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Mitsubishi Pajero Ad 1996
三菱・パジェロ(PAJERO)は、三菱自動車工業が製造・販売するSUV型の普通自動車である。
名前の由来は南米に棲むヤマネコのパジェロ(またはパンパスキャット、コロコロ)から。
RVブームと呼ばれた1990年代の販売台数がとても多く、以前は4輪駆動車としての代名詞が「ジープ」であったことに加え、パジェロという呼称も世間で広く認知されるにいたった。
ダカール・ラリー(通称パリダカ、以下パリダカと表記)に2008年まで毎年参戦し優勝などの好成績を残していることから世界中に知られている上に同車のファンが多く、また三菱自動車工業の国内におけるフラグシップモデルとして位置づけられている。
全車種が岐阜県加茂郡坂祝町にある三菱自動車の子会社のパジェロ製造で製造されている。ちなみに、人口が10,000人に満たない同町の税収の大半をパジェロ製造からのものが占めている。
また、初代の海外現地生産に関しては三菱自動車工業の提携先である韓国のヒュンダイ(現代自動車及び現代精工(現・ヒュンダイモービス))により『ギャロッパー』の名称でライセンス生産が行われた。さらには同じく韓国の雙龍自動車からも『ファミリー』として生産された。
2代目 V20・40系(1991-1999年)
1991年1月22日に初のフルモデルチェンジを受け、2代目が登場。
初代L系が引き続き好調に販売されていることを受け、三菱自工としては異例の長さの構想期間や車両テストにより、車両構造の洗練が一層進んだ事が評価を高める一因ともなっている。特に有名な点は、リアコンビネーションランプの室内空気利用ヒーターや、リアドアを積雪地向けに三角の切り欠きを設けたりなど、車両がほぼ完成した後に変更された点が多数見られる。 2代目発売が遅れた背景には、初代発売当初の月間登録台数が数百台と低調のまま推移し、2代目の開発予算確保が困難であったという事情もある[1]。その後、逆に販売が爆発的に伸び、社内に「2代目不要論」まで飛び交うほどともなったことも2代目登場が遅れた要因となった。 当時、三菱社内ですら、それほどの混乱となるほどの RV ブームと呼ばれる現象の中心にいた車両がこの2代目パジェロともいえる。
ブームの只中、高価格な RV ながら、普及車などを抜いて、国内新車月間販売台数1位獲得という快挙を成し遂げている。
走行中でも駆動方式が変更可能で、センタービスカスを持つスーパーセレクト4WDが搭載された。フロントバンパーおよびサイドドアに大型のインパクトビームを内装し、外板に高張力鋼版を多用したことにより、先代に比べ重量および頑丈さが増した。
初代のイメージリーダーであったソフトトップを引き継ぐかたちで、キャビン後部およびルーフ部を幌とした「Jトップ」が設定された。このJトップは、リアデフロック・16インチブレーキ・18インチホイールと専用タイヤ・極低速ギア比デフ・ロールケージなどが標準搭載された。そのため、フラットダートを速く走ることを主眼においた初代よりもクロスカントリー色が強くなっている。
搭載エンジンは、初代パジェロに引き続き、若干変更を加えた 6G72 型 V6 3000cc(155馬力)と、給・排気系をリファインし、若干パワーアップした 4D56 型 直4 2500cc インタークーラー付きディーゼルターボ(105馬力)の2種類である。
サスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーン + トーションバー、リアはダンパーを前倒配置した3リンク + コイルスプリングの車軸懸架式を踏襲。競合他車の横方向のオフセットを持つダンパーマウントや、4リンクリジッドと比較すると、這う様に進むというよりは、加速時にも後輪の接地性を確保する設計となっている。
ボディはショートホイールベースに「Jトップ」と「メタルトップ」の2種類、ロングホイールベースに「ミッドルーフ」と屋根後半がハイルーフとなった「キックアップルーフ」の2種類が用意された。それらにオーバーフェンダーの有無、4種類のエンジン、装備の差などが組み合わされ、商用のバンを含めると(建設省仕様などの準特装車は除いて)、最大時には30種類以上ものグレードがディーラーで購入可能だった。
特別限定車として、パリ〜ダカール総合優勝記念車や、No.1スペシャル(月間販売台数1位記念)などが登場した。
1993年7月19日、マイナーチェンジで、V6 3500ccの6G74(230馬力)と直4 2800ccインタークーラーターボディーゼルの4M40(125馬力)が追加された。
ボディこそほぼ変わらないものの、高出力化に合わせ、トランスミッション容量の向上(MT・ATとも)、エンジンマウントの見直し、それらに伴いラダーフレーム各所にも変更が施された。
前期型に比べ、1インチ近くボディリフトされ、16インチブレーキ、マルチモードエアバッグ & ABS なども装備され、走りや機能、安全面で大きな改良がなされた。従来の2500cc ディーゼルターボはメタルトップの廉価版の5MTのみへ整理された。
1994年、V6・3500の設定車種拡大。特別限定車として、2800ATのJトップ特装のGAGA、エクステリアをすべて同色化したホワイトパジェロ、主要装備を高級化したリミテッドエディション、内外装色に統一感を出したブルームーンなどが登場。
1995年、ミッドルーフワゴンに5人乗りのGシリーズ追加。2800ディーゼルは電子制御化で140PSにパワーアップ。
1996年5月に4G64 型 直4 2400ccガソリンエンジンを搭載しレカロシート・専用カラーなどを奢った「ルーキー」が追加された。また MMCS(カーナビゲーション)をメーカーオプションで設定。
1997年、ビッグマイナーチェンジで3500ccGDI6G74 エンジン(245馬力)が搭載されるようになった。
合わせてエクステリアにも大きな変更が与えられた。ボディ見切りの向上を図るべくブリスターフェンダーを採用。また、いわゆる「カンガルーバー」バンパーによる衝突危険度増大の批判的世論を受け、ABS樹脂製のガードや樹脂部分を大型化したバンパーを採用した。さらにグリルデザインなどのエクステリアパーツの大幅な変更も同時に行った。しかし、デザイン的に後付け感はぬぐえず、鋼板の意匠変更を含む自動車製造上かなり大きな(モデルチェンジに相当する)投資を行ったが、翳りの見えてきたパジェロ人気を回復するには至らなかった。
また従来のボディも廉価版として2代目生産終了まで生産されていた。(Gシリーズ、キックアップルーフ、Jトップ)
手動変速機能と学習機能を持ったINVECS-II スポーツモードA/Tも新たに採用された。しかしこのミッションは、従来のアイシン製から自社開発に切り替えたシステム過渡期の製造であり、ガラスのミッションとして、不具合が多く報告されている。
同年秋、パリダカのレギュレーション改正にあわせ、6G74型エンジンをベースに可変バルブ機構"MIVEC"とし、四輪独立懸架サスペンション"ARMIE"を採用したパリダカ用ホモロゲーション取得モデルパジェロエボリューションが限定販売された。
エクステリアは、長大化したサスアーム・ストロークに対応するため、ブリスターフェンダーにさらにオーバーフェンダーを付け、フロントおよびリアバンパーなど各所のパーツも大型化された。さらに、ボンネットはアルミ化され、専用エンジンなども含め、販売価格では到底採算が合わない車ともいわれている。
これら2代目パジェロは、1999年の国内販売終了後も、主にEU輸出用として2002年まで国内生産されていた。
現代自動車ではギャロッパーの後継車種として、2代目パジェロのプラットフォームを用いたモデル『テラカン』が登場した。そのほかにも現代自動車の子会社となった起亜自動車でも同じプラットフォームを用いたSUV『ソレント』が登場している。
エピソード
* 当時の岐阜県の梶原拓知事(在任期間:1989年〜2005年)が公用車に使用していた。
* TBSの「関口宏の東京フレンドパークII」ゲスト出演者用の景品としてパジェロが用意されている。(1992年3月〜2004年6月、2006年10月〜)
* 海外の一部地域(北南米など)では「モンテロ (Montero)」にネーミングを変えて販売されている。これは、"Pajero"(パヘロ)がスペイン語で「オナニー」"paja"をする者という意味になってしまうためである。また英国では「Shogun (将軍)」という名称で販売されている。パリダカに出場するパジェロにはPAJEROのエンブレムは付いておらず、MITSUBISHIのエンブレムのみとなっている(但しサイドに「PAJERO MONTERO」のステッカーがある)。
* 九州のバス会社、京築交通では改造されて11人乗りの路線バスとして運行されていたが、現在は廃車となっている。
* ラジオ関西が1994年頃にラジオ中継車としてパジェロを使用していたことがある(現在はエスティマに変更)。
* ウルトラマングレートには初代がUMAのマシン、サイクロプス2号・3号として、ウルトラセブン 地球星人の大地には二代目が、ウルトラセブン誕生35周年“EVOLUTION”5部作には三代目がウルトラ警備隊のマシン、ポインターとして登場した。ウルトラマンネオスには3代目がHEARTのマシン、ハートビーターRXとして登場と平成円谷作品のスポンサーになると引っ張りだこである。
* 自動車評論家の三本和彦が三菱自動車社長から「北米用のトラックのシャーシが余って困っている。」との相談を受け、「乗り心地を良く出来るのか?」と聞いたところ「セッティングでどうにでもなる。」との会話をした後パジェロが生まれたことがベストカー誌上で明かされている。