長で立体的なものに変更され、さらに法規に対応させるためターンシグナルランプがアンバーに変更された。同時にブルーバードSSSの対抗馬として唯一のホットモデル、TSが投入された。TSは「Touring Sports」の略で、ツインキャブレター装備モデルの区分となる。

当初はベレット用の1600cc OHVガソリンエンジンがそのまま搭載されていたが、直後にSOHCに変更、1970年の中期モデル移行時に、全面的に117クーペ用1800cc SOHCガソリンエンジンに切り替えられ、型式(かたしき)がPA30型となる。PA20型のTSはつや消し黒ボンネット(オプション)やフロントデザインなどでベレットGT同様のイメージを持たせ、他グレードとの差別化が計られていたが、1970年のPA30型移行時には全グレードが共通スタイルとなる。

中期型(1970年~1976年)
1970年10月に二度目のマイナーチェンジを受け、全グレードが丸型4ヘッドランプ(規格型)に変更となる。同じ丸型4灯でもTSのマスクとは打って変わり、メリハリのきいた造形となった。

ライトベゼルやグリルを金属のプレス品から大型の樹脂一体成型品へ置き換えて、従来難しかった立体的な造形と部品点数の削減を両立させる手法は、この時代の全メーカーの自動車に見られた。

セダンのリアまわりは初期型の1969年以降のモデルとほとんど変わっていないが、バックアップランプとリフレクター、その脇のガーニッシュの形状が変更される。外板の変更をなるべく避けるため、バックアップランプとリフレクターはともにボディーには埋め込まれてはいない。

前後ともに、クルマを大きく見せるためのデザインへと変更されたが、オリジナルのままのボディーラインとのマッチングには違和感があり、初期のイタリア風で上品な雰囲気はここで失われている。

1600ccSOHCガソリンのPA20型、パワーアップ版の1800ccSOHCガソリンエンジン車であるPA30型が加わる。他社がモデルチェンジを繰り返す中、手直しで済ませたこの代以降は販売では苦戦が続き、法人需要に頼るのみで先細り状態となる。

1973年11月にもマイナーチェンジを実施。フロントターンシグナルは中期型117クーペと共通のものに変更された。ライトバンも同時に変更されたが、生産台数がセダンより少ないため、新しく金型を起こすことが許されず、テールランプはそのままで、その下に独立していたバックアップランプの色をアンバーに変更のうえターンシグナルとした。バックアップランプはバンパー吊り下げの汎用品となってしまった。同時に1600ccのPA20型を廃止。

1975年11月には、昭和50年排出ガス規制により、対策困難な115馬力のスポーティ仕様のTS、1800DXオートマチックがカタログ落ちする。

1976年9月、昭和51年排出ガス規制適合で5速マニュアルでクーラー付の豪華仕様1800スーパーDX・車体色はマルーンのみというフローリアンは完全1車型のバリエーションになった。

また、ワスプに替わり生産されることになったピックアップトラックであるファスター / シボレー・LUVも、ベースとなるコンポーネンツがフローリアン以外になかったため、ボディーパネルにいたるまで部品の多くを共有した。

後期型(1977年~1982年)
1977年11月、マイナーチェンジでシリーズ2 ( S II )となる。

フロントグリルを独立させて大型化、メッキ仕上げとし、ヘッドランプを当時の流行にあわせた規格型の角型4灯へ変更、バンパーも大型化された。これらにより、外観は一気に無国籍な雰囲気となった。セダンのリアエンドもそれに対応させて垂直とし、バンパーを大型化、リアコンビランプも横長の大きなものへと変わったが、給油口の位置は変更されていない。一方で、ライトバンのリアまわりは、大型バンパーの装備以外はまったく手がつけられていない。

これらの変更は、大掛かりなボディー外板の金型の変更は一切行われておらず、すべてねじ止め部品を上からかぶせることで行われている。当然、機能上の進化もほとんど見られない。

結果、雰囲気は一変し、技術・品質・デザインの各方面で低迷していた同時代のイギリス車を彷彿とさせる威圧感ある風貌を呈したが、車幅やボンネット高に見合わないそのオーバーデコレーションは「悪趣味」と言われても仕方のないような風体で、「プアマンズ・ロールス」と巷で呼ばれることとなる。車名もフローリアン S II に変更される。但しダッシュボードは、初期型からの左右対称型で、クーラーが助手席のグローブボックスに内蔵されたままである。

また、この代よりエルフで好評であった、C190型1951ccディーゼルエンジン搭載モデルが設定された。乗用車用として騒音を下げるため、燃料噴射ポンプの駆動方法がギアトレーンからコグドベルトへ変更されているほか、エンジン停止方法もエルフの燃料カットから、より振動の少ない、電動インテークシャッターによる吸気カットに変更されている。QOS(クイック・オン・システム)という予熱時間がほとんど要らないシステムとあわせ、これらはいずれも、ディーゼルエンジンを知り尽くしたいすゞの面目躍如ともいう出来映えであり、オイルショック以降の省エネルギームードのなか、一定の注目と評価を受けた。

1978年に6195台を販売し、低迷した販売台数の底上げにディーゼルエンジン車が大きな効果を見せたが、同時期のライバル車にもディーゼルエンジン搭載車が追加されるようになり、ローレルが1978年11月、マークIIが1979年10月に登場した。これら2車は設計が新しいうえ、当初からパワーステアリングとAT車が設定されていた。原設計の古いフローリアンは競争力に欠け、販売台数も再び低迷する。

1979年5月、ディーゼル車の燃料噴射ポンプを、列型(ボッシュA型)から分配型(ボッシュVE型)へ変更。同時に昭和54年排出ガス規制に適合し、型式がK-PAD30となる。

ステアリングホイールをジェミニ(PF50系)の3本スポークのものに変更。ここではダッシュボードの形状は変更されていない。

1980年3月、マイナーチェンジ。特徴的な左右対称のダッシュボードをやめ、先の117クーペと同様のデザインへ変更、ようやく冷暖房と除湿ができるエアコンが設定された。ディーゼルのみATもラインナップされた。商品内容はアップしたものの、1981年には1976年(763台)以来、再び3桁台(490台)の販売にダウン。

1982年10月、生産を終了。不人気ゆえに投資ができず、改良が進まないまま、結果、また不人気が続く、という悪循環の生涯であった。しかし、いすゞディーゼルの美点は広く認められ、以降、ジェミニなどでのディーゼル車のヒットにつながっている。

セダンは1983年2月に発売されたアスカに引き継がれた(当初は「フローリアン・アスカ」と呼ばれていた)。

[ 2010/01/02 14:05 ] ISUZU | TB(0) | CM(0)

Holden(Isuzu) Gemini Australian TV Commercial Promotional Film 6'38"

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初代「PF型」は、提携先のゼネラルモーターズ (GM) の「グローバルカー(世界戦略車)構想」に基づき、オペル・カデット(GM「Tカー」)をベースに開発された。また、世界各国でカデットをベースに開発された姉妹車たちが生産されていた。

2代目「JT0型」と3代目「JT1型」は、GMの「Rカー」としてOEM生産(相手先ブランド供給)を視野に入れ自主開発されたモデル。特に2代目は、いすゞの乗用車史上最大の販売台数を記録。しかし、3代目へのモデルチェンジでは一転して販売台数が低迷した。

業績悪化と販売不振により4代目以降は自社開発を断念、ホンダのOEM供給を受けたが、いすゞの乗用車部門撤退に伴い5代目で販売を打ち切った。


初代 PF50/PF60/PFD60型(1974年 - 1987年)
1974年11月登場。形式名は1974年に登場した1,600ccガソリン車がPF50型、1977年に登場した1,800ccガソリン車がPF60型。そして1979年に登場した1,800ccディーゼル車がPFD60型となっている。

GMがベレットの生産継続を主張したのに対し、いすゞは市場性の見地よりモデルチェンジを要望、その結果、GMの「グローバルカー(世界戦略車)構想」に基づきオペル・カデット(GM「Tカー」)をベースに開発する事が決定した。「Tカー」はオペル・カデットのほかに、シボレー・シェベット、ポンティアック・1000、セハン・ジェミニ、デーヴ・メプシ/メプシーナなど世界中で姉妹車が生産されていた。 車名の「ジェミニ」は英語で「ふたご座」の意味。ベレットの後継車としての位置を明確とするため1975年までは「ベレット・ジェミニ」と名乗っていた。

先代モデルたるべレットはいわゆる「大衆車」クラスに位置していたが、ジェミニはカデットをベースとしたため、ボディサイズが大幅に拡大され、日本の大衆車の代表的車種であるカローラ、サニーの当時(1974年)のモデルよりもエンジン、ボディとも一回り大きく、いわゆる「大衆車」クラスよりもやや上に位置していた。

同じいすゞの上級車種フローリアンとは明確な差があったが、1977年、ジェミニに1,800ccエンジン搭載モデルが追加され、クラス的にオーバーラップするようになった。しかし、この頃、フローリアンを購入する一般ユーザーは、ほとんどおらず、両車のスタイル、性格の差もあり、フローリアンの販売に特に影響は無かったようである。

ボディタイプは4ドアセダンと2ドアクーペの2種類。当初は1,600ccシングルキャブのSOHCエンジンを搭載したPF50型のみのラインナップであったが、ベース車両となったオペル・カデットそのままに逆スラントノーズを採用し、直線を基調にした欧州風のボディデザインとなった。 ヘッドランプは、オリジナルは丸目2灯であったが1977年6月に角目2灯に変更。1979年にジェミニ独自のフェイスリフトが行われスラントノーズ形状に変更、ヘッドランプもスポーティー系グレードに限り丸目2灯に戻った。1981年に異型角目2灯に変更される。 1979年に大幅なボディデザインの変更を受け、ディーゼルエンジン搭載車と1,800ccDOHCガソリンエンジン搭載のホットモデル「ZZ」(ダブルズィー)シリーズが追加された。また車名表記も大文字&小文字の「Gemini」から大文字の「GEMINI」と変更されている。

このディーゼルエンジンモデルは「第二次オイルショック」の時期と重なったことで、低燃費車として脚光を浴び、1982年には世界初の電子制御式ディーゼルエンジンモデルも登場した。このため、後期型の初代ジェミニは「80年代のディーゼル車」とも言われるように、ディーゼル乗用車の代表として広く認知される。

1985年に2代目の「FFジェミニ」が登場したものの、当初は1,500ccガソリンエンジンのみでグレート展開も小規模であったため、ディーゼルエンジン搭載モデルを中心に初代ジェミニも継続生産され、2代目と併売された。バリエーションは整理され、クーペは廃止されたものの、スポーツモデル「ZZ/R」や1,600、1,800ccのガソリン(SOHC)エンジン搭載モデルも残された。その後、2代目ジェミニのバリエーションが充実したのを受け1987年2月に生産終了となった。

初代ジェミニの総生産台数は768,537台(いすゞHPより)。

駆動方式は後輪駆動。エンジンは当初1,600cc SOHCの「G161型」のみであったが、1977年6月より1,800cc SOHCの「G180型」が追加。さらに、1979年のビッグマイナーチェンジ時に1,800cc DOHCエンジンと1,800cc ディーゼルエンジンが追加された。

組み合わされるトランスミッションは当初4速MTのみでスタートするが、1975年に3速AT 、1976年に5速MTが追加された。 サスペンションは前輪がダブルウィッシュボーン式、後輪が3リンク・コイルスプリング式で、ステアリングはラック・アンド・ピニオン式を採用していた。

1974年(昭和49年)
5月 前年(1973年)10月に生産が終了したベレットの後継車として「ベレットジェミニ」(PF50型)が発表。
10月 1,600cc ガソリン車(PF50型)登場。クーペ、セダン共に「LD」、「LT」、「LS」の3グレードを用意していた。全車4速MT車。

1975年(昭和50年)
4月 安全対策向上の為に改良実施。また、これに合わせて車名からベレットの後継車という位置付けを明確にする為に付けていた「ベレット」という冠が取れ、単に「ジェミニ」となった。
12月 昭和50年排ガス規制に適合。「LD」、「LT」に3速AT車を追加。

1976年(昭和51年)
5月 「LS」に5速MT車をオプション設定化。
11月 昭和51年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。内、外装をやや豪華に設えた「LTミンクス」を追加。「ミンクス」の名は、かつていすゞがライセンス生産していた「ヒルマン・ミンクス」から取られた。

1977年(昭和52年)
6月 1,800cc ガソリン車(PF60型)登場。同時に、ヘッドランプのデザインが丸目2灯から角目2灯に変更された。
11月 1,600cc ガソリン車が昭和53年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。

1978年(昭和53年)
11月 1,800cc ガソリン車が昭和53年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。1,800cc ガソリン車セダンに「ミンクス」クーペにスポーティグレードのLS/G「ブラックジェミニ」を追加。同時に、1,600cc ガソリン車も一部改良を実施した。

1979年(昭和54年)
6月 ビッグマイナーチェンジを受け、フロント部分は通称「逆スラ」からサイドマーカー付きのスラントノーズに変更され、ヘッドランプは銀縁の付いた角目2灯へと変更。スポーティモデルのLS系のみ丸目2灯とされ、テールライトは大型化された。1,800cc ガソリン車クーペに「ミンクス」を追加。またチルト機構付サンルーフを国産車で初めて設定した(オプション)。
このスラントしたノーズのデザインはホールデン・ジェミニ、セハン・メプシ(後の大宇・メプシーナ)が採用。しかし、ジェミニ系車種のベースとなった姉妹車オペル・カデットはこの年フルモデルチェンジした(前輪駆動化した)ため、このデザインは採用しなかった。
11月 1,800cc ガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ」を追加。1,800cc ディーゼル車(PFD60型)登場。

1980年(昭和55年)
3月 1,800cc ガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ-L」を追加。
6月 LS相当のスポーティーなディーゼル車の「ゴールドディーゼル」とエアコンとステレオ標準装備の1800「クリーンLT」(ガソリンとディーゼルに設定)
9月 ジェミニのディーゼル車が「ディーゼル乗用車クラス」での販売台数1位になった事を記念して、「いすゞジェミニディーゼル感謝祭」を開催。合わせて特別仕様車を限定発売した。

1981年(昭和56年)
1月 1,800cc ディーゼル車に998,000円の「LDスペシャル」を追加。
4月 1,800cc ガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ-R」を限定発売。当時参戦していた国内ラリーを意識したモデルだった。
10月 マイナーチェンジでインパネのデザインが大幅に変更される。ヘッドランプが近代的な異型2灯に変更。リアは変更なし。1,800cc車に「LG」、1,800cc ディーゼル車に「LJ」(クリーンLTの改称)「LS」(ゴールドの改称)を追加。

1982年(昭和57年)
10月 1,800cc ディーゼル車に初の電子制御燃料噴射装置を内蔵して66馬力にパワーアップした「LT-E」「LJ-E」を追加。
11月 一部改良。73馬力までパワーを上げた1,800cc ディーゼルターボ車(PFD60型)が登場。世界初の電子制御式のターボチャージャー搭載ディーゼルエンジンであった。

1983年(昭和58年)
10月 一部改良でドアミラーを採用。車種整理でカスタムシリーズを追加。

1984年(昭和59年)
12月 特別仕様車「エクストラシリーズ」を追加。

1985年(昭和60年)
3月 1,800cc ガソリン車の「ZZ」を改良。
5月 2代目「FFジェミニ」が登場するが、継続生産され、2代目と併売された。

1987年(昭和62年)
2月 生産終了。同時に2代目はFFという冠が取れ、単に「ジェミニ」となる。

[ 2010/03/11 12:05 ] ISUZU | TB(0) | CM(0)
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