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Rav4 CA20W CM 1'00"

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名前の由来
Recreational Active Vehicle 4Wheel Drive を略したもの。 またRAV4LのLはLiberty、RAV4JのJはJoyfulを表す。

モノコック構造の乗用車をベースにしたオフロード車「クロスオーバーSUV」の先駆となった車種である。RAV4の成功を受け他社もCR-V(本田技研工業)、エクストレイル(日産)、フォレスター(スバル)などのクロスオーバーSUVを製造するなどSUV市場に大きな影響を与えた。尚、RAV4の登場に先んじて日本市場ではエスクードが販売されていたが、エスクードはデザインやサイズ等はRAV4等のクロスオーバーSUVと酷似しているものの、本質的には堅牢なラダーフレーム構造を持つクロスカントリー車であるという点で異なる。

初代RAV4は本国の日本で言う「5ナンバーサイズ」に収まるコンパクトなサイズのSUVであったが、モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、 2代目で3ナンバーサイズとなった。そして3代目は日本国外での販売を重視した事もあり全幅が「5ナンバーサイズ」を大きく超える1815mmになるまでに至った。これによりRAV4は日本ではコンパクトとは言えないサイズとなったが、軽自動車ベースのキャミのフルモデルチェンジを目前に控えており、新型(ラッシュで登場)をひとまわり大きくするため、それに伴う競合を避けるためであろう。主要市場の欧米においては他車種よりもコンパクトなサイズとなっている。生産はトヨタ自動車田原工場とグループ会社の豊田自動織機である。

その後RAV4はSUVのカローラと呼べるまでに世界中で販売台数を延ばしており、欧州全域・北米・南米・オセアニア・中国・東南アジア・南アフリカなど世界200ヶ国以上で使用される世界戦略車である。

初代のRAV4は、1993年の東京モーターショーにほぼ市販車の形の参考出品車が披露された後、1994年5月に発売。

セリカなどのコンポーネンツを流用しながらも、開発を、ランドクルーザーをはじめとする本格オフロードカーを手がける第三開発センターが担当したことから、フロアパネルは独自のものとされ、リアサスペンションも、鍛造リンクを用いた仮想球面支持の専用品となるなど、オン・オフ両面の性能追求のため、惜しみなく技術が投入されることとなった。

パワートレーンは、直列4気筒 2.0Lガソリンエンジンとトランスミッションを横置きに搭載し、ドライブトレーンは、ベベルギア式のセンターデフを持つ、本格的なフルタイム4WDである。

当初はコンパクトな3ドアシティユースRVとして登場し、他メーカーに競合車がほとんどなかったことや、CMキャラクターの木村拓哉の影響もあり、好評を博す。 1995年4月には、ホイールベースを延長し、居住性と利便性を向上させた5ドアモデル「RAV4 V(ラヴフォーファイブ)」が追加された。

しかし、1995年10月にホンダから同クラスではあるものの、センターデフを省略したスタンバイ4WDとするなど、徹底したコストダウンで低価格戦略を採るCR-Vがリリースされ、3ナンバーボディとコラム式ATなどを武器にシェアを伸ばしたため、以後苦戦する。CR-Vに対抗するために、スポーツエンジンである3S-GEを搭載した3ナンバーボディのスポーツモデル、Type Gも追加された。

シティユースを目的とした車ではあるものの、余裕のある最低地上高や優秀な4WD性能、及びボディ下部が破損しにくい樹脂プロテクターで覆われている事などから、プライベートでは足回りのチューニングを施しオフロードでも力を発揮させるケースもあった。ボルトオンターボも少数ではあるが販売されている。また、セリカGT-FOURに搭載された3S-GTEをスワップしてターボ化も可能である(ワンオフする部分もあり)。

RAV4をベースとした電気自動車のRAV4EVも後にフリート発売された。

2代目RAV4は、2000年5月に登場。海外戦略を重視した為に同年のジュネーブモーターショーで海外先行デビューした。カローラ系のコンポーネンツを使用するがフロアパネルは先代同様に専用設計となっている。エンジンは2WD用に1ZZ-FE(1.8L)と4WD用に1AZ-FSE(2.0L直噴)が設定されている。グレードは下からX、X-G、エアロスポーツ、ワイドスポーツの4つでそれぞれに4ATと5MTが組み合わされていたが、2003年8月のマイナーチェンジ時にエアロスポーツ及び、各MT仕様が廃止された。

当モデルは先代の弱点であった室内空間の貧弱さを克服する方策としてボディサイズを拡大し全モデルで3ナンバーボディサイズとなった(それでも他社製の同クラスSUVに比べると小型であった)。また先代モデルが3ドアモデルメインの開発であったことに対し、当モデルではより居住空間に優れた5ドアモデルメインの開発が行われた。内外装の質向上も著しく、よりシティユースを志向したモデルであると言える。しかし走行性能や室内ユーティリティを強化した2代目 CR-Vや、レジャーユーティリティとスポーツ性能を両立させたエクストレイル等のライバルに再び苦戦を強いられ、さらには日本国内でのSUVブームの沈静化もあり最終的に良好なセールスを記録するには至らなかった。反面、欧米では非常に人気が高く輸出仕様には本革シートを装備したモデルやターボエンジンを搭載したモデルも存在している。CMキャラクターは女優の木村佳乃。

余談だが、当モデルは2004年-2005年にかけて主に関東方面で組織的な車両盗難被害が頻発した経緯がある。 他社の同クラスSUVを差し置いてRAV4だけが狙われた理由は不明だが、上位車種が軒並み盗難防止装置を強化し盗みにくくなったこともその遠因であろう。

2005年11月14日3代目RAV4が発売。同年のフランクフルトモーターショーで海外先行デビューした。トヨタの「MCプラットフォーム」を進化させた「新MCプラットフォーム」を初めて採用した市販車。エンジンは1種類で2AZ-FE(2.4L)のみ。グレードは下からX、G、スポーツの3つ。全モデルでCVTのみの設定となる。4WD性能はこれまでのビスカスカップリング式フルタイム4WDではなく、電子制御式4WDに変更された。

当モデルは先代モデルに比べてさらにボディサイズが拡大され海外市場をより強く意識した内容となっている。また初代から設定されていた3ドアモデルが廃止され5ドアモデルのみの設定となるが、日本国内では2007年8月から派生車種ヴァンガードとして発売された海外向け(欧州以外)モデルは荷室などを延長したロングボディであり、ドア枚数こそ変わらないもののこれまで通りロングとショートの2種類のボディタイプを持つSUVであると言える。 尚、ロングタイプでは3列シートも選択可能で、エンジンは2.4L 直4の他に3.5L V6(北米、豪州等のみ)エンジンも用意されている。

欧州向けは日本と同じサイズのショートボディであり、4WDモデルしか設定されていない。また他の地域ではみられない、1AZ-FE(2.0L)および 2AD-FTV(2.2Lディーゼル,135ps)、2AD-FHV(2.2Lディーゼル,180ps)エンジンを搭載したモデルもある。なお、ディーゼルエンジンと組み合わされるトランスミッションは6MTのみとなっている。

日本ではフロントエンブレムに従来のトヨタマークではなく"N"をかたどったエンブレムを採用。これはネッツ店で専売となった車種に順次採用されている。尚、ネッツ店専売モデルになったことで販売店区別であったサブネームの「J」と「L」が消滅しRAV4に車名統合された。これらの取扱車種の統廃合によってRAV4と同じくカローラ店とネッツ店で併売されていたクルーガーはカローラ店の専売モデルとなったが、2007年6月RAV4ロングボディ日本仕様(ヴァンガード)を後継に発売中止となった。

製作工場は 田原工場 及び 豊田自動織機 長草工場である。 2006年5月より、元宝塚の紺野まひるがテレビCMに出演。CMソングはKOTOの「LOVE FOR YOU」。
2007年9月6日に特別仕様車X Limited を発売。

2代目まではRAV4Lはトヨタカローラ店系、RAV4Jはネッツトヨタ店(旧トヨタオート店)系にて取扱っていたが、3代目はネッツ専売となった。

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[ 2007/07/11 20:55 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Vios XP40 CM Ver-2 0'30"

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初代(CP40系、2002年-2007年)
中国および東南アジア市場向けの戦略車種(いわゆるアジアカー)であり、1997年から東南アジアで販売されていたソルーナ(Soluna)の後継となるエントリーセダンである。2002年10月より中国で販売を開始。翌11月にはタイでもソルーナ・ヴィオスの名称で発売され、その後、台湾や他の東南アジア各国でも順次販売が開始された。

ベースは初代ヴィッツ。前身のソルーナとは異なり、当時のトヨタの最新技術を反映させて作られている。一方で価格はソルーナ並みに抑えられた。

外寸は全長4285mm×全幅1690mm×全高1450mm、ホイールベース2500mm。同じくヴィッツ派生セダンのプラッツがいかにもトランクを後付けしたようなデザインなのに対し、ヴィッツよりも全高を50mm下げ、ホイールベースを130mm伸ばすことで自然なスタイルを実現している。この手法は後のベルタにも生かされることになる。

エンジンは台湾・東南アジア仕様が1NZ-FE型直列4気筒1500cc。フィリピンのみ2NZ-FE型直列4気筒1300ccも設定される。また、タイではTRDの手によるターボ付きのモデルも用意されている。一方、中国仕様は一世代前の5A-FE型直列4気筒1500ccと8A-FE型直列4気筒1300ccが搭載されていたが、2006年にそれぞれ3SZ型(1500cc)と2SZ型(1300cc)に換装された。シフトは5速MTと4速ATが設定される。
2005年暮れにフェイスリフトが行われた。

2代目(CP90系、2007年-)
2007年3月からタイで発売開始され、間もなくシンガポールやインドネシアでも新型が投入された。アジア専用に開発された初代とは異なり、2代目はベルタのアジア仕様車であり、外観や内装なども基本的に同じである(インドネシア仕様車のみフロントグリルのデザインが異なる)。ただし、エンジンは日本仕様とは異なり1NZ-FE型直列4気筒1500ccが設定される。

[ 2007/07/12 13:48 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Rav4 CM Jewel theft(前編) 0'30"

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20071105171424.jpg

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名前の由来
Recreational Active Vehicle 4Wheel Drive を略したもの。 またRAV4LのLはLiberty、RAV4JのJはJoyfulを表す。

モノコック構造の乗用車をベースにしたオフロード車「クロスオーバーSUV」の先駆となった車種である。RAV4の成功を受け他社もCR-V(本田技研工業)、エクストレイル(日産)、フォレスター(スバル)などのクロスオーバーSUVを製造するなどSUV市場に大きな影響を与えた。尚、RAV4の登場に先んじて日本市場ではエスクードが販売されていたが、エスクードはデザインやサイズ等はRAV4等のクロスオーバーSUVと酷似しているものの、本質的には堅牢なラダーフレーム構造を持つクロスカントリー車であるという点で異なる。

初代RAV4は本国の日本で言う「5ナンバーサイズ」に収まるコンパクトなサイズのSUVであったが、モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、 2代目で3ナンバーサイズとなった。そして3代目は日本国外での販売を重視した事もあり全幅が「5ナンバーサイズ」を大きく超える1815mmになるまでに至った。これによりRAV4は日本ではコンパクトとは言えないサイズとなったが、軽自動車ベースのキャミのフルモデルチェンジを目前に控えており、新型(ラッシュで登場)をひとまわり大きくするため、それに伴う競合を避けるためであろう。主要市場の欧米においては他車種よりもコンパクトなサイズとなっている。生産はトヨタ自動車田原工場とグループ会社の豊田自動織機である。

その後RAV4はSUVのカローラと呼べるまでに世界中で販売台数を延ばしており、欧州全域・北米・南米・オセアニア・中国・東南アジア・南アフリカなど世界200ヶ国以上で使用される世界戦略車である。

初代のRAV4は、1993年の東京モーターショーにほぼ市販車の形の参考出品車が披露された後、1994年5月に発売。

セリカなどのコンポーネンツを流用しながらも、開発を、ランドクルーザーをはじめとする本格オフロードカーを手がける第三開発センターが担当したことから、フロアパネルは独自のものとされ、リアサスペンションも、鍛造リンクを用いた仮想球面支持の専用品となるなど、オン・オフ両面の性能追求のため、惜しみなく技術が投入されることとなった。

パワートレーンは、直列4気筒 2.0Lガソリンエンジンとトランスミッションを横置きに搭載し、ドライブトレーンは、ベベルギア式のセンターデフを持つ、本格的なフルタイム4WDである。

当初はコンパクトな3ドアシティユースRVとして登場し、他メーカーに競合車がほとんどなかったことや、CMキャラクターの木村拓哉の影響もあり、好評を博す。 1995年4月には、ホイールベースを延長し、居住性と利便性を向上させた5ドアモデル「RAV4 V(ラヴフォーファイブ)」が追加された。

しかし、1995年10月にホンダから同クラスではあるものの、センターデフを省略したスタンバイ4WDとするなど、徹底したコストダウンで低価格戦略を採るCR-Vがリリースされ、3ナンバーボディとコラム式ATなどを武器にシェアを伸ばしたため、以後苦戦する。CR-Vに対抗するために、スポーツエンジンである3S-GEを搭載した3ナンバーボディのスポーツモデル、Type Gも追加された。

シティユースを目的とした車ではあるものの、余裕のある最低地上高や優秀な4WD性能、及びボディ下部が破損しにくい樹脂プロテクターで覆われている事などから、プライベートでは足回りのチューニングを施しオフロードでも力を発揮させるケースもあった。ボルトオンターボも少数ではあるが販売されている。また、セリカGT-FOURに搭載された3S-GTEをスワップしてターボ化も可能である(ワンオフする部分もあり)。

RAV4をベースとした電気自動車のRAV4EVも後にフリート発売された。

2代目RAV4は、2000年5月に登場。海外戦略を重視した為に同年のジュネーブモーターショーで海外先行デビューした。カローラ系のコンポーネンツを使用するがフロアパネルは先代同様に専用設計となっている。エンジンは2WD用に1ZZ-FE(1.8L)と4WD用に1AZ-FSE(2.0L直噴)が設定されている。グレードは下からX、X-G、エアロスポーツ、ワイドスポーツの4つでそれぞれに4ATと5MTが組み合わされていたが、2003年8月のマイナーチェンジ時にエアロスポーツ及び、各MT仕様が廃止された。

当モデルは先代の弱点であった室内空間の貧弱さを克服する方策としてボディサイズを拡大し全モデルで3ナンバーボディサイズとなった(それでも他社製の同クラスSUVに比べると小型であった)。また先代モデルが3ドアモデルメインの開発であったことに対し、当モデルではより居住空間に優れた5ドアモデルメインの開発が行われた。内外装の質向上も著しく、よりシティユースを志向したモデルであると言える。しかし走行性能や室内ユーティリティを強化した2代目 CR-Vや、レジャーユーティリティとスポーツ性能を両立させたエクストレイル等のライバルに再び苦戦を強いられ、さらには日本国内でのSUVブームの沈静化もあり最終的に良好なセールスを記録するには至らなかった。反面、欧米では非常に人気が高く輸出仕様には本革シートを装備したモデルやターボエンジンを搭載したモデルも存在している。CMキャラクターは女優の木村佳乃。

余談だが、当モデルは2004年-2005年にかけて主に関東方面で組織的な車両盗難被害が頻発した経緯がある。 他社の同クラスSUVを差し置いてRAV4だけが狙われた理由は不明だが、上位車種が軒並み盗難防止装置を強化し盗みにくくなったこともその遠因であろう。

2005年11月14日3代目RAV4が発売。同年のフランクフルトモーターショーで海外先行デビューした。トヨタの「MCプラットフォーム」を進化させた「新MCプラットフォーム」を初めて採用した市販車。エンジンは1種類で2AZ-FE(2.4L)のみ。グレードは下からX、G、スポーツの3つ。全モデルでCVTのみの設定となる。4WD性能はこれまでのビスカスカップリング式フルタイム4WDではなく、電子制御式4WDに変更された。

当モデルは先代モデルに比べてさらにボディサイズが拡大され海外市場をより強く意識した内容となっている。また初代から設定されていた3ドアモデルが廃止され5ドアモデルのみの設定となるが、日本国内では2007年8月から派生車種ヴァンガードとして発売された海外向け(欧州以外)モデルは荷室などを延長したロングボディであり、ドア枚数こそ変わらないもののこれまで通りロングとショートの2種類のボディタイプを持つSUVであると言える。 尚、ロングタイプでは3列シートも選択可能で、エンジンは2.4L 直4の他に3.5L V6(北米、豪州等のみ)エンジンも用意されている。

欧州向けは日本と同じサイズのショートボディであり、4WDモデルしか設定されていない。また他の地域ではみられない、1AZ-FE(2.0L)および 2AD-FTV(2.2Lディーゼル,135ps)、2AD-FHV(2.2Lディーゼル,180ps)エンジンを搭載したモデルもある。なお、ディーゼルエンジンと組み合わされるトランスミッションは6MTのみとなっている。

日本ではフロントエンブレムに従来のトヨタマークではなく"N"をかたどったエンブレムを採用。これはネッツ店で専売となった車種に順次採用されている。尚、ネッツ店専売モデルになったことで販売店区別であったサブネームの「J」と「L」が消滅しRAV4に車名統合された。これらの取扱車種の統廃合によってRAV4と同じくカローラ店とネッツ店で併売されていたクルーガーはカローラ店の専売モデルとなったが、2007年6月RAV4ロングボディ日本仕様(ヴァンガード)を後継に発売中止となった。

製作工場は 田原工場 及び 豊田自動織機 長草工場である。 2006年5月より、元宝塚の紺野まひるがテレビCMに出演。CMソングはKOTOの「LOVE FOR YOU」。
2007年9月6日に特別仕様車X Limited を発売。

2代目まではRAV4Lはトヨタカローラ店系、RAV4Jはネッツトヨタ店(旧トヨタオート店)系にて取扱っていたが、3代目はネッツ専売となった。

[ 2007/07/13 19:22 ] TOYOTA | TB(1) | CM(0)

Tacoma CM Ver-1 Loch Ness Monster Ad 0'32"

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元々ハイラックスの北米仕様だが、1995年にタコマとして登場して以降、フロントのデザインを大幅に変更している。また、ディーゼルエンジンの設定はなく、V6エンジンの設定もあり、装備を抑えた実用仕様からスーパーチャージャーを搭載したスポーツモデルもあり、アメリカ人の趣向に合わせたものとなっている。2ドア2人乗りのレギュラーキャブ、観音開き4ドアのアクセスキャブ(4人乗りだが後席は補助席程度のもの)、4ドアのダブルキャブ、スポーツタイプのSランナー(初代)・Xランナー(2代目)がある。西海岸ではオプションのFRP製トノカバーを装着してサーフボードを積載する車両も多い。

日本では販売されていないが、少数が並行輸入されている。

なお、同じく北米向けピックアップトラックのトヨタ・タンドラ同様、リアエンブレムにトヨタのコーポレート・アイデンティティ(CI)ロゴが使われておらず、「TOYOTA」のローマ字が使われている。

トヨタ・トラック(ハイラックス)時代は日野自動車羽村工場で製造されていたが、タコマはアメリカのNUMMIで製造される。
1995年に登場した初代TACOMA。シフトは5速フロアMT、4速フロア/コラムATが設定される。エンジンは2.7L 直列4気筒の3RZ-FEと3.4L V型6気筒の5VZ-FEが設定された。

2001年、マイナーチェンジ。個性的なフロントグリルが与えられた。

2代目は2004年に登場。威圧的な大型のグリルとライトが与えられさらにハイラックスとの差別化がなされた。

エンジンは2.7L 直列4気筒の2TR-FEと4.0L V型6気筒の1GR-FEが設定され、フロア5/6速MTとフロア4/5速ATが組み合わされる。

最大の違いとしてはXランナーの設定である。1GR-FEに6MTが組み合わされ、18インチタイヤ、LSD、エアロパーツが装備され、さらにTRD製のスーパーチャージャーの設定もあり、こちらは300psを発揮する。

[ 2007/07/14 21:12 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Matrix CM 1'00"

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以前、日米貿易摩擦解消のためにトヨタが日本に輸入したシボレー・キャバリエの販売か芳しくなかったこともあり、開発段階からトヨタとGMが協力、生産はカナダのTMMC(Toyota Motor Manufacturing Canada Inc.)で行われている。日本国内には正規輸入されず、トヨタディーラーで購入することはできないかわりに、GM仕様であるポンティアック・ヴァイブがトヨタ・ヴォルツとして販売されたが、こちらは2004年で販売を中止している。なお、このマトリックスは実質的にはE120G系カローラフィールダーの北米版との見方もあるようだ。

2002年 - 販売開始。
2005年 - マイナーチェンジで前後デザインを一部変更。2ZZ-GE型エンジンが廃止。

[ 2007/07/17 21:30 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Toyota CM Human Touch 1'05"

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日本はもとよりアジアでもトップ、世界でも生産及び販売台数世界一を誇る最大手の自動車メーカーである。2007年の第一四半期にゼネラル・モータースを総販売数で上回り、事実上の世界トップとなった [1]。また、ダイハツ工業と日野自動車の親会社であり、富士重工業の筆頭株主でもある(株式保有比率 8.7%)。

通称「トヨタ」(日本のテレビ局・ラジオ局では、2005年7月より「トヨタ自動車」を改めこの呼称を使用)、英語表記「TOYOTA」。トヨタグループ内では「TMC」の略称で表記される。社長は渡辺捷昭(わたなべ かつあき、1942年2月13日、豊田市出身、慶應義塾大学経済学部卒)。

豊田佐吉(とよだ さきち)(1867年~1930年)が創業した豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)に、1933年9月に開設された自動車部が起源である。この設立の中心になったのは佐吉の息子である豊田喜一郎(1894年~1952年)であるが、初代社長に就任したのは佐吉の娘婿(喜一郎にとっては義兄〔旧戸籍法では妹の夫が本人より年上である場合、義兄と言う扱いとなる為〕)である豊田利三郎である。織機製作における鋳造・機械加工技術等のノウハウを活かし、研究期間を経て1935年に自動車製造を開始。1937年に独立した新会社「トヨタ自動車工業株式会社」が設立された。

誤解されがちだがトヨタという社名は豊田市で創始されたからではなく、創始者である豊田の名前からである。豊田市は元々、挙母(ころも)市という市名だったがトヨタ自動車にちなんで1959年に改名された(本社所在地も「トヨタ町1番」である。企業城下町の典型)。創始者の名前が由来なので本来なら「トヨダ」になるところだが、「トヨダ」では10画で縁起が悪いということで、濁点を取って8画にした「トヨタ」が使われるようになったと言われている。

利三郎は太平洋戦争が勃発した1941年に会長に退き、第2代社長には創業者の喜一郎が就任した。太平洋戦争時は陸軍用のトラックを生産したが、物資不足のため簡素なものだった。 愛知の工場は米軍による爆撃が予定されていたが、その前に終戦となる。戦後の1950年、ドッジ・ラインに伴うデフレにより経営危機に陥り豊田喜一郎社長は辞任、帝国銀行(後の三井銀行、現・三井住友銀行)を中心とする銀行団の緊急融資の条件として、販売強化のためにトヨタ自動車販売株式会社(「自販」と略された)が設立された。これを工販分離という。

喜一郎の後を継いだ石田退三社長の時代にはクラウン、コロナ、パブリカなどロングセラーカーを開発し、販売網の整備を推し進めた。その後中川不器男社長時代にはカローラを発売し、豊田英二社長の時代にはマークII、カリーナ、セリカ、ターセル、コルサ、カムリ、ソアラなどを投入し、公害問題や排ガス規制などに対処した。販売面では1980年にビスタ店を設立し、トヨタ店、トヨペット店、カローラ店、オート店とともに「販売5チャネル体制」を確立した。

1982年にトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売は合併、現在のトヨタ自動車株式会社となった。新会社の社長には喜一郎の長男・豊田章一郎が就任し、佐吉の甥である英二は会長に退いた。国内市場では1982年のビスタ、1984年のハイラックスサーフ、1986年のスープラ、1989年のセルシオ、1990年のエスティマなど次世代のトヨタを担う車種を投入し、販売高トップの座を不動のものにした。

1992年に章一郎は社長を退き、弟の豊田達郎が社長となった。しかし、バブル経済の崩壊は自動車業界を直撃し、トヨタもその影響を受けた。バブル崩壊後の不況の中、1995年に達郎は高血圧で倒れ、副社長の奥田碩が社長職を継いだ。奥田は業績が下り坂になりつつあったトヨタを再生させ、1999年のヴィッツ発売を機に張富士夫に社長の座を譲った。2003年3月末集計における従業員数は65,551人、連結会社の合計は 264,096人で日本最大、世界では第三位の企業規模となった。2004年にはネッツ店とビスタ店が統合され、ネッツ店として再出発した。

2005年にはトヨタ町の本社新本館が完成し地上14階、地下2階の一面ガラス張りの現代的な建物が出来上がった。8月にはレクサス店の日本導入を果たした。同年には渡辺捷昭社長が就任。10月、ゼネラルモータースが保有していた富士重工業株(約20%)のうち8.7%を取得し筆頭株主になった上で、提携を結ぶことを発表。2006年、リコールを放置していた疑いが浮上し、熊本県警がリコール隠しとして担当部長を書類送検した。捜索を行ってもリコール隠しを裏付ける証拠は何ら見つけられず、証拠が無いままの不適切な送検であったため、検察の判断によって不起訴処分となった。2007年には名古屋駅前にある豊田ビル・毎日ビルの建替えによる再開発で建設されるミッドランドスクエア内に新しい名古屋オフィスが完成し、元名古屋ビル、JRセントラルタワーズオフィス、本社機能の一部および東京本社の営業部門が移転した。

前述の1950年の経営危機を教訓とし、「改善(カイゼン)」、ジャストインタイム (JIT) (カンバン方式)、トヨタ生産方式等の生産・経営のノウハウを確立した。また販売を重視し、銀行融資に頼らず自己資本の充実に努め、名古屋式経営の見本ともされる無借金経営で優良企業の代表的企業とされる。しかしこれはあくまで単独会計の場合であり、連結子会社においては有利子負債が相応に存在し、また顧客貸し出し(自動車ローン)事業をおこなう金融子会社が存在するため、連結決算においては企業規模相応の有利子負債(約12兆円)が存在する。一方で、単独決済で約6兆円(これはスイスの単年度国家予算に匹敵する)、連結では約13兆円もの多大な内部留保を抱えるため、トヨタ銀行とも称される。2002年3月期の通期決算において日本企業初の連結経常利益一兆円を超え、さらに2004年3月期の通期決算では、連結純利益(米国会計基準)でも日本企業初の一兆円超えを達成した。そして2007年3月期連結決算(米国会計基準)では営業利益が2兆2386億円となり、6年連続で過去最高を更新した上に日本企業として初の二兆円の大台を突破しマスコミから絶賛された。

1990年代以後の不況期にはその経営姿勢が注目され、ついにはトヨタ自身も生産方式を他企業にパッケージ販売するに至った。

近年では社会貢献活動に力を入れており、2006年1月からトヨタ社内に「社会貢献推進部」を設置し、交通安全や中国での植林活動、人材育成、自動車のリサイクルなどの環境への貢献などの社会貢献活動を積極的に行っている。

1999年に、東京モーターショー出展のコンパクトカー“ファンタイム”を基に開発された新車種ヴィッツの爆発的ヒットを皮切りに始まった新路線と、2005年3月より9月まで愛知県東部丘陵地区(豊田市、長久手町、瀬戸市)にて開催された日本での20年ぶりの万国博覧会“愛・地球博"による東海地方の経済効果、また、2000年代前半における中小企業の徹底的な経営改善などが功を奏し、いわば“第3次トヨタ黄金時代”と言われている。

開発に6年を費やして1961年に発売された700ccの小型大衆車・初代パブリカは、基本コンセプトとして低廉化・経済性を実現するため、徹底して合理的に設計され、実用車としての完成度は高かった。しかし、「せっかく購入するのだから少々高くても」という消費者心理を掴み切れず販売は不振であった。この不振を分析し、ラジオやヒーター等を装備したデラックスモデルを加えた結果、販売台数は増加した。これを踏まえて、トヨタの80点主義と呼ばれる思想が生まれる。

80点主義とは、1966年に発売された初代カローラの開発主査である長谷川龍雄が打ち出した考え方である。商品の完成度を高める一方で、一部の飛び抜けて優れた機能や性能を追いかけることなく、まず全ての項目において最低でも80点を目指し、及第点に達したのち更に上の点数を順次達成していくトータルバランスを念頭に置いた企業思想である。のちに、この80 点主義は80点主義+アルファとなり、旧車種や他社への差別化戦略へと移行していく。

この「80点」という言葉が、各界からは頻繁に「完璧でない、手を抜いた車作り(=完成度は80点でよい)」という批判に用いられる。「80点主義」に対する批判はその提唱からまもなく現れたが、1968年に発売された自社の小型トラックハイラックスの広告コピーに「101点主義」とアピールしていたが、しかし、マスメディアに登場する経済評論家や自動車評論家をはじめ世間からも、トヨタの「80点主義」は「80点で良いという考え方」と評価されるケースが殆どである。

1950年代から品質管理に力を入れてきた。たとえば、ドアやトランクリッドなど開口部の切断線[1]の合い具合や遮音性など、ユーザーにも容易にわかる部分の品質には定評がある。手堅い既存技術を巧みにブラッシュアップし、低コストで比較的質の高い製品を作る技術に長けており、故障率が低いと言われている。

1970年代後半から小型乗用車の前輪駆動化が世界的に進行した際、トヨタは前輪駆動を主力車種カローラやコロナに採用する前に、新車種「ターセル・コルサ」や、改良型の中級小型自動車「カムリ・ビスタ」など主力外車種での経験を踏まえた上で、なおかつ、顧客の反応を見るために従来型である後輪駆動車と併売を経て本採用する、という慎重ぶりであった。

また、ヤマハ発動機からは高性能型DOHCユニットの供給を、本田技研工業からは希薄燃焼システムや排ガス浄化システム(CVCC) の技術供与を受けるなど、高度な技術や、排出ガス対策などの緊急を要する技術に関しては同業他社に援助を請う場合もあったが、受け入れた技術に量産に見合う改良を施すことにかけては実力を発揮する傾向がある。燃焼効率の向上を企図した狭角配置の多バルブDOHCエンジン(ハイメカ・ツインカムと呼ばれる。1986年に市販開始)の開発と、量産車への搭載などはその一例である。

1990年代後半、トヨタが先陣を切って普及させた技術としては、内燃機関における吸気時期電子制御システム"VVT-i( Intelligent Valuable Valve Timing Control)である(ただし最初に開発・実用化したのはフォード)。これは従来、エンジン機関の全体的回転タイミングによって吸気していたものに代え、電子制御により強制的適量吸気を実現したもので、国土交通省(旧運輸省)低排出ガス車認定基準へのほとんどの車種の適合を実現した一要素である。日産自動車のNVCSや富士重工業のAVCS、本田技研工業のi-VTEC、三菱自動車工業のMIVECなどは同種のシステムである。

1990年代の業界再編期を経た現在は、グループ内各社との共同開発が一般的となっており、小型車用エンジンの新規設計や一部の小型車の企画ではダイハツ工業の、トラック開発では日野自動車の参画を得ている。燃料電池車やガソリン-電気方式のハイブリッドカーの開発では、部品供給で関係の深かった松下グループと連携し、また、欧州では知名度が今ひとつのためもあり、モータースポーツの世界最高峰に位置するF1に参戦するなど、最先端の技術開発・実用化に取り組んでいる。G-BOOK・G-BOOK ALPHAと呼ばれる情報通信システムは、本田技研工業のインターナビに登録者数で負けているが、グループ外他社に供与し、更に利用料を無料にするなど挽回策を図っている。

北海道士別市に巨大なテストコースを持っており、降雪地帯での乗用車や海外向け商品の開発にも多面的に取り組んでいる。

2005年8月30日に国内に投入した高級車ブランドレクサスは当年目標の6割と販売は振るわなかった。これには、これまでのセルシオの事実上の4代目次期型としてブランドの旗艦たる新型LSの導入が遅れたことも要因の一つであるが、トヨタ自身はそれほど深刻に受け止めていない。また世界初のFRハイブリッド車を発売し、新型LSへもハイブリッド車を設定するなど、レクサスへのハイブリッド技術の導入にも積極的である。

TOYOTA(トヨタ)
創業当初から、全国各地の地場資本に協力を求め、早期に販売網を整備していた。これは喜一郎に請われ1935年にトヨタに移籍した日本ゼネラル・モータース販売広告部長であった神谷正太郎(トヨタ自販初代社長)が、米国GM流の販売方法を取り入れたためである。神谷は日本GMにおいて日本での自動車販売網を整備しオートローンもはじめるなど米国GM流儀を日本において徹底させ戦前の日本自動車市場をフォードと二分していた。神谷がトヨタとなってからはGM、フォードが開拓していた各道府県のディーラー網を自社ディーラー網として取り込んでいく。戦後、自動車製造・販売が再び許可されると「販売のトヨタ」と言われ、以降、現在に至るまで営業能力の高さには定評がある。現在、日本国内では4系統のディーラー網を傘下に持つ。

1954年に発売された1000ccのSKBトラック[2]は簡素なセミ・キャブオーバー型トラックだが、当時日本国内の市場を席巻していた三輪トラック(オート三輪)へ対抗した商品であり、あえて戦略的に低価格で販売したことで、大きな成功を収めた。これをきっかけに、日本の小型トラック市場は、三輪から四輪に移行することになる。

また、1955年に発売された初代クラウンは、前輪独立懸架や低床シャシーなど、一応ヨーロッパ車並の構成を採った最初の日本製量産車となった。以後クラウンは、国内専用車として独特の発展を遂げ、日本国内の保守的な階層や官公庁用の車両、各種事業用車両としてドメスティックに定着し、2000年代前半からは中国などでも本格生産が開始されている。

1960年代以降は、手堅い保守的設計で排気量やボディサイズにゆとりを持たせ、多くのオプションを用意するという戦略で、競合他社を圧してきた。

1989年(平成元年)に「新しいトヨタが走り始めます」というキャッチコピーでトヨタの新時代・新しいトヨタマークを大々的に宣伝したが、なぜか、国内仕様車では車のフロントグリル等に、車種ごとに異なるエンブレムを装着している。

LEXUS(レクサス)
1989年、アメリカで高級車ブランド「レクサス」を創設し、大型高級セダンの「レクサス・LS」(日本では後に「トヨタ・セルシオ」として発売)と「レクサス・ES」[4]を発表した。従前、米国トヨタの最上位車種はクレシーダ(日本におけるトヨタ・マークII)であり、トヨタブランドで高級車種を販売することには限界があるとの判断からだった。開業後、日本の大衆車メーカーの参入余地がないと見られていた高級車市場でたちまち成功をおさめ、メルセデス・ベンツをはじめ、BMW、キャデラックなど欧米の高級車メーカーに強い衝撃と影響を与えた。

世界各国で販売開始された後、日本国内にも展開されることになり、2005年8 月30日に日本国内向けレクサス・ブランドとして、GSシリーズ、ISシリーズとSCシリーズの3系列投入で発足した。ISシリーズは1か月遅れの 2005年9月28日から発売した。高級車ブランドとしてはメルセデス・ベンツ、BMWに次ぐ販売台数であった。しかし、販売台数は予定の約6割とされている。2006年9月19日にはレクサスの旗艦車種であるLSシリーズが発売された。

SCION(サイオン)
サイオンはアメリカの若者向けのブランドで2003年に開始。いわゆる「ジェネレーションY」と呼ばれる20代前半の若い世代をターゲットとする。トヨタの主要顧客は概して年齢層が高く、若年層の取り込みが課題であった。商品開発思想や広告展開まで新しい手法を用い、従来の "退屈なトヨタ車" のイメージを覆すことを狙った。クールでスタイリッシュな「ファッション性」を商品力とし、あらかじめ多様なカスタマイズを用意することで「個性化」を呼びかけた。マス(大衆)にもアッパーにも属さない新しいカテゴリの開拓を狙う。開始当時の車種はxA、xBで、後に日本未発売のクーペCが追加された。

販売最優先によるシェアの確保がトヨタの方針である。

「販売のトヨタ」
トヨタは、1950年代後半から60年代にかけて、クラウン、コロナ、パブリカの乗用車3車種を相次いで発売、乗用車の基本ラインナップを構築した。

さらに1960年代後半からは、それぞれの車種がモデルチェンジにより大型化、上級化するに従って、中間モデルを充実させることに力を入れた。すなわち、パブリカとコロナの中間にはカローラを、コロナとクラウンの中間にはマークIIを配し、カローラとコロナの中間にカリーナおよびセリカを配した。車種追加により、パブリカをエントリーモデルとし、カローラ、コロナ、マークII、そして最高峰ブランドのクラウンに至るまでのピラミッド型商品展開を完成させたのである。

これは日本的な年功序列や終身雇用といった慣例的制度に支えられ、日本のサラリーマンたちに昇進・昇給が約束されていた時代には、より上位モデルへの買い替えを促すシナリオでもあった。1980年代に用いられたいつかはクラウンというキャッチコピーは、トヨタの販売戦略を端的に表す。一方、販売店系列の整備がすすむと、系列別に同一シャシ・同一ボディでありながら若干意匠を変えた「兄弟車」[7]を投入することで、系列間の競争を促し、さらなる拡販を試みた。

また、全国に配置した販売会社はすべて地元の商業資本との提携で設立しており、他社が販売会社の再編成を余儀なくされた1990年代以降にあっても、各都道府県に密着した手堅い販路を堅持し続けており、地元企業などの社用車需要はもとより、それに付随して個人(自家用車)需要に対してもトヨタ車の販売を強力に支えるバックボーンとなっている。

このような商品展開と販売会社構成など、顧客の動向を重視する経営姿勢は1960年代、日本のモータリゼーションが始まったころは、「技術の日産」に対して「販売(商売)のトヨタ」と評された。

近年では、自動車産業と先進国における市場の成熟、社会環境の変化、世代交代や価値観の変容などを受けて、トヨタの商品も多様な変化に富んだ広範な展開を見せている。

1985年、4ドア車でありながらクーペ並みに全高が低く、徹底的に耽美性を追求したハードトップ車、カリーナEDを発表し大ヒットした。自動車評論家の評価は芳しくなかったものの、その後、国内各社から同種のハードトップ車が続々と登場するきっかけとなった。

1997年、「21世紀に間に合いました」というフレーズで世界初の量産ハイブリッド車、プリウスを市場に送り出した。業界では時期尚早と見られていた「エコカー」を、他に先駆けて成功させた。また同年発表しヒットモデルとなったハリアーは、クロスオーバー車、高級SUVという新たなジャンルを生むことになり、その後他社がこぞって追随した。また、本田技研工業に続き南米市場向けにフレックスエンジン車を投入する。

1999年に登場したヴィッツは、日本で長く衰退状態だったコンパクト・カーが復権するきっかけとなり、後にこのセグメントは大きな市場へと発展する。北米においては、従来苦手としてきた若者向け車種と、かつて経済摩擦を起こした経緯から一時注力を手控えてきた「ピックアップ・トラック」の各分野に置ける拡販を試みている。2002年に若者向け銘柄の「サイオン」をスタートさせ、2006年にはフルサイズ・ピックアップ・トラック市場への本格参入が計画されている。

中国戦略
第一汽車集団と包括提携関係にある。また、2004年9月には広州汽車集団との間でも合弁会社を設立した。

2000年12月15日に四川豊田(現・四川一汽豊田)でコースター(「柯斯達」)の生産を開始。
2002年10月8日に天津豊田(現・天津一汽豊田 第一工場)でヴィオス(「威馳」)の生産を開始。出遅れていた中国市場への進出に乗り出す。
2003年9月5日に四川豊田でランドクルーザープラド(「普拉多」)の生産を開始。
2003年10月8日に長春一汽豊越汽車(四川一汽豊田・長春工場)でランドクルーザー(「陸地巡洋艦」)の生産を開始。
2004年2月23日に天津一汽豊田でカローラ(「花冠」)の生産を開始。
2005年3月21日に天津一汽豊田・第2工場でクラウン(「皇冠」)の生産を開始。
2005年10月24日に天津一汽豊田・第2工場でレイツ(「鋭志」、日本名マークX)の生産を開始。
2005年12月15日に四川一汽豊田・長春工場でプリウス(「普鋭斯」)のノックダウン生産を開始。
2006年5月23日に広州豊田でカムリ(「凱美瑞」)の生産を開始。
2007年5月28日に天津一汽豊田・第3工場で新型カローラ(「卡羅拉」)の生産を開始(従来型カローラ「花冠」の生産も第1工場にて継続)。

ラリー
トヨタにおけるモータースポーツの活動は、1957年オーストラリア・ラリーにクラウンで出場したのが最初。結果は47位だった。

1973年から1999年まで世界ラリー選手権(WRC)にトヨタ・チーム・ヨーロッパがカローラレビン、スプリンタートレノ、セリカ、スープラで参戦。1975年フィンランド1000湖ラリーで、WRC初制覇に始まり、1988年ツール・ド・コルス(フランス)でセリカGT-FOUR ST165をデビューさせWRC王座獲得を目指すべく当時最強を誇っていた王者ランチアに挑み、熾烈な戦いを繰り広げることになる。1990年と1992年にはカルロス・サインツがドライバーズチャンピオンを獲得する。1993年、1994年には2年連続で、ドライバーとメーカーのダブルタイトルを獲得。

しかし、1995年のWRCカタルニア・ラリーでエンジンの吸気量を制限するリストリクターに意図的に細工を施していた違反行為が発覚し、1995年の全ポイント抹消と1996年終了までの出場停止処分を受けた。

そして1997年のシーズン途中、重く大きくなったセリカを捨て、カローラに3S‐Gエンジンを搭載したカローラWRCがディディエ・オリオールの手によって1997年のフィンランドラリーでデビューを飾った。翌1998年、カルロス・サインツがフォードから移籍、開幕戦で優勝を飾り、その後2勝してマニュファクチャラーズランキング2位でシーズンを終える。翌1999年は優勝こそチャイナラリーのみだったもののコンスタントに入賞を繰り返し、5年ぶり3度目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。しかし、サンレモラリーの直前にTTEはF1参戦を発表、27年にも及ぶ日本最大のマニュファクチャラーのラリーへの挑戦は幕を閉じた。

スポーツプロトタイプ
トヨタが初めてスポーツプロトタイプのレースに参加したのは1966年の第3回日本グランプリである。ただしマシンは市販前のトヨタ2000GTで、純粋なプロトタイプではない。日産/プリンスに対しプロトタイプの開発が遅れたトヨタは翌1967年の第4回日本グランプリを欠場。翌1968年、トヨタは初のプロトタイプレーシングマシン、3リッターV型8気筒エンジン搭載のトヨタ・7をデビューさせる。5月の日本グランプリでは日産・R381に敗れたものの、その他多くのスポーツカー耐久レースで勝利を収める。

翌1969年には5リッターV型8気筒エンジンを搭載するトヨタ・7の第2期モデルが登場する。このマシンもデビュー戦の7月の富士1000kmで勝利を収め、続く8月のNETスピードカップも日産R381を破り優勝。また11月の第2回日本CanAMも制するが、肝心の10月の日本グランプリでは6リッターV型12気筒エンジンを搭載する日産R・382の前にまたも涙を飲む。翌年に向けてトヨタは5リッターV型8気筒エンジンにターボチャージャーを装着した第3期モデルのトヨタ・7を開発するが、日産が1970年の日本グランプリの欠場を表明したためトヨタも欠場することとなる。トヨタの目は世界に向けられ、トヨタ・ 7ターボでのCanAMへの挑戦を決意するが、それが決定したまさにその日、鈴鹿サーキットでトヨタ・7ターボをテスト中の川合稔が事故死、トヨタ・7のプロジェクトはキャンセルされてしまう。以降80年代までトヨタはプロトタイプカーのレース活動を中断することになる。

1982年に世界耐久選手権(WEC)が日本で開催されると、スポーツプロトタイプカー(グループCカー)を童夢とトムスの共同開発のトムス童夢・セリカCで参戦した。

1983年から始まる全日本耐久選手権(1987年より全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権=JSPCに改称)にも参戦し、以後、童夢とトムスの共同開発による4気筒ターボの83C(1983年)~88C(1988年)、8気筒ターボの88CV(1988年)~92CV(1992年)を送り込み、1987年からはトヨタの名を冠した「トヨタチームトムス」として参戦を開始し、マシン名も「トムス」から「トヨタ」となり、オイルショック以降中断していたワークス活動の事実上の再開となった。

1985年からはル・マン24時間レースにも参戦を始めた。トヨタエンジンを搭載したマシンのルマン参戦としては1975年のシグマMC-75が最初である。また1973年にマツダのロータリーエンジンを搭載したシグマMC-73のリアウィングには「TOYOTA」のスポンサーロゴが書かれている。メーカーでの参戦は途中不参加の年もあるものの、 1999年まで行われている。1985年~1990年まではターボエンジン車で参戦し、1992年~1993年には当時のF1と同じ規定で造られた自然吸気3.5リッター10気筒エンジンを搭載したTS010で参戦し、1992年には2位を獲得している。1994年には92C-Vを改造した94C-Vで出場、しかしポルシェ962CをGTとして改造した、掟破りとも言えるダウアー962GTの前にまたも2位に終わる。1998年から1999年にかけてToyota GT-One(TS020)でル・マンに参戦。マシン性能をは他社に比べて圧倒的であったが安定度が不足しており、マシントラブルのために最高成績は1999年の2位止まりに終わる。

1992年にスポーツカー世界選手権(SWC)にTS010でフル参戦し、第1戦のモンツァで日本の小河等が優勝した。

F1
1994~1998年には全日本ツーリングカー選手権(JTCC)に参戦し、1994年第4戦SUGOからは全日本GT選手権(JGTC:現・SUPER GT)に参戦。GT500クラスでは2005年までスープラ、2006年からはレクサスSCで参戦。GT300クラスにもセリカとMR-Sが参戦している。

1996年からアメリカのチャンピオンシップシリーズ(CART)にエンジンマニュファクチャラーとして参戦し、2002年ドライバーズ、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得し、2003年からは、インディ・レーシング・リーグ(IRL)へ参戦。世界3大レースの一つ「インディ500」を日本メーカーとして初めて制覇。IRLシリーズ参戦初年でドライバーズ、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。なおIRLからは2006年末撤退予定を前倒しし、2005年一杯で撤退した。アメリカのストックカー・レースであるNASCARには2000年にセリカでNASCARグッディーズ・ダッシュ・シリーズで初参戦し、2004年にトップ3カテゴリーへ史上初の新マニュファクチャラーとしてタンドラでNASCARクラフツマン・トラック・シリーズに参戦した。そして2007年からはカムリでNASCAR最高峰カテゴリーにあたるネクステル・カップ・シリーズとブッシュ・シリーズへ参戦することを発表している。

またアマチュア向けとして、ヴィッツとアルテッツァのワンメイクレース「ネッツカップ」、ラリー初心者向けのワンメイクラリー「TRDヴィッツチャレンジ」などを開催しているほか、若手ドライバー育成を目的としたジュニア・フォーミュラのシリーズ「フォーミュラ・トヨタ」など、底辺カテゴリーの拡大にも力を入れている。

幻の航空機計画
トヨタ自動車は1930年代の創業期に、自動車開発に加えて航空機開発の研究を同時並行させていた。1936年、創業者の豊田喜一郎はフランスから軽飛行機を購入して羽田空港で試験飛行した後、いとこの豊田英二(現トヨタ自動車最高顧問)がエンジンを解体してスケッチし、再び組み立てなおして飛行させることに成功した。また、海軍から払い下げられた一三式練習機に試作した木製プロペラを取り付けて小幡飛行場(名古屋市内)から衣が原飛行場[8]までを飛行した。また、同じ敷地内では独自にヘリコプターの研究もしており、ローター回転による揚力実験まで進んでいた。しかしこれらの航空機研究は戦時体制が強まり、軍用トラックや他社製の航空機エンジンの量産に追われたために中断に追い込まれた。

また、戦後にも航空禁止解除をにらんで航空機分野への進出企画していたが、立川飛行機から招いた長谷川龍雄技師から現状のトヨタの体制では無理という旨の意見を聞き断念している。

[ 2007/07/18 21:36 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Hilux CM 1'05"

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初代10系(1968-1972年)
1968年、登場。ブリスカのモデルチェンジに際し、名称をハイラックスに変更。ブリスカ同様、企画はトヨタ、設計は日野主導で行われ、組み立ては日野自動車・羽村工場が担当した。

北米ではトヨタ・トラックとして発売された。

2代目20系(1972年-1978年)
1972年5月登場。エンジンは従来の12Rに加え2.0Lの18R型を搭載した「ハイウェイ」も設定された。「ハイウェイ」にはハイラックス初のフロアAT車を選択できた。

1975年10月 マイナーチェンジでフロントグリルが変更される。「ハイウェイ」は廃止されハイラックスのAT車も1983年のフルモデルチェンジまで一旦中止された。

3代目30/40系(1978-1988年)
1978年9月登場。スタウト110系がこのキャビンを流用した。エンジンは従来どおり1.6Lの12R型。ヘッドライトは丸目4灯式から丸目2灯式に変更された。

1979年12月、これも初となる、ディーゼルエンジンが設定された。ディーゼルエンジンは乗用車系の2.2Lの「L型」だったが、生産コストが低いこと(だけ)が取り柄のこのエンジンは、噴射ポンプは分配式、カムシャフトと噴射ポンプはベルト駆動とするなど、トラック用としてはいささか華奢で、その後、連続高負荷運転ではヘッドやブロックの変形が大きくなる事も発覚し、市場での評判は芳しくなかった。またランドクルーザーの足回りを流用したハイラックス初の4WDモデルが標準ボデー車に追加された。エンジンは荷重を考慮し2.0Lのガソリンの「18R」型が搭載された。

1981年10月 マイナーチェンジで角目2灯ライトに変更。ダブルキャブ仕様車と4WDディーゼルを追加。

1983年11月 廉価版のみへ車種整理され「ポピュラーシリーズ」として88年9月まで継続。

4代目50/60系(1983年-1988年)
1983年11月登場。ガソリン車のエンジンがR型からY型に変更された。

ディーゼルエンジン搭載車に2人乗りのフロア4速AT車が追加され、フロアAT車設定は2代目のハイウェイ以来となった。

1984年5月 トヨタ初のSUVとなる、4ランナー/ハイラックスサーフ60系が登場する。

1985年8月 4ランナー/ハイラックスサーフがフロントサスペンションをトヨタ4WD初採用となる、トーションバー+ダブルウイッシュボーンの独立式に変更する。

いすゞ・ファスターロデオ、ダットサントラック、三菱・フォルテの各4WDピックアップは、この時期すでにフロント独立式サスペンションを採用していたが、ハイラックスピックアップはリーフ+リジッドのまま残された。ただし、海外の途上国や、国内でも、業務用やクロスカントリーを楽しむユーザーには、丈夫で、ホイールストロークの大きい(脚の長い)リジッドが歓迎さていたため、これ以降も残されることとなった。

5代目80/100系(1988年-1997年)
1988年9月発表。130系サーフは1989年5月発表。エンジンは直列4気筒2000ガソリンの3Y、2800ディーゼルの3Lが設定のほか、北米向けなどは、直列4気筒2400 22R-E、V型6気筒3000の3VZ-Eが設定された。

1989年から1996年まで、トヨタ社とフォルクスワーゲン社との提携の一環として、ハイラックスがフォルクスワーゲン社ハノーファー工場で生産された。半数はトヨタ・ハイラックスとして欧州トヨタから販売され、のこり半数はフォルクスワーゲン社から、VW タロー(太郎)という車名で販売された。

タローには現地製のほかに、日野自動車・羽村工場製のOEM車も存在した。 (フォルクスワーゲン 年表)

1993年、北米向けに、ハイラックスのコンポーネンツを使った、より大型のT100が登場。日野・羽村工場での生産は、ハイラックスとの混流となった。ビッグスリーを刺激しないよう、フルサイズとすることを避けたT100は、その後、タンドラに道を譲り消滅する。

1995年北米向けハイラックスがタコマとして独立した車種となる。

1996年同車をベースにトヨダ・AA型乗用車をモチーフとしたトヨタ・クラシックが限定発売された。

6代目140/160/170系(1997-2004年)
1997年登場。乗用仕様には「スポーツピックアップ」と名づけられた。エンジンは直列4気筒SOHC2000ガソリン(1RZ-E)、直列4気筒SOHC2400ディーゼルターボ(2L-TE)、直列4気筒SOHC2700ガソリン(3RZ-E)、直列4気筒SOHC3000ディーゼル(5L)が設定された。

2WDダブルキャブ、2WDエクストラキャブ、4WDダブルキャブ(ワイドボディ設定あり)、4WDエクストラキャブが設定された。ピックアップには珍しくTVCMも放映され、TRDによるカスタマイズバージョンも用意された。
2001年マイナーチェンジ。
2004年秋に日本での販売を終了した。
同車をベースにかつて発売されたクラシックのトラック版といえるTCピックアップが発売されており、こちらは台数限定はされておらずトヨタテクノクラフトの特装車扱いだった。

7代目 (2004年~)
トヨタIMVプロジェクトのフレーム構造をベースとした単一プラットフォームを共有する世界戦略車「IMVシリーズ」としてピックアップトラック、SUV、ミニバンが設定され、このピックアップトラック車種がハイラックス7代目を継承した。「IMVシリーズ」はパワーと低価格が重視される地域向けに、トラックを乗用としても使用する購買層に対し、従来のトラックに比べ乗用車風の高級感を感じさせるつくりとし、さらにトヨタの安定した品質を提供することで販売増を狙うという、新興国向け世界戦略車として生み出されている。世界中の多くの国で販売されるが、日本、北米、欧州(除く旧東欧地域)などでは販売されない。

生産はまずタイで開始された。日野自動車羽村工場のラインが一部移管され2004年8月からおこなわれた。羽村工場でも2005年6月末まで生産されていたが、IMVは日本国外以外の世界的規模でトヨタ生産方式を実現することが求められるプロジェクトであり、最終的にタイに完全に移管された。

一国生産のリスクを避けるためにタイ以外でも順次生産開始され、アルゼンチン(2005年2月)、南アフリカ(2005年4月)の3ヶ国がIMVシリーズピックアップ車の主要な輸出拠点となっている。この3拠点から世界の新興諸国に向け輸出されるほか、マレーシアやパキスタン、ベネズエラなどでは自国向けにCKD生産されている。

エンジンは直列4気筒DOHC2.7Lガソリンの2TR-FE、直列4気筒DOHCディーゼルは3.0Lの1KD-FTV、2.5Lの2KD-FTVが設定されている。

車名は地域によって異なり、タイではHilux Vigo(ハイラックス ヴィーゴ)、南太平洋地域ではHilux IMV[1]として販売されている。

日本の代表的なキャンピングカービルダーであるバンテック社はHILUX VIGOをベース車としたテラ(Terra)を2006年から販売している。トヨタタイ工場から仕入れたHILUX VIGOをバンテック社タイ工場で架装。ベース車としてのHILUX VIGOは並行輸入扱いとなっている。

ラインナップ(タイ仕様)
スタンダードキャブ(最廉価グレード。フロントバンパーは樹脂製。)
エクストラキャブ2WD/4WD
ダブルキャブ2WD/4WD
プリランナー

〈派生車種〉

ハイラックス
ハイラックスサーフ 設計、生産は日野とトヨタの共同。3代目(180系)以降はランドクルーザープラド(90系以降)とシャーシの多くを共用。
T100 日野製。
タコマ 日野製。
FJクルーザー 日野製。
キジャン/タマラオ インドネシア、トヨタ・アストラモーター製。

IMVプラットフォーム
ハイラックスヴィーゴ(ハイラックスIMV)
キジャンイノーバ/イノーバ ミニバン。インドネシアではキジャン/タマラオの後継車キジャンイノーバとして販売されている。その他ではトヨタ・イノーバ。インドネシアで生産開始され、トヨタアストラモーター/トヨタ・タイランドなどでも生産されている。

フォーチュナー(南米ではハイラックス SW4) SUV。トヨタ・タイランド、アルゼンチン・トヨタ、トヨタ南アフリカなどで生産されている。

[ 2007/07/19 21:40 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Camry 1989 CM 0'30"

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3代目(1986-1990年)V20型
1986年8月登場。エンジンは、2000ccのみトヨタ初となるハイメカツインカム(3S-FE型)エンジンが搭載された。ほかに1800cc(1S-i型)と2000ccターボディーゼル(2C-T型)、更に先代から引き続き2000ccスポーツツインカム(3S-GE型、2.0GTのみ)が用意された。

エクステリアは、カリーナEDや2代目ソアラから始まった当時のトヨタデザインのトレンドに沿い、角と丸を巧みに融合させたもので、モールやメッキ類の採用で車格感も高められている。

インテリアは先代の比較的シンプルなものから一転し、上位車種であるマークIIに匹敵する豪華なものとなった。一部の上級グレードではCDプレーヤーやクルーズコントロールがオプションで選べるなど、装備の面でもこれらに劣らない豪華さを誇った。フロントウインドウの傾斜もきつくなり、先代のような圧倒的な室内広さは実感できなくなり、初のFF中型車として実験的な色彩が感じられた先代とは違う、トヨタ車としてごく普通の車となった。

1987年4月 - 新開発された2000ccV6エンジンを搭載した『プロミネント』(VZV20型)も登場。フロントグリルの形状が異なり、豪華装備がさらに追加される点などが4気筒モデルとの違いであった。


プロミネントのエンジンは2000ccV型6気筒DOHCの1VZ-FE型で、最高出力は103kw 140ps)/6000rpm・最大トルクは174Nm(17.7kg・m)/4600rpmを発揮。

1987年10月 直列4気筒2000cc(3S-FE型)モデルにはビスカスカップリング方式のフルタイム4WDも追加され、バリエーションが豊富になった。

1988年8月のマイナーチェンジでは1800ccもハイメカツインカム化された(1S-i型OHCエンジンから4S-Fi型DOHCエンジンに換装)。同時にプロミネントシリーズのみに4ドアハードトップと2000cc4WDにAT車が追加されている。

海外ではステーションワゴンも存在したが、日本市場向けラインナップに追加されることはなかった。
HTのプロミネントは、北米でレクサスが発足した当初、ES250として販売された。フロントグリルなどが同時に登場したLS400(初代セルシオ)に似せた造形になっているのが国内仕様との違いであった。

ES250のエンジンは2500ccV型6気筒DOHCの2VZ-FE型で、最高出力は116kw(158ps)/5800rpm・最大トルクは206Nm(21kg・m)/4600rpmを発揮。

国内ではトヨタのFFと4WD車のラインナップ上の最上級車種として、またカローラ店の最上級車種として、時の『ハイソカー』ブームにうまく乗った戦略が功を奏し、なかなかの成功を収める。その豪華さから「FF版マークII」とも呼ばれた。

ちなみに前期型のデビュー当初、CMに出演する子役を募集していたことがある。

[ 2007/07/23 22:43 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Crown S6 1973 CM 0'30"

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4代目(S60、70系:1971年-1974年)
1971年2月に登場。この代から正式名称が「トヨペット・クラウン」から「トヨタ・クラウン」に改称されている。

その滑らかなスタイリングから一般に「クジラ」「ナマズ」とも呼ばれる。ボディバリエーションはピックアップが廃止され、4ドアセダン、2ドアハードトップ、カスタム(ワゴン)/バンの3本立てとなった。

登場初期のキャッチコピーは「エレガンツ・クラウン―世界が見つめる」。3代目は「白いクラウン」キャンペーンやハードトップの追加で個人ユーザー層を開拓し大成功を収めたが、この4代目は顧客の要望に応え、車種バリエーションを大幅に拡充、性能・装備のグレードアップや新技術の採用が図られた。 グレードは、4ドアセダン・2ドアハードトップ両方に最上級グレードとして新たに設定された「スーパーサルーン」を筆頭に、セダンが「スーパーデラックス」「デラックス」「オーナーデラックス」「クラウン」、ハードトップは「SL」「スーパーデラックス」「ハードトップ」とセダンに準じた構成となった。またバンにも「デラックス」が設定された。また装備面ではESC(電子制御式スキッドコントロール装置:後輪のみのABSのはしり)・EAT(電子制御式自動変速機)をSLに、オートドライブをSL、スーパーサルーン、オーナーデラックスにオプション設定したことなどが挙げられる。

1971年4月には、2600ccエンジン(4M型)を搭載したモデル(3ナンバー登録)が登場し、高級車化に拍車がかかった。

初代セリカを髣髴とさせる(特にハードトップ)時代を先取りしたスピンドル・シェイプ(紡錘形)と呼ばれる丸みを帯びたスタイルが最大の特徴であったが、あまりにデザイン先行であったスタイリングがユーザー層(当時のユーザー層は現在と違い大変保守的な思想のユーザー層が殆どだったといわれている)に敬遠されたうえ、特徴的なフロントグリルは通風性が悪くオーバーヒートを起こしてしまうなど実用性の問題もあり、同時期にモデルチェンジして姉妹車となったセドリック/グロリアの後塵を拝した(ちなみに後にも先にもセドグロの後塵を拝したのはこの代だけである)。1973年2月のマイナーチェンジではボデー同色一体型だったバンパーをクロームの大型にしたりするなど「高級車クラウンらしく」するリデザインが施されたが、人気の回復には至らなかった。そのためか「クラウン史上最大の失敗作」と言われている。

マイナーチェンジ時のキャッチコピーは「あなたにとって大事な人は…」「大事な人を大事にはこぶ こんどのクラウン」。またこの時に、3代目から同車のCMに出演していた山村聡と共に吉永小百合がイメージキャラクターとして起用され、CMには6代目最終モデルまで出演していた。

なお、CMや新聞広告・パーツカタログ用として使われていた『クラウン』のロゴ(カタカナ表記)はこの代から書体が一新され、8代目まで使われる息の長いものとなった。

[ 2007/08/03 13:16 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Corolla 1100 E10系 1966年-1970年 0'58"

トップページTOYOTAカテゴリーCorolla 1100 20071105180032.jpg

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1969年から2001年までの33年間連続して、派生車を作るなどし車名別国内販売台数1位を維持するなど、特にセダンに関しては日本を代表する車種である。また、2002年には年間世界販売台数が初めて100万台を突破した。更に2005年には、累計生産台数3000万台を達成し2007年現在では世界140ヶ国以上の国で販売されており、特にカローラセダンは世界で最も多く販売されている乗用車でもある。

その名前は同社の大型高級セダン「クラウン」の「王冠」、中型セダン「コロナ」の「太陽の冠」に対して、「花冠」[1]を意味する。また、同社にはほかに「冠」をもじった大型前輪駆動セダン「カムリ」がある。

日本ではセダンの「カローラアクシオ(COROLLA Axio)」、トールワゴンの「カローラルミオン(COROLLA RUMION)」、ステーションワゴンのの「カローラフィールダー(COROLLA FIELDER)」の3車種がある。

2006年9月までは5ドアハッチバックの「カローラランクス(COROLLA RUNX)」も存在したが、同年10月に新型欧州戦略車「オーリス(AURIS)」を同車の後継として導入し、ハッチバックのカローラシリーズは終了した。ランクスおよびアレックスは日本においてはカローラの若年層向け異型車として展開されていたが、オーリスはネッツ店専売車種となっている。

以前は、小型MPV カローラスパシオ・2ドアクーペ カローラレビン・4ドアハードトップ カローラセレス・3/5ドアハッチバック カローラFXなども存在した。

2006年7月に東京・お台場のMEGAWEBでカローラ生誕40周年記念展示が行われ、初代から9代目までのカローラとAE86型レビン、スパシオの欧州向け姉妹車「カローラ・ヴァーソ」、ヴォルツの北米向け姉妹車「マトリックス」が展示された。マスコミ向けに行われた撮影会では車内まで撮影できたが、一般公開では囲いがしてあり、外観しか見られなかった。ちなみに車のリアには販売店のステッカーが貼ってあり、実際に使用していた車であることが分かる。

初代(E10系、1966年-1970年)
1960年代後半、日本では本格的なモータリゼーション時代を迎え、各自動車メーカーは車種の充実をはじめた。カローラは、エントリーモデルであり、国民車構想の流れを汲むパブリカと、量販車種であり、排気量のアップや車体の大型化により車格が上昇したコロナの中間に位置する量販車種として、1962年ごろに初めて企画された。トヨタは、パブリカが実用的に過ぎたため人気を得られなかったと分析し、実用以上の「魅力」を付加することを目標とし、開発理念として「80点主義」を掲げた。エンジンは、パブリカの空冷2気筒700cc[4]に対して、先行して開発されていた水冷4気筒で中高回転域での追従性に優れたハイカムシャフト方式で5ベアリングのクランクシャフトを用いたOHV式の1000ccエンジンを搭載することとした。

車両重量その他の計算から、時速100kmで巡航するために必要な最高出力を60psとし、その出力を余裕を持って発揮するという名目から、また、後述するサニーに対抗するため、発売前の最終段階にはエンジン排気量が1100cc(実際は1077cc)に決定された。エンジン形式はK型である。そのほか、クラス初のフロアシフトによる4段トランスミッション、国産の乗用車用としては初採用となる[6]マクファーソン・ストラット式の前輪独立懸架などの新機構が取り入れられた。また、トヨタはカローラ生産のため、新たに高岡工場を建設し、年間2万台の生産と販売を目標とした。また、国産車で初めてエクステリア上のバンパーフェイスの排除や全車リアバックアップランプの採用、および助手席側ドアロックキーシリンダーなどの採用、インテリア関係では、丸形メーター、視界では、全車2スピードワイパーを採用したのがこの初代カローラである。

ほぼ同時期、日産自動車でも、やはり大型化したブルーバード(P410型)の下位車種として、排気量1000ccの新型車が構想され、車名公募などのティーザー・キャンペーンが大々的に行われた。この車はダットサン・サニーと名づけられ、1966年4月に発売された。

サニー発売に遅れること5ヶ月、1966年9月に「カローラ」という車名と、セミファストバックスタイルのボディの一部のみを見せるティザー・キャンペーンが行われた。この時から用いられた「プラス100ccの余裕」というキャッチコピーは、新開発のK型水冷4気筒5ベアリング・ハイカムシャフトOHVエンジンの排気量(1100cc)を表現したものであり、もちろん、1000cc、でデビューした「サニー」に対しての、宣戦布告であった。同時に「日本のハイ・コンパクトカー」を自称して、「パブリカ」や、あるいは同クラスの他社製品より上質であることを訴えた。

初代カローラ(E10系)は翌10月、東京モーターショーで発表される。同年10月28日には「お茶の間発表会」と銘打ち、当時トヨタが提供していた日本テレビのゴールデンタイム(午後9時からの1時間)に特別番組「カローラ・ビッグバラエティショウ」を放送、梓みちよ、北島三郎、坂本九など、当時の流行歌手が出演した。

このような, 発売前の大々的なキャンペーンを経て、カローラは翌11月に発売された。各グレードの販売価格は、スタンダード432,000円、スペシャル 472,000円、デラックス495,000円であった。「100ccの余裕」は、余裕を謳う反面、税制上は不利であったが、事前のキャンペーンが功奏し、販売台数はサニーを上回った。

発売当初は2ドアセダンのみのラインナップであったが、翌1967年5月、4ドアセダン、バン(KE16V型)、トヨグライドと呼ばれる、2速AT車が追加された。4ドアは2ドアセダンの25,000円高、トヨグライド仕様はマニュアル仕様の38,000円高であった。ほぼ同時期、サニーにも同様の車種追加がなされている。

1968年4月にはマイナーチェンジが行われる。ダッシュボードのソフトパッド化、メーターへの無反射ガラス採用、2スピードワイパーの標準装備化、メーカーオプションでフロントディスクブレーキが用意される(15,000円高)など、「33項目の安全対策」をアピールした。同時に2ドアクーペが登場、「スプリンター」(別項参照)のサブネームが与えられた。セダンにもスプリンター同様の73psのツインキャブエンジンを搭載し、フロントディスクブレーキとタコメーターを標準装備するSLが車種追加され、SL以外のグレードにはコラムシフト車も追加された。なお、この年から北米と欧州への輸出が開始された。

1969年9月の改良では、全車に排気量を100ccアップした3Kエンジンを搭載し、KE11型他となる。シングルキャブモデルは68psを発揮、新たに圧縮比を高めて出力を73psに増した3K-D型エンジンを積む、ハイ・デラックスが追加される。SLにはツインキャブの77psエンジン(3K-B型)が搭載された。また、乗り心地やハンドリングを向上させるため、全車、フロントサスペンションのロアアームを、A字型アーム+横置きリーフスプリングスタビライザーから、I字型アーム+テンションロッドスタビライザーに改め、本来の形状のマクファーソン・ストラット式になった。このフロントサスペンションは、80系の、AE85型/AE86型のカローラレビン、スプリンタートレノまで踏襲される。事実上、E10系の最終型となっている。

ちなみに、E10系のデビュー当初のCMキャラクターは俳優の竜雷太を起用していた。またマイナーチェンジ後にはCMソングも製作された。曲目は「いとしのカローラ」(作詞・作曲:浜口庫之助)である。

1968年12月に発生した三億円事件で現金を奪った犯人が現金輸送車の日産・セドリックから乗り換え、逃走に使った車がこの初代カローラである。

[ 2007/10/03 11:48 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

CorollaⅡ CM 0'30"

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3代目 L40系(1990-1994年)
1990年9月 3代目デビュー。カローラIIは3ドアハッチバックのみの設定となる。エンジンは4E-FE型1300cc・100馬力と1500cc・105馬力5E-FE型(SR)及びハイパワー仕様115馬力の5E-FHE型(ZS)1500ccでいずれもDOHC・EFIとなった(ディーゼル車は除く)。

ディーゼル車は従来どおりの1.5Lの1N-T型・67馬力。 先代とは一転して丸みを帯びた外観を持つのが特徴。バブル景気の真っ最中に設計されたためか、室内インテリアの質感も高く、買い得車という印象を与えない。(特に「1.5ZS」「1.5SR」のCR10系(初代)エスティマを思わせるシート形状などは今の水準から見ても秀逸である)

カーオーディオは2DIN仕様で市販のオーディオ・ナビがアダプターなしで装着出来る。

ABS、エアバッグはまだオプション扱いで、助手席エアバッグや自動巻き取り式シートベルトの設定はなかった。

現在のコンパクトカーに比べ、全高や重心が低く、視界は良好である。

このモデルは、皇太子妃雅子の愛車でもあった。嫁入り道具として、成婚後も自ら運転していたという(現在は既に廃車になっている模様)。

[ 2007/10/11 13:53 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Starlet (EP82) 1991 0'29"

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4代目(EP8#系、1989年-1995年)
1989年12月にフルモデルチェンジ。1300ccエンジンはSOHC12バルブからDOHC16バルブとなる(最高出力はキャブレター仕様が82ps、EFIが100ps、ターボが135ps)。スターレット初の4輪ディスクブレーキをGTに搭載し、オプションのABSはクラス初である。型式名は、前輪駆動モデルはEP82、四輪駆動モデルはEP85、ディーゼルエンジンモデルはNP80。

1992年1月のマイナーチェンジで、全てのエンジンがインジェクション仕様となる。SRSエアバッグも用意される。

先代のSOHCターボが好評だったが、DOHC化されたターボエンジンはシャーシに対して、先代以上にオーバースペックで、「ネズミ花火ハンドリング」とも呼ばれるようなじゃじゃ馬振りだった。マイナーチェンジで足回りが見直され、ハンドリングマナーもやや落ち着いた。フェイスリフトを受けた最終型では、丸型ヘッドランプとなりホットハッチらしい風貌となった。 1994年5月のマイナーチェンジでは、6年間続いたキャンバストップの生産が終了した。

4WDモデル改FRドリ車仕様がドリフト天国誌によって制作された。モチーフは前述の61系のドリ車でフェンダーミラーがついている。

[ 2007/10/12 13:52 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Carina (T170) 0'30"

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5代目 ET170/AT170/ST170/CT170系(1988年-1992年)
1988年5月にT170系がデビュー。この時期の国産車としては、2000年代以降の現在の道路でも見かけることがある車の1つである。角が取れてやや丸みを帯びたフォルムは、当時のカーデザインの流行に沿ったものである。又、同時にサーフ(ワゴン)、バンもフルモデルチェンジされFFとなった。

前期型のCMキャラクターは松本孝美、瀬川博。CMソングは、ミスタービルドジャパン『情熱』より。ただしキャッチコピー「生きるよろこび」は昭和天皇の病状悪化にともない、「ときめきのカリーナ」のみになった(日産・セフィーロと同じ例)。

エンジン
5A-F型 1500ccDOHC・キャブ
5A-FE型 1500ccDOHC・EFI
4A-FE・4A-FHE型 1600ccDOHC・EFI
4A-GE型 1600ccDOHC・EFI
4S-Fi型 1800ccDOHC・セントラルインジェクション
4S-FE型 1800ccDOHC・EFI
2C型 2000ccSOHC・ディーゼル
3E型 1500ccSOHC・キャブ(バン専用エンジン)

セダン
1500cc車 AT170
1600cc車 AT171
1800cc車 ST170
2000cc車 CT170

ワゴン(サーフ)
1500cc車 AT170G
1800cc車 ST170G

バン
1500cc車 ET176V
2000cc車 CT176V

1988年12月 セダンにセンターデフ方式フルタイム4WD車が追加(AT175)。エンジンは1600cc4A-FE型のみの設定。

1989年8月 マイナーチェンジで「Gリミテッド」の4A-GE型エンジンは高圧縮ハイオク仕様となり、140psを発揮するに至った(AE92後期型レビン・トレノ相当)。

1990年5 月マイナーチェンジ。ランプ類の変更。エンジンは乗用のガソリン車が全車EFI化され1800ccが4S-FE、1500ccが5A-FEに換装。 1600cc4A-FE型からハイカム・ハイパワー仕様の4A-FHE型に換装(但しFF車のみ。4WD車は引き続き4A-FE型を採用)。サーフに 2000cc2C型ディーゼルが追加(CT170G)。

後期型のキャッチコピーは「ときめきのカリーナ」。前期の松本・瀬川に加えて新たに山口智子も起用された。CMソングは財津和夫『Dream With You』(MC直後)、鈴木雅之『たとえきみがどこにいこうと』、安全地帯『いつも君のそばに』の3曲が起用されていた。このマイナーチェンジで、グリルがT型に、テールランプが3分割から明るいレンズで膨らんだ2分割に変更された(バンの前面は変更無し)。又、後期型から運転席エアバッグがオプションとして装着可能となった。

セダンが先にフルモデルチェンジされた後もバン/ワゴンは1992年10月まで従来型が継続生産され、コロナバンとの統合でカルディナが後継車となる。

[ 2007/10/13 13:48 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Carina Ad 1981 0'15"

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3代目 KA60/AA60/TA60/RA60/CA60系(1981年-1988年)
1981年9月発売。ボディ形状は4ドアセダン、3ドアハッチバッククーペ、5ドアバンの3種類。2世代続いた2ドアハードトップと2ドアセダンは廃止。名機の誉れ高い4A-Gエンジンを搭載しているFRモデルもあり草レース関係者などからの人気が今でも高い。

エンジン
* 3A-U型・1500cc・OHCシングルキャブ * 1S-U型・1800cc・OHCシングルキャブ * 3T-EU型・1800cc・OHV EFI * 2T-GEU型・1600cc・DOHC EFI * 4A-GEU型・1600cc・DOHC EFI * 18R-GEU型・2000cc・DOHC EFI * 12T-J型・1600cc・OHVシングルキャブ(バン専用) * 1C型・1800cc・ディーゼルOHC

形式
1500cc車 AA60型
1800cc車(1S-U) SA60型
1800cc車(3T-EU) TA63型
1600cc車(2T-GEU) TA61型
1600cc車(4A-GEU) AA63型
2000cc車(18R-GEU) RA63型
1600cc車(12T-J バン専用) TA67V型
1800ccディーゼル車 (1C バン専用) CA67V型
1982年2月 5ドアワゴンの「サーフ」シリーズ追加。カリーナ発売以来初の5ドアワゴン(後のカルディナのルーツ)。 1C型1800cc・OHCディーゼル追加。

1982年5月 1500SE追加。

1982年6月 主に女性ユーザー向けの1500ジュン追加。

1982年10月 日本初のDOHCターボエンジン(3T-GTEU型・1800cc・160ps ツインスパークプラグ式)搭載の「GT-TR」追加(セリカと同時発売)。18R-GEUエンジンの2000GT廃止。

1983年5 月マイナーチェンジ(バン除く)。フェンダーミラーからドアミラーに、フロントグリル、テールランプのデザインも変更された。スポーツモデルの1600GT に、それまでの2T-GEU型エンジンに替わり4A-GEU型エンジンが搭載される(1600cc・DOHC16バルブ)。3T-EUエンジン廃止。

1983年8月 バンシリーズをマイナーチェンジ。12T-J型エンジンが5K-J型・1500ccOHVに変更。

1984年5月 FF4ドアセダンシリーズ(T150系)追加に伴い、車種を整理。同時にマイナーチェンジ。セダンは1500STD、DX、SG、1800SG、1600GT、1600GT-R、1800GT-T、1800GT-TRのみとなる。サーフ、バンは継続。

1985年8月 車種を整理。セダンDOHC搭載車(1600GT、1600GT-R、1800GT-T、1800GT-TR)はFFセダンに移行、クーペ廃止(カリーナEDにモデルチェンジ)。セダンは1500STD、DX、SG、1800SGのみとなる。サーフ、バンは継続。

1988年5月 FRセダンシリーズ、サーフ、バンシリーズ生産終了。

[ 2007/10/14 13:46 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Carina Ad 1980 0'30"

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1977年8月発売。ボディ形状は2ドアセダン、4ドアセダン、2ドアハードトップ、5ドアバンの4種類。
エンジン
12T-U型 1600cc・OHV シングルキャブ(53年排出ガス規制適合)
3T-U型 1800cc・OHV シングルキャブ(以下51年排出ガス規制適合)
18R-U型 2000cc・OHC シングルキャブ
2T-GEU型 1600cc・DOHC EFI
18R-GU型 2000cc・DOHC ソレックス・ツインキャブ
T-J型 1400cc・OHV シングルキャブ
2T-J型 1600cc・OHV シングルキャブ
形式
1600cc車(12T-U)E-TA41
1600cc車(2T-GEU)B-TA40
1800cc車 B-TA42
2000cc車 B-RA40
1400cc車 H-TA16V(バン)
1600cc車(2T-J) H-TA19V(バン)
1977年11月 1800シリーズの3T-Uエンジンが、53年排出ガス規制適合の13T-Uに変更。 (3AT車を除く)形式はE-TA46。

1978年5月 GTとバン以外の1600cc車に3AT車追加。1800ccの3AT車も13T-Uエンジンへ移行。1600GTの2T-GEUエンジンが53年排出ガス規制適合。110psから115psに出力向上。衝撃吸収ウレタンバンバーをオプション設定。

1978年9月 3T-EU(1800cc・OHV・EFI)搭載のST-EFI、SR-EFI追加。形式はE-TA47。当初は5MTのみの設定。53年排出ガス規制適合車。同時に2000GTの18R-GUエンジンがEFI化により53年排出ガス規制適合。また、18R- U型も21R-U型に変更、53年排出ガス規制適合で2000cc車はGTとSEのみへ。これにより乗用シリーズは全て53年排出ガス規制に対応完了。右上のエンブレムが「TOYOTA」から「TOYOTA CARINA」に変更された。

1979年8月マイナーチェンジでスラントノーズの角目4灯ライトに変更(バンは従来どおり丸目4灯)と同時にリヤはナンバープレートの位置が変更されスタイル一新する。ボディ形状は従来通り、2ドアセダン、4ドアセダン、2ドアハードトップ、5ドアバンの4種類。2ドアセダンのスーパーデラックスは廃止。3T-EU と21R-U搭載車に4AT車追加。バン1400シリーズ廃止。バン1600シリーズは12T-Jエンジンに変更と同時にAT車追加。形式はJ- TA49Vとなる。

1980年8月 ハードトップ1800はEFI仕様(ST-EFI・SR-EFI)のみへ。

特別仕様車として「カリーナと言えばマイロード」という「マイロード」という特別仕様車が設定されたのはこのモデルの後期からである(ただし初期には「マイライフ」という特別仕様車も存在)。

[ 2007/10/15 13:44 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

MarkⅡ TourerV (JZX90) 0'30"

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マークII (MARK II)は、トヨタ自動車が生産していたアッパーミドルクラスセダンを担う乗用車。1996年発売の8代目(X100系)まではチェイサー/クレスタと共に姉妹車。

1968年の発売当初は「トヨペット・コロナマークII」と呼ばれ、コロナの第2世代という意味合いで、クラウンとコロナの間に位置づけられた。

日産自動車のローレル・スカイラインらが、マークII・チェイサー・クレスタのライバル車種として位置付けられていた。

しばしば、刑事ドラマに登場する。

上記のように、日産のローレル・セフィーロ・スカイライン等と同じ、アッパーミドルクラスの高級乗用セダンである。トヨタ内におけるクラスヒエラルキー的には、クラウンの1つ下に位置する。ちなみに姉妹車のクレスタ・チェイサーの2車種を合わせて「マークII3姉妹」とも言われる。日本を代表する高級車の1台である。

初代マークIIとなったクルマは、そもそもはコロナの次期モデルとして企画されていた。 1964年9月、コロナはモデルチェンジで3代目RT40(PT40)型へと移行する。車種体系の充実や、ファミリーカーとしての基本性能の高さが評判を呼び、トヨタ初のベストセラー車となっていた。

そのコロナ次期モデルの構想における勘案材料として、市場のモータリゼーション拡大による上級志向化というものがあった。また、クラウンとのギャップを埋めるモデルが必要だったことや、ユーザーの嗜好の多様化によるラインナップの充実が求められていたことが背景にある。 そこで、次期モデルは車の寸法、車格の拡大が重点に置かれた。当時のデザイン部門のリーダーであった森本眞佐男の『トヨタのデザインとともに』によれば、自工、自販首脳部による次期コロナのスタイル審査において、次期コロナと比較のために並べた現行コロナを前に『(当時の)神谷自販社長から『これは両方作ってくれ』という言葉がでた。青天の霹靂(へきれき)だった。(中略)デザイン部門では新しいモデルの仕上げと並行して、(現)コロナのフェイスリフトを急遽立案しなければならなくなった。』とある。これにより、コロナは従来タイプのマイナーチェンジに留め、当初次期コロナして開発されていたモデルを「コロナマークII」として世に出すことになった。

こうして1968年9月にコロナマークIIが発売され、従来のコロナはマイナーチェンジにとどまった。

「新型車カローラ登場によるカローラ―コロナ―クラウンラインアップ上のコロナの役割を変更する」という当初の開発意図は、ユーザーの要望を聞いている販売担当サイドの意見から最終的には「コロナとクラウンの間を埋める」という役割を担う新型車種となったのである。

販売戦略では「社長や部長のクラウンよりは下だけど、部下のカローラ、コロナよりは上の"課長さんのクルマ"」と位置づけされ、これが広告宣伝で使用されオーナーの自尊心をくすぐった。そもそも、コロナマークIIという車名自体も上級車志向のコロナオーナーを意識しておりトータルな販売戦略が伺える。

ここに「カローラ―コロナ―マークII―クラウン」のラインナップが揃い、コロナは日産・ブルーバードを抜き、カローラがファミリーカーとしての地位を初代にして固めるなどの背景もあり、トヨタは当時の日本の状況を的確に見据えた「グレードアップ戦略」を強化していく。

マークIIは好販売を維持し続け、30年以上に渡り製造・販売されるロングセラーカーとなった。

ハイソカーブームに沸いた1980年代半ばには、同社のソアラや、日産・シーマなど代表的な車種がシンボリックな存在だったが、実質的な販売台数では「白いマークII」がその中核であった。

1990年代からのRVとその後ひきつづくミニバンブームが起こり、単なるブームではないと思われ始めた世紀末以降もトヨタはセダンが自動車の中心であると謳い、マークIIをプロモーションしテコ入れしていたが、最終的には、セダンは後継車種のマークXにモデルチェンジ。車名をマークXへと切り替えることで新しい道を探り始めた。

マークXに移行した2004年11月以降、マークIIはマークIIブリットとしてステーションワゴンのみの販売となっていたが4年後の2007年6月をもって名実共に39年間の歴史に幕を下ろした。

コロナ マークIIという車名は上級車志向のコロナオーナーを意識し、ジャガーMk-IIなどの英国車のモデルチェンジやグレード変更によく使われる方法から採用された。[1]。トヨタの小型セダン”コロナ”(現在は既に廃止)をよりスポーティに高級化した車、という開発コンセプトにより、端的にその二次的車種という意味で”コロナマークII”と命名された。1984年(昭和59年)5代目(X70系)モデルチェンジ以降は動力・駆動機能とデザインにおいてより独自性が強められ、コロナシリーズとしての性格が弱まったことから”コロナ”の名称を外し”マークII”となった。当時、トヨタには車名の頭文字を「C」とすると成功する、とのゲンかつぎがあり、輸出仕様車の名前では"クレシーダ"(英:Cressida 英読み:クレシダ)として「C」を冠することになった。

「マークII」の名前についてはジャガー社など海外メーカより、既存の自社製品と名前が同じであるとクレームが付き、「マークX」まで数字が進むことはなかった。しかし同時期にイギリスに輸出されたローレルは「ローレル マークII」と名乗っていた。

マークII以外でコロナシリーズとして発表された車種には、”コロナEXiV”、”コロナプレミオ”があるが、コロナEXiVは既に廃止となり、コロナプレミオはマークIIと同様、2001年に”プレミオ”に改称された。

セダン、4ドアハードトップ、ステーションワゴン、バン。2ドアハードトップ、ピックアップが用意されていた時期もある。

マークIIはセダンの代表的車種。どちらもセダン系ではあるが、トヨタではドアにサッシュを持つものを「セダン」、ないものを「4ドアハードトップ」と称している。

エンジンはかつては直列6気筒2000cc(M-B, M-U, M-EU)、 2600cc(4M-U, 4M-EU)を主力とし、81系では3000cc(7M-GE)直列4気筒1800cc~2000cc(16R-U,18R-U,18R-GEU,21R-U,3T-U,13T-U,1S-U,4S-Fi,4S-FE)も存在したが、X100系からは直列6気筒2000㏄(1G-FE)、2500cc(1JZ-GE)、3000cc(2JZ-GE)のガソリンエンジンと2400ccのディーゼルターボ(2L-TE)のみとなった。2500ccには280psのターボ(1JZ-GTE)が搭載されたグレードもある。

グレードについてはX60系後期型から販売の中心となったラグジュアリー志向の「グランデ(grande)」を筆頭に、X80系からはより装備を充実させた最高峰グレードとして「グランデG(grande G)」が登場した。 スポーツグレードはX60系に「GT」、X70~80系までは「GTツインターボ」90系からはチェイサー/クレスタ(100系はルラーン)と共通の「ツアラー」だった。最終型110系はNAが「iR」「iR-S」ターボが「iR-V」となっている。 ディーゼルターボや直列4気筒エンジンを搭載した廉価グレードは「GRサルーン」(X80系まで)「グロワール」(X90系)の名称で販売されていたが、GRサルーンにはグランデとほぼ同等の装備内容としたものも設定された。

7代目(X90系 1992年10月-1996年9月)
日本国内専用車になり、車体の大型化で全車3ナンバーボディとなった。開発時期がバブル絶頂期だったので、2代続けてプラットフォームを一新するというかなりの開発費を投入したモデルであり、その結果クルマとしての基本性能は大幅に向上した。なお、この代からスポーツモデルがツアラー(Tourer)に改称された。 しかし、発売前に景気後退が進んでいたため、コストダウンが行われた。代表的な物に、TEMSの設定グレードの減少(3Lのみ)と、パワーウインドウの方式変更などである[5]。コスト削減のため車体の溶接方法も変更され鉄板が従来車よりも薄くなったため、車重が軽くなった。 4ドアセダンは従来型(80系)でX90系主要部品を移植する形で継続生産の上車種整理(自家用ガソリン車は2.0Lと1.8Lのみ、タクシー・教習車)、ワゴンは引き続きX70系を継続。

今までFR方式の駆動のみだった同車だが、この代の1993年10月より、四輪駆動(実用型四輪駆動)仕様の「グランデfour」「グランデG four」が追加される。従来のFR方式は雪道には弱いとされていたため、積雪・凍結路面の多い北海道・東北・北陸地方のユーザーからは好評だった。この四輪駆動方式の排気量は、2500のみでエンジンは1JZ-GEである。

特別仕様車「レガリア(REGALIA)」が設定された(X100系・X110系でも設定された)。

発売から15年以上経ったが、この世代のマークII(チェイサー・クレスタ)は現在でもマニアの間では「キューマル(90)」などの愛称で呼ばれ、人気も高い。 その理由として、デザイン面では、当時は国産車の多くが丸みを基調とした曲面デザインへと変化していく時期であり、この90系も例外ではなかった。曲線を基調とした中に流麗さを持ち合わせ、古さを感じさせないボディデザインは、90系の人気のひとつとなっている。

さらに、その改造のしやすさ(後に発売された100系マークIIの部品のほとんどが90系にそのまま使えるため(代表的な物として車高調)か、100系のパーツを移植する例も多い)が受け、VIPカーのベースとなったり、ツアラー系を中心に走り屋からの人気も高い。中古車市場ではかなりの廉価で発売されているためか(但しツアラーVの純正5速MTは高い)、入手も容易である。また、最近流行りの前期の後期仕様への改造は、歴代マークⅡチェイサークレスタの中では、このX90系が最も簡単にできる。(部品の交換のみで可能である。)

CMには故・アルフレッド・ヒッチコックがフィルム合成で登場。ナレーションには彼の吹き替えで有名な熊倉一雄が起用された。キャッチコピーは、前期が「名前以外は、すべて新しい。」「それは走る高級車。」、後期が「2年ぶりの新作。」「Mark, the Better MARKII!」。

[ 2007/10/16 13:40 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Aristo (JZS161) 0'30"

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2代目 JZS160(S300)/JZS161(V300)(1997年-2005年)
クラウンマジェスタとの姉妹車関係を絶って新規のプラットホームを使うようになった。このプラットホームはその後トヨタのFRセダンの基本プラットホームとなった。初代から一転して社内デザインになり、楕円をモチーフとしたデザインは先代に引き続き好評を得た。また、重量配分をフロント53:リア47と理想的な重量配分としているのも特徴である。

国内販売モデルは、初代にあったV8エンジンのグレードが無くなり、ツインターボの2JZ-GTE型(280ps)の「V300」、NAの2JZ-GE型(230ps)の「S300」(いずれも直列6気筒 3000cc DOHC VVT-i エンジンを搭載)のみになった。また、アメリカ専売モデルでは、初代同様にターボエンジン搭載車の投入はなく、2JZ-GE型直列6気筒エンジン搭載車「GS300」に加え、1UZ-FE型V8エンジン搭載車「GS400」(後に3UZ-FE型に変更し「GS430」を名乗る)の販売で差異を付けていた。

2000年7月にマイナーチェンジを行い、フロント・リアの意匠変更、エンジンイモビライザーを標準装備、NAのS300のミッションが5速化されるなどの変更が行われた。

[ 2007/10/17 13:38 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Crown Athlete-V(GRS182)-1 0'30"

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12代目(S180系:2003年-)
2003年12月22日に登場。「静から動への変革」をテーマに「全てをゼロから発想するクルマ造り」を行い、プラットフォーム、エンジン、サスペンションといった主要コンポーネントを全て一新した。特にエンジンは、長く使われた直列6気筒に代わり、この12代目からV型6気筒のGRエンジン(歴代クラウンとしては初のV6エンジン)に切り替えられた。変速機は2500ccが5AT、3000ccがセルシオに搭載されているシーケンシャルシフト付の6ATが搭載された。

かつては「いつかはクラウン」のキャッチコピーに代表されるように、憧れと終着点としての目標だったが、上級車のセルシオやクラウンマジェスタの登場で最上級車ではなくなった事や、中年向けのイメージをずっと引きずったままでユーザーの対象年齢の高齢化が問題となっていた。

その結果、「ZERO CROWN(ゼロ・クラウン)」としてイメージを一新させている。ただし、「ZERO CROWN」は車名ではない(但し、テレビ・ラジオCMや各マスメディアなどでは「ZERO CROWN」として広告が打たれている)。また、クラウンのエンブレムも形状が新しくなっている。

従来の保守層向けの「ロイヤル」シリーズと、先代から設定されていたスポーティモデルの「アスリート」シリーズという2本立ては変わらないが、オーソドックスな高級感を持つロイヤル、輸入車と肩を並べるスポーティーセダンとしての顔を持つアスリートと、それぞれの個性を明確にした。

数代に渡って続いた保守的なエクステリアと決別し、低く短いフロントや長いホイールベース、CD値0.27 を達成した流麗なボディや「書の勢い」をモチーフとしたサイドビューを特徴とする、それまでのクラウンからは考えられないほどスポーティーで若々しいものとなった。プラットフォームの一新により走行性能・操縦性を重視したアスリートはもとより、それまでは乗り心地を重視していたロイヤルでも、輸入車に引けを取らないスポーティーな走りが楽しめるようになった点も大きな特徴である。

このように、大胆な変貌を遂げ、最初こそ一部のクラウンファンからは「こんな貫禄の無い車はクラウンじゃない」などと不評もあったが、結果的には以前のような中年層だけではなく、クラウンの課題であった若年層からも支持を得て、大ヒット作となった。

2004年7月5日には、上級モデルのクラウンマジェスタがモデルチェンジして、エンジンはセルシオと同じく4300ccのV型8気筒に一本化され、車体にクラウンのロゴマークは入っていない。これは2006年にセルシオがレクサスブランドに移行するにあたり、クラウンマジェスタがセンチュリーに次ぐトヨタブランドの最上級車種となるため、それを強く象徴させるためにトヨタエンブレムにしたとされている。このモデルでは、いっそうプラットフォームの共用化が進み、X110系マークIIの後継モデルとされるマークXとGRS180クラウン、UZS186クラウンマジェスタまでホイールベースはまったく変わらず2850 mmとなっている。

前期型のCMは、「ZERO CROWN-かつてゴールだったクルマが、いまスタートになる。-」のキャッチコピーと共に、CMはそれまでのクラウンのイメージから脱却したことを追求し、音楽と映像が巧みに融合した躍動感溢れるもので、「トヨタらしからぬ出来の良いCM」として評判も高かった。この代からはロイヤルシリーズのCMは打たずアスリートのみと思われがちだが、北海道地区で流された第1作目の「大地」篇ではロイヤルサルーンFourが出ている(もともとフルCGで制作されているのでグレードを変える事は容易いと思われる)。また、第4作目の 『WIND of ZERO』篇ではオーストリアでの撮影が行われ、すれ違いのシーンでMR-Sが脇役として登場している。

2005年10月4日にマイナーチェンジを行う。キャッチコピーは「ZERO CROWN,第2章」。

エクステリアではロイヤル・アスリート共にヘッドランプのスモーク化や、フロントグリルを従来のイメージを継承しながら立体的なものにし、より精悍なイメージとした。

アスリートは現在の3000ccエンジンからレクサス・IS350と同じ3500ccのエンジン(2GR-FSE)に変更され、出力も315psとなった。3000ccはロイヤル系のみの設定となった。2500ccは従来どおり両シリーズで展開される。2500ccはこのマイナーチェンジで6ATに変更(FRのみ。4WDは従来からの5ATを継続)。純正オーディオのCD デッキにおいてはMP3対応品となり、ナビゲーションはHDD方式となった。

また、「キーインテグレーテッドウォッチ」という新しい設備も装着された。これは、身につけてスイッチを操作するだけでドアロックの施錠/解除、エンジンの始動/停止などの操作ができる腕時計である。

マイナーチェンジ後約1年間は、CM曲に松本晃彦の『I know your dreams』が使われた。また、2006年9月からは同じく松本が作曲した『The Spiendor』が使われている。それまで松本の曲(オリジナル)は日産・フーガのCMに使われていた。

2005年10月頃 S180系クラウンパトロールカーの製造が開始された(翌2006年から納車されている)。このクラウンパトロールカーは、 3000ccと2500ccの2つのエンジンが設定されているが、どちらも耐久性や整備性を重視し、直噴仕様ではない3GR-FE(3000)、5GR- FE(2500)が採用された。このうち、2500ccには4WD車も設定されている。トランスミッションは、3000ccが6速ATとなるが、 2500ccは5速ATである。

マイナーチェンジでは、グリルが横基調のストライプから、チェック柄の高級志向に。

ウインカーが、オレンジからクリアーになっている。

特にアスリート系の一部パワーユーザーが独自にリアコンビネーションランプを「4灯化改良」している場合がある。(ノーマル車はロイヤル系・アスリート系ともにリアコンビネーションランプがブレーキング時外側2灯のみ点灯)

2005年から中華人民共和国で現地生産が行われている。

[ 2007/10/18 13:37 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Crown (UZS141&JZS141) 0'29"

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9代目(S140系:1991年-1995年)(写真左側)
1991年9月登場。キャッチコピーは「すべては、クラウン」。ボディはすべて3ナンバー化した。この代から従来の4ドアハードトップは「ロイヤルシリーズ」と呼ばれ、アスリートLに代わるスポーティーグレードとして「ロイヤルツーリング(Royal Touring)」が登場し、5速ATを搭載した。また、新たに上級モデルとして「クラウンマジェスタ(CROWN MAJESTA)」が発売され、クラウン史上初のモノコックボディを採用した。セダン、ワゴン/バンについては、先代の130系が大幅なマイナーチェンジを受けて継続生産された。

この代から、先代まで最廉価グレードとしてのスーパーエディションが廃止された。グレードは、上からマジェスタC、B、A、ロイヤルサルーンG、ロイヤルサルーン、ロイヤルツーリング、スーパーサルーンエクストラ、スーパーセレクト。 初期のCMはマジェスタとの連合CMであった。

ロイヤルシリーズは、前期型のリアスタイルが「クラウンに相応しくない」という批判が殺到した。ナンバープレートをバンパーに配し、テールランプを横一文字に繋げたスタイルは当時のV30系カムリやE100系カローラ、T170系-190系コロナなどに見られた手法ではあったが、クラウンの場合はマジェスタとの差別化とはいえ、かえって安っぽく見えるスタイルとなってしまった。そのため、4代目のS60/70系(クジラクラウン)程ではないが失敗作のレッテルを貼られてしまう結果となった。

S140系前期モデルでは後席ドア後ろにあるCピラーに王冠のオーナメント(エンブレム)が無い。同時期に販売されていたS130系セダンも同様だったが、クラウンの王冠マークをステイタスとする一部のオーナーから不評で、パーツを取り寄せて貼り付けるオーナーもいた。(ハードトップの後期モデルから復活。)

その為、早くも登場から1年後の1992年10月には、「車格感の向上」の為、木目調センターパネルの全車採用、グリルメッキの明色化、ドアハンドルがボディー同色塗装からメッキされたものになるなどの小変更が実施されている。

同時にロイヤルサルーンなど130系から継承されたグレード群を「プレステージサルーン」シリーズ、ロイヤルツーリング系グレードを「オーナープレステージ」シリーズと呼称する様になる。前者は4席重視の伝統的高級車。後者は前席重視、オーナードライバー志向の新感覚高級車という振れこみであった。

1993年8月にマイナーチェンジを受け、不評だったリアスタイルは先代の130系後期型に似たイメージへ戻された。キャッチコピーは「新しいクラウンが、動き出す。」「あの人が、乗っている」。2400㏄ターボディーゼルエンジンを2L-THEから2L-TEに換装。

1993年12月、1G-FE搭載車復活。

廉価グレードに「スーパーセレクト・ロイヤルエクストラ」を追加。ロイヤルサルーンには手が出ない、しかしせっかくクラウンを買うのだから、というオーナーのために、エンブレムはスーパーセレクトの「SuperSelect」は一切無く、「Royal」のみで、Royalのあとにエクストラを表す「E」という単独エンブレムが付いている。ロイヤルエクストラのオーナーがエンブレムを交換してロイヤルサルーンにしているというケースも少なくない。

初代 S140系(1991年-1995年)(写真右側)>
1991年10月 デビュー

キャッチコピーは「すべては、クラウン。-この上ない満足のために-」。

9代目クラウンと同時に登場し、1989年にデビューしたセルシオ(レクサス・LS)の間に位置する車種として投入された。

エンジンはクラウンの直6・3リッターとセルシオに搭載されているV8・4リッターの2種類。また当時セルシオにも搭載されていなかったエレクトロマルチビジョンが採用され1991年の登場時にはセルシオより先進技術をたくさん搭載していたといってもよい。アリストと姉妹車種の関係にあり、一部共有していた。トランクリッドとテールライトの配置関係はこれ以降のクラウンマジェスタの伝統となり、クラウンとの決定的な違いとなる。クラウン36年の歴史で初となるフルモノコックボディを採用。ピラードハードトップの形をとった。

1993年 マイナーチェンジ

フロントグリル、リアコンビランプの意匠変更。クロムメッキドアハンドルの採用。助手席エアバッグ(オプション)の設定。

初期のCM曲には、9代目クラウンデビュー時のCMと同様にベートーヴェン「交響曲第九番二短調 第一楽章」(第一主題)が使われた。

[ 2007/10/19 13:35 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Crown Royal SaloonG V8 (UZS131) 0'28"

トップページTOYOTAカテゴリーCrown Royal SaloonG V8 (UZS131) 20071105171538.jpg

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8代目(S130系:ハードトップ1987年-1991年/セダン1987年-1995年/ワゴン・バン1987年-1999年)
1987年9月に登場。メインキャッチコピーは「満たされて、新しいクラウン。」「日本の誇りと歓び」。サブキャッチコピーは「“いつかはクラウンに”その想い、今こそ。」「いつまでも、クラウン。」と,先代の名コピーを継承したものであった。

4ドアセダン、4ドアハードトップ、ワゴン/バンの3本立ては変わらないが、4ドアハードトップには3ナンバー専用「ワイドボデー」が追加されている。それまでの3ナンバー車の常識(この130系のセダンやワゴン含めて)が「5ナンバー枠のボディ+大型のバンパー・サイドモール」でサイズアップされていたのに対し、大型のバンパーは勿論、ドアやフェンダーまで3ナンバー車専用としたこの試みは画期的であったが、ワイドボデーによる室内空間の拡大はみられなかった。デザインは従来の面影を色濃く残しながらも、当時のトレンドに沿い曲線を巧みに織り交ぜたものとなっている。

装備・技術面ではエアサスペンション(ロイヤルサルーンG)、エレクトロマルチビジョン(ジャイロによる自立航法を利用した地図表示機能を含む集中制御装置)などが目新しい。エンジンは上から7M-GE 3000DOHC、 1G-GZE 2000DOHCスーパーチャージャー、1G-GE 2000DOHC、 1G-E 2000OHC、 2L-THE 2400SOHCターボディーゼル高出力仕様(AT用)、 2L-TE 2400SOHCターボディーゼル(MT用)、2L、2400SOHCディーゼル、3Y-P 2000OHV、M-P 2000OHC

翌1988年9月に2000ccのベーシックエンジンがハイメカツインカムの1G-FE型へ変更された(バンは1G-Eのまま)。キャッチコピーは「誇りと歓び-わがクラウン」。ATシフトロックシステム採用。1G-GE、1G-GZEを改良し、出力向上。

1989年8月のマイナーチェンジではセルシオに先行してV8、4000ccエンジンの1UZ-FEが搭載された。1964年に登場したクラウン・エイトを除くと初のV8搭載車であり,後のクラウンマジェスタの源流となる。フロントグリル、フォグランプ、リアテールランプ、ステアリングのデザインなどが変更された。同時期に税制が改められ、税額がナンバー区分ではなく排気量で決定されるようになったため、ワイドボディの2000cc車(2000ロイヤルサルーン・ワイドボデー)も登場している。3000cc7M -GEがレギュラーからハイオク対応化。また6気筒LPGのエンジンも長らく搭載されたM型にかわってツインカム24LPGの1G-GPに換装された。バンも1G-FEに換装した。

モデル末期の1990年8月には1JZ-GE型エンジン搭載の2500ccモデル(セダン/ハードトップ/ワゴン)も追加され,次世代への準備が整えられていった。2500ccのロイヤルサルーンが登場で、3ナンバーの2000ccDOHC(1G-GZE)搭載車のロイヤルサルーンと5ナンバーの2000DOHC(1G-GE)搭載車のロイヤルサルーンは廃止されて、スーパーチャージャー車はハードトップの5ナンバーのみとなった。またワゴンの3ナンバー車(2500ロイヤルサルーン)も登場した。 1975-77年まで存在していた「2600カスタム」以来である。

グレードはロイヤルサルーンG ロイヤルサルーン スーパーサルーンエクストラが基本となる。ハードトップにはスーパーセレクトスーパーエディション,セダンにはスーパーサルーン スーパーデラックス デラックス スタンダードが加わる。ワゴンはロイヤルサルーンスーパーサルーンエクストラ、スーパーデラックス。バンはスーパーデラックス デラックススタンダードである。前期型のハードトップのみ,スーパーセレクト等にロイヤルサルーン譲りのスーパーチャージャー、ジャガードモケット内装、アルミホイール、専用フロントアンダースポイラーなどを奢った特別仕様車「アスリート」が設定された(1989年2月登場)。ロイヤルサルーンに近いものであった。1989年8月のマイナーチェンジでアスリートL(3000 7M-GE)として正式なカタログモデルとなる。

グレードだけでなく搭載エンジン、トランスミッションの種類、またパッケージオプションや特別仕様車等も多く、ラインアップは膨大なものとなった。

時はバブル全盛期であり、月間販売台数で一時カローラを上回ったこともあった。販売台数も1988-90年は国産車・トヨタ車の販売ランキングではカローラ・マークⅡに次ぐ第3位を記録。1990年は歴代・過去最高の205259台を記録した。特にV型8気筒エンジン搭載モデルは、現在では安く入手できることから、今もなお人気がある。この代のクラウンが同期のセドリック、グロリア、シーマと共にVIPカーブームの土台を作ったといってもいいだろう。

1991年10月に4ドアハードトップは140系にフルモデルチェンジされたが、セダン・ワゴン・バンは130系が大規模なマイナーチェンジを受けて継続生産(特にセダンはボディ全体の大半以上のスキンを刷新し外見だけに限ればほとんどフルモデルチェンジに近い。またワゴン・バンはフロントノーズ周辺のみのスキンを刷新)された。4000㏄1UZ-FE型エンジン廃止、3000cc7M-GEを2JZ-GEに換装。セダンは1995年12月の 150系の登場と共にモデルチェンジ、ワゴン・バンにおいては1999年12月の170系クラウン・エステート登場まで継続生産された。

このモデルのセダン、ワゴン、バンのヘッドライト、バンパーをタクシー純正パーツ(丸目ヘッドライト、メッキバンパー)に交換する改造が一部で流行している。またこれらの改造車も含め純正ベンコラ車(ベンチシート・コラムシフトの車両)は販売台数が少ないため改造車・グレード関係なく中古で高く流通している。

1997年4月 ワゴンの2500cc1JZ-GEをVVT-i化。

1999年12月15日 後継車のクラウンエステートの登場の伴い、ワゴンは生産終了した。(バンも生産終了)

[ 2007/10/20 13:33 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Toyota Cynos (EL44) 1991 0'29"

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ターセル/コルサのセダンをベースにした小型2ドアクーペで、北米の「セクレタリーカー」市場に向けて企画されたモデルを国内でも販売したもの。なお、北米ではターセル2ドアクーペの後継車種にあたる。

『友達以上、恋人未満』など有名すぎるくらいのキャッチコピーで販売された。 また、海外での同車の車名はパセオ(PASEO)である。

初代(1991-1995年)
1991年1月に登場。グレード名は、α(アルファ)とβ(ベータ)。αは5E-FE型(105PS)、βは5E-FHE型(115PS)の共に1500ccDOHCエンジンを搭載していた。 キャッチコピーは「友達以上、恋人未満」

1994年にはベース車のターセル/コルサ/カローラIIがフルモデルチェンジしたがサイノスは継続生産され、扱い店がカローラ店が中止(同ジャンルのカローラレビンがあるため)代わりにビスタ店で扱うようになる。但しトヨペット店は継続。

[ 2007/10/21 13:30 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Toyota Corona 1992 0'29"

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10代目(1992年-1996年 AT190/ST190/CT190系)
1992年2月登場。4ドアセダンと5ドアセダンの「SF」を設定。ハイメカツインカム、1500ccの5A-FE型エンジン搭載グレードおよびスポーツツインカムの2000cc、3S-GE型エンジン搭載する2.0GT系グレードは廃止し、エンジンラインナップは、1600ccの4A-FE、1800ccの4S-FE、2000ccの3S-FEと、2000ccディーゼルの2Cの4タイプとなった。カリーナEとしてヨーロッパで売られる事をかなり意識したのか、曲線的かつクリーンな印象のデザインだった。室内も先代からさらに拡大され、前席で190cmの人が運転姿勢を取った時、後席に180cmの人が楽に座れるというクラストップレベルの広さを誇った。グレードは、GX(1.6/1.8/2.0 4WD/2.0ディーゼル/2.0ディーゼル4WD)、セレクトサルーン(1.6/1.8/2.0 4WD/2.0ディーゼル/2.0ディーゼル4WD)、EXサルーン(1.6/1.8/2.0/2.0 4WD/2.0ディーゼル/2.0ディーゼル4WD)、EXサルーンG(1.8/2.0)。また、メーカーから教習車仕様も設定されていたが、コロナではなく、トヨタ教習車として発売されていた(コロナエンブレムがトヨタエンブレムになっている)。

CMキャラクターは中村雅俊(コロナオーナーの教師役「T・コロナ氏」であった)。

1992年11月、190系のボディをベースにしたステーションワゴン「カルディナ」が登場。ただし、こちらには3S-GEを搭載したグレードも用意されている。

1994年2月、マイナーチェンジ。外観は、フロントグリルをカラード化(車体と同色化)し、前後バンパーにプロテクションモールを装着。また、横一文字だったテールランプが分割され、リアナンバープレートをバンパーからトランクリッドに移した。

[ 2007/10/23 13:24 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Sera EXY10 CM Ver-1 0'29"

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1987年に開催された第27回東京モーターショーに出展された「AXV-Ⅱ」の市販化モデルである。同社の小型車スターレットをベースにしているが、その特徴は上半分ほぼ全てがガラスで占められていること(グラスキャノピー)と、それを実現するために採用されたガルウイングドアである。ガルウイングドアといえばメルセデス・ベンツ 300SLやランボルギーニ・カウンタックに代表される超高級スポーツカーの専売特許であったが、一般レベルで日本で初めて採用したのがこのセラである。走行性能を求めるのではなく、あくまで雰囲気だけを楽しむという斬新な自動車であった。

ガルウイングと言っても車両によって、採用する理由が様々であり、セラの場合は安価な小型量産車で設計販売を企画し、トヨタの企業イメージのアピールが主な理由である。この構造を可能にする為に用いられた生産技術はハイレベルなものであったが、ルーフ部分をガラスエリアとしたガルウイングの構造上の弱点を出してしまっている。つまり、上半分がほぼ全てガラスであるがゆえに温室のようになってしまい、室内温度が非常に高くなるのである。この為、マイナーチェンジでグラスキャノピーに改良および冷房能力の強化が加えられた。

デザインが特異などの理由により、セールス的に成功したとはいえない。バブル景気という時代背景があり、外見が特徴的なセラは迷車ではあったが、歴史に残る一台ともいえる。

ボディサイズの割に重く重量税がかさむのも失敗の一因とと言われたが、実際には車両重量が1000kgを超えるモデルは存在せず、自動車重量税等級はベースモデルと変わらない。ガルウイングドアの構造上、乗降時には周辺のスペースが相当必要な感じも受けるが、高さは車体外寸上の屋根を越えてしまうが、ミニバン程の高さもなく、横への振り出しは43cmと小さい。ただし室内からの開閉には一般的なドアのようにノブを引いて横へ押しても開閉しにくく、やや斜め上へ押し上げて開ける必要がある。

全長 3860mm、全幅 1650mm、全高 1265mmのコンパクトな外寸に車両重量は890kgに対して、エンジンは1.5Lの水冷直列4気筒DOHC16バルブEFI-S(5E-FHE型)で最高出力110PS、最大トルク13.5kgmで、DOHCと言ってもスポーツツインカムではなく、L40系ターセル/コルサ/カローラII/サイノスの各最上級グレード用を搭載された、ほぼコンベンショナルなハイメカツインカム1本のみであった。もっとも車体構造上ハイパワーエンジンを搭載し加速は良くなっても、ボディ剛性の弱さが強調されるだけになるので、バリエーションを増やさなかった様子。

登場まもなくの間はオーダーから納車まで数ヶ月を要したが、これはオーダーが殺到したというよりも、特殊な製法や部品の調達などにより月に千台程度しか製造できなかったため。

ごく少数ではあるが、メーカーオプションでフェンダーミラーを選択しツノが生えて、さらに独特の雰囲気を出してしまった車両も確認されている。

E型エンジンを搭載していることもあり、スターレット用のターボエンジンに載せ換えるパターンも見られた。

[ 2007/10/24 13:27 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Crown Majesta 0'28"

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2代目 S150系(1995年-1999年)
このモデルよりテールランプが縦型になり、クラウンを象徴する横長テールランプからクラウンマジェスタ独特のスタイルが継承されるようになった。だが、この2代目の場合、一部からキャディラックと似ているという声が上がっていた。

初代のアリストベースの丸いイメージを一気に払拭し、クラウン伝統のいかにも日本の高級車といった角形ベースのデザインに変わる。 また、ベースカラーも明るいツートンからダーク系のツートンに変更になり、より高級志向なイメージへ変化している。

デビュー時には、CM曲に久石譲「フレンズ」が使われた。

キャッチコピーは「この車は、まずオーナーを誇りたい。」

[ 2007/10/25 13:26 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Corona Happy Corona 1989 0'30"

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9代目(1987年-1992年 AT170/ST170/CT170系)
1987年12月登場。4ドアセダンと5ドアセダンを設定。5ドアセダンには「SF」というサブネームが付いた。SFとは「センセーショナル・フィール」の頭文字である。

共にスタイルは先代と比べて、クリーンだが地味な印象を受けた。エンジンは2000cc3S-GE型と3S-FE型、1800cc4S-Fi型、 1500cc5A-F型のガソリンと2000cc2C型ディーゼルを用意。また同時にバンもフルモデルチェンジされFF化となる。バンのエンジンは 1500㏄3E型ガソリンと2000㏄2C型ディーゼルの設定。キャッチコピーは「誰よりも君、なによりもコロナ」。

1989年9月、コロナクーペの後継車として、4ドアハードトップの「コロナEXiV」が登場。

1988年8月、セダンに4WD(1600cc4A-FE型)が追加される。既存車はATシフトロックを追加。

  1989年11月、マイナーチェンジ。外観は、フロントグリルのルーバーが横型から縦型になり、高級感が増した(バンのフロントは変更なし)。また、テールランプが横一文字タイプになり、リアナンバープレートがバンパーに移された。このリアの意匠は、次の190系前期モデルまで継承される。エンジンは1800と1500がEFI化され4S-FE型、5A-FE型に換装された。

1990年5月、トヨペット店累計販売1000万台達成記念車「コロナスーパールーミー (Corona Super Roomy) 」を追加。4ドアセダンの全長を210mm延長したストレッチリムジンで、500台限定販売。後部座席の広さはセルシオをも上回ったが、庶民的なコロナをリムジンにしてしまうという、バブル期の象徴のような車であった。しかも5ナンバー枠に収まっている。

尚、セダン/SFが1992年2月にフルモデルチェンジした後もバンは同年11月のカルディナ登場まで生産された。

[ 2007/10/26 13:21 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Toyopet Crown Delux 1963 0'28"

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2代目(S40系:1962年-1967年)
1962年9月に登場。新しい小型車規格に合わせ、先代より長く幅広いボディが与えられ、近代的なルックスへ生まれ変わった。デザインは当時のアメリカ車の影響を強く受けた美しいものであり、フォード・ファルコンを手本にしたという。キャッチコピーは「クラウンによせられる信頼」。「この王者の貫禄。堂々たる風格の中に、素晴らしい高性能を秘めて走る、トヨペット・クラウン・デラックス」と謳っている。

バリエーションはこれまでのセダンに加え「カスタム」と呼ばれるワゴンが加わり、3車種いずれにもトヨグライド車が用意された。

また、商用モデルのバン、ピックアップ、ダブルピックには「マスターライン」の別名が与えられている。エンジンは当初4R型1900ccのみで、リアサスペンションは、スタンダードがリーフリジッド、デラックスが4リンクリジッド&コイルスプリングで、運輸省指定の車両型式は、それぞれ、「RS40」、「RS41」となった。

初期型は「涙目」と呼ばれるテールランプとトヨタの頭文字である「T」をモチーフとしたジュラルミン製のフロントグリルが特徴的である。1年後の1963年9月にはグリルの大型化とテールランプの形状変更が行われ、同時にトヨグライドは完全自動化された。また1964年4月には、上級車種の「クラウン・エイト」(VG10型)が登場している。クラウン・エイトは通常モデルのボデーを前後左右に延長・拡幅して新開発のオールアルミV8エンジンを搭載したもので、この後登場するセンチュリーのパイロット・モデルというべきものであった。

1965年7月のマイナーチェンジでは、デラックスとスタンダードの中間に位置する個人ユーザー向けの「RS40-B」(後に「オーナースペシャル」となる)が追加されるとともに、外観もフラッシャーのバンパー埋め込みやテールランプのデザイン変更が行われた。さらに同年11月には新開発のM型,2000cc6気筒エンジンが追加された。この6気筒モデル(MS40型)にはデラックスのほかに、フロントディスクブレーキ、ツインキャブ、フロアシフト、タコメーター等を装備したスポーティーグレードの「S」も用意された。その後の「アスリート」や「ロイヤルツーリング」などの祖先といえるグレードである。

カスタム、スタンダード、オーナースペシャルの3グレードには1966年3月に6気筒エンジンが追加された。同年11月に最後のマイナーチェンジを受け、最上級グレードとして「スーパーデラックス」が追加された。翌1967年9月にMS50系・RS50系にモデルチェンジする形で生産終了した。

なお、このモデルは韓国の新進自動車(現:GM大宇)でもノックダウン生産された。第1回の日本グランプリには、コロナ、パブリカと共に出場している。

2004年1月に、トミーテックより1/64スケールモデル「トミカリミテッドヴィンテージ」のバリエーションとして発売された「トヨペット クラウン」は、この2代目クラウンの初期型(デラックス)である。

[ 2007/10/27 13:18 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Toyopet Corona 1500 Delux ad2 1'01"

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2代目(1960年-1964年 T20/RT20系)
1960年4月登場。4ドアセダンを設定。初代の失敗を反省し、「新しくないのは車輪が4つあることだけ!」と謳うほどメカニズムが一新された。現在でいう「ティザーキャンペーン」(発売前にボディの一部などを公開すること)も行われている。

しかし、自慢の1枚リーフとコイルの組み合わせによる後輪カンチレバー式サスペンションは悪路に弱く、悪路に入ると後席の乗客が頭を打ちつけてしまうということもあったという。「振動でフロントガラスにヒビが入る」「雨漏りがする」という噂まで流れ「コロナは弱い」というイメージが広がり、またしてもダットサン・ブルーバードの後慶を拝することとなってしまった。

この対策として、1961年3月にニューコロナ1500デラックス(RT20)としてマイナーチェンジし、エンジンをR型1453ccに強化、リヤサスペンションを通常の車軸懸架と半だ円リーフスプリングの組み合わせに変更した。

1963年5月には第1回日本グランプリ、ツーリングカー1300~1600クラス「C-5」に出場し1位から3位までを独占した。

2代続けてコロナが売れないことに頭を抱えたトヨタ自動車販売(トヨタ自販)では、耐久性を訴えるため、「トーチャー・キャンペーン」(トーチャーとは『拷問にかける』という意味)を行った。1962年に放映されたテレビCMでは、コロナが「砂塵を上げながらドラム缶を蹴散らす」という実写映像でお茶の間に耐久性をアピールした。このCMは日本で最初にカラーで製作されたCMとしても知られている。カラー放送を意識してか、赤・青・黄色のドラム缶が並べられ、その上をコロナが走るというシーンもあった。

この他にも「スタント・ドライブシリーズ」として何本かが作られ「ジャンプ台を15mジャンプする」「崖を転がり落ちても平気で走り去る」「コロナでボールを蹴るサッカー試合」といったスタントCMが放送された。

これらのCMを現代の目で見るとかなりあり得ない描写だが、この当時は耐久性・信頼性のアピールとしてまかり通っていた。CMをきっかけにコロナも徐々に人気を取り戻す。

CMは当然、CGはなく全て実写で撮影されているため、まさに命を賭けての撮影だったという。最初の「ドラム缶」バージョンではトヨタ自販の社員が自ら志願してヘルメットを被り、サラシをシートに巻きつけ体を固定した状態で運転したり、「ジャンプ台」バージョンではドライバーを襷(たすき)でシートに固定して撮影した、といったエピソードが旧車雑誌、「ノスタルジック・ヒーロー」で語られた。

バリエーションにはオートマチックトランスミッション「トヨグライド」装備仕様や、サキソマット(自動クラッチ)付き仕様もあった。ライトバンおよびピックアップトラックは「コロナライン」の名で、輸出仕様は「ティアラ」(クラウンの『王冠』と意味を重ねたネーミング)の名で発売されていた。

このモデルでトヨタが味わった苦い教訓は、のちにTOC運動として展開され、全社挙げて品質管理に取り組む契機となる。そして、その後のRT40型の成功へとつながっていく。

1960年4月登場した2代目は、トヨタが総力を挙げてダットサン(1959年にダットサン・ブルーバード(310系)に発展)打倒を目指して開発された本格的な小型乗用車であった。当時のオペル・レコルトを彷彿とさせるデザインは当時の国産車の水準を越えた流麗もので、当時増加傾向にあった女性ドライバーには特に好評であった。車体は先代同様4ドアセダンのみで、ライトバンおよびシングル/ダブルピックアップは引き続きコロナラインとして別シリーズであった。

販売キャンペーンも新しい方式が取られ、発表に先立ち1960年2月頃から新聞紙上に車体デザインの輪郭や一部分を露出して人気を煽る「ティザーキャンペーン」が日本で初めて実施された。

設計上最大の特徴は1枚リーフとコイルの組み合わせによるカンチレバー式のリアサスペンションであった。優れた操縦性と乗り心地を実現したが、当時未舗装が多かった地方の道路でタクシーとして酷使されると、耐久性不足が露呈された。また、ピラーが細くスマートなボディも強度不足が指摘された。[2] こうして主にタクシー業界で不評が広がり、当初好調に立ち上がった販売も1960年末頃には伸び悩むようになり、小型車市場でのダットサン・ブルーバードの優位は、T10系の時代と変わらず続き、トヨタは乗用車メーカーとして国内2位の座に甘んじることになった。

トヨタは状況を回復すべく必死で対策を講じた。1961年3 月には小型タクシー枠が拡大されたことを受けて、クラウンと同じ新規格一杯のR型1453cc60馬力を搭載した「コロナ・1500」(RT20系)を投入、同様に1200cc版を投入したブルーバードに対しパワー競争で差をつけた。更に10月には「コロナ・1500デラックス」(RT20D系)を追加し、自家用車向け販売を強化した。また、特に女性ドライバーに人気があることからイージードライブ装置付きモデルに早くから力を入れ、2速オートマチックトランスミッションの「トヨグライド」(トルクコンバーター付きだがLとDの変速は手動であった)、自動クラッチの「サキソマット」(通常の3速MTのクラッチ操作のみ自動化、トヨグライドより性能ロスが少ない)が追加された。

また、1500登場と同時に問題のリヤサスペンションをコンベンショナルなリジッド半楕円リーフスプリングに変更した。テレビでは「トーチャー・キャンペーン」と称してコロナを悪路で酷使するシーンを流す、日本初のカラー映像によるテレビコマーシャルが盛んに流され、丈夫な車であることを必死にアピールした。

1963年5月に開催された第1回日本グランプリ、ツーリングカー1300 - 1600クラス「C-5」に出場し、1位から3位までを独占した。宿敵ブルーバード・1200は別クラスになったことも幸いしていたが、コロナが丈夫で高性能であることをアピールする好機として、トヨタは盛んにこの戦果を宣伝した。 T20系はまた、対米輸出の戦略車種としても位置づけられ、「トヨタ・ティアラ」(クラウンの『王冠』と意味を重ねたネーミング)として1900ccエンジンを搭載して輸出されたが、1960年にビッグスリーが相次いでコンパクトカーを発売して輸入車に反撃を開始したこともあって、トヨタの期待に反して販売は伸び悩み、アメリカ市場から一時撤退することとなる。

[ 2007/10/28 13:16 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Corona Coupe 0'29"

トップページTOYOTAカテゴリーCorona Coupe 20071105171515.jpg

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AT160/ST160系(1985年-1989年)
1985年8月に登場。ボディタイプは2ドアクーペ。駆動方式はFF。同時に登場したセリカ/カリーナEDの姉妹車であり、T140系コロナ2ドアハードトップ(FR)の後継車。また、セリカのラインアップがリフトバックのみ(ただし海外仕様はクーペも存在する)となり、クーペが消滅したため、その穴を埋める役割もあった。実質的にはT160系セリカの日本国内向けのノッチバッククーペ版にあたる。しかし、セリカとカリーナEDの売れ行きが好調なのに対し、コロナクーペの売れ行きは不調であった。

エンジンは姉妹車と共通で2000ccツインカム16バルブ・EFIの3S-GELU、1800ccシングルカム8バルブ・セントラルインジェクション(Ci)の1S-iLU、1600ccツインカム16バルブ・EFIの4A-GELUの3種であった。

1987年8月、マイナーチェンジと同時に2000ccハイメカツインカム16バルブエンジンの3S-FELU型が追加され、1600cc車の製造が中止された。

1988年5月、1800ccエンジンが1S-iLU型から1800ccハイメカツインカム16バルブの4S-FiLU型に変更される。

1989年4月、2000VXベースの特別仕様車が追加される。

1989年9月、生産終了。後継車として、4ドアハードトップの「コロナEXiV」が登場。セリカをベースにしたクーペモデルは一旦消滅するが、後にカレンとして復活する。

[ 2007/10/29 13:14 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

OPA 0'30"

トップページTOYOTAカテゴリーOPA 20071105171623.jpg

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ビスタをベースに作られた5ドアハッチバックであり、元々広い室内を持ち、コラムシフト化されているのでウォークスルーも可能であることからより広々とした車内空間を体感することができる。

ポルトガル語の「驚き」を表す感嘆詞から「OPA」と名づけられた。

価格が200万円前後と、廉価モデルを求める層と高級モデルを求める層の中間に位置したためか存在感が希薄であり(ある意味でニッチ向け)、販売面では振るわなかったが、後に登場した派生車種(「プレミオ/アリオン」「カルディナ」「ウィッシュ」「プリウス」)はヒットした。

1999年10月20日~11月3日(一般公開は10月23日から)の「第33回東京モーターショー」でコンセプトカーとして登場。
2000年5月24日 - 「1ZZ-FE」の1800ccモデルを先行発売開始。
2000年8月 - 「1AZ-FSE」と「D-4」とトヨタ初の「CVT」を組み合わせた2000ccモデルを2ヵ月半遅れて発売開始。
2001年1月10日 - 特別仕様車「ナビセレクション」が登場。ボディカラーに、「ペールローズメタリックオパール」と「ブルーマイカメタリック」を追加。
2001年8月2日 - シート素材の質感など一部装備を充実させ一部改良。2000ccモデルで好評だった「i」Sパッケージを1800ccモデルにも展開。
2002年6月10日 - マイナーチェンジ。外観の意匠変更を始め、更に装備の質感アップを図り、「i」Sパッケージに「ディスチャージ(マニュアルレベリング機能付)」を標準装備。
2005年4月中旬 - 生産終了。
2005年12月 - 生産済みの在庫の新車登録を完了。
[ 2007/10/30 13:12 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)

Soarer (Lexus SC) Japanese ad 1982 0'29"

トップページTOYOTAカテゴリーSoarer(Lexus SC) Japanese ad 1982 1982_Toyota_Soarer__Lexus_SC__Japanese_ad.jpg

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1981年2月に誕生。開発コード359B。前年1980年の「大阪国際モーターショー」でEX-8の名称で参考出品されて話題となったものが、ほとんど姿を変えずに登場してきた。また、1983年9月のクラウンのフルモデルチェンジで2ドアハードトップが廃止されたため、同車の実質的後継車ともなった。

「未体験ゾーンへ。」「SUPER GRAN TURISMO」のキャッチコピーの通り、スタイル、装備、走行性能など全ての面で大きな話題を集めた。操作にタッチパネルを用いたマイコン式オートエアコン、ガソリン満タンからの走行可能距離、目的地到着時刻をマイコンにて自動演算するドライブコンピューターなど、当時としては最先端のカーエレクトロニクスがふんだんに用いられたが、特に「エレクトロニック・ディスプレイメーター」と名付けられた蛍光管によるデジタル表示のスピードメーター、発光ダイオードによるグラフィック表示のタコメーターはその象徴といえるものであった。第2回目の日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車でもある。

エンジンは1G-EU型直6SOHC・2000cc (125ps) と途中で追加されたM-TEU型直6SOHCターボ2000cc(145ps)5M-GEU型直6DOHC・2800cc (170ps) 。特に5M-GEU型直6DOHC・2800cc (170ps) は、日本の大排気量車としては初のツインカムエンジンが採用され発売当初は国産最高出力を誇った。上級グレードの足回りには、トヨタ・2000GT以来と謳われた4輪独立懸架+4輪ベンチレーテッドディスクブレーキが採用されている(2000GTは4輪ダブルウィッシュボーン、ソアラはフロント ストラット、リヤ セミトレーリングアームと形式は異なる)。後に電子制御サスペンション「TEMS」を採用したグレードも登場した。 1983年のマイナーチェンジで1G-GEU型直6DOHC・2000cc (160ps) がラインアップされ、M-TEU型は水冷インタークーラー装着により (160ps)に、5M-GEU型は84年のマイナーチェンジで圧縮比を上げて出力アップ (175ps)した後に、1985年のマイナーチェンジで6M-GEU型直6DOHC・3000cc (190ps) となった。 グレードは下から2000VI(初年度のみ生産82年のマイナーチェンジで廃止)、2000VII、2000VIIターボ(81年7月追加)、2000VR、2000VRターボ(1981年7月追加)、2000VX、2.0ターボ(1983年のマイナーチェンジでVIIターボ及びVRターボを統合廃止し追加)、2.0GT(83年のマイナーチェンジで追加)、2800GT、2800GTエクストラ(83年のマイナーチェンジで廃止)、2800GTリミテッド(1982年のマイナーチェンジで追加)、3.0GT、3.0GTリミテッド(85年のマイナーチェンジ時に搭載エンジン変更により2.8GT及び2.8GTリミテッドから変更)。

エレクトロニクス、装備の改良、充実も毎年のように行われ1982年のマイナーチェンジでエンジンをコンピューターで統合制御するTCCS及び5M-GEU搭載車のATに変速を電子制御にて行うECTが同時に採用された(MT車のエンジンは前年と変更無し)。パワステ及びパワーウインドウがオプション設定すらされていなかった最廉価モデルである2000VIが廃止になり、VII、VIIターボはアナログメーターからデジタルメーターに変更されすべてのグレードがデジタルメーターとなり、本革シート、4-ESC(ABS)を標準装備とする最上級グレードであり、豪華仕様の2.8GTリミテッドが追加された。翌83年にはエクステリア及びインテリアデザインに大幅な変更が行われ、TCCSは5M-GEU搭載車をはじめ、1G-EU、M-TEU、そして新たに採用された1G- GEUに採用が拡大された。ドライブコンピューターも進化し、従来の機能はそのままにエンジンオイルやフィルター等の消耗部品のメンテナンス時期を知らせたり、エンジンシステム異常を自己診断し知らせるダイアグノーシス表示機能が追加された「スーパーモニター」が2.8GTリミテッドに標準(2.8GTにオプション)装備された。また、ショックアブソーバーの減衰力をマイコンで自動制御(スイッチにより任意に切り替えも可能)するTEMSが2.8GT、2.8GTリミテッドに採用された。

タイヤは60扁平タイヤが認可されたため205/60R15サイズが2.0ターボ及び2.0GT、2.8GTに採用されホイールも新デザインの15インチにサイズアップされた(VII、VR、VXは前年と変更無し)GTリミテッドのみピレリP6 が装着された。集中ドアロックにはキー閉じ込み防止機構が追加され、左右のドア下部前端にポケットが設けられた他、オートドライブスイッチがダッシュボード右端からステアリングホーンパッド下部に移設され本来スピードアラームの速度選択スイッチがオートドライブの速度設定スイッチとなっている。ドアミラーもオプション採用されたがボルトオンによる後付けであり格納することは不可能だった。

84年のマイナーチェンジでドアミラーが電動可倒格納式となり、AT車のセレクター形状が変更されオーバードライブスイッチがセンターコンソールからグリップ部に移設された。エクステリアではフロント及びリヤスポイラーが採用された。またATのみのグレードである2.0ターボのATがECT採用となった。5M-GEUエンジンはピストンの形状見直しにより圧縮比を8.8から9.2に上げ合わせて白金プラグ採用等により従来から+5psの175psとなった。最終型となる1985年マイナーチェンジは5M-GEUを排気量アップした6M-GEUが新たに搭載された他1G-EUがフラップ式エアフローメーターに変わりホットワイヤー式のエアフローメーターを採用し吸気抵抗低減、圧縮比アップにより従来型から+5psの130psにパワーアップしている。

最大のトピックは世界初採用の車両情報システムである「トヨタ エレクトロマルチビジョン」の採用であり、3.0GTリミテッドのAT車のみにオプション設定された。このトヨタ エレクトロ マルチビジョンは小型ブラウン管によるタコメーター表示、シフトポジション、TEMS,ECTのパターンセレクトを表示する他、燃費、オイル交換時期などのメンテナンス時期を知らせたり、各電子制御部の異常を表示するダイアグノーシス機能などハイテクの結集とも言えるシステムであり、更に停車時にテレビも視聴できる優れものであった。外観上ではトランクフード脇に左右に取りつけられている2本のテレビ受信用のポールタイプのオートアンテナがエレクトロマルチビジョン搭載車の特徴であった。

この初代ソアラの開発にあたって、白洲次郎のアドバイスを受けていたことが、当時のソアラ開発責任者である岡田稔弘は後に公式に認めている。白州は個人に所有していたポルシェ・911をトヨタに与え、開発技術者に良い車を創る事について確固たる姿勢を教示した。2代目ソアラが発表される直前に亡くなってしまったが、発表後、岡田は墓前にニューソアラ(MZ21)で報告に行ったという。彼はイギリスに留学した時に当時学生で有りながら、アジア人でベントレーを乗り回し、地元のレースに出場する程の車好きだったという。

TVドラマ「太陽にほえろ!」では、トヨタ自動車がスポンサーを務めたこともあり劇中車として使用されていた。ちょうどこの頃はソアラと太陽にほえろ!の人気が高かったこともありそれに応えてソアラの最新のモデルを入れ替えて使用されたがなぜか最終型の3000GTリミテッドは使用されなかった。使用された車種は次の通り。

前期型2800GTエクストラ(ホリゾンタルトーニングと呼ばれるゴールドツートン)1981年6月~1982年8月
前期型2800GTリミテッド(リミテッドクォーツトーニングと呼ばれるパールホワイト/シルバーのツートン)1982年9月~1983年5月
後期型2000GTフェンダーミラー仕様(スーパーホワイトII)1983年6月~1985年12月
[ 2007/12/08 16:39 ] TOYOTA | TB(0) | CM(0)
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